いばや通信

ibaya.ex《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

人生を賭けるな。

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和歌山県岩出のコメダ珈琲にいる。12月22日(土)大阪でイベントがある。12時30分近鉄今里駅前集合で私が皆様を会場まで道案内する。事前申し込みの必要はない。時間のある方は是非来てください。私の目印は金髪ロン毛の黒キャップ、青いダウンにACNEのジーンズ、足元は最近頂戴した二枚下駄だ。一昨日、自分へのクリスマスプレゼントにACNEのジーンズを定価三万円で購買した。三万円といえば小生の年収である。ファッションテーマは「家がありそうに見える人」である。

 

【EVENT詳細】12月22日(土)「プライドの捨て方」と「愛ってなんだ」

 

 

沖縄帰りだから服装が微妙だ。ダウンの下は半袖一枚だし、足元は裸足になる。「寒いかな」とか思ったが、歩いてみたら結構いける。外は寒いが建物の中や電車は暑い。最悪の場合はジャンピングスクワットをすることで体温はあがる。12月23日(日)は横浜のごちゃまぜの家でわたり食堂【0円食堂】が開催される。全国各地から支援物資が届いている。鶏まるごと一羽届くことにもなった。凄いことだ。今回から、無料のフリーマーケットも同時進行で開催したい。家に「使ってないけど使えるもの」がある人は、是非、当日ご持参いただけましたら幸いです。

 

【EVENT詳細】12月23日(日)わたり食堂【0円食堂】

 

 

ibaya.hatenablog.com

 

新しい結婚をしよう。

前回の記事で紹介したアナキズムという本に『できっこないをやらなくちゃ』という一文があった。できることをやっても進化はない。不可能を可能にしてこその牡羊座である(私は牡羊座です)。ホームをレスした時も、私は結構いきいきとしていた。挑戦している時に元気になる。だから、なにか挑戦しがいのあるテーマはないかなあと考えてみたら「新しい結婚をしよう」的なことを思った。新しい結婚とは何か。具体的なゴールがあるわけではないけど「100人くらいお嫁さんがいて、100人くらい兄弟がいて、100人くらいこどもがいる」状態をイメージしている。

 

前に一回結婚したいと思ったことがある。18歳の頃、私は大学進学にあたり新潟から東京に出た。入学案内書を見ると「既婚者は学費が半額になる」と書かれていた。私は貧乏性だから、それならば女友達と結婚をすれば学費がさがる!これは圧倒的有利だ!と舞い上がり、一回、ガチで結婚を考えたことがある。しかし、この時は「結婚という大事なことを軽はずみにやってしまうのはどうなのだろう」という一般的な感覚に敗れ、踏みとどまった。自分の結婚観を語ることは難しい。結婚に対する執着は薄いが、面白いと思えることに対する執着は濃い。現行の結婚制度に面白みは感じない。破綻している人々も多い。せっかくなのだから、なにかこう「いままでにない新しい形での結婚」をしてみたい、ということを最近は思う。

 

結婚(というか制度)って不思議だ。男性は離婚直後も再婚できるが、女性は離婚したら100日間は再婚できない。不思議な話だ。前に、愛するムラキテルミさんの養子になりかけたことがある。養子になると名前が変わる。坂爪圭吾が村木圭吾になる。名前が変わると、肉体は同じままなのに「致命的な何かが変わった」風に感じるから不思議だ。養子について調べてみたら、年下なら何人でも養子に迎えることができると知った。養子に人数制限はないのだ。だから、友達100人と家族になることもできる。友達が家族になったら、肉体は同じままなのに「致命的な何かが変わった」風に感じるから不思議だ。制度とはなんだろうか。きっと、制度とは言葉だ。言葉は私たちの生活を決定づける。言葉から自由になるためには、新しい言葉を生み出すことだ。ボヘミアン・ラプソディという映画の中に「俺が何者かは俺が決める」というセリフがある。無駄に反骨精神だけは潤沢な私は、おそらく「カテゴライズを拒否する」ために新しい言葉を必要としているのだろうなと思う。

 

わたり文庫『人はなんで生きるか』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、トルストイ著作『人はなんで生きるか』です。読み返すたびに心が浄化されるような清水的な一冊です。読んでいてどきっとするフレーズに『自分のことばかりを考えている人の顔には死相が出る』という言葉があります。逆に、誰かのためになにかをしたいと思うとき、自分の中にある純粋な愛を発露させたとき、その死相は消えるのだということを学びました。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※

 

わたしが人間であった時に生きてゆくことができたのは、わたしが自分で自分のことを考えたからではなく、通りすがりのひとと、そのおかみさんの心に愛があって、わたしを憐れみ愛してくれたからです。また、ふたりの孤児が生きてゆけたのは、みんなが彼らのことを考えてやったからではなく、他人の女の心に愛があって、彼らを憐れみいつくしんでくれたからです。こうしてすべての人は、彼らが自分で自分のことを考えるからではなく、人々の心に愛があることによって、生きていっているのです。

 

トルストイ『人はなんで生きるか』【岩波文庫

 

人生を賭けるな。

私は家族を作りたいのだと思う。もっと言えば「家族を溶かしたい」のだと思う。不仲を理由に別れたカップルも、別れた後に(お互い普通の人間として)食事をすると滅茶滅茶会話が盛り上がることがある。長年至近距離で連れ添った二人である。二人だけにわかる話題も多い。しかし、現行の制度では「付き合うか、別れるか」「関係性を継続するか、関係性を断絶するか」の二択になる。全か無か。関係性にグラデーションが足りない。これは勿体無い話である。だからもう、別れたカップルは全員家族になっちゃえばいいのだと思う。そして、新しい相方を探せばいいのだと思う。家族なんて概念があるから「全か無か」になる訳で、全員が個であり、全員が全体であるという認識が一般的になれば、おそらく家族という概念も希薄になって(100年後くらいには)溶けてなくなってしまうのではないだろうか。

 

明日開催されるイベントの主催者の女性に問われた。彼女は言う。このあたりはNPOなどの支援団体も多く、自分の活動に人生を賭けている人々も多い。だから、私みたいに「ごちゃまぜの家みたいなものがあったらいいなあ」って動き出した人間は、周囲から「お前は人生を賭けて生きているのか」とか「覚悟が足りない」とか「もっと真面目にやれ」って言われて怒られることもある。だけど、私は人生を賭けていない。そんな自分は間違っているのだろうか。と。私は思った。一応、私もごちゃまぜの家という活動をやってはいるが、ごちゃまぜの家に命を賭けているかと問われたら「賭けている訳ないじゃん!」と思う。ただ、これ【無料で使える家を増やす活動】をやったら面白そうだなと思ったからやっているだけだ。誤解を恐れずに言うと、私はNPOや支援団体が苦手だ。最大の理由は「真面目だから」であり、人生を賭けているという言葉は、格好いい言葉なのかもしれないけれど『余裕が足りない』と思う。真面目すぎる。近寄りがたい。遊びがない。ユーモアが足りない。正しさはあるが楽しさがない。余裕がない場所にユーモアは生まれない。

 

ダメならダメでやり直せばいい。他のやり方を考えればいい。それでもダメなら全部放り出せばいい。最初に「これが正解!」というものを持参したまま飛び込んでしまうから、他の正解を受け入れられなくなるのだろう。ひとつの生き方に固執をするから苦しくなるのだ。生き方は、もっと多様で、もっと広がりに充ち満ちたものだ。焚き火をしていると思う。極論、人間は食べるものと雨風を凌げる場所さえあれば生きていける。逆に言えば、足りないものが自分を苦しめるのではなく「過剰にあふれた情報」みたいなものが、焦燥感を急き立てて、自分を苦しめる方向にドライブさせるのだろう。特別な環境はなくても、養育費はなくても、無料で学べるものはそこら中に転がっている。だから、受験や就職に失敗をしたから自殺をするなんて馬鹿げている。「人生を賭ける」という思いが、自分を窮地に追い込んでしまう。一回深呼吸をしてみよう。世界は、自分が思う以上の広がりにある。 

 

 

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#venus #bonfire #lifeisgood

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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