いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

【1日目・ホノルル国際空港】頭と体と心。全部使って、動きなさい。

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誰でも自由に使える家、最悪の場合は「あそこに行けばなんとかなる」と思える空間がいろいろな場所にできたら、みんな、いまよりもちょっとだけ大胆に生きることができるんじゃないだろうかという思いから、2017年5月にごちゃまぜの家第1号を横浜に作らせていただいた坂爪圭吾(ビリギャル男)。その際に「世界のどこかに2件目もつくります!」などと豪語をしてしまったために、さて、それではどこに作ればいいだろうかと思ったときに「は、は、は、ハワイだぁ!」と閃き、あてもなにもない南の島でも「行けばなんとかなるかもしれないの精神」でやってきました今回の漂流記。当ブログは、ハワイにおける坂爪圭吾(ビリギャル男)の日々を限りなくリアル配信に近いかたちでみなさまにご報告をさせていただく内容になります。

 

 

徹夜明けでホノルル空港【オアフ島】に到着をしたビリギャル男。なにをしたらいいのかがわからなかったので「とりあえずワイキキまで歩こう」となり、歩き始めたものの新調したばかりの草履が靴擦れをおこして表皮がむける。血が流れる。足を踏み出す度に激痛が走る。どうしたものかと思ったときに、ハッと閃く。出発前におまもりとしてY様から受け取っていたウミガメのお財布のなかに、バンドエイドが複数枚はいっていたことを思い出し、九死に一生を得る。記念すべきハワイでの最初のお買い物は『追加分のバンドエイド』とあいなりましたビリギャル男、果たして彼の運命やいかに・・・!! 

 

🌸🌸🌸音声配信はこちらです🌸🌸🌸

 

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【1日目】2月27日(火)ホノルル国際空港〜ワイキキ界隈

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ホノルル空港に到着をする。Wi-Fiをレンタルする。1日12ドル。11日間分で136ドルを支払う。その数時間後、Wi-Fiを借りるのではなく「SIMカードを借りれば1ヶ月45ドル程度で済む」という事実を知って撃沈をする。ハワイに体をなじませるために、ホノルル空港からワイキキ界隈まで歩く。今回、神様的な存在から「頭と体と心。全部を使って、動きなさい」的なことを言われている。忠実でありたいと思う。が、途中、靴擦れを起こして血を見る。どうにかこうにかしてワイキキ界隈まで到着をしたタイミングで、東京在住のA子さんからメールが届く。そこにはこのようなことが書かれていた。

 

これを言うのかどうかをすごい迷ったのですが・・・もしも、どこにも行くあてがないようであれば、ハワイ島まで足を運んで見てください。わたしが死ぬまでに一度は行きたいなあって思う場所が、ハワイ島にあるんです。

 

A様には常日頃からお世話になりまくっている。ゆえに、A様がそのようにおっしゃるのならば是非ともハワイ島に行きたいなあと思いながらワイキキを歩く。賑やかな繁華街。軽やかな服装をした観光客たち。少し離れると、豪華な住宅が密集している。素敵だなとは思うけれど、この場所にごちゃまぜの家をつくりたいかというと「ちょっと違うような気がする」などと思う。ここはちょっと都会すぎる。ごちゃまぜの家をつくるなら「もうちょっと自然の多い方がいいような気がする」などと思っていたタイミングで、神奈川県在住のS様からメールが届く。そこにはこのようなことが書かれていた。

 

応援メッセージが遅くなりました!


【社会的偏差値0の男たちが一年でいつでも誰でも立ち寄れる家をハワイに作ってしまった話】を見させて頂きたいと熱烈思う一人です。


ハワイにツテもなく、現実的にお役に立てるようなことはないのが自分なりに残念ではありますが、現実的ではないところで圭吾さんを応援できたらと思い、メッセージしました。

ハワイには4大神と呼ばれる神様達がおられます。

戦いを司り、農業漁業の神である「クー」
平和を司り、豊饒の神である「ロノ」
生命を司り、万物の根源の神である「カーネ」
死者の世界を司り、海の神である「カナロア」

そして4大神とは別にたくさんおられる神々の中でも、特に人々に愛され、また恐れられている女神「ペレ」
キラウエア火山に住まう破壊と創造の神です。

これらの神々にご挨拶をすることは、きっと圭吾さんのハワイ滞在とその目的に祝福を頂けると思います。

もちろん、圭吾さんがこういったことを信じるのであればのお話ですので、そういうのはあんまり、と思われるようでしたら、スルーして頂いても全然大丈夫です。

ただ、もしご迷惑でなければ日本から私が日々お祈りさせて頂く許可を頂ければ、とても嬉しいです😊

ハワイにごちゃ混ぜの家を作る!
そんな希望を見せてくれる圭吾さんと同じ時代に生きている、そして出会えている。
奇跡のように思えるそのことに、心から感謝しています。
ありがとうございます✨✨✨

素晴らしいハワイ滞在の日々を!

 

これを読んで「確かに!これは、いますぐにでも挨拶をしにいかなければならない!」と思った。しかしながらキラウエア火山ってどこにあるのだろうと思い、調べてみるとハワイ島だった。ハワイ島かぁー!と、そう言えば、数日前にハワイに土地をもっている男性の方とお会いしたのだけれど、その方もハワイ島に土地を持っているのだと話してくれた。ここ数日、思えば『ハワイ島』というワードを何度も耳にしている。これはなにかあるのかな、なんてことを思っていたら東京都在住のY様からこのようなメールが届き、わたしは驚愕をする。

 

ワイ島に、友人が自宅のいくつかの部屋をレンタルしています。そこの宿泊費を何日間か私が支払いますから、よかったら、いってみてください。今、空きがあるか、聴いています。
 
私はハワイ島が大好きで、将来移住したいです!
ワイ島にごちゃまぜの家をぜひお願いします(^o^)!

 

言葉だけでうまく説明できる自信がないのだけれど、これは「ハワイ島に行け」と言われているような気がした。物事がスムーズに進む時、自分の意思で決めているというよりも「意思を超えた大きな何かに運ばれている」ような感覚を覚える。横浜の家が決まった時もそうだった。あれよあれよと言うまに必要なものは整えられ、ただ、わたしはそれを受け取るだけでよかった。必要なものは人生がすべて整えてくれる。繰り返しになるけれど、自分はただ、それを受け取るだけでよかったのだ。そのような訳で、明日から急遽ハワイ島に飛ぶことになりました。もしも「ハワイ島にいったら○○をするといいよ!」などというあれこれをお持ちの方がいらっしゃいましたら、どのようなものでも構いませんのでご連絡をいただけましたら幸いです!!(ブログ読者のみなさまに、坂爪圭吾【ビリギャル男】を『みなさまの好きな方向に転がして』いただけましたら最高です!!) 

 

🌻🌻🌻0日目の記事はこちらです🌻🌻🌻 

 

ibaya.hatenablog.com

 

頭と体と心。全部使って、動きなさい。

神の意志などというと大袈裟だけれど、本当にものすごいタイミングで最適な連絡が届く。ワイキキまで歩いている途中にくたびれすぎて倉庫の裏に座り込んでいたときに、ブログ読者の方から「応援しています。がんばってください!」という心ある連絡が届く。それを読んだだけで、俄然チカラが湧いてくるから不思議だ。弱気になったとき、自分が自分を信じることが難しくなったとき、それを「押し上げてくれる」力が必ず舞い込む。この力に、わたしは何度も何度も何度も何度も、それはもう何度も助けられている。

 

昨日、京都でムラキさんが「成りあがることと、押しあがることって違うよね。成りあがるひとは、自分の力で無理矢理にでも強引にのしあがろうとする力が働いているから、土台がしっかりとしていない。だから、周囲のひとたちから裏切られたりしちゃうこともある。だけど、押しあげられるひとっていうのは(おみこしみたいな感じで)周囲のひとたちに支えられることによって『上に、上に、上に』『前に、前に、前に』って進むから、土台もしっかりとしているし、常に自分を低く置いている謙虚さも備わっているように思うの。奇跡のりんごの木村さんなんて、まさにそうだと思う。自分のことをいまでも『ただの百姓だ』って言うし、自分を常に低いところにおきながら、伝えたいことを真摯に誠実に正直に伝えていこうとする姿勢が、周囲のひとのこころを動かすのだと思う」ということを話してくれた。

 

素晴らしい教訓に満ちた話だと思う。本当にその通りだ。なにかあるとすぐに「自分はすごい人間だ!」とわたしは調子に乗ってしまうことがある。調子に乗ることは、謙虚であることから一番遠い。自分は生かされているのだと言うこと、すごいのは自分ではなく「自分を運んでくれたひと」であるのだということを、忘れたくないと思う。現在の時刻は20時39分。明朝9時30分発の飛行機でハワイ島に向かう。徹夜明けのカラダを休めるために、今日は早めに眠りたいと思う。この記事を読んでいるあなたにも、素晴らしい日々が訪れますことをお祈りしています。では、おやすみなさい!!

 

 

ホノルル国際空港に着きました! #諸事情が爆発して徹夜明け #隈がやばい #タグ付のやり方がこれであってるのか心配 #頭と身体と心を全部使え #GoPro #うまくやれているのだろうか #わたしの生き方は間違ってはいないだろうか #間違っていたとしても構わない #そもそもで生まれてきたことが間違い #ひとりでいるとそういうことばかりを考えてしまうのでとにかく歩きます!!

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

お賽銭箱:坂爪圭吾に「もっと生きろ!」という方はこちら
ゆうちょ銀行》※ゆうちょ同士
 10120−54031201 サカツメ ケイゴ 

《ゆうちょ銀行》※他の銀行から 店番号 018 店名 〇一八店(ゼロイチハチ店) 普通 5403120 サカツメ ケイゴ

 

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応援メッセージもこころからお待ちしております。みなさまからのお言葉が、へっぽこりんちょになっている瞬間にどれだけ大きな力になることか・・・簡単な一言だけでもとってもうれしいです。みなさまからの応援をよろしくお願いいたします!!(さかつめけいご)

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【0日目・出発日】みんな最後には死ぬんだよ。

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飛行機の中で爆睡をするために朝3時に起床。眠気まなこで準備を済ませ、横浜にあるごちゃまぜの家を出て東海道新幹線に乗る。10時頃京都駅着。四条駅まで歩き、菱屋カレンブロッソで草履を買う。道中、郵便局で記帳をする。想像をはるかに凌駕する数の方々からのお賽銭があったことを知り、じんわりと胸に熱いものがこみ上げる。現在の時刻は15:09。京都駅から関西空港に向かう特急はるかの中で、この記事を(スマホから)更新している。

 

 

27日19:30関空発の飛行機に乗り、現地時刻27日朝7:30ホノルル国際空港着になる。日付変更線の関係で、ちょっとしたタイムマシーン感覚になる。日本とハワイの時差は19時間。今回の目的は「ハワイに(誰でも無料で使える)居場所をつくる」というものになる。が、あてがある訳ではない。ブログ読者の方々からいただいた情報をもとに、様々な場所に足を運んだり、様々な方々とお会いできたらと思っているものの、明日の朝以降の予定はまだなにも決まっていない。

 

 

連絡先・坂爪圭吾(さかつめけいご)

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keigosakatsume@gmail.com

 

【0日目】2月27日(火)横浜〜京都〜関西空港

03時 起床

04時 半身浴をしながら読書

05時 テントの中で軽いもの思いにふける

06時 荷造り開始

07時 各種SNSに『ギャル男の荷物』投稿

08時 新横浜駅

10時 京都駅着

10時10分 通帳記帳をして戦慄する

10時30分 菱屋カレンブロッソ

11時 四条駅前のエクセルシオールでメール返信

 

12時30分 ムラキテルミさんとランチ

 

京都駅前ヨドバシカメラ6階のTORAJIでムラキテルミさんとランチをさせていただく。わたしは、過去に家のない生活を2年間続けた先にボロボロに成り果てていた時期がある。ムラキさんはそんな私に「家がないのは大変でしょう」と、静岡県熱海市に家をご提供してくださった命の恩人になります。わたしは焼肉定食を、ムラキさんはビビンバをお肉抜きで注文したあとに「あ、抜いたお肉を坂爪さんの定食に乗せてください」と最高の笑顔で店員さんにお願いをする。ムラキさんの笑顔は本当に素晴らしいなあと毎回思う。ムラキさんと出会えた自分の人生は最高だと思う。

 

その後、お茶をしましょうということで入ったベトナム料理屋さんが「すみません、この時間帯は食事もご一緒にお願いしているんです」とのことだったので、2名分のベトナムランチセットを注文してそのすべてをわたしが食べる流れになる。死ぬほど満腹になりながら「実は、昨日ハワイ島に相当広い土地を持っていらっしゃる方とお会いさせていただきました」とわたしは話す。ムラキさんは「まあ、それならトムソーヤとか15少年漂流記をリアルでやっちゃえばいいんじゃないかな。ジャングルの中にこどもたちを集めて『ここで生き抜いてみろ』みたいな感じでさ♫」とのこと、示唆に富んだお告げとして胸に刻む。

 

ムラキさんから、飛行機の中で食べてねと(きっとおそらくものすごい美味しいのであろう)京都の豚饅と「前に使わなかったドルが余っていたから」と封筒をいただく。わたしは恐縮をし過ぎてしまって、およそ2時間の間にありがとうございますを126回は言ってしまっていたような気がして反省をする。もっと様々な表現手段を駆使して全方位的に感謝を伝えられる人間になりたい。本当にみなさまに生かされている。現在の時刻は15:52。関西空港には16:30頃に到着をする予定で、その後、チェックインを済ませたあとに「見送りにいきますね!」とご連絡をくださったS様と軽く合流をさせていただく流れになる。メールの返信がまったく追いついていない。どうしよう。忙しい中合間を縫ってまでわざわざメールをくださった方々に嫌われてしまったら本当に切ない。時間を見つけては返信をさせていただきますのでいましばらくお待ちください!!

 

ibaya.hatenablog.com

 

みんな最後には死ぬんだよ。

ハワイに居場所をつくる旅ということではじまった今回のハワイ企画だけれど、家があればなんでもいいとか、土地があればなんでもいいとか、そんな風には思わない。究極のところ「誰とやるか・誰と出会えるか」こそが重要なのであり、熱海に家を与えられたことも「家」そのものではなく「ムラキテルミさんという素晴らしい人間性の持ち主」から与えられたこと(ムラキさんとの関係性が生まれたこと)こそが喜びとなった。極論、どれだけ素晴らしい家が与えられたとしても、持ち主との関係性がうまくいきそうに思えないものであれば、その家は断ることになる。居場所とは、場所ではなくて人間だ。わたしは「家が欲しいというよりも、自由に使える空間が欲しいというよりも、関係性を築き上げていきたいと思える『出逢い』こそを求めている」のだと思う。

 

 

新しいなにかをやると、批判も応援も同時に来る。あるひとは言う。お前がやろうとしていることはめちゃくちゃだ。わたしは思う。たしかにめちゃくちゃなかのとかもしれないと。ただ、こんな時代だからこそ「めちゃくちゃに思えるような奇跡の実現」が必要なのだと思う。こうあるべきという枠の中で息苦しそうに生きているひとは多い、なによりも自分自身が「こうあるべき」の檻の中でもがいていた人間になる。こうあるべきの外側の世界を見たいと思う。世界を変えるのではなく「世界を増やす」ということ、世界にはまだまだ自分の知らない素晴らしい出来事がいくらでも起こり得るのだということを、言葉ではなく、カラダで実感するための数日間になるのだと思う。

 

 

集まる誹謗中傷に、時折何かを言い返したくなることもある。だがしかし、最近のテーマを「成熟したこころを育てること」に設定をしたわたしは、一旦ひと呼吸を置いて「成熟したこころがあるとしたら、いま、なにをやるだろうか」と考えることにしている。多分、成熟したこころは誰かに何かを言い返したり、誰かを悪く言ったり、憎しみに憎しみで応えるようなことをしない。己の誠のいたらなさを省みて、言葉を尽くし、瞬間における最善を尽くし、反省点を次回に生かす。現在の時刻は16:13。生に意識を向けるためには「メメント・モリ」を意識する。すべてに終わりの瞬間がある。みんな最後には死ぬんだよ。あなたも、わたしも、100年後にはこの地球上からいなくなる。生きているのはいまだけだということ、同じ時代を生きていることの奇跡を思うとき、つまらないことで憎み合っている場合ではないのだと思う。目を覚ませ、他にやることがあるだろうと、自分の頬を叩きたくなる。

 

 

ギャル男の荷物です!

