いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

人類全体の父になれ。

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2月12日(月・祝日)にわたり食堂【0円食堂】を開催します。今日、車を運転しながら「運命よ、おれを殺すなら殺せ」という言葉が脳裏をよぎった。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれという言葉もある。多分、わたしは捨て身になりたいのだと思う。最近は「真の意味で生きるとはなにか」的なことばかりを考えてしまう。逆説的だけど、生きるとは死にに行くことだと思う。自分にとって大事なものを、自分以外のために捧げることだと思う。生に対する執着を解き放つことで、死に対する恐怖が解き放たれるのだと思う。いまの自分には金も名誉も仕事も家庭も社会的な信用も何もない。大事なものといえば命くらいだ。自分の命を、果たしてなにに捧げたらよいのか。自分が真の意味で望んでいることはなんだろうか。最近は、そういうことばかりを考えている。

 

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運命よ、おれを殺すなら殺せ。

車を運転していると瞑想状態にはいる。明鏡止水という言葉がある。邪念がなく、静かに澄み渡っている状態。最高の状態だと思う。運転をしながら思う。自分みたいな人間が32年間生きてこれたことは奇跡だ。感謝をしてもし切れない。全方位にお世話になっている方々がいるために、どの方角にも足を向けて眠ることはできない。一生分の人生を生きた。残りの人生は世のためひとのため(そしてもちろん自分のため)に生きたいと思う。家は質素でいい。食事も玄米にごま塩があればいい。贅沢は言わない。残りの人生を自分はなにに投下するべきか。そういうことを考えるときに「家族」という言葉が浮かぶ。

 

昨日、高校三年生の女性から電話がきた。話を聞くと「自分は自分に嘘をつき続ける人生をおくってきた。母親との仲が絶望的に悪く、ただ生き延びているくらいなら死んだほうがましだと思うことも多い。さっきまで大学受験のテスト会場にいたのだけれど『こんなことをやっている場合ではない!』と痛切に思って、坂爪さんに電話をしました」とのこと。電話をくれたことがうれしかった。様々な問題の根源は、多くの場合『家族関係』にあるように思う。家族がいるから幸福という訳でもなければ、家族がいないから不幸という訳でもない。ひとにはそれぞれ事情がある。一見すると誰もがうまいことやっているように見えて、家族関係に問題を抱えているひとは多い気がする。逆に言えば、家族との問題をクリアすると人生はボーナスタイムに突入するということを思う。

 

ひどく抽象的な言葉になるけれど「バラバラなものをひとつにするんだ」という思いがある。この感覚は昔からあった。現在はごちゃまぜの家の活動を通じて、そのための試行錯誤を繰り返している。同じ地球上に生きていながら、同じ人間というジャンルの生物でありながら、世界には様々な分断が蔓延しているように思う。ひと知れず孤独や絶望や深い虚無感を抱いているひとも多い。自分自身もそうだ。いまの自分をダメだとは思わないけれど、ひととひととはもっと強く結びつきあうことができるのではないだろうかという思い【さみしさ】が常にある。残りの日々を、そういった意味での『ボンド』的な役割を担いたいと思う。願わくば、ファミリーボンド【家族的な絆】をこの惑星にもう一度。それがダメで死んでしまうなら、それは仕方のないことなのだと思う。生きている間に、自分はどれだけのことを成し遂げることができるのだろうか。何も成し遂げられないとしても、最期の瞬間に「おれは生きた」と思える生き方をしたいのだと思う。

 

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勝手に偉人列伝・1『田内千鶴子』

光を観ると書いて観光と読む。最大の観光名所は、人間だと思う。人間のこころのなかに確かな「光」を見た記憶は、いつまでの消えることなく残り続ける。弱気になったとき、自分で自分を信じることができなくなったとき、私は過去の偉人の生き様に触れる。そのことで生きる力【生きたいと思う力】を取り戻す。田内千鶴子という女性がいる。高知県に生まれ、韓国で孤児院を開設した女性だ。時間のある方は、是非、隙間時間(通勤中や眠る前の軽い運動のお供)に聞いてみてください。

