いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

大丈夫じゃないことも含めて、大丈夫。

f:id:ibaya:20190130082105j:image

 

初対面の人に「お仕事は何をしているのですか?」と聞かれることが面倒臭いから、最近は「アルピニストです」とか「キャンドルアーティストをやっています」とか、適当なことを答えている。それを聞くと、相手は「えー、登山家なんですか!」とか「キャンドル作れるんですか!」とか言うので、私も「そうですね、登り続けている山があります」とか「心のキャンドルを灯しています」とか答える。

 

 

おおまかなスケジュール

 

1月28日~2月12日 FREE!【日本】

2月13日 欧州リベンジ【東京~パリ~ミラノ】

2月14日以降、FREE!【欧州界隈】

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu   

 

ibaya.hatenablog.com

 

男の日常。

ミユさんとの出会いは衝撃的だった。帰国直後、ミユさんの妹・KUMUさんと東京の町田で会った。素晴らしい時間が流れた。私はヤンキーが好きみたいだ。言い換えるなら「タンカを切って生きている」人が好きみたいだ。最近、兵庫県明石市長が「燃やしてしまえ」発言で問題になった。巷の人々は「人としてありえない」とか「ナニワ金融道じゃあるまいし」などと、お利口ちゃんなことを言う。私は、市長側の人間だ。私が市長なら、骨のある人間と出会いたいと思う。言い訳を重ねる人間ではなく、筋を通す人間と一緒に仕事をしたい(生きていきたい)と思う。

 

note.mu


昨夜、ごちゃまぜの家に『プロ罰ゲーマー』でおなじみの嘉向徹さんが来た。彼と音声配信を収録した。嘉向徹さんは話す。巷では「好きなことだけで生きていく」などと言われていますが、その、逆です。僕は、嫌なことだけで生きているのです。と。私はカミナリに打たれたような衝撃を覚えて「こ、これだ…!」となんだかひどく感動をした。私は『逆』をやる人間が好きだ。ロボトミーとかオンラインサロンとかパーマカルチャーとか『今っぽいこと』をやる人間より、明らかな損、明らかな愚、明らかなデメリットに身を投じることができる人間に『男』を見る。

 

twitcasting.tv

 

自分の頭で考える人が好きだ。体にいいと言われているから健康食を食べるより、これを食べている時の方が自分の調子がいいからと、ジャンクフードを食べる人間の方が好きだ。健康食とか、正直「長生きをしてどうする」と思う。各種メディアは「長寿の秘訣はなんですか」みたいなことを長寿の人に問う。そして、世間はその秘訣をありがたがって聞く。なにかが違う。長寿だからなんだと言うのだろう。生きることより「生きてなにをなすか」だと思う。健康食ってけち臭い。理由は「命を守りにはいっているから」だと思う。メンテナンスは大事だ。が、長寿であることが最優先事項になった時、その人は「生きながら死んでいる」と思う。

 

 

大丈夫じゃないことも含めて、大丈夫。

私は「お利口ちゃん的な発言」が嫌いなのだと思う。だから、ミユさんやKUMUさんや嘉向徹さんを見ると「うおー!」となるのだと思う。愛とか、自由とか、そういう概念を大事にしたいと思う人々は大量にいる。しかし、それを体現している人間は少ない。変な感じのひとが「愛は見返りを求めません」とか言っているのを見ると、腹を蹴りたくなる。嘘をつくな、と。綺麗事を言ってんじゃないよ、と。お前はそんなにできた人間なのか、と。それは、ただ単に「影響を与え合うことを恐れているだけ」なんじゃないのかと。愛して、愛したがゆえに傷つくことを恐れているだけ、誰かと一緒に生きることにビビっているだけなんじゃないのかと思う。

 

ミユさんは「自伝(21)」の中でこう言った。見返りのいらない行動のみが本物ならば、与えた愛によって「相手が喜ぶ姿を見て自分が満たされる」ことは見返りとは言わないのか?すんごい見返りじゃん!無償の愛を美化するのは、人が人に影響を与えるのは悪いことだと考える原因にならないだろうか?人に迷惑をかけてはならないというのと、同義ではないか?影響のすべてを迷惑だと言っているのと同じではないか?影響しあわないことが、最上であると言えるのだろうか?それむっちゃ寂しくないか?そこまで私たちは「個」なのだろうか?世界を一緒に創っていると考えてもいいのではないだろうか? ー きっと人は、変化を認め、影響しあっていることを認め、そこを祝いあってもよいのだろう。観察の対象を永遠に自分の目線でしか見られない、ひとりぼっちのもうそこで十分に「個」であるからこそ、人は違いを持ち寄って笑いあえる、互いに優しくなれる存在なのだろう・・・。

 

note.mu

 

変な生き方をしていると「大丈夫ですか」と心配をされることは多い。私は、大丈夫じゃないことも含めて、大丈夫なのだと思う。そんなことをやっても死ぬことはない、という意味ではない。それは「どう転んでも大丈夫」「死んでしまっても大丈夫」「生きても死んでも大丈夫(トータルでOK!)」という感覚に近い。人生は、無傷で墓にはいるためのレースではない。逆に、生きれば生きるほど、消えない傷は増えるものだ。人と人がしっかりと付き合おうとすれば、傷つくことは避けられない。だからこそ、傷つかないように生きるより、しっかりと傷つくこと。たとえ、それが周囲から「お前は弱い」とか「自分勝手だ」とか「配慮が足りない」と言われるようなことでも、自分が『それをやりたい』と思ったならば、実際にやること。その『実際にやること』こそが、生きているということなのだと思う。

 

 

https://www.instagram.com/p/BtNsFHDhA3k/

GOCHAMAZE no IE

222-0012
横浜市港北区富士塚2丁目24-5
05010268936

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

f:id:ibaya:20190124044853p:plain

LINE ID ibaya

神は、消え去るものを美しく作った。

f:id:ibaya:20190128010218j:plain

 

夢や目標ってなんだろう。自分にはわからない。ただ、明日死ぬとしても、後悔のしない一手を選びたいと思う。とか言いながら、たとえ、どれだけ素晴らしい一手を選べたとしても、死ぬ間際には「死にたくねえなあ」って思いながら死ぬのだろう。こんなに素晴らしい人生、まだまだ終わらないで欲しいなあって、夕日を眺めるみたいに思うのだろう。ただ、夕日が美しいのは、沈むからだ。やがては消え去るものだからだ。夕日。蝋燭。人間の命。神様は、消え去るものを美しく作った。

 

 

おおまかなスケジュール

 

1月28日~2月12日 FREE!【日本】

2月13日 欧州リベンジ【東京~パリ~ミラノ】

2月14日以降、FREE!【欧州界隈】

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu   

 

ibaya.hatenablog.com

 

生身の人間。

私に肩書きはない。だから、人前で話をするときは自己紹介に困る。最近、自分の職業は「生身の人間」なんじゃないかなと思う。ありがたいことに、私のような人間に「会いたいです」と連絡をくださる方がいる。時間が許す限り、必要とされる限り、できるだけ実際にお会いするようにしている。多くの方々は「なぜ会いたいと思ったのか、自分でもわからないけれど会いたいと思った」というようなことを言う。話を聴きながら、私は思う。人々は「あなたの話が聴きたい」というようなことを言うが、多分、それは違うと思う。一方的に話を『聴きたい』のではなく、実際は、話を『したい』のだと思う。人間的なやり取りを交わしたいのだと思う。

 

日本だけでも一億を超える人間がいるのに、人間の孤独が薄まることはない。逆に、年々深まっているようにさえ思える。私は、人間と話していても「人間と話している」と思えないことがある。定型的なパターンで会話をされているな、とか、思い込みで決めつけられているな、とか、まるで機械と話しているように感じることは多い。ただ、時折、これはとても稀な出来事だけれど「ああ、いま、自分は人間と話せている!」と思える瞬間がある。そういう瞬間はたまらなく嬉しい。やっと出会えた。俺は、やっと人間に出会えたのだと思うと嬉しくなる。私と話すことで、時折、原因不明の涙を流す人がいる。涙を流しながら、その人は「自分でも、なぜ泣いているのかわからない」みたいなことを言う。私は思う。それは、人間と出会えた喜びを感じているからだと思う。本当に話したいことを話している実感、本当に聞いて欲しいことを聞いてもらえているという実感があるからだと思う。

 

生身の人間が欲しい時がある。肩書きや、役割や、損得勘定や、上下関係や、利害関係や、そういうものを超えて「生身の人間としてフェアなやりとりを交わしたい」と思うことがある。しかし、念願が実現する機会は少ない。だから、自分みたいな人間も生きる(生かされる)ことができるのだと思う。女性に多いが、よく聞く言葉に「私は自分の気持ちを上手に話すことができない」という言葉がある。昨日も、同じ言葉を聞いた。その時、私は「話すのが苦手なんじゃなくて、聞いてくれる人がいなかったのではないか」と思った。そして、そのように伝えた。すると、突然、女性の瞳から一筋の涙が流れた。私は、誤解を恐れながら言うと「よっしゃ!」と思った。風穴が空いた。風穴さえ開けば、あとはいくらでも会話を交わすことができる。だから、私は、時折「これを言ったら相手は泣いてしまうかもしれないけれど、でも、言う」みたいなことをやる。そこからはじまる会話がある。

 

twitcasting.tv

 

神は、消え去るものを美しく作った。

誤解を恐れながら言うと、私は、女性と話している時に「お前はもっと綺麗になれるよ」と思うことがある。本領を発揮されていないものを見ると、怒りのようなものが湧き出して、お前はなにをやっているのだと説教をしたくなる。もっと言えば「俺と一回不倫でもするか」と思うこともある。不倫。不正の倫理。倫理の枠を一旦外れることで、発揮される本領がある。それは何も『性的』なものに限らない。自分が、こうでなければならないと思っていたものの外側を生きる。社会的な人間から、一時的に、動物的な人間になる。その時に気づく。自分なんかダメだと思っていたのは社会的な人間の部分の話であり、動物的な部分は、常に生命の咆哮をあげている。それは、ある種の怒りを伴った命の叫びだ。何に対する怒りなのか。それは、自分を含めた「人間をみくびるんじゃねえよ」という怒りの叫びだと思う。

 

優しいひとほど、その優しさによって「自分自身を傷つけている」ことがある。しかし、私は思う。自分が我慢をすることで維持される平和なら、そんな平和は偽りだと思う。自分の感情を丁寧に扱えない人間が、他人の感情を丁寧に扱えるとは思えない。もっと自分を出して見ろと思う。誤解を恐れずに言えば「いい子ぶってんじゃないよ」と思う。優しさ。感謝。思いやり。素晴らしい概念だとは思う。しかし、その優しさが自分を停滞させることがある。その感謝が、延命措置のように現状維持を助長することがある。その思いやりが、自己犠牲的なものとなって自分を傷つけることがある。だから、もっと自分を出して見ろと思う。たとえ、それが一般的には稀な感情だとしても、社会的に歓迎されない感情だとしても、それが自分自身なのだから、自分のままでぶつかってこいよと思う。そうじゃないと、自分は、一体誰と話しているのかがわからなくなる。自分は、一体誰なのかということがわからなくなる。自分は人間といるのか、機械といるのかがわからなくなる。

 

自分を押し殺して世の中を憎む方向に舵をとるより、ただ、自分のままでありたいと思う。誰かと心を通わせることができたという実感の中には、人生全体を肯定する力がある。最大の宝は、人間の心だ。当たり前のことだが、私も、あなたも、永遠に生きることはできない。やがては消え去るものであり、100年後にはおそらく全員がこの世界からいなくなる。だからこそ、やがては消え去る者たちが「その時、その瞬間、抱いた想い」こそを尊いのだと思う。決して、みんなと同じ感情を抱くことが尊い訳でも、みんなと同じ生き方をすることが尊い訳でもない。真逆だ。自分が自分であることが尊いのだ。だからこそ、私は、たとえその感情が「怒り」や「悲しみ」や「苦しみ」などといった社会的に歓迎されるものでなかったとしても、それがあなた自身であるのならば、その想いこそを『美しい』と思う。

 

 

https://www.instagram.com/p/BtGSuPwnbjG/

Paris

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

f:id:ibaya:20190124044853p:plain

LINE ID ibaya

人の生き方を笑うな。

f:id:ibaya:20190126055651j:plain

 

ミラノを経由してアムステルダムに到着した。ミユさんとの出会いの名残が消えない。いまもまだ『さみしい』ままだ。明日はパリを経由して東京に戻る。パリでは、K様が空港まで迎えに来てくださることになった。好きだと思う人とは、なにをするというよりも「会って話せる」ことが嬉しい。バゲットを食べるとか、お茶を飲むとか、それらは口実に過ぎない。大事なことは『会う』ということだ。人間以外が主役になることはない。あくまでも、メインディッシュは『心』だと思う。

 

 

おおまかなスケジュール

 

1月25日 アムステルダム【オランダ】

1月26日 パリ【フランス】

1月27日 わたり食堂【0円食堂】

1月28日~2月12日 FREE!【日本】

2月13日 欧州リベンジ【東京~パリ~ミラノ】

2月14日以降、FREE!【欧州界隈】

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu   

 

ibaya.hatenablog.com

 

今を生きるのは、強さではない。

欧州では総計六回イベントに出た。イギリスで二回。フランスで二回。イタリアで二回。一番言われた言葉は「あなたは今を生きているからすごい」という言葉だ。私は、頻繁にそのような言葉を言われる。そして、言われるたびに違和感を覚える。確かに、わたしは『いま、この瞬間』を大事にしたいとは思っている。しかし、それはわたしの強さではない。昔から、わたしは何をやってもダメだった。周囲にうまく馴染めない。過去も未来も背負えない。思ってもいないことを言えない。社交辞令を使えない。愛想笑いをすると死にたくなる。ライフプランというものを立てることができない。あらゆるものを背負うことができない。そんな自分が、かろうじて背負うことができたものが『いま』だけだったに過ぎないだけだ。

 

普通だったら、いい学校を出て、いい会社に入って、これくらいの年齢で結婚をして、家を買って、老後までにこれだけの蓄えを築く、みたいなことを考えるのだろう。しかし、わたしにはそれができなかった。無目的のまま移動を続ける日々を過ごすと「あなたは勇気がありますね」などと言われる。これも、少し違うと思う。わたしから見ると、30年ローンを組んで家を買うひとの方がよっぽど勇敢に見える。自分には絶対にできない。家がないこと、仕事がないこと、周囲にうまく馴染めないことは、自分にとっての必然だった。そんな自分でも生きていくためには、と、あらゆることを試みた。しかし、そのどれもがうまくいかず、どうすればいいのだ、どうすれば自分みたいな人間でも生きていけるのだろうかと散々思い悩んだ結果、たまたま『もたない』という生き方がはまり、それを続けているだけだ。

 

たくさんの生き方が目の前に広がっていて、いま、その中のひとつを生きているわけではない。他のすべての生き方がまったくダメで、かろうじて、この生き方ならできるかもしれない。そう思えたものが『いまの生き方』なのだと思う。過去も未来も背負えない。人並みであることができない。周囲と足並みを揃えることができない。そんな自分でも、これならば背負えると思えたものが『いま』であり『自分であること』だった。わたしには何もない。過去もない。未来もない。これは強さではない。過去も未来も背負えない『弱さ』だと思う。わたしにあるのは『いま』と『自分』だけだ。わたしは弱い人間だ。弱い人間は生きていけないと思っていた。しかし、いま、わたしはわたしの弱さによって、生きていることを感じる。


🇮🇹🇮🇹🇮🇹かおりさんが素晴らしい文章を書いてくれました🇮🇹🇮🇹🇮🇹

ameblo.jp

 

人の生き方を笑うな。

f:id:ibaya:20190126055656j:plain

 

日本からひたすら地面を掘り続けて、それでブラジルまで行こうと考えている二人の男がいたとする。彼らは、本気で「ブラジルに行ける」ことを信じている。自分たちが生きている間に、どうにかしてブラジルまで通じる穴を掘ってみたい。彼らの情熱は、ただ、そのことだけに注がれている。そんな人間がいたとして、果たして、周囲の人間は彼らをどのような目線で眺めるだろう。笑うだろうか。馬鹿にするだろうか。そんなことは無理に決まっていると、素通りをするだろうか。わたしは、なぜか、そういう人間を見ると泣きそうになる。できるかどうかは重要じゃない。問題は「やるかやらないか」であり、無謀だと思えることに、無意味だと笑われるようなことに、全力を傾ける人間を目の当たりにすると涙が出そうになる。

 

父親が危篤をむかえている少女がいたとして、少女は、ある日「星の数を数え上げることができたら、おとうさんの病気は治るよ」と誰かに言われたとする。それを聞いた少女は、毎晩、夜になったら外に出て星の数を毎日毎日数え続ける。おとうさんの病気を治すために、自分ができることを精一杯の力で成し遂げようとする。しかし、星の数はあまりにも多く、幼い少女にはどれだけやっても数えきることができない。それでもなお、少女は毎晩外に出て、暑い日も、寒い日も、星の数を数え上げつづけたとする。そんな人間がいたとして、周囲の人間は少女をどのような目線で見るだろうか。笑うだろうか。馬鹿にするだろうか。無意味なことだと軽蔑をして、そんなことよりも働いて手術代でも稼げ、みたいなことを思うのだろうか。わたしは、こういう人間を見ると、たまらなくなって泣きそうになる。なにかのために命を燃やすその姿に、祈りにも似た、どうしようもない美しさを感じる。

 

ミユさんを愛する理由は、生きることに一生懸命だからだ。トンネルを掘り続ける男たちのように、父親のために星の数を数え上げる少女のように、真っ直ぐで、愚かで、愛しくて、哀しい、純粋な命の煌きに、どうしようもなく惹かれてしまう。わたしは、たとえ、周囲から「そんなことは無理に決まっている」と言われるようなことでも、実際にやり続けた人間、否、どれだけ無理だと言われても『自分であることをやめることができなかった人間』に、おさえることのできない魅力を覚える。そして、永遠にそのままであってくれと願う。それは、誰かのために願っているようで、実際は『誰かを通じて、自分のために願っている』のだと思う。トンネルを掘り続ける男。星空を数え上げる少女。誰がそれを笑えるだろう。誰も笑えない。否、笑われたとしても構わない。この世の中で、一番美しい行為は『祈り』だと思う。すべての美しいものは悲しみを内包している。それは『永遠には見ていることができない』という悲しみだ。祈りとは、永遠に手を伸ばす行為だと思う。永遠に生きることはできないわたしたちが、永遠を肉体に刻みつける行為だと思う。

 

https://www.instagram.com/p/BtDm4tXHNEt/

Milano

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

f:id:ibaya:20190124044853p:plain

LINE ID ibaya

小さな勇気と、大きな変化。

f:id:ibaya:20190125205015j:image

 

ミラノがクソすぎて震えた。震えたのは寒さのせいで、宿泊予定の家を「ここにいたくないので帰ります」と悪態をついて道路も凍てつく氷点下の街中に飛び出したからだった。半ばやけくそになって「俺は帰る!日本に帰る!」と思って航空券を調べたら、片道で帰るより往復便の方が圧倒的に安かったので2月12日に再びミラノに行くことになった。悪態こそ我が命。今回は、私が欧州でまみれた悪態の諸々を書き綴りたいと思う。

 

 

おおまかなスケジュール

 

1月25日 アムステルダム【オランダ】

1月26日 パリ【フランス】

1月27日 わたり食堂【0円食堂】

1月28日~2月12日 FREE!【日本】

2月13日 欧州リベンジ【東京~パリ~ミラノ】

2月14日以降、FREE!【欧州界隈】

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu   

 

ibaya.hatenablog.com

 

悪態日記。

f:id:ibaya:20190125094239j:plain

 

パリではホームレスが問題で、ミラノではジプシーが問題になっている。ホームレスは街中や地下鉄に布団を敷いて眠るし、ジプシーは集団になって通行人の鞄や財布を盗む。パリでは「ホームレス支援施設は大量にあるが、彼らを保護しても大概はみんな再び路上に戻る。彼らになんてアドバイスをしたらいいと思うか」と、ソーシャルワーカー的な人に問われた。私は、基本的にホームレス側(ジプシー側)の人間だから、彼らの気持ちがよくわかる。一番の問題は、社会復帰を支援されたところで、その社会が「復帰したい」と思えるものでなければ、なんの意味も効果もないということだ。日本の不登校問題も同じことだ。彼らは、乱暴な言葉を使えば「クソみたいな社会に適応するくらいなら死んだ方がましだ」と思っている。

 

私は、誰かを救いたいと話す人間の『無自覚な上から目線』が大嫌いだ。無自覚だからタチが悪い。ぶった斬りたくなる。彼らは、誰かのためとか言いながら「いい人ぶりたいだけ」「弱者を利用して褒められたいだけ」に見える。お前は何様だと思う。極論、私は、ホームレスの人々は「そうしたいからやっている」ように見える。表面的にはどれだけ惨めに見えたとしても、彼らは、それを自分で選んでやっているのだ。だから、ああだこうだと言う必要はない。彼らを責めたり社会復帰させることにエネルギーを注ぐより、自分が生きたいと思う社会の土壌を開墾する方が絶対にいい。結果的に、自分のために生きることが自分みたいな他の誰かのひとにとっての役に立つ。助けたいとか耳障りの良い言葉を使うのではなく、ホームレスやジプシーが嫌いなら、嫌いだとはっきり言えばいい。駆除をしたいと言えばいい。排除をしたいと言えばいい。そう言う言葉を使わずに、助けたいという言葉を隠れ蓑にして排除をしようとする偽善が、私は一番嫌いだ。支援とは、要するに『暴力』だ。排除される人間は、日々、上から目線の暴力を受けている。だから、彼らが通行人に悪さを働くとしても、それらは「ある種の仕返し」に過ぎない。

 

自分を正しいと思っているひとほど、私には、醜く見える。支援団体は「ホームレスは不幸に決まっている」という前提で話をする。誰だって、決めつけられたら反発をしたくなるのは同じだろう。お前は不幸だ。だから、私がお前を助けてやる。お前は私の言うことを聞くべきだ。こういうことを話す人間は、やがて「助けてやると言っているのに、私の言うことを聞かないお前は何様だ!」という怒り方をする。私が、寒空の下「ここにいるよりはまし」と思って深夜の路地裏を保科さんと徘徊したのも、これと同じ理由だ。クソみたいな社会に適応するくらいなら、頭をさげたくないやつに頭をさげるくらいなら、死んだ方がマシだ。と。そう思って真夜中のミラノを震えながら歩いた。寒過ぎたが、心は、晴れ晴れとしていた。いまの俺たちをミユさんが見たら、笑ってくれるだろうかなどと話したら真っ先に我々が笑えた。記録より血痕(を残す)。ああ、俺たちは不良なんだなと思った。

 

🇮🇹🇮🇹🇮🇹ミユさんありがとう🇮🇹🇮🇹🇮🇹 

note.mu

 

🇮🇹🇮🇹🇮🇹悪態日記の音声配信🇮🇹🇮🇹🇮🇹

twitcasting.tv

 

小さな勇気と、大きな変化。

f:id:ibaya:20190125094254j:plain

 

要するに『決めつけ』や『上から目線』が嫌いなのだと思う。家なし生活をしていた頃の話をしたら、ある女性から「要するにあなたは人が好きなのね」みたいなことを言われた。私は、その言い方がものすごい嫌だったから「人は好きだけどお前は嫌いだ」と思った。が、さすがにそこまでストレートに言えなかったから「その質問は嫌いだけど人間は好きです」と言った。私のことを知らない人々にも大量にあったから、色々なことを言われたし、色々な人間の表情を見た。誤解を恐れながら言うと、私は、鏡に過ぎないのだと思う。私を通じて、目の前にいる人間の本性があぶりだされる。私を見て怒リ出すひともいれば、私を見て柔和になるひともいる。彼らは、坂爪圭吾の話をしているようで、自分自身の話をしているに過ぎない。だから、醜くなる人はより醜くなり、美しくなる人はより一層美しくなった。

 

イベントに登壇すると、どうしても「どうすればそんなに人から助けられるのですか」とか「どうすればそんなにフォロワーが増えるのですか」とか「どうすればそんなに不安や恐怖を消せるのですか」とか、そういうことを聞かれる。これに違和感がある。なんだか、自分という人間の人生がいいことばかりで構成されているような、そして、聞き手自身も「どうすれば失敗しないでうまくやれるか」みたいな、ある種の秘訣だけを聞きたがっているみたいに思えるからだ。当たり前だが、この人生、いいことばかりじゃあない。色々なことがありながら、その『色々』のすべてを引き受けて、時には血を吐きながら生きているのがいまの自分だ。それを、痛い目にあうことは抜きに、ただ、うまくやるためにはどうすればいいかなどと聞かれても分かるわけがない。痛い目にあえ。そう思った。ある人は言う。わたしもあなたみたいな自由な生き方に憧れるけれど自信がない。と。わたしは思う。自信がないのではなく、失敗をしたくないと思っているだけだ。だから、どんどん失敗をすればいいのだと思う。どんどん痛い目にあえばいいのだと思う。痛い目にあわずして、精神的にタフになる道【自由に生きる道】をわたしは知らない。

 

ミラノがクソすぎたなどと書いてしまったが、いま、ミラノの空は突き抜ける快晴で最高に気持ちいい。良いことも悪いことも、過ぎればすべてが良い思い出だ。だから、ミラノに来なければよかったなどとは微塵も思わない(というか来月にまた来る)。フィレンツェからミラノまでの交通費で軽く100ユーロをロスして、結果的に無一文になったから一旦日本に戻る。ミラノで会った方々は『酷い目に遭った』と思った人もいるかもしれない。しかし、それはお互い様だ。わたしは、酷い目に遭うことを悪いことだとは思わない。酷い目も、長い目で見れば『必ずしも酷い目ではなかった』と後から気づくことがある。だから、全部来い。喜怒哀楽の全部、清濁の全部、善悪の全部、生きることの全部、どんと来い。どこまで受け止めきれるかはわからないが、時折寒空のしたマクドナルドのゴミ箱の前で震える夜を過ごすこともあるが、そのすべてを引き連れて生きていきたいのだと思う。

 

 

https://www.instagram.com/p/BtBJ232nK2m/

Hasta la vista!