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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《ゆうちょ銀行》※他の銀行から 店番号 018 店名 〇一八店(ゼロイチハチ店) 普通 5403120 サカツメ ケイゴ

 

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今日だけは、本気で生きろ。

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朝四時に目覚める。寝袋を出て、お湯を沸かして白湯を飲む。吐く息が白い。テントの外に出ると、小さな紙袋がちょこんと置いてあった。「あれ、なんだろう?」と思って中身を見ると、チョコレートと珈琲豆と白い封筒がはいっていた。誰かが置いて行ってくれたのだろうか。差出人の名前はない。封筒を開けると1ドル札が10枚、5ドル札が4枚、10ドル札が7枚はいっていた。言葉にならない気持ちがこみあげる。天を仰ぎ見る。空はまだ暗い。明日2月27日(火)からハワイに行く。誰でも自由に使える空間を彷徨い求める【居場所を作る】旅になるのだけれど、まだ、現地でのあてはなにもない。

 

 

ひとりでいると、真面目になりすぎたり、物事をすぐに深刻に考えてしまう。そんな自分の過度な緊張感をほぐしてくれたものは、常に『他者』の存在だった。自分を笑わせてくれるひとの存在や、自分を支えてくれるひとの存在、このブログを読んでくれているあなたの存在など、わたしを鼓舞してくれたものは「自分を見てくれる他者のまなざし」なのだと思う。こどもたちを見ていると思う。彼らは頻繁に「見て、見て!」と言う。見てもらえることのなかにはよろこびがあり、見てもらえないことのなかにはかなしみがある。誰かが自分を見てくれるということ、自分の生き方を一緒に面白がってくれるひとがいるということ。ただそれだけのことが、大きな力になることがある。

 

 

今回、ハワイに足を運ぶきっかけになった最大の動機は「自らが希望になる生き方をするため」というものになる。ちょっと大袈裟な表現だけど、社会的偏差値0【無職】の男たちがチームを結成して、ハワイという常夏の楽園に『誰でも0円で使える・泊まれるパブリックな空間』を生み出すことができたら、人生における自由度が比較的向上するばかりか、それを見ているひとにとっても「ちょっとした勇気や希望を感じていただける」内容になるのではないだろうか、などと思っている。人生はなにが起こるかわからないということ、Where there's a will, there's a way(意志あるところ必ず道通ず)ということを、言葉ではなく『リアルな生き様模様』を通じて体現できたらと思っている。

 

ibaya.hatenablog.com

 

気晴らしではない、真実の生き方

ここ数ヶ月、自分の日々を『マンネリ化している』ように感じていた。似たようなことを考えて、似たようなことをやり続けている自分の日々に飽き飽きしていた。かと言って、その代わりになにをやればいいのかがわからなかった。海外に行けば気分転換にもなるかと思って航空券を調べたり、ひとと話す(異性と交わる)ことで慰めを得ようとしたりも考えたが、なにかが違うことはわかりきっていた。わたしのやりたいことは「さみしさを紛らわせるため【気晴らし】」ではなく、自分自身の真実に立ち還った在り方、ああ、おれはこの瞬間のために生きていた、これをやるために生まれてきたのだと思える手応えを、生き方を、内面から湧きあがる無尽の意思を、強く求めていた。

 

ハワイに居場所を作るという発想をもったとき、自分の中で「これだ」という手応えを覚えた。海外に気晴らしで足を運ぶでもない、無為で無目的な日々を過ごすでもない、あったらあったでいいけれどなければなくてもいいという中庸的な思考でもない。ハワイに居場所を作る。どのような形になるのかは、まだ、なにもわからない。やりながら考える形になるのだと思う。これまでの自分の日々は、流れに身を委ねる【起きた出来事に自分をあわせる】ことがメインの生き方だった。しかし、今回のハワイに関しては「自分から動き出したい」「自分の本気を見てみたい」「出し惜しみをするのではなく、いままでの自分をすべて投じて実現をさせたい」という、自分のなかから、あとからあとから湧き上がる『前のめりな気持ち』があふれ出すのを感じていた。

 

ただ、自分ひとりでできることには限りがある。これまでの自分は、なんでも自分ひとりでやろうとしてしまう悪い癖があった。その結果孤独になり、その結果ロクな成果を残せずにいた。だからこそ、今回は『チームプレー』を意識的に最重要視したいと思った。ハワイに行くのは自分ひとりの肉体でも、それをバックアップしてくださる方々に助けを求め、自分ひとりではなく『みんなの力によって』実現をしたいと強く思った。昔から、孤独を感じることが頻繁にあった。孤独の殻に閉じこもり、自分ひとりだけの世界で生きている限り無駄に傷つくこともない。だが、ひとりでいる限り、誰かと交わることによって生まれるよろこびからも遠く離れてしまう。わたしに足りない部分、そして、なによりも学びたいと強く思う生き方は『周りの人と共に生きて、周りの人を引き上げ、孤独から少し遠のく』生き方だ。ハワイにおける行程のなかで、わたしは『頼ること』を覚えたい。頼ることを学びたい。頼ることで孤独から遠のき、頼られる側も自身の孤独から遠のくことができるような、そして『全員で想像もできなかった素晴らしい景色が見れる。それを学ぶ、今回の挑戦』になることを目指したい。

 

勝手に偉人伝・8『相田みつを』 

生前、相田みつをさんはこんな言葉を残しています。「外灯というのは、人のためにつけるんだよな。わたしはどれだけ、外灯をつけられるだろうか」と。偉大な人柄に触れたとき、同時に、自分のなかからも湧き上がる『なにか』を感じることがあります。なにかを素晴らしいと感じるのは、きっと、その素晴らしさが自分の中にもすでにあるからなのだと思います。相田みつをさんは、また「みんなそれぞれにほんものなのに、骨を折ってにせものになりたがる」 という言葉も残しています。みなさまも、是非、隙間時間に聞いて見てください。

 

www.youtube.com

 

わたり文庫『こころの手足』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、中村久子著作『こころの手足』です。中村久子さんについては、過去、勝手に偉人伝の中でもご紹介をさせていただいたのですが、その反響の大きさに驚きを覚えました。もしもいま、悲しみのあまり、自分の人生を投げ出したいと思っている人があるとすれば、わたしは「あなたは中村久子さんをご存知ですか」と尋ねてみたいと思います。そして、もしもまだご存知でないとすれば、なにもかもを諦める前に、1時間だけ、この本を読むため(あるいは動画を見るため)に時間を使ってくださいとお願いをしたいと思います。こちらの本をご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡をいたします。

 

【第4回・中村久子】これがわたしに与えられた人生なら、わたしは死なない。 - いばや通信

 

四肢なき悲しい運命を克服し、日本のヘレン・ケラーと謳われた女史の感動の生涯と信仰の記録。女らしい抒情豊かな筆致で力強くつづる寺田文学の白眉。(内容紹介より引用)

 

中村久子『こころの手足』【春秋社】

 

今日だけは、本気で生きろ。

ごちゃまぜの家【居場所】をハワイに作るということ。現在、横浜市菊名ですでに動き出しているごちゃまぜの家と、これからつくりたいと願うハワイの居場所と、同時進行で発展をさせていきたいと思っている。ごちゃまぜの家@菊名の管理は、これまでの日々の中で大変お世話になっている稲村さん・中村さん・三森さんの三名にお願いをしている。私達に共通点があるとすれば「全員が無職であるということ」で、彼らは決して豊かな暮らしをしているわけではない(三森さんに関しては、1日の食費150円で生きている)にも関わらず、常に無償でこの活動諸々を支えてくれている。無職という言葉につきまとうイメージはネガティブだが、彼らは働く無職であると同時にやさしい無職でもあり、日本とハワイを『チームプレー』で結び合わせたいと思っている。

 

 

わたしの誕生日は4月7日で、去年の誕生日にクラウドファンディングを通じて生まれた企画が、この「ごちゃまぜの家」になる。あと2ヶ月も経たないうちに、わたしは33歳の誕生日を迎える。33歳の誕生日を迎える前(ごちゃまぜの家の活動をはじめて一年経つ頃)には、ひとつのわかりやすい成果を示せたらと思う。残り時間は1ヶ月とちょっと、ごちゃまぜの家の管理人3名に加えて、常にお世話になっている嘉向徹さんと保科亮太さんにもお願いをした。「これからあと1ヶ月ちょっと、最後の追い込みにはいりたい。自分ひとりでできることには限りがあるから、力を貸してもらえたら本当にうれしい。これからしばらく忙しくなるかもしれないけれど、あと1ヶ月ちょっとの間だけ、一緒に忙しくしてもらえたらうれしい」と。彼らは、嫌な顔ひとつすることなく「わかりました」と答えてくれた。その声は爽やかで、念願のチームプレーがはじまるうれしさに触れながら、ああ、俺はずっとさみしかったのかもしれないということを思った。ひとりで生きるなんて思っていたのはただの強がりで、本当は、みんなでなにかを成し遂げたかったのだと、ひとりだけでよろこびを味わうのではなく、みんなでよろこびを分かち合うということを自分は求めていたのだということを思ったら泣けた。

 

gochamaze.hatenablog.com

 

彼らにしたお願いを、ブログ読者の方々にもお願いさせてください。どのような形でも構わないから、私達の活動を応援していただけたらうれしいです。メールなどで励ましの言葉をくれるだけでも(誹謗中傷などはいただきやすいけれど、喜びやはげましの声をいただける機会は少ない)大変にうれしいし、毎日、ふとした時に「あのひとたちはどうしているかな、いいことが起こるといいね」と祈ってくれるだけでも本当にうれしいです。昨日、ものすごい嬉しいメールをもらいました。このメールを読みながら「おれの命はおれの命であっておれだけの命ではない」のだと強烈に思いました。これまでの日々、なにかと言い訳をならべては「本気を出すことを避けてきた」人種であったように自分自身を見て思う。ただ、同時に『やる気のない不真面目な人間なんていない。ただ、具体的になにをしたらいいのかがわからない人間がいるだけだ』とも、自分を見ていて思います。ひとりの人間がやるべきことを見つけたとき、そして、それに向かってまっすぐに突っ走る姿を周囲の人間と共有したとき、きっと、奇跡は起きるものだと信じます。今日だけは、本気で生きろ。今日だけならば、きっと生きれる。そんな風に思いながら毎日を過ごしたい。自分の命は『自分の命であって、自分だけの命ではない』という入れ墨をこころの丹田に彫り彫り、(ああ、なんだかやったら硬い文章になってしまったけれど)ハワイ時刻27日7時にホノルル国際空港に到着します!!

 

 

坂爪圭吾様
 
雨水を過ぎましたが、今日は冬に逆戻りしたような寒い日となりました。坂爪さんにはいかがお過ごしでしょうか。
 
申し遅れました、私、○○○○○と申します。何度かLINEその他でやり取りをさせていただいたことがあります。
 
今日はハワイへ出発前のお忙しい中ではありますが、先日のブログを拝読いたしましてどうしてもお便りをと思い、メールいたしました。
本当は手書きのお手紙が良かったのですが、火曜日には出発なさるということですので、こちらメールにて失礼いたします。
 
いつもいつも坂爪さんのブログには、本当に力をもらっています。坂爪さんの生き方、坂爪さんの存在、そして言葉が、幾度となく私の心を救い、自分を愛する心をよみがえらせ、生きることの困難さから救ってくれました。「自分が生きるということ、自分を生かすということ、そのことがほかの誰かにとっても力になるような、そんな生き方をしていけたらと思います」という一文に震えました。私もまたその様に生きたいと、心の底から願っています。大それたことができるわけではありません。ただ、私の大切な人(家族・友人・知り合い)はもちろん、例えば私と道ですれ違っただけの人であっても、私の笑顔によって、振る舞いによって、その日一日が幸せに終われるような、そんな生き方がしたいのです。これこそ本当に大胆な夢かもしれませんね。「私の夢は世界平和。そのために貢献したい」と、神社仏閣に行くといつも必ずお願いしてしまいますが、そのために自分に何ができるのか、少しずつ見えてきた気がします。もちろんこれには、坂爪さんの存在がとても大きなウェイトを占めています。本当に心からありがとうございます。同時代に生きられたこと、幸せです。
 
近頃心の底から実感として思うのは、「人はパーフェクトでなくていい」「オールマイティな人間を育てる教育は必要ない」「生き物は相互補完で成り立っている。それは人間社会も例外ではない」だからダメな自分も素敵な自分も、全て自分として受け入れて愛していくことが一番大切なんだ、ということです。しかしこれは、心では分かっていても実際そのように生きていこうとするととても難しいことですね。これまで子供の頃から培ってきた・刷り込まれてきた社会通念や、まだまだ物質的・資本主義的価値観にとらわれている世間の在り方にともすると飲み込まれ、ひがみ根性が出てきたり、相対評価で落ち込んだり、自己否定が始まったり。
 
けれど時代は着実に「愛」と「相互補完」と「自分全肯定」の方向に向かっていると思うのです。坂爪さんは間違いなく、その最先端を麒麟児の如く突っ走っています!時には人々に理解されないこともあり、難儀することもあるのかもしれませんが、私は本当に坂爪さんを全力で応援しています。その傷つくことを厭わない勇気と、曇りのない空のような澄み渡った心に、私自身も自分の心を深化させ奮い立たせるきっかけを何度も何度ももらっています。重ねて、ありがとうございます。
 
この度は2月27日火曜日から、ハワイでごちゃまぜの家を探すべく旅に出られるとのことで、私としては今できる限りの(汗)お餞別を振り込ませていただきました。些少ではありますが、お役に立てていただけたら幸いです。今日振り込んだので、旅行に間に合うのかがちょっと心配でしたが、間に合わなかったらまた何か別の機会に使っていただけたらと思います。
 
振り込んだうちの2千円ですが、私の息子がお小遣いの中から「坂爪さんに!」と出してくれたものです。息子は小学校6年生ですが、担任の先生からの繰り返しの暴言・威嚇により現在不登校となっています。学校や教師や世間の求める、いわゆる「期待される人間像」を演じ「普通のたゆまぬ努力」ができないため、息子はダメのレッテルを貼られ、学校という枠組みからドロップアウトしてしまいました。
 
私もこの一連の事件によって約2年にわたり様々に悩み、考え、もがいてきましたが、最終的にたどり着いたのは「この世は何でもありだな」という考えでした(笑)何が普通で何が正義か、そんなものは時と場所によって変わるもの、諸行無常会者定離、思い悩むことなくあるがままに全てを受け入れよう、不確定な未来に振り回されることなく今を生きよう、と心を決めました。
 
こんなことを確信させてくれた息子には、心底感謝です。
「坂爪さんと一緒にハワイに行きたいな~~」と言ってた息子の心だけをお供に(笑)持って行っていただければ嬉しいです。きっと坂爪さんがハワイで出会ったあれこれに、私達親子もまた清々しい力を分けていただけることと思っています。
 
先日のブログで紹介されていました吉野弘の詩集。私も「生命は」「夕焼け」「奈々子に」が大好きです。以前私がわたり文庫に送った本の中に、本書も入っていましたが、今回改めて坂爪さんも吉野弘を好きだと分かり、とても嬉しいです。同じ作家、同じ本を好きだと思っていらっしゃる方に出会うと、本当に心が浮き立ちます。帰国後、読書会の企画がまた在りましたら是非参加させていただきたく思います。聖書、仏典等の勉強会もとても気になっております。
 
もしも『吉野弘詩集』をご希望の方がいらっしゃらないようでしたら、もう一度あの本を手元に置いて、息子に読み聞かせたいとちょっと思いました。しかし、多くの方に読んでいただきたい詩集なので、ご希望の方がいらっしゃる場合はそちらの方にお譲りいただきたいです。よろしくお願い致します。
 
では、旅行の直前に長文のメール、失礼いたしました(汗)
どうかお体に気を付けて、素敵な旅となりますように!!
 
○○○○○

 

 

テントからおはようございます!

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

お賽銭箱:坂爪圭吾に「もっと生きろ!」という方はこちら
ゆうちょ銀行》※ゆうちょ同士
 10120−54031201 サカツメ ケイゴ 

《ゆうちょ銀行》※他の銀行から 店番号 018 店名 〇一八店(ゼロイチハチ店) 普通 5403120 サカツメ ケイゴ 

 

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おれはおれを生きるから、お前はお前を生きろ。

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突然ではありますが、2月27日から3月9日まで急遽ハワイに行くことになりました。目的は「ごちゃまぜの家の候補地or適切な空き地と出逢うこと」です。ハワイに暮らす知り合いがいる訳でもないので、あてもなにもない状態ではあるのですが、奇跡を信じて実際に足を運んでみたいと思います。もしも「ハワイに行ったら○○をするといいよ!」などご存知の方がおりましたら、どのようなものでも構いませんので教えていただけたら幸いです。みなさまからのお知恵を貸していただきながら、どうにかこうにか、ハワイでキラッと光るなにかを見つけてこれたらと思っています。

 

連絡先・坂爪圭吾

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keigosakatsume@gmail.com

 

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昨日の感動的な出来事

昨日、とても感動的な出来事がありました。わたしがハワイに行くことを告げると、その話を聞いたY様が「私もハワイにはとても憧れていて、死ぬまでに一度は行ってみたいと思っていたところなので、そこに坂爪さんが行くというのはとても嬉しいです。なにかお守りになるようなものをあげたいと思ったのですが、わたしは持っているものも少ないから、あげられそうなものもなにもなくて、どうしようかなって考えていたときに、あ、これがあると思って持ってきました!」と、わたしにあるものを差し出してくれました。

 

そのあるものとは、Y様が昔から大事に使っていた『海亀が刺繍されている皮財布』です。Y様は言います。私はこのお財布にすっごい助けられてきました。このお財布があったから、いまもこうして生きていることができているんだなって思うんです。だから、わたしにはあげられるものがほかにはなにもないから、このお財布をおまもり代わりに持って行ってください。きっと、さかつめさんの大事な命を守ってくれると思います。お金も「命を守るもの」だと思うので、お金もはいっています。途中で落としちゃったり、どこかに無くしたりしちゃっても大丈夫です。私もハワイにいけたらいいなって昔から思っていたのですが、生きているうちに行けたらいいなとも思うけれど、死んでからでもいいのかなって思っています。だから、全然重く感じないでもらえたらうれしいのですが、これをおまもりに持って行ってください。

 

この言葉を聞いたとき、震えるような感動と感謝が湧き上がりました。感謝とは「感じて謝る」と書きますが、わたしは、何か大きなものに対して手をついて詫びたいような、そんな気持ちになりました。大袈裟な言葉で言えば、自分の中にある罪の意識を感じました。Y様の思いに触れたとき、わたしは、激烈に感動をしました。そして、震えながらもありがたくお財布を受け取りました。お財布を受け取りながら、ああ、おれはほんとうに傲慢な人間だったと思いました。わたしは、ともすると自分を正しいもののように思い、ひとを責め、ひとを裁くような考え方をしてしまいます。ひとによって生かされていることを忘れているときの自分は、本当に醜く、本当に罪深く、本当に恥ずかしい存在であるように思います。Y様の言葉と、Y様のお財布は、そんな「傲慢になっていた自分」の鼻を見事にへしおってくれました。そして、大切に使おうと思いました。自分に与えられているもの、自分の時間、自分の命、Y様のお財布、その他もろもろの恩恵を大切に使いながら、キラッと光るなにかをハワイで見出していきたいと強く思いました。

 

「働く」ことのよろこび。

ハワイ行きが決まってから、慌ただしい日々を過ごしていました。時間に追われる日々を過ごしていると「ああ、忙しい!忙しい!」みたいなことを思ってしまう(精神的な余裕を失ってしまう)こともあるのですが、忙しいということ、やることが与えられているということは、本当はとてもありがたいことなのだと思います。わたしは、過去に、椎間板ヘルニア躁鬱病統合失調症のトリプルパンチで寝たきりの生活をおくっていた時期があります。その頃は、働きたくても働くことができませんでした。誰かの力になりたいと思っても、それをすることができませんでした。それができないばかりか、自分が生きていることが周囲に迷惑をかけている、周囲に負担を与えている、そう思うことがとてもつらく、自分なんていないほうがいいのだと強く感じる日々を過ごしていました。

 

ibaya.hatenablog.com

 

やることが与えられているということは、本当はとてもありがたいことなのだと思います。ともすると、すぐにそのことを忘れがちになってしまう自分を悔い改めさせてくれるものは、常に『他者』の存在でした。自分という人間は、生きているのではなく「生かされている」のだということを、私は、ともすると簡単に忘れてしまいます。そして、傲慢な考え方をするようになってしまいます。そんな自分を正してくれるものは、常に『他者』の存在でした。自分はひとりだけの力で生きているのではなく、無限に広がる網の目の中で、お互いに生かし生かされながら生きているのだということを思うとき、わたしは、大袈裟な言葉になりますが敬虔さのようなものを感じます。そして、その敬虔さを前に、自分の罪深い弱さやみにくさを恥じて、いまよりもよい人間になりたいなどと思います。

 

私には、なんでも自分ひとりだけの力でやろうとしてしまう悪い癖があります。そのため、無駄に自分を過酷な状況に追い込み、無駄に体力と精神力を消耗し、無駄に死に急ぐ傾向があります。昔より少しだけおとなになったいま、思うことは「大事なことは死に急ぐことではなく、適切な形で自分の命を生かすこと」なのだと学びました。無駄に野営を続けて体力をすり減らすのではなく、豪華なホテルに泊まる必要は皆無だけれど、疲れたときはちゃんと布団で眠ること。おなかが減ったときは、炒めた玄米をかじってごまかすのではなく、しっかりと栄養のつくものを食べること。当たり前すぎる話かもしれないのですが、それが『自分を大事に扱う』ことなのだと学びました。今回のハワイ行きにあたり、坂爪圭吾の銀行口座番号を公開することを決めました。その理由を上手に説明することができないのですが、ここにある言葉「本気で挑んだトライの末の失敗だとしたら、それは本当に素晴らしい。その姿勢をみなさんに見せたりすること。みんなで協力して、新しい世界を見たいと願って行動するということ。それだけでも、自分と、人の人生において、忘れられないような輝く時間になる。周囲の見てる人も心も動かされるはず」という言葉を、わたしが『信じたい』と思ったからです。ハワイでの日々がどのようなものになるのか、いまはまだ想像もすることができません。ただ、少なくとも「自分はできるだけのことはやった」と思うことのできるような、固く重く深刻な意味ではない、芯があるうえで柔らかで軽やかな『本気』と共に、ハワイに向かいたいと思います。これは自分の冒険であって、自分だけの冒険ではないのだと思います。Y様の冒険でもあり、これを読んでいるあなたにとっての冒険にもなる。そんな「みんなの冒険」になるような時間を、瞬間を、しっかりと捉えていきたいと思います。

 

ゆうちょ銀行 10120 54031201 サカツメケイゴ

 

ゆうちょ銀行以外からの振込の場合

銀行名 ゆうちょ銀行

金融機関コード 9900

店番 018

預金種目 普通

店名 〇一八店(ゼロイチハチ店)

口座番号 5403120

 

ibaya.hatenablog.com

 

勝手に偉人列伝・7『細川ガラシャ

わたしたちは「愛」という言葉を簡単に使います。しかし、真の意味でなにかを愛するということは、実際はとても難儀なことであるように思います。健やかなときにひとを愛することは簡単でも、病めるとき、苦しいとき、厳しいとき、途端に愛は困難な一大事業に変わります。明智光秀の娘として生まれ、壮絶な最期を迎えた細川ガラシャさんの生き様に、わたしは、芯の通った『愛』を見たような思いを抱きました。細川ガラシャさんの辞世の句「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ(花は散る季節を知っているからこそ、花として美しい。私もそうありたい)」にも、生きる姿勢を正してもらえるような凛とした影響を受け取りました。みなさまも、是非、隙間時間などに聞いて見てください。 

 

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わたり文庫『吉野弘詩集』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、吉野弘著作『吉野弘詩集』です。わたしは、この本の中にある『生命は』『夕焼け』『奈々子に』という詩が大好きです。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡をいたします。

 

※※※ こちらの本は、兵庫県にわたりました ※※※

 

「生命は」

 

生命は

自分自身だけでは完結できないように

つくられているらしい

花も

めしべとおしべが揃っているだけでは

不充分で

虫や風が訪れて

めしべとおしべを仲立ちする

生命は

その中に欠如を抱き

それを他者から満たしてもらうのだ

世界は多分

他者の総和

しかし

互いに

欠如を満たすなどとは

知りもせず

知らされもせず

ばらまかれている者同士

無関心でいられる間柄

ときに

うとましく思うことさえも許されている間柄

そのように

世界がゆるやかに構成されているのは

なぜ?

 

花が咲いている

すぐ近くまで

虻の姿をした他者が

光をまとって飛んできている

 

私も あるとき

誰かのための虻だったろう

 

あなたも あるとき

私のための風だったかもしれない

 

吉野弘吉野弘詩集』【ハルキ文庫】

 

おれはおれを生きるから、お前はお前を生きろ。

三浦綾子さんの『藍色の手紙』というエッセイ集のなかに、日記の勧めが紹介されていました。その本の中で、三浦綾子さんは「自覚的に自分を眺めることは、私たちが思っているよりも、もっと自分を豊かにしてくれることと思います」と書かれています。自分自身、生きているなかでしんどさを覚えた時は、なんでもいいから紙の上に自分の思いを吐き出すことで、落ち着きを取り戻すことができた体験が幾度となくあります。紙に吐き出すということは「神に吐き出す」ことと似ているのかもしれません。誰にも言えない話を紙【神】に吐き出すことで、自分自身を客観的に眺めることができるのだと思います。

 

自分という人間は、この世でたった一人だからです。地球始まって以来、自分と同じ人は、一人も生まれたことはありませんでした。そしておそらく、今後も自分と同じ人間は絶対に現れないはずなのです。その自分をいとおしんで欲しいのです。愛して欲しいのです。自分を正しく愛することが多ければ、人を正しく愛することも多くなると思います。自分をいとおしむことは、人々の幸せに関わることだと思うのです。ー 三浦綾子『藍色の便箋・日記の勧め(小学館文庫)』より引用

 

本当にその通りだなと思い、ごちゃまぜの家でも『日誌』という形で公開日記をはじめることにしました。先日、ごちゃまぜの家に遊びに来てくれた方から、誰のために坂爪さんは文章を書くのかと問われました。わたしは、しばらく沈黙をした後に「自分のためです」と答えました。が、そのあと、自分は嘘を言っているような気がしたので訂正をしました。わたしは「先ほどは自分のためと言いましたが、ちょっと的確ではないような気がしました。私は、多分、(自分を含めた)人類全体のために書いているのだと思います」と、そのようなことを答えました。

 

gochamaze.hatenablog.com

 

自分が生きるということ、自分を生かすということ、そのことがほかの誰かにとっても力になるような、そんな生き方をしていけたらと思います。しかし、思うことは簡単だけれど、実際に『夢を生きる』ことは難しい。Y様が、ハワイに向かうわたしに向けて「生きているうちにいけたらいいとは思うけれど、死んだあとからいってもいい」という言葉と共に、おまもりを託してくれた瞬間のあの感動と感謝を、いま、改めて感じています。自分はひとりだけの力で生きているのではないということ、生きるということは『チームプレー』であるということを、そこに自分も参加させてもらっているのだという恩恵を、ありがたく受け取りながら、自分に与えられた命を精一杯生かしていきたいと思いました。

 

 

https://www.instagram.com/p/Bfg_J_mj6yB/

夢を見よう。みんなが幸せになっちゃうような、素晴らしい夢を。

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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あなたは私の代わりに生きていて、私はあなたの代わりに生きている。

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前回の記事で「呼ばれた場所ならどこでもお花を配りに伺います!」と書きました。ら、北海道と東京と静岡と愛知と兵庫と山口と福岡と沖縄から連絡をいただきまして、坂爪圭吾の思考回路は開始二日目にして停止をしました。誠に申し訳ないのですが、一旦冷静になりますのでいましばらく返信をお待ちください!!(現在地などはイベントページから更新を行う予定になりますので、界隈にお住いの方はお気軽にご連絡ください。とか言いながら、返信がまったくできていなくて申し訳ありません!)

 

おはなをあげる。

 

趣味は自爆です。そう言えるくらいには「おれはなにをやっているのだろう」と思う日々です。前回の記事で「ごちゃまぜの家の活動資金は現在こんな感じになっています!」と書きました。が、言葉だけで説明をするのが難しすぎたために、昨日の昼間に『サカラテスの弁明』と称して、なぜ、これだけのお金がかかったのかを詳らかに弁明させていただく機会を設けさせていただきました。が、それはそれは見事に坂爪圭吾のダメさが露呈される結果になりまして、ああ、おれはやっぱりダメな人間なんだなあと逆に清々しい気持ちになりました。今世の合言葉は「今世は諦めてください」なので、もう、ダメならダメなまま今世はこのまま生きるしかないのだなあと思ったのでした。

 

ssl.twitcasting.tv

 

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男の日常。

昨日は、東京の渋谷で3名の方におはなを配りました。

 

ー 18時30分

 

ハチ公前で女性E様と合流をしました。E様は、私に、非常にありがたいことに特大サイズの葛餅をプレゼントしてくれました(とても嬉しかったです!)。わたしは「開封した瞬間に全部食べなきゃいけないと思っちゃう病」の罹患者【重度】で、カントリーマアムのファミリーパックなどは相当にやばいのですが、その後、深夜に大量の葛餅をひとりで食べきるという愚行をしてしまいました。

 

ー 19時ちょっと前

 

場所を同じくしてハチ公前で男性S様と合流をしました。話を聞くと、S様、なんと今日が29歳の誕生日!とのこと。これは祝わなければいけない!ということで、最寄りのカフェに足を運びます。「今日はご馳走をさせてください!」と偉そうな顔をしながらS様にメニューを渡した瞬間、私は非常に重要なことに気づきました。ああ、そうか、おれはこうやってすぐになんでもかんでもご馳走をしてしまいたがる傾向があるから、あったはずのお金もすぐになくなるのだということを思い出したのです。「ああ、これか・・・これだったのか・・・」と・・・(猛省)。

 

ー 19時30分

 

S様といたカフェに女性M様が合流をします。私とM様は初対面、もちろんS様とM様も初対面になるのですが、両者ともに「一緒でも構いませんよ」とおっしゃっていただいたのでお言葉に甘えて3人で酒を飲みました。S様は、素敵すぎるキャンドルと、あろうことか「活動資金に使ってください!」と金一封まで贈呈をしてくださいました。この瞬間の感動を言葉でうまく説明することが難しいのですが、物をもらえるとか、お金をもらえるとか、そういうことだけではなくて「そこに込められている気持ちがうれしいのだ」と、そしてなによりも「おはなをあげるとか言っている坂爪圭吾が、なんならもらってばっかりいるこの現象はなんだ!」ということをすごく強く思いました。

 

人間の価値とはいかに。

S様の妹様は、先天的な障害をもって生まれてきたという話を伺いました。妹様が、職業訓練のような場所に通っていたとき、その空間の空気感が「働けないものには価値がない」前提のものだったことがどうしても身体にあわず、その後、うつ病めいた感じになってしまったと聞きました。わたしは、この「働かざるもの食うべからず」という考え方に、冷酷な精神を感じることがあります。役立たないものは無用のもの、自分で金を稼げないものは価値のないものと決めつける、差別的な精神を感じてしまうのです。

 

わたし自身、過去に躁鬱病統合失調症椎間板ヘルニアのトリプルパンチで、半年間の寝たきり生活をしていた時期があります。自分が生きていることが誰かに迷惑をかけている、負担を強いている、体の自由がきかない自分はなにもすることができない、そんな自分はこの世の中にいないほうがいいんじゃないだろうかと感じたことのあるひとは、決して少なくないと思います。しかし、役に立つから有用、役に立たないから無能、健康だから有用、不健康だから無能、頭のよいものは有用、頭のわるいものは無能とするのでは、やはり、あまりにも差別的に過ぎるように感じることがあるのです。

 

どうしてこの

わたしではなくて

あなたが?

あなたは 代わって

くださったのだ

 

精神科医神谷美恵子さんにとって、はじめて目に触れたハンセン氏病者たちの姿は、とても強烈な衝撃を与えることになりました。その衝撃によって、神谷美恵子さんは「癩の人に」という詩をつくりました。わたしは、この詩のなかに『思いやり』としか形容することのできないものを感じました。これは、ただの綺麗事に過ぎないことなのかもしれませんが、わたし達は「互いにやさしさを学び合うため」にこの世の中にいるのではないだろうか、などと思うことがあります。そうでなければ、役に立たなければ価値がないとか、健康でなければ価値がないとか、金を稼げなければ価値がないという価値観だけでは、思いやりに欠けた、潤いのない、やさしさのない、非常にギスギスとした世の中になってしまうのではないだろうかと、冷酷な差別意識をおそれる気持ちがあります。

 

ibaya.hatenablog.com

 

勝手に偉人列伝・6『勝海舟

今回の「勝手に偉人列伝」は、無血開城でおなじみの勝海舟さんです。当時、蘭学を学びたいと思った若き日の勝海舟さんは、しかし、60両もする蘭学の本を買う経済的な余裕がありませんでした。そこで、勝さんは本の持ち主から10両で一年間後払いで借り、なんと、全58巻(!)をまるまる手書きで書き写す(しかも二部!!!)という覇業を成し遂げます。その後、一部を知人に10両で売り、そのお金を貸主への返済にあて、残りの一部を蘭学習得のために使っていたのでした。わたしは古い人間だからなのでしょうか、このような苦学ぶりを伝えるエピソードに触れると「意思のあるところに道は開ける・・・」などということを痛感できて、なんだかうれしい気持ちになります。みなさまも、是非、隙間時間などに聞いて見てください。

 

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わたり文庫『ひかりのいと』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、銀色夏生著作『ひかりのいと』です。こちらの本は、宮城県在住の女性から「わたり文庫に使ってください」と贈呈をしていただいた一冊になります。読み終えたときに、ああ、これはまるで宝石のような一冊だと思いました。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡をいたします。

 

※※※ こちらの本は、大阪府にわたりました ※※※

 

いろんなことを考えはじめると心細くなり気弱になって眠れなくなり、

まるで川の流れにくるくると翻弄されてる一枚の落ち葉のように、自分を思ってしまうから、

わたしは大きな山だと思おう

岩のようにかたく強く重くしっかりとした山

大地にしっかりとすそ野をひろげ ゆらがずゆうゆうとすわっている山

遠くまでみわたせて 近くもみえて

落ち着いて落ち着いて 深呼吸もできる

やわらかくなだらかな稜線をもつ緑深い山

自分を大きな山だと思って 眠りにつこう

 

「祈るように願う」

 

祈るように願う

形から入っても

思いがそれに続きますように

 

祈るように願う

悲しみの海は深くはないと

あの人が気づきますように

 

祈るように願う

何度でもやり直せることを祈るように願う

あの人が気づきますように

 

祈るように願う

今見えるものにも別の面があることを

あの人が気づきますように

 

祈るように願う

今悩んでいるその場所から

心だけは飛び出すことができることを

あの人が気づきますように 

 

生きる力というのは

ひょんなことからわいてくる

誰か僕の未来にわずかな期待をもってはくれないか

それを口に出してはくれないか

 

銀色夏生『ひかりのいと』【角川書店

 

あなたは私の代わりに生きていて、私はあなたの代わりに生きている。

ただ生きるということ、ただ生き延びるということ、それだけのことならば(現代社会においては職場環境も福祉も昔よりはるかに充実をしているから)それほど難しいことではないのだと思います。でも、それでもなお、人間は「ただ、生きているだけではむなしい」と感じる生き物なのではないだろうか、と思います。生きるため、生活のため、死なないためだけに生きるのではなく「生きたいと思わせてくれるもの」との出会いを、誰もが求めているのではないだろうかと感じています。

 

いまから10ヶ月程前、わたしはハワイのマウイ島にいました。ハレアカラという名前の活火山の麓で、私たちはテントを張ってキャンプをしていました。翌朝、昇る朝日を迎えるために、私たちは車を飛ばしてハレアカラ火山の山頂を目指しました。到着と同時に、東の空からゆっくりと朝日が昇りました。その時に見た雲海の素晴らしさを、その時に見た朝日の素晴らしさを、いまでも頻繁に思い出すことがあります。大袈裟な言葉になるけれど、わたしは「生きていれば、また、こんな風景を見ることができるのだ」と感じました。また行きたいと思える場所があるということ、また会いたいと思えるひとがいるということ、なにかを好きになるということは、それだけで「これからも生きていきたい」と思える希望になり得るのだということを思いました。

 

働くとは、必ずしもお金を稼ぐことだけではなく『側を楽にする』ことだと言われています。誰かになにかをしてもらうことを考えると失望が生まれるけれど、誰かになにかを『してあげる』ことを考えはじめたときに、生まれるものが『希望』や『信頼』なのだと思います。きっと、ひとはどのような状態に置かれていたとしても「誰かのためになにかをすることができる」ものだと思います。かく言うわたし自身、日々、反省と実践の反復横跳びを繰り返しているふつつかものではございますが、少しでもまともな人間になれるように、これからも邁進をしていきたいなと思いました(これからメールを返信するのでお待たせしている方々いましばらくお待ちください!!)。

 

 

 

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はわひ。。。(ハワイの夕日)

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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何をしてもいいし、何もしなくてもいい。

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神様から「つべこべ言わずに散れ!」と言われた気がしたので、本日2月20日(✨大安✨)より呼ばれた場所ならどこにでも伺っておはなをお届けにあがる営みを開催します。散る桜、残る桜も、散る桜。散り際の美学とでも申しましょうか、人間、往生際よく逝きたいものだなと感じております。小生、不幸の元凶は「自分かわいさ」にあるのではないだろうかと思うことが多いのですが、この点、ここからは自分との心理戦であるのだと。自己破壊と他者貢献が人生の肝だと。能書きばっかり垂れがちなわたしではございますが、「おはなをちょーだい!」という方は、是非、どなたさまでもお気軽にご連絡ください。

 

おはなをあげる。

 

昨日、こころある方から「ごちゃまぜの家第2号をつくる前に、ごちゃまぜの家のお財布事情はどうなっているかを公開するといいのではないでしょうか!クラウドファンディングのお金がどのように使われているのか、必要な維持費や月額の固定費、ごちゃまぜの家ではどのような日常が流れているのかなど、そういったことが書いてあるとブログ読者のみなさまにも『ああ、そんな感じなんだね!』ってよりわかりやすく伝わるような気がします!」といいお言葉をいただきました。わたしは「まさにその通りすぎる!」と感動をしたのちに「なんでそんなことにも気がつかなかったのだろう!」と強く反省をしました。このような指摘をしてくださる方々の存在に感謝をします。ものすごい今更にはなりますが、この場を借りて『ごちゃまぜの家のお財布事情』を簡単にご説明させていただきます。

 

ibaya.hatenablog.com

 

ごちゃまぜの家のお財布事情

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ごちゃまぜの家とは、2017年4月にクラウドファンディングという仕組みを通じて、みなさまからいただいた支援金をもとに、2017年5月末に横浜市港北区に生まれた「誰でも無料で自由に使うことができる・泊まることもできる家」になります。

 

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クラウドファンディングでは、驚きの231名もの方から、驚きの487万円(!)もの支援金をいただきました。また、クラウドファンディングを通じてではなく、実際に手渡しやお振込などで支援をしてくださった方々もいる(もう本当にありがとうございます。この場を借りてもう一回感謝させてください。否、死ぬまで何度も感謝をさせてください!!)ので、クラウドファンディングの事務手数料【総額の10%】を差し引いても、手元には550万円もの活動資金が集まりました。ああ、もう、本当にこころの底からありがとうございます。みなさまのおかげでごちゃまぜの家は生まれました。いま、この文章を書きながら「もう一度お礼の気持ちをみなさまに伝えたい!」という気持ちになってしまったので、ご支援いただいた方々の中で、もしも、もしも、もしも、いま一度坂爪圭吾と電話をしたいという方がいらっしゃいましたらばお気軽にご連絡ください。みんなに電話なんて大変じゃないですかなどと気遣っていただけることも多いのですが、電話をさせていただくことで自分自身『新しい着想』を得たりすることもできるので、非常に助かっております!!

