君の求める光は、君自身の内にあるのだ。
四国の風景「大山祇神社」
しまなみ海道
来島海峡急流観潮船の渦潮
日本一海に近い駅だった「しもなだ駅」
町並みの風景
『シッダールタ』
詩は音楽にならなかった言葉であり、音楽は言葉にならなかった詩である。
恋とは、私たちを幸せにするためにあるのではありません。恋は、私たちが苦悩と忍耐の中で、どれほど強くありえるか、ということを自分に示すためにあるものです。
世の中に実に美しいものが沢山あることを思うと、自分は死ねなかった。だから君も、死ぬには美しすぎるものが人生には多々ある、ということを発見するようにしなさい。
あなたの苦しみを愛しなさい。それに抵抗しないこと、それから逃げないこと。苦しいのは、あなたが逃げているからです。それだけです。
名声などというものに、いったい何の価値があるだろうか。本当に内容も価値もある人間たちが、みな有名になって後世に知られているとでも、あなたは思っているのだろうか。
鳥は卵からむりやり出ようとする。卵は世界である。生まれ出ようとする者はひとつの世界を破壊しなければならない。
自分の道を進む人は、誰でも英雄です。
私が人生を諦めて、自分一個の幸不幸などはどうでもよいと悟って以来、少なくとも人生は、私にやさしくしてくれるようになった。
君の中には、君に必要なすべてがある。「太陽」もある。「星」もある。「月」もある。君の求める光は、君自身の内にあるのだ。
君自身であれ!そうすれば世界は豊かで素晴らしい!
君の求める光は、君自身の内にあるのだ。
いやだなあと思うものを受け入れることは、いやだなあと思うものに自分も加担をしていることになる。自分の心が「美しくない」と思うものには、明確な拒否を示すこと。いやだなあと思うことを続けていると、美しくないと思うものを受け入れてしまうと、自分の存在まで醜いものに成り下がる。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年4月9日
圭吾さん、おはようございます! 今日、四国にご出発ですよね。そんな朝に、どうしようかなぁと迷いつつ、やっぱり感謝を伝えたくてメールします。
少し前の圭吾さんのブログ記事で、「困った時のおまじない」が書いてありましたよね。
3月に一緒に圭吾さんに会いに行った8才の息子ですが、「学校」というものが嫌で、不安で、怖くて、私と一緒じゃないと行けずにいました。
以前は、先生に何か言われるだけで、命令されていると感じ、その時点で負けてしまって、床に泣きながら寝転んだり、逃げ出したりと、なんというか、男なのに情けないなぁと思っていたのです。
せめて、嫌なら嫌で、「嫌だ」と言って歩いて帰ってきてほしい と思っていました。
昨日は、始業式だったのです。「もう3年生にもなったから、いくら嫌なことがあっても、へろへろと力を無くして床に倒れこむみっともないのだけはやめてほしい。」といって、圭吾さんの修羅場のエピソードを教えたんです。
「ここぞというときは、お腹の下に力を込めて、集中して、多くは語らなくてもいいから、足で踏んばって、『いる(在る)』ように」と。
そうしたら!
校長室で(息子はクラスには入れないので、新しい校長先生と顔合わせをすることになってました)、息子は手をグーにして、ちょっとほっぺたをふくらませて、校長先生のお話に「ん。」「ん。」と短い返事をしていました。私は、初め分からず、「何なの?ちゃんと話をして。」と言ったら、手のひらに「さかつめ」と書いてきて…!
今、圭吾さんの真似しながらがんばってるんだ!と思ったら、ちょっと笑えて、ちょっと泣けてきました。
年度初日で、初めて会う校長先生と話すだけでも、息子にとってはすごい緊張だったはずなのに、圭吾さんのおまじないで、それに負けることなく自分を維持することができました。感動✨!
圭吾さん、本当にありがとうございます!←ひとつめの感謝!
それと、二つ目は、さっき寝る前に、村元さとみさんのFBから流れ流れて圭吾さんのツイートが携帯の画面に出ていたのですが、それを息子が見て、「自分と同じだ」と言いました。
https://mobile.twitter.com/KeigoSakatsume/status/586183175497322496?ref_src=twsrc%5Etfw
話を聞くと、(まだ8才なのに)「死にたい」ってよく(頻繁に)思うんだそうです…(*_*)
不憫に思う反面、これまでの息子の様子を見ていると、「そっか~。『死にたい』って思うのもしょうがないよね。分かる気がする~。」と、なんだか共感してしまいました。
親として、「命は大事だからそんなこと言わないで!」とか、もう思えなくなっている自分にも気づきました。
自分らしく生きられないって、(子どもでも)死ぬほど辛いことなんだなぁと思いました。
「まぁ、ママは⚪︎⚪︎くん(息子)に生きていてほしいからさ、今、何したい?」と聞いたら、水が飲みたいというので、いつもは「自分で汲んで飲んで」というところを、汲んできてあげました。「ママが汲んだお水、おいしい✨生き返る~!」と喜ぶ息子。
どれだけ私、愛情あげられてないのかなぁ?と思うけれど、私なりに頑張ってはいて、それを息子も分かってくれています。
それでも、多感で、生き辛い過敏な感受性をもち、周りからダメだダメだというメッセージを受け続けてる息子に、「『同じだ、似ている!』と思える人がいる…」ということ、圭吾さんが、そのままで、全力で生きていてくれることが、本当に私たちの力、希望になっています。本当にありがとうございます!
四国でも、圭吾さんの清清しい生き様を、私たちに発信してくださいね!
圭吾さんのストーリーを、息子に聞かせて、話し合っていきたいと思います。
偶然ですが、そのツイート、ちょうど1年前のものなのですね。びっくり!
時を越えて、私たちを励ましてくれる圭吾さんの呟き。本当に、いつも刺さります! ありがとうございます‼
圭吾さん、行ってらっしゃい!応援しています!
⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎
生きていることを実感したければ、死ね。
1・断捨離のコツ。
断捨離のコツは「あるものを減らす」のではなくて「何もかも失った時に、再び取り戻したいものだけを残す」ことだと思っているのですが、このような考え方をすると「何もかも失っても別に問題はないのではないか」などと思っている意外とパンクな自分に出逢えることがあるのでオススメです。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年3月28日
2・宗教は答えで、哲学は問い。
私達は、多分、何かしらの『答え』を求めて本や映画などの作品を手に取る。しかし、その作品が良質であれば良質であるほどに、読み手に対して答えではない『問い』を突きつける。それは「お前はどう生きるか」という鮮烈な問いであり、読み手が真摯に『応えた』時、はじめて作品は完成する。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年3月14日
3・人生とは、自分を楽しませることである。
自分の予定帳を眺めながら「人生とは、自分を楽しませることである」ということを思った。自分を楽しませることができていない時に、人間は苛立ち、他人と比較し、未来に不安を覚えたりする。川本真琴風に言えば神様は何も禁止なんかしていないし、ほんとうは「何をしてもいい」のだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年3月20日
4・癒されすぎて腐っている。
スピリチュアルとかカウンセリングとか自己啓発とか、癒されすぎて腐ってるひとは多いなあと思う。そんなことよりも、一回死ぬ(古い自分を一回殺す)ほうが早いんじゃないだろうか。延命措置は面白くないし未来もないから、生きようとするよりも「よし、死のう」的な考え方は有効だと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年3月20日
5・高校を退学した17歳の女の子。
高校を退学した17歳の女の子と話しまくった。周囲の大人は「なんでやめちゃったの?」とか「これからどうするの?」と尋ねる中、彼女は「やめちゃったんじゃなくて、やめたんです」「やりたいことがあってやめたんじゃなくて、やりたくないからやめたんです」と答えていて、超絶良かった。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年3月21日
6・覚悟の逆説。
ひとりでもいいという覚悟を決めてから、逆説的だけど「自分はひとりではない」ということを思うようになった。死んでもいいという覚悟を決めてから、逆説的だけど「自分は生きているのだ」ということを強く実感するようになった。多分、大切なことは【自分は自分の足で立っている】ことだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年3月27日
7・広い世界より「広い自分」
守られた世界を飛び出さないと、自分の広がりを感じることは難しい。広い世界に触れたいという思いもあるけれど、その奥の方には、自分を膨らませていきたい、もっと広い自分の可能性に触れていきたいという思いがある。広い世界を見たいのではなく、多分、広い自分の膨らみを感じたいのだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年4月8日
8・自分のことを否定的に言わないことで、自分のことを否定的に思わなくなる。
自分のことをコミュ障だと言わなくなってから、自分はコミュ障じゃなくなった気がして、自分のことを人見知りだと言わなくなってから、自分は人見知りじゃなくなった気がする。自分のことを否定的に言わないことで、自分のことを否定的に思わなくなる。
— みっつ (@mitzparty) 2016年4月8日
9・ひとりで生きる強さの裏側には、誰かといられない弱さがある。
ひとりで生きる強さの裏側には、誰かといられない弱さがある。弱い自分は、苦手だなと感じるひとと同じ空間にいるだけで、露骨に胃腸が痛くなる。自分で自分を護ることが難しくなる。ひとりの時間を好むことは、孤独に耐える強さではなく、そうでもしなければ生きていけない自分の弱さだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年4月8日
『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』
10・生きていることを実感したければ、死ね。
自分を殺して人に好かれるよりも、自分を出して人に嫌われる方がずっといい。不器用でも、無様でも、一生懸命に生きた記憶が思い出になる。自信や能力があるからやるのではなく、自信も能力もなくてもやる、やりたいと思ったからやる、きっと、それだけで人間は清々しく生きることができる。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年3月18日
音楽の中には世界があって、そこには自分の居場所もありました。
家族に強く感謝をしている三点。
元気でいてくれたらそれでいい。
『星の王子さま』
ぼくの暮らしは単調だ。ぼくがニワトリを追いかけ、そのぼくを人間が追いかける。ニワトリはどれもみんな同じようだし、人間もみんな同じようだ。だからぼくは、ちょっとうんざりしてる。でも、もしも君がぼくをなつかせてくれたら、ぼくの暮しは急に陽が差したようになる。ぼくは、ほかの誰ともちがうきみの足音が、わかるようになる。ほかの足音なら、ぼくは地面にもぐってかくれる。でもきみの足音は、音楽みたいに、ぼくを巣の外へいざなうんだ。それに、ほら!むこうに麦畑が見えるだろう?ぼくはパンを食べない。だから小麦にはなんの用もない。麦畑を見ても、心に浮かぶものもない。それはさびしいことだ!でもきみは、金色の髪をしている。そのきみがぼくをなつかせてくれたら、すてきだろうなあ!金色に輝く小麦を見ただけで、ぼくはきみを思い出すようになる。麦畑をわたっていく風の音まで、好きになる……
音楽の中には世界があって、そこには自分の居場所もありました。
恐れることを恐れるな。
不安になるのは当たり前で、さみしくなるのも当たり前のことだと思う。元気な時に「この調子で行こう!」と思うことは簡単だけど、元気のない時も、元気のないままで「この調子で行こう!」と生きる姿勢が、自分の中心を生きる芯になる。無様でも、不器用でも、自分を責めてはいけないのだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年4月1日
みんなの財布
美しい世界を共有する。
『やさしいライオン』
恐れることを恐れるな。
失うことを恐れてしまうと、もっと大切な何かを失ってしまうような気がするから、何かを守りそうになっている自分を見つけたら、出来る限り蹴飛ばしていきたいと思う。失っても、失っても、どれだけ多くのものを失ったとしても、絶対に最後に残るものがある。多分、それが【自分】だと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年4月1日
「やりたい」が「やらなきゃ」になったらゲームオーバー !
