いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

何をしてもいいし、何もしなくてもいい。

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神様から「つべこべ言わずに散れ!」と言われた気がしたので、本日2月20日(✨大安✨)より呼ばれた場所ならどこにでも伺っておはなをお届けにあがる営みを開催します。散る桜、残る桜も、散る桜。散り際の美学とでも申しましょうか、人間、往生際よく逝きたいものだなと感じております。小生、不幸の元凶は「自分かわいさ」にあるのではないだろうかと思うことが多いのですが、この点、ここからは自分との心理戦であるのだと。自己破壊と他者貢献が人生の肝だと。能書きばっかり垂れがちなわたしではございますが、「おはなをちょーだい!」という方は、是非、どなたさまでもお気軽にご連絡ください。

 

おはなをあげる。

 

昨日、こころある方から「ごちゃまぜの家第2号をつくる前に、ごちゃまぜの家のお財布事情はどうなっているかを公開するといいのではないでしょうか!クラウドファンディングのお金がどのように使われているのか、必要な維持費や月額の固定費、ごちゃまぜの家ではどのような日常が流れているのかなど、そういったことが書いてあるとブログ読者のみなさまにも『ああ、そんな感じなんだね!』ってよりわかりやすく伝わるような気がします!」といいお言葉をいただきました。わたしは「まさにその通りすぎる!」と感動をしたのちに「なんでそんなことにも気がつかなかったのだろう!」と強く反省をしました。このような指摘をしてくださる方々の存在に感謝をします。ものすごい今更にはなりますが、この場を借りて『ごちゃまぜの家のお財布事情』を簡単にご説明させていただきます。

 

ibaya.hatenablog.com

 

ごちゃまぜの家のお財布事情

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ごちゃまぜの家とは、2017年4月にクラウドファンディングという仕組みを通じて、みなさまからいただいた支援金をもとに、2017年5月末に横浜市港北区に生まれた「誰でも無料で自由に使うことができる・泊まることもできる家」になります。

 

camp-fire.jp

 

クラウドファンディングでは、驚きの231名もの方から、驚きの487万円(!)もの支援金をいただきました。また、クラウドファンディングを通じてではなく、実際に手渡しやお振込などで支援をしてくださった方々もいる(もう本当にありがとうございます。この場を借りてもう一回感謝させてください。否、死ぬまで何度も感謝をさせてください!!)ので、クラウドファンディングの事務手数料【総額の10%】を差し引いても、手元には550万円もの活動資金が集まりました。ああ、もう、本当にこころの底からありがとうございます。みなさまのおかげでごちゃまぜの家は生まれました。いま、この文章を書きながら「もう一度お礼の気持ちをみなさまに伝えたい!」という気持ちになってしまったので、ご支援いただいた方々の中で、もしも、もしも、もしも、いま一度坂爪圭吾と電話をしたいという方がいらっしゃいましたらばお気軽にご連絡ください。みんなに電話なんて大変じゃないですかなどと気遣っていただけることも多いのですが、電話をさせていただくことで自分自身『新しい着想』を得たりすることもできるので、非常に助かっております!!

 

連絡先・坂爪圭吾

LINE ID ibaya

keigosakatsume@gmail.com

 

このお金、いまはどうなっているのか。 

 

クラウドファンディングのリターンの花束

ひとり1万円 × 20人=20万円

リターンの際の往復交通費 30万円

ごちゃまぜの家の契約初期費用 15万円

グランピング設備代 10万円

交通費+ガソリン代+高速道路代 50万円

家具・寝具・食器・調理器具代 20万円

人件費的な慰労代 30万円

庭の剪定・植物代 10万円

運搬・粗大ゴミ処理・各種修理代など 20万円

 

食費 月額3万円×9ヶ月=27万円(以下、多めに計算しています)

光熱費(ガス・水道・電気) 月額3万円×9ヶ月=27万円

雑費 月額1万円×9ヶ月=9万円

灯油代 月額1万円×2ヶ月(1月から使用開始)=2万円

 

当初の活動資金 550万円

現時点での使用金総額 270万円

活動資金残金 280万円

 

こちらのような形になっております。

 

ごちゃまぜの家の「いま」と「これから」

本来であれば一個一個使用金の詳細を説明するべきだとは思うのですが、文章だと非常に難しいために近日中に音声に録音したものを公開します!現在、ごちゃまぜの家は築65年の古民家を借りて行われています。不動産屋さんのご好意で家賃は0円になる(本当にありがとうございます!!)ために、月々に必要なものは光熱費+食費+雑費になります。上の計算だと、月額最高8万円かかることになるのですが、多分、究極の節約をすれば3万円程度に収まるように思います。現在の活動資金の残高はおよそ300万円、そのうちの100万円はごちゃまぜの家(現在菊名でおこわわれている家)の維持費として大事に取り扱いをしつつ、残りの200万円を有効活用して「世界のどこかにごちゃまぜの家の第二号を!」と、鼻息をあらくしているのが現在になります。

