いばや通信

ibaya.ex《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

踊れない革命はいらない。

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名古屋駅前のカフェドクリエにいる。名古屋ドーム前LIVEを終え、心地よい爽快感に包まれている。来てくれたお客様は一名様。この一名様がよかった。何が良かったのかをここに書きたい。私は『清々しさ』とか『潔さ』とか『爽快感』とか、そういった感覚が好きだ。どのような生き方であれ、清々しさを伴ったものでありたい。そう願って生きている。湿ったダンボールみたいな気分になることもあるが、基本は潔く、ストレートに、シンプルで力強く、ロマンチックなものでありたい。

 

 

おおまかなスケジュール

9月19日(木)19時 弾き語りLIVE@大阪ドーム(前)
9月20日(金)13時 弾き語りLIVE@奈良県奈良市「GUEST HOUSE OKU」
9月20日(金)20時 弾き語りLIVE@大阪市鶴見区「Cafe de Lien」

9月21日(土)19時 弾き語りLIVE@福岡市中央区清川「i&i」
9月22日(日)14時 弾き語りLIVE@愛媛県内子町「丘の上の日曜市」
9月23日(月・祝日)以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます!)

9月29日(日)15時 定期演奏会@神奈川県横浜市「わたり食堂」
9月30日以降、東南アジア巡業編スタート(最初はバンコク

🌸🌸🌸すべてのイベントで、常時参加者募集中です🌸🌸🌸

問い合わせ先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com

SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu

 

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Be いい男(いい女)。

あらゆる恋愛問題系の悩みは「自分が、いい男(女)になればいい」の一言で片付く。あのひととの関係性が、みたいなことをごちゃごちゃ考えはじめると、泥沼にはまる。そんなことよりも、自分にとってのいい男(女)像をイメージして、それに近づこうとする方が早い。相手が離れたなら、それは、端的に「自分に魅力が足りなかったから」だと思う。違うかもしれないが、そう思う方が好きだ。誰かの責任にしたり、自己嫌悪や自己憐憫に浸ることも悪くはないが、それよりも「自分が、いい男(女)になればいい」と考える方が、トータルで清々しいし、爽快だ。 

 

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前々から「社会不適合者という言葉もあるが、自殺者が3万人いて鬱病患者が100万人を超える社会に適応したら、頭がおかしくならないほうがおかしい」的なことを思っていた。この考え方はいまでも変わらず、必要なのは適応よりも『開墾』だと思っている。なにか新しいことをやろうとするとき、必ず、周囲の反発を受ける。そんな生き方はありえないとか、そんな生き方は受け入れられないとか、そういうことを言われる。しかし、そう言っている人々は、実際には「やったことがないだけ」だったり「新しい世界に触れることを恐れているだけ」だったりする。だから、気をつけよう。必要なのは、適応よりも開墾だ。世間的な常識に引っ張られることも頻繁にあるが、大事なことは「自分がやりたいことを通じて、自分がやっていることを通じて、いい感じのエネルギーを撒き散らしていくこと」だと思う。

 

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自分が生きたいと思う未来を生きること。そうじゃないと、端的に「生きたいと思う」ことが難しくなる。生きているだけ、死なないでいるだけでは足りない。大事なことは「生きたいと思う」ことだ。未来と呼ばれるものは、ただ単に楽しいだけのものではなくて「ちょっとビビる」ものだ。車が生まれる前は、みんな、車にビビった。そんなものは危ない。馬が一番だ。そんなものに乗るな。馬に乗れ。そういう風に言った人間も絶対にいたと思う。しかし、いまでは、全員が当たり前に車に乗る。スマホも同じだ。昔のひとが見たら「なんじゃこりゃ!」と、腰を抜かすだろう。それらを、誰もが、いま、当たり前に操作している。未来とは「ちょっとビビる」ものだ。ビビるからこそ、面白いのだ。だからこそ、自分が恐れていることをやるのがいいのだと思う。自分が「ちょっとこれはまずいだろ」と思う方向に、突っ込む。前のめりになって、突っ込む。自分が楽しいと思う未来に、突っ込む。その繰り返しが、自分が生きたいと思う世界の実現に、貢献するのだと思う。

 

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踊れない革命はいらない。

音楽は問題を解決しない。しかし「問題を抱えたまま踊らせてくれる」ものだ。だから、私は音楽が好きだ。ふとした瞬間にニュースを目にする。政治がダメだとか、福祉がダメだとか、文句ばかりを並べた発言は多い。これらは正論かもしれない。しかし、正論はつまらない。私は、革命という言葉が好きだ。面白い世の中になればいいと思う。だが、踊れない革命はいらない。正しさが起こす革命は、退屈だ。正しさよりも楽しさだ。誰かに対する憎しみや、誰かに対する怒りではなく、生きていることの『歓喜』で起こる革命に、関与したい。金がないから幸せになれない。仕事がないから幸せになれない。恋人がいないから幸せになれない。環境が悪いから幸せになれない。これらは、全部、嘘だと思う。その気がないから、幸せになれないだけだ。幸せになら、1秒でなれる。ただ、その気になればいいのだ。

 

真理は大きな声で叫ばない。だが、常に囁いている。真理は「人間を自由にする」ものだと思う。音楽も同じだ。文章も同じだ。良い音楽には、良い文章には、人間を自由にする力がある。心に蓄積していた『何か』を解き放ち、それに触れた人間を自由にする。私は、自由を感じさせるものが好きだ。それは、北風と太陽の『太陽』に似ている。ねばならないという強制的な力ではなく、思わず「そうしたくなってしまった」という、自然発生的な人間性の発露を愛する。踊れと言われて踊るのではなく、思わず踊り出したくなってしまうような、そういう雰囲気を愛する。そこに関与したいと思う。だが、油断をしていると、自分も北風みたいなことをやってしまう。正しさを武器に、常識を武器に、都合の悪い人間を排除したり、自分の正当性を主張してしまうことがある。気をつけたい。屈辱をバネにするのではなく、復讐を力にするのでもなく、自分は、あくまでも『歓喜』で飛翔をしていきたいと思う。そのことを忘れたくないと思う。忘れたくないと思うことを、この場を借りて文章にしたり、歌にする。忘れないために。いつでも、思い出せるように。

 

いろいろなひとが、いろいろなことを言う。だが、私は「どう転んだとしても、大丈夫だ」と思う。そして、実は、誰もがそのことを知っているのだと思う。傷ついても、嫌われても、ひとりきりになったとしても、自分(あなた)は、自分(あなた)が大丈夫なことを知っている。自分には力があることを知っていて、自分は、自分が「幸せになる」と決めただけ、幸せになれることを知っている。大好きなあのひとは、自分を幸せにすることはできない。大嫌いなあのひとは、自分を不幸にすることはできない。自分を幸せにするのも、自分を不幸にするのも、すべては自分なのだと言うことを、誰もが知っているのだと思う。私たちは無知なのではない。ただ「無為」なだけだ。私たちには、幸せになる自由もあれば、不幸になる自由もある。成功する自由もあれば、失敗する自由もある。きっと、全部、自分(あなた)が決めている。忘れてしまうことを、いつでも思い出すことができるように、これからも書き続けていきたいと思う。そして、歌い続けていきたいと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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真理は、人間を自由にする。

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熱海のデニーズにいる。明日16日は横浜。20日は大阪。21日は福岡。22日は愛媛でLIVEが決まった。17日以降、西日本に向けて出発したいのだけれど、奇跡的に「関東から関西まで車で行くよ!」という方がいたら、同乗させていただけないでしょうか。あるいは、23日以降「途中、この場所に寄ってよ!」という方がおりましたら、小規模でも全然構いませんのでEVENTを企画していただくことは、可能でしょうか。場数。場数。場数。自分に足りていないのは、圧倒的に場数だと思う。

 

 

おおまかなスケジュール

9月16日(月・祝日)15時 Agape演奏会@神奈川県横浜市「ごちゃまぜの家」
9月18日(水)18時 弾き語りLIVE@名古屋ドーム(前)
9月19日(木)19時 弾き語りLIVE@大阪ドーム(前)
9月20日(金)13時 弾き語りLIVE@奈良県奈良市「GUEST HOUSE OKU」
9月20日(金)20時 弾き語りLIVE@大阪市鶴見区「Cafe de Lien」

9月21日(土)19時 弾き語りLIVE@福岡市中央区清川「i&i」
9月22日(日)14時 弾き語りLIVE@愛媛県内子町「丘の上の日曜市」
9月23日(月・祝日)以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます!)

9月29日(日)15時 定期演奏会@神奈川県横浜市「わたり食堂」
9月30日以降、東南アジア巡業編スタート(最初はバンコク

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切実さ。

良い音楽と、悪い音楽の違いはなにか。先日、ある人の歌を聞いた。歌唱力は高いし、心地よい音楽だし、万人受けするだろうなとは思った。が、同時に「いいだけだな」と思った。この「いいだけだな」という感想は、音楽に限らず、いろいろなものに思う。美人だけど、美人なだけだな。とか。絵は上手いけど、上手いだけだな。とか。料理は美味しいけど、美味しいだけだな。とか。なんと言えばいいのか、そのひとがそのひとである必然を感じない。いいだけなら、代わりはいくらでもいる。いいだけじゃ、半分なんだ。本当の『いい』には、悪いも含まれている。

胸に響くものと、胸にまったく響かないものの違い。それは『血』が通っているかどうかだと思う。言い換えるならば『切実さ』だ。私は音楽をやっているが、普段はそれほど音楽を聞かない。飲食店などで流れているJ-POPを不快に感じることは多く、ライブもフェスもまったく行かない。行きたいと思うことがない。快感を覚える以上に、不快になることが多い。なぜ、不快になるのか。それは「なんで音楽をやっているのかが見えない」からだ。猿真似に見えるからだ。猿真似に見えるからこそ、そのひとであることの必然性が見えない。逆に言えば、感動を覚える歌い手には、その人自身の『切実さ』を感じる。誰かに認められたいとか、人気者になりたいとか、みんなを楽しませたいとか、それだけじゃない「自分は音楽でなければいけないんだ」という、その人自身の必然性を感じる。そこに、胸を打たれる。

 

数日前、ごちゃまぜの家に「お金がないからここに住みたい」と話す女性が来た。私は、正直、ごちゃまぜの家である必要性がよくわからなかった。ただ、家賃を低く済ませたいだけならば、NPO組織だの国家福祉だの、方法はいくらでもある。この家であることの必然性、あるいは「その人自身の切実さ」みたいなものがわからない限り、一緒にいられないと思った。だから、そのことを尋ねた。あなたの切実さがわからない、と。すると、その女性は涙を流した。涙を流しながら、彼女は「なぜ、涙が流れているのかわからない」と話した。私は、この涙にこそ、彼女の切実さを感じた。乱暴なやり方だったかもしれない。しかし、きっと、そういうことなのだと思う。音楽も、あらゆる営みも、すべては人間の『生き方』の発露だ。

 

note.mu

 

真理は、人間を自由にする。

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熱海


なぜ、綺麗なところだけを見せようとするのか。綺麗なだけじゃ、半分なんだ。本当の『いい』には、悪いもあるんだ。喜怒哀楽、まるごとひっくるめての人間なんだ。それなのに、一部分だけ取り出して「これが自分です」とか言われても、違うだろう、となる。楽しさや明るさなどが、一般的に歓迎される感情なのはわかる。しかし、その部分だけを差し出すのは、芸術家ではなく『芸術屋』だと思う。芸術屋の作品は、死んでいると思う。明るいようで、明るくない。元気なようで、元気を奪われる。血が通っていない、温度を感じない、機械のような冷たさを感じる。

 

私は、ここにむかついて音楽をやっている気がする。資本主義の歯車にされてたまるか。社会システムの部品にされてたまるか。権威や権力に飼い慣らされてたまるか。そういう反発心が、マイクを握らせたり、ギターを握らせているのだと思う。生きている限り、社会のルールに従うことは必須だ。父親なら父親の、母親なら母親の、学生なら学生なりの責任などは付いてまわる。しかし、自分の役割が、自分の社会的なポジションが、自分のすべてではないはずだ。父親(母親)である前の自分、会社員である前の自分、学生である前の自分、一人の人間としての自分、一匹の動物としての自分、一個の生命体としての自分。これを忘れたら、本当の意味で『生きる』ことは難しい。この難しさが、現代的な虚しさを生み、自殺やアルコール中毒などの倦怠的な雰囲気を生むのだと思う。ここに、私は、反発をしたい。

 

音楽は、人間を自由にするものだ。規則で縛られているうちは本当じゃない。与えられた枠に捉われ、人間全体として生きることを忘れてしまったら、途端に生きることが窮屈になる。毎日の生活に捉われてしまうと、人生の美しさに目を向けることを忘れてしまう。芸術の役割は、凝り固まった思考をほぐし、感性に潤いを与え、生きることの素晴らしさを取り戻すことではないのか。生きている限り、明日の生活費や、家賃の支払いなど、現実的な問題にぶち当たることは多い。しかし、そんなことよりも、自分にとっては「小さな頃に夢中になったものを、忘れないでいること」の方が、何億倍も大事なことだ。人間は、自分が好きなことをやっているとき、ナチュラルに人を愛し、ナチュラルに人を許し、ナチュラルに前向きな気持ちを抱き、ナチュラルに人と繋がっていく生き物だと思う。その感覚は、生きていかなければならないと強迫的な気持ちで自分を駆り立てることとは違う、この世界を「もっと生きたい」と思う気持ちがあふれ出す、前向きな力に変わるはずだ。

 

 

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All of the feelings

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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みんなが、自分の「好き」を生きることができるように。

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阿佐ヶ谷の上島珈琲にいる。昨夜は吉祥寺でライブがあった。台風の影響で、間に合わなかった人もいた。福岡から来たひとは、成田空港までは来れたものの、そこからバスや電車が機能せず、結果、空港で生中継の動画を見る形になったりもした。それでも、来ようとしてくれたことが本当にうれしい。ライブには、動画だけじゃ伝わらない迫力が宿る。昨日は、本当に、本当に、忘れられない夜になった。

 

 

おおまかなスケジュール

9月10日以降 もう、なんにもありません【今度はワンマンをやりたい!】

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LIVEを終えて。

LIVE終了後、たくさんの人からメッセージをもらった。良い演奏ができたとき、自惚れではなく「本当によかった」と思える。だから、昨日は、きっと心の底から楽しめたひとは自分だけではないと思う。生きていると、こんなにも楽しい瞬間に触れることができるのか。ライブ演奏の30分間は、本当に、本当にあっという間に過ぎ去った。出せるものを全部出す。頭のなかにあった思いは、それだけだった。終わってみると、笑顔になっている自分がいた。そして、笑顔になっているのは自分だけではなかった。無断転載の許可なしだけど、いただいたメッセージを紹介させてください(あまりにもうれしかったもので!問題あったら言ってください!)。

 

こんばんは!

