いばや通信

ibaya.ex《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

大丈夫だ。お前は護られている。

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心斎橋のドトールにいる。明日11月22日(金・いい夫婦の日)19時から、心斎橋でライブがある。事前予約などは不要なので、是非、誰でも遊びに来てください。この日は、Agape初の物販もある。普通の物販じゃつまらないから、メンバー各自が「独自の商品を開発して、当日、陳列する」ということになった。私は、結局、家を売ることにした。熱海の家だ。今、家の権利書を取り寄せている。これまで、ライブの物販で家を売ったバンドはあるのだろうか。最近の合言葉は「捨て身」だ。

 

 

おおまかなスケジュール

11月21日(木)FREE!(呼ばれた場所に行きます!)
11月22日(金)19時 Agape 単独ライブ@大阪市心斎橋「
5th-Street
11月23日(土)以降、人生的にFREE!(愛媛に行きたい!)

連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com

 

ibaya.hatenablog.com

 

絶滅しよう! 〜Less is More〜

こんなことをしちゃったら、破滅しちゃうかな。そんな風に思うことがある。自分にも。他人にも。だから、普段は「破滅しないように」言動を選ぶが、昨日、別に破滅しちゃってもいいんじゃないのかなと思った。破滅しちゃえばいいじゃない。破滅しないように、破滅しないように生きるより、破滅をしても構わない。そこに「お前は、破滅をしても必ず立ち直ってくる」という信頼があるのならば、大丈夫だ。そういうことを、昨日、思った。具体的には、家がなくなっても案外いけるんじゃないのかと思った。恋人と別れたり、学校をやめたこと、離婚、離職、脱国、災害、倒産、自己破産、なにかをロスする体験が、人生の転機になることは多い。

 

私は自然を愛している。海も山も好きだ。猫派か犬派かと問われても「命派です」と答える。生命全体(動物全般)が好きだ。なう、自然破壊と同じくらい深刻な問題がある。それは『人間破壊』だと思う。森林が伐採され続けるように、心の森林も伐採されている。都会ほど人間はイライラし、人間関係はギスギスしている。自信のない人が多い。自分を賞賛すること以上に、自分を責めることの方が日常になっている。生きることより「生き延びること」ばかりに、フォーカスされ過ぎていると思う。なぜだ。こどもの頃は、もっと元気だったはずだ。一体、なにが人間の自信を奪うのか。なにが人間の勇気を挫くのか。愛が足りない。自由が足りない。

 

近代科学は、直感や偶然の一致を嫌う。だからこそ、私は、一種の反骨精神としてこれらを護り抜きたい。自分の心が「なんか嫌だ」と思ったら、短期的には得できそうなことも、やらない。逆に、いつもならスルーしてしまうような出来事でも「これはなにかあるかもしれない」と感じたら、立ち止まる自分でいたい。頭をよぎった考えが、どれだけ非現実的なものだとしても、熱くなれるものがあるならば、それを採用したい。家を売ってみたいと思ったら、売る。それがどうなるかは、わからない。ただ、それをやろうとしたことによって、展開する人生がある。直感こそ、人間の自然だ。直感を打ち消すことは、自分の自然を破壊することだ。

 

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「ジュピター」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

強くもないし 優しくもない
ただ命の限り 踊っていたい
清くもないし 正しくもない
でもいのちの 限り生きたい

本気じゃないなら もう いらないし
たのしくないなら もう やらないし

君にないものが僕にあって
僕にないものが君にもあって
必要とすることならできる
確かめ合うおなじ命がある

本気じゃないなら もう いかないし
うれしくないなら もう やらないし

死なないように 死なないように
死なないように 生きても 死ぬんだよなあ

誰のものでもない君がいて
誰のものでもない僕らがいて
誰のものでもないこの星で
ふたりだけの時間を刻もう

本気じゃないなら もう いわないし
さみしくないなら もう やらないし

死なないように 死なないように
死なないように 生きても 死ぬんだよなあ

本気じゃないなら もう いらないし
だれともなにとも もう くらべない

死なないように 死なないように
死なないように 生きても 死ぬんだよなあ

死なないように 死なないように
死なないように 生きても 死ぬんだよなあ

  

note.mu

 

大丈夫だ。お前は護られている。

失う恐怖にとらわれるとき、人間は自在さを失う。これがなければ自分はダメになる。恐怖心に囲まれた自分は、大事な力を、他人に明け渡している。家がなければ。金がなければ。友達がいなければ。助けてくれる人がいなければ。など。だがしかし、違う。本当は、自分でなにかを成し遂げる力が、すでにある。この世界に、自分と同じ人間はひとりもいない。この時点で、誰もが稀有な存在であり、誰もが絶滅危惧種であり、誰もが天然記念物である。絶滅危惧種を乱暴に扱うと、怒られる。天然記念物を粗雑に扱うと、怒られる。誰に。俺に。坂爪圭吾に。坂爪圭吾は、命を無碍に扱う者を、怒る。言葉で怒る。音楽で怒る。存在感で、怒る。

 

私たちは、もっと自分を信じることができる。自分を責めること以上に、自分を賞賛することができる。檻の中に閉じ込めておくこと以上に、広い世界を見せてあげることができる。人生は、旅だ。自分という乗り物にのって、地球というテーマパークを遊び倒す。ディズニーランドとは少し違って、自分がアトラクションを作り出すことも、自分自身がアトラクションになることも、できる。私たちは、すでに、許されている。遊ぶことを許されているし、楽しむことを許されているし、自分を愛することも、誰かを愛することも、幸せになることも、許されている。特別なことをやろうとは思わなくても、自分の心が感じる「あ、いいな」を採用することができる。先のことはわからなくても、いま、この瞬間を生きることはできる。

 

大丈夫だ。お前は護られている。そのことを思い出せれば、自分をか弱くて不安で何かが欠けている存在だと思う必要もない。意固地に所有を続ける必要も、安全のために人を支配する必要もない。なにもない自分には価値がないと自分を責める必要もない。大丈夫だ。お前は護られている。きっと、私は、自分にも他人にも、この言葉を言い聞かせるために生きているのだと思う。くどいくらいに、何度でも。あなたが思う以上に、あなたは、素晴らしい存在だ。もし、そのことを忘れてしまいそうになったときは、私が怒る。だから、大丈夫だ。私たちは、護られている。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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俺は、俺という作品を完成させるから。

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福島駅前のタリーズにいる。アウシュビッツに比べれば天国。なぜなのだろう、常に、脳裏にその言葉がある。ちょっと気分が沈んだ時など、今、自分は拷問を耐え抜き、外に出てきたばかりの囚人だと妄想する。歩ける。走れる。外の空気が吸える。軽口を叩ける。好きなものを食べられる。好きなひとに会いに行ける。誰にも殴られない。誰にも監視されない。花。虫。空。雲。道路。車。排気ガス。すべてが輝いて見える。一気に元気。一気に天国。憂鬱そうに歩いているおじさんを見ると、肩を叩いて「生きているって、素晴らしいことですね!」とか言いたくなる。

 

 

おおまかなスケジュール

11月18日(月)以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます!)
11月22日(金)19時 Agape 単独ライブ@大阪市心斎橋「
5th-Street
11月23日(土)以降、人生的にFREE!(愛媛に行きたい!)