進んでやる仕事だけ、やっていきなさい
「やりたい」が「やらなきゃ」になったらゲームオーバー!
「やりたい」が「やらなきゃ」を解決する。
『タマネギのひみつ』
嫌だなあと思うことを嫌々やって生きるのではなく、好きなことをブワアとやって死にたい。
あんまり先のことを考え過ぎてはいけないのだと思う。一般的な幸福に惑わされると、自分の幸福を見失ってしまう。特別な人間になろうとはしなくても、自分の心が「いいな」と思える瞬間を積み重ねた先に、多分、特別な人生はつくられるのだと思う。 pic.twitter.com/maRvb3xIi1
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年3月30日
不完全なら不完全なりに、不完全なままで胸を張る。多分、その姿が『完全な自分』になる。
先日、粛々と録画した動画を公開しました。仕事や家事の合間に、是非!!https://t.co/44UHbk0Uky
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年3月29日
7歳年上の女性との修羅場
気持ちで負けちゃいけない。
困った時のおまじない【俺は俺だ】
『喜びから人生を生きる【DYING TO BE ME】』
ありのまま、自分のままで自分の姿を誇ること。
ひとりでもいいという覚悟を決めてから、逆説的だけど「自分はひとりではない」ということを思うようになった。死んでもいいという覚悟を決めてから、逆説的だけど「自分は生きているのだ」ということを強く実感するようになった。多分、大切なことは【自分は自分の足で立っている】ことだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年3月27日
21世紀は「売る・買う」の関係性から「あげる・もらう」関係性の時代になる。
名古屋の女子、家をもらう。
21世紀は「買う・売る」の関係性から「あげる・もらう」関係性の時代になる。
現代社会が「等価交換」で成り立っているとすれば、自然界は「循環」の摂理で成り立っている。太陽は、別に見返りを求めて何かを照らしたりはしない。--坂爪圭吾
— 自然農bot (@shizen_no) 2016年3月19日
カモメが飛んだ。
『帰ってきたソクラテス』
愛情の9割は執着。
これは物凄い大切なことだと思うのだけど、多分、職場でも恋愛でも親子関係でも『自分を使って相手を幸せにする人』と『相手を使って自分を幸せにする人』の二種類がいる。誰かのためとか言いながら、自分に都合のいい結果だけを許容するならば、それは愛情ではなく自己愛【執着】だと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年3月22日
坂爪さんこんばんは。いつもブログたのしみに見ています。そして、力をもらっています。私は常々商売的なことに対して、よい気持ちがしていませんでした。坂爪さんもよくおっしゃっているとおり、広告や宣伝を見るたびに「売ってやる!売ってやる!」という気持ちが見えてしまっていたからかもしれません。そして、何より商売に強く結びついているお金のことが好きになれなかったのです。坂爪さんのブログを読み、これからは「売る・買う」よりも、「もらう・あげる」だということにすごく共感しました。そして、あの嫌いだったお金すら「売る・買う」ではなく、「あげる・もらう」の循環にのせていくと、すごく気持ちのいいものになる、ああお金いいじゃん!!ということに気づいたのです。なので、その循環に、微力ながらのせたいと思います。ほんとに少しなんですが、お金をもらってほしいので、坂爪さんの口座番号を教えていただけませんか?⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎
生かしたいひとを生かすために生きる。
【イロイロカーニバルどうだった?】世の男性諸君にまじ伝えたい「かわいい」という魔法!からのちゃぱうぉにか号という未来の描き方!テストに出るので要チェック♡withほっしー&べーあー
— MAYUCHAPAWONICA@横浜 (@harapekoyama) 2016年3月21日
①https://t.co/lrs9ijNhXO
②https://t.co/gCSr7ORNRO
女性陣+発奮=女神陣【世界救われる】
『女性に“かわいい”という→魔法でキラキラ輝く→みんな女神になる→メンズ生かされる→世界救われる』この方程式を用いて次のステップに進みたいと思います。 https://t.co/GKSO2GlTmH
— 保科亮太 (@hoshina6) 2016年3月21日
【わたり文庫】『じぶんだけのいろ』
【わたり音楽】『Man Taung Yeik Kho』
生かしたいひとを生かすために生きる。
本当にそう思う!女はカワイイで輝いてパワーアップ!
