いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

天を相手にし、人を相手にするな。

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日本に戻り、急遽、新潟県佐渡ヶ島に来た。佐渡ヶ島では、嘉向徹と保科亮太の男性二人が「佐渡ヶ島をシェアヶ島に」を合言葉に、サードアイランドプロジェクトを進めている。実家や故郷がファーストアイランド、現在地や就職先がセカンドアイランドだとすれば、第三の居場所をサードアイランドと呼ぶことになる。


カーフェリーで片道2時間強、往復5000円弱

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新潟駅近くにある港から船に乗り、佐渡ヶ島に向かう。新潟県民でさえも、佐渡ヶ島には「修学旅行以来行ったことがない」というひとが大量にいる。佐渡ヶ島を車で一周するには、車でおよそ五時間から六時間(周囲262.7km)かかる、沖縄本島に次ぐ面積を持つ島になる。

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日本海は青く、深い。

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カモメが飛び交う。

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静かな海面を眺める。

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晴れた日には、空が綺麗だ。

佐渡ヶ島の風景

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暖流と寒流の接点にある佐渡ヶ島では、北海道と沖縄両地方特有の植物が同居する、非常に珍しい植生地域になっている。絶景を望めるリアス式海岸なども有する佐渡ヶ島は、現在、世界遺産登録に向けたPR活動もはじめている。

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水面に映る空が綺麗だ。

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いたるところに岩場がある。

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海と山と温泉と、雪景色もある。

サードアイランドとしての可能性

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嘉向徹と保科亮太の両氏が展開している拠点は、両津港から車で30分程度の場所にある「野浦」という地域にある。家の目の前には海が広がり、そこから朝焼けを拝むことができる。代々受け継がれてきた棚田があるが、後継者不足により維持することが難しくなっている。

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棚田の保全も兼ね、嘉向徹と保科亮太は地元のひとの協力を仰ぎ、若者に「農業や漁業の体験を通じて、島の生活を体験してもらう」活動をしている。宿泊費や体験費用などは不要で、彼らとのコンタクトを取ることにさえ成功すれば、誰でも気軽に佐渡ヶ島に足を運ぶことができる。

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天空の棚田。

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写真中央は、野浦のボス。

野浦のボスの尋常ならざる人間的魅力

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野浦のボスは半端ない。半農半Xというレベルではない。農家と漁師を兼業しながら、宮司や役所の仕事も行い、時には人形浄瑠璃の実演(日本国内にある能舞台の3分の1は佐渡に集中している)などといった伝統文化の継承もする。数年前、自分の力だけを頼りに小さな神社も建立した。佐渡ヶ島(とりわけ野浦地域)の食糧自給率は半端なく高い。ボス曰く「家族2〜3組くらいなら、食うものには困らない」とのこと。この言葉だけでも、最高のセフティネットになると思う。

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私は、(そこはかとなく長渕剛に似ている)ボスの人柄が大好きだ。米をつくれば家までつくる、海にはいれば魚も貝も海草も大量に捕獲してくるボスは、男から見ても確実に格好いい。そして、笑顔がデカい。締める所は締めるが、普段は柔和で(こんなことを言うのは失礼にあたるのかもしれないけれど)猛烈にお茶目でキュートだ。「俺は短命だ。俺は人生につかれたんだ」と笑いながら話すボスの笑顔は、デカい。

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水墨画のような風景が広がる。

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そんなボスの力にどうにかしてなれないものかと、昨夜、寝る前にいろいろと考えていた。過疎化による人手不足に悩む地域では、佐渡ヶ島に限らず、持て余している野菜や海鮮類を大量に廃棄している。現在の私は、熱海にひとつの拠点を持っている。来月からは「(誰でも自由に使える)家を拾うまで帰れま10」と題して、勝手に四国に足を運ぶ。私の中で、佐渡と熱海と四国の三箇所が、目には見えない点で結ばれるような感覚を覚えた。


佐渡ヶ島の夜と「役割の分担」

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夜には集落の人々が集うこともある。

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飯を食い、飲み、語り、踊る。

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多拠点生活のススメでも書いたが、移住という言葉には重さが宿る。農業や漁業のスキルを習得したいと思うひとはたくさんいると思うけれど、移住となると腰が重い。家事も育児も仕事にも同じことが言えると思うが、多分、同じ場所にずっといなければいけない(同じことをずっとやらなければいけない)ということがある種のプレッシャーにならないためにも、多拠点生活は有効になる。そのために、必要な考え方は「分担」になると思う。ひとりがひとつのことをやり続けるのではなく「役割を分担する【各自の力を持ち寄る】」という考え方が、これからの生き方の肝になる気がした。


多分、人間には役割がある。金を稼ぐのが得意なひともいれば、掃除をするのが得意なひと、料理が得意なひともいればひとを笑わせるのが得意なひと、本を読むのが得意(知識が豊富)なひともいれば、身体を張るのが得意なひと、ものをつくるのが得意なひとや、ネットサーフィンを駆使することが得意なひともいる。各自の「得意(出来ること)」を持ち寄れば、それはひとつの『家族(拡張家族)』を形成するのではないだろうか。

いま、ひとりひとりの生活を圧迫しているものがあるとすれば、それは「何もかもを自分ひとりの力だけでやらなければいけない」という過度のプレッシャーだと思う。何もかも自分の力でできて一人前で、他人に頼るのは半人前という考え方が基盤にある。しかし、ほんとうにそうだろうか。家事も、育児も、農業も漁業もサービス業も、あらゆる経済活動や人間的な営みは「奪い合えば足りず、分け合えば余る【自力を要すれば足りず、他力を要すれば余る】」ものではないだろうか。ひとりの人間に過度に集中している役割を、いま、各自に分担することはできないものだろうか。

一生懸命に生きた記憶が思い出になる。

嘉向徹と保科亮太がボスから恩恵を受けているように、私も、熱海の生活では心から愛するムラキテルミさんの恩恵を非常に強く受けている。私が魅力的だと感じる人間は、問題を抱えていない人間のことではなく、どれだけ多くの問題を抱えていたとしても「明るく朗らかで、悲愴感や愚痴っぽい恨めしさがない」前を向いている(前を向こうとしている)ひとのことだ。無様でも、不器用でも、一生懸命に生きようとしている人間の姿勢だ。


内村鑑三の著作「代表的日本人」では、五人の著名な日本人が紹介されている。その中のひとりである西郷隆盛が残した言葉が、強く印象に残っている。そこには「天を相手にし、人を相手にするな。何事も天のために行え。他人を責めず、自分の誠の足らないところを探せ」とある。横につながりを求めるから、惨めになったりさみしくなったり周囲の誰かに嫉妬の感情を抱いたり、自分の気持ちを他人に理解してもらいたくなったりする。しかし、ほんとうの繋がりは横【人間関係】ではなく「縦【天と地】」の中に、既に備わっているものなのかもしれない。

昨年、数年振りに降り立った佐渡ヶ島に着いた時、私は「この島は人間には見限られているかもしれないが、神には見限られてはいない」という感覚を覚えた。生きていれば、いろいろなことがある。禍福は糾える縄の如しではないけれど、いいこともあれば、悪いこともある。その中で、最後の最後に残る自由「どのような態度を選択するのか」だけは、常にひとりひとりの掌中にある。多分、一生懸命に生きた記憶が思い出になる。私はそのように思っている。一生懸命に生きるということは、他人の顔色や世間的な評価を気にすることではなく、どれだけ周囲の人間から馬鹿にされたとしても、天に恥じない生き方をするということだ。


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人生は続く。

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