あらゆるものは、楽しむためにある。
残り三日。人間関係は、無理をすると続かない。だから、最初が肝心だと思う。あとで爆発するより、最初から「自分にはこういうところがある」と伝えた方が、多分、うまくいく。変わる可能性を内包しながら、現状を伝える。ただ、夢は無理をしてでも叶えたい。一日一曲とか、練習とか。本当に凄い奴ほど、努力している。自分のふがいなさを、才能やセンスのせいにしたくない。凄い奴は、やっている。
何かをやるために、好き以外の理由なんてないよ。お金にならないとか、認められないとか、そんなものに惑わされたらダメだよ。それをやっている時間がどうしようもなく楽しいから、はじめたんだよ。好きを手放したらダメだよ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2019年12月28日
涙が出そうになるくらい生きろ。 - いばや通信 https://t.co/nsIdbApSV8
おおまかなスケジュール
1月1日(水)Rest Inn Peace【無料の宿屋】OPEN@神奈川県横浜市港北区
1月8日(水)19時 THE PRESENTS DEBUT LIVE@東京都渋谷区『La.mama』
1月14日(火)19時 THE PRESENTS アコースティックLIVE@東京『曼荼羅』
2月9日(日)12時 THE PRESENTS LIVE@名古屋『Salon jardine art gallery』
2月14日(金)19時 THE PRESENTS presents「PRESENTS is HERE」@大阪
SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu
変われることは、楽しい。
広瀬香美ゲレンデがとけるほど恋したいに「私をネ 失ったらネ あなたの人生終わりだよ」という歌詞がある。私は、これを最高の名言だと思っている。こんな言葉、なかなか言えないと思う。昨今では「自分なんか」と自虐的になることがブームだが、広瀬香美さんは違う。明るさで突破する。前向きに除湿する。女性には、こうあって欲しいと勝手に思う。人間、これくらいの気概で生きていきたいものだ。こんな自分といてくれてありがとうと思うこともよいが、それ以上に「自分の魅力がわかるなんて、あなた、なかなかやるじゃない」とか、思ってもいいのだ。
人間が恐れを感じるものは多岐に渡るが、そのひとつに「勝つことの恐怖」があると思う。それは、愛される恐怖・幸せになる恐怖・自分に才能があると認める恐怖・自分には力があると認める恐怖とも言える。なぜ、そのことが怖いのか。それは、自分はできると認めた瞬間に、やる責任が発生するからだ。被害者ヅラをしていれば、弱者の振りを続けていれば、なにもしないに安住していられる。悩むことが苦しいなどと言いながら、住み慣れた苦しみの中で、居心地の良い時間を過ごせる。だが、ひとたび『やる』となると、具体的な行動が必要になる。具体的で、ちゃんと怖くて、それでいてドキドキしてくるような、具体的な行動が必要になる。
変わらなきゃ、変えていかなきゃと考えると緊張するが、大前提として「変われることは、楽しい」と思う。 食事と同じだ。毎日天津飯ばかりじゃ確実に飽きる。飽きると言うか、地獄だ。食事そのものを嫌いになる。変化があるから、楽しいのだ。いま、大事なことを書いた気がする。変化がないと、もともとは楽しみであったはずの食事そのものを、嫌いになってしまうのだ。これは危険だ。危険と言うか、勿体無い。食事も人生も同じだ。大前提として、あらゆるものは『楽しむため』にある。私は、そう思う。みんなと同じことができない自分を責めるためではなく、みんなと同じことができない自分を楽しむために、生きているのだと思う。
あらゆるものは、楽しむためにある。
我々THE PRESENTSのドラム&ピアノのRYUは、音楽の才能に恵まれている。10カ国を扱う語学の天才のように、あらゆる楽器を自由に操る。そんなRYUを見て、周囲は「彼は天才だ」とか「音楽の才能に溢れている」とか、言う。実際、私も最初はそういう風に思っていた。だが、一緒にバンドをやるようになり、彼を間近で見るようになってから、考えが変わった。才能なんてない。あるのは、底知れない練習量だけだ。RYUは、生半可ではない練習量を重ねている。特別な人間はいない。ただ、やってきたことが特別な人間がいるだけだ。そう思ってから、誰かを羨むことをやめた。羨む暇があったら、自分の天才を発揮する方向に、力を使うべきだ。
ある父親が、息子に言った。「恋愛でも結婚でも、誰かと生きることを決めたなら、そこに責任が生まれるんだ。責任という言葉には、自由がなくなる窮屈さを感じるかもしれないけれど、真逆だよ。責任が、男を自由にするんだよ。自分の体は、自分だけのものじゃない。お前が恥をかくことは構わないが、お前が恥をかくことで、お前の大事なひとにまで恥をかかせるような、そういう生き方だけはするなよ。周囲に媚びるとか、嫌なことでも我慢をしろとか、そういうことを言いたいんじゃない。お前が精進することで、お前も、お前の大事なひとも、お前を誇りにできる生き方をするんだよ。そのための力を、与えるものが『責任』なんだよ。」
自分が大事だと思うひとには、不完全でも構わないから、楽しそうに生きていて欲しいと思う。その姿を見て、自分も、楽しくなることができる。大事な人に対して思うことを、自分は、自分自身に思うことができているだろうか。好きなひとが楽しそうに生きている姿は、存在そのものが『プレゼント』になる。もし、本当にそう思うならば、自分が楽しそうに生きている姿を見せることも、大事なひとにとってのプレゼントになる。そう信じることができなければ、本当ではない気がした。あなたを幸せにできるかどうかはわからない。ただ、あなたといる時間は、私はとても幸せになることができる。だから、青臭い表現になるけれど「あなたに、幸せな俺をプレゼントするよ」と本気で思えたら、そのつながりは本当なのだと思う。
やりたいことを見つけないといけないとか、あの人を許さないといけないとか、自分を愛さなければいけないとか、みんなと仲良くしないといけないとか、常に元気でいないといけないとか、充実した時間を過ごさないといけないとか、しなきゃいけないことなんて本当は何ひとつない、全部、それでいいんだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2018年2月15日
坂爪圭吾さま
愛知の○○です。いばや通信が今年いっぱいで終わるということ、大変残念で寂しいですが、終わりは始まりなんですね。
ずっと生き方を模索されて、苦しんで、もがいて、でも前を向いている坂爪さんの姿に、いつも勇気と、この世界で生きる希望をもらっております。
いばや通信がなくなっても、きっとまた繋がれると信じております。死ぬ気でやれよ、死ぬから。
もう本当にズゴーーーン、これですね。
これなんですよね。
実は、私44歳という高齢ですが、先月、子供を授かったことが分かりました。
初めは、世界がぐるっと変わったような気がして、半信半疑で、未だになんかまだよく実感できていない日々です。
でも、初めて授かったことがわかった時から思ったのは、創作は絶対に続ける!ということでした。
写真作品の制作は絶対に続ける、もしかしたら、授かったからもっと勇気をもらったのかもしれません。
そして高齢だから、いつ、この子がどうなっちゃうかわからない、という心配や怖さもあります。(まだ安定期じゃないのです)
でもそれって、皆同じで、いつも生と死は隣合なんでしょうね。。だから、「死ぬ気でやれよ、死ぬから」って言葉が今ものすごく響きました。
まだまだ本気でやっていないんだな、と自分で思いました。私は言い訳ばかり。それをやめる、言い訳をやめる。かっこいいなあ、本当に、坂爪さんは。本、出たら絶対に買いますね。書籍というのは、世に販売されたら、国立図書館に所蔵されるらしいのです。つまり、坂爪さんの寿命より長く、坂爪さんの言葉が生き続けることになります。それはいい!とってもいい!!!!と思いました。またお会いしましょう!2月の名古屋公演、絶対行きます!!どうか実現しますように!お体には十分お気をつけて、面白い新年をお迎えください。2020年も、坂爪圭吾さんに幸あれ!です。
人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu