必要なものは与えられる。
東京から女性N様が遊びにきてくれた。彼女は「海外に行きたいってずっと思ってたけど、思っているだけで全然実行しない自分に腹が立って、まず、台湾に行きました。その後にアメリカに行ったのですが長距離移動をすると因果関係は不明だけど自分に良い感じの変化が起こることがわかりました」と話した。自分に腹が立つ感覚は物凄いよくわかる。自分で自分をけしかける。それが必要な時期がある。
どれだけ知識が豊富でも、どれだけお金を集めても、可愛げのある人間には敵わない。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2019年1月1日
頑張るとか頑張らないとか、勝ち組とか負け組とか、そんなことより「チャーミングであること」の方が、より一層のハッピーな日々を運んでくれる。
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ごちゃまぜの家に再来した29歳の青年Nに「人生を高速回転させたいなら、君もロンドンに来ないか?」と詰問した。最初は「14日は東京で予定が…」などと逃げていたが、実は前々から海外に行きたかったという本音を漏らしはじめ、やがて「是非ともロンドンに行きたいと思うのだけれど全財産が5万円で奨学金の借金が300万ある上に過去の任意整理の影響でクレジットカードも作れない自分はどうすればいいのだろう!!」と三時間くらい苦悶した。こういう苦悶はいいなあと思う。
決めることの威力。
苦悶する青年Nを横目に、ごちゃまぜの家在住の女性M様が「能書きを垂れる前に、まずは『行く』と決めることだと思います」という、非常にクリティカルな指摘をした。こういう時の女性は強い。突然急所を突かれたNは全身をビクッ!と痙攣させ、直後、腹を括ったのだろうか「わかりました」と悲壮な表情を浮かべてロンドン渡航を決意した。彼らのやりとりを見ながら、私は「やってるなあ」と楽しくなった。けしかけること。これは私の趣味のひとつである。双方がけしかけあって切磋琢磨(?)をする姿は、見ていて愉快だ。騙されただけなのかもしれないが、ロンドン行きを決断した青年Nの全身からは湯気のようなものが出ていた。
山梨県都留市から女性Y様が遊びに来た。彼女は話す。私は人生で決めていることがいくつかあって、ひとつは『私の人生は、愛と感謝と豊かさでできている』ということなのですが、他にも『駐車場は空いている』ってことを決めているのです。今日も車で来たのですが、一番身近なコインパーキングだけはいつも空いていて、駐車場は空いていると決めてから駐車場は必ずどうにかなるようになっているのです。これってすごくないですか。と。私は「なんだかそういうことってありそうな気がする」と思った。私は、28歳の頃に「俺は今世金で困ることはない」と勝手に決めた。その後、特段定期的な収入のある仕事は一切やらない日々を過ごしているが、意外とどうにかなっている。根拠なんかない。決めるが先で、根拠は後だ。
Y様は嬉しいことを言ってくれた。私は長い間坂爪さんのブログを読んでいるのだけれど、自分から見ると坂爪さんは『自然体でいれば必要なものは与えられる』ということを教えてくれているように思っています。生きていると、どうしても自分自身を取り繕って「もっと頑張らなきゃ!」とか「ちゃんとやらなきゃ!」とか「人様に認めてもらえるような生き方をしなくちゃ!」と肩肘を張ってしまうのですが、坂爪さんの言葉を読んでいると「自分は自分でいい」って思えます。だから、今日は直接お会いしてありがとうございますって感謝を伝えたいなあと思って山梨県から車で来ました。と。これはうれしい。とってもうれしい。こういう直接的なやりとりを交わせるときに「ごちゃまぜの家をやっていてよかった」と思う。
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わたり文庫『男の行動学』
今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、斎藤令介著作『男の行動学』です。解説は、著名なカヌーイスト野田知佑さんが担当をしている。野田さんは辛辣で面白い。野田さんは書いた。「昨今のアウトドアブームで多くのアウトドアライターが輩出した。そのライターたちとつき合いがあるが、大半は恐ろしく『アウトドア度』の低い連中だ。(中略)そういう奴に限って講演の依頼が多いときく。肩書きは何だ、ときくと、『冒険家』だという。こんな奴の講演を有難がってきく連中も馬鹿だ。いずれ斎藤令介と二人でこれらニセ物をすべて射殺し、干し肉にし、犬のエサにしようと思っている」。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。
※※※ こちらの本は、岐阜県にわたりました ※※※
女親に男の子を教育させることは難しい。
なぜならば、彼女たちは本能的に子供たちをかばおうとするからだ。
たとえば川。大多数の女親は、息子たちに
「危険だから、川のそばに行ってはいけません」と教えこむ。これはこれで正しい。
息子が事故に遭う確率が激減するから。
しかし、危険から故意に遠ざけられた男の子は、
事故には遭わずにすむかもしれないが、自己の確率を妨害される。
男の子が一人前の男になるためには、母親の保護本能を乗り越えなければならないのである。
斎藤令介『父と息子の教科書 男の行動学』【集英社文庫】
必要なものは与えられる。
ごちゃまぜの家をやっていると不思議な働きを実感する。家に米がなくなると米が届き、家に珈琲豆がなくなると珈琲豆が届き、家に新しい風を吹かせたいなあと思うと(なにかしらの形で)風通しを良くする出来事が起こる。この現象は不思議だ。米がなくなったとき、米を自分で買ってしまうと『この現象』は起こらない。だから、米がなくなって餓死しそうになっても一旦丹田に力をグッ!と込めて『待つ』ことが必要になる。待つと与えられるし、待つことができずに自分の力でそれを得ようとしてしまうと、他力が消える。他力が入り込む余地がなくなるのだ。
昔、いずみという名前の女性と付き合っていた。結果的にフラれたのだが、彼女は素晴らしい女性だった。なにより『泉』という名前が良い。私は、誰もが心の中に泉を蓄えていると考える。泉の水は『あふれだす』ものだ。決してボロ雑巾のように絞り出すものではない。義務感や責任感や罪悪感を動機に自分を半ば強制的に駆り立てるとき、どうしても『ボロ雑巾を絞り出す』的な要素を帯びる。しかし、なにかを「やらなきゃ」ではなく「やりたい!」という前のめりな感情で動き出すとき、そのひとの泉はあふれている。わたしは、この『あふれだしている』という状態がとても好きで、昔付き合っていたいずみちゃんは頻繁になにかがあふれだしていたものだから、私は、いい感じにあふれだしている人間を『あふれちゃん』と呼ぶことに決めた。そして、これが『最高の状態である』と設定することに決めた。
こうでなくちゃいけないとか、なにかをしなくちゃならないとか、そんな枠組みを前提に生み出されるものに私は自由を感じない。私は、人類全体の中に眠る『あふれちゃん』の存在を信じる。意味も価値も大義名分もなくていい。ただ、ああ、あなたはこれがやりたかったんだねと真っ直ぐに受け止められるもの、そのひとの熱量がシンプルにストレートに込められているものに対して、私は無垢なよろこびを覚える。あふれちゃんを殺すな。これが私の生涯のモットーである。私は私の中に眠るあふれちゃんの声に従って生きていきたいと思うし、同様に、人類全体の中に眠るあふれちゃんと同じ時間を過ごしながら、遊びながら生きていきたいと思う。
この前、話してから感じたこと勝手に言いたいのでラインしました🍀
坂爪さんと話すのは、怖さと嫌さがありました。
それはたぶん、自分の見えていない見たくない部分を暴かれるというか、目の前に出されるからだと思いました。心の癖を暴かれるというか…。
そこにOKが出せてないから怖かったんだと思う。気に入られたい。と思う。
が、もうやめたい。いい加減。
気に入られるために生きてるんではない。
もっと自分に戻りたいと思いました。これからは、よそを見ずにもっと内側に目を向けて、大切なものだけを持つ。
そんなことを今思っています🌸
自分にとって、とても良い一日でした。ありがとうございました🌸
人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu