いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

まずは自分を救え。

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私には5歳年上の姉と、4歳年上の兄がいる。どちらも既婚でこどもも2匹ずついる。姉のこどもはオス5歳とメス3歳。兄のこどもはオス6歳とオス4歳。昨日、新潟の実家に一族全員が出揃った。兄の長男は名前を司(つかさ)と言う。我々坂爪一族は、なぜかしら「橋爪さん」と呼ばれることが頻繁にある。それに業を煮やした兄【坂爪真吾。最近の著作は「孤独とセックス(扶桑社新書)」 】が、名前は覚えてもらうためにあるということで息子に司と名付けた。さかつめつかさ。逆から読んでもさかつめつかさ。回文。これを聞いたときは「やるな、兄貴」と思った。

 

 

この司と、2年振りに再会した。私を見た瞬間、小学一年生の司は「わぁあ、ヒッピーだ!ヒッピーだ!」と私を指差して笑った。私のことが大好きなのだろう。私の降臨と共に「ヒッピー!ヒッピー!」と半狂乱になって走り回った。つられるように、他のこどもたちも騒ぎ出す。一体、司は、どこでヒッピーなんて言葉を覚えたのだろうか。私は「ヒッピーじゃねえし!」と軽い抵抗を示したあと、司にヒッピーとはなにかと問うた。ら、司は「えーっと、きたなくて、ばかで、ひとのものをぬすむひと!」と答えた。おいちょっと待て。きたなくてばかなのはお前も同じだろ。そう言うと、鼻水を垂らした司はうひょー!と叫んだ。 

 

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数十年の記憶と、三百年の記憶。

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左脳はロジカル、右脳はエモーショナル。よく聞く話だ。なぜ、司はヒッピーなんて言葉を知っていたのだろうか。兄夫婦も「そんな言葉は教えたことがない」と戦慄していた。人間には左脳と右脳がある。聞いた話では、左脳は「今世における記憶」によって物事を考えるが、右脳は「三百年規模で過去に蓄積された人類全体の脳みそ」的な働きがあるらしい。司がヒッピーという言葉を知っていたのは、過去生の影響なのだろうか。こどもといると右脳が働く。動物にも同じ効果があるらしい。おとなの世界は左脳の世界だ。左脳ばかりが働いていると生きることに疲れる。まずは左脳を殺さナイト。

 

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愛するムラキテルミさんがブログ記事を書いてくれて幸せです。先日、関西在住の巫女様から「あなたはインディゴチルドレンなの」とのお触れをいただき、晴れてさかつめけいんでぃごとなった私は、ムラキテルミさんをインディゴマザーと呼んでいる。いままでは緊張しすぎてムラキさんの奴隷みたいなポジションを能動的に選んできたけれど、これからは末っ子気質を存分に発揮して生意気なこととかも言っちゃうキャラで行きたいと思った。あくまでもフェアなお付き合いをしたいと思ったのだ。が、実物のムラキさんを目の前にすると「このひとには敵わない。。」と思って服従してしまう。ムラキさんは、パワフルで、可愛い。男は、本質的に「女性の尻に敷かれたい」生き物なのかもしれない。

 

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どうでもいい話をしていると元気になる。上記ツイキャスから「スプーンの話」だけでも、めちゃ暇な時に聞いていただけたら嬉しいです。有名になりはじめると「そんなこと言ってねえし!」みたいな風評被害が露骨に増える。最近、私に関するデマが蔓延した。人間は弱い生き物だ。目覚めの占いで「あなたの今日の運勢は最高!」などと言われると絶好調になるが、運勢は最悪とか言われると(どれだけ占いを信じていないと言い張っても)どうしたって気に揉む。他人の言葉で、こんなにも簡単に気分の浮き沈みをするのが人間なのだろう。風評被害を受ける身として思ったことは「他人の言葉で決めるのではなく、自分の目で見て判断しよう」という、至極当たり前のことだった。言葉より、情報より、目の前の瞬間を大事にしたい。

 

Scenery in one's mind's eye

#kinokawa #bonfire #lifeisgood

 

綺麗なものを見るとあの人にも見せてやりたい気持ちになる。美味いものを食うとあの人にも食わせてやりたい気持ちになる。分かち合うということに、焦がれているのだと思う。#niigata #sunset #lifeisgood

 

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自然の中、テントの中にいると「何も心配をすることはない」と言われている感覚になる。不安になることをやめて、自分が暮らしたいと思う世界を想像すること。そして、想像したことを、創造していくこと。泣く道を選ぶこともできれば、笑う道を選ぶこともできる。笑う道を選びたいと思う。みんなが幸せになる方向で。 #vargo #hexagonwoodstove #lifeisgood

 

まずは自分を救え。

先日、ピアノの先生をやっているY様から「夏野菜カレーを食べに来ませんか?」と、ご自宅にご招待していただいた。Y様には常日頃からお世話になっている。私が酵素玄米にはまりたいと思っていた時期に、ラゴスティーナという高級圧力鍋をプレゼントしてくれた。ラゴスティーナはすごい。玄米が美味しく炊けまくる。驚きの25年保証である。それ以来、ラゴスティーナはごちゃまぜの家の家宝になっている。Y様には、私と同年代の娘M様がいる。Y様は、M様との関係性にちょっとした悩みを抱えていた。ので、今回は娘さんと一緒に我々三人で夏野菜カレーを食べるという感じの流れになった。

 

話すと長くなるのですが、結論から言うと娘のM様の言葉に偉く感動した。M様曰く「お母さんは、私との関係がどうのこうのって言うけれど、この前、お母さんがピアノの発表会の時に『いままでは先生としてちゃんとやらなきゃって思いがすごい強かったのだけれど、今回は、なによりも自分自身が楽しみながら弾くことができた。こんなにもピアノを弾くのが楽しいと思えたことは、生まれてはじめてかもしれない。それがなによりもうれしかった』って話してくれた時期から、私との関係性もひらけて来たように思う。私との関係どうのってことより、お母さんが、お母さんの人生を楽しんでくれることが一番なんだと思う」とのこと。ああ、なんだかものすごいよくわかるなあと私は感動をした。

 

その話の直後、坂爪の恋愛観について「意気地が無い!」とY様&M様両者から軽いお説教のサンドイッチを受けたのちに、なごやかな雰囲気のまま食事会は終わった。楽しかった。私はテントに戻る。灯りをつける。本を開く。ページを開いた瞬間、素晴らしい言葉を見つけた。そこには『これ以上重い荷物を持って歩く必要はどこにもない。幻から解放されたとき、ありのままのあなたは女神そのものだと気づくだろう』と書かれていた。誰にも頼まれた訳でもないのに、勝手に重荷を背負って、勝手に潰れてしまうことは頻繁にある。しかし、その重荷は、もしかしたらまったく背負う必要のなかったものなのかもしれない。こうあるべきとされているもの、生きるうえでのカセのように感じるもの、それらを一旦取りはずしたあとに残る『自分自身』こそ、神聖で、崇高で、最上の美を備えたものになるのだろう。すべてのひとが、そのひとなりの輝きかたで輝くことのできる世の中になるように。世の中、などと言ってしまったが、世の中がそうなることを待つのではなく「まずは自分を楽しませること」「まずは自分を生きること」「まずは自分を救うこと」が、崇高な行為になるのだと思った。

 

 

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横浜が燃えている。。

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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元気なひとは、馬鹿なひと。

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元気なひとを観察してみると「馬鹿なひと」が多い気がする。自由に生きているひとは、それに触れたひとのこころまで自由にする。偽りの自由人は、別に、一緒にいても自由にはならない。偽りの自由人ほど「みんなもっと自由に生きたほうがいいよ!」とか言う。なんかいやだ。真の自由人(真の馬鹿)は、他人の生き方にああだこうだ言わない。自分の人生に忙しい。自分の人生に忙しいひとを見ると「ああ、このひとは、小さな頃からそのまま来てしまったんだな」と思う。そのまま来たひとを見るとうれしくなる。自分もそのまま生きたいという気持ちになる。

 

 

愚かでチャーミングなひとを「おろかわいい」と呼んでいる。私はおろかわいいひとが好きだ。先日、愛する女性から「圭吾さんは言っていることとやっていることがめちゃめちゃですね」と言われた。そう言う彼女の顔は笑い、そう言われる私の顔も笑う。これが平和だと思った。ついつい、誰かといると自分の良い部分ばかりを見てください的な気持ちになる。が、愚かさが愛されたら勝利だ。真の意味で元気なひとは「愚かさが愛されてしまっている」状態であり、偽りの自由人には「自由ぶっているキャラクターで商売をしようとしている」みたいな不自由さを感じる。そこには明確なNO!を示していきたいと思う。

 

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予測不可能性に賭ける。

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大阪で途方に暮れていた時にY様に出会った。Y様に「これからなにをしたらいいのかわからないのです」と話すと、Y様が「それなら私が車をレンタルしてあげるから、和歌山の白浜温泉に行きなさい。崎の湯が最高だから」とご提案をいただいた。すごい流れだと思った。嘉向徹さんと行動を共にしていたので、和歌山に向かう車内でツイキャス音声配信を録音した。道中、フルーツの話題で盛り上がった。私はりんごが大好きだ。だが、りんごは結構高い。一個200円とかすると「すごい食べたいけど無理」とか思って、スーパーマーケットで涙がこぼれそうになる。

 

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みなさまの金銭感覚はどんな感じなのだろうか。私の1日の食費は100円程度なので、本当はきのこを買いたくても「きのこ一個で100円じゃん・・・」とか思ってきのことか買えない。ここで再び泣きそうになる。結果、家では毎日納豆卵ごはん(ごはんだけは酵素玄米)ばかりを食べている。そんな小生ではありますが、8月いっぱい熱海と横浜でわたり食堂【0円食堂】を開催しています。今日から数日間、私は横浜にあるごちゃまぜの家に滞在をしています。是非、誰でも気軽に遊びに来てください。素晴らしい家です。夜はツイキャス配信をできる限り毎日やりたいなあと思っています。

 

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街に出ると悲しい気持ちになるから、必然、足は自然に向かう。河川敷で焚き火をする。落ち技を探し、落ち技を組み立て、焚き火を眺めている時間は恍惚だ。同行している嘉向徹さんと話す。ねえ、俺たちって、なんでこんな生き方しかできないんだろう。金もないくせに家を飛び出し、旅先で「お金がないので誰か泊めてください!」とか言っている俺たちは、はた迷惑な存在でしかないんじゃないのかなって思うんだ。と。すると、嘉向徹さんは「希望があるのだと思います」と言う。バラバラに生きているのではなく、みんなで生きているのだと思いたいのです。家と職場の往復だけでは、ひとりきりでじっとしているだけでは、そういう気持ちになることはできません。だから、こんなことをしているのではないでしょうか、と。ああ、美しい言葉だなあと思った。

 

 

わたり文庫『ハチ公の最後の恋人

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、吉本ばなな著作『ハチ公の最後の恋人』です。夏の終わりに・・・死んだわけじゃない生きてるんだ・・・この瞬間もどこかの空の下で・・・ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※

 

ハチは黙って前を見た。私も見た。
バスは揺れて、坂道を下ってゆく。並んですわった足が、もものところが触れ合っている。
今、同じこと考えてる。
今、全く同じことを考えてる。静かに。耳を澄まして感じよう。
光が二人の膝で踊っている。前のほうでおばあさんが居眠りをしている。運転手の前には家族の写真が張ってある。道筋にあるたくさんの旅館にのどかな午後が訪れている。木々が光をはらんで揺れに揺れている。風、涼しい、極上の風。
バスが揺れている。光が、踊っている。
どうかそれだけで、このままで。
永遠に消えない。
夏の、奇跡の抱擁を。
二人だけで、二人きりで。

吉本ばななハチ公の最後の恋人』【中央公論社

 

元気なひとは、馬鹿なひと。

この前、靴が壊れて駅ビルの服屋さんに行った。手頃なサンダルを探していたら、いい感じの女性店員が「お客様にはこれがお似合いですよ♡」とか言って白いサンダルを出して来た。女性店員があまりにもいい感じだったので「こんなにおしゃれな女性がこんなにすすめるなら、これでもいいかな」とか思って、普段、自分だったら絶対に買わない色のサンダルを買いかけた。が、直前のところで「うおー!」となって、逃げた。こんな感じの弱さが自分にはある。ついつい、誰かが言う「あなたにはこれがいいですよ」につられて、本当は惹かれてもいないものを「これでいいか」と生活に取り入れてしまう傾向がある。これはよくない。こういうところから自分軸はズレはじめるのだと思う。

 

 

本当に一目惚れをしたら「うおー!」となって、迷わずそれを購買していただろう。迷っている時点でアウトであり、これでいいかみたいな感覚で道を選ぶと人生が中途半端になる。これでいいではなく「これがいい!」と前のめりになる感覚を大事にしなければ、人生全体が「これでいいか」の集合体になってしまう。私は学んだ。自分から「それではこれをお願いします」と店員さんに告げておきながら、買わないで走って逃げる自分は最悪だなと思ったけれど、逃げたあと、とても清々しい気持ちに包まれた。よし、俺は俺を守ることができたという爽快感。晴れ晴れしさ。やり方は最悪だったかもしれないが、これでよかったのだと思った。俺は、俺に前のめりになることができたのだと思った。

 

 

深刻になっている方が頭が良いみたいな、まじめに生きているみたいな風潮があるけれど、本当にそうかなと思う。ひとは、ああしなさいとかこうしなさいとか言われなくても、勝手にやりたいことを見つける。逆に言えば、なにかを「やれ」と強制された瞬間に、言われた側のなにかが死ぬ。こどもが元気なのは、無駄が多いからだと思う。こいつら頭おかしいんじゃないのかなってくらいに動くし、笑う。それがいいのだと思う。元気なひとは、馬鹿なひと。この言葉を思い出すだけでも元気になる。元気なひとといると元気になるのは、それが正しいからではなく「それが楽しいから」なのだろう。私は、元気があって、愚かで、チャーミングで、ユーモラスで、これは結構大事だと思うのだけれど「品のあるひと」が好きだ。そういう人々と、残された日々を楽しんでいきたのだと思った。

 

 

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これまで旅をしてきたなかで良かった場所はどこですかと頻繁に問われる。しかし、うまく答えることができない。素晴らしい場所は無数にあるけれど、結局、誰と過ごしたが大事なのだと思う。和歌山は最高だった。が、要するに「一緒に時間を過ごしたひとが良かった」のだと思う。誰と時間を過ごすのか。多分、もう、これしかないのだと思う。 #和歌山 #龍神村 #lifeisgood

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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自分が自分でいるからこそ、相手も相手でいることができる。

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甲子園を見ながら「アルプススタンドの応援は戦争に駆り立てる音楽に似ている。闘争心を煽る音楽は危険だ。自分だったらエンヤとかサラブライトマンとかを流してほしい(布施明のマイウェイでもいい)。荘厳な音楽に包まれた環境でかっ飛ばしたホームランは、扇動されたホームランではなく、純度の高い『俺のホームラン感』がある」とか思った。

 

 

甘いものが好きだと思っていた。が、正確には「甘いものを注文する」のが好きみたいだ。実際に食べておいしいと思うのは最初の一口で、二口目からは飽きている。結果、こんな感じのランキングができた。が、これには補足が必要だと思った。一位よりももっと一位は「リッツカールトンホテルのラウンジカフェで紅茶を頼んだときに、頼んでもいないのに一緒についてきたクッキー」だと思う。意表を突かれると戸惑う。えっ、いいのですか!?みたいな感じのよろこびに包まれる。期待に応えることよりも、期待を超えることが大事なのだなと思う。

 

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本気10割、冗談10割。 

色々なことがあり過ぎて心臓がばくばくしている。ブログに書けることは全体の1%にも満たない。先日、愛するムラキテルミさんに日航ホテルのオムライスをご馳走していただいた。最高だった。が、オムライスよりもムラキさんの思考力&行動力に激烈圧倒された。私は、自分を多動症だと思っている。が、目の前に「自分よりももっと多動症」な人物が登場すると、もう、圧倒されてしまう。人生経験が違う。ムラキさんを前にすると、自分は程度の低いガキンチョのように思えてくる。清々しい敗北感に包まれて「参りました」とひれ伏したくなる。この瞬間の敗北感は、うれしさに似ている。悔しさのない敗北感がある。ああ、人間はこんな風になることもできるのかという、ある種の希望を(そのひとの生き様を通じて)感じているからなのだと思う。

 

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自分にとって大事にしたいと思うものが三つある。ひとつは「ギャグ(ユーモア・笑える時間をもつこと)」、ひとつは「書くことなどの表現・創作の時間」、ひとつは「魂について考える時間」 になる。あ、他にも『自然にまみれる時間』も必要だ。だから、理想的な結婚相手は「自然が好きで、自分が話すことを面白がってくれて、かつ、魂について(自分が語りたいと思う形で)語ることができる相手」ということになるのかもしれない。最近、結婚についてものすごい考える。あまりにも考えすぎるものだから、昨夜、ツイキャスを通じてみなさまの恋愛観・結婚観にお伺いをたてる時間を設けた。

 

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冗談半分、本気半分みたいな表現がある。私は「本気10割、冗談10割」でありたいと思う。算数的におかしいけれど、そんな一生を理想的だなと思う。とか言うと「お前はふざけた気持ちで自分と付き合っているのか!」とお叱りを受けそうだけれど、答えはYESでありNOでもある。「あなたと一緒に笑いたい」という気持ちに偽りはない。ムラキさんと話していると「あなたはめちゃくちゃなひとですね!」と何度も何度もツッコミをいれたくなる。が、実際にツッコミをいれながらも、ものすごいうれしくなる。口角があがる。笑顔になる。こころが軽くなる。多分、自由を感じているのだと思う。

 

わたり文庫『現代暴力論』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、栗原康著作『現代暴力論』です。栗原さんは書きます。税金をはらわないことがわるいことだとおもわされる。警官にしたがわないことがやましいことだとおもわされる。逆に、どちらもちゃんとやって、あなたはすばらしい市民だとかいわれると、うれしくなってしまう。大杉(明治・大正時代のアナキスト)は、これを奴隷根性と呼んだ。と。乱暴にまとめると、この本は「いい子ちゃんでいることに疲れちゃったあなた」に、是非、読んでいただきたい一冊になります。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、大阪府にわたりました ※※※

 

そんな人間が、どうして暴力を肯定しようなんていっているのかというと、それはいま、わたしたちが一方的に暴力をふるわれていて、にっちもさっちもいかなくなっているとおもったからだ。個人のレベルじゃなく、もっとおおきな社会的暴力がふるわれていて、しらずしらずのうちにそれにしたがわされている。それは暴力によって支配されているということなのに、なんだか服従することがあたりまえになってしまうと、そうしないのがわるいことだとおもわされてしまう。おかしい、いやだ、さからいたい。せめて、あらがうための力を手にしたい。いやいや、いつの時代のことをいっているんだ、この現代社会で暴力なんてふるわれていないよというひともいるかもしれないが、そんなことはない。わたしは、とくに福島原発事故以来、そういう社会的暴力というか、支配のための暴力が、より露骨になってあらわれているのではないかとおもっている。ここですこし、わたしの体験をまじえてはなしてみよう。

 

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僕等は今の音頭取りだけが嫌いなのじゃない。今のその犬だけが厭なのじゃない。音頭取りそのもの、犬そのものが厭なんだ。そしていっさいそんなものはなしに、みんなが勝手に踊って行きたいんだ。そしてみんなのその勝手が、ひとりでに、うまく調和するようになりたいんだ。

 

それにはやはり、なによりもまず、いつでもまたどこでも、みんなが勝手に踊るけいこをしなくちゃならない。むづかしく言えば、自由発意と自由合意とのけいこだ。

 

この発意と合意との自由のない所になんの自由がある。なんの正義がある。

 

大杉栄「労働運動理論家 賀川豊彦論・続」『大杉栄全集第5巻』ぱる出版、2014年)

 

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栗原康『現代暴力論』【角川新書】

 

自分が自分でいるからこそ、相手も相手でいることができる。

昨夜のツイキャスをまとめる。テーマは結婚。結婚したいけど「貯金がないから」「仕事が安定していないから」「自分には守る力がないから」みたいな理由で渋る瞬間は大量にある。しかし、それは外側の話に過ぎない。大事なのは内側だと。一緒にいたら迷惑かけちゃうかなとかじゃなくて『あなたと一緒にいたい』と願う、純然な内側の気持ちが命なのだと。そもそもで「誰かを守る」とか「誰かを養う」という考え方そのものが傲慢で、別に相手は「私を守って」とか思っていない。ただ、一緒に幸せになりたいだけなのだ。極論、自分のことさえも守れていないものが人間である。それは不完全を意味するが、不完全だからこそ他者を必要とすることができる。完全になることをまっていたら、まっている間に寿命が来る。墓場で嘆いても遅い。よろこびは生きている間に。

 

ムラキさんは何気ないかたちで「結婚ってみんな勝手にハードルあげてるよね」と言った。この言葉が、私の胸にじんわりと刺さった。多分これは結婚に限った話じゃない。なにかをしたい、なにかをやりたいとおもったときに「でも」とか「だって」とか、自分には無理みたいな気持ちになることは多い。が、多分、そんなことはないのだ。大事なのは内側だ。私は、先日、とある贈り物をひとにあげた。いままでの自分は「邪魔だったら捨てるなり誰かにあげるなり、あなたの好きにしてね」みたいな言葉を添えていた。相手の負担になること(なにかをおしつけること)をおそれるあまり、そういう言葉を添えていた。が、伝えるべきことはそこではないだろうと。思いやりも大事だが、それよりも大事なことは「あなたがこれをよろこんでくれたらうれしい」という、そっちの気持ちだろうと。あなたが好きだからこれをあげます的な、そういうことだろうと。この、謎の遠慮を発動する癖をどうにかしろ。もっと自分の気持ちに自信をもて。自分の好きを押し留めるのではなく外に外に開くことで、どんどん好きは溢れて来る。謎の遠慮で「自分の好き」をおしとどめている場合ではない。優しさは大事だ。思いやりも大事だ。が、時には「押し付けになることも厭わない」くらいの強い気持ちが、これまでの壁を突破することもある。

 

いいとか悪いとか、それは昔の自分の判断に過ぎない。ひとりの人間のなかには「変わりたい自分」と「変わりたくない自分」が同時に存在している。この、愛すべき人間的矛盾を勇気を出して突破することを成長と呼ぶ。別に無理をしてまで成長をする必要はないが、根本的に『変わることは楽しい』『成長することはうれしい』ことだと思う。こと、人間関係においては自分が変わるチャンスにあふれている。謎の遠慮で自分をおしとどめるのではなく、遠慮を超えて「自分の好き」を全開にする。と、新しい自分が登場する。新しい自分との邂逅は素晴らしいものだ。生きている限り『気遣い』みたいなことをしちゃう瞬間は大量にあるけれど、誤解を恐れずにいうと『気遣いが成功する確率は0%!』だと思う。大事なものは外側ではなく、内側である。自分が自分でいるからこそ、相手も相手でいることができる。だからこそ、こうあるべきという形に縛られるのではなく、生きているなかで出会う「あ、これはちょっといいかも」と思う方向に向かっておもかじ一杯、本気10割、冗談10割、自分は生きていきたいのだと思う。

 

 

https://www.instagram.com/p/Bme6v4IlzIZ/

琵琶湖畔の夜。流星群が目の前を交差した。京都ではゲリラ豪雨に打たれた。雷が轟く。ムラキさん曰く「雷って神様が成るってことだから、成就するわよ。願いが。」とのこと。事実、そんな感じがした。強い雨も、激しい雷も、嫌な感じはまったくしなかった。あなたも、わたしも、いま、転換期にあるのかもしれない。余計な気遣いや、余計な遠慮で自分の軸をグラグラにさせちゃうことのないように。誰に何と言われても、自分のこころが「最高だ」と思う瞬間を大切にするように。 #琵琶湖 #流星 #lifeisgood

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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おおいにやりなさい。どんどんやりなさい。

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京都四条駅近くのベローチェにいる。私は新潟出身で、新潟にベローチェなんてカフェはなかった。大学進学と同時に東京に出た私は、はじめてできたおんな友達から「ベローチェいこう♡」と誘われた。私は、言葉の響きに戦慄した。今昔問わず多感な私は、名前を聞いた瞬間「べ、べろちゅー!?」と勘違いをして発情をしてしまった。卑猥なカフェだなと思った。が、いま、卑猥なカフェによる無料ワイファイの恩恵に授かりまくる日々を過ごしている。いまでは大好きなカフェになった。安い。卑猥なのは自分だった。

 

 

生活費削減に命を賭けている。携帯代は3G月額1000円の格安SIMLINEモバイル)を使っているが、毎月10日頃にはデータ制限がかかる。そのあとは大概ワイファイ乞食となり、街中の適当なワイファイを拾ってこの記事を書くことになる。もしも、もしも、もしも、この記事を読んでいる方のなかで「使っていないポケットワイファイがあるから貸すよ!」的なことを言ってくださる方がいたら、ご連絡をいただけたらものすごい発情します。移動中にスマホがなかなか機能しないため、連日、遅刻を連発している。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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男と女

昨夜ツイキャス配信をした。昨日、画期的な話を聞いた。お世話になりまくっている女性から「私は25歳の頃に結婚をしたのだけれど、当時、旦那は『おれの稼ぎが安定をして、お前を守れるようになったら結婚をしたい』みたいなことを言った。が、私はなにをいっているのだろうかと思った。言っておくけれど、私は、あなたに幸せにしてもらいたいだなんてこれっぽっちも思っていない。ただ『一緒に幸せになろうぜ』って思っているだけだ。無一文のスタートで構わない。貧乏上等。むしろ、これで用意ができましたとか既に仕上がっている場所に行くことなんてノーサンキューだ。一緒に幸せになろうぜ。そのようなことを旦那に告げて、結婚をすることになりました」という話を聞いた。

 

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素晴らしい話だと思った。私は男だ。男として、どうしても「愛する女を守れるようにならなくては」的な身構えをしてしまうことは頻繁にある。が、女性側から言わせると「別に守ってもらいたいとかねえし」的な感想を持つことは結構あるらしい。このズレは衝撃的だった。私は現在無職で、金もなければ社会的信用もない。青春18切符を使って野点カンタービレを敢行中の身であるが、その、命綱である青春18切符を昨日出会った女性に(かっこうつけたくなって)無料で贈与をしてしまった。俺は熱海に帰れるのだろうか。昔から、自分を窮地に追い込みたがる癖がある。そんな癖のある人間に、愛する女を守れるだろうかと問われると「なんだか無理な気がする」というのが正直な感想になる。

 

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が、別に守る必要はないのだなと思うと気が楽になる。昨日こんな言葉を聞いた。それは「いい女は、弱い男を強くする。いい男は、強い女を弱くする」というものだ。なんだかわかるような気がする。私は、完全に女性によって鍛えられた。人間としてのよろこびとは別に、男としてのよろこび(女としてのよろこび)というものがあると思う。逆もまた真なりという言葉もあるが、言い換えると「ダメな男は、弱い女を強くする。ダメな女は、強い男を弱くする」という表現もあてはまるような気がした。ああ、俺は何を言っているのだろうか。これから日航ホテルで(愛するムラキテルミさんと)オムライスを食べる。ムラキさんに会う前は毎回緊張する。ムラキさんは命の恩人だ。家がなかった私に家を与えてくれた。返しきれない恩義を感じている。ムラキさんの最新ブログ記事を読んだ。ら「貧乏は嫌い。お金にだらしがないひとは嫌い」と書かれていた。これはやばい、完全に自分だと思った。緊張感がグッと増した。これまでの日々は許されていたけれど、いよいよ「いまのあなたの生き方はダサい」みたいな感じで、見捨てられるんじゃないだろうか、ぶった切られるんじゃないだろうか、みたいな緊張感がある。

 

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わたり文庫『くう・ねる・のぐそ』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、伊沢正名著作『くう・ねる・のぐそ』です。このタイミングで紹介する本ではないような気もするけれど、最高です。伊沢正名さんのユーモアは素晴らしい。奇書ということになっているが、これは名著だと思う。傑作だと思う。私は「品があって、チャーミングなひと」が好きだ。伊沢さんにお会いしたことはないけれど、多分、品があってチャーミングなひとなんだろうなと思う。ムラキテルミさんも、最高に品があって、最高にチャーミングな女性です(って、伊沢さんと同時に紹介することは逆効果なのかなとかビビる。。)!ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※

 

他の多くの命をいただいている私たちが、自然に返せるものはウンコしかない。著者は、野糞をし続けて40年。日本全国津々浦々、果ては南米、ニュージーランドまで、命の危険も顧みず、自らのウンコを1万2000回以上、大地に埋め込んできた。迫り来る抱腹絶倒の試練。世界でもっとも本気にウンコとつきあう男のライフヒストリーを通して、ポスト・エコロジー時代への強烈な問題提起となる記念碑的奇書。 

 

伊沢正名『くう・ねる・のぐそ』【ヤマケイ文庫】

 

おおいにやりなさい。どんどんやりなさい。

数日前、甲子園球場高校野球を見た。本気で生きている選手たちを見て「美しいな」と思うと同時に、いま、おれは彼らのように本気で生きていることができているだろうかと思った。答えは明確、「NO」だった。本気で生きていないいまの自分はダサい。自分の本気を見てみたい。自分はもっとできるような気がする。そういうことを感じた。が、実際、それではなにに本気を出せばいいのかがわからなかった。登山をするとか、パン職人の道を極めるとか、そういうことでもいいのだと思う。が、もっと、なにかこう「俺が俺である必然性のあること」をやりたいのだ。結局、自分は意味を求めてしまう。俺が俺のためにやることが、結果的にみんなのためにも超なった、みたいななにか。自分の命を賭けるに値する(生活費削減以外の)なにかを、自分は強く求めていた。

 

ら、昨日お会いした方から「けいごさんはインディゴチルドレンなんだと思います」と聞いた。私は、その方のことがとても大好きなので、その方の言うことはなんでも鵜呑みにするようにしている。インディゴチルドレンとは、要するに「このままでは地球は滅亡する方向に進むが、インディゴチルドレンは現代の間違った方向を爆破するために生まれた正義の戦士」みたいな感じで、その役割は『既存のあれこれを破壊すること』にあるらしい。おお、これは素敵な役割だなと思った。大袈裟な表現になるけれど、これまでの日々、無目的に生きていた自分の命に価値が与えられたような、意味が与えられたような、役割が与えられたような、あたたかなうれしさに(梅田駅近くの居酒屋で)包まれた。

 

ムラキさんは、私に家を与えてくれた時に「家を用意してあげるから代わりに○○をしなさい」みたいなことは一切言わなかった。ただ、あなたの好きなように使ってねとだけ言った。私は、ああ、なんて格好いいひとなのだろうかとえらく感動をした。私という人間を見て、あれをしろとか、これをしろとか言うのではなく、ただただ「おおいにやりさない」とすべてを委ねてくれる人間の存在。ああ、おれも、こういう人間になりたいと思った。器が違う。とにかくデカい。デカい人間になりたい。ケチくさい小賢しい人間ではなく、器の大きな、その生き様から圧倒的肯定力を醸し出すことができる人間になりたい。そう思った。だから、私も、これから出会う人々に言いたいと思う。もしも、これからやりたいことがあるのなら、これから「こういう人間になりたい」と思うイメージがあるのならば、きっとそうなることができるから、好きなように生きなさい、おおいにやりなさい、どんどんやりなさい、自分全開で生きるのよ、と、そういう言葉を(言葉だけではなく生き様や存在全体を通じて)滲み出していきたいと思った。

 

 

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甲子園球場で高校野球を見た。本気で生きる選手たちを見て「美しい」と思った。客席にいると、周囲の人間の野次が聞こえる。みんな、グラウンドの選手たちに好き勝手なことを言う。もっとバットをちゃんと振れとか、あの内野手は頼りないとか、おれが監督だったらこうやるとか。中島みゆきのファイトが頭の中を流れた。戦う君の歌を、戦わない奴らが笑うだろう。外野の声は日和見主義だ。調子がいいときは褒めそやし、調子が悪いときは平気な顔で罵倒する。そんなものに惑わされてはいけないのだと思った。笑う側より、笑われる側の人間でいたい。本気で生きた人間だけが抱く、本気の悔しさや、本気の嬉しさに、敬意を表したいと思った。 #甲子園 #本気 #lifeisgood

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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本当は、ただ、無邪気に遊びたいだけ。

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「お金のかからない飲食店なんてできるのだろうか?」と思い、わたり食堂【0円食堂】を熱海で開催することに決めた。過去に何度かやっているが、食堂とは名ばかりで「ただ、家を開放して好きに使ってくださいと言っているだけ」の内容になる。が、イベント詳細文章を通じて「言いたいことは言えている気がする!」と思ったので、詳細だけでも読んでもらえたら嬉しいです。熱海の家を手放すとか言っていましたが、やっぱり嫌になったので「どうにかして持続させる方法を見つけたい!」と思っているのが最近の心境です。

 

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元来多動症気味な私は、家にひきこもっていると「俺に存在価値はない」とオートマチックに塞ぎ込んで病気になるかハゲる。家を出よう。そう思って野点カンタービレを敢行することに決めた。ら、過去にパリでお世話になりまくったK様から「名古屋でお茶をしましょう!」とご連絡をいただき、会い、話し、生きていてよかったと思った。自分自身「なんで俺はこんな生き方しかできないのだろう」と思うことはしきりだが、こういう時間を通じて「ああ、こんな生き方をしていてよかった!」と心の底から思うことができる。

 

 

ibaya.hatenablog.com

 

「素直に幸せになれない」自分

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金山駅付近のデニーズでK様とお茶をする。私が「ちょっとトイレ行って来てもいいですか?」と言うと、K様は爽やかな笑みを浮かべて「ダメって言っても行きますよね?」と言う。本当、そういうところだよなあと思った。K様はパリ在住で地元が名古屋。たまたま帰省中のタイミングがあって、今回、会うことができた。K様は言う。さかつめさんの地元は新潟ですよね??ちょっと前に長岡花火に行きましたよ。と。

