いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

音楽の中には世界があって、そこには自分の居場所もありました。

f:id:ibaya:20160404212500j:plain

三人兄弟の末っ子として生まれた私には、5歳年上の姉と、4歳年上の兄がいる。実兄の坂爪真吾は東京大学在籍中から自身で事業を興し、その傍らで「はじめての不倫学」や「性風俗のいびつな現場」などの書籍を発表している。私は、兄の背中を見て育った。兄が買うCDを聞き、兄が買う服を着て、兄が買う本を読んだ。しかし、兄弟は役割を分散させるみたいで、東大を突破してアカデミックな道を進んだ兄に対して、最終学歴が高卒の私は(勝間和代風に言えば)ストリートスマートの道を目指した。

稀に、兄が講演などで足を運んだ先で「坂爪圭吾さんのお兄さんですよね」と尋ねられることがあるらしい。兄は、それが嫌なのだと言う。それはそうだろうなと思う。アカデミックな道を選んだ兄にとって、私のような得体の知れない愚弟の存在は『目の上のたんこぶ』になる。誤解されると困るが、私は、兄を尊敬している。自分のことを社会不適合者だと思っていた私には、生きる希望が欠如していた。しかし、自分で事業をはじめる兄の背中を見て「そういう生き方もあるのか!」と目から鱗が落ちた。既存の生き方に自分を合わせるだけではなく、新しい生き方を自分でつくるという選択肢もあるのだ。

私の両親は、実家のある新潟市内で理髪店を営んでいる。両親の最終学歴はどちらも中卒で、非常に貧しい家庭で育ったために「大正時代のひとと話が合うんだよ」と笑いながら話す。家には高校に行かせる金がないために、中学を卒業すると同時に床屋に住み込みの弟子入りをして、修行を積んだ後に独立して自分の店を持つ、というパターンを両親は踏襲している。小さい頃、母親からは「貧乏人ほどよく笑う」という言葉を聞いた。事実、母親はよく笑う。ユーモアとは、どんなに苦しい状態でも自分を笑い飛ばせる力なのだということを、私は、母から学んだ。しかし、基本的には明るく楽天的な母にも、16歳で床屋に弟子入りをしたばかりの頃、同世代の制服を着た女の子の髪の毛を洗いながら「うらやましいなあ」と思ってしまう瞬間はあったらしい。

家族に強く感謝をしている三点。

私には、自分の家族に強く感謝をしている点が三つある。ひとつ目は「三人兄弟でよかった!」という点だ。私の姉も、私の兄も、どちらも結婚をしている。こどももいる。これによって「親に孫の顔を見せる」的なこどもの責任っぽいことは既に果たされた。その点、ひとりっこは大変だと思う。兄弟がたくさんいることのメリットは、多分、こどもの役割を分散できることだ。おかげさまで、末っ子の私は「これで自由に生きられる!」と気分爽快である。両親も両親で「こどもが三人いたらひとりくらいはバグるものだ」と、私のことは前向きに諦めてくれている。ありがとう、家族。これで、私は『安心して死ぬ【バグる】』ことができる。

ふたつ目は「両親が自営業でよかった!」という点だ。理髪店の休業日は毎週月曜日だったために、小さな頃、家族で遠くに旅行に出かけた記憶が私にはない。昔はそれをさみしいことだと思っていたが、いまでは「おかげさまでひとりで生きる力が身についた」と、V字回復の好転反応を示している。自営業の両親は、良くも悪くも、非常にゆるい。組織特有の縦社会に属した経験が浅いために敬語もロクに使えないが、しかし、素朴な人間味がある。両親は「自営業は身体が資本だから、身体がぶち壊れたらおしまいだよ」と言うが、それを聞いた私は「それならば安定した道を選ぼう」と思う以上に「あらゆる困難を乗り越える、強靭な肉体と精神を身につけよう!」と思うようになった。

みっつ目は「反抗期を受け入れてくれて良かった!」という点だ。母曰く、私の反抗期は18年間続いたらしい。いつからいつまでの時期を指すのかは不明だが、ことあるごとに、両親と私は衝突をしてきた。14歳で煙草を吸い、親父の原チャで高校に通い、生活指導にボコられ、金色の髪の毛を肩まで伸ばし、学校を辞めたいと暴れ、微塵も話が通じずに家の壁を叩いて穴を開け、新潟を離れるためだけに通った大学を勝手に辞め、就職もせず、親のいうことも何も聞かない。様々な局面でいちいち反抗をしてきた私を見て、やがて、両親も「こいつは何を言っても無駄だ。自分のやりたいことしかやれないんだ」と思うようになり、結果的に「元気でいてくれたらそれでいい」という終着駅に到着をした。

元気でいてくれたらそれでいい。

学校に行け!と言われると「行きたくない!」と反抗をして、就職をしろ!と言われると「就職したくない!」と反抗をしていた私も、実際、両親から何も期待をされなくなると、反抗することが何もなくなってしまった。何も期待せず、何も要求せず、ただ「元気でいてくれたらそれでいい」なんて言われてしまうと、こども側としても「お、おう【それならば、元気に生きます】」としか言えない。おかげさまで、紆余曲折はあったものの、現在の家族仲は非常に良好である。もちろん、両親は私の生き方を、多分、一ミリも理解していないと思う。理解できないものを「無理をしてまで理解をしようとするのではなく、理解できないまま、そのままにしておいてくれる」両親の底知れない器には、心の底から感謝をしている。

星の王子さま

f:id:ibaya:20160404173821j:plain

今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、サン・テグチュペリの名作『星の王子さま』です。わたり文庫を開始してからおよそ三ヶ月、無理やりにでも誰かに読ませたいと願う本の数々が、全国各地から熱海に届いている。その中でも、こちらの本は抜群の人気を誇っている。読む時期によって心に響く場面は変わるのですが、なう、キツネのセリフが五臓六腑に沁み渡ります。まだ読んだことのない方は、是非、何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には、24時間以内に折り返しご連絡をいたします。

※※※ こちらの本は、福岡県にわたりました ※※※

ぼくの暮らしは単調だ。ぼくがニワトリを追いかけ、そのぼくを人間が追いかける。ニワトリはどれもみんな同じようだし、人間もみんな同じようだ。だからぼくは、ちょっとうんざりしてる。でも、もしも君がぼくをなつかせてくれたら、ぼくの暮しは急に陽が差したようになる。ぼくは、ほかの誰ともちがうきみの足音が、わかるようになる。ほかの足音なら、ぼくは地面にもぐってかくれる。でもきみの足音は、音楽みたいに、ぼくを巣の外へいざなうんだ。それに、ほら!むこうに麦畑が見えるだろう?ぼくはパンを食べない。だから小麦にはなんの用もない。麦畑を見ても、心に浮かぶものもない。それはさびしいことだ!でもきみは、金色の髪をしている。そのきみがぼくをなつかせてくれたら、すてきだろうなあ!金色に輝く小麦を見ただけで、ぼくはきみを思い出すようになる。麦畑をわたっていく風の音まで、好きになる……


音楽の中には世界があって、そこには自分の居場所もありました。

中学時代、高校時代と友達がいなかった私は、時間を見つけてはひとり自転車を何時間もかっ飛ばして新潟市内全域の中古CDショップを巡っていた。生きていても何も良いことはないと思っていた自分にとって、ただ、自分の好きな音楽を聴いている時間だけは「自由」を感じることができた。気に入ったCDを見つけては、繰り返し、繰り返し、授業中も、移動中も、自分の部屋でも、何度も何度も聴き続けた。音楽は、周囲にうまく馴染めない自分にも「生きててもいいんだよ」と言ってくれているような気がしていた。周りのすべてが「お前は大丈夫じゃない」というメッセージを発してくるように見える世の中において、音楽だけは「お前は大丈夫だ」と言ってくれているように感じていた。そして、自分が音楽に強い感動を覚えたように、自分もひとの心を動かせるような人間になりたいと思うようになった。みっつの言葉を借りれば「音楽の中には世界があって、そこには自分の居場所もある」ような気がしていた。


多分、私は音楽を通じて「自分の居場所」を拡張したかったのだと思う。そして、この思いは30歳になったいまも変わっていない。30歳になるということは、もっと大人になるということだと思っていた。それなのに、これほどまでに「そのまま行く」とは思わなかった。自分の不甲斐なさに情けなくなることもあるほどこどものまま、私は、自転車を飛ばした先の中古CD屋さんでお気に入りの音楽を見つけた時のようなあの高揚感を、あの頃のまま、いまでも求め続けているのだと思う。限界性を突破して、不確実性の海の中に自身を投げ出すこと。何が起こるかわかりきっている想定の範囲内の世界よりも、何が起こるかわからない、世界には自分を興奮させてくれるものがまだまだたくさんあるんだという静かで激しい高揚感のど真ん中に、私は、自分の身を投げ出していきたいのだと思う。

孤独な青春時代を過ごしていたとき、私は、常に死にたいと思っていた。生きていても何もいいことはないと思っていたし、これから先に、何か素晴らしいことが待っているとも思えなかった。しかし、あの頃の正直な感覚は「死にたかった」のではなく「死にたいと思うこの気持ちについて、誰かと話がしたかった」だけなのだと思う。私は、多分、ずっと友達が欲しかったのだ。話しあえる友達を、わかりあえる友達を、同じ気持ちを抱えている友達を、私はずっと求めていたのだ。どうすることもできない自分の弱さの裏側には、どうにかしていきたいと願う『希望』があった。あの頃のまま、私は、もうすぐ31歳になる。私は、自分に恥ずかしくない生き方ができているだろうか。昔の自分に、胸を張れる生き方をできているだろうか。私には、まだ、何もわからない。何もわからないけれど、わからないなりに、わからないまま、過去の自分が音楽の中に自分の居場所を見出したように、自分がこれから綴るもの、自分がこれから詠うもの、自分がこれから織り成すもの、それらのすべてに音楽が宿るような、そういう生き方をしていきたいと思っている。

人生は続く。

静岡県熱海市伊豆山302
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
TEL 07055527106 LINE ibaya
MAIL keigosakatsume@gmail.com