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

f:id:ibaya:20190124044853p:plain

LINE ID ibaya

幸せになっていいよ。

f:id:ibaya:20190124044617j:plain

ミユさんと会って別れてさみしい。さみしいということは、幸せだったということだ。これは並大抵の幸せじゃない。他にはなにもいらないと思えるほどの、ここにすべてあると思えるほどの、生きてきたすべてが肯定されるような、生きてきたすべてが報われるような、そういう類の幸せだ。昔の人は、愛しいとかいて『かなしい』と読み、美しいとかいてさえ『かなしい』と読んだ。さみしいということは、幸せだったということだ。そして、いまもなお、自分は幸せであるということだ。

 

 

サッカレーに「愛してその人を得ることは最上である。愛してその人を失うことは、その次によい」という言葉がある。誰かを愛する時、同時に『失う痛み』もついてくる。しかし、失う痛みにあらかじめ備え、相手を深く愛さないようにするとか、常に用心深く接するのでは、いつまでもひとりぼっちのままだ。愛して、愛して、愛した人を失う苦しみにもがく人がいたら、その人は不幸なのか。その人は『愛した人』と出会わなかった方が良かったのだろうか。それは違うだろう。愛して、愛して、愛したがゆえに苦しむとき、その人は世界で一番幸せなのだと思う。

 

ibaya.hatenablog.com

 

ノーマルになれないことは、ノーマルなんだ。

言葉には二種類あると思う。世界から色を奪う言葉と、世界に色を与える言葉だ。私は、ミユさんの言葉に触れると、ミユさんが描く世界を自分も生きたいと思う。言葉に色があり、言葉に心があり、言葉に音楽があり、言葉に世界があり、そこには自分の居場所もある。四年前、私は『みっつ』という男性と出会った。みっつの言葉と、まったく同じ感覚をミユさんに抱く。ミユさんは、言葉を通じて世界に色を与える。孤独な時、退屈な時、生きづらさを抱える時、世界はモノクロに見える。美しいもの、素敵なもの、心踊るものに触れた時、世界はカラフルに映り変わる。

 

ibaya.hatenablog.com

 

ミユさんと話して感じたことのひとつに『みんな同じなんだ』という感覚がある。食事中、ミユさんの娘さんが、肉を噛みながら自分の口の中も噛んだ。傷口が痛いだろうに、娘さんはなぜかレモンをまるごと口に放り込み「うおー!」みたいな表情を浮かべ、増幅する痛みを楽しんでいた。周囲は「なぜ、そんなことを!?」みたいな感じになったが、そこで、ミユさんがボソッと「人間は実は苦しみたい説…」みたいことを仰った。この言葉に、私は強烈な衝撃を受けた。仮に、人間は実は苦しみたい願望があるのだということにしたら、なんというか「なんとなく、わかる〜!」という納得感と共に、人間全体に対する親しみが湧き上がってきた。

 

www.facebook.com

 

ロンドンでこんな言葉を見た。「自分は時々、ノーマルでありたいと思う。そして、頑張ってノーマルであろうと努力をする。しかし、ノーマルであることにやがて飽きて、自分は自分であることに戻る」という言葉だ。私は、この言葉に共感を覚えた。そして、この言葉に共感する人は自分以外にもいるはずだと思った。その時、わたしは、なーんだ、みんな同じじゃないかと思った。ロンドンの町並みを歩けば、すれ違う人々はみんな外国人だ。自分は黄色人種で、相手は目鼻顔立ちの異なる白人で、ともすれば別の生物のように思えてくる。しかし、日本人だろうが外国人だろうが、みんなと同じになれないことに悩んだり、悩みながらも「自分は自分でいいのだ」とか思っているのだとしたら、まったくもって人間だなあと思う。違いに意識が行くのではなく、共通点に意識が向かうとき、私は『人間全体に対する親しみ』を覚える。人間を「かわいいなあ」と思う。そして、この感覚こそを大切にしたいのだと思う。きっと、ノーマルになれないことは、ノーマルなんだ。それならば、きっと、わたしたちひとりひとりは『違う』という点において同じだ。

 

note.mu

 

幸せになっていいよ。

f:id:ibaya:20190124044650j:plain

 

ミユさんと過ごした時間はカラフルだった。ひとりになったいまもまだ呆然としている。ミユさんの魅力を伝えたいのに、出会いの喜びを克明に刻みたいのに、語れば語るほど、語りたいと思うものから遠ざかる。言葉が足りない。語彙力が足りない。そういうことを感じてしまう。でも、本当は、言葉は最初からそこにあった。言いたいことなんて、実は「あなたのことが大好きです」の一言だけだ。わたしはミユさんが大好きだ。それだけだ。それを思えたことが嬉しくて、それを伝えられることが嬉しくて、誰かを心から『好き』になることができたことが嬉しいのだ。

 

ギターをお借りして、紅の豚カリオストロの城ニューシネマパラダイスの音楽を弾いた。最終的に一緒に歌う形になり、スピッツの「空も飛べるはず」を演奏した。曲の歌詞が瞬間の気持ちにリンクをして、胸にグッときた。君と出会った奇跡がこの胸にあふてる。人と人が出会うことのインパクトは、こんなにも大きいものなのかと、今更のように感動をした。こんな気持ちにさせてくれてありがとう、と、ミユさんに思った。あなたのおかげで、生きることが楽しいことになりました。あなたのおかげで、生きることが嬉しいことになりました。あなたのおかげで、生きることが素晴らしいものになりました。あなたのおかげで、私は、この人生をいままでよりももっと価値のあるものとして感じられるようになりました。

 

思う存分に笑って、思う存分に愛していきたいと思う。きっと、それが『生きる』ということだ。いいことばかりではないと思う。痛い目にあうこともあるだろう。でも、それが『生きる』ということだ。人生は、無傷で墓に入ることが目的のレースではない。傷ついているということは、生きていることの証明だ。失敗しないように生きるのではなく、失敗する時は、派手にぶっ転べばいいのだ。ダメになった時は、思い切り苦しんで、思い切り悲しめばいいのだ。私たちには『失敗をする自由』があるのだし、笑う自由と同じように『泣く自由』『苦しむ自由』『悲しむ自由』がある。そして、やがて、悲しむことにも飽きたなら、もう一度生き直せばいいのだと思う。私たちは、失敗しないために生きている訳ではない。嫌われないために生きている訳でも、傷つかないために生きている訳でもない。そのトータルを思う存分味わうために、いま、この瞬間を生きているのだと思う。喜怒哀楽の全てを引き連れて、自分であることを思う存分味わうために生きているのだと思う。

 

 

https://www.instagram.com/p/Bs_pBjSHw-p/

La vita è bella

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

f:id:ibaya:20190124044853p:plain

LINE ID ibaya

気前よく生きなさい。

f:id:ibaya:20190122170003j:image

 

南ロンドンを経由してフランスで開催されたイベントに登壇した。これからイタリアのピサに向かう。明日はフィレンツェでミユ様と会合があるから緊張する。先程、ミラノ在住の方から「ハイパー突然ですが24日にイベントやりましょう」とご連絡をいただき、急遽、ミラノ行きが確定した。今日は22日だから明後日の話だ。この急遽感を「たまらないなあ」と思う。予定がガラガラでよかった。予定がガラガラじゃなかったら対応できないことがたくさんある。対応できないことは悲しい。だから、常に予定はガラガラでありたいと思う。わたしには何もない。強いて言えば余白と反射神経だけがある。小生、たっぷりの余白と反射神経だけで生きてきた。経験則的に「奇跡は余白に舞い込む」と思う。

 

 

おおまかなスケジュール

 

1月22日 パリ〜ピサ
1月23日 EVENT@フィレンツェ
1月24日 EVENT@ミラノ
1月25日以降、FREE

1月27日 わたり食堂【0円食堂】(帰国できるか未定)

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu   

 

ibaya.hatenablog.com

 

真のフローリスト。

パリの花屋で花を買った。イベント参加者の方々にあげたいと思ったからだ。花屋は素敵でカラフルでそこにいるだけで幸せになる。わたしは花が大好きだ。日本に帰ったら無料の花屋さんをやりたいと思った。どうすればそんなことが可能なのかは知らない。ただ、仮に無料の花屋さんが実現したとしたらそれはとても素敵なことだと思った。知恵を絞ればできるかもしれない。方法を探りたい。花屋さんの友達が欲しい。日本の花事情を知りたい。そんなのがあったら素敵だね!と思う人々さえ増えたらできるような気がする。花屋は英語でフローリストだ。わたしは家も金も持たない浮浪者である。浮浪者がフローリストになったら「真のフローリスト」になれるかもしれない。浮浪者から花をもらう時、大衆の方々はどんな気持ちになるのだろうか。

 

実は、花屋に行く前は体調不良もあって気分が落ち気味だった。俺はなんでこんな生き方しかできないのかとか、欧州にまで来たが行きたい場所なんて何処もないとか、日本に帰ったところで居場所はないとか、生きる意味とか、愛とは何かとか、深刻になりがちになって閉塞感に囚われていた。が、花屋を見た瞬間にそういうことがどうでもよくなった。自分は花が好きだったことを思い出し、自分の好きを思い出すことで元気になった。居場所がどうのこうのということがどうでもよくなった。花がある世界を好きになり、花を渡したいと思う人がいる世界を好きになり、居場所とは特定の具体的な場所を意味する言葉ではなく、精神の問題なのだと判明した。感情は一瞬で変わる。居場所とは、何かを「好き」だと思う自分の心だ。

 

ハリーポッターに「整理された心を持つ者にとっては、死は次の大いなる冒険に過ぎない」とあった。当たり前のことだけれど死ぬことは自然の摂理であり、我々は死なないために生きている訳ではない。なけなしの金をはたいて大量の花を購買しながら「俺は花を配りながら死ぬんだな」みたいなことを考えていたら不思議と晴れやかな気持ちになった。花を配るだけの人生があるとして、それは、悪くない人生だと思う。気前よく生きたいと思う。花を買う時、誰かに花を渡したいと思う時、花屋であれこれ悩みながら「これをください」とお金を差し出すとき、今、自分は正しい金の使い方ができているような気がする。正しい金の使い方と、正しい時間の使い方と、正しい命の使い方は似ている。それは、自分の『好き』に捧げることだ。

 

twitcasting.tv

 

気前よく生きなさい。

片道航空券で欧州に押し寄せてしまったために実は帰国できない問題に喘いでいた。俺は一体どうやって日本に帰るのだろうかと思っていたら日本の福岡県から奇跡のLINEが届いた。まだお会いしたことのない女性M様から、驚いたことに「わたしが航空券を買うからそれで日本に帰ってこい」と言ってくださったのだ。わたしは突然の出来事に驚愕をしてしまって一体何が起きているのかがわからなくなった。M様は言う。なぜ、坂爪の航空券を買いたいと思ったのかと言うと「普段は自分と息子のためにばかりお金を遣う日々を過ごしている。その生活に寂寞感のようなものを感じていて、普段とは違うお金の使い方をしたいと思った」と話してくれた。

 

M様は言う。ものすごい余裕があるわけでもないけれど物欲もまとまった時間もなく停滞をしている感じでした、が、圭吾さんが帰国する飛行機代を自分が出せると思ったらそこにパーっと風が吹いて、明るい気持ちになりました🌈✨✨✨と。わたしは、なんだなM様の心意気をものすごい素晴らしいことに感じてしまって「せめてもの御礼にフランスかイタリアから絵葉書を送らせてください!」というささやかすぎる恩返しのご提案をした。ら、M様は「それは思わず空を見上げちゃうやつですね!」と喜んでくださり、わたしも喜んだ。とてもじゃないけれど等価交換とは呼べないやり取りだが、なんだかとてもいい風が吹いた。大袈裟だが、わたしは「M様のような方が生きているこの世界をもっと生きていたい」と思った。

 

誤解を恐れながら言うと、人生が停滞した時、気前よく生きることはひとつの突破口になると思う。わたしは花を買うことでそのことを思い出し、M様は航空券を出すことでそのことを思い出した。生きているとどうしてけち臭くなることは多い。本来であれば大いなるフローの中で生きることが豊かさであるはずなのに、意識がストックに傾く。そして溜め込んでしまうような、自分を出し惜しみするような生き方をしてしまう。が、気前よくあることの風通し効果は素晴らしい。人類全体がいまよりもちょっと大盤振る舞いをするだけで世界はあっという間に薔薇色になるのかもしれない。わたしは、花のあるこの世界を、花を渡したいと思うひとがいるこの世界を、自分の居場所だと感じた。居場所がないという思いはまぼろしで、それは、ただ「自分の好きを忘れている」だけに過ぎないのだろう。これからピサ行きの飛行機に乗る。花を届けるように、言葉を届けていきたいと思う。

 

 

https://www.instagram.com/p/Bs7fP6snbrg/

Gare Montparnasse
 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

f:id:ibaya:20170719083420j:plain

LINE ID ibaya

生き方が遺言となるように。

f:id:ibaya:20190119045140j:image

 

咳に血が混じる。いつまで生きていられるかわからない。当たり前の話だ。健常者だろうが、健常者じゃなかろうが、明日、生きている保証はどこにもない。それならば、残された生を、悔いのないように。恐れないように。思い煩うことのないように。愛を、勇気を、出し惜しむことのないように。生き方が遺言となるように。

 

 

おおまかなスケジュール

1月19日 EVENT@南ロンドン
1月20日 EVENT@パリ
1月21日 EVENT@パリ
1月22日 パリ〜ピサ
1月23日 EVENT@フィレンツェ
1月24日以降、FREE

1月27日 わたり食堂【0円食堂】(帰国できるか未定)


坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu   

 

ibaya.hatenablog.com

 

魔女に会う。

ここから先の話は、信じる人だけ信じてくれたらいい。私は、今日、イギリスで魔女に会った。イギリスはハリーポッターを生んだ国だ。魔女はいた。魔女は私を見て言った。あなたはグラストンベリーに行った。それは一回死ぬためだ。昔の宣教者は、行く先々で迫害を受けながら最後にグラストンベリーの地に辿り着いた。あなたは、迫害に遭いながらも最後まで愛を説いた。いま、体が冷たさに覆われているのは、過去の記憶が蘇っているからだ。しかし、恐れることはない。迫害を通じてすべてひっくり返る。汚名を晴らすことよりも、愛を選びなさい。森羅万象があなたを支える。あなたはあなたでいることだ。神の御業はなされるだろう。と。

 

冷えと言う言葉に、私は、見透かされた驚きを覚えた。ここ連日の体調不良で、かつて経験したことのない全身の冷えに見舞われていた。部屋が寒いからとか、真冬だからとか、そういう種類の寒気ではない。なにか、自分の力だけではどうすることもできないような極度の寒気に襲われていた。布団に入っても凍えたまま。風呂に浸かっても温まることがない。魔女は続けて言う。あなたはこれから様々な場所に行く。敵地に行くのだと思えば、敵地になる。ホームに行くのだと思えば、ホームになる。それを決めるのはあなただ。あなたは、いま、女といることに疲れている。しかし、男女を気にすることはない。気にするほど、断絶を生む。言葉は分断を生む。性別を越えてしまっても大丈夫。分断を越えてしまっても大丈夫。と。

 

不思議な話だが、私は、魔女の話を聞きながら自分の体が徐々に熱を取り戻すのを感じた。そして、彼女の話す一言一言が、自分にだけわかる暗号のように響きわたり、戸惑った。魔女は言う。今、あなたの活動を大天使や天使たちが助けようとスタンバイをしている感じです。だから『遠慮せずにとにかく呼んでください。』と、たくさんの天使たちがスタンバイをしている感じなのです。呼ばれれば嬉しい、力になれたのならそれが喜びというエネルギーです。依存して欲しくて言っているのではなく、一人でやる辛い仕事ではないと、見えない仲間たちも見える仲間たちも一緒に仕事しているのだと、認識してほしい感じです。私もこの方のお役に立てますように、と思うと、勝手に言葉が出てきます。だから百人力なのです。あなたが『みんなで』という時の波動を、私も、周りの人も、見えない仲間も、感動して聞いているのです。『みんなで』と、本当にそう心で思っておられることが伝わるのです。私は、言葉にこれほど魂がこもった音を聞いたことがありません。

 

生き方が遺言となるように。

ロンドン企画主催者の女性から、後日、こんなメールが届いた。「お話会に無理矢理誘われて行ったという人が言うには、会場には坂爪さんを知らない人が多く、いかがわしい、そんな風に人生うまくいかないと思うという懐疑派が多く、会場前はやや否定派優勢だったそうです。それでも、終わってみたら全部それがひっくり返っていたらしいです。笑ってしまいましたが、そういう感想は嬉しいですね。」と。このエピソードを聞いた時、私は、魔女が話した『ひっくり返る』という言葉を思い出した。魔女は言った。迫害を通じてすべてひっくり返る。そうやって、常識や前提をひっくり返しながらあなたは様々な場所に足を運ぶことになるだろう。

 

すべての出来事に意味がある。口にすることは容易だが、言葉の意味を具体的に、全身で実感することは難しい。私は、なにかをわかっているつもりになっていただけで、本当のところはなにもわかっていなかったのかもしれない。そう思えただけ、わずかでも進歩できたのだろうか。まだ、私には、元気であることだけをよしとして、元気のないことをよしとできない部分がある。しかし、これらの出来事を通じて、少しずつ「一回死ぬことの意味」や「一回死ぬことの価値」を感じ始めている。咳に血が混じりはじめたとき、不思議と、心は落ち着きを取り戻した。死を身近に感じるとき、抱くものは恐怖だけではない。透明な思いになることがある。

 

明日の食費がどうのとか、誰かに軽々しく扱われたとか、真っ当に認められることがないだとか、そういうことがどうでもよくなる瞬間がある。いつまで生きていられるかわからない。当たり前の話だ。健常者だろうが、健常者じゃなかろうが、明日、生きている保証はどこにもない。自分が、今、ここにいることの意味を深く掴むことができるように。自分が、今、ここにいることの価値を深く掴むことができるように。自分が、今、ここにいることの永遠を深く掴むことができるように。残された命の使い道が、そのまま遺言となるように。瞬間に生きて在りたいと思う。

 

https://www.instagram.com/p/Bsyz-gRnuV2/

Glastonbury

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

f:id:ibaya:20170719083420j:plain

LINE ID ibaya

自分の『好き』を貫く。

f:id:ibaya:20190115210705j:plain

 

ロンドン企画に来てくれたみんなありがとう!本当に素晴らしい時間だった。もっとみんなと話したかった。貰った感想に「坂爪さん、よく知らないけど凄かった!」という声が多かったと聞いてすごい嬉しかった。終了後体調が悪化し、片道五時間、死んだ魚の目をしながらグラストンベリーに到着した。本当に気持ち悪かったのだけれど、バスの(椅子じゃなくて)通路に横になることで耐えた。人間は追い詰められると知恵が出るみたいだ。そして、羞恥心を捨て去れるみたいだ。

 

 

おおまかなスケジュール

1月15日 グラストンベリー【イギリス】

1月16日〜19日 FREE!(呼ばれた場所に行きます)
1月20日 EVENT@パリ【フランス】
1月21日 EVENT@パリ【フランス】
1月22日 ピサ【イタリア】
1月23日 EVENT@フィレンツェ【イタリア】
1月24日以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

1月27日 わたり食堂【0円食堂】(帰国できるか未定)


坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu   

 

ibaya.hatenablog.com

 

追い込まれるほどピュアになる。

f:id:ibaya:20190115210745j:plain

チャリスウェル。素晴らしい庭でした。


ロンドン企画主催者のM様から「フランスにもイタリアにも知り合いがいるから、彼女たちにオーガナイズを任せて、あっちこっちに行ったらいいじゃない!」とご提案をいただいたのが昨日の15時10分。M様が電話をかけまくりはじめたのが15時11分。パリに行くことが決定したのが15時14分。イタリアに行くことが決定したのが15時17分。イタリア在住のミユ様とお会いできるかもしれないことが判明したのが15時19分。体調不良で思考回路がショートしたのが15時20分。本当にあっという間の出来事でした。来週からパリ経由でイタリアに行くことになりました。

f:id:ibaya:20190115210737j:plain

チャリスウェルのライオンヘッド

 

私は、いま、何も予定がないまま欧州にいます。いまはグラストンベリーにいて、完全回復を目指すために今日もグラストンベリーに泊まります。明日以降の予定はありません。多分、ロンドンに戻ることになるとは思いますが宿の予定はありません。20日までにパリにいけばいい感じなので、それまでは「ロンドンに呼ばれればロンドンに」「パリに呼ばれればパリに」「他の国に呼ばれれば他の国に」行きたいと思っています。もしも、坂爪圭吾を使った小規模なイベントとかお話会などを開催したい!なんて思ってくださる方がおりましたら、是非、お気軽にご連絡ください。ハンガリーでもトルコでもカナダでも何処でも行きます。27日までに帰国する予定でしたが、もう、永遠に帰らないでもいいやという気持ちになっています。

 

f:id:ibaya:20190115210719j:plain

チャリスウェルの天使の像

 

何も食べてなくて、体温も39度くらいあるのに、なぜ、頭痛に苦しみながらも書くことをやめないのだろう。なぜ、おとなしく寝ていないのだろう。人間って、きっと「死なないために生きている訳じゃない」からだと思う。生きることが最優先事項なら、多分、ぼくは寝る。でも、寝ることよりも『伝える』ことを優先したいと思う自分がいる。余命一ヶ月を告げられたら、多分、みんな「お世話になった人々に御礼を伝える」ことを選ぶと思う。あなたのことが大好きでした。とか。あなたと出会えた私の人生は幸福でした。とか。それと似ているのかもしれない。死ぬ前にやりたいと思うことがある。それは『伝える』ということだ。それでは、一体、ぼくはなにを伝えたくて文章を書いたり、ひとと出会ったりしているのだろう。

 

🇬🇧🇬🇧🇬🇧主催者の方の感想です🇬🇧🇬🇧🇬🇧

ameblo.jp

 

🇬🇧🇬🇧🇬🇧参加者の方の感想です🇬🇧🇬🇧🇬🇧

wagamamagirls.hatenablog.com

 

🇬🇧🇬🇧🇬🇧坂爪圭吾の音声です🇬🇧🇬🇧🇬🇧

twitcasting.tv

 

自分の『好き』を貫く。

f:id:ibaya:20190115164912j:plain

 

あらゆる言葉も音楽も『祈り』と『呪い』にわけることができる。ぼくはそう思っている。イタリアのミユさんを大好きな理由は、彼女の言葉に祈りを感じるからなんだ。言葉の端々から、人間に対する慈悲や生きる喜びがあふれていて、見ているこちらまでうれしくなる。言葉も音楽も、見たり触れたりしたときに「格好いいなあ」とか「もっともだなあ」と思うことは多いよね。でも、それに触れた時に『うれしさ』を覚えるものって滅多にない。ぼくは、ミユさんの言葉に触れると凄いうれしくなる。命の躍動を感じる。生きていてくれてありがとうって心底思う。自分がうれしくなるものの中に、ぼくは、ぼくにとっての『本当』があるのだと思う。

 

これはいいチャンスだ!
せっかくだから、新たにまた習慣を作り直してみよう!

そしてせっかく慣れたところをあっさりと壊してどんな感じがするのか見てみたい気がする。何かに慣れた自分は、どんなにそれに依存し執着しそれを守ろうとする弱さを蓄積していることだろう。それを壊すたび、ああ、なくなっても大丈夫なんだな、と思える。これがまたすごい快感だ。


自分を知るこの面白みを味わうためには、弱くなることも必須だなんて。
弱くなることを己が礼賛するだなんて、これ、最高じゃないか!

 

note.mu

 

日常的に使う言葉も『祈り』と『呪い』にわけることができる。自分なんかダメだって言い続けていたら、それは自分に呪いをかけ続けているようなものだから、きっと呪いは本当になっちゃう。でも、ぼくは思う。呪いって自分の外側から来ているものだ。自分の内側から呪いの言葉が出てくるはずなんかないんだ。だから、呪いを採用しちゃあいけない。呪いの言葉には共通点があって、それは『扇動をしてくる』ことだと思う。これをしなければあなたには価値がないとか、あなたを都合のいいように動かしたり、自信を奪ったり、不安を煽ったり、支配をしようとする。呪いの言葉や、呪いの音楽は、どれだけそれが格好いいものだとしても『それに触れる人間の体温をさげる』ものだと思う。祈りは、愛と同義だ。祈りは、自由と同義だ。祈りの言葉や、祈りの音楽は、それに触れる人間の体温をあげる。それに触れる人間を自由にして、それに触れる人間の中にある愛情を呼び覚ます。

 

頭ふらふらになりながらもブログ書いたりラジオをやったりしている。努力とかじゃない。好きなんだなあ、と思う。ぼくは文章を書くのが好きだし、人と話したり、言ったことのない場所に行くのが好きだ。この『好き』という力が、自分にかけられている呪いを振り払う力になるのだと思う。呪いってそこら中にあふれているから、見定めがすごい難しい。学校の教育とか、親からの刷り込みとか、いつのまにかかけられている呪いって物凄いある。でも、呪いから祈りに行く道は決して難しいものじゃない。それは『自分の好きに従う』ことだ。自分の『好き』に従うことが、祈りの道を生きることに繋がって、結果的に周囲のひとたちがかけられていた呪いを解き放つ力になる。だから、ぼくは、勝手に祈る。みんなも、自分が好きな道を、自分が『うれしさ』を感じる道を歩いて欲しいって祈る。もちろん、その過程で色々なことを言われると思う。自分なんかダメだと思う瞬間もある。が、その時は「ダメじゃない!」と遠くで坂爪が吠えていることを思い出して欲しい。自分の好きを貫くことが、人類全体の力になることを忘れないで欲しいって祈る。

 

 

https://www.instagram.com/p/Bsp2ykwHW8v/

Chalice Well

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

f:id:ibaya:20170719083420j:plain

LINE ID ibaya

永遠にそのままで行け。

f:id:ibaya:20190113200224j:plain

 

ハーイ!みんな元気?僕は流行性感冒アテネを経由してポーランドワルシャワにいるよ。スペイン界隈では、飛行機が無事着陸をすると乗客全員で拍手をする風習があるよね。ギリシャに着いた瞬間も、みんなが一斉に拍手をするものだから「思わず楽しくなっちゃって」つられて拍手をしてしまった。この、思わず楽しくなっちゃうような瞬間っていいなあって思った。無垢な楽しさが伝染する感じ。これ、すごいいいなあって思ったんだ(TOP画像はポーランド人から貰いました)。

 

 

おおまかなスケジュール

1月14日 満席御礼・坂爪圭吾解体新書
1月15日 グラストンベリー

その後、一旦全部白紙!

1月某日 EVENT@フランス(詳細未定)

1月某日 EVENT@イタリア(詳細未定)

1月27日 帰国次第わたり食堂【0円食堂】


坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

ibaya.hatenablog.com

 

圧倒的肯定力

f:id:ibaya:20190113205507j:plain

ギリシャのごはん

 

突然だけど、みんなは『本当に豊かな人』に会ったことはあるかな?ハイパー金持ちとか、大企業の経営者とか、そういうことじゃなくて直感的に「うわー!なんだか分からないけど、このひとはやばい!」って雰囲気で圧倒される感じ。黒柳徹子とか、松田聖子とか、そういう感じ。実際に目の当たりにしたことってあるかな???ぼくはある。20歳の頃と、24歳の頃と、33歳の頃にある。きっとみんなあると思う。別に世間的に有名である必要はない。ただ、自分の心が「このひとは圧倒的に豊かだ!」って感動した出会い。その出会いを思い出して欲しいんだ。

 

🇸🇬🇸🇬🇸🇬シンガポールからの音声配信はこちらです🇸🇬🇸🇬🇸🇬 

twitcasting.tv 

本当に豊かな人は「豊かさがあふれでている」から、それに触れた人間のこころまで豊かにする。肯定的な雰囲気が全身からあふれまくっているから、周囲の人々にも「人生は生きるに値する!」という気持ちを感染させる。本当にすごいなあって思う。そう言う人が世界には少数だけど確実にいる。なぜ、こんな話をしているのかというと「自分のフォーカスをそこに合わせる」ことの重要性を感じたからなんだ。豊かさを放棄した人間、豊かさを諦めた人間は、周囲の人々も「豊かさを諦める」ように強要したり、仕向けたりする。それに負けちゃいけないんだ。あくまでも理想の人間にフォーカスを合わせ続けなくちゃいけないんだって、そういうことを(いまめっちゃ風邪気味で意識朦朧としているけれど)感じていたんだ。

 

🇬🇷🇬🇷🇬🇷ギリシャからの音声配信はこちらです🇬🇷🇬🇷🇬🇷

twitcasting.tv

 

本当に豊かな人物が醸し出す、あの『圧倒的な肯定感』を思い出して欲しい。まるで自分にも何か大きなことができそうな気がする、ひとかどの人物になれそうな気がする、そんな気持ちになった瞬間は誰にでもあると思うんだ。「自分には力がある」という感覚。それを信じるんだ。自分の勇気をくじくもの、お前なんかダメだと言ってくる地獄のサムシングは大量にある。地獄のサムシングは、この瞬間も世界中の人々から勇気や信頼を奪い去り、諦めや虚無や絶望を広げている。でも、それに惑わされちゃいけないんだって思う。ここ数日、ぼくは『信じるんだ』という言葉を何度も感じていた。人間に使命があるのかないのか、生きる意味があるのかないのか、それは誰にもわからない。ただ、ぼくは「自分に役割があると信じてみる」ことの威力を思う。それは、あの、真に豊かな人が醸し出す圧倒的肯定力を、絶やすことなく、次の世代に繋げていくことではないだろうかって思ったんだ。

 

note.mu

 

永遠にそのままで行け。

f:id:ibaya:20190113214229j:plain

シンガポールの花


保科さんとも話したけど、あまのじゃくのひとは宗教家の素養があると思うんだ。宗教の役割って、社会とは別の(というか真逆の)価値観を提示することだと思う。逆張りの美学って言えばいいのだろうか。ぼくも保科さんも、任侠を愛するところがあって、損得勘定の合理主義よりも人情にほだされまくってダメになる道に美しさを覚えたりする。だから、世間とは真逆の道を選ぶことが多い。みんなが「増やせ、増やせ」を生きるなら、ぼくたちは「減らせ、減らせ」を生きる。みんなが「得になる道」を生きるなら、ぼくたちは「損になる道」を生きる。これは決して強さなんかじゃない。弱さだと思う。普通の勝負、増やせ増やせのバトルフィールドでは、ぼくたちに勝ち目はない。そんなぼくらでも唯一「ぼくはここに立っているよ」と存在を証明できる生き方が、たまたま、世間とは逆の道を選ぶことのなかにあっただけなんだ。だから、ぼくたちが偉そうに言えることはなにもない。

 

社会不適合者っていう言葉もあるけど、自殺者が年間3万人いて、鬱病患者が100万人いる社会に適応する方が絶対やばいと思うんだ。だから、必要なのは適応ではなく『開墾』だ。そういうことをぼくは言い続けてきたけど、世の中には社会不適合者とそうじゃない人がいるのではなく、誰の中にも『社会不適合者な部分』があるのだと思う。濃淡の差があるだけだよね。自分の中にある社会不適合な部分とぶちあたったとき、さて、どうする。生きている限り人間は岐路に立ち続けるよね。岐路って、要するに「人並みに合わせる」か「自分のままで行くか」の二者択一だと思う。結婚もそうだよね。結婚するからにはちゃんとしなきゃって思うのか、自分のままで結婚をするのか。保科さんは言っていたよ。おおざっぱに言えば、常に、問われているのは「自分の期待に応えるのか」それとも「他者の期待に応えるのか」の二択だって。そして、ぼくたちは「自分の期待に応え続けていたいよね」というところで合致をしているから、一緒にいることができているだけの話なんだ。

 

これまでぼくたちは散々バカにされてきた。迫害も受けたし露骨な嫌がらせも何回も受けた。それでも自分であることをやめなかった。そして、いま、一緒に笑える友達や仲間が少数だけど確実にできた。友達の存在は「報われた」ことの最高の証明みたいで、ぼくはとってもうれしいと思う。でも、忘れてはいけないのは、友達がいるから生きている訳ではない。大前提として「ひとりでもやる」というルールがあって、ひとりでもやってきた先に出会えた人々が、友達になったり、仲間になったりするのだと思う。だから、私は、私が友達になりたいと思う人々にお願いをしたい。人生の岐路に立った時、どうか、自分のままでいる道を選んで欲しい。人並みであることを選ぶのか、お前は頭がおかしいとバカにされることを覚悟の上で、自分であることを選ぶのか。私は、あなたが、あなたのままであることに尊さを覚える。だから、あなたはあなたのままでいて欲しい。たとえそれで死んでしまうことになったとしても、あの世で美味しいお酒でも飲めたらいいね、って思う。 

 

 

f:id:ibaya:20190113200224j:plain

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

f:id:ibaya:20170719083420j:plain

LINE ID ibaya

人生はボーナスタイムである。

f:id:ibaya:20190111070052j:plain

 

ハロー!みんな元気?僕は胃潰瘍。マレーシアからシンガポールに移動したものの物価の高さに度肝を抜かれているよ。都会は孤独を浮き彫りにするよね。日本を出る前に愛する読者の方々から海外の通貨を色々貰っていたから、これまではどうにかなった。でも、それは物価の安いタイとかマレーシアだから通用しただけの話。いよいよ明日から欧州だ。ぼくの所持金が尽きるのが先か、命が尽きるのが先か、いずれにせよみんな最後には死ぬんだから「遅いか早いかの差」でしかないよね。

 

 

おおまかなスケジュール

1月12日 10時 アテネ空港【ギリシャ】到着以降FREE!
1月12日 20時 ワルシャワ空港【ポーランド】到着以降FREE!
1月13日 20時 ルートン空港【イギリス】到着以降FREE!

1月14日 11時 満席御礼!『坂爪圭吾解体新書 』@ロンドン【イギリス】
1月15日 個人的な用事@グラストンベリー【イギリス】
1月16日 15時 ストックホルム空港【スウェーデン】到着以降FREE!
1月17日 何かしらの方法でタリン【エストニア】到着以降FREE!

その後、欧州各国を呼ばれるままに移動(だがしかし予定はない) 

1月27日 帰国次第ごちゃまぜの家@横浜でわたり食堂【0円食堂】開催


坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

ibaya.hatenablog.com

 

踊れない革命はいらない。

f:id:ibaya:20190111150151j:plain

 

奇跡的にロンドンで開催されるイベントは満席になった。30名を超える方々が参加をしてくださることになり「ロンドン在住の30人が力を合わせたらそれなりのことが実現できるんじゃなかろうか」なんて思っているよ。今回は、ぼくの友達の保科亮太さん(所持金3万円)と嘉向徹さん(所持金マイナス150万円)とUTMさん(所持金2万5000円・全員無職)も日本から来ることになった。せっかく無職みんなでロンドンに集まるのだから「空手で祖国に戻るわけにはいかない」ってなるのは当然の流れだよね。ごちゃまぜの家みたいなものをロンドンに、なにかこう『公共性』のあるものをヨーロッパに残すことがぼくらの旅の最終目標になりそうだ。

 

無職で金もないくせにロンドンに行くなんてふてぶてしいよね。最近のごちゃまぜの家日誌を見ていると、なんだかもう「支援してください!」とか「お金ください!」ばっかりで、乞食のコミューンみたいでダサいよね。家主は実は遺憾なんだ。別に助けを求めることを悪いとは言わない。ただ、その前に「お前はやるべきことをちゃんとやっているのか」と問いたい。こんな報告があがっている。数日前、ごちゃまぜの家の居間で男性2人(44歳と29歳)が完全にだらけていた。それを見た女性Mは、単刀直入に「この空気嫌だからどっちか出て行って」と思ったらしい。しかし彼女は優しいから、それを実際に伝えることはなかった。しかし、男性諸君、女性陣からこのような意見が出てしまっている時点で君たちはダサい。(無論自分も含めてだけれど)日々に緊張感をもって生きていこうではないか。

 

人生はチームプレーだよね。ひとりではできないことでも『力を合わせる』ことでできることがある。とりわけ、我々無職一同は「ひとりになったら即死する」弱さを抱えているよね。全部自力で成し遂げる必要はまったくない。むしろ、自分は全体における重要な一部分であるという強烈な自覚が、最高の形で自分を生かすことがあるよね。我々の目標は「公共性の実現」であり、我々のテーマは「力を合わせること」だと思うんだ。ぼくたちが一生懸命生きるから、視聴者の方々も応援をしたいと思ってくれるのであって、その逆は『甘え』だよね。それを忘れた瞬間に人間はダサくなるよね。ダサくなったら退場だよね。罰則は別にないけど『軽蔑』の対象になるよね。そんなひととはいられないよね。よし。行こう。欧州で会おう。

 

gochamaze.hatenablog.com

 

人生はボーナスタイムである。

f:id:ibaya:20190111150155j:plain


今、ベイフロントにある超高級施設の一角で1000円近くするスイカジュースを飲みながら(虫の息で)この記事を書いている。非常にありがたいことにシンガポール在住の家族二組から別々にご連絡をいただき「せっかくだからみんな一緒に会いましょう!」となって夜から一緒に夕ご飯を食べる。明日はアテネで保科さんと軽く茶をしばき、その日のうちにぼくはポーランドに飛んで(ちょうど前日からワーホリでポーランドで暮らし始める予定の)ブログ読者の男性と合流をする。明後日にはイギリスに入国し、空港まで迎えに来てくださる女性のご自宅にお世話になる。

 

こういう生き方になんて名前をつけたらいいのだろう。移動を続ける日々を過ごしてかれこれ5年、既に「一生分生きたなあ」なんて思うことも頻繁にあるけれど、それでもまだまだ生きてていいということは『人生とはボーナスタイムである』って毎日思う。まさに余生で、まさに道楽である。それでは残りの人生を何に捧げよう。ぼくは『魔法』とか『奇跡』とかそういう大袈裟なものが大好物だ。昔から一発逆転ホームランに憧れていたぼくは、基本的に敗者の視点から物事を眺めることが多かった。でも、それは決して卑屈になることではなく「一発逆転を狙うふてぶてしい(現時点での)敗者」であり、常にあるのは『いまに見てろよ』というマインドだったんだと思う。ぼくは『差』が大好きだから、ダメな奴ほど逆転した時のインパクトは大きい。金があるからできた。才能があるからできた。それじゃ普通だ。なにもないのにできた。なにもないのに元気だ。なにもないのに笑ってる。そこに希望がある。あるから元気なんじゃない。ないのに元気だから面白いんだ。

 

聖書に「弱い時、私は強い」って言葉がある。意味不明だけど、感覚的にわかる。ロンドン行きの無職四人組でグループメッセンジャーのやりとりをしている。合言葉は『夢を見せるのがぼくらのお仕事』みたいなものだ。みんな奇跡が見たいんだよ。みんな魔法が見たいんだよ。生きていればこんなことがあるんだっていう奇跡、ダメな自分たちでもこれだけのことが起こり得るのだという魔法、そういうものを誰よりもぼくら自身が見たいんだ。だから海外に行く。あてもないのに行く。引き寄せの法則じゃない。いつだって『押し寄せの法則』を採用して、勝手に押し寄せて、勝手に何かが巻き起こることを期待する。こういう生き方になんて名前をつけたらいいのだろう。見る人が見たらきっとこう言うのだと思う。お前らはバカだね。と。そしてぼくらは笑うのだと思う。バカだなんて最高じゃないか。と。 

 

 

https://www.instagram.com/p/BsZwMq0HHXH/

When we can't dream any longer we die.- Emma Goldman

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

f:id:ibaya:20170719083420j:plain

LINE ID ibaya

「最高だね」って言いたいし、言われたい。

f:id:ibaya:20190109154951j:image

 

ハーイ!みんな元気?ぼくは不元気。全方位に気を遣いすぎて自滅していたんだ。ブログを書くことは精神安定剤みたいなもので、だけど、こんなテンションじゃないと書き始めることができないくらい死んでいたから許してほしい。いまはマレーシアのマラッカという場所にいるんだけど全然楽しんでいない。なぜなら、頭痛がすごかったから!体は資本だね。とりわけ、移動を続ける人間にとっては死活問題になる。体の調子が悪いと、思考も悪いことになって結果的に最悪になるよね。

 

 

おおまかなスケジュール

1月11日 12時 チャンギ空港シンガポール】到着以降FREE!