 

連絡先・坂爪圭吾

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keigosakatsume@gmail.com

 

このお金、いまはどうなっているのか。 

 

クラウドファンディングのリターンの花束

ひとり1万円 × 20人=20万円

リターンの際の往復交通費 30万円

ごちゃまぜの家の契約初期費用 15万円

グランピング設備代 10万円

交通費+ガソリン代+高速道路代 50万円

家具・寝具・食器・調理器具代 20万円

人件費的な慰労代 30万円

庭の剪定・植物代 10万円

運搬・粗大ゴミ処理・各種修理代など 20万円

 

食費 月額3万円×9ヶ月=27万円(以下、多めに計算しています)

光熱費(ガス・水道・電気) 月額3万円×9ヶ月=27万円

雑費 月額1万円×9ヶ月=9万円

灯油代 月額1万円×2ヶ月(1月から使用開始)=2万円

 

当初の活動資金 550万円

現時点での使用金総額 270万円

活動資金残金 280万円

 

こちらのような形になっております。

 

ごちゃまぜの家の「いま」と「これから」

本来であれば一個一個使用金の詳細を説明するべきだとは思うのですが、文章だと非常に難しいために近日中に音声に録音したものを公開します!現在、ごちゃまぜの家は築65年の古民家を借りて行われています。不動産屋さんのご好意で家賃は0円になる(本当にありがとうございます!!)ために、月々に必要なものは光熱費+食費+雑費になります。上の計算だと、月額最高8万円かかることになるのですが、多分、究極の節約をすれば3万円程度に収まるように思います。現在の活動資金の残高はおよそ300万円、そのうちの100万円はごちゃまぜの家(現在菊名でおこわわれている家)の維持費として大事に取り扱いをしつつ、残りの200万円を有効活用して「世界のどこかにごちゃまぜの家の第二号を!」と、鼻息をあらくしているのが現在になります。

 

「無料」なのにどうやって維持をするのか

ここが一番のポイントになります。ごちゃまぜの家は「誰でも自由に『無料で』使える家」なので、基本的にお金は(出て行くことはあっても)はいってくることはありません。100万円を維持費にあてたとき、月額3万円でおさまったとしても、およそ3年後には活動資金はなくなります。その時は、もちろんわたし自身がアルバイトでも派遣社員でもなんでもいいから労働を行い、そこで稼いだお金を運営資金にあてるという形でも問題はないのだと思います。ただ、私が抱いている仮説のひとつに「ほんとうに世の中にとって必要なことをしているのであれば、必ず、どこかから『生きろ!』という救いの恵みが差し伸べられるはずだ。逆に言えば、世の中にとって必要なことができていないときは、生かされることもなく野垂れ死ぬまでのこと。その時は、潔く散ろう(そしてほかのやり方を挑戦しよう)」ということを思っているために、採算性は一旦度外視をして、活動そのものに宿る『精度』のようなものを磨くことに、現在は専念をしています。

 

365日炊き出しが行われている状態

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理想は「365日炊き出しが行われている状態!」になります。現段階では、私、坂爪圭吾が米炊きじじい役を買ってでておりまして、常にあずき玄米だけは絶やさない家庭作りにいそしんでおります。あずき玄米とは「酵素玄米」とか「寝かせ玄米」などとも言われているみたいで、保温したまま寝かせておけば寝かせておくほどに、栄養価が高くなるという優れもの!単純に「(白米はパサパサになるけれどあずき玄米なら)保存が効く」ことが便利で助かるので、常に、ごはんだけは炊かれている状態が維持されています。

 

今世紀最大の大発明「ランドリーマグちゃん」

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先日、こころある方から「自然に優しいエコな洗剤をプレゼントします!」と、こちらの商品【ランドリーマグちゃん】を贈っていただきました。使ってみてびっくり!これ、ただ洗濯機にいれて洗濯物と一緒に洗うだけなのに、汚れも臭いも落としてしまうという優れもの!便利!簡単!楽チン!300回【およそ一年間】の使用に耐えるとのことなので、その間、いっさいの洗剤が不要ということになるのです。世の中はこんな風に進化をしているのだなと・・・こんな進化ならば大賛成だなと・・・ごちゃまぜの家をやっているといろいろなひとがいろいろなことを教えてくれるから最高だなあと・・・みなさまも、是非、興味のある方は『ランドリーマグちゃん』を使ってみてください。

 

【参考リンク】https://magchan.com/

 

勝手に偉人列伝・5『上杉鷹山

ロバート・ケネディ大統領がもっとも尊敬する人物の名としてあげた『上杉鷹山』。ごちゃまぜの家の活動をはじめてから、私は、ことあるごとに(第2回で紹介をした)新島襄上杉鷹山の動画音声を、何度も、何度も、何度も、自分を励ますように聞いてきました。彼らに共通しているのは、大袈裟な言葉ではありますが『誠』に尽きると思います。自分が思う誠実さのど真ん中を生きるとき、決して、天はそのひとを見放すようなことはしないのだと、そういうことを感じさせてくれる大好きな偉人のひとりです。みなさまも、是非、隙間時間に(音声だけでも構わないから)聞いてみてください。

 

【第2回・新島襄神のなさることは、すべて時にかなって美しい。 - いばや通信

 

www.youtube.com

 

わたり文庫『心のある家』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、三浦綾子著作『心のある家』です。前回の記事でも、こちらの本に掲載されていた素晴らしいエピソードを紹介させていただきました。三浦綾子さんの文章からは、読んでいるだけでこころが清らかになるような、姿勢を正すことができるような叡智を授かることができるように思います。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡をいたします。

 

※※※ こちらの本は、宮城県にわたりました ※※※

 

「ぼくらの職場では、人間関係が目茶目茶でね、どうしようもないんだ。君。一度説教に来てくれないから」

 

(中略)

 

この話を聞いた時、私がふと思い出したのは、河合隼雄氏の言葉だった。ある中学生が家庭内暴力を始めた。父親は、「欲しい物は何でも与えてある。この上何が欲しいのか」と尋ねた時、彼は、

 

「うちには宗教がないではないか」

 

と答えたという。少年たちもまた、心の飢えを訴えている時代なのであろう。

 

〈わたしが苦しみに遭ったことはよいことであった〉

 

という聖書の言葉が添えられてあった。私はどきりとした。今尚苦しみの只中にある人が、こんな聖句を書いて下さるとは。昨年お会いした時、私はそのことを氏に言った。星野氏は、

 

「病気とか怪我というものに、最初から不幸という肩書はついていないのですね。それをつけるのは、先ず人々の先入観、それから、その人のそれまでの生き方の問題というか・・・」

 

と、淡々と話された。星野氏の目は澄み、そして輝いていた。

 

生命を愛する第一は、自分自身を尊重するところから始まる。自分を精神的に高めるところから始まる。恋愛はお互いの精神が高められる交際でなければならない。そこに立ち戻らなければ、毎年おびただしい胎児が、闇から闇に葬られる悲惨をとどめることはできないのではないか。

 

三浦綾子『心のある家』【講談社文庫】

 

何をしてもいいし、何もしなくてもいい。

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都会にこそ『静けさ』が必要だ。そのような思いから、ごちゃまぜの家にはできるだけものは少なく、テレビを置かず、自分自身(そして目の前にいるひとと過ごす時間)を大切に扱える空間になるようにと、できる範囲のところから心を配るようにしてきました。自分自身、高級な調度品を揃えておもてなしをすることはできないけれど、できる限り、作り手のあたたかさを感じることができるような品々を揃えて、慎ましいなかに『豊かさ』を見出すことができるような、そんな空間づくりに励んでいる真っ最中ではあります。が、数日前、ごちゃまぜの家に宿泊をしてくださった方からなんともうれしいお言葉をいただきました。こんな風に言っていただけることは、本当にうれしいことだと感動をしました。

 

坂爪さん、お世話になりました。お布団敷いてくださったり、あげてくださったり、素晴らしい晩げの食卓を整えてくださり、本当にありがとうございました。

 

スマホもテレビも音楽もない粛々とした時間は、それぞれが、自分も目の前にいる相手も大事にしてる素晴らしい時間だなぁと思いました。

 

わたしは家にいるとき、何かしなければという焦燥感にかられ、やたらに動くのが止められないのですが、昨日は心の奥からゆったりとした時間でした。そして、心の奥から満たされると、ゆるやかなあたたかい気持ちで帰路についております。

 

とても贅沢な時間を過ごさせていただき、本当にありがとうございました。

 

また再会の日を楽しみにしております。

 

よしえさんにも、どうぞよろしくお伝えくださいませ。彼女の存在は、場を緩ませてくれますね。すてきだ。


置いてきたエプロン使ってください。
あと、陶器作ってらっしゃる方のこと教えていただければ幸いです。

  

私自身、過去に「家のない生活」を2年間程度していたのですが、その間に様々な方々との出会いに恵まれました。ご自宅に泊めていただいたり、食事をご馳走になったり、自家用車に載せていただいたり、お話に付き合っていただいたりなど、大袈裟な言葉になりますが「いろいろなひとに育てられる」という体験をしてきたように感じています。この、いろいろなひとに育てられた経験は、誰にも奪うことのできない『宝』になりました。血の繋がった両親というものはふたりしかいませんが、自分を育てあげるものは、必ずしも血縁者だけではないのだと思います。「いろいろなひとを育てる/いろいろなひとに育てられる」という体験が、この家を通じて、様々な方々にとっても体験をしていただける(?)空間になれば素晴らしいなあと思っています。ごちゃまぜの家は常に開放をしているので、お近くに立ち寄られた際は、是非、お気軽に遊びにいらしてください。管理人不在の場合もありますので、事前に坂爪圭吾まで来訪の旨をご連絡いただけましたら幸いです。

 

GOCHAMAZE no IE

神奈川県横浜市富士塚2丁目24−5

TEL 05010268936

  

ごちゃまぜの家の活動をはじめて9ヶ月、最初は「やるからには毎日なにかしらのことをやって、この家をどんどん稼働させていかなければ!」などと鼻息をあらくしていたのですが、やがて、ああ、この家は「存在しているだけでいいのだ」という風に感じるようになりました。実際に足を運ぶひとは限られたひとだけになるとしても、この家があるということがお守りのように機能をしているのだと、困った時はごちゃまぜの家に行けばいいのだと思うだけでも少しだけ大胆に生きることができるのだと、そんな風に言っていただける機会も増えました。これは、多分、家だけではなく人間も同じことなのだと思います。なにかをしなくちゃいけないという思いで自分を縛り付けてしまうのではなく、実は、こうでなければいけないなんてことはひとつもないということ。何をしてもいいし、何もしなくてもいい。どこに行ってもいいし、どこにも行かなくてもいい。ただ、そこに「存在しているだけでいい」ということは、なにも特別なものに対してだけではない、生きとし生けるものすべてに対して言えることなのだと感じています。

 

 

https://www.instagram.com/p/BdbyicrjDG-/

この人でいいかなではなく、この人といたいと思えるひとといること。

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu        

 

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これがわたしに与えられた人生なら、わたしは死なない。

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ごちゃまぜの家の庭にテントを張って暮らしている。誰にもわかってもらえないのが口惜しいけれど、テントの暮らしは素晴らしい。寒くないのですかと問われまくるが、わたしは「寒いのがいいんですよ…ふぉっ…」と答える。明け方が一番寒い。5時頃になると寒すぎて目覚める。昨日、風呂にはいったあとに面倒臭くて髪を乾かさないで寝たら、翌朝、毛髪が凍結していた。妙に頭頂部が冷えるなあと思っていたら、髪の毛に霜がおりていたのだ。風邪をひかないでよかった。この経験を通じて、わたしは「風呂あがりに髪を乾かさないで寝ても、風邪をひかない」というナレッジを獲得した。

 

起き抜けにお湯を沸かし、珈琲を淹れる。この時間がたまらなく愛しい。いま、テントのなかでこの記事を書いている。手先が冷たい。寒いのは嫌いだけど、テント内における寒さは「生きているなあ…楽しいなあ…」みたいに思えるから不思議だ。鳥の鳴き声が聞こえる。青みがかった空は、1日のはじまりを告げる天然の幕のようにゆっくりと開帳をする。新しい1日がはじまるのだ。ホッカイロがわりに、お湯をいれたマグカップを両手に抱える。手の中に温もりが広がる。寒いのは嫌いだけど、温めることは好きなのだ(だからテントにいるのかな)と思う。

人生とは、自分を楽しませることである。

4月9日から23日まで、急遽ハワイに行くことになった。関空〜ホノルル間の航空券が往復2万円(!)だったので、これは「自分への誕生日プレゼントだ!(注・坂爪圭吾の誕生日は4月7日です)」ということで予約をした。不思議なもので、航空券の予約をするだけで「生きる希望」みたいなものを獲得する。少なくとも「4月までは生きよう」と思うことができる。問題点がひとつだけある。航空券をとったところでわたしの所持金はほぼほぼ尽きた。ハワイは物価が高い。ホテル代も高い。一応、寝袋などの野営道具は持参するつもりだけれど、ハワイの法律は野宿を禁止している。わたしはどうするつもりなのだろうか。そのあたりなども含めて、自分の人生を楽しんでいきたいと思う。

 

自分の人生を楽しんでいきたいと思うなどと書いておきながら、甘えたい気持ちがある。もしも、ハワイに住んでいる誰かが「それなら我が家においでよ!」みたいなことを言ってくださったらどれだけうれしいだろうかなどと夢想をする。その時は、全身全霊でご奉仕をしたいと思う。部屋の掃除は好きだ。食器も洗う。話相手になることもできる。激落ちくんを持参して換気扇あたりをピカピカに磨き上げることもできる。あとは・・・と考えたところで「意外とおれにできることって少ないんだな…」と思って愕然とした。

 

いま、テントの前を野良猫が通過した。彼らは裸一貫で生き抜いているから真の意味でタフだ。動物を目撃したとき、わたしは「みんな全裸だなあ…偉いなあ…」と思う。服を着ている自分は完膚なき弱者なんじゃないだろうかと思う。わたしの地元は新潟県で、港界隈に足を運ぶと、真冬でもロシア人がタンクトップ一枚で自転車を漕いでいる場面に(稀に)遭遇する。極寒のロシアに比べれば、新潟の冬は『暖冬』になるのだろう。人間の皮膚は、意外と頑丈にできていると聞いた。服を着ることは過保護みたいなもので、服を着ることによって「人間にある潜在能力が抑圧されている」のかもしれない。俺も鍛えればいけるのか・・・ごくり(生唾を飲む)・・・などと思うけれど、多分、口先だけのわたしはこれからも服を着続ける人生を過ごすことになるのだと思う。

 

ごちゃまぜの家をハワイに!

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昨日、宮城県から来てくれた女性Y様がごちゃまぜの家にて「仙台名物・せり鍋」を作ってくれた。カキフライと油麩の卵とじまで作ってくれた。せり鍋を食べてびっくりした。世の中にこんなにうまい鍋があるのかとあごが外れた(ちなみに『あご出汁』でした)。Y様は、大量の食材を仙台で調達して、大きな荷物を抱えたまま新幹線にライドオンした。Y様曰く「酔狂なことがやりたかったのですよ。ああ、わたし、たまごまで抱えている状態で新幹線に乗っているんだなあと思ったら、楽しくて楽しくてしかたがありませんでした」とのこと。快活なY様の話を聴きながら、ああ、こういうのはすごいいいなあとわたしは感動をした。

 

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Y様、ほんとうにありがとうございました!!

 

 

ごちゃまぜの家の活動をはじめて9ヶ月。まったく説明できる自信がないけれど、素晴らしい体験を何度もさせていただいている。こんな場所は他にもあったほうがきっと素晴らしいと思い、過去記事で「日本のどこかにごちゃまぜの家の第二号を!」などと書いたものの、まったくできそうな気配がない。これはもう、待ちの姿勢ではいけないのかもしれない。仮に、仮に、仮に、ハワイにごちゃまぜの家ができたらどうなるのだろうか。奇跡的に空き地が天から降って来て、1000ドル程度の小さなモバイルハウスを建設して「誰でも自由に使ってください」なんてことができたら素晴らしいなあと思うものの、口先だけで終わってしまう可能性は高い。多分、これはもう神の思し召しなのだと思う。人間のさかしらな意図を超えたところで、神は予想を超えた展開を用意してくださることだと思う。合言葉は「採算を考えるな。ただ、誠意を生きろ」なのだと思う。

 

ごちゃまぜの家

 

ibaya.hatenablog.com

 

勝手に偉人列伝・4『中村久子』

岐阜県の飛騨高山に生まれた中村久子さんは、4歳の時に両手両足を失います。その後、見世物小屋に売られるなどの数々の苦難を経たのちに「日本のヘレン・ケラー」とまで言われるような、偉大な生涯を送りました。こんなにまでして、なぜ生きるのか。連続する悲運な出来事のなか、何度も何度も人生を諦めそうになりながらも、やがて、久子さんはひとつの信念にたどり着きます。それは「人生に絶望なし。如何なる人生にも、決して絶望はない」という思いでした。偉大な人柄に触れたとき、自分のなかにある「尊さ」が呼び起こされるような感覚を覚えます。みなさまも、是非、隙間時間などに聞いてみてください。

 

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わたり文庫『ミルクこぼしちゃだめよ!』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、スティーブン・デイヴィーズ著作『ミルクこぼしちゃだめよ!』です。もう、最高の絵本でした。みんなも読んだ方がいい!!アフリカの雰囲気が最高で、カラフルな絵をみているだけでラテン的な気持ちに、ハッピーな感覚に陥ることができます。実は、こちらの絵本、いつの間にかごちゃまぜの家に置かれていた不思議な一冊になります。どなたかが置いていってくれたのかな・・・天使かな・・・神様かな・・・こんなにも素晴らしい本をありがとうございます・・・ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡をいたします。

 

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※

 

しっかり

どうどうと あるくのよ

とおくをみながら しゃんとして。

ぜったいに ミルクを

こぼしちゃだめよ、1てきも!

 

スティーブン・デイヴィーズ『ミルクこぼしちゃだめよ!』【ほるぷ出版

  

これがわたしに与えられた人生なら、わたしは死なない。

中村久子さんの話を聞いたとき、思い出すひとつのエピソードがある。あるところに、12歳の娘を持つ母親がいた。12歳の娘は脊髄の病気で下半身不随になり、車椅子の生活を余儀なくされた。母親は、絶望のあまり、病院の屋上から飛び降り自殺を考えるほどだった。娘と一緒に死にたいと願うほど、母親の精神は追い詰められていた。しかし、12歳の娘は、苦悶を続ける母親を前にこんなことを言ったのだという。

 

ー 「これがわたしに与えられた人生なら、わたしは死なない」

 

なんとこれが12歳の少女の言葉である。人間なかなかこうは言えない。この話は、三浦綾子さんの著作「心のある家」の中で紹介されていたエピソードであり、実話になる。素晴らしい人間がいたものだと胸を打つ。わたし自身、おれはおれだと強気で生きてみたところで、どうしたって周囲と比べて「おれは大丈夫なのだろうか」とか「人間失格なんじゃないだろうか」などと思うことが頻繁にある。誰もが当たり前にできることが、自分にはできない。そのことが「自分はダメな人間だ」とか「自分には生きている値打ち【愛される値打ち】がない」などと思わせてしまうこともある。が、冷静に考えてみれば、どれだけあがいてみたところで自分にはこのカラダとこのココロしかないのだということがわかる。それならば、自分に与えられた運命を、自分に与えられている境遇を受け入れて立つ、受け入れて生きる、そのことに力を注ぐことができたらと思う。

 

この世界に自分と同じ人間はひとりもいない。そのことがひとに孤独を与えることもあるけれど、そのことが自分自身を唯一無二のかけがえのないものにする。自分の人生を受けて立つとき、家がないならば「家のない人生、よし、その人生を生きてみよう」と自分の人生を背負って立ちあがる時に、真の意味で自分の人生ははじまるように思う。自分が自分であることによって、ひとから馬鹿にされることも頻繁にある。しかし、自分が自分であることによってしか得ることのできないよろこびがこの世の中には確実にあって、そのよろこびは数々の罵倒を軽々と払拭する。自分を生きるということ、それは「自分が置かれている境遇を誰のせいにもしないこと」であり、潔く、晴れやかに、自分の人生を受け入れる覚悟なのだと思う。

 

 

 

https://www.instagram.com/p/BfNv38DFGCK/

自分のこころが「美しい」と感じる道を。

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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採算を考えるな。ただ、誠意を生きろ。

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昨日はわたり食堂【0円食堂】が開催されました。予想を大幅に上回る方々にご来訪いただき、現場は一時的に足の踏み場もないほどのカオスティックな空気感に包まれ、主催者(私)はテントに籠城するという非常事態を乗り越え、無事に生き延びることができました。こどもが集まるたびに家のものが壊れるとか、換気扇のない部屋で焼き鳥を焼くと臭いが取れなくてやばいとか、毎日が勉強の日々で学ぶことが本当に多いです。

 

twitcasting.tv

 

次回の開催は3月21日(水・祝日)春分の日になります。ひとが大勢集まる場所が苦手な私が、なぜ、このような催事を敢行するのか。理由は108個くらいあるのですが、そのうちのひとつが「精神的な加圧トレーニング」とでも申しましょうか、ひとりきりの空間で自分を保つことはそれほど難しいことはありません。問題は「俗世の中でも自分を保てるか」ということで、私は、この部分が非常に脆いです。ので、鍛錬的な意味合いも込めてこれからも定期的に開催をしていきたいなあと思っております(もちろん、最大の動機は「これをやっていなければ出会うことのなかったひと【It's YOU!】に会いたいから」というものになるのだと思います)。

 

わたり食堂【0円食堂】

 

「生きづらさ」について。

生きるのに向いているひとと、生きるのに向いていないひとがいる。そして、自分は、生きるのに向いていない人間だなあ。なんてことを思ったことがあるひとはどれくらいいるものなのでしょうか。みんなが当たり前にできることが自分にはできないとか、自分にとって当たり前のことをやると周囲から「お前は変わっている」と言われてしまうさみしさなど、どれだけのひとが感じているものなのでしょうか。私は、定期的にこのような心理状態に陥ることがありまして、ああ、もっと器用に生きることができたらなあと苦悶する日々を過ごしています。

 

非常にありがたいことに自分のブログ記事も読まれるようになり、イベントをやればそれなりの数の方々が集まってくださり、感謝できることを探そうと思えばいくらでも感謝できることは見つかります。自分は最高に幸運な人間だと思うし、恵まれていると思う。それでも、正直に自分の気持ちを言うと「自分の中にまだまだ満たされていない部分がある」ということを感じることがあります。もちろん、それは24時間ずっと感じているというものではなく、ただ、時折胸のなかで「おれはまだまだここにいるぞ」と、自分の中に満ち足りていないと感じさせる『なにか』がうごめいているのを感じることがあります。

 

最近は、三浦綾子さんの小説ばかりを読んでいます(今度、三浦綾子さんの読書会をやりたいと思っているので興味のある方はお声かけください!)。三浦綾子さんの小説を読んでいると、登場人物に自分自身を重ね合わせて、自身の言動や思考を反省させられることが非常に多いです。「自分を偉いと思っている人間に偉い人間はいない」という言葉もある通り、私は、ともするとすぐに「自分は正しい」などと思い込んでは周囲の人間を裁くような思考をします。読書を通じて、そんな自分を『正す』ことができる感覚を覚えます。この感覚がとてもうれしい。と同時に「もし、この本を読んでいなければ、俺は俺の未熟な部分を正すことなく生き続けていたのか」とか「きっと、自分はいくつもの反省すべき機会を逃しているのだろう」などと思い、空恐ろしい気持ちにもなることが多いです。 

 

どうしようもなく他人を必要としている。

書きたいことはたくさんあるはずなのに、バラバラなものはバラバラなまま、まとまりを見せることなく浮遊をしている。生きている限り、思うことはたくさんある。「俺はどうしようもなく他人を必要としているんだな」とか「自分は愛される価値のない人間だと思いながら生きるのはつらいよ」とか「採算を考えるな。ただ、誠意を生きろ。生まれてきて、生きて、死ぬ。それだけで帳尻は合っている」とか「経験を語れ」とか「芸術のための生活であって、生活のための芸術ではない」など、そういうことを考えていた。

 

ibaya.hatenablog.com

 

勝手に偉人列伝・3『たこ八郎

数ヶ月前、沖縄にある来間島から宮古島空港まで徒歩で移動をしていたことがあります。当時、諸事情が爆発をして「おれはおれを罰する必要がある!」的なことを感じながらとことこ歩いていたのですが、その最中、こちらの動画を(音声だけダウンロードして)聴きながら歩いていたら最高でした。誰にでも経験のあることだと思うのですが、真の意味で純粋な人柄に触れた時、まるで、触れているこちらのこころまで浄化をされるような感覚になることがあります。たこ八郎さんの生き様には、そんな力がありました。是非、みなさまにも隙間時間などに聞いてみていただけましたら幸いです。

 

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わたり文庫『日日是好日』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、森下典子著作『日日是好日 「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』です。こちらの本は、兵庫県にお住いの方から「死ぬまでに何度も読み直したい本を、と坂爪さんは書かれていましたが、私にとって死ぬまで何度も読み直したい本はこれです!」と、ごちゃまぜの家に郵送をしてくださった一冊です。茶道はすごい。この本を読めば、きっと、誰もが抱く茶道というもののイメージが爽快に壊れたり、その奥にあるものを(話で聞くだけではなく)体感してみたいと思われるような、そんな気持ちにさせてくれた一冊です。豊かさとは、多分、こういうものを意味するのだと思いました。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡をいたします。

 

※※※ こちらの本は、アメリカのワシントン州にわたりました ※※※

 

お茶を習いはじめて二十五年。就職につまずき、いつも不安で自分の居場所を探し続けた日々。失恋、父の死という悲しみのなかで、気がつけば、そばに「お茶」があった。がんじがらめの決まりごとの向こうに、やがて見えてきた自由。「ここにいるだけでよい」という心の安息。雨が匂う、雨の一粒一粒が聴こえる・・・・・季節を五感で味わう歓びとともに、「いま、生きている!」その感動を鮮やかに綴る。

 

森下典子『日日是好日 「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』【新潮文庫

 

採算を考えるな。ただ、誠意を生きろ。

私は、いま、ごちゃまぜの家の第二号を日本のどこかに作りたいと思っている。このようなことを考えると、いつの間にか「どうすれば採算が取れるか」とか「どうすれば継続をさせていくことができるか」みたいなことを考えてしまう。大事な視点だとは思うけれど、自分のような人間は、採算なんてことを気にしてはいけないのだと思う。採算が取れるからやるとか、採算が取れないからやらないとか、そういうことではないのだと思う。採算が取れるかどうかはわからない、ただ、どうしてもこれをやりたいと思ったのだという「静かなる熱情」のようなものこそが、岩をも動かす力になるのだと思う。

 

 

出会う方々から「さかつめさんはどうやって生計を立てているのですか」と問われる。私自身、定期的な収入はまったくないから「自分でもどうやって生きているのかあまりよくわかりません。稼ぐ【勝ち取る】ということからは遠いところにいますが、ただ、貰う【受け取る】というところからは近いところにいる気がします」などと答えることしかできない。別にふざけているつもりはまったくなく、実際に、そのように感じているのだからどうしようもない。が、そのように生きている自分でも、なにか新しいことをやりたいと思うときに「採算は取れるのか?」なんてことを考えてしまうのだから、私はまだまだ小さい人間なのだなと思う。

 

 

いま、改めて自分自身に言いたい。採算を考えるな。ただ、誠意を生きろ。いままでの人生も、採算性【計画性】があったからうまくいったとか、そんな訳ではないだろう。ただ、自分が思う誠実さのど真ん中を生きること、自分が思う誠実さのど真ん中を表現することで、結果的に与えられている現在のこの環境は、決して「綿密で緻密な計画性のもとに勝ち取ったもの」なんかではないだろう。予測不可能性を愛するならば、採算性を考えるな。ただ、誠意を生きろ。そうすれば、きっと、人生はお前の想像を超える素晴らしい展開を迎えるだろう。一年前の自分が現在の自分を想像できなかったように、一年後のお前も、現在のお前には想像もすることができない未来を生きているだろう。なにが起こるかわからないということこそが、人生の素晴らしいところじゃないのか、と。想像を超える未来に、静かなる熱情を道しるべに、誰もいない、まだ、開拓されていない『明るい暗闇』を進め。

 

 

 

 

https://www.instagram.com/p/BfAltHjDfHX/

「愛には恐れがない」と聞いた。

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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神のなさることは、すべて時にかなって美しい。 

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働き者に囲まれていると、自分も働きたくなる。いま、ごちゃまぜの家の庭を有志の方々が整備してくれている。それを見ていると「自分もなにかをしたい!」的な気持ちになり、花に水をあげたり、家の掃除をしたりする。鬱病をなおすには「どうすれば他人を喜ばせることができるか」を考えればいいのだと聞いた。自分にないものを数え上げると惨めにもなるが、自分にあるものを数え上げると希望が生まれる。自分にできることはなんだろうか。それは「書くこと」だと思い、いま、こうしてブログ記事を更新している。 

 

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2月12日(月・祝日)にわたり食堂【0円食堂】が開催される。徐々に参加予定者の方々も集まってくださり、いまから当日が楽しみだ。まだまだ生まれたばかりの試みになるために、いろいろと暗中模索を続けながらの開催になる。もしも「自分もなにかを出したい!」と思ってくださる方がいたら、お気軽にご連絡ください。必ずしも大量の料理を用意する必要はなく、自分に無理のない範囲で、なによりも「自分が楽しめる範囲」でご参加を検討していただけたら幸いです。また、この日の参加が難しい場合は、15日(木)のお昼にネパール人のラジェスさんが「手作りのネパールカレーを振る舞う」的な催しを開催してくださることになったので、興味のある方はお気軽に遊びにいらしてください。

 

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おはなをあげる。

 

先日、大量の水仙をいただいた。ごちゃまぜの家に来てくれた方々と分け合うと同時に、遠方にお住いの方々に押し花にして郵送をした。すると、その押し花がものすごい嬉しかったとの連絡が届き、ああ、手紙のやりとりは素晴らしいなと思った。メールにはない温度感や、肉筆に宿る書き手の人柄に惹かれているのかもしれない。ごちゃまぜの家には、いま、大量の水仙が咲き誇ろうとしている。もしも「わたしにも水仙を!」と思われる方がおりましたら、全員に郵送できるかちょっと自信がないのですができる範囲で水仙の押し花を贈らせていただきます。ご希望される方は、坂爪圭吾まで直接ご連絡ください。

 

連絡先・坂爪圭吾

keigosakatsume@gmail.com

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ごちゃまぜの家をつくりたい!

 

ごちゃまぜの家第二号を、日本の何処かに作りたいと思う。北海道がいいのだろうか、東北か、新潟か、関西か、四国か、九州か。多分、最大の決め手は場所ではなくて『人間』なのだと思う。このひとと一緒にやりたいと思える出会いがあれば、すべてはとんとん拍子で進むような気がする。そのためにも、まず、自分自身が「このひとと一緒にやりたい!」と思っていただける人間性を磨かなくちゃいけないな、と思う。試しに、地元の新潟市内で物件を検索してみたら素敵な家がヒットをした。もしも、この記事をご覧の方のなかに「自分も一緒にごちゃまぜの家をつくりたい!」なんて思ってくださる方がおりましたら、(場所は問いませんので)ご連絡をいただけたら幸いです。いま、私の中には「まずは3人から」という思いがあります。有志の方々が3人揃えば、きっとどうにかなるのだという予感があります。

 

https://www.homes.co.jp/chintai/b-1296890000285/

 

音速で失敗をして、音速で反省をする。

ごちゃまぜの家の活動をはじめて9ヶ月が経つ。たくさんの出来事に恵まれたし、たくさんの失敗も重ねた。ごちゃまぜの家の活動をやらせていただくなかで、こうして「失敗をさせてもらえる」環境が与えられていることは、本当にありがたいことだと痛感をする。いま、平日の夜に晩飯を囲みながら行う『勉強会』のようなものをやりたいと思っている。仏教やキリスト教について(お坊さんや牧師さんを招きながら)説法を聞いたり、影響を受けた作家の読書会のようなものを行うなど、文武両道でいうところの『文』に強い関心がある。わたり食堂の開催と平行をして、このような活動をごちゃまぜの家第二号でも(地域の方々と協力をしながら)展開をしていけたら嬉しいと思う。

 

ibaya.hatenablog.com

 

勝手に偉人列伝・2『新島襄

新島襄同志社大学の設立者)の生き様に触れると、その思いが透明なものである限り、必ず神様的なものは道を示してくれるのだということを感じる。この番組の中では印象的なセリフが20個くらい出てくるのですが、そのうちのひとつに「規則で縛られているうちは本物ではない」という言葉が出てきます。新島襄は、校則を破る生徒を前に「破るような校則をつくった自分が悪い」と、全校生徒の前で血が滴るまでに自分を鞭打つ場面が出てきます。他人を責めるのではなく、己の誠のいたらなさを叱責する場面は、見るものの心を揺さぶるものがあります。是非、隙間時間に聞いてみてください。

 

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わたり文庫『翻訳できない 世界のことば』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、エラ・フランシス・サンダース著作『翻訳できない 世界のことば』です。こちらの本は、東京都在住の方から「わたり文庫に是非!」とご提供いただいた一冊になります。ごちゃまぜの家の活動をはじめてから、本だけではなく、食料や家具や日用雑貨など、様々な方々が様々なものを持ってきてくださる(時には郵送をしてくださることも!)ことがとても嬉しいです。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡をいたします。

 

※※※ こちらの本は、兵庫県にわたりました ※※※

 

この本で紹介した言葉は、今まで読者の方が考えたことすらなかった、もしくはすでに不思議に思ったことのある疑問への答えになるかもしれません。とらえどころのない、表現のしにくい気持ちや経験をぴたりと言いあてているかもしれないし、長いあいだ忘れていた人を思いださせてくれたりするかもしれません。すてきな会話のきっかけ以上のなにかをこの本から感じとったとしたら、それはあなたが『人間』であることの証明です。なぜなら、本質的にすべての人が『言語』から同じものを感じとるのです。

 

エラ・フランシス・サンダース『翻訳できない 世界のことば』【創元社

 

神のなさることは、すべて時にかなって美しい。 

最近は「神の意思」について考えさせられることが多い。人間の目には悪く見えるようなことでも、神様の目(なんて書き方をすると怪しいけれど、そんな風にしか書くことができない)からすれば、すべては最適なタイミングで起きているのではないのだろうか。そのように考えると、たとえ自分の思惑通りに物事が進まなくても、昔ほどあくせくすることはすくなくなった。聖書には「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」とある。すべては神の思し召しであるのだと、自分にできることは「瞬間瞬間における、自分のベストを尽くすこと」くらいなのではないだろうか、ということを思う。 

 

 

今日、ごちゃまぜの家のシェアスペースの見学に、静岡県在住の女性がふらっと遊びにきてくれた。その方は、都心部でワークショップを開催できる場所を探しているのだと話す。やりたいことをやるときに、やはりネックになるのがお金だという。それで、昨日まで起業家セミナーのようなものに参加をしてはきたのですが、と話したところで、女性の瞳から涙が流れた。私は、何も言わずに、ただただ話に耳を傾けていた。何を言っても嘘くさくなりそうな時に、わたしは何も言うことができなくなる。ただ、この家が力になることができるのであれば、是非、この家を使ってもらいたいと思った。

 

 

極論、なにもなくてもいいのだと思う。大きなことを成し遂げようと思わなくてもいいし、ひとから褒められるような生き方をできなくてもいいし、何者にもなろうと思わなくてもいい。自分は自分のまま、あなたはあなたのまま、生命は生命のままでそこにある。自分の外側に張り付いているものを通じて自分を誇ろうとするのではなく、ただ、自分が自分であることを誇りにできるように。自分を傷つけることができるものは、他の誰でもない、自分だけだ。周囲の無理解や言われなき誹謗中傷の嵐を受けることがあったとしても、憎しみを耕さないことだ。生命の源に宿るもの【自尊心】を護るものは、他の誰でもない、どこまでも自分自身の捉え方に拠るものだと思う。

 

 

 

https://www.instagram.com/p/Be5KTp6jOr2/

ただ、自分が自分であることを誇りにできるように。

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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人類全体の父になれ。

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2月12日(月・祝日)にわたり食堂【0円食堂】を開催します。今日、車を運転しながら「運命よ、おれを殺すなら殺せ」という言葉が脳裏をよぎった。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれという言葉もある。多分、わたしは捨て身になりたいのだと思う。最近は「真の意味で生きるとはなにか」的なことばかりを考えてしまう。逆説的だけど、生きるとは死にに行くことだと思う。自分にとって大事なものを、自分以外のために捧げることだと思う。生に対する執着を解き放つことで、死に対する恐怖が解き放たれるのだと思う。いまの自分には金も名誉も仕事も家庭も社会的な信用も何もない。大事なものといえば命くらいだ。自分の命を、果たしてなにに捧げたらよいのか。自分が真の意味で望んでいることはなんだろうか。最近は、そういうことばかりを考えている。

 

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運命よ、おれを殺すなら殺せ。

車を運転していると瞑想状態にはいる。明鏡止水という言葉がある。邪念がなく、静かに澄み渡っている状態。最高の状態だと思う。運転をしながら思う。自分みたいな人間が32年間生きてこれたことは奇跡だ。感謝をしてもし切れない。全方位にお世話になっている方々がいるために、どの方角にも足を向けて眠ることはできない。一生分の人生を生きた。残りの人生は世のためひとのため(そしてもちろん自分のため)に生きたいと思う。家は質素でいい。食事も玄米にごま塩があればいい。贅沢は言わない。残りの人生を自分はなにに投下するべきか。そういうことを考えるときに「家族」という言葉が浮かぶ。

 

昨日、高校三年生の女性から電話がきた。話を聞くと「自分は自分に嘘をつき続ける人生をおくってきた。母親との仲が絶望的に悪く、ただ生き延びているくらいなら死んだほうがましだと思うことも多い。さっきまで大学受験のテスト会場にいたのだけれど『こんなことをやっている場合ではない!』と痛切に思って、坂爪さんに電話をしました」とのこと。電話をくれたことがうれしかった。様々な問題の根源は、多くの場合『家族関係』にあるように思う。家族がいるから幸福という訳でもなければ、家族がいないから不幸という訳でもない。ひとにはそれぞれ事情がある。一見すると誰もがうまいことやっているように見えて、家族関係に問題を抱えているひとは多い気がする。逆に言えば、家族との問題をクリアすると人生はボーナスタイムに突入するということを思う。

 

ひどく抽象的な言葉になるけれど「バラバラなものをひとつにするんだ」という思いがある。この感覚は昔からあった。現在はごちゃまぜの家の活動を通じて、そのための試行錯誤を繰り返している。同じ地球上に生きていながら、同じ人間というジャンルの生物でありながら、世界には様々な分断が蔓延しているように思う。ひと知れず孤独や絶望や深い虚無感を抱いているひとも多い。自分自身もそうだ。いまの自分をダメだとは思わないけれど、ひととひととはもっと強く結びつきあうことができるのではないだろうかという思い【さみしさ】が常にある。残りの日々を、そういった意味での『ボンド』的な役割を担いたいと思う。願わくば、ファミリーボンド【家族的な絆】をこの惑星にもう一度。それがダメで死んでしまうなら、それは仕方のないことなのだと思う。生きている間に、自分はどれだけのことを成し遂げることができるのだろうか。何も成し遂げられないとしても、最期の瞬間に「おれは生きた」と思える生き方をしたいのだと思う。

 

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勝手に偉人列伝・1『田内千鶴子』

光を観ると書いて観光と読む。最大の観光名所は、人間だと思う。人間のこころのなかに確かな「光」を見た記憶は、いつまでの消えることなく残り続ける。弱気になったとき、自分で自分を信じることができなくなったとき、私は過去の偉人の生き様に触れる。そのことで生きる力【生きたいと思う力】を取り戻す。田内千鶴子という女性がいる。高知県に生まれ、韓国で孤児院を開設した女性だ。時間のある方は、是非、隙間時間(通勤中や眠る前の軽い運動のお供)に聞いてみてください。

 

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わたり文庫『続 泥流地帯』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、三浦綾子著作『続 泥流地帯』です。自分がダメになりそうなとき、読書をすることによって引き上げてもらえた記憶が無数にあります。本を読む理由は様々だけれど、そのうちのひとつに「最高の話し相手をもつことができる」ことがあると思います。付き合いの飲み会に足を運ぶより、表面的な会話を続ける時間を選ぶよりも、わたしは読書を選びたい【人間に触れたい】と思うタイプの人間です。こちらの本をご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡をいたします。

 

「しかし、俺はね。自分の人生に、何の報いもない難儀な三年間を持つということはね、これは大した宝かも知れんと思っている」

 

「宝?」

 

驚いて国男は声を上げた。耕作も拓一を見た。佐枝だけが深くうなずいた。

 

「うん、宝だ。たとい米一粒実らなくてもな。それを覚悟の上で苦労する。これは誰も俺から奪えない宝なんだよ。わかるか、国ちゃん」

 

「・・・・・・・」

 

「実りのある苦労なら、誰でもするさ。しかし、全く何の見返りもないと知って、苦労の多い道を歩いてみるのも、俺たち若い者のひとつの生き方ではないのか。自分の人生に、そんな三年間があったって、いいじゃないか。俺はね、はじめからそう思ってるんだ」

 

三浦綾子『続 泥流地帯』【新潮文庫

 

人類全体の父になれ。

私はまだ結婚をしていないし、付き合っている女性もいない。だからこの国の法律的な意味では「自分の家族」をまだつくってはいない。しかし、ごちゃまぜの家の活動を続けながら「人類全体の父になれ」ということを何度も何度も何度も何度も何度も自分に思う。自分のこども【血縁者】だから大切にするというのではなく、この場所に足を運ぶひとは誰もがみな家族みたいなものだと思って、できる限りの気持ちを込めて接するということ。それは、耳当たりのいい言葉だけを言うことを意味するのではない。言いづらいことでもはっきりと言うこと、その時は、できるだけこころを込めて言うことなのだと思っている。

 

 

自分はまだまだ全然未熟で、それができていないことが大量にある。しかし「人類全体の父になれ」と言う言葉は、弱い自分を何度でも鼓舞してくれる。人類全体の父とは、果たしてどのような人柄の持ち主なのか。それを自分なりにイメージして、少しでもそれに近づけるように鍛錬を積む。わたしはまだ独り身で、結婚をする予定もない。ただ、稀にこんなことを思うときがある。もしも自分にも結婚をすることがあるのだとしたら、そのときは「人類全体の母になる」ようなひとと、わたしは生涯を共にしたいなどと願うのだろうなと思う。

 

 

素晴らしい人物と出会ったとき、恥ずかしくない自分【そのひとにふさわしい自分】でありたいと思う。いまの自分は全然まだまだで、しかし、ごちゃまぜの家の活動なり、日々の生活の中で鍛えられている部分はそれなりにある。いまよりもよくなりたいと願うこと、それは「現在の自分を否定すること」としてではなく、より高いところに自分を導いてくれるような、より高いところに自分を引き上げてくれるような、そういった意味での『向上心』をなくしたくないと思う。否、こんな言い方をすると硬くなる。端的に「もっとよくなりたいと思うことができる」この心の働きを、私はとても素敵なものだと思っている。自分を磨くということ、それは精神性を磨くということなのだと思う。退屈やさみしさに負けてしまわないように、孤独感や虚無感に飲み込まれてしまわないように、自分のなかに宿るもの【人間全体に宿るもの】を磨き続けていけたらと思う。

 

 

 

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たくさんの水仙をいただきました。

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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神様は、不必要な人間を作るほど愚かではない。

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前回の記事で「ごちゃまぜの家の新規入居者を募集します」と書いた。乳児院で働く女性Y様が見学に来てくださり、無事に入居が決定をした。乳児院では、児童(孤児)を入院させて養育をする施設、および退院したこどもたちの相談や援助を行う。ウィキペディアによると「児童虐待や家庭問題による養育者の不在、児童自身の障害」をもったこどもたちを養育する施設になる。その後、乳児院のこどもたちは実の両親や親族に引き取られたり、養子縁組などで里親の元へ引き取られるか、それが無理な場合は児童擁護施設へと措置変更となるのだと聞いた。

 

Y様はこどもが好きだと話す。こどもが好きだと話すY様の姿は生き生きとしていて、ああ、自分が好きなものについて話しているひとの表情は本当に素晴らしいものだと感じた。昨日、入居が決定したあとに「入居の祝いにみんなでごはんを食べましょう!」ということになり、Y様に食事をご馳走していただいた。通常だったら「逆だろ!(ご馳走をするのは坂爪サイドだろう!)」とは思ったのだけれど、お言葉に甘えてご馳走になった。場所は菊名駅前にあるサンロードという名前の洋食屋さん。こちらのお店は料理の味もお店の雰囲気も最高なので、食卓を囲みながら「ようこそ菊名へ!」という気持ちになった。

 

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家族を増やす。

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ごちゃまぜの家シェアルームの、共同参加者の募集もはじまりました。ごちゃまぜの家の2階には、月額1万円で利用することのできる1DKの空間【洋室】があります。文章だけで説明をすることが非常に難しいのですが、利用者の方は「月に三日間、この空間を貸切で利用することができる」という感じになります。利用例としては「東京に来た時に利用したい」とか「昼寝をしたい(布団はご用意しております!)」とか「実家暮らしだけど定期的にひとりになりたい」とか「ごちゃまぜの家に関与をしたい」とか「小規模なイベントやワークショップをしたい」と思っている方々に、利用をしていただけたらいいのかなあと思っています。

 

まだまだはじまったばかりの試みになるので、各種諸々は「応相談!(率直にやりたいと思うことを言っていただければ、実現する可能性は高いです!)」になります。たとえばの話ですが、A様がこの部屋を借りてくださった場合、A様のお友達の方も(月に三日間という範囲内にはなっちゃうけれども)この空間を利用することができます。「なぜ月に三日間という範囲なのか」とか「自分以外にはどのような人間が利用をしているのか」など、ここで説明できる範囲に限界があるために、ちょっと興味があるという方は坂爪圭吾まで直接ご連絡をいただけましたら幸いです(シェアルーム部分の見学も常時受け付けております!!)。

 

連絡先・坂爪圭吾

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keigosakatsume@gmail.com

 

新しい入居者が決まると、家族が増えたような気持ちになる。Y様の引っ越し予定日も決まり、ごちゃまぜの家には車もあることだから「もしよろしければ引っ越しもお手伝いしますよ!」とお伝えしたところ、非常によろこんでもらえて嬉しかった。関係者が増えるということは、家族が増えるような感覚になる。家族が増えることで「自分ひとりのためだけではなく、家族全体のために生きよう」みたいな力を得ることができる。そして思う。現代社会は「自分一人の力でなんでもやれるように」教育をされているというか促されているように感じることも多いけれど、そのことによって孤立を深めてしまう場面は結構ある。しかし、ほんとうのところでは「お互いに支え合って生きていたい」と多くの人々は感じているのではないだろうか。私【坂爪圭吾】にできることには限りがあるけれども、ひとつ屋根のした、生活を共にするひとを大事にしたいと思う。

  

わたり文庫『泥流地帯』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、三浦綾子著作『泥流地帯』です。三浦綾子さんの作品は過去に何度か紹介をしているのですが、こちらの本もすこぶる素晴らしい一冊だと思いました。胸に迫る言葉や場面は大量にあったのですが、小学生のこどもたちが綴り方の授業で「詩」を書く場面が出て来ます。その中で、母親のいない家庭で生きる五郎が書いた「まんま」という詩には、心打たれるものがありました。他にも「朝」や「夕やけ」など、こどもにしか出せない素朴な味わいとでも言うのでしょうか、とにもかくにもみなさまにご一読いただけたら嬉しい作品になります。小説の内容は、大正15年5月、北海道の上富良野で起きた十勝岳大噴火時に生きた家族の物語です。こちらの本をご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※

 

「朝」 

 

目がさめた。

起きた。

顔あらった。

めしくった。

学校さ来た。

 

 

「夕やけ」

 

田んぼの水が まっかだ。

窓もまっかだ。

すごい夕やけだなあ、

かあちゃん

 

「まんま」

 

ゆんべ

おれが まんまたいた。

ちょっと こげたけど、

父ちゃん おこらんかった。

あんちゃんも おこらんかった。

みそつけて くった。

うまかったなあ、

おれのたいた まんま。

 

三浦綾子『泥流地帯』【新潮文庫

 

神様は、不必要な人間を作るほど愚かではない。

ひとつの空間が生まれると、その空間にあわせるように「ひとつのコミュニティ」が築かれる。しかし、私は、この空間【ごちゃまぜの家】はコミュニティを築きあげるものではなく「コミュニティを溶かすもの」でありたいと思う。ひとつのグループをもっているものに対して、多くの場合、グループの外にいるものは批判的になる。反発する感覚を抱き、疎外感を覚え、部外者としての孤独感や分離感を深めていく。「どうせ自分は歓迎をされていないのだ」と感じる気持ちは、そのひとの内部に冷たい感情を残す。この空間は、そんな風になってしまってはいけないのだと思う。ごちゃまぜの家は、あくまでも開かれたものでありたいと思う。固定的なものではなく流動的なものとして、ひととひととの間にある垣根のようなものを、強化させるものではなく『できることならば取り払える空間』にしたいと思っている。

 

 

最近は「不幸とは、出来事のひとつの側面でしかない」ということを思う。人間万事塞翁が馬という言葉もある。自分的にめちゃめちゃ凹む出来事があって「もうダメだ…」と思ったことでさえも、それがきっかけで(振り返って見ると)人生が大きく展開をする最高の契機になっていた、という体験は誰にでもあるのだと思う。私の場合は、家を失うという体験を通じて「家を得る」という体験をしたことがそれにあたるのだと思う。人間が考えることと、自然の摂理がもたらすことには、大きな違いがある。「もうダメだ…」と考えるのはあくまでも人間の頭だけであり、大袈裟な言葉で言えば「神の意思は人間の想像を超えて大きな物語を用意してくれているものだ」ということを思う。

 

 

三浦綾子さんは、その講演の中で「神様は、不必要な人間を作るほど愚かではない」という言葉を紹介していた。13年間に及ぶ療養生活の中で、三浦綾子さんは「病気の自分は誰の役にも立つことができない。そんな自分は生きていてもしようがない」と何度も何度も感じたと言う(オホーツク海で自殺未遂をはかったこともある)。そのような時に、見舞いに足を運んだキリスト教の牧師さんが、上記の言葉を三浦さんに語ってくれた。神様は、不必要な人間を作るほど愚かではない。生きている限り、冷たい感情に飲まれてしあうことは誰にでもある。そんなときは、生きることがただただ過酷な営みに思えることもある。それでもなお、生きるということは「生かす」ということなのだと思う。自分に与えられている才能の花を、時間の花を、命の花を、惜しみなく開いていくことなのだと思う。自分の命を生かす中で、人々の心の中にある冷えている感情を、自分の中にある冷えている感情を、少しでもあたたかな方向にもっていくことなのだと思う。

 

 

 

https://www.instagram.com/p/BepyNMljJb3/

神様は、不必要な人間を作るほど愚かではない。

  

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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好きなように生きて、好きなように死のうよ。

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四年半続いた活動に終止符が打たれ、1月26日にいばやは解散した。坂爪圭吾から肩書きはなくなり、ただの空っぽの人間、ただの生命体になった。1月中旬から期間限定で活動をはじめた鉄砲玉48も任期を終え(下記リンク先よりラスト音声配信を聞くことができます!!)、気がつけば『いろいろなものを終わらせにいく』1月になった。この記事をご覧のあなたにとって、2018年1月はどのような一ヶ月になったのでしょうか。

 

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これからしばらくは、神奈川県横浜市港北区富士塚2丁目24−5にあります「ごちゃまぜの家」に滞在をする。ごちゃまぜの家では、現在、新規入居者を募集しています。もちろん、ごちゃまぜの家自体は入居者ではなくても誰でも利用をできるのだけれど、もしも「ここに住みたい!」と思った方には、ここで暮らすという道もあります。見学も常時受け付けているので、興味のある方はお気軽にご連絡ください。今回の記事では、ごちゃまぜの家が提供できるメリットのようなものをまとめてみたいと思います。

 

ごちゃまぜの家 シェアハウス|ひつじ不動産

 

ごちゃまぜの家とは何か。

ごちゃまぜの家とは、2017年の4月にクラウドファンディングの企画を通じて生まれた「誰でも自由にご利用いただける無償の空間」になります。前々から「家とはなにか??」とか「家族とはなにか??」ということに関心があった私は、これまでにない形の家であったり、これまでにない形の家族であったりを模索する試みの一環として、分け隔てなく人類全体をごちゃまぜにする空間があったら面白いのではなかろうかと思うようになり、クラウドファンディングを通じてみなさまからの支援を求めました。

 

 

非常にありがたいことに、200名を超える方々からご支援をいただき、2017年6月に記念すべき第1号が東横線菊名駅から徒歩9分の場所に「ごちゃまぜの家」は誕生をしました。新潟生まれのわたしからすると、横浜は死ぬほど都会です。都会は便利でモノも溢れている反面、静けさを得ることが難しいとも感じます。都会には静けさが必要だ。自分を取り戻すことができる時間や、真の意味で落ち着ける空間が求められている。ごちゃまぜの家をやるなら静けさを取り戻せる環境がいいなあと思っていたのですが、この家は(裏に雑木林があるからなのか)周囲は住宅街であるにも関わらず昼夜問わず非常に静かな時間が流れています。渋谷で生まれて渋谷で育った方が訪問をしてくださった際、その方は「こんなに静かな空間にいるのは生まれてはじめてかもしれない」と感想を述べてくれました。

 

 

この家は、基本的に「みなさまの善意」によって成り立っている善意の塊みたいな空間になります。なぜ、無料で飲食や宿泊をすることができるのか。それは、端的に「それを支えてくれている方々がいるから」ということになります。食材を持参してくださる方や、家具や日用雑貨などの消耗品を持って来てくださる方、金銭という形で支援をしてくださる方々がいます。自分で言うのも変な話ですが、この空間があった方がよいと思ってくださる方々がいる限り、この空間は生き続けるのだと思います。逆に言えば「この空間は不要だ」と思われる方が多ければ、ごちゃまぜの家は生命力を失い、志半ばでダメになるのだと思います。わたしができることは、純度を保つこと、精度を高めること、乱暴な言葉でまとめるならば「この家があったほうがいろいろと素敵だ」と思える時間なり空間なりを築き上げていくことなのだろうなと思っています。

 

ごちゃまぜの家が与えることのできる恩恵。

ごちゃまぜの家の利用者の方々や、ごちゃまぜの家の住人に差し出すことができる恩恵(?)について考えます。まず、この家は「普通の家よりはひとの出入りがある分、謎の出会いに恵まれやすい」というものがあります。ひとりになりたければ個室にいけばいいし、誰かと交流をしたいと思ったときは居間なり台所なりに行けばいい。どうしたって人間、似たような日々を過ごしていると似たような人々とばかりの狭い範囲内での人間関係に閉ざされがちになります。そんな時、ああ、同じ地球上にはこんな生き方をしている人間もいるのかと思える瞬間のなかには、ちょっとした『自由』が含まれているように思います。

 

もうひとつは、家にある食材(食材だけでなく家にあるものすべて)は自由に使えるということ。理想としては365日炊き出しが行われている状態を目指しているのですが、とにもかくにも米と味噌だけはあります。食事に困ったときなど、贅沢はできませんが米と味噌だけは常にあります。米と味噌があれば人間は死なない。死なないのであれば「元気になるまでゆっくりとして、元気になったらまた遊びにいく」的なサイクルをこの空間からはじめることができます。ある方が「ごちゃまぜの家があるというだけで、(最悪の場合はごちゃまぜの家に行けばいいと思えるから)少しだけ大胆に生きることができる」ということを言ってくれました。この言葉を聞いたときは、なんだか本当にうれしかったものです。

 

そして、最大の恩恵は「心」だと思っています。これは目指しているだけのことであってまだまだ全然できていない瞬間もありますが、この空間は「心を与え合うことができる空間」として機能をすれば最高にうれしいと思っています。マザーテレサは言います。この世で最大の不幸は、貧しさや病ではありません。誰からも自分は必要とされていないと感じることです、と。この言葉を読んだときは「わっかるぅ〜!」などと強く思ったものです。私は(牡羊座だからなのか)腹の内側に熱い部分を秘めている人間みたいで、誰だって「生きている限り必要な存在である」ということを割とガチで思っています。心が冷めてしまいかけているときに、人間としての幹が痩せ細っているときに、自分は誰からも必要とされていないと感じてしまいそうになっている瞬間に「そんなことないぜ」なんて言える空間になれば、これほどうれしいことはないなあなどと思っています。

 

ibaya.hatenablog.com

 

わたり文庫『おむすびの祈り』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、森のイスキア主宰・佐藤初女著作『おむすびの祈り』です。私が説明をするまでもありませんが、みなさまもご存知の通り、佐藤初女さんはほんとうに素晴らしい女性だなあと思います。引用をさせていただいた『一線を越える』というお話は、まさにその通りだなと、なにかあるとすぐに「この程度でいいだろう」と線引きをしてしまいかねない自分自身を戒める、最高の機会をいただきました。ひととひととが真の意味で出会うとき、多分、昔の自分に戻ることはできなくなる。自分の物語と相手の物語が交差をして『私達の物語』がはじまるような、出会いの中には人生を大きく動かす力があるのだと思います。その力に触れるためには、一線を越えるということ、この程度でいいかと思うもう一歩先まで足【心】を踏み入れることなのだと思います。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、長野県にわたりました ※※※

 

夫が亡くなり、自由な身となりましたので、これからは、いよいよ本格的に奉仕に生きていきたいと思うようになりました。

 

私は幼い頃から八人きょうだいの長女として、弟妹の面倒を見ていたためか、人のお世話をするのを自然なことと受けとめていました。

 

私の進む道をはっきりと示されたのは、ある主日の御ミサの説教でした。

 

「奉仕のない人生は意味がない。奉仕には犠牲が伴う。犠牲の伴わない奉仕は真の奉仕ではない」

 

と、私の敬愛するヴァレー神父様が凛々しく語られたのです。私は神父様のこの説教に大きく心を揺さぶられました。この言葉は、それまでの私の生き方に対する問いかけでした。それまでも、お腹がすいている人がいれば食べさせ、着るものがない人がいれば服をあげ、ということはしていたのですが、それは自分が無理なくてもできる範囲でのことでした。

 

しかし、それではいけないんだ、ある線を一歩越えなければ本当の意味の奉仕ではない、私は、説教を聞きながら、体の中の血が駆けめぐるようでした。

 

佐藤初女『おむすびの祈り』【集英社文庫

 

好きなように生きて、好きなように死のうよ。

ごちゃまぜの家は住所も公開をはじめたので、興味のある方はいつでも遊びにいらしてください。坂爪圭吾との面会をご希望される方は、坂爪圭吾【LINE ID ibaya】まで直接連絡をください。新規入居者の方も、限定1部屋になりますが募集をしております。ごちゃまぜの家の台所で、一緒に料理をしてくださる方(マッサージを教えてくれる方)も募集をしています。ごちゃまぜの家は、晴れた日の日当たりが最高です。縁側に座って太陽の光を浴びながらお茶を飲んでいるだけでもたやすく幸せになれるので、是非、興味のある方は(百聞は一件に如かず!ということで)実際にご覧いただけましたら幸いです。

 

 

また、坂爪圭吾が提供できるものとしては「お昼寝のお供にギターを奏でる」というものがあります。最近、ギターを練習しています。ギターを練習しているとそれを聞きながら眠るひとが最近すごい増えているので「もしかしたら俺のギターはひとのこころを眠りに誘う力が高めなのかもしれない」なんて思っています。必要とされる限り出張ギターもやりたいと思っています。あとは、佐藤初女さんの影響を受けて「おにぎりはやばい」的なことを感じるようになっているので、料理の腕前も高めていけたらいいなあと思っています。料理の腕前、などと言いましたが実際のところは「こころを込める腕前」を(目の前にあるものを通じて)磨いていきたいのだと思います。丁寧に生きるということは、生活に祈りを込めるということなのだと思う。言葉であれ、ギターであれ、料理であれ、大事なことは「こころを込めているか」どうかなのだと思います。

 

 

そして「一線を越える」勇気をもつということ。境界線を越える勇気をもつということ。引きこもってばかりいるのではなく、自分を投げ出してぶつかっていく勇気をもつということ。相手の領域に踏み込むという言葉は、ネガティブな意味合いで使われることが多い。しかし、その裏側では「わかりあっているふりを続けるのではなく、人格と人格のぶつかりあいによって生まれる摩擦熱(生きている実感)」を心の内側では求めているのではないだろうか。少なくとも、自分はそういう人間だなと思う。これから自分が選ぶ道に恐れや不安を覚えるとき、自分の軸を取り戻すための問いかけがある。それは「愛はあるか」という問いだ。自分がこれからやろうとしていることに、自分なりの愛【自分なりの熱情】を込めることができるのであれば、恐ることはなにもないのだと思う。成功をすれば清々しいし、失敗をしても清々しい。ひどく当たり前のことだけれど、人は必ず死ぬ。生きている時間はいまだけだということ。自分が置かれている現状を「泣く道」を選ぶのか「笑う道」を選ぶのか。どうせならば、生きているのならば笑っていたいと私は思う。清々しくありたいと思うし、潔く、明朗でありたいと思う。やりたくないことをやって生き延びることよりも、やりたいことをやって死にたいのだと思う。

 

 

 

ごちゃまぜの家

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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崇高な道を選べば、必要なものは与えられる。

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東京都在住の女性から「話がしたいです」とご連絡をいただき、武蔵小杉駅で合流をする。話を聞くと、ここに来る前に市役所に行って離婚届を提出してきたばかりだと言う。最近、離婚というワードを頻繁に耳にする。一見すると幸せそうに生きているようなひとでも、その内奥では人知れない孤独や悩みを抱えているものだということを、様々な方々と出会うことで強く感じる。わたしにできることと言えば、自分をからっぽにするだけ。ただ、黙って話に耳を傾けることくらいだ。

 

【4th「背水のジントニック」/TPD48】

 

話を聞くことで少しでも気持ちが楽になってもらえたのであれば、それはとても嬉しいことだ。自分は、良くも悪くもひとの話を真剣に聞きすぎる。だから、稀に猛烈な疲労感のようなものを覚えることがある。話を聞くと感謝をしてもらえる。おかげで元気になりました!なんて言ってもらえることも多い。涙を目にする機会も多い。よろこんでもらえることは嬉しい。だが、その反面で「誰かを元気付けることはできても、誰が俺を元気付けてくれるのだろう」などと甘ったれたことを思うこともある。誰かを元気付けるほどに、これはやり方を間違っているサインなのだろう、自分から元気がなくなっているように感じることがある。

 

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紙に吐き出す。神に吐き出す。

疲労感を覚えたときは、思いの丈を紙に吐き出すようにしている。紙に吐き出す行為は、どこか『神に吐き出す』行為みたいだなと思う。ちょっと聞いてよ神様、みたいな感じで思いの丈をひたすらに綴る。生きていると「さみしさ」のようなものを覚えることがある。誰かといたいと願う気持ち。誰かと話がしたいと願う気持ち。温もりに触れたいと願う気持ち。生きていることを確認し合いたいと願うような気持ち。さみしさは心許なさを運ぶ。自分ひとりの足で立っていることが難しくなり、他者を必要とする。

 

心許なさに包まれている自分を見て、ああ、まるで飼い主の帰りを待つ犬のようだなと思った。それでは、自分にとっての『飼い主』とは誰なのだろうか。多分、それは人間ではないように思う。私は、過去に「横を見るな。縦を見ろ」という言葉を自分自身に言い聞かせていた。ひとにつながりを求めるとつらくなる。ひと【横】とのつながりを求めるのではなく、天【縦】とのつながりを求めろ(思い出せ)と、自分自身に言い聞かせていた。特定の宗教を持つ方々は、多分、天を「神」と言い換えたりもするのだろう。

 

飼い主の帰りを待つ犬のように、

さみしいとか、苦しいとか、

心許なさを覚えることがある。

 

私の飼い主は、天と地だ。そして、

私の帰る家は、天と地だ。

 

神は言う。 "I'm home"

私はここにいる。そして、

私はお前の家だ。と言う。

 

私はここにいる。私はお前を見ている。

お前は決して見捨てられてないんていない。

私がお前の家だ。お前は守られている。

 

お前の居場所はここにある。

 

紙に吐き出した言葉は、神からのレスポンスのように感じた。

 

空間を。

ブログ読者のみなさまにお願いがあります。いま、私【さかつめけいご】は、自由に使わせていただける空間を必要としています。疲れた時など、たまに立ち寄って心身を整えたら再び元気に歩き出せるような、また、誰も使っていない時間帯はその空間を必要とするひとに使っていただけるような、自由に使える空間を必要としています。どのようにお願いをしたらいいのかちょっとわからないのですが、もしも「使っていない空間がある」という方がいらっしゃいましたら、ご連絡をいただけましたら幸いです。

 

連絡先・坂爪圭吾

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keigosakatsume@gmail.com

 

このような人間に空間を使わせても大丈夫なのか、と疑問に感じられることはもっともだと思います。なので、いきなり場所だけを使わせてくれとは言いません。ご連絡をいただいた方には、まず、一回実際にお会いさせていただけたら幸いです。実際に坂爪圭吾という人間を見ていただき「こいつなら大丈夫だ」と思っていただけたのであれば、そこから話を進めていけたらと思います。逆に言えば、ああ、こいつには使わせてやることはできないなと感じた場合は、遠慮なくその旨を伝えていただけたらと思います。

 

※※※ 空間の募集は終了いたしました ※※※

 

わたり文庫『おおきな木』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、シェル・シルヴァスタイン著作『おおきな木』です。昔、家のない生活をしていた頃、一般家庭のご自宅に宿泊をさせていただくことが頻繁にありました。そのなかで、こちらの絵本を「自分の大好きな作品なので、是非、次の方にまわしていただけたらうれしいです」と託していただいたことがあります。この絵本の訳者でもある村上春樹さんは言います。そこにはできあいの言葉ではすらりと説明することのできない、奥行きのある感情が込められています。美しい感情があり、喜びがあり、希望の発芽があるのと同時に、救いのない悲しみがあり、苦い毒があり、静かなあきらめがあります。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※

 

あなたが何歳であれ、できたら何度も何度もこのお話を読み返していただきたいと思います。一度ですんなりと理解し、納得する必要はありません。よくわからなくても、つまらなくても、反撥を感じても、腑に落ちなくてもやもやとしたものがあとに残っても、悲しすぎる、つらすぎると感じても、腹が立っても、とにかく何度も読み返してみて下さい。これまで半世紀近くにわたって、みんながそんな風にこの本を読み継いできたのです。きっと何かがあなたの心に残るはずです。あるいはあとに残るのは木の葉のそよぎだけかもしれません。でもそれだってかまわないのです。ー (訳者あとがきより引用)

 

シェル・シルヴァスタイン村上春樹・訳)『おおきな木』【あすなろ書房】 

 

崇高な道を選べば、必要なものは与えられる。

稀に、出会ったひとから「坂爪さんにはがっかりしました」とか「そんなひとだとは思いませんでした」と言われることがある。面会している時に言われることは少なく、多くの場合、あとから溜め込んだ感情が爆発をしたかのような、呪詛めいたロングメールになる。それを読みながら、ああ、俺は(そのひとにとって)完璧であることを期待されていたのだなと思う。そして「俺もひとりの人間だ。良い部分もあれば悪い部分もある。完璧を求める【完璧を求められる】と辛くなる。それでは誰も幸せにならない。完璧であることを強いるより、不完全であることを慈しめる方向に舵を取りたいのだ」ということを思う。 

 

 

道に迷うとき、私は自分の思いを紙に吐き出す。紙に吐き出すことは『神に吐き出すこと』と似ている。昔からずっとそうだった。これから自分がやろうとしていることが、天意に叶うものであればそれは実現をするだろう。しかし、天意に沿わないものであれば、それは実現をしないだろう(実現をしないほうがよかったことなのだろう)。人間がコントロールをできる範囲と、人間にはコントロールをできない範囲がある。自分にできることといえば、自分が思う誠実さのど真ん中を生きること。たとえ、周囲から笑われたりバカにされることがあったとしても、自分が信じた道を愚直に進むことなのだと思う。

 

 

崇高な道を選べば、必要なものは与えられる。現在の自分は無宗教で、まだ、特定の宗教を信じる道にはいたっていない。ただ、このように感じる精神面の働きは『信仰』と呼ばれているものと似通っているのかもしれない。信仰は、知識として蓄えるものでもなければ、お守りのように常に胸に秘め続けるものでもない。大事なことは「信仰を生きる」ことだ。崇高な道を選べば、必要なものは与えられる。この言葉を、ただの言葉としてではなく、自分の生き様を通じて体現することができたのであれば、そのことを本望だと思う。

 

 

 

https://www.instagram.com/p/BeZO21yj5Tk/

崇高な道を選べば、必要なものは与えられる。

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

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LINE ID ibaya

成功した人間になろうとするな。価値のある人間になろうとせよ。

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千葉県在住の方から「会いたいです!」というご連絡をいただき、千葉に向かう。激烈に美味しい中華料理をご馳走していただいたあと、ご自宅に招待をしていただき、非常にハイソサエティな一軒家の一室で『アロママッサージ』なるものを施していただく。あらゆる依頼になんでも無償でお応えします!と銘打ってはじめた鉄砲玉48の活動になるものの、坂爪圭吾の場合、してあげるどころか「してもらうばっかり」な日々に大変恐縮をしております(千葉県のM様、非常にお世話になりました!!)。

 

 

雪がやばいから早めに帰ろう、などと思っていたタイミングで「渋谷で炊き出しをするので来てください!」と、鉄砲玉48の新メンバー嘉向徹の身体ありがとうさんから連絡が届く。嘉向徹の身体ありがとうさんと稲村彰人さんは、いただいたお米をフローさせるためにハチ公前でおかゆを振る舞う手筈を(自主的に)整えていた。千葉を出る。大雪で遅延をする電車を乗りついでどうにかこうにか渋谷に到着をする。「どこでやっているのだろう」と思いながらハチ公界隈をさまよっていたら、冒頭の写真にあるような景色を目撃した。あの瞬間は笑った。稲村彰人さんが「FREEおかゆ」の看板(?)を抱えながら、大勢の通行人に囲まれた状態で『おかゆ』を食べていたのだ。

 

ibaya.hatenablog.com

 

徳は急げ。 

こういうことを絶対にやらなそうな稲村彰人さんが、あの、マクドナルドでポテトを注文するだけでも身体中がこわばって「ああ…ダメだ…」と踵を返し続けていた稲村彰人さんが、渋谷駅のど真ん中で、これだけの人混みにまみれながら「おかゆいかがですか?おかゆをたくさんご用意しています」などと通行人の方々に笑顔で声をかけていた。この場面は衝撃的だった。笑えたし、泣けた。嘉向徹の身体ありがとうさんも「あきと、こっち向いて!」とか「猫背になっているからもっと胸を張って!」とか「土鍋の蓋を開けて!」などとアドバイスを飛ばしつつ、写真や動画で現場の模様を刻んでいた。

 

実際に稲村彰人さんにお会いしたことのない方は「なにをさかつめはこれだけのことでこんなにも大仰に・・・」などと思われるかもしれない。が、これは個人的に半端なく感動的な出来事だったもので、こうしてブログ記事にしないではいられない。くるりの曲に「思い切り泣いたり笑ったりしようぜ」的な歌詞の曲があったように記憶をしているのだけれど、それが達成されたような強い感慨を覚えた。おかゆを配り終え、寒さで骨髄を震わせながら車(ごちゃまぜの家には、善意ある方から「自由に使ってください」と貸していただいている車【ヴィッツ】がある)を停めた駐車場に戻る。1日の感想を語る。大変だけど面白かったねと笑う。嘉向徹の身体ありがとうさんが、写真を眺めながら笑っている。笑っている嘉向徹の身体ありがとうさんを眺めながら、さかつめも稲村も笑う。1日をねぎらうように、安室奈美恵さんの名曲が流れる。

 

粥 CELEBRATE?(作詞・嘉向徹の身体ありがとう)

粥 CELEBRATE? 粥 KISS ME TONIGHT?

We will rice long long time

雪降ったから渋谷駅でおかゆつくるよね

 

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粥 CELEBRATE? 粥 KISS ME TONIGHT?

We will rice long long time

貰い米だね 今夜からは君にあげるよね

 

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儚く・・・儚く・・・風に吹かれて消えてゆくコンロの火を

着け直し消えて着けて また吹き消えて

 

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寒かった霜焼けしたでも 湯気が素晴らしい

お粥ができた 土鍋で炊いた ガスボンベも2個目取り替えて

 

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ふと見上げた ハチが笑った 見ててくれるよね

 

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【4th「背水のジントニック」/TPD48】

 

稲村彰人さんが移動中の車内【帰り道】で涙した保科亮太さんのブログ記事。

ojohakusyo.hatenablog.com

 

わたり文庫『代表的日本人』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、内村鑑三著作『代表的日本人』です。岩波文庫の中では、この「代表的日本人」と「忘れられた日本人(とりわけ、この本のなかにある「土佐源氏」という話が大好き)」の二冊がとりわけ大好物です。こちらの本は過去に12回くらい読み直しているのですが、読み直すたびに「ああ、俺も徳を重ねるような生き方をしなくちゃな」的な感覚になって背筋がピンッ!と伸びます。この感覚を、わたしは、なんだかとっても気に入っているので是非みなさまにも読んでいただけましたらうれしいです。こちらの本をご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、岩手県にわたりました ※※※

 

人はだれでも悪名を嫌い、名声を好む。小善が積もらなければ名はあらわれないが、小人は小善のことを考えない。だが君子は、日々自分に訪れる小善をゆるがせにしない。大善は少なく小善は多い。大善は名声をもたらすが小善は徳をもたらす。世の人は、名を好むために大善を求める。しかしながら名のためになされるならば、いかなる大善も小さくなる。君子は多くの小善から徳をもたらす。実に徳にまさる善事はない。徳はあらゆる大善の源である。(「4・中江藤樹」の言葉より引用)

 

内村鑑三『代表的日本人』【岩波文庫

 

成功した人間になろうとするのではなく、価値のある人間になろうとせよ。

車で渋谷から横浜に戻る途中、雪で身動きがとれなくなっている車を見つける。それまで「やっぱり徳を重ねる生き方をしたいよね〜!」みたいなことを話していたので、そんなことを話していた手前我々も車を停めて困っている車に歩み寄る。一応、坂爪も稲村も保科も嘉向も雪国【新潟県】育ちなので、それなりに雪には慣れている。「後ろから車を押すだけでも結構変わると思いますので、もしよかったらぼくたちが車を押すのでハンドルを握っていただいてもいいですか?」と声をかける。結果、無事に車は雪を脱出した。基本的にめちゃくちゃな生き方しかできていない今回の人生、このような形で「ああ、いま、自分は誰かの役に立つことができたのだ」と思える瞬間に宿るきらめきは大きい。感慨にひたりながら車に戻ったタイミングで、一通のメールが届いた。

 

坂爪さん、初めまして!
東京都在住の◯◯◯◯◯と申します。

 

いつもブログとツイッターを拝読しています。


坂爪さんの文章は、生きるということの原点を思い出させてくれる言葉に満ちていて、いつも新鮮な刺激を頂いています。
今回は、22日のツイキャスを拝聴して、勇気を出して初めて連絡させて頂きました。

 

鉄砲玉48の「ライスワーク」について知り、坂爪さんたちのフローの流れに私も巻き込んで頂けたら、これからの人生に漕ぎ出すパワーを分けて頂ける気がして、依頼をしてみようと思いました!


私のチーム鉄砲玉48への依頼は、私の誕生日と病気の治癒を一緒に祝って頂きたい、というものです。

 

私は商社で海外との貿易の仕事をしていたのですが、1年前の2月11日に過労から重度の鬱病を発症して倒れ、仕事をクビになってしまいました。
頼れる実家もなかったため、東京で1人、煉瓦を一つ一つ積み上げるように療養生活を送ってきました。

 

そして、1年近くかかってしまいましたが、この度、遂にほぼ寛解に至ることができました!

 

これから新しく職探しをして再び働き始める予定なのですが、その前に一つの区切りとして、自分の寛解をお祝いしたいと思いました。
困難な状況を1人で克服した自分を誉めて、寛解を祝って、ブランニューな人生に漕ぎ出す自分を祝福したいのです。
ちなみに2月12日は私の33才の誕生日なので、ついでにそっちも祝いたいと思っております!


坂爪さん、私の寛解を一緒に祝って頂けませんか?
もし、お祝いのハグと「よくがんばったね」という言葉をかけて頂けたら、私にとってこれ以上嬉しいプレゼントはありません!

 

そして、図々しいお願いなのですが、もし「ライスワーク」のお米を少し分けて頂けたら、生活的にも助かるので大変嬉しいです。療養生活で貯金を切り崩してしまったので…。

 

それに、純粋に食糧としてお米を頂けたら嬉しいなぁという気持ちもありますが、坂爪さんたちの活動に集まってきた「善意」というかポジティブなエネルギーのようなものに触れられそうな気がして、そちらの方にもとても惹かれています。想像しただけで気持ちが温かくなる活動ですね。


お会いできるのであれば、場所は東京近郊でしたらどこでも大丈夫です。
時間についても、現在は働いていないのでかなり自由がききます!
坂爪さんのご都合のよい日時と場所を指定して頂ければ、お店は私が押さえさせて頂きますが、ご都合いかがでしょうか?

 

つまらない依頼で恐縮なのですが、ご検討頂けましたら幸甚です。
どうぞよろしくお願いします!

 

◯◯◯◯◯

 

メールを読んで「よっしゃー!」と思った。鉄砲玉48の真骨頂を見た気がした。このような方にこそお米をお届けさせていただきたかったのだとよろこびにあふれた。そして「偉大なる平凡」という言葉を思い出した。世間では、金があるとか、名声があるとか、なにか大きなことを成し遂げたひとだけを礼賛するような向きがあるけれど、このようなメールを届けてくれた方のように「自分が置かれている状況と真摯に向き合い、誰が見ていてもいなくても、自分なりのベストを叩き出している」経験をしたひとが得る徳のようなものは、本当に大きなものだと思った。大善は名声をもたらすが、小善は徳をもたらす。なにか大きなことを成し遂げたひとだけではなく「人目につかない偉業をこっそりと成し遂げているひと」に対する尊敬や敬意を、忘れたくないなあと思う。 

 

https://twitter.com/KeigoSakatsume/status/955592726296150016

 

 

https://www.instagram.com/p/BeQRkJBjrR4/

鉄砲玉48の頑張り。。

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

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いつか愛さなければならないように憎め。

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『勢い余って雑さ100倍』でおなじみの牡羊座【私】ではありますが、鉄砲玉48の活動をはじめて一週間の月日が流れました。昨日までは愛知&兵庫&大阪&京都&横浜界隈をフローさせていただき、本日より千葉県市川市界隈で己が身をフローさせていただきます。鉄砲玉48の活動をやりながら(ライスワークと銘打って様々な方々から総量50キロを超えるお米粒をいただきながら)いろいろなことを学んでいるのですが、最近の発見は「ストックよりもフローだ!(交換感より循環感だ!)」というものになります。

 

 

現代社会のあれとしては「人生なにがおこるかわからないから貯金や貯蓄を増やしておきなさい」的なあれがあるように思います。が、実際のところ「どれだけお金を集めてみても、どれだけモノを集めてみても、不安は消えないばかりか常につきまとっているのはなぜ!(いつになったら安らげるのか!)」的な感覚を感じているひとは、決して少なくはないように思います。鉄砲玉48の立ち位置としては「ストックをどれだけ増やしても不安が消えることはない。肝心なことは、ストックではなくフロー【大いなる輪の中】に自分を置くことによって『持たざる不安』は消え去るのではなかろうか」などということを昨日の夜に閃きました。

 

ibaya.hatenablog.com

 

フローに賭ける。

ストックがあると安心感を覚えます。我々、鉄砲玉48のメンバーは「お金はないけどお米粒ならぎょうさんある」という状態になりました。一見、ストックが増えると「これでしばらくの生活は安泰だな」的な安堵感を覚えることもできるのですが、こころのどこかでは「ほんとうにこれでいいのだろうか」的な違和感【閉塞感】を覚えることも真実です。ストック【貯蓄】のいいところは「これがある限りはどうにかなるだろう」という安心感をもたらすことにあると思います。が、これは、裏を返せば「これがなくなったら生活はやばい」という不安や恐れに支えられているとも言えます【升】。

 

鉄砲玉48の仮説としては「ストックがあると、どうしても守りの姿勢にはいってしまう(貯金残高などを気にする生き方をしてしまう)。が、これだけあれば安心だという心理状態よりも、自分が大いなる輪の中に存在している実感を通じて『なにもなくても大丈夫だ』と思えることのほうが、よほど大きな安心感を覚えることができるのではなかろうか」的なことを考えました。というわけで「所有はダサい!流せ!流せ!必要最低限のものがあれば生活に問題はないのだから、余剰分はそれを必要としてくれるひとのもとに届けよう!」ということを思いまして、本日よりお米を希望者の方々のところまで放出をする(同時進行でゲリラ的に炊き出しを行う)ことによってお米を循環させていくターンに入りました。

 

基本的に「やりながら考えよう!」というスタンスを重要視しているのですが、なんとなく配達をするだけではなく、循環【フロー】のさせ方にもセンスが問われているように思います。現状は「とりあえず欲しいと言ってくれた方に手渡しでお届けする」という形からはじめているのですが、これもまた「やりながら考えよう!」ということで、理想的な着地点を模索&更新していけたらと思っています。もしも、この記事を読んで「それならちょっとお米をいただきたい!」とか「こんなことをやっているあなたたちと対話をしたい!」的なことを思ってくださった方がおりましたらば、鉄砲玉48のメンバーにお気軽にご連絡をいただけましたら幸いです(活動報告などは、引き続きイベントページより更新をしていけたらと思います!!)。

 

連絡先・坂爪圭吾【牡羊座

LINE ID ibaya

keigosakatsume@gmail.com

 

連絡先・稲村彰人【双子座】

LINE ID 0reaki10

akito.inamura@gmail.com 

 

連絡先・保科亮太【蟹座】

LINE ID hoshina6

hoshina2906@gmail.com

 

連絡先・嘉向徹【射手座】 

LINE ID kamuki-toru

kamukitoru2017@gmail.com

 

【4th「背水のジントニック」/TPD48】

 

twitcasting.tv

 

わたり文庫『ヤクーバとライオンII 信頼』 

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、ティエリー・テデュー著作『ヤクーバとライオンII 信頼(柳田邦夫・訳)』です。こちらの本は、先日、沖縄県波照間島より遊びに来てくださった女性がご献本してくださった一冊になります。こちらは2巻になります。2巻だけでも十分に楽しめるのですが、興味のある方は1巻もぜひ手に取ってみていただけましたら幸いです。1巻の解説にはこのようなことが書かれています。「殺された側は報復のために相手を殺す。終わりのない報復の殺し合いが続いていく。その悪循環を断ち切るにはどうすればよいのか。日本の社会に目を向けると、いじめられた子が復讐の事件を起こす。虐待された子がやがて虐待する側にまわる。これも同じ悪循環だ。もうひとつの道ーー『殺さないことだ』という、ライオンの問いかけは重い」。ご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、沖縄県にわたりました ※※※

 

私はただただ唸ってしまった。とりわけヤクーバと、ライオンの王者キブウェがともに相手の命を守り、信頼を確かめるために『見せかけの格闘』をする場面と、そのなかで生まれたともに深く尊敬しあう心とを表現する言葉に触れたとき、私の心は震えた。〈ふたりは、ともに相手をふかくふかく尊敬する心でむすばれていた〉という文だ。

 

ここで「任務と任務のぶつかりあい」という言葉を絵本のなかで使っているが、とくに「任務」という用語は、子どもの読者にわかるだろうかと疑問を抱く人もいるだろう。私自身もさんざん悩んだ。だが、「任務」という用語を安易にほかの言葉に置きかえたのでは、この緊迫した重要なフレーズを表現することはできなかった。子どもはたとえ社会性の強い「任務」という用語を十分に理解できなくても、くりかえし耳に響かせることで何か大事なことを語っているということはわかるだろう。将来のためには、平易にくだくより、その語感を残したほうがよいと私は考え、あえてほかの言葉にしなかった。(柳田邦男・あとがきより引用)

 

ティエリー・テデュー『ヤクーバとライオンII 信頼(柳田邦男・訳)』【講談社

 

いつか愛さなければならないように憎め。 

先日、医師免許をもっているという女性M様と話をしました。彼女は言いました。これまでの日々は周囲からの期待に応えるような日々で、高校を出たら大学、大学を出たら職場、職場にはいったら職場のなかでの昇進など、常に頑張り続けなければならない状態に置かれていました。ふとしたときに「いつまで戦い続けなければならないのだろう」ということを思い、そのような思いが限界に達した時に、頭よりも先にからだのほうが動かなくなり、結果的に『仕事をやめる』という道を選びました。

 

 

私が乱暴にまとめてしまっているために、M様のリアルな感情をそのまま代弁できているとは思えません。それでもなお、M様のように「いつまで頑張り続けなければいけないのだろう」と感じているひとは、決して少なくはないのではないだろうかと思います。生きている限り、苦しみに耐え忍ばねばならないときや、どうしようもない孤独を味わうことは誰にでもあると思います。それでもなお、あくまでも生きることの最大の価値は「よろこびを味わうため」にあるのだと、決して嫌なことを我慢し続ける力を鍛えるためだけにあるのではなく、好きなものと出会うために、好きなことを極めるために、好きなひとに好きだと伝えるために生きているのではないだろうかと思います。 

 

 

私自身の信条としては「生きることよりも、生きたいと思うことの方が五億倍大切である」的なことを思います。生きるために嫌なことも我慢をして続けなければいけないという世界より、好きなひとと出会うこと、好きなものと出会うことを通じて「まだまだこの世界を生きていたいな」と生きる力を得ることが、非常に重要であるように感じています。現状、鉄砲玉48という見る人が見たら「こいつらはクソだな」と思われかねない活動をしている訳ですが、それでも私は思います。この活動をしていなければ絶対に出会えなかったひとがいる。その点において、この活動は間違ってはいなかったのだと。「なんでこんなことをしているのですか」と頻繁に問われることもあるのですが、その理由は単純明快、ただただ「あなたに会うため」なのかもしれないなどと思いながらこれから千葉県市川市を目指します!! 

 

 

坂爪さん

 
 
こんにちは。お伝えしたいことがあり、
お便りしようと思ってましたところ、
最新のブログを拝読し、「そうそう、そうなのよ」と思いながら言葉を紡ぎます。
 
 
前回、ごちゃまぜの家にお邪魔してる
真っ只中に、私が憧れを抱いていた
方から急に連絡をいただきました。
ごちゃまぜの家の中でも新しいご縁に
恵まれましたが、
スマホを通してごちゃまぜの家の外でも縁が広がると
いう凄い事態になっておりました。
 
 
ごちゃまぜの家の畳の上で稲村さんの
入れてくださったお茶を飲みながら
私の世界は急に動き出しました。
 
 
ごちゃまぜの家へ行くことは私に
とってはイレギュラーな行為、恐れてる
という言葉は当てはまりませんが
一握りの勇気は必要でした。
一つの勇気を持って飛び出してみると、その他のことも
連動して動き出します。
 
 
ほんの一週間前からは考えられないような
世界が拡がりはじめてます。
ごちゃまぜの家は夢を叶えるパワースポットですね。
 
 
坂爪さんにとっても
今日が素敵な1日になりますように。
急なお便りで失礼しました
 
 
ありがとうございます
 
 
○○○○ 

 

 

https://www.instagram.com/p/BeHqr-FjQb_/

泣けるぅ〜!

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

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