いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

これがわたしに与えられた人生なら、わたしは死なない。

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ごちゃまぜの家の庭にテントを張って暮らしている。誰にもわかってもらえないのが口惜しいけれど、テントの暮らしは素晴らしい。寒くないのですかと問われまくるが、わたしは「寒いのがいいんですよ…ふぉっ…」と答える。明け方が一番寒い。5時頃になると寒すぎて目覚める。昨日、風呂にはいったあとに面倒臭くて髪を乾かさないで寝たら、翌朝、毛髪が凍結していた。妙に頭頂部が冷えるなあと思っていたら、髪の毛に霜がおりていたのだ。風邪をひかないでよかった。この経験を通じて、わたしは「風呂あがりに髪を乾かさないで寝ても、風邪をひかない」というナレッジを獲得した。

 

起き抜けにお湯を沸かし、珈琲を淹れる。この時間がたまらなく愛しい。いま、テントのなかでこの記事を書いている。手先が冷たい。寒いのは嫌いだけど、テント内における寒さは「生きているなあ…楽しいなあ…」みたいに思えるから不思議だ。鳥の鳴き声が聞こえる。青みがかった空は、1日のはじまりを告げる天然の幕のようにゆっくりと開帳をする。新しい1日がはじまるのだ。ホッカイロがわりに、お湯をいれたマグカップを両手に抱える。手の中に温もりが広がる。寒いのは嫌いだけど、温めることは好きなのだ(だからテントにいるのかな)と思う。

人生とは、自分を楽しませることである。

4月9日から23日まで、急遽ハワイに行くことになった。関空〜ホノルル間の航空券が往復2万円(!)だったので、これは「自分への誕生日プレゼントだ!(注・坂爪圭吾の誕生日は4月7日です)」ということで予約をした。不思議なもので、航空券の予約をするだけで「生きる希望」みたいなものを獲得する。少なくとも「4月までは生きよう」と思うことができる。問題点がひとつだけある。航空券をとったところでわたしの所持金はほぼほぼ尽きた。ハワイは物価が高い。ホテル代も高い。一応、寝袋などの野営道具は持参するつもりだけれど、ハワイの法律は野宿を禁止している。わたしはどうするつもりなのだろうか。そのあたりなども含めて、自分の人生を楽しんでいきたいと思う。

 

自分の人生を楽しんでいきたいと思うなどと書いておきながら、甘えたい気持ちがある。もしも、ハワイに住んでいる誰かが「それなら我が家においでよ!」みたいなことを言ってくださったらどれだけうれしいだろうかなどと夢想をする。その時は、全身全霊でご奉仕をしたいと思う。部屋の掃除は好きだ。食器も洗う。話相手になることもできる。激落ちくんを持参して換気扇あたりをピカピカに磨き上げることもできる。あとは・・・と考えたところで「意外とおれにできることって少ないんだな…」と思って愕然とした。

 

いま、テントの前を野良猫が通過した。彼らは裸一貫で生き抜いているから真の意味でタフだ。動物を目撃したとき、わたしは「みんな全裸だなあ…偉いなあ…」と思う。服を着ている自分は完膚なき弱者なんじゃないだろうかと思う。わたしの地元は新潟県で、港界隈に足を運ぶと、真冬でもロシア人がタンクトップ一枚で自転車を漕いでいる場面に(稀に)遭遇する。極寒のロシアに比べれば、新潟の冬は『暖冬』になるのだろう。人間の皮膚は、意外と頑丈にできていると聞いた。服を着ることは過保護みたいなもので、服を着ることによって「人間にある潜在能力が抑圧されている」のかもしれない。俺も鍛えればいけるのか・・・ごくり(生唾を飲む)・・・などと思うけれど、多分、口先だけのわたしはこれからも服を着続ける人生を過ごすことになるのだと思う。

 

ごちゃまぜの家をハワイに!

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昨日、宮城県から来てくれた女性Y様がごちゃまぜの家にて「仙台名物・せり鍋」を作ってくれた。カキフライと油麩の卵とじまで作ってくれた。せり鍋を食べてびっくりした。世の中にこんなにうまい鍋があるのかとあごが外れた(ちなみに『あご出汁』でした)。Y様は、大量の食材を仙台で調達して、大きな荷物を抱えたまま新幹線にライドオンした。Y様曰く「酔狂なことがやりたかったのですよ。ああ、わたし、たまごまで抱えている状態で新幹線に乗っているんだなあと思ったら、楽しくて楽しくてしかたがありませんでした」とのこと。快活なY様の話を聴きながら、ああ、こういうのはすごいいいなあとわたしは感動をした。

 

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Y様、ほんとうにありがとうございました!!

 

 

ごちゃまぜの家の活動をはじめて9ヶ月。まったく説明できる自信がないけれど、素晴らしい体験を何度もさせていただいている。こんな場所は他にもあったほうがきっと素晴らしいと思い、過去記事で「日本のどこかにごちゃまぜの家の第二号を!」などと書いたものの、まったくできそうな気配がない。これはもう、待ちの姿勢ではいけないのかもしれない。仮に、仮に、仮に、ハワイにごちゃまぜの家ができたらどうなるのだろうか。奇跡的に空き地が天から降って来て、1000ドル程度の小さなモバイルハウスを建設して「誰でも自由に使ってください」なんてことができたら素晴らしいなあと思うものの、口先だけで終わってしまう可能性は高い。多分、これはもう神の思し召しなのだと思う。人間のさかしらな意図を超えたところで、神は予想を超えた展開を用意してくださることだと思う。合言葉は「採算を考えるな。ただ、誠意を生きろ」なのだと思う。

 

ごちゃまぜの家

 

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勝手に偉人列伝・4『中村久子』

岐阜県の飛騨高山に生まれた中村久子さんは、4歳の時に両手両足を失います。その後、見世物小屋に売られるなどの数々の苦難を経たのちに「日本のヘレン・ケラー」とまで言われるような、偉大な生涯を送りました。こんなにまでして、なぜ生きるのか。連続する悲運な出来事のなか、何度も何度も人生を諦めそうになりながらも、やがて、久子さんはひとつの信念にたどり着きます。それは「人生に絶望なし。如何なる人生にも、決して絶望はない」という思いでした。偉大な人柄に触れたとき、自分のなかにある「尊さ」が呼び起こされるような感覚を覚えます。みなさまも、是非、隙間時間などに聞いてみてください。

 

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わたり文庫『ミルクこぼしちゃだめよ!』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、スティーブン・デイヴィーズ著作『ミルクこぼしちゃだめよ!』です。もう、最高の絵本でした。みんなも読んだ方がいい!!アフリカの雰囲気が最高で、カラフルな絵をみているだけでラテン的な気持ちに、ハッピーな感覚に陥ることができます。実は、こちらの絵本、いつの間にかごちゃまぜの家に置かれていた不思議な一冊になります。どなたかが置いていってくれたのかな・・・天使かな・・・神様かな・・・こんなにも素晴らしい本をありがとうございます・・・ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡をいたします。

 

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※

 

しっかり

どうどうと あるくのよ

とおくをみながら しゃんとして。

ぜったいに ミルクを

こぼしちゃだめよ、1てきも!

 

スティーブン・デイヴィーズ『ミルクこぼしちゃだめよ!』【ほるぷ出版

  

これがわたしに与えられた人生なら、わたしは死なない。

中村久子さんの話を聞いたとき、思い出すひとつのエピソードがある。あるところに、12歳の娘を持つ母親がいた。12歳の娘は脊髄の病気で下半身不随になり、車椅子の生活を余儀なくされた。母親は、絶望のあまり、病院の屋上から飛び降り自殺を考えるほどだった。娘と一緒に死にたいと願うほど、母親の精神は追い詰められていた。しかし、12歳の娘は、苦悶を続ける母親を前にこんなことを言ったのだという。

 

ー 「これがわたしに与えられた人生なら、わたしは死なない」

 

なんとこれが12歳の少女の言葉である。人間なかなかこうは言えない。この話は、三浦綾子さんの著作「心のある家」の中で紹介されていたエピソードであり、実話になる。素晴らしい人間がいたものだと胸を打つ。わたし自身、おれはおれだと強気で生きてみたところで、どうしたって周囲と比べて「おれは大丈夫なのだろうか」とか「人間失格なんじゃないだろうか」などと思うことが頻繁にある。誰もが当たり前にできることが、自分にはできない。そのことが「自分はダメな人間だ」とか「自分には生きている値打ち【愛される値打ち】がない」などと思わせてしまうこともある。が、冷静に考えてみれば、どれだけあがいてみたところで自分にはこのカラダとこのココロしかないのだということがわかる。それならば、自分に与えられた運命を、自分に与えられている境遇を受け入れて立つ、受け入れて生きる、そのことに力を注ぐことができたらと思う。

 

この世界に自分と同じ人間はひとりもいない。そのことがひとに孤独を与えることもあるけれど、そのことが自分自身を唯一無二のかけがえのないものにする。自分の人生を受けて立つとき、家がないならば「家のない人生、よし、その人生を生きてみよう」と自分の人生を背負って立ちあがる時に、真の意味で自分の人生ははじまるように思う。自分が自分であることによって、ひとから馬鹿にされることも頻繁にある。しかし、自分が自分であることによってしか得ることのできないよろこびがこの世の中には確実にあって、そのよろこびは数々の罵倒を軽々と払拭する。自分を生きるということ、それは「自分が置かれている境遇を誰のせいにもしないこと」であり、潔く、晴れやかに、自分の人生を受け入れる覚悟なのだと思う。

 

 

 

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自分のこころが「美しい」と感じる道を。

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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