いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

自分のすることを愛せ。

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福岡在住の方から温泉に誘われ、明日から博多に行く。首の皮一枚。首の皮一枚で繋がっている。明日の自分が何をしているのかわからないし、来週の自分が何処にいるのかもわからない。お先真っ暗という言葉はネガティブに使われるが、ただの事実だ。明日がどうなるのかわからないのはみんな同じ。怪我をした時など「命に別状はない」という表現をするが、命は、常に時間という別状にさらされている。

 

おおまかなスケジュール

9月22日(水)福岡

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

遭難。

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久米島在住の方から車を借りることができたので、無人のビーチに足を運んだところでアクシデントが起きた。オフロードを15分程度走ったところにビーチがあるのだが、あろうことかビーチに到着した瞬間に車が壊れた。持ち主に連絡をしようとしても圏外。手元に水はない。来た道を戻るとしたら徒歩で1時間はかかる。携帯の残り電池は20%だ。さて、どうしよう。困った。無人のビーチは最高だが、こういう時に無人は困る。しっかりと終わりかけたが、こういう時は焦らないことが大事。落ち着くこと。もっと言えば「面白がること」が大事だと思ったので、よし、とりあえずどうなるかはわからないけれど来た道を歩いて戻ってみようと思った。

 

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三十度を超える炎天下を歩くと一発で汗が噴き出す。戦時中は水溜りの水を飲んでいたと聞くから、最悪の場合は濾過装置を作ろうとか思いながら歩いた。まだ圏外。嘆こうと思えばいくらでも嘆ける。こういう時は自分が小説の登場人物だと思えばいい。さて、この先どんな展開が待っているのか。そこに無理やり胸を弾ませるのだ。自分を哀れな被害者だと思うか。勇敢な冒険者だと思うか。後者になれ。歌え。大きな声を出して歌えばおばけなんか怖くない。ある程度来た道を進むと、ようやく携帯が圏内になった。持ち主の方に「エンストとも違うと思うのだが車が動かない。もしも過去にこのようなことがあったとしたら、対処法を教えてもらえると助かる」とメールをした。しかし、返信はこない。電池は残り10%。これはもうロードサービスを呼ぶしかないのかな、と諦めかけたところで携帯が鳴った。

 

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車の持ち主から「ギアをニュートラルに入れた状態でエンジンをかけてください」と言われた。そんな方法があったなんて知らなかった。私は嬉々として来た道を戻った。来た時よりも足取りは軽い。人間は、希望があれば足取りも軽くなるのだ。大事なことは隠された希望を見つけられるかどうかだ。だが、これで車が動かなかったらいよいよ万事休す。携帯も電池切れになるのでお陀仏になる。ええい、ままよ。最悪の場合は野宿をすればいい。色々な思いが錯綜する中歩き続け、駐車場に戻って来た。言われた通りのやり方を試したら、無事に車が動いた。この時はおたけびをあげた。よっしゃー。愛する皆様、何かしらの事情で車が動かなくなった時は、ギアをニュートラルに入れた状態でエンジンをかけたら動くかもしれません。

 

自分のすることを愛せ。

先週の自分は、まさか一週間後の自分が離島で軽く遭難しているだなんて思いもしなかった。一年前の自分は、一年後の自分がまさかこうなっているとは思わなかっただろう。今日という単位で見ても同じだ。今日の朝には想像することもできなかった夜を過ごしている自分を眺めがら「なんだか面白いな」と感じる瞬間は好きだ。音楽も似ている。昨日まではこの世に存在していなかった音楽が、自分という存在を通じて世界にポンと生まれる。昨日まではなかったものが、今日、確かに存在しているということは凄い。世界とは、自分の手で作り出すこともできるのだ。

 

運転手役を務めたり何かしらの案内をすると「連れて行ってくれてありがとう」と言われる。この言葉は胸に迫る。自分が常に一人で動いているからだろうか。それとも、自分にも誰かの力になれたことが嬉しいのだろうか。あるいは、自分自身も大いなる何かから連れて行ってもらっている身分だからなのだろうか。家にずっといるよりも、家を出た方が良くも悪くもアクシデントに恵まれる。アクシデントは大変だが、アクシデントこそ思い出になる。人生も同じだ。人智を超えたものに触れたければ、自分の直感に従っている場合ではない。物凄い乱暴に言えば「後先考えるな」ということなのだろうか。アクシデントの隣に神はいる。自分一人で行けるところには限界があるが、自分以外の人と行くことで遠くまで行ける。とてもじゃないけれど、自分一人では絶対に行けないようなところまで行くことができる。

 

人間には色々な欲求があるが、そのひとつに「傷つきたい」というものがあると思う。幸せになりたいとも違う。気持ちよくなりたいとも違う。どちらかと言えば、綺麗なものを見たい、美しいものに触れたい、生きていることを実感したいという感覚に近い。苦しむことは嫌なことだが、苦しむことの中に美しさがあることを、私たちは本能的に知っている。幸せになるために生まれて来た部分も当然あるが、それと同じくらい苦しむために生まれて来た部分もあると思う。生と死は真逆のものではなく、同時に存在するものだ。死にたいと思うことと生きたいと思うことは同じだ。面白いものは、恐ろしいものだ。だからこそ、危険に飛び込むことが閉じかけていた命を再び開かせる最高の起爆剤になるのだろう。生き方に正解はないのだから、生き方に間違いもない。大事なことは、自分のすることを愛することだ。

 

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「ジュリー」

 

恋に恋をした また 傷がひとつ増えた

でも明るい未来を信じるんだ ジュリー

 

一輪の花を見ろ とても綺麗ではないか

吹き荒れる雨風に 負けるな ジュリー

 

望んで 生まれた 訳じゃないけど

生きることを 望んでいない 訳ではないし

 

私の 代わりに 生きている

 

故意に恋をした コラ また いつものやつだろう

性懲りもない いい加減目を覚ますのだ ジュリー

 

みんなもがきながらも 幸せに手を伸ばすよ

完璧な人間はいない 受け入れろ ジュリー

 

遊びで 生きてる 訳じゃないけど

遊びで 生きてはいない 訳でもないし

 

ひとつの 命を 生きている

 

愛に恋をした ほら きっと また逢えるよ

奇跡は何度でも起こる さあ 顔あげろ ジュリー

 

ああ 思い出していた 君と 歩いた 道

夢中で走り出す君が 大好きだ ジュリー

 

世界は愛で出来ていると思ってたけど

どうやら世界は恋で出来ているようだ

 

あなたは もうひとりの 私です

あなたは もうひとりの 私です

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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サンクチュアリに行こう。

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久米島在住の方からおつかいを頼まれ、そのブツを運びに明日久米島に行く。沖縄にいると資本主義ってなんなのだろうと考えさせられる。超有名アイドルがテレビ撮影などのロケで使われた場所には大量の観光客が雪崩れ込み、自然はぶっ壊されて海は金持ちの私有地となり地域住民は観光客の素行の悪さに困らされたりしている。アイドルに悪気はないと思うが、アイドルが足を運んだ場所から破壊される。

 

おおまかなスケジュール

9月20日(月久米島

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

大事なもの。

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金銭的な事情から事前に宿を決めないまま移動している。居場所がない心許なさは大きいが、居場所が与えられた時の喜びも大きい。飢えれば飢えるほど次の食事は美味しくなり、疲れれば疲れるほど次の布団は嬉しくなる。自分の中から幼稚さが消えないために、目の前に海が広がるロケーションにテントを張って暮らしていると「俺は金持ちより豊かなんじゃないだろうか」などと一々思う。金持ちには豪邸があるが俺には東屋がある。金持ちには冷蔵庫があるが俺にはファミマがある。ファミマが俺の食糧庫だ。しかも、食べ残した食材を処理しなきゃとか考えなくてもいいのだぞ、どうだ参ったか、わっはっはなどと一人思いながら野ざらしでいる。

 

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ざらしで生きていると神経が過敏になる。家には当たり前だが壁がある。だが、天地には壁がない。近くを通行人が通ったりすると、最初は「はっ!」とか思って一々身構える。しかし、徐々に身構えなくなる自分になる。半径30メートル以内に誰か来た段階ではじめて身構えるようになるのだが、この感覚が家の生活で培われることはない。自然は友達であると同時に脅威でもある。仲間と外敵は紙一重だ。私にペットはいないが、野良猫や昆虫たちをペットだと思えば無数のペットに囲まれている。しかも世話をする必要がない。愛でたいだけ愛でて、あとはどうぞご自由にという感覚は身軽だ。だが、仲間意識を感じた動物や虫に食料を奪われたりしょんべんをひっかけられたり寝床を襲われたりもする。それなりに疲労もするがトータルで楽しい。生身のお付き合いはトータルで楽しい。だが、学校や職場などで発生する気の遣い合い戦争みたいなお付き合いは、トータルでぐったりする。

 

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過去に二年間家なし生活をして得た最大の教訓は「家はあった方がいい」だった。家の維持や管理は大変だが、寝たい時に寝る場所があることの安心感は大きい。たまに女性が長い期間一人旅をしている姿を見たりするが、彼女たちは一様に枯れ果てている。家はあった方がいいのだが、家にずっといると「家だけが家」という視野狭窄に陥る。世界は広いのに自分が知っている範囲だけが世界になってしまうことは退屈だ。自分なんてものは壊してなんぼだが、壊しすぎると本当に壊れる。毎度のことながら「どっちもなんだよな」と思う。両極を体験しながら、自分が感じる大丈夫の幅を広げていく。外敵を恐れていては、仲間との出会いも取りこぼす。

 

サンクチュアリに行こう。

巷ではご機嫌でいましょうとか自分を愛しましょうとか執着を捨てましょうとか、そういった言葉が散々言われている。言いたいことはわかるがそれだけでは半分だと思う。確かに不機嫌でいるよりはご機嫌でいた方が気分はいい。悲しいよりは楽しい時間の方が誰だって嬉しいだろう。だが、本当は悲しいのに悲しみを打ち消して楽しむ方向に無理やり舵を取ると、大事なものを取りこぼす。それが「心」だ。色々な人々の色々な心の欠片があちらこちらに落ちている。落ちたものは落とされたまま回収されることがない。回収する時間がないくらい誰もが忙しくなってしまい、テレビやネットに生きるエネルギーを吸い取られてしまっている。誰かの人生に感動する時間は増えるが、自分の人生に感動する時間はどんどん奪われている。

 

人間の本質は誰かとの比較では語れない。だが、油断をしていると私たちは比較の罠に嵌り、何もできない自分には生きている価値もないという思考の罠に嵌る。比較の罠から抜け出す方法は大量にあるが、一つは孤独になることだと思う。孤独になればなるほど、自分の存在が明確になる。孤独の別名は美しさだ。孤独を身に纏う人は美しい。これは私の偏見だが、みんなでわいわい集まって楽しそうに過ごしている人ほど本当は一人になるのが怖いのではないだろうかと思う。一人になることが怖いから、孤独を見ないで済む場所に自分を置いているだけに見える。私は、孤独を持たない人と繋がる方法を知らない。孤独がなければ惹かれることもない。

 

運転手役を務めて沖縄本島を一周した。道中、願いと祈りの違いは何かという話題が出た。同行させていただいた方が「願いは自分のためにすることで、祈りは自分以外のためにすることだと思う」と言った。確かに、願いという言葉にはどこか自己本意的な響きや、人為的な響きを感じる。だが、祈りには人智を超えた何かがある。私は私の人生を生きているつもりだが、自分を超えた何か、人智を超えた何かに触れたくて生きている節がある。だからこそ、面倒臭いことやちょっと嫌だなと思う方向に自分を無理やり投げ出すことがある。それなりに大変な出来事もあったが、こうした生き方をしていなければ絶対に出会えなかった人物もいる。沖縄の最北に岬がある。夕焼けが石碑を赤く染めた。グラストンベリーみたいだと思った。

 

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サンクチュアリ

 

虹の彼方に 今 思い出したんだ 掘り出した原初のハーモニー

進化していく時代の流れに 生き埋めにされたみたいだ 取り戻すのさパールライト

 

カモン そんな所突っ立ってないで

カモン 日の当たる場所に行こうぜ

 

20世紀の終わりに始まり 今 騒ぎ出したんだ 突き出した原初のハーモニー

曝け出した弱さは強さに変わり 飛び出したんだ 越えていくのさパールライト

 

カモン 飾りなら全部捨て去って

カモン 風が吹き抜ける場所まで 行こう

 

どこにも居場所なんてなかった 僕ら サンクチュアリ

サンクチュアリへ 行こう 行こう 行こう

 

敵はいない 全員 味方さ 僕ら サンクチュアリ

サンクチュアリへ 行こう 

 

虹の彼方に 時を漕ぎ出したんだ 鳴り出した原初のハーモニー

進化していく時代の流れに 逆流巻き起こしたんだ 響き出すのさパールライト

 

カモン 憧ればっかり見てないで

カモン 花開き枯れてく向こうへ 行こう

 

忘れ去られたことなどなかった 僕ら サンクチュアリへ 

サンクチュアリへ 行こう 行こう 行こう

 

奇跡なんか待たずに行こうぜ 僕ら サンクチュアリ

サンクチュアリへ 行こう 

 

カモン 壊されるものなんてないぜ

カモン 絶滅危惧種の 愛を 叫べ

 

どこにも居場所なんてなかった 僕ら サンクチュアリへ 

サンクチュアリへ 行こう 行こう 行こう

 

敵はいない 全員味方さ 僕ら サンクチュアリ

サンクチュアリへ 行こう 

 

忘れ去られたことなどなかった サンクチュアリへ 行こう 

奇跡なんか待たずに 行こうぜ サンクチュアリへ 行こう 

 

虹の彼方に 今 思い出したんだ 掘り出した原初のハーモニー

進化していく時代の流れに 生き埋めにされたみたいだ 取り戻すのさ パールライト

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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大事なことは、出発することだ。

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重要な地位にある人の運転手役を務めるため沖縄県沖縄市にいる。明日から二日間北部を巡るのだが、野営をしながら下見をしていたら熱中症になって死んだ。九月と言えども沖縄は暑い。飢えたら飢えただけ次の飯が美味くなる。疲れたら疲れただけ次の布団が嬉しくなる。そう思って耐えていたが、昼間、あまりにも眠たくて公園で爆睡をしていたらいつの間にか日陰が日陰ではなくなっていて干上がった。

 

おおまかなスケジュール

9月18日(土)沖縄

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

彼は、私だ。

心ある方が「大変な時はご連絡をください」とご連絡をくれた。「いまです」と思って連絡をしたら沖縄市のホテルを取ってくださり九死に一生を得た。節約のし過ぎは考えものだ。体を壊したらもともこもない。もともこもないのだがこうしてホテルにいることができている自分はもともこもあるのかもしれない。わからない。わからないけれど熱中症は嫌だ。熱中症は嫌だけれど熱中症になったというエピソードは好きだ。わからない。俺は結局何をやりたいのかがわからない。「自分のことが一番よくわからない」とはかねてからの口癖だが、一向にわかる気配がない。ただひとつ、近くにあるものを知るために遠くに来ているのだという感覚はある。

 

日常を生きると奇跡が当たり前になる。実際に飢えると食事のありがたみが身に染みるが都会に生きているとそうそう飢えない。飢えるために旅に出る。数日ぶりに大浴場に入ったが「この大浴場で一番気持ち良さを味わえているのは間違いなく俺だ」と思った。なぜならば俺はろくすっぽ風呂になんて入れていなかったからだ。差。結局差だと思う。冬、温泉に入る前に滝壺に飛び込んだ経験がある。温泉に最高に気持ちよく入るためにはどうすればいいかを友人と話し合った結果死ぬほど体を冷やせばいいんじゃないかということになって滝壺った。最悪だったが、最高だった。数年前宮古島に呼ばれて宮古島に行ったのだが宮古島に着いた瞬間所持金がゼロになり待ち合わせ場所まで二時間炎天下を歩いたことがある。あの時も熱中症になったが、なぜ、あんなに辛かった出来事も思い出す時は笑っているのだろう。

 

当たり前は当たり前ではなかったと思い知るために旅に出るのか。車を借りた業者が比較的悪徳で「とちったな」と後悔したが、不穏な感情を抱いたまま時を過ごしたくなかったので思考を整理した。なぜ私は不穏な感情を抱いているのか。不正に対する義憤だろうか。違う。彼は私だ。彼のやり口が気に食わない自分自身を浮き彫りにしたのだ。彼は私だ。罪人は私だ。ここにいる全員悪人だ。そう思ったら冷静になった。悪徳業者の存在を許したという訳ではない。許すとは違う。自分にも同じように罪があると認めたのだ。聖書に「罪のないものが石を投げよ」という箇所がある。彼と私は別人だ。彼のようなことを自分は絶対にすることがない。そう思っている間は分離感が続く。だが、彼は私だと思った瞬間、分離感は消滅した。

 

大事なことは、出発することだ。

一ヶ月以上東京にいたため久しぶりの移動になった。移動は良い。航空券を手配した途端に日常が動き出す。荷造りを始めた段階から旅は始まっている。必要最低限の道具を選びながら、自分にこびりついていた垢を自覚する。重くなっていた自分。持ち過ぎていた自分。怠惰で臆病で偏った認識の世界だけで生きていた自分。それらを全部引き剥がし、再び生まれ直す。未知に対する期待と不安。足を運ぶ先で数々の記憶が蘇る。普段は忘れ去られていた、しかし「自分は確かに生きていた」ことを知らせる風景と出会い直す。私は愚かな人間だから、具体的に移動しないと停滞する。具体的に飛行機に乗り、具体的に「曇り空のさらに上には青い空が広がっている」と自分の目で感じないことには、言葉が身体に入ってこない。だが、一度身体に入ってきた言葉は音楽となって永遠に自分の遺伝子を流れ続ける。

 

世界には数限りない国や島や観光名所がある。小説も絵画も映像も同じだ。その全部を巡るなんて無理だしほどほどがいいんだよなと思う。だが人間は別だ。一人の人間の中には無数の回路が流れていて、誰かの記憶はまた別の誰かの記憶と結びついている。一人の人間の深奥に辿り着けた歓びは自分の深奥に辿り着けた歓びと同じだ。沖縄の任務を終え次第人生的に暇になる。会いたい方がいたらご連絡ください。心の旅。自分は人間を巡る旅をしているのだと思う。生まれてきてよかったと思える瞬間は大量にあるが、現時点における私の最高の喜びは「曲を作り出した瞬間」にある。素晴らしい人物との出会いや素晴らしい風景との出会い、言葉を綴ることの面白さや物語を編み出すことの面白さ、セックス、栄光を勝ち取った時や体を動かした後の爽快感も相当なものだが、曲が生まれた瞬間の喜びには敵わない。

 

居場所と聖域(サンクチュアリ)は似て非なるものだ。居場所という言葉には仮の宿を感じるが、サンクチュアリには絶対に奪われることのない不増不減の『何か』を感じる。居場所をなくすほど、サンクチュアリは浮き彫りになる。増えることもなければ減ることもない。永遠にあり続けるものが自分の中にもある。曲を作っていると、しっかりと作り込みたいと思うがためになかなか外に出すことが難しくなる。だが、外に出さなければ次が生まれることもない。私の場合はどんどん出すことが合っているのだと思う。そこで出し切れなかったものたちは次の作品に託す。それぞれは別個に存在する音楽でも、一枚の大きな『何か』を描いている。歩き続けることで見える。出会い続けることで見える。大事なことは、出発することだ。

 

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「Night walkers, don't be afraid」

 

闇に抱かれて 月に誘われて

 

連れて行かないで 置いて行かないで

大事なものを 取りこぼさないように 夜に紛れて

 

さみしいんだろ さみしいんだよ

音楽のように 星のように流れる

 

歩き続けていた 手を伸ばし続けた

Night walkers, don't be afraid

探し続けていた 願いを越えていた

Night walkers, don't be afraid

 

連れて行かないぜ 置いて行かないぜ

光などなくていいさ 君が光だ

 

泣いてるんだろ 泣いてるんだよ

伝説のように 夢のように流れる

 

踊り続けていた 大地を鳴らし続けた

Night walkers, don't be afraid

歌い続けていた 祈りを越えていた

Night walkers, don't be afraid

 

歩き続けていた 手を伸ばし続けた

Night walkers, don't be afraid

溶け出して流れた 記憶が結ばれた

Night walkers, don't be afraid

 

踊り続けていた 大地を鳴らし続けた

Night walkers, don't be afraid

照らし続けていた 命が 灯された

Night walkers, don't be afraid

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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肉体は消えても、精神は残る。

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明治神宮を毎日歩いている。夕方は空気が濁るが、早朝はまだ誰にも汚されていない空気を味わえる。東京が再び大空襲に襲われて焼け野が原になった時、再建されるものはどれくらいあるだろうか。東京タワーも、表参道ヒルズも、再建されない気がする。だが、明治神宮はどのような形であるにせよ再建されるだろう。焼け野が原になったとしても、何度でも再建されるもの。そこに精神があるのだと思う。

 

間。

ホームレス支援をする団体の話を聞いた。彼らは言う。ホームレスの人々には希望がない。彼らの心に火を灯すことが大事。ひとりにさせないこと。何が必要なのかだけではなく、誰が必要なのか。それを考えることが大事だ。私たちは30年間この問題に取り組み続け、三千人を超える人々を社会復帰させ、数十万件を超える相談に乗ってきた。と。これを聞いた時、正直「なんでお前らは常に上から目線なんだよ」と思った。自分たちは常に助ける側で、相手は常に助けられる側。ホームレス経験者である私に言わせてもらうと、お前らのそういう善人ぶった態度が嫌で嫌でたまらないから、俺はホームレスになることを選んだんだよ、と言いたくなった。

 

支援という言葉の裏側には、多数派による少数派への差別がある。自閉症患者はコミュニケーション障害があるとされる。だが、アメリカ人と日本人がコミュニケーションに失敗した際、相手を指差して「コミュニケーションに障害がある」とは言わない。コミュニケーションとは、両者の『間』に立ち現れるものだ。言語や文化の違いがコミュニケーションを難しくさせることはあるが、それは言語(文化)の障壁があるだけで、人間の障害ではない。不登校の生徒が、なぜ学校に行きたくないのかを知ろうとする人間は少ない。それよりも、どうすれば彼らを矯正できるかを考える。矯正。恐ろしい言葉だ。型にはまらなかった精神は矯正の対象になる。

 

ある人が母親の形見でもある大切なワンピースを着ていた。それを見た善人が「そんな古い服なんて着ていないで、新しい服を買ってあげる」と言いながら彼女の古いワンピースをゴミ箱に捨て、デパートで買ってきた新品の服を笑顔でプレゼントした。しかし、彼女は新しい服を受け取ろうとしない。そんなことよりも、母の形見を失ったことが悲しく、涙を流している。その涙を見て善人は言う。あなたはあまりにも心が冷え切るような環境で長い時間を過ごしたから、誰かから何かを受け取るということが素直にできないんだね。でも、大丈夫。安心して。怖がる必要はないのよ。あなたは幸せになっていい人間なのよ。と。幸せを奪ったのは自分であることに無自覚なまま、善人たちは彼女にあたたかい『支援』の手を差し伸べる。

 

肉体は消えても、精神は残る。

自分に仕事と呼べるものがあるとしたら、それは「何者でもないままそこにあること」だと最近思う。現在の私に社会的な肩書きはない。エアポケットというのだろうか、そういうものになりたいと思う。自分が何者でもないからこそ、一緒にいる人も何者でもなくいることができる。もしも私が「作家です」とか「ミュージシャンです」などと名乗ったら、相手は、肩書きを通じて私を見るだろう。肩書きを通じて見る限り、そこに社会が発生する。しかし、私が何者でもなくそこにあり続ける限り社会は発生しない。反社会的組織が一時期話題になったが、私は反社ではない。強いて言えば無社だ。無社会状態に置かれた時、本来のその人自身が現れる。

 

人工知能を作っている人の話を聞いた。知能とは、物凄く乱暴にまとめると「一つになりたいと思う部分と、一緒にされたくないと思う部分が混在しているもの」だと言う。人間は仏教で言うところの解脱を目指して生きるが、人工知能には逆に煩悩を植え付ける必要がある。煩悩がなければ人工知能は動き出してくれない。人工知能に搭載することが最も難しい観念は「欲望」で、機械は指示通りに動くことはできるが、自ら欲望をすることが極めて難しい。と、そんな話を聞いた。煩悩を植え付けないと動き出してくれないから困るという悩みはあらゆる商業主義者たちが抱えている問題と似ている。彼らは煩悩を大衆に植え付け、それを進化だと謳う。

 

何者でもないままそこにあることは、簡単に見えて難しく、難しく見えて簡単だ。流れに身を委ねると言う表現がある。委ねると言う言葉には、どこか他人任せなイメージがあるが、何者にも染まらず流れ続けるためにはしなやかでたおやかな意志が必要になる。自分は生きているのではなく生かされていると思わざるを得ない体験を重ねると、自力のひ弱さを思い知る。自力で辿り着ける場所には限界がある。人間の思惑なんてたかが知れている。自分は自分の力で生きている。そういった勘違いは思い上がりを生み、傲慢な人間を生む。この世には、二種類の人間がいる。死ぬまでが人生だと思っている人間と、死んでからが人生だと思っている人間だ。肉体は消えても精神は残る。精神が残り続ける限り、何度でも肉体は再建される。

 

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「LIVE TOGETHER」

 

ここから僕らが飛び去る時 弾けた体が風に乗って

ここから僕らが飛び去る時 流れた涙が星になった

 

身ぐるみ全部剥ぎ取られ 掃き溜めの中捨てられても

冷え切った牢獄にぶち込まれ 暗闇の中打ち震えても

 

僕たちは 歌うことをやめないだろう

 

見えるか あの 空の向こう 輝く

僕たちが消えても 愛ならこのまま

誰一人置いて行かない LIVE TOGETHER

 

ここから僕らが飛び去る時 汚れた夜空に夢が散って

ここから僕らが飛び去る時 最後の祈りが種になった

 

指先を粉々に砕かれて 何一つもう 掴めなくても 

絶望に憧れを潰されて 何一つもう 見えなくても

 

僕たちは 歌うことをやめないだろう

 

聞こえるか まだ 海の向こう 囁く

僕たちが消えても 愛ならこのまま

誰一人置いていかない LIVE TOGETHER

 

見えるか あの 空の向こう 輝く

僕たちが消えても 愛ならこのまま

誰一人置いていかない LIVE TOGETHER

 

晴れ渡る 紺碧 舞い踊る 花弁

繰り返す 波音 闇に光る 星空

 

誰一人置いていかない LIVE TOGETHER

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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水の記憶。

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今日、カメラマンの女性と会った。その方は「写真を撮る時は、毎回その人に恋をしながら撮影をしている」と言った。最近はお見合い写真を撮ることが多いのだが、恋に落ちている状態で撮影をしているからなのか、自分が撮影した人にはたくさんのお見舞い依頼が来ると言った。恋に落ちている時間は撮影をしている間だけで、撮影が終われば恋も終わる。不思議ですよね。彼女は笑いながらそう話した。

 

教養と野生。

私は、社交辞令や愛想笑いができない。だから、作り笑いをされても「その笑顔には反応したくない」と頭より先に体が身構えてしまい、何をしている時が楽しいですかなどと聞かれても「その次元では答えたくない」と思ってしまい、沈黙する。表面的な会話に合わせると表面的な時間が続いてしまうため、無視をしたあとに大体次の選択肢の内のどれかを選ぶ。笑わせるか。泣かせるか。怒らせるか。相手の感情が露わになる道を探すのだが、そのためには表面を一旦かち割る必要がある。誤解されると困るが、目的は相手を傷つけることではない。目的は「恋に落ちるため」だ。表面的なものを全部取っ払った後に残るその人を好きになりたいと思うから、まず壊す。そのため、初対面の人と会う時は結構な割合で雰囲気が緊迫する。

 

金をたくさん持っている豊かさもあれば、花の名前をたくさん知っている豊かさもある。教養は、別に金にはならないが生活を豊かにするものだと思う。だからといって「私は教養を身につけるために美術館に行っています」と言う人とは、仲良くなれる気がしない。以前、教養を感じる人が好きだと書いたが、このニュアンスを正確に伝えることが難しい。私は、野生を感じる教養が好きだ。自分の感覚を研ぎ澄ませると、嘘に敏感になる。騙されなくなる。逆に、多くの人々が見過ごすようなことにも「ここには大事なことが詰まっているから、絶対に見ておいた方がいい」みたいなセンサーが働く。系統的な知識を持っている人を凄いとは思うが、そこにはあまり惹かれない。知識しかない人は「そんなことも知らないの?」的な眼差しを周囲に向けるが、これは最低だ。勉強し過ぎると馬鹿になる典型だと思う。

 

歴史上の人物はさっぱり覚えられないこどもたちも、ワンピースの登場人物は事細かく覚えている。自分には学がないと嘆く主婦も、大好きな韓流ドラマの展開を明確に記憶している。頭が良いとは何だろうか。誰もが強大な記憶力を持っているが、発揮している先が違う。私は、何気ない会話の中に「柳宗悦もこんなことを言っていました」みたいな感じで過去の偉人が登場すると、なんと言えばいいのかわからないが痺れる。会話の中に岩波文庫が登場すると「おおー!すげー!」と思う。そこに勝手に教養を感じるのだが、話している本人からしてみたら自分の好きを突き進んだ結果勝手にぶち当たったのが柳宗悦だっただけで、別に「教養をつけるため」とかはなかったのだと思う。要するに、生き方のセンスなのだろうか。自分の趣味が、相手のセンスと合致した時に「教養」などと勝手に思うのだろうか。

 

水の記憶。

水にも記憶があると思う。正確には「水には情報を転写できる」と思う。昨日、熱海の温泉に入った。温泉の水は、家で入る風呂の水とは違う。泉質なども当然あるが、経てきたルートが違う。温泉や海水には太古の香りを感じる。水道管を経た水に、太古を感じることはない。肉体の70%は水でできていて、地球の70%は海でできている。水は情報を転写するが、簡単に入る代わりに簡単に抜けると聞いた。記憶というワードに昔から関心がある。私は私を人間だと思っているが、実はただの記憶だと思う。スマホクラウドの関係と似ている。私と言う肉体は端末で、クラウドと接続している。肉体は消えても、クラウドに保存された記憶は永遠に残る。

 

自分は、なぜ、これほどまでに外部環境の影響を受けるのか。天気一つで気分も変わる。誰といるか、何処にいるか、それだけで引き出される自分が全然変わる。そんな自分を一貫性がないと否定的に捉えていた時期もあったが、最近は「自分は水で、転写をしているだけに過ぎない」と思うようになった。インスタントコーヒーの粉にお湯を入れると珈琲になる。それを濾過すれば水が抽出される。自分という存在は常に無色透明で、ただ、経てきたものによって多種多様な姿を見せるだけ。自分というものはあるようでなく、ないようであり、この瞬間も流れ続けている。

 

あまりにも笑顔が多い人を見ると、笑いたい時にだけ笑って欲しいと思う。本当は泣きたい時も笑って生きてきた背景を感じる。明るく在ることでキープをしたい自分、ガードをしたい自分がいるのだと思う。真っ直ぐにそのことを告げると、時折、涙を流す人と出会う。笑える場所はたくさんあるが、泣ける場所は少ない。涙を「水に戻る」と書いた日本人の感性は凄い。泣きたいだけ泣いた後、その人は必ず笑顔になる。その笑顔には、なんだかスッキリしたような清々しさや、朝露のような瑞々しさを感じる。何かに似ているなと思ったが、花だ。自分でもなんで泣いているのかわからなくなって、最後の最後に笑顔が咲く。この花に、恋に落ちる。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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居場所はない。隙間があるだけ。

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10歳の頃、悪夢を見て母親に泣きついたことがある。自分の不手際によって、通っていた小学校を全焼させてしまう夢だった。母親は「大丈夫、大丈夫」と言いながら背中をさすってくれた。私は、母親の胸の中で震え続けた。怖いと思ったのは、校舎が燃えたことではなかった。校舎を燃やした損害賠償を自分の両親がしなければならなくなったことに、私は震えていた。幼少期から家に金がないことはわかっていたため、金銭的な負担を親にかけてはならないのだと強く思っていた。10歳という年齢ではあったが、本当の恐怖とは自分が傷つくことなどではなく「自分がやったことによって、大切な人に負担がかかること」なのだと、その夢から学んだ。

 

渇き。

ある日、親に「家族の縁を切ってもらうことは可能か」と尋ねたことがある。家族が嫌いだったからではない。逆だ。家族を大事に思うからこそ、自分と血が繋がっていたがために迷惑がかかることを極度に恐れた私は、縁を切ってくれないかとお願いをした。これから先、自分にロクな生き方ができるとは思わない。自分一人で処理できる問題ならいいが、親にまで迷惑が行くのは耐えられない。だから、縁を切って欲しい。親は「何言ってんのよ」と笑って済ませたが、未だに、自分の中に「大事なものであるほど、縁を切ろうとする」働きがあることを感じる。無意識なのか、意識的なものなのかはわからない。深く繋がることを、恐れる部分がある。

 

自分はずっと緊張状態にあると思う。リラックスという概念がいまだによくわからない。この前、鵠沼海岸でサーフィンをした。インストラクターから「あなたは力の抜き方がうまいですね」と褒められた。身体的な意味ではリラックスはできているのかもしれないが、精神的にはリラックスできている時はないように思う。巷では「リラックスすることが大事」だと散々言われている。言いたいことはわかるし、リラックスできない自分をダメだなと思うこともある。だが、深層心理の部分では、私はリラックスすることを拒否しているのだと思う。幸せになりたいと思う部分が表層なら、奥底では幸せになってたまるかと思っている自分がいる。満ち足りたいと思う裏側では、キープをしたい飢えがある。キープをしたい渇きがある。

 

信頼という言葉から連想する態度は人によって異なる。ある人は「何でも話してくれることが信頼だ」と言うだろう。ある人は「話したくなったら話すだろうから、見守っていられることが信頼だ」と言う。どちらが本当なのかはわからない。ただ、私は前者になることができない。ずっと後者で生きてきたため、前者の人間からは冷酷だと言われる。もっと私を信頼して欲しいと言われる。自分としては信頼しているつもりなのだが、自分の態度が相手との距離を深める。全部を出せと言われても、出せない時がある。本当に大事なことは、人には話せない。これまで付き合ってきた女性から、私は、このような言葉を頻繁に言われた。「あなたは、本当に私のことを好きなの?」と。「もっと私を見て欲しい」と。こう言う言葉を言われると、ああ、また失敗をしたなと思う。やがて、私は女性と付き合うことを避けるようになった。無意識の内に、女性は面倒臭いと思うようになったのだろう。だが、偏見は徐々に溶けた。そうじゃない人物との出会いが、私の偏見を溶かした。

 

居場所はない。隙間があるだけ。

居場所作りという言葉がある。ファンクラブや、最近ならオンライサロンなどがある。コミュニティという言葉もあるが、どれにも私は馴染めない。これまでの人生で「ここが俺の居場所だ」と感じたことは、多分、ない。海に入っている時など、地球が俺の居場所だと思うことはあるが、具体的な場所に居場所感を感じたことはない。居場所は人だと思ったこともある。だが、やはり、少し違う。居場所があるという前提の世界観より「居場所はない」という世界観の方が、腑に落ちる。他の人がどうかは知らないが、私には居場所がない。居場所がないことは普通で、ただ、隙間があるだけなのだと思う。私は、今、ある場所とある場所の隙間にいる。

 

生きるために希望は必要だが、希望を求めておきながら希望に安堵できない自分がいる。夢や、希望や、安心感が、何かを誤魔化しているだけに感じることがある。精神的な安定を求めておきながら、精神的な安定を拒絶する自分がいる。精神が安定してしまったら、自分が自分ではなくなってしまう恐怖感がある。今日、こんなことを思った。理由は聞かないで、いられるだけいさせて欲しい。邪魔になったら邪魔になったと言って欲しい。その時は出て行く。私が出て行く理由は三つ。出て行けと言われた時。外に行きたい場所がある時。ここにはいられないと思った時。

 

九月に入り、涼しい日々が続いている。季節の変わり目は風邪を引きやすい。精神的に不安定になる人もいるだろう。私たちは、今、夏と秋の隙間にいる。昔から、新潟にある実家の夢をよく見る。不思議なことに、夢の中では必ず部屋の数が一つだけ多い。そんな部屋は実在しないはずなのに、夢の中の自分はその部屋があって当然と言うように家の中を歩く。夢に出てくる実家は常に薄暗く、不穏な空気感を漂わせている。家全体に意思があり、その意思は、どちらかと言えば私に危害を加えそうな予感を感じさせる。本来安らぎを覚えるはずの実家が、私に危害を与え得る不吉なものの象徴として迫ってくるのだ。だが、それはただの危害ではない。忘れていた何かを思い出させるための警鐘となり、今、ここにある生を際立たせる。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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君の夢の中へ。

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熱海の家に戻った。近隣は崩壊しているが草木は思い切り茂り生命の力強さを感じる。人間が数ヶ月立ち入らないだけで周囲は簡単に廃墟と化し、玄関前の庭はジャングルになっていた。家に入り換気をする。ガス会社や電気会社に連絡をし、パガニーニの主題による狂詩曲第18変奏を爆音で流しながら隅々を水拭きする。空間が少しずつ家としての機能を取り戻す。掃除をしていると自然とひざまずく。懺悔をしているみたいだなと思った。正確には「懺悔をさせてもらっている」と思った。

 

物語と記憶。

数週間ブログを書けなかった。何を書いても浅薄に感じられ、書けば書くほど自分を嫌いになった。自分にはインプットが足りないと思って読書をしたり映画を見たりしたが、見れば見るほど他人の人生に自分の人生が凌辱されていく感覚を抱き、自分は自分の歌を歌うしかないのだと思った。昔から知性に憧れていた。教養のある人間に惹かれるし、教養のない自分を恥ずかしいと思う。評論家の知識量に圧倒され「俺も少しは知識を身につけなければ」と焦ったりもしたが、そうした動機で身につけられた知識は窮屈で重い。多分、自分は憧れたままでいいのだと思った。知識や知性に憧れたまま、からっぽなままで生きる。歌を歌っている間はからっぽになれる。からっぽになれる心地よさは、知的な楽しさとはまた別の喜びがある。

 

ラフマニノフを流していなかったら自分は悲愴感と共に家の掃除をしていたと思う。音楽が空間を浄化した。音楽は記憶と密接につながっている。私の音楽を聞いてくれた女性から曲の感想をたくさんもらった。彼女は言った。ずっと忘れていた記憶があなたの音楽を聞いたことによって「大切な記憶」として蘇った。と。最近、物語や記憶といったワードに強い関心がある。音楽を作る時、言葉を綴る時、私は人類共通に記憶にリーチをしているという感覚がある。それが成功したときは良い文章(良い音楽)になるが、まったく成功していない時は程度の低い独り言で終わる。過去とは、過ぎ去ったものではなく過ぎ去らなかったものだ。自分を過ぎ去ることができなかったものが、自分の一部に沈殿して、香りや音楽や風景を通じて攪拌される。私たちは、はじめて足を運んだ場所に懐かしさを覚えることがある。懐かしさと寂しさは似ている。どちらも胸を締め付ける。昔の人はこの感覚を郷愁と呼んだ。根源的な郷愁を感じるものに、どうしようもなく惹き付けられる。

 

誰一人例外なく物語を生きている。弾き語りとは言うが弾き喋りとは言わない。喋る人は多いが語る人は少ない。逆説的だが、喋ることをやめた時に語り出すもう一人の自分が登場する。私は、できることならこの部分にリーチをしたいと思う。おそらく、誰もが社会的な自分を維持するために「これが決壊してしまったら自分のままではいられなくなる」という部分を決壊させないように決壊させないように生きている。そうした日々を長い時間生きていると、自分は何かを守っているということを忘れ、決壊しそうな部分が自分にはあると言うことを忘れていく。だが、それは確実にある。私たちが映画や音楽などの舞台に足を運ぶのは、無意識的に決壊を求めているからだ。涙腺を崩壊させたい。心のガードを決壊させたい。この、なんだかよくわからない重たいものを取っ払いたい。この重たいものがある限り、自分は世界と繋がっていくことができない。そういった無意識的な叫びが、何か面白いことはないかななどといった表面的な言葉の裏に潜んでいる。物語を内側から破壊することはできない。物語を壊すことができるのは、物語の外側から差す光だ。

 

夢。

人類共通の記憶というのだろうか、記憶の海のようなものが何処かにあり、私たちはそこから咲き出た睡蓮みたいなものなのかもしれない。人間は、夢を見ることで思考を整理すると言われている。寝る前、私は、暗闇の中で目を瞑ると必ず誰かの声が聞こえる。幻聴といえば幻聴だが、その日に別にあったわけでもなんでもない人が突然何かを喋り出し、まったく出鱈目な方向から今度は別の人の声が聞こえたりする。いまではすっかりそれに慣れ、その声を聞かないようにするというよりは彼らの話が終わるまでただただひたすら聞いている。彼らは、別に私に話しかけているわけではない。会話に整合性もないし、インスピレーショナルな何かを貰うわけでもない。大体が意味不明な内容で、私は、それをラジオのように聞いている。

 

夢は心の傷を修復しているのか。それとも傷を浮き彫りにしているのだろうか。私は頻繁に身近な大切な人から見捨てられる夢を見る。ある日、いつものように彼らに会うと、彼らは「お前のことなんて知らない」と冷たい眼差しを私に向ける。大概はそういった夢だ。ちょっと前にも同じ夢を見た。生きている人全員から冷たい眼差しを向けられ、どこに行っても傷つくと思って逃げるように街中を彷徨っていたら葬式が行われていた。よく見ると、それはX JAPANのhideの葬式だった。なぜか、葬式場だけでは自分が傷つけられることはなかった。その時に私は「死んでいる人だけが優しかった」と思った。夢は、あの世とこの世の境界線みたいな場所だなと思う。死んでいるひとだけが優しかったという感覚は、目覚めている間にも効力を発した。横のつながりだけではなく、縦のつながりもあることを私は学んだ。

 

生が終わって死がはじまるのではなく、生が終わる時に死も一緒に終わるのだと思う。熱海の夜は一面虫の声が鳴り響いている。東京では全然聞くことのない音が世界を覆っている。私の家がある伊豆山という地域は夜になると真っ暗になる。以前、伊豆山に遊びに来た人が「ここは夜になると本当に真っ暗になるから、昼間出会った人はみんな幽霊か妖怪だったのかなって思う」と笑いながら話した。小さな頃、こんな想像をしたことがある。自分以外は全員演者で、私の友達を演じたり、学校の先生を演じているだけ。私がその場を離れると、みんな一斉に「おつかれさまです」などと言いながら楽屋に戻る。全員が私を騙すために彼らの役を演じているだけだったとしても、私はそれに気づき得ない。そういう想像をしたことがあるのだが、最近はそういったことを頻繁に思い出す。毎日夢を見る。号泣しながら目覚めたことが過去に何度かあるのだが、最も印象的だったのは両親がただ仲良く過ごしているだけの夢だった。その夢を見た時、私は号泣をしながら目を覚ました。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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愛をぶちまけろ。

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避難所生活最終日。明日にはここを出なければならないが、家の近隣は引き続き立入禁止区域に指定されているため行き先を失う。熱海は御多分に漏れず高齢化が進んでおり、避難所は老人で溢れ返っている。誤解を恐れずに書くと、空間全体に覇気がない。諦めのムードや愚痴が蔓延し、そこら中からため息が聞こえる。ここにいたら俺の生気まで奪われると思い、せめてもの抵抗として階段を使用している。鋼の丹田を通じてマイナスのエネルギーを弾き返すイメージで毎日過ごしている。

 

おおまかなスケジュール

7月16日(金)熱海

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

 

我々は、地球に遊びに来ているのだ。

信じられない話だが私の影武者が発生したらしく、市役所の職員から「坂爪さんですよね?」と毎回確認される。私とそっくりの姿で(おそらく不正に)ホテルを出入りしている人間がいるらしい。なんだこれは。避難所にいると気が滅入るのでできるだけ外に出るようにしている。私は、避難生活者中一番日焼けをした男ナンバーワンを目指している。明らかに海に行ってきた姿で避難所に戻ると「お前は遊びに来たのか」的な視線で睨まれる。だが、そんなことを言われても「そうです」としか言えない。ものすごい広い意味で言えば、我々は地球に遊びに来ているのだ。

 

タオルだけ持って広い海に出るとそれなりの開放感を感じる。私はアウトドアも哲学も音楽も好きだ。これらを通じて、多分、私は死ぬ練習をしているのだと思う。死ぬ練習とは失う練習だ。失っても失わないもの確認だ。言い換えるならば「よりよく生きるための準備体操」みたいなものだ。本番は人生。舞台の上だけじゃない。人間をやることが本番だ。今回の災害を通じて、自分の野良猫レベルが向上した。迂闊に俺を慰めると噛むぞ、と、謎に牙を剥いている。俺が不幸かどうかを決めるのは俺だ。多分、そういう反骨精神が牙を剥かせるのだと思う。慰める人間には二種類いる。純粋な慰めを与える人間と、自分が救われたくて誰かを救おうとする人間だ。前者の善意は心地よい。だが、後者の善意は気持ち悪いから受け取りたくない。大概、後者の人間は「受け取りたくない」と言うと烈火の如く怒り出す。

 

様々な方々から電話相談を受けながら「怒りのこじらせ方には二種類あるな」と思った。怒り自体は純粋な感情だから私は好きだ。濁りがない。だが、溜め込まれた怒りは憎しみや恨みとなって内臓を蝕む。ヨガの先生や環境保護活動家にも憎しみをガソリンに生きている人間は多い。こういう人間は怖いから距離を置く。もうひとつのこじらせかたは「幼児的な甘え」を抱き続けることだ。溜め込まれた怒りが幼児的な甘えを形成し、それを抱えた人間は「常に甘えられる対象を探す」人生を生きる。結局、どちらも他人を通じて親への復讐をしているのだと思う。だから、私は、避ける。余談だが、京都という街にも憎しみを感じた。これはとてももったいないと思った。京都には素晴らしいものがたくさんあるのだが、街全体が「何かを憎む」ことで成立している印象を覚えた。だから、京都で暮らすことをやめた。

 

愛をぶちまけろ。

こんなことを書いたら怒られてしまうそうだが、怒られてしまいそうなことほど書かなければならないことだと思うから書く。非常にありがたいことに様々な方から「困ったら我が家に来てください」と連絡をいただく。だが、私は、そこに行かないと思う。なぜならば、私が一番求めているものは安心して過ごせる居住環境ではなく、端的に「面白さ」だからだ。面白ければ行くし、面白くなければ行かない。面白くないとか書くと語弊たっぷりで怖いが、感覚的に「戻りたくない」のだ。感覚的に「どんどん新しい方向に進みたい」のだ。避難所に来た最大の理由は、避難所の生活を経験したかったからだ。避難生活中に、自分はどのようなことを感じるのかを知りたかったからだ。こんな経験は金を払ってもできないと思ったからだ。

 

数年前にホノルルで拳銃強盗に遭った。当時、私は所持金80ドル(1万円程度)しか持っていなかったので、それを強盗に渡して事なきを得た。拳銃強盗に遭う体験はそれなりにショックでメンタル面の犠牲もあったが、心の何処かでは「素晴らしいアトラクションを1万円程度で体験することができた」とも思った。これは、ディズニーランドに行くよりも稀有な体験ができたぞと思った。多分、そういうことなのだと思う。神は「死なない程度に楽しんでこい」と言っている。地球というプレイランドに、私たちはパスポートを持って生まれてきた。このパスポートには有効期限がある。それが生きている時間だ。私たちがこの星を楽しむことができるのは、生きている時間だけだ。だから、神は「死なない程度に楽しんでこい」と言っている。そして、ついでに「まあ、最後には死ぬんだけどね」とも言っている。 

 

溜め込んだ怒りは憎しみに、あるいは幼児的な甘えになる。愛することは、許すことだ。許したければ、愛することだ。愛することとは、ぶちまけることだ。自分の全存在を爆発させて、渾然一体となって溶け合うことだ。つまらない見栄をかなぐり捨てて、玉砕覚悟でぶつかることだ。玉砕することは怖いことかもしれないが、玉砕した先にパカッ!と自分の殻が一枚割れて、新しい自分が登場する。生きている間に何回死ねるかが人生の醍醐味だ。命の新陳代謝だ。被害者面をしていても何も変わらない。泣けば泣くだけ給付金が出るのなら、俺だって号泣する準備はできている。だが、そんなものは出ない。私にあるものは有効期限つきのパスポートだけだ。だが、このパスポート一枚あれば、本当は何にでもなれるし、本当は何処にだって行けるということを私の魂は知っている。あとは、それを思い出すだけだ。

 

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「愛をぶちまけろ」

 

野良猫に触る時は気をつけて 

あたしたち 噛みつくことか懐くことしかできないの

 

そんな顔で八重歯尖らせて 俺のハートを撃ち抜いた

君の前では優しさだけじゃ もう 生きていけないぜ

 

つまらないのは俺か世界か オレンジの種吐き出して

君は笑った「どっちもだろ」って

 

汗と恥はかいた方がいいぜ 本当は分かってたんだろ

足りてないのは冒険と勇気

 

君に触れたい モラル蹴飛ばして 

裸になって 魂(ヌード)に触れたい

いい子ぶっている間に終わっちゃう 

腹にあるもの ぶちまけろ

 

愛されることばっかり 願って

愛することをすっかり 忘れて

出し惜しみしている間に終わっちゃう

いましかないぜ 愛を 愛をぶちまけろ

 

いつまでも明日があると思うなよ 心の準備をしている間に夢が老いぼれて行くぜ

お先なんて真っ暗が普通 憂鬱も 何もかも全部失くしてからが本当の俺さ

 

君とイキたい ルール蹴飛ばして

獣になって 本能(ヌード)でイキたい

うかうかしている間に終わっちゃう 

愛の嵐を ぶちまけろ

 

もうたまらない なんなのこれ!?って 

嘆いていたって なんにも変わんない

しけたツラしている間に終わっちゃう 

やるしかないぜ 愛を 愛をぶちまけろ

 

深刻になる方がきっと簡単だよね ずっと

だけど俺たちは捨て身の爽快感が 好きさ

君もいつまでもそんな所突っ立ってないで

俺の 海に 俺の海に 飛び込んでおいで

 

君に触れたい モラル蹴飛ばして 

裸になって 魂(ヌード)に触れたい

いい子ぶっている間に終わっちゃう 

腹にあるもの ぶちまけろ

 

愛想(ウソ)は要らねえ 笑顔繕って

仮面ばっかり キレーに整えて

出し惜しみしている間に終わっちゃう 

なま身の愛を ぶちまけろ

 

君とイキたい ルール蹴飛ばして 

獣になって 本能(ヌード)でイキたい

うかうかしている間に終わっちゃう 

愛の嵐を ぶちまけろ

 

もうたまらない なんなのこれ!?って 

ガードしてみてもビートは止まらない

しけたツラしている間に終わっちゃう 

やるしかないぜ 愛を 愛をぶちまけろ

 

世界一の 愛を 世界一の 愛を 

世界一の 愛を 世界一の 愛を

 

愛をぶちまけろ

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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睡蓮は、泥を必要としている。

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熱海の災害対策本部から電話が来て、ニューフジヤホテルの一室を避難所として使えることになった。ロビーに行くと先に避難していた近所の人々が「あ!」と声をかけてくれる。大概は高齢のおばあちゃま方なのだが、土石流の如くマシンガントークを捲し立てる。話を聞くことしかできないが話を聞くことくらいならできるから話を聞いていたら、次から次へとおばあちゃんが話しかけて来て一気に知り合いが増えた。不謹慎だが避難所が一種の修学旅行感を醸し出している。泣きながら身の上を語るおばあちゃんの真横を、小さな子供達が満面の笑顔で駆け抜けて行く。

 

おおまかなスケジュール

7月14日(水)熱海

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

 

知識は冷たい。知恵は温かい。

色々な人々から激励の言葉をいただく。自分に余裕がある時はいいのだが、余裕がない時に頑張れと言われると「これ以上何を頑張ればいいんだ」と叫びたくなる。鬱病患者はこうやって追い詰められるのだろうな、と思う。優しさとは想像力だとは思うが、被害者ぶっている自分自身にも「自分のことをわかって欲しい」と他者に期待をしている部分がある。多分、誰も悪くない。悪いのはタイミングだけだ。誰もが、良かれと思って声をかけている。誰もが、基本的には善意で生きている。

 

前に、余命わずかとされた病を抱えた男性が、他者から必要とされることで回復を遂げたと言う話を聞いた。普通、病人は慰める対象として扱われる。だが、ある日、彼のもとに身の上話を語る女性が現れた。女性は、男性が余命わずかなだなんてことをまるで気にせずに、自分の悩み事をぶちまけた。助けてください。あなたの力を貸してください。そう、男性にお願いをしたのだ。彼は、これまで生きてきた中で培ってきた知恵と勇気を総動員して、彼女の話に耳を傾けながら慎重に言葉を選び、自分だったらこうするというようなことを丁寧に話した。それを聞いた彼女は彼の言葉に従い、問題を解決した。普段は病人として扱われていた彼も、誰かから必要とされる体験を通じて生きる気力を取り戻し病を克服したと言う実話だ。

 

大変な時ほど「誰かに何かをして欲しい」と受け取ることばかりを考えがちになるが、受け取ることと同じくらい、与えることも力になる。私たちは、誰かに何かをした時に「してあげた」という表現を用いる。だが、正確には「させていただいている」のだと思う。私は、多分、おばあちゃんの話を聞くことで生きる力を取り戻しているのだと思う。自分のことを一旦忘れて、他者の言葉に耳を傾ける時、大袈裟な表現になるが自分の魂も一緒に救われている。幸福とは、自分の命の中にすべてのものの命を見ることであり、すべての命の中に自分の命を見ることだと思う。

 

助けるとか、助けられるとか、その境界線はひどく曖昧なものだ。自分に優しくすることが難しい時、他者に優しくすることを通じて優しさの根源に触れ直すことがある。そんな時に「世界が俺だけじゃなくてよかった」と思う。殺伐とした世の中では、他者を自分の利益のための道具として見てしまう場面がたくさんある。有用か。不用か。しかし、私たちにとって他者とは、空気や水と同じように「それがなければ生きていけない」ものだ。他者を通じて、私たちは自分を確認することができる。世の中が豊かになっても自殺者や精神病患者が減らないのは、命を見つめる眼差しが減っているからだと思う。人間は神の道具であり、人間の道具ではない。

 

ここ数日、自分のLINEを公開して「話したい人がいたらご連絡ください」と連絡先を開放している。避難所の個室にWi-Fiがなくてしかも圏外というハンデはあるが、今宵も時間があるので「人間と話したい」と思う方がいたらご連絡ください。ひとつだけはっきり言えることは、私たちが抱える問題は閉ざされた空間では絶対に解決しないと言うことだ。だが、逆に言えば「閉ざされた空間を一歩だけでも外に出る」ことによって、停滞していた心に風が吹く。自分をクローズなものにすると人間は簡単に死ぬ。だが、自分をオープンにしている限り、人間は絶対に死なない。

 

睡蓮は、泥を必要としている。

報道関係者が「あなたの知り合いで亡くなった人や行方不明者はいませんか?」と毎回聞いてくる。あまりにも無神経な質問に驚くが、それに答える人もいるから更に驚く。報道関係者が熱海タクシーを占拠しているため、遠方に住む高齢者たちは移動手段をなくしている。報道のためなら地域住民の生活を蹂躙してもいいのだろうか。誰のための報道だろう。避難先のホテルでは、行き場をなくした人々がまるで生きる力を吸い取られて行くかのように延々とテレビを見続けている。各種メディアだけを責めることはできない。それを見たがる人間がいるから彼らも仕事として成り立つ。芸能人や被災者の私生活が脅かされるのは、それを見たがる一般の人々がいるからだ。問われているのはメディアだけじゃない。私たち一人一人だ。

 

ホテルのロビーには、全国各地から届いた服が大量にある。ここは服屋ではないから当然平積みにされる訳だが、誤解を恐れずに言えばゴミの山に見える。支援物資という名の下に、全国から不用品が届いている。乱暴な言葉になるが「お前らはゴミで生きろ」と言われているみたいで、それを手に取る被災者は少ない。支援物資が置かれている場所の波動は低く、自分が乞食として扱われているような気持ちになる。本当の支援とは何か。それを考えさせられる貴重な瞬間の中に自分はいる。

 

様々な人から連絡が届く。私は阪神淡路大震災を経験した。私は熊本地震を経験した。私は実家を火事で全焼した。だから、お前も頑張れ。おそらくそういうことを言いたいのだろうが、時折「お前の不幸を盾にマウントを取るな」と思う時がある。私の被害に比べればお前の被害は小さいのだから前を向いて生きろと言われても、正直、困る。悲しみに大小はない。みんな頑張って生きているのだから自分も頑張って生きようというのは、自分が自分に言う言葉であって、誰かに強制される言葉ではない。規模の大小で悲しみが決めつけられると、悲しむことが許されない人々が発生する。家が雨漏りして困ってる人に「家が流された人間もいるのだから不満を言うな」と咎めることは、ある種の暴力だ。誤解されると困るが、私は全部の連絡に反感を覚えた訳じゃない。ただ、こう言う時に人は善意によって苦しむのだなと思っただけだ。自分の苦しみを認めること、涙を抑えることより一回しっかり涙を流すことが、悲しみを浄化させる。熱海では、東日本大震災を経験したラーメン屋の店主が「自分も助けられたから」と、被災者に無料で食事を提供している。一つの経験も、人によって解釈も生かし方も異なる。心の数だけ世界がある。

 

私は熱海の人間ではない。新潟生まれの異物だ。だが、異物だから話せることもある。コミュニティの枠外の人間だからこそできる役割もある。異物の役割は、閉鎖的な空間に風穴を開けることだ。常識を攪拌することだ。昨日、関西に暮らす女性から電話が来た。発達障害ADHDなどを抱えて日常生活が辛いがなかなか周囲に理解されることが少なくて辛い、それが原因で人間関係で揉めることも多いと彼女は話した。話を聞きながら「腹が立つのは、本当は仲良くやりたいから」だと思った。知識は冷たい。知恵は温かい。苦境に置かれた人間を救うのは知識ではない。知恵だ。知恵には温度がある。知恵には血が流れている。表面的なアドバイスは体温を奪う。それよりも食事を奢るとか甘いものを奢るとかハグをするとか「好きだ」と伝えるとかひたすら黙って同じ時間を共にするとか、現実に寄り添う知恵が力になる。そのようなことを伝えたら、彼女は頑張りますと言った。私は、頑張りますでは固いままだと思ったから「頑張るっていうよりは、温かくなる方向に行きたいですよね」と言った。言葉も時間も金も命も各種メディアも、大事なことは使い方だ。睡蓮は、泥を必要としている。睡蓮は、泥を使って美しい花を咲かせる。 

 

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「睡蓮」 詞曲 Keigo Sakatsume

 

叫び出したくなるほどのさみしさの中

確かに 僕らは 生きていた

 

醜いものでさえ終わりが来るのなら 愛しい

 

強く儚く美しく散る花のように舞う

白いあなたの 瞳を落ちていく

 

ボロボロに泣きながらふと目覚めた朝

終わらない光を 夢見ていた

 

消えない傷でさえ絆に変わるなら 愛しい

 

甘く激しく温かな血が巡る肌に舞う

冷えた僕らの 心に落ちていく

 

強く儚く美しく散る花のように舞う

白いあなたの 瞳を落ちていく

 

甘く激しく温かな血が巡る肌に舞う

冷えた僕らの 心に落ちていく

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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黄金のままでいられるか。

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熱海のホテルが避難所になっているからそこに行けば滞在できるよと言われ、熱海まで行ったが「順番待ちの方々がいるので今日の今日では無理です」と断られた。他に避難所はないのかと尋ねたが「ない」とのことだったので、現在は横浜の安宿にいる。緊急時は情報が錯綜するから事前にしっかり確かめた方が良い。良い教訓を得たが身も心もボロボロだ。ボロボロになると考えることもネガティブになる。だが、問題は何が起きたかじゃない。出来事を、どのように受け取るかが問題だ。

 

おおまかなスケジュール

7月12日(月)横浜

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

 

一人にして。一人にしないで。 

ここ数日間の心理状態は複雑で「一人にして」と「一人にしないで」という相反する感情が常にある。経済的に豊かな訳ではないから連日のホテル暮らしには限界がある。かと言ってドミトリーやカプセルに泊まる体力がない。各種SNSから「誰か泊めてください」とヘルプを出せば、多分、誰かしらは泊めてくれるのだろう。そうすれば宿泊費は節約できるのだが、いまの自分にはコミュニケーションを交わす気力がない。困った時はホテルを取るので言ってくださいと連絡をくれた人もいるが、お願いをする余力がない。誰かに何かを頼むには力がいる。結果、自費で宿を取る。自費などと言ったが、被災直後に「これを使ってください」とペイペイなどから送金をしてくださった方の助力により、どうにか生き延びているのが現状だ。

 

だが、いまの自分に元気がないのかと言ったら複雑だ。身も心もボロボロになりつつあるが、自分の一部は「全然へっちゃらだよ」と平気な顔で笑っている。自分が置かれている状態を客観視して、そこからギャグをかまそうとしている自分がいる。生活に窮していることは事実だ。明日寝る場所も決まっていない。Amazonの欲しいものリストを公開して周囲にヘルプを求めるやり方もあると言われた。だが、実際に欲しいものリストを作成したら、私はそこに「ハーレーダビッドソン」とか書いてしまいそうだ。欲しいものを言えと言われても「タグホイヤーのカレラ」とか「表参道のマンション」とか「小型船舶の免許」とか、被災と全然関係ないことを書いてしまいそうだ。だから、この案はボツだ。全然元気だからボツだ。

 

こうした物欲は「生きる力」そのものだと思う。欲しがる力が、人間を生きる方向に駆り立てる。普段の私に物欲はない。だが、壊滅的な状態に置かれてから、まるで自分の内部に眠る力を無理やり呼び覚ますかのように、斬新な物欲が爆発している。自分が身につけている一つ一つを選び直したい感覚に襲われ、なんとなく選んだものの一切合切を捨てて心が躍るものだけで身を固めたい欲求がある。そういった視点で眺めると、自分がいかに「なんとなく」物事を選んでいたのかが分かる。一度強烈に死を意識したことで、破壊が再生をもたらした。今の私は、大袈裟だが生まれ変わるチャンスにあるのだと思う。人生に行き詰まりを感じる時、もうダメだと思うような時、生きる目的をすべて失ったように見える時、それは、実は素晴らしいチャンスだ。全部をもう一度やり直し、人生の新しい扉を開くチャンスだ。

 

黄金のままでいられるか。

被害者は悲しそうにしていなければいけない。被害者は辛そうにしていなければいけない。被害者は不幸そうにしていなければいけない。大袈裟かもしれないが、同調圧力のような空気感を感じる。楽しむこと、笑顔でいること、幸せになろうとすることが不謹慎とされるムードを感じる。だが、私は、違うと思う。病気にはなっても、病人にはなるまい。同調圧力に負けるな。こんな時こそ遊ばなきゃダメだ。こんな時こそユーモアを炸裂させなきゃダメだ。こんな時こそ歌を音楽を必要としなきゃダメだ。楽しいことを求めなくちゃダメだ。美しいものを求めなくちゃダメだ。自分の好きを貫く勇気を、自分の好きを実際に生きる勇気を忘れたらダメだ。

 

明日以降の予定はない。誰か横浜で一杯やりませんかと言いたい。こんな時こそ「フットワークだけは軽いので誰か交通費さえ出してくれたら何処までも行きます」と言いたい。自分に需要があるのかは知らない。ただ、この世に自分が供給されたことだけは事実だ。この世には、実際に動き出した後にしか見えない風景がある。合言葉は「軽やかに」。タンポポの綿毛のようなフットワークで、風に乗り、空を舞い、見知らぬ大地に足を運ぶ。そこで花を咲かせることもあれば、また別の場所に運ばれることもある。頭で考え過ぎるのではなく、自分のこころが「いいな」と思う方向にふらっと漂う軽やかさは、時に、運命的な実を結ぶことがある。

 

世界は光と色で出来ている。どちらにも重さはない。私たちは旅の目的を頻繁に思い悩むが、大事なものは旅そのものだ。誰もが、光から来て光に帰る旅の途中だ。大事なことは、自分に何が起きているかじゃない。それをどのように受け取るかだ。何者かになろうとすることではなく、ただ、黄金のままでいることだ。誰一人、自分を傷つけられる人間はいない。誰一人、自分の邪魔をできる人間はいない。どのようなことがあろうとも、何事にも、何者にも、自分を叩き潰させたり、自分の名誉を奪わせてしまってはいけない。自分の名誉は、自分で守る。自分を貫く限り、必ず人間は誤解を受ける。誤解される姿こそ、この世で一番美しい姿だ。

 

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「黄金のままでいられるか」 詞曲 Keigo Sakatsume

 

空に浮かぶ月が海に 白にも似た道を作り

揺れた波が描く色が 俺の両目を照らした

 

奴等の言うことは全部 正解でも本当じゃない

なんでもありの体現者 誤解される君は 綺麗

 

綺麗な物たちは全部 悲しみを隠し持っていて

優しい者たちは全部 ナイフを隠し持っていて

 

歯車を弾き出された 錬金術師たちが昨日

見上げた星が瞬いた 夜の歌を 響かせて

 

黄金のままでいられるか なんでもないような顔で

黄金のままでいられるか いまにも泣きそうな顔で

 

曇り空の更に上に 青い空が広がってる

金色(ゴールド)の光が差して 彼女の罪も許される

 

冷えたアスファルトの下に 燃えるマグマを感じてる

金色(ゴールド)に憧れたまま 憧れたまま死ぬのさ

 

黄金のままでいられるか 誰にも 見つけられない

黄金のままでいられるか 君を見つけられないから

 

誰も聞いたことない 声を 声を 声を 聴かせて 

誰も聞いたことない 声を 声を 声を 聴かせて

 

俺のような君に会って 君のような俺に会って

一つだけやっと分かった 不幸な人間はいない

 

傷口から零れ落ちた 賛美歌と血が流れる

唯一無二の体現者 誤解される君は 綺麗

 

世界の何処かにはきっと 自分みたいなやつがいて

いまにも泣きそうな顔で 出会えること待っている

 

世界の何処かにはきっと お前みたいなやつがいて

いまにも泣きそうな顔で 出会えること待っている

 

黄金のままでいられるか なんでもないような顔で

黄金のままでいられるか いまにも泣きそうな顔で

 

黄金のままでいられるか 誰にも 見つけられない

黄金のままでいられるか 君を 見つけに行くから

 

誰も聞いたことない 声を 声を 声を 聴かせて

誰も聞いたことない 声を 声を 声を 聴かせて 

 

君は 綺麗 君は 綺麗 君は 綺麗 君は 綺麗

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

  

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生きろ。我々は美しい。

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熱海に来た。家の周囲にはロープが張られ、自衛隊の車や消防車が大量に止まっていた。隊員に家の様子を見たいのだが可能かと問うと、近くまでは行けるが場合によっては立ち入ることができない可能性があると言われた。それで構わないと告げると身分証はあるかと聞かれた。免許証を差し出すと「あ、本当だ」と彼は言った。私の住所が熱海市伊豆山であることを確認して、思わず漏れ出た言葉だと言う。最近はおかしな連中がたくさん来るから、つい、そんなことを言ってしまったと彼は詫びた。家の無事が確認され、取り急ぎ必要な荷物だけを持って家を出る。滞在は許されていない。電気も水道も止まっていて、家の周囲は泥に塗れていた。

 

おおまかなスケジュール

7月10日(土)東京

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

 

自然に対する畏怖。 

帰りはこちらから、ということで来た道とは違う道を歩く。坂道を登ると被害地が一望できる場所に出た。テレビで見るのとは違う、リアルな現実がそこにはあった。家のすぐ近くの道が削られて地肌が剥き出しになっていて、言葉を失った。不謹慎を承知で言うが、深いダメージと同時に感動にも似た感覚を覚えた。まるで、雄大な自然を前にして言葉を失う感覚と同じだと思った。これは、自然に対する畏怖の念に近い。否、畏怖の念そのものだと思った。畏れで、全身が震え上がった。

 

坂道を上り切ると報道陣が待ち構えていた。一人の男性が「すいません」と言いながら私の方に駆け寄って来た。報道関係者なのだろうが、私は「ごめんなさい」と言ってその場を離れた。どんな顔をしてインタビューに答えればいいのか、まだ、私にはわからなかった。報道陣や野次馬の視線が突き刺さるが、ひたすら下を向きながら熱海駅に向かう道を歩いた。どんな感情を持てばいいのかわからなかった。

 

人混みを抜けるといつもの熱海の風景が広がっていた。久し振りの晴天で、これ以上ないというほどの青空が広がっていた。見晴らしの良い高台から熱海の海を眺めた。そこにはいつもの風景が広がっていた。海岸沿いが土砂で濁っている以外は、何一つ変わらない熱海の風景が広がっていた。熱海駅に着き、新幹線に乗った。自然の脅威を前に、私は、ただただ立ち竦むしかできなかった。生々しい光景を目の前に言葉を失った後、私は「ちゃんと生きなければ」と思った。生き残った者の役割は、ただ、生き抜くことだと思う。すべてを失ったとしても、まだ、命がある。

 

生きろ。我々は美しい。

大勢の方々から「無事でなにより」と言われた。正直、全然無事じゃねえよと思った。俺はお前を安心させるために生きている訳じゃねえんだよと思った。強運だねとも言われたが、それは隣人を失った人間に言うセリフじゃないだろうと思った。善意で言ってくれていることはわかる。だが、善意は時に人間を傷つける。言葉は悪いが、俺の災害を利用して良い人になろうとするなと思った。俺の災害を利用して自己実現をしようとするな。俺の災害を利用して承認欲求を満たそうとするなと思った。だが、言い返す気力が今はない。悪意だけではなく、善意によっても人間は傷つく。善意のデッドボールを何度も浴びたが、同様に、善意に救われた自分もいる。言葉は、人間を殺す道具にもなるし、人間を生かす道具にもなる。非常事態時に露呈をするものは、普段、その人がどういった態度で日々を生きているかだ。

 

優しさとは想像力だと思う。常に元気でいる人が無傷であるとは限らない。いつも笑顔でいる人ほど、誰かの笑顔を必要としている。表面的な笑顔ではない、本音をごまかす笑顔ではない、偽りの笑顔ではない、本当の笑顔を必要としている。優しさとは、優しい人間に宿るものではなく、優しくあろうとする人間に宿るものだ。優しい人間ではないことを熟知しながら、それでもと差し出した手に宿るものだ。自分のキャパシティを超えた出来事は、自分の器を大きく広げる。今回経験した一連の出来事を通じて、多分、私はより一層強くなるのだと思う。優しくなるのだと思う。言い方を変えれば、強くならざるを得ないのだと思う。優しくならざるを得ないのだと思う。強さも、優しさも、自分の力だけで手に入れたものではないのだと思う。それは、天から授けられたものだ。それは、運命から授けられたものだ。

 

圧倒的な自然や芸術的な作品に触れた時、私たちの心は震えあがる。眠っていた力が再燃して「ちゃんと生きなければ」という思いに包まれる。祈りには、必ず、懺悔が含まれている。これまでの生き方を恥じ入る時、これまでの生き方を悔い改める時、大変な状況に置かれた時こそ、私たちは大きく変わる機会に恵まれている。どのような状態に置かれても、私たちには「泣く道を選ぶか、笑う道を選ぶか」を決める自由がある。被害者でいる自由もあれば、加害者になる自由もある。恨む自由もあれば、赦す自由もある。どちらかを選べ、という話ではない。私たちは、何かを憎みながらも何かを赦し、何かを嘆きながらも何かを歓ぶことができる生き物だ。好きか。嫌いか。その二者択一で選べと言われたら「嫌いだ」と答えるような物事でさえ、心の奥底、一番奥底では「愛している」のだと思う。どれだけ自分を嫌いな人も、心の一番奥底では、自分を、世界を、運命を愛しているのだと思う。

 

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「MERVELOUS」 詞曲 Keigo Sakatsume

 

心は 夜空みたいで 見つけた気持ちは 星みたいで

月明かり映した瞳に ホワイトダストのオーケストラ 鳴り響く夜

 

好きか 嫌いか 大嫌いさ

それでも愛している それでも愛しているのさ 

 

昨日まで 嘘で 今日から 本当

そんな顔で笑って 笑って泣く君は 綺麗

 

まるで 今 生まれたような顔を浮かべて

MERVELOUS!! 終わらない セレナーデ

 

穢されることなどない 自分で穢してしまうまでは

金色の灯りが好き なんだか許されている気がして たまらなくなる

 

月に 焦がれて 身を 焦がして

それでも壊れていく それでも壊れていくから

 

明日など 嘘で 今日だけ 本物

そんな顔で笑って 笑って見る夢は 綺麗

 

今に もう 消え去りそうな星を鳴らして

MERVELOUS!! 会いにいく セレナーデ

 

好きか 嫌いか 大嫌いさ

それでも愛している それでも愛しているのさ 

 

見え透いた 嘘が 暴いた 本当

そんな夜に隠れて 隠れて泣く君は 綺麗

 

二度と もう 消えることない傷を掲げて

MERVELOUS!! 空に舞う セレナーデ

 

好きで 嫌いで 大嫌いで

それでも愛している それでも愛しているから

 

昨日まで 嘘で 今日だけ 本物

そんな顔で笑って 笑って泣く君は 綺麗

 

まるで 今 生まれたような顔を浮かべて

MERVELOUS!! 終わらない セレナーデ

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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生き残ったものの使命は、死者と共に生きること。

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心ある方が熱海の自宅付近の航空写真を送ってくださり、家の無事が判明した。土砂は家の二軒隣まで来ていた。長く興奮状態に置かれていたためか、まだ、食欲がない。身体は疲れているが眠ることができない。極度のストレスに晒された時は、話すか、書くか、した方がいい。誰かを頼るのは迷惑をかけることとイコールに感じるかもしれないが、違う。誰かが誰かを助ける時、助けられる側だけでなく、助ける側も、救われていることがある。誰もが、誰かの役に立ちたいと思っている。

 

おおまかなスケジュール

7月7日(水)京都

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

 

誰もが、誰かの役に立ちたいと思っている。

有事の時ほど、人間の残酷さと、人間の優しさが可視化される。心配の声も届けば、まだ会ったこともない人から「まだ生きていたのか」と言われたりもする。罵詈雑言を浴びることには慣れたが、傷つくことには慣れない。渦中にいる時は苦しいが、自分に少し余裕ができると「誰かに死ねばいいと言う人ほど、おそらく、死にたいほどの苦しみを抱えているのだろう」と思う。他者に投げた言葉は自分自身に跳ね返る。否定的な言葉は、言われた側だけではなく、言った側の人間を蝕む。

 

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黄色い丸で囲まれた場所が自宅になる。家の無事がわかることは嬉しいが、近隣の崩壊具合を知ると、なんとも言えない気持ちになる。行方不明のリストが公開された。知っている人の名前もあった。まだ家に戻れていないために安否確認はできていないが、現場を見たらまた更に色々なことを思うのだろう。悲劇的な出来事が起こると「なぜ自分が」「なぜあの人が」と思う。湧き上がる嘆きを止めることができない。だが、同時に「嘆いていてもしかたがない」と思っている自分がいることも、はっきりと感じる。現時点で、私が抱いている感覚はこのような言葉で表現することができる。生き残ったものの役割は、ただ、生き抜くことなんだよ。先に行ったものは、生き切ったものなんだよ。すべての死は、等しく、大往生なんだよ。

 

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有事の際に可視化される優しさ、それは「誰もが、誰かの役に立ちたいと思っている」ということだ。温泉を無償で提供する人々、寝床を無償で提供する人々、食事を無償で提供する人々など、大変な時だからこそ助け合いの精神を取り戻す。涙が出るほどの感動を覚えることもあるし、俺たち人間はまだまだ捨てたものじゃないという『誇り』を取り戻す。この世で一番苦しいことは、自分が被害者になることではない。それよりも、自分にとって大切な人々が苦しい状況に置かれている時に、何もできない自分を見せつけられることだ。自分の無力さを突きつけられることだ。だが、私たちは、非力ではあっても無力ではない。絶対に、無力ではない。昨日、ある人から連絡が届いた。そこには「あなたのことが大好きです」と書かれていた。頑張れでもない。応援していますでもない。ただ「あなたのことが大好きです」というそれだけの言葉に、大きな力を貰った。自分の好きを伝えることならば、誰にでもできる。経済的な余裕はなくても、物理的な距離を抱えていても、できる。私たちは、どのような状態に置かれても、誰かの力になることが、できる。

 

生き残ったものの使命は、死者と共に生きること。 

京都に預けていた荷物を回収するため、今、京都に向かっている。当初の予定では熱海の家を譲渡し、私は京都に暮らす流れにあった。だが、その流れも一旦全部取りやめにして、家のない日々を過ごしている。昨日の朝は東京の新大久保で目覚めた。今日の朝は名古屋駅前で目覚めた。明日の朝、何処で目覚めることになるのかはわからない。自分の予定と連絡先を公開しているため、呼ばれるままに移動をしている。典型的なその日暮らしになるのだが、今は『移動』に助けられている。同じ場所に長い時間いると、精神と肉体が硬直する。移動を続けることで、目に映る風景を流し続けることで、自分の中に流れる水を腐らせないでいることができるように思う。一箇所に留まると、何かが停滞する。私は、多分、停滞を恐れている。

 

私にとって、書くことは祈りだ。絶望の拒否だ。ともすると諦めそうになる人間の心を、生きる方向に向かわせるための意思だ。自分には何もない。何もない自分でさえ、ここまで生きてくることができたのは、言葉の力に依るところが大きい。音楽の力に依るところが大きい。祈りの力に依るところが大きい。言葉は目に見えない。音楽は目に見えない。祈りは目に見えない。目には見えないけれど、それは確実にある。生きようとする意思が、祈りが、絶望の拒否が、自分の中に確実にあることを感じる。私たち人間はそれぞれに独立した存在ではなく、響き合う振動だ。私たちは言葉そのものであり、私たちは音楽そのもの、私たちは祈りそのものだ。

 

楽器を取り上げられても、私は、歌うことをやめないだろう

 

牢獄にぶち込まれても、私は、歌うことをやめないだろう

 

口を塞がれても、私は、歌うことをやめないだろう

 

指先を粉々に砕かれても

 

両耳を引きちぎられても

 

眼球をえぐり取られても

 

喉もとを切り裂かれても

 

私は、歌うことをやめないだろう

 

人間から、歌を奪うことはできない

 

歌うことを、止めることはできない

 

生きることを、止めることはできない

 

私は新潟の海沿いで育った。その影響が大きいためか、寺の墓場より、教会の墓場より、海に故郷を感じる。空に故郷を感じる。何もない場所に大勢の人々がいるように感じる。過去に、沖縄の波照間島でLIVE TOGETHERという曲を作った。晴れ渡る海原の果てに、天国を見た。繰り返す波音は、絶え間なく続く呼吸の音にとてもよく似ていた。私たちは、私たちの中に、海を抱いている。この海の中には、みんながいる。生き残ったものの使命は、死者と共に生きることだ。生者は死者によって生かされ、死者は生者によって生き続ける。私にとって、歌うことは祈りだ。

 

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「LIVE TOGETHER」 詞曲 Keigo Sakatsume

 

ここから僕らが飛び去る時 弾けた体が風に乗って

ここから僕らが飛び去る時 流れた涙が星になった

 

身ぐるみ全部剥ぎ取られ 掃き溜めの中捨てられても

冷え切った牢獄にぶち込まれ 暗闇の中打ち震えても

 

僕たちは 歌うことをやめないだろう

 

見えるか あの 空の向こう 輝く

僕たちが消えても 愛ならこのまま

誰一人置いて行かない LIVE TOGETHER

 

ここから僕らが飛び去る時 汚れた夜空に星が散って

ここから僕らが飛び去る時 最後の祈りが夢になった

 

指先を粉々に砕かれて 何一つもう 掴めなくても 

絶望に憧れを潰されて 何一つもう 見えなくても

 

僕たちは 歌うことをやめないだろう

 

聞こえるか まだ 海の向こう 囁く

僕たちが消えても 愛ならこのまま

誰一人置いていかない LIVE TOGETHER

 

見えるか あの 空の向こう 輝く

僕たちが消えても 愛ならこのまま

誰一人置いていかない LIVE TOGETHER

 

晴れ渡る 紺碧 舞い踊る 花弁

繰り返す 波音 闇に光る 星空

 

誰一人置いていかない LIVE TOGETHER

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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落ち着け。そして、心の火を絶やすな。 

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熱海市で発生した土石流で家の真横が流されてしまった。自宅界隈は危険区域指定され、安否確認は取れていない。警察から新潟の実家に電話が行き、私の生存確認が行われた。土砂崩れの報道を見ると慣れ親しんだ場所が崩壊する映像が流れる。大袈裟だが、自分の親が殺される場面を見せつけられているみたいで苦しい。私は無事だが、私が暮らした場所が無事ではない。私が知っている人が無事ではない。

 

おおまかなスケジュール

7月5日(月)東京

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

 

被害者には説明責任が発生する。

昨夜は、心ある方が渋谷のホテルをとってくれた。現状私に家はない。京都で暮らす流れやホームページを作成する流れもあったが、一旦全部立ち消えになった。家の生存確認をしたいが、立ち入ることが許されていない。生まれて初めて被災者になった気がする。実際になってみることでわかったことがいくつかある。一番強烈だった体験は「被害者には説明責任が発生する」ということだ。様々な人から大丈夫ですかと連絡が届く。正直、メールが届くたびに負担が増えるような重苦しさを感じる。気遣ってくれるのはありがたいのだが、返信をする余裕がないために罪悪感が募る。だが、被害者は、自分がどれだけ被害にあったのかを周囲(世間)に説明する必要がある。説明をしなければ周囲が納得しない。周囲を納得させない限り延々と「大丈夫ですか?」と連絡が届く。大丈夫な訳はないのだが、自分が置かれた状態を説明するためにはある程度冷静になる必要がある。酷な仕打ちだが、説明責任は避けられない。自分が負ったダメージはまだまだ軽い方だから良いが、ただでさえ辛いのに、世界中の被害者たちは説明責任を果たしているのだなと思った。

 

ただ、全部のメールに苦しさを感じた訳ではない。心の支えになるような言葉や、言葉に込められた気持ちを届けてくれた人々もいる。こんなことを書くのは露骨だが、とても助かった連絡は「ペイペイから送金しました」という具体的な内容のものだった。困ったことがあればなんでも言ってくれと言われても、正直、現状は困っていることしかない。その中から今何が自分にとって必要なのかを導き出して的確に伝える体力的精神的余裕がない時に、誰かに何かをお願いすることは難しい。気持ちは本当にありがたいのだが、自分はこの人に何かをお願いすることはないのだろうなという気持ちになった。誤解されると困るが、私は心遣いを示してくれた方々をディスりたい訳ではない。ただ、リアルな感覚として「これをされると助かる」といったこと、あるいは「これをされても反応に困るばかりか若干体力を消耗してしまう」といったことを、体験した側の記録として残したいだけだ。大きなショックを受けた人間に考える余裕はない。現実を受け入れるだけで精一杯になる。

 

力になりたいと思うけれど力になれない自分が悔しいという連絡も届き、正直、これは一番言っちゃいけないやつだと思った。こちとら色々あって大変なのに、あなたの悲しみまで背負わされたら二次災害になる。何もできない時はグッと堪えて祈ることだ。高校時代、身内の人間が突然死をして坂爪家一族が崩壊の危機を迎えたことがある。このままではやばい、どうすればいいかわからないと冷静さを失った私は友達の竹本さんに連絡をした。すると、竹本さんはメールで一言「気持ちをしっかり持って」と返信をくれた。同情を示すでもなく、一緒にあたふたするでもなく、ピシャリと頬を張って正気を取り戻させる言葉を放った。その言葉を支えに、俺がしっかりしなくてはと目が覚めて困難を切り抜けることができた。言葉が自分の潜在能力を引き出してくれた、そう思わせてくれる出来事だった。私と竹本さんは親友に近い間柄だった。両者の間に信頼があった。それも大きな要素だと思う。

 

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落ち着け。そして、心の火を絶やすな。 

一昨日、半年振りにバンドメンバーと集結した。THE PRESENTSという三人組のロックバンドだ。PRESENTという言葉には贈り物という意味の他に存在という意味もある。最近の音楽は複雑で装飾が多い。だが、私たちは複雑なことも装飾をすることもできない。THE PRESENTSの曲は社会の異物でありたい。コマーシャルソングが氾濫する中を逆流するようなロックンロールを響かせたい。それは、進化していく時代の流れに生き埋めにされた、原初の光を取り戻しに行く行為なのかもしれない。あらゆるものが商業化される中で、いよいよ人間も商品になりつつある。だが、人間は商品じゃない。命に高いも安いもない。人間は商品じゃない。作品だ。

 

クリエイターにとっては作品が命だ。金があろうがなかろうが、家があろうがなかろうが、健康的であろうがなかろうが、道徳的であろうがなかろうが、良い作品を作れればオッケーだし、そうでなければ他の要素なんて何の役にも立ちはしない。幸福も不幸もどちらも肥やしだ。問題は、それを肥やしにしていけるかどうかだ。肥やしにしていける限り、あらゆる要素は宝になる。すべての出来事が命になる。幸せを求めるな。言葉を求めろ。音楽を求めろ。本当を求めろ。表面的な出来事に翻弄されず、物事の本質を掴め。普遍的な出来事の中には、必ず、優しさがある。必ず、温かさがある。必ず、激しさがある。そこに命がある。そこに永遠がある。

 

嫌なことを書いてしまったが、私は誰一人嫌いになっていない。ただ、書き殴ることで命を燃やし、ともすると崩れ落ちてしまいそうになる『何か』を保っているだけだ。命は囁く。落ち着け。そして、心の火を絶やすな。お前はまだ生きている。熱海の家が健在だった時に、作り上げた楽曲がある。物質は消えても音楽は消えない。何もなくていい。優しさだけあればいい。俺たちが消えても作品は残る。愛情は残る。芸術は残る。命は叫ばない。命は囁く。落ち着け。そして、心の火を絶やすな。お前はまだ生きている。言葉は音楽のように、私たちの心臓を流れている。

 

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「Never Ending Delight」 詞曲 Keigo Sakatsume

 

何もなくていい 優しさだけあれば

君は呟く 震えながら 祈るように

 

ここに生きる 命が 一つある

細く小さく弱いけれど はっきりとここに

 

死にたいのは 生きたいから

優しくて 温かくて 激しいものが 僕にも 流れる

 

Never Ending Delight 飛び立つ 光の中を

Never Ending Delight 飛び立つ 永遠の時を

 

僕がまだ君で 君が僕だった頃

何も恐れず 空を抱いた 手を繋いで

 

知り合いより 友達になろう

どちらかが死んだら 泣けるくらい 友達になろう

 

生きたいのは 会いたいから

優しくて 温かくて 激しいものが 僕から 流れる

 

Never Ending Delight 飛び立つ 嵐の中を

Never Ending Delight 飛び立つ 永遠の夢を

 

Never Ending Delight 飛び立つ 光の中を

Never Ending Delight 飛び立つ 永遠の日を

 

Never Ending Delight 飛び立つ 嵐の中を

Never Ending Delight 飛び立つ 永遠の夢を

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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崇高な道を選べば、必要なものは与えられる。

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心がなくしたものを嘆いている時、魂は手に入れたものを喜んでいる。心も体もボロボロになることは苦しいが、ボロボロにならなければ掴めなかった『何か』がある。その何かは、傍目から見れば地味なものであったり、誰にも気づかれないものだったりする。だが、その何かは確実に地下茎を伸ばし、確固たる己を形成する。

 

おおまかなスケジュール

7月1日(水)京都

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます) 

 

 

約束してくれ、逆転するまでは死なないって。

物質にはそれぞれバイブレーションがあり、意識レベルみたいなものがあると聞いた。普通の人間は200から300(諸説あり)。アインシュタインシェイクスピアは500。ガンジーマザーテレサは700。ブッダやキリストやクリシュナは1000。先日、意識レベルを見ることができるという方から「坂爪さんは910です」と言われた。本当はどうかはわからないが、前向きな勘違いはどんどん取り入れたい。意識レベルをあげる方法は数多くある。肉食を控える。添加物を控える。よく噛む。部屋の掃除をする。笑う。太陽を浴びる。裸足で歩く。塩を活用する。直感に従う。美しい音楽に触れる。言葉に気をつける。瞑想をする。波動の高い人と交流する。

 

先日、琵琶湖で泳いだ。湖水浴と呼ぶ。私は新潟の海沿いで育った。海水浴は好きだが、湖水浴は初体験だ。海でもない。塩水でもない。湖水は新鮮だった。海は還る場所だが、湖は聖水に近い。地(血)が海ならば、天(空)が湖だ。裸足で歩いたり海水浴をすることをアーシングと呼ぶ。体に滞留した電気を外側に放出する。最近、調子が悪い時は「全部悪霊のせいだ」と思うようにしている。そうすると気持ちが楽になるし、自分を責めないでいられる。悪霊とは、要するに電気だ。電気が滞ると血液も感情も滞る。幸せとは何かを手に入れることだと思っていた。だが、違う。幸せとは「からっぽになること」だと思う。宇宙が空ならば、からっぽになることで一体感が生じる。魂は言葉を求めている。言語化されることで、感情が浄化する。自分が消える。自分が消えると、逆説的だが、万物の根源と繋がる。

 

生きることに苦しさを覚える時がある。自分は無価値だ。無力だ。無能だ。邪魔者だ。役立たずだ。この世に不要な人間だ。自分を罵倒する言葉が延々と湧き出してくる時期は誰にでもある。だけど約束をしてくれ。逆転ホームランを打つまでは死なないって。勝者には絶対に打てないホームランがある。それは逆転ホームランだ。逆転ホームランは敗者だけに許された特権だ。戦う限り負けない。別に勝つ必要はない。ただ、負けたらダメだと思う。諦めたらダメだと思う。自分の偏った了見で勝っただの負けただのジャッジをするにはまだ早い。我々は神の所有物だ。だから、約束をしてくれ。逆転ホームランを打つまでは死なないって。もうダメだと思った体験が舞台で生きる日が必ず来る。あらゆる体験が力になる日が必ず来る。

 

崇高な道を選べば、必要なものは与えられる。

自分と他者の間に境界がないのだとしたら、道端のゴミを拾うことが自分のためになる。誰かのためになした善が自分にとっての最善になる。私は花を配る。過去にある方から花をいただき、それが無性に嬉しかったからだ。花を配る時、小さなメッセージカードに手書きの言葉を添える。このカードが、想像を超えて喜んでもらえることを知った。ミニカードは値段にすればほんの数百円程度だ。だが、この数百円の手間が、パソコンではなく手で書くと言う手間が換金できない価値を生む。心を込めるということは、目の前にいる人間をしっかりと人間として扱うということだ。目の前の人間をしっかり人間として扱うことが、結果的に自分を人間にする。誰かのために心を込めるというささやかな行為が、結果的に自分を救済する。

 

花は枯れる。だが、言葉は枯れない。花に込められた想いは枯れない。物質は消える。だが、精神は消えない。自分のホームページを作るにあたって「自分とは何か」ということを改めて考えさせられている。私は言葉を綴ることで生きてきた。言葉は誰もが扱う日用品だ。消耗品のような言葉もあれば、骨董品のような言葉もある。私は言葉に何を込めているのだろうか。いま、一番しっくり来る言葉は「精神」だ。私は、言葉というよりは精神によって生きていて、精神によって生かされている。精神に値段をつけることに抵抗を覚えることもあるが、多分、私はこれから経済活動に介入する。これまで私は金にすることを避けてきた。命や魂に値段をつけることに違和感を覚えていた。だが、考え方が変わる出来事があった。あるバンドのホームページを見たら、彼らのグッズが販売されていた。参考程度に眺めていたらなんだかとても欲しい商品が見つかり、私はそれを購買した。購買した時に「売ってくれてありがとう」と思った。彼らが商品を販売してくれなければ、私はそれを手にすることができなかった。私は、モノを買ったと言うよりも彼らの精神を買ったのだと思う。モノを通じて、私は常に彼らの精神と共にあることができる、その感覚が嬉しかったのだ。彼らの精神と共に生きられることが嬉しいのだ。

 

崇高な道を選べば、必要なものは与えられる。これから何度も私は迷うだろう。損得勘定や打算で道を選ぶことも、不安や恐怖をベースに道を選ぶことも、自分の愚かさや至らなさを打ちのめされることも、何度も何度もあると思う。だが、打ちのめされる度に思い出したい。崇高な道を選べば、必要なものは与えられる。大事なことは、自分が愛されているかどうかではない。大事なことは、自分が愛することができているかどうかだ。自分が生きることよりも、自分を通じて周囲が生きることの方が、よっぽど重要なことだ。自分以外のものに命を注ぐことができている時に、私の命はもっとも躍動するのだと思う。六月が終わり七月になった。2021年も後半戦だ。恐れることは何もない。崇高な道を選べば、必要なものは与えられる。

 

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「路傍の命(仮)」 詞曲 Keigo Sakatsume

 

なあ そうだよな 一度はなくした

なあ そうだよな 拾った命だよな

 

なあ そうだよな 心を閉ざした

なあ そうだよな ふざけた時代だよな

 

最悪でも死ぬだけだし 最高でも死ぬわけだし

やりたいことをやって 生きるほかに道はない

 

これさえあれば他には何も要らないと思えたんだ

「君のことを忘れたりしないぜ」

やりたいがやらなきゃになったらゲームオーバー

 

なあ そうだよな 何度も踏まれた

なあ そうだよな 転がる命だよな

 

なあ そうだよな たいしたことなどないよな

なあ そうだよな これくらいもう平気だよな

 

頭の中お花畑って言われても砂漠より全然マシだろう

君のことを笑うヤツよりもずっとずっとイカしてるよ

 

首元にナイフ突きつけられて生きろって言われてるような

「人生で、今、一番幸せです」と胸を張って言える 

だから 自分の価値を下げるような考え方は絶対するなよ

 

無人島に流されても 君となら笑っていられる

せっかくだからやろう 「これでいい」じゃない やろうよ

俺たちは世界一なんだよ 俺たちは世界一だからさ

 

そのままでいい そのままでいい

 

なあ そうだよな 一度は燃やした

なあ そうだよな 路傍の命だよな

 

最悪でも死ぬだけだし 最高でも死ぬわけだし

やりたいことをやって 生きるほかに道はない

 

俺は俺に胸を張りたいんだ

石に齧りついてでも生きるって決めたのさ

だからねえ 聞かせてくれ

 

お前だけのラブソングを お前だけのラブソングを

お前だけのラブソングを 聞かせてくれ

俺たちが世界一なんだよ 俺たちが世界一だからさ

 

そのままでいい そのままでいい

 

なあ そうだよな 一度はなくした

なあ そうだよな 拾った命だよな

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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好きなままでいいんだよな、愛したままでいいんだよな。

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酒でも煙草でも甘いものでもなんでも、体に毒をぶち込みたいときはぶち込んでもいいのだと思う。ただ、このやさぐれモードみたいなものは一時的なものであってコアじゃない。やさぐれはデフォルトじゃない。俺たちは水だ。どんなに汚れても濾過すれば透明。水は水のまま。だから、安心してやさぐれればいいのだと思う。

 

おおまかなスケジュール

6月30日(水)京都

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます) 

 

 

男の生理。

男にも生理がある。なにもかもがくだらなく思える夜がある。昨日、とある有名人がベンツを購買したという投稿を見た。その投稿を見た時にスイッチが押された。モノをステータスにする風潮に嫌気がさしたのかもしれない。私は基本的に「死にたいが生きたいに変わるもの」が好きだ。自殺を考えていた人間がそれに触れたことによってもう少しだけ生きてみてもいいかな、生きたい、生きてみせる、と思えるものが好きだ。だが、そう思わせてくれるものはレアだ。滅多にない。大概は、それに触れると「死にたい」と思う。生きたいと思わせてくれるものよりも、死にたいと思わせてくれるものの方がこの世には多い(という偏見が自分にはある)。

 

生理中は神経が鋭敏になるため、街中の広告を見ても一々イラッと来る。美少年や美少女のチラシを見ても「嘘臭ぇ」としか思えない。醜い部分は極力隠し、綺麗な部分だけで構成されている感じに嫌気がさして「俺は野生が見たいんだよ」と叫びたくなる。人間よりも人形に近い存在に破壊衝動を抱き、人間である以前に俺たちは動物なんだよと暴れたくなる。そして「お前も本当は暴れたいんだろ、その化けの皮を剥いでみろよ」的な感覚を抱く。要するに、自分を含めた世界全体に対して「お前ら全員つまらねえんだよ」と悪態をつきたい気持ちにまみれてしまうのだが、一通り言語化すると自分の内側に渦巻くドス黒い何かはある程度スッキリする。言葉にすると成仏をする。言葉にすることで、自分の内側がからっぽになる。

 

そして「ああ、俺はひっくり返したいんだな」という自分の思いを知る。現行のルールに合わせて勝ち組だの負け組だのと優劣を競い合うことに興味を持てず、極論、現行のルールをひっくり返すことだけに興味があるのだと思う。だから、ロックンロールが好きなのだと思う。だから、ひたすら迫害を受け続けたキリスト教が好きなのだと思う。自分はこれだけ稼いでいるとか、自分はこれだけ人脈があるとか、自分はこれだけ権力があるとか、自分の外側に張り付いているものを誇っている姿を美しいと思えない。その姿が、いま、死にたいと思っている人間を「生きたい」と思わせる方向に進ませるとは思えない。大事なものは精神だ。生きようとする精神だ。暴動する精神に触れた時、人は「生きよう」と前を向くことができる。

 

好きなままでいいんだよな、愛したままでいいんだよな。 

居場所がない。毎日、寝る場所がない。自分に同情をしたら一発で死ぬ。居場所がないと感じる瞬間は辛いが、誰かにとっての居場所になろうとすることで、悩みは薄くなる。たとえば私は言葉を書く。言葉に命を注ぎ込む。誰かのためと言うよりは、そうでもしなければ潰えてしまいそうな何かに火をくべるように、精神のかまどに言葉をくべる。すると、言葉が世界を作り出す。その世界の中で、私は呼吸をすることができる。その世界には自分の居場所がある。誰かのために紡いだ言葉が自分の力になる。誰かのために見つけた居場所が、自分にとっての居場所になる。

 

疲れ過ぎてカラオケに逃げ込んだ。機械の電源と照明を落として横になり、数時間寝た。イタリア映画のひまわりに似た夢を見た。あの、どうしようもなく切ない主題歌が流れた。夢の中で私は泣いていた。そして、目が覚めると同時に一つのことを強く思った。忘れないように、スマホのメモ機能に記録をした。メモを残してまたすぐに寝た。次に目覚めた時には、もう、何をメモしたのかを忘れていた。スマホを見た。そこには「別れても、終わっても、もう二度と会うことではできなくても、好きなままでいいんだよな、愛したままでいいんだよな。」と書かれていた。

 

花のように生きられたらと願う。一輪の花の静けさと、一輪の花の逞しさに、これまで何度も助けられてきた。しかし、私は人間だ。私は花じゃない。私は人間だ。どうしようもないくらいに人間な自分は、どうしようもないくらいに花を愛する。私たちは、傷つくことや嫌われることや裏切られることや見捨てられることを恐れる。だが、一番恐れていることは、愛することだ。愛することができなくなることを、私たちは一番恐れている。メモ帳には「別れても、終わっても、もう二度と会うことではできなくても、好きなままでいいんだよな、愛したままでいいんだよな。」と書かれていた。傷ついても嫌われても裏切られても見捨てられても好きなままでいい。愛したままでいい。私たちには、どんな時でも「好きでいていい」という自由がある。私たちには、どんな時でも「愛してもいい」という自由がある。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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