いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

生き方が遺言となるように。

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咳に血が混じる。いつまで生きていられるかわからない。当たり前の話だ。健常者だろうが、健常者じゃなかろうが、明日、生きている保証はどこにもない。それならば、残された生を、悔いのないように。恐れないように。思い煩うことのないように。愛を、勇気を、出し惜しむことのないように。生き方が遺言となるように。

 

 

おおまかなスケジュール

1月19日 EVENT@南ロンドン
1月20日 EVENT@パリ
1月21日 EVENT@パリ
1月22日 パリ〜ピサ
1月23日 EVENT@フィレンツェ
1月24日以降、FREE

1月27日 わたり食堂【0円食堂】(帰国できるか未定)


坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu   

 

ibaya.hatenablog.com

 

魔女に会う。

ここから先の話は、信じる人だけ信じてくれたらいい。私は、今日、イギリスで魔女に会った。イギリスはハリーポッターを生んだ国だ。魔女はいた。魔女は私を見て言った。あなたはグラストンベリーに行った。それは一回死ぬためだ。昔の宣教者は、行く先々で迫害を受けながら最後にグラストンベリーの地に辿り着いた。あなたは、迫害に遭いながらも最後まで愛を説いた。いま、体が冷たさに覆われているのは、過去の記憶が蘇っているからだ。しかし、恐れることはない。迫害を通じてすべてひっくり返る。汚名を晴らすことよりも、愛を選びなさい。森羅万象があなたを支える。あなたはあなたでいることだ。神の御業はなされるだろう。と。

 

冷えと言う言葉に、私は、見透かされた驚きを覚えた。ここ連日の体調不良で、かつて経験したことのない全身の冷えに見舞われていた。部屋が寒いからとか、真冬だからとか、そういう種類の寒気ではない。なにか、自分の力だけではどうすることもできないような極度の寒気に襲われていた。布団に入っても凍えたまま。風呂に浸かっても温まることがない。魔女は続けて言う。あなたはこれから様々な場所に行く。敵地に行くのだと思えば、敵地になる。ホームに行くのだと思えば、ホームになる。それを決めるのはあなただ。あなたは、いま、女といることに疲れている。しかし、男女を気にすることはない。気にするほど、断絶を生む。言葉は分断を生む。性別を越えてしまっても大丈夫。分断を越えてしまっても大丈夫。と。

 

不思議な話だが、私は、魔女の話を聞きながら自分の体が徐々に熱を取り戻すのを感じた。そして、彼女の話す一言一言が、自分にだけわかる暗号のように響きわたり、戸惑った。魔女は言う。今、あなたの活動を大天使や天使たちが助けようとスタンバイをしている感じです。だから『遠慮せずにとにかく呼んでください。』と、たくさんの天使たちがスタンバイをしている感じなのです。呼ばれれば嬉しい、力になれたのならそれが喜びというエネルギーです。依存して欲しくて言っているのではなく、一人でやる辛い仕事ではないと、見えない仲間たちも見える仲間たちも一緒に仕事しているのだと、認識してほしい感じです。私もこの方のお役に立てますように、と思うと、勝手に言葉が出てきます。だから百人力なのです。あなたが『みんなで』という時の波動を、私も、周りの人も、見えない仲間も、感動して聞いているのです。『みんなで』と、本当にそう心で思っておられることが伝わるのです。私は、言葉にこれほど魂がこもった音を聞いたことがありません。

 

生き方が遺言となるように。

ロンドン企画主催者の女性から、後日、こんなメールが届いた。「お話会に無理矢理誘われて行ったという人が言うには、会場には坂爪さんを知らない人が多く、いかがわしい、そんな風に人生うまくいかないと思うという懐疑派が多く、会場前はやや否定派優勢だったそうです。それでも、終わってみたら全部それがひっくり返っていたらしいです。笑ってしまいましたが、そういう感想は嬉しいですね。」と。このエピソードを聞いた時、私は、魔女が話した『ひっくり返る』という言葉を思い出した。魔女は言った。迫害を通じてすべてひっくり返る。そうやって、常識や前提をひっくり返しながらあなたは様々な場所に足を運ぶことになるだろう。

 

すべての出来事に意味がある。口にすることは容易だが、言葉の意味を具体的に、全身で実感することは難しい。私は、なにかをわかっているつもりになっていただけで、本当のところはなにもわかっていなかったのかもしれない。そう思えただけ、わずかでも進歩できたのだろうか。まだ、私には、元気であることだけをよしとして、元気のないことをよしとできない部分がある。しかし、これらの出来事を通じて、少しずつ「一回死ぬことの意味」や「一回死ぬことの価値」を感じ始めている。咳に血が混じりはじめたとき、不思議と、心は落ち着きを取り戻した。死を身近に感じるとき、抱くものは恐怖だけではない。透明な思いになることがある。

 

明日の食費がどうのとか、誰かに軽々しく扱われたとか、真っ当に認められることがないだとか、そういうことがどうでもよくなる瞬間がある。いつまで生きていられるかわからない。当たり前の話だ。健常者だろうが、健常者じゃなかろうが、明日、生きている保証はどこにもない。自分が、今、ここにいることの意味を深く掴むことができるように。自分が、今、ここにいることの価値を深く掴むことができるように。自分が、今、ここにいることの永遠を深く掴むことができるように。残された命の使い道が、そのまま遺言となるように。瞬間に生きて在りたいと思う。

 

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Glastonbury

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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