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ibaya.hatenablog.com

 

愛は、ひとを自由にする。

聖なる予言という本に、興味深い記述があった。コントロールドラマ。誰もが、幼児期の経験をもとに性格を形成する。それは四種類。脅迫者。尋問者。傍観者。被害者。この、どれかになるらしい。脅迫者は、相手に『このひとの言うことを聞かなければ生きていけない』という恐怖心を植え付け、支配をする。尋問者は、相手に『自分は未熟な存在だ』と劣等感を抱かせ、支配をする。傍観者は、よそよそしく振る舞うことで自分を神秘的に演出し、相手を『その世界観に引きずり込む』ことで支配をする。被害者は、相手に『自分のせいで、このひとは不幸なのだ』と罪悪感を植え付けることによって、支配をする。乱暴にまとめると、こんな感じだ。

 

あなたは、どれに近さを感じるだろうか。そして、あなたの親は、どのタイプに近かっただろうか。家庭環境に限らず、恋愛でも、職場でも、コントロールドラマは継続される(らしい)。あなたのまわりに、こんなひとはいないだろうか。なぜだかわからないけど、このひとといると自分が萎縮をしてしまう。それは、相手が脅迫者である可能性が高い。なぜだかわからないけれど、このひとといると自分は未熟な存在だと感じることが多い。それは、相手が尋問者である可能性が高い。なぜだかわからないけど、このひとといると分離感、疎外感、孤立感を感じてしまう。それは、相手が傍観者である可能性が高い。なぜだかわからないけど、このひとといると罪悪感が堆積する感覚がある。それは、相手が被害者である可能性が高い。

 

幼少期、こどもは、相手の関心をひくために、あらゆる手段を駆使する。そして、一番効果的だったものが、その後の人格形成に強く影響する(らしい)。ありそうな話だ。この話を読んで、思った。誰かを支配しようとしている時点で、ダメだ。支配することも、支配されることも、自由から離れる。私は、愛と自由は同義だと思っている。愛は、ひとを自由にするものだ。それは「ひとりでも生きていけるようにすること」だと思う。支配は、する側も、される側も、愛を引き離す。では、ひとりで生きていけるようになるために、必要なことは何か。それが『自分を知ること』だと思う。自分のコントロールドラマを知り、相手のコントロールドラマを知り、それに巻き込まれるのではなく、それらを統合する。支配される道ではなく、自由になる道を、心が楽になる道を、愛を解放する道を、統合することだ。

 

note.mu

 

わたり文庫『聖なる予言』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、J・レッドフィールド著作『聖なる予言』です。こちらの本は、大阪在住の方から「わたり文庫にぜひ」と、寄贈していただいた一冊になります。スピリチュアル本に見えますが、それだけじゃない『地に足のついた知性』を感じる、素晴らしい一冊だと思います。素晴らしい作品に出会った人間には、責任が宿る。それは、また別の作品を探すことではなく「自分が見た感動を、自分の生き方に反映させる」ことだと思います。自分という作品を、完成させることだと思います。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、大阪府にわたりました ※※※

 

今、ふと心に浮かんだことを言っておきます。あとでもっとよく、わかると思います。あなたの美に対する感覚で、あなたの行くべき方向を決めなさい。あなたに答えをくれる場所や人は、他よりもずっと輝いて魅力的に見えます。

J・レッドフィールド『聖なる予言』【角川文庫】

 

俺は、俺という作品を完成させるから。

感謝という言葉がある。そして「感謝を強要されることで、奪われるエネルギー」がある。嫌な仕事をやっている人間が、仕事があるだけで感謝だと思い込もうとするほど、次の一歩を踏み出せなくなる。感謝をしている対象に、自分の人生が支配される。その感謝が、心を自由にするものならば、大歓迎だ。だが、無理やり「感謝しなくちゃ」という感じでされる感謝は、隷属と同義だ。親に学費を出してもらったから、無駄にしないために就職しなくちゃ。とか。これだけのことをやってもらっているのだから、感謝しなくちゃ。とか。誤解を恐れずに言えば、感謝をすることが、あなたの生きる力を奪っている。感謝するほど「それがなければ、自分は生きることができないのだ」という無力感を、自分の内側に築きあげてしまう。

 

私は、提案したい。否定的な考えに囚われているとき、それは「罠にはまっている」だけだ。自分が、命が、自分をダメだと思うはずがない。自分はダメだ。自分は無力だ。自分は無価値な人間だ。そういう言葉が出てきたとき、それを振り払うには「これは全部罠なのだ」と思うことだ。罠は、あまりにも日常に多く潜んでいるから、油断をしているとはまる。支配的な思考、支配的な慣習は、世の中に蔓延している。そんなときこそ、素敵なあの人を思い出そう。自分が、心の底から「大好きだ」と思える人を思い出そう。彼らは、絶対、あなたを不幸にさせるようなことを言わない。逆に、あなたの心が軽くなる道を、あなたの心を自由にする道を、あなたにもなにかをやれそうな気持ちにさせる道を、言葉だけではなく、態度で示していたはずだ。愛は、ひとを自由にする。信じるべきは、その光(真理)だ。

 

俺は俺という作品を完成させるから、お前はお前という作品を完成させてくれ。一番の応援は、頑張れと言われることよりも「共に生きる」ことだと思う。それは、併走する感覚と似ている。だから、私は、願う。俺は俺という作品を完成させるから、お前はお前という作品を完成させてくれ。他の誰かじゃない、あなたがあなたであるほどに素晴らしいのだ。自分が自分であるほどに素晴らしいのだ。だから、負けないでくれ。周囲の支配に。そして、なによりも「自分が、自分を支配する」思考に、慣習に、負けないでくれ。自分を信じることは、自分の『好き』を信じることだ。だから、私は、あなたのいちばん星になりたい。そんな名刺を作ろうかなと思っちゃうくらい、なりたい。この言葉のダサさが気に入っている。あなたのいちばん星になりたい。自分にとってのいちばん星は、もちろん『あなた』である。

 

 

https://www.instagram.com/p/B43JEWsgl-h/

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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幸せとは、手をつなぐこと。

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尼崎のカフェドクリエにいる。昨日、間違えて(?)徹夜をしてしまった。幸せにあふれすぎて、眠れなかった。人間は、幸せなとき、幸せオーラを出していると思う。このオーラは、それに触れた人間も「なんだかいい感じ」にしちゃう力がある。自分が幸せでいることが、一番の、社会貢献だと思う。自分が大事だと思うひとには、完璧を望まない。不完全でいいから、楽しそうに生きていて欲しいと思う。そのひとが生きていてくれる、そのことが、とんでもなく嬉しいことなのだ。

 

 

おおまかなスケジュール

11月16日(土)以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます!)
11月22日(金)19時 Agape 単独ライブ@大阪市心斎橋「
5th-Street
11月23日(土)以降、人生的にFREE!(愛媛に行きたい!)

