大丈夫だよ。全部うまく行くよ。
天王寺駅前のサンマルクカフェにいる。2020年2月14日の目標が決まった。プロになる。自称プロではなく、客観的に『プロ』と言われるようになる。残り二ヶ月。昨日、メンバー三人でスタジオに入った。五曲。物凄い音楽が生まれた。死に物狂いでやれば、行ける。そう思った。昔から、逆転ホームランに憧れていた。周囲から「あいつらはもう終わった」と思われた奴らが、最後に、起死回生の逆転劇をかっ飛ばす。あいつら、本当にやりやがったと言われること。それが、一番燃える。
何回でも思い出そう。本気で人を愛することは、命を賭けること。天国に持って行けるものは、愛し愛された記憶だけ。あとは何の役にも立たないこと。なにもかもを置いて行くこと。生きているのは、いまだけだということ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2019年12月13日
許すためには、戦わなくちゃいけない。 - いばや通信 https://t.co/u3oJTgJCeU
おおまかなスケジュール
12月14日(土)【満席】THE PRESENTS pre LIVE@大阪市東住吉区「おうち」
12月21日(土)16時 pre.坂爪圭吾&五十嵐千尋&MIKI 演奏会@ごちゃまぜの家
1月8日(水)19時 THE PRESENTS DEBUT LIVE@東京都渋谷区『La.mama』
1月14日(火)19時 pre.坂爪圭吾 弾き語りLIVE@東京都吉祥寺『曼荼羅』
2月14日(金)19時 THE PRESENTS presents「PRESENTS is HERE」@大阪
SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu
THE PRESENTS
これまでは「金がなくても幸せ」だの「技術がなくても楽しい」だの、ないに胸を張っていた。反骨精神だけを武器に、家がなくても生きれるとか、金がなくても生きれるとか、ないを武器にしていた。だが、その時期も、終焉を迎えた。これからは、どっちも取りに行く。本も出す。出すならば、売れるものを作りたい。わかるひとだけわかればいい、とは思わない。全員に『わからせに行く』位の気概で書く。音楽も同じだ。年齢や性別や国籍の垣根を越えて、人類全体のハートを射抜きたい。人間なら、感動を覚えないではいられない。そういうものを、追求したい。
THE PRESENTS。我々のバンドの名前だ。“PRESENT”という言葉には「贈り物」という意味のほかに「存在」という意味もある。演奏としてただ見せる作品を差し出すのではなく、全人間としての生々しい姿を、音や振動、熱、表情など、あらゆる要素を持って表現する。綺麗事なしの、生身の『音楽』。それは、自分の内側から血にまみれた心臓をえぐり出して「これが私です」と差し出すような、鬼気迫るものがある。ただ、綺麗なだけじゃない。ただ、楽しいだけじゃない。だが、どうしようもなく『生きている』もの。どうしようもなく、自分の中で『躍動を続けている』もの。それを、目の前に差し出す。これが、俺たちからの贈り物です。と。
バンドの方針が決まった。
2020年2月14日までに、なんらかのかたちでプロを目指すことになった。
私自身、“プロフェッショナル”の定義というものをよく理解していないが、いわゆる自称〇〇みたいなことではなく、客観的にプロと言われるようになることだと解釈した。最初にその提案を圭吾氏から聴いた時、私は「来たな」と思った。
当たり前だが、バンドというものは、一人でやるものではない。
私は、音楽を通じてバンドというものがやりたかった。
舞台の上で、渾身のハイタッチを決めたいと思った。
フラッシュバック。
強い衝撃が脳天を貫通した、2019年2月14日。
ヴェネツィアで圭吾氏が音楽をやると決めた瞬間に立ち会った私は、その場でハッとなった。
朧げに見える観衆の前で、手を挙げて大きく拍手をする自分。
大事なことを、憶い出した。
憧れたままで放置していた宝箱が、記憶の深海からサルベージされた。
それだ。俺は、まだ何もやっていない。イメージは、出来ている。
その時から、バンド活動に関しては、果てるまでとことんやろうと決めた。
世間的には、いい歳だ。
長らく離れている同級生たちは、皆中堅の親父たち。子どもを抱き上げる母親たち。
かたや、変わることなく放蕩を続けるフーテンの獅子。
色々なことが待ったなしの状況。
圭吾氏とのバンドは、自分にとって、最初で最後、乾坤一擲の大勝負となるだろう。
もう五年以上も遊ばせてもらっている。
お互いに、情けが不要なのは暗黙の了解。
逃げるようとするのはいつも自分で、圭吾氏も、音楽も、決して逃げない。
野球もそうだった。
いつも逃げるのは自分だった。
逃げるのが、何よりも辛い。
自分からは一生、逃げられないからだ。
君はいま、何と闘っているだろう。
お互い見えない敵には苦労するな。
ひと時、どこかで君のことを労えたらと思う。
“プロになる”というフレーズをもらった私は、一つ返事「いいですね」と答えた。
どんなかたちでも構わなかった。
自分が終わったと思える、その日まで、バンドというものに懸けてみたい。
待ったなしの人生だからこそ、半端にはしたくない。
メンバーの隆佑が少し遅れてやってきた。
「“プロになる”ってどう?」と圭吾氏。
ニヤッと笑った隆佑。
「もちろん。最初からそのつもり」
私は既に、とんでもないところにいたようだ。
プロになる。
人生はゲームだとか、暇潰しだとか、嘘だ。生きるとは、私にとっては戦いだった。物心ついたときから、常に「どう生きるか」という問いが頭の中にある。その問いに押し潰されそうになることもありながら、ただ、逃げたくないと思った。否、正確には『逃げられない』と思った。どれだけ逃げても、自分から逃げることはできない。逃げられないならば、立ち向かう。無様でも、醜くても、それでも「これが俺だ」と、潔く、生身の己を前に出す。自分には、この肉体しかない。それならば、この肉体を使って「これが俺だ」と、突き出して行くしかない。前に。
ある父親が、息子に言った。「世の中には、頭の成功者と、魂の成功者がいるんだよ。頭の成功者は、金とか、地位とか、名誉とか、そういうもので周囲の評価を得る。だけど、どれだけ高級なものに囲まれても、退屈そうな人間もいるもんだよ。頭の成功者の言葉は、ただ、頭に響くだけ。でも、魂の成功者の言葉は、聴く人の魂に響くんだ。魂の言葉は、足りないものは何もない。大事なものは、全部、自分の中にある。そういうことを、思い出させる。だから、魂の言葉に触れると、震えたり、涙が出そうになることがあるんだ。涙。涙が出るなら、それはお前にとっての『本当』なんだよ。自分の中にないものに、感動することはできないからね。」
好きなひとはたくさんいる。「愛している」と言える相手も、結構いる。だが、自分が「俺はお前に惚れたんだ」と言える相手は、なかなかいない。恋愛に限らず、惚れた相手と生きたいと思う。好きとは違う。愛しているとも違う。自分の心が『惚れた』相手に、残りの自分を賭けたいと思う。私は、言葉に惚れた。音楽に惚れた。編集者に惚れた(だから本を出す)。惚れたなら、言い訳をしている場合ではない。プロになるという目標は、一切の言い訳を取り除いた。報われるとか報われないとか、成功するとか成功しないとか、そんなことはもうどうでもいい。ただ、自分を賭けたいと思えたものに、出会えた自分の人生を「幸運だな」と思う。
とんでもないチャンスが降ってきた時、最初に抱く感覚は喜びよりも『恐怖』だと思う。幸せになる恐怖。愛される恐怖。選ばれる恐怖。それらを乗り越えるには、未来の自分を信用することだと思う。それを成し遂げて、幸せに生きる自分の声を聞く。きっと、未来の自分は「やっちまいな」としか言わない。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2019年12月13日
人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu