いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

愛は時間。

f:id:ibaya:20181230094113j:plain

 

1月5日以降海外に行くことになった。こんなことを言うのは非常に情けない話だが、もし、使う予定のない海外のお金をもっている方がいたら譲っていただけたら嬉しいです。一応、足を運ぶ予定の国は台湾とタイとマレーシアとシンガポールと欧州各国になる。特に予定のないぶらり旅なので、現地でお会いできる方がいたらお気軽にご連絡ください。海外在住の方々に諸々アテンドしていただけたら爆裂に幸福です。ギリシャまでの航空券はあるが、到着以降はノープランの片道切符になる。航空券を取るとボルテージが高まる。「はじまったな」という気持ちになる。

 

 

おおまかなスケジュール

12月30日〜1月4日迄 文武両道@ごちゃまぜの家【日本】

1月5日 8時〜14時 桃園空港【台湾】界隈でFREE!

1月6日〜7日 クラビ【タイ】で日に焼けるバカンス

1月8日 11時 クアラルンプール空港【マレーシア】到着以降FREE!

1月11日 12時〜24時 チャンギ空港シンガポール】界隈でFREE!

1月12日 10時 アテネ空港【ギリシャ】到着以降FREE!

1月14日 11時 EVENT@ロンドン市内【イギリス】(決まり次第更新)

1月27日 帰国次第ごちゃまぜの家@横浜でわたり食堂【0円食堂】開催


坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

ibaya.hatenablog.com

 

マッチ売りの少女を殺したのは誰か。

年末年始で軽度の鬱っぽい人もいるだろう。親戚一同の集まりは一見和気藹々としているようで、比較的苦行だ(と感じている人は多いと思う)。先日、家族と断絶状態にあって家も金も仕事もロスした男性M様がごちゃまぜの家に来た。住民票を置くために、栃木の田舎にある家賃二万円の安アパートを借りたものの、生活拠点は東京に置きたいので都内で路上生活をしているのだとM様は話す。私は「それなら栃木の家を解約してごちゃまぜの家に毎月二万円をダンクして、住民票もここにおけばいいじゃないか」と話した。人にはそれぞれ事情がある。世間では『帰省ラッシュ』などと言われるが、死別や断絶など、原因は様々だが『帰省する先がない』人々は結構いる。そう言う人は、是非、ごちゃまぜの家に来たらいいと思う。

 

冬と言えばマッチ売りの少女だ。マッチ売りの少女は、生活のために路上でマッチを売るがなかなか売れずに凍死をしてしまう。仮に、少女がマッチを売るのではなく「助けてください」とストレートに周囲に助けを求めたら、凍死をすることはなかったのではないだろうか。誰かに迷惑をかけてはいけない、生きるためには何かを売らなければいけない、という前提は本当なのだろうか。そういう記事を過去に書いたら、ロンドン在住のS様から連絡が届いた。S様は、今回、ロンドンで開催されるイベントのきっかけを与えてくれた。限定された人間関係の中では、行動や発想も限定的なものになる。しかし、常に、自分の外側には「自分の知らない世界」が広がっている。余裕がなければ、外側の世界の存在に気づくことは難しい。

 

・実は、皆が何かを誰かに与えたいと思っている。
・他人から施しを受けるのは惨めなことではなく、寧ろ崇高な経験になる。
・すべてを受け取ることを自分に許しなさい。

 

S様は言う。私は結構綺麗にオシャレするのが大好きなタイプで口紅塗らずに外出とか女としてあり得ないと思っていました。外見があって女なんだからと…所がノーメイク、髪もぼうぼう、ぼろぼろのスウェットきて芋虫の様に転がっていても世界は私に優しいという事実が分かっただけでも背筋がゾクゾクするぐらいの幸せなのです。このままオープンで居続けた先にどんな心境がまっているんだろう。坂爪様にインスパイアーされ実験を今後もリアルに経験し続けてみます。いつか何処かで会えます様に。身体に気をつけてお元気で。

 

ibaya.hatenablog.com

 

わたり文庫『星の王子さま

f:id:ibaya:20181230094119j:plain

 

今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、サン=テグジュペリ著作『星の王子さま』です。ごちゃまぜの家では、日々、深い人間理解を問われている。人類皆兄弟という言葉もあるが、やはり、この本に出てくる『王子さまとバラの関係』や『王子さまとキツネの関係』の中に、私は、血縁を超えた結びつきを覚える。絆を結ぶと言うことはどういうことなのだろうか。前に、キリスト教牧師から聞いた「愛は時間です」という言葉が蘇った。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、東京都にわたりました ※※※

 

君がバラのために使った時間が長ければ長いほど、バラは君にとって大切な存在になるんだ。

君は、飼いならしたものしか知ることができないんだよ。
人間たちには、もう何かを知るための時間がない。
だから、お店に行って、出来合いのものを買うだけさ。
だけど、友だちはどこにも売っていないから、人間たちは友だちを持っていないんだ。

サン=テグジュペリ星の王子さま』【新潮文庫

 

愛は時間。

何度も何度も私からダメ出しをされている青年Nが、再度、ごちゃまぜの家に遊びに来た。彼は話す。自分はいま29歳で、家族とも絶縁関係にあり、人間関係も希薄で友達も少ない。これまではそんな自分をダメだと思うことばかりに時間を割いてきてしまったが、これではいけない、もっと『人間的に成長をしたい』と思ってごちゃまぜの家に来た。成長とは何かと坂爪さんに問われたが、自分にとって、成長とは『自分の世界に、自分以外の誰かが入ってくること』だと思っている。これまで、自分の人生には自分しかいなかった。しかし、これからは『自分以外の誰か』を自分の心に招き入れて、それと向き合う方法を学び取っていきたい。と。

 

私は、青年Nの誠実な話ぶりに感動した。誠実な人間とは、誠実な関わり合いをしたいと思う。稀に、初対面の人々から「私も仲間にいれてください!」と言われることがある。しかし、仲間や友達というものは「頼まれたからなる」ものではないと思う。双方に対するリスペクトが前提にあって、はじめて成立をするものだと思う。私は、青年Nの誠実な人柄に触れたことで「このひとと付き合っていきたい」と思った。付き合うということは、苦楽を共にするということだ。楽だけではない、苦しみも共に乗り越えることで強化されるものが絆だと思う。このひとはなんだかな、と思う人に対して、私は「このひとは『楽』は大歓迎なんだろうけど、それが『苦』になった瞬間に逃げ出すのだろうな」という印象を勝手に覚える。都合が悪くなった途端に逃げ出すようなひとと、自分は、絆を結ぶ方法を知らない。

 

苦楽を共にする覚悟。それが時間だと思う。星の王子さまはバラに時間をかけた。時間をかければ時間をかけるほど、王子さまにとってバラは「かけがえのないもの」になった。時は金なりと言う言葉はきっと的確じゃない。時は命だ。物置で眠ったままの高級品があるように、金をかけたものすべてが大事になるとは限らない。しかし、何年も使い込まれたもの、何度も修繕を重ねたものには『愛着』が宿る。前に、キリスト教牧師から聞いた「愛は時間です」という言葉が蘇った。生まれてから死ぬまでの間、一生の付き合いになるものはそれほど多くはないだろう。しかし、自分自身とは、誰もが『生まれてから死ぬまでのお付き合い』になる。付き合うということは、苦楽を共にするということだ。自分の身の上に降りかかる、楽だけではない苦も引き受けるとき、自分は、自分自身を『一生物』として大事に扱っていけるようになる。それが、自分自身との『絆』になり得るのだと思う。

 

 

https://www.instagram.com/p/BrwAe5vnF9d/

We never close

GOCHAMAZE no IE
横浜市港北区富士塚2丁目24-5
05010268936

LINE ID ibaya

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

f:id:ibaya:20170719083419j:plain

LINE ID ibaya

人生はどすこい相撲である。

f:id:ibaya:20181228091311j:image

 

吾輩はクズである。小さな頃、私は父親からクズと呼ばれて育った。健気な私は「おい、クズ」と呼ばれるたびに「はーい!」と元気にお返事をしていた。泣ける話である。油断をしていると私はすぐに堕落をする。家でYOUTUBEばかり見てしまう。無駄に眠る。ここ数日、ごちゃまぜの家に滞在している。なにもしていない自分はここにいる価値はない。穀潰しである。だから、ブログを書いてビリーズブートキャンプをやることで「少しは俺もこの場所に貢献をしている。士気を低くする方向ではなく高める方向に貢献をしている!」と思うことで自分を保っている。

 

 

過去記事でごちゃまぜの家の規律について書き過ぎた。書けば書くほど「来て欲しい人々は遠ざかり、来て欲しくない人々ほどやってくる」矛盾や葛藤を抱えることになる。なぜか。もとから緊張感のあるひとは「やばい…ごちゃまぜの家にいく時は気をつけなきゃ!」と思うが、そうではないひとは私が書いていることを平気で飛び越えてへらへら足を運び続ける。村上龍の作品に『ダメな女』というエッセイがある。そこには「このタイトルにどきっとした女は、ダメな女ではない」と書かれていた。めっちゃわかる。自分で自分を疑うことができる人間は正常だと思う。重度の精神病患者は、自分が精神病であることを自分で認識することができない。

 

ibaya.hatenablog.com

 

自立するために『他人』がいる。

色々能書きを垂れているが、根本的に誰でも来ていただきたいと思う。全部ネタになる。人間理解も深まるし、調子に乗っていた自分の鼻がへし折られる機会にもなる。村上龍の『最後の家族』がまじでよかった。そこに「他人との出会いはそれだけで別の人生の可能性なのだ」という一文があった。まさにその通りだと思う。ホープレス生活満喫中のUTMさんの登場のおかげで、ごちゃまぜの家は劇的に開墾され、無限の可能性を発掘した。最後の家族には、印象深い数々のフレーズがあった。物語の中で、主人公の男性(引きこもりの21歳)がDV被害者の女性と会う。その女性を救うために訪れた弁護士事務所で、彼はこのような言葉を言われた。

 

女性を救いたいというのは、DVの第一歩なんです。救いたいという思いは、案外簡単に暴力につながります。それは、相手を、対等な人間として見ていないからです。対等な人間関係には、救いたいというような欲求はありません。彼女は可哀想な人だ。だから僕が救わなければいけない。ぼくがいないと彼女は不幸なままだ。僕がいないと彼女はダメになる。ぼくがいるから彼女は生きていける。ぼくがいなければ彼女は生きていけない。

そういう風に思うのは、他人を支配したいという欲求があるからなんです。そういう欲求がですね、ぼくがいなければ生きていけないくせに、あいつのあの態度はなんだ、という風に変わるのは時間の問題なんですよ。他人を救いたいという欲求と、支配したいという欲求は、実は同じです。そういう欲求を持つ人は、その人自身も深く傷ついている場合がほとんどです。そういう人は、相手を救うことで、救われようとします。でも、その人自身が、心の深いところで、自分は救われるはずがないと思っている場合がほとんどなのです。自分は救われることがないという思いが、他人への依存に変わるんです。

 

これは私も気をつけなければならない話だ。『他人を救いたいという欲求と、支配したいという欲求は、実は同じです』とは要注意である。最近、UTMさんを見ていると「この人は神様なんじゃないだろうか」と思う瞬間がたびたびある。昨夜、深夜1時に突然ごちゃまぜの家にやってきた女性にも、実は似たようなことを感じていた。かつての私は「こいつはなんだ!俺が説教をしてやる!」みたいな上から目線の対峙をしていた。坂爪さんはすごいですねと言われても、俺だって色々苦労してここまで来たのだから、何かに憧れるのならばお前もしっかりと苦労をしろと、そういうロジックで相手を『責めて』いた。しかし、最近はちょっと変わった。彼らは、私になにか重要なことを教えるためにここに派遣をされた天国の使者なのではないだろうか。と。では、私がここから学ぶべきことはいったいなになのか。なにを学ぶことによって私は『より一層素敵な自分』になれちゃうのだろうか。と。

 

「内山さんは、誰かに救われたことがあるでしょう」

田崎の口調が変わった。かすかに笑みを浮かべている。どうしてそんなことを聞くのだろう。

「救われたことがない。自分でそう思っている人は、あなたみたいに、正直になれないんですよ。必ず否定しますし、嘘をつきます。内山さんは、誰かに救われた、という思いがあるんじゃないですか」

「あります」

秀樹は言った。

「母です」

母親が精神科医やカウンセラーに通うようになって、それがなぜなのかはわからないが、気持ちが楽になった。そういう話をした。

「おかあさんですね」

「そうです」

「おかあさんは、内山さんを救いたいんだと誰かに言ったり、あなたを救うんだと言って、無理やりどこかに連れて行ったりしましたか?」

「いいえ。していません。逆に、ぼくに干渉しなくなりました」

「おかあさんは、どうやってあなたを救ったんでしょうか」

「わかりません」

「おかあさんは、あなたのためにいろいろな人と話すうちに、自立したんじゃないでしょうか。親しい人の自立は、その近くにいる人を救うんです。一人で生きていけるようになること。それだけが、誰か親しい人を結果的に救うんです」 村上龍『最後の家族』【幻冬舎文庫

 

私は「俺も我慢しているのだからお前も我慢しろ」と言う人を軽蔑している。しかし、冷静になると自分も同じことをしてしまっていたのではないだろうか。自分が「こいつは失礼な人間だな」と感じる人々は、実は、自分が「そうしたいと思っているのに我慢をしていて、それを実際にやってのけてしまうからむかついているのではないだろうか」と思った。UTMさんや岐阜県の女性に共通していることは、底抜けに素直なことだ。私が彼らから学ぶべきことは、一般的な社会常識を盾に「お前は間違っている」と自分の正当性を主張することではない。彼らが素直であることと同じように、自分も裸一貫素直になること。そして、正面突破の『どすこい相撲』を展開することである。ごちゃまぜの家がある種の道場ならば、出会いはおけいこである。正否の勝負ではない。素直さ(熱量)の勝負をすることだと思った。

 

gochamaze.hatenablog.com

 

人生はどすこい相撲である。

ミユ様という素晴らしい女性がいる。私が、noteで『ホームをレスした話(全18話)』を書くきっかけを与えてくれた、お師匠様的存在である。お師匠様は、数日前、ご自身のnoteにて非常に素晴らしい内容を書かれていた。私はえらく感銘を受けてしまって「これだからお師匠様は最高だなあ!」と抑えきれない興奮を覚えた。何かを好きになる時、多分、同時に「それを好きになる自分のセンスを好きになっている」のだと思う。自分と切り離された存在として対象を崇めるのではなく、対象と同等のものが自分にも『すでにある』ことを知りながら、対象を崇める営みが尊いのである。ミユ様は、ご自身のnoteでこのようなことを書かれていた。

 

92日目にして、このところ感じていた毎日投稿への心の拠り所感が大好きだとハッキリと思った。
わたしは何かに依存するのがとても好きで、それに対する罪悪感や不安はない。
依存心は良くないと言われるけれど、少しもそう思わないのだ…いざその依存する物や人がなくなったら、大変なのは自分だよと言われてもぜーんぜん気にしない。大変な目に遭えばいいと思う。
そうやって、ありがたかったと思い知ったり自分の弱さと対面して泣けばいいんじゃないかな。

わたしは何にも依存しないというのが強いのか弱いのかわからないけれど、寂しいことだと思う。


本当の自立というのは、何かを失くしたときの辛さに用心してなににも頼らずにいるよりも、何かを心に招き入れてそれを愛するほうを選ぶことなのかもしれないな、と思った。
失くしたときの辛さを超えられるという信頼が、自分にあると思うから…

note.mu

 

お師匠様ー!好きだー!と、私は天空に向かって吼えていた。とりわけ『本当の自立というのは、何かを失くしたときの辛さに用心してなににも頼らずにいるよりも、何かを心に招き入れてそれを愛するほうを選ぶことなのかもしれないな、と思った。』という部分には爆裂な感動を覚えた。このひとにはかなわないなと思った。誤解を恐れずに言えば母性に包まれてしまった的な敗北感を覚えた。敗北感は、実は、とっても気持ち良いものだ。私は、ごちゃまぜの家をやりながら「道場破りを待っている」のかもしれない。私は、頻繁に、訪問者を斬る。それは「斬りたいから斬る」というよりも、斬らずにはいられない自分を「誰か斬ってくれ」と何処かで願っているからだと思う。ミユ様は、私を斬る。ちっぽけな私をズサッと斬り落としてくれる。そして、そこから『新しい自分』がリボーンするのである。

 

支配にならないように、依存にならないように、用心をしながらびくびく生きるより「支配になってもOK!依存になってもOK!人生はどすこい相撲である。お互いにぶつかりあいながら、お互いを研磨して、お互いに覚醒し合っていけたら最高じゃないか」ということを思う。ダイヤモンドがダイヤモンドでしか磨けないように、人間は人間でしか磨けない。自立するために必要なものは『他人』である。そのためのごちゃまぜの家であり、そのための坂爪圭吾である。年末年始の予定は晴れやかに皆無である。ごちゃまぜの家でもいいし、呼ばれれば何処にでも行きたい気持ちはある。必要とあれば、是非、この家を(そして坂爪圭吾という人間を)使っていただきたいと思う。おけいこしましょ。人間関係のおけいこを。人生はどすこい相撲である。その時に生まれる摩擦熱が、ボディを、世界を温めるのである。

 

 

https://www.instagram.com/p/BrwAe5vnF9d/

We never close

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

f:id:ibaya:20170719083419j:plain

LINE ID ibaya

人間はなにでできているか。

f:id:ibaya:20181227170948j:plain

 

『You are what you eat(あなたは食べるものでできている)』とか大嘘だと思う。健康食おたくほど不健康そうに見える。不健康そうなヨガの先生も多い。そういう人々には、感覚的に『冷たさ』を覚える。私は猫カフェが嫌いだ。猫カフェは冷たい。多分、猫は大好きだけど人間は大嫌いなオーナーが多いからだと思う。反原発を唱える人々や、各種SNSで「安倍死ね」などと言っている人々にも同様の冷たさを覚える。彼らは憎しみを食べて生きている。だから冷えを感じるのだろう。

 

 

冷え性の改善策として「半身浴がいい」とか「生姜を食べろ」とか「運動をしよう」とかあるが、これじゃ弱い。体の冷えは『言いたいことを言えていない』精神的な問題だと思う。逆に言えば、嫌いな人に「私はあなたが嫌いです」とダイレクトに伝えるだけで、多分、体温はグッとあがる。人間に対する憎しみを蓄積すると、体は冷える。昨日、深夜一時に突然の来客がごちゃまぜの家にやってきた。非常に非常識な時間帯だと思った。岐阜の多治見から来たと話す彼女に、私は「泊まってもいいけれどもれなく私の説教がついてきますよ」とストレートに伝えた。

 

ibaya.hatenablog.com

 

言えるは『癒える』 

私はもう、言いたいことは全部言うことに決めた。言いたいことを言わないと病気になる。重要なのは言いたいことを堪える力ではなく『言いたいことをクリティカルに伝える力』だ。彼女の雰囲気から、私は、勝手ながら「この女性は、誰にも本当のことを言ってもらえていないのだろう」と思った。だからという訳じゃないが、私が率先をして彼女を詰めた。誰かを詰める時の、私なりのルールがある。それは『根底に愛を込める』ことだ。それは、言い方を変えるなら『お前はそんなものじゃないだろう』という、その人のあるべき姿を信じながら殴りつけることだ。

 

私は、女性と対峙する時は「お前はもっとかわいくなれる!」的な気持ちで説教をする。男性と対峙する時は「お前はもっとかっこよくなれる!」的な気持ちで説教をする。相手のダサさを指摘して、お前はなにをやっているのだと詰める。多くの場合、変な感じでやってくる人々は「周囲の目線を気にするあまりに自意識が暴走をして、結果的に毎回最悪の状態に着地をする」場合が多い。彼らは、決して悪い人間なのではない。ただ、これまでの人生でうまくいかないことがあまりにも多くて、うまくいくイメージをなにひとつもてないままここまで来てしまったのだろう。嫌な言い方になるが、彼らを見ていると「これはもうひとりの自分である」と思う。私も、環境が環境ならばこうなっていたのだろうなあと思う。だから、どこか他人事ではなくなる。結果、私は「このひとともコミュニケーションがとれたら、俺はいよいよ最強になれるな」的な心持ちでコミュニケーションを楽しむ。

 

私はこどもが大好きだ。だから子連れのお母さんが来てくれたら最高に嬉しい。昨日、横浜在住の女性が「大掃除に来ました」と言って7歳の超絶可愛い女子と遊びに来てくれた。私は激烈に感動した。なんて素晴らしい女性なのだろうと思った。お母さんが掃除中、私は7歳の女子と戯れた。私は、彼女に向かって「お母さんを大切にするんだよ」と言った。すると、彼女は「私はママを大切にしているよ。でもね、ママはママを大切にしていないんだよ」と無垢な笑顔で言った。私は、うおお、子供はそういうところを見抜いているものなのだなあと震えた。この発言をお母様に伝えると、お母様は「うへぇ、参りました」的な微笑を浮かべた。その後、7歳の女子からトワイスというアイドルの踊りを小一時間習った。彼女は発狂したように踊り続け、トイレに行く時間も惜しむあまり、最終的におもらしをした。

 

gochamaze.hatenablog.com

 

わたり文庫『最後の家族』

f:id:ibaya:20181227170953j:plain

 

今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、村上龍著作『最後の家族』です。こちらの本は、引きこもりのこどもを抱える家族の『残酷で幸福な最後の物語』になります。私は、村上龍が大好きです。この本の中に「引きこもりは家族だけでは解決できないということだ。家族の結びつきや愛情だけでは、解決はおろか、引きこもりについて考えることさえできない。しかも、誰かが介入してくれるのを待っているわけにはいかない。だからいずれにせよ問題をオープンにする必要がある」という文章が出てきます。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、富山県にわたりました ※※※

 

あるとき知美は気づいた。中学のときだった。体育の時間が終わると、ボールペンの赤いインクで制服のシャツがまだら模様に汚れていた。誰がやったかだいたい見当がついた。吉本佳織という名前の金持ちの娘だ。吉本佳織は不細工で頭も悪かった。赤く汚れた制服を見たとき、知美は、からだの奥から力が湧いてくるのがわかった。どうしてそういう力が湧いたのかわからない。怒りと力がうまく結びついたような感じだった。こちらを見ていた吉本佳織の制服を奪い、教科書もノートも鞄ごと奪って、クラス中の生徒が見ている中、校庭の端の焼却炉に投げ込んだ。今度何かやったらあんたを焼き殺してやるからね。そう言ったら吉本佳織は泣き出した。

そのときは親が呼ばれたりして大変だったが、あれから人生が変わった。強い人が何かするのだと思っていたが、そうではないと思うようになった。何かすることで、否応なく強くなる場合もある。知美をいじめる者は誰もいなくなった。やりたいことはやっていいのだとわかった。父親にも言いたいことは言うようにした。トモちゃんのことはよくわからない。いつもママはそう言う。

村上龍『最後の家族』【幻冬舎文庫

 

人間はなにでできているか。

先日、大阪で出会った女性がこんなエピソードを話してくれた。私が坂爪さんのブログを読むようになったのは数年前からのことで、その頃、私は人生で一番しんどい時期を過ごしていた。私はタバコを吸うのだけれど、この日もベランダに出てタバコを吸っていた。ここから飛び降りたら死ねるんだよなあという思いに一瞬自分の体全部がのみこまれそうになって、もう、いっそのことここから飛び降りてしまおうかなと思ったときに『でも、ここで死んだら坂爪さんのこれからを読むことができなくなるんだよな』と思って、死ぬことをやめました。坂爪圭吾という物語の完結を見届けたいと思う気持ちが、死にたいと思う気持ちに勝ったのです。と。

 

これはめちゃめちゃ感動的な話である。私にも死にたい時期があったからよくわかる。暗黒の高校時代を過ごしていた頃、毎日毎日「死にたい、死にたい」と腐っていた時期が自分にもあったが、しかし、死んでしまったら大好きな漫画家・日本橋ヨヲコの新刊本を読むことができない。その思いが、私を生きる方向に舵を取らせた。死にたいと思うことと、死にたいと思わされることはまったくの別物だ。冷静に考えてみよう。自己否定の言葉の数々は、全部、自分の外側から来ているはずだ。誰かになにかを言われたから、ただ、その言葉を真に受けて「自分は生きている値打ちのない人間なんだ」と思い込まされているだけだ。しかし、冷静に考えてみよう。自分の好きなものたちは、自分に「生きててもいいよ」と言ってくれるものたちではなかっただろうか。自分の好きなものたちは、自分に「お前は無価値な人間だ」とか「生きていることに希望なんてない」みたいなことは言わない。自分に「生きててもいいよ」と言ってくれるものたちを、この世界は生きるに値するものだと思わせてくれるものたちを、私たちは『好き』になってきたはずだ。

 

人間はなにででてきているか。私は『人間は、自分の好きなものでできてる』と言いたい。なにかを好きになるということ。好きなひとに好きだと伝えること。これ以上に尊いことなんてこの世の中にあるだろうか。間違っても、自分が嫌いだと思うものに自分の人生を奪われてしまってはいけない。嫌いなもののために死ぬ(生きる)なんてクソだ。それでは体は冷えたままだ。生きているということは、熱があるということだ。熱があるということは、その熱を誰かに伝えることができるということだ。なにかを好きになるということが、世界を動かす力になる。なにかを好きになるということが、世界の体温をあげるのだ。嫌いなものにとらわれて、自分の好きを見失ってはいけない。いま、生きているということは、自分の『好き』があったからだ。それがなければ、いまのいままで生きることなんてできなかったはずだ。だからこそ、自分の好きを取り戻そう。嫌いなもののために生きるのではなく、好きなもののために生きていこう。自分の好きを貫く物語が、また、別の誰かの『好き』を貫く物語を生み出していく。今こそ、好きに殉死をする時である。

 

 

https://www.instagram.com/p/BrwAe5vnF9d/

We never close

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

f:id:ibaya:20170719083419j:plain

LINE ID ibaya

調子に乗ったら即死する。

f:id:ibaya:20181226083828j:plain

 

ごちゃまぜの家には様々な人々が訪れる。周囲からは「駆け込み寺みたいですね」とか「神社みたいですね」と言われることも多いが、多分、少し違う。私は、ごちゃまぜの家をある種の『罠』だと思っている。油断をしていると殺される。間合いを間違えると斬られてしまう。結構大変な場所だと思っている。この家は、一応「誰でも無料でいつでも使える場所」として開放している。要するに自由な家、ということになるのだけれど、自由の解釈はひとによって異なる。その結果、自由と自由がぶつかりあって「お前はいったいなんなんだ?」となることは多い。

 

 

ごちゃまぜの家に一切のルールブックはない。明文化されている禁止事項はない。が、これが結構厄介なのだと思う。基本的に「良識の範囲内で」とか「人としての不文律」みたいなもので成り立っている。昨夜、前回の記事で書いた家なし生活中の29歳男性がごちゃまぜの家に来た。最初は20時頃に行くといっていたが、結果的に彼は21時に来た。ごちゃまぜの家は自由な家ではあるが、私は、そういうところなんだよと思って彼に「一時間遅れたことをどう思っているのか」と問うた。彼の顔に緊張が走る。この緊張感こそが、ごちゃまぜの家の醍醐味だと思っている。

 

ibaya.hatenablog.com

 

公共性。

私に詰められた29歳の彼は言った。遅れてしまってすみませんでした。事前に連絡を入れておくべきだと思いました。一応、人の家なんですものね。と。私は、彼が言った『一応』というワードに敏感に反応して「一応じゃねえよ」と思った。しかも、彼の顔はなんだかちょっとにやけている。そういうところなんだよと思って彼を再度詰めた。私は、良識や礼儀的なものを大事にしたいタイプの人間だ。嫌な感じの人々には嫌な感じの人々が集い、いい感じの人々にはいい感じの人々が集う。私は、ごちゃまぜの家をいい感じの空間にしたい。だから、自分が嫌だと思うもの、乱暴に言えば『心に巣食うゴキブリ』を見つけた瞬間に叩き潰したいと思う。

 

ごちゃまぜの家は、みんなの家というよりも「誰の家でもない」という認識の方がクリティカルだ。人間、油断をしているとすぐに気が抜けて自分の家みたいになる。それが悪いとは言わない。むしろ、子育てなどで疲れているお母様にはこの家で好きなだけ昼寝をしていただきたい。このあたりの感覚を伝えることは難しい。誰にでも自由に使って欲しいのだが、なんだかなあと思うものには「なんだかなあ」と言いたくなる。その違いはなんだろうか。それは、要するに『感謝』だと思う。使わせてもらっているという感覚が薄れた時、人間は傲慢になり、すべてのものを当たり前だと思うようになる。ごちゃまぜの家の裏の森でホープレス生活を満喫中のUTMさんも、三食しっかりごちゃまぜの家で食べている。別にそれが悪いとは言わない。が、先日、毎日生卵ばかりを食べるのも飽きるからゆで卵にした的な発言を聞いた時、あれ、と思った。どの口がそんなことを言っているのか、と。

 

21時に来た青年は、その後、24時近くなってもストーブの前に居座って帰るんだか帰らないんだかわからない感じでしなしな体育座りをしていた。私は、彼に「今夜は泊まりますか?」と尋ねた。彼は「そうですね、では、泊まります」などと抜かした。私は再び発奮して「そうですねじゃねえよ。泊まりたいなら泊まりたいとしっかり言いなさい。誰かから『泊まっていきますか?』とか言ってもらうことを待っているような態度はまじで気に食わない。それは一番やっちゃダメなやつだ」と再々詰めた。29歳の彼の顔面に緊張が走り、体育座りから正座に切り替え、頭をさげながら「泊まらせてください」と私に言った。私は「いいですよ」とにこやかに答えた。こんな風に書いたら、私の亭主関白ぶりがやばいと思われた方もいるかもしれない。昨夜、この家の日常をラジオ配信した。年末年始の暇な時期にでも、ご視聴いただけたら雰囲気も伝わるかもしれない。ごちゃまぜの家は今日も愉快だ。

 

twitcasting.tv

 

わたり文庫『突破者(上・下)』

f:id:ibaya:20181226084901j:plain

 

今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、宮崎学著作『突破者(上・下)』です。ごちゃまぜの家において、おそらく、私は父親的な存在になる。しかし、私はまだ自分の家族を築いたことがない。そこで参考になるのが極道の方々の家族感で、こちらの本からはまなばされることが大量にありました。私は、『任』や『侠』と言った世界観が大好きなのだと思う。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、埼玉県にわたりました ※※※

 

普通の親なら、子供が喧嘩してきたら理由のいかんにかかわらず叱りつけるものだろうが、わが家では問題なのはその理由であて、それがわが家の道理に合致してさえいれば大いに称賛された。喧嘩にまつわるわが家とその周辺の道理は、「身内がやられたときは、たとえこちらに非があろうとも、相手に復讐しろ。それをやらない者は人間のクズだ」という単純極まりないものだった。喧嘩をしたことだけで叱られたことは一度もなかった。

(中略)

ファミリーの論理は単純極まりないものであった。子供だろうが女だろうが、ファミリーに属する者にはそれぞれの役割があり、個々がその役割を果たしながら、どんなことをしてでも仕事を取ってくる。そして、その仕事で得た金を全員にばらまく。基本的にはこの論理だけで成り立っていた。いうなれば徹底した身内、あるいは身贔屓の論理であり、内側に閉ざされた論理でもある。それだけに身内内部の密度やボルテージはきわめて濃厚で高いものであった。その人と人との結びつきのなかで、負担をみんなで担い分けるという貧者の論理がまだ残っていた。


(中略)

その話を聞いて、男というのは土壇場で逃げる男と逃げない男の二種類しかないという厳たる一面があって、土壇場で試されるのは唯一それだけなんだということがよくわかった。これはヤクザも左翼も同じ、普通の市民だって同じだということを後でたっぷり思い知ることになる。


宮崎学『突破者(上・下)』【幻冬社アウトロー文庫】

 

調子に乗ったら即死する。

道場みたいな家だ。誰かに何かを言う時、その言葉は自分にも向かっている。誰かに「ここはお前の家じゃないんだよ」と言いながら、同じ言葉を自分に思う。無意識にこの家を私物化している自分、無意識に感謝を忘れていた自分を思い知るのだ。だから、此処は「自分はどうなんだ」と常に問われる家でもある。これは完全に修行である。精神的な加圧トレーニングであり、定期的にダメージをくらいながら日々逞しくなる『生きた勉強』である。別に関係者全員がストイックな訳ではない。私は、いろいろあるけれどそのトータルで『楽しい』と思えるからこそ、この活動(?)を続けている。楽しくなければ続かない。楽しむためには変化が必要だ。変化は時に痛みを伴う。痛みを伴うということは、間違っていないということだ。

 

師範代のほしなさんが、UTMさんに「この業界は、調子に乗ったら終わりですよ」と訓示を垂れていて笑った。明日は我が身。これは、この場にいる全員共有のテーゼである。気を抜いているとバッサリ斬られる。バッサリ斬られている人間を前に、傍観者でいることはできない。自分も同じように緊張をする。誰かに斬られる訳ではなく、この家に斬られる。もっと言えば『自分自身に斬られる』ことになる。斬られることは悪いことではない。それは非常に清々しいことだ。変わるための契機になる。私は、時折、変な感じで訪れた人に「お前は帰れ」と伝えることがある。しかし、これは「お前は二度と来るな」という意味ではない。リベンジは何度でも受け入れたい。そして、たとえどのようなやり取りを交わしたとしても、最後は握手で別れたい。罪を憎んで人を憎まず。私が嫌いなものは『心に巣食うゴキブリ』であって、そのひと自身ではない。私は殺し屋ではない。害虫駆除の業者である。