— 村元聡美@足もみ師 (@satomi_muramoto) 2016年3月21日
そして男は0から1を作ってくれればよくて、あとは女が育んで100にも10,000にもするから、女が稼いで男を応援する仕組みは、すごく生物的に楽な仕組みだと思う。女はマザーアース♡ https://t.co/qeDTxpOG49
家族でも恋人でも「あなたのために生きている」なんて言われたくない。そんなことよりも、自分のために生きていて欲しいと思う。完璧であることなんて望まないから、楽しそうに生きていて欲しいと思う。嫌なことを我慢しながらやるのではなく、自分のやりたいことをやっていて欲しいと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年3月18日
耳を塞いでもいいのだ。
スピリチュアルとかカウンセリングとか自己啓発とか、癒されすぎて腐ってるひとは多いなあと思う。そんなことよりも、一回死ぬ(古い自分を一回殺す)ほうが早いんじゃないだろうか。延命措置は面白くないし未来もないから、生きようとするよりも「よし、死のう」的な考え方は有効だと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年3月20日
耳を塞ぐ。
両耳を塞いでもいいのだ。
人生とは、自分を楽しませることである。
自分の予定帳を眺めながら「人生とは、自分を楽しませることである」ということを思った。自分を楽しませることができていない時に、人間は苛立ち、他人と比較し、未来に不安を覚えたりする。川本真琴風に言えば神様は何も禁止なんかしていないし、ほんとうは「何をしてもいい」のだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年3月20日
天を相手にし、人を相手にするな。
所持金も尽きて参りました(四桁)ので、嘉向徹くん@toru_kamuki と保科亮太@hoshina6 さんが新潟は佐渡ヶ島でやっている「ここに来たら食べるものとやることはあるから人間は死なない」に向かいます。写真は、天空の棚田!! pic.twitter.com/EMTSwEbYND
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年3月17日
カーフェリーで片道2時間強、往復5000円弱
佐渡ヶ島の風景
サードアイランドとしての可能性
野浦のボスの尋常ならざる人間的魅力
佐渡ヶ島の夜と「役割の分担」
一生懸命に生きた記憶が思い出になる。
自分を殺して人に好かれるよりも、自分を出して人に嫌われる方がずっといい。不器用でも、無様でも、一生懸命に生きた記憶が思い出になる。自信や能力があるからやるのではなく、自信も能力もなくてもやる、やりたいと思ったからやる、きっと、それだけで人間は清々しく生きることができる。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年3月18日
古い自分には一回死んでもらわないと、次には行けないのだ。
先程収録した音声を公開しました。今回のハイライトは「加害者は元被害者」「(金を貰わなければ営業行為にはならないから)誰も俺を取り締まれない」「死ぬ前に死ね!」の三本です。出勤途中の車内や家事や眠れない夜のお供に、是非お聞きください!!https://t.co/785SDr4ybI
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年3月14日
生きても死んでも丸儲け。
水も飲めなくなったら、死ね。
自分の好きなことをやりなさい。それで食えなくなったら、水を飲みなさい。水も飲めなくなったら、死になさい。
死ぬ前に、死ね。
古い自分には一回死んでもらわないと、次には行けないのだ。
昔は「いつかホームレスになるかもしれない」という謎の恐怖が常にあった。しかし、実際にホームをレスする経験を通じて「家がないとはこんな感じか(意外といけるぞ)」ということがわかった。現実ではなく、自分の想像力に殺されてしまうことはよくある話で、多分、現実は意外と大丈夫だ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年3月15日
生きるために一番大切なもの、それは金でも勇気でも名誉でもなければ特別な才能でもない、安心感だと思う。
店番のおばあちゃんがかわいい。。。 pic.twitter.com/GRsrTlJVfK