 

私も過去に長岡花火を見たことがある。国内でも有数の花火大会だ。私は、長岡花火を見た時に「のせられねえぞ」と思った。素直に花火を楽しめたらいいのだろうに、花火を見ながら「絶対に感動してやらねえ」みたいな気持ちになった。多分、泣かせるドラマを見ている時の心境に似ている。製作者の意図が見えるというか、はい、ここが感動するところですよみたいな誘導を感じると「はっ!」となる。長岡花火もあやうく感動しそうになりかけたが、すんでのところで「あっぶねー!」と自分に立ち還った。作為的なもの、人為的なものに対する謎の反骨精神が自分にはある。花火を見たとき、私は「ああ、これは人工的だな」みたいなことを思った。騙されないぞと身を固めたのだ。

 

誕生日をサプライズで祝われることも苦手だ。カフェ&バーなどで店員さんが「ハッピーバースデー♫」とか歌いながらケーキを持ってきた瞬間は地獄だ。頼むからやめてくれと思う。なぜ、素直に喜べないのだろう。祝福されると「ああ、これは喜ばないといけないやつだ」と負担に感じる。俺は自分が喜びたいときにだけ喜びたいのだとか思ってしまう。私は自然が好きだ。例えば、日光を浴びているだけで「俺は祝福されている」みたいな気持ちになる。自然に対して、反骨精神を持つことは皆無に等しい。が、人間に対しては「お前、それわざとやってないか??」とか「完全に見返りを求めているだろ??」とか、一々疑いを持ってしまう、みたいな話をK様とした。楽しかった。

 

「ちゃっかりしている」自分

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今回の移動は野宿道具を持参している。野宿道具と言ってもヨガマットと蚊帳になる。なぜテントではなくヨガマットなのか。それは、野宿中に警察官的なひとから「おい、君、なにをやっているのだ」と職務質問を受けたときに、ヨガマットで野宿をしていれば「ヨガです」と言えると思ったからだ。最近、家でも旅用のヨガマットで寝ている。コンパクトに折りたためる優れものだ。本当は木の板で眠った方が(骨が矯正されるから)身体にも最高らしいのだけれど、さすがに木の板を持ち運ぶことはできない。次善策としてヨガマットで寝る日々を過ごしている。

 

私はアウトドアが好きだ。と、ずっと思っていた。が、最近『ぼくは原始人になった』という本を読んで自分を恥じた。その本には「アウトドアが好きだという人間は大量にいるが、テントとか、寝袋とか、結局都会で買い込んだ既製品を自然に持ち込んでいるだけじゃないか。結局、お前自身はなにも作り出していないじゃないか。」的なことが書かれていた。本当にその通りだなと思った。私は、火打ち石みたいなもので焚き火をする。ライターやマッチよりも結構雰囲気が出る。が、結局、火打ち石だって「誰かが作ってくれたものを自然に持ち込んでいるだけ」であり、私自身が作り出したものではない。真の意味でアウトドアを楽しみたいなら、地べたに藁を強いて眠るくらいのことをしなければ、本当ではない。そう思った。

 

私は末っ子で、末っ子はよく「長男や長女よりも周囲に甘えることができていいよね」と言われる。が、これは正確ではないように思う。確かに、末っ子は甘えることが得意だ。が、その裏側では「このひとにはここまでなら甘えられるな」的な算段が働いている。本当にしてもらいたいことを頼んでいるのではなく、相手にとって負担にならない範囲で甘えているのだと思う。だから、末っ子の悩みとして『(表面的な甘えはいつでも発動できるけれど)自分が本当にしたいことを周囲に頼ることはできない』というものがある。と思う。少なくとも自分はそうだ。私は、自分がなにをしたいのかがあまりよくわかっていない。ひとの気持ちを察するレベルは高まったが、結構、自分のことは置き去りになっている。そのことで自滅をすることが多く、結果、自然の中に身を投じる。

 

わたり文庫『ぼくは原始人になった』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、マットグレアム&ジョシュヤング著作『ぼくは原始人になった』です。端的に、著者のアホっぷり【愚直さ】が素晴らしいです。著者は過激なランナーでウルトラマラソンを何度も走破しているのですが、自分が絶好調の時は「俺が走っているのではない。大地が、俺の足にあわせて動いているのだ」的な心境になるらしい。この感覚を得たら最強だと思う。著者は、何度も「大地と絆を結ぶことが大事。大地と絆を結べた人間に、自然は奇跡を起こす」と言う。これは鋭い指摘だと思う。私も歩くことは好きだが、大地と絆を結ぶように意識をすることは少ない。もっと意識をしてみたいと思いました。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※

 

腰布にサンダルというスタイルで狩猟採集生活を始め、荒野を走ることで知った、人間の驚異的な生命力と人生のすばらしさ!20年にわたり原始的な狩猟採集生活をおくり、58日間で2700kmを走り、山岳レースで馬と速さを競うなど、数々の驚くべき体験を通して、著者が考え、学んだこととは?大地を信頼し、自然を理解することで得られる心の平穏や健全さとは?大自然と絆を結ぶための20章!

 

マットグレアム&ジョシュヤング『ぼくは原始人になった』【河出書房新社

 

本当は、ただ、無邪気に遊びたいだけ。

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昨夜は琵琶湖で野宿をしかけたものの、電子機器類の電池がすべて切れて「このままじゃまずい」となった。ら、京都府在住のM様から「こまったら我が家にどーぞ!」とご連絡をいただき、お言葉に音速で甘えてしまった。真のアウトドアライフとは程遠い生活をしている。シャワーや冷房器具などの文明に触れると「文化的な生活すごー!」みたいな気持ちになる。文明を否定したい訳ではない。文明は最高だと思う。が、当たり前が当たり前になってしまってシャワーや布団にありがたみを覚えなくなることを過度に恐れて、私は、懲りずに野営に乗り出すのだろう。

 

M様から「坂爪さんなら関西にも知り合いたくさんいるでしょう??そういうひとには連絡しないのですか??」と問われる。私は「自分から連絡なんてできません!」と答える。知り合いはたくさんいるけれど、私は、自分から誰かに連絡をすることができない。多分、迷惑をかけたくないという気持ちが強いのだと思う。相手から「来てください!」とか言われたら安心をしてお邪魔できるのだけれど、自分からお願いをすることができない。末っ子の私にできることは「今日はここで野営をします。でも、本当は、誰かが泊めてくれたらとってもうれしい気持ちでいます」的なことをほのめかすところまでだ。多分、釣り糸を垂らす釣り人の気持ちと似ている。自分ができることは釣り糸を垂らすところまでだ。「なにかつれろ!」とは常に思っているが、何が釣れるのかはわからない。何が釣りたいのかも、実のところ、あんまりよくわかっていない。

 

自分でも馬鹿だなと思うけれど、私には「面白ければいいのだ」と思っている節がある。それをしていなければきっと出会うことのなかった面白い目に遭えるのであれば、痛い目であれ、喜ばしい目であれ、すべてネタになる。生きている実感につながる。私は深刻になりやすいタイプの人間なので、油断をしていると「俺は太宰治みたいな人間だ」みたいなことを思ってしまう。が、もっとコアの部分は「単に、遊びにいきたくてじっとしていられないクソガキ」なのだろうなと思う。これを読んでいるあなたもきっと同じなんじゃないだろうか。悩む自分、考えすぎる自分、将来に不安を覚える自分、いろいろな自分が顔を出すけれど、一番奥には「本当は、ただ、無邪気に遊びたいだけ」の自分がいるのだと思う。私は、わたり食堂【0円食堂】や野点カンタービレを通じて、ただ、あなたと遊びたいと思っている。世の中を変えたいとか、社会貢献をしたいとか、そういう思いがある訳じゃない。ただ、無邪気に遊びたいだけなのだ。自分が笑えば、世界も笑う。世界がぼくらの遊び場になる。多分、それだけの話なのだと思う。

 

 

スイス人から「松葉でお茶を淹れると美味しいよ」と聞き、アメリカ人からは「ぼくは荒野を1000キロくらい走破したことがあるんだけど、その時は松葉を手当たり次第食いながら走り続けたんだよ」と聞いた。松の木は焚き火以外で使用したことがない。まず、松葉をそのまま食べてみた。最初は「にがっ!」と思ったけれど、咀嚼を続けるほどに妙な味わいが若干癖になった。緊急時の非常食にはいいのかもしれない。次いで松葉茶を淹れてみた。屋外で飲むとなんでも美味く感じる。普通に美味しいと思ったけれど、家の中で飲んだらまずいのかもしれない。就寝。明日は甲子園界隈で野点をカンタビる予定です。 #野点カンタービレ #売茶翁 #lifeisgood

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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清濁をぶちまけて輝く。生きるとは、そういうことだと思う。

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私は自分の連絡先と予定を公開している。北海道に行く旨を書いたら、非常にありがたいことに「それなら層雲峡に!」「それなら遠軽町に!」「それなら北海道神宮に!」「それなら余市の柿崎商店に!」と、様々な方々からご連絡をいただいた。無事に宿もどうにかなり、無一物の自分でも、素晴らしい日々を過ごすことができた。お世話になった方々には感謝の言葉しかない。先ほど無事に成田空港に着いて、いま、横浜にあるごちゃまぜの家にいる。

 

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酪農家の方に呼ばれ、遠軽町(旧・白滝村)に足を運んだ。酪農家の方、と言っても年齢は若く私と同世代の女性M様だ。旅が好きだと話すM様は、これまで県外や海外で生活をしていた。が、色々と思うことがあり、実家の酪農を継ぐことを決めた。私は、不慣れながら搾乳を手伝う。重労働だ。Mさんは慣れた手つきで仕事を進める。私が「これからは北海道にいる予定ですか?」と尋ねると、彼女は「一生、いると思います」と爽やかに答えた。一生、という言葉を聞いた時に「ああ、このひとは腹を括ったんだな」と思った。誰かに頼まれたからではなく、自分の意思で、自分の生きる道を決めたのだ。そのひとなりの覚悟、そのひとなりの美学に触れたとき、私のこころは感動をする。ああ、格好いいひとだなと思う。

 

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悪態日記「爽やかにディスる

私は定期的に悪態をつく。今回、北海道に来た最大の理由は「素敵なキャンプ場で上映される星空映画系イベントに呼ばれたから」になる。が、素敵なキャンプ場で悪態をついてしまった。まず、参加者のみなさまが持参しているテントが高級なものばかりで、なんだか不愉快になった。まるで「おしゃれの自慢合戦」をしているみたいだった。キャンプの醍醐味は自然と溶け合うことじゃろうがい。それなのに、お互いに牽制し合ったり見栄を張り合ったり、人間界のルールを持ち込んでんじゃねえよと思った。一旦悪態スイッチが入ると、私は、自分を止めることができなくなる。ははーん、なるほど、ここにいるひとたちは「おしゃれだと言われたいひとたち」なんだなと思ってしまった。

 

そういう匂いを嗅ぎとると「(おしゃれだとは)絶対に言ってやんねー!」みたいになる。はいはい。あなたは幸せになることよりも「ひとから幸せだと思われること」の方が大事な他人軸野郎なんですね、とか、露骨にひとを見下してしまう。そういうところが自分にはある。私は、おしゃれな場所に行くと「金持ちの家に来た貧乏人」みたいな気持ちになる。選民思想の匂いをかぎとり、そこに自分が含まれていないことに勝手に怒る。おしゃれになることで何かを失う。そのように感じることは多い。熱海の家の近くに、K宮神社という神社がある。最近、K宮神社がめちゃめちゃおしゃれに生まれ変わった。トイレが綺麗なのはありがたいが、もう、ここに神様はいないんだろうな感がすごい。外っ面が整えられるほどは、中身がスッカスカになるこの現象はなんだろう。

 

私は、同行しているY様に「見栄のカタマリみたいな場所ですね」と限りなく爽やかに告げた。ら、Y様も「実は、自分も同じことを思っていました!」とのこと。ワオ!SAME SAME!この瞬間、我々は意気投合をした。それから「こんな場所は離れて、海岸でコーヒーでも飲みましょう!」となって、早々と退散をした。駐車場に向かい、車に乗る。去り際、私がキャンプ場の人混みめがけて「ばーか!」と捨て台詞を吐くと、Y様が「あはははは!」と笑ってくれた。ああ、この日一番の笑顔だと思った。Y様からも「いやー、ばかって言っていいんですね。自分は、ばかっていうことさえ制限をしていたことに気がつきました」と爽やかなスマイル。讃め合うだけが人生ではない。時には「爽やかにディスる」ことも、仲良くなるための最短距離になるのだと思った。

 

わたり文庫『カネに死ぬな 掟に生きろ』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、宮崎学著作『カネに死ぬな 掟に生きろ』です。世間で言うところ極道者の宮崎さん(ちゃんとしないをちゃんとやり続けたひと)が書いた「アウトローの生き方」入門書(?)です。18歳の頃、けいご少年はこの本に多大な影響を受けて「無様な生より、美しい死を」みたいなことを考えるようになりました。私の血は、宮崎学老子でできています。ご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、北海道にわたりました ※※※

 

カネを求めれば、その代償として多くの事柄を切り捨てなければならない。アウトローであれ、ビジネスマンであれ、カネを求めた時点で、人間は多くのものを失ってしまう。カネ以外の、もっと大切な価値を求める男でなければ、語るに足らないことはいうまでもない。(中略)男なら、誰しも美しく生きたいと願っているはずだ。イモを引いて無様に生きるくらいなら、美しく死にたいと願っているはずだ。その美学をひとつの覚悟として腹の底におさめているかどうか。男の値打ちは、その一点に収斂される。アウトローであろうが、サラリーマンであろうが、失業者であろうが、そんなこととはまったく関係なく、腹の底から覚悟を決めていれば、人間は美しく生きることができる。男が美しく生きれば、女もまた輝きを増す。その一点をテーマとして、この本を書き進めよう。

 

宮崎学『カネに死ぬな 掟に生きろ』【徳間文庫】

 

清濁をぶちまけて輝く。生きるとは、そういうことだと思う。

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酪農家のM様の料理が美味すぎた。おかわりを連発してしまい「おひつを空にして帰る男」の異名を得た。仕事終わりの食事は格別だ。ごはんに味噌汁に一品。これが最高だと思う。あまりに健康的な日々だったために「自分も健康を意識しよう」と思った。手作り味噌とか甘酒とかぬか漬けとか、自分も作ってみたい。もっと生活を愛したい。が、私は面倒臭がりなのですぐに「誰か作ってくれ」となる。ヨガとかマクロビとかにも興味はあるけれど、ヨガとかマクロビとかをやっている割には不幸そうに見えるひとが多い気がする(これはなんでなんだろう。自然派のひとほど、干からびているように見える)から、二の足を踏んでいる。この「他人のあれを気にする自分」と言えばいいのだろうか、すぐに悪態をついてしまう自分を変えたいと思う。清く美しくなりたい。

 

いい感じのひとは潤っている。そうじゃないひとは乾いている。なんだか、そういった感覚的な感想を抱くことは多い。結局、最高の健康法は笑うことだと思う。正しさよりも『楽しさ』だと思う。正しい食生活よりも『楽しい食生活』だと思う。正しい生き方よりも『楽しい生き方』だと思う。正しいから食べるのではなく、楽しいから食べる自分でありたい。私は思う。食事は、一見、食べ物から栄養を取っているようで、実は、食べるという行為の『楽しさ』を食べているのだと思う。だからこそ、なんでも「ありがとう♡」と思って食べていればいいのだと思う。私は、こんなところに毎回着地をする。人間も同じだ。正しいひとと一緒にいるより、楽しいひとと一緒にいる方が自分は好きだ。結果、その方が(正しいひとと一緒にいるより)よっぽど面白い日々を過ごせる気がする。

 

ちゃんとしなさいと説教を受け続けて早33年。なかば逆ギレ気味に「ちゃんとしないをちゃんとやる」をやり続けた結果、取り急ぎ、いまはまだ生きることができている。私は思う。誰だって、本音では「ちゃんとなんてしたくない!」と思っているのではないだろうか。それよりも、ただ、自分でいたいだけなのではないだろうか。わがままな自分、醜い自分、弱くてダサい自分、それがそのまま、ありのままの姿で生きていたいだけなのではないだろうか。だからこそ、もう、認めてあげようじゃないかと思う。「これが自分なのだ」と受け入れて、いま、この瞬間の自分に胸を張る。誰かのサイズに合わせて、自分を殺すことはない(by 甲本ヒロト)のだと。自分の色で光ってないと、見つけるひとにも見つけてもらえない。光もあれば闇もある。表もあれば裏もある。悪いことじゃない。それは「当たり前」のことなのだ。良い部分だけではない。悪い部分だけでもない。自分のなかにある、清濁をぶちまけて輝く。生きるとは、そういうことなのだと思う。

 

 

https://www.instagram.com/p/Bl-a4NyFzBh/

北海道ミルクとデート。。 #層雲峡 #寒い #北海道ミルク #俺の彼女 #アルミ缶 #エロカメラマン #陰ながらセイコーマートを応援している #lifeisgood

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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そのままでいい。そのままがいい。

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札幌に着く。旭川に向かう。バスを調べる。時間があるのでブログを書く。昨夜、札幌在住の方に「いつもブログやnoteを読んでいるお礼に」と、宿泊先をご用意していただいた。お心遣いが嬉しかった。夜、屋上テラスのあるカフェに足を運んだ。風が心地よかった。グレープフルーツジュースを飲みながら、色々な話を交わした。

 

坂爪さんが、宿泊先がなくて困っているという具体的なヘルプを出してくれたからこそ、いま、自分はこうして連絡をすることができました。坂爪さんは何度も『ありがとうございます』って言ってくれるけど、ありがとうございますはこちらの方です。実際にお会いできたことで、なんだか風が吹いたような、そんな感じがしています。これからも、どうか、このままでいてください。必要なときは、また、いつでも声をかけてください。

 

ibaya.hatenablog.com

 

世界が輝きを取り戻すとき。 

数週間前、大阪の鶴見緑地で女性Mさんと話した。柔らかな口調でMさんは話す。こんなことを言うとおかしいひとって思われちゃうかもしれないですが、ミニトマトとかを食べていると、なんだか感動しちゃって泣けてくることがあるんです。手にとってじっくり眺めながら、よく、ここまで来てくれたねって思うと、なんだか泣けてきて。おかしいですよね。と笑う。私は、この話を聞いた時になんだかすごい感銘を受けた。Mさんの感性を前に、なんだか絶滅危惧種を前にしたときのような、このままであってほしい(あなたが生きている世界であってほしい)と願うような気持ちになった。

 

熱海の家に戻る。珈琲豆を挽く。パッケージを見ると「メキシコ産」と書かれている。当たり前の話だけど、この珈琲豆は、海を越えてメキシコから届いたのだ。農場の人間や流通の人間など、様々な人々の手を通じて、いま、自分の手元にあるメキシコの珈琲豆を目にした時、ああ、よくここまで来てくれたなと感じた。ここまで来てくれたから、いま、自分は珈琲を飲むことができているのだなと感じた。きっと、すべての物事が同じなのだと思う。着ている服も、食べているものも、日常雑貨のあらゆるものは、様々な人々がそれを運んで着てくれたから、いま、自分はそれを使うことができる。そことを、私は、簡単に忘れてしまう。有り難み、と言う言葉が網羅をよぎる。

 

この世の全ては分子でできていると聞く。別々に見える人間も、極限までつきつめるとみんな分子になる。みんな違うようで、みんな同じだ。国は違えど、我々の祖先は一対の男女に遡る。肌の色は違えど、話す言葉は違えど、同じ血が流れている。みんな違うようで、みんな同じだ。そういうことを思うことがある。どこまでもどこまでも自分の考えを遠く馳せるとき、必ず、ひとつの地点に到達する。その地点から世界を眺めたとき、世界は、いままでとは少し違った輝きを帯びる。ミニトマトを見て感動するように。人間に対しても同じだ。私は、ひとと話している時に「よく、いままで生きてきてくれた」と思うことがある。あなたが生きて、ここまで来てくれたことによって、いま、この瞬間があるのだ。

 

Scenery in one's mind's eye

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珈琲を飲もう。できれば、富士山の見えるところで。そういう流れになり、熱海からバイクを走らせた。なかなか富士山が見えるポイントが見つからず、諦めかけた最後の最後でこの場所を見つけた。空が綺麗だった。思わず「うわぁ」と声が出た。この、思わず「うわぁ」と声が出てしまう瞬間に、あと、何回立ち会えるだろうか。何もない場所で珈琲を淹れる。それだけのことなのに、とても贅沢な時間だと思った。綺麗だねと言えば「綺麗だね」と返ってくる、よろこびは分かち合うことで膨れ上がる。 #kannami #sunset #lifeisgood

 

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来宮神社の大楠。昼は世界を通じて自分を見る。夜は自分を通じて世界を見る。朝日の力強さ。夕暮れの切なさ。日本人の美的感覚に「もののあはれ」的なものがある。二度と還ることのない日々を生きている。すべての美しいものは、かなしみを内包している。それは「いつまでも見ていることができない」というかなしみだ。季節は巡り続けるが、巡り続けることに変わりはない。変わり続けるものと、永遠に変わらないものの間で、ぼんやりとしている。生きているってなんだろう、などと考えたりもする。7月が終わり、8月がはじまる。変わり続けるものと、永遠に変わらないものの間で、ただ、ぼんやりとしている。 #来宮神社 #大楠 #lifeisgood

 

https://www.instagram.com/p/Bl6cqIYl-hQ/

経費節減のため、熱海から成田空港まで行けるところまで自転車で移動。。飛行機手荷物の重量制限で野営道具は泣く泣く断念。。。明日は旭川の層雲峡に招待していただいたために宿はどうにかなったものの今夜の宿泊先は未定。。誰か札幌界隈で泊めてくださる方はおらぬかなどと思いながら自転車をゴリラみたいな顔しながら漕ぐ。。。新千歳空港には17時頃に着きます。。自転車ならではの風景は癒し。。 #小田原 #川 #lifeisgood

 

わたり文庫『イワンのばか』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、トルストイ著作『イワンのばか』です。大好きな作品で、読んでいると安心感のようなものを覚えます。祖父母が百姓だった(家に牛舎があり、当時の家は茅葺き屋根だった)からなのか、バガボンド37巻にも通じる、異様な親しみを感じます。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、北海道にわたりました ※※※

 

イワンは、今でもまだ生きていて、多くの人々はその国へ押しかけてくる。ふたりの兄たちも彼のところへ来て、彼に養ってもらっている。だれかが来て、「どうかわたくしどもを養ってください」と言えば、彼は「ああよしよし!」と言う。「いくらでもいなさるがいい ー わしのところにはなんでもどっさりあるんだから」ただ、この国にはひとつの習慣がある ー 手にたこのできている人は、食卓につく資格があるが、手にたこのないもの(註・自分の働きをしていないもの)は、人の残りものを食わなければならない。

 

トルストイ『イワンのばか』【岩波文庫

 

そのままでいい。そのままがいい。

旭川に向かうバスに乗る。熱海の日々を思い出す。数日前まで、ゲストが遊びに来てくれた。一緒に蕎麦を食べたり、バイクに乗って遠出をしたり、夕日を眺めたり、温泉にはいったり、焚き火をしたり、無駄な話をたくさんした。胸に重いものを持っているひとが、自分と時間を過ごす中で、無垢な笑顔を見せてくれた瞬間のよろこびは大きい。悩み相談に乗ることだけが、悩みを解決する道じゃない。悩みを一回脇に置いて、ただ、一緒に遊ぶ、一緒に踊る、一緒に歌う、一緒に走る、一緒に生きる、それだけのことが悩みを軽くすることがある。海面に反射する太陽がキラキラと輝いている。それを見て「うわあ」とこどもみたいな声を上げる。何歳になっても何歳にでもなれるひとでいたいね、なんて、そんな会話を交わす。

 

嬉しくなる道が正解だよ。そう思う。ああしなきゃとか、こうしなきゃとか、多分、そんなことはない。正しさや意味や意義で自分をガチガチに縛ると、心も体も強張る。緊張する。固くなる。安らぎから離れていく。真実と呼ばれるものがあるならば、それは「自分をうれしくさせてくれるもの」だと思う。好きな音楽、好きな風景、好きな人間、好きなものたちを包み込む世界。自分を軽くするもの、自分を嬉しくさせてくれるもの、自分を柔らかくするもの、自分をほぐしてくれるもの、自分というものを溶け流してくれるもののなかに、私は、私の本当を見る。

 

旭川に向かうバスに乗る。北海道の自然は大きい。ふと、「どこまでも自分を生きると、みんなになる。どこまでも自分を消すと、みんなになる。みんなのなかに、自分もいる。永遠は、ここにある。」ということを思った。自分にはなにもない。この言い方はネガティブに響くかもしれない。しかし、自分には「足りないものはなにもない」と言い換えた時、途端に、この瞬間に充足感を覚える。自分とはなにか。時折、考えてもわからないことを考える。移動中はことさらにそうなる。あなたは誰のものでもない。だからこそ、みんなのものになることができる。海と同じ。風と同じ。山と同じ。空と同じ。感覚的だが、そういうことを考えていた。

 

 

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I'll always be with you, always.

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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我慢すんなよ。遠慮すんなよ。

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熱海にいる。逢初庵を手放すことも考えたが、ここにいると数々の記憶が蘇る。これも執着なのか。家にあるほとんどのものが、自分で買ったものではなく誰かから譲り受けたものになる。これを、自分の意図だけで手放すことは許されることなのか。昨日の夜、海面を照らす月を眺めながら「真実は叫ばない。だが、いつも囁いている。お前には、その声を聞く静けさがあるか」と、なにかから問われているような気がした。

 

8月1日から6日まで北海道に行く。4日以外は宿も予定も何もない。誰か「北海道であれをするといいよ」的なものがあれば、教えていただけたら幸いです。1日の夕方に新千歳空港に着き、野営道具と一緒に放浪をはじめる。夏の北海道は、どんな感じなのだろうか。私は、そこでなにを感じるのだろうか。なぜ、自分は懲りずに移動を続けているのだろうか。自分は前に進めているだろうか。それとも、ただ、逃げているだけなのだろうか。

 

ibaya.hatenablog.com

 

剣と鞘。 

熱海の夜は静かだ。なにもすることがない。必然的に自分と向き合う。この「自分と向き合う」ことは厄介だ。自分を深く知ることができることもあれば、自分に捕まることもある。自分のことばかりを考えるほど、どんどんひとりぼっちになる。「俺が、俺が」の思考にはまり、世界から自分が切り離される。が、ふとした瞬間に、あ、あのひとは元気にしているかなと思う。自分の好きなひとを思う。と、心は軽くなる。自分が消えると、逆に、のびのびと楽しむことができる。自分は、無限の網の目の中で生きている。世界との結びつきに思いがいたるとき、ああ、自分はひとりではないのだなと思う。

 

家なし生活の果てに、私は、熱海に家が与えられた。それがこの家【逢初庵】になる。家があった頃も、家を失った頃も、家を与えられた頃も、考えていることは似ている。それは「居場所を求める」自分の弱さとの、格闘のようなものだった。男は、剣に似ている。剣には鞘が必要だ。鞘を失った剣は、出会うものすべてを傷つける。誰かに向けた刃先は、必ず、自分自身にも向けられる。納まるところを失った刃先は、いつの日か自分自身を傷つけるために使われる。私は、鞘を求めていたのだと思う。鞘は家か、鞘は女か、鞘は神か、鞘は家族か、鞘は命か、鞘は死か、鞘は万象か、鞘は自分か。

 

ひとりでいるとさみしくもなる。人間と話をしたくなる。それならば東京に住めばいいじゃないか。もっと大勢の人間がいる場所で暮らせばいいじゃないか。とも思う。私は「人間と話をしたい」と思っていた。が、人間と話していても「人間と話している」とは思えない瞬間がたくさんあった。俺は、魂の部分、そういった部分の話をしたいのだなと思った。私がずっとほしかったもの、それは『友達』なのだと思った。なんでも話せる友達を求めていたのだろう。そして、それがいない代わりに、抱えきれない思いを紙に吐き出したら、月や、花や、風を友にして、語りかけていたのかもしれない。

 

わたり文庫『無敵のソクラテス

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、池田晶子著作『無敵のソクラテス』です。素晴らしい本との出会いは、素晴らしい人生のはじまりというか素晴らしい人生そのものだと思います。山籠りに最適な一冊、池田晶子さんを生んだ日本は偉大だと思いました。完膚無きまでの名著。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、東京都にわたりました ※※※

 

本当はね、時間が過ぎ去るのでも人生が過ぎ去るのでもなくて、両方一緒に過ぎ去っているから、じつは何ひとつ過ぎ去ってはいないのではないかという気がするのです。私がこの子と出合って、この子の思い出と共に死に、この子も私の思い出を抱いていつの日が死ぬ。私もこの子も、それを知る他の人々も誰ひとり居なくなっても、私とこの子が一回こっきり出合って友情を結んだというこのこと自体は、永遠に失われることがないのではないか、そんな気がしてならんのです。うまく理屈では言えんのですがね。しかし、やはりそれは妙に哀しい。つらつら思うに、私の人生は私が生きたというわけでは、どうもないのです。「わたくしという現象は / 仮定された電気交流電燈の / ひとつの青い照明です」、これは賢治ですな。この人もやっぱりこんな変な言い方をするのです、「すべてがわたくしの中のみんなであるやうに / みんなのおのおののなかのすべてですから」。冷厳な学者だった人が、晩年になって魂の数の帳尻合わせに没頭するようになったりとか、まあ、この宇宙が妙なつくりであることは確かですが、やはりそれはどちらかと言えば、哀しい。どちらかと言えば、ですよ。冗談だと思えば、これより馬鹿げだ冗談はないんですからな。

 

池田晶子『無敵のソクラテス』【新潮社】

 

自伝風物語もよろしくお願いします。 

 

note.mu

 

我慢すんなよ。遠慮すんなよ。

温泉に行く。誰もいない。こっそり全身を浴槽に沈めると、海に潜っている感覚になる。自分の好きだった自然が蘇る。カミュに「優しい無関心」という言葉がある。人間を求めているくせに、私は、人間のなかにいると孤独を感じる。疎外感を覚えたり、ひどい疲れを覚えたりする。人混みの中で感じる孤独は「お前はここにいてはいけない」「お前は去れ」「お前とは分かり合えない」という分離感を胸に刻む。しかし、自然は大きい。自然はなにも言わない。ただ、一緒にいる。そこには自分も含まれている。

 

本を読む。血で書かれたような言葉に触れるとき、作者の魂に触れている。内容そのものより、作者が「命を注ぐに値するなにか」を見つけることができたという事実と、その瞬間を目撃させてもらっていることに、胸が震える。ああ、こいつは生きていると思う。こういうやつと話をしたかったのだと思う。真の意味で生きている人間に触れるとき、自分のなかにある『何か』が反応する。『何か』は言う。おい、お前はなにをやっているんだ。いつまで、そんなところにいるつもりだ。次はお前だ。我慢するなよ。遠慮するなよ。もっと自分を晒け出してみろよ。

 

喜怒哀楽、そのどれかひとつでも押し殺すとき、すべての感情が殺される。自分の嫌いを我慢すると、自分の好きまで消えてしまう。諦めには二種類ある。愛して手放す諦めと、愛することを手放す諦めだ。『何か』は言う。傷つくことを恐れるな。愛することは、傷を引き受けるということだ。それが『生きる』ということだ。弱い部分。強い部分。黒い部分。白い部分。全部をひっくるめての自分だ。嵐は過ぎた。熱海の空は晴れている。夏だ。考えてわかることと、考えてもわからないことがある。生きていればわかることと、生きていてもわからないことがある。考えるだけの日々はここまで。生きる意味とか、生きる価値とか、自分にはわからないことばかりだ。それでもなお、見上げた空の青さや、すれ違う猫、道端の草花を目にした時など、生きていることをうれしく感じる。いま、私は「生きていたい」と思っている。

 

 

けいごさん、先日は菊名の家に滞在させていただき、ありがとうございました。
感動しすぎてなかなか言葉がまとまらず、お礼のメールが遅くなってごめんなさい。

 

「人から大切にしてほしければ、まず自分で自分を大切にしよう」
とよく聞きますが、菊名の家に行って、
「こういうことかぁ!」と、その言葉の意味を体感しました。

 

普段から大切にされているものは、こんなにも自然と大切にしたくなるものなんですね。

 

菊名の家にいると、心あるたくさんの人達に大切にされていることが、いたるところからありありと伝わってくるので、ちょっと来ただけのゲストな私も、「ここは大切にするところなんだ、当然のごとくそういう場所なんだ」、と、すんなり感じることができました。

 

そして、「菊名の家のように、私が私を慈しんで大切にできたら最高だなぁ」と自然に思えました。

 

また、「大切にされている場所はとても居心地が良いものなんだなぁ」というのも発見でした。

 

縁側のロッキングチェアーに何気なく腰掛けたら、ふわぁっと途方もなくやわらかく受け止められて、「うわぁぁあー‼」と感覚がぶっ飛ぶようでした。
浮遊感すら覚える衝撃の心地よさで、びっくりでした!

 

朝になると、うぐいすとセミの鳴き声で目が覚めて、朝日が木漏れ日になって差し込む台所には美しい器が揃えてあって、いたるところに活けられている季節の花々が彩りを添えていて、窓の外は緑が眩しくて。
「ここはいったいどこなんだろう?」
という不思議な感覚を覚えました。都会の住宅街の真ん中だなんて到底信じられない。

 

菊名の家はそんな風に、パッと目に入る大まかな印象から、「よくよく見たら…」で分かる細部に至るまで、圧倒的な美しさを誇ってて、
「これが坂爪圭吾なんだ。。」
と、あまりのパワーに感動しました。

 

家は住む人を表すというけど、こういうことなんですね。

 

今回けいごさんにはお会いしなかったけど、けいごさんの意識や周りの人との関係などがありありと伝わってくるようでした。
そして、私の家も、つまり私も、こんな風にすることができるんだ!という希望が持てました。

 

お庭のテントの中にも、チェアにベッド、本を読むライトなど、心地よく過ごすためのしつらえがほどこされていて。。

 

もはや神域。

 

と感じました。

 

そういえば菊名の家を出て、鶴岡八幡宮を訪れた時、菊名の家と似た感覚を覚えたのが印象的でした。

 

でもこれだけ凄い空間を作ったけいごさんでも、たまに「普通に生きられたら楽なのに」と感じることもあると、いばや通信で拝見したことがあるのを思い出しました。

 

一方、私は一応の定職はあるけれど自分の好きな仕事をやれていない、このままではだめだ、人生を変えたい、というモヤモヤがありました。

 

ということは、自分のできる生き方の素晴らしい面に目を向ければ、幸せを実感することはたやすいんじゃないかと気づかされました。

 

結局、どんな生き方でもほんとに同じくらい価値があって、どんな生き方でも幸せになれるんだと。

 

たとえ、自分がそれ以外の生き方を選べなくて、やむなく今の生き方をしているんだとしても全く問題なくて。それがいいんだと。

 

だから、人生は、もう変えなくていい!

 

言い換えるなら、私は、もう変わらなくていい!
そのままでいいんだ!

 

と、なんだかすごくスッキリしました!!

 

実は私は今育休中なのですが、ちょうどこの9月に復帰して働く予定になっていて、
「本当にあの職場に復帰していいんだろうか、自分の好きなことを仕事にしなくていいんだろうか」
と、ずっと自問自答を繰り返してきたんです。

 

今回、菊名の家に滞在させていただき、気づきをいただいたおかげで、なんだかとても安心して、地に足をつけて自分の人生を生きていけそうな気がします。

 

ある意味人生を変えるような大きな気づきと、ワクワクするほどの心地よい時間を、本当にありがとうございました。

 

ぜひまたお邪魔させていただけたらと思います。

 

長文たいへん失礼しました。

 

けいごさんも、毎日暑い日が続きますが、ご自愛されつつ楽しんでください。

 

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あさみ。。 #朝 #熱海 #lifeisgood

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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何度でも生き直せばいい。

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情け容赦ない負債関係の諸々を新潟で行う。税理士の方から「クロマニョン人ネアンデルタール人の違いを知ってるかい?クロマニョン人共同幻想を持つことができたから生き延びたんだよ。夢とか、言葉とか、税金を含めた社会のルールとかね。でも、ネアンデルタール人は、個としては強かったんだけど、関係性を築けなかったから滅びたんだ。コミュニケーション能力も低かったみたいで、だからネアンデルタール人は滅びたんだよ」と教えてもらった。

 

 

多分、税理士の方は「だから税金とか社会のルールに従うことは大事なんだよ。そうじゃないと絶滅しちゃうよ」と言いたかったのだと思う。が、なんだか、この話を聞いていたら「ネアンデルタール人になりたい!」と強く思ってしまった。普通、絶滅する側と、絶滅しないでいられる側の2種類があったら、絶滅しない側につくものだと思う。が、性格的にひねくれているからなのか「絶滅する側に賭けたい!」と思った私は、今世を諦めた方がいいのだと思う。

 

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乱世に備えて・1

負債の厄介な所は「身内に飛び火する」ことだと思う。今、私の両親は「お前(坂爪圭吾)の未払いが全部うちらに来てるぞ!」とカンカンだ。ロクでもない息子で本当に申し訳ないと思う。自分が責任を背負うならいいが、身内に被害が及ぶことは避けたい。己の管理能力不足を嘆く。俺にカネをもたせたらアウトだ。すぐにこういうことになる。これは血縁を絶つしかないのかと思った。が、税理士の方に相談をすると「現行の民法では、家族の縁を切ることはできない」とのこと。困った。が、外国籍を獲得すれば日本人ではなくなるから諸々のあれもなくなる(?)とのこと、だがしかしアメリカ国籍などは非常に取得が難しいから、これはもう電子国家エストニアに亡命(!)するしかないのかもしれない、などと考えていたら楽しくなった。エストニアでごちゃまぜの家をやったらエストニ家だな、とか、そういうことを考えてしまった。

 

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書籍の出版依頼などに応えられなかったのも、結局、収入が増えると税金も増えるからで、そういうのが苦手な自分は「無一物」で生きるしかないのだと思った。銀行口座も、家も、車も、差し押さえの対象にしかならない。俺がモノとかカネを持ったらダメなんだなと何度も思った。熱海に別荘が欲しい人がいたら教えてください。熱海に暮らしてみたいひとや、熱海の家でカフェとか民宿をやりたいひととか、熱海の家を使って欲しい。私はモノを適切に管理することができない。管理や規制がとにかく苦手だ。無能すぎて禿げる。このままだと、多分、遅かれ早かれす差し押さえの対象になってすべてが流れていく。

 

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圭吾坊やが坂爪家を破産に追いやってしまった、なんてことになったら洒落にならない。俺みたいな人間が管理とかしてはいけないのだなと思う。みんな破滅してしまう。とかなんとか色々考えながら、今、横浜に向かっている。自分よりよっぽど大変なひとから「大変だからごちゃまぜの家に数日滞在させて欲しい」と連絡が届いた。俺も結構大変なんだけどな、と、思いながらも横浜に向かう。今後は一応横浜か熱海にいる。熱海の家を見てみたい、なんなら買いたい、あるいは有効に活用したい、なんて方がいたらお気軽にご連絡ください(あと、一張羅のジーパンのポケットに大きな穴が開いてしまって色々なものを落としてしまったので、裁縫が得意な方からのご連絡もお待ちしております)。

 

※※※ 非常にありがたいことに裁縫をしていただきました ※※※

 

連絡先・さかつめけいご

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乱世に備えて・2

新潟では基本海にいた。海に入ると調子がいい。鼻の通りがよくなる。肌もツヤツヤだ。乱世に備えて食事の量を減らしている。目指せ1日1食、そのためには「空腹を心地よいと思えるかどうか」がすべてだ。空腹感は幻想で、ただの暇潰しや惰性であることが多い。塩を舐めて水を飲むと空腹感は消える。これは発見だ。私の場合、理想の食事は酵素玄米に卵と納豆、余裕のあるときはここに生姜や大根おろしやアボカドなどを加えたりする。光合成で生きる道も考えたが、まだ、その境地には達せていない。冷たい飲み物とクーラーを避けることも有効だ。ここ最近、諸事情でクーラーも扇風機もない環境で数日間眠った。耐性がついたのか、冷房器具が不要になった。熱中症が問題になっているが、多分、日頃から冷房の効いた部屋にいるひと(冷たい飲み物を大量に飲むひと)ほど注意をした方がいいのだと思う。

 

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断食の効果は栄養学を全否定した。痛快だなと思う。一昔前なら、シャンプーを使わないと話したら「不潔!」と鼻をつままれただろう。が、今から「あ、湯シャンだよね、薬品使わないから頭皮に優しいんだよね」などと言われる。ヨガも同じだ。昔なら宗教的だと訝しがられたことが、今ならお洒落な行為に様変わりしている。世間の目なんて、そんなものだ。つい数十年前まで、男が髪を伸ばしただけで退学になったり、書いてはいけないことを書いただけで警察から拷問を受けて虐殺されたりした。そんな時代があったのだ。いま、当たり前とされていることでも、数年後には「あの頃は頭おかしかったんだね」となることは多い。乱世に備えた(と言うか、乱世に突入した)日々の中で、次世代の当たり前を獲得していけたらと思う。

 

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強がっているものの感情の浮き沈みは激しい。俺はクソだなと思ったりするが、友達と話していると「クソなのは社会制度の方なんじゃないか」などと思ったりもする。日本海テトラポット界隈には牡蠣やサザエが群生している。密漁になるのかどうかは不明だが、食べ物はその辺に転がっている。虫食もある。過去にセミやバッタやイナゴの素揚げや佃煮などを食べたが、バッタの素揚げは美味しかった記憶がある。どんぐりも(まずいけど)食えると聞く。前回の記事を読んだ方から「今年の梅干しができたのであげるね」とか「桃の収穫が終わったら、商品にならなかったやつをみんなで食べましょう」とか「畑で採れたきゅうりをあげるよ」とか、ありがたいことに連絡をいただいた。なによりも気持ちが本当にうれしかった。人の優しさは、コンビニやスーパーでは買うことができない。私は「売るとか買うもいいけれど、あげるとかもらうもすごいいいよね!」と思う。今世は、売る・買うの関係性より『あげる・もらう』に賭けたいのだと思った。

 

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佐渡ヶ島に沈む夕日

 

わたり文庫『村に火をつけ、白痴になれ ー 伊藤野枝伝』

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今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、栗原康著作『村に火をつけ、白痴になれ』です。私は、この本を、新潟市西区青山海岸の砂浜で横になりながら読みました。とても気持ちよかったです。本の内容をものすごい乱暴にまとめると「生きろ、暴れろ、女は男の道具ではないのだから、誰と付き合おうが、誰とセックスしようが、まったく問題ないばかりかそれが人間本来のあるべき姿じゃ!女達よ、男の奴隷に成り下がるな!生きろ!暴れろ!」的なものになります。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、静岡県にわたりました ※※※

 

ああ、習俗打破!習俗打破!それより他には私たちのすくわれる途はない。呪い封じ込まれたるいたましい婦人の生活よ!私たちはいつまでもいつまでもじっと耐えてはいられない。やがて―――、やがて―――。

 

栗原康『村に火をつけ、白痴になれ ー 伊藤野枝伝』【岩波書店

 

何度でも生き直せばいい。

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多動症の菩薩。多動菩薩。多動明王。なんと名付けたらいいのだろうか、やはり、動き回っている時の方が調子がいい。最近お前が興味のあるものを答えないと殺すと言われたら「内腿」と答える。バレエの先生から「あなたは内腿が硬い」と指摘を受けた。筋トレもいいけど柔軟もいい。体の硬さは頭の硬さにつながっている気がする。体が柔らかいだけで「なんかこいつやばそう!」という印象を与える。最悪の場合は旅するヨギーにでもなればいい。で、数日前から柔軟を研究している。短期間でフルマラソンを完走するためにはマッサージをやり続けろ、という、さとう式リンパケア的なものもあるらしい(間違っていたらごめんなさい)。プロのバレーボール選手は、体を痛める柔軟よりも「ひたすらマッサージに集中すること」とも聞いた。肉体をほぐすことで、結果的に全身が柔かくなるのだと。諸説あって色々迷うが、まず、自分の身体が感じる気持ち良さに従いたい。

 

夜、誰もいない海岸で横になる。読みたい本やギターなどを持ってきたが、風を受けているだけで気持ちいい。テントもあるが、大地にそのまま横になる。と、思わず「なんだこの気持ち良さは!」と声が出る。なんだ、こんなにも気持ち良い空間が世界にはあったのかと軽く仰天する。金の有無、社会的信頼の有無、そんなものに関わらず生きとし生けるものに等しく用意されている喜びは、無数にあるのだ。ないものに焦点をあわせると簡単に鬱病になる。が、いま、色々なものがないはずの自分でも「あー、最高だな」と思える瞬間がある。これを忘れたらアウトだなと思った。逆に言えば、月を綺麗だと思えている間は、海を気持ちいいとか、風を気持ちいいと思えている間は、しっかりと笑えている間は「大丈夫だな」と思った。

 

最悪の場合は、また、ここに戻って来ればいいのだ。誰にでも「ここに来れば自分に還れる」場所があると思う。私の場合、それは海だ。これが私のおっさん岩(註・バガボンド参照)だ。なにもかも失った時は、また、ここに戻って来ればいい。何度でも生き直せばいい。身体がやすらぐと精神もほぐれる。肩の力が抜ける。身体が軽くなる。なんとかするより『なんとかなる』のが人生だ。なんとかする、は、主語が自分だ。なんとかなる、は、主語が宇宙だ。自分ひとりで背負わないこと。空を見上げる。視野が広がる。自分に還る。自分自身を、自分の心を、居場所にすることができるように。目の前の出来事に、多分、善悪はないのだと思う。笑う道を選ぶか、泣く道を選ぶか。意味づけをするのは常に自分。私は、笑う道を選びたい。我々、最後には土に還る。それまでの間、降りかかって来る出来事を、笑い【生きる力】に変えて生きたいと思う。

 

 

乱世に備えて。。 #税金 #破産 #目前 #体が資本 #あのテトラポットの向こうに #牡蠣やサザエが蔓延っている #困った時は #よし #最近1日1食 #海でやるビリーは加圧がやばい #ヨガマット #欲しい #最近は柔軟に関心がある #私の内腿は硬い #肉体の硬さは思考の硬さ #硬いのはダサい #経済観念よりこっちの方に危機感がある #空腹感は水と塩でごまかす #酵素玄米と納豆で生きる #冷たい飲み物は避ける #クーラーも避ける #さとう式リンパケア #マッサージなどのボディワークに興味がある #ヨガも #体が資本 #体力 #海水 #鼻の通りがよくなる #ありがとうございます #lifeisgood #みなさまも素晴らしい宵を🦄✨✨✨

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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生きれるだけ生きたら、野垂れ死にます。

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諸事情が爆発して、静かに人生が終わろうとしている。クラウドファンディングで500万円弱を調達したのが去年の4月。ごちゃまぜの家が誕生をする。税理士の方から「税金の申告をしないとやばいですよ」と声をかけてもらったのが今年の2月。税理士の方々の協力のもと、(最大の苦手分野である)税金を支払う。と、国的なものから「なんだお前、収入があるじゃないか」ということとなり、怒涛の税金ラッシュが押し寄せているのがここ最近。金額が半端ではなく、いよいよ、首がまわらなくなった。

 

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追い込まれるほどピュアになる。

いま、熱海と横浜に家はある。横浜の家【ごちゃまぜの家】は守る。熱海の家【逢初庵】を、多分、9月以降を目処に手放すことになる。どのような形になるのかはわからない。熱海の家は、家なし生活を2年間続けた後、ブログ読者の方に購買をしていただいた(半端なく思い入れのある)家だ。それ以降、この家を自分のためだけに使うのも違うと思い、利用希望者の方々に無償で開放をしてきた。逢初庵も終わるのか、と思うと複雑な気持ちにもなるが、形は消えても記憶は残る。残り一ヶ月ちょっと、熱海の家を拠点に最後の生活を送りたいと思う。やらないといけない雑務は、山のようにある。

 

山のようにあるはずなのに、ここ数日、炎天下の中を歩きまくっている。一日3万歩は歩いている。歩くほどに透明になる。人間、不思議なもので、追い込まれれば追い込まれるほどピュアになる。道端の草花に感動をしたり、吹く風の心地良さに生きている喜びを覚えたりする。まったく金がないくせに、手元にある金を誰かのために使ってみたりする。歩きながらカーペンターズのI NEED TO BE IN LOVEを聞いた。カレン・カーペンターは拒食症で亡くなった。晩年のカレンの身体は悲しくなるほどにガリガリで、しかし、身体が痩せ細るほどにカレンの声は(切なくなるほどに)透明度を増した。あの身体では、声を出すこともつらかったはずだ。それなのに、カレンの声は、自分の命と引き換えにするかのように、深い透明度を帯びていった。カレンの声が胸に沁みた。

 

空海道元親鸞良寛や般若心経に、ここ最近、立て続けに触れた。キリスト教と仏教には、大きな違いがあると思った。キリスト教は「神様はいる。神様はあなたを見守っている」的なことを言う。仏教は「仏はいる。あなたも仏になれる」的なことを言う。神様は『ある』もので、仏様は『なる』ものなのかもしれない。クリスチャンは、決して「俺も修行をすればキリストになれる!」なんてことを言わない。が、仏教では「あなたも頑張れば仏様になれますよ」と言う。私は良寛が好きで、良寛の生き方に触れていると安らぎを覚える。良寛は、見る人が見ればただの世捨て人にすぎない。五合庵という名前の草庵に暮らし、自然を愛し、こどもを愛し、托鉢をしながら詩歌を詠んだ。そういう生き方に憧れている部分もあるために、窮地の際は「托鉢をすればいい」「ソーシャル乞食になればいい」「テントを持って暮らせばいい」などと思っている自分がいる。いま、まさに、それにふさわしいタイミングが訪れているのかもしれない。

 

真の言葉には安らぎがある。

仏教などでは「一切は空である」と言う。全然詳しくはないのだけれど、多分、自分がからっぽになるほど「からっぽになった部分に神様がやってくる」ということなのだと思う。私は思う。財を成せば現世的な利益を得ることができるし、財を成せなくても(自分はからっぽのままだとしても)宗教的な利益を得ることはできる。結局、どちらに転んでもOK。何かしらの恩恵に触れることはできる。そう思えば、気楽なものだ。33年間生きて来て、いい家に住むとか、いい車に乗るとか、うまい飯を食うとか、有名になるとか、財を成すとか、そういうことに自分は興味がないのだということはわかった。問題は「では、真の関心は何処にあるのか?」ということだ。私は、さて、何を求めているのだろうか。

 

表面的にはカネの問題に見えることでも、私は「カネが欲しい」とはあまり思っていない気がする。確かにカネがあれば諸々の不幸を避けることはできるかもしれない。が、なにか、本質的な問題は手付かずのまま残っているという不完全燃焼感を覚える。我武者羅に金を求める人生を悪いとは思わない。が、私の場合、それだけでは「虚無っちゃう」瞬間が必ず来る。カネのためだけに生きる人生は虚しく、生活のためだけに生きる人生は虚しい。では、私は、なにのために生きれば虚しさを覚えることなく生きることができるのだろうか。これまでの人生、多分、ずっとこういうことばかりを考え続けて生きて来た。答えはない。あるのは問いばかりだ。我々は、死なないために生きている訳ではないと思う。死なないことよりも大事なこと、それは「生きたいと思うこと」だと思っている。生きたいと思う気持ちのないまま、ただ、生きているだけならそれは拷問のようなものだと思う。生きるためには希望が必要だ。問題は、その希望を何処に見るかだと思う。

 

自分のような生き方が通用するとは思わない。説教を受けても仕方がないと思うし、「能書きを垂れてないで働け(みんなそうやって生きているんだ)」と言われたら、返す言葉もない。では、ちゃんと生きるとはどういうことだろうか。人間社会を生きる以上、決められた約束事には従う必要がある。が、その約束事が「人間を幸せにするもの」なのか「人間を不幸にするものなのか」が、自分にはよくわからない。誤解を恐れずに言えば、約束事に従うことで幸せそうに生きている人よりも、約束事に従うことで苦しそうに生きている人の方が多い印象を受ける。私は根本的にひねくれているので、約束事に従うことよりも「みんなが幸せになる方向で」約束事を更新する方が、重要だと考える。真の言葉には安らぎがある。私は、自分のこころが安らぎを覚える言葉を頼りに、これまでの日々を生きてきた。正論とされる言葉は、どれだけ正しくても「冷たさ」を帯びている場合が多い。これができる人間は生きていてもいいが、これができない人間は生きている資格も値打ちもないと、人間を断罪する冷酷さを覚える。正論に従えば、生きていくことはできる。が、生きていきたいと思う熱量【希望】を維持することが、難しくなる。反面、真の言葉には安らぎがある。温度があり、慈しみがある。それに触れた人間を「生きていきたい」と思わせる。私は、その力によってここまで生きてこれたのだと思う。

 

わたり文庫『小さな一歩から』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、三浦綾子著作『小さな一歩から』です。三浦綾子さんの文章に触れていると、こころが安らぐと言いますか、読書の素晴らしさはこういう瞬間の中にあるんだよなあという感覚になって「神様、ありがとう!」と思います。本を通じて、人間と会話をできている感覚を覚えます。小生、えらく感銘を受けた部分がありましたので、長くなりますが全文を引用させていただきます。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、大阪府にわたりました ※※※

 

アウシュビッツ収容所で、一人の囚人の代わりに、自らの命を捧げて死んだコルベ神父の名を知らぬものは、まずないであろう。

 

洞爺丸台風と呼ばれる台風が、1954年北海道を襲った時、二人の宣教師が、見も知らぬ日本の若い男女のために救命袋を譲って、嵐の海に命を果てた。これは私の小説「氷点」の中にも書かれている実話である。

 

また1912年、北海道塩狩峠において、長野政雄は突如暴走した客車の乗客を救うために、線路に身を投じて尊い命を散らした。これも、私の小説「塩狩峠」に詳しく書かれている。

 

この三つの事件は、すべてキリスト者の犠牲の死を伝えるものである。これらの話を聞いて、感動しない者はいない。しかし、深く心を打たれながらも、

 

「とてもわたしには真似ができない。自分たちとは別な世界に住む人だからできたことだ」

 

という言葉をしばし聞く。ある時、この言葉について私は姉と話し合ったことがあった。姉は言った。

 

「わたしも真似はできない」と。

 

むろん、私も同じことを思った。が、その時、姉はまた言った。

 

「わたしたちは、なかなか命は捧げられないけれど、小さなものなら、捧げられるのではないかしら」

 

なるほどと私は思った。小さな犠牲なら、私たちも捧げられるかも知れない。例えば、自分の庭に咲く一番美しいバラを、病んでいる人のために切って捧げることはできないか。

 

そう思った時、捧げようと思えば、もっともっと捧げ得ることに私は気づいた。つまり、どんなに忙しくても、一日に十分の時間を誰かに割くことはできないかと思ったのだ。電話でもいい、葉書でもいい、その人のために祈るだけでもいい。要は小さな一歩から始め得るのではなかろうか、と。

 

三浦綾子『小さな一歩から』【講談社文庫】 

 

自伝風物語もよろしくお願いします。

 

note.mu

 

生きれるだけ生きたら、野垂れ死にます。

話し相手がいることのありがたみを思う。ごちゃまぜの家には、よしえさんという女性が暮らしている。よしえさんは孤児院のような施設で働いている。孤児と聞くと、多くの人々は「社会的に悲惨な状態のこどもたち」というイメージを抱くと思う。が、彼らも我々と同じ人間で、いい感じの対応をされたらうれしくなるし、いやな感じの対応をされたら悲しくなる。だから、とよしえさんは話す。「私は、こどもたちをかわいそうだとは思わない。ただ、かわいいなあって思う。毎日、こどもたちに会えるのがうれしいから仕事にいく。本当に、ただ、それだけです」と話す。かわいそうな人間はいない。あるのは「かわいそうな人間を生み出す考え方」だけだ。そういうことを、私たちは話した。そのあとに思った。世間の常識とやらに、負けちゃいけないのだと思った。

 

どんな状況でも笑えるってことが大事なのだと思う。社会的には悲惨なこどもたちも、楽しいときは笑うし、うれしいときは笑うことができる。家のあるなしも、金のあるなしも、仕事のあるなしも、家族のあるなしも関係ない。私は、そういうことを証明してやりたいのだと思う。なにもなくても幸せになれる。幸せになるために、誰の許可も要らない。誰の評価も要らない。誰の承認も要らない。いま、この瞬間に、誰もが幸せになれる素質を持っているということを、生き様を通じて証明してやりたいのだと思う。世の中で決められている約束事が、自分には、ひとに優しいものだとは思えない瞬間がたくさんある。従いたくないものには従えない。それよりも「こっちの方がいいでしょ!」と、新しい在り方を提示してやりたいのだと思う。世間的な常識に、誰かが決めた価値観に、負けちゃいけないのだと思う。自分を殺してしまってはいけないのだと思う。

 

なにが起きても大丈夫。不思議と、自分の一番奥の部分は、そんな風にささやいている感覚を覚える。なにが起きても大丈夫。だから、安心をしてね。いままでどうにかなってきたように、これからもどうにかなっていくのだから。焦らないで、恐れないで、自分を閉じてしまわないで、勇敢に、前を向いて歩いていきなさい。あなたがあなたの命を生きるほど、あなたのまわりのひとたちも、自分のなかにある勇気や希望を取り戻していくのです。あなたの心のなかには、誰にも奪うことのできないたくさんの豊さがあります。草花に感動をする思いや、吹く風の心地よさに生きている喜びを感じる感覚を、自然を愛する気持ちを、こどもを愛する気持ちを、なくしてしまわないように。それがあれば、大丈夫。命はあなたと共にある。あなたは守られている。だから、安心をして生きていきなさい。命は、いま、この瞬間もそんな風にささやいている。

 

 

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しゃぼん玉飛んだ。。

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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俺を愛して欲しいとは思わない。ただ、世界を愛して欲しいとは思う。

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ハワイから大阪を経由して横浜に戻る。この世にタブーとされているものはいくつかある。死の話題。性の話題。金の話題。政治の話題。宗教の話題。などなど。ただ、様々な人々と話す機会を通じて「最大のタブーは家族なんじゃないか」と思うようになった。悩みの根源を遡ると、家族関係に行き着くことは多い。父親の影響。母親の影響。たとえば、私の母親は働き者だけど怠け者で、よく笑う女性だ。だからなのだろうか、私は「働き者だけど怠け者で、よく笑う女性」を好きになる傾向があるように思う。

 

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ある人は話す。小さな頃、母親から「役に立たない子はいらない」と言われた。だから、役に立たない限り自分には存在価値はない(生きているだけではダメなんだ)と思ってしまう。自分は奉仕精神がある人間だと思っていたけど、それは「自分の中にある無価値観を消したい」という思いに支えられているのかもしれない。またある人は言う。父親がすぐに怒る人間だったので、家庭では「怒られないこと」が最優先事項だった。だから、人間関係は基本的に『恐怖』からはじまる。相手を怒らせないこと。相手に不快な感情を与えないことが生き癖みたいに染み付いていて、自分の気持ちを表現することはタブーだった。だから、いまでも「自分の本音がわからない」と感じることは多い。と。

 

ibaya.hatenablog.com

 

幸せな家庭のイメージは「シチューのCM」みたいなものなのか。 

現在、私はごちゃまぜの家という「誰でも無料で泊まれる家」的な活動をしている。過去、家なし生活を二年ほど続けたなかで、私は「家族とはなにか?」とか「家とはなにか?」という問いを抱きはじめた。家という言葉や、家族という言葉には、どちらにも共通して「安心感を与えてくれるもの」という雰囲気がある。が、蓋を開けてみるとビックリ、これさえあれば安心感を得られると信じていたのに、実際にやってみたら、思いのほか安らぎを感じることができなくて戸惑っていると話す人たちと、少なからず出会った。

 

家庭という言葉には「シチューのCMのあの感じ」的な雰囲気がある。が、家庭とは、平気でやばいことが行われている密室でもあると思う。家族仲がよければ問題はないが、家族仲が極悪な空間は地獄だ。家族間の距離感は近い。密室で、かつ、あの距離感では「平気でやばいことが行われてい」たとしても、周囲の人間は容易に気づけない。不思議と、家庭の話が外部で話されることは少ない。当たり前だけど、誰もが、家族といっても「自分の家族」しか知らない。だから、それが(どれだけ異様なものだとしても)自分にとっての『普通』になる。私は、家なしの日々のなかで「人様の家にお世話になる日々」を過ごした。これは、どこか、潜入捜査的な日々でもあった。俺は、ひとりで家族旅行をしているみたいだと思っていた。この日々は非常に興味深いものだった。様々な方々と出会うことで、私は、家族の誰かを憎んでいる【家族が、愛情の対象ではなく報復の対象になっている】方々が少なからずいることに、結構な衝撃を受けた。

 

一番強く思ったことは「現在の家族は、風通しが悪い!」ということだった。風通しの悪さ。これは、きっと、家族以外にも言えることだと思う。だから私はごちゃまぜの家をはじめた。様々な人間が交錯するなかで、自分にとっての普通が、あれ、実はあんまり普通じゃなかったのかなと思える空間。それによって、自分のなかの普通が拡張をして、いろいろな形があるのだなあとある種の自由【風】を感じることができる空間。そんな空間になればいいと思ってはじめたごちゃまぜの家で、現在、お試し家族的な営みを始めることにした。数日間とか、一週間とか、決められた期間の範囲内で「一緒に暮らしてみる」「一緒に家族をしてみる」「期間限定の家族になってみる」というような試みだ。ツイキャスを通じてささやかな告知をしたら、早速、女性から参加希望の連絡をいただいた。昨日は、ごちゃまぜの家関係者と共に、みんなで居間に布団を並べて寝た。

 

家庭で見出した役割を、家庭の外でも継続する。

家族は興味深い場だ。私は三人兄弟の末っ子として生まれた。不思議なことに、兄弟が三人いると、同じ両親に育てられたはずなのに全然性格が違う。性格が違うというか、家庭内で背負う役割のようなものが異なる。私は、言うなれば『道化役』を担って育った。ある種のバカを演じることで、深刻になりそうな空気に風穴をあけるような役割。自分が道化を演じることで、家族のバランスを取ろうとしていたのだと思う。この「バランスを取るためにやったこと」はひとによって異なり、あるひとは仲裁役になる役割を担ったり、あるひとは「病気になる」とか「不良になる」とか「圧倒的な優等生になる」ことで、家族間のバランスを(無意識のうちに)取ろうとしたりするのだと思う。

 

もうひとつの家族ということを考える。私の知り合いにTさんという40代の女性がいる。Tさんにこどもはいないが、Tさんの妹は結婚をしていてこどももいる。隣近所に住んでいるために、妹のこども(10歳の女の子・Mちゃん)は頻繁にTさんの家に遊びに来る。Tさんと二人きりで遊びに出かけたり、母親と喧嘩をしたときなど、家を逃げ出してTさんの家で延々とコナンを見ていたりもする。Tさんも、Mちゃんを最高に愛している。私は、この関係性を見て「すごいいいな」と思った。まるで、Mちゃんには「母親がふたりいる」「逃げる場所がある」「もうひとつの家族がある」ように感じた。Tさんにとっても、こどもを育てるという疑似体験(?)ができる。私が小さな頃、家の居心地が悪いときに、逃げる先なんてなかった。だから私は海に行った。家族がひとつ限りだと「全か無か」ということになる。が、複数個の家族があれば、グラデーションが生まれる。

 

私は、性格的に「人類みな兄弟!ハロー!ハロー!」という感じではない。来る人来る人をあたたかく出迎えることができたら最高なのだろうけれど、あるひとには優しくできても、あるひとには優しくできないということがざらにある。ムラがあるのだ。なぜ、こんな自分がごちゃまぜの家などをやっているのだろうかと頻繁に思う。が、やはり、家族とか家というものに対する興味があるからなのだと思う。それは、言い換えるならば「なにが安心感をもたらすのか」ということなのだと思う。だからこそ、この場を通じて「足を運ぶ人々と一緒に試行錯誤しながら、新しい形を模索していきたい」と思っているのだろう。私は、まだ、答えをもっていない。あるのは問いばかりだ。私はしばらくごちゃまぜの家界隈にいる。お試し家族の実験は続く。引き続き参加希望者を募集するので、なにかあったらご連絡ください。家族とはなんだろう。結婚とはなんだろう。制度とはなんだろう。わからないことばかりだ。が、これからの日々の中で、ごちゃまぜの家を通じて『もうひとつの家族』を模索していけたらと思っている。

 

わたり文庫『人間の永遠の探求』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、ハラマハンサ・ヨガナンダ著作『人間の永遠の探求』です。こちらの本は、岡山県在住の女性から「わたり文庫に是非!」と郵送をしていただいた一冊になります。みなさまは『あるヨガの自叙伝』という、半端ない本をご存知でしょうか。ヨガ界隈の方々にはあまりにも有名なそちらの本の、続編(?)と言いますかその著者の講和集になります。猛烈に重厚ではありますが、猛烈に濃厚な一冊だと思います。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、長野県にわたりました ※※※

 

人生の目的は、真の自己を見つけることです。真の自己を自覚しなさい。あなたの心の奥に、宇宙に遍満する神の大海原の鼓動を感じなさい。自分がその大海原に漂いながら、広大な力強い神のみ胸に抱かれて揺すられていると想像しなさい。それから岸に向かって泳いで行くときもなお海全体を感じ、浜に上がって歩いて行くときも背後に海のうねりを感じなさい。私はそんなふうに神を感じています。神はご自分の子供たちを一瞬たりとも放ってはおかれません。あなたのどんな問いにもすべて答えてくださいます。そしてそのとき、あなたの一切の恐怖や不安は消えるでしょう。ー ハラマハンサ・ヨガナンダ『人間の永遠の探求』【Self-Realization Fellowship】

 

自伝風物語もよろしくお願いします!

 

 

 

note.mu

 

俺を愛して欲しいとは思わない。ただ、世界を愛して欲しいとは思う。

身の上話を聞いたり、悩み相談のようなものを受けていると「え、こんな人が!」と驚くことが頻繁にある。誰が見ても幸せそうに生きている風に見える人も、実は、誰にも言えないとんでもない問題を抱えていたりする。ひとは見かけによらない。自分も、自分なりの生きづらさを抱えていると思っていたけれど「いろいろな人がいるんだなあ」と思うと、自分の悩みなんてちっぽけなものに思えて来る。自分の悩みが相対化されるというのだろうか、ああ、自分は結構まとも(というかマシ)な方なんだなと思ったりする。

 

悩みを話すひとは「どう生きるべきか」ということを、絶えず頭で考えている印象を受ける。が、私は、頭の問題を頭で突破することは難しいんじゃないのかなとか思ったりする。悩み相談に答える(頭に頭で応える)より、なんだか、気持ちを込めて抱き締めた方が色々解決するんじゃないのかなとか思ったりするのだけれど、そこは理性が働く領域であるためになかなか実行できることは少ない。この国は深刻なハグ不足であると感じることは多いが、やり方を間違えるとセクハラになるので慎重になる。そしてもう一点。自分の中で決めたルールのひとつに、誰かを救おうとしないことというものがある。それよりも「自分がやりたいと思うことを楽しみながらやっていたら、結果的に問題が解決していた」という状態を愛している。ごちゃまぜの家も同じだ。もっといろいろなことをごちゃまぜにした方が、単純に「自分が楽しめる出来事が増えそう」という思いから、こうした活動をはじめている。自分のためにやっていることが、結果的に誰かのためにもなった(家族の問題をほぐしていた)のであれば、それを最高だと思う。

 

先日、ある女性に告白をされた(なんて書き方は淡白に響いてしまうかもだけど、詳細は割愛する)。非常にうれしかったし、非常にありがたいと思ったのだけれど、同時に「ああ、俺の中には『愛されたい』という思いはあまりないみたいだ」ということを思った。俺は、俺を愛して欲しいとは思わない。ただ、目の前にいるひとが『誰かを愛することを通じて、世界全体を愛するようになって欲しい』とは思っている。そのきっかけとして、自分が存在できているのならば、それは最高だなと思った。俺を愛して欲しいとは思わない。ただ、世界を愛して欲しいとは思う。愛は、人間を自由にする。真理も同じだ。真理は人間を自由にする。縛るなら、固定されるなら、見返りを求めるならば、空白を埋めるためのものならば、それは愛ではないように思う。願わくば、家族というものが、ひとを愛するということが、自分が生きているということが、周囲の人間を『より自由にする』ものとして、いい感じの働きを生むようになればいいと思う。

 

 

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#hawaii #BillyGyallow #lifeisgood

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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命は生きたがっている。

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ワイ島に着く。四日目。各島々によって空気感が異なる。ハワイ島は「帰ってきた感」が強い。同行者のY様も同じ感想を抱いた。自分は霊的感覚に鈍いタイプの人間だけれど、それでも「ここは(土地の力が)強い」と思う。最近はまっている芸人ふーみんさん風に言えば、みぞおちの穴に指突っ込んで、チャクラをガタガタ言わされている感覚になる。強制的に胸を開かされるというか、内側にあるどろどろとしたやつを全部見せてみろよと、島全体から言われているような感覚になる。

 

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キラウエア火山の大噴火により、靄がかかっている。前回足を運んだ際、ハワイ島南部にあるウォームポンドという温泉に偏執狂的にはまった。だが、悲しいことに、溶岩がウォームポンドを跡形もなく流し去ってしまった。もう、あの場所は伝説の場所になってしまった。大事なものがいつまでもそこにあるとは限らない。だからこそ、行きたい場所ややりたいことや会いたい誰かがいるのなら、いま、実行をした方がいいのだと思う。形は消えるが、記憶は残る。ウォームポンドは消滅したが、ウォームポンドに足を運んだ記憶は残る。愛は時間だ。大切なものは、大切にした時間だけ大切になる。

 

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自分がいる場所を天国にする。

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ホナウナウ

 

ホテルにいると「ホテルにいるなあ」と思う。が、ホテルの外にいると「ハワイ島にいるなあ」と思う。土地のエネルギーをリアルに感じたければ、できるだけ屋外にいなければ動き出さない気がする。どれだけ素晴らしい環境に囲まれていても、(たとえそれが駐車場の一角だとしても)屋外でちょこんと体育座りをしている時間には勝てない。壁が、自然を切り離してしまう。屋根が、空を遮ってしまう。部屋のなかにいると、極端な話、恋人とゴム手袋をしながら手を繋いでいるような感覚になる(ことがある)。

 

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ホテル前のサンセット

 

ワイ島に来るのは今回が3回目。改めて「この場所は最高だ」と思う。できることならば死ぬまでに全人類に一度はハワイ島に行ってみてほしいと思う。こんなに好きならばハワイ島に住めばいいじゃないかと自分にツッコミをいれたくなるけれど、違う。私は、ハワイ島の空気感を日本で実現したいのだと思う。この空気感を日本に輸入したいのだと思う。ハワイに住みたいのではなく、ハワイの空気感を日本でも実現したいのだと思う。だから、生きることに疲れたときはまたハワイ島に足を運び、チャージをして日本に戻る。どこの国にいても思う。私のホームは日本であり、多分、私はどうしようもなく日本人なのだと思う。

 

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サウスポイント

 

ワイ島の空気感は最高だが、どこか既視感を覚えた。ふと考えたら「あ、これは熱海の空気感と同じだ」と思った。現在、私は熱海駅から徒歩20分程度の場所にある古民家を自由に使わせてもらっている。熱海駅を降りた瞬間に「あ、」となる。空気の違いを感じる。そして伊豆山を登り家に着く頃には、ああ、帰って来たという気持ちになる。玄関前の椅子に座りながら、日光浴をしたり読書をしていると「他にはなにもいらねえ」と思えるほどの充足感を得る。この感覚は、ハワイ島で感じた空気感と似ている。懐かしさと開放感、安心感、帰って来たという感じがブレンドをされた空気感だ。 

 

あなたの人生にいっぱいいいことがこれからも起こりますように。満点の星のように、朝の光のように、きれいな滝の水みたいにどんどんふりそそぎますように。

 

これは、よしもとばななの小説「サウスポイント」にある言葉だ。サウスポイントはハワイ島にあるアメリカ最南端の岬になる。愛は見返りを求めない。自分が幸せなとき、幸せの余剰として(まるでお裾分けをするような感覚で)誰かの幸せを自然な形で願うことができる。愛は絞り出すものではない。あふれ出るものだ。愛することの喜び、愛するひとと出会えたことの喜びのひとつに「こんな気持ちにさせてくれてありがとう」と思える、というものがある。あなたと出会えたことで、自分の内側から湧き上がる泉の存在を知った。自分にも、こんな気持ちになれたことが何よりも嬉しいのだ。ということを、愛すること(愛するものの存在)によって認識する。

 

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never stop exploring... #hawaii #bigisland #BillyGyallow #thenorthface #lifeisgood

 

自伝風物語もよろしくお願いします。

 

 

 

note.mu

 

命は生きたがっている。

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コナジョー。世界で一番落ち着くカフェ。


ワイ島では色々なことを思った。良いとか悪いとか言う時、その基準は何処にあるのか。ただの社会通念に過ぎないのだろうか、それとも普遍的なものなのだろうか。永遠に変わらないものなどあるのだろうか。わからない。ただ、永遠にこのままであって欲しいと願う瞬間はある。何が本当なのだろうか。わからない。ただ、これは本物だと思った瞬間ならある。愛も然り。何が愛かを私は知らない。ただ、この瞬間は「確かになにかを愛していた」と思った記憶ならば、誰のなかにもあるのだと思う。あらゆるものは流れている。現実を固定することはできない。世界は、どこまでも流動的なものだ。

 

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コナジョーからの眺望。目の前に海が広がる。

 

夜。星を見上げる。とんでもない数の星が輝いている。俺たちは、いま、この瞬間も「とんでもない惑星の上」に暮らしているのだなと思う。日常的に、そのことを意識することは少ない。我々は、バックミンスターフラーが言うところの『宇宙船地球号』の乗組員であることを意識することは少ない。宇宙を漂っている惑星の上で、公転と自転を繰り返している惑星の上で、何気ない顔をして暮らしていることの「とんでもなさ」を自覚することは少ない。科学技術の発達で、我々はいろいろなことをわかったつもりになって生きている。が、夜の星空を見上げただけでも、神秘を前に言葉を失う。我々は、わかっていることを前提に生きているけれど、本当は「わからないことだらけの世界」を生きているのだな、これは奇跡を生きているのと同じだな、などと思わされる。

 

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ホノルルのワイキキビーチ。明日には大阪に向かう。

 

生まれたくて生まれた人間はいない。誰もが、気がついた瞬間には「生まれてしまっていた」のだと思う。死にたいと思うことがある。生まれてこなければよかったと思うことがある。でも、どれだけ死にたいと思っていても、それと同じくらい、否、それ以上に「生きていたい」と強く思う自分がいる。私たちは、自分が生きていると思っている。しかし、本当は「命が自分を生きている」のだと思う。死にたいと思うのは頭の働きだ。生きたいと思うのは命の働きだ。だからこそ、どのような状態に置かれても「生きたい」と思う気持ちを捨て去ることができないのだと思う。命は生きたがっている。自分が生きているのではなく、命が、自分を生きているのだと思う。人間の役割は、人間の存在意義は、与えられた命を、どのような形だとしても構わないから全うすることにあるのだと思う。それも、ただ生きるのではなく、できることならば「しっかりと生きていきたい」と思う。だから悩む。だから迷う。だから苦しむ。命の声に、真剣に耳を傾ける限り人間は悩む。しかし、それは悪いことではない。それは真剣に生きていることの最大の証明であり、その態度こそ、その在り方こそ「生きていること」に他ならないのだと思う。

 

 

サウスポイントからおはようござちます! #hawaii #bigisland #southpoint #greensandbeach #theendoftheearth #どえらい惑星 #わかったつもりになることもあるけれど #世界はわからないことばかりだ #なんだこの星は #と #昨日夜空を眺めながら思いました #良いとか悪いとか言ってること全部 #もしかしたらデタラメかも #lifeisgood #生きとし生けるものに真理の風が吹き抜けますように!🍃✨✨✨ 

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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歩き出す前が一番疲れている。

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多動ツーリズム二日目にして搭乗予定の飛行機を逃すアクシデント。このままでは予算を越え帰国不可能になる。困った。ので、航空会社に乗り遅れた旨を伝える。と、アラジンみたいなイケメン担当者が「2時間後の便に振り替えてあげる」と爽やかなウインク。九死に一生を得る。が、次はレンタカーの問題がある。カウアイ島で借りる予定のレンタカーショップが、到着する頃には閉店しているかもしれない。その際は、我々、空港付近で野宿をするはめになる。

 

ibaya.hatenablog.com

 

青空ビリー【1日1N】

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ポイプビーチパーク

 

モロカイ空港にて2時間後出発の飛行機を待つ。祈った。が、ただ黙祷するだけなのは芸がないと思って「我々なりの祈りを」ということでビリーズブートキャンプをやることにした。ビリー隊長には恩義がある。ハワイの気候は温暖なので日陰は最高だ。日陰を探す。良い風が吹いている。動ける格好に着替える。ビリーズブートキャンプの動画を流す。ビリーに倣って我々も動く。山々に囲まれた空港の屋外で行うビリーズブートキャンプは最高だった。海岸でヨガをやる人々の気持ちがとてもよくわかった。モロカイ空港は忘れられない場所になった。帰国したら代々木公園でビリーズブートキャンプ(からの銭湯、からの食事的な自由参加型の企画)をみんなでやりたいと思った。

 

良い汗をかいて水を飲んで着替えたりしていたらまた飛行機に乗り遅れかけた。搭乗員が「ちょっとあんたたちばかなんじゃないの!」と呼びに来てくれなかったら終わっていた。飛行機に飛び乗ってモロカイ島を離れる。カウアイ空港に着き神に祈る気持ちでレンタカーショップに向かう。ここが閉まっていたら終わりだ、と思ったものの無事に開店していて事なきを得る。48時間のレンタルで約1万円程度。車は動く家だ。最悪の場合は車中泊できる。屋根付きの個室を与えられた。ということで「ハワイに囲まれて眠りたい!」というY様の要望に応え、カウアイ島初日は海で寝ることになった。

 

その前に腹ごしらえということでマクドナルドに向かう。マクドナルドなんて10年振りに行った。ハワイの物価は高い。レストランにはチップを払う必要がある。その点、安価なマクドナルドは我々の味方だ。Wi-Fiと食べ物を与えられるとご機嫌になる。バーガーは美味しかった。コーラにはまった。Googleマップで最寄りの海岸を調べる。私は多動ツーリズムの同行者として常に野営道具と水をろ過する小さな機械と非常食諸々を常備している。これだけあれば最悪三日間程度なら無人島でも生きていける。御依頼主様の金銭的な負担を減らすため、最悪の場合は「自分は外で眠れるので大丈夫です。水も買わなくて大丈夫です」と言える自分でありたいからこその備品になる。

 

愛には恐れがない。

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カウアイ島の安宿。リゾートホテルより落ち着く。

 

海岸に着く。想像を超えた荒波にひるむ。波音がすごい。こんなところで野営なんてできるのだろうか。自然をなめたら危険だ。が、なんだってやってみなくちゃわからないということで海岸を歩く。あらかじめ断っておくと、ハワイは(キャンプ場以外は)野営禁止だ。すべては自己責任の遊びになる。が、既に複数のテントを見かけていた。多分大丈夫だろう。が、我々にテントはない。取り急ぎ持てるものだけ持って適当な場所にまずは腰をかけてギターを弾いた。ギターの音が波にかき消されてしまうようでは、ここにいてはいけないのだと思うことに決めた。ら、ギターの音はギリギリ聴こえたために引くに引けなくなった。遠方の空が明滅している。雷だろうか。月が出る。恐ろしいほどに明るい月だ。我々はここで眠れるのだろうかと震えた。ら、雨が降ってきた。

 

自然には二種類ある。ウェルカムな自然とデンジャラスな自然だ。今宵の海は後者だった。人間は出て行けという感じだった。ので、我々は「なんだかいろいろごめんなさい」的な気持ちになってささっとビーチを離れた。車に乗り込み適当な駐車場を探す。が、駐車場が見つからない。この時点で深夜2時前。夜道は暗い。自然は怖い。明るいお月様が我々を見ている。たまらなくなった我々は「お月様、ごめんなさい」と口にしたあとに「ごめなさいだけじゃ足りない!」と思ってありがとうございます、許してください、愛していますと唱えた。これは完全に無意識だったのだけれど、我々は(はからずも)ホ・オポノポノを遂行していた。ああ、こうやってホ・オポノポノは生まれたのだなと思った。

 

駐車場が見つかって横になる。が、ここには書ききれないことが108個くらいあったためにまったく眠れず会話が生まれる。Y様から「ホ・オポノポノ(ありがとうございます、ごめんなさい、許してください、愛しています)の言葉の中で、連続して口に出していると、泣きそうになる言葉はどれですか??」と問われる。私は、許してくださいを連呼していると胸にグッとくるものがあると答えた。ら、Y様は「自分は、ごめんなさいという言葉です。昔から謝ってばかりいたからなのかな。(中略)愛とは何かとか、そういうことがまったく自分にはわからないのですが、坂爪さんは愛ってなんだと思いますか」とのこと。愛とはなんだろうか。私に愛しているひとはいるだろうか、と思った時に母親の存在が浮かんだ。ら、聖書かなにかには『愛には恐れがない』という言葉があったことを思い出した。すべての恐れがなくなったら、ひとは愛することしかしなくなる。そんな言葉も聞いたことがあったなあ、などと思っていたら眠りに落ちた。愛には恐れがない。愛に垣根はない。そう思いながら目を閉じた夜の寝つきはよかった。

 

自伝風物語を紹介していただきました。

note(ノート)の中の人、ありがとうございます!!

 

 

歩き出す前が一番疲れている。

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なんということでしょう🏝✨✨✨ #hawaii #kauai #poipubeach #honu #lifeisgood

 

翌朝。駐車場で目覚めてポイプビーチに向かう。景勝ランキング全米一位にも輝いたことのあるらしいビーチだ。朝早く着いたからなのか人気もまばらで、驚いたことに眠る海亀様に立ち会えた。ハワイ語で「ホヌ」と呼ばれる海亀は神様として奉られている。アザラシのような生き物にも出会えた。名前をハワイアンモンクシールというらしい。どちらも神々しかった。インドでは牛が神様になる。共通点は「ゆっくりと動く」ことにあるのかもしれない。多動症の自分とは真逆で焦った。多動ツーリズムなどと言っている場合ではない。

 

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ハワイアンモンクシール(最初海亀の死骸かと思って焦った。。。)

 

海亀が見れただけで大満足。我々のテーマは「1日1N」ということで、1日になにかひとつでも「今日はこれが最高だった!」と思える初体験があればそれでよしとする。この日のNは海亀様。大満足。安宿を予約して早目に休む。そのつもりだったが、屋外ビリーにはまっていたのでホテル前の山が望める広場でビリーをやる。不思議だ。運動前は疲れていても、運動をすると元気になる。歩き出す前が一番疲れている。なにかをやるときは「(やる気が出るのを待つのではなく)やればやる気が出る」のだと思った。なんでもいいから、とにかく手をつけることだ。そうすれば自然と流れは生まれる。

 

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なんということでしょう🌞✨✨✨ #hawaii #kauai #waimeacanyon #3400ft #lifeisgood

 

翌日。ワイメア渓谷をドライブした後にレンタカーを返却してカウアイ島を離れる。次の目的地はハワイ島。キラウェア火山が噴火をしているために大変な場所だ。ここ数日の教訓は「歩き出す前が一番疲れている」ということで、なんでもいいから手をつけてしまうことの威力。岩は、転がるまでが大変なのだ。死ぬまでに行きたい場所があるならば、いま、航空券を予約してしまうこと(金策は後!)。好きなひとがいるなら、いま、次に会う約束をするメールなりラインなりを実際に送ってしまうこと(告白のセリフを考えるのは後!)。セックスをしたい相手がいるなら「セックスしたいです」と伝えてしまうこと(火の始末は後!)。多分、そこから始まるのだと思う。考え過ぎることの鈍臭さと、実際にやってしまうことの底知れない威力。長くなったので、ハワイ島の話はまた次回!!

 

 

海に戻ると書いて涙。。 #hawaii #kauai #poipu #浅瀬 #激流 #白人 #白い #白いなあ #ごちゃまぜの家管理人の稲村彰人さんに告ぐ #我々は三日連続ビリーズブートキャンプをやっています #初日はホテル #二日目はモロカイ空港 #三日目はカウアイ島の山の前 #稲村君 #君はしっかりと生きているか #歩き出す前が一番疲れている #運動前は疲れていることが多い #が #不思議と運動した後の方が元気 #いますごい元気 #なぜならビリーズブートキャンプをやったから #徹夜明けで死んでたのに #いまなら確定申告もできそう #lifeisgood #みなさまも素晴らしいビリーズブートライフを!🏋️‍♂️‍♀️✨✨✨

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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誰もが、誰かの力になりたいのだ。

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関空に着く。ホノルルに飛ぶ。多動ツーリズムのご依頼(?)をいただき、いま、モロカイ島からカウアイ島に向かう飛行機を待っている。私は暇なので、最近、多動ツーリズムという旅行方法を提唱している。その内容は「短期間内に各国や各島々を巡りまくる」というもので、海外旅行をしたいけど一人ではちょっとという方に同伴させていただく形で、半ば強制的に「世界を喰らう」日々を過ごしている。

 

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私は、自分を軽度の多動症だと思っている。が、元来、おしなべて人類は多動症だったんじゃないのかななどと(小さなこども達を見ていると特に)思う。誰もが、実は、この瞬間も『なにかをしたくてうずうずしている』のではないだろうか。という、ホモ・サピエンスの根源的な衝動にお応えすることが多動ツーリズムの真髄になるのですが、なんと、こんな企画に御依頼が舞い込んだことがとっても嬉しい。ハワイ諸島は世界有数の素晴らしい景観を誇る。その模様を、この記事から少しでもお伝えできたらと思う。

 

ibaya.hatenablog.com


やりたいことは全部やろう。

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ホノルル空港第3ターミナル

 

とにかくハワイの島々を味わい尽くしたい!と言う御依頼主の要望に応えるべく、予算内でできることを共に考えた。ら、とにかく各島々の海を泳ぐことが最優先事項であることがわかったので、今回のテーマは「やりたいことは全部やろう!」になった。ハワイまで来てケチっている場合ではない。できる、できないではなく「やるか、やらないか」ということで、削るところは削る代わりに欲しいものは全部獲りに行くスタンスで多動ツーリズムははじまった。

 

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モクレレ航空のいかしたパイ(ロット)ちゃん


ホノルルに着き、座席数10席のモクレレ航空に乗ってモロカイ島に飛ぶ。途中、アリさんと言う名前のハワイアン男性と知り合う。我々が日本から来ていること、多動ツーリズム(と言う名前の貧乏旅行)をやっていることを告げると、アリさんは「最高の人生だね!」と満面の笑みを浮かべて親指を立てる。ハワイの人はとにかくいい感じのひとが多い。最高の人生だね、と言われると「そう言われると、なんだか最高の人生みたいな気がしてきた!」となれるから不思議だ。モクレレ航空のパイロットも極めて陽気で、我々が日本人だと告げると、アラジンみたいな色気たっぷりのウインクと共に「ばいばいきん」などと言うものだから、日本人でもそんな挨拶はなかなか使わねえぞって思ったけれどもいい風が吹いた。

 

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特筆すべき点がなにもない道


モロカイ空港から徒歩で街に向かう。モロカイ島は信号機ひとつない島だ。空港にタクシーやバスは皆無のため、自力でチャーターしなければ到着した途端に路頭に迷うことになる。が、我々は積極的に路頭に迷う道を選んだ。タクシーは片道30ドルかかる。が、徒歩なら無料だ。中心部まで徒歩3時間。無理じゃない距離だ。我々は意を決して歩き始めた。モロカイ島は火山島だからなのか、荒涼としたらサバンナ感溢れる大地が延々と続いた。が、この後、モロカイ島最初の奇跡が起きた。


カラダを張らにゃあドラマは生まれん。

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歩いている道中、頻繁に見かけた花。綺麗。

 

何もない道を15分くらい歩き続けた。ら、目の前に車が停まって「あなたたちなにしてるの。歩いてるの。まあ、クレイジーダネ。なに。歩ける。歩けるわけないじゃない。黙って車に乗りなさい!」と、曙と吉高由里子を足して2で割らない感じの美しい女性が声をかけてくれた。ので、甘えた。道中、カウナカカイ市街地を案内していただく。海。街。空。店。風。半端なくいい感じの女性だった。我々はキャッシュを1ドルも持ってなかったので、銀行前で降ろしてもらった。ハグをして別れる。素晴らしい出会いだった。御依頼主Y様と共に「徒歩だからこその!徒歩だからこその!」と幸運を祝した。

 

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テルモロカイ。この贅沢に慣れてはいけない。


テルモロカイに着く。我々には高級過ぎるホテルだ。この日は宿だけ贅沢をすることに決めた。私は粛々とビリーズブートキャンプをやる。御依頼主はバーでビールを飲んでホロ酔いになる。夕日が沈む。素晴らしい夕日。落ちて来そうな星空に見惚れる。翌日は海で野営もありだね(野営を織り交ぜることで宿泊費を浮かせる)などと話していたが、海が泥みたいだったのでこの案は捨てた。翌朝、チェックアウトを済ませて徒歩でカウナカカイ市街地にあるモロカイバーガーを目指す。この日の目的地はカウアイ島。モロカイ島は「なんとなくわかったね!」ということで、一泊のみで終わらせることになった。

 

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モロカイの海は泥。ぬるっとした(もちろん全部ではない)


バーガーを食べ終え、さて、空港までどうやって行こうかとなる。タクシーは高い。Y様はヒッチハイク未体験と聞く。これはチャンスということでヒッチハイクバージン卒業を促した。ら、ありがたいことに「では、やってみます!」ということになって親指を立てるのに適当な場所を探す。ガソスタがあったのでここでやったらどうにかなるだろう、最悪、道端で横になってうずくまっていたら誰かが拾い上げてくれるだろうなどと話していたとき、我々が声をかけるよりも先に、ガソスタから出て来たばかりのおばあちゃんが「乗る?」って声をかけてきた。ので、ヒッチハイクを卒業するまでもなく、驚きの速度で空港までの交通手段を獲得した。

 

自伝風物語も13作品目までいきました。

 

note.mu


誰もが、誰かの力になりたいのだ。

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モロカイ海岸

 

おばあちゃんが「時間があるなら我が家に寄っていきなさい!」と激烈レコメンドをしてくださった。ので、甘えた。モロカイ島北部のホオレフアという地域で、三世代同居をしている彼女たちは自作の家に暮らしていた。10歳にも満たない男の子(孫)が我々を厚く歓迎してくれた。お菓子とサラダとジュースとホットドッグをご馳走になり、ああ、モロカイバーガーは不要だったなあとちょっとだけ後悔をする。食事前に、10歳にも満たない男の子が祈りの言葉を捧げる。この時の祈りの言葉がなかなかに衝撃的で心はみるみる浄化され、我々は、モロカイ島まで来て本当に良かったと思った。

 

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おばあちゃん邸宅の眺望。素晴らしい。


神様、この日の食べ物を与えてくださったことに感謝します。そして、今日、遠く日本からのゲストを与えてくださったことに感謝します。彼らは私達の兄弟です。私達の兄弟に、なにかをさせていただける機会を与えてくださり、私達も力にならせていただける機会を与えてくださり、本当にありがとうございます。誰かに何かをできることは、私達の喜びです。その喜びを与えていただいたことに感謝します。彼らの幸運を祈ります。彼らの旅の無事を祈ります。彼らに、神のご加護がありますように。アーメン。

 

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やぎも僕たちを見ていた。


日本語にすると押し付けがましく響くかもしれないけれども、男の子の口調からは、ただただ清潔で神聖な響きだけが伝わって来た。その、瞳の美しさに震えてしまった。短時間だったけれど、色々な会話を交わした。食事をご馳走になり、猫と犬と戯れ、搭乗の時間が近づいてきたので空港に送っていただく。素晴らしい時間だった。素晴らしい祈りだと思った。誰もが「誰かの力になりたい」と思っている、そんな部分があるのだと思う。誰にでもそんな部分がある、そう思うだけで世界を信じる力を得る。旅先で人々の優しさに触れるたび、今度は自分が与える側に回ろうと思うペイフォワード的な気持ちになる。人間は優しいし、世界は優しさ(誰かに優しくしたい気持ち)に包まれているのだ。満ち足りた気待ちで空港に着き、出発時間を待つ間にこの記事を屋外で日光浴をしながら書き始めていた。ら、驚いたことに、いま、出発時刻が予定より早まっていたことをY様経由で知り、我々はいつの間にか飛行機に乗り遅れていたという衝撃の現実を突きつけられて戸惑っている。まじか。参った。これは困ったことになってしまった。旅にアクシデントはつきものだよね♫ルンルン♫などと言っている場合ではない。このままでは予算がないから帰国ができない。さて、我々はどうなるのでしょうか。長くなったので続きはまた今度!!我々の健闘を祈ります(取り急ぎ思い浮かぶ順番からネゴってきます)!!

 

 

カラダを張らにゃあドラマは起こらん。。 #Hawaii #molokaiisland #BillyGyallow #旅路 #同伴 #予算に限りはあるものの #ケチらず #妥協せず #やりたいことは全部やろう #空港から徒歩 #身体を土地に馴染ませる #素敵 #このあと海に入りました #が #泥 #モロカイ島の海は泥 #lifeisgood #明日には他の島にいる可能性が高いです!!🦄✨✨✨

 

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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三年寝太郎は鬱病だった説。

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いま、台湾から関西空港に向かう飛行機の中でこの記事を書いている。関空からはホノルルに向かう。台湾では、屋台料理の蛤にあたって数日間死んでいた。何もせずに眠り続けていると「何もせずに眠り続けている自分はクズなんじゃないだろうか」などと考えてしまう。が、そんな時こそ、三年寝太郎の昔話を思い出すようにしている。

 

常々書いていることだけれど、社会不適合者という言葉について考える。自殺者が3万人いて、鬱病患者が100万人いるらしい社会に適応したら、おかしくならない方がおかしいのではないだろうか。必要なのは適応よりも開墾で、自分みたいな人間でも生きやすい土壌を作ることが、結果的に「自分みたいな誰か」にとっても生きやすい世の中になるのではなかろうかと、頭痛をこらえ、腹痛をこらえ、考えた。多分、鬱病は異常ではないと思う。人間として『当たり前の反応』だと思う。

 

ibaya.hatenablog.com

 

三年寝太郎鬱病だった説。

三年寝太郎の昔話がある。三年間眠り続けた男が、ある日、ふと眠りから覚めたと思った途端に活動的になり、灌漑によって村を救って英雄になる。そんな感じの物語だ。が、私は、もしかしたら「三年寝太郎鬱病だったのではなかろうか」と思った。まだ、鬱病という言葉が与えられていなかった時代に、鬱病患者のU字回復を描いた物語なのではなかろうかと思った。そう思うことで、過去、精神的な疾患によって半年間程度寝込み続けていた自分自身を励ましていた。

 

三年寝続けてもどうにかなった男がいる。たとえ作り話だとしても、そう思わせてくれる男の存在は大きかった。鬱病経験者ならわかると思うが、家族や友人から「いまはゆっくり休むといいよ」などと慰めの言葉をかけられても、頭意識は24時間がっつり働くものだから「休むなんて簡単に言うなし!休むことの難しさ半端ねえからな!むはー!」みたいなことになる。我々が日本人だからなのかなんなのか、頑張ることは得意でも、休むことは極端に苦手だ。常に、何もしていない自分に対する『罪悪感』がつきまとう。この罪悪感が厄介だ。何もしていない自分は無価値な人間で生きるに値しない、などと考えはじめてしまうのだ。

 

私は経験者だからよくわかる。休みなさいって言われても超絶難しいよね。自分だけ置いていかれているような気がするよね。生まれてきたことが間違いだったとか、みんなが自分のことを忘れてくれたらいいのになあとか願っちゃうよね。みんなが強く見えて、自分ひとりだけが弱く見えちゃうよね。わかる、わかる、めっちゃわかる。が、私はあえてここで言いたい。「そんなことはないぜ」と。そして「三年寝太郎を見よ!」と言いたい。ついでながら「坂爪圭吾(ビリーズブートキャンプ鬱病を克服した男)を見よ!!!」とも言わせていただきたい。

 

ibaya.hatenablog.com

 

自伝風物語もよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

note.mu

 

自分を許したように、他人を許せるようになる。

鬱病当時、私は、心のどこかで「自分は鬱病にふさわしい人間だ」と感じていた。自分はふさわしい報いを受けているのだという感覚、この、マゾヒスティックな懲罰的思考の矢印は、完全に自分に対して向けられていた。自分には生きている価値がないと薄々昔から感じていた自己否定感や無価値感を、鬱病を利用することで「やっぱりね」なんて感じで強化していた(ように思う)。が、なぜ、そんな自分が鬱病を克服できたのか。要因は108個くらいあると思う。が、要因トップスリーをあげるならば「三年寝太郎の存在」「ビリーズブートキャンプの存在」「母親の存在」ということになる。

 

三年眠り続けても大丈夫だった男がいたという希望。ビリーズブートキャンプをやることで「あれ、なんだか、気持ちいいぞ!」と錯覚させることで頭の問題を身体で突き抜けた感覚。そして、実家の母親の存在。母親は、精神的に死んでいる私に向けて「あんたは大丈夫」だと常に言っていた。私は、自分でも自分を信じることはできなくなっていた。俺は無理だよ、とか、俺はクソだよ、とか、自分の尊厳を自分で守ることを投げ捨てていた。が、母親は違った。母親だけは、自分を信じてくれていた。この『自分以上に自分を信じてくれる者の存在』によって、私の命は繋がれたのだと思う。

 

もしもいま鬱的症状に悩むひとがいたら問いたい。心のどこかで「自分は鬱病にふさわしい人間だ」などと思っていないだろうか。私は思う。自分を許したようにしか、他人を許すことはできない。が、自分で自分を許せない時は、誰にでもあると思う。だからこそ、誠に勝手ながら、私にとっての母親的な誰かが、あなたのそばに居てくれることを願う。そして、もし、そんな人間が周りにいないのならば、私が母親役を買って出たいと思う。そして言いたい。「あんたは大丈夫」だと。大丈夫だから、いまはとにかく、眠り続けていたらいいのだと思う。この経験が、いつか必ずこれからの人生で生きる時が来る。そのことをいまはまだ信じられないとしても、あなた以上に、そのことを(誠に勝手ながら)信じている男がいることを、時折思い出してもらえたら嬉しいと思う。

 

 

○○○○といいます。
ツイキャス、今日もありがとうございました!

さっきの話を聞いてて思ったのは(これは坂爪さんたちを不真面目だと言いたいわけではないのですが)自分はまだまだ真面目すぎるな、と感じました。

今、大好きでお世話になった人にいつもありがとうの気持ちをこめて「おもてなしピクニック」をしよう!って言って友だちと準備してるのですが、最初思いついたときはめっちゃわくわくして楽しかったのに、これがいるとか、何を作るかとか、ちゃんとおしゃれに素敵な感じてやろうとすればするほど、思いついたときのテンションと変わっていく自分がいて、“ちゃんとしよう”としすぎてるからなんだなーとぼんやり思いました。

おもてなしだし、雰囲気も楽しみたいからそれはそれでいいんですが、もういっそ「不真面目ピクニック」みたいな感じで、それぞれ持ってきたいもののみ持ってくる!そしたらカセットコンロばかり集まっちゃって、それを焚き火代わりに囲んだ、ぐらいな不真面目(不真面目というのか、面白さの)感でも楽しいかもだしある意味思い出に残るかもな〜と思いました。笑

なんかまとまらない文章を送るのは申し訳ない感ありますが、1日1Fで送りまーす!
ありがとうございました(*^^*)

 

桃園空港からおはようございます! #台湾 #桃園 #今日は山羊座の満月 #厳しいテーマを課せられた瞬間はきついが #達成したものにはこの上ないご褒美が用意される #的な時期になるらしいです #与沢翼さん #禁酒禁煙ダイエット #なにかを頑張りたいときは #いま #自分は刑務所にいるのだと思えばいい #そう思えば楽チン #刑務所に比べたら楽チン #拷問を受ける訳でもなし #自由的制約を受ける訳でもなし #ただ #痩せたいなら痩せればいい #食いたくなければ食わなければいい #それだけの話 #この考え方には感銘を受けた #台湾は刑務所 #刑期は五日 #わたしはなにを成し遂げられるでしょうか #lifeisgood #みなさまも素晴らしい日々を!🌈✨✨✨

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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