孤独を身に纏う人は美しい。
金のない僕らに高級料理を食うことはできない。しかし、いかに飯を美味く食うかならば極めることができる。例えば、ただコーラを飲むときよりも「登山をダッシュで往復したあとに飲むコーラ」の方が五億倍美味い。砂漠のど真ん中で見つけた水は、この世のどんな液体よりも美味に感じるだろう。要するに、人生は『差』だと思う。前に、温泉にめちゃめちゃ気持ちよく入るためにはどうすればいいかを友達と話し合った結果、真冬に滝行をしたあとに入ればいいのだということになって決行した。最高だった。
大学を辞める時に「辞めて何をするの」と五億回問われた。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2018年10月3日
やりたいことがあるから辞めるのではなく、やりたくないから辞めるのだと答えた。無責任だと言われたが、真逆で「これが責任だろ」と思った。
自信があるからやるのではない。やりたいからやるのだ。 - いばや通信 https://t.co/i7UzrYzB3b
私は花が好きだ。ボロボロの古民家に一輪の花が凛と活けてあると「ああ、利休。。。」みたいな気持ちになる。逆に、高層タワーマンションの豪華な部屋に花が活けられていても何も感じない。『差』がないのだ。花があることが普通すぎるから、なにも染み渡ってこない。だから、私は(これは大いに妬みもはいっていると思うが)花瓶を割ってやりたい気持ちになる。花瓶にヒビが入っていて、ようやく安心できるというかリラックスできるというかなんというか、鼻につくものも鼻につかなくなる(花なだけに)。センスのない金持ちは下劣だと思う。
10月17日(水)ごちゃまぜの家救済企画@福岡県福岡市
===========================================カナダ北極圏に住むインディアンがいっていた言葉を想い出す。「ここでは人は自分ひとりで楽しむことができないといけない(You must entertain yourself.)。それができない奴はみなノイローゼかアル中になって南に帰る」人は都会派人間と、田舎派人間に分けられる。===========================================孤独を身にまとうひとは美しい。33年間生きてきて、そう実感するようになりました。今回は『孤独の愉しみ方』をテーマに、参加者の方々と談笑する企画を開催させていただきます。裏テーマに「ごちゃまぜの家を救う!」というものがあるのですが、事情を説明すると、いま、私は神奈川県横浜市で『誰でも自由に使える家(ごちゃまぜの家)』を運営しております。しかし、あらゆるものを無償で放出し続けた結果、運営資金が底をつくという当たり前すぎる現実に四苦八苦をしているのが昨今です。今回は「寄付を募りながら全国行脚をする!」活動の一環として、非常にありがたいことに福岡市で救済企画を開催させていただく運びとなりました。ごちゃまぜの家とは?都会であるほど、静かな時間・自分を取り戻す時間を確保することが徐々に難しくなっているように思います。そのような思いから「喧騒の中でも、自分を取り戻す(保ち続ける)ことができる空間になれば」と願いを込めて、ごちゃまぜの家の活動を続けています。過去に2年間ほど続けた「家なし生活」や「ごちゃまぜの家」の体験を通じて、今回、みなさまと『孤独の愉しみ方』を共有させていただけたらと思っています。また、ただ一方的にお話をさせていただくだけではなく、参加者の方々のリアルないまのお気持ちなども、差し支えのない範囲でお聞きできたらなおさら最高だなあと感じております。・疲れを吹き飛ばしたい気分だ・「How to entertain myself」を深めたい・野田知佑の生き方が好き・色々な考え方に触れてみたい・動く坂爪圭吾を見てみたい・ごちゃまぜの家の活動に興味がある・当日、たまたま福岡にいる・福岡に行く機会を伺っていた・参加ついでに九州小旅行をしたい・ごちゃまぜの家の力になりたい(神)など、動機はなんであれ、あなたさまのお越しをお待ちしております!!🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸今回、共同主催をさせていただく女性から、こんなメールが届きました。===========================================昨日友人の店で食事してたら、隣に一人飲みの彼女いない29歳男子がいました。どんな女性がいい? と聞いたら「情緒が安定してる人がいいです。。」だって。爆笑。向かいで聞いてた店主の44歳男子も黙って頷いてた。その彼は旅行が好きで、冬は東南アジアに一人で行くんだって。日焼けできて、なるべく日本人に会わないところに。夏は日本で日焼けできるから、国内をバイクでウロウロするんだって。そういう愉しみ方も、良いねぇと思いながら聞いてました。😊===========================================「いいなあ。。」と思いました(坂爪・談)🌸🌸🌸🌸🌸企画趣旨のご案内🌸🌸🌸🌸🌸こちらの企画は『孤独の愉しみ方』について、参加者のみなさまとおしゃべりをするという「あんまり堅苦しくない、いかに楽しい時間を過ごせるか」に重点を置いた企画になります。最初は「テーマはお金とかがいいのかな??」とか「それとも愛??」などと考えていたのですが、それだけでは疲れるというか肩が凝ることに気がつきました。基本的に、テーマはおまけみたいなものであり、みなさまと楽しい時間を過ごせたら万々歳であるということが、当イベントの目指す境地でございます。どなた様でもお気軽に遊びにいらしてください!!(そして、一緒に『孤独の愉しみ方』を探っていきましょう!!)🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸【タイムスケジュール】18時45分 開場(受付開始)19時00分 開演・坂爪圭吾による「今回の企画趣旨のご説明」19時15分 第一部!20時00分 小休憩20時15分 第二部!20時55分 坂爪圭吾による渾身の土下座21時00分 終了!【登壇者プロフィール】■坂爪圭吾(さかつめけいご)1985年新潟県生まれ。いばや通信運営。人間は家も金も収入もなくても生きていけるのかを実験するため、2014年から約2年間にわたる「家のない生活」を行い、なんだかよくわからない日々を送る。結果的にブログ読者の方に購買をしていただいた熱海の家に現在は暮らす。2017年、クラウドファンディングで480万円(!)を調達し「横浜に、誰でも自由に無料で使える家」を作る。その名も『ごちゃまぜの家』。しかし、現在、あらゆるものを無料で放出し続けていたために極度の金銭的困窮に喘いでいる。今回は、福岡で出会う方々を通じて「ぼくはこれからどうやって生きていけばいいでしょうか?」ということを、探る。自伝風物語「ホームをレスした話」🌸🌸🌸🌸🌸ご参加にあたってのお願い🌸🌸🌸🌸🌸●こちらの企画は、決して答えを(上から目線で)教え諭すような内容ではございません。ひとつのテーマをもとに、みんなで、和気藹々と(なによりも楽しく!)時間を過ごせることを最大の目的としています。そのため、ご自身のお考えを誰かに押し付けることなく、異なる意見もまあるい心で受け入れていただけましたら幸いです。●参加者のみなさまが心地よい時間を過ごせるよう、何卒、みなさまのご協力をお願いいたします。(例:論破することを目的とした議論をしない、とか、誰かひとりだけが話し過ぎることのないようにする、など)🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸日時:10月17日(水)19時00分から21時00分会場:マウントヒル・ヨガスタジオ※※※当日、会場内にはおにぎりやお茶などをご持参いただいても構いません。開催中も食事をとっていただいて構いませんので、お腹が好きそうな方はお好きなものをご持参ください※※※定員:20名(先着順)お問い合わせ:坂爪圭吾(さかつめけいご)LINE ID ibayamail keigosakatsume@gmail.com
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わたり文庫『のんびり行こうぜ』
今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、野田知佑著作『のんびり行こうぜ』です。野田さんの本ばかり紹介をしてしまってごめんなさい。野田さんの生き方が大好きなのです(自分が大好きなものを同じように「大好きだ!」と言ってくれるひとを待ち望んでいるのです)。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。
※※※ こちらの本は、新潟県にわたりました ※※※
一昨年マッケンジー川を下った時に会ったカナダのコースト・ガード(日本の海上保安庁にあたる)の船の話を書く。これは一度どこかに書いたことがあるが、何度でも書きたい。北極海に近いイヌビクの町の川原で休んでいる時、ぼくはゴードンという名の男に声をかけられたのだ。彼はそのあたり一帯を守備範囲とする警備船『デューミット合』の船長で、三ヶ月の川旅で乞食のようになっているぼくに、シャワーを浴びに来い、汚れ物を洗いに来いと言った。
ぼくはそれからイヌビクに滞在中毎日彼の室のシャワーを使い、彼のスコッチを飲み、船の図書館で机に座って本を読んだ。ゴードンはぼくが行く予定の川の水路、海の水深、波が高い時の避難場所など、実用的なアドバイスを沢山してくれた。彼と飲みながらこんな話をしたことがある。
「もしぼくがこれからグリーンランドまで行くと言ったらどうする?」
「ぼくの持っている北極海の情報を全部君に与えて、グッドラックという。それだけだ。九十九パーセント君は死ぬだろうが、それは君の問題だからね」
大人の国の男たちはいいものである。
孤独を身に纏う人は美しい。
昔、高田馬場に暮らしていた。近くに早稲田大学がある。駅前には常に大学生がたむろしていた。私は群れる人間が大嫌いだから「お前らは群れないと何もできないクズだ」と悪態をついていた。孤独を身に纏う人は美しい。彼らはひとりで立っている。なににも所属をしていない。逆に言えば『自分に所属している』雰囲気がある。群れる人間は、私の観察によるときっと不安なのだと思う。友達がいなければ、恋人がいなければ、所属している組織なりなんなりがなければ自分のアイデンティティを確認することができない。自分に所属する人間は「ひとりでもやる(ひとりでも生きる)」人間である。誰かに認められるために生きていないし、誰かに褒められるために生きていない。
鬱病でぶっ倒れていた時、三年寝太郎の昔話を思い出すことで命を繋いだ。三年寝た後に生き返った人間がいたことは、大きな支えになった。結果、鬱病は治った。三年寝太郎の効果は大きかった。しんどい時は、三年でも三十年でも寝たらいいのだと思う。元気になったら、また、生き直せばいいのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2018年7月2日
先日30歳になる女性からこんな手紙をもらった。「私はずっと孤独を抱えていた。別に家族に問題がある訳じゃない。でも、これは私が長女だからなのか、ずっと『自分は愛されていない』という思いが強く胸にあった。この前、母親に生まれて初めてその気持ちを真っ向勝負で告げた。めちゃめちゃ感情的になったし、涙も出た。でも、ものすごいスッキリした。そして知ることができた。母は、母なりに私を愛していたのだということをはじめて知った。私は、自由になった。いままでは彼氏にサポートを求めていた。それが依存になることも多かった。しかし、私の穴は埋まったのだ。私が思う愛だけではなく、世界には様々な形の愛があるのだと悟った。私は愛を求めてさまよっていた。しかし、愛ははじめからそこにあったのだ。母と向き合う勇気を与えてくれた坂爪さんに感謝を。本当にありがたいと思っている。」という内容だった(これが数億倍可愛らしい感じで綴られていた)。
自分を許したようにしか、他人を許すことはできない。ぶっ倒れた経験を通じて、自分の弱さや矮小さを許した。三年寝太郎を通じて、寝ていれば治るのだとも思った。休むことは悪いことじゃない。むしろ、必要なことだ。頑張っていない人間はいない。生きているだけで、充分、頑張っているのだと思った。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2018年7月2日
私は「最高だな」と思った。僭越ながら「俺は本当に良い仕事をするなあ」と思った。私は思う。誰かの愛を求めてさまよったり、誰かの許可を求めてさまよってしまうことが人生にはある。しかし、実は『とっくの昔からすでに自分は愛されていた』『とっくの昔からすでに自分は許されていた』というのがこの世の真実だと思う。愛の形は様々だ。自分が思う愛とは違う『また別の愛』が、世界にはごろごろ転がっている。あ、違う。私は孤独について書きたかったのだ。 孤独を身に纏う人は美しい。自分の人生を背負って立っている魅力がある。美しい人は「自分の人生を、誰の責任にもしない」雰囲気がある。彼や彼女に穴はない。あったとしても、それを受け入れることができている。では、どうすればそれを受け入れることができるのか。答えは簡単。「自分は自分である」ことを許可したからである。
渋滞に巻き込まれた時『イライラすることもイライラしないことも選べる』と悟った。悲しむこともできるし、悲しまないこともできる。退屈を覚えることもできるし、退屈を覚えないこともできる。愛されてないと思うこともできるし、愛されていると思うこともできる。感情も、現実も、自分が決めている。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2018年10月4日
#kinokawa #bonfire #lifeisgood
人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu
自信があるからやるのではない。やりたいからやるのだ。
温泉巡りを終えて横浜に向かう。横浜の家には古いピアノがある。先日、ピアニストの女性がこれを見てアゴを外した。彼女いわく「このピアノは後生大事に扱え。水拭きは絶対にダメ。手放す時はわたしに連絡をしなさい」とのこと。なんでも、ものすごい高価なものらしい。私のような貧乏暮しの人間も、実は高価なものに囲まれていたことを知った瞬間は気持ち貴族になる。笑い声も「ふはははは」になる。これまで、家に遊びに来てくれたこどもたちがガンガンに弾き倒していた。今後の扱い方に緊張感が走る。
退屈な人間はいない。退屈な生き方があるだけだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2018年10月2日
元気になる方法は簡単。真面目な考え方ではなく、自分のテンションがあがる考え方、自分のこころが楽になる考え方、自分が思わず笑っちゃうような考え方を採用すればいいのだ。
男である特権をフルに活かす。 - いばや通信 https://t.co/23DPFY4SPo
実は、熱海の家【逢初庵】にも高級なものが一個だけある。だから私はこんな問題を用意した。「この家のなかに、この家よりも高価なものが一個だけあります。戸棚の中ではなく、あなたの視界になかにすでにあります。さて、それはなんでしょう。」と得意げな顔をする。いままで正解を出したひとは一人しかない。星の王子さまにこんなセリフがあったと思う。砂漠が美しいのは、どこかにオアシスを隠しているからだね。横浜や熱海の家にも、同じことが言える(横浜の家にもピアノ以外の秘密が2個ある)。誰も知らない宝物が隠されているだけで、それを知るひとたちだけには『特別』になる。
本領を発揮した女には男三人は必要。
10月6日(土)に東京都日本橋でイベントを開催する。イベント詳細文を見たひとから「意味がまったくわからない!」とコメントをもらった。自分的には最高に腑に落ちる内容も、見る人が見たら意味がわからないこの現象は最高だなと思った。私の役割はMAYUCHAPAWONICAという女性の魅力を伝えることにある。彼女を目撃するためだけにでも来て欲しいと思う。絶対に元気になると思う(これで元気になれなかった今後いばや通信を読む必要はまったくないと思うし、今世、あなたと私は交わる必要もないのだろうなと思う)。
🦄🦄🦄今後のスケジュール 🦄🦄🦄
10月6日(土)@東京都日本橋
10月17日(水)@福岡県福岡市
ごちゃまぜの家を救え!対談企画・坂爪圭吾×堀口雅司「これからの生き方を考えよう!」@大阪府能勢町
その日、その場所に、いる
— まゆちゃぱうぉにか@10/12余命半年イベ中目黒 (@harapekoyama) 2018年10月3日
という凄まじき才能
連絡先 keigosakatsume@gmail.com
本領を発揮した女性には男三人は必要だと思う。MAYUCHAPAWONICAは神様で、私は聖書【宣教師】的な役割を担う。が、私一人では彼女を生かしきることができない。必ずどこかで漏れが出る。そこで嘉向徹さんと保科亮太さんが登場する。彼らの出現により、より一層『MAYUCHAPAWONICA様のお告げを現実世界に落とし込む』ことが可能になる。男は、元来、女性にひざまづきたい生き物だと思う。巫女という職業がある。神の啓示的なものを女性がキャッチし、周囲の男性がそれを具現化する。そういう関係性を理想的だと思う。しかし、本領を発揮した女性には男三人は必要だ。男性一人では追いつけない。これは、もしかしたら結婚という制度にも通じる話かもしれない。
10/6今週の土曜日
— まゆちゃぱうぉにか@10/12余命半年イベ中目黒 (@harapekoyama) 2018年10月1日
いばやが5億光年ぶりにイベントやるので遊びに来てね♡
未来ったら、もう、遅いんだからあ♡という、22世紀からのツッコミをお楽しみに!!
【イベント情報】22世紀の未来MTG〜いばやの先の遊び方〜 - CHAPAWONICA BLOG ~らぶ&ぱぽぷ~ https://t.co/yzu5fbTqQd
現状の結婚制度には「お互いが我慢をすることで一対一の関係は維持される」的な雰囲気を感じる。この場合は、両者の本領は発揮されないために一対一でもどうにかなる。しかし、本領を発揮した女性はやばい。絶対に男一人では掬いきれない部分が出る。私は思う。女性一人に男三人は必要だ。だから、結婚する場合も「妻ひとりに、旦那三人」くらいが理想的と考える。いばやの場合、MAYUが私の本妻になる。変な例えになるが、嘉向さんや保科さんがいばやを抜けても、いばや自体は存続する(なぜなら私とMAYUでいばやを作ったから)。しかし、私かMAYUがいばやを脱退した場合、いばやそのものが消失をする。いばやは活動で、結婚は制度だ。違うと言えば違う。しかし、同じであると言えば「実は結構同じことなんじゃないか」と最近は思う。
わたり文庫『山を考える』
今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、本多勝一著作『山を考える』です。10月3日は『登山の日』らしいです。「今為し得る賭けを為せぬ者は、未来の如何なる対象に対しても決してそれを為し得ない者である。」とか、結構痛烈なことを本多さんは言います。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。
※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※
たとえは何でもよいが、ここではアメリカ映画『わが家の楽園』をあげよう。主人公のパンダホフ老人は、かつて実業界で活躍していたが、三十年前のある日、エレベーターの中で突然さとりをひらく。「余生を送るだけの金はもうあるのだ。何をあくせくと、これ以上もうける必要があるだろうか」。彼はその日のうちに辞職し、引退して勝手な生活を始めた。この一家は老人の影響のためか変わり者が多く、娘のペニーは画かきだが、あるときタイプライターが間違って配達されてから小説を書きはじめる。その夫のポール=シカモアは、氷の配達人を助手にして花火の研究に夢中になっている。一方、この一家の周辺にポピンズという典型的サラリーマンがいて、忠実な会計係だったが、ある日パンダホフ老人から「人間は、死ぬときに自分の一生をふりかえって、好きなことを思いきりやったと満足できるような生涯を送るべきだ」ときかされる。ポピンズは、小心よくよくとしていたそれまでの自分の馬鹿らしさを卒然と悟り、会社をやめて好きな玩具の発明に没頭する・・・。
本多勝一『山を考える』【朝日文庫】
自信があるからやるのではない。やりたいからやるのだ。
岡本太郎が「音痴の会を作ったらいいのだ。歌のうまいやつが集まるのではなく、音痴なら音痴のまま、音痴であることを楽しめばいいのだ。そうすれば、歌のうまいやつの方から『お願いだから、この会にいれてください』なんて言う日が来るだろう」と言っていた。私は、この話を頻繁に思い出す。上手だからやるのではなく、下手くそでもやる。自信があるからやるのではなく、自信がなくてもやる、やりたいからやる、楽しいからやる。そういう人間たちが醸し出す雰囲気には、圧倒的な肯定感が宿る。
「毎日ひとつ、自分が恐れていることをやりなさい」とは最高のアドバイスだと思う。恐いけれどやる。自信もお金も才能もないけれどやる。死ぬかもしれないけどやる。死にに行く位の気持ちで飛び込むことで『逆に開く命』がある。現状を打破する道は唯ひとつ、自分が恐れていることをやることだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2017年8月15日
当たり前の話だが、服を買うつもりはなくても試着をしていいのだ。結婚する気はなくても婚活をしていいし、就職する気はなくても就活をしていいのだ。そう思った時、私も婚活サイトに登録をしようかなと思った。婚活パーティーに足を運びたいとかちょっと思った。「結婚する気のないひとたちの婚活パーティー」とかをしたら、結果的に、そこから結婚をするカップルが登場するかもしれないと思った。遊ぶと言うことは、多分、そういうことだ。美学に反するからと言ってそれを拒否するだけではなく、遊びでまるごと包括する。いばやがやりたいと思っていることは、多分、そういうことだ。
大学を辞める時に「辞めて何をするの?」と五億回問われた。やりたいことがあるから辞めるのではなく、やりたくないから辞めるのだと答えた。理解されることは少なかったけれど、あの時に辞めて良かったと心から思う。嫌なことを辞めるのは、無責任な行為ではない。真逆で、責任を帯びる行為だと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2017年6月27日
ガンディーやマザーテレサは偉人だと言われる。彼らの崇高さばかりが讃えられるが、私は、彼らの崇高さよりも「とにかくめちゃめちゃ実行した」ことが偉人たらしめているのだと思う。崇高かどうかは、あまり重要じゃない。とにかくめちゃめちゃ実行したことで、自分でも気がつかないうちに謎の光を生み出し、周囲を照らす電力になる。彼らを見ていると思う。「人間って、すごい!」と思う。ここまでやった人間がいるのだという感動が、それを見るひとの心に火をつける。人生は意味じゃない。意志だ。格闘家の大山倍達にしても、登山家のマロリーにしても、初代女子学院院長を務めた矢嶋楫子にしても、同じことが言える。世界にはあほみたいに体を酷使してとんでもないことをやり遂げる人間がいる。そういった人間に触れたとき、私のこころは「いいな」と動く。
人間関係の不幸の原因の9割は「過干渉(余計なお世話)」だと思う。期待は自分自身に寄せるものであって、他人に寄せた瞬間に甘えになる。他人の生き方にああだこうだと口を出すより、自分の日々に集中をすること。大切なことは、ひとを変えることではなく、『自分が変わっていくこと』なのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2017年5月4日
人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu
退屈な人間はいない。退屈な生き方があるだけだ。
原体験は父親にある。最近そう思う。私の父親は煙草を愛していた。ある日、大量の喫煙が祟り、40歳の頃に肺癌を患って生死を彷徨った。が、入院中もあろうことか父親は医者に隠れてこっそり煙草を吸っていた。それに気づいた母親が「馬鹿!やめなさい!」と煙草をとりあげようとした。ら、驚いたことに、40歳を超えた父親は自分の嫁に向かってあっかんべーをした。母親は呆れて「もう、知らない!」と匙を投げた。私は、この場面を見て「ああ、なんておとなげのないおとななんだ!」と胸が震えた。
これまでがこれからを決めるのではない。これからがこれまでを決めるのだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2018年9月30日
幸せを感じるために、これまでの日々がどうだったのかということはまじで関係がない。いま、幸せになる。そのための『魔法』を発明する。
22世紀の未来MTG - いばやの先の遊び方 - - いばや通信 https://t.co/SulcVR6s5G
父親は野球を愛していた。父親は床屋なので、床屋仲間と草野球チームを結成していた。私は父親を見て育ったので、やがて、私も野球部に所属した。小学生の頃、父親に連れられてバッティングセンターに頻繁に行った。小さな私はピッチャー返しを打つことがやっとである。その隣で、父親ががんがんホームランをかっ飛ばしている。こどもながらに「あんな風になりたい」と思ったものだ。格好いい父親を持ったこどもは幸いである。逆に言えば、常におどおどとしている父親を持ったこどもは不幸だと思う。
原体験は父親にある。
最近は釣りとカヌーに興味がある。身体障害者のカヌー教室の話を聞いた。モンベルというアウトドアブランドの社長は定期的に身体障害者向けのカヌー教室を開催している。しかし、この社長は身体障害者だろうが容赦をしない。決してこども扱いすることなく、激流を前に「ここを突っ込め」と初心者に無茶振りをする。参加者一同はおおいにビビるが、やがて意を決して激流に向かう。死ぬほど怖いが、終わったあとは誰もが爽快感をあらわにした表情をしている。参加者の一人は言う。
我々身体障害者は、常に、まるで腫れ物を扱うような、赤ん坊を扱うような対応をされる。しかし、ここでは誰もが平等に扱われる。障害のある自分にカヌーなんて絶対に無理だと思っていた。しかし、やってみたらできた。この感覚がうれしかった。自分に制限をかけていたのは自分なのだと思った。
ユーコン川を釣りをしながらカヌーで下りたい。キングサーモンを釣り上げて飽きるほどイクラ丼を食いたい。数日前からそんな夢を抱くようになった。そう言えば私の父親は釣りが趣味だった。幼少期、早朝4時頃に叩き起こされ、強制的に同行させられた。私は正直釣りなんてまったく興味はなかったけれど、同行すればコンビニで大好きなカップヌードルを買ってもらえる。それだけのために同行していた。海でカモメを眺めながらカップラーメンを食う。トイレはその辺の草むらで済ませる。釣れない時は父親とキャッチボールをする。いま思い返すと、あの頃の記憶が生きているのかもしれない。
野球をやっていた頃の父親は格好良かった。しかし、やがて癌を二度ほど繰り返して父親は野球をやめた。野球をやめてから父親は急速に老けた。テレビを見ても愚痴ばかり言うようになり、口数は減り、覇気が薄れ、食後に服用する薬の量は増えた。人間を老けさせることは簡単だ。生きがいを奪い、新しいことに挑戦することを制限し、病院に通わせれば、人間はあっという間におじいさんになる。それでもなお、釣りだけはいまも続けている。釣りから帰って来た時の父親は、いつもより柔和な表情をしている。繰り返しになるが、格好いい父親をもったこどもは幸いである。なぜなら「自分もこういう風になりたい」という理想のモデル像を、身近な人間に見出すことができるからだ。
ダサい真似はするな。
野営道具をバイクに積んで静岡界隈を巡っている。私は温泉が好きだ。温泉が好きなら「毎日5回でも入っていいのだ」ということに今更気づき、好きなだけ温泉を巡ろうと思っている。道中の風景が爽快で思わず大きな声が出る。車にはない爽快感がバイクにはある。風を感じるうれしさ。疲れたら適当な草原で仮眠をとる。お湯を沸かして珈琲を淹れる。太陽光でスマホとドローンと電灯の充電をする。眠りたい場所にテントを広げて好きな時に眠る。眠気が来るまで読書をする。恥ずかしながら「俺は自由だ」と思う。
生活水準をさげれば生きるハードルもさがる。常に「最悪の場合は1日5時間20日間程度働けば10万円にはなる。だから、10万円以下で自由に生きれる生活を確保しておけば人生はどうにでもなる」と頭の中で思っている。早朝の有意義な時間は誰にも邪魔をされたくない。夜はしっかり眠りたい。夜勤をすると死にたくなるから。必然的に「働けるのは9時から5時の間の5時間程度(本当は3時間が限界だけど)」ということになる。自由を確保するためには、自分にとっての最優先事項を知る必要がある。私にとって大切なものは「早朝の時間」「ひとりの時間」「好きなことをやる時間」だ。
この前、ある男性から「俺の彼女がお前のことを好きになりそうだからもう会わないで欲しい」的なことを言われた。正直、知ったことかと思った。相手が離れるということは、お前に魅力がなくなったからだ。相手に行かないでくれと懇願するのは無様だし、鎖で繋ぎ止めて行動を制限することも筋違いだ。相手には相手の人生があり、相手には相手の「好きなように生きる自由」がある。それを奪おうとするお前に愛はない。相手を繋ぎ止めたいならば、明朗と、魅力的な成長を遂げるしかない。では、成長とはなにか。それは明るい人間になることだ。自分の好きなことを見つけることだ。誰になんと言われても、自分には「これが最高だ」と思える瞬間を捉え、堂々と胸を張ることだ。
わたり文庫『孤独の愉しみ方』
今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、ヘンリー・ディヴィッド・ソロー著作『孤独の愉しみ方』です。晴れた日に屋外の椅子に座り、早朝の日光を浴びながら読むには最高の一冊です。あるいは、夜、屋外にテーブルを並べてウイスキーでも飲みながらロウソクのあかりで読むにも最高の一冊です。ソローさんは結構とがっているのですが、自然を愛している感じが大好きです。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。
※※※ こちらの本は、静岡県にわたりました ※※※
四季との交流を楽しんでいるかぎり、人生を重荷に感じることはない。
たとえ気の毒なほど人間嫌いの人や、ひどい憂うつに悩む人でも、自然の事物の中には、この上なく心地よくてやさしい、無垢で励みになる交友を見つけることができる。自然のまっただ中で暮らし、五感を研ぎすませていれば、まっ暗な憂うつにおちいることはない。健康で無垢な耳には、嵐でさえアイオロスの琴の音に聞こえる。純真で勇気ある者を、むやみに低俗な悲しみにおとしいれることは何人にもできない。四季との交流を楽しんでいる限り、人生を重荷に感じることはない。
ヘンリー・ディヴィッド・ソロー『孤独の愉しみ方』【イースト・プレス】
男である特権をフルに活かす。
私はアニメなら『ルパン三世』とか『紅の豚』とかが好きだ。紅の豚のキャッチコピーは「カッコイイとは、こういうことさ(糸井重里氏考案)」だったと思う。男の子的なカッコイイとか、女の子的なカワイイとか、死ぬまで大事にしたほうがいいのだと思う。どうしたって私は男なので、格好いいものに無条件で惹かれる。逆にダサいものは心底軽蔑をする。テントとかバイクとか釣りとか飛行機とか格好いいと思う。この世で一番ダサい行為は『誰かの責任にすること』だと思う。自分の不幸も幸福も、すべて自分に責任がある。そういう感じで生きている人間が身にまとう雰囲気は格好いい。
最高の美徳は『素直であること』だと思う。他人に合わせて生きるほど、他人を嫌うようになる。俺はそれが怖い。あのひとはああ言ったとか、あのひとはこう言ったとか、虎の威を借る必要はない。自分がそれをいいと思うなら、それは間違いなく『いい』んだ。遠慮するなよ。好きなように生きなよと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2018年9月28日
あんなに落ち込んでいたはずなのに、ある言葉、ある音楽、ある人物に触れただけで途端に元気になった。そんな体験は誰にでもあると思う。私は、元気であることの重要性を思う。元気な状態と元気じゃない状態があるというよりも、あるのは『元気になる考え方』と『元気じゃなくなる考え方』があるだけだと思う。問題は、その、どちらを自分が採用するかだ。基本的に、常識の多くは『それに従って生きる限り、あんまり元気になれそうもない考え方』で支配をされている。私はそこにアンチテーゼを唱えたい。元気になる方法は簡単。元気になる考え方を採用すればいいのだ。深刻になる考え方ではなく、自分のテンションがあがる考え方、自分のこころが楽になる考え方、自分が思わず笑っちゃうような考え方を採用すればいいのだ。
なにをやってもいいのだから、無論、なにもやらなくてもいいのだ。1ヶ月でも、1年間でも思い切り無為に過ごせば、必ず「なにかをやりたくなる」瞬間がある。この前のめりな感じこそが尊いのであって、強迫観念で自分を駆り立てる必要はない。逆に「何もするな」と言われた方が、人間はなにかをやる。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2018年10月1日
私は頻繁に「真面目に生きろ」と怒られる。しかし、私から言わせると「俺は俺を真面目に生きているつもりだ。そう言うお前らは真面目なのか。ただ、周囲にあわせて生きているだけじゃないか。なんとなく有利な学校を選び、なんとなく有利な企業を選び、なんとなくみんなと似たり寄ったりの生き方を選ぶ。真の意味で自分で決めるということをなにひとつしない生き方の、一体、どこが真面目だというのか説明してみろ」みたいに思う。昔よりは角がとれて丸くなったつもりだが、やはり、反発したい気持ちが消えることはない。だからなのだろうか、最高な場面に触れると「ざまーみろ」と思う。
明確な目標なんていらないのだ。瞬間瞬間に「これをやりたい」と感じる心に従って生きれば、人生は思わぬ方向に転がっていく。映画よりも面白く、小説よりも甘く。やりたいことはどんどんやろう。何度もやろう。普通の人の五億倍くらいやろう。好きなことを見つけたひとから、魅力的になっていくのだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2018年10月2日
人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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22世紀の未来MTG - いばやの先の遊び方 -
気分がいい時は鼻歌を歌う。今日は『部屋とワイシャツと私』という曲を歌っていた。サビの歌詞は「部屋とワイシャツと私ぃ♫愛するあなたのためぇ♫」になるのだけれど、愛するあなたのためぇ♫と歌った直後に「あなたのためとかないから。それは完璧に自己愛だろ。」とツッコむ自分が登場をする。私は頻繁に鼻歌を歌う。頻繁に鼻歌を歌うくせにJ-POPの歌詞が嫌いだ。J-POPの歌詞は「依存を愛情と呼ぶように錯覚をさせている」害悪であり、この国の癌だとさえ思っている。
あらゆる人間関係は「いかに諦めてもらうか」が肝心だと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2018年9月28日
いい人を演じて好かれ続けるより「駄目な部分を早目に晒して、そこを愛してくれる人と相互補完的に付き合う」方が圧倒的に楽しいと思う。
駄目になろう。
遠慮するなよ。好きなように生きなよ。 - いばや通信 https://t.co/oSr6DeKqyB
昨日はX JAPANの『FOREVER LOVE』をかなりの音量で熱唱した。が、熱唱した直後に「永遠とかないから」と突っ込む自分が登場をする。もう、これは病気だと思う。私は思う。前提が間違っているのだ。昨日、ツイッターで「ここ最近で一番知的な興奮を得られた瞬間は『トイレが発明されたことによって〝うんこを漏らす〟という概念が生まれた』ことに気づいたことだ」という投稿を見た。こ、これだ…これなのだと思った。私たちは精神的なトイレを発明する必要があるのだ(という訳で、10月6日に『トイレの神様』的な企画を開催します。来テネ!!!)。
22世紀の未来MTG - いばやの先の遊び方 -
2013年、夏、MAYU(後にMAYUCHAPAWONICAと改名)と坂爪圭吾で結成された『いばや』。とにかくやばいことだけをやる!をモットーに、やばいを逆から読んだだけの『いばや』。当時から、坂爪圭吾は「いばやの神様はまゆちゃぱうぉにか。俺は聖書になる。聖書になってまゆちゃぱ様の思想を広める!」と深く意気込み、ふんがふんがと鼻息を荒くしていました。まゆちゃぱ様からは、「宇宙の摂理として新しいことをやっている人間は死なない」「やれ」「自分たちがやばいと思うことをやっていれば、それをやばいと思ってくれるやばいひとたちがあわられて、化学反応が起きて、結果とんでもないわっしょい状態になる」など、数々の御神託を貰っては実践してきました。当時から「未来に興味がある!未来に行きたい!」とやがて来る未来に興奮をしていました。が、当時は、いばやの説明をしても「ああ、こいつらはついに頭がおかしくなったんだね」と誰にも理解されることはありませんでした。が、時は流れ数年後。我々に対する共感も増え、嘉向徹さんや保科亮太さんという心強い仲間も増え、いつの日か、自分たちが欲しいと思う未来はすでに実現をしていることを認識。「俺たちの役割は終えたね」と、2018年1月に解散をいたしました。が、ある日、まゆちゃぱさまから、素晴らしい遊びのお誘いが届きました。🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸けーちゃす✨おはすん😇今遠征中かな?こないだ、けーちゃんにあそぼー!って言ってから次は、何して遊んだら面白いのかなあ??と考えていたんだけどいばやの次という意味の次!その話まじしたい✨から、帰ってきたらあそぼー!🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸まゆは、子育てターンへのフラグがついに!!!なの!!!でも、もし、今、子供欲しいってなっても今ある道は、我慢して頑張る道=滅亡の道しかないかもしれん!となってびびった滅びゆく妊娠・結婚・出産滅びゆく家族滅びゆく一次産業世代交代認知症の人の下ろせない資産が200兆円(!?)からの楽しい生き方の実験したい✨🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸今が結構ダメすぎて、笑何やっても楽しいのではないかとワクワクした✨🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸まゆの研究によるといばやの先のイメージがね、言語化できてないんだけど遊びのゾーンの先に遊びが極まって精度が高まったゾーンがあると予測していてパラダイスのゾーンと仮で名付けていたんだけど🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸パラダイスは、なんと「囲われた場所」の意味でお金持ちが自分たちが豊かな土地を独占したいがために囲った場所、が語源という(=豊かさが溢れる場所的な)楽園、極楽、ユートピアなどは言い方が違えどそれぞれの宗教において「ここではないどこかにある、完璧に幸福のみに満ちた場所」とされていて、一切の苦がなく楽ばかりの場所という概念が強いらしい!てか、んな場所ないし、行きたくねーわ!となっただから、なんか世界が良くなったらいいなって言う、そのなんかもっと良い世界のイメージそれ自体が、ふるーーーーーーーーーいんじゃねーーーーーーかーーーーーーー!!!!!!!!!となっただからみんな謎に苦しそうなのかも🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸だから、今この場所からのもっとここにある、自分に光を持ったまま現実を楽しくサバイブできるのような状態パラダイスに代わる概念が必要じゃん=いばやのネクストが作っちゃいたいゾーン=来未来な気がしt!🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸今わたし、色んな人の話聞きまくり無双なんだけどいつか完璧な自分になったら大丈夫、そしたらいつか自分はオールオッケーで幸せ=今までも今も(多分これからも)私はダメです、死にたいですのような人多すぎるんばそれが、この宗教とかの思想に似ていると思ったお🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸それを、今が今で大丈夫だよというニュートラルからもっと攻めの面白さがあったら面白そう!🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸意味不明なところは当日話します!笑🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸はい!その『当日』が、10月6日(土)ということになります!この文章だけで「こ、これは…!」とピンと来た、未来感度の高いあなたのご参加をお待ちしております!※※※詳細は改めて更新します!※※※【タイムスケジュール】12時30分 開場・受付開始13時00分 開演・坂爪圭吾による「今回の企画趣旨のご説明」13時15分 第一部スタート!14時00分 〜小休憩〜14時15分 第二部スタート!15時00分 終了(フリータイム)15時30分 完全撤収!🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻【登壇者プロフィール】■坂爪圭吾(さかつめけいご)1985年新潟県生まれ。いばや通信運営。人間は家も金も収入もなくても生きていけるのかを実験するため、2014年から約2年間にわたる「家のない生活」を能動的に行い、なんだかよくわからない日々を送る。結果的にブログ読者の方に購買をしていただいた熱海の家に現在は暮らす。2017年、クラウドファンディングで480万円(!)を調達し「横浜に、誰でも自由に無料で使える家」を作る。その名も『ごちゃまぜの家』。しかし、現在、あらゆるものを無料で放出し続けていたために極度の金銭的困窮に喘いでいる。現在は、全国各地を流転しながら「ごちゃまぜの家の運営資金を乞食する」日々を過ごしている。自伝風物語「ホームをレスした話」■MAYUCHAPAWONICA(まゆちゃぱうぉにか)1985年新潟生まれ。新潟の鬱屈とした曇りの隙間から射し込む光を一身に受けて、のびのびと育った米農家の長女。20代半ばで高校の同級生だった坂爪と再会しいばやを結成。合同会社を設立するも持ち前の「ちゃんとやらない力」を遺憾なく発揮し積極的倒産を果たす。活動途中に「まゆちゃぱうぉにか」と改名し、絵描きからさらに枠を拡げたアーティスト活動を展開。現在は自分が面白いと思える新しい未来の遊びを考えては実践し「あなたも私も超絶大丈夫!」を振りまく日々を送っている。
ブログ「らぶ&ぱぽぷ」
http://chapawonica.hatenablog.com/■嘉向徹(かむきとおる)■保科亮太(ほしなりょうた)1988年新潟県生まれ。およそ28年ぶりによちよち歩きとなった徹さんが風穴を開けた『いばやへの道』を潜り、自らを“研究生”と名乗り勝手に叩き上げた。いばや生誕におけるビッグバンを起こした神『ベーあーさん』のご慈悲により西武ドームで絶好のチャンスが与えられ、「ここでホームランを打てたらいばやの正規メンバーとして認めてください!」と豪語するも、あえなく撃沈。が、誰よりも空振りするその姿勢が認められ(た?)、気づけば皆と遊ぶ仲となり、そもそも正規とかないことを知る。座右の銘は【百回やって百回勝つ人生よりも、百回負けて百回起き上がるドラマティックレイン】。解散後の現在も、思い切り空振るレインな日々を過ごしている。🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻日時:10月6日(土)13時から15時頃会場:わなびば 2F・イベントスペース定員:30名(先着順)お問い合わせ:坂爪圭吾(さかつめけいご)LINE ID ibayamail keigosakatsume@gmail.com自分自身と自分が生きること全般にアップデートがかかっている
— まゆちゃぱうぉにか@10/12余命半年イベ中目黒 (@harapekoyama) 2018年9月27日
古いものを捨て去るというフェーズは終わって
古いも新しいも全部抱きしめて未来に転がるぜ☆という融合のフェーズに突入してる
新しい世界に
全ての私の愛しきカケラを見る
静かなる熱量 pic.twitter.com/dE1600peUM
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わたり文庫『ムーミン谷の名言集』
今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、ヤンソン著作『ムーミン谷の名言集』です。半端なく素晴らしい一冊です。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。
※※※ こちらの本は、ポルトガルにわたりました ※※※
だれも心配しすぎないって、よいことでした。ムーミンたちは、ほかの人のために、やたらと心配しないでいようと、決めていました。つまり、そのほうが、心配をかけたと思って良心を痛めなくても、すみます。それに、ありったけの自由をあたえあっていることにもなるのです。
「ねえムーミン、友だちが、いちばん好きなことをしながら生きていけるようになるって、すてきなことじゃない?」
「歌をうたい、りんごを食べ、朝寝坊を好きなだけできる自由!それこそが、人生の醍醐味というものなのさ。それと、『これは重要事項だから後回しにはできません。すぐにやるのですよ』なんて、せっつく人がいないこと。そんな人は、勝手に、好きなように、させておくのさ!」
霧の夜明けでした。みんなは、庭へ駆け出していきました。八月の、ステキな一日を約束するように、東の空に、バラ色の光がさしはじめていました。
朝日がのぼるのです。新しい門が、開かれます。すばらしい可能性への、扉です。なんだって、やってのけられる新しい一日が、待ってくれています。そう、きみたち、ひとりひとりが、気づきさえしたら!
前提を変える。世界を変える。
#hawaii #maui #acai #idontknowwhoiam
前提が違う。そう感じることが多すぎる最近。悩み相談を受けると「自分の中にある穴を、幼少期の家族関係で生まれた穴を、カネやモノやセックスで埋めようとしている」的な話を頻繁に聞く。私は思う。自分の穴は自分で埋めることができる。これまでの「人間関係は穴を埋め合う行為である(だから、あなたがいなければ生きていけない的な発言が美談になる)」的な常識にアンチテーゼを唱えたい。他にもある。いつかのためにいまを犠牲にして頑張る的な生き方。『いつか』とか永遠にないと思う。いつだって『いま』しかない。だから、これまでの日々がどのようなものであれ、これからの幸せはそんなものに左右をされない。
悲しみもさみしさも『記憶の再放送』に過ぎない。悲しみに酔うのを悪いとは思わない。しかし、酔ってばかりのひととは友達になれない。私は友達が欲しいのだ。悲しみを受け入れている場合ではない。ひとしきり悲しんだら、あとは切り替えて遊ぶ方向に舵を取りたい。この『遊ぶ』という行為に、最近は無限の可能性を感じている。遊ぶことは『魔法』になる。魔法は世界を一瞬で変える。魔法は努力を必要としない。魔法は経験を必要としない。魔法は承認を必要としない。ただ、意識を少しだけ変える(前提を変えてしまうことで)世界の見え方をまるっと変える。当たり前の風景が、あっという間にラブリー&ヘブンリーなものになる。
22世紀の魔法とは『言葉』である。いまはまだ存在しない新しい言葉を生み出すことによって、うんこを漏らして途方に暮れている(日常的な不快感を「これは仕方のないことだから」的な感じで受け入れている)人々をシャララーン♫と救う魔法になる。次のいばやはこれを狙う。これまでの前提に従うのではなく、前提を突破し、新しい前提を生み出すこと。これまでがこれからを決めるのではない。これからがこれまでを決めるのだ。そして、未来とは「いま、この瞬間」のことである。イエス。未来、なう。幸せを感じるために、これまでの日々がどうだったのかということはまじで関係がない。いま、この瞬間から幸せになることができる。そのための遊びを、そのための魔法を、一緒に発明していけたら最高な人生である。
霧の夜明けでした。みんなは、庭へ駆け出していきました。八月の、ステキな一日を約束するように、東の空に、バラ色の光がさしはじめていました。
朝日がのぼるのです。新しい門が、開かれます。すばらしい可能性への、扉です。なんだって、やってのけられる新しい一日が、待ってくれています。そう、きみたち、ひとりひとりが、気づきさえしたら!
人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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遠慮するなよ。好きなように生きなよ。
久しぶりに熱海に行く。熱海の家を離れている時は「家を持つことは恐ろしいことだ。家に縛られる。行動の範囲が狭くなる」などとジタバタするが、家に着いた瞬間に「なんだここは!最高の家じゃないか!手放すなんて絶対にありえないことだ!」などと思う。熱海には愛する温泉が二箇所ある。ひとつは福島屋旅館で400円。もうひとつは走り湯温泉浜浴場で350円(私は特別に250円にしてもらっている)。毎回、温泉に入る度に「ああ、俺は帰ってきたのだ」という多幸感に包まれる。
ひとから嫌われないように生きるほど、自分自身から嫌われる。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2018年9月27日
自分との関係も人間関係。あなたが楽しそうに生きていることを、よろこんでくれるひとと一緒にいなさい。自分が自分に見捨てられたら、もう、一巻の終わりだと思う。
永遠のクソガキでありたい。 - いばや通信 https://t.co/y3nyaxkXmP
一応、今、熱海と横浜と新潟の佐渡島(←new!!)に自由に使える家がある。この家をどう運営するかが目下の課題で、家賃1万円だったら誰か(誰か、というか複数名で共有しながら)使っていただけるものだろうか。昔から都会の家賃は高すぎると思っていた。だから1万円で暮らせる世の中になればいいと勝手に思っていた。だから1万円に設定した。たとえば、月額1万円で「熱海と横浜と佐渡の家はいつでも自由に使えます。家にある車やバイクや食糧や野営道具やDAHONやカメラや畑や漁業権(佐渡島限定)は自由に使ってください。倉庫やイベントスペースなどにも使えます」とかにしたら、運営メンバーに加わりたい方々はいるだろうか。
横浜・熱海・佐渡島+αのお誘い。
熱海の家【逢初庵】のメリットを書く。熱海駅から徒歩20分程度。海と山と温泉がある。品川駅まで新幹線で40分。家の裏に畑があり、家庭菜園も可能。間取りは2Kと小ぶりだが最高に可愛い。築92年。毎日家の前の海から昇る朝日を眺めることができる。特筆すべきは冬の日差しで、太陽が照りつける時間帯は真冬でも半袖可能。家の前で焚き火ができる。両隣のおばあちゃんが猛烈に可愛い。86歳で趣味がジャズピアノだと話す隣のおばあちゃんU様は、ピアノの横に「なるようになる」と自筆のスローガンを貼り付けている。
横浜の家【ごちゃまぜの家】のメリットを書く。東横線&JR菊名駅から徒歩9分。東海道新幹線新横浜駅までも徒歩20分程度と徒歩圏内。横浜駅まで5分。渋谷駅まで20分。築60年越えの古民家になるため悪く言えばボロいがよく言えば「趣がある」。住宅街のど真ん中にありながら常軌を逸して閑静で、家の裏には鎮守の森がある。敷地が半端なく広いため、不動産の方曰く「売ったら一億円は超えるでしょうね」とのこと。そのため、ここに住んだら「俺は一億円の家で暮らしている」とドヤ顔ができる。
仮にこれからごちゃまぜの家が全国に増えた場合、月額1万円の人々は「ごちゃまぜの家を自由に行き来できる(全国に別荘が増える)」みたいになったらどうなのだろう。や、別に、月額なんて払わなくても誰でも無料で使えることがメリットのごちゃまぜの家ではあるのだけれど、それではなぜお金をいただくのかというと「お金を払ってでも運営側にまわりたいと思ってくれる(そんな意気込みのある)ひとと一緒に生きていきたい」と思っているからである。月額制というものには軽い抵抗感があるために、この案を採用するかどうかはわからない。ただ、以上の点を踏まえて「ちょっと興味がある!」という方は、今週30日(日)にごちゃまぜの家で開催されるわたり食堂【0円食堂】にお気軽に遊びにいらしてください。
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わたり文庫『カヌー犬・ガク』
今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、野田知佑著作『カヌー犬・ガク』です。野田さんの文体にはまってしまっていて、隙間時間に読み続けては「ああ、いいなあ。。」と野田式ライフスタイルに恍惚とします。ごちゃまぜの家でも犬とか猫とかオカメインコとか飼えたら人生変わるのかもしれない。移動が多い暮らしでも、複数名で生活をするならペット飼育もいけるのかもしれない。カヌーをみんなでシェアしたい。こちらの本をご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。
※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※
人口200人のルビーという村に着いた時、村ではちょうどキング・サーモンの最盛期だった。1日に20匹っも30匹も大きなキングが一人の網にかかっていた。川岸で働いている可愛い白人の女性がいた。川に浮かべた船の上でキングを燻製にするために切り裂いている。
ここの生活はとてもハードだ、その若奥さんはいった。冬になればお湯一つ沸かすのにも、川の1メートルもの厚い氷を割り、水を汲み、薪を割って火をおこし、といった手間をかけなければならない。肉は森の中に入って獣を撃って手に入れる。生存(subsistence)のために1日の半分の時間を費やす生活だ。
何故、アラスカに来たのか、という問いに彼女は答えた。
「内地にいた時は何もしなくても何でも手に入ったけど、私は退屈だった。ここでは色々大変だけど、やらねばならないことが沢山あって楽しい。体をめいっぱい動かして生きる生活がとても気に入っているわ」
彼女は30キロはありそうなキング・サーモンをギャフでひっかけエイっと台の上に放り投げた。
荒野の中での生活はとてもハードだが、そうすることで生き生きしてくる個所がある。それは都市生活の便利さの中では決して目覚めない部分だ。
ユーコン川を下る時、ぼくは自分の持っている力、能力を100パーセント使って生きる。全力を上げて生活する。それに比べると都市の中ではその十分の一も力を出していない。
それ程、文明社会の中での生活は安易、便利にできているのだ。
完全燃焼、全力投球の生活をするとその代償として独立心、自己への信頼を手にする。
「俺は今、全く自分を信頼している」
という心境は現代ではもっとも手に入り難いものの一つだろう。
ごちゃまぜの家日誌もよろしくお願いします。
ごちゃまぜの家に遊びに来てくれた高校生のくらちゃんが、今日の日誌を更新してくれました!!
— ごちゃまぜ太郎 (@GochamazeKikuna) 2018年9月28日
くらちゃん、ありがとうございました!!✨✨✨
【9月28日】今日の日誌 (くらちゃん) - ごちゃまぜの家日誌https://t.co/ZulWHLeOxz
遠慮するなよ。好きなように生きなよ。
正直に言えば、私は、なにもかもを「ざっくり稼いで、ざっくり続けたい」と思っている。私の友達にフリーライターの竹谷さんという男性がいる。同じく、私の友達になほさんという型破りな女性がいる。なほさんの半生が常軌を逸しているために「これ、絶対自伝にした方がいいですよ」ということで最近はおおいに盛り上がっている。理想を言えば、竹谷さんとなほさんが合宿的な意味合いも込めてごちゃまぜの家に数週間滞在をしていただき、滞在中になほさんの物語を竹谷さんが本にまとめて出版をする。その本がバカ売れをして生じた印税の一部をごちゃまぜの家存続資金にあてる。そんな感じの『ざっくり稼いで、ざっくり続く』ようなスタイルを愛してやまない(けれども現実味に毎度欠ける)。
あらゆる人間関係は「いかに諦めてもらうか」が肝心だと思っていて、良い子を演じて好かれ続けるよりも「ダメな部分を早目に晒して、そこを愛してくれるひとと相互補完的に付き合う」方がストレスレスだと思う。自分のダメな部分を見せる瞬間は恐いけど、許された瞬間の爽快感はたまらないものがある。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2018年1月17日
と、ここまで書いて、ごちゃまぜの家に遊びに来てくれた高校三年生の女の子が日誌を書いてくれたのを読んで(上記参照)、なんだかもういろいろどうでもいいからこれからも楽しく生きていきたいなあという気持ちになりました。「しんしょく、うんぱん、たいせき!!」とか、元気があって最高だなあと思いました。元気があればなんでもできる。本当に、もう、楽しく生きる秘訣はこれだけなんじゃないかと思いました。全然関係ないけど、最近、私が趣味のギターを弾くとみんなが途端に眠ります。最初は「寝ないで聞いてよ!」とか思ったが、不眠症だと話すひともすぐに眠るものだから「これは一種のセラピーなのでは」と思うようになった。わたり食堂では、是非、その実験もさせてください。
言いたいことを言わないでいると病気になる。かと言って、言いたいことを言うことで生まれる軋轢もある。多分、大事なことは「(爆発させる感じではなく)丁寧に本音を伝えること」だと思う。粗雑に言葉を扱うと、粗雑な被害に恵まれる。心を込めて言葉を扱えば、多分、何かを伝えることは難しくない。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2017年11月21日
今日、あなたがコミュニケーションで重要視していることは何かと聞かれた。私は「そんなことを聞かれても困るぜ!」とひとしきり逡巡したあと、ふと、目の前の人はどれだけ他人に合わせて生きているのかの度合いを観察している自分の眼差しに気づいた。私は、気を使うのも気を使われるのも苦手だ。それよりも「あなたはあなたのままで来てちょーだい!」と毎回思う。言いたいことがあるけど言えない場面は、多分、誰にでもあると思う。それは、多くの場合「自分がこれから言おうとしていることは、常識的に正しいことなのだろうか」とか、正否で判断してしまうからだと思う。私は言いたい。正しいから言うのではなく、ただ、自分が言いたいから言う。それでいいじゃないかと思う。人間関係における疲労感は、大概「言いたいことを言わなかった自分に対する苛立ち」に比例をする。だからこそ、言いたいことを言う。やりたいことをやる。自信があるからやるのではなく、自信がなくてもやる。ただ、やりたいと思ったからやる。そのことが、自分に対する信頼になり、潔い、清々しい生涯の礎になるのだと思う。
最高の美徳は『素直であること』だと思う。他人に合わせて生きるほど、他人を嫌うようになる。俺はそれが怖い。あのひとはああ言ったとか、あのひとはこう言ったとか、虎の威を借る必要はない。自分がそれをいいと思うなら、それは間違いなく『いい』んだ。遠慮するなよ。好きなように生きなよと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2018年9月28日
人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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永遠のクソガキでありたい。
悩み相談が多すぎて嫌になってしまった。私なんぞに生き方を尋ねることが間違っている。金も家も仕事もない人間に、なぜ、金も家も仕事もある人々が悩み相談をするのだろう。不思議だ。もちろん、誰もが楽しそうにいい感じに生きてくれたら嬉しいとは思う。が、自分の生き方が参考になるとはとてもじゃないけれど思えないから「迷った時はビリーズブートキャンプをやってください。頭の問題を頭で突破するのは至難の技です。間違っても、高額セミナーに参加申し込みとかしないように!(そうするくらいだったらそのお金を僕にください)」程度しか言えない。
誰かのためとか、何かのためとか、そういう言葉は好きじゃない。自分のためにやっていることが、誰かのためにもなれば幸運だと思う。誰かのために輝くなんて不自然だよ。自分は、自分のために輝きたいと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2018年9月25日
俺は勝手に輝く。その光で、勝手に救われてくれ。 - いばや通信 https://t.co/cOwCuUpfMI
札幌のイベントに来てくれた男性が「参加者の方々の話を聞いて、なんだかいろいろなひとがいるのだなあと思えただけで元気になった」と話してくれた。素晴らしい感想だと思った。生きていると、自分以外のみんながまともに見えて自分だけがへっぽこに見えてしまう瞬間がある。が、それは違う。誰もがイカれた部分を抱えながら、それでも一生懸命生きているのだ。おかしいのはあなただけじゃない。みんなどこかしら狂っているのだ。だからきっと大丈夫。あなたはあなたのままでいい。と、そういう心理状態に置かれているときの私は健やかだ。
味噌になりたい。
味噌になりたい。味噌はすごいらしい。あらゆる菌を栄養に変えてしまう。存続の危機を迎えているごちゃまぜの家(我々が横浜でやっている『誰でも使える家』みたいなもの)だが、この家が味噌になればいいと思う。しかし、最近思う。私ひとりでは味噌にはなれない。私は好き嫌いが激しい。誰でも来てくださいとか言いながら「お前は来るな」とか平気で思ってしまう。これではいけない。これではごちゃまぜの家が罠になる。そこで私は考えた。自分ひとりで味噌になろうとするから無理があるのだ。自分の好きなひとを集めることで、はじめて「全体として味噌になることができる(いよいよ、真の意味で「誰が来てもおっけー!」と言える状態になる)」のだと思った。
好きなひとだけ集めるってどうなのよ!と思うもうひとりの自分がいる。が、一旦、そいつを黙らせることにした。自分が楽しそうに生きていることが、結果として「そこを訪れる人々にも良い感じアトモスフィアをお裾分けすることができるのだ」と信じることにした。読者の方々の中には「それじゃ全然ごちゃまぜじゃないじゃん!」というクリティカルな意見を抱かれた人々もいると思う。しかし、一旦、わかってほしい。もちろん、今後ともごちゃまぜの家の鍵は開け続けるし、誰が来てもいいという状態が変わることはない。合言葉は「We never close」のままであるし、常に門戸は開かれたままだ。
みんなに好かれるなんて無理だよという、手垢にまみれまくった言葉を今更のように実感している。そう、みんなに好かれるのは無理な話なのだ。なにをしても「あなたにはがっかりしました」的なことを言われる。私は弱者なので、そういう言葉にいちいち傷つく。そしてもう二度と立ち直れないほどのダメージを受けた際に、それでも尚、私を支えてくれたものは「好きな人たちの存在」だった。ひとりじゃなくてよかったと心から思う。ひとりだったらとっくの昔に自害をしていただろう。好きなひとたちで一旦囲うこと(囲うというのは、ごちゃまぜの家に住んでもらうとか、ごちゃまぜの家に定期的に足を運んでくれるように仕向けること)は、俺なりのサステナビリティになる。
わたり文庫『カヌーで来た男』
今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、野田知佑著作『カヌーで来た男』です。私は学校の先生が大嫌いだったのですが、野田さんの言うことだったらめちゃめちゃ聞きまくる気がします。野田さんの写真を見ていると、紅の豚のポルコ・ロッソまんまじゃねーか!という気持ちになって眼福です。生き方も、見てくれまでもソックリで「ああ、こういうひとこそが『真の教育者』なんだな」と感銘を受けます。生き方で、魅了してこそ真の教育者である。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。
※※※ こちらの本は、京都府にわたりました ※※※
ー 夜と朝と、どちらをとりますか。
「朝。朝は四時から明るくなるとすると、七時くらいまでの三時間が、もっとも神聖で、素晴らしい。四時に目を覚ますでしょう。そして、いきなり、飛び込むのです。ドブーンと。そして、水の中で顔を洗う。口をゆすぐ。それで洗顔は終わり」(笑)
ー 時間がもったいないですからね
「楽しいことがいっぱい待っているから。やることは、多すぎるし。飯を食うひまも、惜しい。つくるひまも、惜しい」(笑)
ー 少年時代に夢見たすべてが、自分の目のまえにあるのです。
「子供のころ、顔を洗うの、いやだったでしょう。あれの延長ですね。ドブーンと飛びこんで、ひと筆で洗顔をすませてしまう」
ー 夢の世界ですね。
「少年の世界。夏休みの、それも宿題のない夏休みの世界。」
ごちゃまぜの家日誌もよろしくお願いします。
わたり食堂が徐々に盛り上がりを!
— ごちゃまぜ太郎 (@GochamazeKikuna) 2018年9月26日
あずき玄米担当・Keigo Sakatsume
かしわ飯担当・GRATE Yayoi
ごま団子担当・GRATE Cue
特大の丹波栗・GRATE Satoko from Osaka
靴磨き&簡単な革細工磨き担当・GRATE Nakamura
その他…担当・募集中!【It's YOU!!】
あなたさまも是非!https://t.co/hsSDYaE7Mh
あなたが楽しそうに生きていることを、よろこんでくれるひとと一緒にいなさい。
最近は「おとなってなんだ?」と考える。多分2種類ある。ひとつは「こう言う場面ではこういう振る舞いをするのが正解で、こういう場面ではこういう発言をするのが正解」みたいな感じで、各種TPOをわきまえた行動ができる人間になること。もうひとつは「自分がやりたいと思うことを現実化する力を養うこと」だと思う。私は、正直に言うと前者を軽蔑している。後者の人間と友達になりたいと思う。これは、要するに『誰の期待に応えようとしているのか』だと思う。学校教育で優秀だったり、親の言うことを真に受けて育ったひとほど、他者から褒められたり承認されることに生きるエネルギーを費やす罠にはまる。私は、昔から、そういう人々を軽蔑していた(友達にはなれないと思っていた)。
誰かのためとか言い始めたら1アウト。「こんなに頑張っているのに」とか思ったら2アウト。やりたいからやっていますと言えなくなったら3アウト。チェンジ。生き方を変える合図だ。誰かの期待に応えるために、自分は生きている訳じゃない。すべての人類に望む。あなたはあなたのために生きるように。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2018年9月23日
最近は『責任』がマイブームになっている。たとえば、本を読んだり人と出会う中で『感動』をすることがある。私は、感動したひとにはある種の責任が宿ると考える。それは「自分が変わっていくこと」という責任だ。真の感動は人間を別人に変える力がある。だからこそ、なにかに感動したのならば「それを通じて自分が変わっていく」ことで応えなければ、その感動は嘘になる。責任という言葉は重く感じられるかもしれない。しかし、私は、責任こそが『自分の存在を自覚できる』最高のツールになると考える。誰かの責任にする(被害者面をして生きる)のではなく、最悪の場合は「死ぬことさえも引き受けた」人間に宿る清々しい魅力は、見ているものの心まで良い風を吹かせる。
嫌なことを頑張っているひとはまとも扱いされて、好きなように生きているひとは変わり者扱いをされる。逆じゃないのか。嫌なことを嫌々やるのが人生ならば、苦役過ぎる。好きなことが見つかれば、ひとは勝手に努力をするし努力を努力とも思わなくなる。頑張らなきゃ、と思った時点でやばいのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2018年9月26日
本当は軽蔑も何もない。金持ちも貧乏人も関係ない。私は、多分、これまでもこれからも「一緒に遊べるひと」を探し続けるだけなのだと思う。友達をつくって、一緒に遊ぶ。そして最後に「ああ、楽しかったね」と笑顔で死ぬ。生きる目的なんてそれくらいだ。人生は意外とどうにかなる。最悪の場合は死ぬだけだ。これはもう、遅いか早いかの違いでしかない。なにが起きても大丈夫。極論、死んでしまっても大丈夫。最高の笑い声を響かせてやりたいじゃないか。思わず声が出てしまうようなよろこびに触れた瞬間は、置かれている状態はどうであれ、最高に幸せな瞬間なのだと思う。世界は、まだまだ、自分の知らないことにあふれている。まだ見たことのないよろこびに触れるために、まだ見たことのない自分自身に出会うために、変わり続けていきたいと思う。
ひとから嫌われないように生きるほど、自分自身に嫌われる。周囲に合わせて生きるほど、自分自身から遠く離れていく。認められるためではない、馬鹿にされても構わないと思えるその中に、純然なその人自身の美は宿る。罵倒されても大丈夫。ひとを罵倒するひとよりも、面白い目に遭えている自信はある。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2018年2月18日
人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu
俺は勝手に輝く。その光で、勝手に救われてくれ。
震災の影響で新千歳空港の飲食店は半数程度営業を停止していた。いまは札幌にいる。自然災害が起きるとどうしてもその悲惨さが取り上げられる。が、札幌でお会いした方々は「星空が綺麗で感動した」とか「仕事もないから、ビールを買い込んで毎日宴をしていた」とか、震災をエンジョイした人も多かった。ある人は言う。こどもを見ていると物凄い感心する。停電中なら停電中で、彼らは、新しい遊びをどんどん開発する。
合言葉は『ご機嫌をチョイス!』
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2018年9月18日
自分の性格を決定づけるものは親との関係だと思っていた。が、違う。一番身近な他人は、家族(他者)じゃなくて自分自身だ。自分との関係が自分を決定づけるのだ。
この世で一番大切な仕事は、自分自身のご機嫌を守ることだ。 - いばや通信 https://t.co/ahJCf8ek9c
東日本大震災のあと、大きな被害を受けた宮城県気仙沼に足を運んだ。ら、現地在住の女子高生が「私は震災が楽しかった派なんです。でも、不謹慎だからそのことをあまり言えなかった」と笑顔で話した。電灯の代わりにロウソクを使う日々は「キャンプみたい!」で新鮮で、明かりが小さいから結果的に家族の距離も近くなる。毎日、食糧の配給にくるトラックを友達と待ち構えては「あ、今日は吉野家だ!」とか「あ、今日はカレー屋さんだ!」とか、みんなでわいわいやっているのが楽しかったと彼女は話した。
10月11日(木)ごちゃまぜの家救済企画@沖縄県読谷村
相次ぐ地震や豪雨などによる自然災害。巷では「お金がただの紙切れに!?財政破綻の日も近い?!」などと囁かれているさっこん。いつ、なにが起こるかわからないいまだからこそ、「なにが起きても楽しく笑って生き延びる」そんな『力』が必要になっているのではないでしょうか。私、坂爪圭吾は、過去に「家も金も仕事もない」という無一物の状態で、それでも人間は生きていくことができるのかということを試しました。最初は「そんなことは無理だろう」と結構後ろ向きではあったのですが、蓋をあけてみるとびっくり!意外とどうにかなってしまうばかりか、家や金や仕事があったときよりも、世界の豊かさを感じることができました。もちろん、いいことばかりではなく大変なこともたくさんあったのですが、それでもなお「人生はどうにかなるのだ」と肌身を通じて実感できたことは、大袈裟な表現になりますが『世界に立ち向かう勇気』を与えてくれました。今回は、坂爪圭吾の経験談も交えながら、お越しいただいたみなさまと一緒に、「なにが起きても楽しく笑って生き延びる(ホームをレスしてもサバイブする)方法」を、一緒に、酒や茶を飲み交わしながらみんなで談笑できたらと思っています。・お金とはなんだろう?・安心とはなんだろう?・便利とはなんだろう?・社会とはなんだろう?・生きるとはなんだろう?・いま、必要とされている力ってなんだろう?など、みなさまのご参加をお待ちしております!!🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸【タイムスケジュール】21時00分 開演・坂爪圭吾による「今回の企画趣旨のご説明」21時15分 第一部スタート!22時00分 〜小休憩〜22時15分 第二部スタート!23時00分 坂爪圭吾による懇願の土下座(その後、フリータイム)24時00分 終焉(宿泊される方は、そのまま宿泊!)【迷える仔羊プロフィール】■坂爪圭吾(さかつめけいご)1985年新潟県生まれ。いばや通信運営。人間は家も金も収入もなくても生きていけるのかを実験するため、2014年から約2年間にわたる「家のない生活」を行い、なんだかよくわからない日々を送る。結果的にブログ読者の方に購買をしていただいた熱海の家に現在は暮らす。2017年、クラウドファンディングで480万円(!)を調達し「横浜に、誰でも自由に無料で使える家」を作る。その名も『ごちゃまぜの家』。しかし、現在、あらゆるものを無料で放出し続けていたために極度の金銭的困窮に喘いでいる。今回は、坂爪圭吾の沖縄の兄貴・具志さんのお力添えを通じて「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか?」ということを、みなさまに問う。自伝風物語「ホームをレスした話」🌸🌸🌸🌸🌸ご参加にあたってのお願い🌸🌸🌸🌸🌸●こちらの企画は、決して答えを(上から目線で)ドヤ顔で語るような内容ではございません。ひとつのテーマをもとに、みんなで、和気藹々と(なによりも楽しく!)時間を過ごせることを最大の目的としています。そのため、ご自身のお考えを誰かに押し付けることなく、異なる意見もまあるい心で受け入れていただけましたら幸いです。●参加者のみなさまが心地よい時間を過ごせるよう、何卒、みなさまのご協力をお願いいたします。(例:論破することを目的とした議論をしない、とか、誰かひとりだけが話し過ぎることのないようにする、など)🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸日時:10月11日(木)21時から23時頃会場:Event & Hostel Capcellent定員:20名(先着順)お問い合わせ:坂爪圭吾(さかつめけいご)LINE ID abayamail keigosakatsume@gmail.com===========================================「いばや通信」 http://ibaya.hatenablog.com/GOCHAMAZE no IE https://camp-fire.jp/projects/view/26181緊急連絡先 LINE ID ibaya(坂爪圭吾LINE)===========================================
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ごちゃまぜの家を救え!コスモポリタン・サバイバル入門「ホームをレスしてもサバイブする方法」
わたり文庫『南へ』
今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、野田知佑著作『南へ(新・放浪記2)』です。前作『旅へ(新・放浪記1)』があまりにも素晴らしく、いま、この本を読んでいますが最高です。野田さんの真髄があると思う。「小気味いいとはこのことか」と、ページをめくる度に悶えます。全男性に読んでいただきたい一冊(もちろん女性にも!)です。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。
※※※ こちらの本は、三重県にわたりました ※※※
ライトエースにガクと荷物を積みこんで東京を出た。
関係者には、「今年度十二月をもって東京の事務所を閉め、小生は旅に出ますので今後しばらく連絡はとれません」と印刷したハガキを出し、通知しておいた。
さて、これから俺は自由だ。
夜、テントの中に机と椅子を置き、コールマンのランタンを灯すと、東京を出て以来、最良の書斎になった。旅の生活で一番欲しいのは個室、机、椅子、電気スタンドだ。そこで一日に一時間でもいい、静かに本が読めればどんなに放浪が長くても気持が荒れることはない。日本で客人に個室のプライバシーや机、椅子などを与えることのできる家は少ない。この国は貧しいのだ。そんな家に寒々と泊まるより、テントの方が何倍もいい。より自由な時間が持てる。原稿十二枚書く。
最近、ぼくが一番心地良く、寛げるのは川原、海岸、原野などの無人の広い場所に張ったテントの中だ。他人のことを考えずに、自分のことだけ考えて、自分の快楽のみを追っかけて暮らすこと。これは川幅数キロ、周囲100キロに誰もいないユーコン川で生活した後遺症だ。
野田知佑『南へ』【文春文庫】
ごちゃまぜの家日誌もよろしくお願いします。
ゴルバチョフさんが、札幌から更新してくれました!
— ごちゃまぜ太郎 (@GochamazeKikuna) 2018年9月25日
さかつめけいゴルバチョフさん、ありがとうございます!(あー、ソ連!ソ連!)
【9月24日】今日の日誌・わたり食堂開催のおしらせ(ゴルバチョフ) - ごちゃまぜの家日誌 https://t.co/krkdru1HFP
俺は勝手に輝く。その光で、勝手に救われてくれ。
札幌の前は大阪で開催をされたイベントに出た。遊びにきてくれた方々から「関西にもごちゃまぜの家をつくってください」と言われた。嬉しかった。これは実現をしたいと思った。みんないい人たちばかりだった。京都ではムラキテルミさんにお会いした。ムラキさんから「バブルが崩壊したときと同じ雰囲気が、いまの日本にはある。財政破綻とか自然災害とか、これから日本は何が起こるかわからないから、自給自足の準備をしておきなさい!引き剥がされる痛みを乗り越えるものは、生きる力よ!」と鞭を打たれた。私は「は、はいぃ〜!」と緊張した。バブル崩壊前、街中に新札が溢れたらしい。国が大量の紙幣を刷っているサインだ。これと同じ現象がいま起きているのだと言う。
この世で一番大切な仕事は、自分自身のご機嫌を守ることだと思う。ご機嫌の威力は尋常じゃない。自分の機嫌が良いと、勝手に周囲もご機嫌になる。誰かに何かをしてもらうことを待たないで、今、自分がしてもらいたいことを「自分が自分にしてあげる」「自分が自分に許可を出してあげる」ことだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2018年9月17日
危機的状況の中で言うことではないかもしれないが、いま、全国にごちゃまぜの家をつくれたらと思う。宝くじ企画の際には「もしも当選金額がおおきかった場合はエストニアに亡命しよう。そして『エストニ家(ごちゃまぜの家のエストニア版)』をやろう」とか思っていた。高額当選をすることはなかったが、常に希望を胸に抱いていたいとは思う。希望という言葉は大袈裟だ。ただ「楽しみにできる未来」を、常に胸に抱いていたい。不安を原動力にするのではなく、あくまでも『楽しさ』や『よろこび』を原動力としたい。ごちゃまぜの家の活動は、大変なことも多いけれど、それを上回る『楽しさ』や『よろこび』がある。だからこそ「ごちゃまぜの家を一緒にやってみませんか?大変だけど、面白いよ」ということを、みんなにも伝えていきたいと思った。
なにかしなきゃとか思わなくていいよ。なんにも属さないでいいよ。からっぽなまんまでいいよ。すっからかんでいいよ。こうでなくちゃいけないことはないよ。足りないものはなにひとつないよ。何者かになれないことが苦しいんじゃなくて、何者かになりたいと思うことが苦しいんだよ。全部それでいいよ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2018年9月23日
なにをするにせよ「やりたいからやっています」と言える自分でありたい。無論、時には血を吐きそうになることもある。しかし、これも「血を吐きたくて吐いています」と言える自分でありたい。誰かのためとか、なにかのためとか、そういう言葉はあまり好きじゃない。自分のためにやっていることが、結果として誰かのためにもなったら最高だと思う。私は、あくまでも「問題解決のためではなく、みんなで一緒に楽しみながらやっていたら、いつの間にか問題が問題ではなくなっていた」という状態【問題の無効化】を理想とする。多分、これから『組織』と呼ばれるものはなくなるのだろうなと思う。会社には理念があり、それを社員全体で共有することで一丸となる。多分、こういうあり方には無理がある。だって、みんな少しずつ違うのだから。全員が同じ目的を共有することを動力とするのではなく、目的はバラバラなまま、ただ、一緒に遊んでいたら「いつの間にか、気が付いたときにはいい感じの世の中になっていた」という状態を、私は理想と考える。だからこそ、ごちゃまぜという東洋的混沌を基盤に置いた名前を授けた(のだと思う)。私は、誰かを救いたいとは思わない。ただ、私は私のために輝きたいと思う。その光で、勝手に救われる人々が出てきてくれるのであれば、それを幸運だと思う。
誰かのためとか言い始めたら1アウト。「こんなに頑張っているのに」とか思ったら2アウト。やりたいからやっていますと言えなくなったら3アウト。チェンジ。生き方を変える合図だ。誰かの期待に応えるために、自分は生きている訳じゃない。すべての人類に望む。あなたはあなたのために生きるように。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2018年9月23日
人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu
人類全体の父になれ。
ごちゃまぜの家を宝くじで救え!ということで、ロト7当選発表を昨夜行った。全国各地から100通以上のロトくじが届き、大勢の方々から肉筆のお手紙をいただいた。宝くじが当たるかどうかはおいておいて、このような現状を通じて「みなさまとコミュ人ケーションがとれる」ことが最高に嬉しい。グッとくる手紙も大量にあった。
合言葉は『ご機嫌をチョイス!』
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2018年9月18日
自分の性格を決定づけるものは親との関係だと思っていた。が、違う。一番身近な他人は、家族(他者)じゃなくて自分自身だ。自分との関係が自分を決定づけるのだ。
この世で一番大切な仕事は、自分自身のご機嫌を守ることだ。 - いばや通信 https://t.co/ahJCf8ek9c
結論から言うと、全国各地から100通を超える応援をいただき、当たりくじは驚きの10枚!すごい!当選金額は12,100円で、このお金をなにに使うのかはしっかりと吟味させていただききます。引き続き「喜捨を募りながら全国行脚をする」日々は続きます。現在は新大阪のカフェにいて、明日から北海道。来月は沖縄と福岡に行く予定があります。呼ばれたらどこでもいくので、是非、坂爪となにかをしたいと思ってくださった方はお気軽にご連絡ください。
9月24日(月・祝日)ごちゃまぜの家救済企画@札幌市大通り
テーマを考えている際、共同主催者のゆきさんから、一件のメールをいただきました。🌸🌸🌸ゆきさんからのメール🌸🌸🌸テーマになるかはわかりませんが、私が最近よく思うことは自分が予想以上に一般的常識に染まってるなぁと感じていることです。先日、こども(小一の次女)が学校行きたくない(ママといたい)と言った時に、そうしてあげたいがホンネなのにも関わらず、実質その日は叶えてあげる事が出来るのに、私の母の「そんなんじゃ世の中渡れない」の言葉につい流され、学校に行かせてしまいとても後悔しました。そういうような「社会人として」とか、「常識的」「みんなそうしてるんだから」という言葉に一瞬で反骨心が湧き上がるくらい敏感すぎる感度を持ち合わせているにも関わらず、日々会社員として生活していると知らず知らずのうちに一般的な「普通」に合わせようとする自分に非常に危機感を感じています。今の仕事は好きだけど、あまりに余裕がなさすぎて、いつも心が死にかける。なのでこれは物理的にも感覚的にも強制的に緩めないと、絶対に死ぬ時に後悔すると思うので、沖縄移住はもう完全なる【予定】としています。パートナーシップ、お金、にも通じるものがあるような、ないような…(^^)いや、大アリかと思っています。🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸当日のテーマは「愛と金(パートナーシップと、それにまつわるお金の話)」です。なかでも、恋人や家族との間におけるパートナーシップの中で、愛はあるけどお金がないとか、お金はあるけど愛がないとか、普段、なかなか話されることのない「愛と金」について、この場を通じてみなさまと語り合う機会・色々な考え方に触れる機会にできたらと思っています。私、坂爪圭吾という人間は、完全に「愛はあるけどお金はない」派の人間になります。いま、横浜で「誰でも無料で使える家」というコンセプトで、ごちゃまぜの家という活動をしています。しかし、あらゆるものを無料で放出していたら、運営資金が底をつきました。「愛があればどうにかなる!」がモットーの人間ではあるのですが、もしかすると、私という人間は、金もなければ愛もない、なんてことも大いにあり得るのかもしれません。そんなこんなのあれこれを、是非、ご参加いただけるみなさまと語り合えたら嬉しいなあと思っています。・最近一般常識にはまって苦しい・諸々の壁を突破したい気分だ・パートナーシップに興味がある・お金のまわし方に興味がある・色々な考え方に触れてみたい・ゆきさんのメールにめっちゃ共感した・動く坂爪圭吾を見てみたい・当日、たまたま札幌にいる・参加ついでに札幌小旅行をしたい・ごちゃまぜの家の力になりたい(神)など、動機はなんであれ、あなたさまのお越しをお待ちしております!!🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸【タイムスケジュール】13時00分 開場(受付開始)※※※ 休日のためにビルの入り口が施錠されています。お手間ではございますが、到着次第08033932954(小倉携帯)までご連絡ください ※※※13時30分 開演・坂爪圭吾による「今回の企画趣旨のご説明」13時45分 登壇者自己紹介14時00分 鼎談・坂爪圭吾×あおきゆき×小倉真也「愛と金〜パートナーシップと、それにまつわるお金の話」15時00分 質疑応答(みなさまのお悩みも聞かせてください!)15時30分 坂爪圭吾による懇願の土下座(その後、フリータイム)16時00分 完全撤収!【迷える仔羊プロフィール】■坂爪圭吾(さかつめけいご)1985年新潟県生まれ。いばや通信運営。人間は家も金も収入もなくても生きていけるのかを実験するため、2014年から約2年間にわたる「家のない生活」を行い、なんだかよくわからない日々を送る。結果的にブログ読者の方に購買をしていただいた熱海の家に現在は暮らす。2017年、クラウドファンディングで480万円(!)を調達し「横浜に、誰でも自由に無料で使える家」を作る。その名も『ごちゃまぜの家』。しかし、現在、あらゆるものを無料で放出し続けていたために極度の金銭的困窮に喘いでいる。今回は、家なし生活を送っていた時期から猛烈にお世話になっているゆきさん・小倉さんのお力添えを通じて「ぼくはこれからどうやって生きていけばいいでしょうか?」ということを、みなさまに問う。自伝風物語「ホームをレスした話」🌸🌸🌸🌸🌸ご参加にあたってのお願い🌸🌸🌸🌸🌸●こちらの企画は、決して答えを(上から目線で)教え諭すような内容ではございません。ひとつのテーマをもとに、みんなで、和気藹々と(なによりも楽しく!)時間を過ごせることを最大の目的としています。そのため、ご自身のお考えを誰かに押し付けることなく、異なる意見もまあるい心で受け入れていただけましたら幸いです。●参加者のみなさまが心地よい時間を過ごせるよう、何卒、みなさまのご協力をお願いいたします。(例:論破することを目的とした議論をしない、とか、誰かひとりだけが話し過ぎることのないようにする、など)🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸日時:9月24日(月・祝日)13時30分(13時開場)から15時30分(16時閉場)会場:大和田ビル1F・ミーティングルーム北海道札幌市中央区北一条西7-3 北一条大和田ビル1F※休日のためにビルの入り口が施錠されています。お手間ではございますが、到着次第08033932954(小倉携帯)までご連絡ください。定員:15名(先着順)お問い合わせ:坂爪圭吾(さかつめけいご)LINE ID ibayamail keigosakatsume@gmail.com===========================================「いばや通信」 http://ibaya.hatenablog.com/GOCHAMAZE no IE https://camp-fire.jp/projects/view/26181緊急連絡先 LINE ID ibaya(坂爪圭吾LINE)===========================================
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GOCHAMAZE no IEを救え!坂爪圭吾&あおきゆき&小倉真也「愛と金」パートナーシップと、それにまつわるお金の話
わたり文庫『全ての装備を知恵に置き換えること』
今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、石川直樹著作『全ての装備を知恵に置き換えること』です。まだ読み始めたばかりなのですが、名著の香りがぷんぷんします。清冽な文体が最高です。読み終わり次第、ご希望される方に無料で郵送をさせていただきます。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。
※※※ こちらの本は、北海道にわたりました ※※※
「冒険というものの究極は自分の身体一つで行うことだと思っている。もしある人がはじめてクライミングをやりはじめたら、周りにある装備を全て使うだろう。例えばアイスクライミングだったら、最初はダブルアックスで氷壁を登るかもしれない。それはとても簡単なことだ。しかし、技術を身につけていくにつれ、その氷壁を一本のアイスアックスで登れるようになるかもしれない。もしも、禅マスターだったらここに座ったままでも氷壁を登ってしまうかもしれない(笑)。それはある道筋のようなものなんだ。私にとっての究極は何の道具も使わない〝ソロクライミング〟なんだよ。チョークもクライミングシューズもガイドブックも・・・。裸で登るのが究極さ。きみが興味をもっている古代の航海術と同じように、全ての装備を知恵に置き換えること。それが到達点だと思ってる。私はそれを完全に信じてやまない」
石川直樹『全ての装備を知恵に置き換えること』【集英社文庫】
ごちゃまぜの家日誌もよろしくお願いします。
新潟から新米をいただきましたーー!!
— ごちゃまぜ太郎 (@GochamazeKikuna) 2018年9月21日
新潟生まれでよかったぁーーーー!!
うれすぃーーーー!!
と言う訳で、本日お越しいただい方々と炊きたての新米をいただきつつロト7の行く末を見守りたいと思います。
関わってくださっているみなさま、本当にありがとうございます!!🌾🌾🌾✨✨✨ pic.twitter.com/dTFZTnpfvW
🌸🌸🌸 臨場感あふれるツイキャス配信はこちら 🌸🌸🌸
人類全体の父になれ。
ごちゃまぜの家という、いつでも、誰でも来てもいいという活動をやっていると「さぞかし、人当たりのいい(コミュニケーション能力もずば抜けている)明るくてオープンな人たちがやっているのだろう」という認識をされることが頻繁にあります。が、実際は、私を含めて『どちらかと言えば人間が苦手で、これまで壁にぶち当たることの多かった人間が、それでもなおひとと繋がれたらという思いでやっている』という、非常に涙ぐましい健気な家になります。
坂爪さん、おはようございます‼️○○○○です。
腱鞘炎やらお礼やら忙しいと思うのですが、返信も不要なのですが、どうしても伝えさせてください‼️
昨日、坂爪さんからのお礼として倍返しとして笑笑本が届きました✨✨✨厚さがあって最初不思議でしたが、開けてビックリ(びっくり)わたり文庫、何度も気になってたけど一度も問い合わせしたことなくて、まさかこんな形で細やかに願いが叶うとは…。
もう色々感情が湧いて言葉にならなくて感無量なんですけど、なんかもう嬉し過ぎて、生きてて良かった✨なんて思って、私がロト7当たった気持ちになっちゃいました笑
こんな機会やお礼を貰えて、自分はなんて幸運者だと思いました‼️✨✨私の心に幸せや潤いをくださり、凄く感謝しています。ありがとうございます。もう、当たっているかもしれませんね。そして、参加者も当選気分にさせてしまうなんて、さすが坂爪さん、さすがごちゃまぜの家だなぁ笑
なんて偉そうなこと言ってるかもですが…どうしても、ロト7の発表会の前に、お礼と最後の応援?を伝えたかった。
リアルタイムでツイキャスは、仕事の関係で難しいかもしれませんが、ちゃんと見届けています。結局長くなりすみません。
でも、本当になんかもう、ありがとうございます✨✨
いただいたお手紙の中にも「ごちゃまぜの家があるということが自分にとっての救いになります。なにが起きても大丈夫なんだって思ます。いつか、自分も本当にやばくなったときは遊びに行かせてください」という言葉がたくさんありました。ありがとうございます。無論、やばくなったときもごちゃまぜの家を活用してくださって大丈夫なのですが、やっている身としては「やばくなったらじゃなくて、普通のとき、普通に元気のある時も(普通に)気軽に遊びに来てください!」という気持ちになります。
けいごさんツイキャス聴いてました😊何はともあれこの日々が本当に宝だなあとあったかい気持ちになったのと、みんなもうなにがあっても大丈夫と思っている自分がいてすごくよい心地です✨ああ、伝えたいことがいっぱいすぎてまた出口渋滞起こしています。。
けいごさんと出会えた今日はけいごさんと出会えてない今日よりすごく面白くてすてきな今日です✨なんだかわけわからんメッセージごめんなさいです💦明日からのイベント楽しんできてくださいね😊ではではgood night sleep♡
ツイキャス配信の中で「人類全体の父になりたい」という話をしました。私は、誰か特定の父親になるということよりも、人類全体の父親になりたいという謎の感覚があります。同じように、女性の方々も「今日からあたしは、人類全体の母になる!」なんて思って見たらどうでしょう??などということを思うことがあります。人類全体の母になる。それくらい広い心をもったとき、いろいろな小さな悩み事などはすっ飛んで「自分はでっかく生きるのだ!」的な心意気になれる予感がしています。
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連絡先・稲村彰人(いなむらあきと)
tel : 09080329067
mail : akito.inamura@gmail.com
line id : 0reaki10
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案ずるより産むが易し!
ありのままの自分を表現することは、怖いことかもしれない。ただ、自分を取り繕ったままで生きることのほうが、よっぽど恐ろしいことだと思う。勇気と呼ばれるもの、自分の中にあるものを「出す」と決めたひとを、神様は見捨てたりはしない。出すほどになにかを得るということは、多分、真実だと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2018年1月16日
圭吾さん、こんばんは!
ツイキャス、リアルタイムでは最後の方からだったのですが間に合い聴いていました!
私はこのたび宝くじを託すという星になることは出来なかったのですが、ごちゃまぜの家に降る流れ星をみなさんと一緒にツイキャス越しに見れて、とても嬉しいなんとも言えない幸せな気持ちになりました!!
ありがとうございます!!
みなさんのおしゃべりしている雰囲気や、
人間に対してつまずいたり、決して
明るく常にオープンなわけではなくむしろ逆ででも人間と関わりたいっていうくだりに心がパカッと開くそんな爽快な気持ちになり、まるで私もみなさんと一緒に宴を囲んでいるような気持ちになりました。聴きながらいつの間にか笑っていました。
ステキな時間をありがとうございます!!
こんなおちゃめな最高な人たちがいることが、最高に嬉しいです。
素敵な夜をありがとうございます!!!
星降る夜に祈りを込めて...
おやすみなさい✨✨✨✨
(返信はご不要です🙆💮)
自由でありたいと思うならば、自分を批判してくるひとの「批判する自由」も認めないといけない。批判に屈するでもなく、認めた上で、話は聞くけど言うことは聞かない。無理解を嘆かず、孤独を恐れず、被害者意識を漂わせず、ただ「ごめん、やっぱり俺はこうだわ」と、自分の道を歩けばいいのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2018年2月11日
我ながら素晴らしい人生である。 #shuzenji #touring #supercub110 #river #lifeisgood
人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu
この世で一番大切な仕事は、自分自身のご機嫌を守ることだ。
ごちゃまぜの家に来た人々が「現代版の駆け込み寺ですね!」的なことを言ってくれる。しかし、やっている当事者としては「寺というよりも教会に近い。俺は、お坊さんというよりも牧師的な気持ちになることが多い。人々は、ごちゃまぜの家に来て、彼らなりの懺悔をする。俺はその話を聞いているだけだ」とも思う。毎日、少数ではあるがそれなりの事情を抱えた人々がやってくる。本当に、毎日、いろいろなことが起こる。
https://twitter.com/KeigoSakatsume/status/1041501917594017792
色々なことがありすぎるから「俺はいつになったら心休まる時間を過ごせるのだろう」などと思ったりする。年中無休24時間オンオフの区切りもなく従事している感覚だ。ああ、休みたい。そう思う。が、しかし、実際にリラックスをしながらのんびり休める時間が訪れると、私はすぐに「ああ、退屈だな。なにか起こらないかな」などと思ったりする。自己矛盾がすごい。忙しいと暇になりたいとぼやき、暇になると忙しくなりたいとぼやいている(似た感じで、ひとりのときは「誰かといたい」とぼやき、誰かといるときは「ひとりになりたい」とぼやいている)。
風に思いを乗せる系男子。
前回の記事で「大阪でイベントをやるので来てください!」と書いたら、もう、猛烈にありがたいことにあと少しで定員に達そうとしている。今回のイベントテーマは『男と女のすれ違い』で、小生、恋愛関係および異性間コミュニケーションが見事にダメすぎてこれまで散々な目にあっている。その愚痴を心理カウンセラーの方に聞いていただくという内容になるのですが、なんだかいまからものすごい楽しみで、もしも「あたしの住んでいる都市でも開催してください!」などとお声がかかったあかつきにはごちゃまぜの家救済とかはもはやどうでもいいから全国各地に足を運びたい気持ちでいる。9月は暇です。10月も暇です。死ぬまで暇です。
🌸🌸🌸イベントページはこちらです🌸🌸🌸
ごちゃまぜの家を救え!対談・坂爪圭吾×神末結衣「神末先生、男女間のコミュニケーションの秘訣を教えてください!」
恋バナは楽しい。だから昨夜も(練習も兼ねて)ラジオ配信をした。私は「風に思いを乗せる系男子」で、実際に会っていなくても結構頻繁に相手のことを思っている。しかし、女性側に言わせると「風になんか乗せていないで、形にしろって言っているだろうが」ということになる。私はあまのじゃくな人間なので、やれと言われるとやりたくないとなり、やるなと言われるとやりたくなる。だから、やれと言われるほどに逃げる(逆に、返信不要ですと言われると高確率で返信をする)。結果、相手を不安にさせて破綻をする。そういうことの繰り返しが、私の33年間だったのだと思う。
🌸🌸🌸収録した音声はこちらです🌸🌸🌸
正直に言って、もう、結婚は諦めている。諦めているというか「従来の意味での結婚は、あんまり興味が湧かないな」と思っている。しかし、人を愛することほど尊いものはないとも思う。女性に求める理想像が、私には二種類ある。ひとつは「牧師に嫁ぎたいと思うほどに、信仰心(?)のあつい女性」である。岡本敏子さんがそれに近いのかもしれない(全然違うかもしれない)。もうひとつは「一緒にいることでインスパイアし合える女性。相手に対する尊敬や信頼はもちろんのこと、彼女がやっていることを見て『うぐぐ・・・こいつはさすがや・・・(俺も負けていられないぜ!)』という悔しさと嬉しさを同時に味あわせてくれる存在」である。これが無理ならもう、永遠におひとりさまでも構わないやと居直っている(とか言うくせに、やっぱり、異性とはうまくやっていきたいとも思っている)。
わたり文庫『ちいろば』
今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、榎本保郎牧師著作『ちいろば』です。50年程前に大流行した一冊です。が、この本を読む前に三浦綾子の『ちいろば先生物語』を読むことを激烈リコメンドします。榎本牧師さんのすごいところは、誰からも愛された教会を最後には捨てることです。理由は「私は、みんなに愛されすぎた。結果、教会に来る人々は、私を見てしまっている。しかし、ここは神を見る場所であって、私を見る場所ではない。だから、私はここを離れることに決めた」という苦渋の決断です。これ、すごくないですか??私は「半端ないな…」と震えました。私はこういう人間を『格好いい男だ』と思ってしまいます。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。
※※※ こちらの本は、東京都にわたりました ※※※
「よし、この子どもたちのために自分のすべてを投げ出そう」
榎本保郎『ちいろば』【聖燈社】
ごちゃまぜの家日誌もよろしくお願いします。
佐渡島のかむきさんが、突如ブログを更新しました。。
— ごちゃまぜ太郎 (@GochamazeKikuna) 2018年9月17日
ごちゃまぜの家第2弾は、新潟県佐渡島に12月31日(大安)開始予定です!!!!
【9月17日】今日の日誌(かむき) - ごちゃまぜの家日誌 https://t.co/fSm21ui8FO
合言葉は『ご機嫌をチョイス!』
ただ珈琲を飲むだけの動画 #gopro #test #practice #niigata #aoyama #lifeisgood
数日前、ごちゃまぜの家に三人の子供を育てているお母様(S様)が「手料理をもってお邪魔をします!」と遊びに来てくれた。久しぶりに会ったS様の瞳は、なんだか猛烈な輝きを帯びていた。ので、私は「なんだかめちゃめちゃいい感じですね!なにかあったのですか???」と尋ねた。すると、S様は満面の笑み(決して、無理をして作られた明るさではない、ものすごい健やかな表情)を浮かべてこのように話した。
私は、本当に長い間、親との関係で悩んでいました。本当はもっとこうして欲しかったとか、自分が愛されたいと思う形で愛されたかったとか、大人になってからも、自分にこどもができてからも、親との確執を胸に抱き続けたまま生きてきました。でも、ある日、それは違うなと思ったんです。親との関係性が自分の問題だと思っていたけど、それは違うなって。一番の問題は「親(他人)じゃない、自分自身との関係性なんだ」ってことに気が付いたのです。それから、私は、とにかく自分のご機嫌をとることに集中しました。自分に寄り添って、自分がしてほしいことを自分にしてあげて、逆に自分がやりたくないことは自分にさせないようにしてあげて、徹底的にご機嫌でいることに集中をしました。すると、なんだかもうあの頃には信じられないほどに、今、幸せな毎日を過ごすことができるようになったんです。それで、ここ数ヶ月自分のご機嫌をとることに集中しまくっていたため、今日は「自分ができることをみんなにもさせていただきたい!」と思って、手料理を持参させていただきました。だから、久しぶりに本当に自分以外の人に何かをさせていただく機会を頂き、本当に本当に嬉しかったです。しかも、大好きな坂爪さんと、皆んなの寄り所のごちゃまぜの家の為にお邪魔させて頂くきっかけにもなり、幸せです。
人類稀に見る素晴らしい逸話だ。私自身、自分の性格を決定づけるものは「幼少期の親との関係」だと思っていた。だから、家族を再定義するとか鼻息を荒くしながらごちゃまぜの家の活動を続けていた。が、一番身近な他人は、家族ではなく「自分」なのだと痛感した。自分との関係も人間関係であり、誰かになにかをしてもらうとか、誰かになにかをしてもらえなかったとか、そんなことよりも「自分が自分に寄り添ってあげるべきときに、寄り添うことができなかった」ことが、胸の中にわだかまりとして蓄積をするのだと思った。それならば。私は「この世で一番大切な仕事は、自分自身のご機嫌を守ることだ」と思った。私もS様に続きたい。世の中の悪い側面をとらえて勝手に自爆をするのではなく、どのような状態に置かれても『ご機嫌をチョイス!』できる人間でありたいと思った。もう一回言う。どのような状態に置かれても『ご機嫌をチョイス!』できる人間でありたいと思った。
この世で一番大切な仕事は、自分自身のご機嫌を守ることだと思う。ご機嫌の威力は尋常じゃない。自分の機嫌が良いと、勝手に周囲もご機嫌になる。誰かに何かをしてもらうことを待たないで、今、自分がしてもらいたいことを「自分が自分にしてあげる」「自分が自分に許可を出してあげる」ことだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2018年9月17日
ちはるちゃんのご指導のおかげで迷うことなく、今バッチリ菊名駅に着きました〜〜〜😊
行きはお迎えに来てもらいご迷惑おかけしました〜〜💦🙏
昨日お邪魔を決めてから、今の自分で出来ることをあれこれ考えてさせてもらえて本当に楽しかったぁ〜〜🌈🌈🌈
ご飯を美味しいって食べてくれたのが、本当に本当に嬉しかったです🍀🍀🍀
ご飯は本当に大切ですよね🙆♀お家はシンプルでお手入れが行き届いていて、思った通りの最高のお家でした🏠
金曜日、結果楽しみにしています🍀🍀🍀
坂爪さんの笑顔、やっぱり最高でした🤩🤩🤩🤩🤩
取り急ぎお礼まで💕
PS・よしえさんの入れてくれたお茶もめちゃめちゃ美味しかったですと、お伝え下さいませ🍀🍀🍀
(S様からのLINEを転載させていただきました)
人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu
私の夢は壊れていません。壊れているのはあなたの夢です。
第一印象で「あれ?」と感じたひとは、あとでどれだけいいひとそうに見えても、あとから「やっぱり!」と感じることは多い。直感は大事だ。ガチで大事だ。ナビゲーターは直感だ。もう、今生何度目の反省になるだろう。私は頻繁に間違える。自分の心が感じた違和感には、激烈に忠実でありたいと思う。シェイクスピアも『愛情は万人に、信頼は少数に』と言っている。逆に言えば、ああ、なんだかこのひとはスッと入ってくるなあと感じるひととは、無理のない良好な関係が続く。
本当に大事なことは、先延ばしにしないで、いまやらなくちゃいけない。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2018年9月14日
自信がなくてもやる。嫌われてもいいから、失敗してもいいからやる。延命措置みたいな日々にお別れを告げて、いま、歩き出すことだ。
運を天にまかせるなら。 - いばや通信 https://t.co/OHTlYahbv2
ごちゃまぜの家存続の危機!と叫んでいたが、これは「坂爪圭吾存続の危機!」と同義だと思った。色々ありすぎて、小生、軽い人間不信【女性不信】に陥っていた。しかし、同じように私を高みに引き上げてくれた存在も女性だった。いつまでも不信感を抱いている場合ではない。生きるのだ。ということで、9月22日(土)13時頃から大阪府天王寺で『ごちゃまぜの家救済企画!スペシャル対談』を開催いたします。詳細を下記に転載します。最高の時間にいたします。是非、遊びに来てください(その際は、会場にて坂爪圭吾と握手をして坂爪圭吾に生きる力を注入してください!!)。
9月22日(土)ごちゃまぜの家救済企画@大阪府天王寺
男と女。これ、人類、永遠のテーマであると思います。私、坂爪圭吾は、現在「誰でも自由に無料で使える家」という名目のもと、横浜で『ごちゃまぜの家』という活動をしております。しかし、すべてを無料で放出し続けた結果、現在、極度の金銭的困窮に喘いでおります。金銭的困窮などと申しましたが、その背後には「コミュニケーションの問題」が確実に潜んでいることをひしひし感じております。周囲の人々との人間関係、とりわけ「男女間のコミュニケーション問題」は、最初はとっても小さくささいなものだったとしても、やがては『一族存続の破滅にも繋がりかねない』ほどの半端ない威力があることを、強く、強く実感しております。しかし、私、坂爪圭吾(男)は女の心理がわかりません!巷では・・・「男は論理的、女は感覚的」とか・・・「男は目的脳、女は共感脳」とか・・・「女が幸せだと、空間全体が幸せになる」とか・・・「女が怒ると、天災が起こる」とか・・・「男は安心をすると浮気をする、女は不安になると浮気をする」とか・・・それはもういろいろなことが言われております。本当のところがわからない坂爪圭吾は、もう、パニックになってしまいました。困りました。私は男。どれだけ考えてみたところで、所詮、わたしは男の思考を抜け出ることができないのです。困った。さあ、どうすればいいのか。誰かこういうことに詳しい女性は・・・そう、男女間のコミュニケーションについてお詳しい女性・・・ハッ!そうだ!男女間と言えばこの御方!そ、そ、そうだ!こういうときこそ!「神末先生に相談だ!」🌸🌸🌸🌸🌸企画趣旨のご案内🌸🌸🌸🌸🌸こちらの企画は「男女間のコミュニケーションの諸々」について、心理カウンセラーでもある神末結衣さんを特別ゲストにお招きし、参加者のみなさまとおしゃべりをするという「あんまり堅苦しくない、いかに楽しい時間を過ごせるか」に重点を置いた企画です。異性の心理を知りたいかたや、男女間のちょっとしたトラブルを抱えているかた、ごちゃまぜの家の活動を「応援したい!」と思ってくださるかたや、いろいろなひとたちの考え方に触れたいかたなど、参加希望の理由はどのようなものでもまったく構いません。どなた様でもお気軽に遊びにいらしてください!!(そして、一緒に男女間のコミュニケーションの秘訣を探っていきましょう!!)🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸【タイムスケジュール】13時00分 開場(受付開始)13時30分 開演・坂爪圭吾による「今回の企画趣旨のご説明」13時45分 登壇者自己紹介14時00分 対談・坂爪圭吾×神末結衣「神末先生、男女間のコミュニケーションの秘訣を教えてください!」15時00分 質疑応答(みなさまのお悩みも聞かせてください!)15時30分 坂爪圭吾による懇願の土下座(その後、フリータイム)16時00分 完全撤収!【登壇者プロフィール】■坂爪圭吾(さかつめけいご)1985年新潟県生まれ。いばや通信運営。人間は家も金も収入もなくても生きていけるのかを実験するため、2014年から約2年間にわたる「家のない生活」を行い、なんだかよくわからない日々を送る。結果的にブログ読者の方に購買をしていただいた熱海の家に現在は暮らす。2017年、クラウドファンディングで480万円(!)を調達し「横浜に、誰でも自由に無料で使える家」を作る。その名も『ごちゃまぜの家』。しかし、現在、あらゆるものを無料で放出し続けていたために極度の金銭的困窮に喘いでいる。今回は、心のメンターである神末結衣先生を通じて「ぼくはこれからどうやって生きていけばいいでしょうか?」ということを、みなさまに問う。自伝風物語「ホームをレスした話」■神末結衣(かみすえゆい)坂爪圭吾が「心のメンター」と勝手に崇拝している心理カウンセラー。サロンいやしちろオーナー。舞踏家。心の悩みを抱える方々に親身に寄り添うなかで「むむ、男女間のコミュニケーションの問題は非常に奥深い!」ことを日に日に痛感。先日、坂爪が神末先生に泣きつく形でご相談をさせていただいたところ、坂爪の小さな悩みを一瞬で撲滅。坂爪は「ああ、おれはいままで川しか知らなかったのだ。川しか知らなかった男が、いま、神末先生を通じて『海』をはじめて知ったのだ。。。」と感激。この感激をみなさまとも共有したいと思い、今回、ゲストとしてお越しいただける運びとなりました。(注・こちらの文責はすべて坂爪圭吾にあります)🌸🌸🌸🌸🌸ご参加にあたってのお願い🌸🌸🌸🌸🌸●こちらの企画は、決して答えを(上から目線で)教え諭すような内容ではございません。ひとつのテーマをもとに、みんなで、和気藹々と(なによりも楽しく!)時間を過ごせることを最大の目的としています。そのため、ご自身のお考えを誰かに押し付けることなく、異なる意見もまあるい心で受け入れていただけましたら幸いです。●参加者のみなさまが心地よい時間を過ごせるよう、何卒、みなさまのご協力をお願いいたします。(例:論破することを目的とした議論をしない、とか、誰かひとりだけが話し過ぎることのないようにする、など)🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸日時:9月22日(土)13時30分(13時開場)から15時30分(16時閉場)会場:クレオ大阪中央・音楽室(4階)定員:30名(先着順)お問い合わせ:坂爪圭吾(さかつめけいご)LINE ID ibayamail keigosakatsume@gmail.com
🌸🌸🌸Facebookイベントページはこちらです🌸🌸🌸
ごちゃまぜの家を救え!対談・坂爪圭吾×神末結衣「神末先生、男女間のコミュニケーションの秘訣を教えてください!」
わたり文庫『お金のいらない国』
今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、長島龍人著作『お金のいらない国』です。ZOZOの前澤さんが紹介したことでも、有名になりましたね。こちらの本、猛烈にありがたいことにベーグルと一緒にごちゃまぜの家に「是非!」と愛知県から郵送をしていただきました。付箋には「私の運命を変えた本です。1〜4巻まであるんですよ。ますは1巻をプレゼントさせて下さい」という手書きのメッセージまで。もう、私は、愛知県に足を向けて眠ることができません。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。
