いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

お前の生き方は美しいから、もっと生きろ。

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沖縄本島南部にある温泉に一緒に行かないかと誘われ、那覇空港に向かっている。航空券を取ったのは昨日だが関西空港から片道6000円程度だった。私の場合、自分が行きたいと思って何処かに行くより誰かに誘われて受け身的に行くことが多い。自分の直感をあてにしていないというか、宇宙に身を委ねていると自分の想像をはるかに超えて面白い目に遭えると思っているのか、大枠以外は何も決めていない。

 

おおまかなスケジュール

6月25日(金)沖縄

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます) 

 

 

宇宙に楔を打ち込むように。

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自分のホームページを作り始めている。心ある方から「あなたは絶対自分のホームページを作った方がいい。いまはまだその必要性を感じていないと思うけど、ホームページが入り口となり、あなたを知らない世界に連れて行ってくれるはずだ」と言われたからだ。実際に制作をはじめてから、ああ、いよいよ自分の作品化がはじまったぞと思った。私は、これまで形に残すことを避けてきた。一箇所にとどまることなく流れ続けているもの。それをたまに目にした人が何かしらを感じてくれたらそれでいい、という風に思っていた。だが、そのステージが変わる。これからは、宇宙に楔を打ち込むように「これが俺だ」と、自分を作品化するのだと思う。

 

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何かを作るためにはコンセプトが必要になる。なんでもいいからどんなホームページにしたいか言ってくれと言われたので「私はロックンロールとキリスト教が好きです」と答えた。教会のように荘厳な雰囲気と、ロックンロールの無骨なサウンドのようにいまにも何かが飛び出してきそうな胎動、静と動をどちらも強く感じるようなものが好きだと答えた。圧倒的肯定力を伴うもの。あらゆる人生を肯定するようなものが好きだと答えた。こういうやりとりをすることで、自分が何を大事にしているのかが言語化される。作品化をする行為は、言語化を通じて可視化することと同じだ。自分が、どんどん可視化される。自分の輪郭が、どんどん明確になる。

 

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キリスト教と言えば十字架、十字架と言えば安藤忠雄光の教会ということになり、昨日急遽茨木に行ったのだがコロナの影響で見学は不可能になっていた。見れなかったことは残念だが、即座に足を動かした自分たちを称えたい。成功者と呼ばれる人々と交流を持たせていただくようになってから痛感するのだが、彼らは一様に行動が早い。まじで早い。本当に早い。スーパーマーケットで野菜を掌に乗せるように、自分の人生に欲しいものを投入する。軽やかで迷いがない。その姿は遊んでいるように見える。彼らは別に成功してやろうとは思っていない。うまく行こうがダメになろうが経験は残る。生きることは遊びであり、経験こそが成功になる。

 

お前の生き方は美しいから、もっと生きろ。

熱海の家を譲渡していよいよ私は家なしになった。毎日ホテルに泊まったり人の家に泊まっている。今夜の宿ももちろん決まっていない。大変だが、大変とは「大きく変わる」ということだ。私は何処かで大変さを歓迎している。一応日々は順調だ。小学5年生の頃、母親をひどく悲しませたことがある。私の両親は実家の新潟で理髪店を営んでいるため、土日は仕事をしていた。だから親と遊んだ記憶はない。ある日、母親が「次の日曜日は店をお休みにするから、一緒にサーカスを見に行かないか」と私を誘った。しかし、私は友達の家でテレビゲームをする方がいいなと思ったために「行かない」と答えた。すると、母親はほんの一瞬だけ、ものすごい悲しそうな表情を浮かべた。あの表情を、36歳になった今でも時折思い出す。

 

自分にとって大切な人を傷つけてしまったと感じた体験は、あれが最初だと思う。おそらく母親はこの出来事を忘れている。だが、私は死ぬまで忘れないと思う。大切な人を傷つけた記憶は永遠に残る。悔恨や懺悔の感覚に近い。だが、この傷痕は自分を整える。二度と同じ過ちを繰り返さないように、悔いのない方向に進ませる。熱海の家を譲渡する時、この出来事を思い出した。欲しがっている人がいるのなら、あげよう。変にケチって守り続ける道を選ぶと、多分、私は「あの時欲しがっていた人がいたのに、あげなかったな」と死ぬまで思い続けることになる。それが大事な人であれば、尚更だ。誰かを失って初めて「もっと色々なことをしてあげたらよかった」という悔恨が生まれる。良いことは、生きている間にすることだ。

 

道具は使い倒すためにある。車を新車同然に磨き上げる楽しみもあるが、使い倒してこその道具だ。人間は道具の主人であり、道具は人間の主人ではない。聖フランチェスコの祈りに「私を平和の道具にしてください」という言葉がある。車や家や金が人間の道具ならば、人間は神の道具だ。油断をしていると私たちは足りないものを嘆くが、違う。必要なものは全て揃っている。あとはそれを用いるだけだ。結果を考えるな。ただ、結果になれ。道具を求めるな。ただ、道具になれ。どう生きるかを考えるな。ただ、生きろ。ただ、用いろ。自分が消えて神の道具になれた時、逆説的だが、私たちは人間として生まれた最上の喜びを感じることができる。

 

 

聖フランシスコの平和の祈り」

 

主よ、わたしを平和の器とならせてください。

憎しみがあるところに愛を、

争いがあるところに赦しを、

分裂があるところに一致を、

疑いのあるところに信仰を、

誤りがあるところに真理を、

絶望があるところに希望を、

闇あるところに光を、

悲しみあるところに喜びを。

 

ああ、主よ、慰められるよりも慰める者としてください。

理解されるよりも理解する者に、

愛されるよりも愛する者に。

それは、わたしたちが、自ら与えることによって受け、

許すことによって赦され、

自分のからだをささげて死ぬことによって

とこしえの命を得ることができるからです。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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勝手に諦めるな。

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大津&近江八幡を経由して京都にいる。今日は一日運転手をした。運転させていただいた車はベンツで、能動的に「おっけい号」と名付けた。名前をつけると命が宿る。京都から高速に乗って梅田の銀行で用事を済ませ、難波の蓬莱で中華ランチをご馳走になった。その流れで、明日は熱海まで運転をすることになった。人間は恐しいもので、最初あれだけビビっていたベンツにも慣れた。多分、全部、慣れだ。

 

おおまかなスケジュール

6月22日(水)熱海

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます) 

 

 

からっぽになるほど、入ってくる。

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自分がからっぽになるほど色々なものが入ってくる。正確には、自分はからっぽなまま周囲がどんどん豊かになっている。とある国のとある民族にはビッグワンと呼ばれる存在がいて、非常に重要な役割を担っている。では、このビッグワンが何か飛び抜けたものを持っているのかと言うと、違う。ビッグワンは何も所有していない。ただ、ビッグワンの周りには常に情報が飛び交っていて、ビッグワンに相談をすれば必ず必要なものは与えられる、という橋渡し的な役割を担っている。何もないけど全部ある。それを体現しているのがビッグワンだ。ビッグワンは何も所有していない。ただ、無限とも呼べる豊かさが常にビッグワンの周囲を浮遊している。 

 

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私はからっぽなままだ。無職だし定期的な収入はないし家も明日の予定も人生設計も何もない。見る人が見たらダメ人間だし、自分でもそう思う。だが、比較的優雅な毎日を過ごすことができている現状が不思議だ。誤解されると困るが私はベンツに乗れていることを自慢したい訳ではない。ただ、自分がからっぽになるほど何かが入ってくることってあるよねと共感を求めたいだけだ。普通、健康になるためには「何を食べるべきか」が語られる。だが、実は、一番健康に良いのは「何も食べないこと」だったりする。足すことは容易だが、減らすことは人気がない。だが、足し算よりも引き算の方が大いなるブレイクスルーを人生にもたらすことは多い。

 

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運転手の仕事を終え、自転車で京都を周遊した。夕日が綺麗だった。当たり前だが、私たちはいつの日か必ずこの街を出て行く。永遠にこの場所にいることはできない。すべてに終わりの瞬間がある。終わりを思うこと、究極的には『死』を思うことは、足し算というよりは引き算の思考だ。いつまでもここにいることはできないんだよなと思うと、いまが輝く。今日は夏至だ。夏はまだまだこれからだが、日はどんどん短くなる。私たちは、いま、この瞬間も確実に若さを失っている。失って、失って、最後には失うことさえできなくなる日が来たときに、私たちは何を想うだろう。笑っているだろうか。泣いているだろうか。その、どちらもだろうか。

 

 

勝手に諦めるな。

私は咲いている人が好きだ。誰もが心の中に花を抱いている。だが、年齢を重ねるほどにその花は造花に近いものになる。ドライフラワーに近いものになる。見てくれは綺麗なのだが、実際の花が咲いていない。枯れていたり、プラスチックの作り物になっている。だが、時折、花が咲き続けている人物と出会う。そんな時は最高に嬉しい。花が咲いている人物には野生を感じる。それは品がないということではない。真逆だ。品格があって徹底的にチャーミングなのだが、躍動がある。サファリパークにいる動物のように、野生が波打っている。だから、一緒にいると生命の危機を感じる。当たり前だ。サファリパークに迷い込んだら危険を感じて当然だ。この危機感こそが生の実感だ。肉体や精神の躍動が、生きている実感をもたらす。

 

私たちは、凄い人を見ると「あの人は特別だから」みたいなことを思う。そして、自分と相手の間に境界線を引き、無意識に自分には無理という烙印を押す。誰にも何も言われていないのに、勝手に諦めて、勝手に一線を退く。あの人には才能があったからできたのであって、自分には出来ない。そう思うことは簡単だ。だが、そう思うことは卑怯だ。誰だって最初は素人だった。最初から小説を書けた人間はいない。最初はみんな初心者だった。できるできないじゃない。やるかやらないかだ。やるかやらないかでしかないのに、できるできないでごまかして勝手に諦める人間が多過ぎる。勝手に卑屈になる人間が多過ぎる。できることはたくさんあるのに、中途半端に投げ出して、被害者意識や自己憐憫に浸っている人間が多過ぎる。

 

人間は、自分が幸せになると決めた分だけ幸せになる。勝手に諦めるな。地球の覇気が下がる。普通の人間の振りをするな。それは命の冒涜だ。自分を生きろ。他の誰かになろうとするな。他の誰かに合わせたりするな。みんなと同じじゃなきゃいけないだなんて、そんな馬鹿げた話があるか。逆だ。みんなと同じであってはいけないのだ。それは自殺と同じだ。自分を生きることだ。誰かと比べて自分はこうだとか、ない。本質は比較で語れない。大事なことだから繰り返す。本質は比較で語れない。当たり前だ。自分と同じ人間は一人もいない。それなのに比べてばかりいたら馬鹿だ。本質は絶対的なものだ。だから、勝手に諦めるな。人間は、自分が幸せになると決めた分だけ幸せになる。勝手に諦めるな。欲しいものを取りに行け。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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楽しそうに生きている奴が、一番カッコいい。

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京都&熱海&逗子を経由して東京にいる。京都を好きになってから日本全国を好きになった。物事には一長一短がある。京都は、守られているが息が詰まる感覚もある。守られていると閉ざされているは紙一重で、人生も同じだ。幸せの檻の中に閉じ込められて苦しんでいる人をたくさん見た。心は鳥だ。鳥は鳥籠で飼うものではないと思う。鳥の幸せは飛ぶことだ。たとえ、それで死ぬことになったとしても。

 

おおまかなスケジュール

6月19日(土)東京

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます) 

 

 

拾った命。

京都では死ぬほどムラキテルミさんのお世話になった。今出川のラマルクにあるシュークリームは世界一美味しい。食べた瞬間好きな人の顔が浮かんで「食べさせたい」と強く思った。西陣のBOULANGE OKUDAにあるクランベリーのパンも常軌を逸していて「ここはパリか」と思った。京都は専門店が多くこだわりも異常だ。東京では功績や効能やこだわりを過剰に宣伝するが、京都は何一つ言わない。看板さえ出さない店もあるが、その中で貫かれているこだわりや美学は恐ろしいほどだ。

 

会話中に何気なくムラキさんが使う言葉に心臓が貫かれる。健康食品などを扱っていると時折ライバル他社や国民に健康になられては困る人々から命を狙わられることがある。普通だったら怯みそうなものだがムラキさんは怯まない。過去に余命三ヶ月と言われた肝臓癌から奇跡的に復活を遂げたムラキさんは「拾った命だから」と笑う。一回死んだようなものだから攻撃をされたって私はへっちゃら、生きている間に世界を少しでも素敵なものにしていけたら素敵よねと笑う。完全に素敵だ。

 

ムラキさんが扱う玄米黒酢を愛用している。現在の私に家はないが家ができたら調味料だけは一等品を揃えたいと願う。良い調味料が揃うと台所が宝石箱に見える。眺めているだけで幸せになる。いいものは人を幸せにする。本物は、それに触れた人間を本物にする。大袈裟に聞こえるかもしれないが、京都は「良い調味料を揃えた台所」みたいだなと思った。豆腐専門店のクオリティが尋常ではない。京都に暮らすと他で食べられなくなるという話をよく聞くが、事実、その通りなのだと思う。京都に暮らすムラキテルミさんが、それでも「やっぱりいい!」と思ったものを扱うエルシャンには本物だけが並ぶ。だからこそ、売れ続けているのだと思う。

 

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楽しそうに生きている奴が、一番カッコいい。

尊敬している女性の先輩がいる。昨夜、逗子駅で待ち合わせた。葉山界隈にセカンドハウスを構えたから来なさいと誘われたのだ。先輩は頭の先からつま先までお洒落だ。ぬかりがない。かと言って嫌味もない。私は、私を芋だと思っている。新潟生まれのポテトキングはお洒落な先輩に憧れている。先輩は、驚いたことに「車買っちゃった」とか言いながら外車で来た。漆黒のボルボXCシリーズだ。ボルボというチョイスに痺れた。ボルボは「誰一人死なせない」をテーマに物作りをしているらしい。惚れてしまうテーマだ。運転手はもちろん、仮に誰かを轢いてしまったとしても車の構造に最大限の工夫を凝らして与えるダメージを極限まで減らしている頑丈な車に乗る楽しさは大きい。自分は守られているのだという安心感は大きい。

 

実は最近私も京都でベンツを運転させていただいたり、東京で日本に500台しかないミニクーパーに乗せていただいたり、福島でリッター三キロのポルシェを危うく譲り受けそうになったり、札幌でキャデラックのエスカレードに拉致していただく体験をした。私自身は家も金も肩書きもない男だが、私の周りには異様に豪華なものがある。なにもないけど豪華なものに囲まれているのですよと先輩に話したら「私もだよ」と言った。先輩曰く「自分のものだって思うと執着みたいなものが生まれるけど、全部借り物、自分のものなんて本当は一つもなくって全部借り物みたいなものなんだって思えば、気持ちも楽になるしもっとシンプルに人生を楽しもうって思えるよ。やりたいようにやればいいんだって、私はずっと思っているよ」。

 

先輩の家の目の前には海が広がり、ここなら毎日サーフィンができるよと笑った。先輩はサーフィン興味あるのですかと尋ねたら「やったことはないけど超興味ある」と笑った。私も過去に一回しか経験はないが死ぬほど楽しかった記憶として刻まれている。今年の夏は道具一式揃えましょうと約束した。家の鍵を渡すからいつでも使っていいよと言われて私は震えた。サーフ道具一式揃えるため、私は労働をしたいと思っている。誰か私を日雇いで雇ってくださる方がいたらご連絡ください。何でもやります。現在地は東京ですが何処までも行きます。今日から暇です。死ぬまで暇です。楽しそうに生きている奴が勝つ。どんな組織も、どんなグループも、どんなバンドも、最終的には楽しそうにやっている奴らが最強なのだと思う。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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お前に足りないのは、愛ではなくて冒険だ。

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本当にすごい話は求人情報誌に載らない。テレビにも映らないしネットでも見れない。奇跡にも近いドラマティックな出来事は、必ず人を通じて起こる。嘘みたいな本当の仕事はこの世に無限にある。だから、もしも我々が我々に面白い人生を望むなら、外に出ることだ。普段歩かない道を歩くと、新しい運命が展開する。来月から京都に暮らすことに決めた。場所はまだ未定だが、今日、これから探しに行く。

 

おおまかなスケジュール

6月18日(金)熱海

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます) 

 

 

これが本当のゴールデンウィークだ。

驚いたことに今週は毎日労働をしている。7年振りの労働だ。勤務先はムラキテルミさんが経営する株式会社エル・シャンで、オフィスは京都の丸太町にある。ムラキさんといると毎日爆笑する。思考も行動も常軌を逸しているからだ。普通の会社だったら勤務中に逆立ちをしたりギターを弾いたり昼寝をしたり奇声をあげたり部屋中を走り回ったり上半身裸になって腕立てをしたりしたら、怒られる気がする。だが、驚いたことに、現状全然怒られない。まるでグーグル本社のように「そういう人材がクリエイティブな風を吹かせるのだ」と言わんばかりに、私を、私のままでいさせてくれる。だから、私も一通り奇行を済ませた後はしっかり集中をする。

 

株式会社エル・シャンは昨年から週休三日制度を採用している。友人の嘉向徹さんも働いているのだが、ある日、徹さんが「僕はあまり働きたくないので週休三日は欲しいです」と本音を告げた。それを聞いたムラキテルミさんは即座に会社を週休三日にした。労働日数を減らしたら売上も落ちるのかなと思っていたが、驚いたことに売り上げは伸びた。システムの効率化を図ることで生産性が何倍にも増したのだ。現在、株式会社エル・シャンは週休四日に挑戦をしている。週休四日にするためにはシステムの見直しが必須だ。しかし、それは「システムさえ見直せたら、週休四日も夢じゃない」という希望を生む。だから、スタッフは自らの休み欲しさで前向きな努力をする。結果、会社全体に前向きな雰囲気が生まれる。エル・シャンの空気は天国のように良い。だから、私のような人間もそこにいることができる。

 

凄い人といると、自分がいかに真面目で退屈で型にはまっている形式的な人間なのかを痛感させられる。ムラキさんは、言葉は悪いがぶっ飛んでいる。近くにいると「なんなんだこの人は一体!?」と何度も何度も何度も何度も驚かされる。この驚きが楽しい。時折、赤ちゃんにお金を持たせたらこうなるのかなとか思うことがある。天真爛漫も、行き過ぎると天災だ。だが、私は小さな頃から台風が来るとテンションがあがるタイプの人間だったので、毎日が楽しい。天災上等と思ってしまう。なんだか悪口ばかり書いてしまったみたいで気がひけるが、ムラキさんが扱う商品に間違いはない。私はエル・シャンの歯ブラシと歯磨き粉を愛用しているが、善い。江戸時代の職人は靴の中など外からは見えない細部もこだわり抜いた。口の中も同じだ。外からは見えないからごまかそうと思えばいくらでもごまかせるが、そこに力を注ぐのは粋だ。粋な男(女)の息になる。歯茎を磨いて人間を磨こう。

 

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お前に足りないのは、愛ではなくて冒険だ。

愛を求めて彷徨うより、冒険を求めて彷徨う方が楽しい。親から愛されなかったと嘆く人々とたくさん出会うが、どうしても私の中にいるクソガキが「そんなことより遊ぼうよ」と騒ぐ。悩みがあることはわかる。俺だってある。だが、ラフティングでもなんでもいいから尋常ではない激流をくだりながら生命の危機を感じている時に、同じことを悩めるだろうかと問いたい。言葉は悪いが悩むのは暇だからだ。観念的になるのは暇だからだ。そんなことで悩む暇があったら俺にバイクを買ってくださいと言いたい。俺にバイクを買ってくれたら後部座席にあなたを乗せてどこまでも連れて行ってあげるから、俺にバイク(今欲しいのはYAMAHAのSR400)をくださいと言いたい。一緒に高速で風を切ってバイク事故で死のうぜと言いたい。

 

愛されるとか愛されないより「欲しいものを取りに行こうぜ」と思う。卑近な例だが、私は現在原チャを所有している。原チャは便利だ。燃費もいいしニケツも出来るし維持費も安いし「今世はこれでいいか」と思ってしまう。だが、しかし、せっかく様々なバイクに乗る自由があるのだから、ちょっとでも乗りたいと思うのならばハーレーでもデュカティでもトライアンフでもなんでも乗ろうとする人生を選ぶべきだと最近思った。人間は年齢を重ねるほど腰が重くなる。新しい道より手慣れた道を選びがちだ。これが老化だ。最大のアンチエイジングとは、美容グッズを買うことではなく「新しいことに挑戦をすること」だ。ムラキさんには永遠の若さを感じる。ムラキさんは車を買う。免許がないのに車が買う。そして、車が実際に手元に届いてから免許を取る。そして、車の教官から「あなたは運転のセンスが壊滅的だから免許は取らない方がいい」とか言われている。そういう順番で生きている。言葉は悪いがめちゃくちゃだなと思う。めちゃくちゃだなと思うのだが、そう思う私の心には自由の風が吹いている。そよ風なんてレベルではない。自由の風が毎日毎日びゅんびゅん吹いている。愛の嵐に、私の心の髪の毛は毎日乱れている。

 

気分が乗っている時にアイラブユーと言うことはイージーで、いかに気分が乗らない時にアイラブユーと言えるかの勝負だ。日常的な言葉遣いには気をつけた方がいい。自分や自分の人生を否定する考え方とは距離を置こう。言霊という手垢のつきまくった言葉があるが、それは実在する。邪気は、ネガティブな言葉を通じて身体の内側に入りこみ、触れた者の内臓を蝕む。自分の価値を下げるような考え方を採用してはいけない。週休四日の道を歩くことで前向きになれるように、希望を感じる道を歩くべきだ。そうじゃなければ、生きていることが拷問になる。生きづらさを感じるのなら、それは単純に「そっちの方向に行きたくないだけ」だ。ただ、道を間違っているだけだ。自分にとっての本当の道を歩くべきだ。その道を歩いている限り、たとえ周囲の人間とは違う生き方になったとしても、自分を生きている手応えは強烈だ。自分を生きている人間は輝いている。周囲に自由の風を吹かせている。凝り固まった頭をほぐしてくれる方法は二つある。一つは、ムラキテルミさんのようにぶっ飛んでいる人間を実際に目の当たりにすること。一つは、遊ぶこと。遊ぶことによって創造力は花開き、また次の「やりたい」に出会う。そこには懐かしい自分がいる。鈴を鳴らすように無邪気に笑う、懐かしい自分がそこにはいる。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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目を背けたくなる出来事の中に、本当の思いがある。

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24歳の頃、ある不動産を通じて東京に家を借りた。担当者は私と同じ歳くらいの女性で、結構な数のピアスに革ジャンを着て仕事をしているファンキーな人物だった。即入居が可能だったので「すぐに住みます」と告げ、その日のうちに暮らし始めていたら夜に来客があった。驚いたことに、不動産会社の女性が合鍵を使って私の部屋に入ってきたのだ。すごいことをするなと思ってしばらく会話をした。女性は、昼は不動産でバイトを、夜は風俗の仕事をしているのだと楽しそうに話した。

 

おおまかなスケジュール

6月16日(水)京都

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます) 

 

 

傷を生きる。

23歳の頃、銀座嬢のAと付き合っていたことがある。当時はmixiというSNSが流行っていて、私はそこに自分の内面をさらけだす文章を綴っていた。偶然Aが私を発見し、ネット上で友達になり、コメントのやりとりをするようになった。当時私は東京の赤坂でカフェをしていた。そのことなども日記に書いていたら、ある日、Aが実際にそのカフェに来た。これまで顔なんて見たこともなかったが、Aが店に入ってきた瞬間「あ、この人はAだ」と瞬時に察知した。私に予知能力があるからではない。Aの存在感や空気感が、あまりに店の雰囲気と不釣り合いだったからだ。

 

Aは私の7歳年上で、色々な要素が重なり私たちは同棲をすることになった。Aの稼ぎは尋常ではなくあなたは働かなくてもいいと言われたが、カフェの仕事は好きだったので続けた。あの時期に、金がある生活というものをある程度体験した気がする。デカい家やデカい車や芸能人もよく来るパーティーだとかここには書き切れない背徳的なイベントの数々、いろいろな体験をさせてもらったが、正直「なんだ、この程度なのか」と思った。物質的には豊かだったが、心はどんどん冷えていく気がした。Aも同じだった。喜びと共に金を使うというよりは、見たくない何かがあってそれを見ないでいるために散財をしている、といった感じだった。時折、Aは自分の中に棲むバケモノを飼い慣らすことができなくなり、破壊的に暴れた。

 

水の仕事(水商売)や風の仕事(風俗)をしている人は、存在がその空気感をまとう。うまく言葉にできないが、存在に「冷え」を感じる。その人物が冷たい人間だという訳ではない。大概は優しい。優しすぎるほど優しい。その優しさが体を冷やしている、そして、その冷えは幼少期に父親との関係の中で生じた悲しみである、という印象を与える。風俗で働いていることを隠す女性もいる。だが、風俗で働いた痕跡を消すことはできない。誤解されると困るが、私は風俗を否定したい訳ではない。生きている限り、人間は何処かで「他者を諦める」瞬間がある。自分にとって大切な人には自分以外にも大切なものがあるということ。その事実を受け入れた時、傷にも似た境界線が発生する。私の母親は理容師だった。どれだけ私が泣き喚いても仕事があれば仕事に行く必要があった。私は、そのことで母親を恨んでいる訳ではない。ただ、母親には自分以外に大事なことがあって、どれだけ私が泣き喚いてもどうにもならないことがあるということを、細胞レベルで理解しただけだ。

 

目を背けたくなる出来事の中に、本当の思いがある。 

数日前、京都でK様とお会いした。これまで人前で踊るなんてことをしたことがなかったK様は、去年の11月、ひょんなきっかけでステージに立つことになった。踊りを披露する前に自己紹介をする時間があり、そこで何を話そうかと必死に原稿を書いた。できるだけ自分に正直な言葉で話そうと思い、どうにか書き上げたものを実際に声に出して読みあげてみたら、自分でもびっくりするくらい泣きそうになってしまう言葉があった。それは「私は、踊ることが大好きです」という言葉だった。書いているだけの時はそれほどだったのに、それを実際に声に出して読み上げてみたら、どうしようもなくこみ上げてくるものがあった。この涙は、何処から来るのだろう。苦しみは、自分にさせたいことをさせてあげられなかった悲しみだ。

 

どれだけ物質的に恵まれても心がどんどん冷え切ってしまうのは、一番欲しいものが得られなかったからだと思う。それは「自分を見つめるまなざし」だと思う。自分を見つめるまなざしがなければ、自分の存在の心許なさに押し潰される。これだけモノが溢れているのに無力感や無価値感が蔓延しているのは、誰も、本当に見てもらいたい部分を見てもらえていないからだ。誰も、本当に話したいことを話せていないからだ。他者への関与を諦めると、自分への関与も薄くなる。生き方が投げやりになり、生命感が希薄になる。自分なんかいてもいなくても同じだと感じたり、いない方がマシなんじゃないのかとさえ思う日もあるが、これは卑怯者の考え方だ。大切なものへの関与を諦める限り、常に、自分は大切なものと遠く隔てられているという感覚と生きることになる。いざという時にふんばりが効かなくなる。

 

金は表面的な問題に過ぎない。真の問題はコミュニケーションであり、その大元は家族にある。家庭は、安心の場所でもあるが、致命的な傷を与える場所にもなる。傷は癒すものではない。生かすものだ。傷に敗れると、運命に敗れる。傷を生かすということは、自分にとって大切なものに「関与をする」ということだ。目を背けたくなる出来事の中に、本当の思いがある。私たちは、傷つくことを避けて生きようとする。しかし、私たちは、本来、傷の中でしか生きられない生き物だと思う。傷の中を生きるとき、はじめて「本当の意味で生きている」と言えるのだと思う。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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そんなにたいしたことじゃねえよ。

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京都淡路徳島を経由して神戸にいる。平安神宮で蚤の市をやっていた。コロナなんてお構いなしの人混みだったが、私は現在家がないので家具や食器や日用雑貨などの骨董品を見ても自分とはまったく関係のないものに見えた。家がないだけで、買い物をする動機が一気に減る。偶発的な展開で下鴨神社の参道にある家賃40万円近いマンションを自由に使ってもいいと言っていただけたのだが、野宿を選んだ。マンションに背を向け野宿を選んだ自分に「何をやっているのだろう」と思った。

 

おおまかなスケジュール

6月12日(土)以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます) 

 

SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

 

美しさとは、磨き上げられた理性ではない。

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淡路島の海沿いにハンモックを張って寝た。昼間は暑いが夜は寒い。野営する前は必ず「こんなことはやめて室内で寝たい」と強く思うが、翌朝を迎えると必ず「野営をしてよかった」と思える出来事に遭遇する。今回のそれは美しい朝日だった。屋外で眠り朝日と共に目覚める体験は、今回の人生の中で何度もあった。その日の朝日が、これまでの朝日の記憶を一緒に連れてきて「ああ、俺は生きてきたのだなあ」という気持ちにさせる。良い映画を見た後のような爽やかな気持ちで一日を始めることができる。しかも時刻はまだ4時だ。一日をフルで楽しむことができる。

 

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残された人生を前向きに生きようとする時、切磋琢磨し合える仲間と出会いたいと願う時、周囲の無理解に心を挫かれることもあるだろう。自分の思いが何になるのか、自分の存在が何になるのかと、自分が自分を信じられなくなることもあるだろう。そういう時なんだよ、魂の根っこが深くなるのは。昔の自分に戻ろうとしたらダメだ。どうせ自分はなどと言って、引き摺り下ろしてくる過去の記憶に囚われちゃダメだ。顔をあげろ。前を見ろ。胸を張れ。誇り高く生きろ。成し遂げてきたことではなく、今、生きていることに胸を張れ。自分が自分であることに胸を張れ。

 

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もっともらしいものは正しいけれど、私は、別に正解を知りたい訳ではない。ただ、美しいものに触れたいだけだ。叩き出したいものは正解ではない。美しさだ。生身に宿る本当の姿だ。美しいものは、磨き上げられた理性ではない。欲望だ。真っ直ぐに差し出された欲望が、衣類を剥ぎ取った後に残る裸の欲望が、この世で一番美しい。欲望を押し殺すな。欲望を言い換えるな。自分の欲望を綺麗にコーティングして当たり障りない言葉に置き換える前に、一番純度が高い形で欲望を外に出すことだ。あなたに触りたいです。震えながらそう言った彼女は、輝いて見えた。

 

 

そんなにたいしたことじゃねえよ。

バイクや野営やロックが好きなのは、無防備になるからだ。剥き出しになるからだ。野晒しになる。危険が伴う。普通、危険は避けるべきものとされる。安全や便利が好きな人は車に乗る。家で寝る。紅茶を飲みながらヒーリング音楽を聞く。安全な方がいい。安心できる方がいい。当然だ。それなのに、なぜ、危険を求める心理が働くのか。人間は、命の危機にさらされると性欲が増大してこどもを残そうとする力が働く。私は、こどもの代わりに言葉を残す。言葉を生むために、自分を危険に置きたいのかもしれない。満足した豚に、飢えた狼の充実感は生み出せない。

 

私は悔しいという感情が好きだ。悔しさを認めている人が好きだ。悔しがっている人が美しいのは、戦っているからだ。生きているからだ。戦っている限り、人間は悔しさを覚える。勝つためではなく、負けないための戦いをしている人は美しい。戦場にいる人間は素敵だ。生きている。外野から野次を飛ばすだけの人間には決して宿らない輝きが瞳に宿る。悔しさ。惨めさ。恥ずかしさ。誰かを馬鹿にする人よりも、誰かから馬鹿にされる人の方が輝いている。真の恥ずかしさとは、恥を恐れて何もできなくなることだ。恥を恐れる人間は、実際に恥をかく人間よりも弱い。

 

淡路島を照らす朝日を眺めながら「そんなにたいしたことじゃねえよ」と思った。家がないとか金がないとか自信がないとか才能がないとか友達がいないとか将来の展望が何にも見えないだとか、そういったことの全部、そういったことの全部はそんなにたいしたことじゃねえよ。全部、全部、全部、この世の中にあるほとんど全部、実際はどうでもいいことばかりなんだよ。そんなことよりも見ろ、あの朝焼けを。美しい。地球は毎日毎日、こんなにとんでもないショーを行っているんだぞ。だから、ねえ、そんなにたいしたことじゃねえよ。生きたい世界を、生きなさい。やりたくないことをやっている時間なんてないよ。やりたいことを、やりなさい。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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LINE ID ibaya

ここにいちゃいけない、なんてことはない。

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横浜市鶴見区コメダ珈琲にいる。通勤中の人々を太陽が照らす。時折、自分がいままさに牢獄から解放された状態だとしたら世界をどういう風に感じるだろうか、という妄想をする。長い期間暗い檻の中に閉じ込められていたとしたら、日常生活を送れることをとんでもなく幸福に感じるだろう。普通に歩けたり、普通に働けたり、挨拶したら挨拶を返してもらえる現実を、とんでもない喜びに感じるだろう。

 

おおまかなスケジュール

6月10日(木)京都

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます) 

 

 

何もかも失ってからが、本当の俺だ。

最近は白米も玄米も重く感じていたため、主食がオートミールになりつつある。経済的な理由で一日一食程度だが、消化に使われるエネルギーが温存されるため体が軽い。食事の量が減ると睡眠時間も減る。最近は毎朝4時に勝手に目が覚める。少食になると暇になる。時間が大量に余る。暇だから食べる。自分を眠らせる(強制シャットダウンさせる)ために食べることがある。減らすと軽くなる。断捨離をしている。自分にとって大切なものほど手放すようにしている。私は野営を愛している。だが、野営道具を手放した。今は一回0になりたい。家ももうすぐなくなる。

 

自分の周囲にあるものを見回して「これだけは残したいと思うものは何か」と何度も問うた。ギターが最有力候補にあがるのだが、極論全部なくなってもいいなと思う。家を失うことは見方によれば悲劇だ。商売が失敗して夜逃げ同然で家を出る家族は不幸の象徴として語られる。だが、誰が不幸と決めるのだろう。現在を生きる我々にできることは、ただ、与えられた瞬間を精一杯に生きることだ。家がない状態を楽しめたら、その人は不幸ではない。あらゆる環境は遊具になる。ただ、人気のある遊具と、人気のない遊具があるだけだ。家も金も仕事もある遊具は人気だ。誰もが遊び方を知っている。だが「何もない」を遊具にした遊びは、まだまだ途上だ。健康になりたければ「何を食べるか」より「何を食べないか」を注視した方が効果的だ。足し算よりも引き算。ファスティングが最も効果的だと言われている。

 

モノが減ると不安が減る。管理の手間も減るし未来を憂う時間も減る。それよりも今。今に集中できるようになる。横浜の家は手放した。熱海の家は利用希望者の方が使っている。だから私には帰る家がない。横浜の家は春花が継承した。名前は「レディガガのお家」になった。春花も春花で財政難なので、今月中に新規入居者が見つからなければ春花も路上生活者になる。なので、住居を探している方は是非ご覧ください。私もたまに遊びに行きます。何もかも失ってからが、本当の俺だ。

 

note.com

 

わたり文庫『世にも美しい癌の治し方』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、ムラキテルミ著作『世にも美しい癌の治し方』です。愛するムラキテルミさんの最新刊であります。本そのものから出ている波動がめちゃめちゃ高い気がします。私は7回以上読みました。最高です。読むだけで運気があがります。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は神奈川県にわたりました ※※※

 

2009年5月、余命3ヶ月の原発性肝臓癌の宣告を受けた私は、癌において標準治療と呼ばれる「手術」「抗癌剤治療」での延命は難しいと言われました。

でも、幸運なことに、石原結實医学博士に出会え、誰もが自宅で出来る以下2点、「一日一食にすること」「体温を上げること」を実践しただけで、13ヶ月後には肝臓癌が溶けてしまいました。

あまりにも簡単な方法ですが、治癒に至るには1つだけ必要なエレメントがあります。

選択したことを信じて「継続する」ことです。成功するのは、成功するまで、し続けるからです。治癒させるには、治癒するまで、し続けることです。

ムラキテルミ『新版・世にも美しい癌の治し方』【KKロングセラーズ

 

ここにいちゃいけない、なんてことはない。

昨日は銀座のバーに呼ばれ、初対面の方々と話した。最近のマイブームはフルスイングをすることなので、できる限りベストを尽くそうと思ったが大敗した。一体一なら切り返せるが、相手が集団になると(しかも社交辞令が大半というか、表面的な空気に場が飲まれると)太刀打ちするよりも先に自分が枯れる。昨日の反省点は帰りますともっと早く言えばよかったこと。そして、どうせなら瞬間最大風速で自分の本音を言うこと。お前ら全員嘘つきだなと思ったら「お前ら全員嘘つきに見えます」と開始早々言えばよかった。そっちの方が後からの時間が絶対面白かった。

 

私は思う。優しい人と優しいっぽい人は全然違う。優しいっぽい人は他人に合わせる。他人に合わせるから表面的には優しく見えるのだが、中身は冷たい。話をしっかり聞いているように見えるが、それはただ面倒なことになりたくないという保身なだけであり、心を通わせる方向にエネルギーは使われていない。それよりも「自分をよく見せたい」とか「嫌われたくない」とか「いい人だと思われたい」というエゴが前面に出ている。これは相手を利用しているだけであり、乱暴な言葉を使えば吸血鬼のやることだ。自分のことがわからないとか、自分を愛すると言うことがどういうことかわからないという人ほど、冷えた人間が多い。優しいっぽい人は、優しさの裏で誰かを憎み続けている。外見は綺麗だが心がない。それに対し、真に優しい人は温かい。言葉に温度があり、眼差しに温度があり、行動に温度がある。

 

上手い言葉が見つからないが、大事なことは自分が自分に「ここにいてもいいよ」と言ってやれることだと思う。ここにいちゃいけないと思うと、有意義な話をしてはじめてそこにいてもいいだとか、面白い話をしてはじめて自分はそこにいる権利を得るだとか、謎の許認可制度が生まれる。許可なんてない。許可なんてはじめからおりている。あとは自分がそれを受け取るだけだ。誰かに認められて初めてそこにいることが許されるだとか、そんなふざけた話はない。沈黙を恐れる必要はない。何かを話さなきゃとか思う必要もない。ただ、話したくなったら話せばいい。ただ、動きたくなったら動けばいい。言葉だけがコミュニケーションの道具ではない。態度や仕草、空気感の共有からコミュニケーションははじまっている。自分が安寧の中で寛げていれば、その空気感が相手にも伝わる。場をつなぐとか、場にあわせるとか、それよりもずっと大事なことがある。それは「場を生きる」ことだ。

 

坂爪さん

昨日はありがとうございました!
いまだに昨日のことが夢だったような?現実だったのか??ふわふわした感じが続いています。


坂爪さんとお別れした後、すぐに本を読み始めて涙が止まらず。なんか魂が喜んでいるような感覚が久しぶりでした。


ずっと踏ん張ってないと壊れてしまいそうで、それが当たり前になってて
けど気がつかなくて


人に悪く思われたくないとか良く思われたいとか
人からどう思われるかを自分が思っていた以上にまだまだ気にしていたり


気づかないうちに紙粘土でごてごてに自分のまわりを固めていたのが、坂爪さんとお話ししてたら勝手にぼろぼろと壊れてはがれてきたというか。無意識に取り繕ってたなとか気がついて


涙がでたときに、はじめて苦しかったんだなって気がついたことに魂さんが喜んでる感じがしました。


自分で自分のこと考えてると思ってたけど、もっと奥の方の魂さんの声はしばらく聴いてなかったなと。頭でいっぱいこねくり回して疲れて、けどそれが当たり前になってた時に坂爪さんとお会いできるチャンスが突然やってきて。


勇気を出してよかったなって思います。
これからまた泣きながら=浄化 本の続きを読みます!


ずっと変に力が入っていたのがやっと抜けてきたようです。


本当に昨日坂爪さんにお会いできてよかったです!自分にも再会できた気がします。

ありがとうございました♪

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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余力を残してんじゃねえよ。

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波動が高いものに触れたい。一流になりたければ一流に触れなさいと言われるが、波動が高いものに触れることが大事だと思う。人にもモノにも土地にもエネルギーがある。現在の私は新居を求めて彷徨う路上生活者だが、訪れた先の銭湯で人間観察をする。利用者の血色の良さを見る。七福神みたいな人が多い地域は最高で、病気っぽい人が多い地域は波動の低さを物語っている(ということにしている)。

 

おおまかなスケジュール

6月5日(土)以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます) 

SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

 

全部、自分次第なんだよ。

波動が高い人と波動が低い人がいる訳ではない。全部、意識の問題だと思う。先日、やたら自分のことばかりを話す女性と出会った。彼女が語る内容の9割は愚痴で、聞けば聞くほど自分の中の花がしおれていく感覚を覚えた。話の次元が低いと思ったので、試しに「すみません、もう一つ上の次元で話してもらってもいいですか?(今のあなたからは良い波動が出ていません。それはきっとあなたが低い波動から言葉を放っているからだと思います。だから、あなた自身の波動をあげていただけたらきっとこの時間も面白い時間になると思います)」とお願いをしてみた。

 

そのあとはもう笑っちゃうほど全然違う時が流れた。一気に場の空気がほぐれて「自分が抱えている問題を誰かのせいにする」的なムードから解放され、全部が自分次第でありそれは自由でとても素晴らしいことだ、的な着地を見せた。意識だ。全部意識の問題だ。意識をどこに置くかなのだ。幸せな環境と不幸な環境があるのではない。幸せな考え方と不幸な考え方があるだけだ。環境を整えるためには時間や金や手間暇がかかるが、意識を整えることは一発でできる。無料だ。逃す手はない。波動が高いものに触れたいと思うだけで、元気になる。心が、上向きになる。

 

先日、銀座で高級ブランデーを飲むと言う調子こきまろな時間を過ごした。すべてご馳走になっただけなのだが、豊かさについて考えさせられた。我々凡人は富裕層を逆差別するが、凡人と富裕層の違いは「豊かな時を過ごそうと思う意思の違い」なのかなと思った。私は豊かな人が好きだ。豊かな人とは収入が多い人のことではなくて、本当においしいものを知っていたり、本当に美しいものを知っていたり、本当に役立つものを知っている人のことだ。豊かな人は、それに触れた人の心まで豊かにする。豊かな人と一緒にいると、こちらまで豊かな気持ちになる。豊かな人は良いものに対する妥協がない。良いものならどれだけ高額だろうが「安い」と思って買うし、程度の低いものならどれだけ安価だろうが「高い」と思って避ける。

 

余力を残してんじゃねえよ。

引き続き新居を求める日々を過ごしているので「それならここはどうですか」などあればお気軽にご連絡ください。それ以外でも呼ばれた場所には基本何処でも行きます。前回の記事で俺は麻布か赤坂か青山に住みたいなどと書いてしまったが、銀座のK様から「それじゃあなた、どんどん普通になっちゃうわよ」と釘を刺された。本当にその通りだ。私の役割はしっちゃかめっちゃかな毎日を送って読者の皆様に娯楽を提供することである。別にセレブな生活をすることがゴールではない。波動が高いものに触れたいとは思うが「時には低波動をくらってグハグハ言うのも楽しいよね」とも思っている。畢竟、毎日が楽しいものになればなんだっていい。

 

 

壇珠さんとの往復書簡も復活して楽しい。 

 

 

最近の気分は「余力を残してんじゃねえよ」であり、自分が持ち得るエネルギーのすべてを使い果たして死にたい。前回の記事に書いた物凄い出会いを忘れられず、身体の一部が火照り続けている。素晴らしい人と出会うと、自分が引き上げられる喜びを覚える。そして「もしも会いたい人がいるなら、自分から会いに行ってもいいんだよな」という当たり前のことを知る。本もいいし、動画もいいが、リアルな空間の共有に勝る瞬間はない。純粋な魂に触れたい。高潔な魂に触れたい。憧れの人物に会った時、恥ずかしくない自分であるために日々を全開で生きたいと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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魂は、危険に生きる喜びを求めている。

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先日、物凄い出会いをした。魂の気高さを目撃した。素晴らしい人物の波動にグイッと自分も引き上げられ、一気に次元が上昇をした。興奮と喜びと緊張で全身硬直するのだが、その更に奥で命が喝采をあげた。けいご、よかったなあ。生きているとこういう目にも遭えるんだよ。世界にはまだまだお前の知らないすげえ奴らがたくさん暮らしていて、その人たちはお前に見つけてもらうのを待っているんだよ。

 

おおまかなスケジュール

6月3日(木)東京都内全域
6月4日(金)茨城県ひたちなか市

以降、FREE!
(呼ばれた場所に行きます) 

 

 

人間を輝かせるもの。

横浜の家を春花に託し、都心における家なき子になった。誰か「それなら我が家に泊まりにおいで」と言う方がいたらご連絡ください。次に暮らす家を見つけたい。私の関心は麻布と赤坂と青山に向かっている。20歳の頃にとある事業家の女性にお会いした。その方は家賃100万円以上するホテルのレジデンスに暮らしている大富豪だった。複数の土地を所有しているが「私は絶対3Aしか買わないの」と言っていた。新潟から出てきたばかりの私は3Aが何を意味するのかさっぱりわからなかった。あとから、麻布・赤坂・青山の頭文字をとって3Aと呼ぶことがわかった。

 

事業家の女性は印象的なことを話してくれた。私が東京の港区に引っ越してくる前は横浜にいたんだけど、横浜は田舎だと思った。高級住宅地に住んでいたとしても周囲の顔色をすごい伺わなくちゃいけない。それに比べて3Aは楽チン。芸能人もヤクザも経営者も外国人も本当に様々な人間がいる。だから、誰も他人のことなんて気にしていない。それが私にはとても心地よかったの、と。20歳の頃の私は「ああ、そんなものなのか」程度にしか感じられなかったが、その方の話し方があまりにもチャーミングだったために、いまでも時折彼女の言葉を思い出す。言葉というよりも、その人が放っていた波動を思い出す。本当に凄い人は、出している波動も半端ない。彼女は明らかに輝いていた。一緒にいるこちら側まで照らす光だった。

 

何が人間を輝かせるのだろう。金か。金の有無は大きい。だが、それが全部じゃない。金は二番にしかなれない。これまでたくさん金持ちを見た。だが、全員が全員輝いていた訳じゃない。退屈な金持ちも結構いた。豊かな人は常にリラックスをしている。自分はこう見られたいという作為がなく、それよりも無邪気な時の重なりを楽しんでいる。お金持ちの人がよく言われる言葉のひとつに「そんなにお金があるのなら働かないでもいいじゃない」というものがある。だが、仕事を続ける彼(彼女)たちは思う。仕事をすることは自分にとって最高の楽しみでもあるのに、楽しむことをやめるだなんて意味がわからない。働かなくてもいいとかいう人は、働くことの喜びや楽しさ、挑戦をすることの面白さを知らない人なのかしら、と。

 

魂は、危険に生きる喜びを求めている。

魂の気高さ、魂の強靭さ、クリエイターとしての覚悟。その一つ一つが圧倒的で、私は強烈な自己反省を促されると共に心地よい痛みを得た。私がプロのテニス選手だとしたら、素人の方々と一緒にボール遊びをする時間も楽しいとは思うが、やはり「めちゃめちゃ強い相手と、本気を出し合ってぶつかり合う」瞬間にたまらない至福感を得るだろう。勝っても嬉しいし、負けても嬉しい。何が嬉しいかって、自分の本気を出せることが嬉しいのだ。楽をして稼げたらいいよね、などと思う部分が私たちの中にはあるが、そのさらに奥には命を燃やしたいという切実な願いがある。楽をしたいだなんて魂は求めていない。魂は思い切り生きたいと思っている。

 

命を燃やすことと損得勘定は両立しない。三日前、宮城県在住の男性から「話したい」と誘われ宮城に行った。その方はクリスチャンで、不登校のこどもたちのためにフリースクールもやっている。なぜ私に興味を持ったのか尋ねたら「坂爪さんは常識の逆をやっているからだ」と言われた。普通だったら安心安全な道を選ぶが、坂爪さんは危険な方向に行く。損をする方向に行く。過激な方向に行く。その姿を見るとなぜだかホッとする自分がいる。と。私はキリスト教とロックンロールに影響を受けた話をした。普通だったら死なないように死なないように生きるものだと思うが、三浦綾子塩狩峠を読めばわかるが「どう死ぬか」が問われているキリスト教の考え方に衝撃を受けた。私が弱い時にこそ、私は強い。逆説的だが、自分を守るほど自分は小さいものになり、自分を差し出すほど自分は大きいものになる。

 

魂は、危険に生きる喜びを求めている。楽をしたいだなんて魂は求めていない。魂は思い切り生きたいと思っている。命を燃やすことと損得勘定は両立しない。自分の毎日になんとなく煮え切らないものを感じるのならば、それは退屈をしている場合が多い。生温い日々に、守られた日々に、約束をされた日々に、自分が自分に退屈をしているのだ。損得勘定を超えることだ。危険な方向に、損をする方向に、過激な方向に舵を取る。損得勘定のつまらなさに飽き飽きしていたはずなのに、この後に及んでまだ計算をするのか。世界は臆病者でいっぱいだ。だから、チャンスはそこら中に転がっている。人生の面白さは計算を超えたところにある。臆病者のままで生きるのか、魂の気高さ、魂の強靭さ、クリエイターとしての覚悟を守り抜くのか。泣くか。笑うか。逃げるか。立ち向かうか。決めるのはいつだって自分だ。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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危険だってことは、やらない理由にはならないんだよ。

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岡山で味噌汁をご馳走してくださったM様が「去年の12月くらいから体調が悪くなり視力や聴力も奪われて朝起きられない日もあり、死を身近に感じるようになってから会いたい人には会わなきゃと思うようになった。だから坂爪さんに連絡をした」と話してくれた。また次があるさみたいなことを私は簡単に思ってしまうが、また次があると思っている人よりも次はないかもしれないと思っている人の方が、今をしっかりと生きている。ご縁というワードが苦手な理由はこれだなと思った。ご縁があったら会いましょうと言われるより、死ぬ前にどうしてもあなたに会いたいのですと言われた方がずっと嬉しい。なぜなら、その人の本気を感じるからだ。

 

おおまかなスケジュール

5月29日(土)大津界隈

以降、FREE!
(呼ばれた場所に行きます) 

 

 

生きるってことは、出し切るってこと。

私は本気に触れたい。綺麗に整えられた言葉より、泥臭い言葉に触れたい。下手くそでも不器用でも構わないから思いの込もった言葉に触れたい。本気に触れると本気を返したくなる。私は本気に触れたいのだ。本当の出会いで思い出す存在はみっつだ。みっつとの出会いは本当によかった。本気に触れると本気を返したくなる。本当の気持ちには、詩(うた)がある。詩人が表現しようとしているものがある。

 

私は今24歳で、現在所謂ニート状態です。父親の方針で学校に行かせてもらえず、かといって家庭内で教育を受けた記憶はありません。13歳頃まで静岡県に住んでいて、父親が逮捕されたことをきっかけに千葉県に引っ越してきました。執行猶予の判決を受け、拘置所から戻ってきた父親は以前にも増しておかしくなり、15歳の夏に母親と弟と共に逃げ出すまで、酷い虐待をされる生活が続きました。 

 

今なお傷を引きずっているのか、自分でもわかりません。しかし私の目には社会は厳しく映ってしまい、今まで働いたことはほんの僅かです。それでも憂鬱をくぐり抜けながら、何とか今まで生きています。インターネットや本を通じて、いろいろな文章を読んできたつもりですが、坂爪さんの言葉にほど惚れたことはありませんでした。まるで太陽のような希望です。お礼を言わせてください。本当にありがとうございます。言葉の中に世界があって、そこには自分の居場所もありました。

 

少しでも人生が変わる可能性があるなら、私は傷ついてもいいと思えました。ぶつからせてください。坂爪さんの手助けになるようなことがあれば、私に何かやらせてください。お金も能力もありませんし、大変ぶしつけなのはわかっています。お力になれる時がありましたら、ご連絡をください。よろしくお願いします。 電話番号 080-××××-×××× メールアドレス ×××××@×××× 

 

ibaya.hatenablog.com

 

昨日は神戸に泊まった。その日の朝は宿は未定だった。各種SNSから「神戸にいるので会える方がいたら会いましょう」と投稿したら、それを見てくださった方が三宮のホテルを予約してくれた。ホテルに着いた頃、神戸在住の方から「明日琵琶湖近くで開催されるマルシェがあるから来ませんか」と連絡が届いた。私は琵琶湖を愛しているので、その方の車に乗せてもらう形で琵琶湖まで来た。その道中で「今日は琵琶湖界隈で暇です。会える方がいたら会いましょう」と投稿をしたら、あろうことか滋賀県在住のS様が大津のホテルを予約してくれた。私はいま、大津のそのホテルからこの記事を書いている。明日の予定も宿も未定だ。S様に「なにからなにまで本当にありがとうございます!」とラインをしたら、お返事にこう来た。

 

坂爪さんの言葉のおかげで何かしらを乗り越え、好きな人が恋人になり、隣で目覚める日々です。
私がありがとうございます。
おかげさまで悩みや不安などと全く縁のない生活です。ラブ❣️

 

大津駅に泊まれることになり、各種SNSから「今日は大津駅界隈でこれからの生き方を見定めているので会える方がいたら会いましょう」と書いたら、滋賀県在住のR様から会いたいですと連絡が届いた。R様からは数ヶ月前に以下のようなラインを貰っていた。大津駅前で初対面を果たした訳だが、出会い頭R様から「吐きそうなくらい緊張しています。坂爪さんは緊張しないのですか?」と問われた。私にとって初対面とは出会って数秒間だけの間の話であり、まばたきを一回する間に二度目、三度目、四度目の再会を果たしている。だから、一緒にいる間に10回とか100回とか1000回くらいは会っている感覚になるのだが、なかなかこの感覚を説明し切れない。初対面なんて最初の1秒間だけで、2秒後からは同じ学校のクラスメイトみたいなものだろ。私はそう思っているのだが、なかなか共感されることは少ない。

 

坂爪さん、こんばんは。
深夜にすみません。

noteを読んで、坂爪さんの「生」に、私の「生」が共鳴したのか何なのか、私はただただ涙が溢れてしばらく何も出来ず、今に至ります。


何を伝えたくてLINEを送ろうとしているのか、自分でも分かりません。


少し自分の話をしますと、
去年の2月3日に、私は首吊りを試して父に見つかり未遂に終わりました。
当時の日記には「私の存在自体がめいわくな存在だ。死にたい」「私は私に生まれたくなかった」「毎朝来る絶望にも嫌気がさしたし、生きづらい自分がとにかく苦しかった」と書いてありました。


その後、2月14日に魂のむきだしに出会いました。
坂爪さんのnoteのことです。
私は坂爪さんの言葉に触れるたびに、少しずつ浄化されて、少しずつ自分の魂を見つけてもらっているような感覚があります。
そのたびに私は「生」の歓びを少しずつ感じています。
去年の今頃の「死にたい」がいつしか「生きたい!」に変わっていました。
(たまに死にたくなることはあるけど)


…書いていて何が言いたいか分からなくなりましたが、
「私もここで生きてるよ!」
「坂爪さんはこんなにも生きているんだね!私も坂爪さんと一緒にこんなにも生きてるよ!」
と、叫びたいです。


…何が言いたいか分からない話で、しかも遅い時間にすみません。


坂爪さんに出会えて本当に良かったです。
いつもありがとうございます。

○○○○

 

危険だってことは、やらない理由にはならないんだよ。 

ホテルを取ってくれたり食事をご馳走してくれたり、本当にみんな優しい人ばかりだ。みんな優しいから「ゆっくりして行ってください」と毎日のように言われる。だが、そう言われる度に「ああ、俺はゆっくりしたいと思っていないんだなあ」と思う。ゆっくりしたいよりも死にたいが強い。喰らいたいが強い。面白い体験ができるなら無傷でいるよりも喜んで傷を負いたいが強い。そのためだったら一日一食でもいいし睡眠時間二時間でもいいし毎日移動が続いてもいい。ゆっくりすることが全然上位に来ない。それよりも外に飛び出して「ああ、この景色は家にいたら絶対に出会えなかったなあ」という風景によって、慰められたり励まされたり癒されたりしていたい。血を流しながら笑っていたい。フラフラしながら笑っていたい。

 

自分が、危険なことをやりたがっているのを感じる。前例のないこと。まだ誰もやったことのないこと。大勢の人たちからそんなことはできるわけがないだろと馬鹿にされるようなこと。無謀なこと。無意味なこと。無価値なこと。誰の役にも立たないこと。熱狂すること。興奮すること。ワクワクすること。ゾクゾクすること。死ぬかもしれないこと。自分がダメになるかもしれないこと。友達が全員いなくなってしまうかもしれないこと。人でなしになるかもしれないこと。私の中に魂と呼ばれるものがあるならば、それは炎のようなものなのだろう。その炎は「なんでもありなんだよ」と言っている。進むべきレールもないし、守るべきルールもない。なんでもありなんだよ。だから、お前はお前の道を進め。お前はお前の純粋を守れ。どれだけ周囲からボロクソに言われたとしてもだ、俺には俺がついているぜ。

 

危険だってことは、やらない理由にはならないんだよ。危険な道ほど本当は自分が行きたい道なんだよ。危険だからやめるとか、怖いからやめるとか、恥ずかしいからやめるとか、逆だよ。危険だからこそやるべきなんだよ。怖いからこそやるべきなんだよ。恥ずかしいからこそやるべきなんだよ。生きるってことは出し切るってことだ。それは安全な道を選ぶってことじゃない。危険な道を選び、持てる限りのエネルギーを全力で注ぎ込むこと。俯瞰する余裕もないほどに、こう見られたいなんて思う自分を保つ余裕も吹き飛ぶくらい、瞬間に没入する刹那。破裂するほどの心臓の鼓動。それが生きているってことだ。緊張している人は美しい。それは勇気を出している証だ。誤解される人は美しい。誤解されない人間など毒にも薬にもならない。誤解されるからこそ、真の繋がりを築くことができる。自分を出して傷つくことより、永遠に自分を取り繕って生きることの方が、ずっと恐ろしいことだ。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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LINE ID ibaya

涙が出るほどカッコいい。

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熊本県荒尾市にいる。岡山在住の方から「絶対に食べさせたい味噌汁がある」とご連絡をいただき、どうやって行くか考えた結果現在福岡にいる徹さんと合流をして車で岡山に行くしかないと判じた。同じタイミングで「荒尾に使っていない家があるから使いませんか?」と連絡が届いた。徹さんからは「福岡佐賀熊本大分にあるスノーピークを全部回って一緒にピークを迎えましょう」と言われている。間違って航空券を一枚余分に買ってしまった私は、現在シリアスな財政難に喘いでいる。

 

おおまかなスケジュール

5月27
(木)福岡&佐賀&熊本&大分
5月28日(金)岡山〜京都

以降、FREE!
(呼ばれた場所に行きます) 

 

 

狂え。

現在九州は記録的な土砂降りだ。どこでも寝れるように野営道具を持ってきたが、色々無理で荒尾の方に「誠に申し訳ありませんが一泊だけ泊まらせていただくことはできますか」と連絡をしたら快諾していただき、現在は荒尾の家にいる。最近はまっている炒り玄米に熱湯を注ぐと純正の玄米茶が出来上がる。これがまた腹にたまるので空腹時や凍え死にそうな時に重宝する。これまではキャンプ道具ラブだったはずなのだが、最近は全然ときめかない。なぜだろう。誰かに用意されたものを誰かに指定された楽しみ方をしているだけの自分に、嫌気が差すのかもしれない。 

 

かれこれ10年くらい「家(家族)とは何か?」と考えている気がする。家を同じにする族。家族。私たちは生活のために働かなければならないとされている。平均的な人類が購買する一番高額な商品は家だ。家のために長期的なローンを組んだり、毎月の家賃を支払うために嫌な仕事も辞めるわけにはいかなかったりする。私たちは金を求める。あるいは、他者からの愛を求める。それが望む形で実現されない時、酒やタバコや覚醒剤や過食や過剰な買い物などで埋め合わせる。家族間で形成されたトラウマのようなものが、その後の人生に大きく影響する。テレビコマーシャルでは幸せそうな家族が多数出演するが、現実社会はあちこちで不倫が行われている。こどもたちは愛を目撃する以上にお互いに利用し合う大人たちを目撃し、結婚に希望を抱かなくなる。それが飛躍すると、生きることに希望を抱かなくなる。

 

これまで散々狂人扱いされてきた。やりたいことをやって生きると狂人扱いをされ、誰かに合わせて生きていると優遇される。褒められて生きることは簡単だが、そこに歓びはなかった。最近の気分は「狂い続けよう」というもので、いまの世の中から頭がおかしいと嘲笑されるならいくらでも嘲笑されてやるよ、という気分だ。自殺者が何万人もいて鬱病患者が何百万人もいる社会が狂っているのか、それをおかしいと思う自分が狂っているのか。ゴミ焼却炉に行くと商業施設の十倍以上の面積にゴミが堆積している。そこは「夢の島」などと名付けられたりするのだが、人は何かを隠したいときに綺麗な言葉を語りたがる。お客様のためなどと言った言葉を企業は多用するが、美辞麗句を用いるのは隠したい何かがあるからだ。たくさん働いてたくさん捨てるより、少しだけ働いて大切に使う方が、私は好きだ。

 

涙が出るほどカッコいい。

私が出演したトークイベントに親子で遊びに来てくれた女性がいる。その女性は自分の娘さんと一緒に来た。娘が引きこもりのようになってしまってこのままではいけないと思い、刺激を与えたいと思って坂爪さんを見て欲しいなと思って連れてきた。そのようなことを女性は言った。こういう形で誰かを連れて来てくれる人はたくさんいるのだが、こういうのはあまり効果的ではないと思う。無理やり引き連れるのは危険だ。悲しいことだが、先日、その娘さんが自殺でなくなったという報告を受けた。自殺の報告を受けると「また間に合わなかった」という気持ちになる。

 

経済的には恵まれているのに精神的な厳しさを抱えている人は大量にいる。私も同じだ。同じだなどと言うと傲慢だが、そういう時期は表面的なものの一切がまったく自分に響いてこない。愛も、優しさも、全部が表面的に見えて「本当のことを教えてくれ」という気持ちになる。この「本当のことを教えてくれ」という叫びが、自分の皮膚や内臓を引き裂くようにとめどなく暴れまわる。精神的にも体力的にも落ちているはずなのに、それとはまったく関係のないところで苛烈さが暴れまわる。その苛烈さは叫ぶ。お前らが言う愛だの恋だの夢だの楽しさだの嬉しさだの面白さだの優しさだの希望だの、そういったものの全部がくだらないんだよ。お前ら全員退屈なんだよ。お前ら全員ごまかしてるだけじゃないか。お前ら全員馴れ合ってるだけじゃないか。中途半端なところであぐらをかいているんじゃないよ。と。 

 

私が惚れて来た男たちは全員一人で生きている。無論、誰かと協力をしたり一緒に遊ぶことはある。だが、彼らは一様に一人だ。絶対に群れない。権威に媚びない。集団の空気に染まらない。何処にいても徹底的にその人であり続ける。彼らは俺みたいになれとは絶対に言わない。その気持ち悪さを知っている。彼らは「俺は俺になる。お前はお前になれ」と語る。言葉ではなく態度で語る。相対的な価値ではない、絶対的な命を生きる。人生を肯定する姿に触れた時、涙が出るほど感動する。人間が人間を救うことはできない。人間にできることは、ただ、輝いている姿を見せることだけだ。それを見た人々が、勝手に何かを受け取って、勝手に何かを継承していく。小さなこどもたちを見ていると一目瞭然だが、彼らは正しい人の言うことは聞かない。じゃあ、どんな人の言うことを聞くのかと言えばそれはカッコいい人だ。カッコいい人の言うことならば、なんだって聞く。誰かを救いたければ、自分がカッコよくなることだ。涙が出るくらい、カッコよくなることなのだと思う。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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卑怯でケチ臭い癖に化粧だけは濃い人間になるなよ。

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しがみつく生き方をホールド、執着をしない生き方をリリースという言葉で表現するなら、ホールドを続ける生き方は苦しい。家も金も地位も名誉も、失わないように必死になるほどにかえって自在さを失ってしまう。リリース【手放す】と言う言葉を思い浮かべるだけで気持ちは軽くなる。呼吸という言葉も、姿勢という言葉も、意識をするだけで体の中心に一本芯が通るような、心地よい緊張感を覚える。

 

おおまかなスケジュール

5月26
(水)福岡界隈

 

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

 

ホールドするか。リリースするか。 

諸事情が爆発して札幌の家の件は白紙になった。再び棲家を探す必要がある。私の手元にある財産と言えるようなものは、6年前に譲り受けたHONDAのスーパーカブ110だけだ。新しい暮らしを実現できるならどんな暮らしを望むだろう。フィアットとかミニクーパーサイズの車に折り畳み自転車とキャンプ道具を積載して、移動をしながら暮らすのは楽しそうだなあ。中型免許だけはあるからCB400とかSRとかに茶器を積んでエスプレッソジンジャーを配る売茶翁になるのも趣深い。誰か、スーパーカブと交換したい人はいないかな。家とか、バイクとか、車とか・・・。

 

日本に空き家は多い。その一方でマンションはガンガン建つ。空き家があるならそこに住めばいいじゃないかと思うが、持ち主の方々は「もしもこれから何かあったときに家がないと困るかもしれないから」とか「知らない人が使うのはリスクが高いから」などといった理由で、基本的にはホールドをしたままだ。ホールドをすれば安心安全を得る。だが、皮肉なことに「これを失ったらどうしよう」という恐怖や不安も同時に得る。物質的には豊かな日本が克服すべき最後の貧しさは、多分、ここにあると思う。たくさん持っている人が豊かなのではなく、たくさん与える人が豊かなのだ。どれだけ多くのものを持っていても、その人が「まだ足りない、まだ足りない」と思っているのならば、その人は貧しい。世界は奪い合いを続ける。

 

貧しさの申し子である私は、最近炒り玄米にはまっている。よく「小腹が空いたらナッツをお食べ」などと言われるが、我々(一日の食費が150円世代の人間)にとっては「ナッツを買うお金が主食を越える」という現実的・経済的な問題がある。玄米をフライパンで炒るだけで出来上がる炒り玄米はポップコーンのようにポップだ。塩と一緒に食べれば気持ちは完全食だ。バリボリしていると戦時中の味がする。その日の気分によっては空腹はさもしさをもたらすが、体は軽い。健康になりたければ貧乏になれ。これは完全に負け惜しみだが、結構本気でそう思う。衣食住があれば人間は死なない。人生を恐れてはならない。炒り玄米があれば大丈夫だ。

 

卑怯でケチ臭い癖に化粧だけは濃い人間になるなよ。

実は今自室で足湯をしながらこの記事を書いている。絶賛温活中だ。そこら辺に転がっていた発泡スチロールにお湯を加えたら私の両足にシンデレラフィットした。お湯が温くなるたびにガスバーナーで沸かしたお湯を加えているのだが、先ほどアツアツのやかんがふくらはぎに命中をして異様な痣ができた。戦う男の勲章を手に入れた訳だが、人間の体の70%程度は水でできている。甘いものが食べたいとかタバコを吸いたいとか暴れたいとか酒を飲みたいとか、実は、白湯をゆっくり(気が済むまで)飲めば絶対に落ち着く。これは仮説だが、現代人のストレスは水不足だ。水不足を補うために、我々は酒を飲んだりタバコを吸ったり甘いものに手を伸ばす。だが、当たり前だが、酒もタバコも甘いものも、水の代わりにはならない。例えるなら、花にジュースを与えるようなものだ。花に酒を与えるようなものだ。

 

服がないから中古屋に行った。散々迷ったあげく四百円のTシャツを買いかけたが「おいちょっとまて」と思った。お前は本当にこれを欲しいのか。安いから買おうとしていないか。これでいいとか思っているのだとしたら今すぐに止めろ。これでいいならば止めろ。これ『が』いいで生きろ。前のめりになれるものだけで囲め。たかがTシャツだとか考えるな。こういうところなんだよ。こういうところに人間性が出るんだよ。と。自分との心理戦を乗り越えて、私は何も買わずに店を出た。そしてゆっくりと水を飲んだ。よし。そうだよな。本当にそうだよな。これでいいじゃない。これ『が』いいと思えるもので囲まなければ、結局また近い将来全部を捨てたいという衝動に駆られるのだろう。本当に欲しいものだけで人生を囲もう。

 

安い男になるなよ。安い女になるなよ。自分を安売りしたらダメだぞ。他人のイメージの奴隷になったら一発でアウトだ。消費をするのは危険だし、消費されるのも危険だ。何かを欲しがるとき、多くの場合は誘導されているだけだ。自分の本当の望みはモノにはない。それが象徴している精神にある。精神を忘れるなよ。簡単に媚びるような真似はするなよ。打算的な生き方は、長期的には敗北だぞ。卑怯でケチ臭い癖に化粧だけは濃い人間になるなよ。金をホールドしそうになったら「愛をリリース」とか「命をリリース」と念じるといい。天国に持っていけるものは、自分が集めたものではなくて自分が与えたものだけだ。気前よく生きた人間が、気前良い死を迎えるのだ。気前よく生きるとは『出し惜しみをしない』ということだ。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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俺がお前を引き上げる。それくらいのうねりを見せてやる。

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海の前にある足湯に入りながらこの記事を書いている。昨日、音楽仲間と一緒にスタジオに入った。誰かと何かをする時は、ついつい「迷惑にならないように」とか「しっかりついていけるように」などと思う。だが、違う。我々は一人一人が龍みたいな存在だから、他人に合わせて生きるのではなく「俺がお前を引き上げてやる。それくらいのうねりを見せてやる」と思っているくらいが、丁度良いと思う。

 

おおまかなスケジュール

5月24
(月)以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます) 

SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

 

守りに入ったら死ぬ。

引き続き家問題は解決しておらず、ホームレスへのカウントダウンは進んでいる。もしも「使っていない家があるから使ってもいいよ」という方がいたらご連絡ください。実は、昨日、札幌に使っていない家があるから使いますかというご連絡をいただいた。私は『パ行』が大好きなので札幌も大好きだ。ご連絡をくださった方は東京在住の方なので、明日、東京に行く。家がなくなることはリスキーだが、家がなくなることで家があった頃には絶対に発生しなかった出会いが発生する。最近の気分は「守りに入ったら死ぬ」だ。防御をしている暇があったら、たったの1だとしてもいいからダメージを与えること。延命措置って、ゆるやかな自殺だと思う。

 

※※※ 諸事情が爆発して、札幌の件は白紙になりました ※※※

 

人生はドラクエだ。私のレベルは1だが、時折レベル99の人と出会う。レベル99の人はとっくの昔にラスボスを倒していて、向かう所敵なしだ。みんながメラゾーマとかイオナズンとかをやり合っている横で、俺だけメラとかホイミとか言っている。凄い人と同じ時間を共にすると、一緒にいるだけで経験値が高まる。自分は何もしていないのに凄い人が凄い敵を凄い勢いで倒すので、一緒にいる自分もレベルがあがる。ああ、人生ってなんでもありなんだな、生きているとこういうこともあるんだな、と、遠い目をしながら我が身の幸福(不幸?)を噛み締める。家がないとか金がないとか、全部小さな問題に思える。それよりも「よし、俺も狂おう」という謎のパワーを得る。常識をはみ出すことは、実は、気持ちが良いことを知る。

 

毎日生姜紅茶を飲み続けている。温活だ。だが「生姜紅茶」も「温活」もネーミングがダサい。初老感が凄い。だからエスプレッソジンジャーというライフスタイルを提案したい。生姜は大事だ。まじで大事だ。体温があがれば鬱も癌も免疫疾患も消える。だが、紅茶を大量に飲むのは難儀だ。だからこそエスプレッソのように濃い生姜紅茶を作り、お好みで黒糖や蜂蜜やきな粉を加える。それを朝とか昼とか夜に「クイッ!」と飲む。絶対体に良い。そういうドリンクスタンドみたいなものをやりたい気持ちが最近強い。無論店を開く金はない。だから原チャの荷台にキャンプ道具を積載して、屋外で野点のように生姜紅茶を淹れるエクスプレッソ(エクスプレス+エスプレッソ)とかどうだろう、とか考えている。呼ばれた場所まで一々伺い、エスプレッソジンジャーを淹れる。そして「実はいま家もお金もなくて困っているので、何かをください」と言う。時代の最先端を気取った、新手の乞食だ。

 

俺がお前を引き上げる。それくらいのうねりを見せてやる。

ずっと足湯に入っているためのぼせてきた。私と暮らしたら絶対健康になると思う。熱海の家の寿命は残りわずかだが、なくなる前に「坂爪圭吾とやる、魑魅魍魎のファイナルデトックス」みたいなリトリートをやったら需要はあるのだろうか、と妄想する。料金は終了後の満足度次第で0円でも100万円でも良い。痩せたければ痩せさせるし、断酒したければ断酒させる。その代わり問答無用で言うことには従っていただく。戸塚ヨットスクールの精神を継承するファイナルデトックスに需要はあるだろうか。ない。そういう需要があったら今頃私は家も金も失っていない。大変だ。生きるのは大変だ。私は金を稼ぐセンスがない。だが貰うセンスはある。

 

昨日「ああ、またなんにもなくなるのか」と思いながら散歩をしていた。すると、巨木が目の前に現れた。巨木を見た瞬間「これが俺の居場所だ」と思った。よく、居場所とは場所ではなくて人間だみたいなことを言う。確かにそういう側面もあるが、現在の私にとって居場所とは自然だ。巨木を見ると「巨木がある限り大丈夫だ」と思う。空も海も森も川も好きだが、最近は巨木だ。巨木は抱き締めることができる。マッチョな男性を抱き締めているサイズ感に近いため、安堵感が強い。俺は巨木を抱き締めて生きる。巨木は当たり前だがパブリックな場所にある。誰の所有物にもならない、誰でも目にすることができて誰でも抱き締めることができる巨木の物理的・精神的なデカさに惚れる。私もまた、誰かにとっての巨木になりたいと思う。誰かさんの所有物としてではなく、どこまでもパブリックなものとして。

 

どうせ最後には滅びるのだから、滅びないための対策を講じるより「清く楽しく美しく絶滅しよう!」みたいな感じで残りの日々を過ごしたい。横浜の家は引き続き新規入居者を募集しておりますが、入居者を募集しているというよりは素晴らしい出会いを歓迎していると言った方が感覚は近い。極論、別に住まなくてもいい。毎日が面白くなればなんだっていい。同じ空間を共にして語り合うのも悪くはないが、私はここで音楽を提案したい。温活に加えて音活だ。へたでもいいから全員何か楽器をはじめて、それを一斉に合わせるのだ。素人だけどめっちゃ音楽を楽しんでいるビッグバンド(オーケストラ)を結成したい。音を合わせた瞬間のあの一体感はたまらない。あれを知らずに死ぬのは人間として生まれた甲斐がない。誰だって合唱コンクールで感動した経験があるだろう。それを楽器を通じてやるのだ。こういうことを言うと「じゃあ、私は歌担当で」とか言う人が絶対出てくるが、許さない。楽器だって言っているだろと思う。言葉を超えて繋がるために、一回言葉を脇に置く。音楽も会話もセックスも全部コミュニケーションだ。テクニックじゃない。大事なものは生命のリズムだ。我々の中にいるドラゴンを躍動させることだ。小生がこれからリンダリンダみたいな曲を作るから、音楽初心者全員で演奏できたら楽しいだろうなあと思う。よし、作ろう。世界で一番わかりやすい曲を作ろう。

 

 

「さよならフォロワー」 詞曲 Keigo Sakatsume

俺で失恋しろ バカ 俺に降参しろ バカ
俺を賞賛しろ バカ バカ バカ バカ

裏切られただとか バカ 人のせいにするな バカ
口にホコリ入れるぞ バカ バカ バカ バカ

「あなたにはがっかりしました」
「悲しくなりました」
そんなこと 俺に言われても 知らねえ

ていうかお前誰だ バカ 名前くらい名乗れ バカ
世が世ならアレだぞ バカ バカ バカ バカ

「あなたには感謝が足りません」
「真面目に生きなさい」
そんなこと 俺に言われても うるせえ

お前よりよっぽど バカ 俺は俺の道を バカ
真面目に生きてるぞ バカ バカ バカ バカ

バーカバーカ ベロベロベー
バーカバーカ ベロベロベー
バーカバーカ ベロベロベー

ああ あああ あーあ

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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せっかく生まれてきたのだから、思い切り傷つこうよ。

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素晴らしい連絡が届いた。今年の三月に初期の乳ガンと診断され、全摘の予定だったT様が「手術は嫌だけど、二ヶ月先だからその間にやれるだけのことをやろう」と思って過ごしたら、今週のPET検査でガンが減ったことがわかった。食生活を変え、あれだけ好きだったチーズも断ち、毎日毎日生姜紅茶を飲み、仕事もしないでのんびりとしていたら、医者からも別人のようだと言われるほどの変貌を遂げた。

 

おおまかなスケジュール

5月23
(日)熱海界隈

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます) 

 

 

どうやら俺はハンマーになりたいみたいだ。

体を壊すと健康がどれだけ大事かわかる。健康だけが重要であとは全部おまけみたいな気持ちになる。体温が一度上がると免疫力は30%上がる。最近、乳清のプロテインサプリメント全般を疑問視するようになった。表面的には健康食品だが、あれは薬だと思う。臓器の負担が凄い。乳製品や加工肉全般は(美味いけど)ダメなのだと思う。筋肉系の人々は卵や鶏肉を激しく推すが、いつの日かツケを払う日が来る気がして危険だと思う。プラスチック容器に入った調味料は全部アウトだ。アルコールが入っている醤油や、醸造アルコールが入っている日本酒もアウトだ。

 

今日「人間の腹黒さに嫌気がさしたので圭吾牧師と話したい」とR様から連絡をもらった。お前も金か、お前も金か、そう思う出会いが連発して人間に嫌気がさしたらしい。R様は出会い頭「私は今日は虹を見に来た気分です。圭吾牧師と話すことで人間の美しさを思い出したいのです。数年前にヨセミテ公園に行ったことがあるのですが圭吾牧師はヨセミテ公演の小鹿です。ヨセミテ公園で小鹿を見るとその人は幸せになることができると言われています」と言った。R様から聞かれた。ブログが大勢の人から読まれるようになって多くの出版社から本を出さないかと依頼がたくさん来たと思うが、圭吾さんは彼らのそういった商業主義的な態度に嫌気がさしたことはないのか、と。私は「ない」と答えた。正確には、9割の人間は金のために生きていると幼少期から思っていた。私が出会いたいのは残りの1割だ。だから、9割の人間にいちいち腹を立てたりそれによって残り1割との出会いを投げ出すのは非常にもったいないと思っていた。めげずに出会いを重ねていけば、必ず出会う。素晴らしい出会いは「あなたとならうまくやれそうだ」という前向きな予感というよりは「あなたとだったら不幸になっても構わない」とか「お前にだったら騙されてもいい」と思えるような、その人のすべてを全部肯定できる気持ちになる。

 

午後からはS様の紹介で東京の世田谷にある某コミュニティにお邪魔をした。誤解を恐れずに言うと私はコミュニティとかクリエイティブとかサステナブルとか言う人々が苦手だ。コミュニティには二種類ある。ひとつは「そのコミュニティに属する以上、同じ色に染まらなければならない」という同調圧力を基調としたコミュニティ。もうひとつは「そのコミュニティに関わることで、より一層無色透明になる」的なコミュニティだ。大概は前者で後者はレアだ。前者のコミュニティに入ると、私はぶっ壊したいと思ってしまう。なんだか色々なことが表面的で嘘臭くて何かを誤魔化しているように見えて、今日もぶっ壊したいと思ってしまった。ぶっ壊したいと思うことで「俺は染まらねえぞ」とか「その手には乗らねえぞ」という抵抗を身体が示しているのだろう。ぶっ壊したいと思いながら「ああ、俺はハンマーになりたいのだな」と思った。S様は家を失いかけてホームレスになりかけている私に何かしらのヒントになるかと思って案内をしてくれたのだが、私はコミュニティを作りたいのではなくコミュニティを壊したいのだ。ほとんどの事業は継続性や収益性を重要視する。だが、私はそういったことに心の底から関心がない。作る。壊す。作る。壊す。毎日生まれ変わる。再会なんてない。再会ではなく、再生だ。

 

せっかく生まれてきたのだから、思い切り傷つこうよ。

結構窮地に立っているのだが元気だ。今朝、R様から「東京にも空き家はいっぱいあるから、家の掃除をする代わりに無料で住むなどもできるのではないでしょうか」とアイデアをもらった。あり得そうな話だ。なので、もしも使っていない家をお持ちの方がいたらご連絡いただけると幸いです。横浜の家に関しては、新規入居者があと二人登場してくれたら家は存続する。だから、今月以内に新規入居者と出会うかそれ以外の素敵な出会いに恵まれるかをすれば、どうにかなる。逆に言えば、あと一週間で何も進展がなければ私は路上生活者になる。どうなるのだろう。まじでわからない。とりあえず家は存在する限り開放しています。見学を希望される方などは坂爪圭吾まで直接ご連絡ください。熱海の家も見学&宿泊も可能です。

 

断捨離がブームだ。最高の断捨離は家だ。家はコアだ。家を手放すなんてハードコアだ。家ってなんだろう。そんな話をR様とした。35年ローンとかアイデアがクレイジーだ。実はR様も現在持ち家を売却しようとしている。一等地にあるから様々な不動産が様々なごまのすり方をしてくる。その姿がキモくて「どうせお前は私じゃなくて私の土地に興味があるだけだろ」と軽く人間不信に陥っている。わかる。そういう人って本当に多いよねって思う。モモに出てくる灰色のスーツの男たちは実在をする。家を売ればお金になる。だから喜びを感じてもいいはずなのに、日常的に感じているのはストレスなのだ。いつ売れば高く売れるか、誰に売れば高く売れるか、など、そういったことに目を光らせながら生きる日常は(よほど数字が好きな人間でない限り)ストレスで禿げる。家は財産扱いされる。だが、手放せる時に手放した方がよい場合もある。私は、いま、非常に複雑な心の状態にある。家がなくなることの不安と、家がなくなる安堵感。正直、そのどちらもを感じている。

 

人間の生死と似ている。愛する人との別れは辛い。だが、病で苦しみ続けた人の姿を見ると、終わりを迎えた時に「これでもう苦しまなくても済むね」という安堵にも似た気持ちを抱く。別れは辛いが、別れによって何かが癒される。言うまでもないことだが、遅かれ早かれ私たちは死ぬ。死ぬ時は家も服も金も全部置いて行く。私たちは失うことを恐れるが、最後の最後には肉体さえ失う。五感の全部、見ることも聞くことも触ることさえもできなくなる日が必ず来る。今日お会いしたS様は本音を話すと涙が出ると言った。嫌われることや傷つくことが怖くて言いたいことも言えない日々を過ごしてきたと話してくれたが、言いたいことを言って嫌われるより言いたくもないことを言って好かれる日々の方がよっぽど怖いと思った。そんなものは、全部、嘘っぱちだ。愛は爆発だ。きっと多くの人が「金じゃない」と思う部分と「やっぱり金だ」と思う部分、まったく正反対の価値観に身や心を引き裂かれながら生きているのだと思う。私は思う。傷つかないように生きるのではなく、せっかく生まれてきたのだから、思い切り傷つこうよ。しがみつく限り苦しくなる。愛は爆発だ。心が、体が、目の前の世界が、軽くなる道を選びたいと思う。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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バラバラに生きるのは簡単なんだよ。

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私に十分な信仰心があれば、何が起きても神様が導いてくださると強く思えるのだろう。熱海の家に加え、横浜の家も存続の危機を迎えた。住人が一斉に引っ越すこととなり、継続の危機だ。横浜の家は貸家で、毎月の維持費に20万円程度が必要になる。母屋とは別に個室が4部屋あるため、個室に住んでいる人が毎月5万円ずつ出し合ってこの家を存続させてきた。母屋は誰でも使えるように開放をしている。

 

おおまかなスケジュール

5月22
(土)横浜界隈

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

 

人と繋がる。

横浜の家を存続させるために新規入居者を募集することは簡単だ。だが、私はシェアハウスを運営したい訳じゃない。私は、この家で人と繋がるということをやりたい。絆や連帯などと言った言葉を耳にすることは多い。だが、それを実感する瞬間は少ない。金を追い、時間に追われている間に生活はどんどん痩せ細る。自分は誰かに必要とされているという実感よりも、このままでは置いていかれると言う不安や、自分は見放された存在であるという孤立感が、広く世の中に蔓延している。モモの世界で見たように、時間泥棒が私たち人間をバラバラにしてしまった。だが、バラバラになったものをもう一度ひとつにするような、そういうことをやりたい。

 

そのためには場所が必要だと思って、数年前から横浜の家を開放しているのだが窮地だ。これまでも何度か窮地はあった。窮地は初心を思い出すチャンスだ。新規入居者が四人集まれば一時的な問題は解決するが、真の問題はまったく解決しない。真の問題とは「人と繋がる」ことだ。あらゆる活動がそうだと思うが、支出に対して収入が多ければ活動は継続する。だが、ただ継続すればそれでいいのかと言うと、絶対違う。初心は「人と繋がる」ということだ。人と繋がりたいと思いながら、人と繋がる方法がわからない。そういった人間(というか自分)が、人と繋がることを諦めないための力を得る空間。一人は楽だ。余計な軋轢も摩擦もない。だが、一人ぼっちで生きることに限界を感じることは多い。横浜の家を形容する言葉が見つからないが、学校と会社と家庭と教会の要素を兼ね添えた空間を作りたい。

 

このまま何も進展がなければ、来月末には横浜の家を引き払う必要がある。最初は「やばいぞ、これは今すぐにでも新規入居者を探さなければならない」と思い焦ったが、それでは全然本質的じゃないなと思って取りやめた。ピンチの時こそ「最悪を受け入れ、最高を思い描く」ことが大事になる。最悪とは、横浜の家を失い路上生活者になることだ。路上生活は経験がある。よし。腹を括る。そして次に最高を思い描く。私は横浜の家を愛している。だから、最高の理想は「いい感じの人と出会い、いい感じに横浜の家が展開をしていく」ことだ。非常に抽象的だが、私には祈る道しか残されていない。否、違う。私には祈る道が残されているのだ。新規入居者を募集するのではなく、それよりももっと広く「誰か、私を、横浜の家を用いてください」という気持ちになっているのが、今だ。問題は金じゃない。心だ。心がある限り必要なものは与えられる。祈りながらこの家の開放を続けていきたい。

 

バラバラに生きるのは簡単なんだよ。

数日前、神奈川在住の女性Y様から「今度一緒にスタジオ入って私にドラムを叩かせていただけませんか?圭吾さんはエレキギター弾いてくれませんか?ドラムとエレキの音が恋しくてたまらないんです」と連絡をいただいた。今日一緒にスタジオに入った。最初の1時間は音の探り合いみたいな感じになったが、最後の1時間はどんどん音が流れ出して溶け出した。スタジオ練習の後に色々話した。Y様はヨガが好きだと言うこと。しかし子育てが忙しくて全然できていないということ。最近は自力で稼げるようになるためにネットビジネスを研究していること。など。それを聞いて私は「ヨガと真逆ですね」と言った。別にディスりたいとかではなかった。本当にそう思ったからそう言っただけだ。Y様も「本当にそうですね」と笑った。

 

どちらがいいのかはわからない。こどもがいたら尚更だ。こどものために金を稼ぎたいと思う親の心は真っ当だし自然だ。こどもがいるのに「私はヨガにすべてを賭けます」と一切の社会生活を放棄するのも考えものだと思う。だが、私は、きっと私はヨガに惚れたならヨガに賭けたいタイプの人間なのだろうなと話を聞きながら思った。会う人会う人からものすごい言われる。坂爪さんは自由でいいですね。私も独り身の時は自由にあっちこっちに行っていた。だが、いまはこどもがいるから自由に動けない。自分一人ならいいのだけれどこどもの安全や安心を考えると金が必要になる。だから私はお金を稼ぐ。金がなければやりたいこともやれないですからね。と。正しい。正しい。正しい。正しい。正しいのだけれど、何か、冷たい。

 

金を追うほど、世の中がバラバラになる。人間がバラバラになる。前に、天国の絵と地獄の絵を見た。舞台はどちらも同じ、この世のものとは思えないご馳走が並ぶ食卓だった。食卓に座る男女の腕には、長さ1メートルの箸が巻き付けられている。とてもじゃないけれど、その箸で食べることは不可能だ。天国では、その箸を使って互いに食べさせ合っていた。だから、その場にいる全員が幸せに豊かさを分かち合った。それに対して地獄では、誰もが自分だけが美味しいものにありつきたいと願い形相を変えて必死になるが、結果的に誰も何も食べることはできず、飢餓の苦しみを味わう。これは私の偏見だと思うが、金を追う人の姿が、飢餓の苦しみを連想させることがある。幸せの合言葉、それは「みんなで幸せになる」ではないだろうか。カンパニーにはテーマソングがある。みんなで幸せになりたいよ俺は。

 

note.com

 

「パラダイスのテーマ」 詞曲 Keigo Sakatsume 編曲 Masakuni Kumagai

オス!メス!キス!パラダイス!
オス!メス!キス!パラダイス!

ミラーボールがまわりはじめた
昨日よりも ものすごい速さで

明日はもっとよくなる 我ら カンパニー

ひとりぼっちで 生きるのはもう
たくさんなんだよ みんな集まれ

ひとりひとりが輝く SHINE カンパニー

オス!メス!キス!パラダイス!
オス!メス!キス!パラダイス!

恥ずかしいけど 死ぬまでぼくらは
青春なんだよ 狙うぜガッツポーズ

天国だって DIYだぜ カンパニー

これまでの自分なんかまじ もう
どうでもいいから みんな集まれ

みんなで幸せになる 我ら カンパニー

オス!メス!キス!パラダイス!
オス!メス!キス!パラダイス!

オス!メス!キス!パラダイス!
オス!メス!キス!パラダイス!

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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