1月12日 10時 アテネ空港【ギリシャ】到着以降FREE!
1月12日 20時 ワルシャワ空港【ポーランド】到着以降FREE!
1月13日 20時 ルートン空港【イギリス】到着以降FREE!

1月14日 11時 EVENT『坂爪圭吾解体新書 』@ロンドン【イギリス】
1月15日 個人的な用事@グラストンベリー【イギリス】
1月16日 15時 ストックホルム空港【スウェーデン】到着以降FREE!
1月17日 何かしらの方法でタリン【エストニア】到着以降FREE!

その後、欧州各国を呼ばれるままに移動(だがしかし予定はない) 

1月27日 帰国次第ごちゃまぜの家@横浜でわたり食堂【0円食堂】開催


坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

ibaya.hatenablog.com

 

中身なんてなくていいんだ。

f:id:ibaya:20190110111642j:image

 

基本的に「ただ、言いたいだけ」で生きているから具体的な目的とか夢や理想を持つことが僕はできないんだ。これから欧州に飛ぶけど、なぜ、欧州に飛ぶのかというと「行ったことのある国を増やしたいだけ」なんだ。これまで僕は20カ国くらいに行ったことがあるんだけど、今回の欧州旅では「1日1国」をテーマに15日間の滞在でどれだけの数を巡れるかをやりたいと思っている。中身なんてなくていいんだ。ただ、現地の風を浴びて「どこそこにきたなあ」と10秒程度悦に浸れたらそれだけでOK。よし、次の場所に行こうと言うテンションで行きたいと思っている。

 

gochamaze.hatenablog.com

 

UTMさんも無事にロンドンに来れることになった。マークボイルさんにインタビューをすることが目的だから、僕もマークの本「僕はお金を使わずに生きることにした」を電子書籍で読んだ。面白かった。横浜のごちゃまぜの家でも『無料映画上映会』をやりたいなあと思った。ラサへの歩き方とか、道とか、カンタ!ティモールとか、みんなで観たいと思う映画がいくつかあるんだ。だけどごちゃまぜの家にはスクリーンもプロジェクターもない。誰か貸してくれないかな。買うのはちょっと違うなあと思う。高額なものは共有財産みたいにして、必要な時に、必要な場所に置かれるスタイルにすれば所有物は限りなく少なくしていける気がするんだ(それに、貸し借りを通じて新しいコミュニケーションも生まれたりするしね!)。

 

twitcasting.tv


体が柔らかいひとってすごいよね。開脚できるだけで「なんかこいつやばい!」ってなるよね。そんな感じ。そんな感じで「これまで30ヶ国くらいは行ったかなあ」ってドヤ顔をしたいだけなんだ。でも、別に旅行は趣味じゃないから観光名所に興味はない。だから、暇な時間が多くて「俺はなにをしているんだろう」って頻繁に思う。人間は『暇』と『さみしさ』の対処法を持たないとダメになるよね。旅の予算は5万円程度だから贅沢はできない。でも、マークボイルは「友の存在が何よりの保険」って書いてた。イギリスではイギリス在住日本人の方のご自宅に泊めていただけることになった。お金は安心に繋がるけど、人との繋がりがあることも安心に繋がるよね。友情ってなんだろう。最近はそんなことを考えているよ。僕たちは頻繁に「お金がほしい」って思うけど、でも、本当にほしいのはお金じゃなくて『夢』とか『希望』とか、そういうことなんじゃないだろうかって思うんだ。友情ってなんだろう。僕は、それがこの世で一番素晴らしいものだと思っている。

 

🇬🇧🇬🇧🇬🇧おかげさまで満席となりました🇬🇧🇬🇧🇬🇧

uk.mixb.net

 

「最高だね」って言いたいし、言われたい。

f:id:ibaya:20190110122420j:image

 

イギリス行きに備えてハリーポッターを読んでいる。プライム会員なら電子書籍を無料で読めるんだ。素晴らしい時代だよね。しかもこの本、最高に面白い!みんなも是非読んでみてほしい。イギリスからスウェーデンまでの航空券は片道600円だったよ。嘘じゃないよ。本当だよ。素晴らしい時代だよね。壁はどんどん低くなっている。お金がなくてもきっとどうにかなる。でも、勇気をなくしたら何もできなくなるよね。挑戦しがいのあるテーマを見つけて、体を張って自分を投げ出す。マークボイルは「お金を使わない生活」に張ったし、私は「赤貧欧州周遊旅行」に今回は張った。でも、僕が本当に張りたいと思うものは、そういうことだけじゃないんだ。

 

色々な人生の流れで、たまたま、現在の僕は「作家みたいなこと」をしたり「居場所作りみたいなこと」をしたり「お金がなくても生きていける方法を探すみたいなこと」をしている。でも、一番奥底にある思いは『面白ければなんでもいい』ということで、笑えれば、楽しめれば、やることはなんだっていいんだと思っている。時折、出会う人からあなたの生き方はこれからの時代にふさわしい素晴らしいものだ!って褒めてもらえることがある。褒められることは嬉しいことだけど、でも、それが『正しい』からこの生き方を採用している訳じゃない。これを忘れると痛い目にあう。痛い目にあうというか、途端に人生がつまらないものになってしまう。僕は、ただ、最高だねって言える瞬間がほしいだけなんだ。そして、僕を見た人からも「君は最高だね!」って笑ってもらえたらとっても嬉しい。正しいからじゃない。時代に適しているからじゃない。ただ、なんだかもう君を見ているととても自由な風が吹くから是非ともこれから生き続けてほしいと思う的な、そういう感じでのエールを受け取ったときに「よし、生きよう」みたいな気持ちになるんだ。

 

生きることと「生きたいと思うこと」は違うよね。これをすれば生き延びることはできるかもしれない。でも、死ぬまでこれをやり続けなければならないとしたら、自分はそんな人生を生きたいと思うだろうか。答えが『NO!』なら、それはなにかを変える合図なんだと思う。どれだけお金がなくても、どれだけ能力がなくても、本当に最高の瞬間を過ごせていれば「悪くないなあ、この人生!」って思えるはずだ。そういう瞬間がほしいよね。マークボイルも書いていたよ。「好きなように生きて死んだら、それが定められた寿命なんだ」って。生きることと生き延びることは違うよね。僕は「生きていたい」と思うんだ。言葉は悪いけれど、自分を殺して生きるくらいなら、自分を出して死にたいと思う。誰もやらないことこそやらなくちゃ。そうじゃないと競争になっちゃう。比較が生まれて、嫉妬に焼かれて、人生全般に疲弊しちゃう。誰もが自分という競技のぶっちぎり1位なんだから、そこを極めることだと思うんだ。誰かになる必要なんてないし、誰かと同じである必要も、誰かと比べる必要もない。見返りは楽しさ。報酬は嬉しさ。人生はきっとうまくできているよ。だから、みんなと一緒に生きていることを楽しみたいと思う。

 

 

https://www.instagram.com/p/BsVJdD_nc7H/

There is no concept of time

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

f:id:ibaya:20170719083419j:plain

LINE ID ibaya

「何もしない」をやりたいんだ。

f:id:ibaya:20190106142605j:plain

 

台湾を経由してタイのクラビに到着した。台湾では頭痛に喘ぎ、タイではパパイヤサラダの青唐辛子に撃沈して死の淵を彷徨っている。写真だけ見たら「坂爪は楽しそうでいいなあ」と思う人もいるかもしれないが、現実は惨憺たるものだ。前に、何かで「社会不適合者が生き残る道は二つしかない。小説家になるか、ロックンローラーになるかだ」という言葉を見た。私は、これにお笑い芸人を付け加えたい。神様的なサムシングから「お前はお前を笑えているか?」と問われている気分だ。

 

 

おおまかなスケジュール

1月5日 8時 桃園国際空港【台湾】到着以降FREE!

1月6日〜7日 クラビ【タイ】で日に焼けるバカンス

1月8日 11時 クアラルンプール空港【マレーシア】到着以降FREE!

1月11日 12時 チャンギ空港シンガポール】到着以降FREE!

1月12日 10時 アテネ空港【ギリシャ】到着以降FREE!
1月12日 20時 ワルシャワ空港【ポーランド】到着以降FREE!
1月13日 20時 ルートン空港【イギリス】到着以降FREE!

1月14日 11時 EVENT『坂爪圭吾解体新書 』@ロンドン【イギリス】
その後、欧州各国を呼ばれるままに移動(だがしかし予定はない)

1月27日 帰国次第ごちゃまぜの家@横浜でわたり食堂【0円食堂】開催


坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

ibaya.hatenablog.com

 

最大の観光名所は人間だ。

f:id:ibaya:20190106142637j:plain


出国前に日本で動画配信をした。みなさまは、イギリスで0円生活をしているマーク・ボイルさん(著書『僕はお金を使わずに生きることにした」など)をご存知だろうか。動画配信の後半からUTMさんに謎のスイッチが入り、彼が「マーク・ボイルさんに電撃取材をしてきます!あなたが聞いてほしいことも代わりに聞きます!なので、そのための費用を協力してください!」ということになった。マーク・ボイルさんは、聞くところによると三年以上ロンドン界隈で「一円もお金を使わない生活」をしているらしい。話を聴きながら、私は「ロンドンで得た情報を最大限に生かし、帰国次第UTMさんも東京のど真ん中でそれを実現してほしい」と願った。

 

www.facebook.com

 

10年来の友人GODAとラジオ配信をした。私は台湾が苦手だ。台湾に行くたびに体調を崩す。しかし、私はGODAが好きだ。GODAは台湾の中部に在住している。台湾は苦手でもGODAがいるという点において台湾は聖地だ。そんなものだと思う。青唐辛子のせいで意識が朦朧としているためにGODAの魅力を伝えきることができない。このラジオ配信を一時間聞いてみてもらえたら最高にうれしい。そして「私もGODAさんに会ってみたい!」なんて思われた人がいたら、是非、一緒に台湾に行こう。GODAに会うためだけに台湾に行く。そういう移動は素敵だと思う。来月か再来月ならGODAも時間がある。一緒に行こう。GODAをホノルルに呼び出してみんなでホノルルに集まるとかでもいい。身軽にふらっと世界を飛び回れたら楽しい。

 

twitcasting.tv

 

素晴らしい出会いは人生を肯定する。最大の観光名所は人間だ。出会いが人生を高速回転させるのだ。UTMさんには「マークボイルさんの家の隣にUTMさんも古屋を建てて『ごちゃまぜの家@ロンドン』を実現してきてください」とお願いした。お金とはコミュニケーションコストを0にしたものである。金があればあらゆる問題は高速解決できる。誰かに土下座しないでもホテルに宿泊できるし、物乞いをしなくても食物を得られる。しかし、人との出会いは断絶されたままだ。金がないなら金がないことを最大限に有効活用して「あっ!と驚くような異様なコミュニケーション」を重ねてほしいと思う。同様に、自分自身に対しても同じことを願う。

 

🇬🇧🇬🇧🇬🇧ロンドンイベント情報はこちらです🇬🇧🇬🇧🇬🇧

uk.mixb.net

 

「何もしない」をやりたいんだ。

f:id:ibaya:20190106185315j:image

 

言いたいことはすべてお師匠様が言ってくださった。ミユ様は世界に誇る天然記念物だと思う。こんなブログを読むくらいだったらミユ様のnoteを毎日拝んだほうがいいと思う。1日1F。1日に1回「自分が怖いと思うこと(FEAR)をやる」だけで人生は動きはじめる。私の場合、青唐辛子を食べて人生は一旦思考停止に陥ったが、そういうのも含めてトータルでおっけー!だからもういい。自分が思う『これが自分だ』は大概間違っているのだろう。自己破壊。これをやり過ぎると躁病になるけど、小さな頃はみんな積み木を壊すことも楽しかったはずだ。喜びは創造することだけではない。破壊することの中にも清々しい喜びがあるのだ。

 

とりあえず100日続けてみて思うのが、最近よく言われるように『自分らしくあろうとする』のもいいが、自分で自分を驚かすような自分らしくないことをやって、自分で自分に持つイメージや限界を壊して「見たか、ただの思い込みじゃったろう!お前の負けじゃ、バーカバーカベロベロべ~~」と己に言う方が気持ちがいいんじゃないか?ということだ。

 

note.mu

 

いよいよ書くことがなくなったタイミングで幼女二匹が私の側にやってきた。国籍を問わず幼児とおばあちゃんにだけはモテる。幼児とおばあちゃんにだけはモテることを主張することによって「坂爪圭吾は意外と人畜無害ですよ」と読者にアピールすることができる。台湾では台湾語で話しかけられた。タイではタイ語で話しかけられたし、京都のリッツカールトンホテルでは英語で話しかけられた。私は何人なのだろうか。などと書くことによって「最近の坂爪圭吾は国際色も豊かになってきていますよ」と読者にアピールすることができる。ふふふ。いよいよこのブログの読む価値も薄くなってきたところで、今、ノルウェー人の集団に話しかけられた。

 

聞くと、近くに夕日が綺麗なスポットがあるからそこに一緒に行かないか、とのこと。「サンセットハンティングに君を連れ出したいんだ」と北欧の人々から誘われた私の身体からは何か独特の体臭が出ているのだろうか。飲みかけのマンゴージュースを飲み終えたらおれも出発をする準備をするからちょっと待ってね、と伝えてこのブログ記事を書き終えようとしている。日に焼けるバカンスでクラビに来たはずなのに結果的に舌が焼けたまま私の1日は終わろうとしている。焼ける夕日を眺めながら私は何を思うのだろうか。何も思わないかもしれない。からっぽなまま生まれてきて、からっぽなまま死ぬのだろう。それは悪いことではないと思った。

 

 

https://www.instagram.com/p/BsRyw43HlMJ/

Do Nothing …

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

f:id:ibaya:20170719083419j:plain

LINE ID ibaya

必要なものは与えられる。

f:id:ibaya:20190102181138j:plain

 

東京から女性N様が遊びにきてくれた。彼女は「海外に行きたいってずっと思ってたけど、思っているだけで全然実行しない自分に腹が立って、まず、台湾に行きました。その後にアメリカに行ったのですが長距離移動をすると因果関係は不明だけど自分に良い感じの変化が起こることがわかりました」と話した。自分に腹が立つ感覚は物凄いよくわかる。自分で自分をけしかける。それが必要な時期がある。

 

 

ごちゃまぜの家に再来した29歳の青年Nに「人生を高速回転させたいなら、君もロンドンに来ないか?」と詰問した。最初は「14日は東京で予定が…」などと逃げていたが、実は前々から海外に行きたかったという本音を漏らしはじめ、やがて「是非ともロンドンに行きたいと思うのだけれど全財産が5万円で奨学金の借金が300万ある上に過去の任意整理の影響でクレジットカードも作れない自分はどうすればいいのだろう!!」と三時間くらい苦悶した。こういう苦悶はいいなあと思う。

 

ibaya.hatenablog.com

 

決めることの威力。

苦悶する青年Nを横目に、ごちゃまぜの家在住の女性M様が「能書きを垂れる前に、まずは『行く』と決めることだと思います」という、非常にクリティカルな指摘をした。こういう時の女性は強い。突然急所を突かれたNは全身をビクッ!と痙攣させ、直後、腹を括ったのだろうか「わかりました」と悲壮な表情を浮かべてロンドン渡航を決意した。彼らのやりとりを見ながら、私は「やってるなあ」と楽しくなった。けしかけること。これは私の趣味のひとつである。双方がけしかけあって切磋琢磨(?)をする姿は、見ていて愉快だ。騙されただけなのかもしれないが、ロンドン行きを決断した青年Nの全身からは湯気のようなものが出ていた。

 

山梨県都留市から女性Y様が遊びに来た。彼女は話す。私は人生で決めていることがいくつかあって、ひとつは『私の人生は、愛と感謝と豊かさでできている』ということなのですが、他にも『駐車場は空いている』ってことを決めているのです。今日も車で来たのですが、一番身近なコインパーキングだけはいつも空いていて、駐車場は空いていると決めてから駐車場は必ずどうにかなるようになっているのです。これってすごくないですか。と。私は「なんだかそういうことってありそうな気がする」と思った。私は、28歳の頃に「俺は今世金で困ることはない」と勝手に決めた。その後、特段定期的な収入のある仕事は一切やらない日々を過ごしているが、意外とどうにかなっている。根拠なんかない。決めるが先で、根拠は後だ。

 

Y様は嬉しいことを言ってくれた。私は長い間坂爪さんのブログを読んでいるのだけれど、自分から見ると坂爪さんは『自然体でいれば必要なものは与えられる』ということを教えてくれているように思っています。生きていると、どうしても自分自身を取り繕って「もっと頑張らなきゃ!」とか「ちゃんとやらなきゃ!」とか「人様に認めてもらえるような生き方をしなくちゃ!」と肩肘を張ってしまうのですが、坂爪さんの言葉を読んでいると「自分は自分でいい」って思えます。だから、今日は直接お会いしてありがとうございますって感謝を伝えたいなあと思って山梨県から車で来ました。と。これはうれしい。とってもうれしい。こういう直接的なやりとりを交わせるときに「ごちゃまぜの家をやっていてよかった」と思う。

 

🇬🇧🇬🇧🇬🇧ロンドンイベント情報はこちらです🇬🇧🇬🇧🇬🇧

uk.mixb.net

 

わたり文庫『男の行動学』

f:id:ibaya:20190102151851j:plain

 

今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、斎藤令介著作『男の行動学』です。解説は、著名なカヌーイスト野田知佑さんが担当をしている。野田さんは辛辣で面白い。野田さんは書いた。「昨今のアウトドアブームで多くのアウトドアライターが輩出した。そのライターたちとつき合いがあるが、大半は恐ろしく『アウトドア度』の低い連中だ。(中略)そういう奴に限って講演の依頼が多いときく。肩書きは何だ、ときくと、『冒険家』だという。こんな奴の講演を有難がってきく連中も馬鹿だ。いずれ斎藤令介と二人でこれらニセ物をすべて射殺し、干し肉にし、犬のエサにしようと思っている」。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、岐阜県にわたりました ※※※

 

女親に男の子を教育させることは難しい。

なぜならば、彼女たちは本能的に子供たちをかばおうとするからだ。

たとえば川。大多数の女親は、息子たちに

「危険だから、川のそばに行ってはいけません」と教えこむ。これはこれで正しい。

息子が事故に遭う確率が激減するから。

しかし、危険から故意に遠ざけられた男の子は、

事故には遭わずにすむかもしれないが、自己の確率を妨害される。

男の子が一人前の男になるためには、母親の保護本能を乗り越えなければならないのである。 

斎藤令介『父と息子の教科書 男の行動学』【集英社文庫

 

必要なものは与えられる。

ごちゃまぜの家をやっていると不思議な働きを実感する。家に米がなくなると米が届き、家に珈琲豆がなくなると珈琲豆が届き、家に新しい風を吹かせたいなあと思うと(なにかしらの形で)風通しを良くする出来事が起こる。この現象は不思議だ。米がなくなったとき、米を自分で買ってしまうと『この現象』は起こらない。だから、米がなくなって餓死しそうになっても一旦丹田に力をグッ!と込めて『待つ』ことが必要になる。待つと与えられるし、待つことができずに自分の力でそれを得ようとしてしまうと、他力が消える。他力が入り込む余地がなくなるのだ。

 

昔、いずみという名前の女性と付き合っていた。結果的にフラれたのだが、彼女は素晴らしい女性だった。なにより『泉』という名前が良い。私は、誰もが心の中に泉を蓄えていると考える。泉の水は『あふれだす』ものだ。決してボロ雑巾のように絞り出すものではない。義務感や責任感や罪悪感を動機に自分を半ば強制的に駆り立てるとき、どうしても『ボロ雑巾を絞り出す』的な要素を帯びる。しかし、なにかを「やらなきゃ」ではなく「やりたい!」という前のめりな感情で動き出すとき、そのひとの泉はあふれている。わたしは、この『あふれだしている』という状態がとても好きで、昔付き合っていたいずみちゃんは頻繁になにかがあふれだしていたものだから、私は、いい感じにあふれだしている人間を『あふれちゃん』と呼ぶことに決めた。そして、これが『最高の状態である』と設定することに決めた。

 

こうでなくちゃいけないとか、なにかをしなくちゃならないとか、そんな枠組みを前提に生み出されるものに私は自由を感じない。私は、人類全体の中に眠る『あふれちゃん』の存在を信じる。意味も価値も大義名分もなくていい。ただ、ああ、あなたはこれがやりたかったんだねと真っ直ぐに受け止められるもの、そのひとの熱量がシンプルにストレートに込められているものに対して、私は無垢なよろこびを覚える。あふれちゃんを殺すな。これが私の生涯のモットーである。私は私の中に眠るあふれちゃんの声に従って生きていきたいと思うし、同様に、人類全体の中に眠るあふれちゃんと同じ時間を過ごしながら、遊びながら生きていきたいと思う。

 

この前、話してから感じたこと勝手に言いたいのでラインしました🍀

坂爪さんと話すのは、怖さと嫌さがありました。
それはたぶん、自分の見えていない見たくない部分を暴かれるというか、目の前に出されるからだと思いました。心の癖を暴かれるというか…。
そこにOKが出せてないから怖かったんだと思う。

気に入られたい。と思う。
が、もうやめたい。いい加減。
気に入られるために生きてるんではない。
もっと自分に戻りたいと思いました。

これからは、よそを見ずにもっと内側に目を向けて、大切なものだけを持つ。

そんなことを今思っています🌸

自分にとって、とても良い一日でした。ありがとうございました🌸

 

https://www.instagram.com/p/BrwAe5vnF9d/

GOCHAMAZE no IE

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

f:id:ibaya:20170719083419j:plain

LINE ID ibaya

ラブリーな一年にしよう。

f:id:ibaya:20190101111604j:image

 

肩甲骨まで伸ばした髪の毛を昨夜切った。自分の唯一のトレードマークだったが「誰も俺のことなど見ていない」という残酷で爽快な真実に気付き、バッサリといった。シャンプーが快適で「おおおお」と感動した。女性なら共感していただけると思うが、あの、風呂上がりのドライヤーの面倒が人生から消えた。これはすごいことだ。女性陣から「おさるさんみたいになったね」と言われた。私のお目目はクリクリで意外と可愛らしい顔をしている。このまま愛され街道を走れるだろうか。

 

 

栃木県足利市から「余っているユーロがあるのであげます」と男性A様が自転車でごちゃまぜの家に来てくれた。数日後には茨城県牛久市から「余っている台湾ドルがあるのであげます」と男性N様が来る予定だ。海外遠征は5日からだが、引き続き分身旅行のご依頼を募集している。眠ったままのお金もほしい。今日、大阪在住の女性S様から「私はパクチーが苦手だが克服したい思いが強烈にある。タイから、パクチーがいかにうまいかを私に実況動画を送って私にパクチー好きにさせてください」というご依頼と共に、金一封が届いた。これはすごいことだ。これは私の旅だが、私だけの旅ではない。是非、みなさまも坂爪圭吾を利用してください。

 

ibaya.hatenablog.com

 

連鎖する断捨離。

前回の記事で「仕事を辞めてでも1月14日ロンドンに来て欲しい」と書いたら、絶賛求職中の男性から「辞める仕事はないけれどロンドンにいきます!」と連絡が届いた。素晴らしいフットワークだと思う。普通、ロンドンに誘われても「仕事が」とか「お金が」とか考えてしまって行かない。しかし、世界のあらゆることは「やるかやらないか」であり、やると決めてしまえば大半のことはやれる。その後の責任は負えないが、人生は意外とどうにかなるので男性の決断を私は徹底的にリスペクトする。現地でお会いできるのが楽しみだ。是非、みなさまも1月14日にロンドンに遊びに来てください(イベント詳細は1月4日にはご報告できると思います)。

 

誰かがなにかをはじめたり終わらせたりするものを見るのはいいものだ。昨夜、女性M様からこのような連絡が届いた。私は北ドイツに住んでいます。もしも、もしも、ご縁があれば、お会いしたいなと思っております。良かったら家に数日泊まって頂いても全くもって構いません。お金はありませんが、お金のかからないおもてなしなら出来ます。何かを手離したり捨てたりするのって、怖いですけど、なんだか興奮します。私は2019年春から、ドイツ人夫と3歳の息子と共に家(と夫は職も)を手離し、自転車で旅に出ます。ノープラン、無期限です。考えれば考えるほど不安は出てきますけど、考えないようにすれば、未知への楽しみと緊張で身体がドキドキするだけです。ドイツは、あと1時間強で新年を迎えます。2019年、共に楽しみ、共に生きましょう。坂爪さんが何処かで生きているというのが、心強いです。

 

断髪式をWEB上で公開した。それを見た男性N様から「内海さん・中島さんの家と仕事、保科さんのブログ、坂爪さんの髪の毛のレスに影響を受けて『自分もなにか変えられるものはないだろうか…?』と一人考えていました。その一つの形として、訳あって29歳の時から完全に断っていたお酒を、昨日の大晦日の晩に7年ぶり解禁しました。前々から奥さんが『いつか一緒にお酒を飲んでみたい』と言っていたのと『頑なに禁じていたものの封印を解いてみたい』という気持ちから、思い切って禁を解いてみました。みなさんとは少し形が違うかもしれませんが、なんだか『前まで頑なに守っていた自分を変えてやったぜ感(?)』を感じることができました(意外と酔いは回りませんでした)」とご連絡が届いた。断捨離は連鎖をする。 

 

わたり文庫『愛する言葉』 

f:id:ibaya:20190101163749j:image

 

今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、岡本太郎岡本敏子著作『愛する言葉』です。岡本太郎さんの存在は有名ですが、岡本敏子さんも負けず劣らず素晴らしい。なかでもこの言葉には強い感銘を覚えました。誰も認めてくれなくたっていいの。「わたしっていいなあ!」って、ときどきにっこりして、自分を抱きしめるの。そうすれば、恋は豊かよ。そういう自分を、ある人のために、無条件に、惜しげもなく投げ出すのよ。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡をいたします。

 

※※※ こちらの本は、三重県にわたりました ※※※

 

賭けなきゃ。

自分を投げ出さなきゃ。

恋愛なんてはじまらないじゃない。

岡本太郎岡本敏子『愛する言葉』【イーストプレス

 

ラブリーな一年にしよう。

日中は年賀状の返信に四苦八苦していた。印刷されているだけで手書きの文字が一切ない年賀状はビリビリに破り捨てた。こういうのは極めて逆効果だと思う。大量にコピー&ペーストされた写真や文章が届いて「わーい、うれしい!」なんて小躍りをする人間がいるだろうか。逆に、心が込もっているものをいただけた瞬間はうれしい。前述したドイツ在住の女性の言葉や、禁酒を解禁した男性の言葉には『熱量』を感じる。心のない言葉は空虚であり、心のある言葉は(どれだけ表現力に乏しいものだとしても)グッ!とくる。上手い下手ではない。大事なものは熱量だ。

 

返信の最後に「今年も共にラブリーな一年を過ごしていきましょう」と書いた。書きながら「ラブリーっていいな」と思った。私は三人兄弟の末っ子として生まれた。生まれながらの『末っ子根性』は私を何度も窮地からすくい上げ、乱世を生き延びる一助となった。誤解を恐れずに言えば、私にあるもの、それは類稀なる表現力でもなければ、ホームをレスした後にホームをモアした圧倒的幸運でもなく、ごちゃまぜの家という前代未聞の空間を具現化する力でもなければ、恐怖に立ち向かう勇気でもない。私にあるもの、それは『チャーミングであること』だと思う。

 

猫ってすごいなと思う。 どれだけふてくされていても、人間に嫌われることがない。逆に「ふてくされさせちゃった自分が悪いのだな」と、人間側に能動的な反省を促す。猫が許されるのは、おそらく、それが猫にとって『自然』だからだ。猫は別に財力や権力があるわけでもなければ類稀なる人生体験を積み重ねてきたわけでもない。あるのは『チャーミングさ』だけであり、人類は、チャーミングなものを前にひれ伏すしかない。昨日、ごちゃまぜの家にきてくれた20歳の女性から一通のLINEが届いた。躍動する文体に、私までうれしくなった。深刻になり過ぎてもロクなことはない。ラブリーであること。これは、今年のテーマにふさわしいと思う。肩肘を張ってしまうこともあるが、大前提として『ラブリー』でありたいと思う。

 

あわわわ、ありがとうございます(ah...)(ah...)
ごちゃまぜの家で過ごした時間はめっちゃ不思議でみんながずっと素直に話し合っていて、私の日常ではみたことがない光景だったので不思議でした。
人と生きてるってこんな感じなのかなと思ってました!
素敵な時間をありがとうございます!
またいつでも寄ってねってそう言ってくれてめっちゃめっちゃ嬉しいです。
新年早々、嬉しいです(haha)
はい!!おー!!

 

https://www.instagram.com/p/BrwAe5vnF9d/

GOCHAMAZE no IE 

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

f:id:ibaya:20170719083419j:plain

LINE ID ibaya

得たものを捨てよ。

f:id:ibaya:20181231140507j:image

 

1月14日11時頃からロンドンで開催されるトークイベントに出演する。嫌な仕事をしている方々は全員仕事を辞めて借金をしてでもロンドンに来てほしい。これを書いている現在時刻は2018年12月31日14時41分。完膚なきまでの年の瀬であり、昔、日本では「年が明けたら借金はチャラ」という徳政令があったと聞く。夜が明けたら新年だ。宵越しの金を持たない。同じように「年越しの金を持たない」ことを粋と感じるあなたは、是非、日本からの往復航空券を予約してしまってほしい。

 

 

先のことを考え過ぎると死ぬ。先のことを考えているいま、いま、この瞬間は間違いなく生きている。あるのはこの瞬間だけ。刹那主義だと揶揄されようが、人間を根底から支えるものは「美しい記憶」や「楽しかった記憶」や「人生は捨てたものではないと思えた記憶」だと思う。生きていれば、あの頃のような喜びにもう一度触れることができるかもしれないという可能性は、生きる希望になる。いまいる場所や現在の自分に納得がいないのであれば、動き出すことが一番。それも、いまいる場所から一番遠い場所に。現在の自分が、一番やらなそうなことをやる未来に。

 

ibaya.hatenablog.com

 

無駄こそジョイ。

2018年は「ごちゃまぜの家をハワイに!」ということでハワイに4回足を運んだ。赤貧の身としてはよくやったと思う。ハワイ島で一瞬自由に使わせてもらえる土地を獲得したものの、数日後、キラウェア火山が歴史的な大噴火をかまして溶岩と一緒に夢も流れた。破壊と再生にふさわしいハワイ島ならではの出来事だね、ということで気持ちを切り替えて日本国内にもうひとつごちゃまぜの家を、などと思っていたら長野県大町市で自由に使わせていただける土地と巡り合った。北アルプスを目の前に望む広大な森を『INN THE FOREST』と名付けて簡易宿泊施設を自作し、敷地内に手作りの『森ジム』を開設した。完成度は0.2%程度で、改善の余地しかない前途有望な場所になるのだが、冬は寒過ぎるために現在は足が遠のいている。

 

横浜のごちゃまぜの家は、9月頃に諸事情が爆発をして経済的困窮に陥り、私は全国各地を「我々を助けてくださいツアー」で巡業した。そこで奇跡的な出会いを果たし、みなさまの援助もあってごちゃまぜの家は九死に一生を得た。4度目のハワイでは、徒歩でオアフ島を周遊していたら強盗から拳銃を突きつけられて所持金を全て強奪された。拳銃を目にしたのは生まれてはじめての体験であり、私は『死』を強烈に意識した。死を意識することで生は充溢をする。振り返って見ると、人生は「窮地に陥った時ほど面白くなる」傾向を帯びることがわかり、私は、自分を窮地に追い込ませない限り人生はなにもおこらないという偏った思考をするようになった。自分を守るから弱くなる。自分を投げ出すからこそ生まれる物語がある。

 

12月には金も家も仕事もロスしたUTMさんがごちゃまぜの家の離れの離れにテントを張って暮らしはじめた。ごちゃまぜの家に遊びに来てくれた広島県福山市在住の男性から急遽モバイルハウス制作資金の援助を受け、昨夜、UTMさんは無事に小屋を完成させた。UTMさんの特徴は、決して趣味的なものとして野営生活や小屋の建設をしている訳ではない点だ。彼の営みには「彼の人生」がまるごとのっかっている。これがなければ彼は他に生きていく道がない。そういう、切実な状態に置かれている人間からドラマは生まれやすい。彼が他にも家があって貯金も大量にあったとしたら、彼に手助けをする人間はこれほど多くはなかっただろう。彼は、彼自身なにももっていないからこそ周囲の援助を得ることができた。なにかがあったからではなく『なにもなかった』からこそ、ドラマティックな開墾を呼び寄せたのだ。

 

gochamaze.hatenablog.com

 

わたり文庫『オールド・テロリスト』

f:id:ibaya:20181231140511j:plain

 

今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、村上龍著作『オールド・テロリスト』です。作中に出てきたこの言葉を、私は、これからも忘れることができないように思う。「文学者や芸術家の役割は、そんなものではない。革命を抜きにすれば、社会などに関わるべきではない。ましてや、人々の幸福に寄与する?社会を幸福なものにする?社会に貢献する?ふざけてはいけない。連中の仕事は、精神の自由度を拡大させ、社会に蔓延する嘘を暴くこと、それに尽きる」。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、長野県にわたりました ※※※

 

おれたちは精一杯面白く生き、ああ、面白かったと言って死ぬんだ。

村上龍『オールド・テロリスト』【文春文庫】

 

得たものを捨てよ。

ごちゃまぜの家に遊びに来てくれた女性から50ドル(シンガポールドル)を譲り受けた。来週の今頃はタイにいて、再来週の今頃はロンドンにいる。ふと、旅行代理人というサービスを思いついた。坂爪圭吾が、あなたの代わりにあなたが行きたい場所に足を運ぶ。そして、写真や動画を(LINEなどを通じて)あなたに届ける。あなたは其処にいながらにして海外の風を感じ、私は、自分のあてもない旅路にちょっとした意味や価値を付加できる。このような『分身旅行』という使い魔的な提案に需要などあるのだろうか。私のスケジュールは下記で公開している。勿論、現地で実際に合流をすることも可能だ。誰かに、私の有効な活用法を見出してほしい。

 

1月14日ロンドン市内 お昼ぐらいから...確定してます!ご興味のある方は時間空けておいてくださいませ!年明けに募集開始しますよんドキドキ
 
ワタクシ 幼い頃から人生というのは空っぽの空間に色々積み込んで持ち物を増やしていくのが正しい生き方だと思って生きていました...学歴、キャリア、お金、家族、子供、車などなどね...
気がついたらワタクシ 全部それらを手に入れてしまったけどね.....それが幸せなんだろうか??って疑問を抱いてしまった訳です....
 
そんな時に真逆の生き方をしている坂爪圭吾さんという人の存在を知って大衝撃を受けてしまった訳ですよ... この人何にも持ってないけど...
なんなんだ!
真っ当な事言ってるよこの人!!って...滝汗滝汗滝汗滝汗

ameblo.jp

 

何かを手放す瞬間は怖い。私は大学を退学しているが、退学届けを出した瞬間に「俺は学歴がなくなるわけだから、学歴の関係ない生き方をしなきゃな」と思った。20歳の頃だった。特段これをやりたいと思えるものがあった訳ではないから、数多のバイトを遍歴しながら自分のやりたいことを探した。どれもうだつのあがらないものだったが、幸か不幸か、私は「ホームをレスする」ことによって謎のブレイクスルーを果たした。過去の私は、生きるためには何かを付け足す必要があると思っていた。特別な技術。特別な才能。特別な環境。しかし、結果的に私は「なにかを得ることではなく、なにかを減らすこと」によっていまの生き方にいたった。

 

note.mu

 

全部はベストなタイミングで起きているから大丈夫だよ。なんてこったい!みたいなことでも、過ぎてみたら「逆によかった」って思えるから。冒険に出る前は誰だって怖い。お金がなくなるとか、もう元には戻れないだとか、そういうことを考えてしまう。でも、実際、冒険に出ても出なくてもお金はなくなるし、人間は老いるし、誰もが『取り返しのつかない日々』を生きている。あるのはこの瞬間だけ。捨てるという行為の凄まじいところは、いま、この瞬間にできてしまうことだ。得るためには準備がいる。しかし、捨てることならばこの瞬間にできる。俺たちは、いつでも、ゾクゾクする日々を過ごすことができる。昨日、一通のメールが届いた。共に生きるということの意味が、自分にはとても心地良いものだった。全部はベストなタイミングで出来ているならば、どう転んでも大丈夫なのだ。そう思った。

 

坂爪さーん、大好きです。

人は好きな人、大切な人と同じときに存在したいがために生きているのではないかと思っています。
一緒に過ごしたいというのではなく、同じときに存在したい。
その人が存在していると思うだけで嬉しいですよ。存在してくれてありがとうなんですよね。

来年も同じ空の下、
どこかで元気に生きていてくださいね。

よいお年を😄

 

https://www.instagram.com/p/BrwAe5vnF9d/

We never close

GOCHAMAZE no IE
横浜市港北区富士塚2丁目24-5
05010268936

LINE ID ibaya

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

f:id:ibaya:20170719083419j:plain

LINE ID ibaya