いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

21世紀は「売る・買う」の関係性から「あげる・もらう」関係性の時代になる。

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名古屋駅近くのコメダ珈琲で初対面の方々三人と一緒にお茶をしていたら、突然、25歳の女性がやってきて「わたり文庫の本を持ってきました!そして、この封筒にはいっているお金は、私が私の名前ではじめて稼いだお金です。新しい場所に届けばいいなと思ったので、坂爪さんにまわしてもらいたいと思って持ってきました!」と、現金三万円をくれた。

要件だけ伝えると、女性は「用事があるので、では!」と、足早にその場を立ち去った。なんということだろう、まるで春の到来を告げる風のような、粋な女性である。『新しい場所に届けばいい』という彼女の願いに応えるべく、私は、一緒に珈琲を飲んでいた三人の方々に一万円ずつ「はい!(一蓮托生!)】」と手渡した。循環系アイドルでお馴染み、坂爪圭吾の必殺技は【キャッチ&サーキュレーション】である。

私は「このお金はどのような形で使ってもいいし、気が向いたら、一万円札をそのまま次のひとにひたすらまわし続けていくのも面白いと思います。一万円をもらった相手は、多分、すごいびっくりすると思うし、お金を(何かに交換するのではなく)お金のままでまわしていくことの中にも、多分、新しい感覚の面白さはあるような気がする」ということを言いながら、目の前の三人に委ねた。お金は、多分、うれしいものだ。もらってうれしい、あげてうれしい【これ重要!】、これがお金(というか基本的なモノゴト全般)の魅力である。

名古屋の女子、家をもらう。

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私は、現在、名古屋にいる。循環型図書館でお馴染み『わたり文庫』の出張版と称して、名古屋で出会う方々と本の交換をしている。昨夜は、栄生駅近くの古民家を改修してシェアハウスをやっている23歳の女性の家にお世話になった。大人の皆様、いまの若い世代は半端ないです。こちらの女性、驚いたことに「坂爪さんのブログを読んでからもらうことに対する抵抗がなくなっていて、これはつい最近の出来事なのですが、築2年の一軒家と、大須にある空き店舗を無料で貰えることになったんです。なので、四月からは大洲でお店をやることになりました」と話してくれた。


最近、こういう話を頻繁に聞く。昨日の昼間に再会した女性は「去年、当時はまだ家のなかったさかつめさんと出会った時に『家がなくても元気に生きているひとがいるのだから、私も諦めちゃダメだな』と思いました。そして、私は第二の故郷であるスコットランドに戻るためのお金を、いままではお金がないからと諦めていたのですが、SNSで寄付を募ってみたのです。そしたら、驚いたことに様々な方々から総勢4000ドル(約45万円)が集まって、無事にスコットランドまで行くことができました。今日は、坂爪さんにありがとうを伝えたいと思って会いにきました」と話してくれた。

これらの出来事は、漫画のような、ほんとうの話だ。最近、現実が漫画や映画や小説を凌駕してきているような感覚を覚える。多分、インターネット技術の発展による恩恵は大きいと思う。自分がやりたいと思うことを実際に口にすることで、自分の周囲に強烈な磁場が発生する。あげるよろこびともらうよろこびは両輪で、理想を掲げる役割【もらう役割】のひともいれば、理想を実現するためのお手伝いをする役割【あげる役割】のひともいる。どちらも【理想を現実化しようとする】共通の目的があるために、どちらが優位だとか、どちらが劣位だとか、贈与における優劣はない。

21世紀は「買う・売る」の関係性から「あげる・もらう」関係性の時代になる。

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自然農BOTなるものに言葉が引用されていて、笑った。現在の世の中が「等価交換」なるもので成立しているとすれば、自然界は「循環」で成立していると思う。昔、何かで『等価交換は関係の清算で、贈与交換は関係の継続』という言葉を見た。これをしてもらう代わりに、私はこれをしました(たとえばお金を払いました)というやり取りは、両者の関係性を清算する。要するに、等価交換では『貸しをつくらない』ことが大事になる。しかし、等価交換社会には『循環が起こらない』ことと『持たないひとは参加できない』欠点があると私は思っている。

別に難しい話をしたい訳ではなく、単純に、誰かから何かをもらうととてもうれしい。きゃー!ありがとう!という気持ちになり、同じように自分も誰かに何かをプレゼントしたい気持ちになる。そして、実際に誰かに何かをプレゼントしてよろこんでもらえた時に、ああ、なんともいえないうれしい気持ちになる。この時のよろこびを「俺はこれだけしたのだから、俺にも何かしらの形で返還せよ」と求めることが等価交換ならば、「もしも気に入ってくれたら、俺には返さなくていいから他の誰かに何かをしてあげてよ」的な態度が贈与交換【循環】になる。

今回のブログに掲載している写真は、すべて、熱海にある海辺で撮影したものになる。当たり前のことだけれど、自然は一切の使用料金を徴収しない。太陽を浴びたら一時間500円とか、海水浴場を使用した一日1000円とか、雨水を利用したら一律5万円とか、そういうことをしない。過去に「交換感より循環感!」とひたすら絶叫していた時期があるが、あながち間違っていなかったのかもしれないと思った。


カモメが飛んだ。

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熱海の海辺。

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見渡す限りの水平線である。

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カモメが飛んだ。

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『帰ってきたソクラテス

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今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、私の尊敬する日本の哲学者(作家)池田晶子著作『帰ってきたソクラテス』です。ウィーンの哲学者ルートウィヒ・ヴィトゲンシュタインも「話をするのが不可能なことについては、人は沈黙しなければならない」と言っているように、この本の魅力を伝える最大の方法は沈黙になります。単純に「読め!(読んでもらえたらうれしい!)」としか言えないのですが、ご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)した方には、24時間以内に折り返しご連絡をいたします。

※※※ こちらの本は、埼玉県にわたりました ※※※


愛情の9割は執着。

多分、恩は返すものではなく「次のひとにまわしていくもの」だと思う。それを相手に返すものだと思ってしまうから(または相手に返すことを強要されてしまうから)受け取りづらくなるのだろう。恩や愛情の本質は投げっぱなしジャーマンであり、大切なのは『受け取る力(レシーブ力)』になるのではないだろうか。


最近の私は「愛情の9割は、実は執着なのではないだろうか」と思っている。愛情とは『自分を使って相手を幸せにすること』ならば、執着とは『相手を使って自分を幸せにすること』ではないだろうか。そういう風に、愛情と執着の見極めをするようにしている。そして、(恋愛や仕事や親子関係に限らず)循環を阻害するもの、それは相手に見返りを求める心だと思う。ほんとうの意味での見返りは、相手のリアクションに宿るものではなく、自分が率先してとった行動の中に宿る『清々しさ(いいことをしたな感)』だと思っている。

先日、私のもとに一通の素晴らしいメールが届いた。これを最後に(あまりにもうれしかったもので誠に勝手ながら)紹介します。なんだこれは!と思うと同時に、「お金に対する違和感(?)を抱いていたのは、自分だけではなかったのだ」ということが、私を強く励ましてくれた。そして、人間はやさしいということ。生きていればほんとうにいろいろなことがあるけれど、春だ、気持ちのいい風を吹かせていこう。


坂爪さん

こんばんは。
いつもブログたのしみに見ています。そして、力をもらっています。

私は常々商売的なことに対して、よい気持ちがしていませんでした。坂爪さんもよくおっしゃっているとおり、広告や宣伝を見るたびに「売ってやる!売ってやる!」という気持ちが見えてしまっていたからかもしれません。そして、何より商売に強く結びついているお金のことが好きになれなかったのです。

坂爪さんのブログを読み、これからは「売る・買う」よりも、「もらう・あげる」だということにすごく共感しました。

そして、あの嫌いだったお金すら「売る・買う」ではなく、「あげる・もらう」の循環にのせていくと、すごく気持ちのいいものになる、ああお金いいじゃん!!ということに気づいたのです。

なので、その循環に、微力ながらのせたいと思います。

ほんとに少しなんですが、お金をもらってほしいので、坂爪さんの口座番号を教えていただけませんか?

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人生は続く。

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