いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

生きていることを実感したければ、死ね。

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成田空港第二ターミナルの無料Wi-Fiを拾いながら、この記事を更新している。翌日早朝発の便で松山に向かい、四国を舞台に「家を拾うまで帰れま10」を自主的に敢行する。家を拾えるあては何もないのだけれど、最大の目的は家を見つけることよりも古い自分を殺すことにあり、まるで天国のような熱海の自宅であぐらをかいている怠惰な自分を、ボロボロになるまで使い果たしてやりたいと思っている。


昨日は、熱海の家で「わたり食堂【0円食堂】」が開催された。この日は私のお誕生日でもあったのだけれど、尋常ではない暴風雨に恵まれ、まるで自分のこれからを暗示しているみたいだった。わたり食堂は、今月17日(日)まで開催されている。留守番は三森正道【みっつ】が担当している。誕生日祝いに、全国各地から大量の切手やクオカードやスターバックスのカードなどが届いた。これらのカード類は玄関脇にある「みんなの財布」に入れてあるので、必要な方はご自由にお持ち帰りください。


最近思うことあれこれをまとめます。

1・断捨離のコツ。


失うことを恐れてしまうと、もっと大切な何かを失ってしまう気がするから、何かを守りそうになっている自分を見つけたら、出来る限り蹴飛ばしていきたいと思う。失っても、失っても、どれだけ多くのものを失ったとしても、絶対に最後に残るものがある。多分、それが【自分】だと思う。

2・宗教は答えで、哲学は問い。


私の生き方を見て「宗教みたいですね」と言うひとがいる。また、私の生き方を見て「哲学者みたいですね」と言う人もいる。私にとって、宗教は『答え【行き止まり】』であり、哲学は『問い【入り口】』みたいなものだと思っている。そして、宗教でも学問でもスピリチュアルでも、答えを持っているひとは止まっているように見える。私は、答えよりも問いでありたい。何が起こるかわからない、予測不可性の海の中に自分を投げ出していきたい。わかることよりも「わからないこと」を、答えるということよりも「応えるということ」を楽しんでいたい。

3・人生とは、自分を楽しませることである。


自分を楽しませることができていない時に、人間は苛立ち、他人と比較し、未来に不安を覚えたりする。多分、不幸の9割は「他人との比較」にある。そして、他人と比較をしている限り、絶対に勝つことはできない。理由は単純で「相手の土俵で闘ってしまっている」からだと思う。これは大切なことだと思うのだけれど、相対的な比較や競争をしている限り、絶対に勝つことはできない。真のライバルは自分自身であり、多分、人生とは自分を楽しませることである。

4・癒されすぎて腐っている。


スピリチュアルとかカウンセリングとか自己啓発にはまるひとの9割は、他人を救うことで自分を救いたいひとたちが占めているような気がする。誰かを救いたいんです!とか、日本を元気にしたいんです!などと話すひとほど、ほんとうは自分自身が救われたくて仕方がない(そのために他者を利用している)ように見える。乱暴にまとめると「承認欲求をこじらせている」ように見えるから、延命措置を施すよりも、古い自分を一回殺した方が早いと思う。

5・高校を退学した17歳の女の子。


先日、東京の国分寺で開催されたトークイベントに、17歳の女の子が遊びに来てくれた。彼女が「高校は一年生の時に退学をしました」と話すと、周囲の大人たちは「これからどうするの?」とか「やりたいことはあるの?」とか「親は心配していないの?」などと、彼女を質問責めにした。質問の答えをしっかりと考えている彼女の時間をさえぎって、勝手に気持ちを代弁したがる大人や、何も聞かれていないのにアドバイスをしたがる大人もたくさんいて、私は「みんな待てないんだなあ(こうしてこどもは潰されるんだなあ)」と思った。

後ほど、彼女に「今日はどうだった?」と尋ねると、彼女は「あのひとたちとはコミュニケーションがとれないと思いました」と話した。彼女曰く「まだ何もわたしのことを話していないのに、このひとたちはいったい何のアドバイスをしているのだろうかと思いました」とのこと。別に怒りを覚えている訳でもなく、悲しみを帯びている訳でもなく、冷静な感想として淡々と語る彼女を見て、最高だなあと嬉しさを覚えた。これからも、永遠に彼女のままでいてほしいと思った。

6・覚悟の逆説。


結婚すれば幸せになれるとか、お金があれば幸せになれるとか、恋人や友達がいれば幸せになれるとか、勇気や自信や能力があれば幸せになれるとか、安定した仕事があれば幸せになれるとか、多分、これらは全部ごまかしだと思う。いま、この瞬間から、何もなくても、自分ひとりでも幸せを感じることができなければ、誰といても、何をしても、幸せを感じることは永遠にできないと思う。最高のパートナーシップは「ひとりでも幸せを感じることができる者」同士の間に成立するもので、多分、幸せとは『心の状態』なのだと思う。

7・広い世界より「広い自分」


固定された自分を壊すこと。

8・自分のことを否定的に言わないことで、自分のことを否定的に思わなくなる。


自分のことを人見知りだと思っていたけれど、単純に「好きなひとと嫌いなひとがいるだけ」だと思うようになってから、自分を人見知りだと思わなくなった。みんなと仲良くしなければいけないと思うから、自分を殺してまでひとに合わせて、結果的に苦しい思いをするのだと思う。

9・ひとりで生きる強さの裏側には、誰かといられない弱さがある。


弱さとは、決して悪いことではないと思う。自分には弱い部分があるのだと認めることと、自分には弱い部分があるのだと自分を責めることは、似ているけれど、まったく違う。「自分はこういう人間です」と、不完全なら不完全なりに、不完全なままで飛び出して行く。自分を責めても、誰も幸せにはならない。自分で自分を護るということは、多分、自分の限界を知るということだ。

『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』

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今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、佐々木典士さん著作『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』です。なんと!作品中にはわたしの名前も登場する(らしい!)ので、これから飛行機の中で読み耽りたいと思います。自分を身軽にしておくことは、乱世を生き抜く非常に有効なスキルになるような気がする。ご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には、24時間以内に折り返しご連絡をいたします。

※※※ こちらの本は、香川県にわたりました ※※※


10・生きていることを実感したければ、死ね。


イベントの終了後などに「坂爪さんのファンです!」とお客様から言われることが、私は、非常に苦手だ。そんなことを言われてしまうと「俺は誰よりも俺のファンだから、お前はお前のファンになれ!」と思ってしまう(実際に言うこともある)。ただ、坂爪さんが生きていることがうれしいです的なことを言われるてしまうと、それは謎にうれしい。どちらも似たような言葉なのに、果たして、何が違うというのだろうか。自分なりに考えてみた結果、ほんの少しだけ理由がわかってきた。

私は「自分はすごい人間だ」なんて絶対に言いたくない。それよりも「人間はすごい」とか「言葉はすごい」とか「生きているということはすごい」とか、決して坂爪圭吾という特定の人物にだけあてはまるものではなく、この世のすべてのひとにあてはまるような、大袈裟な言葉で言えば『真実』とか『普遍性』などと呼ばれるような、そういうものに触れていきたいと思っている。そして、それに触れることができたことを、同じ時代に生きるひとたちと一緒によろこびたいと思っている。だからなのだろうか、坂爪さんはすごいと褒められても何も嬉しくないばかりか(自分の力量不足を突きつけられているみたいで)軽くがっかりする。

誤解を恐れずに言うと、いま、私を含めた多くの人々はあまりにもビビり過ぎているのだと思う。それは、金がないことや自信や勇気や能力が足りないことではなく、真逆で、実際は『自分には既に力がある』のだと認めることをビビっているのだ。自分の力を認めてしまおう。何度も何度も痛い目に遭っては、その度に逞しく生まれ変わろう。どんなに小さなことでもいいから、どんなに馬鹿げたことでもいいから、自分がやってみたいと思ったことには、躊躇をしないで飛び込んでみよう。生きていることを実感するために、死のう。きっと、そこから広がる世界がある。

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人生は続く。

静岡県熱海市伊豆山302
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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