 

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わたり文庫『続 泥流地帯』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、三浦綾子著作『続 泥流地帯』です。自分がダメになりそうなとき、読書をすることによって引き上げてもらえた記憶が無数にあります。本を読む理由は様々だけれど、そのうちのひとつに「最高の話し相手をもつことができる」ことがあると思います。付き合いの飲み会に足を運ぶより、表面的な会話を続ける時間を選ぶよりも、わたしは読書を選びたい【人間に触れたい】と思うタイプの人間です。こちらの本をご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡をいたします。

 

「しかし、俺はね。自分の人生に、何の報いもない難儀な三年間を持つということはね、これは大した宝かも知れんと思っている」

 

「宝?」

 

驚いて国男は声を上げた。耕作も拓一を見た。佐枝だけが深くうなずいた。

 

「うん、宝だ。たとい米一粒実らなくてもな。それを覚悟の上で苦労する。これは誰も俺から奪えない宝なんだよ。わかるか、国ちゃん」

 

「・・・・・・・」

 

「実りのある苦労なら、誰でもするさ。しかし、全く何の見返りもないと知って、苦労の多い道を歩いてみるのも、俺たち若い者のひとつの生き方ではないのか。自分の人生に、そんな三年間があったって、いいじゃないか。俺はね、はじめからそう思ってるんだ」

 

三浦綾子『続 泥流地帯』【新潮文庫

 

人類全体の父になれ。

私はまだ結婚をしていないし、付き合っている女性もいない。だからこの国の法律的な意味では「自分の家族」をまだつくってはいない。しかし、ごちゃまぜの家の活動を続けながら「人類全体の父になれ」ということを何度も何度も何度も何度も何度も自分に思う。自分のこども【血縁者】だから大切にするというのではなく、この場所に足を運ぶひとは誰もがみな家族みたいなものだと思って、できる限りの気持ちを込めて接するということ。それは、耳当たりのいい言葉だけを言うことを意味するのではない。言いづらいことでもはっきりと言うこと、その時は、できるだけこころを込めて言うことなのだと思っている。

 

 

自分はまだまだ全然未熟で、それができていないことが大量にある。しかし「人類全体の父になれ」と言う言葉は、弱い自分を何度でも鼓舞してくれる。人類全体の父とは、果たしてどのような人柄の持ち主なのか。それを自分なりにイメージして、少しでもそれに近づけるように鍛錬を積む。わたしはまだ独り身で、結婚をする予定もない。ただ、稀にこんなことを思うときがある。もしも自分にも結婚をすることがあるのだとしたら、そのときは「人類全体の母になる」ようなひとと、わたしは生涯を共にしたいなどと願うのだろうなと思う。

 

 

素晴らしい人物と出会ったとき、恥ずかしくない自分【そのひとにふさわしい自分】でありたいと思う。いまの自分は全然まだまだで、しかし、ごちゃまぜの家の活動なり、日々の生活の中で鍛えられている部分はそれなりにある。いまよりもよくなりたいと願うこと、それは「現在の自分を否定すること」としてではなく、より高いところに自分を導いてくれるような、より高いところに自分を引き上げてくれるような、そういった意味での『向上心』をなくしたくないと思う。否、こんな言い方をすると硬くなる。端的に「もっとよくなりたいと思うことができる」この心の働きを、私はとても素敵なものだと思っている。自分を磨くということ、それは精神性を磨くということなのだと思う。退屈やさみしさに負けてしまわないように、孤独感や虚無感に飲み込まれてしまわないように、自分のなかに宿るもの【人間全体に宿るもの】を磨き続けていけたらと思う。

 

 

 

https://www.instagram.com/p/BewF0DEDRhl/

たくさんの水仙をいただきました。

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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