※※※ こちらの本は、岩手県にわたりました ※※※
要するに、このお金というものは、ものの価値をみんなが共通して認識するためのモノサシでしかないわけです。ですから、たとえば今あなたの国で、このお金がいっせいにパッと消えてしまったとしても、皆がそのまま仕事を続けていれば社会は回っていくはずなんですよ。それに、ちょっと想像してみてください。あなたの国の、お金を扱う仕事にたずさわっている人が、その業務から解放された時のことを。そして、お金を動かすために使っていた時間や労力を、もっと世の中のためになる仕事に向けたら・・・お金に関する仕事がなくなったら、ずっと楽になると思いませんか?いいですか。今のあなたの国でも、お金に関わる仕事をしている人が全員、その仕事をやめてしまったとしても、みんな十分に暮らして行けるはずなんです。そんな、言ってみればムダなことに時間や労力を使っていたにもかかわらず、あなた方は今までやってこられたわけですから。ですから、そういう仕事にかけていた時間や労力を、もっと社会の役に立つ仕事に向ければ、もっともっと暮らしやすくなるはずですよ。
多分、そのお金というものを得ることが仕事の目的だと多くの人が思っているうちは、あなたの国の、本当の意味での進歩はないでしょうね。仕事の目的は世の中の役に立つことです。報酬ではありません。報酬を目的にしていると、必ずどこかにゆがみが生じてきます。自分の行った仕事以上の報酬を得ようとしたり、必要のない仕事を無理に作って、自分の利益だけは確保しようとする動きが出てくるでしょう。そうなると、完全な競争社会になります。それもお互いの向上を目的としたものではない、単なる足の引っ張り合いになるはずです。
あなたの今されている仕事が、本当に価値のあるものかどうかを判断する、簡単な方法をお教えしましょう。仮に、社会からお金というものがなくなり、その仕事によって報酬を得られないとしても、自分がその仕事をすべきだと思うかどうかです。
ごちゃまぜの家日誌もよろしくお願いします。
福岡から大量の仕送りが届きました。。
— ごちゃまぜ太郎 (@GochamazeKikuna) 2018年9月15日
感無量で言葉がありません。。。
手紙には「母じゃないけど母的な気持ちで見守っとります・・・福岡から。そして、ごちゃまぜの家が次の誕生日も、またその次の次もむかえられることをお祈りしています」との文字。。
泣きました。。。合掌。。 pic.twitter.com/0mNbhgrueN
ごちゃまぜの家存続の危機を「宝くじで救え!」という勇敢な企画。
— ごちゃまぜ太郎 (@GochamazeKikuna) 2018年9月16日
おかげさまで皆様からありがたい応援のメッセージをたくさんいただいております。。。
本当にありがとうございます。。
さとゆりさんのFacebook投稿が素晴らしすぎたので勝手にシェア。。。
詳細はこちらhttps://t.co/c0qiFEnU9S pic.twitter.com/KDkZnG7oCY
感動にむせび泣いていたところ。。
— ごちゃまぜ太郎 (@GochamazeKikuna) 2018年9月15日
愛知県のパン屋さんから大量のベーグルが届きました。。。
「ブログを読んでいます。
ごちゃまぜの家素敵です。
みなさまで食べてください」
とのこと。。。。。
涙。。。
昨日も和歌山から大量の野菜が届いたのに写真撮らずに食べた。。人類。。。😭✨✨✨ pic.twitter.com/ia34oWAn1P
私の夢は壊れていません。壊れているのはあなたの夢です。
シェイクスピアと言えば、ハムレットという作品に『生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ(To be or not to be, that is the question)』という有名すぎるセリフがある。私は、この言葉は知っていたが、この言葉が出て来た物語の背景を知らなかった。が、先日、この言葉が出て来た背景を知って「そういう意味だったのね!」とびっくりした。この言葉は、こんな感じのニュアンスを含む言葉になる。
生か、死か、それが疑問だ、どちらが男らしい生きかたか、じっと身を伏せ、不法な運命の矢弾を堪え忍ぶのと、それとも剣をとって、押しよせる苦難に立ち向い、とどめを刺すまであとには引かぬのと、一体どちらが。いっそ死んでしまったほうが。死は眠りにすぎぬ。・・・それだけのことではないか・・・。【ハムレット(新潮文庫)福田恒存訳】
これを読んだ時に「ああ、いまの自分と同じだ!」と脳味噌が震えた。私は大袈裟な人間なので、すぐに『死ぬ覚悟』とか『ハラキリ』とか、そういうワードが頭をよぎる。しかし、次の瞬間、私は「この二元論を超えたい」と思った。生きるべきか、死ぬべきか、などと、そういうことを考え始めると精神的に参って病気になるか禿げる。自分の心に素直になった時、私は「楽しみたい」と思っていることに気づいた。どのような状態に置かれても、深刻になるのではなく、真面目に考えすぎるのではなく、置かれた状態で打ち出せる「次の一手」「遊びとしての一手」「最高の一手」を見出していきたいタイプの人間なのだと、そういうことを思い直した途端に(露骨に)元気になった。
宝くじでごちゃまぜの家を救う!というアイデアを出した時、周囲から「夢を壊すようで悪いけど、宝くじは還元率も悪いから(うんたらかんたら)やめほうがいいよ」と言われた。私は、正直に言うと、わかってないなあと思った。俺は、そういうところで生きていないからと思った。もっと言えば『私の夢は壊れていません。壊れているのはあなたの夢です』と思った。私は金が欲しいのではない。私が欲しいものは笑顔である。条件付きの愛などいらぬ。条件付きの金などいらぬ。条件つきの優しさは、受け取ることが怖すぎる(あとで回収されそうな気がする)。手放しの愛情は、安心をして受け取ることができる。「これのために有効活用してください」と言われながら受け取るお金より、「君は最高だね!」と言われながら丸投げで受け取ったお金の方が、五億倍嬉しい。他にも思ったこと、起きたこと、考えたことは無限にあるが、続きはリアル(対談企画)で!!私の人生はいい感じに滅茶滅茶になっているので、偉そうに人様に話せることなんてなにもない。ただ、笑いを提供することならばできると思った。開催が本当に楽しみ。話せることが嬉しい。話を聞けることが嬉しい。あなたに会え得ることが嬉しいし、人生に楽しみがあることが嬉しい。そうだ、私は、ただただ『遊んでいたい』だけなのだ。遊び続けるために必要なものは丹力だ。そのために、繰り返し丹田を鍛えているのである。
君は真面目すぎる。楽しむことを忘れちゃダメだよ。きちんとやる、大事なことだ。真面目にやる、大事なことだ。でもね、これだけは忘れちゃいけない。僕達のパフォーマンスが一番発揮される瞬間は、肩の力を抜いて、リラックスしながら楽しむことができている瞬間だよ。楽しむことを忘れちゃダメだよ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2018年7月15日
けいごさん、みなさん、こんにちは。メールを送るのは二度目になります。ブログ読ませていただいております。ごちゃまぜの家の救い方、あまりに軽やかでわくわくして、なんだか結果も分からない今から嬉しくなってしまいます。ごちゃまぜの家がなくなる、と聴いた最初はなんだかすこしさみしさはありました。一度も行ったことのないばしょだけれど、でもごちゃまぜの家みたいなばしょがあるって想ったら、なんだかだいじょうぶだよ、って言われているような気がしていました。でも家が続いても、続かなくても、すべて流れの一部なんでしょうね。けいごさんやごちゃまぜの家のみなさんのゆるやかさに、わたしのこころも楽しむ気持ちでいっぱいになっております。ブログでごちゃまぜの家の救い方の話を聴いたあと、みんなで結果発表を見守ろう会に、わたしのすきなベーグルをもぐもぐしてたらたのしいな、と想い、送らせていただきました。が、毎週金曜が発表というのを聴いて、あらまぁ、昨日が発表日だ!!と早とちりし、衝動でおくってしまいましたが、送ってから1週間後だと気づきました。慌てすぎてロト7も入れてません。でもこのベーグル自体はごちゃまぜの家のくうきにきっとなじむような気がしていたので、おすきなときに おすきなひとが おすきなだけ ほおばっていただけたら、うれしいなぁと妄想しております。みんなのながれぼしがあつまるつぎの金曜日、どんなじかんになるのでしょう。ツイキャスでご一緒したいです。みらいをたのしみにしてるっていいですね:)○○○ ○○○
人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu
運を天にまかせるなら。
このまま行くと、あと、二ヶ月でごちゃまぜの家は終わる。余命二ヶ月の花家だ。延命措置に未来はない。続く限り続くが、続かなくなったら「その時はその時だ」とすべてを受け入れる態度で、決して、しがみつきたくはないと思っていた。しかし、しがみつかないという生き方は「すべてに対して無責任な生き方」にも通じるような気がする。ちょっとでも気に入らないことがあれば、すぐ、次に移ってしまうような在り方は、さて、いかがなものだろうか。
強さとはなんだろう。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2018年9月12日
一人ですべてをなんとかしようとする強さは、多分、強さじゃない。それはただ、臆病なだけ。強さとは、自分を、他人を「信頼する力」だと思う。
ひとりになるな。ひとりになったら死ぬ。 - いばや通信 https://t.co/TVVjRSd2As
執着を生まず、かつ、同時に『大事にしたいものは大事にする』という生き方をしたい。この家も、できることならばいい感じで続いていけばいいと思う。いい感じで、というところが超重要だ。眉間にシワを寄せるような感じでは、緊張感を連鎖させるような状態では、活動を続けたくない。しかし、容易に諦めることもなにかが違う。いま、置かれている苦境は、要するに金銭的なものになる。が、私はお金が欲しい訳ではないのだと思う。お金より欲しいもの、それは勇気、それは君が見た光、それは希望なのだと思う(青雲)。
その時、(怪我の)光明が差した。
有難いことに、読者の方々からたくさんの心配メールをいただいた。お気持ちが猛烈にありがたかったし、自分はひとりじゃないのだなと思った。あるひとは言う。手伝えることがあったらなんでも言ってください。と。私は感謝をする。感謝をすると同時に、しかし、具体的に何をして欲しいのかということがまったくわからなかった。そのため、取り急ぎ「見守っていてください」的な返信をしていた。ら、その瞬間、私のもとに一通のメールが届いた。
タイトル「運を天にまかせるなら」
坂爪さん、こんばんは(^v^)
ブログいつも読ませていただいておりますツイキャスも時間のある時に聞かせてもらってますさっき、スーパーを歩きながら、ふと思ったのですが金欠打開として、ごちゃまぜの家にみなさんの運を寄せ集めるのはどうかなと具体的には、宝くじ1枚を贈ってもらう1枚100円から300円くらいですよねいくら当たるか面白いかな〜〜なんてこんなアホみたいな案でスミマセンスル—していただいて大丈夫です(^o^)お身体たいせつに○○○○
私は、正直に言うと、このメールを読んだ時は「あはは」と笑って受け流しかけた。が、冷静になると、あれ、もしかしたら、もしかしたらこれは最高のアイデアなんじゃないのかと思った。そして、考えれば考えるほど「これは最高だ!!!!!」という思いにあふれた。ので、その場にいた人々にこのアイデアを話した。ら、彼らも一様に「こ、これは・・・それはもしかしたらレインボーアンサーかもしれませんね!(注・レインボーアンサーとは、深刻な顔をしながら解決策を考える種類のものではなく、極めてポップなやり方で『楽しみながら、気が付いていたときには問題がめっちゃいい感じに解決すること)」との反応。そこで、私は、音速で返信をさせていただいた。
素晴らしすぎる提案をありがとうございます!!!!!ものすごい素晴らしいです!!!!!ちょっと採用させてください!!
そして我々はツイキャス配信をした。テーマは「余命二ヶ月のごちゃまぜの家を、宝くじで救え!」的なものになります。自分たちも「宝くじという、なんとも言えずばかっぽい解決策が最高だな〜!」という気持ちで、終始笑顔で配信することができた。私は、まだ、宝くじなんて購買したことがない。宝くじに対しても、ギャンブルと言いますか、どうせ誰かの金儲けになるのだろうくらいに思っていた。が、宝くじを「自分のためではなく、誰かのために(それこそ遊び感覚で)買ってそのひとに贈る」という行為は、なんと言えばいいのだろうか、最高の遊びだと思った。すると、そのタイミングでメールの返信が届いた。その内容に、思わずわたしは吹き出してしまった。ああ、最高だなあと思ったのだ。
ほんとですか!わーいヽ(^o^)丿どうであろうと勝手に“わたしの1枚”を贈ろうと思ってました(^^)このまえのNOTEの飲尿、わたし、やってみましたさいしょ、ちょっと飲むだけだったんですがやっちゃえ日産!みたいな気分で、顔もバシャバシャ洗って目にも入れてみました全然たいしたことなかったですやるまではこんなこと絶対無理なことも一線を越えてしまえば、なんてことないですねめっちゃ面白かったです 顔を洗った後しばらくおかしくって爆笑でした有難うございました!
やっちゃえ日産!(いいなあ。。。)
🌸🌸🌸 ツイキャス配信はこちらから聞けます 🌸🌸🌸
🌸🌸🌸 話題にあがった「飲尿の話」はこちら 🌸🌸🌸
やっちゃえ日産!(ごちゃまぜの家の救い方)
みなさまにお力を貸していただけたらとても嬉しいです。とても嬉しいと言いますか、これは不謹慎な言い方なのかもしれないのですが、なんだかとっても『楽しい』です。良いことも、悪いことも、楽しみながら取り組むことができるのではあれば「きっと、すべては遊びになる」のではないのかなと、私は希望を感じています。以下に、ごちゃまぜの家を救うゲームの参加方法を、小生、僭越ながらご説明させていただきます。
1・最寄りの宝くじ売り場に行きます。
2・店員さんに「第283回(これ大事!今回はこれでいきます!)のロト7を一口買いたいのですが、はじめてなので要領がわからないので、お手間ではありますが買い方を教えていただけないでしょうか」と誠意を込めて伝える。
3・(宝くじ売り場のひとはめっちゃいいひとが多いから)店員さんに買い方を聞く。
※※※ 私からも説明をさせていただくと、ロト7とは、マークシートみたいな紙に1〜43まで番号が買いてありますので、そのなかから自分がピン!と来た7つの数字を塗り潰します。そして、塗り終わったら店員さんに渡します。その時、料金を払います。一口三百円なので、三百円を払うことになります。 ※※※
4・自分の好きな番号を7つ、念をこめまくって選びます。そして塗りつぶします。この時に込めた念が、思いが、全身全霊の祈りが、もしかしたら、ごちゃまぜの家の窮地を救うことになるかもしれません!きゃー!是非、ここぞとばかりに「うおらー!」と、森羅万象あらゆるエネルギーを総動員しながら数字を選んでいただけたら非常に幸いです。。
5・塗りつぶした紙を店員さんに渡し、三百円を払います。すると、店員さんが一枚の紙切れをくれます。その紙切れに、自分が選んだ番号が印字されています。これこそが『夢の引換券(当選した場合、必要になる紙)』になります。
ごちゃまぜの家からのお願いとしましては、この時に受け取った紙切れを、夢の引換券を、明日への光を、ごちゃまぜの家に郵送(もしくは実際に手渡し)していただけたら最高にうれしいです!!ということです!!
ああ、書きながらニュアンスをうまく伝えられないもどかしさ。。。
頑張って説明を続けます。まず、宝くじで苦境を脱そうとするあほさがとてもいいなあと感じています。こういう解決策が個人的にツボです。そして、もしも、もしも全国から宝くじが贈り届いてくることになるとしたら、それは『まるで流れ星が飛びまくっているみたいだ!』という風に思えること。自分のためではなく、誰かのために宝くじを買うという(祈りにも似た)尊さ。遠く離れている、まだ会ったこともない人々が、ひとつの企画を通じてつながることができるということ。悲壮感を漂わせながらではなく、楽しみながら問題に取り組めること。問題と仲良くなること。そして、このゲームに参加することで「結果が気になるから当選日までは生きよう」と思えること。それがそのまま『生きる希望』になるということ。など。もう、挙げたらキリがありません。
これだけのことをお願いしておきながら、我々にお返しできることはとても少ないです。郵送で贈っていただいた方には、まず、天仰ぎながら両手をあわせて死ぬほど感謝をいたします。そして、全身全霊であなたの幸福を祈ります。そして、簡単なお手紙程度ではありますが(そして字がめちゃめちゃ下手ですが)御礼のお手紙を書かせていただきます。電話がいいという方は、電話でお礼をお伝えさせてください。実際にごちゃまぜの家まで持って来ていただいた方には、全身全霊で握手をさせてください。そして「ありがとうございます」としっかり目を見てお伝えさせてください。ごちゃまぜの家の住所は以下になります。一緒に楽しんでくださる方のご参加をおまちしております!!
〒222-0012
坂爪圭吾(ごちゃまぜの家)
同時進行で「ロト7の結果発表を、ツイキャス配信すると同時に、ごちゃまぜの家まで来れるひとはみんなで一緒に結果発表を見守ろう!」企画を開催します。ロト7は、なんと、毎週金曜日が結果発表日らしいです。これは『毎週億万長者のチャンスがある』ということです(すごい!)。しかし、毎回開催をすることはないでしょう。今回の一回に賭けます。ごちゃまぜの家の散り際を、あたたかく見守っていただけたら幸いです。あと、もしも、もしも「家に使っていない切手が大量にあって困ってるの!」という方がおりましたら、ごちゃまぜの家に贈っていただけたら最高に嬉しいです。みなさまへの御礼に、ありがたく、平身低頭五体投地で有効に活用させていただきます!!
🌸🌸🌸 結果発表イベントはこちらです 🌸🌸🌸
🌸🌸🌸 ここでもロト7の買い方を話しています 🌸🌸🌸
わたり文庫『まっすぐ前 そして遠くにあるもの』
今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、銀色夏生著作『まっすぐ前 そして遠くにあるもの』です。素晴らしい一冊です。心が軽くなります。写真も美しいです。全女性に読んでいただきたいと思えるような、そして『全男性に、この本を女性に贈って欲しい』と思えるような、一輪の花のような大好きな一冊です。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。
※※※ こちらの本は、東京都にわたりました ※※※
朝になった
今日は何かひとつ、
初めてのことをしてみよう。
今
いつかじゃなく 今 やさしくしよう
楽しんでやりましょう
どうやって
それを楽しくできるか考えてみましょう
うれしそうだけど
なにかいいことしようとしてんの?
それともなにかたくらんでる?
文句を言う前に
文句を言う前に 立ち止まって考えよう
それは本当に悪いことか
こまったなあ
こまったなあって思ったけど
別にこまらなくてもいいか
待つことをやめよう
待っていたものは
もうここにあったと思うことにしよう
新しい人生
人が新しい人生に歩み出そうとするとき
っていいよね
未来会議
未来のことを会議しよう
楽しいこと
うれしいこと
こうなったらいいなと思うこと
現実を忘れて
ただ無邪気に夢想しよう
ごちゃまぜの家日誌もよろしくお願いします。
よっしゃーーーー!遅れを取り戻したー!
— ごちゃまぜ太郎 (@GochamazeKikuna) 2018年9月13日
9月13日の日誌です!どぅーぞ!🕊✨✨✨
【9月13日】家族を再定義する(さかつめ) - ごちゃまぜの家日誌 https://t.co/xi8LwPW88I
運を天にまかせるなら。
世界は心を写す鏡。自分の心が曇っていれば、世界も曇って見えるだろう。不信感、不安感を世界に投じるだろう。しかし、自分の心に光がさせば、途端に世界は輝きを帯びる。世界は常にそこにあるのに、自分の心理状態ひとつで、輝いて見えるときもあれば曇天に見えることもある。だからこそ、月並みな言葉になるけれど「世界は自分がつくっている」のだと最近は思う。言い方を変えれば、天国は1秒で作れるということ。世界は、自分の好きなように生きることができるのだ。
ここは天国にも、地獄にもなる。決めるのは自分。人生は苦行にも、責務にも、遊びにもできる。決めるのは自分。自由にも、不自由にも、幸せにも、不幸にもなれる。決めるのは自分。自分を狭い世界に閉じ込めることも、自分に広い世界を見せることもできる。決めるのは自分。決めているのは自分なんだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2017年10月23日
ごちゃまぜの家存続の危機を迎えた瞬間は、続くのも、終わるのも、自分はどちらでもいいと思っていた。変に固執をすることで、執着になってしまうことを恐れていた。しがみつかない生き方をしたいと思っていたからこそ、私は、常に「どちらでもいい」という道を選ぶ傾向にあった。しかし、どちらでもいいと思うもっと奥の方では、また別の感情があることを知った。それは「すべてのものが、いい感じで続いて欲しい」と願う思いだ。冒頭でも買いた通り、眉間にシワを寄せてまで、悲壮感や「自分はこんなに頑張っているのに!感」を漂わせてまで続けたいとは思わない。しかし、どのような状態に置かれても「楽しみながら、笑いながら『いい感じで』続けていける道を模索したい」という希望を捨ててはいけないのだと思った。
自分は必要のない人間だと感じた時、同時に、そんな自分でも「誰かの幸せを願うことはできる」と思った。愛するひとの幸せを願う時、心の空白は埋まる。さみしいとか、悲しいとか、しんどいとか、苦しいとか、「自分の」感覚が消える。愛とは、自分の命を、自分以外のものに注ぐ行為なのかもしれない。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2017年10月8日
ここまで考えた時、ああ、これは人間に対しても同じだと思った。 私は、すべての人々が『のびのびと、いい感じに生きることができる』世の中になればいいと思う。自分の尊厳を健全な形でたもちながら、競争ではない共創の社会(時折なら狂騒もOK!)。誰かに対して、健やかなやさしさをスッと差し出すことができる世の中。正義と正義で戦うのではなく、新しい遊び方を一緒に開発していくような世の中。働くということが、嫌なことでも我慢をする必要のあるものではなく「自分が好きなことを極める」「それによって誰かを笑顔にする」ものである世の中。そんな風になればいいと思う。自分にできることはたかがしれている。時には『祈ることしかできない』とさえ感じる瞬間もある。しかし、冷静に考えて見ると思う。祈ることしかできないのではない。我々は、祈ることができるのだ。どのような状態に置かれても、祈ることはできる。そのことを忘れてはいけないのだと思った。
本当に大事なことは、先延ばしにしないで、いまやらなくちゃいけない。何かを変えたいと思うなら、まず、自分から変わっていくことだ。自信があるからやるのではなく、自信がなくてもやる。嫌われてもいいから、失敗してもいいからやる。延命措置みたいな日々にお別れを告げて、いま、歩き出すことだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2017年12月8日
過去のことは過去のこと。毎日が、新しい人生のはじまりだ。 #atami #sunrise #lifeisgood
人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu
ひとりになるな。ひとりになったら死ぬ。
人生の財産とはなんだろう。金も名誉も豪華な家や車も、もちろん財産になり得るのだと思う。自分の場合、最高の財産は「一緒にめちゃめちゃやれる友達の存在」だと思う。一人でいると、どうしたって深刻になったり真面目に考え過ぎる。そんな時、友達の存在は教えてくれる。どうしたんだい、けいご坊や。どんな状態でも笑えるってことを忘れるな。俺達は、まだ、めちゃめちゃやれる年頃なんだよ。
なにかひとつの扉が閉まる時、必ず、なにかひとつの扉が開く。
— 坂爪圭吾 / BillyGyallow🏳️🌈 (@KeigoSakatsume) 2018年9月10日
ひとつのなにかが終わる時、私達は往々にして「閉まってしまった扉」ばかりを意識する。それでもなお、開かれた扉を感じ取る意思を『希望』と呼ぶのだと思う。
誰もいないところに、神様はいる。 - いばや通信 https://t.co/MangWG0nJD
ごちゃまぜの家存続の危機も極まってきた。諸事情が爆発して、運営資金がゼロに(プライベートも含めたら真っ赤っかに)なったのだ。油断をしていると「終わったな」と腹を切りたくなるが、否、これははじまりの合図である。いよいよである。ゼロになってからが正念場なのだ。これからは、金策的な日々を過ごすことになるのだろう。おそらく、近日中に労働を(5年ぶり位に!)再開することにもなる。時給というシステムは地獄だと思って怯え続けていたけれど、事情が事情である。のっぴきならないという古風な言語が、脳内をリフレインをしている。
諦めたら家でお昼寝だよ。
ごちゃまぜの家のコンセプトとか、理想とするあり方を説明することは難しい。いままでにないことをやりたいんだという思いからはじめたが、誰でも無料で使える家、誰でも無料で泊まれる家、誰でも無料でメシが食える場所である的な説明をすると「無料のゲストハウスってことですね」みたいな認識をされる。ちょっと違うのだけれど、しかし、なにが違うのかを説明できない。結果、誰も、ごちゃまぜの家がなんなのかを知らない。
金がないなら利用料を取ればいいじゃないかと言われる。レンタルスペースとして1日数千円で貸し出したり、民宿みたいにお金をとったり、ファンクラブみたいなコミュニティを作って会費を取ればいいじゃないか。と。しかし、どれもピンとこないからやらなかった。ごちゃまぜの家は「存在していることに価値がある」と思って存続を続けてきた。いままではそれでよかった。が、いよいよ運営資金が尽きた。存在しているだけではいいとは、なかなか言い切れないビターな状態に置かれている。さて、どうするのか。お前はどう生きるのか、が、問われているのだと思う。
今後の動きについてツイキャス配信で説明を試みた。結果的に抽象的な話に終始したが、少しでもごちゃまぜの家のあり方を把握してもらえたら嬉しい。私は、一泊いくらとか値段を決めて誰かに泊まってもらいたいとは思わない。あるひとは「一泊2000円とかとればいいじゃん」と言う。しかし、値段をつけると値段が全部になるみたいだから嫌だ。先日、ごちゃまぜの家に泊まった男性が「お世話になりました」という置き手紙と一緒に、二千円をテーブルの上に置いて帰った。同じ二千円でも、宿泊費が二千円と決まっているから払われた二千円と、宿泊費は無料であるにも関わらず「なんだかめっちゃよかったから二千円を置いて帰りたい!」と思って差し出された二千円では、金額は同じでも込められた意味はまったく異なる。形式によるものではなく「自発的にそうしたくなった」という、湧き上がる純粋な気持ち(通称・あふれちゃん)を大事にしたいのだと思う。
コミュニケーションがすべてである。
WEBサービスを活用すればいいじゃないかとも言われる。ファンクラブサイトみたいなものがある。有志が、月額、自分が払いたい金額を払ってサポートをするシステムだ。便利だな、とは思う。必要事項を入力して、払いたい金額を打ち込み、送金ボタンを押せば、わざわざごちゃまぜの家に足を運ばないでも(自分がいまいる場所から)活動をサポートできる。便利なシステムだとは思う。が、しかし、私は「なにか一番肝心な部分を、人間がやるべき部分を、機械が代わりにやってしまっているのではないか」的な気持ちを拭い去ることができない。では、一番肝心な部分とはなにか。それはコミュニケーションだと思う。
家がない生活をしていたとき、周囲から「無料で泊まれるカウチサーフィンとか、住み込みで働けるWWOOFのサービス(いわゆるマッチングサイト)を使えばいいじゃないか」と散々に言われた。しかし、私は嫌だった。需要と供給が一致をするから、とか、利害関係が一致をするから、という理由で取引を行うことに抵抗があった。繰り返しになるが、世の中が便利になるほどに「本来であれば人間が面と向かい合ってやるべき部分まで、機械が代わりにやるようになってしまっている」と感じることは頻繁にある。要するに、私は、コミュニケーションをとりたいのだと思う。利害が一致をするから一緒にいるのではなく、コミュニケーションをとることで(利害を超えたところで)一緒にいることができる、という、そういう関係性を求めているのだと思う。
そう思って活動を続けてきたのだが案の定資金は尽きた。想定の範囲内と言えば、想定の範囲内でもある。これは時間の問題である。無料でなにかを連日振る舞い続けていれば、やればやるほど赤字になる。当然のことだ。そこでどう動くか。それが問われている。まずは身近な方々に土下座をしてまわりたいと思う。「なにかしらのかたちでごちゃまぜの家に関わってもらえたらうれしい」とか「いままでよりも近い距離で、あなたと付き合っていきたい」みたいなことを言いながら頭をさげるのだと思う。運営資金は尽きた。しかし、ごちゃまぜの家を終わらせるつもりはまったくない。合言葉は『Remember JOE(新島襄を思い出せ)』である。誠心誠意があれば道は開ける。要するに、純度が問われているのだと思う。
わたり文庫『ちいろば先生物語』
今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、三浦綾子著作『ちいろば先生物語』です。近年稀に見る半端ない名著です。実在する牧師の尋常ならざる生涯を綴り尽くしたこの一冊。読めば確実に希望と勇気を感じ取ることになるでしょう。小生、この本を読み、生きうる限り生きて自分の最善を尽くして死にたいのだと、思いを新たにいたしました。奇跡は起こり得るのでございます。自分が置かれている苦境なんてちっぽけなものだと、生きる力をいただきました。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。
※※※ こちらの本は、東京都にわたりました ※※※
神に従うとは、自我を捨てることや。
ごちゃまぜの家日誌もよろしくお願いします。
ひとりになるな。ひとりになったら死ぬ。
税務申告のミスと言えばいいのだろうか、いろいろあって現在の私は(無収入の身でありながら)毎月の保険料を6万円くらい払わなければいけない状態にある。健康保険を停止することも考える。最近、寒暖差の影響なのか体調不良でのどが痛い。カラダが弱ると弱気になる。自分のような人間は、体力がなければ生きていけない。カラダは資本だとガチで思う。健康を失ったら即刻退場である。同時に、精神面のケアも必要だ。何事も自分ひとりで背負いこまないこと。新潟生まれの我々には「ひとりになるな。ひとりになったら死ぬ」という危機感(というか弱さ)が人一倍ある。
状況だけみたら結構悲惨なのだが、同時に、この状態を楽しめている自分も感じる。「また、はじまったな」と思っているこの感覚。過去に家のない生活を2年間続けた。あのときの感覚と少しだけ似ている。苦境は好機だ。渦中にいるときは結構しんどいが、振り返って見ると「あのときの苦境が、自分の、人間としての器を大きくしてくれた」ことは頻繁にある。大事なことは希望とユーモア(あとは感謝)を見失わないことだ。どのような状態に置かれても、心は自由に遊ばせること。そして「どんな未来になったら嬉しいかな??」と、無邪気に空想を膨らませる余白を、胸に抱き続けること。
腹をくくったからかなんなのか、体調も悪いしカネもないけどこころは晴れ晴れとしている。なるようになる。否、人生はなるようにしかならないのだから、すべては神にお委ねをして、迷わず、恐れず、自分なりの最善を尽くすばかりである。では、最善とはなにか。私はクリスチャンでもなんでもないけれど、それは『神の愛を伝える』と言う言葉で表現をするときにしっくり来る。俺の愛ではない。俺の成功でもなければ、俺の功績でもない。自分を通じて神の愛を伝える(神の愛を伝える道具になる)ことである。みたいなことを書くと「坂爪圭吾の言うことは宗教じみていてキモい」などと批判も受けるが、もう、どれだけ笑われても平気である。自分には信じているものがあるのだから。あとはもう、それを貫くばかりである。
強さとはなんだろう。一人で生きる強さもあれば、誰かに助けを求める強さ、自分の弱さを認める強さ、さみしいときにはさみしいと言う強さもあるように思う。一人ですべてをなんとかしようとする強さは、多分、強さじゃない。それはただ、臆病なだけ。強さとは、自分を、他人を「信頼する力」だと思う。
— 坂爪圭吾 / BillyGyallow🏳️🌈 (@KeigoSakatsume) 2018年1月25日
人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu
誰もいないところに、神様はいる。
私には4歳年上の兄がいる。複数の著作を残しているため、ご存知の方も多いかもしれない。兄に対する尊敬を深めたエピソードがある。当時、まだ、知名度もなにもなかった兄は、地域センターのような場所を借りて毎週学習会を開いていた。しかし、どれだけ告知を重ねても、どれだけ精魂込めた準備をしても、最初の頃はおとずれるひとは0人だった。しかし、それでも兄は、まるで目の前に大勢の人々が集まっているときと同じように、たったひとり、誰もいない空間で講座を続けていたのだという。
自分にいいものを食わせてやれ。
— 坂爪圭吾 / BillyGyallow🏳️🌈 (@KeigoSakatsume) 2018年9月5日
自分にいい景色を見せ、自分にいい服を着せ、自分にいい音楽を聞かせ、自分にいい環境を整え、自分に快適な暮らしを与えてやれ。
自分のこどもを愛するように、自分自身の面倒を見ろ。
星に願いを。生活に祈りを。 - いばや通信 https://t.co/bAh228IDBD
兄が準備に傾ける情熱は、はたから見ていてもすごいものだった。大量の書籍を読み、家のなかをあちこち歩き、講座で話す予定の内容をぶつぶつぶつぶつ延々と繰り返す。その姿は、まるで自分の精神に見えない刺青を彫っているようにも見えた。誰も来ないかもしれない講座に、なぜ、これほどまでの情熱を傾けられるのかと私は不思議だった。しかし、同時に、心を打たれずにはいられないなにかを感じていた。結果、兄の講座には何ヶ月も来場者0人の日々が続いた。しかし、兄は、諦めることなく講座の準備を続けていた。
生き甲斐となりえるもの。
三日間、熱海で無料【0円】の食堂を開いた。誰も来ないかもしれないという不安も抱きながら、同時に、誰も来なくても構わないという思いで実験的に開催をした。兄の影響も大きかったのかもしれない。量的な価値以上に、質的な価値を大事にしたい。結果、三日間でそれなりの数の人々と会うことができた。大阪からはるばる新幹線で来てくれたひともいた。参加できない代わりに「これをみんなで食べてください」と、小包を郵送してくれた方もいた。ひとの優しさ、まごころのようなものに触れると心が打たれる。いろいろなことを感じたが、総じて「熱海食堂をやってよかった」と思った。
愛に生きるひとは、相手に感謝されようとされまいと、相手の生のために自分が必要とされていることを感じるときに、生きるはりあいを強く感じる。これまた反響への欲求の大きな満足であろう。そういう意味では、親は子に感謝しなければならないわけである。ひとは自分が世話になったひとよりも世話をしてやったひとのほうをこころよく思うものだ。(「生きがいについて」神谷美恵子)
熱海食堂に来てくれた方が、もっと、ひとりひとりがのびのびと生きられる世の中になればいいという思いを話してくれた。心理学者・神谷美恵子は、その著作『生きがいについて(みすず書房)』の中でこのように言う。「わざわざ研究などしなくても、はじめからいえることは、人間がいきいきと生きて行くために、生きがいほど必要なものはない、という事実である。それゆえに人間から生きがいをうばうほど残酷なことはなく、人間に生きがいを与えるほど大きな愛はない。」と。人間から生きがいをうばうことほど残酷なことはなく、人間に生きがいを与えるほど大きな愛はない。かみごたえのある言葉だと思う。凄い言葉だと思う。
「私が自分を中心にものごとを考えたり、したりしている限り、人生は私にとって耐えられないものでありました。そして私がその中心をほんの少しでも自分自身から外せることができるようになった時、悲しみはたとえ容易に耐えられるものではないにしても、耐えられる可能性のあるものだということを理解できるようになったのであります。」(パール・バック)(「生きがいについて」神谷美恵子)
生き甲斐となりえるもの。それはなんだろうか。思い浮かぶキーワードに『利他』というものがある。これは『奉仕』とも言い換えることができるかもしれない。私は、奉仕にも似た気持ちで熱海食堂を開催した。しかし、未熟な私は、すぐに「このひとには優しくしたいけど、このひとには優しくしたくない」という心理が働く。ひとといたいと思いながら、同時に、すぐにひとりになりたいと思う自分がいる。まだまだだなと思う。ただひとつ、思うことは「ひとはひとによって疲れるが、ひとはひとによって元気になる」ということだ。だから、私は、懲りずにこのような活動を続けているのだと思う。
わたり文庫『思うとおりに歩めばいいのよ』
今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、ターシャ・テューダー著作『思うとおりに歩めばいいのよ』です。言葉も素晴らしいですが、なにより掲載されている写真が素晴らしいです。理想とする生活を過ごすことは、そんなに難しいことなのだろうか。ただ、自分が、自分に「好きなように生きる」ことを許可することさえできれば、実は、いますぐにでも実現することができるのではないだろうか。と、そのようなことを思いました。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。
※※※ こちらの本は、大阪府にわたりました ※※※
みんなが本当に欲しいのは、物ではなく心の充足です。幸福になりたいと言うのは、心が充たされたいということでしょう。わたしは、ここの何もかもに満足しています。家にも庭にも、動物達にも天気にも、バーモントのすべてに。
家族でおもしろ半分に、スティルウォーター教という宗教を作りました。スティルウォーター(じっと動かない水)と名づけたのは、ストレスのない平安な生活を信捧する、という意味。スティルウォーター教徒は、生活を楽しみます。重荷にしてはいけません。第一の戒律は、フラ・ジョバンニの言葉「世の中の憂鬱は影に過ぎない。その後ろ、手の届くところに喜びがある。喜びをつかみなさい」
これまで、よくやってきたと思いますが、みなさんにお伝えするようなメッセージはありません。もし、わたしに人生哲学のようなものがあるとすれば、ソローの言葉がいちばんよく代弁しています。「夢に向かって自信をもって進み、思い描いた人生を生きようと努力するなら、思わぬ成功を手にするだろう」まったくそのとおりです。この言葉は、わたしの人生そのものです。
ターシャ・テューダー『思うとおりに歩めばいいのよ』【メディアファクトリー】
ごちゃまぜの家日誌もよろしくお願いします。
はい!5日目!更新しました!
— ごちゃまぜ太郎 (@GochamazeKikuna) 2018年9月6日
9月30日(日)にはわたり食堂【0円食堂】@GOCHAMAZE no IEも開催します。ごちゃまぜの家を気にかけてくださっている方は是非・・・🔥✨✨✨https://t.co/7DU69YUQ0r
【9月5日】涙ちょちょぎれる手紙(さかつめ) - ごちゃまぜの家日誌 https://t.co/vVHyAZr8hG
誰もいないところに、神様はいる。
ごちゃまぜの家が活動を続けて居られるのも、周囲の人々の支えによるところが大きい。ごちゃまぜの家管理人を無償で務めてくれている稲村彰人の存在や、仕事で疲れているにもかかわらず惜しみない献身を捧げてくれるよしえさんの存在。ごちゃまぜの家の住人の方々や、管理などの負担を請け負ってくれる不動産の方々。様々な手土産などと一緒に足を運んでくれる方々や、家の掃除や料理などを手伝ってくださる方々や支援者の方々。そしてもちろん、いま、この記事を読んでくれているあなた(そう、目の前のあなた!)の存在。
「わざわざ外面的に変化の多い生活を求めなくとも、じっと眺める眼、細かく感じとる心さえあれば、一生おなじところで静かに暮らしていても、全然退屈しないでいられる。エミリー・ブロンテは一生同じところで変化に乏しい生涯を送ったが、あの烈しい情熱と波瀾に富む「嵐が丘」を創り上げる心の世界をもっていた。」(「生きがいについて」神谷美恵子)
実は今、1年数ヶ月活動を続けて来たごちゃまぜの家が、存続の危機に瀕しています。詳細はまだちょっと書けないのですが(時が来たら書きます!)、この記事を読んでくださっているあなたに祈りのお願いをさせてください。みなさまにとって必要なものであれば続き、必要とされなければ終わるまでのこと。そう思って、ごちゃまぜの家の活動を続けて来ました。いま、ちょっとした危機に瀕しているごちゃまぜの家が、続くべきものならば続くことを、滅びるべきものならば滅びることを、坂爪圭吾というひとりの人間が、つまらない保身のために生きるのではなく、真理のために生きることができるように、祈っていただけたらうれしいです。
「ひとは死が無理に断ち切るであろうもろもろの絆を、あらかじめみずからの心のなかで断ち切ることを学ぶ。それができれば、その瞬間に身もかるがるとする。そしてひとびととの残るわずかの共存期間は、その覚悟ゆえにいっそうその内容のゆたかさを増す。」 (「生きがいについて」神谷美恵子)
あるかないかわからないものより、目に見えるものにひとは集まる。自分自身もまた、それによって惑わされる。もし、お金を稼ぐ講義と、精神性を磨く講義があれば、ひとは前者の講義に集まるだろう。美しくなる講義、異性から好かれる講義に、目に見える結果が期待できる講義に、ひとは集まるだろう。でも、私は、見えないものを見る力を養いたい。収入の大小、集客の大小より、質的な大小を問題にしたい。誰もいない空間で、誠心誠意を込められる人間になりたい。見るひとがたくさんいるとか、それだけじゃない。そこに、どれだけ自分の誠意が込められているか、そこに、どれだけ見えないものを見ようとする意思を込めることができるか、が、そこにある聖性を導き出すことになるのだと思う。誰もいないところに、神様はいる。誠心誠意を込めることによって、道は開くのだと思う。
道に迷った時は、損得感情じゃない、自分のこころが「美しい」と感じる道を選ぶこと。自暴自棄にはならないこと。希望が消えてなくなる前に、残された時間に最善を尽くすこと。品位をもって、勇気とユーモアと落ち着きを忘れないこと。どのような生き方だとしても構わないから、胸を張って生きること。
— 坂爪圭吾 / BillyGyallow🏳️🌈 (@KeigoSakatsume) 2017年7月13日
親愛なる坂爪さんへ
こんにちは!先日はごちゃまぜの家にお邪魔しました。
坂爪さんにお会いできてとても嬉しかったです!
ごちゃまぜの家の素晴らしさは、あの場所へ行った人にしか理解し得ないものだと、本当に心底ド肝を抜かれた気持ちです。(あぁ〜どうしても気持ちを言葉にできない!!!もどかしさで悶えます💧)
まず、菊名の駅からごちゃまぜの家に辿り着くことがあれ程困難とは思いませんでした。地図にはあるのに、行けない!?と同じ道を行ったり来たりしました。なんんだか、ごちゃまぜの家の守り神さまに〝お前はここへ来られるか?〟と試されているような気がして笑えました。
ああ、これはきっと、目だけ頭だけで探すな、ということだと気づきまして、一生懸命Googleマップで探している同行者の放置して(○○さん、ごめんなさい!!笑)、こどもと2人で風を辿りました。〝神さまがいるとしたら何処だろう?〟そう思って見上げた先に、鎮守の森のような不思議な空間を感じました。それがごちゃまぜの家だったんですね。何と言うか、まるで下界から天界を見上げているような感覚でした。
一段一段、階段を踏む度に、
生きていて良かった!
生まれて来て良かった!!
ここへ来れて良かった!!!
そんな喜びに満たされていきました。
暑くて汗は吹き出し、歩き回って息はあがっているのに、この上なく幸せな気持ちに包まれていたんです。そして数時間ですが、滞在させていただいて、初めてお伺いしたお家にもかかわらず、懐かしくて、優しくて、安心できる、おっきな〝おかあさん〟に抱かれて守られている子供のように、たくさんの愛をいただきました。このような経験は生まれて初めてでした。(わたしはこの世に生まれてから、極々最近まで、愛されたと感じた経験がなく、愛するということも理解できずに生きてきました。)
こどもという素晴らしい命を預かって、愛するということはどういうことだろう・・・?と日々思い巡らせてきましたが、ごちゃまぜの家はそのままのわたしを受け入れてくれました。彰人さんも、坂爪さんも、ただ、そこに居てくださいました。
「何もありませんが」と坂爪さんはおっしゃいますけど、わたしはそうは思いません。
ごちゃまぜの家には、余分なものは何もないかもしれないですが、優しさや赦し、受け入れてもらえる安心感、そのまんまありのままでいいんだと思える勇気、そういった生きていく上で大切なものが全てそこにある気がします。偉大なる母のようです。
逢初庵は(まだお伺いしたことないですけど)偉大なる父のような気がします。ごちゃまぜの家はどんな人でもそのまま受け入れてくれる空間で、逢初庵は誰でも行って良い空間ではないというか、畏敬の念を持って粛々と訪れる空間のような気がします。きっと逢初庵の方から、訪れる人を選ぶのかもしれません。(勝手な想像ですけど。笑)
次回は逢初庵に受け入れていただけるよう、日々やりたいことをやりたいだけやって、今日を生きようと思います!!最後になりましたが、わざわざタイミングを合わせてくださって、帰りは駅まで送っていただいて、本当にありがとうございました!!