Youtubeでアップされてるの見たけど、ライブの方が遥かに音も雰囲気も何もかも良かったので、本当に行ってよかったです!!

めちゃめちゃ格好良くて楽しすぎて、最高の時間をありがとうございました!!完全にプロのミュージシャン!!2時間くらいのAgape単独ライブやって欲しい!!!

Youtubeのを繰り返し見て、余韻に浸ります!

 

ライブお疲れ様でした🧜‍♀YouTubeで観てましたよ〜すっごいエネルギーでした❣️
あふれちゃん辺りで完全に一体化してました〜⚡️
私も胸にあふれちゃんを抱いて、生きてく!!打ち上げ楽しんでくださいね(shell) 

 

こんばんは!
今夜のライブ、凄かったです!迫力もそうですが、バンド全体の魂の勢いが伝わってきて、ちょっと眠かったのが吹っ飛んで笑いと楽しい気持ちが湧き上がってきました!
めっちゃかっこよかったです❣️アンコールも最高でした!ありがとうございました!また見に行きたいです!

私、ライブなんて20年以上ぶりでした。最初の2組の方たちも上手で、プロはすごいな〜💕と思いながら、仕事の疲れとビールでウトウトしてたのですが、目が覚めました!
私も、こんな風に生きたいっ!と思いました。
みなさん、ホントかっこよかったです。
ありがとうございました❣

 

LIVE最高でした!
想像の百倍すごかったです!!

 

電源確保できて、YouTubeLiveで見れまた!!

すごくすごくすごく、すごーーーーーーーく
良すぎて、震えてるのです〜

だからこそ、会場に行けなかったくやしさが込み上げてきちゃいました。

あーめっちゃイイ!
あー悔しい
ひゃーめっちゃイイ
ガァー悔しい
最高すぎるーーー
えーーーーん😭

でした😍

 

一言で言うと最高でした! あんなに楽しいライブがあるとは! あふれ出る感想は長文必至につきメールしました。

もう、「下手とか関係ない」なんて言わなくていいと思いました。Agapeが下手なら、いいバンドってなんでしょう?

おつかれさまでした!!!

 

すごいうれしかった。正直、リハーサルの時点では「おれら、大丈夫か?」と思える点が何億箇所もあった。しかし、本番は史上稀に見るベストアクトができた。自分(たち)が自分(たち)にビビった。通常の100倍くらい良い演奏ができた。これは、絶対、お客さんの力だと思う。我々7人は全員音楽初心者で、音楽歴最年長の私が半年程度、メンバーの3人は1ヶ月にも満たない。 こんなことをいつまでも言うのは野暮だが、でも、言いたい。音楽歴数ヶ月でも、これだけのことをやれるのだ。否、経験の年月なんて関係ない。なにかをやりたいと思い、なにかを実際にやる力があれば、誰だって素晴らしい体験をすることができる。大事なものはハートだ。使い古された表現だが、でも、本当にそうだ。大事なものは、ハートだ。

 

ライブ最高だった、「夏休みが夏休みから飛び出してきて、夏休みへ疾走していった」という感じだった...

あと、徹さんのいる場所だけピンポイントで暴雨風が来てるんじゃないかって感じだったのも最高だった

うぉー!

  

ライブ、ものすごく楽しかったです!最高でした😭

また吉祥寺に来てほしいです!!母もハマっておりました。是非また何かあれば誘ってくださいー!!

音楽もメンバーさんもほんとに素敵でした!それぞれの方がどんな人生送ってたのか、なども含めて、、もっと知りたい笑

誘っていただきありがとうございました😊
またライブ楽しみにしております!

 

まじ楽しめたし胸に響いたよありがとう!!

 

こんばんは🌆
お疲れ様です🤗
今夜の曼陀羅の(ライブ)🎶中継スマホ📱にかぶりついて見てました〜😻
め〜〜〜〜〜〜っちゃめ〜〜〜〜〜〜っちゃ
め〜〜〜〜〜〜っちゃよかったです😭
何だか身体中の細胞たちが喜んでぶわぁー(汗)ってなってきました💖
まさに「あふれちゃん」状態に❣️
まじアガペー最高(最高)
会場には行けなかったけど‥本当に素晴らしい演奏ありがとうございました❤️🧡💛💚💙💜❤️🧡🧡💛💚💙💜💜❤️🧡💛💚💙❤️💜💛💙

 

めちゃくちゃかっこよかったです!!!!!

ありがとうございました!!!

  

圭吾さん、おはようございます。

無事に帰宅しましたー(^^)/ 昨夜すごかったです! 今までのライブでの圭吾さんのひたすら楽しそうな感じが一切なく、このままステージで死んでもいい!くらいの気魂を感じました。

苦しくて苦しくて、一滴残らず出し切るぞー!ってやりながら、ふと隣にいる仲間をみて清々しく笑う圭吾さんを、きっと一生忘れないと思います。

あのものすごい渦の中にいれたこと、また宝物がひとつ増えたような気持ちです。 そしてAgapeがどんどん大きくなって、加速していくまさにその瞬間を、この目で見られたことが幸せです!

圭吾さんだけじゃなくて、ひとりひとりのメンバーみんながそれぞれに出しているエネルギーがすごくて、本当に毎回見るたびにみんないい顔してるなぁって、嬉しくなってしまいます(^o^) Agapeという塊がたくさんの人を巻き込みながら走っていくのを、時にその渦に飲み込まれながら、追いかけていきたいなぁと思いました。

一晩経って、心の中に『私を忘れないで』がずっと流れています。 Agapeからの愛をしっかり受け取りました! ありがとうございました(≧▽≦)

 

LIVEを越えて。

LIVE終了後は公園で打ち上げをやった。金がないからコンビニに行き「なんでも好きなのを飲んでね。俺が出すよ」とか偉そうなことを言い、メンバー全員分の飲み物を買った。全員ジュースで、まるで高校生のように公園で話した。楽しかったね、とか、嬉しかったね、とか、またやりたいね、とか。7人で1000円にも満たない打ち上げだったが、心は満ちていた。同時に、絶頂とも言える興奮状態も、時間の流れとともに遠くなるのを感じた。静かな余韻だけが残り、終わったんだなという感慨を経て、また明日から新しい人生がはじまるのだということを思った。

 

翌朝、音楽的にお世話になっている方から連絡が届いた。

 

坂爪さま。

昨日はおつかれさまでした。つかれてないとは思いますが(笑)。

メンバーのかたにご挨拶もせず、
先に出てしまってすみません。
みなさんによろしくお伝え願えれば幸いです。


音楽的にはもうあれで完成形ですね。
あのまま高み(?)をめざせばよいのではないかとも思います。
メンバー編成や楽曲も少し変則的ですが、
私には叙情派パンク(エレクトリック太宰)的に見えてかっこよかったです。

技術や精度に関して、
いろいろ言う大人みたいな人たちもいると思いますが、
それらを獲得する過程で、熱量とか純度を失う方々がほとんどなので
そういうことは、(今は)あまり気にしなくてよいかと思います。

逆に言うと、
技術や精度を獲得しながら、今の熱量と純度を保っていけば、
ものすごいことになると思うので、
もしもなにか協力できそうなことがあったら言ってください。

まずはご挨拶まで。

昨夜はステージよりもお客さんの顔ばかり見てました。
最前列のお客さんなんて一緒に歌ってましたね。
後ろのお客さんもみんな笑っててよかった。

ではまた!

 

初心を、忘れてはいけないのだなと思った。

 

私は、多分、ひとりになることを恐れている。自分が自分であることによって、周囲に迷惑をかけたり、自分だけが浮いてしまったり、人々が離れてしまったり、孤立することを恐れている。そして、同時に「自分は、いつまでも自分でありたい」と思っている。昨夜のライブを経て、最高の人々と同じ時間を共にできたことは奇跡みたいなものだと思った。自分は、自分のまま、自分を出すことができる。それを支えてくれるひとがいて、それを見てくれるひとがいて、一緒に自分を出せるメンバーがいる。ああ、これ以上の幸せはあるだろうか。そう思った。昨日のMCで「愛するとは何か、許すとは何か、生きるとは何か、自分はそういうことを頻繁に考える。でも、自分が好きだと思うことをやっているとき、愛することも、許すことも、生きるということも、そのすべてをやれている感覚がある」という話をした。愛そうと思ってやっているのではなく、ただ、自分が好きなことをやっている時、自然と「ひとを、世界を、愛することができている」ように。だから、私は、勝手に願う。みんなが、自分の『好き』を生きることができるように。今日から、また、新しい人生がはじまる。瞬間瞬間を、しっかりと生きていきたいと思う。

 

 

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圭吾さん
 
ライブ、最高でした!! 極上の台風一過の夜をありがとうございました!
 
本気で楽しんでいる人たちが7人も集まった様は、楽しげで、サムライのように格好良くもあり、感動的でもあり、聴いてるうちに仲間に入った気がして、ワクワク感が伝播して笑いがこみ上げてくることも…そんなライブは初めてでした!   本気の力を思い知ったライブでした。
 
圭吾さん、最初真摯さが極まってすごく緊張されてるように見えて、なんだかわたしも緊張したのですが笑、歌い出してびっくりしました。声が柔らかくなっていて、音楽を始められたときよりずーっとマイクと一体化していました。音楽に賭けてる熱量が伝わってきて火傷しそうで、一曲終わるたびに見せるガッツポーズの笑顔はもう、ズルいの一言でした。笑    
アンコールの一番最後の曲でやっと、ライブハウスのお客さんのほうをたまに眺めながら歌っていて、その時の様子も大変サマになっていて素敵だったのですが、わたしはそれ以前の、「俺はこのライブの一瞬一瞬をやりきる!1秒だって無駄にしないで全力出して味わい尽くす!!」というような、ある意味お客さんを気にしない勢いの気迫あふれる表情にも釘付けでした。子供があまりに真剣で声かけられない時みたいな表情、大人もするんだなと思いました。
 
圭吾さんの仲間たちも、お話しせずとも素敵な方々と感じました。
 
・エメラルドヘアのなんでもやさん…全員の真剣さからくる張り詰めた空気をほぐせるのはこの方しかいないですね。ボンゴ?ジャンベ? 響きました!  ライブ後帰り道、なぜか階段で息を切らされてて、丁寧にお見送りしていただきました。あたたかかったです。
 
・キーボードの方…自分の指先から片時も目を離さないひたむきさと、コーラスの時の出し切る!絶叫のギャップが本当に魅力的でした。がんばれ!!と心から応援したくなる方でした。
 
・保科さん…わたしの席からほとんど見えず残念だったのですが、存在感の大きさ、要石的なオーラが伝わってきました。なんとなく仙人ぽいような、珍しい雰囲気の方でした!  歩くパワースポットを目指せそうです。
 
・ドラムさん…圧倒的タイコ力に、ドラム好きなわたしはわくわくしたのですが、そのままスタスタとピアノに歩いて行って鍵盤も華麗に操ってしまうのにはびっくり&やられた!の笑いが止まらなかったです。すごい!
 
・リーダー…リーダーのいる場所から安定感と安心感がドライアイスの煙みたいに流れ出てるようなイメージでした。やっぱりチームにはリーダーって必要なのだな、と思いました。
 
・朗読された方…声、聞こえるのかな。。と心配したのですが、一音たりとも欠けずに届きました。叫ばず、声裏返らず、あれだけ猛るバンドマン達を背に朗々と語られて、あっぱれでした。
 
もれなく全員、本気でした。ああ、バンドとはこういうものなのだなとわたしは思いました。一人で行ったのに、一人だった気がまったくしないです。これがアガペーか、というのがわたしの一番強い印象です。
 
最後に、ライブ会場にいらしたお客さんがさっき、井の頭線で目の前に座ってまして。その方が一人でニコニコにやにやしてるのを見て、あ、あの人、ライブハウスの…!  そして、自分もにやにやしてると気づきました。
アガペーさん、井の頭線でニヤニヤする人量産中です。
 
長すぎますね。曲の感想までたどりつけなかった。笑
またお会いしたときにでも!  ライブまた絶対行きます!音楽ばかり聴いててすみません! 今夜は最高に楽しかったです! 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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常識を越える。

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アピタ新潟西店のカフェにいる。この前、突然メールで「詐欺師」と言われた。罵倒チックな言葉を浴びることは、稀にある。その出来事を日記に書いたら、想像を超えて読まれた。幸せな人間は、多分、他者を罵倒しない。自分が満ち足りていないから、他人のあれこれが気になるのだ。わかるよ。俺にも、そう言う時期があった。あんたも、幸せになれるといいね。そうおもった。詐欺師と呼ばれた瞬間はむかついたが、冷静に考えると「俺は、詐欺師みたいなものでもある」とおもった。

 

 

おおまかなスケジュール

9月9日 20時頃 命を賭けているライブ@東京都武蔵野市吉祥寺「曼荼羅」

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Agape主催の無料フェス。

Agape(我々のバンド)は現在七人組。ほぼ全員無職。音楽で生活をしているひとはどうしているのだろう。ファンクラブとか、最近流行りの「オンラインサロン」でも作ればいいのか。計算をしてみよう。月額1000円のあれに登録者が1000人いたら、単純計算で毎月100万円だ。ギリギリ生きていける気がする。だが、それなら「よし、それでいこう!」とはならない。毎月1000円もらうのも気がひけるし、なんというか「お金を出したいと思ったときに、お金を出す」くらいがちょうどいいと思う。月額になると、固定費みたいになるからいやだ。今月は余裕があるから出す、今月はちょっと他にやりたいことがあるから出さない、基本的には出せないけど宝くじがあたったら全部あげる、みたいな流動性が欲しい。というか、別にお金が欲しいわけではない。みんながいい感じに生きていけたら、それだけでいい。

 

生きるためにお金が必要なのもわかるけど、お金がなくてもいきられる世の中なり、スタイルに関心がある。Agape主催の無料フェスとかやりたい。全部無料。オール無料。まず、場所を無料で提供してくれる神様が現れ、それなら「軽食を無料で出すよ」とか言ってくれる企業なり個人があらわれ、無料で髪を切るひととか、無料で映画を流すひととかが登場する。その空間には「気前の良さ」だけが集まる。まったく得にならないのに、損しかしないのに、それでも「やりましょう!」と言う人々のグルーブが生まれる。そのとき、一体、会場はどのような雰囲気になるのだろう。そこで、我々Agapeも無料ライブをやりたい。別に、チャリティーじゃない。ただ「気前の良さ」を掻き集めたいだけだ。気前の良さが結集すれば(仮に、こういう空間が多発したら)、別に金がなくても生きていける気がする。現代社会では「どれだけ稼げたか」で人間を評価する傾向がある。しかし、この空間では「どれだけ与えられたか」で、格好良さが決まる。粋な人間ほど、評価される。

 

前回の記事で「実は、人間は『あげたい』生き物なんじゃないか」と書いた。誰もが、実は、誰かになにかを与えたいと思っている。しかし、そういう機会はなかなかない。逆に言えば、機会されあれば「まってました!」と言わんばかりに、人々の気前の良さは爆発する気がする。我々は、時折「愛されたい」的な悩みを抱く。しかし、これは「愛したい」を言い換えただけの言葉だ。ひとは、誰かを愛することを通じて、自分を愛する。自分を愛することを通じて、誰かを愛する。そこに、実は、境界線はない。自分だけを愛することは不可能で、他人だけを愛することも不可能だ。あ、やばい。変なことを書き始めてしまった。とにかく、最初は小規模でも無料フェスを試したい。生きるために金を集めるより、金がなくても生きていけるエネルギーみたいなものを、集めてみたいと思う。そっちの方が、ご機嫌だ。

 

note.mu

 

常識を越える。

私の実家は新潟にある。実家は不思議だ。突然帰ってもいいし、鍵は空いているし、風呂も勝手に入るし、冷蔵庫も勝手に開ける。車も勝手に使う。これが他人の家だったら、こうはいかないだろう。もっと『遠慮』が発生する。普通なら発生する遠慮が、実家では発生しない。なんと言うか、共有財産の範囲が広いのだ。そして、ふと、思う。この実家の範囲を、もっと広げることはできないのか。誤解を恐れずに言うと、実家がないひとはたくさんいる。いつでも連絡なしに帰れる(突然、玄関をガラガラあけて「ただいま」と言えちゃう)場所がないひとは、結構いる。こういう場所は、あった方がいい気がする。できることならば、ひとつと言わず、ふたつでも、みっつでも、やおよろずでも。実家を増やすことは可能なのだろうか。そこに、ちょっと、トライをしたい。そう思ってはじめたものが『ごちゃまぜの家』になる。実家を増やすとは、要するに「安心感を増やすこと」だと思う。

 

最悪の場合は、ここに戻ればいい。そういう場所がある人間は強い。父性は、母性に支えられている気がする。乱暴にまとめると、父性とは『導く力』だ。そして、母性とは『護る力』だ。これらが噛み合ったとき、人間は前を向ける気がする。逆に言えば、父性だけでは体育会系になりがちだし、母性だけでは湿ったダンボール(過保護)になりがちだ。私の頭がおかしいだけなのかもしれないが、私は、すべての女性に対して「あなたは私の娘であり、私の妹であり、私の姉であり、私の嫁であり、私の母であり、私の祖母である」みたいな気持ちになる。だから、基本的に「人類全体の父になれ」的な思いを、自らに抱いている。父、とか言っているが、時には息子にもなるし、弟にも、兄にも、旦那にも、祖父にもなる。父である私は、基本的に「行け」とか「やれ」とか「死ね」とか、そういうことばかりを言う。大丈夫。恐れることはなにもない。やっちまえ。と。男性性が強すぎる私は、油断をしていると自他を破滅に追い込んでしまう。そこを支えるものが、母性だ。

 

常々感じている違和感がある。それは「なんでもひとりだけでできて一人前」という価値観だ。なにか問題が起こる。そのとき、生きてきた癖みたいなものが「どうすればこれを『自分だけの力で』解決できるか」みたいなことを考えさせる。誰かに頼るのは半人前。誰かに甘えるのは半人前。なんでも、自分だけの力でできて一人前。こうした考え方が、問題をひとりで抱え込むように仕向け、最悪の場合は精神的な孤立を生む。我々、すでに、21世紀を生きている身である。もう少し、分かち合っていってもいいのではないか。普遍的なよろこびのひとつに「よろこびを、誰かと分かち合う」というものがある(と思う)。金も、問題も、自分だけで抱え込んでいる限りダサいのではないか。もっと、気前がよくなってもいいのではないか。と、そういうことを書いていたら「詐欺師」と言われた。確かに、詐欺師みたいなものだなと思う。現実からかけ離れた理想を語る限り、そいつは常に詐欺師みたいなものだ。だが、理想を目指す自由は、ある。私が詐欺師のままで終わるのか、少しでも現実に変えることができるのか、それはこれから先の話になる。あとは、もう、自分の生き方を見ていてくれとしか言えない。できるとわかりきっていることをやっても、それを挑戦とは言わない。できるかどうかはわからないけれど、何かを「やりたい」と思う。それを、実践することを挑戦と呼ぶのだと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

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自分を殺して生きるより、自分を出して死ぬほうがいい。

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横浜駅前のドトールにいる。昨日、Agape(我々のバンド)が急遽7名になった。大所帯だ。アイドル感が出てきた。ホスト感もある。七人いたら、Agapeが好きか嫌いかの二択から「Agapeの中なら誰がタイプか?」みたいな問いが発生する。推しメン、とか言われはじめたら儲け物だ。ほぼ全員無職だが、どうやって食いつなぐのだろう。最悪の場合はホストクラブ『Agape』を開店しよう。談笑をしていたら本当に男娼になった、という流れは、悪くない(悪いのかもしれない)。

 

 

おおまかなスケジュール

9月9日 20時頃 命を賭けているライブ@東京都武蔵野市吉祥寺「曼荼羅」

SCHEDULE on 
http://urx2.nu/xkMu

 

ibaya.hatenablog.com

 

贈り物。

昨日、東京の四谷でトークイベント&バンド演奏があった。詳細(?)は「日記」に書いた。イベント中、贈り物の話をした。私は、もう長い間、無職だ。定期的な収入はないし、来月生きている保証もない。この星にはいろいろなタイプの人間がいるから、金を稼ぐことが得意なひともいるのだろう。しかし、私は「稼ぐ」とか「売る」という行為が苦手で、では、そんな自分がどうやって生きてこれたのかと言うと「あげる・もらう」の関係性があったからだ、という話をした。家は貰い物で、使っている楽器も貰い物で、生活に必要なものの大半も貰い物で構成されている。「買う・売る」が苦手で、これが苦手な人間は生きていくことができないと思っていたが、それでも「あげる・もらう」の関係性の中で生きている感覚がある。

 

いま、私は「文章を書く」ことと「音楽を作る」ことをやっている。別に、一円も生み出していない。だから、世間的な意味では『仕事』になっていない。しかし、私は、これが仕事だと思う。文章を書くことも、音楽を作ることも、贈り物に似ている。これを見た誰かが、これを聞いた誰かが、よろこんでくれたら嬉しい。そういう、漠然とした誰かに向けた贈り物を届けているような気持ちで、書いたり、作ったりしている。私という人間は商品ではないし、私の作ったものも商品ではない。これらは贈り物で、誰かが、これを喜んで受け取ってくれるなら無償で提供しているものになる。大事なことだから、繰り返す。私という人間は商品ではないし、私の作ったものも商品ではない。贈り物だ。この贈り物を楽しんでくれる人、よろこんでくれる人、面白がってくれる人が、それぞれの形で『贈り物』をしてくださる。それによって、いま、自分は生きている(生かされている)感覚がある。

 

幼少期から「そんなんじゃ生きていけないよ」的な説教を頻繁に受けた。生きるためには嫌な仕事でもしなければいけない、嫌な学校も行かなければいけない、嫌な人とも付き合わなければいけない、それがおとなになるということだ、など。言われるたびに、私は「そこまでして生きて行きたくないよ」と思っていた。この気持ちは、いまも変わらない。自然界を見渡してみる。りんごは、果実を収穫するものに「代わりにこれをよこせ」とは言わない。酸素も同じだ。交換の原理ではなく「循環の原理(贈与の輪)」で成立をしている印象を覚える。こっちの方が、自分には、自然だと思えた。しかし、おそらく、これは少数ものの感覚なのだろう。自然は、いま、おおいに破壊をされている。私のような人間も、遅かれ早かれ、破壊されることになるのだろう。それならば、破壊される前に、生き方を変えるのか。否、きっと、そういうことはしないのだと思う。破壊されてしまうのならば、破壊されるまで、思い切り生きてやりたいと思う。自分を殺して生きるより、自分を出して死ぬほうがいい。こういう人間がいたということを、誰かが知ったとき、なにかしら感じるものがあってくれたのならば、生まれてきた甲斐があったなと思う。

 

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自分を殺して生きるより、自分を出して死ぬほうがいい。

34年間生きてきて、思うことがある。それは「人間は、実は『あげたい』生き物なんじゃないか」ということだ。誰かになにかを贈りたい。誰かになにかをしてあげたい。誰かに(自分を通じて)喜んでもらいたい、楽しんでもらいたい、面白がってもらいたい。そういう欲求を抱く生き物だと思う。少なくとも、私は、そうだ。世間ではニートや引きこもりや不登校児などが話題になることが多いが、彼らは「働け」と叱責される。しかし、彼らは「働きたくない」とは思っていない気がする。いまはまだ「働きたくない」という言葉でしか自分の感情を表現することができていないとしても、本心にあるものは「働きたい」という思いであり、言い換えるなら「生きていたい」という思いなのではないだろうか。ただ、従来の意味での『働く』という言葉や在り方に拒絶反応を示しているだけで、決して「なにもしたくない」とは思っていないはずだ。生きているのならば、感じるこころがあるのならば、なにもしていない自分を責めてしまう罪悪感が、芽生えるものだと思う。

 

罪悪感とはなにか。それは「価値のあるものを、価値のないものにすること」だと思う。どれだけ自分のことをダメな人間だと思っていても、誰かから失礼な態度をとられたり、心のない言葉を浴びせかけられたら、イラッとするのが人間だ。イラっとするということは、自尊心があるということだ。どれだけ劣等感を抱いていたとしても、それでもなお、最後まで残る『自分を大事なものだと思う感覚』が自尊心だ。乱暴な言葉で言い換えるならば「なめんじゃねえぞ」と感じる精神がある。これが、自尊心だ。自分の価値を認めているからこそ、罪悪感を覚えたり、自分を責めたりするのだろう。真面目に生きようとする人間ほど、深く悩む。悩むということは、一生懸命に生きようとしている証だ。一生懸命に生きると言うことは、自分にも生まれてきた価値があると信じることだ。そして、信じたことを(バカにされても、理解されなくても)行動に移すことだ。自分の生き様を通じて「人間は、こんな風にも生きることができるんだぞ」と、後世に(そして、昔の自分に。昔の自分と似たような人間たちに)示すことだ。ガンジーは「世界に変化を求めるなら、自らがその変化になれ」と言った。自分が、変化のど真ん中を生きることだ。

 

和田アキ子の歌に「あの鐘を鳴らすのはあなた」という曲がある。その歌詞に「あなたには希望の匂いがする」という歌詞があり、ああ、これは俺の歌だとか勝手に思い込むことに決めた。希望を示し続けてください。希望の香りを、放ち続けてください。自分にも、他人にも、そう思う。諦めるのは簡単だ。絶望するのも簡単だ。誰かに合わせることは簡単で、嫌われないように生きることは簡単だ。しかし、それでは、希望がないままじゃないか。私は、ロックンロールの最後の可能性を信じている。それは「ダメならダメなほど、素晴らしい」という光だ。誰からも見向きもされない、打ち捨てられたような存在。そんなどん底の人間が、逆転サヨナラホームランをかっ飛ばしたら最高に気持ちいいじゃないか。最高に痛快じゃないか。ダメならダメなほど、ひっくり返った瞬間に面白くなる。だからこそ、私はひっくり返してやりたいと思う。仮に、いま、誰から見ても「お前はダメな存在だ」と後ろ指を指されるような人間にも、まだ、機会はある。まだ、希望はある。多くの人々は希望を求めている。だが、自らが希望になろうとする人間は少ない。だからこそ、自分にも、他人にも「希望を示し続けてくれ」と思う。希望の香りを放ち続けてくれ。生きることを、生きようと思うことを諦めないでくれと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

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死ぬことを恐れたら、生きることができない。

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新横浜のドトールにいる。八月だと言うのに、明け方の涼しさは冬の到来を予感させる。空が綺麗で「気持ちいいな」とつぶやいた。夏が終わり、秋がはじまろうとしている。このとき、自分は、あと何回冬を迎えることができるのだろうかと思った。なにかを美しいとおもうとき、必ず、どこかに『かなしみ』を感じる。それは、永遠にはそれを見ていることができないというかなしみだ。挿しかけたイヤホンを戻し、静けさの中を歩いた。まだ、誰にも汚されていない一日がはじまる。

 

 

おおまかなスケジュール

8月24日&25日 15時 定期演奏会@神奈川県横浜市「ごちゃまぜの家」
8月31日 13時 Shanti Day@東京都新宿区四谷「シアターウイング」
9月9日 20時頃 命を賭けているライブ@東京都武蔵野市吉祥寺「曼荼羅」

SCHEDULE on 
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永遠のリズム。

最近は「死ぬことを恐れたら、生きることができない」と感じていた。不思議だ。死を受け入れると、生が充溢する。死を拒むと、生が収縮する。当たり前のことだが、人は死ぬ。すべての瞬間に終わりがあり、永遠に続く夏もなければ、永遠に続く冬もない。明けない夜はないし、貼れない湿布はない(あ、これは違うか)。ただ、四季のリズムは変わらない。永遠に続く夏はないが、秋が来て、冬が来て、春が来て、そして「再び夏が来る」ことに終わりはない。永遠に夏であることはできないが、永遠のリズムを生きている。もし、私たちの存在がひとつの季節のようなものだとしたら、終わりの瞬間を迎えたとしても、また、遥かな未来で「再び夏が来る」のかもしれない。そんなことを思いながら、新横浜のドトールに到着した。

 

 

未熟な人間が何かをはじめたときの世間の反応は厳しく、途中、何度も「死ね」だの「消えろ」だのの罵声を受けた。そのたびに、私は、こんな風に思った。安心してください。お前に言われなくても俺は死ぬし、お前に言われなくても俺は消えるよ、と。無論、常に平気でいられるわけではないから、諦めそうになることも幾度かあった。しかし、もし、明日死ぬとしたら自分が作った音楽をこのままお蔵入りにさせるのかと考えたら、答えは常にNOだった。もし、明日、死んでしまうのだとしたら自分はこの作品を世に出したいと思う。未熟だろうが、荒削りだろうが、ひとりの人間が生きていたということを、なぜなのだろうか、残したいと思う。そんな思いで、希望と絶望を反復横跳びするような感じで、毎日音楽を作った。

 

 

遅かれ早かれ俺は死ぬし、遅かれ早かれ俺は消える。しかし(だからこそ、と言った方がいいのだろうか)、その裏側には「消える前に見てほしい」と思う自分がいる。このとき、私は、私の命を「わたしのものとしてではなく」ただの命として、見ているように思う。ここにひとつの命があって、無様だろうが、不器用だろうが、精一杯に生きようとしている。この命を、見殺しにすることができないという感覚。この命を、守り続けたいと思う感覚。自分のものだから大事にしたいというよりも、命が、命であることによって大事にしたいのだと思わされる、この感覚をなんと呼べばいいのか。私に「死ね」と言ってくるあなたも、私と同じように、死ぬことを避けることはできない。お互い様である。お互い様であるこの命を、互いに、目撃し合いたいという感覚が、私に文章を書かせたり、私に音楽を作らせる。

 

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わたり文庫『かぎりなくやさしい花々』 

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、星野富弘著作『かぎりなくやさしい花々』です。こちらの本は、愛媛県在住の女性M様から「小学生の娘が、何回も、何回も読み直している大好きな本なので、お贈りさせていただきます」とご郵送いただいた一冊です。教師だった星野富弘さんはクラブ活動中の事故で頚髄を損傷し、手足の自由を失いました。失意のどん底を過ごしたのち、口に筆を加えて、絵と詩を書くようになりました。モチーフに選ばれた『花』を通じて、生きることのすばらしさを、語り続けます。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には、70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、大阪府にわたりました ※※※

 

神様がたった一度だけ
この腕を動かしてくださるとしたら
母の肩をたたかせてもらおう

星野富弘『かぎりなくやさしい花々』【偕成社

 

死ぬことを恐れたら、生きることができない。

生きるために必要なことと、生きたいと思うために必要なことがある。生活のため、暮らしのために、嫌な仕事でも我慢して続けなければいけない。そういう気持ちになることは、きっと、誰にでもあるのだろう。ただ、思う。自分を守ろうとするほどに、自分の命が弱まっていくことを、生活のために生きようするほどに、本当の意味で『生きる』ことから遠ざかっていくような感覚を、どうしても感じる自分がいる。私は弱い人間だから、常に、大袈裟な思考によって自分を支える必要がある。それは「死んでもいいから、やりたいと思うことをやろう」という思考だ。死なないために生きるのではなく、死んでもいいから「これをやりたい」と思うことを、やる。死を避けるのではなく、死を含めた『生』の全体を生きたいと思う。

 

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いま、私は音楽をやっている。死なないための音楽ではなく、生活のための音楽でもない。それは「生きたいと思う」ための音楽だ。いや、きっと、この言葉も正確ではないのだと思う。歌を歌っているとき、時折、自分というものが溶けてなくなって、音楽そのものになることがある。月並みな言葉で言えば、それは『一体感』だと思う。幸福とは一体感であり、不幸とは分離感である。そういうことを、時折、思う。バラバラに生きているように見える私たちも、実は、根底のところでつながっている。しかし、私たちは、日常生活の中でなかなかそういうことを感じることはできない。すべてはつながっている。この言葉を実感するために、バラバラなものをひとつにするために、音楽をやっているのかもしれない。そして、勝手な願いを抱く。遅かれ早かれ死ぬ自分を、遅かれ早かれ消える自分を、できることならば「消える前に見てほしい」と、誰にともなく、何にともなく、願ったりする。

 

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昼間殺人を犯した罪人が、夜、川に溺れているこどもを助けるために自分を犠牲にする。そういった部分が、多かれ少なかれ、人間にはあると思う。一面だけを見て「あいつは良い人間だ」とか「あいつは悪い人間だ」とか、決めつけることはできない。ボール遊びをしているこどもがいる。ボールが、道路に転がっていく。道路に飛び出したこどもに、一台の車が向かってくる。そのとき、誰もが「危ない!」と思うだろう。こどものすぐ近くにいれば、こどもの腕を引っ張って、咄嗟に助け出そうとするだろう。このとき、助ける側の人間は「こどもを助ければ親にお礼を言われるから」とか「一躍有名人になれるから」とか、そういった損得勘定で動いてはいない。ただ、同じ命が、このままでは滅びてしまいそうになる危機感から、体が勝手に動くのだと思う。このとき、私は、命に自分も他人もない、みたいなことを思う。同じ命が危機に瀕したとき、私たちの体は、勝手に動き出す。ふと、空を見上げる。日は高く昇り、真夏の延長戦を続けている。なにかを美しいとおもうとき、必ず、どこかに『かなしみ』を感じる。それは、永遠にはそれを見ていることができないというかなしみだ。生きているということは、どういうことなのだろう。死んでしまうということは、どういうことなのだろう。わからない。わからないけれど、四季のあるこの国を、永遠のリズムの中を「生きていきたい」と思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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すべての瞬間に終わりがある。

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熱海のデニーズにいる。昨日、相模湖畔で壇珠さん(ミユさん)にお会いした。私が、音楽を始めるきっかけを与えてくれた女性だ。小生、シャイニングなシャイボーイであるために、話したいことがあったはずなのにまったく言葉にならず「話したいことがあったはずなのにまったく言葉になりません」とか、そのまんまのことを話した。実は、伝えたい言葉なんて「あなたにあえてよかった」とか、その程度だと思う。いつの間にか生まれてきて、あっという間に死ぬ前に、あなたにあえてよかった。あなたにあえたおかげで、自分にも、生まれてきたかいがありました。

 

 

おおまかなスケジュール

8月24日&25日 15時 定期演奏会@神奈川県横浜市「ごちゃまぜの家」
8月31日 13時 Shanti Day@東京都新宿区四谷「シアターウイング」
9月9日 20時頃 命を賭けているライブ@東京都武蔵野市吉祥寺「曼荼羅」

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あなたにあえてよかった。

相模湖畔に続く坂道が急で、滝汗が流れた。息を切らしたミユさんが、いきなり「わたしは死ぬと思います」と言った。ミユさんは結構頻繁に死ぬと言う。私も、結構頻繁に死ぬと言う。それは「いつか死ぬね、俺たち」という真理を確認し合っているようで、悲壮感はない。ただ、清々しさだけがある。地球というテーマパークに生まれて、開園から、閉園までの時間を過ごす。楽しいという乗り物に乗ったり、悲しいという乗り物に乗ったり、嬉しいという乗り物に乗ったり、切ないという乗り物に乗ったり。そして、最後、終わりの時間が来た時に「ああ、愉しかったね」と言って、テーマパークを離れる。それまでの時間を、一緒にキャッキャキャッキャ言いながら遊んでいるこどものような気持ちに、ミユさんといると、なる。

 

 

前に『わたしを忘れないで』という曲を作った。この曲の前半に「本気で人を愛すること、それは命を賭けること」という歌詞がある。そして、後半に「天国にもっていけるのは、愛し愛されたメモリー」という歌詞がある。死を歌うことは、生きることを歌うことと似ている。生まれてきて、生きて、死ぬ。そのなかで、ひとと出会い、ひとと出会うことで「自分にも生まれてきたかいがあった」などと思う。人間は、多分、二回死ぬのだと思う。肉体が滅びたときと、忘れられたときだ。もしよかったら、この曲を、聞いていただけたらうれしいと思う。自分が、自分を、忘れてしまうことがある。自分が、自分を、置き去りにしてしまうことがある。

 

 

ああ、これのためにあったのか。生きていると、そう思うことがある。腹が立った記憶も、音楽に生かされると「ありがとう」となる。横浜の家には、ピアノがある。ただ、誰もピアノを弾けるひとはいなかった。だから、ある種の粗大ゴミみたいになっていた。しかし、最近、りゅーちゃん(19)が一緒に音楽をやれることになり、日の目を見た。日の目を見る。素敵な言葉だ。ただ、やりたい。ただ、歌いたい。ただ、そうしたい。そう思ったことが、結果的に「これのためだったのか!」と何かに繋がることは多い。家のない生活をはじめたおかげで、人々と出会った。ごちゃまぜの家をはじめたおかげで、活動拠点を得た。音楽をはじめたおかげで、自分を思い出すことができた。いま、やっていることが、どのような影響を生み出すのか。みんなが、みんなの全部が、日の目を見ることができたらと思う。

 

note.mu

 

すべての瞬間に終わりがある。

すべてに終わりの瞬間がある。私は、今朝、熱海の家で目を覚ました。顔を洗い、着替え、原チャに乗ってデニーズに向かう。パソコンを開き、Wi-fiを拾い、文章を綴る。この記事を書き終えたら、適当な食料を買って家に戻り、本を読み、音楽を作り、夜は温泉にでも行くのだろう。当たり前の日常だが、当たり前ではないな、とも思う。この日常も、この風景も、来年の今頃はまったく変わっているかもしれない。大事なものが、いつまでもそばにあるとは限らない。すべてに終わりの瞬間がある。失ってから気づくには、あまりにも遅すぎるものたちに、いま、囲まれながら生きていることの当たり前を思う。終わりを感じることは、切ないことだ。

 

すべてに終わりの瞬間がある。人生で最後の今日がはじまり、人生で最後の今日が終わる。今日の自分は今日で最後、もう、明日には別の自分になっているのだ。人生は何度でもやり直せる。そう思う。同時に「人生は取り返しのつかないことの連続だ」とも思う。流れているのは、時間か、自分か。永遠にはここにいられないからこそ、言葉を綴ったり、写真を撮ったり、音楽を作ることで「いまを永遠にする」ことを目論む。言葉を探すことで、目を凝らすことで、思いを馳せることで、永遠に手を伸ばす。忘れないように。いつでも思い出せるように。切ないということは、大切であるということだ。切なさが大きいほど、それは、大切なものだ。

 

すべてに終わりの瞬間がある。地球というテーマパークに生まれて、開園から、閉園までの時間を過ごす。楽しいという乗り物に乗ったり、悲しいという乗り物に乗ったり、嬉しいという乗り物に乗ったり、切ないという乗り物に乗ったり。そして、最後、終わりの時間が来た時に「ああ、愉しかったね」と言って、テーマパークを離れる。私たちは、いま、二度と戻らない時間の中にいるということ。当たり前のこととしてではなく、愛しさと共に、郷愁と共に、思い出される時間の中にいるということ。生きるということと、すべてに終わりの瞬間があるということ。終わりを大事にするということは、いまを大事にするということだ。いまを大事にするということは、自分を、自分を含めた「世界全体」を大事にするということだ。今日の自分(あなた)は、今日で、最後。しっかりと、見届けてやりたいと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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生きる。自分も他人も凌駕するほど。

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菊名駅前のコロラドにいる。今日で、音楽をはじめてちょうど半年が経過した。開始時に「一年後にどこまで行けるか見てください」と大風呂敷を広げた。自分に重圧をかけた方が、本気で取り組むと思ったからだ。半年間で118曲作り、23回ライブをした。比較的、怒涛(苦悶)の日々だった。一曲一曲に自分の血と汗と涙を感じるため、日々が濃厚になった。いい曲ができたときは、何者かに感謝をしたくなった。神様はいる。そう思うこともあった。残りの半年は、外に出る、世に出る、ということを意識したい。残り半年で、私たちはどこまで行けるのだろうか。 

 

 

おおまかなスケジュール

8月24日&25日 15時 定期演奏会@神奈川県横浜市「ごちゃまぜの家」
8月31日 13時 Shanti Day@東京都新宿区四谷「シアターウイング」
9月9日 20時頃 命を賭けているライブ@東京都武蔵野市吉祥寺「曼荼羅」

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半年間を終えて。

普通、なにかをやるときは「上手になってから」人前に出る。だが、我々は「へたくそなら、へたくそなままの自分を見てもらう。そして、そんな我々がどのように進化をするのか、リアルタイムのドキュメンタリーみたいな感じで楽しんでもらおう」と思い、未熟な段階からライブを重ねた(動画の公開も続けた)。上手な人間だけが音楽をやれるわけじゃない。へたくそだって、なにかをやりたいと思う気持ちがあるなら、やっていいはずだ。否、やるべきである。そう思い、率先してダサい姿をさらした。罵詈雑言のシャワーも結構浴びたが、1000人に1人くらいは「感じるものがありました」と感想をくれた。精神病棟で長期入院中の女性から、我々の音楽を聞いて「三年ぶりに笑いました」と連絡をもらったときはうれしかった。

 

 

音楽を楽しめない時期もあった。その理由は「うまくならなければならない」と思っていたからだ。技術がなければ恥ずかしい、技術がなければ人前で演奏をする資格がない、という風に思っていたからだ。しかし、違う。我々の土俵は、技術ではなく『純度』だ。技術があるから感動するわけではなく、技術がないから感動しないわけでもない。私は、私の純度を、言葉や音楽に注ぎこみたい。無論、濁ることもある。大概は濁っている。それでも稀に「ああ、これは本当にその通りだ」と思える言葉や音に出会う。そういうときに、音楽の神様を感じる。この曲(言葉)は、自分が作ったものではない。自分を『通じて』生まれたものだ。自分はただのパイプであり、自分を通じてなにかが生まれたとき、いい作品ができたと感じる。

 

 

音楽は継承である。吉祥寺で音楽スタジオを経営している男性が、言った。坂爪さんは色々な曲を作っていると思うけど、そのどれもが『継承』なのだと思う。歌詞も、メロディーも、まったくのゼロから生まれたものではない。過去に、似た音楽や、似た言葉を、残している人々はきっとたくさんいる。それを、坂爪さんが『継承』しているのだと思う。これは、パクっているとかそういう悪い意味ではなく、大事だと思うものを、大事だと思い続けるために、音楽を通じて『継承』をする。僕は、音楽ってそういうものだと思っています。と。この言葉は、その通りだと思った。私は、私が過去に見た光を、未来に継承するために現在を生きているのだと感じる。その光とはなにか。それを忘れたくないと思い、バンド名に『Agape』と付けた。アガペーという言葉には、無限の愛という意味がある。そこには「罪人である人間に対し、神が注ぐ自己を犠牲にした愛」という意味合いが含まれている。

 

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わたり文庫『銃口(上・下)』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、三浦綾子著作『銃口(上・下)』です。私は、キリスト教とロックンロールに大きな影響を受けて育ちました。これらの共通点は「弱者に対して、優しいこと」だと思います。基本的に、私は「自分なんか生きていても仕方ない」みたいなことを思いながら、多感な時期を過ごしていました。そんな中、自分が好きだと思うものたちは、そんな自分に「生きててもいいよ」と言ってくれているものたちでした。三浦綾子さんの著作からは、過去、幾度となく力を貰いました。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は北海道にわたりました ※※※

 

今、竜太は庭を眺めながら、故郷というものの不思議さを思った。人間に故郷のあることは、何と幸せなことだろうと思った。ふるさとを思う時、人間は不思議に心素直になるのだ。自分という命がそこに生まれて、そこに育つ。それは人間にとって、決して小さなことではない。それにしても、いったいその命はどこから来て、どこに行くのだろうか。この命は果たして自分自身だけのものなのだろうか。ぞんざいに扱ってよいものなのだろうか。自分の命には負わされた使命というものがあるのではないか。竜太はふっと、死んだ坂部先生を思い出した。先生は、あの旭川の警察署で、最後の別れとなった時にも言われたのだ。

「竜太、自分にとって最も大事なこの自分を、自分が投げ出したら、いったい誰が拾ってくれるんだ」

その声が、今また鮮やかに竜太の胸に蘇った。竜太は大きな力を坂部先生から与えられたような気がした。留置所に入れられていた時も、出所後も、軍隊に入ってからも、竜太はしばしばむなしさに襲われた。幾度か自分を投げ出したい思いに駆られた。が、その度に先生のその声が、竜太を我に返らせたのだった。先生の声こそ、竜太にとってふるさとの声でもあった。

三浦綾子銃口(上・下)』【小学館文庫】

 

生きる。自分も他人も凌駕するほど。

私の最終学歴は東京都立大学(退学)だが、在学中、大学の寮で暮らしていた。家賃は6畳1間(トイレと風呂は共同)1万円程度と安く、貧しい家庭に育った人間だけが暮らせるという条件があった。私はその条件を軽やかにクリアし、そこで「たもつ」という男性と出会った。我々は法学部で、我々は貧しかった。コンビニでバイトをしていた私は廃棄食品をたもつの部屋に運び、たもつは、居酒屋で働いて得たなにかしらを私の部屋に運んだ。我々は、それを「お宝山分け大作戦」と名付けていたが、要するに、貧しさを支え合うことで乗り切っていた。別に悲壮感とかはなくて、楽しかった。楽しかったが、時折、たもつと語り合うことがあった。

 

ある日、たもつに聞いた。普通の大学生は、今頃、飲み会などでどんちゃん騒ぎだ。親からの仕送りもあるから、働く必要のない人間も大勢いる。そんななか、俺たちは教科書代を稼ぎ出すために働かなくちゃならないし、たもつに限っては(弁護士になりたいと思っていたたもつは予備校に通う必要があったから)予備校代も捻出しなければいけない。俺たちが働いている間も、他の人は遊んだり、弁護士になるための勉強をしている。たもつは、そんな俺たちのこの状況を、ハンデみたいに感じることはないのか。と。すると、たもつはいい感じの笑顔を浮かべながら、こう答えた。俺は、これをハンデとは思わない。居酒屋で働いている経験も、いつか、必ず活きる日が来ると思う。いい弁護士になるには、弁護士になる勉強だけをしていては、いけないような気もするし。と。この言葉に、私は「なんと素晴らしい友をもったことか!」と、感動した。そして、見事、たもつは(怒涛の日々を重ねた果てに)現役で司法試験に合格をした。私は、結果的に大学を退学することになったので、それ以降、それほど我々は会うことはなくなった。ただ、いまでも、たもつを思い出すと「俺も、頑張らなきゃいけねえな」みたいな気持ちになる。

 

人間の生き方は連鎖をする。怠惰な姿勢は、怠惰な心を連鎖させる。前向きに生きる姿勢は、前向きな心を連鎖させる。自分がここまで生きてこれたのは、周囲に「前向きに生きようとする人間」がいたからだ。環境に恵まれていたからではなく、過酷な状況のなかで、それでもなお「俺はやるぞ」と前を向くことを諦めなかった人間たちに、私は、励まされてきたように思う。貧しさは、人間をダメにすることもある。しかし、貧しさが人間を鍛えることもある。あらゆる環境は、その環境を「人間自身が、どのように生かしていくか」によって、良い環境にもなれば、悪い環境にもなるのだろう。恵まれた環境とか、恵まれた社会とか、恵まれた能力とか、きっと、全部幻想だ。大事なことは、自分が「それをどう生かすか」なのだろう。それは、いま、ここにある自分を「これが自分という人間なのだから、さて、どういう風に生かしていくか」と、できる限り本気で考えて、失敗を恐れず、無理解を恐れず、できる限り本気で実践することなのだろう。真面目に生きようとすることは、かっこ悪いことなのかもしれない。もっとさらっと、もっと余裕で、もっとなんでもないことのように、なにかをやれることのほうがかっこ良いことなのかもしれない。ただ、私は、無様でも、不器用でも、真面目に生きようとする人間のかっこ悪さや愚直さに、生きることのひたむきさ、生きることの尊さを見る。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

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幸せになると決めただけ、幸せになる。

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アピタ新潟西店のキーズカフェにいる。さっき携帯会社a○と揉めた。違約金とかうんこだと思う。実在しない物件をオトリに集客する不動産、不安を煽って稼ぐ保険会社、見栄だけの結婚式場、入場料金とは別途でかかるドリンク代、飲食店のサービス料とか、全部、うんこだ。安く見せかけて、高く取る。これが、まるで商売上手みたいに言われるが「詐欺師と同じ」だと思う。家族を守るためには嫌な仕事も仕方がない、と言う人もいるが、それは「家族を守るためには強盗も仕方がない」と強盗犯が言うことと似ている。思わず「資本家の手先め」と言ってしまった。

 

 

おおまかなスケジュール

8月9日以降、FREE!【呼ばれた場所に行きます】
8月24日&25日 15時 定期演奏会@神奈川県横浜市「ごちゃまぜの家」
9月9日 20時頃 念願の吉祥寺ライブ@曼荼羅(詳細は決まり次第更新します)

SCHEDULE on 
http://urx2.nu/xkMu

 

ibaya.hatenablog.com

 

卑怯な人間だけにはなるなよ。

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新潟の空


結婚できるか謎だが、子育てのシミュレーションだけは準備万端だ。「まず、諦めてもらう」ことを大事にしたい。自分のこどもに生まれたことが運の尽き。まず、最初にそう言いたい。学校は、行かないでいい(個人的にランドセルの値段が気に食わない)。iPad一台あればきっと自宅学習は可能だから、あとは「自分で学べ」と言いたい。子育てに平均2000万かかるとか言われているが、従う必要はない。全部、自力で行ける。通常なら20歳で成人するところを、我が家では10歳成人説を採用したい。10歳になったら、一人前の男(女)だ。男なら、元服式をやる。適当な島に放り投げて「生きて帰ってこい」と伝え、野営道具と釣り道具だけを渡し、数日間生き延びてもらう。きっと、帰ってくる頃には顔つきも変わっているだろう。

 

この前、いい話を聞いた。漫画家のYさんは、中学時代に「自分は絵で生きていきたい」と確信した。しかし、学校の先生から「絵でごはんは食べられませんよ」と言われ、まあ、よくある反対をされた。しかし、彼女の母親は違った。14歳のYさんに「これでルーブル美術館を見てこい」と言って、フランスの往復航空券とまとまった金額をYさんに渡した。結果、Yさんは14歳という若さで1ヶ月間の欧州旅行を果たし、いま、漫画家になっている。こういう母親を素敵だと思う。『ドリームキラー』という言葉がある。学校の先生のように、善意の仮面を被って「他人の夢を殺す」人々は多い。ドリームキラーのメカニズムとして、彼らは、自分よりも意識の高い人間を見ると『居心地が悪くなる』という構造がある。目標を低く設定しているひとや、固定観念に縛られているひとは、そうではない人といると居心地が悪くなるのだ。そのため、引き摺り下ろすことに命を燃やす。ドリームキラーに惑わされちゃいけない。我が子には『ドリームキラー・キラー』になって欲しい。

 

人間には素晴らしい創造力と想像力がある。しかし、ダサい年齢の重ね方をすると、言い訳や言い逃れをする時にだけクリエイティブな人間になる。お金がない。時間がない。自信がない。勇気がない。能力がない。そんな言葉を言っているうちに、あっという間に人生は終わる。死に際に「I'm an old man filled with regret waiting to die alone」と言う羽目になる。これは最悪だ。繰り返すが、我が子には『ドリームキラー・キラー』になって欲しい。それは、自分の中にいるドリームキラーをぶっ壊すという意味合いもある。他の誰でもない、自分が自分に「無理だよ」と言うことがある。その言葉を、ぶっ壊してほしいと思う。そのためにも、まず、親自身がそういう生き方をできていなければ、言葉が嘘になる。真剣に生きていないおとなが、一体、こどもになにを教えられると言うのだろうか。おとながかっこよければ、こどもは生きることに希望を見る。おとながかっこわるければ、こどもは生きることに絶望を見る。純粋なこどもの眼差しは、常に、おとなを問う。

 

note.mu

 

幸せになると決めただけ、幸せになる。

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音楽をやっていると思う。手段と目的は、本来、同じものだ。私には、音楽でどこかに行きたいという思いがない。そりゃあ、有名になったら面白いだろうなとか、有名人と知り合えたら面白いだろうなとか、Mステに出演したら面白いだろうなとか、思うことは思う。ただ、それは『おまけ』に過ぎない。音楽をやりたいと思う。そして、音楽をやる。以上。音楽をやりたいと思うことがスタートで、実際に音楽をやることがゴールならば、我々は毎日ゴールをしている。それは、結成したばかりのバンドが、めちゃめちゃ下手くそな状態で最初の一音を合わせた瞬間と、同じだ。あの瞬間の感動。あの瞬間の興奮。『いま』にすべてがある。やりたいと思ったから、やる。ただ、それだけのことだ。御託を並べ始めると、人間はおかしいことになる。携帯を売りたいから携帯を売る。そんな人間はレアだ。金のため、生活のため、上司に言われたから、そういう決まりだから、売ると褒美がもらえるから、売らないと叱られるから、そういう外部的な要因で、人間は簡単にぶれる。

 

俺の人生、所詮、そんなものだ。そう思う男の人生は、所詮、そんなものの人生で終わるだろう。いや、違う。自分には、きっとやれることがある。そう思う男の人生には『可能性』が生まれる。意外と、全部、自分が決めている。自分が「自分は幸せだ」と思えば、自分は幸せになる。自分が「自分は不幸だ」と思えば、どれだけ金があろうが、どれだけ健康だろうが、どれだけ環境に恵まれていようが、簡単に不幸になる。全部、自分が決めている。だからこそ、私は「仕事とはそういうものだ」と、悪い意味で決めつけられているものを見ると腹が立つ。ふざけるな、と、思う。お前の人生は、確かにその程度だったかもしれない。しかし、お前と俺を一緒にするな。過去の統計がどうだったかとか、知らない。その統計のなかに、俺は含まれていない。なぜ、そこに怒りを覚えないのか。なぜ、そんなところで甘んじるのか。怒りを忘れた猿なのか、とか、思うことがある。怒りは、歓迎されない感情だ。しかし、怒りを忘れた猿になるくらいなら、私は「死にたい」と思う。

 

誤解を恐れながら言うと、多くの人々は「人並みであること」に命を燃やしているように見える。要するに『見栄』だ。そして、人生を退屈にさせるものも、同じように『見栄』である。多くの人々が欲しがるものが、自分も欲しいものであるとは限らない。多くの場合、実は、自分はまったく興味がないものだったりする。それを「もっていないと恥ずかしい」みたいな理由で、欲しがる気持ちは精神的に貧しい。もし、いま、なにかに挑戦をしているひとがいたら、そのひとは「悔しさ」や「不安」や「苛立ち」にまみれていると思う。それは、正常な働きだと思う。いま、社会的なあれこれは、あなたに「諦めろ」と言うメッセージを放ち続けている。個人的な夢なんか捨てて、みんなと同じになれば楽になれるよ。みんなと同じになれば安心できるよ。みんなと同じになれば笑顔で生きることができるよ。などなど。しかし、もちろん、そんな言葉は、嘘だ。「みんな」なんていない。もし、自分が、誰かと同じであることを目指すのならば、それは自殺と同じである。どこにもいない『みんな』に合わせて生きるとき、残るものは、平均的な人間になることを成し遂げた自分ではなく、もう、何者でもなくなった『生きる屍』だと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

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何度でも、何度でも、はじめるんだ。

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アピタ新潟西店のキーズカフェにいる。お前、金ねえとか言ってるくせにカフェとか行ってんじゃねえよという罵声が聞こえるが、いいのだ。作詞も執筆も全部カフェだ。炎天下じゃ書けない。我輩は必要経費だ。回収の見込みはない。自分みたいな人間が生きていてもいいのか、と、頻繁に感じるが「いいのだ」と言う。自分が自分を肯定できただけ、他者を肯定できる。「自己投資」とか「自分を売り込む」という言葉を聞くが、嫌いだ。人間は商品じゃない。ターゲットという言葉も、嫌いだ。人間は標的じゃない。奴隷でも家畜でも機械でも、ない。人間は、人間だ。

 

 

おおまかなスケジュール

8月5日以降、FREE!【呼ばれた場所に行きます】
8月24日&25日 15時 定期演奏会@神奈川県横浜市「ごちゃまぜの家」
9月9日 20時頃 念願の吉祥寺ライブ@曼荼羅(詳細は決まり次第更新します)

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ibaya.hatenablog.com

 

挑戦しないで、何が人生だ。

人間は「応援したい」生き物だと思う。誰かが頑張る。誰かの頑張りに触発されて、よし、自分も頑張ろうと思う。あるいは、誰かの頑張りを通じて「うおー」と、自分の中に眠るたぎる命の存在に気付く。前に、自転車で横浜から長崎に行った。1日100㎞程度しか進めなかったが、読者の方から「いまも坂爪さんは同じ空の下を自転車で移動しているのだなあ、と考えるだけで励みになります」と言われた。この感覚は、とてもよくわかる。いま、この瞬間もあいつは挑み続けているのだろうな、と思える感覚は素敵だ。思わず応援をしたくなるようなチャレンジをする。誤解を恐れながら言うと「挑戦しないで、何が人生だ」と思う。挑戦は楽しい。創意工夫に満ちている。と言う訳で、私は、音楽を通じて挑戦をしている。

 

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愛する秀眞君が個展@岡山を開催中だ。漁夫の利的なあれで、Agapeが紙面デビューを果たした。素晴らしい。どんどん頑張ってほしい。頑張りは伝染する。成功は副産物で、挑戦そのものが娯楽になる。我々は音楽ど素人で、日々、罵詈雑言を浴びながら音楽活動を頑張っている。罵詈雑言の内容を分析すると「へたなくせに音楽をやるな」ということになるのだが、私は、微妙なことを言ってんじゃねえよと思う。ありがちな罠のひとつに「上手じゃなければ発表してはいけない」というものがある。違うだろ、と、思う。万物は、万人に開かれている。やりたければ、やればいいのだ。上手になってから発表するのではなく、上手になっていく過程を、へたくそならばへたくそな状態のまま「ここからがスタートです!」と、どんどん出して行けばいいのだと思う。そうでなければ、スタートすることのハードルが高いままだ。やった人間は尊い尊い人間をこき下ろす人間の精神性は、哀しい。

 

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応援されるためにやっているわけじゃないが、応援をされると(やっぱり)うれしい。応援をしてほしいと思う。我々を。我々は、素人集団でありながら「頑張ればMステくらい出れるんじゃねえか」と思っている。我々がMステに出たら、笑ってくれるひとは結構いるんじゃないかと思っている。笑ってほしいな、と、思う。あいつら、本当に出やがった!と。愉快な気持ちになってほしい。痛快な気持ちになってほしい。こんなにへたくそな俺らでも、ここまで来れたよ。と。そんな感じの言葉を言いたい。だからこそ、へただから音楽をやるなという批判の、退屈さを思うのである。逆だろ。と。へたな奴らが、世の中から見捨てられたような連中が、圧倒的弱者が逆転ホームランをかっ飛ばすからこそ、人生は面白いのだろう。と。

 

note.mu

 

何度でも、何度でも、はじめるんだ。

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初対面のひとに「今世の調子はどうですか?」と聞くことが趣味だ。最近の日々とか狭い範囲ではなくて『今回の人生』という、大まかな枠で会話をすることが好きだ。人間、やはり、使命があるように思う。私の場合は「予定調和を破壊する」瞬間に生き生きとする。クラッシュ・アンド・ビルド(破壊と創造)という言葉もあるが、創造は、あまり得意じゃない。0から1は好きだが、1から100の集中力に欠ける。破壊だ。破壊することは好きだ。愛のある破壊。しがらみから解き放つ破壊。人間を自由にするための破壊。できれば、そういう破壊でありたいと思う。

 

まずはひとり。仲間ができたらとかではない。準備ができたらとかでもない。最初はひとりでもやる。そして、出す。無視されても、罵倒されても、出し続ける。自分の世界に閉じこもるのではなく、外側の世界にコンタクトを続ける。ボールを投げ続ける。まずはひとり。100人いても『たったひとり』を大事にする。大衆に向けるのではなく、たったひとりの人間に向ける。99人が呆れても、1人が笑うなら俺達の勝ちじゃねえか。と。99人が素通りしても、1人が涙を流すならそれが俺達の価値じゃねえか。と。そう言う言葉を言うと、必ず、こういう感じの言葉を言われる羽目になる。「プロなら、100人全員笑わせてみろ」と。しかし、私は思う。違うだろ、と。プロとか、アマとか、ないんだよ。職業を超えて、誰もが「プロの人間」だろう。同時に、誰もが「今日という一日のアマチュアだろう」と。誰かの生き方をああだこうだと言える人間はいない。プロなら全員楽しませてみろと思うなら、そう思うお前が、全員を楽しませる生き方をしろ。話はそれからだ。と。

 

俺たちはまだまだガキンチョで、本当の意味での『愛』や『赦し』を知ることはない。突っ張って、突っ張って、突っ張ることを続けながら、徐々にわかることがある。それは、絶対に許さないと思っていた彼等にも、ひとつの人生があったということだ。誰もが、その瞬間はそうするしかなかった事情を抱えていたのだということを、徐々に思いやれるようになる。優しい気持ちに包まれながら、しかし、優しさを持続する強さが、ない。その代わりにあるものが『若さ』だ。若さとは、突っ張る力だ。 自分が自分であることを続けた分だけ、誰かの「そうするしかなかった」事情を汲み取れるようになる。だから、何度でも、何度でも、はじめるんだ。はじめたら、はじめただけ、強くなる。そして、優しい人間になれるのだと思う。

 

 

「ぼくは坂爪さんに出逢うまで、ぼくじゃないだれかにならなきゃいけないような気がずっとしていた。
どこへ行っても、誰と会っても、そのままのぼくじゃダメだって言われてる気がしていた。
坂爪さんに初めて会った時、ぼくは感動した。みんなみたいにうまくしゃべれないぼくをそこら辺にある空気とおんなじように、気にしないでいてくれた。ぼくはそれがものすごいうれしかった。
坂爪さんに出逢ってから、ぼくは永遠に死ぬまでぼくで生きようと決めた。
坂爪さんの歌を聴くたびに、その気持ちを思い出す。坂爪さんとはなかなか会えないし、ずっと一緒にもいられないけど、離れていても会えなくても坂爪さんはすぐそこにいてくれて、「ほら、楽しもうぜ!」って言ってくれる。
ぼくは坂爪さんが大好きだ。
ぼくは一生坂爪さんの友達でいる。」秀眞

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

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旅は道連れ、世はアガペー。

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菊名駅前のコロラドにいる。音楽業界の方々が「へたくそだけど胸が震える音楽もあるし、うまいけど退屈な音楽もある。技術じゃないんだよ」と言っていた。本当にその通りだ。私はキャッフェで作業をすることが多いが、大概の店員は機械的で無機質だ。冷酷であるとさえ言える。ありがとうございますとか言われても「お前、絶対そんなこと思ってねえだろ」と感じる。しかし、若葉マークをつけた新入りさんは違う。彼らは、ぎこちないが、真剣だ。一挙手一投足に血が通っている。へたくそだけど一生懸命な姿に、心は打たれるのだ。若葉を守れ。初期衝動を失った人間は、技術的には優れるが、人間ではなくなる。冷酷なロボットになるのだ。

 

 

おおまかなスケジュール

8月2日以降、FREE!【呼ばれた場所に行きます】
8月24日&25日 15時 定期演奏会@神奈川県横浜市「ごちゃまぜの家」
8月30日 EVENT@東京都恵比寿界隈(詳細は決まり次第更新します)
9月9日 20時頃 念願の吉祥寺ライブ@曼荼羅(詳細は決まり次第更新します)

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http://urx2.nu/xkMu

 

ibaya.hatenablog.com

 

若葉を守れ。

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念願の日比谷野外音楽堂(前)デビューを果たす。

 

生きていると「ふざけんじゃねえよ」と思うことがある。調子に乗った人間を一列に並べて、スピニングバードキックで鼻をへし折りたくなる。どうしてなのだろうか、常に「ぶっ壊したい」と思ってしまう自分がいる。巷には『クレイジー○○○』とか『○○○ロック』とか『新しい○○○』とか、自分で自分のことをロックだのクレイジーだの新しいだの言っている人々は多い。しかし、どう見ても「全然クレイジーだと思えない」「全然ロックだと思えない」「新しいとか言いながら全然枠を出ていない」と感じる。そんなことよりも、先日、巣鴨で喰らったモンゴル料理のAコースの方がよっぽどクレイジーでロックで新しい存在だった。本物は、自分をクレイジーとか言わない。自分をロックとか言わない。自分を新しいとか言わない。

 

 

昔は、音楽は反権力の象徴だった(気がする)。だが、いまは、女子高生がエレキギターを担いで学校に行くと、教師から「おお、頑張ってるね」と言われるらしい。生徒も生徒で、真面目な人が多いらしい。吹奏楽部みたいなものだ。別に、吹奏楽部をダメだとは思わない。ただ、ブルーハーツが歌ったように「おとなに褒められるようなバカ」になっていないか、一抹の不安を覚える。ギターは、むかつく奴の頭をぶん殴るためにあるものだと思う。実際に暴力を振るうと、犯罪になる。しかし、音楽を通じて心をぶん殴れば、それは感動になる(ことがある)。褒められるためにやるなんて、真面目すぎる。優等生すぎる。全員が出木杉くんになってしまったら、ドラえもんは退屈だ。ジャイアンがいるから、嫌われ役がいるから、面白くなるのだ。ジャイアンになれよ。嫌われてしまえよ。そう思うことがある。

 

 

誰にだってあるだろう。年齢を重ねるにつれて、昔よりは落ち着いたかもしれない。しかし、落ち着いたかもしれないが、昔よりも「つまらない」人間になっている場合は多い。どうしたんだ(ヘヘイヘーイ!)、と、問いたい。お前はそんなにつまらない人間だったのか。と。風紀委員をあれだけ毛嫌いしていたお前が、いつの間に、風紀委員長みたいなことになってしまったんだ。と。内村鑑三大先生の『代表的日本人』を読み直してくれよ。と。死んでもいいと思うからこそ、生の充実を見るのだろう。と。こどもの頃、お前が「こうはなりたくない」と思っていたおとなに、いま、お前自身がなってしまってはいないか。と。クソガキだったお前を、どこに置き忘れてきたのだ。と。忘れないでくれよ。思い出してくれよ。と。

 

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わたり文庫『イン ザ・ミソスープ

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、村上龍著作『イン ザ・ミソスープ』です。20歳前後の頃、村上龍の本しか読まなかった時期がありました。彼の本を読むたびに「強くならなければ」と(暗黒の部屋の中で)感じていたことを思い出します。とりわけ20歳前後の方々に、読んでいただけたら嬉しいです。アマゾンのレビューには「気持ち良いほど残酷な本を読みたい方にお勧めです」と書いてありました。悪い影響を与えたい。不思議なことに、時折「悪い影響を与えたいなあ」と、ひっそり思うことがあります。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、大阪府にわたりました ※※※

 

大人達は、金と、何か既に価値の定まったもの、つまりブランド品のようなもののためだけに生きている。テレビや新聞や雑誌やラジオやつまりあらゆるメディアから、自分達は金とブランド品しか興味がないし、必要でもないという大人達のアナウンスが聞こえてくる。政治家から官僚、その辺の屋台で安酒を飲んでいる最低のリーマンのオヤジまで、欲しいものは金しかないのだと生き方で示している。口では、人生は金だけじゃないなどと偉そうなことを言うが、生き方を見るとやつらが他に何にも探していないのがすぐにばれる。女子高生の援助交際を批判するオヤジ系の週刊誌は、同じ号の中で、お得な値段のファッションヘルスや早朝ソープを推薦しているし、政治家や官僚の汚職を糾弾しながら、安く買える優良株や不動産を紹介し、人生の成功者として、金持ちの自宅とか、高価なものを身につけただけのアホをグラビアで見せたりする。この国の子ども達は毎日毎日三百六十五日、そしてほとんど一日中、餌と電流の猫のような思いを味わっている。そんなことを一言でも言うと、こんな食い物も充分にあって豊かな世の中で何を甘えたことを言ってるんだ、わたし達は芋を食いながらがんばってこんな金持ちの国にしたんだぞ、とじじい達から言われる。それも、こういう生き方は絶対にしたくない、と見ていて思うようなじじいに限って偉そうなことを言う。おまえの言うとおりに生きたらきっとおまえみたいな大人になってしまう、といつもおれ達は思っている。それは苦痛だ。じじいはすぐに死ぬから別にかまわないのだろうが、おれ達はあと五、六十年この腐りきった国で生きていかなくてはいけないのだ。

「ケンジ、どうしたんだ」

フランクがおれの顔を見ている。

 

「ぼくのような人間は明らかに有害だ、ぼくはウイルスにとてもよく似ている、人間に病気を起こさせるウイルスは実は非常な少数派で、その他にも無数の、数えきれないほど多くの種類のウイルスが存在する、その役割は一口で言うと、突然変異に手を貸して生命の多様性を創り出す、ということになる、ウイルスについてもたくさん本を読んだ、睡眠が少なくて済むということは、本を読む時間が多いということだ、ウイルスがもし地球に存在していなかったら、人類は誕生していなかったと思う、ウイルスの中には、われわれの遺伝子の中に入り込んで、直接遺伝情報を変えてしまうものもある、エイズを引き起こすHIVが、将来、人類のサバイバルになくてはならない遺伝情報の書き換えをしていないとは誰も断言できない、ぼくは、自覚的に殺人を犯し、他の人間達にショックを与え、考え込ませる、でもぼくはこの世界に必要とされていると思う、でも、ああいうのは、違う」

そう言ってフランクはまたホームレスを見た。ホームレスは段ボールの上に座ったきり動こうとしない。橋の上にも人がだいぶ増えてきたが、ホームレスの周りには誰も近寄ろうとしない。

「あいつらは、生きようという意志を放棄しているわけではない、他の人間とのコミュニケーションを放棄しているんだ、貧しい国には、難民はいるが、ホームレスはいない、実はホームレスはもっとも楽に生きている、社会生活を拒否するのだったらどこか他の場所に行くべきだ、何らかのリスクを負うべきだ、少なくともぼくはそうしてきた、彼らは罪さえ犯せない、退化している、ぼくは、ああいう退化している人間達を殺してきたんだ」

村上龍イン ザ・ミソスープ』【幻冬舎文庫

 

旅は道連れ、世はアガペー

なぜだかわからないが、幼少期から「全部嘘じゃん」と思っていた。両親の言葉であったり、先生の言葉であったり、周囲の諸々が発しているメッセージの全部が『嘘』に見えた。正確には「これは本当だ」と思うものもあったが、大概は、嘘っぱちに思えた。一番記憶に残っているのが、生まれ故郷である新潟の片田舎にある薬局に行った際、視界に入ったポスターだった。テレビなどでよく見る女優が、なにかの化粧品を片手に「これがあれば綺麗になれる」みたいなことを謳っている、どこにでもあるポスターだった。それを見たとき、この女優が生きる世界と、地方都市である新潟の実生活との間にある、あまりにも激しい乖離に『怒り』を覚えた。あのとき、なぜ、私は怒りを抱いたのだろうか。ここにいる限り、全部が、嘘になる。無意識に、そう思ったのかもしれない。それは「ここにいたら自分がダメになる」という、焦りにも似た(自分に向かった)怒りだったのかもしれない。

 

その後、私は「新潟にいたくない」という理由で、東京の大学に進学をした。しかし、そこでも「全部嘘じゃん」という思いは消えず、再び、ここにいたら自分がダメになるという『怒り』を抱いた。周囲の人間は、授業ダルいとか言いながら、取るべき単位はしっかり取得している。私も、授業をダルいと感じるところまでは同じだったが、実際に単位を取ることができなかった(2年間で取ったた単位数は「2」だった)。嫌だ、嫌だ、と思いながらも現実をクリアすることができず、卒業なんてできるはずがないと諦め、大学を辞めた。この時も、新潟の薬局で感じた『乖離』を感じた。乖離とは、要するに「嘘をつくな」という怒りだった。ここにいる限り、全部、嘘になる。それならば、私は「これは本当だ」と思える生き方を、見つけなければいけない。そんなことを思いながら、退学届けを提出した。なにかが終わるときは、常に、非常にあっさりとしている。退学手続きはものの数秒で終わり、私は、大学生という肩書きをなくした「なんでもない人間」になった。

 

なんでもない人間になったとき、もちろん、将来の不安なども覚えたが、同時に「ようやく自分が世界と一致をした」ような爽快感を覚えた。思えば、これまで、自分は常になにかに所属をしていた。中学生のときは『中学生』だったし、高校生の時は『高校生』だったし、大学生のときは『大学生』として、周囲から見られる。しかし、いま、自分は生まれてはじめて『なんでもない人間』になることができた。これまでは、レールの上を歩くことが人生だった。しかし、これからは「レールを作ること」が、自分の人生になる。レールを作ることができれば生きることができるが、それができなければ、自分は、無様な醜態を晒しながら路上で野垂れ死ぬことになる。(レールの上を)歩け、歩けと言われても「歩きたくない」と思うものだが、いざ、レールの上を歩かなくてもよくなったとき、私は「歩きたい(生きていきたい)」と思うことができた。 これからは、もう、誰の責任にしないでもいい。生きるも、死ぬも、自分次第。これは、非常に清々しい感覚だった。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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君を好きになることは、自分を好きになることだった。

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横浜駅前のドトールにいる。楽曲を作る。出来上がりの段階では「これはいいかも!」と思っても、録音後、聞き直すと「ゴミクズじゃないか」と愕然とする。駄作にもほどがある。消したくなるし、消えたくなる。しかし、そこをグッとこらえて公開&更新を続ける。私は、小中学校野球部だった。一本のヒットは、十本の空振りに支えられている。思い出せ。けいご。空振りも必要なのだ。空振りあってこそのホームランなのだ。ホームランを打ちたいのならば、打席に立つことをあきらめてはいけない。恥をかくことを、周囲にバカにされることを恐れてはいけない。

 

 

おおまかなスケジュール

7月30日以降、FREE!【呼ばれた場所に行きます】
8月24日&25日 15時 定期演奏会@神奈川県横浜市「ごちゃまぜの家」
8月30日 EVENT@東京都恵比寿界隈(詳細は決まり次第更新します)

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国語。算数。理科。革命。

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念願の公園デビューを果たす。


喰えないバンドでおなじみ、我々Agapeも念願の公園デビューを果たした。公園は良い。自由で、無料だ。とにかく場数を重ねたい。ライブの数だけ強くなる。「ギリギリ怒られよう」と思って代々木公園に突撃したが、代々木公園は広く、誰にもなにも言われなかった。最初、原宿駅の激混み具合に辟易し、俺はもう生きていけないと一回生きることを諦めかけたが、緑に囲まれて「やっぱりこれだよねー」と復活した。巨木を見ると登りたくなる。木登りは健康によい。人間に突然抱きつくと犯罪になるが、巨木に抱きつくと安定剤になる。バガボンドを読み過ぎたため、巨木を見るたびに「父ちゃん」と吐息を漏らし、抱擁する傾向が自分にはある。

 

 

場数を重ねたいとか言いながら、ライブ出演のお誘いを断ってしまった。主催者側から「出させてやってもいいよ」的な、上から目線を感じたからだ。媚びない。これは、私が私と交わした約束である。媚びた瞬間に死ぬ。頭をさげたくないときには、頭をさげない。そうすることで、本当に頭をさげたいひとと出会ったときに『真の意味で』頭をさげることができる。あとから「やっぱりちょっともったいなかったかな」とか思うが、否、微妙なものを拒否することで、より良いものが舞い込んでくるのが人生である。つまらないものを握りしめてしまうと、入ってくるものも入ってこない。ミラクルは余白に舞い込むのである。つまらないもので、余白を埋めてしまってはいけない(と言いながら、自分を慰めているがここに書く程度には色々思うところがある。テレビ出演も書籍出版も、同じ理由で断っている)。

 

 

高校時代、新潟中央高校に通う一歳年下の女子(名前は「しょうこちゃん」)から、ある日突然「新潟の桜が、どうして美しいかわかりますか?」と問われた。高気圧系女子で、年下なのに生意気な女子だった。私は、わからないから「わからない」と答えた。すると、彼女は「遅咲きだからですよ」と言った。ドヤ顔だった。それは別に関係ないんじゃないか(というか、お前は新潟の桜以外を見たことがないだろう)などと一瞬思ったものの、なるほど、と思ったのも事実である。新潟の桜が美しいのは、遅咲きだからですよ。いい言葉じゃないか。我々、丸腰中年団は全員新潟生まれである。冬の日照時間が極めて少ない地域で育った我々は、いつ、開花の時期を迎えることができるのだろうか。一ヶ月後だろうか。一年後だろうか。死後だろうか。できることならば、それが美しいものであればいいと思う。

 

note.mu

 

わたり文庫『家日和』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、奥田英朗著作『家日和』です。私は奥田英朗さんが好きです。読んでいると和みます。読書にはリラックス効果があると聞きました。私は読書が好きです。しかし、当たり前のことですが「面白い本を読む」ことが好きなのであって、読んでいて面白くない本を読むことは嫌いです。時に、それを誤解して、たまたま自分が読んでいる本がつまらなかっただけなのに、俺は読書があまり好きではないのかもしれない、読書は暇人の娯楽に過ぎない、みたいな勘違いをしてしまうことがあります。この勘違いは、非常に、もったいない。是非、この本を通じて「読書の楽しさ」を思い出してください(って、俺は一体誰に言っているのだろう)。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、新潟県にわたりました ※※※

 

物事の大半は、時間が経てば全部笑い話だ。

奥田英朗『家日和』【集英社文庫

 

君を好きになることは、自分を好きになることだった。

素晴らしい時代だ。古本は百円程度で手に入るし、電子書籍も無料で読める。街中にワイファイが飛び交い、冷暖房完備、YOUTUBEで無料で音楽や動画を楽しめる。社会福祉も充実し、生活保護も各種NPOの活動もあり、飢え死にすることは(多分)ない。音楽活動をやりたい!となれば、すべてiPhone一台でやりくりできている。執筆も、録音も、撮影も、これ一台だ。豊かな時代である。だが、なぜ、幸せそうに生きているひとは少ないのだろう。なぜ、豊かな社会で過労死をしたり、なぜ、将来の不安に押し潰されそうになったり、なぜ、多くの人々は疲れた表情を浮かべ、なぜ、自殺者や精神病患者が減るどころか増える一方なのだろうか。

 

これは、端的に「希望がない」からだと思う。私だったら、路上で野垂れ死にそうになっても、生活保護は受けないと思う。福祉施設に駆け込むことより、死を受け入れること、要するに諦めることを選びそうだ。大事なことは、生きることより『生きたいと思う』ことだと思う。衣食住があっても、希望がなければ、絶望に取り囲まれれば、人間は生きることが難しくなる。生きるためにしなければならないことに囲まれたとき、なぜ、こうまでして生きなければいけないのかという重荷に耐えきれなくなり、なにかが切れる。そして、爆発したり、朝、目覚められなくなる。生きることが苦行になり、生まれたことが罰ゲームになる。それを打開するものが『希望』だと思う。生まれてきてよかった。生きててよかった。そう思える瞬間だと思う。生きるために必要なことと、生きたいと思うために必要なものがある。前者は「金」とか「仕事」になるのだろう。そして、後者は、乱暴な言葉でまとめれば「恋」だと思う。恋とは、なにかを好きになることだ。なにかを好きになり、それがある世界を「まだまだ捨てたものではない」と思わせてくれるものだ。

 

誤解を恐れずに言うと、私は、後者だけで生きていく実験をしているように感じる。生きるために必要とされているもの、金とか、家とか、仕事とか、資格とか、安定した収入とか、具体的な将来設計とか、そういうものが、自分にはない(あるっちゃあるけど、ないっちゃない)。金がなければ生きていけない。定期的な収入がなければ生きていけない。そう言う言葉を、これまで、たくさん言われた。私は、ただ、ピンとこないという理由で、それらを弾き返してきた。生きるために必要なことと、生きたいと思うために必要なこと。これを、できる限り、イコールにさせたかった。私の場合、生きたいと思うために必要なものは「恋」だ。それは、なにかを好きになるということだ。なにかを好きになるとき、それがある世界を「生きていきたい」と思う力になる。それは、北風と太陽の童話で言うところの、太陽的な力だ。生きなければいけない、ではない。我々には、等しく、自殺をする自由がある。それでもなお「生きたい」「生きていきたい」と思うのは、好きなものがあるからだ。好きなひとがいるからだ。なにかを好きになることは、誰かを好きになることは、そのまま、世界を好きになることだ。自分を好きになることだ。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

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LINE ID ibaya

生きててもいいよ。

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兵庫県三宮駅前のドトールにいる。電車内で、女子が化粧をしていた。化粧は美しくなるための行為なのに、なぜ、化粧をしている姿はあんなにも醜いのだろうか。誤解されると困るが、私は電車で化粧をする女性をディスりたい訳ではない。ただ「化粧をした女性は綺麗だが、化粧をしている女性は醜い」と思っただけだ。そんな話を(私が綺麗だと思う)女性に話したら「電車で化粧をしなければならない余裕の欠如が、既に美しくない」と一刀両断。彼女の言葉に、吹き出してしまった。

 

 

おおまかなスケジュール

7月25日以降、FREE!【呼ばれた場所に行きます】
7月27日 15時 定期演奏会@神奈川県横浜市「ごちゃまぜの家」
7月28日 15時 定期演奏会@神奈川県横浜市「わたり食堂」

SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu

 

ibaya.hatenablog.com

 

男の生理。

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京都でエレキギターを譲り受けた。ギブソンレスポールで、色は「チェリーサンバースト」と言うらしい。さくらんぼ。太陽。爆発。燃える炎のイメージ。これで、自分をどこまで引き出せるのだろう。ギターから「遠慮するなよ」と言われた気がした。思い切りかき鳴らしたい。しかし、エレキのことは全然わからない。アンプがないと音は出ないらしい。エフェクターがないと、音を変えることはできないらしい。楽器屋に行くのが筋なのだろうが、私は『店員さん恐怖症』なのでお買い物ができない。必然、あるもの(舞い込んできたもの)で勝負になる。誰か、使っていないアンプなどなどありましたら、お譲りいただけましたら超絶幸いです。

 

音楽をはじめて数ヶ月。いまでは「1日ギターを触らない日があると、もぞもぞする」程度には、ギター愛が芽生えた。これまでギターなしで生きていたのが不思議だ。ギター自体は、高校生の頃から触っていた。が、正直、ギターなんて大嫌いだった。理由は「うまく弾かなければならない」と思っていたからだ。うまく弾かなければならないという思い込みと、うまく弾けない自分との乖離に毎回「うぎゃー!」となって、投げ出していた。だが、いまは、違う。ギターは楽しむための道具であり、自分を表現するための道具である。言葉も音楽も似ている。いい言葉(いい音楽)を作ろうとすると、苦しくなる。だが、青臭い表現だが「ありのままの自分を表現する」ために使うと、最高のお友達になる。叫びたいなら、叫ぶ。暴れたいなら、暴れる。泣きたいなら、泣く。その時、音楽は最高のお友達になる。


私たちはすでに許されている。最近、そんなことを思う。たとえば、誰かに認められるために音楽を利用してしまうことがある。すごい曲を作りたいと思う。誰かを楽しませたいと思う。それが前向きに働く時期はよいが、変なふうに作用をすると「音楽が、自分の欠落を埋めるための道具」になる。これはよくないと思う。少なくとも、私は、こういう付き合い方をしたいとは思わない。私たちはすでに許されていて、私たちはすでに認められている。すでに認められている上で、それでもなおやりたいと思うもの。それが、音楽だ。共有したいものは素晴らしさであり、この感覚は、うまく言えないが自分という個人を超えている。自分という個人を超えて「人間賛歌」みたいなものを歌えたら、最高に気持ちいいだろうなあ。と、思う。欠落なんて、あると思えばあるが、ないと思えばないのだ。もっと言えば、欠落があろうがなかろうが、金があろうがなかろうが、才能があろうがなかろうが、人間は(それとはまったく関係ないところで)歓びを感じることができるのだ。

 

note.mu

 

わたり文庫『イニュニック

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、星野道夫著作『イニュニック』です。こちらの本は、長崎県五島列島在住の男性が「わたり文庫に是非」と寄贈をしてくださった一冊です。最近、ハワイ島で野営をしながら過ごした日々を頻繁に思い出します。夢のような日々で、ああ、この瞬間もハワイ島では穏やかな時間が流れているのだなあと思うと、安らかな気持ちになります。死にたくなったら、ハワイ島に行こう。あるいは、アラスカに行こう。ユーコン川を筏でくだろう。いまいる場所だけが世界ではないのだ。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、京都府にわたりました ※※※

 

1946年の冬、23歳のシリアがたった一人で小型飛行機を操縦し、アメリカ本土からアラスカへ飛んできた時から始まる彼女の軌跡は、そのままこの土地の歴史の一端を語ることになるだろう。僕はシリアとジニーから、できるだけたくさんの古い物語を聞いておきたかった。もう年老いた二人なのに、彼女らと会うたび、僕はある豊かさをもらっている。それを言いかえれば、限られた一生の中で何を大切にしてゆくかということだろう。シリアの口ぐせで、僕の好きな言葉があった。

Life is what happens to you while you are making other plans.
(人生とは、何かを計画している時起きてしまう別の出来事のこと)

波乱の人生を生きたシリアの口からこぼれると、その言葉は暖かかった。

星野道夫イニュニック』【新潮文庫

 

生きててもいいよ。

あらゆる能力は、使い方を誤ると「自分を殺す」道具になる。私は(自分で言うのも変だが)敏感な人間で、社交辞令とか愛想笑いとか表面的な言葉を聞くと、毎回ダメージを負う。しっかり傷つく。前にバイトをしていたときは「心を殺せばいいんだよ」と助言されたが、だったら死んだ方がマシだと思った。結果、こんな生き方になってしまった。鈍感力を身につけられたらどれだけ楽か、などと思った時期もあるが、自分の敏感さを愛したいと思う。敏感さを愛するには、敏感さを「許す」方向に使わないと、死ぬ。他者に向けられた鋭敏な洞察力の矢は、必ず、自分自身にも向かう。処罰的な洞察力は、いつか、自分を殺める。深い洞察力は、人間を許す方向に使ってこそ、真価を発揮する。言葉も同じだ。自分の闇を表現するのは構わない。だが、最終的に「許す」方向に舵を取らなければ、言葉に殺される。

 

私は「音楽とユーモア」に救われたと思っている。地元新潟で暗黒時代を過ごしていた時期、自宅に引きこもりお笑い番組を見るか音楽を聞くかしていた。これがなかったらとっくの昔に自殺をしていたと思う。音楽。ユーモア。これらに共通するものは『許し』だと思う。自分が好きだと思う音楽は、大袈裟だが、私に「生きててもいいよ」と言ってくれている気がした。その言葉は温かく、どうしようもなく嬉しいものだった。ユーモアも似ている。それは、どうしようもない自分に「ダメでもいいよ」と言ってくれている気がした。ダメでもいい。ダメならダメなほどいい。そういう世界があるのだということを、教えてくれた。生きててもいいよ。ダメでもいいよ。だから、胸を張るんだ。自分が生きていることを、卑屈に思うんじゃなくて、ダメならダメなまま、胸を張って生きるんだ。そういうことを、言ってもらえているような気がした。「嘘でも構わない」と思った。死ぬまで騙されていたい嘘を、死ぬまで騙されたいたい光を、私は、あの瞬間に見ていたのだと思う。 

 

そういう光のために、生きてこそだと思う。ひとつの嫌な出来事があると、そればかりにとらわれて、まるで人生全体が嫌なことばかりに見える夜もある。だが、自分がこれまで生きてこれたのは、紛れもなく「なにかに許されてきた」からだ。いま、生きている。それは「生きていきたい」と思わせてくれるものが、確実にあったからだ。それは、母親の胎内にいた遠い記憶とも、つながっているのかもしれない。生きていれば、また、ぬくもりに触れることができるかもしれない。そういう思いが、人間を「生きたい」と思わせる方向に向かわせる。生きなければ、という義務的な感覚ではない。それは「生きたい」と思う、前向きな意思になる。希望になる。あらゆる能力は、使い方を誤ると「自分を殺す」道具になる。しかし、正しい使い方をできたとき、それらは「人間を生かす」最高の道具になる。道具をもっていない人間はいない。ただ、正しい使い方をできない時期が、誰にでもあるだけだ。正しい使い方とは、人間を許す方向に向かわせる、生きたいと思う方向に向かわせる、慈悲を感じさせるものだ。それを、日本人は「愛」と呼んだのだと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

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LINE ID ibaya

必要なものは与えられる。

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熱海のデニーズにいる。熱海に来ると元気になる。なぜか。人間が免疫力を回復するには『五つの浴』が有効だと聞く。森林浴。月光浴。日光浴。温泉浴。海水浴。多分、これが全部あるからだと思う。突然ですが、明日7月21日(日)熱海の家で演奏会をやります。毎回突然でごめんなさい。ひとりでも来てくれたら嬉しいです。こんな機会でもないと熱海なんて来ないと思うので、是非、遊びに来てください。意外と東京からも近く、新幹線で50分、鈍行でも2時間かからない距離です。

 

 

おおまかなスケジュール

7月21日 15時 定期演奏会@静岡県熱海市「逢初庵」
7月22日 死に支度、いたせいたせと名古屋かな。
7月23日 京都以降、FREE!【呼ばれた場所に行きます】
7月27日 15時 定期演奏会@神奈川県横浜市「ごちゃまぜの家」
7月28日 15時 定期演奏会@神奈川県横浜市「わたり食堂」

SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu

 

ibaya.hatenablog.com

 

つまらなく生きるなら、死んだほうがいい。

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おいでませ熱海

 

東京の神田駅でK様に寿司をごちそうになった。K様から「坂爪さんは、つまらなく生きるくらいなら死んだ方がいい」と言われた。嬉しかった。潔い。清々しい。こんな言い方をしてくれるひとは少ない。日本の湿度はすごい。油断をしていると精神にカビが生える。せめて、人柄だけでもカラッとしていたい。話題は『言葉が与える力』になった。ドラえもんジャイアンというキャラクターがいる。みんなが彼をジャイアンと呼ぶからこそ、ジャイアンの力は強化される。だが、ジャイアンの母はジャイアンを『たけし』と呼ぶ。だから、彼の母にはジャイアンの効力は通用しない。ジャイアンジャイアンと認識するものにだけ、その効力は及ぶ。

 

私は坂爪圭吾だ。坂爪圭吾名義で音楽を作る。創作活動では「自分を表現したい」みたいなことを思う。だが、常に、頭の片隅に「自分とはなにか」という問いがある。坂爪圭吾は、坂爪圭吾である以前に、ひとりの人間だ。名前のない存在として自分を見ると、よく、わからなくなる。空を飛ぶ鳥に名前はない。それでも、悠々と空を舞う。鳥は、偉くなりたいとか成功をしたいとか、そういうことを思わない。鳥の前で「俺はこれだけ金持ちなんだぞ、えっへん!」と胸を張ったところで虚しい。逆に言えば、我々が自然や動物に癒されるのは、彼らが『ただの命としてそこにある』からだと思う。彼が彼だから、という個別の特徴を超えて、命が、ただ、命のままそこにあることに安寧を覚える。社会的動物である人間は、何者かになるために常に四苦八苦する。そんななか、何者でもなく悠々と生きる存在に、慰められる。そして思う。何者かになれないことが苦しいのではなく、何者かになろうと思うことが苦しいのだ。現在の自分を受け入れられないことが、苦しみになるのだ。そして、また、自分も(動物と同じように)自然物であることを思い出す。

 

社会を変えよう。多様性を認めよう。そんなスローガンを耳にする。私は違和感を覚える。社会とはなにか。それは「社会を構成する一人一人の集合体」でしかないと思う。だから、社会を変えるには、社会を構成する一人一人が変わる以外に、方法はない。理想的な社会を実現したければ、理想的な人間になるしかない。世の中がまともになれば自分もまともになれる、とは、嘘だ。多様性を叫ぶひとが、私には「自分を認めて欲しい」と叫んでいるように見える。別に、他人が自分を認めずとも、自分が自分を認められたらそれでいいと思う。逆に言えば、周囲がどれだけ自分を認めようが、自分が自分を認められなかったら『命のままでそこにある』ことは不可能だ。幸福の秘訣は「誰かのせいにしない」ことだと思う。自分が幸福を感じることができないのは、誰かのせい、社会のせい、環境のせい、時代のせい、周囲の無理解のせい、などと言っている限り、永遠に幸福にはなれない気がする。

 

note.mu

 

必要なものは与えられる。

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前回の記事で「車があったら移動をしながら暮らしたい」とか「エレキギターがあったら幸せだっちゃ」と書いた。すると、広島在住の女性から「自由に使える車があります」と連絡が届いた。また、京都在住の男性から「使っていないギターがあります」と連絡が届いた。驚いた。自分から「これがあったら幸せ」と言っておきながら、いざ、それが実現しそうになった瞬間、湧き出した感情はよろこびではなく『恐怖』だった。新しい生活に突入するとき、過去の生き方を一回捨てることになる。多分、そこに怯えているのだと思う。前に、こんな言葉を聞いたことがある。もし、あなたが生き方を大きく変えたいと思うならば、自分が恐れていることをやるか、好きなひとに告白をするのがいいよ。と。それと似ているのだと思う。

 

迷ったらGO。湿度を吹き飛ばすには、これが一番だ。大前提として「必要なものは与えられる」と思いながら生きていたい。自分に車やエレキギターが必要なら、必ず、なにかしらの出来事を通じてそれは与えられる。与えられないということは、必要ない(いまあるもので戦え)ということだ。必要なものは与えられると信じることは、逆説的だが「なにもなくても生きていける」ことを信じることだ。なにもなくても生きていける。馬鹿にされても生きていける。どのような状態に置かれても生きていける。みんなが当たり前に持っているものを、自分だけがもっていないとしても、生きていける。なぜなら、まだ、命があるからだ。感じる心があるからだ。命(感じる心)があるということは「役割がある」ということだ。役割がある限り、私は、死ぬことはない。逆に言えば、役割を終えたとき、死ぬのだと思う。役割とはなにか。抽象的だが、それは「自分を通じて行われること」だ。自分の意思を超えて、自分がただのパイプのようなものになり、自分を通じて行われる『神の御業』とでも言えばいいのか、それが自分(というか人類全体)の役割だ。

 

音楽をやっていると、不思議なアドバイスを受ける。「音楽をやるには金が必要だよ」とか「音楽をやるには環境や才能や人脈が必要だよ」とか。違う気がする。音楽をやるには、ただ、音楽をやればいいのだ。私の夢は実現している。私の夢は「音楽を通じて有名になること」ではない。違う。私の夢は「音楽をやること」だ。お金がなければ自由になれないなんて、嘘だ。だって、私は、音楽そのものに自由を見たのだから。なにかを好きになるということは、そこに『光』を見ることだ。自由になるために音楽をやるのではない。自由だから、音楽をやるのだ。金の先に自由があるのではない。環境の先に自由があるのではない。才能の先に自由があるのではない。自由ならば、ここにある。どこか遠くに存在するものではなく、自分の中に『すでにあるもの』を愛するために、音楽をやっているのだと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

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ちょっとの勇気があれば、人生はとても楽しい。

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バンコクのよくわからない場所にいる。日本だと「お客様は神様です(従業員は奴隷です)」みたいな構図をよく見るが、タイは良くも悪くも無関心で、あ、いたの?みたいな対応が多い。人間的にフェアで、それが心地よかったりする。ほっといてくれる感じがいいのだ。スペインでは「俺の店にようこそ(俺の店を選ぶ君のセンスは素晴らしい)」みたいな対応を受けた。誤解を恐れずに言うと、日本は気を使いすぎて全滅していると思う。何を隠そう、私自身が頻繁に自滅をしている。

 

 

おおまかなスケジュール

7月18日以降、FREE@日本【呼ばれた場所に行きます】
7月21日 15時 定期演奏会@静岡県熱海市「逢初庵」
7月28日 15時 定期演奏会@神奈川県横浜市「わたり食堂」

SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu

 

ibaya.hatenablog.com

 

Live to the point of tears.

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Agape(愛)× anthos(花)= Agapanthus(愛の花)

 

この花は『アガパンサス』というらしい。Agape(我々のバンド名)と同じだ。 花は美しい。儚い。儚いということは流れていくと言うことだ。忘れると言う言葉と、流れると言う言葉は似ている。厳密には異なるが、忘に「氵」がつくと流になる。ちなみに、戻に「氵」がつくと涙になる。水に戻ると涙になる。海に還ると言うことか。曲作りをするとき、それを聴きながら『涙を感じるか』を基軸にしている(気がする)。明るい曲でも、悲しい曲でも、グッとくる曲はグッとくる。涙が出そうになるかどうか。そこに涙はあるか。これが、自分の行動基準になる。どれだけ金を儲けても、どれだけ安定の生活を得ても、涙が出なければ大概は虚しい。

 

帰国したら車に野営道具とギターを積んで各地を遍歴するなんてことをやりたい。サーフボードも一緒に運べたらなんかもう家とかいらないんじゃないかとさえ思う。素敵な音楽を作るためには、音楽ばかりやっていたらダメだ。そう思った。人生を楽しむこと。自分を楽しませた余剰が、音楽に乗っかる気がする。私は遊ぶことが苦手だ。好きなことは野営程度。燃える炎を眺めると和む。最近、そこにサーフィンが増えた。自然と戯れたい。所有することの自由さと、所有することの不自由さ。家は便利だ。だがしかし、メンテナンスが面倒だ。維持費もかかる。テントならすぐに直せる。最悪ビニールシートでいい。簡易な家屋で暮らすタイ人は多い。車で気ままに移動しながら生きられたら素敵だなと思うが、肝心の車がない。

 

4ヶ月で100曲作った。ライブ活動をやりたい。保科さん曰く「少年野球で強いチームと弱いチームの差は何か、それは試合をしている数である、という持論を元に我々Agapeはライブを重ねたいのである」とのこと。完全にアグリー。本番でしか鍛えられない筋肉がある。成長の鍵は「短期間にどれだけ恥をかけるか」だと思う。成長、なんて言葉を使ったが成長という言葉は嫌いだ。成長もクソもない。あるのは『躍動』だと思う。成長したいというよりも、躍動したい。咆哮したい。跳躍したい。ギャラもいらないし交通費もいらないから、誰か、私をライブに呼び出してください。エレキもほしい。エレキギターは格好いい。エレキギターで創作をしたらまた生まれる曲も変わるのだろう。エレキを獲得する道も同時に模索したい(熱海と横浜の家は引き続き開放しています。利用希望の方はご連絡ください)。

 

note.mu

 

100曲記念カバー「ひだまりの歌(山形弁ver.)」

www.youtube.com

 

ちょっとの勇気があれば、人生はとても楽しい。

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そのひとが抱く答えより、そのひとが抱く葛藤に惹かれる。選挙期間中だからなのか、様々な意見を聞く。誰もが「自分は○○のためにこれをやっている」と声高に叫ぶ。正直、全部綺麗事に聞こえる。社会活動家などは、明確なビジョンを持つことをよしとされる。自分はこれのために頑張っているのだと、動機が明確なひとほど評価をされる社会だ。しかし、まったく、魅力を覚えない。私は、答えに興味がない。答えを持っているひとは止まっている。魅力的なひとは、答えを求めているひとだ。葛藤を抱くひとだ。矛盾を生きるひとだ。自分がなぜこれをやっているのかわからず、それでもなお、この中にしかない『光』のようなものを感じているからこそ、それを止めることができない。自分がやっていることの理由や意味なんてわからないまま、それでもなお、どうしても感じる光があるから、これをやっている。そういう雰囲気をもつ人間が、言語化しきれない世界を生きるひとが好きだ。

 

動き出した理由が、動き続ける理由になるとは限らない。理由さえも流転する。そっちの方が真実だ。流転を続けるなかで、それでもなお『変わらないもの』を握り締める。私は、いま、道を示したいと思っている。過去に家も金もなにもかも失った時、周囲から「お前は終わったな」的な目線で見られた。一般的なレールを逸れた人間は、不幸になる。そう決めつけられている気がした。それが癪で、私は「なにもなくても楽しそうに生きている人間がいたら、それは痛快な出来事だ」と思った。自分の人生を、環境に決めつけられてたまるか。自分の人生を、他人に決めつけられてたまるか。泣くか。笑うか。それは、自分で決めることができる。否、自分しか決めることはできない。そういうことを思いながら、私は「置かれた状態をどれだけ楽しく生きられるのか」を検証した。金がない奴は不幸。家がない奴は不幸。そういう社会通念みたいなものに中指を立てて「そうとは限らないじゃないか」と、新しいあり方を示したいと思った。そしていま、音楽をやっている。年齢が。技術が。環境が。能力が。周囲は散々なことを言う。言われながら、私は、やってみなければわからねえぞ、と思う。「そうとは限らないじゃないか」と思う。

 

不幸だと思われる人間が、その不幸によって飛翔をすることがある。同時に、幸福だと思われる人間が、その幸福によって堕落をすることがある。短期的なジャッジが、長期的なジャッジと一致するとは限らない。だからこそ、私は、他の誰でもない自分自身に「道を示したい」と思う。こんな生き方もできるぞ。と。一寸先は光だぞ。と。どのような状態に置かれても、泣くか、笑うかは自分で決めることができるんだぞ。と。諦めるのも自由。諦めないのも自由。前を見るのも自由。下を見るのも自由。なにをするも自由。なにもしないのも自由。ただ、お前が人生に『涙』を求めるのならば、正しさを超えて、言葉を超えて、生きるの一択になるだろう。停滞した日々を打開してくれたものは、いつも、小さな勇気だった。勇気は、一度出せばいいというものではない。それは、瞬間瞬間に必要とされる、立ち向かう意思だ。そのすべてがうまく行くとは限らないが、すべてがダメになるとも限らない。自分には無理、と伏し目がちになることも多い。それでもなお「ちょっとの勇気があれば、人生はとても楽しい」ということを、自分に示したいと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

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