いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

あなたは私の代わりに生きていて、私はあなたの代わりに生きている。

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前回の記事で「呼ばれた場所ならどこでもお花を配りに伺います!」と書きました。ら、北海道と東京と静岡と愛知と兵庫と山口と福岡と沖縄から連絡をいただきまして、坂爪圭吾の思考回路は開始二日目にして停止をしました。誠に申し訳ないのですが、一旦冷静になりますのでいましばらく返信をお待ちください!!(現在地などはイベントページから更新を行う予定になりますので、界隈にお住いの方はお気軽にご連絡ください。とか言いながら、返信がまったくできていなくて申し訳ありません!)

 

おはなをあげる。

 

趣味は自爆です。そう言えるくらいには「おれはなにをやっているのだろう」と思う日々です。前回の記事で「ごちゃまぜの家の活動資金は現在こんな感じになっています!」と書きました。が、言葉だけで説明をするのが難しすぎたために、昨日の昼間に『サカラテスの弁明』と称して、なぜ、これだけのお金がかかったのかを詳らかに弁明させていただく機会を設けさせていただきました。が、それはそれは見事に坂爪圭吾のダメさが露呈される結果になりまして、ああ、おれはやっぱりダメな人間なんだなあと逆に清々しい気持ちになりました。今世の合言葉は「今世は諦めてください」なので、もう、ダメならダメなまま今世はこのまま生きるしかないのだなあと思ったのでした。

 

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男の日常。

昨日は、東京の渋谷で3名の方におはなを配りました。

 

ー 18時30分

 

ハチ公前で女性E様と合流をしました。E様は、私に、非常にありがたいことに特大サイズの葛餅をプレゼントしてくれました(とても嬉しかったです!)。わたしは「開封した瞬間に全部食べなきゃいけないと思っちゃう病」の罹患者【重度】で、カントリーマアムのファミリーパックなどは相当にやばいのですが、その後、深夜に大量の葛餅をひとりで食べきるという愚行をしてしまいました。

 

ー 19時ちょっと前

 

場所を同じくしてハチ公前で男性S様と合流をしました。話を聞くと、S様、なんと今日が29歳の誕生日!とのこと。これは祝わなければいけない!ということで、最寄りのカフェに足を運びます。「今日はご馳走をさせてください!」と偉そうな顔をしながらS様にメニューを渡した瞬間、私は非常に重要なことに気づきました。ああ、そうか、おれはこうやってすぐになんでもかんでもご馳走をしてしまいたがる傾向があるから、あったはずのお金もすぐになくなるのだということを思い出したのです。「ああ、これか・・・これだったのか・・・」と・・・(猛省)。

 

ー 19時30分

 

S様といたカフェに女性M様が合流をします。私とM様は初対面、もちろんS様とM様も初対面になるのですが、両者ともに「一緒でも構いませんよ」とおっしゃっていただいたのでお言葉に甘えて3人で酒を飲みました。S様は、素敵すぎるキャンドルと、あろうことか「活動資金に使ってください!」と金一封まで贈呈をしてくださいました。この瞬間の感動を言葉でうまく説明することが難しいのですが、物をもらえるとか、お金をもらえるとか、そういうことだけではなくて「そこに込められている気持ちがうれしいのだ」と、そしてなによりも「おはなをあげるとか言っている坂爪圭吾が、なんならもらってばっかりいるこの現象はなんだ!」ということをすごく強く思いました。

 

人間の価値とはいかに。

S様の妹様は、先天的な障害をもって生まれてきたという話を伺いました。妹様が、職業訓練のような場所に通っていたとき、その空間の空気感が「働けないものには価値がない」前提のものだったことがどうしても身体にあわず、その後、うつ病めいた感じになってしまったと聞きました。わたしは、この「働かざるもの食うべからず」という考え方に、冷酷な精神を感じることがあります。役立たないものは無用のもの、自分で金を稼げないものは価値のないものと決めつける、差別的な精神を感じてしまうのです。

 

わたし自身、過去に躁鬱病統合失調症椎間板ヘルニアのトリプルパンチで、半年間の寝たきり生活をしていた時期があります。自分が生きていることが誰かに迷惑をかけている、負担を強いている、体の自由がきかない自分はなにもすることができない、そんな自分はこの世の中にいないほうがいいんじゃないだろうかと感じたことのあるひとは、決して少なくないと思います。しかし、役に立つから有用、役に立たないから無能、健康だから有用、不健康だから無能、頭のよいものは有用、頭のわるいものは無能とするのでは、やはり、あまりにも差別的に過ぎるように感じることがあるのです。

 

どうしてこの

わたしではなくて

あなたが?

あなたは 代わって

くださったのだ

 

精神科医神谷美恵子さんにとって、はじめて目に触れたハンセン氏病者たちの姿は、とても強烈な衝撃を与えることになりました。その衝撃によって、神谷美恵子さんは「癩の人に」という詩をつくりました。わたしは、この詩のなかに『思いやり』としか形容することのできないものを感じました。これは、ただの綺麗事に過ぎないことなのかもしれませんが、わたし達は「互いにやさしさを学び合うため」にこの世の中にいるのではないだろうか、などと思うことがあります。そうでなければ、役に立たなければ価値がないとか、健康でなければ価値がないとか、金を稼げなければ価値がないという価値観だけでは、思いやりに欠けた、潤いのない、やさしさのない、非常にギスギスとした世の中になってしまうのではないだろうかと、冷酷な差別意識をおそれる気持ちがあります。

 

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勝手に偉人列伝・6『勝海舟

今回の「勝手に偉人列伝」は、無血開城でおなじみの勝海舟さんです。当時、蘭学を学びたいと思った若き日の勝海舟さんは、しかし、60両もする蘭学の本を買う経済的な余裕がありませんでした。そこで、勝さんは本の持ち主から10両で一年間後払いで借り、なんと、全58巻(!)をまるまる手書きで書き写す(しかも二部!!!)という覇業を成し遂げます。その後、一部を知人に10両で売り、そのお金を貸主への返済にあて、残りの一部を蘭学習得のために使っていたのでした。わたしは古い人間だからなのでしょうか、このような苦学ぶりを伝えるエピソードに触れると「意思のあるところに道は開ける・・・」などということを痛感できて、なんだかうれしい気持ちになります。みなさまも、是非、隙間時間などに聞いて見てください。

 

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わたり文庫『ひかりのいと』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、銀色夏生著作『ひかりのいと』です。こちらの本は、宮城県在住の女性から「わたり文庫に使ってください」と贈呈をしていただいた一冊になります。読み終えたときに、ああ、これはまるで宝石のような一冊だと思いました。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡をいたします。

 

※※※ こちらの本は、大阪府にわたりました ※※※

 

いろんなことを考えはじめると心細くなり気弱になって眠れなくなり、

まるで川の流れにくるくると翻弄されてる一枚の落ち葉のように、自分を思ってしまうから、

わたしは大きな山だと思おう

岩のようにかたく強く重くしっかりとした山

大地にしっかりとすそ野をひろげ ゆらがずゆうゆうとすわっている山

遠くまでみわたせて 近くもみえて

落ち着いて落ち着いて 深呼吸もできる

やわらかくなだらかな稜線をもつ緑深い山

自分を大きな山だと思って 眠りにつこう

 

「祈るように願う」

 

祈るように願う

形から入っても

思いがそれに続きますように

 

祈るように願う

悲しみの海は深くはないと

あの人が気づきますように

 

祈るように願う

何度でもやり直せることを祈るように願う

あの人が気づきますように

 

祈るように願う

今見えるものにも別の面があることを

あの人が気づきますように

 

祈るように願う

今悩んでいるその場所から

心だけは飛び出すことができることを

あの人が気づきますように 

 

生きる力というのは

ひょんなことからわいてくる

誰か僕の未来にわずかな期待をもってはくれないか

それを口に出してはくれないか

 

銀色夏生『ひかりのいと』【角川書店

 

あなたは私の代わりに生きていて、私はあなたの代わりに生きている。

ただ生きるということ、ただ生き延びるということ、それだけのことならば(現代社会においては職場環境も福祉も昔よりはるかに充実をしているから)それほど難しいことではないのだと思います。でも、それでもなお、人間は「ただ、生きているだけではむなしい」と感じる生き物なのではないだろうか、と思います。生きるため、生活のため、死なないためだけに生きるのではなく「生きたいと思わせてくれるもの」との出会いを、誰もが求めているのではないだろうかと感じています。

 

いまから10ヶ月程前、わたしはハワイのマウイ島にいました。ハレアカラという名前の活火山の麓で、私たちはテントを張ってキャンプをしていました。翌朝、昇る朝日を迎えるために、私たちは車を飛ばしてハレアカラ火山の山頂を目指しました。到着と同時に、東の空からゆっくりと朝日が昇りました。その時に見た雲海の素晴らしさを、その時に見た朝日の素晴らしさを、いまでも頻繁に思い出すことがあります。大袈裟な言葉になるけれど、わたしは「生きていれば、また、こんな風景を見ることができるのだ」と感じました。また行きたいと思える場所があるということ、また会いたいと思えるひとがいるということ、なにかを好きになるということは、それだけで「これからも生きていきたい」と思える希望になり得るのだということを思いました。

 

働くとは、必ずしもお金を稼ぐことだけではなく『側を楽にする』ことだと言われています。誰かになにかをしてもらうことを考えると失望が生まれるけれど、誰かになにかを『してあげる』ことを考えはじめたときに、生まれるものが『希望』や『信頼』なのだと思います。きっと、ひとはどのような状態に置かれていたとしても「誰かのためになにかをすることができる」ものだと思います。かく言うわたし自身、日々、反省と実践の反復横跳びを繰り返しているふつつかものではございますが、少しでもまともな人間になれるように、これからも邁進をしていきたいなと思いました(これからメールを返信するのでお待たせしている方々いましばらくお待ちください!!)。

 

 

 

https://www.instagram.com/p/BTBDC6hj_tH/

はわひ。。。(ハワイの夕日)

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu        

 

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