 

昨夜、広島県福山市から男性M様が遊びに来てくれた。M様は容赦無く優しい。UTMさんに「僕が資金提供をするからモバイルハウスを作ってみませんか?」と提案をした。UTMさんだけの家ではなく、より一層公共性のある家。他の誰かも泊まることが可能で、M様ご自身も次回来た時に泊まれるような空間。そんな家があったら面白いと思いませんか、と。『公共を増やす』とは貢献度の高い素晴らしい発想だ。料理も同じで、自分のためだけではなかなか凝った料理は作れない。誰かのため、というものが加味された時に頑張り甲斐も生まれるというものだ。UTMさんの頑張り、ひいていはごちゃまぜの家の頑張り、もっと言えば自分自身の頑張りが(結果的に)誰かのためにもなってしまうような、パブリックなデイズを過ごしたいと思う。調子に乗ったら即死をする。身を引き締めて生きていきたいと思う。

 

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

f:id:ibaya:20170719083418j:plain

LINE ID ibaya

「一緒に死にましょう」と言えるか。

f:id:ibaya:20181224115254j:plain


三万円のジーンズを購買したことを激しく後悔している。後悔しているというか「俺はなんてつまらないことをする男なんだ」と自責の念が絶えない。普段、服は古着屋で500円とか1000円のものを購買している。しかし、今回は10年ぶりに新品を購買した。500円で見つけた古着に対する愛着は半端ないが、新品のジーンズに対する愛着は孫正義の頭髪よりも薄い。なんと言えばいいのだろうか、要するに『普通』なのだ。大阪でイベントに出た。会場に火鉢があって、それがあまりにも素敵だったから「ジーンズを買うくらいなら火鉢を買えばよかった」と思った。

 

 

どうしてもクリスマスを意識をしてしまう。別に夜景を見たり豪華なレストランに行きたいとは思わない。思わないばかりかそういう人種を軽蔑している。私は女子アナが嫌いだ。女子アナになりたいと思うその性根が嫌いなのだ。が、ごちゃまぜの家でホープレス生活をされているUTMさんが、昨夜の動画配信で「好きな異性のタイプは?」と問われた際に有名な女子アナの名前をあげた。UTMさんは現在金銭的な問題にあえぎつつある。配信の中で「僕は専業主夫でもいける。相手の女性に別の男がいても問題ない。試しに僕を1日体験みたいな形で使ってもらうのも大歓迎である」と話した。動画をご覧いただけたら人柄は伝わるのかなと思う。是非、UTMさんを主夫に迎えたいと思われた方々からのご連絡をお待ちしております。

 

坂爪圭吾 - ごちゃまぜの家の裏の森で野営生活をはじめたUTMさんを特別ゲストに、今後の「お金の問題」からの「他に男が...

 

ibaya.hatenablog.com

 

すべての男はおもちゃである。

f:id:ibaya:20181224100222j:plain

ごちゃまぜの家。いい感じである。

 

昨日、ごちゃまぜの家に家のない29歳の男性が来た。彼は話した。自分はエンジニアをやっていたが、ふと、29年間の自分の人生を振り返った時に「なんて薄い人生なのだろう」と思い、自分の人生を高速で回転させる必要を感じた。坂爪さんのnoteを見たが、家なし生活を送るとこんなにすごいことが起こるのかと感銘を受けたため、まずはその真似をしている。しかし自分には友達もいないしブログなどで発信もしていない。昨夜はコンビニのイートインで寝た。今日は、どうしてもごちゃまぜの家に来たいと思ったから東京駅から徒歩で来た。所持金がないのだ。ごちゃまぜの家にはみんなの財布と呼ばれる誰でも使える財布があると聞いた。だから、今夜の交通費として1000円を欲しいのです。というようなことを彼は話した。

 

f:id:ibaya:20181224100219j:plain

ごちゃまぜの家の洋室。いい感じである。

 

私は色々なことを思ったが最終的に「君はぼくたちのおもちゃになれるか」的なことを思った。正直に言うと、最初、彼の雰囲気を見ても力になりたいとか助けてあげたいとか、私は微塵も思わなかった。男性は結構地味な見てくれをしていたので「まずはその長い髪の毛をバッサリ切って坊主にしましょう」という極めて余計なアドバイスをした。ら、彼は「坊主に対する抵抗はありません。いま、この瞬間からでも坊主にできます」と答えた。この回答がよかった。この瞬間、私の中にある『遊びスイッチ』みたいなものが強打されて、ごちゃまぜの家にはバリカンがあることを思い出した。私は、初対面の人間と会う時に「このひととは何をして遊べるだろうか」という発想をする。家がなかろうが金がなかろうが末期ガンに侵されていようが、力になりたいとは思わない。ただ、そのひとが置かれている状態をどのように活用したら「一緒に笑いながら生きていけるだろうか」という思考をする。

 

f:id:ibaya:20181224100344j:plain

ごちゃまぜの家の庭。いい感じである。

 

私は、自分の性格を悪いと思っていた。しかし、最近では「素直なだけ」だと初期設定を改めた。自分としては普通に生きているだけでも、周囲から勇気がありますねなどと言われることが多い。33歳になり、ようやく「俺は生き物として面白いのかもしれない」と思うようになった。数日前、大阪で開催されたイベント参加者の男性から「坂爪さんには明確なビジョンがあるから素晴らしい」的なことを言われた。しかし、小生に明確なビジョンなんてない。夢も理想も死ぬまでにやりたいことも特にない。だから物凄い戸惑いを覚えた。あるとすれば「面白いかどうか。ただ、それだけを軸に瞬間瞬間を生きてきただけだと思います」と言った。ら、その男性は「それです!」と答えた。え、そんなもんでいいのと思った。そんなもんでいいならばいくらでもやります!と思い、先日、大阪のホテルで収録した『ひたすら悪態をつくだけの動画配信』を公開したいと思った。別にたいしたことは話していない(一部の人種から嫌われるであろうだけの内容だ)けれど、暇な時にでもご覧いただけましたら幸いです。

 

twitcasting.tv

 

わたり文庫『モモ』

f:id:ibaya:20181224100340j:plain

 

今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、ミヒャエル・エンデ著作『モモ』です。これは私からのクリスマスプレゼントになります。素晴らしい一冊だと思います。久しぶりに読み返したら「やっぱりいいなあ」と顔面がにんまりしました。時間泥棒に気をつけろ!忙しい忙しいとか言っている、退屈なおとなにだけはなってはいけない!のだと思いました。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※

 

たとえば、こう考えている人がいたとします。

おれの人生は失敗で、なんの意味もない、おれはなん千万もの人間のなかのケチなひとりで、死んだところでこわれたつぼとおんなじだ、べつのつぼがすぐにおれの場所をふさぐだけさ、生きていようと死んでしまおうと、どうってちがいはありゃしない。この人がモモのところに出かけていって、その考えをうちあけたとします。するとしゃべっているうちに、ふしぎなことにじぶんがまちがっていたことがわかってくるのです。いや、おれはおれなんだ、世界じゅうの人間のなかで、おれという人間はひとりしかいない、だからおれはおれなりに、この世のなかでたいせつな者なんだ。

こういうふうにモモは人の話が聞けたのです!

 

ミヒャエル・エンデ『モモ』【岩波少年文庫

 

「一緒に死にましょう」と言えるか。

f:id:ibaya:20181224100226j:plain

大阪のイベントの様子

 

わたり食堂【0円食堂】に遊びに来てくれた非常にキュートな大学生の女の子が「自分は友達も少ないしそもそもで人間が嫌いだ。だから普段はずっと家にいることが多い。学費の問題で大学も辞めようかなと思っているのだけど、これからどうすればいいのかとかって考えると悩む」と話した。私は、どうして人間が嫌いなのにこんなイベントに来てくれたのかを疑問に感じた。だから「なぜ、ここに来たいと思ったのですか?」と聞いた。ごちゃまぜの家なんて、知らない人間共の集まりじゃないか。あなたから見たら、ここはただの地獄なのではないだろうかと思ったのだ。すると、彼女はこのように答えた。変わりたいと思ったから。と。自分を変えていきたいと思って、勇気を出してごちゃまぜの家に足を運んだのだと話した。

 

私は「なんだかすげえいいなあ」と思った。変わりたい。きっと誰にでもある思いだと思う。決して自己否定的な意味合いとしてだけではなく、これまでの自分を捨て去りたい、自分を投げ出して新しい世界に飛び出してみたいと願う気持ちは、誰にでもあるものだと思う。それを目の当たりにさせてくれた彼女に感謝をした。是非また遊びに来てくれと帰り際に伝えた。ひとりの人間が勇気を振り絞って行動に移す姿は、それに触れた人間にも『前向きな何か』を伝染させる。ごちゃまぜの家をやっていると思う。私は、全力でぶつかってくる人間には、自分も全力で返したいと思う。しかし、なんとなく程度のものならば自分はなにも言わない。なにもしない。なにも返さない。あなたが本気で死ぬ気なら、自分も一緒に死にたいと思う。しかし、自分の命を守ったままでなにかをしたい、なにかを得たい、なにかで評価をされたいなどと考えているような人間に、なにかをしたいとは思えない。

 

私は、もう、面白ければなんでもいいのだと思う。本気の遊びをしたいのだと思う。だからこそ「一緒に死にましょう」と言えるか。これがひとつの基軸になる。あなたが死ぬ気で人生を遊びたいと思うならば、私も一緒になって死ぬ気で人生を遊びたいと思う。極論、人生はどれだけそういう人々と共に笑える日々を過ごせるか、愉快な日々を過ごせるか、素晴らしい日々を過ごせるかだと思う。と、ここまで書いたところで一通のメールが届いた。大阪のイベントに参加してくれた女性からのメールだった。一見するとなんかだ拍子抜けしちゃうような内容にも思えたが、最終的に「これでいいんだよな。否、これがいいんだよな」と思った。具体的なことはなにも覚えていなくてもいい。ただ、振り返った見たときに「ああ、あの頃は面白かったなあ」と思わずにっこりしてしまうような出来事を、思わずにっこりしてしまうような思い出を、なんだかよくわからないけれど面白い人生だったなあと思わずにっこりしてしまう人生の終わりを、晴れやかに迎えたいと思う。

 

 

坂爪さん

こんにちは。初めてメールします。
一昨日、大阪まちの水のみ場でお会いした者です。

少し前に由紀子さんのfacebookで坂爪さんのことを知り、よくわからないけど面白そうな人~って思ってました。

お会いして...坂爪さんの目のまん丸さに惹かれてしまいました。
話の内容はすっかりどっかにいっちゃって、(←その時は聞いて感じて、考えて?ました!)印象に残ったのはそれだけ(笑)

そして、その目を思い出したら、思わずニッコリしてしまいます☆

それだけ、なんですがメールしちゃいました!

お会いできて嬉しいです。
またどこかで〜。

○○○

 

https://www.instagram.com/p/BrwAe5vnF9d/

we never close

GOCHAMAZE no IE
横浜市港北区富士塚2丁目24-5
05010268936

LINE ID ibaya

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

f:id:ibaya:20170719083418j:plain

LINE ID ibaya

人生を賭けるな。

f:id:ibaya:20181221074051j:image

 

和歌山県岩出のコメダ珈琲にいる。12月22日(土)大阪でイベントがある。12時30分近鉄今里駅前集合で私が皆様を会場まで道案内する。事前申し込みの必要はない。時間のある方は是非来てください。私の目印は金髪ロン毛の黒キャップ、青いダウンにACNEのジーンズ、足元は最近頂戴した二枚下駄だ。一昨日、自分へのクリスマスプレゼントにACNEのジーンズを定価三万円で購買した。三万円といえば小生の年収である。ファッションテーマは「家がありそうに見える人」である。

 

【EVENT詳細】12月22日(土)「プライドの捨て方」と「愛ってなんだ」

 

 

沖縄帰りだから服装が微妙だ。ダウンの下は半袖一枚だし、足元は裸足になる。「寒いかな」とか思ったが、歩いてみたら結構いける。外は寒いが建物の中や電車は暑い。最悪の場合はジャンピングスクワットをすることで体温はあがる。12月23日(日)は横浜のごちゃまぜの家でわたり食堂【0円食堂】が開催される。全国各地から支援物資が届いている。鶏まるごと一羽届くことにもなった。凄いことだ。今回から、無料のフリーマーケットも同時進行で開催したい。家に「使ってないけど使えるもの」がある人は、是非、当日ご持参いただけましたら幸いです。

 

【EVENT詳細】12月23日(日)わたり食堂【0円食堂】

 

 

ibaya.hatenablog.com

 

新しい結婚をしよう。

前回の記事で紹介したアナキズムという本に『できっこないをやらなくちゃ』という一文があった。できることをやっても進化はない。不可能を可能にしてこその牡羊座である(私は牡羊座です)。ホームをレスした時も、私は結構いきいきとしていた。挑戦している時に元気になる。だから、なにか挑戦しがいのあるテーマはないかなあと考えてみたら「新しい結婚をしよう」的なことを思った。新しい結婚とは何か。具体的なゴールがあるわけではないけど「100人くらいお嫁さんがいて、100人くらい兄弟がいて、100人くらいこどもがいる」状態をイメージしている。

 

前に一回結婚したいと思ったことがある。18歳の頃、私は大学進学にあたり新潟から東京に出た。入学案内書を見ると「既婚者は学費が半額になる」と書かれていた。私は貧乏性だから、それならば女友達と結婚をすれば学費がさがる!これは圧倒的有利だ!と舞い上がり、一回、ガチで結婚を考えたことがある。しかし、この時は「結婚という大事なことを軽はずみにやってしまうのはどうなのだろう」という一般的な感覚に敗れ、踏みとどまった。自分の結婚観を語ることは難しい。結婚に対する執着は薄いが、面白いと思えることに対する執着は濃い。現行の結婚制度に面白みは感じない。破綻している人々も多い。せっかくなのだから、なにかこう「いままでにない新しい形での結婚」をしてみたい、ということを最近は思う。

 

結婚(というか制度)って不思議だ。男性は離婚直後も再婚できるが、女性は離婚したら100日間は再婚できない。不思議な話だ。前に、愛するムラキテルミさんの養子になりかけたことがある。養子になると名前が変わる。坂爪圭吾が村木圭吾になる。名前が変わると、肉体は同じままなのに「致命的な何かが変わった」風に感じるから不思議だ。養子について調べてみたら、年下なら何人でも養子に迎えることができると知った。養子に人数制限はないのだ。だから、友達100人と家族になることもできる。友達が家族になったら、肉体は同じままなのに「致命的な何かが変わった」風に感じるから不思議だ。制度とはなんだろうか。きっと、制度とは言葉だ。言葉は私たちの生活を決定づける。言葉から自由になるためには、新しい言葉を生み出すことだ。ボヘミアン・ラプソディという映画の中に「俺が何者かは俺が決める」というセリフがある。無駄に反骨精神だけは潤沢な私は、おそらく「カテゴライズを拒否する」ために新しい言葉を必要としているのだろうなと思う。

 

わたり文庫『人はなんで生きるか』

f:id:ibaya:20181221094647j:image

 

今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、トルストイ著作『人はなんで生きるか』です。読み返すたびに心が浄化されるような清水的な一冊です。読んでいてどきっとするフレーズに『自分のことばかりを考えている人の顔には死相が出る』という言葉があります。逆に、誰かのためになにかをしたいと思うとき、自分の中にある純粋な愛を発露させたとき、その死相は消えるのだということを学びました。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※

 

わたしが人間であった時に生きてゆくことができたのは、わたしが自分で自分のことを考えたからではなく、通りすがりのひとと、そのおかみさんの心に愛があって、わたしを憐れみ愛してくれたからです。また、ふたりの孤児が生きてゆけたのは、みんなが彼らのことを考えてやったからではなく、他人の女の心に愛があって、彼らを憐れみいつくしんでくれたからです。こうしてすべての人は、彼らが自分で自分のことを考えるからではなく、人々の心に愛があることによって、生きていっているのです。

 

トルストイ『人はなんで生きるか』【岩波文庫

 

人生を賭けるな。

私は家族を作りたいのだと思う。もっと言えば「家族を溶かしたい」のだと思う。不仲を理由に別れたカップルも、別れた後に(お互い普通の人間として)食事をすると滅茶滅茶会話が盛り上がることがある。長年至近距離で連れ添った二人である。二人だけにわかる話題も多い。しかし、現行の制度では「付き合うか、別れるか」「関係性を継続するか、関係性を断絶するか」の二択になる。全か無か。関係性にグラデーションが足りない。これは勿体無い話である。だからもう、別れたカップルは全員家族になっちゃえばいいのだと思う。そして、新しい相方を探せばいいのだと思う。家族なんて概念があるから「全か無か」になる訳で、全員が個であり、全員が全体であるという認識が一般的になれば、おそらく家族という概念も希薄になって(100年後くらいには)溶けてなくなってしまうのではないだろうか。

 

明日開催されるイベントの主催者の女性に問われた。彼女は言う。このあたりはNPOなどの支援団体も多く、自分の活動に人生を賭けている人々も多い。だから、私みたいに「ごちゃまぜの家みたいなものがあったらいいなあ」って動き出した人間は、周囲から「お前は人生を賭けて生きているのか」とか「覚悟が足りない」とか「もっと真面目にやれ」って言われて怒られることもある。だけど、私は人生を賭けていない。そんな自分は間違っているのだろうか。と。私は思った。一応、私もごちゃまぜの家という活動をやってはいるが、ごちゃまぜの家に命を賭けているかと問われたら「賭けている訳ないじゃん!」と思う。ただ、これ【無料で使える家を増やす活動】をやったら面白そうだなと思ったからやっているだけだ。誤解を恐れずに言うと、私はNPOや支援団体が苦手だ。最大の理由は「真面目だから」であり、人生を賭けているという言葉は、格好いい言葉なのかもしれないけれど『余裕が足りない』と思う。真面目すぎる。近寄りがたい。遊びがない。ユーモアが足りない。正しさはあるが楽しさがない。余裕がない場所にユーモアは生まれない。

 

ダメならダメでやり直せばいい。他のやり方を考えればいい。それでもダメなら全部放り出せばいい。最初に「これが正解!」というものを持参したまま飛び込んでしまうから、他の正解を受け入れられなくなるのだろう。ひとつの生き方に固執をするから苦しくなるのだ。生き方は、もっと多様で、もっと広がりに充ち満ちたものだ。焚き火をしていると思う。極論、人間は食べるものと雨風を凌げる場所さえあれば生きていける。逆に言えば、足りないものが自分を苦しめるのではなく「過剰にあふれた情報」みたいなものが、焦燥感を急き立てて、自分を苦しめる方向にドライブさせるのだろう。特別な環境はなくても、養育費はなくても、無料で学べるものはそこら中に転がっている。だから、受験や就職に失敗をしたから自殺をするなんて馬鹿げている。「人生を賭ける」という思いが、自分を窮地に追い込んでしまう。一回深呼吸をしてみよう。世界は、自分が思う以上の広がりにある。 

 

 

https://www.instagram.com/p/BmgZe6aFCZJ/

#venus #bonfire #lifeisgood

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

f:id:ibaya:20170719083418j:plain

LINE ID ibaya

無一物で、ニッコリ笑う。

f:id:ibaya:20181218134217j:plain

 

那覇空港から関西空港に向かう。これから数日間関西に滞在する。大阪府今里で22日(土)にイベントに出る。テーマは「プライドの捨て方」で、大阪でごちゃまぜの家的なことをやりたいと思った女性Y様は、家を借りるところまではやったけれど周囲の猛反対などでなかなかうまい展開をできずに「坂爪さん、どうすればいいと思いますか!」とご連絡をくれた。私の場合、自分のダメさを秒速で晒すというやり方で生き延びてきたので、よし、ここはみんなの力を借りながらごちゃまぜの家@大阪を実現させましょう!という流れになり、イベント開催が決定をした。

 

 

関西のみなさまに力を貸してほしい。是非22日(土)に大阪府今里に遊びにきて欲しい。みんなで話しながら「こういう風に展開をしたら面白いと思う」的なディスカスをしたい。同時進行でプライドの捨て方についても語り合いたい。独立したばかりの人々は「うまくやっているように思われたい」などの見栄が働く。結果、実は全然うまくいっていないくせに虚勢を張って最終的に自滅する。そういうパターンは多い。生き延びる人間は、なにごとも完璧にこなす人間ではなく「周囲の援助を浴びまくる人間」だと思う。要するに甘える力であり、楽しい迷惑をかける力だ。そういう力について、みんなで語り合えたら嬉しい。年末だ。ゴミと一緒にプライドも捨てよう。そうすれば、軽やかな足取りで2019年を迎えることができる。

 

【EVENT詳細】12月22日(土)@大阪府生野区「プライドの捨て方」

 

ibaya.hatenablog.com

 

久高島

f:id:ibaya:20181218131758j:plain

 

久高島が猛烈によかった。早朝、久高島の海岸沿いを歩く。歩けば歩くほど全身が浄化される。無意識に大地讃頌を口ずさんでいた。母なる大地の懐に、我ら人の子のよろこびはある。その通りだ。前日の夜は久高島在住の船乗りの男性の家にご招待をしていただいた。大量の料理と一緒に「二日酔いになるまで帰さないよ」と泡盛を盛られた。私は、初対面の人の前では何を話したらいいのかわからなくなることが多い。が、男性の家には大量の筋トレグッズがあったので「ちょっと使わせてください!」と能動的に筋トレをはじめることで、親睦を深めることができた。

 

f:id:ibaya:20181218134209j:plain

f:id:ibaya:20181218131743j:plain

f:id:ibaya:20181218131754j:plain

f:id:ibaya:20181218131736j:plain

f:id:ibaya:20181218131749j:plain

f:id:ibaya:20181218131723j:plain

f:id:ibaya:20181218131731j:plain

f:id:ibaya:20181218131726j:plain


那覇まで自転車を走らせながら「熱海の家は誰かにあげちゃってもいいな」と思った。私は、今、呼ばれるままに移動を続けて文章を書きながら生きている。ブログに広告を貼りたくないから、収益は1円もない。こういう話をすると、大概「いまはいいけどこれからはどうするの」と問われる。結婚をしたらどうする、とか、老後はどうする、とか、おそらくそういうことを聞かれているのだろう。そして、そのあとに「でも、熱海に家があるならどうにかなるのか」的な納得のされかたをする。これが、ちょっと、癪に障る。だから熱海の家は誰かにあげてしまってもいいような気がした。欲しい人がいたらご連絡をください。「このひとにあげたい!」と思った人に、熱海の家を、いい感じに使っていただけたらうれしいと思う。

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu   

 

www.youtube.com

 

わたり文庫『アナキズム

f:id:ibaya:20181218134203j:plain

 

今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、栗原康著作『アナキズム 一丸となってバラバラに生きろ』です。伊藤野枝一遍上人の本も書かれている栗原康さんのこちらの著作。面白いです。栗原節というのだろうか、僭越ながら「機会があったら友達になりたい」などと思ってしまった。私も、栗原さんの友達になれるにふさわしい生き方をしていきたい。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

※※※ こちらの本は、大阪府にわたりました ※※※

 

ほんとのところ、だいじなのはこれだけだ。いつだって、なんどだって、これがただしいっていわれている生きかたをぶちこわすことができるかどうか。あたらしい生をつかみとれるかどうか。たとえ、それが予想外の結果をもたらしたり、マジっすか、それ大失敗じゃんってなっちまったりしたとしてもね。かまわずにやれ。おいら、マジメだからもう一回、いっておくよ。ただしいモラルをふりかざして、はじめからなにもおこらないようにしてしまうのはもうやめよう。だれかが失敗したら、おまえがわるい、おまえがわるいっていって、よってたかって問いつめて、謝罪させようとするのはもうやめよう。こりゃダメだァっておもったら、ヒャッハー!っていって、わらいとばせばいい。いつだって、こころの奥底にあるそういうユーモアをもっていることができるかどうか。きっとそれが、なんどでもあたらしい自分にであえるかどうかの分かれ道なんだとおもう。

栗原康『アナキズム』【岩波新書

 

無一物で、ニッコリ笑う。

f:id:ibaya:20181218131916j:plain

GIVE & DIE


先日、那覇市内でイタリアンレストランを営む方からご連絡をいただいた。「これもなにかの御縁!」ということで、昨夜、お店にお邪魔をさせていただいた。最高に素敵なお店だった。料理も半端なく美味しかった。オリーブオイルに島とうがらしを長時間かけてどうのこうのした特製オイルと、名物マルゲリータ・ピザの相性は群を抜いていた。私は、そこに那覇在住の友達と一緒に行った。友達とは「GIVE&TAKEよりもGIVE&DIEの方が面白いよね」などと話していた。絶滅危惧種は大事にされる。だから、我々も大事にされたかったら絶滅危惧種になるしかない。「よし、絶滅しよう!」的なことを話していた。ら、その会話を聞いてくれていた店主さんが、メッセージ付きのデザートを差し出してくれて我々は震えた。

 

雰囲気最高の店主さんは言った。「坂爪さんのブログをずっと読んでいて、いつか、自分も坂爪さんの一助になる女神様的な役割をできたらいいなあって思っていたのです。坂爪さんは、私のことを優しいとかって言ってくれるけど、多分、多くの人たちは『優しいから』坂爪さんを助けるんじゃなくて、ただ、単純に『面白いから』なにかをしてあげたい、『面白いから』坂爪さんの世界に自分も参加をしてみたいって思うのだと思います。だから、自分もそれに参加をすることができて嬉しいです。」と。私は、もう、むはぁって声に出して唸ってしまった。優しいからじゃない。ただ『面白いから』何かをする。そこに損得勘定とか合理的ななにがし、みたいなものはまったくない。言うなれば『遊び』として、私の日々に参入をしてくださる店主さんの存在を猛烈にありがたいと感じた。

 

無一物でニッコリ笑えるだろうか。思えば、私はこれの挑戦(?)をしているように思う。なにかがあるから幸せ。金があるから幸せ。家があるから幸せ。安定した収入があるから幸せ。幸福な家庭や、立派な肩書きがあるから幸せ。これでは普通だ。別に普通が悪いとは言わない。ただ、私は「なにもなくても笑えるか」「無一物でもニッコリ笑えるか」の勝負(?)をしているのだと思う。何かがあるから安心、というのは『これがなくなったらたちまち不安になる』ということでもある。何かを通じて自分を誇るのではなく、あらゆるものを剥ぎ取った後に残る、真っ裸の『自分』を誇りにできるように。無一物で、ニッコリ笑う。そんな姿を想像する時、私のハートはゾクゾクする。あるから元気じゃ、普通すぎる。「こいつ、なにもないくせに妙に元気だ」と思える人間は、大げさな言葉で言えば希望になり得ると思う。

 

 

https://www.instagram.com/p/BreEXNPH7vy/

渡部篤郎より愛を込めて。

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

f:id:ibaya:20170719083418j:plain

LINE ID ibaya

もっと生きろ。

f:id:ibaya:20181216164131j:image

 

久高島の夕日を眺めている。大阪在住のS様から「沖縄に行きたいのだけれど行く時間を作れないから、代わりに行ってきて!交通費を出すから!」とご連絡をいただいた。昨日は、桜坂劇場岡本太郎を鑑賞し、珈琲屋台ひばり屋さんで強烈に癒され、大東そばと大東寿司のセットを喰らい、首里城近くまで自転車をかっ飛ばしてセンスの良い金物細工を購買した。そして、今日、S様が愛する久高島に到着をした。沖縄を愛する人の遠隔操作で、マリオネットのように日々を動く。結果、自分も沖縄を好きになっている。沖縄の魅力を、遠くS様から教えてもらっている。

 

 

那覇から安座真港まで自転車で移動をした。猛烈な気持ち良さを感じた。12月の沖縄は最高だ。ハワイに勝るとも劣らない魅力がある。さとうきび畑の中を自転車で駆け抜ける時間は、たまらない喜びを覚えた。久高島のキャンプ場は500円で利用できる。道中のスーパーでゆし豆腐や納豆や沖縄そばを買い、野営に備えた。しかし、野営道具はクッカーとアルミシートくらいしか持っていない。蚊の襲撃を受け、これは眠れないかもしれないと思っていたら「素敵な民宿が久高島にあるので、よかったら予約をしますよ」と横浜在住の女神様からご連絡をいただいた。

 

ibaya.hatenablog.com

 

もっと困れ。

f:id:ibaya:20181216164100j:plain

民宿SAWA。素晴らしすぎる。

 

横浜の女神様が用意してくれた部屋が最高だった。きめこまやかな気配りが随所に散りばめられた空間で、女将様の人柄も素晴らしい。適度な距離感で「もてなさないのがおもてなし」的なご対応が猛烈に気持ちいい。一目で惚れてしまった。久高島に向かうフェリーに乗る直前、与那原在住のI様が急遽見送りに来てくれた。I様は、化学物質過敏症だ。綺麗な場所でしか暮らせないため、数ヶ月前に沖縄に来たものの次の場所を探す必要に迫られている。それで「熱海の家を使わせてもらえたらうれしい」とのこと。私は、是非使ってくださいと答えた。そして「同じような症状に悩む人々にとって、居心地のよい場所になったらいいと思う」と話した。

 

f:id:ibaya:20181215175526j:plain

ゴリゴリの石畳。電動自転車は高確率で死ぬ。

 

首里城に向かう道中のオフロードでタイヤが破裂をして階段を登る時に担ぎ上げた電動自転車が思いのほか重く足元の重心が乱れ、履いていた下駄が真っぷたつに割れた。裸足になって自転車を漕ぎ続けて二時間後くらいにたどり着いたダイソーで250円のサンダルを購買した。昼間の沖縄は真夏だ。汗がだらだら流れる。バスにはない苦労が、自転車や徒歩には付き纏う。しかし、トラベルの語源は『トラブル』から来ている通り、普通じゃない体験をした記憶が思い出になる。戦時中に無人島で生き延びた横井庄一さんという男性がいる。28年間に及ぶ無人島生活をひとりで耐え抜き、帰国後、彼が出版した本のタイトルは「もっと困れ!」というものだった。困ることで知恵が出る。だから、積極的に自分を困らせることで人間は勇敢になる。そういう趣旨の内容が書かれている(のだと思う。私は未読だ)。

 

f:id:ibaya:20181215175521j:plain

高台からの眺望。自転車ならではの風景。

 

f:id:ibaya:20181216164056j:plain

今日の晩御飯。豆腐は体に良いと聞いた。

 

f:id:ibaya:20181216164119j:plain

久高島のキャンプ場

 

f:id:ibaya:20181216164114j:plain

コーヒーを飲む。

 

f:id:ibaya:20181215175538j:plain

日光浴する猫

 

https://www.instagram.com/p/BrcKlk0nvE1/

那覇〜与那原〜久高島


12月23日(日)には、ごちゃまぜの家でわたり食堂【0円食堂】を開催する。多分、今回の目玉はUTMさんになるのだろう。UTMさんは、今、ごちゃまぜの家の裏の森でダンボールハウス生活をしている。昨日、那覇のひばり屋さんを見て「これは本当に素晴らしい!こういうことを横浜でやりたいのだ!」と強烈に思った。青空カフェを作りたい。同時進行で青空書房も作りたい。無料の本屋@森と、無料の喫茶店@森。移動を続ける日々のメリットは、各地で発想のヒントをもらえることだ。足を運ぶ先々でアイデアを拾い、戻ったらそれを実際に形にしたり試したりする。私の場合、熱海、横浜、長野に家や土地がある。非常に恵まれていると思う。私は幸せ者だ。この幸せを、周囲の人々とわかちあっていきたいのだと思った。

 

【EVENT詳細】わたり食堂【0円食堂】

 

gochamaze.hatenablog.com

 

わたり文庫『沖縄文化論』

f:id:ibaya:20181215175533j:plain

 

今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、岡本太郎著作『沖縄文化論 忘れられた日本』です。こちらの本は、大阪のS様から譲り受けた一冊になります。これを読んだらきっとあなたも沖縄に足を運びたくなると思います。そして、いま、実際に久高島に足を運んでいる坂爪圭吾に強烈な嫉妬心を覚えることになるでしょう。ふふふ。みんなもどんどん好きなことをやってもらえたら嬉しいと思う。そして、その土産話を聞かせて欲しい。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※

 

日本残酷物語』に、柳田国男氏の「山の人生」の一節が収録されている。

美濃のある炭焼きの話である。

「女房はとっくに死んで、あとには十三になる男の子が一人あった。そこへどうした事情であったか、おなじ年位の小娘をもらってきて、山の炭焼小屋でいっしょに育てていた。なんとしても炭は売れず、なんど里へ降りても、いつも一合のコメも手に入らなかった。最後の日にも空手でもどってきて、飢えきっている小さい者の顔を見るのがつらさに、すっと小屋の奥へはいって昼寝をしてしまった。

眼がさめて見ると、小屋の口いっぱいに夕日がさしていた。秋の末のことであったという。二人の子どもがその日当りのところにしゃがんで、しきりになにかしているので、傍へいって見たら一生懸命に仕事に使う大きな斧を磨いていた。阿翁(おとう)、これでわしたちを殺してくれといったそうである。そうして入口の材木を枕にして、二人ながら仰向けに寝たそうである。それを見るとくらくらとして、前後の考えもなく二人の首を打ち落としてしまった。それでじぶんは死ぬことができなくてやがて捕えられて牢に入れられた。この親翁がもう六十近くになってから、特赦を受けて世の中へ出てきたのである。そうしてそれからどうなったか、すぐにまたわからなくなってしまった。」

私はかつてない衝撃をうけた。ー 人間生命の、ぎりぎりの美しさ。(中略)沖縄物語を展開する前に、こんな山奥の炭焼きの話をひいたのは、まさにこの島の生活、その基底にこそ、そのような生命の感動が生きつづけているからだ。

岡本太郎『沖縄文化論 忘れられた日本』【中公文庫】

 

もっと生きろ。

f:id:ibaya:20181216185049j:plain

久高島の夕日

 

ミケランジェロピエタという彫刻作品をご存知だろうか。聖母マリアがボロボロになったキリストを抱きかかえている彫刻作品だ。最近、この、ピエタのイメージが何度も脳裏をよぎる。画像を保存して毎日眺めているくらいだ。ピエタを見ると「お前も安心してボロボロになれ」と言われているような気持ちになる。聖母子像から「大丈夫。骨は拾うから」と常時見守られているような、そんな感覚を覚えるのだ。私は男で、結構強がったり虚勢を張ったりなんだりしながら生きているが、結局、最後は女に抱かれて終わるのかもしれない。女はすべてを知っていて、知っている上で放置をしてくれている。そういうことを思う時、よし、それならば生きている限り生きていこう。ボロボロになるまで自分を使い果たしてやろう。そう思う。女性的な優しさや励ましに背中を押されながら、私は、今を生きている。

 

相変わらずおばあちゃんにモテる。昨日、那覇の食堂で出会ったおばあちゃんに話しかけられた。「あらまー、あなたは食べっぷりがいいわね!でも、もっと食べた方がいいわね。痩せているから。最近の若い人は肉食でしょ。野菜をもっと食べなさい。あとは豆腐。島豆腐。ゆし豆腐は最高だよ。あとはお味噌。味噌汁も飲みなさい。黒砂糖もいいわよ。私は戦争を経験しているから、戦時中は黒砂糖なんてまったく食べられなかったんだから。昔、私、鉄砲で打たれたことがあるの。喉元を鉄砲の弾がバーン!って貫通して、背中から出て行ったんだから。でもね、私、その穴に塩と豚の脂を塗ってなおしたの。昔のひとは知恵があったの。だから治せたのよ。こういう話を孫にするとね、孫は『おばあちゃんは原始人みたいだね』って言うの。私、原始人なんだって。ひえぇっ、ひえぇっ、ひえぇっ!(笑い声)」

 

今、民宿の側ではこどもたちが遊んでいる。笑い声が、小鳥の鳴き声みたいだ。誰もが、小さな頃は無垢で純粋な笑い声を世界に響かせていたのだろう。それが、大人になるにつれて笑い声が濁ったり、笑顔が歪んだり、真っ直ぐに笑えなくなったりする。沖縄の人々、とりわけ、久高島の人々にはその濁りがない。岡本太郎は、沖縄の人々を『底なしに善良』と表現した。純粋なものに触れた時、自分は、自分の汚れを知る。自分をボロボロにしたいと願う気持ちは、内側にこびりついている薄汚れた壁を、見栄の壁を、虚勢の壁を、嫉妬の壁を、比較の壁を、無意味の壁を、無価値の壁を、一枚一枚引き剥がしていきたいと願う、魂の喘ぎなのかもしれない。何もない場所に置かれるほどに、自分の命が際立って見える。心臓の鼓動。呼吸。星空の瞬き。いま、この瞬間も『命は生きたがっている』のだと思う。

 

 

https://www.instagram.com/p/BrZNFFHnmj2/

filtered sunlight

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

f:id:ibaya:20181202094850p:plain

LINE ID ibaya

いいことを書こうとするな。ただ、自分であれ。

f:id:ibaya:20171025153051j:plain

 

今日14日18時頃に那覇空港に到着する。基本的に『死ぬ事以外予定なし』の我が身。沖縄でお会いできる方はお気軽にご連絡ください。横浜のごちゃまぜの家は新展開を迎えた。家と金と仕事を失って「俺もいよいよ路頭に迷うのか」と比較的ガチで隅田川で暮らすことを考えていたUTMさん(44歳男性)が、急遽、ごちゃまぜの家の裏の森にテントを張って暮らすことになった。多くの人々は、未来に対する不安を抱いている。仕事を失ったらどうしようとか、路頭に迷ったらどうしようとか。UTMさんにとって、路頭に迷うことは恐怖ではなく『ただの現実』になった。

 

 

UTMさん風味の人間は大量にいると思う。私も同じだ。職業安定所に行ってもやりたいと思える仕事なんてない。選択基準は「わくわくするかどうか」なんて生易しいものじゃない。基本的にどれも嫌で、なんとなく「これが一番ましだ」みたいな選び方になる。週五日勤務も辛い。せいぜい週に一日か二日程度が限界だ。そもそもで雇われることに対する苦手意識がすごい。経済的な安定と精神的な安定が比例をしない。強制されると死亡をする。履歴書を書くくらいなら遺書を書きたい。そういうことを言うと、お前は社会不適合者だと言われる。こういう人種に、月額二十万円前後を稼ぎ続ける道理があるはずもないので「どうすれば低収入でも生きていけるか」的な方向に思考は飛ぶ。UTMさんは、テント暮らしをすれば家賃も0円だから月額三万円もあれば生きていけるかもしれない、という方向性に賭けた。

 

ibaya.hatenablog.com

 

ごちゃまぜの森【明日は我が身編】

f:id:ibaya:20181214080405j:plain

 

なにもかもを失った時、男性は路頭に、女性は風俗店の待機部屋に向かう傾向があると聞いた。『路上にいないホームレス』とか『見えない貧困』という言葉もある。ホームレスになるよりは数倍マシ、という理由で風俗店に勤め始める女性も多い。なるほど、これはうなずける話だと思った。男は体を売る代わりに体を張る。女は体を張る代わりに体を売る。やりたくてやるなら問題ないが、やりたくないなら世知辛いと思う。好きでもない異性と性行為をするときはどんな気持ちになるのだろう。自分はただの肉の塊だと自分に言い聞かせたりするのだろうか。『何か』を割り切るのだろうか。割り切るなんてできるのだろうか。私には、ちょっと耐えられない。しかし、耐えられないなどと言っている場合ではないのかもしれない。

 

gochamaze.hatenablog.com

 

昨夜、UTMさんと一緒に動画配信をした。途中、結構すごいことも話しているので暇な時間に見てみてください(私は何度も爆笑した)。UTMさんは数年前に事業で失敗して700万円の借金をこさえた。しかし、法テラスという無料弁護士相談所的な場所に行って借金を25万円まで減らした。現在、月額8000円程度の返済をしているところだ。UTMさんの長所は、何も隠そうとしないところだ。自分の汚点をてらいなく喋る。それを聞いて、我々も笑う。置かれている状態は結構絶望的なはずなのに、なぜか元気になる。笑いながら「UTMさんみたいな人も明るく生きていける世の中になればいい」と思う。坂爪さんの好意で自分は生かされている、的なことをUTMさんは何回も話した。しかし、私には好意でやっている自覚がない。UTMさんがこれから歩き出す人生に『面白さ』『楽しさ』『愉快さ』を感じている。

 

内海さんの連絡先とごちゃまぜの家の住所です。
 
メール
nb.utsumi@gmail.com
line
saiohasso
 
〒222-0012 神奈川県横浜市港北区富士塚2丁目24-5
 
内海さんへのお仕事依頼や引っ越し祝い、電話相談やリアル面会希望・テント見学希望など、常時受付中です!🌸🌸🌸

 

www.facebook.com

 

12月22日は大阪府生野区今里で『プライドの捨て方』がテーマのお話会をやる。私は思う。とりわけ、緊急時こそ人間は絶対に「一人にならないほうがいい」のだと思う。今、UTMさんは我々と一緒にいることで笑えている。問題は何も解決をしていない(ここがポイント!)が、なんだか楽しそうに生きている。人間はみんな弱いから、ひとりきりで問題を抱え込むと「俺は生きていけるのだろうか…無理だ…うわあ…死のう…」みたいな思考回路に絞殺される。こういう時、邪魔になるものはプライドだ。プライドと自尊心は違う。プライドを捨てても自尊心は残る。逆に、プライドを捨てることが『健全な自尊心を培う崇高な経験』にもなることがある。強く握り締めていた自分の力を手放した時、宇宙的なサムシングが「私の出番だね!」みたいな感じで、おかしな角度から救済の措置を差し伸べることがある。

 

12月22日・坂爪圭吾さんと語る「プライドの捨て方」と「愛ってなんだ」

 

わたり文庫『代表的日本人』

f:id:ibaya:20181214080358j:plain

 

今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、内村鑑三著作『代表的日本人』です。道に迷う時、自分が小さくまとまってしまいそうになった時、私はこの本を取り出します。読むたびに、新しい力を授けてくれる不思議な本です。登場人物の五人、どれも素敵な偉人たちです。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、愛知県にわたりました ※※※

 

『左伝』にはこう書かれている。徳は結果として財をもたらす本である。財はそれにしたがって生じる。徳が少なければ、同じように財も減る。財は国土をうるおし、国民に安らぎを与えることにより生じるものだからである。小人は自分を利するを目的とする。君子は民を利するを目的とする。前者は利己をはかってほろびる。後者は公の精神に立って栄える。生き方しだいで、盛衰、貧富、興亡、生死がある。用心すべきではないか。

世人は言う。「取れば富み、与えれば失う」と。なんという間違いか!農業にたとえよう。けちな農夫は種を惜しんで撒き、座して秋の収穫を待つ。もたらされるものは餓死のみである。良い農夫は良い種を撒き、全力をつくして育てる。穀物は百倍の実りをもたらし、農夫の収穫はあり余る。ただ集めることを図るものは、収穫することを知るだけで、植え育てることを知らない。賢者は植え育てることに精を出すので、収穫は求めなくても訪れる。

 

内村鑑三『代表的日本人』【岩波文庫

 

いいことを書こうとするな。ただ、自分であれ。

自分の中で決めたルールのひとつに「誰かを救おうとしない」というものがある。過剰な正義感は、時に価値観の押し付け【暴力】になる。私は、他人に何かを強制したり、自分と同じであることを期待したいとは思わない。自分のためにやることが、結果的に誰かのためにもなったら幸運だと思う。UTMさんの最大の長所は『素直であること』だ。私はそう思ったし、人間、素直であること以上に重要なことはないとさえ思った。だからこそ、UTMさんと話した時、私は「いかに遊べるか」に集中した。絶対に「どうすれば救えるか」とか「どうすれば力になれるか」とか「どうすれば苦しみに寄り添えるか」みたいな思考をしないように意識をした。

 

私は文章を書く。こうして自分の思いを『誰か』に伝える。その営みによって生かされている実感があるし、私の文章を見て「どうすれば坂爪さんみたいな文章が書けますか」と問われることも多い。このようなことを聞かれる時、質問する側の人間は「どうすればうまい文章を書くことができますか?」的なことを聞いているような感覚を覚える。私は思う。いいことを書こうとするからダメなんだ。いいことも、悪いことも、全部ひっくるめての自分なんだ。だから、全部書け。いいことを書こうとするな。ただ、自分であれ。その純度が、それに触れた人間の純性に波紋を起こし、なにかしらの啓発や行動に繋がるのだと思う。いいことだけを書こうとしたら、自分の調子が悪いとき、なにも書けないことになるじゃないか。それはちょっと違うだろう、と。いい部分も、悪い部分も、全部ひっくるめての自分だ。自分をまるごと認めることが『プライドを自尊心に転換する』礎になる、と、思う。

 

動画の最後で、UTMさんはこう言った。自分は恵まれている方だと思う。今の自分よりもつらい状態に置かれている人はたくさんいるのだと思う。だから、もしも自分に力になれることがあったら遠慮なく連絡をして欲しい。話を聞くことくらいしかできないかもしれないけれど、自分にできることがあればそれをやりたいと思う。と。私は、この発言にUTMさんの聖性を見た。誰かに強制されたからではなく、内発的に、自発的に「貢献。誰かの力になりたいという思い」が湧き出してきた時、私は、そこにその人自身の聖性を見る。置かれている状態に関わりなく、人は、人の力になることができる。UTMさんは、新しい生き方の一歩を踏み出した。私は、ただの傍観者ではいたくないと思う。併走者でありたい。UTMさんが果敢な一歩を踏み出したように、自分も、自分なりの一歩を踏み出していきたいと思う。

 

 

https://www.instagram.com/p/BatXK8tjhjB/

はじめてそれを見たときのように。

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

f:id:ibaya:20181202094850p:plain

LINE ID ibaya

傷つく前に傷つくな。

f:id:ibaya:20181212112635j:image

 

神奈川県白楽のドトールにいる。数日前から「欧州に行きたい」と強烈に念じていたら、欧州に飛ぶための魔法のチケットを獲得した。日程は臨機応変。到着予定国も臨機応変。もしも欧州在住の方で「この国に来れば宿はどうにかなる」とか「この国に来たら軽いお話会などを開催できる」などありましたら、ご連絡をいただけましたら幸いです。小生、時間の融通はいくらでも効きます。こういう時、しみじみと「暇でよかったなあ」と思う。必要であれば、明日にでも欧州に飛べる。

 

 

すべての感動的な物語は「旅に出る。なにかを得る。帰還する」の要素で成り立っている。桃太郎であれ、ワンピースであれ、ロードオブザリングであれ。これは、私たちの人生にも当てはまるのだろう。男性的な意味での冒険と、女性的な意味での冒険は異なる。冒険とは、世界に飛び出すことだけではない。出産もひとつの冒険だし、男性には真似することも、おそらく耐えることさえもできない冒険だ。私は男で、子宮をもたない。出産をすることができない。だから、外に出たいと思うのかもしれない。昔、ある人がこんなことを言った。男はバカだから全部を経験しないとわからない。しかし、女性は一部に触れただけで全体がわかる。だから、すべてを経験する必要はないのだ。と。なんとなく、わかるような気がした。

 

ibaya.hatenablog.com

 

ごちゃまぜの家。

欧州の国々を巡れたら幸せだ。パリの公園でフランスパンをかじるだけで、昔、最大級の幸せを感じた記憶がある。音楽と記憶は強烈に結びつき、ある音楽が流れると、ある風景が瞬時に蘇る。私は、雨が降ると憂鬱になる。これは、幼少期、雨が降ると友達の家に遊びにいくこともできずに家でひとり退屈な時間を過ごしていた、その記憶と結びついているのかもしれない。雨の音も音楽で、海の音も、風の音も音楽だ。私は海が嫌いだった。学校に馴染めず、私はいつもひとりで海にいた。波音は「お前は孤独なんだ」と言っているように聞こえていた。海は孤独の象徴だった。しかし、数年後、新しい友達に海の遊び方を教えてもらってから、私は海を好きになった。私は海が嫌いだった訳ではなかったのだ。そう気づいたのは随分あとになってのことだった。私が嫌いだったのは、自分自身だったのだ。

 

普通に生きているような人でさえ、何かしらの問題を抱えている。問題の多くは家庭環境、その人自身の家族に起因することがわかる。愛されたいように愛されなかった記憶、愛したいように愛せなかった記憶、乱暴にまとめるならばさみしさを蓄積させた結果、人間は病気になったり、精神を患ったり、健全な自己肯定感を抱くことができなくなる。私だって例外ではない。どこかしら、致命的なバグを抱えて生きている。誰もが狂っている部分を抱えながら、うまい具合に折り合いをつけたり、呼吸ができる場所を見つけて、いまを生きているのだろう。バグを抱えていることはおかしいことじゃない。きっと、当たり前のことだ。そう思えた時、自分だけではないのだという知覚は、心の重荷を軽くする。弱さは悪いことではない。弱いからこそ、欠落があるからこそ、人間は人間を必要とすることができる。

 

素晴らしい出会いは人生を肯定する。狂っている自分を肯定するもの、決して正しい生き方はできないけれど「俺の生き方は間違っていなかったな」と思わせてくれるもの、それは出会いだった。なぜ生きるか。その答えを私はまだ知らない。しかし、生きていなければ出会うことのなかった人間がいることは事実であり、彼らの存在を思うと、自分は自分の生き方に誇りを覚えることができる。悪くないな、と、ニヤッとすることができる。人間を疲れさせるものが人間ならば、人間を救い上げるものもまた人間だ。彼らの存在は、私にひとつの教訓を与えてくれた。それは「人間は変われる」という教訓だ。いまいる場所に不満があるならば、人間は、自分の意思でそれを変えていくことができる。舵を握るものは常に自分で、止まることも、歩き出すことも、生きる自由も、死ぬ自由も、選択権は自分にある。どのような状態に置かれても、我々は、常に自由であることを思い出させてくれる。

 

www.msmcmtmr.net

 

わたり文庫『ストレイト・ストーリー

f:id:ibaya:20181212112641j:plain

 

今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、村上龍著作『ストレイト・ストーリー』です。アルヴィンという高齢の男性が、仲違いをしたまま危篤になった兄と仲直りをするため、芝刈り機に自作のモービルハウスを連結させて長距離の無謀な旅に出る物語です。20歳前後の頃、村上龍にどはまりをして、村上龍ばかりを読んでいた時期がありました。10数年振りに読み直したこの作品は、言葉にならないほどに素晴らしかった。クリスマスプレゼントに、何を贈るか迷う人は試しにこの本を読んでみてほしい。きっと、誰かに贈りたくなる一冊になると思います。私の大好きな一冊です。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、大阪府にわたりました ※※※

 

「引っ張っていくには、お、お、お、重すぎるわ。父さん。それは芝刈り機なのよ。本気で、芝刈り機に乗って、州を越えるつもりなの?」

アルヴィンは遠くを見つめていた目をローズに戻した。

「ライルに会いに行くよ。ローズ。自分の力でね。わかるだろう?」

そうね、とローズはうなずいた。アルヴィンは決めたことは必ず実行してきた。その決定が明らかに失敗だったことも数多くあった。失敗のほうが多かったはずだ。今度も失敗するかもしれない。だが、いずれ近いうちにアルヴィンには失敗も成功もできなくなるときがくるだろう。だから、ローズは、そうね、と答えるしかなかったのだ。

「空を眺めてごらん、ローズ。今夜は星が綺麗だな。満点の星だ」

アルヴィンがそう言って、二人は夜空を眺めた。 

 

村上龍ストレイト・ストーリー』【集英社

 

傷つく前に傷つくな。

定職も、定収入も、定住先もないまま、移動を続ける日々を過ごしている。先日、私を見た人が「勇気がありますね」と言った。私に勇気があるのかないのか、よくわからない。感じているのは必然性で、私は、大量の選択肢があるなかからいまの生き方を選んだわけではない。色々やってみたけれどどれもこれもまったくダメで、どうにかこうにか、いまの生き方がはまったことによって生き延びることができている。『いまの生き方』というものを、言葉で説明することは難しい。多くの人々が『ある』を求める中で、私は『ない』に賭けている。私には何もない。肩書きもなければ社会的な信用もない。どこにでもいるようで、どこにもいない、野良猫のような一匹の雄だ。決して褒められたものでもなければ、人様に偉そうに話せることなんてなにもない。ただ「自分はこうです」というだけの話なのだろう。

 

人々と話す中で「前提が違うな」と感じることは多い。どうすればあなたのようにうまくやれるのか。どうすればあなたのように人々のご縁の中で生きていけるのか。など。そういう風に問われることは多い。私は、多分、どうすればうまくやれるのかという考え方で生きていない。真逆で「これでだめなら死ねばいいのだ」と思っている。やりたいことをやって、それがだめになった時は、死ねばいいのだ。それだけの話だ。そう思いながら生きている。無論、死にたいと思っている訳ではない。生きていたい。生きられるだけ、生きていたい。命を燃やしていたい。生きている実感を感じていたい。だから、自分がやりたいと思うことは精一杯にやりたい。逆に、自分がやりたいと思うことでなければ、私は精一杯になることができない。自己責任。そんな言葉が頭をよぎる。自己責任とは、他人に強制するためのものではなく、自分を律するための崇高な理念だ。私は、私の人生に責任がある。

 

傷つく前に傷つくな。傷つくことを恐れる気持ちが、自分自身を傷つけている。大事なことは、いつか、傷つくことさえもできなくなる日が来るということだろう。失敗することも、後悔することさえもできなくなる日が、必ず来る。すべての瞬間に終わりがある。時の流れを、出発しようとする人間を止めることはできない。そう思って生きてきた。裸のままで生まれてきて、人生を終える時は、裸さえも捨てていく。煙になるのか、土に還るのか、海に還るのか、そのすべてになるのだろうか、それは知らない。いま、この瞬間も、出発することを迷う人、出発するものを引き止めたいと願う人、出発することを誓う人、いま、まさに出発をしている人など、様々な人々がいるのだろう。ひとつひとつの出発に、光あれと思う。出発する人間は、見送る側の人間に、健やかな自立を促す。やがて、私たちは、一人の例外もなく最後の出発の日を迎えることになるだろう。その瞬間まで、光あれと思う。

 

 

https://www.instagram.com/p/BrRTVGWHVe8/

雨上がり。

「もし今ボクが引き返したら、もう二度とここへこようという勇気はおこらないだろう。ボクは一生のあいだしげみの外をめぐりながら、中にはいる勇気がなかったんだと自分にいいきかせることになるだろう。」

ムーミン谷の名言集

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

f:id:ibaya:20181202094850p:plain

LINE ID ibaya

あせらず、あわてず、たのしんで。

f:id:ibaya:20181127082823j:plain

京都府丸太町のガストにいる。昨日は漫画喫茶で眠った。誰でも無料で立ち寄れる『ごちゃまぜの家』という活動(?)をやっているが、やはり、時折ひとりになりたいと思う。冬の京都は底冷えが凄い。誰もいない夜の街中を歩きながら「誰でも無料で立ち寄れる家とかあったらなあ。そうすれば俺も眠れるのになあ」などと思った。しかし、冷静に考えると「それはまさに俺がやっていることじゃないか」と思った。なんという自己矛盾だろう。俺はなにをやっているのだろうかと思った。

 

 

昨夜、京都の八瀬で『カンタ!ティモール』という自主制作映画を見た。東ティモールインドネシア軍の侵略によって国民の三人に一人が殺される大虐殺を受けた。が、ティモールの人々は報復する代わりに円陣を作り、肩を組み、団結を誓い、歌を歌い、踊りを踊った。闘うとはどういうことか。この問いに対する東ティモールの人々の答えは、武器を取ることでもなければ報復を誓うことでもなく『連帯する』ことだった。それにより、三十年近い虐殺の日々の果てに、東ティモールは奇跡とも呼ばれる独立を果たした。彼らは言う。愛する人々を喪った悲しみは消えないが、怒りはない。敵を恨む気持ちはもうない。死は犠牲だったのだ。と。

 

ibaya.hatenablog.com

 

金ってなんだ。

東ティモール沖には油田がある。それを巡って戦争が起こる。要するに金の問題で、利権欲しさに戦争が起きる。というロジックがある。なるほど、言われてみれば確かにそうなのかもしれない。戦争反対論者は言う。人生は金じゃない。だから、いますぐ戦争をやめるべきだ。と。しかし、私は思う。戦争をやめるべきなのは、なにも政治家だけの仕事じゃない。私たちひとりひとりが戦争をやめなければ、なにも変わらないだろう。無論、今の日本で実際に血を流すような争いはない。が、金のために嫌な仕事もやらなければならないとか、売りたくもないものを売らなければならないとか、過労になったり(戦死者を超える数の)自殺者がいる状態は、新種の戦争だと思う。金に生き、金に殺される人間は少なくはない。

 

金ってなんだ。頻繁に思う。お金じゃないよね的な活動をしている人々は年々増えている。が、彼らも「人生は金じゃない」と言う半面で「金がなければこの活動を続けていけない」という葛藤に苦しむ。結果、活動を継続するために金を求める。金じゃない!ということを訴える活動に参加費が必要になり、金じゃない!ということを訴えている空間で自然素材の商品やフェアトレードのなにかを有料で売る。結局、金が生命線になっている。不思議だし、矛盾だし、仕方がないのかなとも思う。多分、私たちは金に変わる『新しい価値』を求めているのだと思う。しかし、その『新しい価値』がなんなのかを知る人は少ない。だから、口先では「金じゃない」などと言いながらも、活動のため、生活のため、生きるために『嫌なことでも嫌々やらなければならない』世界を抜け出すことができない。結果、戦争は続く。

 

誤解されると困るが、私は金を否定したいわけでも人間の欲望を否定したい訳でもない。空海は「小欲より大欲。小我より大我」的なことを言っている。人間、我欲を捨て去ることはできない。だからこそ、どうせならば「小さい欲望よりも大きな欲望を、世界を変えてしまうくらいの欲望【大我】を抱け」的な意味合いなのだと私は解釈をしている。映画を見ながら、私は、裸足で生きるスラムのこどもたちの凛々と輝く瞳に胸を打たれた。大人も、子供も、非常にいい顔をしていた。表情全体から「生きている」ことの躍動が伝わってくる。私は、キャリアとかセルフブランディングとか自己投資などという言葉が嫌いだ。自分のことしか考えていない器量の狭さ、不潔さ、ケチ臭さを感じるからだ。私は、なぜ、ごちゃまぜの家をやっているのだろうか。私は、自分という概念を拡張したいのかもしれないと思った。

 

 

gochamaze.hatenablog.com

 

わたり文庫『いま、生きる力』

f:id:ibaya:20181210101150j:image

 

今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、岡本敏子著作『いま、生きる力』です。好きな女性のタイプを聞かれたら、これからは「岡本敏子さんです!」って胸を張って言いたい。男は女をけしかける。女は男をけしかける。結果、世界が豊かに膨れ上がる。こんなにも素敵な女性が過去の日本に生きていたということは、もう、希望でしかないと思う。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、三重県にわたりました ※※※

 

みんな自分を輝かしたい。ぼくは、私は、もっともっと凄い力を秘めているのに、誰もわかってくれない、と密かに口惜しい思いを噛みしめている。

ならば、うじうじしていないで、そのように振る舞うべきよ。

平気じゃないの。誰に遠慮しているの?

小さいときからまわりを見て、みんなから外れないように、周囲の人たちと同じように、合わせてゆくことばかり強制される。人と違うことを言ったりやったりすると、それだけでハグレ者。ノーマルに世の中を渡ってゆけない落ちこぼれと扱われてしまう。親も先生も何とかして“マトモ”にしようと躍起になるし、友達からはイジメにあう。イジメの悲惨さに耐えかねて、自殺してしまうこもあとを絶たない。

でも考えてみてください。

みんなと同じであることが、そんなに尊いの?なぜ、同じでなければいけないの?

岡本敏子『いま、生きる力』【青春出版社

 

あせらず、あわてず、たのしんで。

f:id:ibaya:20181121181019j:plain

 

京都にいるが、特段何もすることはない。いつものように呆然としていたら、大阪在住の女性から「私の代わりに久高島に行きませんか?交通費を出します!」という稀有なご要望をいただいた。坂爪圭吾の新しい使い方発見!だなあ。早速「是非!」と快諾をした。小生、数日後には沖縄にいるかもしれない。相変わらず、日々がとっ散らかっている。前回の記事で「ごちゃまぜの家をやりたい人がいたらご連絡ください!」などと自分から言っておきながら、連絡がきたらきたで「返信するのが億劫だ…面倒くさい…」などと自爆している。私はなにをやりたいのだろうか。時折、自分で自分がわからなくなる。一番面倒くさいのは自分だと思う。

 

メールよりもリアルに限る。先日、大阪であった女性が「坂爪さんに連絡するのは死ぬほど恐怖もあったのですが、前に『1日1F(1日に一回怖いこと【FEAR】をやる)』って坂爪さんが言ってて、よし、このタイミングしかないと思って連絡しました!」と話してくれた。素晴らしい意気込みだと思う。人間の気骨に触れると嬉しくなる。不思議な感覚だが、最近、初対面の人と会っても初対面だと感じない。初対面なのは最初の1秒くらいで、10秒以上一緒にいれば「もはや旧知の仲」みたいになる。人間は細胞分裂を繰り返していて、1秒前とは(それこそ細胞レベルでは)生まれ変わっている。だから、初対面だとしてもこのように感じることは別に変ではないのだろう。誰に会っても、最初の数秒間でだいたいわかる。あとはもう、すぐに(会話が盛り上がるかどうかは別として)旧知の仲になれる。

 

大阪で会った女性は言った。前に、坂爪さんがツイキャスで『よろしく浸ってんじゃねえよ理論』の話をしていて、ああ、私はすぐに自分の失敗とか弱さに浸ってしまってうじうじしちゃうタイプの人間だから、すごく刺さるし痛いなあって思いました。と。これを聞いた時は「俺って結構いいことを言っているんだなあ!あほだなあ!」って感動した。うきうきした。冬になり、どうしても寒さでカラダは閉じがちになる。しかし、寒さによろしく浸っている場合ではない。今日も、これといって予定はないけど折り畳み自転車を持ってきたから京都を散策したいと思う。夜はまた、漫画喫茶にでも行くのだろうか。どこでもいい。東ティモールの人から見たら、屋根があるだけで天国だ。感謝である。ありがとうございます。あせらず、あわてず、たのしんで。どうなるかわからない人生を、楽しんでいきたいと思う。

 

 

https://www.instagram.com/p/BrMEWrQHSrf/

あせらず、あわてず、たのしんで。

「だらしがないことも、時には役に立つんだねえ。」

「おまえたち、ほんものの冒険家として、生きるのだよ。それを決して忘れてはならないよ。」

「わしはしばらく眠るよ。ちょいちょい、眠ってる間に、問題が自然に解けることがあるものな。頭はほったらかしにしておくと、よく働くものなんだ。」

ムーミン谷の名言集

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

f:id:ibaya:20181202094850p:plain

LINE ID ibaya

自分の聖性に忠実でありたい。

f:id:ibaya:20181208081814j:plain

 

車で京都から長野に行く予定が、運転手予定の女性(まだ会ったことはない)から「ごめんなさい!やっぱりこわくなったので行けません!」と直前にご連絡をいただいた。いまの私が坂爪さんに会ったら悪い影響を与えてしまいそうで、とのこと。この気持ち、ものっそいわかる。直前になっておそろしくなって逃げ出したくなる気持ち、ものっそいわかる。だがしかし、小生、すでに車の同乗者を集めてしまっていた。やばい。どうしよう。禿げちゃう。ここで神様が降臨した。「それならば僕が車を出しましょう!ジャジャーン!」とスーパーヒーローが登場をした。

 

 

ブログには書けないことが多すぎる。が、人生はうまくできているものでどうにかなった。結果、京都から長野を経由して今は横浜にいる。長野では森ジムの開墾に邁進した。色々ありすぎてまとめられない。関西では「自分もごちゃまぜの家みたいな無料で家を開放するみたいなことをやりたいとは思うのだけれど、周囲から『馬鹿者!できるわけないだろ!』と言われまくるから困る」と話す人々に複数名会った。私は思う。毎日じゃなくて「一ヶ月のうちの1日とかだけでも、その空間をごちゃまぜの家みたいにする」とかどうだろうか。それなら負担も少ないし、全国にごちゃまぜの家支部的なものを作ることができる。私を客寄せパンダに使って欲しい。やがてはごちゃまぜの家甲子園みたいなこととか、やりたいなあと思う。

 

ibaya.hatenablog.com

 

生き埋めになりたい。

f:id:ibaya:20181208082859j:plain

森ジムにハンモックをぶらさげて遊ぶ。

 

アナスタシアという本を読んだ。なんでも「野菜の種は植える前に9分間舌の下にいれておくと自分の体内情報が種に伝わり、あなたに適した野菜ができる」的なことが書かれていた。私は「こ、これは!」と思った。なんだかありそうな気がした。今、一応、ごちゃまぜの家的なものが横浜と熱海と長野と佐渡島の四箇所にある。私は、一回、これらの土地に丸一日生き埋めになった方がいいのだと思う。砂浴という健康法がある。砂が毒素を吸い出してくれるように、土も毒素を吸い出してくれそうだ。私の体内情報がその土に伝われば、より一層『その土地と仲良くなれる』ように思う。体を這い回る虫たちは毛穴の汚れを除去するらしい。そんなことってあるのだろうか。ありそうな気がする。土の中は寒いのだろうか。それとも意外と温かいのだろうか。最近は生き埋めになることばかりを考えている。

 

f:id:ibaya:20181208082852j:plain

森カフェもオープンしました(文字盤をいただきました!)

 

森ジムを面白がってくれる人がいてくれることが奇跡だ。誰にも理解されないと思っていた。鉈や鋸などの刃物類をいただいたので、森を開墾して道を開いた。若い女性でさえ「手伝いたい!」とか「泊まりたい!」とか言う人がいるから昨今の女性は勇敢である。今、日本全国に空き家や空き地が増えている。見捨てられた土地を見ると残念に思う。有効活用のひとつの手段として、私はごちゃまぜの家(ごちゃまぜの森)を提唱したい。誰でも無料で使えるように開放すること。人間の善意でまわすこと。とか言うと「経費はどうするんだ!」とか「泥棒がきたらどうするのだ!」的なことを言われまくる。これは、やってみればわかる。逆に、やらなければわからないことをやる前に説明することは(佐渡島に行ったことがない人に佐渡島を説明することと同じように)無理だ。だから、私は説明をしたくない。

 

f:id:ibaya:20181208082842j:plain

屋外で料理をすると楽しい。玄米餅を食べました。

 

12月8日&9日は横浜のごちゃまぜの家で無料カレーが食べられる。是非、一回目撃してください。また「自分の家をごちゃまぜの家みたいにしたかったのよ!」的な方がいたら、是非、お気軽にご連絡ください。全国47都道府県(+海外)にごちゃまぜの家ができたら嬉しい。管理人同士の連携プレーが生まれたら楽しい。家に限らず空き地でもいい。海も山も森も活用したい。呼ばれる限り何処にでも行く。時間は(死ぬまでならば)ある。家賃の為に嫌な仕事でも嫌々やらなくちゃいけないみたいな前提を吹き飛ばしたい。や、別にどうにもならなくてもいいのだけれど、生活の不安が薄くなれば「人間はもっとダイナミックに生きることができる」ように思う。そうすれば、世界の熱量は高まる。結果、いまよりももっと一緒に遊べる人たちが増える。私は、単純に、遊びながら生きたいのだ。

 

gochamaze.hatenablog.com

 

わたり文庫『荒野へ』

f:id:ibaya:20181208081808j:plain


今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、ジョン・クラカワー著作『荒野へ』です。男性におすすめです。この本は、アラスカの荒野に単身分け入り、四ヶ月後に腐乱死体となって発見された若者クリス・マッカンドレスにまつわるノンフィクションです。男なら、誰もが一度は冒険に憧れたことがあると思う。その初心みたいなものを、消しても消しても消しきれない野生みたいなものを、ページをめくるたびに呼び起こす一冊になると思います。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、岡山県にわたりました ※※※

 

私は変化がほしかったのであり、平穏無事な生活など望んでいない。刺激と危険と、それに愛するもののために身を捨てる機会をもとめていたのだ。自分の内部には、エネルギーがありあまっていて、われわれの静かな生活には、そのはけ口がなかった。

 

レフ・トルストイ『家庭の幸福』(クリス・マッカンドレスの遺体とともに発見された書物の一冊のなかで強調されていた一節)

 

ジョン・クラカワー『荒野へ』【集英社文庫】 

 

自分の聖性に忠実でありたい。

f:id:ibaya:20181208082912j:plain


京都から車を出してくれたスーパーマンY様も、今、横浜のごちゃまぜの家にいる。Y様は9日の朝に横浜を出て京都に戻る。この車、残り座席が2席ある。もしも「ちょうど仕事をズル休みして京都観光したかったのよ!」的な関東在住の方がいたら、お気軽にご連絡ください。Y様が無料で護送をしてくれる上に、伏見稲荷神社近くの素晴らしい宿泊先もあります。私はどうするのだろうか。私はこれからどうやって生きていくのだろうか。そういうことを考えると冬型の鬱病になるから考えない。人生は「どうにかする」ものではなく「どうにかなる」ものだと思い込む。自分の意思を超えて、思いもよらなかった場所に運ばれていくことが人生の醍醐味なのだと思う。

 

連絡先・坂爪圭吾

keigosakatsume@gmail.com

LINE ID ibaya

 

今、ごちゃまぜの家には「仕事と金を失った」内海さんが滞在している。先日、内海さんと話している時に、同席していた人が「雇用主の都合で仕事をやめさせられたのなら、損害賠償的なものを請求する権利があるんじゃないですか?」という鋭い指摘をした。が、これに対して、内海さんは「僕に請求する権利があったとしても、請求をしたいとは思いません」とはっきり答えた。私は、この、内海さんの回答を聞いたときになんだかホッと安心をした。見る人が見たら、取れる金があるのに取らないことは『もったいない』こととして映るのかもしれない。しかし、過去に何度も何度も何度も金の問題を目の当たりにしてきた経験を経て『身を滅ぼす金の使い方・金の稼ぎ方』というものがあることを知った。損得勘定で見れば損をすることでも、別の視点から見れば徳を積む(自分の純粋性を高める)ことに繋がる生き方がある。その生き方を、私は、内海さんと一緒に見出していきたいと思う。

 

カナダのモントリオールからメールが届いた。国境を超えてやりとりができることが嬉しい。巷では「自分を大事に」みたいなことが頻繁に言われるが、私は、結構逆のことを思う。自分を大事にするよりも、めっちゃつらいことをやりまくった結果「それ以外のことがほとんど楽勝になる」みたいな状態に自分を育む。そういう生き方があってもいいと思う(しかし、これは男性向けだと思う)。人間、生きているならばどうしても貫き通したいと思う筋があるはずだ。その筋は、貫けば貫くだけ自分を不利な状態に追い込むだろう。しかし、その筋があるからこそ、自分は自分として強烈に在ることができる。純粋性を守れば守るほど、この世界では生きづらくなる。周囲からも罵倒され、村八分の憂き目にも遭うだろう。しかし、生きづらいということは「自分は自分のままである」ことの最大の証明になる。直感が外れることは多いけれど、違和感が外れることは滅多にない。誰かに合わせる必要はないのだと思う。ただ、自分の聖性に忠実でありたいと思う。

 

 

坂爪さん、初めまして、こんにちは。
 
 
わたしは、○○○○と言います。
カナダのモントリオールに住んでいます。
 
わたしのところにも、あなたの命の光が届きました。
 
強く、たくさん感じることがあり、魂が伝えたい気持ちがあるのですが、
大きすぎて、ありがたすぎて、まだうまいこと言葉として現れません。
 
 
また書きますね!
 
ありがとう! ありがとう!! ありがとう!!!
 
会えるのも楽しみにしています。
 
 
ありがとう!!!!!!
 
 
今日も、今、この瞬間も、
あなたの命が、張り裂けんばかりに喜び、ありがたいなぁ〜と安堵し、
 
体の隅々が冴え渡り、生命力にみなぎり、心地よく軽やかに動き、
あなたの命の自然や資質を最大限に満喫されていますように。
 
関わる全ての、生きとし生けるもの、見えるもの見えないもの、
あるものないものと楽しく遊んでいますように。
 
 
 
 
○○○○より

 

https://www.instagram.com/p/BrGsDkYHzc5/

森ジム。

「みてるわよ、あなたがしていること。あのね、神様じゃないわよ。もうひとりのあなたがよ。もうひとりのあなたがたなたをみているのよ。見放されないようにね。嫌われないようにね。」

「新しい生活、その不安ね。大丈夫よ、全然、大丈夫よ。いま考えてもしかたないじゃない。何かあったらその時に考えればいいのよ。本当にそんなものよ。それで意外とうまくいくのよ。」

「逆よ、全く逆よ。自分と向き合うにはひとりになるんじゃないわ。いろんな人と関わりあうのよ。お友達とおままごとしろって言ってるんじゃないの。自分の知らない、自分を知らない人たちと関わりあうのよ。見えてくるわよ、本当の自分が。」

ムーミン谷の名言集

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

f:id:ibaya:20181202094850p:plain

LINE ID ibaya

自分をオープンにしている限り人間は死なない。

f:id:ibaya:20181205111951j:plain

 

私のオラクルカードが大阪で奇跡を連発している。また人類を救ってしまった。今朝、タロットカードの使い方まで覚えてしまった。金曜日の昼過ぎには長野の森に行く。森ジムに加えて『森のタロット屋さん』をやりたいと思う。森の中に小屋を建てて、怪しげなタロット屋さんを開設するのだ。鑑定される側の人間は、鑑定料として食糧(最近の私はアボカドが大好き!)を献上する。それによって私は命を繋ぐのである。ふふふ。完璧である。が、私は飽き性なので1日に鑑定できる人数には上限がある。

 

 

京都から車を出してくださる女性が「空席があるので、他にも長野に行きたい人がいたら一緒に行きましょう!」と提案をしてくれた。現状、残り座席が2人分ある。12月7日(金)朝8時大津駅前某所待ち合わせ、その後5時間程度車を走らせたら長野県大町市に到着をする。その後の予定は完全に未定になりますが「片道切符でも構わないから、一緒に行きたい!」と思われたフットワークの軽い素敵なあなたは、お気軽にご連絡ください。今、私は大阪駅の地下のカフェにいます。心ある読者様から「肉を食え!」とお誘いをいただき、昼、神戸牛を食べる予定である。

 

※※※ おかげさまで満席となりました ※※※

 

連絡先・坂爪圭吾

keigosakatsume@gmail.com

LINE ID ibaya

 

ibaya.hatenablog.com

 

マッチ売りの少女を殺したのは誰か。

ごちゃまぜの家に滞在をしている内海さんがいい感じだ。小生、人生哲学のひとつに「自分をオープンにしている限り人間は死なない」というものがある。自分を閉じると死ぬ。しかし、自分を開けば世界も開く。結果、いい感じになる。極論、人間の状態は『開いているか閉じているか』の二種類だと思う。今夜、私は、京都で「誰も使っていない古民家があるから、ここをごちゃまぜの家みたいにしたいと思っている。よかったら一回遊びに来てください!」とお声をかけていただき、そちらに向かうことになった。こうして声をかけていただけることはうれしい。結果、今夜の宿もどうにかなってとってもうれしい。

 

gochamaze.hatenablog.com

 

まだ家がなかった数年前、イギリスに呼ばれて行ったことがある。そこで素晴らしい出会いを果たしたのだが、時は流れ、数年後の今(なう)「奇跡が奇跡を呼ぶ」みたいな現象が起きた。長野の森を開墾してINN THE FORESTをオープンして数日しか経っていないが、イギリスからも「素敵な森がイギリスにありますので、いつでも遊びに来てください」的なお声をかけていただいた。なんということだろう。素敵すぎる。私はしばらく茫然とした。嗚呼、いますぐにでもイギリスに飛びたい。誰か一緒にイギリスに行きませんか。日本では、ちょっと前に『死ぬこと以外かすり傷』という本が話題になった。私の場合は『死ぬこと以外予定なし』の人生である。死ぬこと以外に予定がない。時間だけは無限にある。航空券を調べたら往復10万円弱程度かかる。この費用をどうするのか。これが当面の課題である。

 

ameblo.jp

 

ここまで書いたところで「大阪でごちゃまぜの家みたいなことをやりたいと思ったものの挫折した。よかったら一回家に来てくれませんか??」的なご連絡が届いた。楽しい。早速「今日の夕方なら行けます!」と返信をした。これから、私の人生はどうなるのだろうか。資本主義社会とか経済合理性などと謳われるが、結構多くの人々が「無償で人々に与える側にまわりたい」と思っていることを知ることは楽しい。なんだ、みんな遊びたいと思っているんじゃないか!みたいに思えるからだ。最近思う。公衆便所があるなら『公衆台所』とかあってもいいじゃないか。公園に台所をバコン!と設置して、誰でも好きに使えたらコミュニケーションも生まれそうだ。が、色々問題もあるのだろう。私は般若心経が好きだ。困ったときは「羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶」と唱える。これで、大概の問題はどうにかなる。

 

ibaya.hatenablog.com

 

自分をオープンにしている限り人間は死なない。

ロンドンでイベントをやりましょう!とお誘いを受けた。凄い。ロンドンなんて格好いい。私のふるさとは新潟県で、私は勝手に『日本のロンドン』と呼んでいる。寒い国の人間は頭がおかしくなる。よく言えば『(内的世界が充実するから)文学が育つ土壌になる』とも言えるし、悪く言えば『精神が異常をきたして自殺率がうなぎのぼり』とも言える。寒ブリがうまいことと、北の国の人間はいかめしいことは似ている。地元の人間に「最近どう?イエローモンキーのプライマルを聞いていたら君を思い出したよ」と連絡をした。すると、その人は「新潟はまじでドブみたいな灰色だよ」と言った。曇天が続くと人間は頭や語彙力はおかしくなる。彼女は、最近、髪をぶった切った。切ったとかのレベルではない。『ぶった』切ったのである。愛する吉井和哉さんは「さみしがりは激しいジョークを欲しがるのさ」と歌った。物凄いわかる。物凄いわかるなあと思いながら私は灰色の青春時代を過ごした。

 

昨日、大阪の道頓堀で開催されたミュージカルに招待をしていただいた。ここには書ききれない様々なことを思った。表現者を目の前にすると(良いも悪いも)色々なことを思う。終盤、キャスト全員が客席におりてきて観客とハイタッチをする、という演出があった。私の前にもキャストが来る。私は、正直、あんまりハイタッチをしたい気分にはならなかったのだけれど、目の前にきたキャストが大量の汗を流しているのを見て「うわー!」と思った。流れる汗に感動をしたのだ。汗、それは『実際にやっている人間からしか絶対に出ない』ものだ。私は猛烈に感動をしてしまい、満面の笑顔でハイタッチをした。脳内で中島みゆきの「ファイト!」が流れた。戦う君の歌を戦わない奴が笑うだろう。だが、その後、これも違うなと思った。私は男だから、どうしても戦う人間を賛美する傾向がある。しかし、彼らに「頑張れ!戦え!俺も戦う!」と願うことは違うような気がした。その直後、私の脳味噌に黒柳徹子がふわっと降臨をした。

 

本当に凄い人間は戦っていない。ただ、圧倒的にそこに存在している。私は黒柳徹子とか広瀬香美の明るさとかMAYUCHAPAWONICA様の存在感が好きだ。戦う人間からは、どうしても『勝ちたい』とか『認めさせたい』とか『成り上がる』的な野心が滲み出る。しかし、本当に凄い人間が醸し出している空気感は圧倒的な肯定力を帯びる。恨みがない。憎しみもない。あるのは、ただ、生きてここにあることの歓喜とでも言えばいいのだろうか、愛や光を自分自身が体現している。踊りそのものになっている。音楽そのものになっている。そんな感じの印象を受ける。ミュージカルの踊り子に、私は、その日一番の光を見た。終演後、彼女と話をする時間があった。20歳になったばかりの女性だった。私は「あなたは何をやっても絶対にうまくいくと思う」と伝えた。事実その通りに感じた。が、ひとつだけ言い忘れたことがあった。それは「世界に出た方がいい」という思いだった。日本に留まるのではなく、広い世界に出てほしい。もっと自分を膨らませて欲しい。そういうことを彼女に対して思った自分は、また、自分自身に対しても「世界に出ろ」と思っているのだろうな、と思った。

 



乱世に備えて。。。

#あなたは良質の油を摂取しなさい
#お告げをいただく
#無農薬バターとか亜麻仁油とかオリーブオイルとか
#最近調味料に興味あります
#アボカドとかブロッコリーとかアーモンドとか
#カツオもいいよと言われる
#賞与
#アボカドくり抜いて卵を乗せて良質の油で炒めたやつを森で食べたい
#赤身
#プロテインは噛みながら飲めと言われた
#鬱とか気持ちじゃなくて体調の問題
#岡本太郎の沖縄論に感動
#お金以外の価値観で動く人間が好きだ
#損をしてもいい
#そう思える人間と一緒にいたいと思う

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

f:id:ibaya:20181202094850p:plain

LINE ID ibaya

本音で生きると、毎日がドラマになる。

f:id:ibaya:20181203151402j:plain
 

京都在住の女性から「長野に行くなら車を出せます!時間の融通もきくので、都合のいい時に一緒に行きましょう」とご連絡をいただいた。よし。という訳で明日から関西に押し寄せする。金曜日まで(長野の)天気が悪いみたいだから、しばらく関西に滞在する予定です。が、予定も宿もなにもない。常に乱世に備えていたい私は「占い師になる」ことを決めた。小生、よくあたると評判のオラクルカードを持っている。これで数億人の命を救ってきた。呼ばれた場所なら何処でも行く、出張型の占い師になりたいと思う。鑑定料金は驚きの0円である。今夜横浜発の高速バスに乗り、明日4日(火)の朝7時過ぎにはなんば駅界隈に到着する。それ以降は死ぬまで何も予定がない。関西在住の方は、是非、お気軽にご連絡をください。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

 

関西に空き地や空き家はあるのだろうか。全国にごちゃまぜの家を作れたらうれしい。誰かに食事をご馳走していただけたらもっとうれしい。無理矢理にでも連れて行きたいおいしい飲食店をご存知の方がいたら、小生、お付き合いをさせていただきます。あたたかな手料理も超絶大歓迎です。「実は行きたいお店があるのだけれどひとりではちょっと」みたいな要望にも応えられるかもしれない。誰か、私の有効な活用法を見出してください。なんでもいいのだ。きっと、俺はなんでもいいのだと思う。移動している時の方が、誰かと話している時の方が、いい感じの風を感じる。逆に言えば「同じ場所にずっといると死ぬ」という致命的な弱点が私にはある。

 

ibaya.hatenablog.com

 

ひとりにならない。

f:id:ibaya:20181203161315j:plain

GOCHAMAZE no IE

 

自分で決めたルールのひとつに『ひとりで抱え込まない』というものがある。悩みや苦しみを自分ひとりで抱え込むと、あっという間に深刻になってドツボにはまって恐怖心に取り憑かれて自滅をする。今、横浜のごちゃまぜの家に内海さんという男性が滞在をしている。内海さんは、過労で仕事を辞めてから貯金を使って生活をしていたが、いよいよ貯金が底を尽きて『山梨県の住み込み労働』に採用されたものの、諸事情により働き続けることができなくなり、金も家もない状態でごちゃまぜの家に来た。こういう時、ひとりきりで生きていると「俺はどうすればいいんだ。お先真っ暗じゃないか!」的な感じになって死にたくなる。が、ごちゃまぜの家の良いところは「とりあえず暇そうな人が何人もいるし、寝る場所と食うものがあるから一旦冷静になれる」ことだと思う。

 

内海さんは「人生、どつぼにはまってしまいました」と半ば自嘲気味に言った。しかし、私は、話を聴きながら「別にどつぼにはまっている訳じゃなくて、ただ、ゼロになっただけだと思う」と思った。仕切り直せばいいだけの話である。ごちゃまぜの家にいたら、もしかしたら「それなら、今、人材を募集しているからよかったらうちで住み込みで働きませんか??」みたいな話が舞い込むかもしれない。あるいは、内海さんと似たような状態の人々が「実は自分も同じ状況で…」なんて悩み相談にくるかもしれない。この瞬間の内海さんなら、そういう人々に親身に寄り添うことができる。無論、ただ単にごちゃまぜの家に遊びに来た人々とも、なんとなく会話を交わすことで「いい感じの風が吹き抜けて心がふわっと軽くなる」なんてことも見込める。ある程度の交流量(ひとの出入り)がある場所に自分を置くと、自分一人では発想することのなかった道を示されることは多い。という訳で、内海さんは次の仕事を探す間、一週間程度ごちゃまぜの家に滞在することになった。

 

誤解されると困るが、ごちゃまぜの家は「支援団体」などではない。困っている人々を救いたいとか力になりたいとか、そういう理念で動いていない。自分たちが面白いと思うことをやっていたら、いつの間にか「結果的に困っている人々も救われていた!」みたいな状態を理想とする。だから、なんとなく興味を持った人々は遠慮なくごちゃまぜの家に遊びに来てください。住所は横浜市港北区富士塚2丁目24-5で、家の鍵は常に空いています。布団の関係で宿泊希望者に限り事前に連絡をもらえたら助かります。ご飯は、多分、ひとりで食べるよりもみんなで食べた方がうまい(ことがある。とかいう自分は、結構、ひとりきりで食べていても最高においしいと感じたりする)。最近、ごちゃまぜの家の各種調味料をすべて一等品に品替えをした。キッチンも常時オープンにしている(台所にある食材は誰でも自由に使えるようになっている)ので、誰か「内海さんに元気になる料理をつくってあげたい!」みたいなことを思ってくださる、優しい方々のご来訪もおまちしております。

 

gochamaze.hatenablog.com

 

本音で生きると、毎日がドラマになる。

若い女性陣には変質者扱いされるが、最近、おばあちゃん達にものすごいモテる。この前も山梨県の大滝神社で湧水をボトルに汲んでいたら、車で来た可愛らしいおばあちゃんが「あらまー!あなた、いい男ね!」と突然声をかけてくれた。話を聞くと、彼女、現在の年齢は79歳だが定年と同時に『家出宣言』をしてから神奈川の自宅に見切りをつけ、山梨の小淵沢に掘っ立て小屋を建てて念願の『一人暮らし』をはじめた。70歳からロッククライミングをはじめたらしく、今も、プロに同行しながら岩肌を登る日々を過ごしているとのこと。血色が凄まじくよかった。彼女は言う。私はドレスも指輪も宝石もいらない。自然があればそれだけでいいの。ロッククライミングって集中力がものすごいのよ。人生であんなに集中したことはないってくらい、集中するの。それがボケ防止には最高なのよ。と。

 

ごちゃまぜの家の活動などをやっていると「どうしてごちゃまぜの家をはじめたのですか?」とか「なにかたどり着きたい目標はなんですか?」とか「これからやりたいと思うことはありますか?」とか、死ぬほど聞かれまくる。私は、正直、どうしてそんなことを聞くのかがわからない。なぜやるのか。もっともらしい理由をつけるのは簡単だが、一番根本にある思いは『やりたいと思ったから』だ。それだけだ。これからを聞かれても困る。これからなんてない。あるのはこの瞬間だけだ。なにかのためにやっているのではなく、これのためにやっているのだ。手段と目的が一致しているのだ。過去と未来が一致をするのだ。瞬間瞬間に湧き上がる「これをやりたい!」に従った結果、いま、この空間が目の前にあるのだ。お前はなにがやりたいのか。人々は聞く。私は思う。これがやりたかったんだ。と。これをやり続けていきたいんだ。こうしなければとかこうであるべきとかそういうことじゃない、瞬間瞬間に湧き上がる「これをやりたい!」に従いながら、これからの日々を生きていきたいのだ。と。一ヶ月後のことは、一ヶ月後の俺に聞いてくれ。十年後のことは、十年後の俺に聞いてくれ。今の俺に聞かれても困る。きっと、今よりももっといい感じのフレッシュな答えを、その時の自分は答えるだろう。と。

 

私は海や川が好きだ。日本を走ると素敵な海や川に遭遇する。しかし、どこも護岸工事で川も海も死につつある。ダムを作ると川が死ぬ。人間も同じだ。安心を求めて金やエネルギーを溜め込む道を我々は選びがちだが、溜め込むことは『死』と同じだ。流れていないと腐るのは水だけじゃない。変化を恐れることは多いが、自然の摂理として「変化をしない方が変だ」ということになる。流れていることが、生命として自然なのだろう。我々は失うことを恐れてなにかを溜め込む。しかし、溜め込むことで不安がなくなるかと言えば、そうではない。流れていること。循環をしていること。巡り続けていること。最近は『本音で生きると、毎日がドラマになる』ことを痛烈に感じている。本音を口にすること、自分の本音を生きることは、精神的なダムを壊す。精神の放流である。瞬間瞬間の「これをやりたい!」に従うことで、世界は素晴らしいドラマを見せてくれる。その先に何が待っているのかは知らない。知らないということは、時に恐ろしいことに見えるかもしれない。しかし、結果のわかりきっている固定的な人生を歩きたいとは思わないように『どうなるかわからないからこそ面白い』という、生きることの醍醐味を思い出させる。

 

 

https://www.instagram.com/p/BepyNMljJb3/

神様は、不必要な人間を作るほど愚かではない。

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

f:id:ibaya:20181202094850p:plain

LINE ID ibaya

何をやっても非難されるのだから、好きなように生きよう。

f:id:ibaya:20181202085511j:plain

 

男性読者T様から「僕もブランキーやミッシェルが好きです。いきなりステーキをご馳走します!」とご連絡をいただき、東京都王子駅に自転車で向かう。道中、普段はインドに住んでいる女性から「インドのゴアという場所でごちゃまぜの家に使えそうな家があって、今、私は日本に一時帰国中なのですが会えませんか???」とご連絡をいただく。物凄い話だ。が、ちょっとタイミングが合わずお会いするのはまた近々、ということになった。王子駅に到着をする。肉を食う。美味しい。別れ際、T様が「これを使ってください」と寸志を手渡してくれた。ああ、これは『行け』ということだなとぷるぷる震えていた直後、一通のメールが届いた。

 

 

そこには「最新記事を読みました。今夜なら車を出せます。長野に行けます」と書かれていた。時がきた。私は「行きましょう!」と返信をすると同時に下道を高速で駆け抜け、大急ぎで横浜に戻って荷造りをした。ごちゃまぜの家関係者のよしえさんとなかむらさんに「今夜長野行くけど行く!?」と聞くと「行く!」とのこと。素晴らしいフットワークだ。こうして、0泊3日の弾丸長野ツアーがはじまった。目的は『INN THE FOREST』を開店させること。準備不足だろうがなんだろうが「開店しました!」と言えば開店になるのだ。この時の時刻は11月30日22時。頑張れば翌日12月1日にはオープンできる。私の鼓動はいい感じに高まっていた。

 

ibaya.hatenablog.com

 

祝・INN THE FOREST 開店記念日

f:id:ibaya:20181201181830j:plain

INN THE FORESTの入り口

 

結論から言うと『INN THE FOREST』は2018年12月1日に無事開店をした。利用方法は不明である。場所もまだ公開をしていない。興味のある方は坂爪圭吾と友達になってください。埼玉からハイエースを出してくれたK様が「供託品です」と言ってテント二個とタープと諸々のアウトドアグッズをくれた。これが基盤になった。冬用の寝袋や簡易調理セットや非常食を常備しておける状態になったので、人間ひとりなら夜を越せる。あとは「寝袋の数だけ」宿泊可能な人数は増える。どうやら私やよしえさんは異常に自然が好きなようで、何時間でも森のなかでダラダラしていられる。同行者のなかむらさんは、我々の真横で寒さに凍えていた。湘南育ちのシティボーイであるなかむらさんは、顔面を真っ青にしながら「もうだめです」と痙攣をしていた。

 

f:id:ibaya:20181202085519j:plain

森からの眺め。徐々に整えていきたい。

 

それなりに全国津々浦々を見てきたつもりだが、長野の自然は群を抜いている。長野県民の方々の人柄も最高で、なぜ、長野はこれほどまでに素晴らしいのかを考えた結果「標高だな」と邪推するに至った。母親の胎内で胎児が感じる気圧は標高1,000メートル程度だと聞いた。長野県大町市は標高700メートルあまりで、母親の胎内圧に近づくほど『遠い記憶』が呼び覚まされる。脳味噌が研ぎ澄まされて静謐になる。先日、長野県白馬でJAFにお世話になった際に運転手さんと話が弾んだ。長野の人々は表情が澄んでいる(ような気がする)。JAFの人は「私は長野を出たことがないからわからないのですが、山々に囲まれた閉鎖的な環境で育ったから、長野は内気なひとが多いかもしれませんね」と話した。これを聞いた時、私は「長野は日本のマチュピチュである」と発作的に思った。長野は日本のマヤである。高度な文明(というか人柄)を生み出す、この国のファイナル・ホープだと思った。

 

f:id:ibaya:20181201182105j:plain

マヤ文明に思いを馳せていたら虹が出た。五回くらい出た。

 

f:id:ibaya:20181201181914j:plain

荷物を運ぶ。

 

f:id:ibaya:20181201181922j:plain

また虹が出た。

 

今回は0泊3日の弾丸ツアーとなった。いまは横浜に戻ってきた。が、懲りずに何度も足を運びたい。同行者から「それなら長野にいればいいじゃん!なんで横浜に帰るのよ!?」と問われたが、違う。何度も頻繁に行き来をすることで長野を身近に感じたいという思いがある。ずっと同じ場所にいるより、一旦、その場所を離れた方が「こうした方が面白いかな」とか、鳥瞰的な発想も浮かぶ。無論、交通費はかさむ。どうするのか。私の場合は「誰か一緒に行ってくれる人(交通費や車を出してくださる神様)が登場するたびに、長野県に足を運びまくる」スタイルを採用したいと思っています。完膚なきまでの他力本願ベースになります。誰か長野に一緒に行きませんか。車さえあれば私が運転手役もやります。多分、関東からなら10000円程度で行って帰ってこれるのかなと思うので、たまには「普通の旅行とはちょっと違う、非日常な体験もありかな!」と思ってくださるフットワーク軽めのあなたからのご連絡をお待ちしております。自分の中で決めたルールがある。それは『自分ひとりだけでやらないこと』である。みなさまからのお力を存分にいただきながら、INN THE FORESTを我々の遊び場にしていきたいと思っています。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

f:id:ibaya:20181201181658j:plain

森カフェ

 

わたり文庫『超・筋トレが最強のソリューションである』

f:id:ibaya:20181201182249j:image

 

今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、Teststerone著作『超・筋トレが最強のソリューションである』です。こちらの本は、森ジムを作りたいと鼻息を荒くしている坂爪圭吾に「それならこれを読めば良い!」と、長野県大町市でお会いした男性T様が譲ってくださった一冊になります。T様は、他にも供託品として腕立てグッズやプロテインクッキーまで我々に与えてくれました。本当にありがとうございます。みなさまのおかげでINN THE FORESTは今日も豊かです。筋トレの素晴らしいところは子育てに似ている。誰だって自分の子供に体に悪いものを食べさせたくはない。その感覚を、自分自身にも抱けるようになる。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※

 

死にてぇって思ったら、筋肉を殺そう。- Teststerone『超・筋トレが最強のソリューションである』【文響社

 

何をやっても非難されるのだから、好きなように生きよう。

f:id:ibaya:20181201182418j:plain

眺望


他力本願ばかりではいられない。長野県松本までなら高速バスもある。しかし最近の高速バスは輪行ができない。荷台に自転車を積めないのだ。どうしようか考えた結果「キックボードならいけるんじゃないか!」と思った。最悪の場合は紙袋にキックボードを詰めてバスに乗って長野に通う。ふふふ。精神面は用意周到である。が、私はキックボードを所有していない。もしも「使ってないキックボードあるよ!」という方がおりましたらば、我々の共有財産として一緒に使わせていただけたら最高に幸せです。と、ここまで書きながら「結局お前は他力本願じゃねえか!」と思う自分がいる。YES。それでいいのである。人生とは、どれだけ迷惑をかけずに生きるかではなく『どれだけ楽しい迷惑をかけられるか』である。ただの迷惑は言語道断。しかし、一緒に楽しんでくれる人がいるならば迷惑は遊びになる。

 

この前自転車が壊れた。とある自転車屋さんに持って行ったら「これは修理に多額の費用がかかりますね」と言われた。私はとぼとぼと自転車屋さんを後にした。後日、一縷の希望とともに別の自転車屋さんに行ったら「こんなのすぐになおりますよ」と音速でなおしてくれた。私は感動にむせび泣きながら工藤静香の慟哭を歌った。こういうことってよくあると思う。とりわけ、自分の専門外のことになると「それに詳しいっぽいひとの意見を鵜呑みにしてしまう」弱さが人間にはある。しかし、誰かに無理と言われたからと言って、それが100%無理とは限らないのだ。癌などの場合なら尚更だ。私の愛するムラキテルミさんは、余命半年と宣告された癌を断食療法でなおしている。別にすべてのひとに断食が効くなどと言いたい訳ではないが、最後まで希望を失わなかった人間は、時折、新しい道を見出すことがある。ひとりの人間が見出した新しい道は、他の誰かにとっての希望にもなる。素晴らしい連鎖だと思う。逆に言えば、誰かの「それは無理だよ」は負の連鎖を生み、勇気をくじき、諦めの心を蔓延させる。どちらの道を選ぶか。それは自由だ。私は、できることならば「その手があったか!」を連発する人生を過ごしたい。

 

極論、なにをやっても非難をされるのだ。みんなの意見を聞いていたら、もう、なにもできなくなってしまう。例えば、長野の山々には熊が出る。INN THE FOREST界隈にも出るかもしれない。ここで熊を恐れて投げ出してしまえばすべては泡沫になる。が、ここで人間の知恵が登場する。人生、知恵と勇気で大概のことはどうにかなる。熊よけスプレーを使うのか。頑丈な古屋を建てるのか。それとも、熊と友達になる方法を学ぶのか。無論、勇気を出す過程で死んでしまう人間もいるだろう。私は写真家の星野道夫が大好きだが、星野道夫は熊に殺されてしまった。だが、それはそれで立派な『男の人生』だと思う。人間、死なないために生きている訳じゃない。自分自身に対して過保護になることで、自分の可能性を奪うことがある。自分の可能性を奪うことに慣れてしまった人間は、いつの間にか、無意識に周囲の人間の可能性も奪い去るようになる。私は、熊よりもそちらの方を恐れる。そして自分に言い聞かせる。嫌なことをやって生きるより、好きなことをやって死のうよ。我々の前にある道は、生きるか死ぬかの二択ではない。人生とは、きっと「好きなことをやって死ぬ」か「嫌いなことをやって死ぬか」の二択なのだと思う。

 

 

https://www.instagram.com/p/Bq3RdOJnvBY/

森ジムを作る。虹を五回くらい見た

「このリスは、そのうち、土にかえるでしょ。やがて、その土から木がのびて、その木の上で新しいリスたちがはねまわるわ。それが、そんなに、悲しいことだって思う?」

「忙しい忙しいって言う人いるじゃない。きっと頑張っているわねって褒めてほしいのよ。だからこう言ってあげたほうがいいわ。時間の使い方が下手ねって。」

「その調子だと、おまえ、すぐにおとなになっちゃうぞ。父さんや母さんみたいな、おとなになるんだ。ごくふつうに見えて、ごくふつうに聞くだけのおとなだ。つまり、なーんにも見ないし、なーんにも聞かないってことだな。とどのつまり、おまえは、なんにもできなくなっちまうんだ。」

「嵐の中にボートを出すばかりが勇気じゃないんだよ。」

ムーミン谷の名言集

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

f:id:ibaya:20181202094850p:plain

LINE ID ibaya