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年3月13日
1・誰かに何かを言われても、自分には「これが最高だ」と思える瞬間を大切にすること。
この人でいいかなではなく、この人といたいと思えるひとといること。中途半端な思いではない、自分から前のめりになって愛していけるひとやものを大切にすること。誰かに何かを言われても、自分には「これが最高だ」と思える瞬間を大切にすること。 pic.twitter.com/Vl5o3fbJBm
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年2月19日
2・可愛げのある人間には敵わない。
どれだけ頭が良くても、どれだけ大量の金を集めても、どれだけ豊富な武勇伝を持っていたとしても、多分、可愛げのある人間には敵わない。頑張るとか頑張らないとか、勝ち組だとか負け組だとかそんなことよりも、チャーミングであることを目指した方が、よっぽどハッピーな人生になると思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年2月16日
3・多分、怒りや悲しみといった感情の根底には「自分自身に対する無力感」がある。
自分の心を軽く扱う人達を相手にするほど、自分も他人の心を軽く扱うようになる。同じように、自分を大切に扱ってくれる人達と同じ時間を過ごすほど、自分も他人を大切に扱えるようになる。大切なものは大切な人達との時間であり、自分の心を軽く扱う人達を相手にしてはいけないのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年2月26日
4・あんまり先のことを考え過ぎてはいけない。
あんまり先のことを考え過ぎてはいけないのだと思う。一般的な幸福に惑わされると、自分の幸福を見失ってしまう。特別な人間になろうとはしなくても、自分の心が「いいな」と思える瞬間を積み重ねた先に、多分、特別な人生はつくられるのだと思う。 pic.twitter.com/wFyxJdbdnO
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年2月26日
どの社会に適応するか、実は自分で決められる。選べないというのは思い込み。私もタイに住んで初めて、私の知ってる常識は「日本の」常識だと気がついた。40過ぎてやっと。学校、会社、地域、やる気になればどこでも選べるし、属さなくてもいい。 https://t.co/Je8Rp91Kq0
— masami (@mamithai2014) 2016年3月8日
5・自分を責めてはいけないのだ。
不安になるのは当たり前で、さみしくなるのも当たり前のことだと思う。元気な時に「この調子で行こう!」と思うことは簡単だけど、元気のない時も、元気のないままで「この調子で行こう!」と生きる姿勢が、自分の中心を生きる芯になる。無様でも、不器用でも、自分を責めてはいけないのだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年3月4日
6・自分が投げたものが返ってくる。
相手を傷つける言葉を使った瞬間に、自分の心を同時に傷つけている。目の前にいる人間を愛するようにつとめることは、同時に自分を愛することにも繋がる。自分の心を開けば世界も開くし、自分が閉じると世界も閉じる。この世の中は、多分、自分が投げたものが返ってくるように作られている。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年3月11日
7・わからないことが「生きることの醍醐味」になる。
仕事はつらいものだとか、結婚生活はこんなものだとか、後ろ向きな意味での「こんなものだ」に負けてはいけないのだと思う。人間は、多分、自分が決めただけ幸せになれる。奇跡は何度でも舞い込むし、そこには「こんなものだ」という天井はないんだ。 pic.twitter.com/jidMF8y0hn
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年3月13日
8・多分、幸せとは「なる」ものではなく「ある」ものだ。
何をしてもいいし、何を見てもいい。何に触れてもいいし、何を耳にしてもいい。何かをしてもいいし、同時に、何もしなくてもいい。多分、幸せとは「なる」ものではなく「ある」ものだ。自分の外側にあるものを探し出すことではなく、ただ、自分の内側にあるものを思い出そうとすることだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年3月13日
9・生きるために一番大切なもの。
自分みたいな人間が同じ時代に生きている(生きていける)ということが、それを見る人にとってある種の安心感を与えることが出来るような、そういう生き方を続けて行きたいのだと思った。特別な何かをする訳でもなく、ただ「生きている」というそのことが、誰かの力になることもあるんだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年3月13日
10・ただ「生きている」というそのことが、誰かの力になることもあるんだ。
生きるために一番大切なもの、それは金でも勇気でも名誉でもなければ特別な才能でもない、安心感だと思う。失敗しても良いという安心感、自分は護られているのだという安心感、ダメな時は元気が出るまでゆっくりしていればいいのだという安心感があれば、多分、人間は何度でもやり直せる。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年3月2日
坂爪さんお久しぶりです!バンコクの⚪︎⚪︎です。さて、今日は坂爪さんにご報告したいことがあって、忘れないうちニーーーー!!!とメーラーを立ち上げております。うちの中学1年生の息子の話です。今朝(ついさっきです)、今日バンコクで行なわれる、「アジアで起業して活躍している方の講演会」に一緒に行かないか?と誘いました。母親としては、「素敵な大人」に会わせて、話を聞かせたいという魂胆がありました。そしたらですね息子「もう、そういう成功した人の話は学校で嫌っていうほど聞かされているから、もう聞きたくないんだよ!!おまけにさ、みんないつも同じ話ばっかりだしさーーーー!!!(怒)」と。私「え?どんなところが一緒なの?」息子「だいたいみんなさぁ、周りの人と協力してとか言ってさー」「前にさ、会ったじゃん、ママの知り合いの人さ(これ坂爪さんの事です)、あの人みたいにさ、仕事じゃない人の話がオレは聞きたいんだ。」私「なんで??」息子「お金じゃなくて人のためにやってる人とそうでない人とはさ、成長のスピードや到達点が違うんだよ」「あの人(坂爪さん)みたいに、自分で世界をいろいろ見ている人の話をオレは聞きたいんだ」・・・と。朝からかなりの衝撃でした!大人としては、突っ込みたい部分もありましたが、ちょっと感動した私がいました。えーっと、文才がないのでホントうまく伝えられないのが歯がゆいんですが、私の誘った講演会に二つ返事でOKしてくれるより、嬉しかったなぁと今じわじわと感じています。ちなみに、私は小さい人間なので、断られても「聞いてみないとわかんないんだから、一緒に行こうよ」とか、「じゃ漫画買ってあげるから一緒に行こ!」とかしつこく誘いました(笑)そしたらね「オレはモノでつられるのはいやなんだよ!!」って言われちゃいました(笑)あはは、そうですよね(笑)ということで、退散いたしました(笑)実は今日、息子13歳の誕生日なのです。なんか感慨深かったです。彼に出会えた事を改めて感謝した出来事でした。・・・と、長くなりましたが(汗)お伝えしたかったのは「坂爪さん、息子に出会ってくれてありがとうございました!!また息子と娘を連れて会いに行きます!!」ということです。(笑)そんなことを書きかけて今日のブログを見たら、シンクロでビックリ。《こういう生き方もありなのだという、自分の存在が歴史的なひとつの僅かなサンプルになるような、そういう生き方をしたいと思っている。》はい。間違いなく息子のサンプルになっております。最後まで読んでくださりありがとうございます!!まだもう少し海外ですね!素敵な時間になりますように!!またお会いできる日を楽しみにしております!⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎
ひとつの大きな命を生きている。
ミャンマーの車窓から。
毎日が出発で、毎日がゴールだ。
毎日が出発で、毎日がゴールだ。 pic.twitter.com/VsEz5PVPhG
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年3月11日
世界を変えるのではなく、世界を増やす。