 

「無料」なのにどうやって維持をするのか

ここが一番のポイントになります。ごちゃまぜの家は「誰でも自由に『無料で』使える家」なので、基本的にお金は(出て行くことはあっても)はいってくることはありません。100万円を維持費にあてたとき、月額3万円でおさまったとしても、およそ3年後には活動資金はなくなります。その時は、もちろんわたし自身がアルバイトでも派遣社員でもなんでもいいから労働を行い、そこで稼いだお金を運営資金にあてるという形でも問題はないのだと思います。ただ、私が抱いている仮説のひとつに「ほんとうに世の中にとって必要なことをしているのであれば、必ず、どこかから『生きろ!』という救いの恵みが差し伸べられるはずだ。逆に言えば、世の中にとって必要なことができていないときは、生かされることもなく野垂れ死ぬまでのこと。その時は、潔く散ろう(そしてほかのやり方を挑戦しよう)」ということを思っているために、採算性は一旦度外視をして、活動そのものに宿る『精度』のようなものを磨くことに、現在は専念をしています。

 

365日炊き出しが行われている状態

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理想は「365日炊き出しが行われている状態!」になります。現段階では、私、坂爪圭吾が米炊きじじい役を買ってでておりまして、常にあずき玄米だけは絶やさない家庭作りにいそしんでおります。あずき玄米とは「酵素玄米」とか「寝かせ玄米」などとも言われているみたいで、保温したまま寝かせておけば寝かせておくほどに、栄養価が高くなるという優れもの!単純に「(白米はパサパサになるけれどあずき玄米なら)保存が効く」ことが便利で助かるので、常に、ごはんだけは炊かれている状態が維持されています。

 

今世紀最大の大発明「ランドリーマグちゃん」

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先日、こころある方から「自然に優しいエコな洗剤をプレゼントします!」と、こちらの商品【ランドリーマグちゃん】を贈っていただきました。使ってみてびっくり!これ、ただ洗濯機にいれて洗濯物と一緒に洗うだけなのに、汚れも臭いも落としてしまうという優れもの!便利!簡単!楽チン!300回【およそ一年間】の使用に耐えるとのことなので、その間、いっさいの洗剤が不要ということになるのです。世の中はこんな風に進化をしているのだなと・・・こんな進化ならば大賛成だなと・・・ごちゃまぜの家をやっているといろいろなひとがいろいろなことを教えてくれるから最高だなあと・・・みなさまも、是非、興味のある方は『ランドリーマグちゃん』を使ってみてください。

 

【参考リンク】https://magchan.com/

 

勝手に偉人列伝・5『上杉鷹山

ロバート・ケネディ大統領がもっとも尊敬する人物の名としてあげた『上杉鷹山』。ごちゃまぜの家の活動をはじめてから、私は、ことあるごとに(第2回で紹介をした)新島襄上杉鷹山の動画音声を、何度も、何度も、何度も、自分を励ますように聞いてきました。彼らに共通しているのは、大袈裟な言葉ではありますが『誠』に尽きると思います。自分が思う誠実さのど真ん中を生きるとき、決して、天はそのひとを見放すようなことはしないのだと、そういうことを感じさせてくれる大好きな偉人のひとりです。みなさまも、是非、隙間時間に(音声だけでも構わないから)聞いてみてください。

 

【第2回・新島襄神のなさることは、すべて時にかなって美しい。 - いばや通信

 

www.youtube.com

 

わたり文庫『心のある家』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、三浦綾子著作『心のある家』です。前回の記事でも、こちらの本に掲載されていた素晴らしいエピソードを紹介させていただきました。三浦綾子さんの文章からは、読んでいるだけでこころが清らかになるような、姿勢を正すことができるような叡智を授かることができるように思います。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡をいたします。

 

※※※ こちらの本は、宮城県にわたりました ※※※

 

「ぼくらの職場では、人間関係が目茶目茶でね、どうしようもないんだ。君。一度説教に来てくれないから」

 

(中略)

 

この話を聞いた時、私がふと思い出したのは、河合隼雄氏の言葉だった。ある中学生が家庭内暴力を始めた。父親は、「欲しい物は何でも与えてある。この上何が欲しいのか」と尋ねた時、彼は、

 

「うちには宗教がないではないか」

 

と答えたという。少年たちもまた、心の飢えを訴えている時代なのであろう。

 

〈わたしが苦しみに遭ったことはよいことであった〉

 

という聖書の言葉が添えられてあった。私はどきりとした。今尚苦しみの只中にある人が、こんな聖句を書いて下さるとは。昨年お会いした時、私はそのことを氏に言った。星野氏は、

 

「病気とか怪我というものに、最初から不幸という肩書はついていないのですね。それをつけるのは、先ず人々の先入観、それから、その人のそれまでの生き方の問題というか・・・」

 

と、淡々と話された。星野氏の目は澄み、そして輝いていた。

 

生命を愛する第一は、自分自身を尊重するところから始まる。自分を精神的に高めるところから始まる。恋愛はお互いの精神が高められる交際でなければならない。そこに立ち戻らなければ、毎年おびただしい胎児が、闇から闇に葬られる悲惨をとどめることはできないのではないか。

 

三浦綾子『心のある家』【講談社文庫】

 

何をしてもいいし、何もしなくてもいい。

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都会にこそ『静けさ』が必要だ。そのような思いから、ごちゃまぜの家にはできるだけものは少なく、テレビを置かず、自分自身(そして目の前にいるひとと過ごす時間)を大切に扱える空間になるようにと、できる範囲のところから心を配るようにしてきました。自分自身、高級な調度品を揃えておもてなしをすることはできないけれど、できる限り、作り手のあたたかさを感じることができるような品々を揃えて、慎ましいなかに『豊かさ』を見出すことができるような、そんな空間づくりに励んでいる真っ最中ではあります。が、数日前、ごちゃまぜの家に宿泊をしてくださった方からなんともうれしいお言葉をいただきました。こんな風に言っていただけることは、本当にうれしいことだと感動をしました。

 

坂爪さん、お世話になりました。お布団敷いてくださったり、あげてくださったり、素晴らしい晩げの食卓を整えてくださり、本当にありがとうございました。

 

スマホもテレビも音楽もない粛々とした時間は、それぞれが、自分も目の前にいる相手も大事にしてる素晴らしい時間だなぁと思いました。

 

わたしは家にいるとき、何かしなければという焦燥感にかられ、やたらに動くのが止められないのですが、昨日は心の奥からゆったりとした時間でした。そして、心の奥から満たされると、ゆるやかなあたたかい気持ちで帰路についております。

 

とても贅沢な時間を過ごさせていただき、本当にありがとうございました。

 

また再会の日を楽しみにしております。

 

よしえさんにも、どうぞよろしくお伝えくださいませ。彼女の存在は、場を緩ませてくれますね。すてきだ。


置いてきたエプロン使ってください。
あと、陶器作ってらっしゃる方のこと教えていただければ幸いです。

  

私自身、過去に「家のない生活」を2年間程度していたのですが、その間に様々な方々との出会いに恵まれました。ご自宅に泊めていただいたり、食事をご馳走になったり、自家用車に載せていただいたり、お話に付き合っていただいたりなど、大袈裟な言葉になりますが「いろいろなひとに育てられる」という体験をしてきたように感じています。この、いろいろなひとに育てられた経験は、誰にも奪うことのできない『宝』になりました。血の繋がった両親というものはふたりしかいませんが、自分を育てあげるものは、必ずしも血縁者だけではないのだと思います。「いろいろなひとを育てる/いろいろなひとに育てられる」という体験が、この家を通じて、様々な方々にとっても体験をしていただける(?)空間になれば素晴らしいなあと思っています。ごちゃまぜの家は常に開放をしているので、お近くに立ち寄られた際は、是非、お気軽に遊びにいらしてください。管理人不在の場合もありますので、事前に坂爪圭吾まで来訪の旨をご連絡いただけましたら幸いです。

 

GOCHAMAZE no IE

神奈川県横浜市富士塚2丁目24−5

TEL 05010268936

  

ごちゃまぜの家の活動をはじめて9ヶ月、最初は「やるからには毎日なにかしらのことをやって、この家をどんどん稼働させていかなければ!」などと鼻息をあらくしていたのですが、やがて、ああ、この家は「存在しているだけでいいのだ」という風に感じるようになりました。実際に足を運ぶひとは限られたひとだけになるとしても、この家があるということがお守りのように機能をしているのだと、困った時はごちゃまぜの家に行けばいいのだと思うだけでも少しだけ大胆に生きることができるのだと、そんな風に言っていただける機会も増えました。これは、多分、家だけではなく人間も同じことなのだと思います。なにかをしなくちゃいけないという思いで自分を縛り付けてしまうのではなく、実は、こうでなければいけないなんてことはひとつもないということ。何をしてもいいし、何もしなくてもいい。どこに行ってもいいし、どこにも行かなくてもいい。ただ、そこに「存在しているだけでいい」ということは、なにも特別なものに対してだけではない、生きとし生けるものすべてに対して言えることなのだと感じています。

 

 

https://www.instagram.com/p/BdbyicrjDG-/

この人でいいかなではなく、この人といたいと思えるひとといること。

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu        

 

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