いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

もっと生きろ。

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久高島の夕日を眺めている。大阪在住のS様から「沖縄に行きたいのだけれど行く時間を作れないから、代わりに行ってきて!交通費を出すから!」とご連絡をいただいた。昨日は、桜坂劇場岡本太郎を鑑賞し、珈琲屋台ひばり屋さんで強烈に癒され、大東そばと大東寿司のセットを喰らい、首里城近くまで自転車をかっ飛ばしてセンスの良い金物細工を購買した。そして、今日、S様が愛する久高島に到着をした。沖縄を愛する人の遠隔操作で、マリオネットのように日々を動く。結果、自分も沖縄を好きになっている。沖縄の魅力を、遠くS様から教えてもらっている。

 

 

那覇から安座真港まで自転車で移動をした。猛烈な気持ち良さを感じた。12月の沖縄は最高だ。ハワイに勝るとも劣らない魅力がある。さとうきび畑の中を自転車で駆け抜ける時間は、たまらない喜びを覚えた。久高島のキャンプ場は500円で利用できる。道中のスーパーでゆし豆腐や納豆や沖縄そばを買い、野営に備えた。しかし、野営道具はクッカーとアルミシートくらいしか持っていない。蚊の襲撃を受け、これは眠れないかもしれないと思っていたら「素敵な民宿が久高島にあるので、よかったら予約をしますよ」と横浜在住の女神様からご連絡をいただいた。

 

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もっと困れ。

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民宿SAWA。素晴らしすぎる。

 

横浜の女神様が用意してくれた部屋が最高だった。きめこまやかな気配りが随所に散りばめられた空間で、女将様の人柄も素晴らしい。適度な距離感で「もてなさないのがおもてなし」的なご対応が猛烈に気持ちいい。一目で惚れてしまった。久高島に向かうフェリーに乗る直前、与那原在住のI様が急遽見送りに来てくれた。I様は、化学物質過敏症だ。綺麗な場所でしか暮らせないため、数ヶ月前に沖縄に来たものの次の場所を探す必要に迫られている。それで「熱海の家を使わせてもらえたらうれしい」とのこと。私は、是非使ってくださいと答えた。そして「同じような症状に悩む人々にとって、居心地のよい場所になったらいいと思う」と話した。

 

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ゴリゴリの石畳。電動自転車は高確率で死ぬ。

 

首里城に向かう道中のオフロードでタイヤが破裂をして階段を登る時に担ぎ上げた電動自転車が思いのほか重く足元の重心が乱れ、履いていた下駄が真っぷたつに割れた。裸足になって自転車を漕ぎ続けて二時間後くらいにたどり着いたダイソーで250円のサンダルを購買した。昼間の沖縄は真夏だ。汗がだらだら流れる。バスにはない苦労が、自転車や徒歩には付き纏う。しかし、トラベルの語源は『トラブル』から来ている通り、普通じゃない体験をした記憶が思い出になる。戦時中に無人島で生き延びた横井庄一さんという男性がいる。28年間に及ぶ無人島生活をひとりで耐え抜き、帰国後、彼が出版した本のタイトルは「もっと困れ!」というものだった。困ることで知恵が出る。だから、積極的に自分を困らせることで人間は勇敢になる。そういう趣旨の内容が書かれている(のだと思う。私は未読だ)。

 

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高台からの眺望。自転車ならではの風景。

 

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今日の晩御飯。豆腐は体に良いと聞いた。

 

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久高島のキャンプ場

 

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コーヒーを飲む。

 

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日光浴する猫

 

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那覇〜与那原〜久高島


12月23日(日)には、ごちゃまぜの家でわたり食堂【0円食堂】を開催する。多分、今回の目玉はUTMさんになるのだろう。UTMさんは、今、ごちゃまぜの家の裏の森でダンボールハウス生活をしている。昨日、那覇のひばり屋さんを見て「これは本当に素晴らしい!こういうことを横浜でやりたいのだ!」と強烈に思った。青空カフェを作りたい。同時進行で青空書房も作りたい。無料の本屋@森と、無料の喫茶店@森。移動を続ける日々のメリットは、各地で発想のヒントをもらえることだ。足を運ぶ先々でアイデアを拾い、戻ったらそれを実際に形にしたり試したりする。私の場合、熱海、横浜、長野に家や土地がある。非常に恵まれていると思う。私は幸せ者だ。この幸せを、周囲の人々とわかちあっていきたいのだと思った。

 

【EVENT詳細】わたり食堂【0円食堂】

 

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わたり文庫『沖縄文化論』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、岡本太郎著作『沖縄文化論 忘れられた日本』です。こちらの本は、大阪のS様から譲り受けた一冊になります。これを読んだらきっとあなたも沖縄に足を運びたくなると思います。そして、いま、実際に久高島に足を運んでいる坂爪圭吾に強烈な嫉妬心を覚えることになるでしょう。ふふふ。みんなもどんどん好きなことをやってもらえたら嬉しいと思う。そして、その土産話を聞かせて欲しい。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※

 

日本残酷物語』に、柳田国男氏の「山の人生」の一節が収録されている。

美濃のある炭焼きの話である。

「女房はとっくに死んで、あとには十三になる男の子が一人あった。そこへどうした事情であったか、おなじ年位の小娘をもらってきて、山の炭焼小屋でいっしょに育てていた。なんとしても炭は売れず、なんど里へ降りても、いつも一合のコメも手に入らなかった。最後の日にも空手でもどってきて、飢えきっている小さい者の顔を見るのがつらさに、すっと小屋の奥へはいって昼寝をしてしまった。

眼がさめて見ると、小屋の口いっぱいに夕日がさしていた。秋の末のことであったという。二人の子どもがその日当りのところにしゃがんで、しきりになにかしているので、傍へいって見たら一生懸命に仕事に使う大きな斧を磨いていた。阿翁(おとう)、これでわしたちを殺してくれといったそうである。そうして入口の材木を枕にして、二人ながら仰向けに寝たそうである。それを見るとくらくらとして、前後の考えもなく二人の首を打ち落としてしまった。それでじぶんは死ぬことができなくてやがて捕えられて牢に入れられた。この親翁がもう六十近くになってから、特赦を受けて世の中へ出てきたのである。そうしてそれからどうなったか、すぐにまたわからなくなってしまった。」

私はかつてない衝撃をうけた。ー 人間生命の、ぎりぎりの美しさ。(中略)沖縄物語を展開する前に、こんな山奥の炭焼きの話をひいたのは、まさにこの島の生活、その基底にこそ、そのような生命の感動が生きつづけているからだ。

岡本太郎『沖縄文化論 忘れられた日本』【中公文庫】

 

もっと生きろ。

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久高島の夕日

 

ミケランジェロピエタという彫刻作品をご存知だろうか。聖母マリアがボロボロになったキリストを抱きかかえている彫刻作品だ。最近、この、ピエタのイメージが何度も脳裏をよぎる。画像を保存して毎日眺めているくらいだ。ピエタを見ると「お前も安心してボロボロになれ」と言われているような気持ちになる。聖母子像から「大丈夫。骨は拾うから」と常時見守られているような、そんな感覚を覚えるのだ。私は男で、結構強がったり虚勢を張ったりなんだりしながら生きているが、結局、最後は女に抱かれて終わるのかもしれない。女はすべてを知っていて、知っている上で放置をしてくれている。そういうことを思う時、よし、それならば生きている限り生きていこう。ボロボロになるまで自分を使い果たしてやろう。そう思う。女性的な優しさや励ましに背中を押されながら、私は、今を生きている。

 

相変わらずおばあちゃんにモテる。昨日、那覇の食堂で出会ったおばあちゃんに話しかけられた。「あらまー、あなたは食べっぷりがいいわね!でも、もっと食べた方がいいわね。痩せているから。最近の若い人は肉食でしょ。野菜をもっと食べなさい。あとは豆腐。島豆腐。ゆし豆腐は最高だよ。あとはお味噌。味噌汁も飲みなさい。黒砂糖もいいわよ。私は戦争を経験しているから、戦時中は黒砂糖なんてまったく食べられなかったんだから。昔、私、鉄砲で打たれたことがあるの。喉元を鉄砲の弾がバーン!って貫通して、背中から出て行ったんだから。でもね、私、その穴に塩と豚の脂を塗ってなおしたの。昔のひとは知恵があったの。だから治せたのよ。こういう話を孫にするとね、孫は『おばあちゃんは原始人みたいだね』って言うの。私、原始人なんだって。ひえぇっ、ひえぇっ、ひえぇっ!(笑い声)」

 

今、民宿の側ではこどもたちが遊んでいる。笑い声が、小鳥の鳴き声みたいだ。誰もが、小さな頃は無垢で純粋な笑い声を世界に響かせていたのだろう。それが、大人になるにつれて笑い声が濁ったり、笑顔が歪んだり、真っ直ぐに笑えなくなったりする。沖縄の人々、とりわけ、久高島の人々にはその濁りがない。岡本太郎は、沖縄の人々を『底なしに善良』と表現した。純粋なものに触れた時、自分は、自分の汚れを知る。自分をボロボロにしたいと願う気持ちは、内側にこびりついている薄汚れた壁を、見栄の壁を、虚勢の壁を、嫉妬の壁を、比較の壁を、無意味の壁を、無価値の壁を、一枚一枚引き剥がしていきたいと願う、魂の喘ぎなのかもしれない。何もない場所に置かれるほどに、自分の命が際立って見える。心臓の鼓動。呼吸。星空の瞬き。いま、この瞬間も『命は生きたがっている』のだと思う。

 

 

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filtered sunlight

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

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