物事の明るい側面を見るためには、多分、ひとりきりになれる静かな時間が必要になる。尊敬する人の言葉ではなく、愛する人との時間でもなく、自分の内側から湧き上がる声に耳をすませば、いま、この状態も「捨てたものではない」ということがわかる。 pic.twitter.com/lxlNbHpq9Z
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年3月10日
ひとつの大きな命を生きている。
相手を傷つける言葉を使った瞬間に、自分の心を同時に傷つけている。目の前にいる人間を愛するようにつとめることは、同時に自分を愛することにも繋がる。自分の心を開けば世界も開くし、自分が閉じると世界も閉じる。この世の中は、多分、自分が投げたものが返ってくるように作られている。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年3月11日
やりたいことを見つけないといけないとか、あの人を忘れないといけないとか、自分を受け入れなければいけないとか、みんなと仲良くしなければいけないとか、常に元気でいなければいけないとか、充実した時間を過ごさないといけないとか、しなきゃいけないことなんて本当は何ひとつないんだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年3月10日
常識に縛られるほどに苦しくなる。
自力か、他力か。
大阪在住の女性から「交通費を出すので一緒にクアラルンプールとミャンマーに行きましょう!!」という連絡をいただき、先程、クアラルンプール空港に到着しました。翌朝の便が早いために、今夜は空港で眠ります。隣で眠るインド人のイヤホンからは、どうしてなのでしょうか「踊るポンポコリン」が聞こえています。
私は、自分自身を「好きに使ってくれ」とオープンにしています。理由は単純で「時間がある(拒否権もある)」からです。昔は、お金がなければ海外になんて行けない(お金がなければ生きていけない)と思っていましたが、二年前に家を失い、金を失い、仕事を失ってからの方が「面白い目にあえている(海外にも頻繁に行くようになった)」という事実に、不思議な驚きを覚えています。自分の力だけで海外に行こうと思ったら、多分、三ヶ月は必死に働いてお金を貯めないといけない。しかし、自力ではなく他力が見事にはまった場合、毎月海外に行くこともできる。ただ、自分で行きたい場所を選ぶことはできない。自分で選ぶことはできないけれど、その分、日々の予測不可能性は飛躍的に上がる。
関西空港に行く前に立ち寄った大阪の難波では、様々な人のご好意を授かり、スイスホテルでは高級なティーを、昼には極上のお好み焼きをご馳走していただきました。人生の豊かさとは何だろうか。豊かさとは、多くのものを持っているということなのでしょうか。貧しさとは「ものを持っていない」ということなのでしょうか。もっと言えば、私は貧しい人間なのだろうか。それとも、豊かな人間なのだろうか。ひとつだけ言えることは、どれだけ多くのものを持っていたとしても「まだ足りない」と思っている限り、多分、それは貧しい人なのだと思う。人生の豊かさとは何なのでしょうか。空港の仮眠スペースで踊るポンポコリンを聞きながら、そんなことを考えています。
溜め込む奴は狙われる。
常識に縛られるほどに苦しくなる。
社会不適合者という言葉もあるけれど「自殺者が三万人いて、三組に一組は離婚をしていて、過労や精神疾患などでボロボロのひとが大量にいる社会」に適応してしまったら、頭がおかしくならない方がおかしいと思う。必要なのは適応よりも開墾で、多分、従来の常識に縛られるほどに苦しくなる。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016, 3月 8
自分を責めてはいけないのだと思う。生きているだけで、充分、頑張っている。
「愛する」ということ。
元気のない時も、元気のないままで生きる姿勢が、自分の中心を生きる芯になる。
不安になるのは当たり前で、さみしくなるのも当たり前のことだと思う。元気な時に「この調子で行こう!」と思うことは簡単だけど、元気のない時も、元気のないままで「この調子で行こう!」と生きる姿勢が、自分の中心を生きる芯になる。無様でも、不器用でも、自分を責めてはいけないのだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年3月4日