諦めちゃダメだよ。
新横浜駅のドトールにいる。昨日は冬至だった。今年の冬至は、星座的にも強烈らしく、太陽の力が強くなる。これから三ヶ月の間に「社会的にも、個人的にも、強制断捨離のような、大掃除が行われていく」流れが、来るらしい。ただ、どれだけ強い嵐が来たとしても、自分にとって大事なものをしっかりと把握していれば、大丈夫。そういう話を聞いた。大事なものを明確にするための、大掃除なのだろう。
嫌われないように生きるより、潔く、嫌われてしまおう。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2019年12月22日
罵倒されても大丈夫。馬鹿なままでも大丈夫。褒められても、貶されても、自分は自分のまま。純然な命の輝きは、いつまでも変わらないまま、輝き続ける。
崇高な道を選べば、必要なものは与えられる。 - いばや通信 https://t.co/e7BUisuKuc
おおまかなスケジュール
1月1日(水)Rest Inn Peace【無料の宿屋】爆誕@神奈川県横浜市港北区
1月8日(水)19時 THE PRESENTS DEBUT LIVE@東京都渋谷区『La.mama』
1月14日(火)19時 THE PRESENTS 弾き語りLIVE@東京都吉祥寺『曼荼羅』
2月9日(日)12時 THE PRESENTS LIVE@名古屋『Salon jardine art gallery』
2月14日(金)19時 THE PRESENTS presents「PRESENTS is HERE」@大阪
SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu
五億年でも、待つからね。
あなたにとって、大事なものはなんですか。そう問われたら、なんと答えるだろう。私は、いま、三つの大事なものがある。端的に言えば「表現(言葉や音楽)」と「大事な人」と「大事な人の大事なもの」の、三つだ。不思議な感覚だ。これまで、自分は自分のことばかり考えていた。それが自由であり、それが自分を生きることだと思っていた。だが、違った。この三つが揃ったとき、生まれてはじめて、私は「整った」と感じた。愛するべきものを見つけたよろこび、自分の生きる道を見つけたよろこびを感じた。大袈裟だが、自分の命の使い道を見出した気がした。
大事なものと出会うと、自分自身を大事に感じる。この体を、好きな人と、好きなものに使いたいと思う。大工が道具を大事に扱うように、野球選手がグローブを大事に磨くように、私は、私を大事に扱いたいと思った。自分を大事に扱うほど、自分を磨くほど、いい仕事に繋がる。チームに貢献する。よろこびを感じ取る。自分という道具を、大事な商売道具のように感じる。商売道具というと味気ないが、人生道具とでも言えばいいのか。愛情道具と言えばいいのか。自分は、自分の『愛』と『光』を表現する、ひとつの道具だ。喜怒哀楽、そのすべての中に愛情はある。
12月29日(日)に、ギター教室が開催される。私が参加するかは謎だが、新しく楽器をはじめたいと思うひとがいたら、是非、来てください。楽器を弾ける豊かさは、言葉を越える。それも「ひとりではなく、誰かとやれる」喜びは、想像を越える。音楽は『交歓』だ。好きなものと出会えたことで、私は『待つ』ことを学んだ。自分には、すぐに白黒をつけたがる傾向がある。だが、はっきりさせたがることは、弱さでもある。それは「曖昧なままにしておけない」弱さだ。だが、いま、私はよろこびと共に待つことができる。大事なものに対しては「五億年でも、待つからね」と、思う。喜びの中で、待つことができる。それは、きっと、自分の中で決断をしたからなのだと思う。「俺はこれで生きる」と、決断をしたのだと思う。
諦めちゃダメだよ。
決めることは、道を狭めることでもある。音楽を選ぶということは、音楽以外を捨てることだ。絵の道を捨てる。会社員の道を捨てる。安定を捨てる。学歴を捨てる。これまでの自分を捨てる。など。だが、本当は、道を選ぶことは、他を捨てることではなく「拡がる」ことだと思う。道をひとつに絞ることで、その先に、無限の可能性が展開していく。道を選ぶことは、狭くすることではない。逆に、道を拡げることだ。ひとつに決めることが、逆に、無限の可能性を呼び込むのだと思う。
私は、ずっとギターが嫌いだった。だが、いま、スリーピースで音楽をやると決めた。決めることの威力は凄まじく、やるしかないとなったことで、これまでにないほどギターを身近に感じている自分がいる。これまで「早弾きができない」だの「自分には才能がない」だの「ボーカルだけに集中したい」だの、様々な理由をつけてギターと向き合うことから逃げてきた。だが、やるしかないとなったいま、ギターと真剣に向き合う中で「ギターとは、こんなに奥深いものなのか」と、感動している自分がいる。ギターにしか出せない、官能的な音色がある。自分自身に、これまではないと思っていた「音楽的才能」を感じている。それを極めたいと思う。自分は、いま、本当の意味で『音楽』をはじめることができたように感じている。
自分ができなかったことが、できるようになる。自分はこういう人間だと思っていた部分を、軽々と超えてくる自分と出逢う。生きるということは、なんと奥深く、なんと無限で、なんと味わい深いものなのだろう。諦めないでよかった。そう思う。挑戦することを諦めたら、私は、新しい自分と出逢うことのないまま、中途半端な自分を生きていたと思う。大事なものを見つけることもできないまま、自分自身を『大事だ』と思うこともないまま、ただ、なんとなく日々を過ごしていたと思う。だから、私は、何度でも自他に言い続けたいと思う。諦めちゃダメだよ、と。
なにかしなきゃとか思わなくていいよ。なんにも属さないでいいよ。からっぽなまんまでいいよ。すっからかんでいいよ。こうでなくちゃいけないことはないよ。足りないものはなにひとつないよ。何者かになれないことが苦しいんじゃなくて、何者かになりたいと思うことが苦しいんだよ。全部それでいいよ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2018年9月23日
坂爪さん、ご無沙汰しております。
今年いっぱいで、いばや通信や、ごちゃまぜの家を終えられるとのこと。
もの寂しい気持ちはありますが、新しい形でのご活躍も楽しみにしているので、期待感も同じくらいあります。お立場や活動が変化しても、坂爪圭吾さんは坂爪圭吾さんなので、不思議と悲しさはありません。
わたしは、息子との関係に悩んでいました。ひょんなことがきっかけで、数年前からいばや通信を読んでいました。その時々で不思議なように、坂爪圭吾さんの文章がまるで、その時わたしに必要な事を書いてあるように思えて、とても心慰められたのでした。
ごちゃまぜの家に行ったのは、お礼を伝えたかったからなのです。あなたが鬱病だった時、三年寝太郎の話が支えになったと言う話。好きなことが見つかれば、人は勝手に努力すると言う話。全てが本当でした。あなたの言葉から、信じる力と気持ちの余裕をもらい、わたし達親子は仲直りできました。
今、息子は自分の好きな事を見つけて、「コレを自分は、やるから!」と宣言し、自分の為に生き始めました。(そして、それを応援できる事、とてもうれしい。)
もっとうれしい事は、わたしはわたしの生きる道を見つけた事です。息子のために、再婚や引越しをしたり、収入の良さだけで転職したりしましたが、息子は、わたしが「息子のために」何かすることなんて、これっぽっちも望んでなかったのです。それより、わたしが、わたしのために、わたしでいることの方が、よっぽどうれしいようです。
わたしは、ようやく自分のやりたい事が定まりました。今、わたしはわたし個人として、とても幸せです。
ここまで来るのに、いろいろな物を失い、そしていろいろな事と出会いました。でも、それは全て必然でした。きっと、いばや通信も、わたしにとって必要な言葉だったのだと思います。
人生は、続くんですね。またいつか、お会い出来る日が来る事を願っています。
寒い日々、お身体ご自愛くださいね。
人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu