いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

人にはそれぞれトラウマがあるから、憎んだり羨んだりするのは違うよ。

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奥武島最終日。マスクって何のためにしているのだろう。コロナから身を守るためというより、人間から身を守るために思える。私は、コロナより集団心理が怖い。ある日、偉い人が今日からマスクを外して良いですよと通達した途端、多くの人々が意気揚々と外すのだろう。これってコントロール下に置かれているとしか思えないのだが、そのようなことを言うと爪弾きにされ、最悪の場合は正義に殺される。

 

おおまかなスケジュール

4月15日(木)奥武島那覇

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

 

同調圧力に負けるな。

みんなもそうだから。みんなもそうしているから。この「みんな」って誰だろう。過去にフランスに訪れた際、徹底した個人主義に度肝を抜かれた。彼らは個がはっきりとしていて、人間は違って当然という雰囲気が前提にあった。まず最初に個があり、個と個が集まってできるものが集団だった。それに対して日本は、まず最初に集団があり、そこから弾かれたものが個になる。集団の中では個としてあることは許されず「協調性が無い」とか「和を乱す」と糾弾され、画一的であることが要求される。結果、みんなと同じでなければならないと言う同調圧力が醸成される。

 

誰かに合わせて生きるほど自分自身から離れていく。みんなと同じという安心感は得られるが、自分の人生を生きていると言う手応えは薄くなる。私はまだ結婚をしていないため、長年連れ添った夫婦に対する憧れがある。だが、夫婦の話を聞くと必ずしも長い時間を一緒に過ごしたからと言って強い絆を築けているとは限らないことを知る。中身のないコミュニケーション、本当に話したいことを話せていない間柄は、どれだけ時間を重ねても中身のないスカスカなものになる。夫婦なんてそんなものだ、人生なんてそんなものだと諦めた人々から、生き甲斐は遠く離れていく。誤解を恐れずに言うと、幸せの檻に閉じ込められている人が多い気がする。愛の鎖に繋がれて、お互いの翼をもぎあっているような関係性が多く見受けられる。

 

野営生活を一週間続けた。野営中は基本的に火の管理や食料の調達と調理に1日の大半が注がれる。生活にかける労力が半端ないのだが、充実感も半端ない。狩猟採集という行為そのもの、生きることそのものに喜びを感じる。先日、差し入れでいただいた弁当を食べた。弁当は便利だ。手間もかからないし豪華だし美味い。だが、プロセスがぶった斬られていると感じた。世の中はどんどん便利になり、人間はどんどん不機嫌になった。もはや、生きることそのものから喜びを感じることは難しくなった。だから、私たちは生活以外で生き甲斐を求める。衣食住という人間の基本はインスタントなもので済ませ、それ以外のものに喜びを求める。便利さは人間をせっかちにさせ、時間をかけるということを「合理的じゃない」と判断するようになった。結果、人間関係もインスタントなものになった。洗濯機や掃除機は家事の負担を格段に楽にさせたが、人間は忙しいままだ。星の王子さまの言葉を借りれば、おとなたちは忙し過ぎて友達を作ることはできなくなってしまったのだ。

 

人にはそれぞれトラウマがあるから、憎んだり羨んだりするのは違うよ。

普遍的な喜びは「ものを作る」「自然に触れる」「体を動かす」ことにあると思う。野営には三つの要素が詰まっている。だから充実するのだと思う。周囲には誰一人いない。余計なノイズがないから自分と向き合うことができる。色々なことを思う。人間について。魂について。生きることについて。死ぬことについて。一日に一人程度の割合でこんな森の中にわざわざ差し入れを持ってきて小一時間話して帰っていく人たちがいる。昨日はガンの話を聞いた。酒もタバコも体に悪いことは何もやっていないがその人はガンになった。なぜガンになったのか思い当たることはあるのかと尋ねたら「昔から自分は生きていてはいけないように感じていて、そういった自分いじめがガンを作ったのかもしれないと思います」と話してくれた。

 

怒りも悲しみも問題を解決することはない。先日、トムから興味深い話を聞いた。幼少期のトムは自然豊かな環境で育った。ある日、トムの愛する大自然に車が止まった。降りてきた成人男性二人がそこにゴミを投げ捨てた。幼いトムは強烈な怒りを覚えた。自分の大好きな場所にゴミを捨てるだなんて。怒りによってトムは正気を失ったが、子供だから具体的に何ができるとかはなかった。その時、トムの恩師的存在のおじいちゃんが隣に来て言った。怒りは何も解決しないよ、と。そうは言われても、なかなか怒りの感情の型から抜け出すことができなかった。時間が経ち、ようやく落ち着きを取り戻したトムは勇気を出して成人男性二人のもとに言ってこのように伝えた。「ここはぼくの大好きな場所だから、どうかゴミを捨てないでください」と。それを聞いた男性二人は、小さな子供からそのようなことを言われたショックも重なり、幾度もトムにすまなかったと謝ったた後に周囲に落ちていた(自分たちが捨てた何倍もの)ゴミを拾い、数キロ先のゴミ捨て場まで運んだ。トムが怒りの道ではなく心のある道を選んだことによって、トムが愛した自然にはこれまで以上の美しさが与えられ、成人男性二人には自然を慈しむ心が育まれた。 

 

ここはぼくの大好きな場所だから、どうかゴミを捨てないでください。トムにとって大好きな場所は自然だったが、私は、この言葉を人間に対して使いたいと思った。この記事を読んでくれているあなたに対して、そして、他でもない自分自身に対しても用いたいと思った。ここ(あなた・わたし)はぼくの大好きな場所だから、どうかゴミを捨てないでください。自分は無価値だとか、自分はダメな人間だとか、自分なんかいない方がいいのだとか、そういった言葉ばかりを自分の心に投げ入れないでください。あなたは大切な存在です。あなたはぼくにとって大切な場所だから、どうかゴミを捨てないでください。そのようなことを祈りたくなった。

 

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「鼓動」

 

君の奏でる音がかき消されぬように

 

その行く道に光降り注ぎますように

 

踊れ踊れ砕けて散って全てになって

 

彼岸の座には陽炎の獅子

 

呼び戻せそれは君の心臓

 

紺碧の波を蹴って

 

銀河の風を切って

 

満月の下でまた逢おう

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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いまを精一杯生きるんだよ。

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自然界の嵐が沈殿した塵や埃を吹き飛ばし、浄化作用にも似た新しい変化をもたらす。人生の波に翻弄されているような時も、それは必要だから起こっている。必要ないものや古くなったものを捨て去り、ハリケーンのように目まぐるしい変化を目の当たりにしても、心は落ち着いていられる。見えないものに向かう時は孤独にも不安にも心許なくもなるが、今、この瞬間も私たちは自然の摂理に守られている。

 

おおまかなスケジュール

4月13日(火)
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu

 

 

嬉しくもならないし、温かくもならないものは要らない。

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コロナ禍による蔓延防止措置により出演予定のイベントがなくなった。朝、寝て起きて見たら残された食糧が獣的な何かに食い荒らされていた。天気予報を見ると夜から雨の予報だが、雨除けの道具はない。奥武島にいる必要はなくなったが、何処に行っても蔓延防止状態だから身動きも取れない。比較的八方塞がりだが気分は落ち着いている。人間にはできないことを神様はなさる。どうにかするとどうにかなるでは、言葉は似ているが全然違う。どうにかするではない。どうにかなるのだ。

 

 
 
 
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昨日、行政の研修講師(?)としてある場所に招かれた。テーマは「SNSで人とつながる。世界とつながる」というものだった。私にできることは、自分の場合はこれをやったらこうなったという実体験を話すことだけだ。正解は知らない。おそらく私の生き方は参考にならないだろうが、生きているとこんなこともあるのだという面白さを身近に感じてもらえたら嬉しい。こういった場所に行くと情報発信という言葉をよく聞く。正直、情報という言葉も発信という言葉も表面的で苦手だ。私は情報より情熱を伝えたい。発信より発熱したい。血の通ったやりとりをしたい。

 

 
 
 
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昨日、ある人が「自分は迷惑をかけたくないという気持ちが強いから、やりたいと思うこともできない。そんな自分を変えたいとも思うけれど、ずっとこれで来てしまったからもうダメなのかなって思う」と言った。それを聞いた時に思ったことが三つある。一つ目は「できてるじゃないか」ということ。嫌われたくないとか迷惑をかけたくないと願っている人は、嫌な言い方になるが『良い子だと思われたい』のだと思う。それ、できてるじゃないか。よかったね。おめでとう。君は立派な良い子だよ。だけど、あなたの優しさはなんだか体温が下がるような優しさだね。優しさと馴れ合いは別物だよ。本当は、良い子であることが苦しいんじゃないのか。

 

いまを精一杯生きるんだよ。

二つ目は「自分と同じ生き方を自分のこどもにもさせたいと思うか」だ。自分のこどもが周囲の顔色ばかり伺って自分を出すことは絶対にせず、誰かに合わせて疲弊しながらそれをやめることができず自分なんかとウジウジしたり自分いじめに精を出して、本当はやりたいことがあるのに押し殺し続けて生きているとしたら、それでもあなたは「良い子であり続けろ」と言うのだろうか。酷だ。それはあまりにも酷だ。自分のこどもがやっていたら酷だと思うような生き方を、なぜ、自分にさせる。自分が自分の人生を真剣に生きていなかったら、こどもに合わせる顔がない。 

 

三つ目は能動的であれということ。嫌われたくないとか迷惑をかけたくないとか傷つきたくないとか、そんなことを人生の最優先事項にしたらダメだ。思いやりは大事だ。優しさは大事だ。だが、あまりにも他人軸すぎるだろそれは。嫌われたくない気持ちはめちゃめちゃわかるが、お前には愛したいと思う気持ちはないのか。誰かからどう思われるかだけじゃなくて、自分から誰かを好きになっていきたいとか、自分から誰かを本当の意味で愛したいなどと思う気持ちはないのか。各種イベントに呼ばれると、多くの場合どうすれば儲かるかとかどうすれば有名になれるかとかどうすれば愛されるかを聞きたい的な雰囲気を嗅ぎ取る。逆だろ。愛されたいとか言ってんじゃないよ。自分から愛するんだよ。それしかないんだよ。誰かに幸せにしてもらおうとか思ってんじゃないよ。自分を幸せにするのは自分なんだよ。

 

自然に生きるなんて言葉もあるが、嵐もあってこその自然だ。嵐を排除する自然は嘘だ。大荒れの日もあれば快晴の日もあるのが人間の自然だ。嵐を抑えた人工的な優しさは嘘だ。愛になり得ない。沈殿した塵や埃を吹き飛ばす嵐。そこに私は愛を見る。俺はお前のハリケーン。自分で自分を持て余すことも多いが、嵐には嵐の良さがあるのだろう。俺は嵐を担当する。嵐を担当することの喜びは、過ぎ去った後の星空を堪能できることだ。周囲に誰もいないから、近くにいた猫に話しかけた。ニャンよ、お前にとってこの星空は普通なのかもしれないが、こんなにすごい星空は異常なんだぞ。わかってのか、コラ。言葉はそっくりそのまま自分に跳ね返ってきた。普通なんてない。当たり前なんてない。全部異常で、全部奇跡だ。問題は、自分が常にそれを感じ取っていられるほど、心を開いていられるかどうかだけだ。

 

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「世界が僕だけじゃなくてよかった」 詞曲 Keigo Sakatsume

 

信じられないよ こんなに強く

光り輝いた 桟橋の月

夢の中にいる こどものように

追いかけてしまう 君を重ねて

 

隠し切れないよ こんなに脆く

崩れかけていた 小さなハート

逃げ続けるより 今立ち向かう

諦めることを 諦めたまま

 

ああ 世界が僕だけじゃなくてよかったよな

 

まだ まだ まだ これからだろ

まだ まだ まだ これからだろ

 

無駄に生きてきた気もするけれど

無駄ではなかった 思い出がある

一人で生きていた気もするけれど

一人じゃなかった 温もりがある

 

ああ 世界が僕だけじゃなくてよかったよな

 

まだ まだ まだ これからだろ

まだ まだ まだ これからだろ

 

星が落ちそうなところに行こう

涙が出てくるところまで行こう

なんにもないように思える時も

全部あるようなところに行こう

 

聞こえてくるのは 海原の歌

耳をすましてる 旅人の歌

哀しみたなびく 透明な歌

口ずさんでいる 歓びの歌

 

ああ 世界が僕だけじゃなくてよかったよな

 

まだ まだ まだ これからだろ

まだ まだ まだ これからだろ

 

まだ 僕たちは 途中なんだろう

まだ 僕たちは 途中なんだろう

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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世界が俺だけじゃなくてよかった。

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奥武島のテント生活も三日目に入った。基本的に野晒しだが、日々の充実度は高い。快適な家にいる方が憂鬱で、不便な野外にいる方が活発になるのが不思議だ。材料は現地調達になるため毎日ギリギリだが、いよいよ食べるものがなくなったぞとなったタイミングで誰かが差し入れをくれたり目の前に食糧が現れる。そろそろ肉が食べたいぞと思うと肉が届き、甘いものを食べたいと思うと甘いものが届く。

 

おおまかなスケジュール

4月11日(日)野営@奥武島

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

 

家族を諦めるな。

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初日

 

毎日、信じられないくらい星が綺麗だ。最初はこんなジャングルでどうやって生活するのかと恐れたが、自分でも驚くほど早く馴染めた。私はやっぱり自然が大好きなのだと思った。木々や星々や波音に囲まれた暮らしの中で寂しさを覚えることは少ない。衣食住があれば人間は死なないということを肌感覚で実感すると、日常の細々とした雑事に「そんなことはどうでもいいじゃないか」と寛容に思える。大丈夫だよ。気にすることはないよ。生きているだけでいいよ。全部、うまくいくよ。

 

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三日目


三日目に椅子とテーブルの差し入れをもらった。一気に文化的な生活になった。人混みの中にいると些細なことに苛々して器はどんどん小さくなるが、大自然の中で放置されると自然と感謝の念が湧き上がる。感謝なんて書くと聞こえが良いが、言い方を変えれば「自分の狭量さを反省する」時間を得る。私は椅子を作れない。テーブルを作れない。テントを作れない。食糧を生み出すことができない。私が生きていられるのは、私が生きるために必要なものを作り出してくれた人々による。そのことに対する感謝を私は忘れていた。反抗や反発、抵抗ばかりを続けてきたが、抵抗する対象が消えた時、湧き上がった感覚は懺悔にも近い感謝の気持ちだった。

 

 

焚き火を眺めながら「家族を諦めるな」と思った。先日、母親からメールが届いた。そこには「圭吾は大勢の人から愛されているよ」と書かれてあった。自分を否定することは親を否定することに繋がるし、親を肯定することは自分を肯定することに繋がる。家族を諦めるな。この言葉の真意を自分でもまだ掴み切れていないが、私たちは一人で生きている訳ではない。一人になることはできる。だが、一人で生きていくことはできない。家族を諦めるな。それは、自分を育てた家族を諦めないことであり、広い意味での家族を作っていくことを諦めないことだと思った。 

 

世界が俺だけじゃなくてよかった。

奥武島の隅っこにテントを張っているが、昨日まで自転車旅をしている男性のソロキャンパーが近くにテントを張っていた。会話こそなかったが、すれ違う時に軽く会釈をした。ひどく柔和な顔をした男性で、その柔らかさは悲しみを通過した優しさだと感じた。彼は彼で食事をし、私は私で食事をした。距離は離れていたが近くに感じ、同じ夜を超えた。今朝、起きてみたら既に男性は出発をした後だった。別れてから思うことは「もう少し話せばよかったかな」などと言った悔恨に近い思いだが、昨日、確かに私たちは話していた。私は私で今日を生きるし、彼は彼で今日を生きる。物理的には離れても、それだけではない何かで繋がっている気がした。

 

私は私の人生に責任があり、彼は彼の人生に責任がある。それは納税や勤労や教育などと言った責任ではない、個人的で生命的なものだ。価値観は人それぞれだが、誰もが自分の運命を追求している仲間だ。その連帯を勝手に感じ取り、私は勝手に温かな感覚を抱く。私は私を幸せにする責任がある。私は私に幸福な人生を歩ませる責任がある。それは一般的な幸せとは違う形の幸せかもしれない。ただ、自分にとって最大限の喜びを追求する責任が私にはある。この責任は、私に重くのしかかる責任ではない。逆だ。責任を果たせば果たすほど、私は軽くなる。私は自由になる。私は少しだけ愛の片鱗に触れる。私は生まれてきたことを喜ぶことができる。

 

リトルスターという曲を作った。歌を作る時、言葉を綴る時、私は私の責任を果たしている気がする。目の前にいない誰か、まだ見ぬ誰かに「届け」と手紙を書くような、待つ人の存在を感じ取れるからこそ力を得られる感覚がある。月並みな言葉だが、多分、私たち一人一人には『待っている人』が必ずいる。その人と出会うことで、私は、私たちは、生まれたことを喜ぶことができる。生きててよかったと思えるほどの喜びを、自分に、世界に、与えていこうとする姿勢こそが希望になる。そして、誰かに善を成す時、自分自身に最善を成しているのだということを知る。

 

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「リトルスター」 詞曲 Keigo Sakatsume

 

誰にも聞こえない

誰にもさわれない

君だけの音

君だけの色

 

誰にも壊せない

誰にも汚せない

今だけの音

今だけの色

 

待ってろよ リトルスター

生きててよかったと思わせてやる

見ていろよ リトルスター

夜を走る光

 

今にも消えそうな

今にも落ちそうな

君だけの音

君だけの色

 

誰にも聞こえない

誰にもさわれない

終わらない音

終わらない色

 

待ってろよ リトルスター

僕だけはあなたを抱き締めてやる

見ていろよ リトルスター

夜を越える 命

 

待ってろよ リトルスター

生きててよかったと思わせるから

見ていろよ リトルスター

僕だけはあなたを抱き締めるから

 

Baby I'm your tree

whole life together

Nobody can hurt your heart never

 

Baby I'm your tree

Little Star

How time flies you and me forever

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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輝くことを自分に許可する。

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久米島にいる。気がついたら真っ白な禊の装束に身を包まれていた。昨日、譲り受けたものだ。私はこれから白装束を着た状態で奥武島にあるキャンプ場に10日間程度滞在する。出来ることならば皆様に遊びに来て欲しいと願っている。外で食べるご飯は美味しい。味噌汁の準備はしてあるがダシと味噌しかないので具材がない。

 

おおまかなスケジュール

4月8日(木)教えて!ふゅーちゃん@奥武島キャンプ場

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

 

なにもないけど全部ある。

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前回の記事で「私はペニーさんになりたい」と書いたが、生意気だからもっと可愛げのあるキャラクターに変えてくださいと言われた。確かに「何かください」と言っているだけの人間は生意気だし邪魔だ。ちょうど昨日オラクルカードを貰ったので、それでは来訪してくださった方々の未来を占うオラクルカードリーダーになろう。名前はふゅーちゃん。未来(フューチャー)から来たふゅーちゃん。ダメかな。どうかな。珈琲もあります。うまい表現方法が見つからないが、差し入れだけでどこまで生きていけるかに挑戦したい。物々交換などと言うと陳腐だが、私はオラクルや珈琲を提供する。代わりに何かをくださる方がいたら私はとても嬉しい。

 

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日本人で初めてエベレストに登頂した植村直己さんが北極点に到達した際のエピソードは印象的だ。北極点に行きたいとは思ったものの植村さんには何一つあてはなかった。だが、あてもないまま北極付近まで実際に行き、到着して一番最初にやったことはラジオ体操だった。えっさほいさとラジオ体操をしていたら現地のこどもたちが集まってきた。その流れでこどもの家にお世話になることになり、縁が縁を運んで最終的に北極点に到達した。物凄い話だが、移動は奇跡を起こす。経験則的に、奇跡が起こりやすい状態と奇跡が起こりづらい状態がある気がする。自分がご機嫌にしていると奇跡は起こる。だが、不機嫌にしていると奇跡は素通りをする。

 

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旅人に奇跡が起こりやすいのは、彼にたっぷりの余白があるからだろう。今、手元に凧糸がある。木の棒に凧糸をたらして即席の釣竿を作れないだろうかと画策している。おそらく、魚は釣れないと思う。だが、魚を釣ることに詳しいひとを釣ることはできるかもしれない。自分の無能さを曝け出す瞬間は怖いが、無能さを曝け出すことで有能な方々と出会える。自分には何もないことを語っていたら、島の方のご好意で自転車を使わせていただけることになった。自転車を30分飛ばした先に湧水を汲める場所があることを教えてもらった。長命草(サクナ)と呼ばれる栄養豊富な草がそこらじゅうに生えているから味噌汁の具にしたらいいよとも言われた。

 

輝くことを自分に許可する。

昨日は私の誕生日で、ありがたいことに様々な方々からメッセージをいただいた。だが、なぜだか強烈なさみしさに襲われていた私はせっかくの好意を受け取れないまま、虚無感に飲まれていた。そんな中、奈良県在住の女性A様から一通のメールが届いた。このメールを見た途端、一気に元気になった自分がいた。A様は、御主人を先日ガンで亡くしている。そんな御主人から、メッセージが降りてきたのだ。

 

誕生日おめでとうございます🎂

月曜日、私に降りてきたんです。亡くなった主人からのメッセージ。
ビックリ!

お前にはよ〜ぉしてもろた。
塩梅してもろた。おおきに。
せやけど、お前にはまだ愛情?エネルギー?残ってるやろ?
それ、○○先生に注いだれや。
今も塩梅してもろてるやろ?
ちゃんとして返さなあかん。
何倍にもして返せ。

 

直後、A様から電話がかかってきた。はいはいと電話に出たら「うわー!繋がった!嬉しい!坂爪さんと繋がった!」とA様は叫んだ。元気ですか?と尋ねたら、非常に明るい声で「元気じゃないですよ、カラ元気ですよ!」と笑った。A様は笑っていた。笑いながら「私はスピリチュアルとかを信じるタイプの人間ではないのですが、月曜日の朝、確かに主人の奈良弁で声が聞こえてきて本当にビックリしてしまって、だけどこういう話って誰にでもできる話じゃないから坂爪さんと共有できて本当に嬉しいです。私は、一人では生きていけないです。誰でもそうだと思うけど、私は、一人では生きていけないです。人生って面白いです。つらいんだけど、本当につらいんだけど面白いです。毎日さみしいし、毎日本当につらいけど、ああ、なんかもう坂爪さん大好き、大好き大好き大好き!!!と、A様は叫んだ。

 

さっきまで虚無感に襲われていたはずの気分が、一発で吹き飛んだ。気分って不思議だ。一発で最悪にもなるし、一発で最高にもなる。できることならば常に最高であれたらと願うが、感情の起伏を避けることはできない。しかし、この起伏こそが生きている証なのだろう。起伏を私はドラゴンと名付ける。ドラゴンは、私を天国にも奈落の底にも連れて行く。毎日天国だし、毎日地獄だ。受け入れること。そうすれば楽しむことができる。拒否をすると、苛立ちや失望に襲われる。どれだけ奈落の底に突き落とされたと感じる時も、愛?エネルギー?が自分の中に残されていることを感じる。闇が濃いほど星は輝く。喜怒哀楽の全部をぶちまけて輝く。自分はただひたすらに自分自身であり続けること、もう、それしかないとさえ思った。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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やりたいことは、全部やろう。

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横浜駅ドトールにいる。久米島在住の方から「誕生日をお祝いしたいのと、4月18日に開催されるイベントに出て欲しいので来てください。片道交通費は出します。無料のキャンプ場があるので18日まで生き延びてください」と連絡をいただき、明後日から沖縄に行く。持っていける荷物に限りがあるため、テントを諦めて蚊帳に、寝袋を諦めてアルミシートで生きることにした。雨が降ったら終わりだ。

 

おおまかなスケジュール

4月4日(日)祈り難きを祈る教会@横浜「ロックハウス」
4月7日(水)坂爪圭吾36周年記念野宿@奥武島キャンプ場

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

 

獣性、人性、神性。

久米島で野垂れ死なないために最低限の調味料を持っていく必要がある。多種多様な料理を作ることは実質的に不可能なので、味噌汁に命を賭けることにした。私は器によって料理の味は変わる説を採用しているのだが、味噌汁の一番美味しい食べ方はキャンプ用のマグカップに入れて飲むことだ。シェラカップじゃダメだ。飲み口が広く香りが逃げるし、計量カップで飲んでいるみたいなさもしさが宿る。普通の器だと「普通だな」となる。だが、不思議なことにチタンやステンレスのマグカップに味噌汁を入れて飲むと「まさかこんな場所で味噌汁をいただけるとは」的な感動が湧き上がり、お湯に味噌とダシを溶かしただけのものが異様に美味くなる。

 

好きな小説を5冊あげろと言われたら間違いなく一冊は「奥田英朗のサウスバウンド」と答えるが、その中にペニーさんという西表島で乞食生活を満喫しているカナダ人が登場する。彼が非常によい味を出しているのだが、彼は乞食だから島民と出会うと片言の日本語で「アナタハワタシニナニヲクレマスカ?」と平気でのたまう。この平気さとふてぶてしさと生命力に感銘を受けた私は久米島のペニーさんとなることを目指す。珈琲豆や茶葉も持参をするので「久米島の売茶翁」と名乗ることも考えたが、売茶翁の名前はあまり一般的ではないために裏の名前にする。いただける交通費は片道交通費のみになるために滞在費や帰りの飛行機代などは一体どうするのか問題があるが、問題を問題と呼んでいる限り人生と仲良くなることはできない。これまでの日々を振り返ると、問題が私の人生を面白くしたことを知る。

 

人間には獣性と人性と神性の三種類があり、これらをバランスよく(?)満たせた時に人生を謳歌できている手応えを得る。私は野生のクワの実を最終している時に途轍もない幸福感を得るのだが、おそらくこれは獣性が満たされるからだろう。野営をしていると時折「地球が俺の居場所だ!」と雄叫びをあげたくなる瞬間がある。これも獣性だと思うが、どれだけ高級ホテルに泊まっても「地球が俺の居場所だ!」と叫びたくなる喜びを得ることはできない。だが、野営期間が長く続くと「蛇口をひねるだけでお湯が出るなんて奇跡!」とか「屋根がある、壁がある、バスタオルがある、文化的な生活ブラボー!」となる。これが人性だ。サウスバウンドのペニーさんはユダヤ人の末裔であり、物語の終盤に島の御嶽を壊してリゾートホテルを建設しようとする政治家に決死の抵抗をする。自分の体を御嶽に縛り付けた状態でガソリンを全身にひっかぶり、これ以上御嶽に近づいたら私は私を燃やしますと能動的に人柱になる。能動的な人柱になること、多分これが神性だと思う。

 

わたり文庫『サウスバウンド』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は奥田英朗著作『サウスバウンド』です。非常に素晴らしい一冊です。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には、70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は沖縄県にわたりました ※※※

 

二郎。前にも言ったが、おとうさんを見習うな。おとうさんは少し極端だからな。けれど卑怯な大人にだけはなるな。立場で生きるような大人にはなるな。これはちがうと思ったらとことん戦え。負けてもいいから戦え。人とちがってもいい。孤独を恐れるな。理解者は必ずいる。

奥田英朗『サウスバウンド』【講談社文庫】

 

やりたいことは、全部やろう。

4月7日(水)以降、久米島のシンリ浜無料キャンプ場界隈で虚空を見つめているので「食べ物をもってきましたよ」的な来客を心待ちにしております。誕生日は不思議だ。祝って欲しいんだか祝って欲しくないんだかが謎だ。MailやLINEやSNSから「誕生日おめでとうございます」とたった一言杓子定規的に言われてもリアクションの仕様がないし返信も面倒臭いと感じるけれども返信しなければ返信しないで俺が悪者になるし、窮地に陥る。飲食店などで照明が突如落ちてハッピーバースデーの音楽が流れたりすると公開処刑を受けているような気持ちになり「お願いだからやめてくれ」と思うがそれなりに喜んでおかないと相手に悪いよなとか思うから窮地だ。だが、最近考え方が変わった。常々お世話になっている方が節目を非常に大切にする方で、その方から誕生日を祝福されると「そうか、誕生日って本来は自分にとって非常にパワフルな1日だよな。それをクールにやり過ごすよりも、誕生日が近づくほど漲る漲る漲るとか思っているくらいがいいよな」という気持ちになる。

 

世界に関与する。世界と関われていると感じる時に幸福や繋がりや充足感を抱き、世界から自分だけが切り離されていると感じる時に孤立感や無力感を抱く。生きる態度がよそよそしくなるほど、世界との繋がりは薄くなる。自分(他者)=世界=神様=宇宙=自分(他者)。自分の喜びは他者の喜びや世界の喜びと切り離すことはできない。真の意味で自分のためになっていることは必ず世のため人のためになっている。繋がりを感じ取れない時に感じる心許なさや孤立感や無価値感は一人の人間をダメにするほどの力があるが、繋がりは外から与えられるものではなく自分の手によって生み出していくものだ。大事なことは、繋がりを与えられることではなく自分の手によって繋いで行くことだ。何を。命を。生きる意思を。時折、自分が作った曲を見て「これは俺の歌であって俺の歌ではない」と思うことがある。作品が自分を越えて存在する時、自分の歌であるとか自分の歌ではないとかそういったことがどうでもよくなり、ただ「歌い継いでいかなければ」という意志を抱く。

 

自分の真価を発揮できている瞬間は「俺はこれがやりたかったんだ」という自我を満たすことではなく、逆に「自分なんてどうでもいいからこれだけは守りたい」と思う何かを、自分自身がパイプ役になって伝えること、繋いで行くことだと思う。自分の作り出したものに濁りを感じる時、それは「俺が、俺が」の自我に捕まっている時だ。自分自身はからっぽになり、ただひたすらに継承することに命を用いている時、逆説的だが一番自分自身を正しく用いている。めちゃめちゃ自分だなと思う曲を作ることもあれば、これは自分を越えている、この曲は後世にまで歌い継ぐ必要があると感じる曲が生まれることもある。どちらも大事で、どちらも自分だ。濁るのは、本当の純粋さを知るためだ。愛を知る人間は、決して憎しみを抱かない人間ではない。祝福を知る人間は、決して呪いを抱かない人間ではない。やりたいことは、全部やろう。憎しみ合うほど、愛し合える。呪い合うほど、祝い合える。

 

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「海へ 〜end of the journey〜」 詞曲 Keigo Sakatsume

 

また 新しい光が 昇り堕ちていく

自分も他人もない 狭間で空を飛ぶ

 

It's the end of wonderful world

 

生きてることが一つの夢だとして

目覚めるとき 僕らは何処にいる

 

It's the end of wonderful world

 

紅く焼けた空に 視界は奪われて

黄金色の中 境界線は溶けていく

 

海へ

 

この乗り物は重いから 連れて帰る場所もない

自由は怖れがないこと 愛も 同じことだろう

 

海へ

 

また 新しい光が 昇り堕ちていく

自分も他人もない 狭間で空を飛ぶ

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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嫌なことやって生きるより、やりたいことやって死のうよ。

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大阪から横浜まで急遽とあるブツを運ぶ護送案件の依頼を受け、大阪にいる。与那国では島の別れに遭遇した。春は出会いと別れの季節とも言う。だが、正確には別れと出会いの季節だと思う。別れが先で、出会いはその後。なんだってそうだ。捨てるが先で得るは後。終わりが先ではじまりは後。飛び込むことで開く命がある。

 

おおまかなスケジュール

3月31日(水)大阪〜横浜

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

 

愛と、愛っぽいものは違う。 

昨日大阪で少し時間ができたので、梅田駅界隈で「会える人がいたら会いましょう」とSNSから投稿した。すると、それを見た男性一人と女性一人と会うことになり、最初は男性と合流した。男性は言った。坂爪さんを知ったのはつい先日Kindleunlimitedで著作を拝見し、タイトルが目に止まったから読んでみたら文章に引き込まれた。何に惹かれたのかうまく言葉にできないが生き様とか純粋さとか覚悟とか自分を曝け出す姿とかフットワークの軽さとか、自分が憧れているのはそういう部分だと思う。自分は一年前に会社を辞めていまは人生の夏休み状態にあるのだが、そろそろ何かをしなくちゃいけないと思いながら緊張というか体の強張りから自由になることができない。普段は人見知りをするようなタイプではないのだが、坂爪さんと会えると決まった瞬間から物凄い緊張をしている自分がいる。きっと拒絶される恐怖であったりこう見られたいという思いがあるからだと思う、と。

 

そのタイミングで女性が合流した。何を話していたのですかと問われ、男性が「緊張について話していた。自分は友達といる時でさえ、本当の自分を出せている感覚がない」と言った。その話を聞きながら思った。多分、人間には二種類いる。オープンな人と、ガードをしている人だ。表面的には明るく見える人でも、明るさを装うことでガードをしている。早口も似ている。早口になることで自分をガードしている。元気な人と、元気っぽい人は違う。元気な人と一緒にいるとこちらも元気になるが、元気っぽい人といると疲れる。理由は単純、それが『作り物』だからだ。元気があることは、テンションが高いということではない。逆だ。元気な人は、基本的に自然だ。だからこそ一緒にいて安らぐことができるし、抵抗なく楽しめる。女性は言った。私も、まるで自分の外側に壁を築くような感じでワーッと一気に話すことがある。本当の話をしたいという思いはあるが誰でもいいという訳ではなく、人によっては「お前にそこまで踏み込まれたくない」と思うこともある、と。

 

愛と信頼は似ている。どちらも自由を与える。信頼とは、この人は絶対に自分を裏切らないとか心の全部を見せてくれるはずだという関係性の押し付けではなく、相手に何かあった時も無理やり踏み込まず「話したくなったら話すだろう」と待つ(ただ、一緒に時を共有する)態度だと思う。愛と、愛っぽいものは違う。愛は人間をオープンにさせるが、偽りの愛は人間をガードさせる。誰かに対して「なんで心を開いてくれないの!?」と嘆く時、まさにその態度こそが相手の心を閉ざさせていることは多い。期待される役柄を演じるのではなく、素直な自分を出したいという思いは誰の中にもあるが、誰にでも出せるものではない。決め付けや押し付けなどのジャッジが無い状態で、はじめて人は自分の本当を差し出すことができる。

 

嫌なことやって生きるより、やりたいことやって死のうよ。

どうやら私は男性といる時と女性といる時とで態度が違う。女性は本当によく喋る。そして、喋りながら自分で答えを見つけて勝手にスッキリしていく。それを見ながら「よかったね」と(まるで祖父のように)思う。私の祖父力は高い。だが、祖父力が男性に発揮されることはない。男性といる時は「あんまり自分に捕まるなよ」と思う。昨日も似た感じだった。女性は自分のことを話している時は物凄い生き生きとしている。だが、その途中で男性が自分の話をしはじめると、一応女性は話を聞きはするのだが先ほどまでの輝きはない。そしてまた女性が話す番になると、再び燦然としたキラメキを放ちながら自分の話をする。それを見ながら思った。男は自分に捕まったらダメだ。女に使われているくらいがちょうどいいのだ。 

 

女性は話した。今日は坂爪さんに報告したいことがあります。私も、来月末に晴れて家を捨てて放浪生活に入るのです。ずっと前から「海のある場所で暮らしたい」という思いがあったのですが、ちょうどよいタイミングで住み込みで働けるリゾートホテルを屋久島で見つけて「えいやっ!」と飛び込んだらあっという間に移住が決まりました。実は最近彼氏とも別れてずーんと沈んだりもしていたのですが、これまで付き合ってきた人たちは忙しい人たちが多くて、あ、これは「忙しい人と付き合うことで自分の時間(自由)を確保したがっていた自分がいたんだな。でも、ある程度の自由を自分に与えることで、本当の思いに従って生きることを封じ込めていたんだな」ってことに気付いたのです。本当にやりたいことをやらない言い訳に彼氏を使っていたというか、ああ、これはもう自分には要らない考え方だなと思って捨てることにしました。スマホのアプリを消すみたいに、自分にはもう必要ない考え方はどんどん捨てちゃえばいいのかなっていうのが最近の気持ちです、と。

 

スマホのアプリを消すみたいに、自分にはもう必要ない考え方はどんどん捨てちゃえばいい。素敵な言葉だ。坂爪さんには目標はあるのですが、いつまでこんな生活を続けるつもりですかと聞かれた。目標はない。武道館に降臨するとは最近言い続けているが、最大の目的は音楽をする(生きる)ことだ。武道館に降臨できなければ音楽をやめるとか、そういうのはない。あるわけがない。あったら嘘だ。死ぬまで生きること。生きることが手段であって目的だ。死ぬまで生きたい。いつまでこんな生活の「こんな生活」が何を意味するかは不明だが、瞬間瞬間における自分のやりたいに従って道を選ぶ気持ちは死ぬまで貫きたい。これは態度の問題だ。攻める。生きている限り攻める。自分を守ったり誰かに合わせると(私の場合は)死ぬ。いともたやすく様々なしがらみに飲み込まれがちな私だが、全身を悶えさせて「ふんが〜!」と前に突き出す姿勢を貫きたい。嫌なことをやって生きるより、やりたいことをやって死のうよ。多分、この思いは死ぬまで変わらないのだと思う。 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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自分を一番否定していたのは自分だった。

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久米島を経由して那覇牧志にいる。久米島ではN様にご招待いただき、小規模なイベントが開催された。N様は、過去にネイティブアメリカンの聖地シャスタのガイドをしていた。私はネイティブアメリカンが好きだ。前に「子育てで重要なことは二つ。翼を与えることと、根っこを与えること」的な文言を読み、感銘を受けた。日本で語られる自由には翼の要素が強いが、根っこがなければ根無草になる。

 

おおまかなスケジュール

3月30日(火)那覇関西国際空港

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

 

必要なものは与えられる。

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N様は女性だがシャスタに惚れ込み、日本から毎月のようにアメリカに通った。いつしか「シャスタについての本を書きたい」と強く思うようになり、ビザで行けるギリギリの期間である三ヶ月滞在することを決めた。シャスタはレンタカーがないと行けない場所にあるため、往復航空券と滞在期間中のレンタカーを手配した時点で所持金はなくなった。これでは現地でどうすればいいのだという不安も強くあったが、それでもN様は「えいやっ!」と実際にアメリカに飛び立った。最悪、車で寝ればいい。寝袋もある。覚悟を決めてアメリカに向かったN様に奇跡は起きた。シャスタは人生を変える聖地と言われる。N様も、実際にそこで人生が変わった。

 

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シャスタに着いたがあいにくの雪で道は塞がれていた。周囲を見るとアメリカ人のカップルがいる。自分と同じルートを辿っていたのだろう。その後も何度か顔を合わせ、会話もするようになった。その日の夜、男性の方が「君はこれからどこに行くの?」と尋ねた。N様は「何も決めていない」と言うと、それなら近くに僕らの別荘があるから君も一緒にきたらいいよと言った。このままでは車で寝るしかなかったN様は誘いを喜び、一緒に別荘に行った。彼らのもてなしは温かく、このまま好きなだけいたらいいよという感じになって、結局N様はそこに一ヶ月半程度滞在することになった。そのカップルはN様から一切の食費や滞在費を取らなかった。

 

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自分にお金があれば「大丈夫です」と断ることもできた。だが、本当に自分には何もなかったからこそ受け取る練習をさせてもらえた。彼らとの時間から数々の大切な学びを得たが、とりわけ食事の時間が印象的だった。N様は厳しい家庭で育ったために、食べる時も早く食べなさいとか綺麗に食べなさいなどと叱られることが多く、常に萎縮をしていた。だが、そのカップルは料理の準備に何時間もかけ、屋外で火をおこしのんびりとした時間の中、自然と一緒に料理を楽しんだ。ああ、これが『食事を楽しむ』と言うことなのかと衝撃を受けた。生きることがそのまま生きがいになるような豊かさを目の当たりにし、これまで培ってきた価値観がゆっくり溶けるのを感じた。聖地シャスタで過ごした時間はN様に忘れられないメッセージを残した。それは「もう自分には嘘をつかなくていい」というメッセージだった。

 

 
 
 
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自分を一番否定していたのは自分だった。

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今日は天秤座の満月で、パートナーシップや調和や美意識がテーマだと言う。ちょうど海から月が昇る時期だったので、イベント参加者全員で夜の海に行く時間が設けられた。集まった女性陣の中には「夜の海ははじめて」と言う人もいた。確かに女性にはちょっとハードルが高いのかも知れない。こういう時にイベントの力は大きい。一人では行けない場所に、みんなとなら行ける。N様の誘導による瞑想タイムが設けられた。右手に男性性を、左手に女性性をイメージしてください。そして、それを月に掲げながら重ね合わせて自分の胸の中に入れてみてください。男性性はエンジン。女性性は司令塔です。そのようなことをN様は言い、なるほど、司令塔はやはり女性性なのだなと学んだ。男性性ではなく、女性性が司令塔なのだ。

 

参加者の女性から印象的なことを言われた。自分が本当に話したいと思うことも、相手にそれを受け入れるキャパシティーがなければ全部を話すことはできない。相手の器以上の話はできないし、最初は自分の話を聞いてもらいたくて時間を作ったはずなのにいつの間にか相手の悩みを聞かされることになるケースも多いから、本当に話したいことを話すことは難しい。男の人を見ても「あ、この人には全部を出したら死ぬな」ってわかるから自分を出すことはできない。だから、自分を二人作って自分の中で循環させていくことを女性は覚えるのだけれど、どうしたって一人でやれることには限界がある。坂爪さんはそれこそシャスタみたいなもので、山の懐は大きいからちょっとやそっとぶつかったくらいではビクともしない。だから、安心して自分を出し尽くすことができるし、涙を流すこともできる。強い女性ほど「泣いてはいけない」と言われて育つから、自分の感情を出すことよりも抑えることにエネルギーを使う。女性が泣ける場所が少ないというのが問題だと思う。と。

 

自分と繋がる。自分を愛する。感情を取り戻す。五感を大事にする。しばしば耳にする言葉だが、これらは「自分の好きを取り戻す」ことだと思う。誰かの期待に応えるためでもなく、好かれるためでもなく、ちゃんとやるためでもない。ただ、自分がそれをやりたいと思った気持ちに真っ直ぐに従うこと。これができた時、たとえ周囲からの承認は皆無だとしても必ず清々しさをもたらす。怖さを覚えるものから目を逸らすのではなく、怖い感情を打ち消すでもなく、怖いなら怖いまま「えいやっ!」と飛び込む勇気。怖くてもいいから、恥ずかしくてもいいから、嫌われてもいいから、逃げ出してもいいから、そのままの自分を出す。そうすると、世界の皮が一枚剥がれ落ちる。その皮は「自分を一番否定していたのは自分だった」という皮だ。自分を否定する皮が剥がれ落ちた後の世界には、本当はこうあるべきなんてことは一つもなかった風景が、本当は何をしても大丈夫な風景が広がっている。

 

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「かなた」 詞曲 Keigo Sakatsume 

 

悲しいことは 勝手に起こる

苦しいことは 勝手に起こる

 

楽しむことだ 楽しむことだ

わけもないぜ ハブ・フアン

 

全部をなくして はじめて気づいたよ

僕たちはいまも生きている 生きているから

 

君が行くなら 僕も進もう

道は違えど 共に歩もう

 

楽しむことが 僕らのゴールだ

そこで会おう ブラザー

 

誰かを好きになることを 好きになろう

死んでしまうほど生きてやる 生きてやるから

 

何度も 何度でも はじめよう

 

知らない街の 知らない線路

知らないひとと 懐かしい空

 

僕たちはこの空を知ってる

大丈夫さ フューチャー

 

水平線を昇る朝日が かなたまで

まぶしいくらいに生きている 生きているから

 

何度も 何度でも はじめよう

何度も 何度でも はじめよう 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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やりたいなら、やろうよ。

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与那国島の商店でカップラーメンを買おうとしたら、店内のラジオで「私は50代の女性なのだけどダメージジーンズに興味がある。だけど年齢が年齢だから履くことに抵抗があるのだけれどどう思いますか?」みたいな人生相談が流れていた。安くて量の多いカップラーメンを手に取りながら「履きたいんでしょ、履こうよ」と思った。履きたいなら履こうよ。行きたいなら行こうよ。やりたいならやろうよ。

 

おおまかなスケジュール

3月27日(土)与那国島石垣島那覇
3月28日(日)那覇久米島那覇
3月30日(火)那覇関西国際空港

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

 

知識より知恵。情報より情熱。

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与那国フェリーは死ぬほど揺れるから気を付けろと散々聞かされていたが、実際に乗ってみたら結構平気で風を浴びながら延々ギターを弾いていた。こうなると逆に「俺に武勇伝をくれ」みたいな気持ちになる。揺れないに越したことはないのだが「いやあ、あの船は死ぬほど揺れるから大変だったよわっはっは」みたいなことを自慢したい。いっそ俺を殺してくれとも思ったが、否、やっぱり無事でよかった。

 

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揺れたらどうしようと思うより「せっかくなら死ぬほど揺れてみろ」と思っている方が、自分を守るより「かかってこいや」と自分を開いている方がいいのだと思う。情報より情熱。情報に左右されると正解を求めて右往左往する。いらない情報に惑わされて知ったつもりになり、実際に体験する前に決めつけてしまうことも多い。だが、世界に対して「かかってこいや」と自分を開くことができている時、たとえ敗れても「なるほど、これが世界か」とそれなりの納得を得る。直接的な知恵を得る。船は後部座席の方が揺れないだとか、クンバハカ呼吸法が効果的だとか。

 

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与那国は(私の心象風景かもしれないが)厳しい島だと感じた。うまく言えないが憎しみを感じた。それは、戦争で侵略された韓国人が日本人によって姓名を奪われたような憎しみだ。与那国は無論日本だが、そこに対する抵抗を見た。私は本土側(新潟)の人間だから、憎まれる側の人間だ。直接的な憎しみを受けたわけではないが、ここでは自分は異端なのだなと思った。最西端の地から眺めた水平線は、自由より悲しみを感じた。地球は丸い。丸い地球に端っこなんて本当は存在しない。

 

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やりたいなら、やろうよ。

明日以降石垣と久米島と大阪に呼んでいただけたので、数日後には沖縄を離れる。離島には娯楽がないからと、結構多くの人々が酒を飲む。都会に比べれば確かに娯楽は少ないが、食べることも飲むこともスマホを見ることも、感情をシャットダウンするには最適な方法だ。食えば、飲めば、スマホを見ていれば、自分のことを考えないでいられる。だが、私たちが本当の意味で求めているものは「本当に話したいことを話せる間柄」ではないのだろうか。誤解を恐れずに言うと、スマホを見ている姿は美しくない。自分をごまかし続けていると、浅い会話しかできなくなる。

 

前回の記事で「歌が嫌いな人間はいない」と書いたが、歌うことに抵抗を覚える人間は多い。それは、幼少期に「うるさい」と周囲(特に親)から怒られた経験があるからだと思う。声が小さい大人は多いが、声が小さい赤ちゃんは皆無だ。赤ちゃんは、誰もが死ぬほど通る声で泣き叫ぶ。あんなにも小さな体で、あんなにも大きな声を鳴り響かせる。我々は全員そうだった。だから、私はボイトレという概念に違和感を覚える。声は、覚えるものではない。取り戻すものだ。思い出すものだ。

 

海に行くと、結構多くの人々がバカヤロー!と叫ぶ。あるいは愛してるぞー!と叫ぶ。まったく正反対の言葉に聞こえるが、私は同義語だと思う。愛しているはバカヤローに支えられている。バカヤローに支えられていない愛しているだなんて表面的で嘘臭い。叫べない好きなんてたかが知れている。好きに見返りを求めるなんてナンセンスだ。愛に見返りを求めるなんてナンセンスだ。ただ、心のままにバカヤロー!あるいは愛してるぞー!と叫ぶ、その瞬間の爽快感こそが報いになる。そこには、周囲の評価が入り込む余地なんかない。生きるということは、バカヤローと愛しているの融合体だ。行きたいなら行こう。会いたいなら会おう。歌いたいなら歌おう。踊りたいなら踊ろう。やりたいならやろう。きっと、そこに未来はある。

 

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「ジュリー」 詞曲 Keigo Sakatsume

 

恋に恋をした また 傷がひとつ増えた

でも明るい未来を信じるんだ ジュリー

 

一輪の花を見ろ とても綺麗ではないか

吹き荒れる雨風に 負けるな ジュリー

 

望んで生まれた訳じゃないけど

生きることを望んでいない訳ではないし

 

わたしの 代わりに 生きている

 

故意に恋をした コラ またいつものやつだろう

性懲りもないいい加減目を覚ますのだ ジュリー

 

みんなもがきながらも 幸せに手を伸ばすよ

完璧な人間はいない 受け入れろ ジュリー

 

遊びで生きてる訳じゃないけど

遊びで生きてはいない訳でもないし

 

ひとつの 命を 生きている

 

愛に恋をした ほら きっとまた会えるよ

奇跡は何度でも起きる さあ顔上げろ ジュリー

 

ああ 思い出していた 君と 歩いた道

夢中で走り出す君が大好きだ ジュリー

 

世界は愛でできていると思ってたけど

どうやら世界は恋でできているようだ

 

あなたは もうひとりの わたしです

あなたは もうひとりの わたしです

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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大事なことは、出発することだ。

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黒島を経由して石垣島にいる。明日は船で与那国島に行くのだが宿泊先が決まっていない。ブログを書いていると時折「死ね」と言われる。いわゆる誹謗中傷という奴だが、安心してくださいと言いたい。お前に死ねと言われなくても、私は必ず死ぬ。死なないように生きるというよりは、幸せに死ぬために生きている気がする。

 

おおまかなスケジュール

3月26日
(金)石垣島与那国島
3月27日(土)与那国〜石垣島那覇
3月28日(日)那覇久米島

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

人間に中毒するな。

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人生は、絶望と共に生きるにはあまりにも長く、希望と共に生きるにはあまりにも短い。世の中にうまく馴染めない自分をゴミに感じることもあるが、自分を惨めな被害者と考えるか勇敢な冒険者と考えるかは自分で選べる。自分に同情をしたら人生は悲劇だ。青臭い言葉だが夢を諦めたらダメだ。夢を諦めると自分と同じ夢を生きる人々を憎むことになる。誹謗中傷の一部にそういった憎しみを感じる。私に死ねという人々は、私を見ることでもしかしたら自分もその夢を生きることができたかもしれないという可能性を見せつけられることが苦しいのだろう。だが、私を殺したところで第二の私が現れる。大事なことは自分が自分の人生を生きることだ。

 

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世の中はどんどん便利になって、人間はどんどん不機嫌になった。あらゆるサービスが行き届くと「何かをしてもらって当たり前」というメンタリティが醸成される。自由も幸せも喜びも、自分以外の誰かが自分に与えてくれるものになる。だが、そんなものは嘘っぱちだ。誰かに与えられる幸せには限度がある。究極の幸せは「俺は俺の運命を追求した」という実感と共に、幸せに死ぬことだと思う。幸せには二種類ある。家畜の幸せと荒野の幸せだ。家畜になれば餌も住居も与えられる。だが、永遠に幸せの檻に閉じ込められたままだ。お前はそのままでいいのか。

 

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本当の思いを遮るものは人間だ。人間に中毒すると、自分の本当の思いを生きるよりも先に周囲の顔色を伺う生き方になる。愛する恋人のため、愛する家族のため、愛する両親のため、など、全部言い訳だ。自分のためにやっていると言えなければ誤魔化しだ。月並みな幸せに惑わされて自分の本当の思いを手放すと、常に他人と比較を続け、常に敗北感と劣等感を抱き続ける人間になる。それは、とても苦しい地獄の日々だ。誰かに死ねと言う暇があったら、一回本気で死ぬことについて考えてみなさい。一年後に死ぬとしたら、お前は同じ生き方を続けるのか。それでも誰かと比較をするのか。人間に中毒するな。自分の思いに中毒しろ(と言いたい)。

 

 
 
 
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大事なことは、出発することだ。

何かを好きになることは楽しいだけではなく、時に辛さや厳しさを伴うものだ。好きな気持ちは持っているだけで辛いから、何度も捨てそうになってしまう。好きだからこそ、好きなものを憎むこともある。しかし、どうしてもそれを捨てることはできなかった。好きなものを捨てることは、自分の命を捨てることと同じだった。諦めかけては戻り、諦めかけては戻り、何度も何度も食らいついていく中で思い知った。自分は、ただ思い切り「好きだ」と叫びたかったのだと。好きに見返りを求めていた自分は甘ちゃんで、自分は自分の好きにただ殉じたかっただけなのだと。

 

時折「自分も本当は歌いたいのだが、歌うことに強い抵抗がある」と話す人と出会う。話を聞くと、小さな頃に歌を馬鹿にされた記憶があることがわかる。馬鹿にされる前は大好きだったはずのものが、馬鹿にされたことで押し殺されてしまう。しかし、音楽が嫌いな人間は一人もいないと思う。歌うことが嫌いな人間は一人もいないと思う。ただ、思い切り大きな声を出すだけでも振り払っていける何かがある。だから、抵抗を覚えるからと言ってやめてしまわないで、もしも何かを「やりたい」と思う気持ちがあるのなら、それを自分に思い切りやらせてあげて欲しいと思う。好きなものを好きだと叫ぶことができたとき、うまいへたはどうでも良くなる。そこにあるのは、長年閉じ込められていた自分の魂が解放される歓びだけだ。

 

私は音楽が好きだ。ジジイになっても黄金のロックンロールを奏で続けたい。夢は「それによって金持ちになること」でも「有名になること」でも「誰かに認められること」でもない。ただ、自分がやりたいと思うことを自分にやらせてやるだけのことだ。歌うことが夢ならば、歌った瞬間に夢は実現している。歌は、見えないベールを引き裂く。人間から本当の思いを奪い去るものを引き裂き、断絶を生む精神のベールを引き裂く。あらゆるものから解放された時、私たちは剥き出しのハローを、そして剥き出しのアイラブユーを叫びたがっている魂の存在を知る。難しいことは何もない。思い切り声を出すことによって振り払っていける何かがある。その先には、ただ、あまりにも単純な「好きなものを好きだと叫ぶ」思いだけが残る。

 

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「MOTHER」 詞曲 Keigo Sakatsume

 

そのままじゃいられないと 耳を塞がれても 

そこまでして生きてたいと思えないよな もう

 

臆病者のまま 生きるより

勇敢になって 死にたいよな MOTHER

 

引き裂いていこう 引き裂いていこう

引き裂いていこう to say hello & I love you

 

引き裂いていこう 引き裂いていこう

引き裂いていこう to say hello & I love you

 

横ばかり見ていないで たまにゃ縦を見ろよ

終わりばっか見ていないで 始まりを見ろよ

 

雲間に光が射した 夜に

生まれた場所まで 還るだけだよな MOTHER

 

引き裂いていこう 引き裂いていこう

引き裂いていこう to say hello & I love you

 

引き裂いていこう 引き裂いていこう

引き裂いていこう to say hello & I love you

 

破裂して 粉々に 砕け散ったなら

また 会えるよな MOTHER

 

引き裂いていこう 引き裂いていこう

引き裂いていこう to say hello & I love you

 

引き裂いていこう 引き裂いていこう

引き裂いていこう to say hello & I love you

 

愛も 夢も 見えない 意味も 価値も

消えない 傷も 星も 道も 知らない

 

君のいない 世界 なんか いらない

ない ない ない ない ない ない 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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生きられるだけ生きて、ああ愉しかったと野垂れ死ぬぜ。

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波照間島の海岸にいる。明日から黒島と与那国島久米島に行く。非常にありがたいことに「片道交通費だけ出すので来てくれ」と言っていただけたのだ。与那国島は日本最西端の島で隣は台湾だが、S様から「台湾に住むゴダ(私の友達)に愛を叫んで来てください」という極めて独特なミッションを受け、行くことになった。

 

おおまかなスケジュール

3月25日(木)波照間島石垣島〜黒島
3月26日
(金)石垣島与那国島
3月28日(日)石垣島那覇久米島

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

日本最南端の塩を求めて。

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波照間に来た目的は二つ。一つはパブリックな場所には書けないのだが、もう一つは「日本最南端の塩を舐める」ことだ。波照間在住M様と断崖絶壁に足を運び、自然が作った塩を探して徘徊した。車で迎えに来てくれたM様は「旅の疲れはないですか?」と優しく尋ねた。私は、笑顔で「考えないようにしています」と答えた。M様は女性だが東京から北海道まで自転車で旅をしたこともある猛者で、道中、サンゴ礁でできた死ぬほどギザギザな崖を素手でよじ登ったりした。リゾートよりアドベンチャー。リゾートみたいな旅行よりはアドベンチャーな方が好きだとは思っていたが「これは落ちたら死ぬ奴だな」と死を感じたため心身共に引き締まった。

 

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私はどうも人間が苦手で集団の中に入ると速攻で落第する。M様に「人間を苦手だって思うことはないですか?」と尋ねたらあるに決まってるじゃないですかと満面の笑顔が返ってきた。昨夜、同じ民宿にいた女性四人組の声が死ぬほど下劣で頭痛が収まらずコロナより政府よりお前らが絶滅しろと呪詛をかけながら宿の毛布を持ち出して道端で寝た。俺は何をやっているのだろうと思うことが1日に15回くらいあるが、深夜、おそらく私が不貞腐れているであろうことを察したM様が「月でも見に行きましょう」と私を楽園に連れ出してくれた。9割はクズで1割本物。医者や弁護士は全員凄くて、無職やホームレスは全員クズと言うことはない。あらゆる業界は9割のクズと1割の本物で構成されている。ダメな奴は医者でもダメだし、ダメな奴はホームレスでもダメだ。当然、この9対1の法則は自分自身にも当てはまる。私の9割はクズだが私の1割は素敵だ。問題はこの1割をどこまで守り抜けるかだ。

 

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生きていると色々あるが塩を舐めると回復する。塩はすごい。実は相当疲れていた私も塩を舐めた途端超回復を遂げて「走って帰りましょう!」と踊り叫び転んで泣いた。膝小僧から流れ出す血液を眺めながら「生きてる」と思った。荒波を眺めるたびに思うが、あいつらの凄さは生きる力を叩きつけている所だ。自然の猛威は見るものを緊張させる。なんだかちょっと説教されている気持ちにさえなる。生ぬるい生き方をしてんじゃねえよ。中途半端なことをやってんじゃねえよ。もっと激しく生きてみろよ。自分の本気も知らねえまま生きるだなんてお前は本気なのか。と。別に自然はそんなことを言っているつもりはないと思うが、私は勝手にそう解釈する。あいつらは「生きろ」と言っている。そしてそれを実際に体現している。

 

 
 
 
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生きられるだけ生きて、ああ愉しかったと野垂れ死ぬぜ。

私には自殺をした知り合いがいるのだが、彼は最後に繋がりを感じない的なことを言っていた。私は彼の気持ちがとてもよくわかるものだから「そうだよな」的なことを感じたが、世界との繋がりが断たれて自分はひとりぼっちなのだと思うと人間は簡単に死ぬ方向に向かう。生きる意義を見出すことがとても難しくなるのだ。離島にいると一期一会という言葉をよく目にする。そりゃそうだよなと思う。少数の人間が生きている中で勝手なことをしていたら共同体から弾き出される。だが、都会では別に自分なんかいなくても社会はまわるように感じるから一期一会という言葉も空疎に響く。自分は必要な存在だと思えない時期が続くと精神は闇落ちする。

 

私は現在35歳で特定の仕事もしていなければ結婚もしていない。その状態を自由だと感じる時もあれば、俺はこれまでの人生で何一つ繋がりを築けていないのではないかと闇落ちすることもある。自分以外の人間がうまいこと社会と折り合いをつけて家庭を築いたり職歴を築いたり世界との関係を築いている中、自分だけからっぽなまま生きてきてしまったような心許なさを覚えることがある。そのあてつけとして死のうかななどと思うこともあるが、小中学校時代に野球部に所属していた私にはあの頃に学んだ教訓が二つある。一つは「空振り三振をすることは、見逃し三振をするよりずっといい」ということ。そして、もう一つは「繋いでいくこと」だ。

 

9回裏。自分のチームは大差で負けている。最初のバッターが進塁した。次のバッターがヒットを打つ。長打だ。一塁ランナーがホームに帰ってくる。一点。まずは一点を返した。点差は開いたままだが、ここで解説者は「大事なことは繋いでいくことですね」と叫ぶだろう。そうだ。大事なことは繋いでいくことだ。どれだけ大差をつけられていても、繋いでいくこと。諦めないこと。そうやって奇跡の大逆転劇を起こした野球チームは決して少なくない。どうしても自分を『負けている側』として考える癖が抜けないが、 それは逆転サヨナラホームランという言葉に途方もないロマンを感じているからだと思う。だから、負けるなと思う。自分みたいな人間全員に負けるなと思う。そして同時に待っていてくれと思う。いつか、お前に生きてて良かったと思わせてやるからその時まで待っていてくれと思ったりする。すると、不思議に力を得る。繋がりがない自分でも、繋いでいこうとすることで力を得る。断崖絶壁に打ち付ける荒波(新潟市立青山小学校時代のチーム名は青山あらなみでした。優勝経験あり〼!)のように生きる意思を繋いでいくこと。辛い時はこの曲を聞いてくださいと言いたい。波照間島で歌いました。Everything is Fine。

 

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「Everything is Fine」 詞曲 Keigo Sakatsume

 

顔も見せないで 親不孝ものと呼ばれなにしてんだっけ ねえ

隠せないぜ 変わらないためには もう変わってくっきゃねえ

 

こんな土曜日は とんとごぶサタデー

あほづらさげて もう やるしかねえ

 

Everything is Fine, gonna be all right

またゼロになるだけだ 行け 

キリがないぜ 感情 乱高下 やっちゃなんねえことこそやれ

行き当たりバッチリだ 飛べ 下見ちゃダメ!!

 

もう世知辛いぜ 空飛ぶギターに乗って 旅に出ようぜ

恥ずかしいセリフ 恥ずかしげもなく言ったもの勝ちだ

 

顔洗ったら 行け あほんだら

最短距離で また 這い上がれ

 

Everything is Fine, gonna be all right

身のほどを知れだと? うるせえ

生きられるだけ生きて ああ愉しかったと野垂れ死ぬぜ

腑抜けども 俺を見やがれ でも 真似しちゃダメ!!

 

Everything is Fine, gonna be all right

またゼロになるだけだ 行け 

キリがないぜ 来世も 乱世 竹槍でマンモスを狩れ

血に塗れた笑顔浮かべ さあ 悪あがけ

 

Everything is Fine, gonna be all right

冥土の土産なら いらねえ

生きられるだけ生きて ああ愉しかったと野垂れ死ぬぜ

この命 燃え滾らせて “GO!! Everything is Fine!!”

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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全部やろう。人間の全部。

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石垣島の民宿にいる。今回の旅路のメインは明日からの波照間島で、3月25日以降は人生的に予定がない。基本的に呼ばれた場所に移動をする生活をしている。そこで誰かに会うこともあれば「私の代わりに行ってきてくれ」と身代わり旅行をすることもある。財布も予定もガラ空きなので、必要な方がいたらお声掛けください。

 

おおまかなスケジュール

3月25日(木)以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu

 

野生動物みたいですね。

今日お会いしたN様に野生動物みたいですねと言われた。なぜそう思うのか尋ねたら「ものすごいいまにいるように見える」と言われた。シャーマンみたいだとも言われた。お会いした方から「体がピリピリする」とか「温泉に入っているみたい」とか「理由がわからないのだけど涙が出る」とか「次の日筋肉痛になった」などの報告をもらう。女性に多い。昨日、自分を教会にして日曜電話礼拝なるものを行った。今日はちょっと気分が晴れないなと思う人がいたら電話をください、みたいなことをやった。すると、複数名の方から実際に連絡が届いたため、電話で話した。

 

ある女性は電話越しに泣きながら懺悔をしてくれた。自分には好きな人がいるのだがもしかしたらその人は犯罪をおかしているかもしれない。だが、そんなことは周囲の誰にも話せないから坂爪さんに聞いてもらえたらと思って電話をした、と。私は黙って話を聞くことしかできないが、聞き続けている間に話し手は自分で答えを見つけて「話していたらなんとなく見えてきました」となってくれることは多い。こう言う時、ミヒャエルエンデのモモを読んでいてよかったなと思う。また別の人は「気分が晴れないから電話をしました」と連絡をくれた。何をしても、何もしなくても、一日は終わる。そう思うと何かをしなくちゃと焦ってしまうこともあるけれど、それでも「焦らないぞ!」と自分を戒めつつ、毎日自分と心理戦をしている。そういう感じの電話だったが、その人は笑っていた。気分が晴れない時も「気分が晴れない」と実際に口にできたら、気分は晴れる。不思議だ。話す相手がいれば、分かち合える相手さえいれば、ネガティブな出来事さえも笑いのタネになる。

 

今日お会いしたN様は、過去にアメリカのシャスタという山のガイドをしていた。シャスタに惚れ込んだN様は毎月ガイドをやるために日本とアメリカの往復航空券を取る日々を過ごした。金銭的に余裕がある訳でもないし、行ったら行ったで宿や食事はどうするのかなどの不安は無限にあったが、それでも毎回「えいや!」と思いながら航空券を取っていた。毎回ビビりながら生きていて、それでも、毎回どうにかなっていた現実があった。現在は事情があって沖縄の離島にいるが、あの頃の自分を懐かしく思い出すことが多いらしい。あの頃の自分は生きていた。それに比べて今の自分は生活に不自由はないが心が大きく動くこともない。我を忘れて、全部を投げ捨てて、真っ直ぐに自分の好きなことに向かっていたあの頃の自分が愛しくてたまらない。そう話しながらN様は涙を流した。私はただ、涙を流すN様をニコニコしながら眺めていた。ら、N様から「野生動物みたいですね」と言われたのだ。普通の男だったら、もっと焦ると思うのに坂爪さんは焦らないのですね、と。

 

全部やろう。人間の全部。

N様は言う。島の人たちは本当にいい人たちなんだけど自分の全部を話せる訳じゃない。本音を出しても伝わらなかったり変わり者扱いされることが多いから徐々に萎縮をしてしまって、ただ、坂爪さんになら話を聞いてもらえると思って連絡をした。島で生きられる人と、自分との明確な違いを感じて毎日ものすごい寂しい。島の人は自分の本当の想いに触れるのが怖いから避けているように見える。テレビの話とか、介護の話とか、病気の話とか。私はシャスタが本当に好きでこれがあれば他には何もいらないと心の底から思っていた。あの時の気持ちでこれからも生きていきたいと思いながらも、もう一人の自分が「そんなことはいっても年齢が」などと言って諦めさせようとする。自分の心がどんどん閉じて行くのを感じて、このままじゃダメになると思っていたタイミングで坂爪さんと会えていることが嬉しい。

 

話を聞きながら「自分の心を殺すことは、自分のこどもを殺すことと同じだ」と思った。私は、孤独を感じるのは光がないからだと思っていた。だが、違った。孤独を感じるのは光を見てしまったからなのだ。N様は「自分は心を閉ざしている」と言った。心を閉ざしている状態とは、誰かからもらったとても綺麗なロウソクを大事に使わないで引き出しの中に保管しているようなものだと感じた。ロウソクを大事に保管しておけば汚れることもないし消え去ることもない。ただ、ロウソクは鑑賞するためのものではない。保管するためのものでもないし、コレクションするためのものでもない。ロウソクは「燃やす」ためのものだ。そして「周囲を照らす」ためのものだ。心を閉ざしていることが苦しいのは、本当は燃えたいと思う魂の思いに反するからだ。無傷で死ぬことが我々のゴールではない。死なないために生きることが我々のゴールではない。傷だらけになっても、周囲からボロクソに言われることがあったとしても、それでも「私は生きた」と高らかに言える生涯を送るために、私たちはこの世に生まれてきた一本のロウソクみたいなものではないのか。

 

シャスタを案内していた頃はテント泊も日常茶飯事だった。昼間は何も気にならないリスの立てる物音が、夜、テントで一人きりの時に聞くと「うわっ!」と本気でビビり、私はなんでこんな生き方を選んでしまったのだろうかと激しく嘆く。それでも、朝が来て山々の稜線を昇る朝日を目にした瞬間「私は生きている」と強く思うことができる。そうN様は話した。セットなんだと思う。光も影も。絶望も希望も。どうしようもない自分がいるからこそ、たまらない瞬間はより一層輝く。最後の最後でN様はもう一回泣いた。泣きながら「どうしようもない自分より、心が動かない自分が一番苦しい。本当の話をできる人と出会いたい」と言った。ああ、わかる。わかるよと思った。そう思いながら微笑んでいたら「やっぱり野生動物ですね」と言われた。神経が図太くなければ慌てるはずだ。それなのに笑って泣かせてくれるあなたは偉大ですねみたいなことを言われて、いい気持ちになった。全部やろう。人間の全部。喜と怒と哀と楽の間にあるグラデーションの全部を生きよう。

 

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「BE THE LIGHT」 詞曲 Keigo Sakatsume

 

誰も生きたことないような そんな生き方をしたいのさ

こうあるべきの外側まで 連れ出してくれるパスポート

 

宇宙規模で見るなら全部 小さなことだろと笑って

同じ穴のムジナになった きっと全部は繋がってる

 

BE THE LIGHT 誰も生きたことないような

BE THE LIGHT そんな生き方をしたいのさ

 

人が嫌いな訳ではない 一人で生きたい訳でもない

人よりほんのちょびっとだけ 一人の時間が欲しいだけ

 

闇の中を生きる姿に 唯一無二の光が射す

葛藤と爆発を生きる 君だけは僕の味方さ

 

BE THE LIGHT 誰も生きたことないような

BE THE LIGHT そんな生き方をしたいのさ

 

火を噴く前の火山のように 溶岩に咲く野薔薇のように

あたたかな摂理に抱かれて この世の矛盾全部抱いて

 

裏切りの先のもっと先 もっと先には赦しがあり

悲しみの奥のずっと奥 愛ならずっとここにあるぜ

 

BE THE LIGHT 誰も生きたことないような

BE THE LIGHT そんな生き方をしたいのさ

 

オーロラになんてなれないし 汚れた川に響く無口な愛

全部やろう人間の全部 喜怒哀楽の全部握り締めて

 

過去も未来もここにはない 憂鬱も退屈も喪失もない

ただ強烈に今を叩きつける ご覧 これが僕らのラブソングさ

 

BE THE LIGHT 誰も生きたことないような

BE THE LIGHT そんな生き方をしたいのさ

 

手を 手を 手を 手を離すなよ

手を 手を 手を 手を離すなよ

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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愛することは、賭けること。

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核爆発が起きて世界が滅亡する夢を見た。SF映画のように警報機が鳴り響いた後、機会音が「核戦争、終了」と最終アナウンスを告げた。私は、咄嗟に身近にいた人物を抱き締めて「愛してる、愛してる、愛してる」と繰り返した。少し離れた場所に兄がいた。兄を見ながら「手だけでも(繋ごう)」と思ったが、そう思ったのも束の間、ついに核爆発が起きて木っ端微塵に砕け散るその手前で、夢から覚めた。

 

おおまかなスケジュール

3月21日(日)以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

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手を繋ごう。片思いでもいいから。

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夢から覚めると「間も無く目的地です」と船上アナウンスが流れていた。那覇から大東島までは15時間かかる。必然、船の中で寝ることになる。夢か。そう思いながらも、見た夢があまりに生々しかったためにメモを残した。意識が吹っ飛ぶ直前に思ったことは「愛してるよ」と「手を繋ごう」だった。ひたすら愛してるよとつぶやきながら愛する人物を抱き締めて、少し先にいる兄に手を繋ごうと願った。普段どれだけ「いつ死んでもいい」などと強がって見せたところで、最後の最後に出た言葉は「死にたくない」だった。本当の本当は「みんなで生きていたい」だった。

 

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南大東島には様々な植物が群生していた。 

 

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冬に咲く秋桜と、向日葵と、鳳仙花。

 

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満点の星空を眺める時、星々の一つ一つは遠く遠く離れていることを思う。私たちは星空などと一括りにしてそれを呼ぶけれど、もしかしたらあの星も「一人だな」と泣いているのかもしれない。だけど、離れて見ればそれは一人きりじゃない。星々の輝きと、それを支える孤独のようなものに思いを馳せてしまった。一人だなと泣いている星々の輝きを綺麗だと言うのなら、私たち人間もこの星を生きる流星群みたいなものだ。いつかはこの星を離れる切なさを抱えながら、誰もが今を生きている。遠いアングルから地球を眺めたら、それは愛しさの塊に見えるのだろう。

 

 

愛することは、賭けること。

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誰かを愛することは、人生を賭けるみたいなところがある。本気で人と人が関わる時、お互いを別人に変える力が宿る。深く関わることを避ける限り、自分も、相手も、同じでいられる。自分は自分のまま、相手は相手のまま、適当な距離感を維持したまま、それなりの間柄を続けることができる。それは、居心地の良い関係かもしれない。ただ、自分の心に正直になってみると、本当は「もっとめちゃめちゃになりたい」と思っていることを知る。自分の理性、自分の客観性、自分の思想、自分の世界観、自分のプライド、そういったものが一回全部溶け出してぐちゃぐちゃに混ぜ合わさるように、自分以外の何かと交合したい。自分が自分でなくなるほど、頭がおかしくなってしまうほど、何かを強く思ってみたい。それくらいに熱中できるものと出会えたことは、それほど本気になれるものと出会えたことは、たとえ傷ついたとしても幸せと言えるのではないか。傷つくことを恐れて生きた人生より、思い切り愛して傷つくことの方が、確かな命を生きたと言えるのではないか。

 

愛の別名は、破綻だと思う。当たり前だが、破綻は嫌だ。平和で穏やかな日々が続けばいいと願う。だが、平和で穏やかな日々に寄りかかるあまり、自分を変えていけなくなる。新しい世界に踏み出す勇気を、新しい自分に変わっていく勇気を、平和が、穏やかな日々が、ゆるやかに奪う。何をする時も「破綻をしないためにどうすればいいか」という思考になる。だが、破綻しないように自分を守るのではなく、破綻したとしても構わないと思わせる力が『愛』だと思う。この点において、愛は、本当に恐ろしいものだ。愛は、一切の制限を取り払う。そのことの自由さと、そのことの恐ろしさ。ただ、一つだけ言えることがある。破綻は愛のゴールではない。愛のスタートが破綻なだけであり、破綻の先に浮かび上がる『何か』がある。その『何か』こそが、自分を次のステージに導き、新しい自分に出会わせる。

 

歌も、踊りも、悲しいときに生まれる。楽しいときに生まれる。苦しいときも、嬉しいときも、一人のときも、誰かといるときも、喧騒の中で、静けさの中で、歌は、踊りは、湧き上がる。これは愛も同じだと思う。あらゆる感情の中に愛はあり、歌や、踊りを通じて、それらは空間にリリースされる。歌うと、わかる。踊ると、わかる。私たちは、ただ、愛したいだけなのだということがわかる。傷つきたくないとか、嫌われたくないとか、そういう思いは二の次で、一番純粋な部分は「ただ、愛したい」と叫んでいることがわかる。それがうまく伝わることもあれば、全然うまく伝わらないこともある。ただ、確実に残るものがある。それは「自分は、愛した」という手応えだ。手応えだけは、確実に残る。それは、傷という形で残るかもしれない。涙という形で残るかもしれない。恥ずかしさという形で残るかもしれないし、不甲斐なさという形で残るかもしれない。それでも、傷つくことを恐れて何もしないことよりは、ずっと、いい。誰かを愛して傷つくことは、誰一人愛さないことよりも、ずっと、いい。愛することを許された時、私たちは自由になる。愛に制限はない。自分に制限をかけているのは、ただ、自分だけだということ。誰もいない場所で何度も何度も何度も歌った。歌っているとわかることが二つある。一つは喜怒哀楽の全部は生きているものだけの特権であり、真っ直ぐに表現することが喜びになるということ。そして、もう一つは「いつの日か歌うことさえもできなくなる日が来る」ということ。傷つくことを恐れていては、本当の意味で人を愛せない。愛さないことよりも、思い切り愛して傷つく方が、ずっと、いい。

 

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「ハイリスク・ノーリターン」 詞曲 Keigo Sakatsume

 

エス 野良猫みたいに 夜の街を駆け出した

エス 掃き溜めで光る これが 本当の俺だ

 

拗ねず驕らず諦めず まっすぐなまま生きていく

さようならのど真ん中を めがけて 突き抜ける

 

エス 恋に落ちたなら どん底でもしあわせで

エス 故郷に帰るなら 別に死ぬのも悪かねえ

 

きっと 何度も何度でも 俺たちまだ笑えるぜ

この世ランドは片道切符 さあ 出かけようぜ

 

男の人生はつまり ハイリスク ノーリターン

男の人生はつまり ハイリスク ノーリターン

 

エス 愛でたい夜には 強い肯定の美酒を

エス 消えたい夜には 俺を俺を俺を見ろ

 

明日死ぬかも知れないし 今日の全部を出さなきゃな

天国なら ここにあった ほら 楽しもうぜ

 

男の人生はつまり ハイリスク ノーリターン

男の人生はつまり ハイリスク ノーリターン

 

世界が俺を叩いても 絶対負けねえからなって

ノーを叫ぶその姿に でかいイエスを見たのだ

 

男の人生はつまり ハイリスク ノーリターン

男の人生はつまり ハイリスク ノーリターン

 

男の人生はつまり ハイリスク ノーリターン

女の人生もつまり ハイリスク ノーリターン

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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一人ぼっちの君のために。

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南大東島に向かう那覇のフェリー乗り場にいる。今の生き方をしていなかったら何をしていたと思いますかと時折聞かれるが、多分、自殺か発狂をしていたと思う。自殺をしていたらいばや通信は存在していないが、いばや通信を書いている自分は発狂しているのかもしれない。発狂しているくせに「発狂していない」と思うことは傲慢だ。死ぬか狂うか。私は、生きるために狂う道を選択したのかもしれない。

 

おおまかなスケジュール

3月16日(火)以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu

 

開拓者精神を学びに。 

北大東島のパンフレットを見ると「人の上陸を拒み続ける島」と書かれてある。那覇から遠く360キロ離れた大東島は百年前まで無人島だった場所だ。そこに八丈島から入植者が上陸したのが明治33年。かなり最近の話だ。南大東島と言っても台風情報で目にする以外は「どこにあるの?」となるが一般的な反応だ。私も一昨日までそうだった。だが、昨日突如「大東島に言って来い」と言う指令がくだされ、他人事が自分事になった。南大東島に、魂を持っていかれる伝説のラムがあるのだ。

 

私は(スマホはあるがデータ通信のみなので)携帯電話がない。大東島行きのチケットを買おうとしたら「電話がない人はダメ」と一回弾かれかけたものの「ダメじゃないです」と無理やり捻じ込み、どうにかしてチケットを入手した。島には港が三個あり、直前までどこから出港するかわからないので通常電話で連絡をするのだが電話がないあなたはせいぜい頑張ってください的なまなざしをいただいたので、私は「頑張ります」と思った。電話がない=乞食と思われたのだろう。係員から「野宿は島で禁止されているから宿を確保してからまた来てください」と言われた。公衆電話から島の宿に電話をすると「あいにく部屋は満席ですが24畳の研修室ならご用意できます」ということになり、明日、私は公式に研修室で一夜を越す。

 

人生は研修だ。我輩は開拓者精神を研修するために南北大東島に行くのだ。那覇で立ち寄ったコンビニのトイレに「婚活パーティー参加者募集!男性4000円!女性1500円!男性はみんな職業を持っているので安心安全!」みたいな張り紙がしてあってぶち破りたい気持ちになった。私は婚活とか出会い系とか合コンとかが異様に嫌いだ。目の前に二つのボタンがあって、一つが婚活に参加するボタンで、一つが(自分を含めて)人類が滅亡するボタンだったとしたら、迷わず後者のボタンを連打するだろう。色々な人に出会うが、死ぬほど綺麗な人でも出会い系サイトに登録していたりするからきっと出会いはあるのだと思う。だが、出会い系で出会うって世も末じゃないか。研修しろ、研修。お前らみたいな連中が島流しされて(略)。

 

 

一人ぼっちの君のために。

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先月、東京池袋にある自由学園の明日館に感動した。フランク・ロイド・ライトの作品だ。東京の目黒に、アントニン・レーモンド建築の聖アンセルモ教会がある。海外に行くとふらっと立ち寄れる教会が多数あるが、日本には滅多にない。だが、目黒の教会は海外のように自由だった。日本人はあまりに教会に馴染みはないが、Googleマップで「教会」と検索をかけるとここ那覇でさえ多数の教会がヒットする。教会があるということは、過去にここで伝道をした人間がいるということだ。石を投げられたり、拷問されたりしながら、伝道者たちは各地に教会を建設した。

 

私は、基本的に人生はなんでもありだと思っている。好きなように生きたらいいし、やりたいことをやればいいと思う。だが、時折「やりたいことをやることが本当に自由なのか」と疑問に思う。なんでもありだと思う反面で、同じくらい強く「普遍的な何か」「拠り所になる何か」「自分の中心に一本の芯を通す何か」を求める。行く先々で夕日を追いかけるようにワクワクした気持ちで教会を探してしまうし、寺や神社もそれなりに好きだが、教会に掲げられた十字架を見た時は不思議な安心感を覚える。十字架は今ではアクセサリーにも使われる一般的なモチーフになっているが、そもそもは罪人を処刑するための道具だ。磔刑は最もむごたらしいとされる拷問であり、手と足に釘を打ち、呼吸困難に陥らせることで人間を死に至らしめる。残忍な処刑道具の前で、我々は祈りを捧げたり、結婚の誓いを交わす。

 

私はロックンロールとキリスト教に多大な影響を受けた。ロックンロールとキリスト教は弱い人間に優しい。ダメな人間なんていない。ただ、自分はダメだと思い込まされている人間がいるだけだ。そういう人間に「生きててもいいよ」と言ってくれる何かを、温かくて優しくて激しい何かをロックンロールとキリスト教に感じる。静的な部分と動的な部分、喜怒哀楽の全部、人間的な葛藤と生命の輝き、逆説的なダイナミズムを強く感じるから好きだ。一人一人はいい奴なのに、社会が入り込むと冷たくなる。要る人間と要らない人間を容赦無く分断する。多分、私は、ロックンロールとキリスト教を通じて「お前、要るよ」と言ってもらったのだと思う。神の愛を伝えるなどと言うと大袈裟だが、それは、自分が一人ぼっちの時に「お前、要るよ」と言ってもらえたように、一人ぼっちの誰かに「お前、要るよ」と言い続けることなのだと思う。神様は、不必要な人間を作るほど愚かではない。人間社会は必要な人間と不要な人間を切り分けるが、神は無条件で人間を愛する。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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たった一人の反乱。

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昨夜は川崎市多摩区登戸のご家庭に泊まらせていただき、明日から沖縄県那覇市に行く。那覇でも宿無しなのでそこはかとなく泊めてくださる方を募集しつつ、緊急事態用のアルミシートを三枚購買して無料のキャンプ場に泊まることも念頭に置いた。珈琲道具一式も持参するから呼ばれた場所で野点カンタービレもやる予定だ。

 

おおまかなスケジュール

3月16日(火)以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

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人間は商品じゃない。作品だ。

行く先々であまりにも同じ質問を受けるから近日中にまとめたい。たとえば「連絡先などをオープンにしていて怖くないのですか」だ。無論最初は怖かった。知らない人に会ったら殺されるんじゃないのかと恐れた。だが、冷静に考えると「俺を殺すメリットがない」ことに気づき楽になった。この点は男性有利だ。女性は襲われる。だが、カフェを営む女性は連絡先も所在地も明らかにしている。カフェと俺の差は何か。同じだ。だが、誰もカフェオーナーに「怖くないのですか」とは問わない。ただ単に、カフェは大量にあるが家なし生活をしている人間は少ないだけの話で、前例の差だ。危険はない。世界は思うほど怖い場所でも厳しい場所でもない。 

 

将来の不安はないのですか。これもめちゃ聞かれる。答えは「ない」だ。そんなことより今夜の宿だ。そんなことより今夜のメシだ。将来よりもいまだ。いましかねえ。私の人生に将来が立ち入る隙はない。将来よりも今が不安だ。今が危機だ。瞬間瞬間が勝負だ。逆に言えば「瞬間瞬間を真剣に生きていたらいつの間にか寿命を迎えて死ぬ」だけだ。将来なんてない。あるのはいまだけだ。だから、いまを精一杯に生きていれば結果的によい人生になる。いつまでこの生活を続けるのですかとも聞かれる。この生活の定義が謎だが、それが「やりたいと思ったことをやること」を意味するなら、死ぬまで続ける。当たり前だ。人生はたった一人の反乱だ。

 

昨日お会いした女性に本を渡してそこに「人間は商品じゃない。作品だ」とサインをしたらああこれはもうダメです自分が一番言われたかった言葉ですと路上で号泣をしてしまった。私は「涙を流せるっていいよね」と思いながらニコニコしていたら通行人からこいつは女を泣かせてヘラヘラしていやがる最悪な男だ的なまなざしで睨まれた。私はよく睨まれる。睨むなら睨め。どんどん泣いてくれ。俺は悪者になりたい。ヒーラーが最近増えているが胡散臭い連中が多い。俺が本当のヒーラー(ヒール役のレスラー)だと言いたい。人間は商品じゃない。作品だ。巷には自分の商品価値を高めるなんて言葉が当たり前に使われているが最悪な言葉だ。なんだそれ。人間は商品じゃねえ。誰かの欲望を満たす道具じゃねえ。涙を溜め込ませる世の中よりも、私は涙を氾濫させる世の中を求める。人生はたった一人の氾濫だ。

 

たった一人の反乱。

F1のレースでイタリアのチームが先頭を走っていた。あと一周でゴールというところで車体に異変が起こり緊急ピットインをして緊急全体会議が行われた。ギリギリ走り切れるかもしれないが最悪の場合はゴールする前に車体が爆発して運転手は死ぬ。どうする。一瞬だが永遠とも思える密度の濃い悩みを経て、誰かが「俺たちはイタリア人だろ」と言った。俺たちはイタリア人だろ。これはGO(行け)を意味する。結果そのレースはイタリアが優勝した。私はこの話が大好きだ。俺たちはイタリア人だろという言葉がGO(行け)を意味するなんて格好良すぎる。仮に「俺たちは日本人だろ」と言った場合、永遠とも思える会議が開かれて何も結論が出ないままなあなあに時間だけが過ぎる気がする。情けない話だ。だから、私は私に新しいアイデンティティを求めた。それが『いばや』だ。緊急事態に置かれた際「俺たちはいばやだろ」と言ったら、それはGO(行け)を意味する存在でありたい。

 

実は昨日夜死ぬほど疲れていた。だが、ふと脳裏にローリングストーンズというワードが浮かび、転がる石、転がる石、転がる石、そうか、俺は転がり続ける石ころなんだよなと思ったら如実に元気が出て再び外に飛び出す活力を得た。やりたいことをやって生きてもやりたくないことをやって生きても最後には死ぬ。だったら「死ぬ前に思い切り暴れようぜ」と思い、飛び出した結果登戸で最高の時間を過ごせた。自分を守ると弱くなる。幸せは道端にある。お前は石だ。転がってなんぼだ。私はロックバンドをやっている。名前はTHE PRESENTSだ。プレゼントには贈り物という意味の他に『存在』という意味もある。カッコ良い部分もカッコ悪い部分も含めて、これが俺だ。これが俺からの贈り物だ。善悪ひっくるめて、喜怒哀楽の全部ひっくるめて生きる。それが贈り物になる。そんな意味を込めて名付けた。言葉は力だ。そうだ俺はTHE PRESENTSのボーカリストだ。血も汗も涙も作品だ。

 

誤解されると困るが(別に困らない)私は奢られたり無料で宿泊をすることを目的に生きている訳ではない。そんなものはただの手段だ。大事なことは「こういう生き方をしていなければ絶対に出会えなかった物事と出会い、触れ、交わり、生まれ出るもの」だ。瞬間瞬間を真剣に生きて、表面的で形式的な物事に中指を立てながらお互いの本質を刺激し合うような時間を過ごす限り、確実に血肉は活性化する。人生はライブだ。生身と生身のぶつかり合いだ。そこから生まれたものを私は言葉にする。私は音楽にする。私はそれを遺物(この星を生きた思い出)にする。こうあるべきという規制でお互いをがんじがらめに縛り合うことよりも、人間はこういう生き方もできるんだよという広がりを生み出したい。そして、死ぬ時に「ああ、よい人生だったな」と言えたら万々歳だ。最高な人生を贈ろう。自分に。世界に。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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やめられるなら、やめちまえ。

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祈り難きを祈る教会を熱海で開いた。アメリカ人のニックさんが「妻があなたのファンだから来た」と言うので、これはサプライズで奥様にお会いしたら面白いんじゃないだろうかと思い、ニックさんに「帰り道に車に一緒に乗せていってください」とお願いしたら快諾していただき、結局そのまま藤沢に泊まることになった。

 

おおまかなスケジュール

3月15日(月)以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu

 

言葉が与えられないから疲れる。

熱海から藤沢に向かう道中は大混雑を極めたが、おかげでニックさんおすすめの音楽を聞けた。みなさまはフェラ・クティというアーティストをご存知だろうか。ニックさんによると「彼はナイジェリアのミュージシャンだがアナーキストでもあったため何度も牢獄にぶち込まれている。自宅の周囲を高さ4mの有刺鉄線で囲みカラクタ共和国というコミューンを作って仲間たちと共同生活を送り国家との対立を深めた。のちにフェラ・クティはバンドメンバーである女性コーラス27人と同時結婚式を行うが、58歳にエイズによる合併症で死亡した」とのこと。物凄い経歴だ。

 

ニックさんの奥様はアーティストで、海外にも頻繁に足を運ぶなど精力的な活動を続けている。だが、最近はコマーシャルアートや資本主義全般に違和感を抱くようになっているのだと言う。どちらも興味のあるテーマだ。フェラ・クティのように豪放磊落な生き方をしている人は存在だけで周囲の人間を「そんなのってありなのか!?」と元気付けるし、商業的なものに中指を立てている人の姿には勝手に同士感を抱く。ニックさんは言う。僕も資本主義の全部がいいとは思わないが、かといって具体的なアイデアを出せる訳ではないし、生き方を大きく変える勇気はない。

 

突然お邪魔したら迷惑かなと緊張したが、奥様は私と言う異物を歓迎してくれた。焼酎を飲みながら開口一番「つまんないですよね」と奥様は笑った。私は自分を失ってしまうような作品が好きなんだけれど、そういうものに出会えることって本当に少ないからつまんないですよね、と。先日、京都で自然農法を営むR様も「やっていることは素晴らしいけれど、どこか嘘がある、どこか無理があると感じるものが多い」と言っていた。芸術も農業も人間の営みという点では同じだ。嘘があるものはバレる。誤解を恐れずに言えば、いま、ほとんどのものが嘘にまみれている。

 

やめられるなら、やめちまえ。

本当の人間や本当の言葉に触れたいと思って生きているが、なかなか触れることはできない。小学校時代から先生たちの言うことが信じられず権威を嫌悪するようになった私は、中学時代に本当の本当の本当に出会って「ああ、これだけは永遠だ」と震えた。全部嘘じゃねえかと思っていた中で、ああ、これだけは本当だと思えたものとの出会いは衝撃的で、あの瞬間、私は何かを『もらってしまった』のだと思う。何かを『もらってしまった』人間は、もらう前の自分に戻ることはできない。

 

言葉は悪いが「お前ら全員つまんねえんだよ」と思うことがある。言っていることもやっていることも吐き気がするほど正しいが、正しいが故につまらない。もっともらしいことを言う人物がもてはやされている現実を「つまらない」と思うし、何かをやりたいのだけれど人目が気になるとか嫌われるかもしれないとか好かれたいとかモテたいだとか、そういったもの全般を「つまらない」と思う。夢を追っていた人間も30歳を超えた辺りから「俺もいい年だし」などと言ってやめる人間が大量に発生する。私はそれを見てなんだそれはと思う。本当にそれをやりたいと思うなら死ぬまでやればいいじゃないか。それを年齢や環境を言い訳にやめるだなんて、その程度でやめられるものだったならやめちまえ。やめられるなら、やめちまえ。

 

お行儀ばかりよくなって、どんどん人間がつまらなくなる。芸術即生命。芸術が商品化したいま、人間も商品になってしまった。お前がお前である必要を感じられない瞬間が多い。お前がやる必要のないことはやるな。お前がお前である必要のあることだけをやれ。コマーシャルソング、コマーシャルアート、コマーシャルアイドルが氾濫するクソみたいな世の中を逆流する、人間の野性を響かせたい。真っ直ぐ生きたら、尖るのは当たり前だ。進化を続ける時代の流れに生き埋めにされた、原初の光を取り戻す行為。それが芸術であり、それが生きると言うことなのだと思う。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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