いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

第一希望を口にしろ。

 

イベント出演の依頼が来た。だが、主催者からのメールがコピペばかりだったので「コピペを送る人は嫌いです。他の人に送ってください」と返信した。すると、主催者から慌てて電話が来た。違うんです。坂爪さん。まずは趣旨を伝えた方がいいかなと思って連絡をしたのです。そういうことを弁解がましく主催者は言ったが、嘘だなと思った。その人は、自分の都合ばかりを延々と語った。だが、私は「なぜ俺に出て欲しいと思うのか」を聞きたかった。ギャラが問題なんじゃない。本気の熱量があれば、無料奉仕だろうがこちらの持ち出しになろうが、いくらでも出る。だが、そちらの都合で俺を道具にしたいだけなら、100万円貰っても俺は出ない。

 

おおまかなスケジュール

5月31
(火)東京

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

第一希望を口にしろ。

結局、主催者は最後まで自分の正当性を訴えて終わった。私は「ダサい人間だな」と思った。そういう人の企画には出たいと思いませんと告げ、喧嘩別れのような形になった。そして、反省をした。嫌なものを嫌だと言うことは大事だ。だから、その点において「よく言ったな、俺」とは思った。だが、嫌なものを嫌だと言うだけではなく、どうすれば自分は出たいと思うかを相手に伝えればよかった。自分の第一希望を相手に伝える必要があった。そこで私は考えた。一体、どのような条件が整えば自分はご機嫌な形でそのイベントに出演することができたのだろうか。数秒後に出た答えは「100万円貰えたら出るな」だった。おいおいおい、お前はさっき100万貰っても出ないとか言ってた癖になんだそれはと思われるかもしれないが、これが正直な気持ちだ。心のないやつからは、金を取る。それが私の流儀である。

 

相手は悪気なく言った言葉かもしれないが、時折イラッと来ることがある。これまで、私はそう言う言葉を聞き流すようにしていた。まあまあ、相手も悪気がないことだしと大目に見るようにしていたのだ。しかし、実際の私は心がおちょこの裏くらい狭いので、心はしっかり苛立っていた。腹の底で「このひととは二度と会わない」とか思ったりしていた。だから、先日、イラッとした時に「その言葉にめちゃめちゃイラッとしました」と真っ直ぐに伝えた。すると、相手はローソンの千円券でお詫びを示そうとした。だが、私は「そんなものでは俺の機嫌はなおらない」と言った。すると、相手は焼肉をご馳走すると言った。だが、私は「そんなものでは俺の機嫌はなおらない」と言った。じゃあ、どうすればなおるのかと聞かれたので「バイクを買えるくらいの金を貰えないとご機嫌になれない」と言った。すると、その人は本当にバイクを買ってくれた。私は驚き、その人に対する敵意は翻り、君は最高だねと尊敬をした。このエピソードの重要なポイントは、自分の第一希望を伝えることだ。第一希望を伝えなければ、絶対にこういう展開にはならなかった。

 

言うことが大事だ。伝えることが大事だ。自分の気持ちを投げ出さないことが大事だ。実現する実現しないはその後の話だ。自分はこれだけ怒っている、自分はこれだけ悲しいのだと、自分の心情を真っ直ぐに伝えること。察してもらえないことを嘆くのではなく、自ら提示していくこと。心を示すこと。裸の心を差し出すこと。誰かに対して苛立ちを覚える時、必ず、言いたいことを言えない自分への苛立ちを重ねている。誰かの責任にするのではなく、言いたいことを言ってこなかった自分のケツを叩き、勇気を出して伝えること。心を込めて伝えること。裏でこっそり憎むのではなく、正々堂々ぶちまけること。そうじゃないと粘着質な人間になる。なめくじみたいな人間になる。潔く、清々しく、晴れ晴れとした日々を過ごしたいなら、自分の思いを口にすることだ。自分の第一希望を口にすることだ。第二希望でもない。第三希望でもない。安易な妥協案ではない、自分の心が本当に求める第一希望を口にしてこそ本当の人生が開ける。本当のコミュニケーションがはじまる。

 

note.com

 

調子に乗らず、心を込めて。

千葉県の田舎に古民家を買った女性がいる。最高だと思う家を見つけたが、予算を大幅にオーバーしている。だが、彼女は夢を諦めなかった。絶対にここがいいと思った彼女は、大家さんに長い手紙を書いた。自分がいかにこの家を素晴らしいと思っているか。この家でなにをしたいと思っているか。地域にどのような貢献をしたいと思っているか。そうした思いを丁寧に書き綴り、大家さんに手紙を書いた。すると、それを読んだ大家さんから「あなたの気持ちはわかりました。ご希望の金額で家をお譲りします」と連絡が届いた。彼女は歓喜に咽び泣いた。自分の思いが通じた歓びだ。こういうことが人生にはある。こういうことが人生には絶対にある。金だけでは動かせないものを、心は動かす。心があれば、金がなくてもどうにかなる。だが、心を失くしてしまったら、どれだけ金を集めても空虚なままだ。掃除でも料理でも手紙でも何でもいい、心を込めるという行為が自分を救うことがある。

 

昨日、東京を自転車で走った。赤坂御所や皇居周辺はサイクリングに最高で、スマホを見れば詳細な地図も表示されるから道に迷うこともない。便利な時代だ、最高な時代だ、自由に動ける体があるって幸せなことだぜと思いながら延々と走った。10年前の人類が我々を見たら「え、なにその機械!やばい!未来!」と驚くだろう。だが、10年後の人類が我々を見たら「え、まだスマホなんて使ってるの!?」と驚くだろう。便利と幸福はイコールではない。不便と不幸はイコールではない。自転車を走らせながら「便利も楽しいし、不便も楽しい。要するに、いまが最高ということだ」と思った。いま、この瞬間だけを生きれば、絶対に幸せになれる。ないものではなく、あるものが際立つ。足があり、腕があり、空気があり、目があり、耳があり、好きな人がいて、好きな人に気持ちを伝える方法がある。わたしたちの精神はプレイランドのフリーパスみたいなもので、閉園時間まで好きな乗り物に乗ることができる。愉しさにも、哀しさにも、閉園時間まで乗ることができる。

 

弱気な時は聞かなくてもいい人の言葉まで聞いてしまう。迷った時は、顔で判断しよう。言うことを聞いた人と同じ顔になるから、顔的に嫌いな人の言うことは聞かない。口にしている言葉以上に、声の響き、表情や仕草の優しさを大切にしよう。正しさではなく涙で判断しよう。涙が出るほど感動した人の中に、自分にとっての答えがある。他の人が見たらなにそれと思うようなことでも、自分にとって本当ならば、それは本当だ。その言葉があれば、俺たちは生きていけるはずだ。したり顔で正論を語る人間より、血だらけで愛を叫ぶ人間が好きだ。涙が出るのは、正しいからではない。それが温かいからだ。優しくて、温かくて、激しいからだ。誰からも何も言ってもらえなくなったら、その人は人間として終わる。余計なことを言ってもらえなくなったら、その人は人間として終わる。人間として終わらせないために、私は言い続けたいと思う。怒りはエネルギーを使う。真剣にならざるを得ないし、逆恨みをされるリスクも伴う。しかし、だからこそ、それが愛なのだと思う。

 

 

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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俺たちには、ハッピーエンドの才能がある。

 

わたしには芸能人の友達がふたりいて、ふたりとも自殺をしてしまった。日常的には彼らのことを忘れているが、数週間に一度「死者が訪れる」周期がある。そうなるともう大変で、わたしはさびしさや孤独や苦しみに打ちひしがれ、ここにいることができなくなる。苦しい時はどうしても喜びや温もりを求めてしまう。しかし、苦しみを誤魔化したり打ち消そうとするほど「苦しみを噛み締めて生きろ。苦しみの奥にある光を掴め」と言われている気がして、耐える。苦しみに飲まれてしまうと、大変だ。昨日、この大変さを言語化することができた。俺もそっちに行きたいよ。そういう弱音みたいなものが、さびしさとなって体から噴き出していたのだ。

 

おおまかなスケジュール

5月27
(金)熱海

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

いい人にならないで、かっこいい人になってください。

上を向いて歩こうなどの作詞家でも知られる永六輔さんは、妻を早く失った。妻を深く愛していた永さんは喪失感に打ちひしがれたが、それでも生きていかなければいけない。旅を愛する永さんは、旅先から妻に手紙を書き続けた。決して読まれることのない手紙を、投函されることのない手紙を延々と書き続けた。このエピソードを聞いた時、わたしは強い感動を覚えた。そうか。言葉は、死んだ人にも贈ることができるのだ。そう思い、昨夜、折り紙に彼らの名前を書きメッセージを添えて鶴を折った。書きながら心が浄化された。死にたいが生きたいに変わり、死んでいるが生きているに変わった。共に生きるというワードが頭をよぎり、俺はお前を忘れないぜと思った。まるで、思い出すためにさびしくなっているような気がした。

 

生きることと生きたいと思うことは別物だ。現代社会は物質的にも福祉的にも恵まれ、餓死をすることも路上で野垂れ死ぬこともほぼほぼない。助けてくれと叫べば受け入れ先は無限にあるし、選ばなければ仕事もある。だが、生きていけることと生きたいと思うことは別物だ。恵まれているにも関わらず、まったく恵まれていない心の渇望がある。それが自殺を引き起こしたり精神病を引き起こしたり買い物依存やアルコール依存を引き起こしたり、戦争や暴力や犯罪を引き起こしたりする。飢えて痩せ細り力を失った心は「自分は生きるに値しない」とか「死んだ方がマシだ」などと言った言葉で、自分の無力さを証明しようとする。しかし、心は魂に勝てない。魂は、常に「そんなことはないぜ」と囁いている。だから、わたしたちは映画を見たり音楽を聴いたり小説を読む。そして、圧倒的なイエスに包まれた時、喜びの涙を流す。自分は生きていてもいいのだと、こんな自分でももしかしたらなにかを成し遂げることができるのかもしれないと、命が肯定される喜びを覚える。

 

人間は商品じゃない。作品だ。売り物ではなく贈り物だ。不要な人間はいない。神は不必要な人間を作るほど愚かではない。使い捨てにされるべき命は一つもない。物質的に恵まれるほど、精神的なものに対する視聴率は下がる。だから、私たちは必死になって外見を取り繕うとするが、心は空洞を抱えたまま。誰も命を見ない。誰も命を見てくれない。そして心は冷えて行く。飢えを満たすことができるのは金でもなければ物でもない。愛だ。愛と光だけが、心の飢えを満たす。金があれば生きていくことができる。物があれば生きていくことができる。しかし、生きていけることと生きたいと思うことは別物だ。魂は、愛と光を求めている。これぐらいできないと人間として恥ずかしいとか、これぐらいできないと自分には愛される値打ちがないとか、そういった条件を吹き飛ばす。愛と光は「お前はお前で最高だ」と囁く。細かいことは気にするな、いい人になんてなろうとするなよ、いい人になろうとするんじゃなくてかっこいい人になれよ、好かれようとしないでも大丈夫、俺はお前を知っているぜ、お前は最高にかっこいい人間だってことを知っているぜ。

 

死ぬことよりも怖いこと、それは諦めることだ。

映画「ラブ・アゲイン」「世界にひとつのプレイブック」「ラ・ラ・ランド」を立て続けに見て思った。外国人はよく踊る。男はスーツ、女はドレスを着て、社交の場で頻繁に踊る。明日世界が終わるとしても踊る。日本人の場合、明日死ぬとしたら好きな人と抱き合いたいとか一緒に食事をしたいだとか、静的なものを望むだろう。だが、彼らはセックスや食事と同じレベルで踊る。とにかく踊る。初対面同士でも踊る。世界の終わりが来ても踊る。それを見て「これは俺も踊った方がいいのではないか」と思った。スーツをビシッ!と決め、着飾った女性と手を取り踊る。恥ずかしがる女性を半ば強制的に着飾り、メイクを施し、舞台の上に連れ出す。人前で肌を露出する。技量は関係ない。踊りたいように踊り、動きたいように動く。

 

死ぬ前にメッセージを残せるとしたら、簡単な言葉で表現することができる。夢を諦めるな。自分を信じろ。人と比べるな。何があっても自分の好きを手放すな。死んでもいい。死んでもいいから、夢を諦めるな。石に齧り付いてでも生きてやれ。死ぬことよりも怖いこと、それは諦めることだ。いい人になんてならなくていいから、かっこいい人になってください。この世ランドは金の問題がついてまわるが、ちゃんとしようなんて思わないでください。夢を諦めた人間が「普通の世界」にあなたをひきずり下ろそうとするけれど、見るべき光を忘れるな。いい映画やいい音楽、いい漫画がわたしたちに伝えているメッセージは猛烈に簡単な言葉で表現することができる。それは「やれ」だ。それは「やっちまえ」と言っている。細かいことは気にするな。大丈夫。全部うまくいく。だからやれ。だから行け。やりたいと思うことがあるならば、それを後回しにしている場合ではない。やりたくないことをやって生きるより、やりたいことをやって死になさい。大丈夫。人間は案外死なないから。諦めるから死ぬんだよ。諦めなければ、君は永遠に生き続けるだろう。

 

俺たちには、ハッピーエンドの才能がある。愛の才能がある。青春の才能がある。その才能を信じるのだ。俺は死ぬまで言うぞ。お前は最高だ。年齢は関係ない。夢を諦めるな。人と比べるな。自分を信じろ。絶対に大丈夫だ。死んでもいいからやっちまえ。潔く。晴々しく。お前には才能がある。夢を見る才能が。青春の才能が。お前にはハッピーエンドの才能がある。だから、俺たちは映画や音楽や漫画に感動をするのだ。いい人になんてならないでいいから、かっこいい人になってください。死んだ友がリヴァー・フェニックスなら、俺がホアキン・フェニックスになる。5月29日(日)に熱海で日曜礼拝を開催する。テーマは恋と革命だ。これがわたしの唯一の収入源なので、金を置くためだけに来てください。そして語り合いましょう。映画のような人生を、音楽のような人生を、漫画のような人生を、共に。

 

第三回日曜礼拝逢初庵「恋と革命」

日時・5月29日(日)10時-12時
場所・逢初庵
住所・静岡県熱海市伊豆山302
JR熱海駅より徒歩20分。バスを利用する場合、熱海駅改札を出て左手にあるバスターミナルの四番乗り場から乗り「岸谷」バス停で下車。バス停から徒歩5分程度で逢初庵に到着いたします。
参加費・ドネーション(逢初庵の維持費になります)
ドネーションは任意であり、強制ではありません。
参加方法・LINE or メールで、坂爪圭吾まで直接ご連絡ください。

タイムテーブル

10時00分 熱海駅改札前待ち合わせ(改札は一つだけになります)
10時30分 逢初庵到着。企画趣旨の説明。前半戦スタート。
11時00分 休憩
11時15分 後半戦スタート。戦とか書くと物騒だけど普通に進みます。
11時45分 締めの挨拶
12時00分 終了(終了以降は、ご自由にお過ごしください)

遠方からお越しの方など、宿泊をすることも可能です。宿泊費・食費などは一切かかりません。必要な場合はご相談ください。目指せ、森のイスキア。

連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com

ご不明な点は、お気軽にお尋ねください。

 

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

LINE ID ibaya

嫌いな人のために祈りましょう。

 

聖書に「汝の敵を愛せ」と言う言葉がある。神があらゆる人間を愛するように、自分に悪意を抱いている者や、迫害をしてくるような敵を愛せという教えだ。昨日、東京の麹町にある聖イグナチオ教会に行った。礼拝堂は常に開かれており、わたしのようにクリスチャンではない人間でも何時でも入れる。聖堂独特の静けさに包まれると、世俗の垢みたいなものが溶け出して流れる。庭には花が咲き誇り、むせ返るほどの香りに包まれていた。そこに建っていた像を見て「世界で一番大事なものはこどもたちで、世界で一番偉大なものはこどもを育てるお母さんだ」と思った。

 

おおまかなスケジュール

5月25
(水)東京

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

痛みと、赦し。

わたしは現在「千人から千円をもらうまでやめま千(仮)」という企画をやっている。千円もらうだけでは味気ないから、同時に鶴を折ってもらっている。鶴には自分の名前か大事な人の名前を書いてもらっている。千人達成すると千羽鶴も完成する。完成した暁には『愛はバーニング』と言いながら千羽鶴を燃やす予定だ。鶴を通じて自分(あるいは大切な人)を燃やし、新しい自分になって生まれ変わる的なお焚き上げ要素を含む内容になる。先日、ある方がわたしに一万円をくれた。そして、こう言った。最初は自分の家族や友達の名前を書いて十人分お願いしようと思っていたのですが、坂爪さんが、坂爪さんが折りたいと思った人の名前を書いて鶴を折ってください。と。わたしは十人分の鶴を折ったが、その時に異変が起きた。

 

誰の名前を書こうかなと考えて、最初は家族の名前を書いた。わたしは五人家族の末っ子なので、父と母と姉と兄のために折った。名前の横には、その人に向けた簡単なメッセージも書いた。たとえば、父の名前の横には「あなたの家族に生まれて来れてよかったです」と書いた。残り六枚。あとは友達のために折ろうかなと思ったが、友達よりも親戚の名前を書きたいと思い直し、山形に暮らす親戚の名前を書いた。これで四枚。残りは二枚。残された最後の二枚こそ友達のために折ろうと思ったのだが、自分でも驚いたことにわたしはわたしの嫌いな人の名前を書いた。ひとりは、毎日のようにわたしをディスり続けてくる男性の名前。もうひとりは、わたしの父親の弟の名前。わたしにとって、彼らは敵だ。彼らの存在を思い出すだけでも嫌な気持ちになり、できることなら見たくないと思う。だが、できることなら見たくないと思う人物の名前を書き、簡単なメッセージを添えている最中に、自分の中にある冷たくて残酷な部分が氷塊をしていくような、ある種の解放を覚えた。

 

誰かを嫌いだと思っている間は、自分と相手との間に冷たい壁を築く。俺はお前とは違うんだよとか、俺は間違っていないとか、お前みたいにはなりたくないと言った感情が、両者の間に壁を作る。壁があれば相手の存在を見ないで済む。しかし、毎日壁を見続けることになる。鶴を折ると言う行為(手紙を書くと言う行為)を通じて、わたしは、彼らが感じていた『痛み』に思いを馳せることができたのだと思う。彼らを敵としてではなく同じ人間として見ることができた時、自分の中にある冷たくて残酷な部分が氷解した。誰もが痛みを感じている。あの人たちも痛みを感じながら生きているのだと思うことができた時、自分の中にあるドス黒い部分も同時に溶け出して流れる感覚を覚えた。多分、これが愛だと思った。自分を愛せない人は他人も愛することができないと言われるが、違うと思った。他人を愛する時、同時に自分を愛している。愛は人間を自由にする。解放の名前は『赦し』だった。

 

嫌いな人のために祈りましょう。

懇意にしている飲食店が東京にある。久し振りに店主の顔を見たいと思い「今日はお店やっていますか」と尋ねたら、やっているから是非遊びに来てくれと返信をもらった。コロナの影響で飲食店は壊滅的なダメージを受けており、時短が明けた後も客足は戻らない。久し振りにお会いした店主は体重が20キロ以上も減っており、柔和な笑顔を浮かべながら「このままだと再来月くらいには店を閉めなくちゃならないな」と言った。自分も借金があって大変だと言うのに、こういうことには参加しなくちゃなと言って千円企画に参加した。そして、帰り際には手土産まで持たせようとしてくれた。御礼を告げると「いやいや全然いいんだよ、いつも坂爪くんの言葉に励まされているから御礼を言いたいのはこっちの方なんだ」と言った。それを聞いた時、ああ、俺の言葉はこういう人たちが読んでくれているのかと思った。

 

嫌いな人のために祈ったら自分の中にあるドス黒い部分が氷解をしたと話したら、店主は「自分にとって一番許せない人間は母親かな」と言った。店主は、母親との間に強い確執を抱えている。鶴を折りながら「ここに母親の名前を書けたら最高なのかもしれないけど、まずは自分。まずは自分の名前を書かせてもらいます」と言った。そして、名前の横に一言メッセージを添えた。そこには「もっと愛を!!」と書かれてあった。店主は言った。これはパッと思い浮かんだ言葉なんだけど、いろいろな意味がある。もっと愛していきたいし、もっと愛されていきたい。自分のこれまでの人生は、人のことばかりを優先してしまってあんまり自分を大事にしてこなかった。だから、これからはもっと自分を主語にして生きていきたいと思う。

 

この店は東京の一等地にある。しかし、心の優しい店主は誰でも気軽に来れるようにと値段を限りなく低く設定している。それを見て、多くの常連客たちは「もっとお金をしっかり取った方がいい」と言うが、わたしは、それは少し違うと思った。そんなことは、言われないでもわかっているのだと思う。生活の苦しさは切実で、もっとお金があったらどんなに楽になれるだろうかと思うことなんてザラだ。それでも価格設定を変えないのは、変えることができないからだ。自分が受け取ること以上に、相手に与えることを優先する精神があるからだ。だから、それを見た私たちは「もっとお金を取った方がいい」などと上から目線のアドバイスをするのではなく、自らが率先して金を差し出せばいいのだと思う。口ではなく、金を出せばいいのだと思う。金が無理なら、体を出せばいいのだと思う。口ではなく、自分の金で、自分の体で、自分の命で、生かしたいと思う人を生かし続ければいいのだと思う。昨日、わたしには一万円しかなかった。だから、その一万円を渡して帰った。

 

第三回日曜礼拝逢初庵「恋と革命」

日時・5月29日(日)10時-12時
場所・逢初庵
住所・静岡県熱海市伊豆山302
JR熱海駅より徒歩20分。バスを利用する場合、熱海駅改札を出て左手にあるバスターミナルの四番乗り場から乗り「岸谷」バス停で下車。バス停から徒歩5分程度で逢初庵に到着いたします。
参加費・ドネーション(逢初庵の維持費になります)
ドネーションは任意であり、強制ではありません。
参加方法・LINE or メールで、坂爪圭吾まで直接ご連絡ください。

タイムテーブル

10時00分 熱海駅改札前待ち合わせ(改札は一つだけになります)
10時30分 逢初庵到着。企画趣旨の説明。前半戦スタート。
11時00分 休憩
11時15分 後半戦スタート。戦とか書くと物騒だけど普通に進みます。
11時45分 締めの挨拶
12時00分 終了(終了以降は、ご自由にお過ごしください)

遠方からお越しの方など、宿泊をすることも可能です。宿泊費・食費などは一切かかりません。必要な場合はご相談ください。目指せ、森のイスキア。

連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com

ご不明な点は、お気軽にお尋ねください。

 

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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自分を出すと、みんな離れて行く。

 

私には弱さがある。人の意見を聞き過ぎる弱さ。すぐに人を裁く弱さ。他人と比べる弱さ。自分の本音を引っ込める弱さ。殻に閉じこもる弱さ。自分で殻を作っておきながら、その殻の中で窒息をする弱さ。淋しさを拒む弱さ。孤独を拒む弱さ。誰もが痛みを感じているということまで思いが至らない弱さ。優しさではない保身。愛ではない予防線。幼児的な怒りをぶちまける弱さ。他者に向けられた怒りは、そのまま自分に跳ね返ってくる。自分の怒りに、自分の弱さに、焼き殺されていく。

 

おおまかなスケジュール

5月1
7(火)東京

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

両極に引きちぎられながら、ど真ん中を生きる。

私の太陽星座は牡羊座で、月星座は蠍座になる。真逆に位置する星を持つ人は、両極に揺さぶられ強い葛藤に苦しむと言われている。善と悪。闇と光。生と死。両極に引きちぎられそうになりながら、だからこそ知ることができるど真ん中を生きることができたらと願う。だが、願うだけでは足りない。私のセルフイメージは「信仰心の厚いクソガキ」みたいな感じだが、時折、クソガキ側に強く振れる。そうなると暴れん坊将軍みたいになり、幼児的な怒りをぶちまけるだけの程度の低い存在になる。そんな自分はダサく醜く恥と罪にまみれているのだが、最悪なことに恥と罪にまみれている自分を自覚できていない。だから、必ず、制裁の反動を受ける。

 

そして、信仰心の厚いクソガキは信仰心サイドに大きく振れる。自分は間違っていた。自分はダサい。自分ほどダサい人間はいない。また人を裁いた。また殻を築いた。また嘘を重ねた。また過ちを犯した。誰かの中に見た嫌な部分は、全部自分の中にあるものでした。他者に向けた言葉が全部自分に跳ね返ってきて、自分の言葉にズタズタにされる。世界に対して謝りたいような気持ちになり、このような自分でも生かしておいてくださる神的な存在に感謝と懺悔を捧げたくなる。この繰り返しを、かれこそ八億回くらいやっている。私は懲りない。また、やってしまった。そして、これからもまたやって行くのだろう。生きることは恥晒しだ。罪と恥を避けることはできない。罪と恥を晒した瞬間は消えたくなるほど嫌になるが、同時に「間違いを認める脱皮にも似た清々しさ」も感じる。今、気づけてよかった。そうじゃなければ取り返しのつかないことになっていたと思う安堵感を同時に感じる。

 

きっと、誰の中にも矛盾する思いがあるのだと思う。誰かといたいと思う自分と、誰ともいたくないと思う自分。働きたいと思う自分と、働きたくないと思う自分。誰かのために生きたいと思う自分と、誰かのために生きたくないと思う自分。普通になりたいと思う自分と、普通になんかなりたくないと思う自分。自分を最高だと思う瞬間もあれば、次の瞬間には「自分ほど最低な人間はいない」と思う。私の最大の弱点はすぐに人を裁くことだ。真剣に生きることを自分に望むのは勝手だが、真剣に生きていない人を見るとカッ!となる習性がある。そして、相手に向けた刃の反動を時間差で喰らう。またやっちまった。自分が当たり前にできることを、誰もが当たり前にできると思うなよ。全部お前の弱さなんだよ、と。しかし、私には非常にチャーミングな部分もあるので「ごめんちゃい」とか言いながら、TRFの裁いちゃう(サバイバル)ダンスを踊って揉み消す。誰もが真剣勝負を生きている。

 

自分を出すと、みんな離れて行く。

昨日電話をした人が「自分はつまらない人間だから、自分のために時間を使わせてしまうことが申し訳ない」と言った。私はその人のことが大好きだから、電話のあとにLINEをした。もしも自分のこどもが「自分はつまらない人間だから、自分のために時間を使わせてしまうことが申し訳ない」なんて言ったら、俺は絶対に悲しくなると思う。そのままの気持ちにさせておきたくないなって思う。だから、超絶余計なお世話だけど、自分が自分に「お前はお前で最高だ」って何度も何度も言ってあげてほしいって思った。俺は心からあなたを最高だと思っている。だけど、あなたがあなた自身に思っていなければ、何も届かない気もする。あなたといることができる人間は、迷惑なんじゃなくて幸せなんだよ。俺の感度は高いから、俺が幸せなら他のほとんどの人もあなたといることに幸せを感じるはず。あなたは美人だし品もあるし可愛げも遊び心もユーモアも生き方のセンスも偏った知識もあるから、絶対に最高。あなたがあなたを低く貶めない限り絶対に最高だと俺は強く信じる。

 

自分を出すとみんな離れて行く。そんな拒絶される恐怖が自分の本音を覆い隠し、本当の思いの何歩も手前を生きさせる。本当の思いを隠して生きれば、深く傷つくこともない。だが、深く傷つくこともない代わりに、自分が存在していることの意味みたいなもの、愛と呼ばれるものを同時に失っていく。好かれるとか嫌われるとか認められるとか褒められるとか、本当はどうでもいいことなんだよ。大事なことは自分から愛していこうとする姿勢だ。誰かがどう思うかじゃない。自分が思う愛を、自由を、素晴らしさを、美しさを、真実を、まっすぐに相手に伝えることだ。誰も自分のことを必要としていないとか、誰も自分のことなんて見ていないとか、そんなことない。それを喜ぶ人や、それを喜ぶ世界は、絶対にある。お前の存在は迷惑じゃない。喜びだ。他者に向けられた愛は、絶対に裏切らない。本当の愛は、絶対に損をさせない。そのことを信じることだ。そして、実際に動き出すことだ。

 

先月、長崎の壱岐島に行った。船を降りると、新興宗教団体の女性が「人生の目的は成仏です」と真剣な顔をしながら下船客にチラシを配っていた。彼女の意見には同意だが、目が怖かったのでチラシは避けた。同じ言葉でもある人が言えば響き、ある人が言えば不快に響くことがある。それは、言葉ではなく言葉に込められた思いに違いがあるからだろう。人生の目的は成仏だ。悔いのない人生を生きたい。人生の目的とは、大袈裟だが恋と革命だと思う。恋に落ちた時、恋をする前とは別人になる。景色が変わり、意識が変わり、世界が変わる。死ぬための成仏ではなく、生きるための成仏。最悪の場合は死ねばいいと言う自暴自棄な感じではなく、死にたくない、生きていたい、後悔を避けることはできないけれどいまできる精一杯のことをやっていきたいと思うハートの部分にできるだけ従うこと。好きを叫ぶ。愛を叫ぶ。自分の中にあるハートを燃やし尽くして生きること。それが成仏だと思う。愛は価値を転換させる。お前はお前で最高だ。クズはクズでも最高のクズだ。自分なんかダメだと塞ぎ込むことが一番よくない。自分を否定しても誰も幸せにならない。そんなことよりも「自分は宇宙全体における偉大なる黄金色のお米粒なのだ」と開き直れば、世界も開く。小さいなら小さいまま、小さな自分を誇るのだ。

 

第三回日曜礼拝@逢初庵「恋と革命」

日時・5月29日(日)10時-12時
場所・逢初庵
住所・静岡県熱海市伊豆山302
JR熱海駅より徒歩20分。バスを利用する場合、熱海駅改札を出て左手にあるバスターミナルの四番乗り場から乗り「岸谷」バス停で下車。バス停から徒歩5分程度で逢初庵に到着いたします。
参加費・ドネーション(逢初庵の維持費になります)
ドネーションは任意であり、強制ではありません。
参加方法・LINE or メールで、坂爪圭吾まで直接ご連絡ください。

タイムテーブル

10時00分 熱海駅改札前待ち合わせ(改札は一つだけになります)
10時30分 逢初庵到着。企画趣旨の説明。前半戦スタート。
11時00分 休憩
11時15分 後半戦スタート。戦とか書くと物騒だけど普通に進みます。
11時45分 締めの挨拶
12時00分 終了(終了以降は、ご自由にお過ごしください)

遠方からお越しの方など、宿泊をすることも可能です。宿泊費・食費などは一切かかりません。必要な場合はご相談ください。目指せ、森のイスキア。

連絡先・坂爪圭吾
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ご不明な点は、お気軽にお尋ねください。

 

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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花の激しさ。

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三軒茶屋ドトールにいる。多くの人は、花を見て綺麗とか可愛いとか儚いとか強かなどといった感想を抱く。私は、一輪の花の静けさにどうしようもない激しさを感じる。命を燃やして燃やして燃やし尽くした時、舞い散った花びらから蒔かれた種子が新しい命を繋いでいく。女性は、花に例えられる。見た目の可憐さや芳しさだけではなく、内面に含む激しさをひっくるめて、刹那を生きる花なのだと思う。

 

おおまかなスケジュール

4月16(土)札幌

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

いつまでも弱いふりをするなよ。

花はか弱い存在だ。だが、花は決して弱いふりをしない。弱さを盾にしない。武器にもしない。花がやっていることの途轍もなさ、野晒しを生きる逞しさを感じる。近年、HSP自閉症やコミュ障や発達障害などといった言葉が市民権を獲得し、私はHSPなんですと言えば周囲の人間も壊れ物を扱うように接してくれる。自信がない。勇気がない。金がない。時間がない。能力がない。そういった嘆きの声も頻繁に聞く。誤解を恐れずに言えば、私は「いつまでも弱いふりをするなよ」と思う。

 

大なり小なり誰もが生きづらさを抱えている。人間が抱える悩みの質はさほど大差なく、誰もが似たようなことを悩んでいる。傷つきたくないとか、嫌われたくないとか、人の目線が気になるとか。自分が弱い理由を考える人は多いが、自分が強い理由を考える人は少ない。一つの夢を抱く時、その思いの中には「これが実現したらきっと幸せを感じる人がいるはずだ、少なくとも自分自身は救われる、そして自分みたいな人間にとっての救いにもなるかもしれない」という、祈りにも似た思いがある。ビジネスでもアートでも、その商品や作品や空間を通じて実現したかった思いがあるはずだ。その思いを、傷つきたくないなどといった理由から引っ込めてしまったら、救われるものも救われない。悲しみが、悲しみのままで放置される。

 

自信がないとか勇気がないとか能力がないとか、そういったことは本当はどうでもいいことだ。大事なことは、自分ではない。自分が抱いた『思い』の方だ。花は咲く。真っ直ぐ、太陽に向かってただただ真っ直ぐ、力の限りに命を伸ばす。最後まで咲き切る花もあれば、途中でダメになる花もある。だが、彼らは共通して全力だ。花はか弱い存在だ。だが、花は決して弱いふりをしない。その静けさ。その激しさ。可愛いだけではない。綺麗なだけではない。心が冷える優しさよりも、心が燃える厳しさのど真ん中を生きている。そして、裏を見せ表を見せて散っていく。

 

花の激しさ。

明日から札幌に行き、24日は熱海で第二回日曜礼拝を開催します。今回のテーマは「本当の仕事」です。働きたくないという愚痴を聞くことが多いが、本当は誰もが働きたいのだと思う。つまらない仕事ではなくいい仕事をしたいのだと思う。そして、その達成感や充実感に酔いしれながら酒を飲んだり夕日を見たり温泉に浸かったりして「最高だったな」と悦に浸りたいのだと思う。生活のためというよりは、生命のための仕事。私は、世間的な意味での仕事をしていない。だから、定期的な収入は皆無だ。普通、定期的な収入がないと数ヶ月で死ぬ。だが、私は数年間このスタイルで生きている。等価交換の世界では生きていけないが、贈与交換と呼べばいいのだろうか、交換ではなく循環の摂理によって生かされている。花と同じだ。

 

坂爪さん、こんにちは!○○です。

24日に熱海で開催される日曜礼拝に、是非、参加させていただきたいです!!

最近、人と話していても話している気がしないというか、どういうふうに話したらいいのか、結局全部自分本位になるだけじゃないのか、でも自分本位だったら何がいけないのか、そもそも自分と相手の境界はそんなにくっきり分かれているものなのか、そういうことを考えていたらよく分からなくなってしまって、でも人と話したいなという気持ちだけは残り続けて、それで、日曜礼拝に参加させていただきたいなと思いました!

よろしくお願いします!!

 

私が唯一自負できることは、常に真剣に生きたことだ。傷もまた人生の糧になることを信じて、本気でぶつかっていった。嫌なことをやって生きるより、好きなことをやって死にたいと思った。生活のために生きるより、死ぬならそれが自分の寿命だと腹を括って思いのままに生きることを決めた。うだつの上がらない時期は長いが、生きている。まだ、生きている。花はか弱い存在だ。だが、花は決して弱いふりをしない。命が花と同じなら、私は咲きたいと思う。咲くことは大変なことだ。萎れている方が圧倒的に楽だ。だが、萎れているよりも咲くことの方が圧倒的に楽しい。楽と楽しさは対極にある。私は咲きたいと思う。人の前ではなく、神の前で咲きたいと思う。人見るもよし。人見ざるもよし。我は咲くなり。我は咲くなり。

 

第二回日曜礼拝@逢初庵

日時・4月24日(日)10時-12時
場所・静岡県熱海市伊豆山「逢初庵」
参加費・ドネーション(逢初庵の維持費になります)
ドネーションは任意であり、強制ではありません。
参加方法・LINE or メールで、坂爪圭吾まで直接ご連絡ください。

タイムテーブル

10時00分 熱海駅改札前待ち合わせ(改札は一つだけになります)
10時30分 逢初庵到着。企画趣旨の説明。前半戦スタート。
11時00分 休憩
11時15分 後半戦スタート。戦とか書くと物騒だけど普通に進みます。
11時45分 締めの挨拶
12時00分 終了(終了以降は、ご自由にお過ごしください)

遠方からお越しの方など、宿泊をすることも可能です。宿泊費・食費は一切かかりません。必要な場合はご相談ください。目指せ、森のイスキア。

連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com

緊急連絡先・07085547665

ご不明な点など、お気軽にお尋ねください。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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LINE ID ibaya

愛は捨て身。

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心斎橋のドトールにいる。乱暴に分けると人間の行動は保身と捨て身に分けられると思った。保身の優しさは脆い。腹黒さもモロバレで、結局自分のためだからやればやるほど卑怯者になって腐る。だが、捨て身の優しさは岩をも砕く。保身に触れると体温は下がる。だが、捨て身に触れると体温は上がる。心の炎が燃え上がる。

 

おおまかなスケジュール

4月10(日)奄美大島

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

怖いなら、やろうよ。

多くの人にとって怖いことイコールやらないことなのだなと感じた。傷つくのが怖い、失敗するのが怖い、拒絶されるのが怖いなどと言った理由から、自分が本当にやりたいことをやらない(本当に言いたいことを言わない)で、無難な道を選択する。だが、怖いことは『本当はやりたいこと』の合図だと思う。無難な道を選択するほど体温は下がる。本当の思いを押し殺し、愛想笑いを浮かべたり社交辞令を振りまくことで、心は諦めの氷に閉ざされる。本当の思いを伝える瞬間は怖い。嫌われるのではないか、自分がダメになるのではないか、殴られるのではないだろうかと言う不安から全身が震える。だが、この震えがいいのだ。この振動による摩擦が熱を生み、体を燃やす。命を燃やす。魂を燃やす。捨て身によって体温が上がる。

 

怖いことイコールやらないことではない。怖いイコールやりたいこと。怖いからやらないのではなく、怖いからこそやるのだ。そう言うことを言うと「それは坂爪さんだからこそできることであって自分にはできない」とか「勇気がない」とか「自信がない」と言われる。だが、違う。勇気とか自信とか、堅苦しく考える必要はない。怖いことをやるということは、端的に楽しいことだ。端的にエキサイティングで、端的に生の実感に溢れている。保身を続ける人生より、言いたいことを言い、やりたいことをやる人生は清々しい。捨て身などと書くと大袈裟だが、捨て身の爽快感はクセになる。失うものなんて何一つないのだと全裸で突撃する時、謎の無敵感を得る。自分自身が火の玉になって突撃をする。その瞬間に絶大な歓びがある。

 

怖いは楽しい。だから遊園地があるのだ。地球はでっかい遊園地だ。怖い怖いとばかり言っている人を見ると「お前は遊園地まで来て何をやっているのだ」と思う。何にも乗らない。何にも触れない。ただ、黙って見ているだけの人生なんて。だから私は声を大にして言いたい。怖いなら、やろうよ。自信がないとか勇気がないとか、そんな堅苦しく考えないで。怖いは、楽しいんだよ。怖いは、面白いんだよ。この楽しさや、この面白さを避けたままの人生なんて、退屈にならない方がおかしい。誰もが燃えるように生きたいのだ。恐怖を避ける生き方ではなく、恐怖のど真ん中にダイブをしたいのだ。恐怖を感じるのは、それが大好きだからだ。本当に好きな女(男)がいる時、どれだけ他の女(男)と寝ても、頭の中にあるのは本当に好きな女(男)のことだけだ。本当に好きな女(男)に、代わりはいないんだよ。

 

愛は捨て身。

現代人の魂の皮下脂肪は厚いから、ある程度強く押さないとツボに届かない。先日、私は誕生日を迎えた。大勢の人々から祝われている私を見て、外野の人間から坂爪さんは愛されてますねえと言われた。それを聞いた瞬間「お前誰だよ」と思った。愛されているからなんだと言うのだ。大事なことは、愛されているかよりも自分がどれだけ愛せているかだろう。お前みたいな謎の褒め言葉を使う奴が増殖したから、祖国日本は承認欲求を埋めてくれる相手を求めて彷徨うゾンビが増えたんだよと思った。そんな言葉で俺が喜ぶと思うだなんてなめられたもんだぜと思った。

 

多くの人々と触れ合う中で、結構多くの人が「食っていかなくちゃいけない」と思っていることが判明した。食っていかなくちゃいけないから、やりたくないこともやらなくちゃいけない。と。極論だが、私は「食っていかなくちゃいけない」とはまったく思っていない。岡本太郎草間彌生を見ても、彼らが食っていかなくちゃいけないと思って芸術をやっているようには見えない。逆だ。これをやらなければ生きているとは言えないと思うことをやっている。食えなくなったら、それが彼ら(我々)の寿命なのだ。生活のために描かれた絵に感動できるとも思えない。彼らは本気だ。真剣だ。命を懸けている。だからこそ響く。捨て身の愛がそこにある。

 

人生は、殴るか殴られるかだ。勝ち負けじゃない。殴られた方も気持ちがいいし、殴った方も気持ちがいい。本当はみんな殴られたい。殴られたいから小説を読み、殴られたいから映画を見る。殴られたいから韓流ドラマにはまり、殴られたいから国立美術館に足を運ぶ。殴り殴られることを通じて生きていることを実感する。生きている間にやるべきことなんて燃やすこと以外には何もない。愛とか光とか許しとか自信とか勇気とか、能書きを垂れている暇があったら燃やすこと。愛はバーニング。命を燃やし、心を燃やし、目の前の対象に本気でぶつかって弾けた刹那、その刹那に永遠がある。美しさもあれば醜さもある。燃やした瞬間に愛も光も許しも自信も勇気も自己肯定感も承認も、その全部がある。そのトータルが美しいのだ。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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これをやればうまくいくということではなく、これをやったらダメになるかもしれないと思うことをやろう。

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四条烏丸ドトールにいる。昨日、自分を表現することに半端ではない恐怖心があると話す方にお会いした。その方が「どうせ誰も自分のことなんて気にしていないからどんどん出せばいいんですよね」と自分で言ったが、ノンノンノン、逆だよ。世界はあなたが本当の思いを出してくれることを待っているんだよ。それだけが世界を動かすんだよ。隠れて生きたらダメだよ。一人で生きたらダメだよと思った。

 

おおまかなスケジュール

4月2(土)京都

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

一人は楽だが退屈だ。

一人は楽だ。誰にも気を使わないでいいし、好きなことを延々とやっていられる。だが、好きなことの内容がYOUTUBEであったりゲームであったりするのはどうなのだろう。本当に好きならそれでいい。だが、頭の片隅にこのままでは自分がダメになるという思いがあるのなら、いますぐにやめて飛び出した方がいい。そうじゃないと永遠に飛び出せない人間になってしまう。腐る。魂が腐る。既に半分腐っている。残りの半分を死守するのだ。人生に退屈をするのは挑まないからだ。自分を出すのが怖いと言うが、自分を出さないで死ぬことの方がずっと怖いはずだ。自分を出さないで隠れて生きているから、生きているのに死んでいる気分になるのだ。

 

人と会うと疲れるのは本当のことを話していないからだ。普通とか世間体とか一般常識に自分をあてはめて「ここではこういう風に立ち振る舞うのが無難」とか言って、安全な道ばかりを選ぶから魂が腐るのだ。危険な道を選ぶことだ。危険な道を選ぶことで精神は蘇る。こんなことを言っちゃダメだよなと思うことを言う。こんなことを言っちゃ相手に失礼だよなと思うことを言う。失礼だと思うことが一番失礼だと思い直して、フェアに相手に真っ向勝負でぶつかって行く。本当の思いを口にする瞬間は怖い。声が震える。体が震える。動悸がする。涙が出ることもあるだろう。だが、それがいいのだ。それでこそ本当の会話だ。普通なんて得体の知れないものに自分を寄せて生きるのではなく、自分を出す。震えながら出す。泣きながら出す。怖さを克服してから出すのではなく怖いまま出す。そこに突破口がある。

 

日本でカラオケが流行る理由が少しわかった。自分の歌を歌う人間が少ないのだ。自分の歌を歌い始めたら他人の歌を歌っている場合ではなくなる。他人の歌を歌う時の基準は「うまいか、へたか」それだけだ。だから精一杯練習をして他人から評価されることに重きが置かれる。だが、私はかつて歌がうまいというだけの理由で感動をした覚えがない。うまいだけでは退屈だ。その人がその人である所以を感じるからこそ感動をするのだ。うまくやる必要はない。うまくやろうとするほど自分から遠く遠く離れていく。自分の歌を歌うことだ。自分の歌を歌う限り、基準は常に自分にある。他人からの評価や数字を気にするだけの人生は虚しい。視聴者に媚びて広告で稼ぐような生き方は不潔だ。へたでもいいから自分の歌を歌うことだ。

 

これをやればうまくいくということではなく、これをやったらダメになるかもしれないと思うことをやろう。

坂爪さんは毎日色々な人に会っていて凄いですねと言われるが微妙だ。毎日色々な人に会っているのはみんな同じだ。ドトールの店員は私とは比較にならないレベルで毎日大勢の人々に会っている。問題は質だ。なんとなく会っていたらそりゃあなんとなくで終わる。肉薄するのだ。相手のコアに最短距離で突き進むことだ。サービス業の店員のほとんどは機械みたいな人間というよりはもはや機械が人間のフリをしていると思わされるくらい心が死んでいるが、相手のコアに肉薄するのだ。婚活や出会い系アプリを使っている人々は「今日会った人はハズレでした」みたいなことを平気で言う。この態度に問題がある。誰かをハズレ認定してその場しのぎのやりとりを繰り返していると、自分の一部をハズレ認定することになる。毎日が虚しくなるのは自分が他者を裁くからだ。他者を裁くほど、自分自身を裁いている。

 

街を歩くと「買わなきゃ損!」みたいな広告を多数目にする。たとえ安く買えたとしても金を払っている時点で損だろと思うのだが、企業はいかに商品を買ってもらうかに命を燃やしているから当然のことだ。お客様のためとか偽りながら結局は自社利益のために宣伝を打つことは通常のことで、これが個人にも適応されているのが今だ。表面的には相手のためとか言っておきながら、結局は自分を守るために生きている。世間的に言われている優しさの9割はただの保身だから、本当の優しさを目にする機会は圧倒的に少ない。私はそこに憤りを覚える。全部嘘じゃねえか、と。全部嘘じゃねえかと叫ぶその姿が、逆説的だが時折誰かの胸を打ったりする。本当の思いを叫ぶとき、それに触れた誰かの本当の思いを呼び覚ますことがある。

 

愛想笑いや社交辞令、自分を取り繕っていい人の演技を続けるなど、嘘を吐き続けていたら自分を嫌いにならない方がおかしい。体が震えても涙が出ても本当の思いを口にすることだ。無難な道を選ぶのではなく、危険な道を選ぶことだ。これをやればうまくいくということではなく、これをやったらダメになるかもしれないと思うことをやろう。危険に賭ける。危険に突っ込む。死に直面した瞬間に湧き上がる直情こそが生の実感になる。怒りこそ愛だろ。誰かのためとか言いながら自分を押し殺して生きている人間が真に誰かを愛せるとは思えない。中途半端な優しさを乗り越えて本当の思いを生きた人間こそが、本当の優しさを差し出せるのだと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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人間は商品じゃない。作品だ。

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これから毎月最終日曜日に、熱海の逢初庵で日曜礼拝をやることにした。朝10時に熱海駅前に待ち合わせて、参加希望者全員で逢初庵まで歩いて向かう。逢初庵に到着以降、毎回テーマを決めて語り合う。初回のテーマは「願いと祈り」に決めた。昨年7月に熱海では大規模な土石流災害が起き、逢初庵の真横の道が流された。奇跡的にこの家は無傷で済んだため、災害以降「奇跡の家」と呼ばれたりしている。

 

おおまかなスケジュール

3月27(日)10時 日曜礼拝@静岡県熱海市「逢初庵」

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

願いと祈り。

この世で一番美しい姿は祈る姿だと思う。祈りの機会を生活に取り入れていきたい思いがずっとあった。私はクリスチャンではないが、教会のような場所を作りたい。魂について語り合えるような、その場に居合わせた人々の人生に直接触れ合えるような、表面的ではない場を作れないものかと思っていた。祈りとよく似た言葉に願いがある。願いと祈りは別物だ。願いは「もっともっと」と、自分に足りないものを付け足すような足し算的な願望を感じる。それに対して、祈りは「ボロボロになって何もかも失ったように見える中にいても尚、最後まで残る力」だと思う。

 

私は、定期的に虚無感や無気力に襲われることがある。そうした時期は、いつもは楽しいと思えるはずの出来事も楽しめず、いつもは聴ける音楽も受け付けない状態になる。楽しむこと、好きなことをやること、ワクワクすることをやること、ご機嫌でいること、ポジティブに物事を考えることなど、そういったことが大事なのは重々わかる。だが、楽しさや面白さだでは虚無感や無気力に打ち勝つことはできない。ごまかすことはできるが、打ち勝つことはできない。だが、虚無感や無気力を打ち破ることができるものが一つだけある。それが『祈り』だ。祈りは、最後の最後、すべてが八方塞がりに見えるような中においてさえ尚、力を発揮するものだ。

 

病気になった時「病気を治してください」と思うことが願いならば、祈りは、必ずしも病気が治ることだけを意味しない。それよりも「この病気に込められた意味を自分が汲み取ることができるように、私をお導きください」と、自分ではない大いなる何かの声を聴こうとする行為だと思う。人間の目から見れば悪く見えるようなことも、神の目から見れば善いことがある。私たち人間の狭い見識を越えた、もう一つの視座、もう一つの視点を求める行為を、祈りと呼ぶ気がする。誤解を恐れずに書くと、願いのベースは損得勘定だと思う。自分の狭い見識の中からしか思いが放たれることはない。祈りは、自分を越える。自分を越える時、人は自由になる。

 

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人間は商品じゃない。作品だ。

闇の中にいる時、私は美しいものを求める。この世で一番美しい姿は祈る姿だと書いた。闇に輝く祈りを求めて私は彷徨うが、見つかるものは願いばかりだ。願いが悪いとは言わない。ただ、損得勘定をベースとした願いばかりが蔓延すると、人間はどんどん祈らなくなる。世界から祈りが消え去っていく。どれだけ大きなことだとしても、祈りがなければ成されたことは小さい。どれだけ小さなことだとしても、祈りがあるのならば成されたことは大きい。祈りを忘れたら人間はどこまでもダメになることができる。祈りを取り戻せば、いつでも帰ってくることができる。

 

熱海の家は基本的に開放をしていて、誰でも自由に使うことができる。利用料金などは無料で、玄関に財布【みんなの財布】が置いてある。金に困っている人はそこにある金を使っていいし、金に余裕のある人はそこに金を入れて帰ってもいい。家にある食料も自由に使っていい。家の鍵はかけていない。風呂もトイレも布団もあるので、泊まりたい人は無料で泊まれる。私は今日から数日間滞在をする。利用希望者の方は事前にご連絡をいただけると助かります(他の利用希望者と被らないため)。土石流により近隣の主要道路が流され、この家の不動産価値は「0」になった。人間の目から見たら価値は0だと言われたこの家で、真の価値を発掘したい。

 

世界に損得勘定が蔓延すると、役に立たない人間は不要な人間と言うことになる。だが、人間は商品じゃない。作品だ。不要な人間はいない。いるとしたら、全員不要だ。役に立つかどうかだけで人間を判断するようになると、役に立つ間は生きていてもいいけれど、役に立たない人間は生きていてはいけないということになる。そんなふざけた話があるか。人間は商品じゃない。作品だ。命は売り物じゃない。贈り物だ。私たち一人一人が売り物としてではなく贈り物として存在することができた時、ここにある世界は、一発で様変わりをするだろうことを私は信じている。

 

日曜礼拝@逢初庵

日時・3月27日(日)10時-12時
場所・逢初庵
住所・静岡県熱海市伊豆山302

タイムテーブル

10時00分 熱海駅改札前待ち合わせ(改札は一つだけになります)
10時30分 逢初庵到着。企画趣旨の説明。前半戦スタート。
11時00分 休憩
11時15分 後半戦スタート。戦とか書くと物騒だけど普通に進みます。
11時45分 締めの挨拶
12時00分 終了(終了以降は、ご自由にお過ごしください)

連絡先・坂爪圭吾
keigosakatsume@gmail.com
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ご不明な点など、お気軽にお尋ねください。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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どんどんはじめて、どんどんやめよう。

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神戸のドトールにいる。祈る時、私たちは頭(こうべ)を垂れる。これは、自分の首を切り落とされたとしても構わないから祈りを聞いてくださいと願う、静謐にして苛烈な意味合いが込められている。自分の命と引き換えにしても尚、祈りたいと思うこと。自分のためだけの祈りは聞かれないと言う。首を切り落とされたら元も子もないからだ。自分の命と引き換えにしてさえ尚、祈りたいことは何だろうか。

 

おおまかなスケジュール

3月16(水)神戸
3月17(木)福岡
3月18(金)熊本

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

天下無敵の無一文。

昨日まで実家の新潟にいたが、自分が元気な理由がわかった。母親が元気なのだ。母親は山形のど田舎で生まれた。百姓の娘として生まれた母は幼少期食い扶持を減らすために身売りされかけた。田植えの時期は当然学校を休む。大正時代の人々と似通った生活をしてきたのだが、その暮らしが母親を鍛えた。雪国の人々はブラックジョークを好む。笑わないとやっていけないというのが本音だろうが、何かあるたびに「貧乏人ほどよく笑う」と言って母親は笑った。母親は飛行機に一度しか乗ったことがない。北海道で生活保護を受けていた母親の兄が問題を引き起こし、身元引受人として呼ばれた時に乗った切りだ。先日、生まれて初めて母親はサイゼリアに行った。安価なイタリアレストランだが、母親は「なんだこれは!」と連呼をしながら、エスカルゴなどを感激しながら食べていた。母親の一人称は「俺」だ。

 

そういう母親を見て育ったからだと思う。何かあっても「大正時代に比べればマシ」とか「戦時中はみんな芋食ってた」とか、そう思うことで活力を得る。俺に金がなかろうが世の中は(少なくとも物質的には)豊かになっているから大丈夫だ。そんなことを思いながら野宿をしたり延々と歩いたり噴水で髪の毛を洗ったりしている。金持ちになりたいとかいい家に暮らしたいとか、思わない訳ではない。しかし、私はスラム街で見たこどもの瞳の輝きを忘れることができない。彼らは物質的には貧しい。だが、瞳は我々の数倍輝いている。実家の父や母の姿に、スラム街のこどもに共通する輝きを感じることがある。彼らは実に素朴だが、彼らと過ごすと和む。情報社会にさらされ続けた擦り傷が修復されていく安堵感を覚えるのだ。この感覚は、野良猫を目にした時と似ている。私は、野良の人間から生まれたのだ。

 

新潟でお会いした女性が「私の旦那は結婚した当初は貯金がないばかりか借金がありました。しかし、彼には全然ジメジメしたところがなくって『俺は、天下無敵の無一文だ!』とか偉そうに言う人だったから、そういうところが好きになって結婚をした」と話してくれた。天下無敵の無一文。なんという開き直り。なんという居直り。最高だなあ(俺も使おう)と感銘を受けた。一般的には低く見られる立場に胸を張る。金があるから胸を張るのは普通だ。だが、金がないのに胸を張っている人間を見ると「なんでそんなに堂々としていられるのですか!?」と周囲が驚愕する。理由は単純。世間的な価値基準ではない、その人独自の価値観があるからだ。世間的な評価を軸にすると簡単にブレる。だが、自分の信条を持った人間は簡単にはブレない。孫悟空もキリストも仏陀も、言ってしまえば無職だ。だが、彼らは最強の無職だ。孫悟空は「オラ、ワクワクしてきたぞ」などと言いながら、面白い方へ面白い方へと突っ込んで行く。これは極めて理にかなっている。神様は、我々人間に「苦しめ」だなんて言っていない。神は、ただただ「楽しめ」と言っている。

 

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どんどんはじめて、どんどんやめよう。

今日明日の寝床はないけれど突っ込む。明後日までに熊本駅に着く必要がある。なぜか。10年前の3月18日に息子を自死で亡くされた女性がいるからだ。その方から「息子の遺影の前で坂爪さんの歌を歌って欲しい」と連絡をいただいた。これはもう絶対にやるっきゃないと即決した。やるしかないではない。やるっきゃないである。息子さんも生前ギターで作曲活動をしており、私の歌う姿が息子さんと被って見えたとその方は言った。当日は、息子さんが愛用していたギターを借りて歌う予定だ。何を歌おう。私は当然、息子さんとお会いしたことはない。だが、歌うことで繋がれる気がする。音楽と、言葉と、花束は、死んだ人にも贈ることができる。

 

様々な人々と会う中で、なんとなく自分の役割が見えて来た。人間、生きているとどうしても人間関係が固定化される。日常的に話すのは職場の人間か家庭の人間だけなんてことはザラだ。それを悪いとは言わないが、固定化は死に近い。そんな時に、旅する異物(俺)が役に立つ。良くも悪くも外側の世界に触れることで、画一的な日々に風穴が空き、新しいアイデアや活力を得る。先日、お会いした方から「人と会ってばかりだと疲れませんか」と問われた。自分を偽っていたら疲れるだろうなと思った。だが、本来、誰かと出会うことは素晴らしいことのはずだ。それなのになぜ「疲れる」とか「傷つく」とかマイナスの可能性を優先して制限をかけるのかわからない。おそらく、誰かと会う時に「こうするべき」というべき論が支配をしてしまっていて、自由に振る舞うことに抵抗を感じている人が大勢いるのだろう。そんなものは蹴飛ばしてしまえ。自分を取り繕って好かれるよりも、自分を出して嫌われる方がずっといい。嫌われないように生きるのではなく、潔く、嫌われてしまおうじゃないか。それでも尚、自分を出しても好かれたのなら万々歳だ。

 

新潟空港まで父親とドライブをした。父親が「魚釣りに行く時一時停止を無視して突撃したらパトカーに追われた。あんた、踏切は一時停止しなきゃダメだよと言われたから『この時間は電車も走ってないからいいでしょ』って言ったんだけどそういうことじゃないんだよと怒られた。その日は一日中おもっしぇくなかった」と笑いながら話した。父親のこういう話を聞くのはたまらなくいいものだなと思った。よく、愛情を示す時に家を買ったり花を買ったり宝石を買ったり『モノ』を贈ろうとしてしまうことがあるが、一番の贈り物は一緒に過ごした楽しい時間なのかもしれないと思った。モノは確かに素晴らしい。しかし、一番の宝物は「自分はしっかりと見てもらえている」という実感ではないだろうか。モノでは埋まらない心の隙間がある。現代人は視聴率不足だ。自分の代わりなんていくらでもいる、自分は必要のない人間なんだと思っている人々がたくさんいる。そこに視聴率を注ぎたい。ともすると「どうすれば自分を見てもらえるか」「どうすれば愛されるか」「どうすればモテるか」ばかりが取り沙汰される世の中だが、自分ではなく相手をしっかり見ることの方が何億倍も大切だと思う。見られることよりも、見ることに意識が切り替わることで、人は自由を手に入れる。愛される人とは、愛する人のことだ。

 

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「黄金のままでいられるか」

空に浮かぶ月が海に 白にも似た道を作り
揺れた波が描く色が 俺の両目を照らした

奴等の言うことは全部 正解でも本当じゃない
なんでもありの体現者 誤解される君は 綺麗

綺麗な物たちは全部 哀しみを隠し持っていて
優しい者たちは全部 ナイフを隠し持っていて

歯車を弾き出された 錬金術師たちが昨日
見上げた星が瞬いた 夜の歌を 響かせて

黄金のままでいられるか なんでもないような顔で
黄金のままでいられるか いまにも泣きそうな顔で

曇り空の更に上に 青い空が広がってる
金色(ゴールド)の光が差して 彼女の罪も許される

冷えたアスファルトの下に 燃えるマグマを感じてる
金色(ゴールド)に憧れたまま 憧れたまま死ぬのさ

黄金のままでいられるか 誰にも 見つけられない
黄金のままでいられるか 君を見つけられないから

誰も聞いたことない 声を 声を 声を 聴かせて 
誰も聞いたことない 声を 声を 声を 聴かせて

俺のような君に会って 君のような俺に会って
一つだけやっと分かった 不幸な人間はいない

傷口から零れ出した 賛美歌と血が流れる
唯一無二の体現者 誤解される君は 綺麗

世界の何処かにはきっと 自分みたいなやつがいて
いまにも泣きそうな顔で 出会えること待っている

世界の何処かにはきっと お前みたいなやつがいて
いまにも泣きそうな顔で 出会えること待っている

黄金のままでいられるか なんでもないような顔で
黄金のままでいられるか いまにも泣きそうな顔で

黄金のままでいられるか 誰にも 見つけられない
黄金のままでいられるか 君を 見つけに行くから

誰も聞いたことない 声を 声を 声を 聴かせて
誰も聞いたことない 声を 声を 声を 聴かせて 

君は 綺麗 君は 綺麗 君は 綺麗 君は 綺麗

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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かまわずに、やっちまいな。

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西日本を巡り、現在は横浜にいる。千人から千円もらうまでやめま千と銘打ち、千葉で借りた軽トラを走らせて出雲大社まで往復した。現在の達成人数は104人。ちょうど1割を達成した段階で軽トラを返すこととなり、明日から第二章がはじまる。こんな愚かな企画に誰が参加するのだろうかと思っていたが、この企画をしていなければ絶対に発生しなかった喜びに恵まれた。何かをやれば、何かが起こる。

 

おおまかなスケジュール

3月1(月)関東

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

微妙な空気で食う料理は毒。

たくさんのこどもたちと出会った。千円を払って名前を書いた折り鶴を折ると言う、生産的でもなんでもない行為に「僕もやりたい!」「私もやりたい!」と、こどもたちが自ら名乗りをあげる。小学一年生の男の子は、今年もらったお年玉の全部を投げ出してこの企画に参千した。こどもからお金をもらうのはどうなのだろうと思ったりもしたが、その二秒後に「最高の経験じゃないか」と思って、参千してもらった。こどもから全財産をまきあげる体験ははじめてだったが、こどもたちのいまを生きる姿、俺たちにはいましかねえんだよと生き切る姿には胸を打たれた。

 

出雲でお会いした女性M様からは、別れた後に「最後に一言言わせてください。坂爪圭吾のバカヤロー!愛と憎しみを込めて」と書かれたラインを受け取った。はるばる出雲大社まで足を運んでバカヤローと言われるのも悪くないと思った。どのような気持ちでM様がそのような言葉を叫んだのかは謎だが、別れ際、私は安来駅前のココカラファインの駐車場でM様の腹を殴った。M様は「もっと強く殴ってください」と言った。隣にいたM様のお姉さまも「もっと行っちゃってください」と言った。そういったことのトータルが、M様に「坂爪圭吾のバカヤロー!」と言わせたのだと思う。あの時、あの瞬間、俺たちが一番ココカラファインだったと思う。

 

食事中、空気が微妙になって途中退席をしたりもした。微妙な空気で食う料理は毒である。空間のエネルギーも一緒に食べているから、たとえ注文をしてしまった後でもこれは違うと思ったら、嫌われても憎まれても叩き殺されてもいいから離れることだ。移動中は体力勝負になる。グルテンは危険だ。使い物にならなくなる。人間が人間に与える影響は大きい。体を動かしている人を見ると「自分も動かしたいな」と思ってつられて動くが、怠けてばかりいる人を見ると「自分も怠けちゃおう」と思ってつられて怠ける。日常的に、自分がどういう人間を見ているかが自分を作る。微妙な空気で食う料理は毒であり、微妙な空気で生きる時間も毒である。

 

かまわずに、やっちまいな。

人間は従来1000ccのエンジンを搭載している乗り物だが、日本で暮らしていると50ccくらいしか使っていない。だけど、インドを旅行したりアラスカで肉体を酷使するような生活をしていると、1000ccをフルで稼働できている気がすると言う話を聞いた。そして「恐ろしいことに、ずっと日本にいると自分が1000ccあることを忘れてしまう」とも聞いた。昨日お会いしたY様は、家庭的にも経済的にもなんら問題はないのだが生きることに退屈することがあると話した。ヒリヒリするような時間もなく、常に虚無を引き連れて生きている感覚があり、みんなは何に楽しさを見出しているのだろうかと語った。大きな悩みもない代わりに、大きな喜びもない。

 

今日お会いしたK様は、一年前に離婚をして現在は実家で四人のこどもを育てている。こどもがまだ小さいために働きに出ることができず、いまは家で内職をしている。ボールペンを作る仕事なのだが、どれだけ一生懸命に働いても一時間に稼げるお金は200円程度なのだとK様は語った。「これっぽっちって思っちゃうこともあるけれど、でも、いまはこれも社会勉強だと考えるようにしています。ボールペンを作る時、一本一本に息を込めるように気持ちを込めて、みんなから大事に使ってもらえるように作っています」。そう語るK様を見て、崇高さに触れた気がした。ああ、これが祈りだと思った。祈りがなければ、どれだけ大きな行為でも成されたことは小さい。祈りがあれば、どれだけ小さな行為でも、成されたことは大きい。

 

出会う方々から「何かメッセージをお願いします」とか「坂爪さんから見て私はどういう人間に見えますか」とか、色々聞いていただく。だが、私はそれにうまく答えることができない。だから「かまわずに、やっちまいな」とだけ答えている。周囲が自分をどう思うかとか、何が正解で何が間違いなのかとか、そういうことは本当は全部どうでもいいことだから、死ぬ前にやりたいと思うことがあるならばかまわずにやっちまいなと私は思う。何かを好きになること、何かをやりたいと思うことは奇跡みたいなことだから、それをみすみす見逃すだなんてもったいない。こんなことをやって何になるのかとか、需要があるのかないかとか、そういうことは全然重要じゃない。周囲がどう思おうが、少なくとも自分は「これをやりたい」と思っている。需要は、自分の中にある。金になろうがならなかろうが、自分がやりたいと思ったことをやればいい。周囲からは「そんなんじゃ生きていけないよ」と言われることもあると思うが、そんな時は「私は、そんなんで生きてしまっている人間(坂爪圭吾)を知っている」と答えたらいい。大丈夫。絶対に、どうにかなる。

 

圭吾さん
今日はありがとうございました♡
とても楽しかったです♬
今、スッキリ爽快感があります
✨

カラス可愛かったですね〜
😍
あんなに可愛くて人懐っこいカラスを間近で見られたのは初めてです♡
きっと圭吾さんに警戒心も敵意も偏見も何もないからカラスさん達もあんなに愛おしい表情を魅せてくれたのかなぁ♡

太陽も空も優しく清々しく
少し開けた街でも、
自然を味わえますね♬

圭吾さんから流れる波が心地よくて、私の話が止まらず
🤣
時々聴いてくださる問いが核をついていたり。
逢う前はあんなに緊張したり、なぜか圭吾さんの正解を求める自分がいたり、羞恥心や取り繕おうとする自分が出てきたりもしたけれど。。。
圭吾さんの言う通り、
そのままでいるって
とても気持ちいいです♡

私も圭吾さんのように、
『自分はこう』とかいうこだわりや繕いを脱いで
相手の人が気持ちよく話せる私になっていきます♬

今日は同じ時間を共有してくださり、
たくさんお話聴いてくださりありがとうございました♡
良い魂の旅を♬♬

追伸

今、お昼ご飯に両親と少し心の会話が出来ました♡
あんなに『傷付きたくないからもう心を開かない』って頑なになっていたのに、
圭吾さん効果で 『自分のこだわりなんか捨てちゃえばいいんだぁ〜』って心がふっと軽くなったら。。。
こんなにも速攻で、世界が切り替わる🌈
宇宙は面白いですね♡

ありがとうございます♡

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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愛はバーニング。

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愛知県豊田市梅坪にあるコメダ珈琲にいる。千葉県で軽トラを借りて「1,000人から1,000円をもらおう!そして、鶴も一緒に折ってもらって千羽鶴を作って燃やそう!」という企画を敢行している。出会う方々から「燃やしてどうするのですか」と聞かれるが、そんなことは聞かないでください。愛はバーニング。燃やしてどうなるとかじゃないのだ。燃やすこと、最後まで燃やし尽くすことがゴールなのだ。

 

おおまかなスケジュール

2月21日(月)愛知&滋賀&京都
2月22日(火)京都&滋賀&大阪
2月23日(水)大阪&兵庫&岡山

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

自分を燃やす。

鶴の裏に名前を書いてもらっている。千羽集まったら千羽鶴を作って河川敷など手頃な場所で、それらを「愛はバーニング!」と言いながら燃やしたい。5日で41名もの方々が参千(参戦)してくれた。よく、こんな意味のわからない企画に参加してくれましたねと言ったら「だって面白そうだと思ったから」と答えてくれる。そうか。そうだ。大義名分なんて必要ないのだ。人は、正しいから動くのではない。楽しいから動くのだ。正しくなくても、全然意味不明でも、なんとなく「面白そう」と思う何かがあれば、人間は動く。俺も動く。序盤だからビギナーズラックが連続している。ビギナーズラックを生き続けるために、永遠のビギナーである必要を感じる。手慣れたもには飛躍がない。今日は、明日とは違う自分になる。それだけで今日を生きる。明日のことは明日に任せる。先のことを考えると疲れるから。

 

名前を書いた鶴を燃やすということは、自分を燃やすということだ。千葉で会った方が「お焚き上げみたいですね」と言った。お焚き上げ。いい言葉だ。燃やし尽くすことも愛だ。昨今、癒しとかセラピーとかが流行だ。しかし、愛は癒すことだけじゃない。燃やし尽くすことも愛だ。自然界には重要なエレメントが多数あるが、避けて通れないものが『火』だ。しかし、火は取り扱い注意である。現代社会で火を見る機会は少ない。本当は、誰もが心の中に熱い炎のようなものを抱えているが、それを外に出す機会は少ない。なんとなくいい人ぶって、なんとなく常識人ぶって、なんとなく毎日をそつなくこなしていく。そうすると、絶対、燻る命がある。命は燃えたがっている。ロウソクの炎のように、俺の役割は燃えて燃えて燃やし尽くすことなんだよと吠えている。ロウソクは、燃えることによってはじめて周囲を照らす。飾られているだけではホコリをかぶって経年劣化をするだけだ。ロウソクの命は儚い。儚いからこそ美しい。パッと照らしてサッと去る。花も同じだ。

 

末期癌患者になった80歳の女性がいる。余命三ヶ月を告げられた彼女は、全身に抗癌剤を打つことを医師に勧められた。しかし、彼女は「三ヶ月も寝たきりになるなんて真っ平ご免!」と、医師からの勧めを完全無視して三ヶ月世界一周の船旅に出発をした。しかも、家族の付き添いを断ってたった一人で。この三ヶ月間、彼女は家族から禁止されていた昼からの酒と麻雀を楽しみ、三ヶ月の船旅を思う存分楽しんだ。楽しみに楽しみまくった結果、彼女の癌は消えた。帰国後に再検査をしたら、全身の癌が消えていた。食事療法や運動療法など様々あるが、毎日を楽しむことの免疫効果は高い。当たり前だが、退屈な人生を生きるより面白い人生を生きた方が、単純に嬉しい。癌も治れば一石二鳥だ。楽しむことの威力は半端ないのだ。

 

note.com

 

愛はバーニング。

私には夫も子供もいるのだが好きになった男性がいる、その人にも家族がいるのだが前に一泊二日の旅行に出かけた、彼とずっと一緒にいられることは幸せだったがふとした瞬間に彼が私のことを奥さんの名前で呼んだ瞬間があり、その時に「ああ、この関係は終わりにしなくちゃならないな」と思って彼に別れを告げた。お別れをした数週間後、突然彼は病気で死んでしまった、まさか死んでしまうだなんて思ってもいなかったから最後仲直りをして終われなかったことが悔やまれてならない、こんな話は誰にでもできることではないけれど、坂爪さんに話すことで彼にも聞いてもらえるんじゃないかなと思って連絡をしました、と話す女性と出会った。

 

人は死んだら火葬される。生身の肉体は燃やされて灰になる。最後はみんな灰になる。姿形は見えなくなるが、亡くなった人は生きている人のために祈っていると思う。だから「きっとその方も聞いていると思います。仲直りは成功していると思います」と言った。昨日お会いした女性は、幼少期から親から受け続けた虐待の後遺症に悩まされて、現在は昔とは比べ物にならないほど恵まれた環境にいるにも関わらず、それでもなお死にたいと感じてしまう自分を責めてしまうと話してくれた。感情の浮き沈みも激しくそんな自分をダメだダメだと思う時期も続いたが、最近では「乱高下するのが自分なんだ。乱高下することを否定しないで受け入れていこう」と思い直してから、気持ちが楽になったと話してくれた。わかる。この話はよくわかる。私も自分の中に強烈な矛盾を感じる。矛盾を感じると統合しなければならないという気持ちに襲われるが、違う。矛盾を抱えて生きる。両極を生きる。どっちかじゃない。どっちもだ。生と死。自然と都会。激動と静謐。軽トラとポルシェ。どっちかじゃない。どっちもだ。矛盾を生きる。両極を生きる。それが筋だ。

 

昨夜泊めてくれた男性が「前に、寝ていた時に延々と頭の中で『天河神社天河神社』って囁く声が聞こえて、そんな名前は聞いたことなかったのだけどネットで調べてみたら本当にそういう名前の神社があって、そこに行ったら現在の事業を一緒にやることになった人物との出会いがあって人生が一気に変わった」という実体験を話してくれた。不思議なことは起こる。不思議なことは起こるのだ。顕微鏡が発明される前の世界では、人間が病気になるのはウイルスのせいだとか言っても「お前の頭は狂っている」と言われて魔女狩りに遭っていた。100年後の人類は「あの頃はみんなウイルスを恐れて全員マスクをして生きていたんだよ」とか言いながら笑っているかもしれない。集団心理は恐ろしいものだ。マスクが普通になると、マスクをしていない人が「みんなとは違う」というだけの理由で魔女狩りの対象になる。常識とは、魔女狩りをするためにある訳じゃない。人間を自由にするためにあるものだ。愛はバーニング。真理は人を自由にするものだ。愛も同じことだろう。

 

坂爪さん

遅い時間にすんません
今日は軽トラでお立ちよりくださりありがとうございました!なんともかつて私がぼんやり抱いていた「国民全員から1円もらったらむふふ」な夢と類似した企画をありがとうございました!


長い道のりかもしれませんが、千人コンプリートの日を私もとても楽しみにしています!


私イチ押しの黒にんにくも喜んでもらえてナニヨリでした❤️


前回初めてお会いしたときは、まだまだ紙粘土ごてごてで塗り固めてたのをぶち壊してくださって、あれから久しぶりに心も魂もゆるまった感覚でした。


今度はいつお会いできるのか、再会はできるのかも謎でしたが、マイドリームのカムトゥるるるー企画に参千させていただける日が突然やってくるとは!


お互い次の予定があり短時間でしたが(なんもおかまいできず)とても楽しく、そしてちょっと行き詰まりかけてた私の紙粘土鎧をいい意味でぶち壊してくださり感謝です。黒にんにくなくなったらまた来てください!キロで注文しておきますので!


いちど心がフリーダムになっても、長年の癖で戻ってしまうのは仕方のないことかもしれないけれど
ちょいちょい矯正・思い出して切り替えられたらなと思います。


少々前の動画(スーパーけいごチャンネル)をちょいちょい拝見してるんですが、初対面の女の子とお風呂にはいった話の回で、お風呂の話のあとに「よろしくやってんじゃねぇよ」の抵抗を突破する!っていう話しにとても勇気をもらいました。
飛行機の例えがとてもわかりやすかったです。


抵抗を恐れていたら全然進むことはできないし、TOPPAしてこそ流れに乗れたり進んだりするよね!ととても納得しました。ありがとうございました。


遅い時間に長々すみません。
お花もとても嬉しかったです!


みんなの思いがこもった千羽鶴バーニング実現の暁には黒にんにくでお祝いさせて欲しいです!


明日からの旅も楽しんで〜
私もダジャレ大好きです。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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どんな成功者の言葉より、君の方が正しい。

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夢を見た。私には姉と兄がいるが、兄弟三人で仲良く遊んでいる夢だった。互いに思いやり合っている訳ではなく、ふざけ合ったり、罵り合ったりしているのだが、空間全体の雰囲気が泣きそうになるほどあたたかかった。目が覚めた時、ああ、本当にいい夢を見たなあと思った。当たり前のことだが、家族が仲良く過ごしているということは、それだけでとんでもなく幸せなことなのだなと思った。仲良くしようね。それ以上に大事なことなんてないよ。夢が、そう言っているように思えた。

 

おおまかなスケジュール

1月17日(月)東京

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

山を登る。

男性K様から「一緒に高尾山に登ってください」と連絡をいただき、みっつを引き連れて登山をした。人生はよく登山に例えられる。山道が険しいほど、頂上に到着した時の喜びも大きい。ケーブルカーに乗れば時間も体力も大幅に短縮されるが、途中の風景や血や汗や涙も省略される。私たちは苦しみを避けたいと思うが、苦しみの中にも喜びはある。みっつは義務教育を受ける代わりに虐待を受けて育った。父親の教育方針で毎日登山をさせられていた時期があった。私は「毎日登山なんてイカれているね」と言った。だが、そう言った直後に「毎日学校に言っている方がイカれているのかもしれない」と思い直した。学校よりも、登山の方が、自然だ。

 

一緒に登山をしたK様は、年齢的には我々の父親世代と同じになる。登山を愛するK様は毎年のようにアルプスの山々を登っていたが、数年前に左足を怪我して以来山から遠ざかっていた。同時期にプライベートでも大変な出来事が立て続きに起こり、人生的にも落胆する日々が続いた。去年の正月に書いたやりたいことリストを何ひとつ達成することができず、2022年を迎えた今「今年こそは言い訳をしないでやりたいことをやろうと思い、坂爪さんに連絡をしました」と話した。自分一人の登山はまだ少し怖いが、同伴者がいれば出来るかもしれない。そう話すM様は、途中立ち寄った休憩ポイントで「これなんです」と照れ笑いを浮かべながら紙切れを差し出した。そこには、手書きの文字でやりたいことが書かれてあった。携帯やパソコンではなく手書きで書かれた文字を見て、本当の願いのようなものを感じた。

 

登山中は足元に集中しているため、特段会話などは起こらない。静けさの中をただただ歩く。私が前を歩いたり、私が後ろを歩いたり、歩く順番を途中途中入れ替えたりしながら、二時間程度の山道をゆっくりと歩いた。一番後方を歩いている時は、必然、二人の背中が目に入る。K様の背中と、みっつの背中だ。K様はまさに山男と言った感じの大柄な男性で、みっつは細身で体重も40キロ程度の小柄な男性だ。だが、二人の背中を見たときに「自分を含めた人間全員、ちっぽけな存在なんだな」と感動的に感じた。ちっぽけという言葉は、決して悪い意味ではない。ちっぽけな存在だけれども、それでもどうにかこうにか悪戦苦闘しながら、これまでの人生を生きてきたのだなと思った。誰もが、自分の人生を背負いながら歩いている。良い時もあれば悪い時もあっただろう。だが、良いことも悪いことも含めたそのトータルで、人生は美しいものだと思った。二人の背中が、それを語っていた。

 

ibaya.hatenablog.com

 

どんな成功者の言葉より、君の方が正しい。

数年前、みっつと行動を共にしていた時に少し大変な出来事が起きた。身体的というよりは精神的にやられるような出来事で、私は落胆していた。その時、みっつが「坂爪さん」と言いながら私の左腕をさすってくれた。特段何を言うでもなく、言葉の代わりに体温を差し出してくれた。その時、私は、自分がいかに薄汚れた人間になっていたのかを自覚した。これまで、ボディタッチとかスキンシップというものは色恋の関係にある男女だけがやることだと思っていた。性的な要素を含むものだと思っていたのだが、みっつにはそういう垣根がなかった。忘れていた何かを、久し振りに思い出す感覚を抱いた。私たちが誰かに差し出すことができるものは、アドバイスなどの言葉だけではない。体温が、一番のサポートになることがある。

 

それ以来、誰かと話している時に「余計な言葉を言うよりも、手を握りたいな」と思うことが増えた。だが、そんなことをしたら変態だと思われるかもしれないと思う自制心や恐怖心や社会的規範が邪魔をして、踏み切れずに終わることも増えた。私もみっつもこれと言った仕事を持っていない。定期的な収入がないために、時折与えられる施し物によって生きている。そういう我々を見て「乞食と同じじゃないか」とか「ホームレスと同じじゃないか」と言われることがある。その通りだ。私たちは乞食と同じだ。私たちはホームレスと同じだ。同じ命だ。多くの人たちが持っていて、私たちにはないものは多い。金であったり、社会的な肩書きであったり、誰かに誇れるような何かであったり、そういったものが私たちにはない。だが、私たちには、体温がある。多くの人たちが持っていて、私たちにもあるもの、それが体温だ。何もかも失ったとしても、最後の最後まで体温は残る。命は残る。

 

夢を見た。兄弟三人で仲良く遊んでいる夢だった。互いに思いやり合っている訳ではなく、ふざけ合ったり、罵り合ったりしているのだが、空間全体の雰囲気が泣きそうになるほどあたたかかった。姉も兄も私もこどもで、こどもであること以外の肩書を一切持っていなかった。それだけで楽しかったし、それだけで嬉しかった。世界はキラキラと輝いていて、遊ぶためだけに遊び、笑うためだけに笑っていた。目が覚めた時、ああ、本当にいい夢を見たなあと思った。家族が仲良く過ごしているということは、それだけでとんでもなく幸せなことなのだと思った。仲良くしようね。それ以上に大事なことなんてないよ。夢が、そう言っているように思えた。

 

www.youtube.com

 

「ハレルヤ」

 

ハレルヤ 天空(そら)から光の梯子が降りて来て

私はそこを昇っている そこに行けばみんながいる

 

ハレルヤ 助けてくれ なんでこんなに一人なんだ

深い闇に 手を伸ばす ここにいると 私もいると

 

この悲しみに何の意味があるのだ

しがみつく限り 苦しくなるなら それなら

 

ハレルヤ 痛みの奥から 夢が 囁いている

そんなことは気にするな そんなことに縛られるな

 

ハレルヤ 膨らみ始めた 胸が 蕾のように

闇を切り裂き咲くだろう 天空を目指し開くのだろう 

 

生きている間は 思い出にしないでくれ

幸せとは 手をつなぐことだ それでも

 

冬が希望を語り出した 春だ

 

この悲しみに生きる意味があるのだ

追いかけるほどに 一人になっても それでも

 

長く苦しい 迷いの季節(とき)は 今

終わりを告げる 暗い土の下 そこから

 

冬が希望を語り出した 春だ

冬が希望を語り出した 春だ

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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ないを見るな。あるを見ろ。

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朝、明治神宮を歩く。掃き清められた参道を歩き、静けさの中に身を置くと心も体も浄化される。朝一番の空気は新鮮で、これから誰にも汚されていない一日がはじまるのだという感慨に包まれる。日の出直後という時間帯にも関わらず、参拝者は0人ではない。自分と同じようなことを考える人がいるのだなと勝手に仲間意識を感じながら、本宮に向かう。本宮では誰もが小さくお辞儀をする。自分よりも大きなものに対して頭を下げる人間の姿は、この世で最も美しいものの一つだと思う。

 

おおまかなスケジュール

1月12日(水)東京

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

選び直す。

薬物中毒の女性が必死の思いで断薬に成功し、社会復帰を果たしたという話を聞いた。一度でも道を外れた人間に対する社会の眼差しは冷たく、彼女はひたすら冷遇を受け続けた。しかし、何よりも彼女を冷遇していたのは彼女自身だった。彼女は自分をダメだと思い続け、延々と自分を責め続けた。人といる時は笑顔になるが、本当は死にたいと思っていた。死ねないから生きているに過ぎなかった。人生に飽きていて、虚しく、張り合いがなく、自分はいてもいなくても同じだと思っていた。だが、そんな彼女を変える出来事が起きた。それは障害者スポーツだった。生きるために必要とされている手足や五感の一部を失ってさえなお、懸命に生きる彼らの姿を見た時、彼女は涙を止めることができなくなった。自分を強く恥じ入り、このままではいけない、このままでは本当に自分はダメになってしまうと思った。

 

人生に変化を望む時、どうしても奇跡的な出来事を望んでしまう。だが、彼女を変えたものは地味な毎日の連続だった。朝、目覚めると同時に窓を開ける。新鮮な空気を取り込む。太陽を浴びる。白湯を飲む。散歩をする。瞑想をする。お風呂に入る。料理をする。日記を書く。体を冷やす行為から距離を置き、体を温める行為を積極的に取り入れる。一度に全部をやれなくてもいい、ただ、自分にできることを少しずつやっていく。彼女は、毎日おまじないように唱え続けた。少しずつ、少しずつ、よくなっていく。沈みがちになる頭意識を、体の動きで克服した。油断をすると悪い波に乗ってしまう。大事なことは、どんなにささやかなことだとしてもいいから良い波に乗り続けることだ。そのためには意思が必要になる。彼女は、自分を幸せにするために良い波を選び続けた。これまでのすべてを見直し、選び直し、自分を良い方向に向かわせてくれるものを、毎日の生活の中で彼女は選び続けた。

 

中毒患者や依存症患者の話を聞くと、私は、つい「大変だな」と他人事のように感じてしまう。だが、違う。俺だって立派な中毒患者であり、立派な依存症患者だ。安逸に中毒し、怠惰に依存をしている。彼女の話を聞き、自分を健康だと思うことをやめようと思った。俺も重症患者だ。自分も重症患者だからこそ、彼女から教わることがたくさんある。昨年末に、ある人と「一日一万歩歩こう」と約束をした。今年に入り、自分だけではなく、他の人のやりたいことも一緒に実現していった方がエネルギーになるのではないかと思い、周囲に声をかけはじめた。あなたのやりたいことを教えてください。そして、可能なら、今日や明日にでもそれを一緒にやりませんか。彼女は、毎日おまじないように唱え続けた。少しずつ、少しずつ、よくなっていく。沈みがちになる頭意識を、体の動きで克服した。大事なことは良い波に乗り続けることだ。地味な毎日の連続だけが、自分に対する信頼を蘇らせる。

 

note.com

 

ないを見るな。あるを見ろ。

1月6日。鹿児島行きの飛行機が雪で欠航になり、再び東京に戻った。雪の影響で出発が遅れていると機内アナウンスが入り、出発を待っていたがなかなか飛行機が出ない。機内で二時間待った後に「誠に申し訳ありませんが、本便は欠航とさせていただきます」とアナウンスが流れ、機内は一時騒然とした。鹿児島に行けなかったことは残念だが、何処かで「やっぱりか」と思っている自分もいた。この出来事から「中途半端なことをやるな」と言われている気がした。本当にやりたいことをやりなさい。自分の穴を埋めるためではなく、自分を引き上げるものを選びなさい。これでいいと思うことではなく「これがいい」と思うことをやりなさい。一時的な赤い炎に惑わされてはいけません。あなたの中にある、神聖な青い炎を燃やし続けなさい。毎日を、今日が最後だと思って生きなさい。そう言われている気がした。

 

東京に戻ると一通の連絡が来た。その人は「自分には何もない」ということを話した。周囲の人は充実した時間を過ごしているように見えるが、自分だけ無駄に時間を重ねている気がする、と。みんなはキラキラ輝いて見えるが、自分には何もできない。それを聞きながら「ちょっと待ってくれ」と思った。自分には何もできないというが、現に、あなたは今こうして私に連絡をしてくれているじゃないか。私に連絡をする勇気と気力と体力が、今、実際にあなたの中にあるじゃないか。何もできないとか言うなよ。俺に連絡をすることができたじゃないか。その前も、俺の言葉を読むことができたじゃないか。だから、何もできないとか言うなよ。ないを見るなよ。あるを見ろよ。誰かと比べてばかりいないで、自分にあるものを見ろよ。

 

何もないように思える時も、原点は常にここに在る。迷子になった時は原点を思い出せ。周囲を見るのではなく、コアを見ろ。現実を見るのではなく、理想を見ろ。現実を見ろなんて言葉もあるが、現実を見ている場合じゃないんだ。夢を見ろ。光を見ろ。理想を見ろ。悦びを見ろ。希望を見ろ。楽しかった記憶を思い出せ。涙を流した出来事を思い出せ。それがなければいまの自分はなかったと思えるような、自分の原点を思い出せ。閉じるな。開け。諦めるな。開け。不貞腐れるな。開け。嘘に負けるな。醜さに負けるな。自分の不甲斐なさに負けるな。開け。いろいろな人生に触れなさい。心の交流が、人の人生を知ることが、命を大きく開くのです。息をしなさい。ないを見るな。あるを見ろ。愛ならばある。それは、絶対にある。

 

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「あふれちゃん」

 

伝えられなかった 思いは 何処に行くのだ

言わずに終わるか 言って終わるのはどうだ

 

俺を叩けば 罪が まるでホコリみたいに

晴れた日に 舞い上がれ きらきらひかれ

 

悲しみ深いほど 慰めも 深く 深く

闇が強いほど 光もまた 強く 強く

 

ただ あふれる あふれる

 

使い込まれた 命 だから味が出るのだ

愛ならばある 見捨てられることはない

 

矛盾のなかに 俺はど真ん中を見る

涙 流しながら笑う 黙って 騒ぐ

 

胸が 苦しいほど よろこびも 深く 深く

寂しさを抱くほど ぬくもりも 強く 強く

 

ただ あふれる あふれる

 

悲しみ深いほど 慰めも 深く 深く

闇が強いほど 光もまた 強く 強く

 

胸が 苦しいほど よろこびも 深く 深く

寂しさを抱くほど ぬくもりも 強く 強く

 

ただ あふれる あふれる

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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俺は生きているぞ。君は生きているか。

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瞑想をはじめて一週間が経った。最初は30分を永遠のように長くも感じたが、徐々に「あれ?」と思うほど短く感じることも増え、瞑想が楽しみになった。大袈裟だが、瞑想がいいと聞いた時は「人生のヒントどころか、答えを貰った」と思った。多分、私たちは無知ではなくて無為なのだと思う。答えはそこら中に転がっているのに、見なかったことにしたり、なかったことにしたり、素通りをしておきながら「何か面白いことはないかな」などと、遠くをぼんやり眺めてしまうのだと思う。

 

おおまかなスケジュール

1月5日(水)東京

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

瞑想をして思ったこと。

地球上で一番ビッグな方から「瞑想はいいですよ」と教えていただいた時は、やるっきゃないと思った。ノーチョイスだった。選択の余地はなかった。答えを無視する訳にはいかなかった。過去に一日一曲オリジナル曲を作るということをやっていた時期があるが、あれは地獄だった。それに比べれば「瞑想なら、とにもかくにも朝晩30分耐えれば絶対にできる。創作に比べれば圧倒的に楽だ」と思った。できるできないじゃない。やるかやらないかだ。やろう。毎日朝晩30分苦しもう。24時間苦しむのは嫌だけど1時間ならイージーだ。やれ。俺、やれ。そんな感じで一週間が経過したが、瞑想をはじめて本当によかった。最高の習慣の一つになると思う。

 

坂爪さん こんばんは。先日のブログを読んで瞑想を始めました。元旦、今日と2日連続で京都御所一周 4km走ったのですが膝を5年前に怪我をしてからあまり走れなくなってたにもかかわらずビックリするペースで走れました。怪我の痛みは微妙に残ってるのでペースを抑えながらなのですが手元のGPSウォッチには驚くペースが刻まれていました。瞑想には元々持ってる力を解放していくような感じがあります。もしまた楽しく日々走れたら最高だなと感じた二日間でした。瞑想続けようと思います!

 

読者の方から連絡をいただいた。仲間がいるみたいで嬉しい。瞑想を続けて思ったが、瞑想だけじゃダメだ。ダメなこともないが、瞑想した分だけリアル世界をしっかり生きる必要がある。プレイヤーである必要を感じた。必要と言うと硬いが、自分がプレイヤーになることで瞑想パワーは格段に跳ね上がると感じた。どことなく占いと似ている。受け身でいると瞑想依存症になる。運勢ばっかり毎日気にして、占いサイトばかり見ている間に一日が終わる人間と同じだ。運勢よりも大事なことは、日々の真実味だ。毎日掃除をすることや運動をすること、料理を作ることや日光を浴びること、広い意味での自分の仕事をすることが、日々の充足度を高める。攻めの瞑想が大事だ。そうじゃないと腐ったスピリチュアルカウンセラーになる。

 

俺は生きているぞ。君は生きているか。

東京は恐ろしいところだ。明確な意志を持っていないと簡単に虚無る。恵まれた環境に長期間いると、何かをやろうとか何処かに行こうとする気迫が奪われる。ここでいいじゃないか、このままでいいじゃないかとなって、表面的には満ち足りるものの生命が死ぬ。人生全般が趣味的になり、野生が死ぬ。極論、別に生きてなくてもいいとなる。今年は虎だ。ウル虎な一年にしましょうなどと言っていたが違う。ウル虎よりも飢えた虎だ。飢えた虎の目を思い出せ。システムに牙を抜かれた家畜になるくらいなら、野晒しになれ。要するに「飼い慣らされるな」ということだ。

 

瞑想をはじめてから運気が爆上がりしつつある私は、地球上で一番ビッグな女性と再びご一緒することができた。しゃぶしゃぶをご馳走になりながら「瞑想は集団でやると効果が倍増するみたいですよ」と聞いた。円座になって集団瞑想をすると光の柱が立ち上がるらしい。凄い。都会の瞑想もいいが、自然の中で瞑想をしたい。大都会と大自然の反復横跳びみたいな日々が、自分には合っているのだと思う。誰か、そんな人はいないと思いますが「それなら一緒にジャングルに行こうよ」とか「私の代わりに○○に行ってきて」と言う方がいたらご連絡ください。そろそろ東京を飛び出さないと行けない。飛び出さないと、飛び出すことができない体になる。

 

冒頭で「瞑想はやるかやらないかだから楽だ」と書いたが、瞑想をやりながら思った。結局、全部、やるかやらないかだ。だからこそ、なんでもいいからやっちゃうことだ。何かをやっちゃうことで「次はこれだ」とアイデアが出る。頑張るとも違う。努力とも違う。なんでもいいから自分がやりたいと思ったことを実際にやる。いつもなら素通りしてしまうような自分の思いをなかったことにしないで「やるだけやってみよう」と後先考えないで飛び込む。実際にやる。すると、結構意外な風が吹く。迷惑かなとか嫌われるかなとかそういう遠慮を飛び出して、とにもかくにもこれをやりたいと思ったことを実際にやる。実際にやり続ける。すると、人生は想像を超えた展開を見せてくれる。自分の頭が考えられる範囲なんてたかが知れている。やりたいを封じ込めるとやりたいという声が聞こえなくなる。それは精神の死を意味する。自分の望みを殺さないためにもやりたいことをやらせてやる。俺は歌う。都会でも自然でも歌う。「俺は生きているぞ。君は生きているか」と歌う。

 

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「she said」

 

どこに行くのさ そんな顔して

遠くを見つめる ここじゃないところ

 

持て余しちゃうの ここは寒すぎて

どこも かしこも 本当じゃなくて

 

she said run run run run run

she said run run run run run

 

楽しくないなら 正しくないの

 

二度と戻らない はじめての朝を

二人で見上げて 笑って 見せた

 

これまでもそうで これからもそうで

続いて 行くのさ いつもの 顔して

 

she said run run run run run

she said run run run run run

 

悲しくないなら 愛などないの

 

she said run run run run run

she said run run run run run

 

楽しくないなら 正しくないの

 

she said run run run run run

she said run run run run run

 

悲しくないなら 愛などないの

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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何度でも言う。俺たちは選べるんだよ。

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明治神宮前ドトールにいる。ドトールの語源は「怒涛に生きる」であることは周知の事実だが、先日、地球上で一番ビッグな女性とお会いした。会えただけでも奇跡なのに、焼肉をご馳走になった。本当に凄い人と出会うと魂の存在を感じないではいられない。体と魂の割合があるとしたら、通常、ほとんどの人は体に支配をされている。だが、精神性の高い人に触れると、心の塵が払われ、こちらの魂も引き出される歓びに包まれる。高度に純化された魂には、限りない瑞々しさを感じる。

 

おおまかなスケジュール

12月31日(金)東京

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

迷走より瞑想。

尋常ではない量の贈り物をいただき、自分にできる恩返しはコンクリートの床を舐めることしかないと思って跪きかけたところで「坂爪さんは瞑想をしますか?」と問われた。私は、いえ、全然したことがありませんと言った。すると「瞑想は凄いですよ。私は朝晩30分ずつやっているのですが、瞑想をしてから人生がガラリと変わりました」と話してくれた。私は、全神経を集中させて耳を傾けた。地球上で一番ビッグな女性が、今、私に人生の秘訣を話してくれている。コンクリートの床を舐めることより、彼女の言葉を一言一句漏らさず細胞に刻み付け、しっかり継承していくことが最大の恩返しになると察知した私は、めちゃめちゃ集中して聞いた。

 

瞑想をはじめてから、まず、段違いに集中力があがりました。そして、こんなことを言うと怪しく響くかもしれませんが、交通系の速度が飛躍的に向上しました。駅に着いたらすぐに電車が来るとか、たまたま立ち寄った場所でずっと見たかったものを見ることができたり、こういう人に会いたいなあと思っていた人とある日突然出会えてしまったり、自分の夢や希望が実現するスピードが物凄いことになったんです。朝は目覚めてすぐ、顔を洗ってお手洗いを済ませたら瞑想をします。夜は、晩ご飯を食べる前のおなかがからっぽな状態でやっています。瞑想をして20分を過ぎた頃から、起きているのか眠っているのかわからない状態になります。坂爪さんが瞑想をしたら、きっとすごいことになると思いますよ。まずは一週間試しにやってみて、感じたこととか何かしらの変化があったら、是非また聞かせてください。

 

地球上で一番ビッグな女性が、とんでもないサプライズギフトを授けようとしてくれている。これ以上幸せなことはあるだろうかと思って「やります。絶対にやります」と告げた。これまでも、様々な方々に瞑想の素晴らしさを語ってきたとその方は話した。しかし、多くの人々はなかなか瞑想のための時間を捻出することができず、途中で脱落してしまうのだと話した。俺はやるぜ。そう思った。素晴らしい人と実際にお会いして確信した。素晴らしい人とは、素晴らしさを感じる時間を大切に守っている人のことだ。瞑想をする余裕がないのではなく、瞑想をしないから余裕がないのだ。花と同じだ。花を買う余裕がないのではなく、花を買わないから余裕がないのだ。本当に豊かな人は、一緒にいる人間も豊かな気持ちにさせる光がある。私は、なう、地球上で一番ビッグな方のオーラを、徐々に身につけつつある。

 

何度でも言う。俺たちは選べるんだよ。

連日瞑想をしている。タイマーを設定して瞳を閉じるのだが、今朝、なかなかタイマーが鳴らず「まだかな」と思いながら瞑想を続けた。意識が混濁してきた頃、一通の連絡が届いた。それによって瞑想は中断されたのだが、タイマーの設定をミスっていたことが判明した。結局一時間以上瞑想をしていたことにビビりながら、届いた連絡を見て度肝を抜かれた。瞑想の効果は半端ない。そう感じさせる内容だった。眉唾に響くとは思うが、あなたも一緒に瞑想をやろう。金も道具も必要ない。ただ、瞳を閉じるだけだ。騙されたと思って一緒にやろう。そして、もしも奇跡的な出来事が起きた場合、是非、私に「こんなことがあったよ」と教えてください。私と、地球上で一番ビッグな女性が、あなたの仲間だ。あなたには、仲間がいる。

 

どうやら私は運がいい。お金以外は全部ある。明治神宮を参拝しながら「お年玉ください」と思った。無論、私にも社会性はある。いい歳こいた大人がお年玉を欲するのもどうかと思う第三者目線はあるが、否、いい歳こいてという言葉がどれだけ少年隊を苦しめているかと思えば年齢なんて関係ない。あげたい人がいて、もらいたい人がいて、両者が見事にマッチングした場合、そこにあるのは喜びだけだ。与えることが喜びならば、受け取ることも喜びだ。与える喜びを与えているし、与える喜びを与える喜びを受け取っている。色々ごちゃごちゃしてくると自分も他人も本当はない的な心境になる。極めて禅だ。色々能書きを垂れてしまったが、お年玉が欲しいだけなので「それならあげるよ」という方がいたらお気軽にご連絡ください。小生、毎日ボディはFREE!です。呼ばれた場所に、何処までも行きます。

 

よく晴れた明治通りを歩きながら漫画喫茶が目に入った。同じ星で暮らしていながら、暖かい部屋で眠る人も、漫画喫茶で眠る人も、橋の下で眠る人も、孤独に震えながら眠る人も、孤独を喜びながら眠る人もいる。放浪の日々を過ごしているが、今更ながら「俺たちは選べるんだよな」と思った。多分、全部、選べる。選んできた結果が今で、今、自分がこうあるのは自分が選んできたからだ。これまでを選ぶことができたように、これからを選ぶことができる。絶望することは案外簡単なことだ。希望を抱き続けることは難しい。それでもなお、自分を信じることの大切さを思う。自分の人生を信じることの大切さを思う。大切なことは、人生で何を成し遂げたかではない。どれだけ愛したかだ。どれだけ、黄金のままでいられるかだ。

 

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「黄金のままでいられるか」 

 

空に浮かぶ月が海に 白にも似た道を作り

揺れた波が描く色が 俺の両目を照らした

 

奴等の言うことは全部 正解でも本当じゃない

なんでもありの体現者 誤解される君は 綺麗

 

綺麗な物たちは全部 哀しみを隠し持っていて

優しい者たちは全部 ナイフを隠し持っていて

 

歯車を弾き出された 錬金術師たちが昨日

見上げた星が瞬いた 夜の歌を 響かせて

 

黄金のままでいられるか なんでもないような顔で

黄金のままでいられるか いまにも泣きそうな顔で

 

曇り空の更に上に 青い空が広がってる

金色(ゴールド)の光が差して 彼女の罪も許される

 

冷えたアスファルトの下に 燃えるマグマを感じてる

金色(ゴールド)に憧れたまま 憧れたまま死ぬのさ

 

黄金のままでいられるか 誰にも 見つけられない

黄金のままでいられるか 君を見つけられないから

 

誰も聞いたことない 声を 声を 声を 聴かせて 

誰も聞いたことない 声を 声を 声を 聴かせて

 

俺のような君に会って 君のような俺に会って

一つだけやっと分かった 不幸な人間はいない

 

傷口から零れ出した 賛美歌と血が流れる

唯一無二の体現者 誤解される君は 綺麗

 

世界の何処かにはきっと 自分みたいなやつがいて

いまにも泣きそうな顔で 出会えること待っている

 

世界の何処かにはきっと お前みたいなやつがいて

いまにも泣きそうな顔で 出会えること待っている

 

黄金のままでいられるか なんでもないような顔で

黄金のままでいられるか いまにも泣きそうな顔で

 

黄金のままでいられるか 誰にも 見つけられない

黄金のままでいられるか 君を 見つけに行くから

 

誰も聞いたことない 声を 声を 声を 聴かせて

誰も聞いたことない 声を 声を 声を 聴かせて 

 

君は 綺麗 君は 綺麗 君は 綺麗 君は 綺麗

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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