生きていることを実感したければ、死ね。
1・断捨離のコツ。
断捨離のコツは「あるものを減らす」のではなくて「何もかも失った時に、再び取り戻したいものだけを残す」ことだと思っているのですが、このような考え方をすると「何もかも失っても別に問題はないのではないか」などと思っている意外とパンクな自分に出逢えることがあるのでオススメです。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年3月28日
2・宗教は答えで、哲学は問い。
私達は、多分、何かしらの『答え』を求めて本や映画などの作品を手に取る。しかし、その作品が良質であれば良質であるほどに、読み手に対して答えではない『問い』を突きつける。それは「お前はどう生きるか」という鮮烈な問いであり、読み手が真摯に『応えた』時、はじめて作品は完成する。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年3月14日
3・人生とは、自分を楽しませることである。
自分の予定帳を眺めながら「人生とは、自分を楽しませることである」ということを思った。自分を楽しませることができていない時に、人間は苛立ち、他人と比較し、未来に不安を覚えたりする。川本真琴風に言えば神様は何も禁止なんかしていないし、ほんとうは「何をしてもいい」のだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年3月20日
4・癒されすぎて腐っている。
スピリチュアルとかカウンセリングとか自己啓発とか、癒されすぎて腐ってるひとは多いなあと思う。そんなことよりも、一回死ぬ(古い自分を一回殺す)ほうが早いんじゃないだろうか。延命措置は面白くないし未来もないから、生きようとするよりも「よし、死のう」的な考え方は有効だと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年3月20日
5・高校を退学した17歳の女の子。
高校を退学した17歳の女の子と話しまくった。周囲の大人は「なんでやめちゃったの?」とか「これからどうするの?」と尋ねる中、彼女は「やめちゃったんじゃなくて、やめたんです」「やりたいことがあってやめたんじゃなくて、やりたくないからやめたんです」と答えていて、超絶良かった。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年3月21日
6・覚悟の逆説。
ひとりでもいいという覚悟を決めてから、逆説的だけど「自分はひとりではない」ということを思うようになった。死んでもいいという覚悟を決めてから、逆説的だけど「自分は生きているのだ」ということを強く実感するようになった。多分、大切なことは【自分は自分の足で立っている】ことだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年3月27日
7・広い世界より「広い自分」
守られた世界を飛び出さないと、自分の広がりを感じることは難しい。広い世界に触れたいという思いもあるけれど、その奥の方には、自分を膨らませていきたい、もっと広い自分の可能性に触れていきたいという思いがある。広い世界を見たいのではなく、多分、広い自分の膨らみを感じたいのだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年4月8日
8・自分のことを否定的に言わないことで、自分のことを否定的に思わなくなる。
自分のことをコミュ障だと言わなくなってから、自分はコミュ障じゃなくなった気がして、自分のことを人見知りだと言わなくなってから、自分は人見知りじゃなくなった気がする。自分のことを否定的に言わないことで、自分のことを否定的に思わなくなる。
— みっつ (@mitzparty) 2016年4月8日
9・ひとりで生きる強さの裏側には、誰かといられない弱さがある。
ひとりで生きる強さの裏側には、誰かといられない弱さがある。弱い自分は、苦手だなと感じるひとと同じ空間にいるだけで、露骨に胃腸が痛くなる。自分で自分を護ることが難しくなる。ひとりの時間を好むことは、孤独に耐える強さではなく、そうでもしなければ生きていけない自分の弱さだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年4月8日
『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』
10・生きていることを実感したければ、死ね。
自分を殺して人に好かれるよりも、自分を出して人に嫌われる方がずっといい。不器用でも、無様でも、一生懸命に生きた記憶が思い出になる。自信や能力があるからやるのではなく、自信も能力もなくてもやる、やりたいと思ったからやる、きっと、それだけで人間は清々しく生きることができる。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年3月18日