いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

不完全なら不完全なりに、不完全なままで胸を張る。多分、その姿が『完全な自分』になる。

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神奈川県在住のT様から、本日、心のこもった手作りローズマリー軟膏の新作が届きました。10名限定になりますが、ご希望される方に無料で郵送をいたします。実際に作って見ると意外と簡単にできる(作り方は下記リンク参照)とのことなので、興味のある方は是非、自宅でも挑戦してみてください。手荒れに悩む方が、ひとりでも少なくなることを祈ります。


※※※ こちらの軟膏は、日本全国にわたりました ※※※

先日、粛々と録画した動画を公開した。最近、ツイキャスが楽しい。まるで小学生の男の子が、家に帰ってきた時にお母さんに「今日はこんなことがあったんだよ!」的な報告をしている時のような、あの、懐かしい気持ちになる。動画の中で、私は「過去に付き合っていた女性と体験した修羅場」の話をした。非常に印象的な出来事になったので、簡単にまとめます。


7歳年上の女性との修羅場

当時、22歳の私は7歳年上の女性と交際をしていた。ある日、彼女の家にはじめて遊びに行った時、悲劇は起きた。彼女と私が家のリビングで映画を見ていたら、突然玄関のチャイムがピンポーン!と鳴り、彼女は「まじかよ!」という表情を浮かべた。これはあとでわかったことなのだけれど、当時の彼女にはまだ完全には別れ切っていない絶賛同棲中の元カレがいて、今夜は戻らないはずだった元カレが家に帰ってきたのだ。

ひとしきり「どうしよう!どうしよう!」と騒いだあとで、観念した彼女は元カレを家にあげた。男性の年齢は30歳ちょっとで高級なスーツをビシッときめていて、耳には光るピアスをしていた。男性の風貌から「僕は、若い頃にはそれなりのやんちゃをしてきました」感を強く嗅ぎ取った私は、ああ、これは一発殴られるかもしれないなあと腹を括った。

気持ちで負けちゃいけない。

男性は、私に向かって「えっと、あんた誰??ここで何しているの??」的なことを言った。私は、「はい」とだけ答えた(気がする)。この時の私の気持ちはただひとつ、これからどのようなことがあろうとも、男性に気持ちで負けてはいけないということだ。男性は、目に見えて怒りに満ちていた。一触即発の雰囲気が周辺に充溢して、彼女はおろおろとする中で、元カレは「なんなんだよ!」と叫びながら、近くのゴミ箱を蹴飛ばしたりしていた。

空中をゴミ屑が浮遊しているのを眺めながら、私は、ひたすら自分の腹に集中していた。逃げ場のない時は『ひたすら丹田に力を込めて、まるで武士のような面持ちでその場をやりすごす』という手法を身につけたのは、多分、この瞬間からだと思う。元カレが再び私の元に来る。私を睨む。私の胸ぐらを掴む。私の顔面に向かって「あんたはいったい誰なんだよ!」的な言葉を吐く。私は、ひたすら「はい」とだけ答える。それ以外の言葉は何も言わず、自分の腹に意識を集中させたまま、実は、心の中では『おまじない』を唱え続けていた。

困った時のおまじない【俺は俺だ】

私には、困った時に多用するひとつのおまじないがある。それは「俺は俺だ」とひたすら心の中で唱え続けるというもので、この日、修羅場を迎えていた私は心の中で何度も何度も「俺は俺だ。俺は俺だ。俺は俺だ。俺は俺だ」と繰り返し唱え続けていた。もしも、この世の中には目には見えないエネルギーがあるのだとしたら、自分の肉体全体から圧倒的な【俺は俺だエネルギー】を放出させることにより、もしかしたら最悪の窮地を脱することができるかもしれないという、吹けば飛ぶような一縷の望みに自分のすべてを賭博した。

元カレ「お前は誰なんだよ」

坂爪「はい【俺は俺だ】

元カレ「あ?聞いてんのか?」

坂爪「はい【俺は俺だ】

元カレ「何してんだよ」

坂爪「はい【俺は俺だ】

元カレ「いつからいたんだよ」

坂爪「はい【俺は俺だ】

元カレ「何か言えよ!」

坂爪「はい【俺は俺だ】

元カレ「ああ!?」

坂爪「はい【俺は俺だ】

こんな感じである。殴られるかもしれないと思っていたが、奇跡が起きたのか何なのか、そのまま元カレは「クソっ!」と叫びながら家を出て、そのまま何処かに消えて行った。無事にことなきを得たのである。私は、この修羅場を通じて強烈な学びを三つ得た。ひとつ、困った時は意識を丹田に集中させること。ふたつ、謝罪も弁解もしないまま、相手を静かに真っ直ぐ見据えること。みっつ、心の中で【俺は俺だ】とひたすら唱え続けること。この三つを死守すれば、もしかすると、もしかするかもしれないということを実感した。

『喜びから人生を生きる【DYING TO BE ME】』

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今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、普段は埼玉県で教員をやっている男性が持参してくれたアニータ・ムアジャーニ著作『喜びから人生を生きる【DYING TO BE ME】』です。私はまだ何も読んでいないのですが、サブタイトル【自分になるために死ぬ】が非常に気に入りました。古い自分には一回死んでもらわないと、次には行けないのだ。私の愛するムラキテルミさんも手垢がつくほど読み込んだ(らしい!)ので、ご希望される方はローズマリー軟膏同様に何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には、24時間以内に折り返しご連絡いたします。

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※


ありのまま、自分のままで自分の姿を誇ること。

これは結果論に過ぎないが、もしも私が元カレに「許してください!」と謝罪をしたり、「彼女とはただの友達です!」みたいな形の弁解をしたら、ボカンと殴られていたかもしれない。TPOにもよるが、謝罪や弁解をすることよりも『思い切って開き直ること【居直ること】』が効果的な場合がある。どれだけ自分に不利な状態でも、どれだけ自分に負の点があろうとも、自分はこういう人間ですと居直ること。自分を前面に突き出すことにより、ロジックの壁を飛び越えて突破できる瞬間がある。

現在の私は、多分、過去に決めたふたつの覚悟に支えられている。ひとつは「ひとりでもいい」という覚悟。誰にも理解されなくても、友達や恋人はいなくても、いまはまだひとりきりだとしても、それでも生きていくという覚悟。そして、もうひとつは「死んでもいい」という覚悟。やりたくもないことをやって生きる【自分を殺して生きる】より、やりたいことをやって死ぬ【自分を出して死ぬ】覚悟。不思議なことに、ふたつの覚悟を決めてから、自分の日々が大きく膨らみはじめているような気がしている。


未熟でも、不完全でも、世界に向けて「自分はこういう人間です」と宣言をすること。多分、大切なことは【いま、この瞬間から、自分は自分の足で立つ】ということだ。完璧であろうとするのでもなく、誰かに何かを補ってもらうことを求めるのでもなく、「いつか」と何かを先送りにするのでもなく、足りないものは何もない、自分にはこの肉体とこの精神しかないのだから、ありのまま、自分のままので自分の姿を誇ること。不完全なら不完全なりに、不完全なままで胸を張る。多分、その姿が『完全な自分』になる。


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人生は続く。

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