いばや通信

ibaya.ex《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

人の生き方を笑うな。

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ミラノを経由してアムステルダムに到着した。ミユさんとの出会いの名残が消えない。いまもまだ『さみしい』ままだ。明日はパリを経由して東京に戻る。パリでは、K様が空港まで迎えに来てくださることになった。好きだと思う人とは、なにをするというよりも「会って話せる」ことが嬉しい。バゲットを食べるとか、お茶を飲むとか、それらは口実に過ぎない。大事なことは『会う』ということだ。人間以外が主役になることはない。あくまでも、メインディッシュは『心』だと思う。

 

 

おおまかなスケジュール

 

1月25日 アムステルダム【オランダ】

1月26日 パリ【フランス】

1月27日 わたり食堂【0円食堂】

1月28日~2月12日 FREE!【日本】

2月13日 欧州リベンジ【東京~パリ~ミラノ】

2月14日以降、FREE!【欧州界隈】

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu   

 

ibaya.hatenablog.com

 

今を生きるのは、強さではない。

欧州では総計六回イベントに出た。イギリスで二回。フランスで二回。イタリアで二回。一番言われた言葉は「あなたは今を生きているからすごい」という言葉だ。私は、頻繁にそのような言葉を言われる。そして、言われるたびに違和感を覚える。確かに、わたしは『いま、この瞬間』を大事にしたいとは思っている。しかし、それはわたしの強さではない。昔から、わたしは何をやってもダメだった。周囲にうまく馴染めない。過去も未来も背負えない。思ってもいないことを言えない。社交辞令を使えない。愛想笑いをすると死にたくなる。ライフプランというものを立てることができない。あらゆるものを背負うことができない。そんな自分が、かろうじて背負うことができたものが『いま』だけだったに過ぎないだけだ。

 

普通だったら、いい学校を出て、いい会社に入って、これくらいの年齢で結婚をして、家を買って、老後までにこれだけの蓄えを築く、みたいなことを考えるのだろう。しかし、わたしにはそれができなかった。無目的のまま移動を続ける日々を過ごすと「あなたは勇気がありますね」などと言われる。これも、少し違うと思う。わたしから見ると、30年ローンを組んで家を買うひとの方がよっぽど勇敢に見える。自分には絶対にできない。家がないこと、仕事がないこと、周囲にうまく馴染めないことは、自分にとっての必然だった。そんな自分でも生きていくためには、と、あらゆることを試みた。しかし、そのどれもがうまくいかず、どうすればいいのだ、どうすれば自分みたいな人間でも生きていけるのだろうかと散々思い悩んだ結果、たまたま『もたない』という生き方がはまり、それを続けているだけだ。

 

たくさんの生き方が目の前に広がっていて、いま、その中のひとつを生きているわけではない。他のすべての生き方がまったくダメで、かろうじて、この生き方ならできるかもしれない。そう思えたものが『いまの生き方』なのだと思う。過去も未来も背負えない。人並みであることができない。周囲と足並みを揃えることができない。そんな自分でも、これならば背負えると思えたものが『いま』であり『自分であること』だった。わたしには何もない。過去もない。未来もない。これは強さではない。過去も未来も背負えない『弱さ』だと思う。わたしにあるのは『いま』と『自分』だけだ。わたしは弱い人間だ。弱い人間は生きていけないと思っていた。しかし、いま、わたしはわたしの弱さによって、生きていることを感じる。


🇮🇹🇮🇹🇮🇹かおりさんが素晴らしい文章を書いてくれました🇮🇹🇮🇹🇮🇹

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人の生き方を笑うな。

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日本からひたすら地面を掘り続けて、それでブラジルまで行こうと考えている二人の男がいたとする。彼らは、本気で「ブラジルに行ける」ことを信じている。自分たちが生きている間に、どうにかしてブラジルまで通じる穴を掘ってみたい。彼らの情熱は、ただ、そのことだけに注がれている。そんな人間がいたとして、果たして、周囲の人間は彼らをどのような目線で眺めるだろう。笑うだろうか。馬鹿にするだろうか。そんなことは無理に決まっていると、素通りをするだろうか。わたしは、なぜか、そういう人間を見ると泣きそうになる。できるかどうかは重要じゃない。問題は「やるかやらないか」であり、無謀だと思えることに、無意味だと笑われるようなことに、全力を傾ける人間を目の当たりにすると涙が出そうになる。

 

父親が危篤をむかえている少女がいたとして、少女は、ある日「星の数を数え上げることができたら、おとうさんの病気は治るよ」と誰かに言われたとする。それを聞いた少女は、毎晩、夜になったら外に出て星の数を毎日毎日数え続ける。おとうさんの病気を治すために、自分ができることを精一杯の力で成し遂げようとする。しかし、星の数はあまりにも多く、幼い少女にはどれだけやっても数えきることができない。それでもなお、少女は毎晩外に出て、暑い日も、寒い日も、星の数を数え上げつづけたとする。そんな人間がいたとして、周囲の人間は少女をどのような目線で見るだろうか。笑うだろうか。馬鹿にするだろうか。無意味なことだと軽蔑をして、そんなことよりも働いて手術代でも稼げ、みたいなことを思うのだろうか。わたしは、こういう人間を見ると、たまらなくなって泣きそうになる。なにかのために命を燃やすその姿に、祈りにも似た、どうしようもない美しさを感じる。

 

ミユさんを愛する理由は、生きることに一生懸命だからだ。トンネルを掘り続ける男たちのように、父親のために星の数を数え上げる少女のように、真っ直ぐで、愚かで、愛しくて、哀しい、純粋な命の煌きに、どうしようもなく惹かれてしまう。わたしは、たとえ、周囲から「そんなことは無理に決まっている」と言われるようなことでも、実際にやり続けた人間、否、どれだけ無理だと言われても『自分であることをやめることができなかった人間』に、おさえることのできない魅力を覚える。そして、永遠にそのままであってくれと願う。それは、誰かのために願っているようで、実際は『誰かを通じて、自分のために願っている』のだと思う。トンネルを掘り続ける男。星空を数え上げる少女。誰がそれを笑えるだろう。誰も笑えない。否、笑われたとしても構わない。この世の中で、一番美しい行為は『祈り』だと思う。すべての美しいものは悲しみを内包している。それは『永遠には見ていることができない』という悲しみだ。祈りとは、永遠に手を伸ばす行為だと思う。永遠に生きることはできないわたしたちが、永遠を肉体に刻みつける行為だと思う。

 

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Milano

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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