どうぞ坂爪さんとごちゃまぜファミリーのみなさまに神のご加護がありますように!!
お祈りしています!
それでは。また。
〇〇
崇高な道を選べば、必要なものは与えられる。#atami #rainbow #lifeisgood
人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu
星に願いを。生活に祈りを。
人間も天気もきっと同じだ。晴れの日もあれば、曇りの日もある。それを「晴れじゃないといけない!(いつも元気でいなければ!)」などと思ってしまうから、自責の念が生まれたり、自分を取り繕ってみたり、誰かと比べて自信をなくしたりするのだろう。生きている限り、雨の日もあれば、嵐の日もある。でも、それは悪いことではない。あがる日もあれば、さがる日もある。それが自然だ。それが『当たり前のこと』なのだと思う。
死なないために生きるのではなく、命を、自分を燃やし続けるために生きたいと思う。
— 坂爪圭吾 / BillyGyallow🏳️🌈 (@KeigoSakatsume) 2018年9月2日
自分のために生きることと、自分以外のために生きることが、一致する瞬間を生きたいのだ。
生き延びようと思うから苦しくなる。死ね。 - いばや通信 https://t.co/C988EE5x8f
ここ数日、体調不良で寝込んでいた。失って気付く。健康は資本だ。病床で『かもめ食堂』を読んでいた。大好きな小説だ。北欧に足を運びたくなる。この「なにかをしたくなる」という透明で前向きな気持ち、ああ、これが希望だなと思った。生きていればまた北欧に足を運ぶことができる。そう思うことが『生きる力』になる。希望がなければ、多分、体調不良も治らない。同時に、もうひとつの希望が生まれた。かもめ食堂を読んでいたら「熱海食堂をやりたい」という思いが、自分の内側からふつふつと湧き出した。
熱海食堂開催のお知らせ
私は料理が不得手である。が、自作のあずき玄米と、自作の味噌汁は「なぜか最高にうまい!」と絶賛していただけることが多い。これに気を良くした私は、ああ、別に豪華な料理は出せないけれど「あずき玄米と具沢山の味噌汁とつけあわせの一品」程度の素朴な飲食店ならばできるかもしれない、などと思った。お客さんからお金をとると『営業』ということになるので各種届け出が必要になるけれど、すべてを無料で振る舞い続けている限り営業許可を出す必要はない(だって、営業をしていないのだから)。
それならば、一回試しにやってみよう。ということで、熱海駅徒歩20分の逢初庵で『熱海食堂』を期間限定で開催することに決めました。基本的なメニューは「あずき玄米と味噌汁となにか一品」という素朴極まりない内容になります。あとは、家にあるお茶や珈琲を出す程度しかできない飲食店になります(お金をとらないからお店とも言えない。これは『おままごと』みたいなものだと思う)。こういうやり方、もしかしたら、自分以外にも「やりたいと思っていた!」みたいなひともいるのかもしれない。そういう人と出会えた時は、逢初庵を常時開放して「常に誰かが料理をしている無料で飲食できる空間」みたいな感じで、機能をしたりするのかなあなどと夢想をしています。
お金さえ取らなければすぐに開業できる。すぐに夢をカタチにできる。これはちょっとした発見だと思った。無料でやれば、数日後には夢を叶えられるのだ。熱海食堂では、話したいひとは話し、読書をしたいひとは読書をし、昼寝をしたいひとは昼寝をする。家でもあり、カフェでもある、止まり木のような空間だ。逢初庵の近くには、伊豆山神社や走り湯温泉浜浴場もある。熱海食堂は肌にあわなかったとしても、伊豆山神社に行き、温泉に入り、海を見て帰る。それだけでも結構なリフレッシュになると思う。あとはもう『実際にやりながら考える』道を選びたい。仲間が増えたらうれしいと思う。が、まずは自分から。興味のある方は、どなた様でもお気軽に遊びに来てください。
熱海食堂(実験開催!)
日時・9月7日(金)から9日(日)10時〜18時頃
場所・逢初庵(あいぞめあん)
JR熱海駅より徒歩20〜30分。熱海駅前4番バス乗り場から乗車5分・バス停「岸谷」から徒歩3分程度。駐車場がありませんので、各種公共交通機関をご利用ください。
参加費・無料【0円】
初開催になるために諸々の不手際が予想されます。根本的に「やりながら考える!」スタイルを採用しておりますため、そういうあり方を歓迎してくださる方々のお越しをお待ちしております。場合によっては品切れになっている可能性もございます。その際は「ま、いっか!」と軽く受け流していただけましたら幸いです。
遠方からお越しになる方々など、逢初庵に宿泊をしていただくことも可能です(無料)。だがしかし、その際は庵主・坂爪圭吾と同部屋で雑魚寝という形式になりますため、宿泊希望者の方に限りましては、事前にご連絡をいただけましたら幸いです。お風呂もあります。トイレもあります。
連絡先・坂爪圭吾(さかつめけいご)
LINE ID ibaya keigosakatsume@gmail.com
🌸🌸🌸 9月30日はわたり食堂【0円食堂】を開催します 🌸🌸🌸
わたり文庫『かもめ食堂』
今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、群ようこ著作『かもめ食堂』です。まだ読んだことのない方は是非!こころから是非!そして、過去に読んだことがある方も「もう一回読んで見たらまた違うよ!っていうか、同じ感動を再び味わうことができるよ!」と、坂爪圭吾は訴えます。私は読書が好きな方だとは思うけれど、毎回、素晴らしい本と出会える訳ではない。だからこそ、素晴らしい本との出会いは「まじでうれしー!」という気持ちになります。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。
※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※
「ああいうのもいいけど、本当に人が食べる毎日の食事って違う」
それがサチエのテーマになった。母が漬けていた糠味噌漬けもひきついだはいいが、どんどん味が悪くなっていって、あせった時期もあった。それでも試行錯誤して糠床に昆布を足したり、ときには魚の頭もいれたりして、何とか元に戻した。
「私、おいしい御飯とお新香とお味噌汁があれば、何もいらないな」
と学校でいったら、
「おばあさんみたい」
と笑われた。サチエにとっての究極の食事はこれだった。研究がてら、いろいろな店で食事をしても、素材を油や調味料でごまかしているものが多くて、サチエにとって濃い味付けが多かったが、クラスメートはそういう味の濃いものを、おいしいと喜んで食べていた。みんな薄味よりも濃い味のほうがずっと好きで、食物科に通っていながら、自分の食事はいつもカップ麺という子さえいた。
「華やかな盛りつけじゃなくていい。素朴でいいから、ちゃんとした食事を食べてもらえるような店を作りたい」
自伝風物語もよろしくお願いします。
新連載!ホームをモアした話(1)を更新しました。
— 坂爪圭吾 / BillyGyallow🏳️🌈 (@KeigoSakatsume) 2018年9月3日
ホームをレスした男が熱海と横浜にホームをモアする経緯を綴りました。現在進行形のおとぎ話です。是非、みなさまも物語に遊びにいらしてください。
ホームをモアした話(1)|坂爪圭吾 @KeigoSakatsume|note(ノート) https://t.co/pzEEWMQPnJ
新連載!嬉しいです😆💕
— 慧茄 (@ENA_Phantom) 2018年9月3日
坂爪さん、ありがとうございます! https://t.co/UTbSZzHTNu
ホームをレスした話(全18話)を終え、たと思ったら「ホームをモアした話」がスタート。この男、ジョイフル!
— 嘉向徹の身体ありがとう。 (@toru_kamuki) 2018年9月3日
圭吾はんちばりよー! https://t.co/FHJvWn59Vi
ごちゃまぜの家日誌も(現時点では)毎日更新中!
大変ご無沙汰しております、管理人の稲村彰人でございます。
— ごちゃまぜ太郎 (@GochamazeKikuna) 2018年9月3日
このたび私の方からは、ごちゃまぜの家に関する、皆さまからよく頂戴する質問とその私なりの回答をまとめさせていただきました。。
お時間のあるときに、どうぞご一読くださいませ。。。https://t.co/FtFwLSfjuN
家、あたたかな循環が生まれる場所。
横浜在住のN様から「未使用のホットプレートをあげます」とご連絡をいただき、N様のご自宅にお邪魔をした。私の生活はいただき物で成り立っている。本当にありがたいと思う。感謝の思いを伝えると、N様も「ありがとうございますはこちらの方です。けいごさんとお会いするようになってから、私の生活も大きく変わったんですよ。いままでは自分の手料理に自信なんてなかったけれど、わたり食堂に参加をしてから、誰かに自分が作った料理が食べてもらえることとか、美味しいと言ってもらえることの嬉しさを知りました」とのこと。私は、ああ、素晴らしいなと思った。N様は続けて話す。
・・・ それからというもの、元気をなくしている友達がいたら「うちに来て、ごはんでも食べていきなよ」って声をかけるようになりました。私はあんまり頭がよくないから、具体的なアドバイスを与えることはできないけれど、あたたかいごはんを食べさせてあげることはできるなあって。それと、私は、昔から父親との関係があまり良くなかったのですが、母親が病気になり、実家に手料理を届けるようになったんです。すると、料理を通じて父親との会話が生まれたりして、悪くなっていた関係がゆっくりと修復されつつあるというか。料理を作ることを通じて、静かに、穏やかに、たおやかに、前向きに自分の生活が変わっていることを実感しています。
素晴らしい話だと思った。なんだかすごいよくわかるなあと思った。ごはんを食べさせると言うことは、極端に言えば「お前はもっと生きろ」と(言葉ではなく料理を通じて)伝える行為なのだとさえ思った。同じ釜の飯を食う。それだけで、言語を超えた繋がりを生むことがある。古臭い考え方かもしれないが、私は、そのように思う。何か特別なことをしようとするより、何か特別な人間になろうとすることより、いま、目の前にいるひとに自分ができる精一杯の優しさを示そうとすること。それが、相手のためだけではなく、結果的に「自分のために最上のことをしている」ことは頻繁にある。粗雑な暮らしは粗雑なこころを育み、丁寧な暮らしは丁寧なこころを育む。生活を愛すること、世界を愛すること、自分を愛すること、誰かを愛することは、同じことなのだと思う。
なんとかするより『なんとかなる』のが人生だ。自分だけの力じゃない、無限の網の目の中で『なるようになる』のが人生だと思う。だから、困ったことが起きても、別に困らなくてもいいのだと思う。自分を閉ざす必要も、後悔する必要もない。肩の力を抜いて、安心して、身を委ねていればいいのだと思う。
— 坂爪圭吾 / BillyGyallow🏳️🌈 (@KeigoSakatsume) 2018年9月2日
人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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生き延びようと思うから苦しくなる。死ね。
特別なゲストがやって来る。精一杯のおもてなしをしたい。そう思って食料品の買い出しにいく。しかし、自分はまったく料理ができないことを思い出し、食料品売り場で泣きそうになる。人間がもっとも惨めさを感じる瞬間、それは「自分が大事だと思うひとに、自分が、なにも力になることができないこと」を突きつけられた瞬間だと思う。しかし、自己憐憫にひたっている場合ではない。そう言えば、前に「きゅうりをジップロックにいれて塩で揉むだけで一品できますよ」と聞いた。ので、きゅうりを買った。
生きているだけでいいんだよ。それ以外はおまけだよ。
— 坂爪圭吾 / BillyGyallow🏳️🌈 (@KeigoSakatsume) 2018年8月29日
金銭、結婚、名誉、功績、そういうものの全部はおまけ。それがないからと言って、生きる価値がないとはならない。人間の価値は、そんなものでは傷つかない。
屈辱をバネにするな。よろこびで飛翔しろ。 - いばや通信 https://t.co/7gq9zJZbVG
俺はきゅうりにすべてを込める。ということで「おいしくなあれ。おいしくなあれ」と念じながらきゅうりを揉んだ。ら、結構おいしい漬物ができた。自分にもできた。それが最高にうれしかった。あとは酵素玄米と納豆と鯖缶とちょっとした既製品と味噌汁(味噌汁だけは最高にうまいものが作れる)をお出しした。器とか、盛り付けとかにもこだわった。ら、なんだかすごいよろこんでもらえて幸せを感じた。料理をしながら「おいしくなあれ。おいしくなあれ」と念じる習慣のあるひとを、私は、愛している。
お客様満足なんてクソだ。
昔、料理教室の先生みたいなことをしていた。そのくせ、いま、まったく料理ができない。家ではいつも酵素玄米を炊いて、卵と納豆で食べている。別に菜食主義ではないが、肉や魚を使わないと「食器洗いも水だけで済む」ことがわかり、包丁さえも使わない生活に突入した。そんな日々を五年くらい過ごしていたら、料理の知識は全壊した。
料理教室の日々は楽しかった。しかし、いつの間にか私は「お客様は楽しんでくれているだろうか」ということばかりを気にするようになってしまった。お客様が楽しんでくれてはじめて自分も楽しむ(安心する)ことができる。しかし、お客様が楽しんでいない風に見えると、自分のよろこびはゼロになるばかりかマイナスになる。と。しかし、ある時「こんな生き方はクソだ!」と強烈に思った。「なんという他人軸!なんという保守的な生き方!これはやばい!なにかが違う!そもそもで俺は料理大好きってキャラでもないぞ!作るより食べる派じゃないか!ただ、楽しいことがやりたかっただけなのだ!料理はそのうちのひとつに過ぎないのだ!それなのにこのザマはなんだ!あほか!俺が楽しませたいのは他の誰でもない、自分自身なのだ!そう、自分が100楽しんでいたら、お客様も80くらいは楽しんでくれるはずだ!お客様ファーストでは順番が逆なのだ!自分ファーストこそが我が命なのだ!お客様満足なんてうんこだ!他人軸はうんこだ!生活のために生きるなんてうんこだ!ぎゃー!」みたいなことを痛切に思った。ので、料理教室をやめた。
このような罠に陥ることはいまでも頻繁にある。いつの間にかお客様ファーストとか関係者ファーストみたいなことになって、あっという間に自分の本音を見失う。やがてすべてが面倒臭くなり、やがてすべてを投げ出したくなる。その繰り返しだ。罠にはまったとき、私は、伝説のアニメ『おぼっちゃまくん』を鑑賞するようにしている。おぼっちゃまくんの在り方は超絶参考になる。私を地底から引き上げてくれる。彼はカメに乗っている。厳格な父親から「ゆっくりいけ じっくりやれ カメに乗れ」という教育を受けたからだ。最高の教育だ。おぼっちゃまくんを見ていると思う。『人生とは、自分を楽しませることである』ということを思う。自分を楽しませることができたとき、その余剰として、よろこびのおすそ分けができるのだと思う。
わたり文庫『光あるうちに』
今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、三浦綾子著作『光あるうちに』です。生き方に迷うことしきりではありますが、金はなくても生きていける、家はなくても生きていける、理解者はなくとも、五体の自由を失っても、病気を抱えても、生きていくことはできる。しかし、信仰というものをなくしたら、自分は生きていくことができないように感じています。日本人の多くは無宗教だと言いますが、多くの人々は、自分なりの『自分教』みたいなものを胸に抱えているものだと思います。それを思い出させてくれる、お守りのような一冊です。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。
※※※ こちらの本は、福岡県にわたりました ※※※
わたしは、まる十三年療養したが、一時期つくづくと自分は廃品同様の人間だと思ったことがある。ただ臥ているだけである。食事の用意をしてもらい、便器をとってもらい、洗濯をしてもらう。医者代薬代はかかる。心配をかけるだけで、一向に病状はよくならない。自分が家にいるために、父母も弟たちも気持が暗いだけじゃないか。あと五年たったら治るのか、十年経ったら治るのか、見当もつかない。いつ死ぬのか、それもわからない。こんな自分が生きていてよいのかどうかと、つくづく考えずにはいられなかった。
(つまりは死んだほうがいいのだ)
そんな気持だった。そのわたしに、
「生きるというのは、権利ではなく、義務ですよ」
と教えてくれたのは、幼馴染のクリスチャン前川正だった。生きるより死んだほうが楽な状態において、
「生きるのは義務だ。義(ただ)しい務めだ」
と言われた時、わたしははっと立ち直らせられる思いだった。
この廃品的存在のわたしが、前述したとおり、いつしか人々の訪問の絶えない、人に必要とされる存在になってしまった。全国各地にペンフレンドも与えられた。その中には、福岡、小菅、仙台の拘置所にいる死刑囚や、また牧師、宣教師たちもいた。わざわざ東京から旭川まで見舞に来てくれる友もいた。
物品は廃物となっても、人間は決して廃物とはならないのだ。わたしはそのことを、廃物同様の自分の体験から知らされたのだ。
ごちゃまぜの家日誌もよろしくお願いします。
生き延びようと思うから苦しくなる。死ね。
— 坂爪圭吾 / BillyGyallow🏳️🌈 (@KeigoSakatsume) 2018年9月1日
という訳で、今宵から「改めて家にあるものを無料大開放する期間」に突撃します。飲食無料、宿泊無料、興味のある方は遊びにいらしてください!!
GOCHAMAZE no IE
横浜市港北区富士塚2丁目24-5
ごちゃまぜの家のコンセプトhttps://t.co/zOyJD6xm25
9月になりました!みなさま!
— ごちゃまぜ太郎 (@GochamazeKikuna) 2018年9月1日
ごちゃまぜ太郎は「9月は、毎日ブログを更新する!」という太郎らしからぬ目標を定めてふんがふんがしております。まずは第一弾・・・続くかな・・・ご覧ください!!🕊✨✨✨
【9月1日】今日の日記(さかつめ) - ごちゃまぜの家日誌 https://t.co/FdzKDaKi0z
な、な、なんということでしゃう。。
— ごちゃまぜ太郎 (@GochamazeKikuna) 2018年9月1日
ごちゃまぜの家第2弾が新潟の佐渡島(日本のビッグアイランド)にできようとしているだなんて・・・!!掃除の為に佐渡島に行きたいッ!!
み、み、み、みんなぁ〜!!
【9月1日】今日の日誌深夜版(かむき) - ごちゃまぜの家日誌 https://t.co/yhnWCk5uMz
生き延びようと思うから苦しくなる。死ね。
熱海と横浜の家を往復している。いまは横浜にいる。どちらの家も「これからどうしていこうか」という問題を抱えている。横浜に関して言えば、シェアハウス部分が4室あるものの、9月いっぱいで出られる方がいるために空き室が3部屋になる。シェアハウス部分に住んでくれる方々がいることによって、ごちゃまぜの家は家賃無料ということになっているため、これから新規入居者を募集する形になる。しかし、私は、管理維持活動が極端に苦手で、家賃のかからない家をやりたいはずだったのに「いつの間にか家賃の問題で苦しみ始めている」自分の状態に、矛盾を感じたりして苦しくなっていた。
しかし、昨日、熱海から新横浜に向かう新幹線で吹っ切れた。私は「生き延びようと思うから苦しくなる。死ね」と思った。維持や持続や継続可能性を考えるから苦しくなる。それよりも初心である。すべてが無料の家がやりたかったのだ。採算を求めるのではなく、限定的なルールで縛るのではなく、ただ、一方向的に「自分はこれが素敵だと思います!」ということを実行する。すると、それが『みんなにとっても必要なものである限り』どこかから必ず「お前はもっと生きろ!」的な救いの手が差し伸べられることを信じる。だからもう、合理性を考える必要はない。これからのことを、これまでの常識で考えてどうなる。ダメならダメでいいじゃないか。初心に還れ。それでもダメなら土に還れ。新しい在り方に賭けたいのだろう。遠慮するなよ。好きなようにやりなよ。酸いも甘いも抱き締めて生きるんだよ。
という訳で、引き続きごちゃまぜの家は完全無料の出血大サービスを実行する日々に突撃しました。私は思う。人間にとっての無上のよろこびとはなんだろうか。それは「自分がやりたいと思うことと、世界が『お前にやってほしい』と思うことが、一致をした瞬間」のなかにあると思う。お客様満足なんてクソだ!とか、家賃のために生きるなんてクソだ!とか、そういうことを私は頻繁に感じてしまうけれど、なによりも『自分が生きていることが、周囲にとってもプラスに働いている』と心底感じられる実感が、生きがいとなり、生きる力になるのだと思う。なにもかも投げ出してしまいたくなることもあるが、本心は違う。なにかのために生きたいのだ。自分のために生きることと、自分以外のために生きることが、一致する瞬間を生きたいのだ。それがダメなら仕方がない。その時は野垂ぬまでのこと。死なないために生きるのではなく、命を、自分を燃やし続けるために生きたいと思う。
美大に行きたいと話す娘に、母親が「絵だけじゃごはんは食べれませんよ」と言っているのを聞いて、ああ、その時は死ねばいいのだと思った。やりたいと思うことをやって、食えなくなったのならば、その時は死ねばいい。絵の道を諦め、数年後に母親を恨む人生を送るより、よほど清々しいことだと思った。
— 坂爪圭吾 / BillyGyallow🏳️🌈 (@KeigoSakatsume) 2018年5月8日
遠慮するなよ。好きなように生きなよ。 #修善寺 #tree #august #lastday #lifeisgood
人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu