いばや通信

ibaya.ex《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

好きなように生きなさい。

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静岡県富士宮市コメダ珈琲にいる。長野では登山服を着た人々を、山梨ではバイク乗りの姿を大量に見た。登山者は、見ている方も清々しい。彼らは、これから自然に向かって歩き出し、険しい山道を越え、山頂で得る達成感を味わう。モノレールでは味わえないよろこびのため、自分の肉体を酷使する。出発する者の姿は、実際に歩き出した者の姿は、清々しい。春だ。出発が似合う男で、ありたいと思う。

 

 

おおまかなスケジュール

4月21日~27日 FREE!
4月28日 15時 定期期演奏会@わたり食堂【0円食堂】
4月29日 FREE!
4月30日 いばや野球部@芝公園野球場(参加者募集中!)
5月1日~5月3日 FREE!
5月4日 15時 EVENT@三重県志摩市「around.HANA」
5月5日 19時 EVENT@愛知県名古屋市「夜空と月のピアス」

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

逆縁の菩薩。

1日1曲作り続け、41曲ができた。相変わらず罵倒を浴び続け、毎日しっかり傷ついている。が、しかし、それでは批判がなければいいのかというと「違うな」と思った。賞賛以上に、批判や罵倒が自分を鍛えている感覚がある。いまに見てろよと奮い立てるし、調子に乗りそうな自分の鼻をへし折ることができる。同時に、いま、なにかに挑戦しているひとに寄り添うこともできる。もし、いま、なにかに挑戦をしながらも周囲から「お前はくそだ」「お前はかすだ」「お前はごみだ」などと言われているひとがいたら、わたしは、あなたに言いたい。俺も、同じだよ、と。そして「俺たちは、俺たちだ。一緒に頑張っていこうぜ!」ということを、思う。

 

自分を晒すメリットと、デメリットがある。デメリットはシンプルだ。それは「端的に傷つく機会が増えること」である。いろいろ言われる。その度に、しっかり喰らう。しっかりダメージを負うし、しっかり血が流れる。しかし、人前にさらさなければ絶対に鍛えられない筋肉がある、とも、思う。いま、それが鍛えられている感覚がある。よく、作品は「誰かに読まれた時点で完成をする」などと言うが、多分、その通りなのだろう。誰にも見られることのなかった作品は、まだ、完成をしていない。自分以外の誰かに見てもらうことを通じて、はじめて、作品は完成する。その意味で、創作者は自分だけではない。見てくれているひとも、確実に、創作に関係している。だから、ライブを重ねることができていることが、うれしい。

 

逆縁の菩薩という言葉がある。自分に厳しいひと、自分を悪くいうひと、自分をとんでもない目に遭わせたひとこそ、長期的に見ると「自分を成長させてくれた」重要人物であることがわかる。そういった意味の言葉だ。短期的には、むかついたり絶望したり死にたくなったりもするが、褒め言葉だけでも、罵詈雑言だけでも、多分、人間はダメになる。どっちも必要なのだろう。文章については、わたしは、誰からも悪く言われることはなくなった。初期の頃は、散々罵詈雑言を浴びたが、いまでは(言葉に関しては)なにも言われなくなった。が、音楽をはじめて、再び、罵詈雑言を浴びるようになった。この感覚が、懐かしい。たとえ魔法が使えて、いきなりすべてがパーフェクトになれるとしても、わたしは、その魔法を使わないだろう。へたならへたを、楽しみたい。ダメな人間が、現時点ではこの程度の人間が、一年後にはどこまでいけるのかということを、リアルタイムでお届けしたい。

 

note.mu

 

わたり文庫『思うとおりに歩めばいいのよ』

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今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、ターシャ・テューダー著作『思うとおりに歩めばいいのよ』です。わたり文庫、久しぶりの再開になります。こちらの本、昨日、山梨で開催されたイベントに来てくれた男性が「わたり文庫に寄贈します」と、託してくれた一冊になります。言葉も写真もターシャの魅力にあふれている、素晴らしい一冊です。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※

 

これまで、よくやってきたと思いますが、みなさんにお伝えするようなメッセージはありません。もし、わたしに人生哲学のようなものがあるとすれば、ソローの言葉がいちばんよく代弁しています。「夢に向かって自信をもって進み、思い描いた人生を生きようと努力するなら、思わぬ成功を手にするだろう」。まったくそのとおりです。この言葉は、わたしの人生そのものです。

ターシャ・テューダー『思うとおりに歩めばいいのよ』【KADOKAWA

 

丸腰中年団のテーマ

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なにかをはじめるときに、年齢を言い訳にするような生き方はやめよう。世間的には「どれだけ多くのものを増やすことができるか」の勝負をしているように見える中、自分だけは、みんながもっているものをもっていない。家とか、車とか、金とか、家族とか、恋人とか、社会的な名誉とか。しかし、私は、それでいいのだと思う。丸腰でいいのだと思う。生まれたときは丸腰で、死ぬときも丸腰だ。最初から、最後まで、丸腰で生きたいと思う。そういう『初心』みたいな歌になります。

 

note.mu

 

好きなように生きなさい。

なぜ、こういう生き方をするのか。なぜ、こういう生き方しかできないのか。そう言う風に、自分を責めることがある。自分を「ダメだな」と思うことがある。しかし、こういう生き方をしていなければ、絶対に発生しなかった出会いがある。その出会いが、これまでの人生を、まるごと肯定する。生きててよかったな、と、思わせてくれる。昨日、甲府でライブをした。参加者の男性が、別れ際、差し入れと一緒に一枚の手紙をくれた。ライブ終了後、ひとりになり、この手紙を読んだ。内容が超絶素晴らしく、あまりにも感動してしまって「生きててよかった」と思った。

 

こんばんは。いつもツイッター、noteを拝読させていただいてます○○と申します。

今日は、圭吾さんが甲府に来てライブをやるという知らせを見て、「会って圭吾さんを感じたい!」と思い参加させていただきました。私が圭吾さんを知ったのは約2年程前、社会人2年目の時に会社をやめ、自分が何をやりたいのかが分からなくなってしまっていた時、たまたまはてなブログの圭吾さんのページを開いたのがきっかけでした。何度も過去のブログを読みあさって、元気をもらいました。というか、勝手に自分の心が元気になっていました。私が圭吾さんの紡ぐ言葉や文字、音楽を通して、自分の中に芽生えた思いは、「飾らない自分でどこまで勝負できるか」というものでした。圭吾さんの言葉を借りると、純度、とか潔く嫌われる、あたりにかも知れません。自分語りが多くなってしまいましたが、今夜のライブ、楽しみにしてます。

追伸・ギターの弦とピックを入れておきました。圭吾さんの音楽の一部として、活用してください!あと、本を一冊いれておきました。今の自分には必要なくなったので、わたり文庫へ寄贈します。

 

歌いはじめてから、色々なことを言われるようになった。まるで「うまくなければ歌っちゃダメ」と言われているような、まるで「うまくないお前には歌う資格がない」と言われているような、そういう感覚を覚えた。しかし、私は、違うと思う。なぜ、歌うのか。それは「歌いたいから」以外に、理由なんか必要ない。それが得意だからじゃない。それが上手だからじゃない。歌いたいから歌う。踊りたいから踊る。走りたいから走る。作りたいから作る。生きたいと思うから、生きる。目的と手段は、本来、一致するはずだ。誰かのためとか、なにかのためとか、そういうものの一切はおまけだ。周囲のひとはとやかく言うが、もし、なにかをはじめたいと思う人がいたら、私は声を大にして言いたい。是非、やってほしい。と。我々は、誰かに認められるために生まれてきたわけじゃない。ただ、自分が生きたいと思う人生を生きるために、生まれてきたのだと思う。誰かがなにかをはじめる姿が、出発をする姿が、結果的に誰かを勇気付ける。結果的に誰かを元気付ける。そういう前向きな連鎖を、自分でも気がつかない間に、生み出しているのだと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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踊る。

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妙蓮寺駅前のドトールにいる。海外で様々な方々のご自宅にお世話になり、個室を与えられること、部屋にベッドがあることのありがたみを痛感した。いまは、基本、ごちゃまぜの家【誰でも自由に使える家】にいる。これまでは、全室、共有スペースとして開放をしていたが、自由に使える個室があった方が、利用者の方も「遠慮なく羽を伸ばせる」と思った。8畳の洋室を、完全ゲストルームとしてすごいいい感じに作り直したい。ので、ベッド探しの旅がはじまる。もしも「使っていないベッドがあるよ!」という方がいたら、ご連絡をいただけましたら幸いです。

 

おおまかなスケジュール

4月17日~18日 完膚なきまでにFREE!【横浜】

4月19日 放置していた原チャの回収【長野県大町市

4月20日  「音楽×トーク」イベント@【山梨県甲府市】
4月21日以降、原チャで関東に向かう(イベント求む!)

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

 

50%

ごちゃまぜの家にあるものは、基本、いただき物で構成されている。大袈裟な言葉で言えば「みなさまの善意」で成立している。無料で家にあるものを使え(食材含む)、無料で宿泊もできる。無料だから「この程度でいいか」というクオリティにするのではなく、無料だからこそ「無料なのにこんなに素敵でいいのですか!?」と、ちょっとびっくりしちゃうくらいの空間にしたい。理想は、子育て中のお母さんがこどもと一緒に立ち寄り、こどもをリビングに放置して(こどもの面倒は、家にいる他のひとが見る)お母さんはベッドでお昼寝をしちゃう、みたいな流れだ。 

 

最近、自分が自分の人生に関与できるのは「せいぜい50%」という感覚を覚える。昔、家なし生活をした。2年間の放浪の果てに、ブログ読者の方から家を購買していただくというドラマを経て、家なし生活は閉幕した。家を手に入れること。これは、自分の実績(?)であるようで、自分の実績(?)では、ない。自分にできることは、ただ、自分を生きる姿を見せること。それを見た周囲の人々が、たとえば、家を買ってくれたり、ごちゃまぜの家に食材や日用雑貨を送ってくれたり、イベントなどに呼んでくれたり、など、自分を「想像もできなかった場所」に運ぶ。私は、今、音楽活動開始二ヶ月になる。一年後、どこまで行けるのかを見たい。最大のモチベーションはこれになる。ただ、具体的にどのような場所に行けたらいいのか、というイメージはない。これは、家なし生活開始直後に「誰かに家を買ってもらえたらいいな」などとは、微塵も思っていなかったことと、似ている。

 

家なし生活を経て得た教訓は108個ほどある。ひとつは「自分をオープンなものにしている限り、人間は死なない」というもの。自分の場合、自分には家がない、自分には金がない、自分には仕事がない、など、普通だったら「こんなことは恥ずかしいから言えない」と思うことを、全部、出した。これが、多分、よかった。あの瞬間、自分は、この世で一番邪魔なものを捨てた。それは『見栄』だ。見栄を捨てると、どれだけ生きることが楽になるかを思い知った。同時に、世界の優しさを知った。何もない自分に、人々は、過剰なまでに優しかった。逆に言えば「自分をクローズにするほど、死ぬ」と思った。自分をオープンなものにしている限り、人間は死なない。逆に言えば「自分をクローズにした瞬間、死ぬ」のだと思った。では、オープンとは、なにに対して、オープンになることなのだろうか。クローズとは、なにに対して、クローズになることなのだろうか。それは『循環』だと思う。

 

 

flower

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flowerには、花、という意味に加えて「flow(流れる)」と「er(もの)」という意味(流れ行く者)もあるのではないか。花も、ロウソクも、海に沈む夕日も、流れ行くから素晴らしいのではないか。そして、我々の命も、やがては流れ去るものである。変わるものと、変わらないものがあって、それは「永遠に春のままでいることはできないけれど、春は、また来る」ことと似ている。どれだけ汚れても、濾過すれば透明。水は、水のまま。そんな感じのことを思い、この曲を作りました。

 

note.mu

 

踊る。

宇宙の基本は「まわる」だ。太陽もまわる。地球もまわる。時間もまわる。経済もまわる。血液もまわる。インとアウトを繰り返す。インだけではなく、アウトだけでもない。ストックだけじゃなく、フローだけじゃない。その営みが『循環』だ。自分を循環の中に置くこと。それが、循環を生きるということだ。想像してみて欲しい。いま、なんとなく調子が悪いと感じるときは「自分が、循環から外れているとき」では、ないだろうか。便秘で苦しいのは、周期が乱れているから。経済的に苦しいのは、決して、お金がないからではなく「自分がお金の流れから外れている」感覚を覚えるから。人生的に苦しいのは、決して、なにかが足りないからではなく「自分が世の中から疎外されている感覚を覚えるから」では、ないだろうか。

 

一般的には、大富豪とは「所持金の多いひと」というイメージがある。しかし、複数名の富裕層の方々と出会い「お金持ちとは、動かしているお金が多いひとのことだ」と感じた。溜め込むことではない。真逆だ。動かし続けること、常にリリースし続けること、だ。溜め込むことは、一見、身の安全を保証する行為に見える。しかし、では、どれだけ貯蓄をすれば安心できるのかというと、いくらあっても足りない、という感覚を拭うことは難しい。なんなら、常に、狙われる(喪失する・奪われる)恐怖に襲われる。どれだけ厳重な防犯をしても、防犯をするほどに「ここにはなにかあるぞ」と、泥棒たちは目を光らせる。ストックは、奪われる。しかし、人間からフローを奪うことは、できない。豊かなひとには、ストックの余裕ではなく、フローの余裕を感じる。彼らには「自分にもしものことがあっても、助けてくれるモノは無数にある」という、世界に対する安心感や、信頼感を、感じる。

 

自分の力でできるようになることが一人前。誰かに頼るのは半人前。そう言う価値観がある。ある局面では、おそらく、真理だと思う。しかし、別の側面では「真逆だ」と感じる。自分だけの力でなにかを成し遂げる。それは、強さではない。弱さであり、脆さであり、孤独であり、退屈であり、傲慢であるとさえ、言える。だから、聖書などでは「与えなさい」と言われるのだろう。同時に「受け取りなさい」と、言われるのだろう。与えることと、受け取ること。これらは表裏一体で、たとえるなら「宇宙と社交ダンスを踊る」みたいなものなのだろう。私は、ダイナミックと言う言葉が好きだ。ダイナミックな人生を望むなら、ダイナミックに集めるだけでは、足りない。金も、時間も、命も、真価を問われるのは「使い方」だ。ごちゃまぜの家を、音楽活動を、これからの日々を、いい感じのものにしたいと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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生きる。

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阪急梅田駅前にあるサンマルクカフェにいる。岡山と大阪のライブ出演を終えた。音源は聞くに耐えないけど、ライブだといいですね!もっと歌った方がいいですよ!という声をたくさんいただいた。嬉しかった。明日以降特段予定はない。ライブに出たい。場数を踏みたい。誰か「それならイベントを企画しますよ!」とおっしゃってくださる方がいたら、ご連絡をいただけるとうれしいです。規模は問いません。明後日以降は関東圏にいる予定で、来週末は長野県や山梨県界隈にいます。

 

 

おおまかなスケジュール

4月15日 俺なりの朝活【大阪】
4月16日 鬼の引越し作業@ごちゃまぜの家【横浜】

4月17日~18日 FREE!【関東】

4月19日 放置していた原チャの回収【長野県大町市
4月19日以降、原チャで関東に向かう(イベント求む!)

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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お客さん。

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最近、出会うひとに聞く質問がある。歌を歌うことと、絵を描くこと。あなたはどちらが好きですか???わたしの場合、完全に、歌だ。絵は、今世においては、見ているだけでいい。だから、美術館などにいっても、受け身で楽しむことができる。お客さんになれるのだ。しかし、音楽の場合、途端に話が変わる。どれだけ素晴らしい演奏を見たとしても、心の何処かで「ちっ」とか「けっ」とか、悔しさを感じている。反発心を覚えるのだ。ステージの上にいる演者を見ながら、なぜ、俺はステージの下にいるのだろうか、と、感じてしまう。お客さんになれないのだ。

 

歌を歌うこと。これは、目に見えないこと。絵を描くこと。これは、目に見えること。私の場合、どうやら、目に見えないことに、興味があるらしい。家を作りたい。そう思うことがある。自分で最初から最後まで建てた家に暮らせたら、愛着もひとしおだろう。だから、家を、作りたい。家を作りたいとは思うのだけれど、実際にやろうとすると、途端に「やっぱりいいや」となる。自分でやるよりも、誰かに作ってもらった方が楽だ。料理も同じだ。料理も好きなのだが、誰かが作ってくれるのならば「自分はそれを受け取っているだけでいい」と思う。しかし、これが、目に見えないものになると、話が変わる。誰かがつくった音楽だけでは、満足、できないのだ。だから、わたしは、悶々とする。ステージの上で演奏するひとびとを見ると「ちょっと変われ。歌うのは、俺だ」みたいなことを感じてしまう。

 

お客さんになれないことをやりなさい。そんな言葉を聞いたことがある。わたしの場合、絵や、写真は、お客さんになれる。これは好き。これは興味ない。そんな感じで、ただ、受け身で楽しむことができる。しかし、音楽は、違う。いちいち悔しくなるし、いちいち嫉妬をするし、いちいち反発心を覚えてしまう。わたしは、ここに、そのひとの本質があると思う。お客さんになれないことをやりなさい。自分が『嫉妬』を覚えるものをやりなさい。自分が『悔しさ』を覚えることをやりなさい。多分、その先に、隠された欲望の埋蔵金が、眠っている。わたしは、自分にも、他人にも、興味がある。だから、余談的な感じで「絵を描くことと、歌を歌うこと、どっちが好き?」みたいなことを尋ねる。そこから広がる会話がある。そのひとの『悔しさ』に触れると、うれしくなる。ああ、生きているなあ、と、思う。

 

note.mu

 

snows

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「過去の音楽を振り返る」ことをやりたい。初回は『snows』。大阪で演奏した。最初、この曲は思い入れのある曲だから、もっと練習して上手になってからお披露目しようと思い、やめかけた。こういうところが、自分には、ある。一般受けしそうな曲を選び、自信がないものは控える。しかし、そこを突破したいから音楽をやっているのだろうと一念発起し、この曲をやった。snowとは、本来、複数形になり得ない名詞だ。それを複数形にした。人間も同じだと思う。ひとりひとりは別個の存在で、完全な意味でわかり合うことは難しいことだと思う。それでもなお、誰もが「ひとつになりたい」という思いを、奥底に抱いているのではないだろうか。

 

note.mu

 

生きる。

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移動中は水滸伝北方謙三)を読んでいる。なぜ、自分はこんなにも水滸伝が好きなのだろうかと考えたら「みんな、死んでしまうからだ」と思った。登場人物たちは、生き方の格好よさもさることながら、死に方の格好よさも半端ない。わたしは、花が好きだ。ロウソクが好きだ。海に沈む夕日が好きだ。夕日を見ていると「終わっちまう」と感じる切なさに襲われる。すべての美しいものは悲しみを内包している。そういうことを思う。自分が嫉妬を覚える対象も、嫉妬を覚えている自分自身も、やがて、最後には土に還る。そこに例外はない。数日前までイタリアにいた。ヴェネツィアからミラノに向かう車両の中で、ふと、こんなことを思った。

 

楽器を取り上げられても、私は、歌うことをやめないだろう

牢獄にぶち込まれても、私は、歌うことをやめないだろう

口を塞がれても、私は、歌うことをやめないだろう

指先を粉々に砕かれても

両耳を引きちぎられても

眼球をえぐり取られても

喉もとを切り裂かれても

私は、歌うことをやめないだろう

人間から、歌を、奪うことはできない

歌うことを、止めることはできない

生きることを、止めることはできない

 

わたしの一部は「晴耕雨読」の生活に憧れている。自然の暮らしは、命に囲まれている。土の命。風の命。鳥の命。草の命。昼の命。夜の命。周囲に散らばる命を実感しながら、日々を生きることができる。都会の暮らしは、便利だが、命に囲まれている実感は薄い。やがて、最後は、土に還る。行き着く先はみんな同じだ。このことを思うと、わたしは、安心感を覚える。誰もが、みんな、最後には土に還る。そこに、命に対する『仲間感』を覚えるのだ。土に還ることを思うとき、自分という存在は「1」であり、同時に「0」でもあり、あらゆるものにもなりえるという意味で「♾」であることを感じる。『1=0=♾』という、不思議な等式が成り立つ。自分は自分であり、自分はなにものでもなく、自分はあらゆるものである。死ぬことを思うことは、自分にとって、非常に健全な行為だと感じる。別に、死にたい訳ではない。では、なぜ、わたしは毎日死ぬことを考えるのだろうか。それは「自然を感じたい」からだと思う。都会に残る最後の自然。それが『人間』だ。自然を感じたくて、命を感じたくて、わたしは、死ぬことを考えるのかもしれない。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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鎖国から開国。

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34歳の誕生日を迎えた。去年の今頃は、ハワイ島でごちゃまぜの家を作るために獅子奮迅していた。結果、プナ地区で自由に使える土地をご提供していただいたが、数日後にキラウェア火山が大噴火し、すべてが流れた。一昨年の誕生日は、ごちゃまぜの家を作るためにクラウドファンディングで支援金を募集した。結果、500万円近くの援助を受けて現実化した。今年の誕生日は、ちょっとまだここでは書ききれないことが起きた。一年でやれることは、大量にある。時の流れを思う。

 

 

おおまかなスケジュール


4月11日 関西空港到着以降、引き続き音楽武者修行

4月12日「音楽×トーク」企画@岡山県倉敷市鷲羽窯
4月14日「音楽×トーク」企画@大阪(阪急十三駅)

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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一ヶ月を振り返る。

3月頭から、1日1曲を目標に毎日音楽を作った。心理的な変化が著しい。これまで、音楽をやるということは「恐ろしいこと」だと感じていた。が、実際に恐怖の中にダイブをすると「恐怖は、ただの現実になる」ことを思った。この感覚は、家なし生活をはじめた時期と似ている。家がなければ、金がなければ、自分は生きていけないと思っていた。だから、常に「路頭に迷うようなことが起きたらどうしよう」という恐怖があった。しかし、実際に、家がなくなり、金もなくなり、恐怖はただの現実になった。怯える対象ではなく、ど真ん中を生き抜く対象になった。そして、恐怖は具体的な現実に形を変え、人生は意外とどうにかなることを学んだ。

 

note.mu

 

現状30曲作った。開始直後から否定的な言葉を散々言われ、なにかをはじめるときはこういうことが起きるのだなと学んだ。最初の数曲は、まず、声に自信がない。言い訳に溢れている。10曲近くなった頃、とりあえず周囲の目線は気にならなくなった。毎日投稿をする意義は、多分、ここにある。周囲からどう思われるか、みたいな不安は早々と姿を消す。そんなことよりも「いかに自分が納得できるか」に変わる。他人を憂慮する暇がなくなる。毎日やっていたら自分の中にストックはなくなる。ストックがない状態、自分がからっぽの状態で、創作に携わる何かしらを常に探している自分は、常に『飢え』た状態に置かれていた。おそらく、これがよかったのだと思う。目の前のヒントをパッと掴み、即座に形にする技術が磨かれた。

 

note.mu

 

30日が過ぎ、30曲が生まれた。振り返ると、まるで一年前のように感じる。日々の密度が濃い。このペースで行けば、1年で12年分生きれることになる。そうでもしなければ、遅咲きの自分はどこにも辿り着けないような気がする。同時に、これまでと同じことをやっていてもダメだと思う。これは確信に近い。これまでの毎日投稿は、言うなれば準備体操である。これからは、本格的なトレーニングが必要だ。私は、自分に約束をした。いまはまだズブの素人だとしても、お前が本気で生きるのならば、一年後にとんでもない景色を見せてやるよ、と。その景色の素晴らしさは、お前の本気と、比例をする。意識ひとつで、世界は変わる。お前が望みを抱き続けるのなら、その思いは実現をする。決意の凄みを見せてみろよ。これまでもたくさん奇跡を起こしてきたじゃないか。これからも、どんどん起こして行こうぜ。

 

鎖国から開国。

34歳のテーマは「鎖国から開国」。準備が整った。テレビ出演諸々、これまで避けてきた道を選びたい。本も出版したい。本物と出会いたい。そのためにも、自分自身が本物になりたいと思う。これまでと違う結果を求めるなら、いまの自分が「気持ち悪い」と感じること、抵抗を覚えることをやらないと、似たような結果にしかならない。基本的な姿勢は、面白いか、どうか。どれだけ痛い目に遭おうが、旧友と再会したときに「いやいや、こんなことがあってさ…」と笑い話になるのであれば、全部、ネタになる。全部、経験になる。全部、この星を生きた思い出になる。

 

毎日投稿をしながら、これは「捨てる」ことと同じだな、と、思った。自分にとって大事なものほど、どうしても溜め込んでしまう方向に向かう。それをグッ!とこらえて、大事なものほどリリースをする。一度、出してしまったものは、もう、二度と取り戻すことはできない。それが、いい。自然界を見ていると思う。例えば、花。我々は、花を、美しいと思う。しかし、あれは、人間で言うところの性器を露出して生きている、モロ出しの生命体だ。モロ出しが醜いのではなく、モロ出しが美しいのだ。そして、生物が排泄するものの数々。排泄物は汚いものとして捉えられがちだが、しかし、排泄されたものこそが、この地球を維持するための養分になる。言うなれば、我々は、植物の排泄物(酸素)によって、生命を維持している。溜め込まれたもので生きているのではなく、吐き出されたもので生きているのだ。

 

創作をすることは、よく、排泄行為にたとえられる。これは、無論、自分が気持ちよくなるためという意味合いもあるのだろう。しかし、同時に「世界の養分になるため」という意味合いもある。自分のなかに溜め込んでいるうちは、それは、誰のためにもならない。それが、どのような形であれ、外側に向けて吐き出された時に、なにかしらの意味を持つ。なにかしらの価値を持つ。捨てるということは、決して、無駄にするということではない。真逆だ。捨てることによって、開く、命がある。自分が生きていることが、なにかしらの種を撒き続けているような、そういうものになればいい。花が咲くのは、いまか、ずっと先のことなのか、それは誰にもわからない。ただ、自分は、開花する瞬間を夢見て、生きることなのだと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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自分を許す。

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グラストンベリーのチャリスウェルにいる。四月。新元号も発表された。切り替えの時期だ。イギリスは、いま、猛烈に晴れている。清算の時だ。少年時代が悪かったとか、家族とか、学校とか、昔の恋人が、とか、金がないとか仕事がないとか自信がないとか勇気がないとか能力がないとか、そんなことはもうどうでもいいのだ。過去や未来を気にすることより「この瞬間を遊べ」と自分に思う。躍動的に生きることが、一番の社会貢献になる。人生とは、すべてが自己責任の遊びである。

 



おおまかなスケジュール

4月3日~4月10日 ミラノ・ヴェネツィア界隈【イタリア】
4月7日 ✨✨✨✨✨坂爪圭吾34歳の誕生日✨✨✨✨✨

4月11日 関西空港到着以降、引き続き音楽武者修行【日本】

4月12日「音楽×トーク」企画@岡山県倉敷市鷲羽窯
4月14日「音楽×トーク」企画@大阪(最寄駅・阪急十三駅)

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

news.wasyugama.com

 

Chalice Well Garden

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Spring has come

 

セルフライナーノーツ

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自分を許す。

私は英語が流暢なわけじゃないから、外国人と話すときはそれなりに緊張する。イギリス人は格好いい人が多い。歩く速度も早く『颯爽』という言葉が似合う。一瞬構えるが、冷静に考えると「同じ人間なんだよな」という立ち位置に戻れる。見てくれや文化は違っても、同じ人間であることに代わりはない。夕日を同じように美しいと感じるし、野に咲く花を同じように綺麗だと感じる。心がある。壁をつくっているのは自分なんだ。そう思えると、不思議と、誰とでも話せるようになる。自分から、先に、壁を取り払えば「言葉を超えて仲良くなれる」感覚を取り戻せる。

 

英国で出会った日本人女性に「どうやって英語を覚えましたか?」と尋ねた。彼女は答える。英国人の彼氏ができて、彼と本気で喧嘩をするようになってから、語学力が向上した。喧嘩をすると、すごい悔しくなる。自分の言いたいことが言えなくて。それで、映画とかテレビを見ながら「あ、こう言えばいいんだ!」って思った言葉の真似をするの。ただの友達とかでは、喧嘩にならない。彼氏であることは大きい。セックスをしたからには、踏み込むぞ的なものがお互いに宿る。と。悔しさ。これが武器になる。悔しさ。これは完全なる『実感』である。正しい英語勉強法にのっとった学習法ではなく、完全なる怨念、完全なる私怨、完全なる復讐心に支えられた意思は、岩も破る。感情は、抑えるものではなくて乗りこなすものだ。感情に支配されるのではなく、感情をうまいこと使いこなせば、英語も話せる。音楽も作れる。バンド結成一年後には武道館に出ることもできる(希望的観測)。

 

英国在住の人々とたくさん話した。一番多く耳にしたのは「日本自重しすぎ」とか「日本は他人に攻撃をしすぎ」とか、そういう言葉だった。周囲の目を気にするあまり、自分の思う通りに生きられない。そればかりか、自分を生きることよりも「他人を攻撃すること」に主力が削がれていて、お互いが厳しく監視し合う世の中になっている。英国では、公共の場でこどもが騒ごうが、誰も、なにも言わない。日本は、多分、すごい言われるのだろう。それで母親が萎縮して、ストレスを抱え、抱えたストレスがこどもに行く。職場でフラストレーションを抱えた父親は、家にそれを持ち帰る。全部、こどもに行く。全部、こどもに行くのだ。抑圧が日常になりすぎている。抑圧と解放はセットだ。抑圧されているものが大きければ大きいほど、解放された瞬間のエネルギーは大きい。ゴッホの絵など、その、代表格だ。日本は抑圧されまくっているマイナスがあるかもしれないが、ひっくり返ってプラスに転じた時、とんでもないパワーを発揮するだろう。抑圧と解放。精神的なちゃぶ台返し。音楽を通じて、魂のちゃぶ台をひっくり返したいと思っている。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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人生とは、自分を楽しませることである。

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ブリストルを経由してチェダーにいる。「チェダーチーズ」の、チェダーだ。不思議だ。出会うひと、出会うひと、パンクだ。自分が音楽をやっていることを伝えると、こんな本を授かった。いま、チェダー在住の方のご自宅にお邪魔をしている。家主の女性は、高校生の頃、セックスピストルズを聞いて衝撃を覚えた。それから、ラモーンズなどを好んで聞くようになったのだ、と。あなたと話していたら、若き日を思い出して、なんだかわくわくしてきちゃった。家主の女性F様は言う。

 

 

おおまかなスケジュール

3月28日~4月2日 FREE!@グラストンベリー界隈
3月31日 わたり食堂【0円食堂】(帰国不可能)
4月3日~4月10日 FREE!@ミラノ・ヴェネツィア界隈
4月7日 ✨✨✨✨✨坂爪圭吾34歳の誕生日✨✨✨✨✨

4月11日 関西空港到着以降、引き続き音楽武者修行【日本】

4月12日「音楽×トーク」企画@岡山県倉敷市鷲羽窯
4月14日「音楽×トーク」企画@大阪(最寄駅・阪急十三駅)

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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YOUTUBEで家を建てる。

F様は、自分の家を自分で建てている。大工経験者、という訳ではない。壁の破壊や配管工事もお手のもので、どうやってやり方を覚えたのか尋ねたら「YOUTUBEを見た」との返答が。すごい。いまはYOUTUBEにすべてのノウハウがあるのだ。一緒に夕食を食べながら、教育論に話が及んだ(F様にはこどもが二人いる)。F様は問う。あなたは、まだ、独り身だから自由がきくかもしれない。今世は、このまま、結婚をしないでいく予定なの??と。わたしは答える。別に、結婚をしたくないとは思わない。こどもも大好きだ。ただ、自分がこんな人間なので、こどもが生まれたら「俺のこどもに生まれたのが運の尽き」という前提で子育てをしたい。

 

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自分のこどもに生まれたのが運の尽き。この親(要するに、自分)は、学費は出さないかもしれない。数万円もするランドセルを買うかわりに、中古屋の安いカバンを買って「これで行け」とか言うかもしれない。それで学校側に怒られたら、そんな学校は行かないでもいい。教科書を燃やせ。YOUTUBEでことは足りる。算数なんてできなくていい。足し算、引き算、掛け算、割り算は、頑張れば三日でいける。これは俺が教える。残りのすべては、自力で学んでくれ。そして、我が家では「10歳成人説」を採用するので、そのつもりでこれからの人生を生きてくれ、と、そんなことを言いそうな気がする。こども側も、最初は「なんで我が家はみんなの家と違うのだろう」という悩みを持つ時期があるだろう。が、最終的には「あんなおやじでよかった」と、思われるような父親になりたいと(勝手に)思う。

 

note.mu

 

この価値観が一致する女性と出会えば、別に、結婚は「諦める対象」ではなくなる。私は、たまたま、神奈川県横浜市港北区でごちゃまぜの家という「誰でも自由に立ち寄れる家」というものをやっている。だから、こどもが生まれたら、ごちゃまぜの家で放し飼いをして「その場に居合わせたひとに子育てをしてもらう」などの方法も選べる。こどもひとりに、最低、おとな三人は必要だ。父親と、母親と、だけではパンクをする。あ、ここでもパンクという言葉が出てきた。パンクの精神は好きだが、生活がパンクをすることは嫌いだ。みんなで育てる、という言葉は頻繁に耳にするけど、実際、まだまだ達成されているレベルは低いと思う。どうせなら、文字通り「みんなで育てる」ということをやってみたい。垣根を取っ払いたい。などということを考えながら、価値観が一致する女性と出会ったことはないので、わたしは独り身を続けている。結婚しても、しなくても、どちらでもいい。

 

 

「オニキス」「いまが、いますぎて、いま」

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人生とは、自分を楽しませることである。

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いま、やりたいことが三つある。「音楽」と「英語」と「お笑い」だ。私は、音楽とお笑いに救われてきた。青年期、自分の社会不適合っぷりに嫌気がさして「俺は生きるのに向いていない」と五億回は塞ぎ込んだが、都度、音楽とお笑いに助けられた。英語を習得したい理由は、まず、自分が書いた文章(「ホームをレスした話」など)を英訳したら、海外の人々にも面白がってもらえると思ったからだ。そして、せっかく音楽をやるならば、日本だけではなく「海外の人々にも面白がってもらえるものを」と思った。打倒ピコ太郎、である。と、ここまで書きながら、自分には、誰かに面白がってもらいたいと願う気持ちが強烈にあることを自覚した。

 

note.mu

 

日本もハワイもイギリスも、こどもたちはYOUTUBEに夢中だ。国を問わず、こどもの夢は「YOUTUBERになること」だ。だから、私も、自分は音楽とお笑いでYOUTUBERになりたいと思っている、みたいな話をするとこどもたちの食いつきがすごい。現在、自分の優先順位第一位は音楽で、1日1曲作る日々を過ごしている。これと同じ感覚で、1日1コントを発表し続ける動画を配信しまくれば、ひょんなきっかけで華々しいブレイクを遂げるかもしれない。継続は力なり。今月は音楽に集中する。これは、ひとつのドキュメンタリーだと思っている。まったくの音楽素人の男性が、1年間、創作をしまくる日々を経た果てに、どのような未来が待っているのかを、みなさまにお楽しみいただけたらと思っている。自分で言うのもあれだが、一年後、誰も想像できなかった場所に自分は立っている気がするのだ。

 

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私が、人生で一番音楽に感動をしたのは、中学一年生の時だ。たまたま立ち寄った服屋で、あるロックバンドの音楽がたまたま流れた。私は、それを聞いた瞬間、もう服を買うどころの騒ぎではなくなり「なんだこの音楽は!」と、しばらくそこを動けなくなった。この、誰にでもある初期衝動のようなもの、これは、年齢を重ねるごとに薄れていくものだと思っていた。が、違った。初期衝動は、常に、自分の中で眠っている。月並みな言葉だが、私は、どうせ生きるならば「かっこ良く生きたい」と思っている。乱暴な言葉を使えば「飼い慣らされてたまるか」と思っている。正しい人間になろうとするのではなく、面白い人間になりたいと思っている。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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本気を出せないことと、孤独になれないこと。

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ロンドンにいる。現在お邪魔しているご家庭の女の子(推定10歳)が、尋常ではなく可愛い。容姿もモデル並みで、なぜか、最近ことあるごとに「Don't judge me!!」と叫ぶ。意味もなく叫ぶ。彼女の語尾みたいになっている。母親「今日のお昼はなににする?」娘「ピザ。ドンジャッジーミー!」みたいな、意味がわからなくてわたしは笑う。ドンジャッジミー。彼女は美しく、ユーモアのセンスがある。美しいものに囲まれていると「自分は間違っていない」と思える。そして、ユーモアのある人々に囲まれていると「間違っていたとしても構わない」となり、最強となる。

 

 

おおまかなスケジュール

3月27日~4月2日 FREE!@グラストンベリー界隈
3月31日 わたり食堂【0円食堂】(帰国不可能)
4月3日~4月10日 FREE!@ミラノ・ヴェネツィア界隈
4月7日 ✨✨✨✨✨坂爪圭吾34歳の誕生日✨✨✨✨✨

4月11日 関西空港到着以降、引き続き音楽武者修行【日本】

4月12日~13日 音楽武者修行@岡山県倉敷市
4月14日「音楽×トーク」企画@大阪(最寄駅・阪急十三駅)

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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本気を出せないことと、孤独になれないこと。

現代病があるとすれば、それは「本気を出せないこと」と「孤独になれないこと」が原因にあると思った。楽な道を選ぶことが、必ずしも自分を幸福にするとは限らない。私は思う。人間、生きている限り「自分の本気を見てみたい」という思いを、心の底に抱いているのではないか。少なくとも、自分は、そうだ。命を燃やすような瞬間を生きたい。自分は、これのために生まれてきたのだと、歓喜に声をあげて泣くような瞬間のど真ん中を、生きたい。頑張るという言葉は窮屈だ、という雰囲気が世の中にはあるけれど、でも、本心では「頑張りたい。頑張れる何かを見つけ出したい」と思っているのが、生きているものの本音なのではないだろうか。

 

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孤独について考えていた。私は弱い人間で、基本的に常に単独で行動をする。なにをするにしても、常に、ひとりだ。それを見て、私を見た人々は「ひとりで生きる強さがあっていいですね」と言う。私は思う。それは、逆だ。ひとりでいることは強さではなく、それは『ひとと生きることができない弱さ』だと思う。無論、何事も最初はひとりからはじまるものだ。私は、みんなでやる、という言葉をあまり信用していない。誰かがやるから自分もやる、ではなく、誰もやらないとしても自分はやる、ひとりでもやる、と、そう思えることの中に自分の本質があると思っていた。ひとりで生きて、ひとりで死ぬこと。それが男の人生だ、と、思っていた。 

 

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こんな感じで凝り固まっていた自分の思いを溶かしてくれたものは、女性の存在だった。柔らかくしなやかな女性に出会うと、自分の中にある弱さが露呈する。ひとりで生きる強さとは、決して、最初から最後まで自分一人だけの力で成し遂げるための力ではない。それでは、いつまでも、孤独なままだ。それでは、いつまでも、寂しいままだ。それでは、いつまでも、臆病なままだ。ひとりで生きる強さとは、その力を通じて『他人と繋がるため』のものである。最近は、そう思うようになった。最初は、無論、ひとりからはじまる。しかし、そのひとりとは「やがては、ひとりではなくなるため」のひとりである。ひとりで生きるための強さではなく、誰かとつながるため、仲間、友達、家族、それらと出会うための『ひとり』なのだ。

 

 

「Overdosed」「Loneliness is Mine」

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ひとりで生きる強さより。

闇があるということは、光があるということだ。闇がないということは、同時に、光も存在しないということだ。だから、自分の中にある孤独、孤独に限らずとも「ネガティブだと思われるようなもの・悪いものとされているもの」の中に、力強く輝く『光』は、常に内存しているのだと思う。だからこそ、自分の中にあるすべてのものは、宝になる。自分を鍛える宝になるし、自分を引き出す力になる。良い部分だけを見せようとするのではなく、悪い部分もすべて、自分のなかにあるものをまるごとひっくるめて「これが自分です」と差し出した時に、綺麗なだけではない、それでも『美しい』と思えるなにかが宿る。これが、おそらく、生命の力だ。 

 

自分の役割は「整える」ことにあると思っていた。人間、チューニングが乱れると体や心が不調をきたす。逆に言えば、チューニングさえ整えることができれば、人間、誰もが本来の調子を取り戻す。だから、自分は「整える」ことに注力すればいいのだと、そんなことを思っていた。熱海や横浜の家も、その場にいることでなにかしらが「整う」ことが期待される調度品を揃えた(というか、譲り受けた)。誰かと会う時も、聞き役に徹することが多かった。しかし、最近は次のフェーズに突入したことを感じる。それは「暴く」ということだ。整えるだけでは、先に行けない。整えることが悪いのではなく、整えたあと、の、話、だ。社会に蔓延する嘘、あるいは、自分につき続けてきた嘘の数々、を、暴きたい。そういう思いがある。この矢印は、内側にも、外側にも、同等のエネルギーをもって強く開かれている。

 

「愛されたい」という嘆きを耳にすることがある。もっと親から愛されたい、とか、もっと恋人から愛されたい、など。私は思う。愛されることが、まるで『人生のゴール』みたいになっていることに違和感を覚える。無論、愛されないより、愛された方が嬉しいに決まっている。しかし、愛されるということは、ただの副産物だと思う。肝心なことは、愛されたうえでなにをやるか、ではないだろうか。私は、私を暴きたいと思う。自分を驚かせていきたいし、自分を裏切っていきたい。「これが自分だ」と思っていたものを飛び越えて、新しい自分を発掘したい。本当のことに出会った瞬間、思わず笑ってしまうことがある。整えるだけでは、笑いは起こりづらい。暴かれたとき、思わず笑ってしまうことがある。なーんだ。自分は、こんなことで悩んでいたのか、とか。なーんだ。自分がやりたいと思っていたことは、結局そういうことだったのか、とか。暴くと言う言葉は暴力的な響きを帯びるが、最終的には「清々しい風を吹かせる」最高のものだと、私は思っている。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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愛と感謝の先に行く。

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ロンドンにいる。二ヶ月前、グラストンベリーという場所で血を吐きながら「死ぬかも」と思った。いま、時は流れて体調も戻り、傍目には死ななかった人間として存在している。しかし、あの時、自分は一回死んだのだ。一回死んで、生まれ変わった。逆に言えば、自分は、死に遅れた人間になった。尾崎豊のように、カートコバーンのように、若くして死ぬことのできなかった「死に遅れた人間」の凄みを、自分に感じる。生きる凄みを、誰にともなく、見せつけてやりたい気持ちになる。

 

 

おおまかなスケジュール


3月24日~25日 FREE!@ロンドン
3月26日 「音楽×トーク」企画@ロンドン(Bond Street)

3月27日~4月2日 FREE!@グラストンベリー
3月31日 わたり食堂【0円食堂】(帰国不可能)
4月7日 🎁🎉✨🎂💝坂爪圭吾34歳の誕生日💝🎂✨🎉🎁

4月11日 関西空港到着以降、引き続き音楽武者修行【日本】

4月12日~13日 音楽武者修行@岡山県倉敷市
4月14日「音楽×トーク」企画@大阪(最寄駅・阪急十三駅)

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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欲しがる力。

昔から、無印良品ユニクロが嫌いだった。理由は不明だった。ただ、これを自分の人生に採用したら「自分が死ぬ」という感覚が強くあった。現在、ロンドン在住S様の家に滞在している。S様は言う。多分、いま売れっ子のアーティストも、売れる前は結構尖った部分があったと思うの。でも、人気が出ると、大衆にあわせちゃうから、尖っている部分がなくなるのよね。尖っているものが世の中にたくさんある方が、みんな豊かになるのよ。だけど、いまって「これが楽しさです」みたいな感じで、まるで離乳食みたいに「噛み砕かれた楽しさ」だけが提供されたりするじゃない???テレビとかさ、視聴者をバカにしているって思うのよ。離乳食ばっかり食べてたらさ、かみごたえのない、薄っぺらい人生になると思わない???

 

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S様は続ける。みんなが好きになるものを好きになることのダサさ、ってあると思うの。無印とか、ユニクロとか、そういうものに象徴されているものが、あたしはいかんのだと思うの。あたしは坂爪さんより年齢が一回り上だけど、いまは「誰も目指さない50になりたい」って思っているのよ。岡村靖幸が大好きで毎晩動画見て興奮しているんだけど、彼、50を超えても全身スーツでビシッ!と決めて、キレッキレの踊りをするの。何回も逮捕されたから、突き抜けた部分があるのだと思う、彼。自意識を超えているっていうか、彼を見ていると「俺はこれでいいのだ!感」が半端ないのよ。だから、こんなにも惹かれちゃうのよ。やっぱり、人間、遠慮しちゃダメね。遠慮は美徳みたいな考えがあるけど、美徳じゃなくて冒涜よ。遠慮することは、自分に対する冒涜であり、自分に対して失礼なことだと思わない???

 

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途中、S様の娘様の話になった。娘はお菓子が大好きだ。娘に食べられないように、S様はお菓子を娘の手の届かない戸棚に隠していた。が、まだ、よちよち歩きをしていた頃の娘は、お菓子欲しさに「イスを駆使してテーブルによじ登り、戸棚を破壊してお菓子を奪う」偉業を成し遂げた。まだ、歩くことさえできないのに、である。よく、我々は、なにかをするためには技術や準備が必要だ、みたいな話をする。しかし、欲しがる力は「できる・できない」を超える。なにか新しいことをするときに、技術が足りない、知名度が足りない、勇気が足りない、などと、そういうことを気にすることがある。しかし、もっとも足りていないものは「欲しがる力」ではないだろうか。欲しがる力があれば、人間、できる・できないを超える。

 

「クリムゾン」「ジャンクボックス」

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「愛と感謝」の向こう側。

私はS様が好きだ。理由は「愛や感謝の先に行こうとする」姿勢を感じるからだ。愛。感謝。素晴らしい概念だ。しかし、私は、愛こそすべてとか、全部愛なんだよ、などと言う人を見ると「薄っぺらいな」と感じる。そこに、話し手の実感を感じない。なにかを言っているようで、なにも言っていない気がする。愛や感謝に着地することは、死ぬほど簡単だ。しかし、愛や感謝は、時に『現状維持を助長する』ことになる。仕事があるだけ感謝だよ、とか、嫌いなひとでも愛していこう、とか、耳障りはよいけれど『自分が変わっていく必要』がなくなる。なにかあると、すぐに「愛」とか「感謝」とか言う人を見ると、止まっているな、と、思う。

 

S様は、愛とか、感謝とか、そういうことをあまり口にしない。しかし、そんなS様に「愛や感謝がまったくない」のかと言ったら、真逆だ。私は、愛とか、感謝とか、そういう言葉を軽々しく口にしないS様から、深い愛情の持ち主であることを、深い感謝の持ち主であることを感じる。それは、きっと、常に「愛とは何か?」という問いを持っているからだと思う。答えをもっているひとは止まっていて、疑問をもっているひとは進み続ける。進み続けるということは、深みをましていくということだ。愛とはこれだ、という答えをもっているひとは、その愛にしがみつき、最悪の場合は「愛しているって言ったじゃない!」などと喚き、愛を理由に相手を責める。愛は、多分、そういうことではない。最近思う。人間は、人間を愛することはできないのではないか。人間にできることは「愛を感じること」までだ。自分が、過去に、愛することができていたか、それを確かめる手段はない。しかし、あの瞬間、間違いなく「愛はあった」と感じる瞬間ならば、無限にある。

 

音楽と言葉の間にあるもの。それは『音』だ。わたしは、音が好きだ。だから言葉を綴り、だから音楽を続ける。33歳になってから音楽活動をはじめた、などと思っていたが、最近では「もしかしたら、自分はずっと音楽をやっていたのかもしれない。ただ、そこに、リズムやメロディーがなかっただけだ」と思う。生きているということ。リズムやメロディーがないだけで、もう、それ自体が音楽なのだ。毎日音楽をつくるということは、頭が張り裂けそうな作業になる。しかし、頭が張り裂けることを避ける理由が、自分にはない。死に遅れた自分には、頭が張り裂けることを厭う理由が、なにもないのだ。これはいいな、と、空を見上げたら笑えた。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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共感するな。尊敬しろ。

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ロンドンにいる。最近思う。わたしは男性で、女性であるミユさんとバンドを結成した。だからこそ、自分の役割は「男を徹底すること」だと思っていた。自分が男を徹底し、ミユさんが女を徹底する。そのことで生まれる相乗効果が、音楽に力を与えるものだと思っていた。しかし、この考え方が間違っていた。真の出会いは、性別を溶かす。男がどうとか、女がどうとか、そういうものが消えた。自分は性別にとらわれ過ぎていた。そして、そこから自由になった。男も、女も、ねえのだ。

 

 

おおまかなスケジュール


3月22日~25日 FREE!@ロンドン
3月26日 「音楽×トーク」企画@ロンドン(Bond Street)

3月27日~4月2日 FREE!@イギリス界隈
3月31日 わたり食堂【0円食堂】(帰国不可能)
4月7日 🎁🎉✨🎂💝坂爪圭吾34歳の誕生日💝🎂✨🎉🎁

4月11日 関西空港到着以降、引き続き音楽武者修行【日本】
4月14日「音楽×トーク」企画@大阪(最寄駅・阪急十三駅)

🌐🌐🌐呼ばれたら何処でも行きます🌐🌐🌐

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性別を超える。

ミユさんはすごい人間だ。出会うたびに衝撃がある。この二ヶ月で、我々は四回あった。一回目は「出会いの衝撃」を、二回目は「バンド結成お誘いの衝撃」を、三回目は「バンド名決定の衝撃」を、四回目は「バンドの方向性の衝撃」を、わたしに残した。会うたびに、決定的な何かが定まっていく。普通の人が五年は要するようなことを、五日間程度で決めてくる。スピードが容赦ない。自分も、自分なりにスピードは早い方だと思っていた。しかし、桁違いの人間を目の前に「あたしゃあなたに完敗です」と低頭する。ジョンが、ヨーコに会ったときもこんな感じだったのだろうか。出会うべきひとに出会うとき、すべての加速度が飛躍的に向上する。

 

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女性と何かをやる。そのとき、男である自分は「男が引っ張っていかなければ」などと勝手に構える。しかし、もう、そんな必要はないのだ。ミユさんと色々話したなかで、タロットの『THE WORLD』のカードが脳裏をよぎった。タロットには、言葉と(その言葉の意味をあらわす)絵が描いてある。普通、世界と書かれたカードには、地球の絵とか、宇宙の絵とか、そういったものが描かれていそうなものだ。しかし、タロットにおける世界観は、違った。『THE WORLD』には、男と、女が、混ざり合って一体になっている絵が描かれていた。このカードは『完成』を意味するらしい。男も女も消えてなくなり、ひとつになる。ミユさんと話しながら感じた衝撃は、このカードの感覚に近い。自分は、もう、男でも、女でも、ない。

 

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ミユさんは言った。性的な部分は、ナチュラルに残るものだ。女性を意識しなくても、自分は女性なのだから「結果的に出てしまう(残ってしまう)女性の部分」はあとから勝手についてくる。これは、きっと男性も同じだと思う。だから、性別を前提に物事を決めるのではなく、そういうものを全部飛び越えて、ただ、自分がやりたいことを自分のやりたいようにやればいい(自分にやらせてあげればいい)。と。こういった会話を交わしながら、わたしは、自分のやりたいことにOKを出せていない自分の姿を見た。これは、きっと自分だけではないだろう。やりたいことをやっているように見えて、実は、その人自身が一番やりたいことに関しては、なにかしらのセーブをかけている。この『セーブされていた部分』が、ミユさんとの会話によって、明らかになった。わたしは、ロックンロールがやりたかったのだ。

 

「flow/er」「エクスプローラー」

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共感するな。尊敬しろ。

ミユさんは文章を書く。それをSNSに投稿する。すると、コメント欄に「共感しました!」などと書く人々が登場する。誤解を恐れずに言うと、共感という言葉をたやすく使ってんじゃないよって思う。お前はミユ様に共感できるレベルにはまだまだ達していないだろう。自分だったら、とてもじゃないけれど「共感しました」なんて恐れ多くて言えねえぞ。共感するな。尊敬しろ。忠誠を誓え。ばか。ということを思う。この話をすると、一定の人々は爆笑してくれるが、一定の人々は「まあ、あなたってひどいひと!」とGone with the windする。たとえば、自分は「あなたのファンです!」と言われることを嫌う。俺のファンになるよりも「お前はお前のファンになれ」と思う。が、このあたりのニュアンスが伝わることは少ない。 

 

「あなたのファンです!」と言われても微妙だが、「あなたのことが大好きです!」と言われると、最高に嬉しい。この差はなんだろう。何が違うのだろうか。好きです!と言われたら、こっちも「そんなあなたが、あたしも好きよ!」と返せる。しかし、ファンです!と言われても「あ、そうなんですか」としかならない。こちら側はなにも返せないのだ。自分もあなたのファンです、と言ったら嘘になる。なぜなら、あなたのファンではないから。わたしは、決して「自分はすごい人間だ」などと言いたい訳ではない。自分という小さな括りを飛び越えて「人間はすごい」ということを言いたいと思う。人間という言葉のなかには、自分も、あなたも、含まれている。しかし、あなたのファンです!と言われた時、なにかこう「そう言うひとは、人間という括りの外側にいる」感覚だけが残る。結果、なにかこう、一番言いたいことはなんにも伝わってないのだなあというがっかり感が残る。

 

現在、ロンドン在住のS様のご自宅にお邪魔をしている。S様から「チャリスウェルに行ったら?」と提案を受けた。ジョンレノンがイマジンを作った場所だ。S様は言う。音楽をやるなら、イマジンを越えなさいよ。と。イマジン越え。すごい言葉だ。S様は、小生をけしかける。ミユ様も、小生をけしかける。オノヨーコも、こんな感じでジョンレノンをけしかけたのかもしれない。けしかけてくれる人間がいることは幸せだ。年齢を重ねるほど、誰も、何も言ってくれなくなる。けしかけてくれる人間は絶滅し、そのままでいいよとか敗北的なことを言いはじめる。S様も、ミユ様も、生き様が本気だ。血が濃い。濃い血が流れている人間からけしかけられると、(基本的にたじたじになってしまうことばかりだが、最終的に)燃える。自分はどこまで行けるのだろうか。自分の、自分たちの未来が楽しみになる。

 

 

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人生は続く。

 

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これがわたしの内臓です。

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ミラノを経由してヴェネツィアにいる。ミユさんと合流する。安心感が半端ないのか、毎日すやすや眠れる。昨日は18時間寝た。ミユさんと初対面を果たしたのは今年の1月。まだ二ヶ月も経っていない。一番最初、ミユさんは、わたしに「圭吾さんには欠乏感を感じる。そこに、すごい男を感じる」と言ってくれた。普通、そこまでの欠乏感を感じたまま、生きることはできない。ごまかしたり、見て見ないふりをするのが普通だと思うけど、圭吾さんはそのまま生きているからすごい、と。

 

 

おおまかなスケジュール


3月20日 移動(ヴェネツィア〜ロンドン)
3月21日~25日 FREE!@ロンドン
3月26日 「音楽×トーク」企画@ロンドン

3月27日~4月2日 FREE!@ロンドン
3月31日 わたり食堂【0円食堂】(帰国不可能)
4月7日 🎁🎉✨🎂💝坂爪圭吾34歳の誕生日💝🎂✨🎉🎁

4月11日 関西空港到着以降、引き続き音楽武者修行【日本】
4月14日「音楽×トーク」企画@大阪【詳細決まり次第更新】

🌐🌐🌐呼ばれたら何処でも行きます🌐🌐🌐

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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欠落。

音楽をつくっていると、昔の記憶が蘇る。そういえば、俺は、昔から「俺はここにいちゃいけない」「俺は生きていちゃいけない」という感覚があったな。そう思った。できることならば、俺は、ここにいたい。しかし、それが許されることはない。時折、ここにいてもいいよと言ってくれる人物や、そう言ってくれる空間と出会えた時に、特別に「ここにいてもいい」という許可がおりる。わたしの存在は、常に「他者の許可が必要なもの」であり、許可があればそこにいることが許されるが、許可がない限り「自分はここにいちゃいけない」「自分は生きていちゃいけない」という感覚に支配をされて、その場所を離れる。結果、常に、ひとりになる。

 

note.mu

 

ミユさんとはじめてあった時、俺たちは一緒に生きた方がいいと思った。一緒に生きれば、お互いの良い部分を引き出し会える最高の関係になれる、と、そう思った。しかし、思っただけでなにも行動に移さなかった。「行動に移す」という発想がなかったのだ。それくらい、無意識のうちに「俺はひとりで生きる」ということが前提条件になっていた。その時、一緒にいた保科さんが「それならまたすぐに会いに行きましょう!来週とか!」と、提案をした。わたしは、驚愕した。大げさに聞こえるかもしれないが、会いたいなら、また、会いに行ってもいいのだ。「生きていればまた会えるさ」などと遠い日の再会を夢みるのではなく、もし、本当に相手が真に重要な存在ならば、自分から「会いたい」と伝えて、そして、実際に会いに行ってしまってもいいのだ。と、そんな、当たり前のことに今更気づいたのだ。

 

note.mu

 

今まで、誰かに「会いたい」なんて言ったことはなかった。会いたい気持ちは常にあった。しかし、そう言うことを自分に禁じていた。常に受け身だった。誰かから「会いたい」と言われて、はじめて動き出すのが自分だった。我々三人はヴェネツィアで再会を果たし、そして、ミユさんの提案で『バンドを結成する』ことになった。音楽をやるということさえも、私は、ミユさんの存在に助けられた。自分が一番やりたいことは、いつの間にか奥の方に引っ込めていた自分を見た。が、ミユさんが「音楽をやりましょう!」と提案をしてくれたことで、はじめて、自分に音楽をやる権利が与えられた。そして、いま、わたしは1日1曲音楽を作る日々を過ごしている。からっぽだった人間に、生きる意味が与えられた充実感を覚えている。

 

「snows」「ワンダーランド」「Before Ash」

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これがわたしの内臓です。

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音楽を通じて、差し出したいものは「真珠」なのか「内臓」なのか。普通、きらきらひかる真珠の方が、多くの人々に愛されるだろうし、万人ウケをするのだろう。しかし、わたしは、音楽を通じて「これがわたしの内臓です」と言いたい気持ちがある。生命の塊をボン!とその場において、あとは、好きに判断してください、というような感覚。決して綺麗なだけじゃない、決して居心地のよいだけじゃない、が、その生々しさを通じて「頭の中から離れなくなる」「生きることの根源を問う」「しばらく立ち上がれなくなる」ような、そういう音楽をつくりたいと思う。

 

内臓を差し出す瞬間は恐怖だ。真珠の方がいいに決まっている。しかし、真珠なんか差し出してたまるか、そんなものは偽物だ、などと思う自分がいる。見た目は完全に真珠風でも、どこかに「内臓」の香りがするものを作りたい。真珠なだけなら、自分がやる意味はない。なぜ、こう感じるのだろう。なぜ、内臓を差し出したいなどと思うのだろう。いま、この瞬間も、体内の臓器は「生きていることを訴えている」ように活動を続けている。心臓の鼓動は肉体を叩き、おい、おい、おい、おい、と、生命を主張する。生々しいものをつくりたいと思う、一番の動機。それは、自分自身が『生々しいものである』からだ。人間は、真珠より、内臓に近い。

 

我々は、人間であり、自然である。火山がある。火山は時折噴火をする。自然の一番怖いところは、人間の理屈を超えるところだ。東日本大震災を思い出せばわかる。自然災害は無慈悲にあらゆるものを奪い去る。しかし、それでも、人間は自然を愛することをやめない。あれだけ噴火の危機が叫ばれている富士山の山麓でも、暮らしを続ける人々はたくさんいる。たとえ、近日中に富士山が噴火する危険性を伝えられても、彼らは「そこで死ぬ」ことを選ぶだろう。そして、自分が死ぬまでの間、(ともすると自分の命を奪うものになるかもしれない)富士山を愛し、慈しみながら、富士山と共に生きるのだろう。わたしは、ここに、自然の大きさを見る。我々ひとりひとりが自然ならば、自分の中に火山もあるし、自分の中に津波も起きる。自分が自分であることを、まるごとひっくるめて許していきたいと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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死ぬなよ。しかし、死を恐れるな。

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エジプトのカイロ国際空港にいる。エジプト人とインド人には類似性を感じる。ゆるさに悪気がない。14時間のフライトは快適極まりなかった。横になって眠るため、三列ガラ空きの空席を見つけて誰よりも迅速にそこに移動する。さすれば横になって眠れる。気分は水滸伝の戴宗である。ファーストクラス並みに快適だから、勝手に『ファストクラス』と名付けている。寝たり機内食を食べたり水滸伝を読む間に、14時間はあっという間に過ぎた。音楽をやり始めてから一番の変化は、暇をしなくなったこと。これまで、わたしは暇の塊だった。しかし、今は、違う。わたしは、再び、世界と恋に落ちたのだ。

 

 

おおまかなスケジュール


3月17日~25日 FREE!【欧州界隈】
3月26日 「音楽×トーク」企画@ロンドン【イギリス】

3月27日~4月10日 FREE!【欧州界隈】
3月31日 わたり食堂【0円食堂】(帰国不可能)
4月7日 🎁🎉✨🎂💝坂爪圭吾34歳の誕生日💝🎂✨🎉🎁

4月11日 関西空港到着以降、引き続き音楽武者修行【日本】
4月14日「音楽×トーク」企画@大阪【詳細決まり次第更新】

🌐🌐🌐呼ばれたら何処でも行きます🌐🌐🌐

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

生きるとは何か。

前回の記事にも書いたが、K様と話した時間が面白かった。K様は言う。よく、神様がいるかいないか議論ってあるじゃない。そんなもの、あたしに言わせたらいるに決まってるのよ。だって、いま、あたしがここにいるんだから。たとえばさ、ドラえもんでもなんでもいいんだけど、漫画の登場人物は漫画家を認識することができないのよ。ドラえもん藤子不二雄を認識できないように、孫悟空鳥山明を認識できないように、ね。でも、ドラえもんがいるってことは、藤子・F・不二雄、要するに神様【創造主】がいるってことでしょ。だから、認識できるかできないかは置いておいて、神様なんているに決まってるのよ。

 

note.mu

 

神様がいないとか言う人は、要するに欲が深いのよ。神様とか宇宙とか量子力学とか高尚な議論をしているつもりなのかもしれないけど、単に、自分の欲が深すぎるだけ。欲が強すぎる自分の願望を満たしてくれる存在がいなくって、ただ、拗ねているだけなのよ。神様に期待し過ぎなのよ。と。これを聞いた時は「なんて痛快なんだ!」とわたしは惚れた。格好いいとはこういうことだと、名画『紅の豚』のキャッチコピーを思い出した。神様はいる。理由は「現に、自分がここにいるから」。ブラボー。自分の頭で考えてきた人と話す時間は楽しい。人間と話していると思える。本を読み過ぎたり、誰かの言葉や、一般論ばかりを話す人といると、まるで「壁と話している」みたいな感覚を覚える。壁と話すくらいなら水滸伝を読みたい。水滸伝には人間がいる。が、K様と話す時間は水滸伝を越える。理由は「リアル」だからだ。

 

note.mu

 

リアルなやり取りを交わしたい。スピリチュアルにはまる人間の気持ちもわかる。自殺するよりは、スピリチュアルに溺れたり高額な自己啓発セミナーやマクロビにはまる方がましなのかもしれない。ただ、癒されてどうなる。健康になってどうなる。美人になってどうなる。金持ちになってどうなる。肝心なのは、それから、どう生きるかの部分ではないのか。自分が生き延びること以上に、たとえ、死ぬことになったとしても「俺はこれをやりたいんだ」と思えるものがなければ、人生はからっぽなままではないのだろうか。どう生きるか。あるいは「生きるとは何か」。切実だが、本質的な問いだ。答えなんてないのかもしれない。だからこそ、わたしは、この問いを放棄した人間より、この問いと共に生きる人間を愛する。

 

🇬🇧🇬🇧🇬🇧3月26日EVENT@ロンドン詳細はこちらです🇬🇧🇬🇧🇬🇧

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1日1曲継続中!聞いてね!

 

note.mu

 

 

note.mu

 

死ぬなよ。しかし、死を恐れるな。

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音楽活動をはじめてから全否定される機会が増えた。賛否両論集まる。賛だけではなく、否が集まることは健全なことなのだと思う。一番しんどいことは「反応がまったくない」ことだ。反応できない人間は死んでいる。死体は、反応することができない。ボロクソに言われていることをnoteに書いたら、これは大人のイジメだから気にしないで!と言われた。なるほど。一理ある。しかし、ふと、思った。イジメる側の人間も、罵倒を通じて「実はSOSサインを出している」のではないか。普通、幸せな人間は他人を批判しない。そんなことより自分の幸せに集中する。ならば、彼らは、誹謗中傷することを通じて「自分は不幸な人間である」ことを主張していることになる。怒りに怒りで返してもいいが、ファンもアンチもひっくるめて、みんなを楽しませる音楽を作る。そっちの方が「俺は燃えるな」と思った。

 

しかし、基本的に「甘えを自覚していない」人間のことは好きではないから、わかり合おうと努力しなくてもわかり合えるひとと同じ時を過ごしたいと思う。友達ごっこをしている時間はないし、自分が「この人は!」と思ったひとと出逢った際に、恥ずかしくない自分でありたい。精進である。あなたは知名度があるからいいですね、と、ある人間から言われた。わたしは、ふざけるな、と思った。わたしの知名度は単なるまぐれ当たりかもしれない。しかし、自分なりにバットは振り続けてきたつもりだ。当たるも八卦。当たらぬも八卦。だが、バットを一回も振ったこともない人間から、あなたはいいですねなどと言われても「バカヤロー!」と思う。振らずに打てるホームランがあるものか。申し訳ないけど、そういうことを言う人間には「お前はなんにもやんねえよ」と思う。自分はなんにもやらないまま、生きて、他人を羨んで、不満を募らせて、周囲に当たり散らして、不機嫌をばらまいて、言い訳を重ねて、全部を環境の問題にして、そのまま死ねばいいのだと思う。

 

そう言う生き方を「ダサい」と感じる人間と、わたしは生きたいと思う。なんのために生きるか。それは、自分の『好き』に殉じるためだろう。死なないために生きているわけではない。これのためなら死ねる、と、自分を投げ出せる対象を見つけること。それが人生の醍醐味だと思う。見つかることが尊いのではなく、探すこと、求めること、手を伸ばし続けること、そこに辿り着きたいと願うこと、が、尊いのだ。水滸伝の登場人物が全員格好良くて本当に痺れる。敵に囲まれ、全身を槍で貫かれながら、大切なものを護り抜き、死んだ漢がいる。漢は、死ぬ間際、空を見上げながら「愉しかったな」と呟いた。たまらない死に方だな、と、思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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言葉は音楽になる。

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菊名駅前のコロラドにいる。バカと連呼する曲を作った。曲の最後は「バーカバーカベロベロベー」で終わる。電車の中、イヤホンをつけながら聞いていた。ふとしたきっかけでイヤホンが耳から落ち、スマホから直接音楽が流れた。車内に音楽がこだまする。俺のスマホから「バーカバーカベロベロベー」と声が流れる。車内の人々が俺を見る。慌てて音楽を止める。俺も慌てたが、周囲の人々も慌てていた。

 

 

おおまかなスケジュール


3月15日 夜・成田空港出発【日本】
3月16日 朝・カイロ【エジプト】(現地在住の人ご連絡ください!)
3月16日 昼・ミラノ【イタリア】
3月17日~25日 FREE!【欧州界隈】
3月26日 「音楽×トーク」企画@ロンドン【イギリス】

3月27日~4月10日 FREE!【欧州界隈】
3月31日 わたり食堂【0円食堂】(帰国不可能)
4月7日 🎁🎉✨🎂💝坂爪圭吾34歳の誕生日💝🎂✨🎉🎁

4月11日 関西空港到着以降、引き続き音楽武者修行【日本】

🌐🌐🌐呼ばれたら何処でも行きます🌐🌐🌐

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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まずは一年。一年でどこまで行けるか。だ。

2019年2月14日にバンドを結成したから今日で一ヶ月。1日1曲の創作活動は続く。結構な数の人々から「量より質だよ。真面目にやりなよ」と言われた。正直、うるせえと思った。まずは量なんだよ。量を経ての質なんだよ。お前の言うことなんか聞いてたまるか、と、悪態を突き返した。多分、また嫌われたと思う。こういうことを言うと「あなたの言葉に傷つきました」などと言われる。ちょっと待て、と思う。俺だってお前の言葉に傷ついたのだ。喧嘩両成敗。なに、自分だけ傷ついたみたいな言い方をしているのだ、この不届きものの甘ったれ小僧が、と思う。

 

note.mu

 

なにかをはじめると(自称先駆者の方々から)怒涛のアドバイスがなだれ込む。この人のアドバイスは聞くけど、この人のアドバイスは無視する。見極めが重要だ。わたしは、基本、楽しそうに生きている人の意見だけ聞く。だって、つまらなそうに生きている人の話を聞いたら「自分までつまらない人間になる」からだ。自分が解決できていない問題を、他者を通じて解決しようとする人間は多い。有害なアドバイスを貰ったほうはたまったもんじゃない。お前の問題を俺に押し付けるな、と思う。真理には、必ず、清々しさがある。発言者を離れて、言葉だけが胸にスッと入ってくる。清々しさがない言葉は、全部スルーでおっけー。人間、誰もが『傷ついても揺るがない芯』をもっている。有害なアドバイスは、自尊心まで破壊する。

 

note.mu

 

まずは一年。一年でどこまで行けるか。だ。来年の2月14日には、現時点では想像もできない境地にたどり着きたい。自分が自分に期待するし、この記事を読んでいる人々にも「面白いことになる予感だけはあるから、よかったら見ててね(はあと)」と思う。明日発の便で欧州に飛ぶ。わたしは、環境からめちゃめちゃ影響を受ける人間だから、ごちゃまぜの家にいたらごちゃまぜの家の音楽が、日本にいたら日本の音楽が、欧州にいたら欧州の音楽が、自分の中から飛び出す(と思う)。わたしのなかに、まだ、音楽に出していない部分がある。性質で言えば、それは『火』だ。小生の太陽星座は牡羊座だが、小生の月星座は蠍座である。この『影』の部分を、音楽に出したいと思う(のだけれど技術が全然追いついていない)。

 

 

人生の真理をお聞きください。

 

note.mu

 

言葉は音楽になる。

結局たいしたお金もないまま、欧州武者修行に飛ぶ。生きて帰れないかもしれない。しかし、わたしが死んでも音楽は残る。素晴らしい話だ。これまで、自分は「死んでもいい」と思って生きていた。逆説的な話だが、死んでもいいと思ってからの方が『生きている』実感は強くなり、ひとりでもいいと思ってからの方が『自分はひとりではない』実感は強くなった。だから、ひとりで生きる覚悟、死んでもいいと思う覚悟が重要なのだと思っていた。この段階も、次のステージに入る。いま、わたしは「生きていたい」と思う。今日がこれほどまでに楽しいならば、明日もきっと楽しくなる。だからこそ、明日も生きていたい。できることならずっと、遊び続けていたいと思う。無理なことだとわかっているが、永遠に生きていたい。永遠に遊び続けていたい。そう感じる自分の心境の変化に、自分が驚いている。

 

昨日、K様に銀座で「俺の焼肉」をご馳走になった。死ぬほど美味かった。K様は言った。よく、音楽が時代を動かしているとか言うじゃない。ビートルズの音楽が世界を変えた、とか。でも、あれ、違うと思うのよね。おかしな言い方になるけど『時代が人間に音楽をおくっている』のだと思うの。その役割を、たまたまビートルズが担っただけ、っていう感じ。わかるかな。音楽とか、表現の世界って『頑張ればなんとかなる甘い世界じゃない』でしょう???モーツァルトサリエリみたいな感じで、どれだけ敬虔に神様にお祈りしても、どれだけ敬虔なクリスチャンとして毎日を生きても、サリエリモーツァルトみたいな音楽をつくれなかった。『受信機』になるってことなんじゃないのかな。純度の高い受信機であるために、たとえば、モーツァルトは奇行とも呼ばれる行動を重ねたような気がするのよ。

 

わたしは漢字の成り立ちの話をした。『言』と『音』の言葉の違い。どちらもほとんど似た象形文字をしていて、違いと言えば『(漢字の下の部分が)口』になると言になり、『(漢字の下の部分が)日』になると音になることだ。口とは、顔にある口からきている漢字ではないらしい。口の象形文字は「入れ物があって、それになにかが入っている状態」を意味している。これは祝詞であり、神様に捧げるものである。この入れ物に対して、神様がなにかしらのレスポンスをくれたときに(入れ物のなかにあった祝詞に)波が起こる。人間にできることは『言』まで。そこに、神様がレスポンスをくれたときに『言葉は音楽になる』のだと思う。わたしは、昔から「どうして闇という漢字の中には『音』がはいっているのだろう」と疑問に思っていた。自分なりに考えて、わかった。乱暴にまとめると「神は夜に来る」ということだ。闇とか、影とか、表面的にはネガティブな意味合いが強い。しかし、それがあるからこそ「神様の到来を感じることができる」ものだと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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道を選ぶということは、安全な道を選ぶことではない。

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菊名駅前のコロラドにいる。写真はヴェネツィア滞在時の小生(坂爪圭吾)とミユさん。我々のバンド名は『hill(ヒル)』という。英語で「丘」とか「坂道」の意味がある。端的に、私の名前が坂爪で、ミユさんの名前が美智恵なので、これはサカミチだねということで『hill』と名付けた。保科さんを置いてけぼりにしてしまったので、申し訳程度に歌詞の中に「目に見える星 登る坂道」とか入れたりしている。

 

 

おおまかなスケジュール


3月12日~15日 FREE!【日本】
3月16日 朝・カイロ【エジプト】
3月16日 昼・ミラノ【イタリア】
3月17日~25日 FREE!【欧州界隈】
3月26日 「音楽×トーク」企画@ロンドン【イギリス】

3月27日~4月10日 FREE!【欧州界隈】
3月31日 わたり食堂【0円食堂】(帰国不可能)
4月7日 🎁🎉✨🎂💝坂爪圭吾34歳の誕生日💝🎂✨🎉🎁

4月11日 関西空港到着以降、引き続き音楽武者修行【日本】

🌐🌐🌐呼ばれたら何処でも行きます🌐🌐🌐

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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年齢の可動域を増やす。

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取り急ぎ各自できることからやっている。坂爪は1日1曲を、保科さんはベースの訓練をゼロベースから、ミユさんは美しい孤独を。我々3人のライングループがある。昨夜、ミユさんが「わたしはGacktみたいになります」宣言をしたために戦慄が走った。やばい。俺の暴走でおかしなことになっている。愚かな曲ばかりを連発している。大変だ。俺だってできればL'Arc〜en〜Cielみたいになりたかった。乾いた風をからませたりしたかった。のに、自分から出てきた楽曲はこの程度のものだった。非常に無様である。が、精進である。いつか行くぜあの世。本腰で行くぜ。

 

note.mu

 

自分はダメな人間で、すぐにふざける。しかしながら、愚かな曲を作ることは自分なりの精神安定剤で「音楽ってそもそもで楽しいものだよね!」という気持ちを取り戻すために必要不可欠なものだ。が、これだけだとこれだけの人間になる。いかん。わたしにとって、大人になるということは「年齢の可動域を増やす」ことだと思っている。たとえば、現在のわたしは33歳だが「いつでも3歳の頃に戻れる」とか「33歳なりの悲哀を歌うことができる」とか、そういうことが年齢を重ねる魅力だと思う。しかし、現状、わたしは三歳児の歌ばかりを連発している。あかん。早くおとなにならなければならない。アダルティな色気をまとわなければならない。

 

note.mu

 

中二病どころか三歳児にまで遡るとは。わたしは牡羊座だ。星座的に「赤ちゃん」らしい。だから致し方ないのかもしれない。が、わたしにはわたしなりに「大人の色気」があると信じたい。黄色い声援を浴びたい。ちやほやされたい。オートロックの家に暮らさないとファンの大軍に囲まれて大変!マスクとサングラスは必需品よ!みたいな生活を送りたい。それなのにこのザマはなんだ。わたしの歌を聞くと小さなこどもたちが喜ぶ。騒ぐ。暴れ出す。小さなこどもたちが喜ぶのは嬉しい。わたしはこどもが大好きだ。大富豪になったら保育園の園長になりたい。保育園の名前は決めている。梁山泊。108人のこどもたちを『替天行道』で育てるのだ。

 

三歳児の音楽をお楽しみください。

 

 

ごちゃまぜ人形劇がはじまりました。

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gochamaze.hatenablog.com

 

道を選ぶということは、安全な道を選ぶことではない。

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バンドを組みました。そういう話をすると「パートはなんですか?ギターですか?ボーカルですか?」と問われる。わたしは、そういうことじゃないんだよ、と思う。強いて言うなれば、我々のパートは全員一律で『愛され役』である。誰が歌うかは謎だ。誰がボーカルなのか、誰がギターなのか、誰がベースなのか、ミユさんはピアノも弾けるけれどピアノを弾くのか、などということは瑣末な問題に過ぎない。何をやるにせよ、何を演奏するにせよ、我々の役割は『愛され役に徹する』ことである。この点は揺るがない。我々は愛されるために音楽をやるのだ。誰かを愛するよろこびを世界に振りまくために、我々はこの惑星(ほし)に生まれたのだ。

 

わたしは「真・善・美」を愛している。わたしにとって、真理とは『人間をスカッとさせるもの』である。痛みを伴う場合もある。苦痛を伴うこともある。が、同時に、必ずある種の浄化を伴う。真理は人間を自由にする。しかし、この世界には罠が多い。真理を装った「真理風の偽物」は多い。たとえば、良い学校に行って、良い企業に入る。これは、一般的には正論なのかもしれないけれど『スカッと感』がまったくない。わたしは、もう、スカッと感のないものを自分の人生に採用しない。決めたのだ。スカッと感のないものを採用すると、途端に人生が窮屈になる。真理には、必ず『スカッと感』がある。毎日は選択の連続だ。中途半端な選択、無難な選択を続ける日々に『スカッと感』は少ない。が、ああ、これは完全に良い金の使い方をしたな、とか、ああ、これは完全に正しい選択を自分はしたな、と思える瞬間には、必ず『スカッと感』『パアッと感』『ジュンジゥュワア感』がある。

 

君は勘違いしてるんだ。道を選ぶということは、必ずしも歩きやすい安全な道を選ぶってことじゃないんだぞ。みたいなことをドラえもんが言っていた気がする。わかる。わかる気がするよドラえもん水滸伝を読んでいると喧嘩のやり方を学ぶ。乱暴にまとめると、喧嘩に負けるときは大概『思い切りが足りないとき』なのだ。次の一歩を考える。この、考えた瞬間に『迷い』が生まれ、踏み込む一歩の威力を奪う。結果、中途半端な結果を生む。守りにはいった瞬間に、敗北がはじまる。基本的に『攻め』の姿勢を失った瞬間に、人間は老いるのだろう。消極的な意味での『死』を、自分の懐に招き入れてしまうのだろう。これから先、影響を受けたアーティストは誰かと問われまくるのだろう。答えは用意してある。バッハ。G線上のアリアを聞くと、わたしは「生も死もねえな」という気持ちになる。死にたいは、生きたいだ。生きたいは、死にたいだ。遺書ではない。遺言を残したいと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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悲しむひとがいる限り、俺の仕事は終わらない。

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菊名駅前のコロラドにいる。諸事情が爆発をして所持金が二万円を切った。3月16日から一ヶ月弱欧州で武者修行をする。予算は一万円強。宿を一晩確保したら消える額だ。無事に乗り切れるのだろうか。俺はどうするつもりなのだろうか。自作の音楽をSNSに投稿する度にフォロワーが減る。尾崎紀世彦の「また逢う日まで」が脳内を流れる。悲しい。でも仕方がない。生きることはかくも悲しいことなのだ。

 

 

おおまかなスケジュール


3月10日 お金がないから仕事に行かなきゃ@東京
3月11日~15日 FREE!【日本】
3月16日 朝・カイロ【エジプト】
3月16日 昼・ミラノ【イタリア】
3月17日~25日 FREE!【欧州界隈】
3月26日 音楽発表会@ロンドン某所【イギリス】

3月27日~4月10日 FREE!【欧州界隈】

4月11日 関西空港到着以降、FREE!【日本】

🌐🌐🌐呼ばれたら何処でも行きます🌐🌐🌐

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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涙の数より、恥の数。

ロンドン在住のS様から「はじめたのですね音楽!それならロンドンでイベントやりましょう!」とご連絡をいただいた。素人なりに音楽活動をはじめて数週間、爆裂どヘタクソながら「まずは量だろ!質とか言っている場合じゃないだろ!」ということで1日1曲(!)を目安に創作を続けている。岡本真夜は涙の数だけ強くなれると歌った。が、正確には『恥をかいた数だけ強くなれる』だと思う。いきなりロンドンで発表会だ。音楽の本場だ。照れるぜ。誰も来なかったらどうしよう。というか航空券を買えるのだろうか。ミラノから歩いてロンドンに向かうのだろうか。

 

note.mu

 

出発まで五日しかない。お仕事を募集しなくちゃいけない。誰かわたし(坂爪圭吾)にお仕事を与えてください。欧州在住の方は発表の機会を与えてくださるととても嬉しいです。帰国後の関西(あるいは日本全国)での発表の機会も求めています。いまはまだ数曲しかないけど(1日1曲の単純計算で行くと)月末には20曲程度持ち曲が増える。素晴らしい。人前に出るときは「もうちょっとうまくなったら」とか考えてしまうが、違う。未熟なら未熟なりに「いまの私を見てください!」と差し出す方がいいと思った。数年後、いまよりはましになった自分が現在の自分を振り返ったとき、ああ、俺はこんなだったなあと懐かしさを覚えるのだと思う。

 

note.mu

 

他人の幸福をうらやんではならない。なぜならあなたは、彼の密かな悲しみを知らないのだから。そんな感じの箴言がある。33歳から音楽をはじめるというのは無謀なのかもしれない。社会的な自分が「いい歳こいて…」と自分に突っ込む。しかし、同時に「無謀とはなんだろう。普通とはなんだろう」みたいなことも思う。『普通は』若い時からやるものだ、とか、『普通は』この年齢でやることではない、とか。普通って、得体の知れない誰かとの比較でしかない。普通の人なんて、多分、一人もいない。そんな幻想に惑わされちゃいけない。誰かから「あなたは変わっているね」と言われても、それが自分にとっての自然ならば、それが『自分にとっての普通』なのだ。わたしにとって、音楽をやることは、普通のことである。

 

青春三部作を作りました。

 

 

 

 

 

 

悲しむひとがいる限り、俺の仕事は終わらない。

音楽を作る。SNSに投稿する。それを見てくれるひとがいる。反応が届く。反応が届くと「めっちゃうれしい!」と思う。反応が皆無だと「俺は死んだ方がいいのかもしれない」と思う。反応があることのうれしさを、長い間忘れていた。このブログをはじめたのがいまから五年前。いつの間にか大勢の人々に読んでいただけるようになり、諸々の奇跡に恵まれた。が、同時に『反応があることの日常』に慣れてしまっていた。音楽をはじめる。まったくの初心者であり、小者だ。こんな小者に反応をくれる人がいる。反応があるとはこんなにうれしいことなのか。昔を思い出す。ブログ開設当初も、反応がうれしくて書き続ける力を得た。五年も続いたのは、反応があったからだ。『書く私』だけではなく『読むあなた』がいたからだ。

 

音楽はもちつきに似ている。世界に飛び散る粒子を集めて、バラバラなものをひとつにする。もちつきは『つくひと』と『返すひと』が必要だ。そして、当たり前のことだけどもちを織りなす材料が必要だ。料理は奇跡だ。人類の魔法だ。なぜ、あの組み合わせでこんなものが生まれるのだろうかと感動する。人間と動物の違いは『料理をするか』だ。動物は料理をしない。人間は料理をする。直接的な料理もあれば、音楽とか絵画とか建築とかも『料理』だと思う。自分のためだけに作る料理はやる気が起きない。たまごかけご飯で済ませてしまう。しかし、食べてくれる誰かがいるときは「よし、今日は腕を振るっちゃうよ!」みたいな感じで奮迅する。結果、引き出しが増える。質素な料理も、愛するひとと食べればご馳走になる。

 

俺は贈り物を残したいのだろうなと思う。人間が死んだあとに残るものは、集めた物ではなく与えた物だ。そんな感じの箴言がある。その通りだと思う。創作をやっていると『自分の欲望とか、自分の願望とか、そういうものがどうでもよくなる』瞬間がある。ただ、自分が死ぬ前に、どれだけの贈り物を残すことができるのか。そういう気持ちで作るとき、自分が消えて、透明ななにかだけが残る。この、透明な『なにか』に触れたくて、それを残したくて、音楽をやりたいと思うのだろう。悲しむひとがいる限り、俺の仕事は終わらない。生きるっていいな。人間っていいな。生きててよかったな。と、思わせてやりたいと思う。自分にも。他人にも。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

  

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死ぬ気でやれよ。死ぬから。

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菊名駅前のコロラドにいる。作曲と読書とちあきなおみにあけくれている。喝采。振り付けを練習する。歌詞がすごい。昭和の曲はやばい。彼女は女優。わたしは蒙昧な豚。子供の頃のように、1日があっという間に過ぎる。このままあっという間に死ぬかもしれない。ただ、自分から生まれた音楽を聞くと「おれは確かに生きていたのだな」と思う。音楽を作ることは、この星に生きた記憶を残すことに似ている。

 

 

おおまかなスケジュール


3月8日 美味い果物を食べたい@横浜
3月9日~15日 FREE!【日本】
3月16日 朝・カイロ【エジプト】
3月16日 昼・ミラノ【イタリア】
3月17日以降 FREE!【欧州界隈】

🌐🌐🌐呼ばれたら何処でも行きます🌐🌐🌐

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

ibaya.hatenablog.com

 

海女になる。

イタリアのミユさんと保科亮太さんとバンドを結成した。先月の話だ。以来、音楽活動に突入して初心者なりに作詞作曲をはじめた。実はバンド名も決まっている。みんな練習を頑張っている。そのスタイルは様々で、ただ、共通していることは「おのおのが苦悶している」ことだけだ。苦楽を共にした関係は強い。逆に「楽は歓迎だけど苦しみは嫌!」みたいな関係は、破綻も早い。病める時も、健やかなる時も、という結婚の時の誓いは良い。健やかな時に人を愛することは簡単だ。が、病める時も愛せたら、その愛は強い。他者に対しても、自分に対しても、同じだ。

 

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作詞が難しいから周辺の人々をとっつかまえて「この曲に歌詞を与えよ」と指令を出す。歌詞は短い。無駄を省き、要点を集約させる必要がある。頭に浮かぶイメージはあるが、それを最短の言葉でまとめる必要があるのだ。東京でジビエ料理をご馳走してくださったK様がこんなことを話した。源氏物語があるでしょ?わたし、最初はあれのどこが良いのかわからなかったけど、解説を読んだら「ああ、そういうことなのか!」って思ったの。昔の人は、たとえば夜這いとかが普通におこなわれていて、ふすま越しに歌を詠み交わしたりするでしょう。で、ふたつとかみっつとか歌を詠み交わして、おっけーだったら顔も見ないまま相手を受け入れる。ダメだったら帰ってもらう。これ、現代人にはなかなか共感できない感覚だと思うの。

 

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普通、セックスするなら相手の容姿とか気になると思うじゃない。でもね、源氏物語の解説を読んだら「現代人は視覚に頼りすぎている。声。言葉選び。間。十二単の配色。部屋に焚きつけたお香の匂い。など、感じるべきポイントは無限にある。容姿なんて、ただの一端に過ぎない」みたいなことが書いてあって、なるほどー!って思ったの。と。ああ、めちゃめちゃわかるなあ、と思った。自分が曲を弾いて「これに歌詞を与えて」などとみんなに頼んでああだこうだとやっていた時、まるで、平安貴族の遊びをしているような感覚を覚えた。連歌や俳句も似ているのだろう。自分の心情を歌にする。言葉の海を潜り、的確な言葉を取り出す海女になる。

 

 

死ぬ気でやれよ。死ぬから。

こどもの自分が、いまの自分を見たらなんと言うだろう。たまに考える。小さな自分は、周囲のおとなを「ダサい」と思っていた。こんなおとなにはなりたくない!と感じるおとながたくさんいた(主に学校の先生など)。時は流れ、いま、自分は「昔の自分に笑われない生き方をしているだろうか」と思うことがある。なあ、どうだろう。昔の自分に問いかける。俺の生き方はお前のおめめにかなうだろうか。友達なんて全然いなかったけれど、音楽を聞いている時間だけは自由になることができた。生きててもいいよって言われた気がした。そして「自分が感動を与えられたように、自分も感動を与えることができる人間になりたい」と思っていた昔の自分は、いま、おとなになった自分を見たとき、どのようなことを感じるだろうか。

 

新潟に生まれた。海は家から五分だった。日本海は夕日が沈む。わたしは夕日が好きだ。『好き』だけじゃない。その瞬間、湧き上がる色々な感情を全部ひっくるめて『好き』だと言っている。前に、夕日を見ながら「終わっちまう」と思ったら涙が出そうになったことがある。終わっちまう。楽しい時間も、悲しい時間も、永遠に続くことはない。なにもかもが終わっちまうことを知っているから、いま、この瞬間が輝くのだろう。巷では「死ぬ気でやれよ。死なないから」みたいな言葉を耳にする。わたしは天邪鬼だから、その逆を言いたい。死ぬ気でやれよ。死ぬから。いつかは終わっちまうから。そのことを思いながら、いまを生きるんだよ。と。

 

死ぬとはどういうことだろう。肉体が滅びることだろうか。違う。死ぬことは「忘れられる」ことだ。わたしが死んでも、わたしの記憶が誰かの中にある限り、わたしは永遠に生きる。誰かの頭の中で思い出された瞬間に、わたしは何度でも蘇る。わたしを殺すことは簡単だ。包丁を取り出す必要もないし、ダイナマイトを仕掛ける必要もない。ただ、わたしのことを忘れたらいい。わたしの存在を認めなければいい。わたしなんて最初からいなかったもののように振る舞えばいい。わたしは、いま、生きている。わたしはわたしのことを忘れたくないと思い、存在を認めたいと思い、いつまでも一緒にいる大切なものとして扱いたいと思う。創作をしていると感じることがある。いま、ここにある生命は「私を忘れないで」と囁いている。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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