新横浜駅のドトールに行くことをやめた。この一ヶ月で、色々やめた。Agapeをやめた。アマチュアでいることをやめた。プロを目指さないことをやめた。本気を出さないことをやめた。独身をやめた。一人で生きることをやめた。ごちゃまぜの家をやめた。「存在しているだけでいい」と思うことをやめた。存在の奥にある、輝きを眠らせておくことをやめた。やめたいことをやめないことをやめた。そして、今日、これから本当の地獄がはじまる。最後の断捨離が、はじまろうとしている。
優しいひとほど、その優しさによって自分自身を傷つけている。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2019年12月19日
自分が我慢をすることで継続される平和なんて、偽りだと思う。もっと自分を出して見ろと思う。誤解を恐れずに言えば「いい子ぶってんじゃないよ」と思う。
夢を生きる限り、ひとりにはならない。 - いばや通信 https://t.co/j495mOygHd
おおまかなスケジュール
1月1日(水)Rest Inn Peace【無料の宿屋】爆誕@神奈川県横浜市港北区
1月8日(水)19時 THE PRESENTS DEBUT LIVE@東京都渋谷区『La.mama』
1月14日(火)19時 THE PRESENTS 弾き語りLIVE@東京都吉祥寺『曼荼羅』
2月9日(日)12時 THE PRESENTS LIVE@名古屋『Salon jardine art gallery』
2月14日(金)19時 THE PRESENTS presents「PRESENTS is HERE」@大阪
SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu
タバコを吸うな。愛を吸え。
タバコをやめた。禁煙に挑戦しているのではなく「禁煙成功1日目」と言いたい。父にそそのかされて吸ってから、タバコはずっと近くにあった。我が父は愚者なので、小学生の私に「ほれ」とか言いながら吸わせた数ヶ月後、肺がんで入院した。タバコは絶対ダメだと医者から言われながら、隠れてこっそり病院でタバコを吸った。それを見た妻(私の母)から「ちょっとあんた、ダメでしょ!なにしてんの!」とタバコを没収されそうになるのをササッと交わし、驚いたことに、父親は妻(私の母)に向かってあっかんべーをした。いい年こいた男性が、あっかんべーをしたのだ。衝撃が走った。「俺は、こいつの息子なのか」と、えらく感動した。
しかし、私は「俺は、こいつの息子なのか」状態を離脱することを決めた。ここにアイデンティティを置くことをやめた。タバコも酒も嗜好品も、やめるときは「それをやめたら、生きる楽しみがなくなるじゃないか」的な抵抗が生まれる。私にとって、それがタバコだった。タバコのために生きているところがあった。酒好きな人は、うまい酒を飲むために生きるだろう。そのために「この仕事を頑張り抜いたら、絶対にうまい酒が飲めるぞ」という、モチベーションにもつながる。だがしかし、だがしかしである。勝手に独身離脱を決め込み、勝手に音楽活動を再開した小生にとって、自分の体は、もはや自分のものではない。自分の好きなひとのための体であり、だからこそ、メンテナンスがウルトラ大事なのだと思うようになった。
合言葉はラブパワーである。安心してくださいと自分に言いたい。タバコをやめても、いまのあなたにはあふれんばかりの喜びが残ります。それは『音楽』と『人間』です。あなたには、タバコを吸いながらどこかしらやさぐれているところがありましたね。でも、もう、やさぐれる必要はないのです。なぜならば、あなたには、尽きることのないラブパワーがあるのですから!!と。なぜか口調が女神チックになってしまったが、そう思う。やめるならいまだ。このタイミングでやめないと、また、俺は言い訳を続けてしまう。逆に言えば、やめたらかっこいいよね。かっこよくなりたいよね。よし、かっこよくなろう。タバコを吸いたくなったときは、天を仰ぎながら「ラブパワー!」と唱えよう。さすれば、全部、解決である。
最後の断捨離。
最後の断捨離は『自分』である。結局、どれだけものを捨てても『自分』を捨てられないのなら、たいした変化はないのだと思う。音楽は平等だとは思うが、感動する演奏と、まったく感動しない演奏がある。それは、歌い手に「かっこつけようとしている」自意識を感じるかどうか、だ。こう見せたいと思う自分がいる限り、そこを越えることはできない。素晴らしい演奏、生々しい肉感をもって迫ってくるものは、常に『自分を越えているもの』であり、常に『自分を越えていくもの』だ。
表現とは、何だろうか。それは「これが自分です」と、弱さも醜さも汚さも全部ひっくるめて、生身の自分を晒す行為だ。魂の咆哮だ。だが、一方では「自分を透明にしていく」行為でもあると思う。自分が、ただの管のようなものとなり、自分を通じて作品が生まれる。その時、この作品が自分だと言うよりも「自分なんてどこにもいない。ただ、自分を『使って』表現がされただけだ」という状態だ。自分の命を生きていると言うよりは、命「が」自分を生きている。そういう状態がある。
いま、生きている。そのこと自体が『表現』だと思う。表現とは、音楽家や芸術家だけがやることではない。生きている限り、ひとりひとりが避けることのできないもの。それが『表現』だ。様々なスタイルで、様々な人々が表現をする。だが、心を打つものには、共通した感覚を触れたものに与える。それは「手を伸ばすことを諦めない」自由だ。何かをやりたいと思う。自分には無理だと思う気持ちもある。だが、同じくらい「できるかもしれない」と思う部分もある。その、できるかもしれない部分の可能性を、諦めない。届かないかもしれないけれど、届くかもしれない。それならば、届くかもしれない方向に賭ける、その思いだ。自分を、世界を信じたいと思う切実な願いだ。負けるな。諦めるな。投げ出さないで、顔をあげろ。俺も頑張るから、お前も頑張れ。真の表現には、必ず、生きようとする力が宿る。
生きるために一番大切なもの、それは金でも勇気でも名誉でもなければ特別な才能でもない、安心感だと思う。失敗しても良いという安心感、自分は護られているのだという安心感、ダメな時は元気が出るまでゆっくりしていればいいのだという安心感があれば、多分、人間は何度でもやり直せる。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2019年11月7日
初めまして!
突然のLINE失礼します。岐阜県在住の○○○○と申しますm(_ _)m 40歳です。坂爪様のいばや通信を、約2年ほど前から、友達経由で知り、ずっと、目が離せず、また、ブログのお言葉に多大に叱咤激励されてきた、1人です。
このたび、いばや通信を閉鎖されると拝見しまして、どうしてもどうしても一言お伝えしたく、LINEさせて頂きました。
生きる”覚悟”を、思い出させて頂き、本当にありがとうございます🙋♀✨✨
今置かれている状況(1歳の子育て)で、気分最高の自分に毎日出会いたい(どんな気分でも、じぶんです^_^)‼️
坂爪さんだったら…ときどきふと思います。そう思える事に、感謝です。坂爪様のお言葉は、ブログ読むたびとても心の近くで大音量で響き、沁みこみます。
とても、とても言葉で表し切れないくらい感動と、勇気をありがとうございます(おねがい)✨
THE PRESENTS‼️
ブログはなくなっても、これからも応援します。
もし、本が世に出たら、多くの人の意識が変わりますね。
まとまらなくてすみません。
本当にありがとうございます。
坂爪様、周りの方々が、幸せでありますように🙋♀💖
お元気で(星)(星)(星)(星)(星)
人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu