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いばや通信

ibaya≪いばや≫共同代表・坂爪圭吾のブログです。わっしょい└( ^o^ )┐

多分、恩は「返すもの」ではなく「次のひとにまわしていくもの」である。

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昨夜、熱海まで遊びに来てくれた男性と動画配信をした。最近では、たとえば「今月はこれだけ稼ぎました!」とか「この記事はこれだけ読まれました!」とか「これだけ多くのお客さんが集まりました!」とか、そういう感じの自己PR(自社PR)を目にすると「いったいいつまでこんなことをやっているのだろう」という気持ちになる。真の充足感は、他人の承認を必要としない。そこで、今回のテーマは『「稼ぐ!」より「貰う!」』にしました。


こちらの動画では「これからは『稼ぐ!』よりも『貰う!(あげる!)』方があたらしい」とか、「お金をあげることは楽しい!(そして、お金をあげることとお金を貰うことはイコールである)」とか、「お金の稼ぎ方の教科書は世の中にたくさんあるけれど、お金の貰い方の教科書はまだない」とか、センスのあるある損(通称・ソンス)にまつわる話をしました。


お金をあげるのは楽しい。

私のふるさとでもある新潟県西区内野町に「イロハニ堂」という名前の素敵なカフェがある。私は、イロハニ堂の店長(サカノさん)を溺愛していて、新潟市内に立ち寄った際には必ず足を運ぶようにしている。理由は「そこに金を落としたいから」である。正直に言えば、何も頼まずにお金だけ置いて「じゃ!」と、そのまま帰ってしまってもいいと思っている。しかし、それではさすがに受け取る側も気持ち悪いだろうなあと思って、何かしら注文をする(もちろん料理も飲み物も美味!)ようにしている。

まともな生活を送ることができていない私には、毎月定期的にはいってくる「給料」のようなものがない。自分にもっと金があればなあ、などとも思うが、残りの財産が1万円になろうが千円になろうが、僅かでも自分に金があるうちはただただその金を握り締めて、私はイロハニ堂に走る。そして、笑顔で「抹茶ラテをお願いします!」と注文をする。

何が言いたいのかと言うと「お金をあげるのは楽しい!(そして、このひとにお金を落としたいという気持ちは自分が働くモチベーションになる)」ということです。これは、何かしらの見返りを求めてする行為ではない。ただただ「あなたという人間が生きていてくれることが嬉しい!」という、喜びの感情がベースにある。これは、子育てに似ているのかもしれない。何かの対価(交換)を求めてではない、新しいお金の使い方が『貰う(あげる)』の中にはある。

恩は「返すもの」ではなく「次のひとにまわしていくもの」である。


自分自身の生活を振り返って見る。現在の私は、静岡県熱海市にある家に暮らしている。この家は、前回の記事でも紹介したように「ムラキテルミさん」という名前の神様のご加護により、無償(!)で提供していただいている。繰り返しになるけれど、私はムラキさんのことが大好きだ。そして、ムラキさんは「私の趣味は『坂爪圭吾』です」と言う。何と言えばいいのだろうか、自分の気持ちを表現する適当な言葉が何も見つからないのだけれど、これは物凄いことが起きているように感じている。

恩と言うものについて考える。多分、恩は「返す」ものではなくて「次のひとにまわしていくもの」だ。それを「返す」ものだと考えてしまう(相手に「返す」ことを強要されてしまう)から、受け取ることに抵抗を覚えてしまう。自分ひとりの力で生きることができる人間はいない。自分が食べている野菜も、自分が乗っている電車も、自分が使っているインターネットも、自分以外の誰かがつくってくれたからこそ受けることができる恩恵になる。冷静に見ると、自分が受けている恩は「とてもじゃないけれど返し切れるものではない」ということがわかる。

誰かに何かを一報的に『贈与』してもらった時、貰った側には『感謝』という名前の感動が湧く。そして、その感動をもとに「自分と同じように困っているひとを見たら、自分も何かをすることができる人間になろう」という気持ちが、自分以外の誰かに強制されるものとしてではなく、自分の内側から強く湧き出してくる。多分、循環を生み出すものは『感動の連鎖』だ。よろこびを奪い合う(独り占めする)ことよりも、多分、人間は『よろこびを分かち合いたい』と願う生き物だ。

『おくりものはナンニモナイ』

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今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、前回のわたり食堂(0円食堂)で尋常ではない美味さのローストビーフを振る舞ってくれたMさんも大絶賛!、谷川俊太郎訳『おくりものはナンニモナイ』です。最後のページを見てください。胸が震えます。命が踊ります。生きていることが素晴らしくなります。男性は、女性のプレゼントに困ったときはこれを贈るのも有効だと思います。ご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾(さかつめけいご)までご連絡ください。

※※※ こちらの本は、フランスにわたりました ※※※

ダサいことはしない!

昔から金を稼ぐことが極端に苦手だった私は、対価として何かしらを提供する『交換』ではなく、よろこびとしての『循環』に賭けている。交換型よりも循環型の在り方に、自分は未来を見る。必要なのは、多分、受け皿だ。受け皿(贈与が生まれる機会や場所)があれば、多分、循環は起きる。翻って、自分の役割は『受け皿を増やす』ことであり、引き続きさかつめけいごは(これ見よがしに)本日もバレンタインデー企画を続行しております。今日、何もすることがないというあなたは、是非、坂爪圭吾に手紙を贈ろう!(「あげる力!」を養おう!)


昨夜のツイキャスで「ダサいことはしない!」という話題が出た。Aの道か、Bの道か、どちらの道を進むのかを悩んだ時に、何が正しいのかということは誰にもわからない。ただ「どちらの道がダサいのか」ということならば、多分、誰にでも分かる。いま、自分がやろうとしていることは「ダサい」のか「ダサくない」のか、このような基準を持つことは、多分、何かしらの役に立つ。

誰かに何かをしてもらうことを期待するとか、不平不満を口にしてばかりいるとか、口先ばかりで何も行動が伴っていない姿を晒すということは、単純に、在り方としてダサい。ダサい人間には、ダサい人間が集まる。私は、ダサい人間の仲間にははいりたくない。別に、毎日気を張ってダサくない道を選び続ける必要はないと思うけれど、ここぞという時には「ダサいことはしない!」という男の気概が、清々しい日々を運んでくれると思っている。



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人生は続く。

静岡県熱海市伊豆山302
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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