連絡先・坂爪圭吾
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ibaya.hatenablog.com

 

嫌いだったものを、好きになるとき。

私は、ずっとギターが嫌いだった。理由は「他人の曲を、上手に弾けなかったから」だ。うまいひとを見ると、ああ、彼のようにギターは弾けないだろうなと思った。その負い目が、形を変えて「自分はダメな人間だ」と、自分に突き刺さった。ギターを弾くほど、自分のダメさが露呈をして、音楽を、自分を嫌いになった。しかし、不思議なことに、ギターは常にそばにあった。自分より才能ある人々が次々と楽器をやめるなか、なぜか、自分の側にはギターがあった。そして、いま、自分は音楽をやっている。33歳という、世間的には遅すぎる感じのスタートだった。

 

自分で曲を作るようになって、はじめて、ギターを好きになった。これまで他人との比較でしかなかった音楽が、はじめて、絶対的な自分のものになった。他人の曲をやる限り、優劣が生まれる。永遠に負け続ける。だが、自分の曲を作れば、自分が正解になる。うまいも、へたも、関係ない。これが自分の歌なのだから、自分が、そのまま正解になる。それ以来、ギターは「自分を表現するための相棒」になった。音楽を好きになれたことは、とても、とてもうれしかった。曲を作れば作るほど、ああ、これが自分なのかと合点がいった。いい曲もあれば、駄作もある。駄作がほとんどと言ってもいい。だが、時折、キラリと光る曲が生まれる。その瞬間「ああ、自分にもこんな部分があったのか」と、音楽によって引き出される自分に、出会うことができる。自分との邂逅。それは、過去が肯定された瞬間だった。

 

きっと、音楽だけじゃない。人生も同じだ。誰かの人生を生きる限り、ぎこちなさ、違和感、敗北感や劣等感は、つきまとう。誰かのようになんて、生きなくていい。器用になんて、生きなくていい。自分は、ただ、自分の歌を歌えばいいのだ。誰かの歌を歌う必要は、ない。だって、その歌は、本人が一番上手に歌うのだから。幸せの模倣をするよりも、自分は、自分が思う幸せを生きればいいのだ。周囲が見たら「へたくそな歌」と言われる歌でも、自分が、その歌を歌っている間だけは幸せでいられる(自分でいられる)歌を、歌うべきだ。自分以外の何者かになろうとすることは、自殺と同じだ。俺が聞きたいのは、誰かの歌ではない。自分の歌だ。あなたの歌だ。それが聞きたいのだ。自分にも、他人にも「自分を殺さないでくれ」と、勝手に思う。自分が、自分であることに価値があるのだ。自分が自分の歌を歌うとき、はじめて、自分を、自分の人生を愛することができるのだと思う。

 

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「snows」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

もしも太陽が昇るなら もう一度だけ奥歯を噛んで
明日世界が終わろうとも 君のもとへスピードをあげて

今日の君はもう 明日には取り戻せない
そんなことは もう わかってるさ そんなことわかってる

雪の数 雪の数
あの日泣きながら 交わした 交わした
雪の数 雪の数
君の祈りは 儚くて 綺麗だった

天から幼い水晶が 黒く汚れた僕の体を
白い天使はガーゼのように 優しく温かく僕を包んだ

この瞬間はいつも 最初で最後だよ
今だけさ よく見ていろよ 今だけさ 見ていろよ

雪の数 雪の数
あの日泣きながら 交わした 交わした
雪の数 雪の数
君の祈りは 儚くて 綺麗だった

骨身も削った 血も噴き出した
悲しい嘘も 叶わなかった夢も
掻き集めて 燃やし尽くしたよ


君に続く道を 照らせ

雪の数 雪の数
あの日泣きながら 交わした 交わした
雪の数 雪の数
君の祈りは 儚くて 綺麗だった

雪の数 雪の数
星の数 夢の数
君の数 僕の数
雪の数 雪の数

二人の 祈りが 大地を 包んだ

君の数 僕の数
雪の数 雪の数

 

note.mu

 

幸せとは、手をつなぐこと。

引き続き、関西でチケットの手売り活動をしています。なにかあればお気軽にご連絡ください。宿も予定も安定の未定です。前回の記事で「引き寄せの法則より、押し寄せの法則!」と書きました。結局、同じことだとは思うのですが、押し寄せてよかったなあと初日から思えた自分は幸せです。2日目。尼崎は快晴。必要とあらばなんでもやりますので、是非、関西の方はご連絡ください。なにもなければ、さすがにちょっと眠いので、適当な公園で寝ます。ギターを抱き枕にして、寝ます。

 

生きていると「自分でもびっくり!」みたいなことが、稀に起きます。しかし、冷静に考えると、自分でもびっくりじゃなくて「自分こそびっくり!」を狙うべきではないのか。周囲はびっくりしているけれど、自分は冷静。これは、実際、退屈だ。手癖で生きるのではなく、自分が自分を面白がらせること、自分が自分を驚かせることを、日々に取り入れることが充足の秘訣なんじゃないか、などと思いました。お客様満足なんて言葉もありますが、一番のお客様は自分である。これだけは、絶対に、譲れない。逆に言えば、自分が自分を100楽しませることができているとき、周囲にも「80くらいは、楽しさは伝染しているもの」だと信じたい。

 

snowsという曲に「今日の君はもう、明日には取り戻せない」という歌詞があります。似たような毎日が続いたとしても、それは絶対に同じではなく、今日という日は、今日で最後。明日には、二度と取り戻せない時間を生きている。そのことを強く思えば思うほど、大事にしよう、過ぎ去る前に、命を燃やしていこう。そういう気持ちになります。過ぎたことを悔やまないために、人間にできることなんて、いまを精一杯に生きることしかないのではないか。逆に言えば、いまを精一杯に生きた記憶は、未来永劫、残り続けるのではないか。すべては流れていく。いまはあたたかな掌も、やがて、熱を失い冷たくなる。すべてに終わりの瞬間がある。だからこそ、言いたいことは言おう。やりたいことはやろう。心を込めて踏み出したすべてに、愛がないとは言わせない。それはもう、愛でしかないのだと思います。いまを精一杯に生きることが、人類に最後まで残された、愛の表現なのだと思います。

 

 

https://www.instagram.com/p/B44QZabgVOm/

自由とは、恐れがないこと。愛も、同じことだろう。

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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すべては許されている。

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11月22日(金・いい夫婦の日)に、大阪の心斎橋でAgape単独ライブがあります。明日15日(金)の夜には関西に入るのですが、宿がありません。もしも、坂爪圭吾を泊めてくださる方がいらっしゃいましたら、ご連絡をいただけたら幸いです。さすがに連泊は申し訳ないな、と思うので、一晩だけで本当にありがたいです。22日だけ宿泊先が決まっています。「この日なら大丈夫だよ」などありましたら、よろしくお願いいたします。ライブ参戦者も、絶賛募集中です。手売りもしているので、チケットが欲しい方には、直接お渡しに伺うことも可能です(残り7枚!)。

 

※※※ 11月15日(金)のみ、宿泊先が決まりました!万歳! ※※※

 

 

おおまかなスケジュール

11月15日(金)18時頃 新大阪駅到着以降、FREE!
11月22日(金)19時 Agape 単独ライブ@大阪市心斎橋「
5th-Street
11月23日(土)以降、人生的にFREE!(愛媛に行きたい!)

連絡先・坂爪圭吾
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ibaya.hatenablog.com

 

泣く道を選ぶか、笑う道を選ぶか。 

宿もないくせに関西に行く、その、最大の理由は「なんでもやるからチケットを買ってください」と、みなさまにお願いにあがるためです。だがしかし、現状、何一つ予定がございません。1時間前行動前ならぬ1週間前行動になりますので、時間だけならたらふくあります。是非、この機会に「それならこれをお願いしちゃおっかな♬」などあれば、お気軽にご用命ください。スピリチュアル業界では引き寄せの法則なんて言葉もありますが、引き寄せの法則に対抗しない形で『押し寄せの法則』を採用したい、坂爪圭吾。押し寄せの法則とは、呼ばれてもいない癖に一方的に押し寄せることで「なにか起これ」と願う、場当たり的な在り方を意味します。

 

泣く道を選ぶか、笑う道を選ぶか。置かれた状態を変えることはできないけれど、置かれた状態の意味(解釈)だったら、変えることができる。それならば、喰えないバンド稼業をやっている自分に同情するより、置かれた状態を楽しみ、笑いに昇華し、なんなら「売れない時期を過ごせるのも、いまだけ(来年の今頃には売れっ子になってやるぜ、ヘッヘッヘ)」くらいのふてぶてしさと共に、邁進したいものです。とは言いましても、金がない現実は変わりませんので、最近は卵三つに大量の玄米(+醤油)を乗せたTKGを連日貪っています。売れっ子になるのが先か、栄養失調が先か。人生を賭した戦いは、まさに、この瞬間も続行中なのであります。

 

あるのに元気は、当たり前。ないのに元気が、新しい。そんなことを思って、家も金も仕事もなくても人間は生きられるのか的な日々を数年間過ごしました。時は流れ2019年、秋。音楽をはじめた私は「うまいから元気は当たり前。へたくそなのに元気が新しい」と、まったく成長をしていない形で、初の関西単独ライブを迎えることとなりました。技術だけではない何か。合言葉は、技術だけではない何かでございます。とてもじゃないけれど、人様に誇れるような生き方をすることはできませんでした。ただ、同じ時代の別の場所で「あんな生き方をしている人間もいるんだよな」と思いを馳せることで、ふわっと心が軽くなるような、なんだかちょっと許されちゃった気分になる、そんな存在であれたらななどと思うものであります。

 

note.mu

 

わたり文庫『イリュージョン』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、リチャード・バック著作『イリュージョン』です。ドナルド・シモダという名前の、元救世主は言いました。どうか言わせてもらいたい。どうしても自由と喜びを手に入れたければ、それは自分以外のどこにもありはしないよ。そうじゃないかい?自分には自由も喜びもある、そう思えば、あるんだ!そう振舞えば、自分のものになる!リチャード、いったいなにがそんなに難しいんだろう?だけど、人々は耳を貸そうともしなかった、ほとんどの人がね。奇跡なんだよ ー 。ご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には、70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、沖縄県にわたりました ※※※

 

「たぶん、あなたにはおわかりなんでしょう」と、彼は言った。

「わたしたちは同胞のために生きなければならない、とキリストは言っておられる。だが、キリストの敵はこう言うのだ、利己的であれ、自分のために生きよ、ほかの人間たちを地獄に落とせとね」


「地獄とはかぎりません。天国もあるし、ほかのどこへでも、好きなところへ行っていいのです」

「あんたは危険人物だ、わかっているかい、ミスター?皆があんたの話を聞いて、やりたいことをやりだしたら、どういうことになるのか?いったいどうなると思う?」

「ここらあたりの銀河系のなかでは、いちばん幸せな惑星になるでしょう」と、彼は言った。

リチャード・バック『イリュージョン』【集英社文庫

 

すべては許されている。

私には、人生の羅針盤にしているものがあります。それは『嬉しさ』という感情です。昔から、お金を稼ぐことが苦手でした。売る・買うという関係性より「あげる・もらう」という関係性に、自然を感じました。高校時代、生まれて初めてやったバイトはコンビニの店員でした。時給は、新潟だったので630円でした。5時間働いて3000円程度でした。お金を稼ぐのは、こんなに大変なことなのか。そう思いました。自分の命を切り売りしているようで、こうまでしなきゃ生きていけない世界を生きていきたくないと思い、そうじゃない生き方を模索するようになりました。結果、現在のような、よくわからない生き方に着地をすることになりました。

 

正しくないと、生きていけない。そう決めつけていた私は、四苦八苦しながら仕事を転々としました。ですが、やはり、なにをやってもうまくいかない。うまくいかない自分を眺めて、最終的に「俺は、嬉しくないと生きていけないのだ」と思いました。逆に言えば、嬉しさを感じた瞬間があったからこそ、死なないでいられたとでも言いましょうか。自分を取り戻すことができたとでも言いましょうか。命を切り売りしている感覚は、自分を猛烈にすり減らしました。しかし、それとは別の「命をやりとりしている」関わり合いには、生きている手応えを感じました。それ以来、私は『嬉しさ』を人生の羅針盤にすることを決めました。世間的には正しいと言われていることでも、自分の心が『嬉しさ』を感じないことは、徹底的にスルーをしました。しかしながら、世間的にはどれだけ間違っていることだとしても、自分の心が『嬉しさ』を感じたものならば、徹底的に採用をするようにしました。

 

嬉しさは、あたたかさとも言えると思います。私は、あたたかい言葉を、信じたいと思う生き物であります。正しくても、冷たい言葉は、世の中にたくさんあると思います。生きるためには仕方ないとか、みんなそうやって生きているんだとか、冷たい世界を強要される場面は、無数にあると思います。しかしながら、ここは開き直りの思考とでも言いましょうか、そんなんじゃ生きていけないよと叱責されたときは「そうまでして(自分の心を殺してまで)生きていたくないよ」と、言葉を返すようになりました。そんな生き方をはじめて数年、非常にありがたいことに、私は、生きることができています。これを、非常にありがたいことだと感じています。そして、いま、私は「自分を縛っていたものは、自分だったのだ」と思うのであります。本当は、最初から、すべて許されていた。自分を縛っていたのは、自分だったのです。チケットの手売りも「ノルマを達成しなければいけない」という前提からはじめると苦行になりますが、そもそもで、人が見に来てくれることはうれしいことなのだ、と思えばこそ、よろこびに繋がるものだとおもうのであります。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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虫けらのように生きても、春は来る。

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横浜駅ドトールにいる。自分探しという言葉がある。あるいは、自分ブランディングなんて言葉もある。私は、この、どれにも馴染むことができない。自分とは、探すものでもなければ、築くものでもない。それは、きっと壊すものだ。これが自分だと思っていたものを、壊すこと。それは、古い自分を一回殺し、新しい自分に生まれ変わること。ああ、こんな自分がいたのか、と。おお、こんな自分もいたのか、と。新鮮な驚きと共に過ごす日々を、生きるというのではないだろうか。

 

 

おおまかなスケジュール

【現在開催中】 Agape「与える喜びを与える喜びツアー(通称・AYA)」
【現在開催中】 Agape 千が平塚から大阪まで歩きはじめる「東海道五十嵐次」

11月22日(金)19時 Agape 単独ライブ@大阪市心斎橋「
5th-Street

🌸🌸🌸
すべての企画で参加者募集中です🌸🌸🌸

SCHEDULE on 
http://urx2.nu/xkMu 

 

ibaya.hatenablog.com

 

結果は、燃えカスみたいなもの。

このひとと話していると、自分の感性が刺激される。そう思える人との出会いは、幸福だ。昨日、K様と会った。K様は「結果は、燃えカスみたいなもの」と話す。この言葉を聞いたとき、あなただったら、どういう感情を抱くだろうか。燃えカスという言葉に、ネガティブな印象を覚えるだろうか。私は、K様の、この言葉が大好きだ。気持ちが楽になると同時に、スッキリする。誤解を恐れずに言えば「あなたは愛されている」と言われるより、よっぽど、楽しくなる。なぜだろう。愛は、少し、重い。それよりも、全部は燃えカスみたいなものなんだよと言われる方が、清々しい。笑顔になれる。それは、永遠の命と言われるよりも「俺たち、死ぬよ」と言われた時の、ハッとすると同時に地に足がつくような、あの感じに似ている。

 

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「丸腰中年団のテーマ」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

成功なんかない 失敗なんかない
お金もそんなない 丸腰で行くぜ

目標なんかない 後悔なんかない
年甲斐なぞもない 丸腰で行くぜ

I wanna be an adult
大人になりたかった
who can be a child
こどもになれる大人に

わがままでもいいよ 間違ってもいいよ
いつか行くぜあの世 丸腰で行くぜ

I wanna be a human
人間になりたかった
who can be an animal
動物になれる人間に

わがままでもいいよ 間違ってもいいよ
いつか行くぜあの世 丸腰で行くぜ

 

燃えた首里城の話をした。もし、悪意をもった人間が犯人だとしたら、犯人は、勝ったのだろうか。それとも、負けたのだろうか。全焼させたという点においては、犯人の勝ちだ。しかし、あのように立派な燃え方をしてみせた(なんなら、その後に数億円の寄付金を獲得した)首里城は「圧勝した」とも言える。なにが勝ちで、なにが負けか。それは、各自の美学に依るだろう。成長も、成功も、失態も、失敗も、燃えカスみたいなもの。大事なことは燃え方だ、なんて締め括ることは安易に過ぎる。だが、当たり前のことだが、私たちは、いましか生きることができない。

 

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「ブラボー」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

足並み揃え おれだけドボン 
なんでおれだけ 傷だらけなんだ

血と涙 血と涙 血と涙だけが人生だ

しゃれになんねえ 笑えねえよ 神も仏もありゃしねえのかな
だったら ねえ しかたがねえ 今世は諦めてください

おお、なんて、ブラボー! 人間界のルール無視して
おお、なんて、ブラボー! 金持ちばかり喧嘩してる

なにしたって文句言われんだ 何の役にも立ちやしねえと
代わりはいくらでもいるんだ だから おれたちは 既に自由だ


ムシケラと呼ばれても おれたちは最初から 虫の息
「でも、生きているぜ」 おお、なんて、ブラボー!

足並み揃え やっぱりドボン
なんでこんなに 欠陥(あな)だらけなんだ

傷つけて 傷ついて 避けらんねえ 業を抱え GO

我慢なんねえ しゃらくせえよ 善悪も清濁もありゃしねえ
だったら ねえ 逝くしかねえ この世のしがらみよ サヨナラ

おお、なんて、ブラボー! 揺籠から墓場まで おままごと
おお、なんて、ブラボー! 居心地悪い イスに座る

なんにもねえところからきて なんにもねえところまで行くのだ
よろこびはどこからやってきて かなしみでどこまで行けるのだろう


なんにもないおれたちも まだ未来があるなんて聞いたよ
「なら、生きてやるぜ」 おお、なんて、ブラボー!

おお、なんて、ブラボー! 淀みに浮かぶ 不束者よ
おお、なんて、ブラボー! 無傷のままじゃ 生きちゃいけねえ

なにしたって文句言われんだ 何の役にも立ちたかねえ もう
代わりはいくらでもいるんだ だから おれたちは 常に自由だ


おむかえを呼ばれても ボロボロになりながら 最後っ屁
「まだ、生きているぜ」 おお、なんて、ブラボー!

なんにもねえところからきて なんにもねえところまで行くのだ
汚れちまってる悲しみも よろこびも 全部 引き連れて GO


ゴミクズと呼ばれても おれたちは最後まで 不燃ゴミ
「だが、燃え尽きてやるぜ」 おお、なんて、ブラボー!

 

今、7人組のバンド活動をしている。K様曰く「全員が100%信頼し合っている集団はカルトっぽいから、全員が、全員に3割くらい不満を抱えているくらいでちょうどいいと思うよ」と言った。鋭い指摘だ。逆に言えば、その3割が命綱になる。集団行動が苦手な人間が、7人も集まって集団行動をしている。この時点で「奇跡的だな」と思う。集団行動を避ける人間は、多分、本能的に全滅のリスクを避けているのだと思う。全員が同じ行動をすると、なにかあったとき、全滅する。そのとき、命綱になるのが『残りの3割』の部分だ。歌いながら、まるで哭いているみたいだなと思うことがある。自分の中の動物的な部分が、呻き声をあげている。それは「悲しいよ」という言葉を経由して、常に「生きたい」と叫んでいる。

 

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 「tinc tura」 作詞 Keigo Sakatsume 作曲 Yasuko Kosuge

西の雲に 溶けていく
ひかりは 絶え間なく

過ぎた日々の 面影を
映した 星空

あいにきて いますぐに
とまらない おもい 抱いて

あいにきて いますぐに
あふれだす おもい 抱いて

ティンク トゥーラ

雨宿りをして行こう
夜空に 見えた 虹

大空まで 手を 伸ばす
いつまでも このままで

 

 

わたり文庫『邂逅の森』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、熊谷達也著作『邂逅の森』です。素晴らしい一冊だと思います。ご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には、70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、石川県にわたりました ※※※

 

 「人間てのは、お天道様と一緒に生きていくべき生き物だって、俺ぁ思うんだ。今までさんざん日陰を歩いてきた俺だけどよ。お天道様に逆らった生き方をしちゃ、ろくな死に方が待ってねえ。今回の雪崩で、骨の髄までそれがわかった。ありゃあ、神様が俺たち人間に天罰を下したに違えねえんだ」

熊谷達也『邂逅の森』【文春文庫】

 

虫けらのように生きても、春は来る。

シュタイナーの思想に興味がある。浅学だが、彼は、世界を物質界と霊界に分けて考えた(らしい)。物質界と霊界の間にあるものが色と光と熱で、物質界に一番近く、同時に霊界にも通じているものが『色』だ。色には、表面に固定された色と、物質から離れて浮遊している色がある。前者をピグメント、後者をティントゥーラと言う。空、水、虹、夕焼け、これらは全部ティンクトゥーラになる。青い海の水を掬っても、手の中に残るのは透明な液体。海の青を、掬い取ることはできない。掬い取ることはできないけれど、確かにそこにある色をティンクトゥーラと言う。

 

朝焼けの空のグラデーションが好きだ。モネの絵画のように「向こう側の世界」を感じさせる。美しい音楽に触れた時も、同様に「向こう側の世界」を感じる。日常生活の中で、忘れがちになっている世界観が、沁み渡る。掬い取ることはできないけれど、確かにそこにある『色』。私の好きな色は、青と、赤だ。そして、金色に憧れている。自分が好きな色は、自分の「足りないもの」を暗示しているらしい。青を好み、赤を好み、金色に憧れている自分は、いったい、何色なのだろう。きっと、自分に、色はない。自分自身は常に透明で、それは、水のようなものだ。なにに交わるか。なにを取り入れるか。それが、瞬間瞬間の自分を織り成すのだろう。

 

生き方に正解はない。だから、生き方に間違いもない。私は、書くこと、歌うこと、生きることを通じて「自分の中にある純粋な部分を、守り続けている」感覚がある。この部分に、どれだけの価値があるかはわからない。ただ、この部分があったからこそ、素晴らしい出逢いに恵まれた自負はある。自分が自分であり続けたからこそ、出逢えたよろこびがある。それは、これまでの人生をまるごと肯定するほどの、おおきな力だ。生き方に正解はない。ならば、生き方に間違いもない。どう生きてもいいし、みな、好きなだけ汚れる自由がある。自分という人間が水のようなものだとすれば、どれだけ汚れても、水は水のまま、常に、そこにある。だから、安心して汚れればいいのだと思う。安心して、燃えていけばいいのだと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

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死ぬことに、護られている。

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鎌倉駅にいる。音楽をはじめてから「彼はミュージシャンなのよ」と言われる。別に嫌じゃないが、微妙だな、とは思う。彼はミュージシャンだと言われるより「彼はミュージックだ(He is music)」と言われた方が腑に落ちるし、なんなら「私たちは音楽だ(We are music)」と言われた方が、的確だ。音楽家になりたいのではなく、私は、音楽そのものになりたい。もっと言えば、楽器を弾ける弾けないに関わらず、私たちひとりひとりは音楽みたいなものだ、ということを思い出したい。

 

 

おおまかなスケジュール

【現在開催中】 Agape「与える喜びを与える喜びツアー(通称・AYA)」
【現在開催中】 Agape 千が平塚から大阪まで歩きはじめる「東海道五十嵐次」

11月22日(金)19時 Agape 単独ライブ@大阪市心斎橋「
5th-Street

🌸🌸🌸
すべての企画で参加者募集中です🌸🌸🌸

SCHEDULE on 
http://urx2.nu/xkMu 

 

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輪郭のない世界。

数年前、ピアノとフルートと、即興で音を合わせる機会があった。私は、適当なコードを弾いた。熟練者であるピアノ奏者とフルート奏者が、それに合わせて音を重ねた。音楽をやっているひとならわかると思うが、稀に、奇跡とも呼べるような音の重なりが生まれることがある。それは、まるで「別の次元に引き上げられる」感覚を残す。これ以上に気持ち良い瞬間はないのではないだろうか、という驚愕に、私は、震えた。泣きそうになった。魂が震えた。素晴らしい音楽は「彼岸(輪郭のない世界)」を感じさせる。音楽に限らず、美とは、そういうものだ。あっちの世界を、こっちの世界で感じさせるものを『美』と呼ぶのだろう。逆に言えば、こっちの世界に終始しているものは、魂を動かさない。頭を動かすだけで、終始する。

 

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「恋の花」 作詞 Keigo Sakatsume 作曲 Yasuko Kosuge

不思議な 世界を 旅して
雨音の うえを 泳ぎ出す

いつかは消えてくあなたの
笑顔も 涙も

刹那に 流れた 想いが
永遠に 空を 駆け廻る

飛び跳ねていた 季節も

恋のはなびらに舞う 運命を背負って
誰にも見えないまま あたしが踊るの

幸せの 箱で 泣いてる
小さな あたしが 泣いている

扉を開けたら 命が 踊り出す

あたしが 見ている 間は
あなたは あたしの ものでしょう

汚された 記憶も

涙から 枯れ落ちた 風に舞う あたし
あたしも知らなかった あたしが踊るの

恋のはなびらに舞う 運命を背負って
誰にも見えなかった あたしが踊るの 

涙から 枯れ落ちた 風に舞う あたし
あたしも知らなかった あたしが踊るの

 

花がある。この世で花が枯れたとき、あの世で花が咲くのだと思う。あの世で花が枯れた時、この世で花が咲くのだと思う。死んだ人にも届けることができるもの。それは『花』だ。だから、墓場に花を添えるのだと思う。言葉もまた、死んだ人に届けることができる。その瞬間、言葉は『詩』になる。だから、葬式の時にお経を読んだり、歌ったり、祈りを捧げるのだと思う。捧げるということに、音楽の本質があるように思う。自分の身を通じて、目には見えないものに自分を捧げる。それは「俺は、俺だ」という風に自分の輪郭を明確にする行為とは真逆で、自分を透明にする行為、自分が消えてなくなり、おおきななにかとひとつになろうとする行為だと思う。古くは、宗教的な儀式で、そのような営みは行われていたのだと思う。

 

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「flow-er」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

悲しいこともあるのに 大丈夫!と笑って
息も止まるほど 恋をして

足りないもの数えて キリないとか言うけど
終わりないもの 求めてる

それでよかった ふたり
なにもなくても
懐かしい未来(いま) 抱えていける

楽しいこともあるのに 切ない!とか笑って
世界のやさしさ 覚えたよ

結末だけ夢見て あとは全部投げ出した
恥ずかしがり屋 信じてる

あいも変わらず ぼくら
息をしてる
純粋なまま 汚れていこう

悲しいこともあるのに 大丈夫!と笑って
息も止まるほど 恋をして

足りないもの数えて キリないとか言うけど
終わりないもの 求めてる

それでよかった ふたり
なにもなくても
懐かしい未来(いま) 抱えていける

あいも変わらず ぼくら
息をしてる
純粋なまま 汚れていこう

 

ギターを弾いている時、稀に、自分とギターの境界線が溶けて、自分が音楽そのものになっている感覚を覚える。自由とは、やりたいことをやれる状態というよりも「自分が消えてなくなっている」状態ではないだろうか。自分がゼロになり、同時に、全部が自分になる。作詞をするときは、いつも『死』を想う。死を想起させないものに、どうやら、自分の心は動かないみたいだ。自分が笑えているときは、死んだひとも一緒になって笑っているのだと思う。自分が悲しんでいるときは、死んだひとも一緒になって悲しんでいるのかもしれない。生きている間だけ通用するものではなく、死んでもなお残るもの、死んでもなお届くものを、遺したいと思う。

 

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「We are blessed」 作詞 Keigo Sakatsume 作曲 Yasuko Kosuge

晴れた日に 星を見たような
透き通る 白い息

見たこともないような 青
この空に 描く夢

遠く 遠く 降り注ぐ 光たち

雨の日に 虹を見たような
やがて 消えて行く ぼくたちを 照らす日を

We are blessed
We are blessed

見たこともないような 青
この空に 生きる

We all are blessed in delight

 

note.mu

 

死ぬことに、護られている。

油断をしていると「皮膚の内側が自分(皮膚の外側が自分以外)」という世界の認識をする。だが、本当にそうだろうか。海に泳ぐ魚。それを食べた私は、私のままなのか。魚も、私になるのか。自分は魚でもあるとは言えないのか。自分の体内には、無数の菌が生息している。臓器は自分のものでも、菌は自分のものではないのか。もっと言えば、心臓は、自分の意思とは関係なしに躍動を続けている。自分の意思とは関係なしに動くものを、果たして「自分のもの」と言えるのだろうか。自分が動かすことのできないものを、いったい、なにが動かしているのだろうか。それを『命』と呼ぶのではないのか。命が、私たちを動かしているのではないのか。

 

不幸は分離感、幸福は一体感だと思う。私たちは、それぞれの命を生きているというよりは、ひとつのおおきな命を生きているのではないだろうか。他人だと思っていたものも、実は「もうひとりの自分」なのではないだろうか。私はあなたの代わりに生きていて、あなたは私の代わりに生きている。そういう風に、世界を捉え直すこともできるのではないだろうか。自分の体験は、自分固有の体験ではなく、人類全体の体験になるのではないか。自分という人間が挫折するとき、それは、人類全体の挫折になるのではないだろうか。自分という人間が勇気を獲得するとき、それは、人類全体の勇気につながるのではないか。だとすれば、ひとは、本当の意味でひとりになることなど、できないのではないか。など。空想は、広がっていく。

 

私は、多分、死ぬことに安寧を見出しているのだと思う。それは「死にたい」ということではない。人は必ず死ぬ。そう思うことが、生きることをシンプルにする。自分のやるべきことを明確にする。自分は、ただ、自分が死んでも残り続けるものに、自分の命を捧げればいいのだ。死なないように、死なないように、死なないように生きたとしても、最後には、死ぬ。人生とは、死なないために生きることではないと思う。逆だ。死ぬために、生きるのである。死ぬ準備を整えるために、生きるのである。理想の生き方と、理想の死に方は、酷似している。全然関係ないが、女心に家があると『安心』になる。自分は弱い男だから、死ぬことを、まるで故郷のように、再び母体に戻るような感覚で、安心感の源にしているのかもしれない。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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人生とは、自分を楽しませることである。

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表参道駅前のドトールにいる。昨日、壇珠さんとのトークイベントで「自分も文章を書きたいのだが、書いているうちに何が言いたいのかわからなくなったり、ひとにどう思われるかが気になって書けなくなることがある。坂爪さんは、どうやって書いているのですか?」と問われた。私は、自分を楽しませるために書いている。お客様満足なんて言葉もあるが、世界でいちばんのお客様は自分だと思う。書きながら、自分が楽しくなれる文章を書けているとき、それは『よい文章』だと思う。

 

 

おおまかなスケジュール

【現在開催中】 Agape 坂爪圭吾の「与える喜びを与える喜びツアー(仮)」
【現在開催中】 Agape 千が平塚から大阪まで歩きはじめる「東海道五十嵐次」

11月22日(金)19時 Agape 単独ライブ@大阪市心斎橋「
5th-Street

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すべての企画で参加者募集中です🌸🌸🌸

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ibaya.hatenablog.com

 

おとなは、みんな、機械になっちまった。

壇珠さんが好きだ。まず、声が綺麗だ。心が綺麗じゃないと出ない声だ。言葉が鋭い。鋭いと言うか「本当の響き」を感じる。実感を伴った言葉だけを話すから、空っぽじゃない。ぎゅうぎゅうだ。血が通っているし、温度がある。温度がある。これは重要なことだ。もっともらしいことを言っているようで、冷たい言葉は多い。こどもの声は、温度がある。おとなになるほど、温度は薄れ、機械音のようなノイズになる。機械音は、周囲の体温も奪うから危険だ。機械音は「なにもできないお前には価値はない」的な周波を発する。それに対し、自然音は「命そのものに価値がある」的な周波を発する。本当の響きは、それに触れた人間の体温をあげる。

 

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「ねえ」作詞・作曲 Keigo Sakatsume

俺のこどもたちが おとなになる頃に
君のこころまでも おいていかないように

美しいままでは 生きられないからね
涙が出るくらい きれいになりたいね

ここで死ぬなら それまでのことだよね
まだ生きている そのことがこたえだね

ねえ 寂しくて 悲しくて 嬉しくて 楽しくて
積み重ね 生きてるねえ 愛を求め

君は悲しいほど 優しいひとなんだね
俺は何も言わない 冷たいひとなんだね

でもいつまでも 見ているよ 君のこと
ただいつまでも 見ているよ 君のこと

ねえ 嗚咽して苦悶して 武者震いとかもして
身を売って 生きてるねえ 銭を求め

死んでしまうことに 安らぎを求めて
生きることのなかに 手応えを求めて

そういうことのすべてがね おかしくて
そういうことのすべてがね いとしくて

ねえ 情けもねえ不甲斐もねえ 勇気も金も自信も才能もねえ
それでもねえ 生きてるねえ 命よ 暴れまわれ

なにひとつ諦めず 欲しいもの取りに行け
安パイは 投げ捨てて 危ない橋を渡れ

血を晒せ肉を斬れ 骨を断ちハイになれ
このままじゃ 終わらんねえ 愛を求め

 

なにもかも失ったとき、それでも残るものに興味がある。逆に言えば、そのひとの外側に張り付いているもの、職業、肩書き、人脈、収入、資格、社交辞令などの一切に、興味をもてない。なにもかもを取っ払った後に残る『あなた』に興味があるのであって、それ以外は捨ててください。ひとと話しているとき、そんなことを思う。人間である以前の『動物』として、話ができたら愉しいと思う。自分を取り繕うことは、社会的な常識なのだろう。だが、取り繕うとは、乱暴だが「嘘をついている」ことと同じだ。嘘をつくな。私が、ひとに対して思うことはそれだ。逆に言えば、本心を聞けば聞くほど「ああ、人間と話しているなあ」という充足を得る。

 

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「ジュピター」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

強くもないし 優しくもない
ただ命の限り 踊っていたい
清くもないし 正しくもない
でもいのちの 限り生きたい

本気じゃないなら もう いらないし
たのしくないなら もう やらないし

僕にないものが君にあって
君にないものが僕にあって
必要とすることならできる
確かめ合うおなじ命がある

本気じゃないなら もう いかないし
うれしくないなら もう やらないし

死なないように 死なないように
死なないように 生きても 死ぬんだよなあ

誰のものでもない君がいて
誰のものでもない僕がいて
誰のものでもないこの星で
ふたりだけの時間を刻もう

本気じゃないなら もう いわないし
さみしくないなら もう やらないし

死なないように 死なないように
死なないように 生きても 死ぬんだよなあ

本気じゃないなら もう いらないし
だれともなにとも もう くらべない

死なないように 死なないように
死なないように 生きても 死ぬんだよなあ

死なないように 死なないように
死なないように 生きても 死ぬんだよなあ

 

おとなは、みんな、機械になっちまった。機械というのは、みんなと同じように考えて、みんなと同じように話すこと。それは「なにも考えないし、なにも話さないし、なにもできなくなる」ということだ。できることならば、あなたには、そうならないでほしい。そんなことを勝手に願いながら、私は、人間と話す。生きるのが下手だとか、不器用だとか、悪く言われることは多い。しかし、それは「不器用に生きることで、純粋な部分を守り続けている」のだと思う。純粋であることは、器用に生きることよりも、ずっと素晴らしいことだ。だから、生き辛さを悩むことがあっても、大事なものを明け渡さないで、そのままで生きていてくださいと思う。

 

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「あふれちゃん」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

伝えられなかった 思いは 何処に 行くんだ
言わずに終わるか 言って終わるのは どうだ

俺を叩けば 罪が まるでホコリみたいに
晴れた日に 舞い上がれ きらきら 光れ

悲しみ 深いほど 慰めも 深く 深く
闇が 強いほど 光もまた 強く 強く

ただ あふれる あふれる

使い込まれた 命 だから 味が出るのだ
愛ならば ある 見捨てられることはない

矛盾のなかに 俺は ど真ん中を見る
涙 流しながら 笑う 黙って 騒ぐ

胸が 苦しいほど よろこびも 深く 深く
寂しさ 抱くほど ぬくもりも 強く 強く

ただ あふれる あふれる

悲しみ 深いほど 慰めも 深く 深く
闇が 強いほど 光もまた 強く 強く

胸が 苦しいほど よろこびも 深く 深く
寂しさ 抱くほど ぬくもりも 強く 強く

ただ あふれる あふれる

 

note.mu

 

わたり文庫『ムーミン谷の名言集』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、トーベ・ヤンソン著作『ムーミン谷の名言集』です。久しぶりの再開です。私は、実は、絵本だけ読んでいれば大事なことの9割は補うことができるのではないか、という偏った思想の持ち主です。かたっ苦しい本も大量にありますが、絵本のなかに、童話のなかに、小さな頃から慣れ親しんだもののなかに、大事なことのほとんどは書かれている。私たちは、無知なのではなく、無為なだけだ。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、愛媛県にわたりました ※※※

 

だれも心配しすぎないって、よいことでした。ムーミンたちは、ほかの人のために、やたらと心配しないでいようと、決めていました。つまり、そのほうが、心配をかけたと思って良心を痛めなくても、すみます。それに、ありったけの自由をあたえあっていることにもなるのです。

 

「なんだって、できるわ。だけど、なにもやらないでいましょ。あぁ、なんだってできるって、なんてステキなことなの!」

 

「死んだら、死んだのよ」

トゥーティッキが、やさしくさとしました。

「このリスは、そのうち、土にかえるでしょ。やがて、その土から木がのびて、その木の上で新しいリスたちがはねまわるわ。それが、そんなに、悲しいことだって思う?」

 

「歌をうたい、りんごを食べ、朝寝坊を好きなだけできる自由!それこそが、人生の醍醐味というものなのさ。それと、『これは重要事項だから後回しにはできません。すぐにやるのですよ』なんて、せっつく人がいないこと。そんな人は、勝手に、好きなように、させておくのさ!」

 

「物は、自分の物にしたくなったとたんに、あらゆる面倒が、ふりかかってくるものさ。運んだり番をしたり・・・。ぼくは、なんであろうと、見るだけにしている。立ち去る時には、全部、この頭にしまっていくんだ。そのほうが、かばんを、うんうんいいながら運ぶより、ずっと快適だからねぇ・・・」

 

「ねえムーミン、友だちが、いちばん好きなことをしながら生きていけるようになるって、すてきなことじゃない?」

 

霧の夜明けでした。みんなは、庭へ駆け出していきました。八月の、ステキな一日を約束するように、東の空に、バラ色の光がさしはじめていました。

朝日がのぼるのです。新しい門が、開かれます。すばらしい可能性への、扉です。なんだって、やってのけられる新しい一日が、待ってくれています。そう、きみたち、ひとりひとりが、気づきさえしたら!

 

トーベ・ヤンソンムーミン谷の名言集』【講談社文庫】

 

人生とは、自分を楽しませることである。

洗脳という言葉は強いけど、私たちは「なにもしていない自分には価値がない」という洗脳を受けてしまっている(と思う)。私は責任感のあるツッコミ担当なので、職務をまっとうしたい。違うだろう、と。そんなはずが、あるわけないだろう。大前提として「生きているだけでいい」のであり、それ以外は完全におまけだ。我々は、地球というテーマパークに生まれてきて、閉園の時間(要するに死ぬ瞬間)まで、好きな乗り物に乗ればいい。疲れたときは、アイスを食べながら休めばいい。そして「アイスクリームがある、この世界、最高!」と思えばいいのだ。

 

なにもかもを失った時、それでも残るもの。それは『自分』だ。自分の心だ。自分とは、愛し愛された記憶であり、なにかを好きだと感じる気持ちだ。なにかをやりたいと感じる気持ち。なにかを痛いと感じる気持ち。肉体。温度。生きた記憶。光のかけら。それが残る。否、もっと言えば、最後には自分さえも消える。自分が消えたあと、それでも残るものがある。それは「大丈夫だ」というおおいなる声だ。最後の最後、自分が消えて、地球が消えて、宇宙が最後の瞬間を迎えたときに、残るものは「大丈夫だ」というおおいなる声だ。感じてみよう。心配することをやめて、想像してみよう。すべてが終焉を迎える瞬間に、かなたから届く「大丈夫だ」という声を。とかなんとか言っちゃうと、あやしい匂いがぷんぷんするとは思うけれど、私は、割と本気でこの声を感じている。私たちは、永遠に、大丈夫なのだ。

 

人生とは、自分を楽しませることである。無論、そんな気分にならないこともある。しかし、実際、そうなのだ。自分を楽しませること以上に、自分のご機嫌を守ること以上に、自分を信じる道はないのである。なにかをやる。なにかをやりながら「自分は間違っていないだろうか」などと、自分を疑うことがある。指標は、きっと、シンプルなものだ。それをやっている瞬間がどうしようもなく楽しいものならば、それは、正しい。誰かに認められるためでもなく、誰かに褒められるためでもない。自分は、ただ、自分の喜びのために。遊んで、遊んで、遊び倒して、この星を離れる切なさを、言葉に、音楽に乗せるんだよ。私は、今日も、歌う。誰かのためというよりも、自分が自分に言い聞かせるために、自分が自分に聴かせてあげるために、そして「生きて、歌えることのよろこび」を、歌い続けるのだと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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人生は、目的地ではない。旅である。

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新横浜のドトールにいる。11月4日(月・祝日)には壇珠さんとのトークイベント@東京。11月22日(金・いい夫婦の日)には、念願の『Agape単独ワンマンライブ』が大阪で開催されます。是非、遊びに来てください。ど素人の状態から音楽活動をはじめて約8ヶ月。持ち曲は215曲になった。数だけはいっちょまえだ。音楽をやるほど、素晴らしさを知る。創作の醍醐味は、ズバリ「自分を知る」ことにあると思う。自分を知るということは、自分を壊す(世界を壊す)ことでもある。

 

 

おおまかなスケジュール

【現在開催中】 Agape 坂爪圭吾の「楽しい迷惑のかけ方実践編(仮)」
【現在開催中】 Agape 千が平塚から大阪まで歩きはじめる「東海道五十嵐次」

11月4日(月・祝日)14時 坂爪圭吾×壇珠「ファンタジーの魔法の使い方」
11月22日(金)19時 Agape 単独ライブ@大阪市心斎橋「
5th-Street

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すべての企画で参加者募集中です🌸🌸🌸

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自分を壊す。世界を壊す。

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左から、稲村彰人・坂爪圭吾・保科亮太・嘉向徹(RYU-CHANはドラム)


個性的じゃない人間はいない。だから、当然、集団になれば軋轢は生まれる。Agapeは7人組で、いわゆる『強烈な個性のぶつかり合い』を、毎日のように感じる。最初は、これらをまとめる必要があると思っていたが、まとめようとするほどに苦しくなる。まとまらないから、ぶつかり合う。だが、最近、気付いた。まとめようとしなければいいのだ。ある日、こんなことを言われた。「あなたたちは、決して上手な訳ではない。しかし、上手じゃないからこそ、とんでもない奥行きを感じる」と。これは物凄い指摘だ。ついつい、なにかをはじめると『ちゃんとやらなきゃ』と構えてしまう。だが、ちゃんとやることで、つまらなくなる部分がある。

 

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「リリイ」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

ああ 遊ぶことを やすみたいなんて 思わない 
駆け出した こどもたちのように ねえ リリイ

ああ 鈴を鳴らすような笑い声あげて 風に乗って
真っ白なまま 空を飛び跳ねた はなびら リリイ

ああ ひとりもいいけど 心の隅がさみしくて
星の降る夜に 届けておくれよ ねえ リリイ

ああ 好きな人の好きな人を 嫌いにはなれないよ
真っ白なまま 枯れ落ちる前の はなびら リリイ

ああ ああ ああ リリイ

ああ 君といる 僕だけを 好きにならないよ
懐かしい 空を飛び跳ねた はなびら リリイ 

 

私が作詞作曲をした曲は多い。そうなると、必然的に「坂爪圭吾の世界観」みたいな雰囲気が、バンド全体に生まれる。前に、こんなことを言われた。「他のメンバーの役割は、坂爪圭吾の世界観をぶっ壊すことだよ」と。これは最強の指摘だ。私は、自分の世界観を表現するために、音楽をやっている訳ではない。逆だ。自分の世界観を壊すために、自分の世界観に広がりを持たせるために、音楽をやっている。そうじゃなければ、一緒にやっている意味がない。音楽は不思議だ。自分ひとりじゃ絶対に生まれなかったもの、自分ひとりじゃ絶対にやらなかったであろう音楽が、頻発する。その度に「ああ、俺にはこんな部分もあったのか」とか、思う。

 

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「おすしちょんちょこりん」 作詞 ハイパーカミオカンデ 作曲 RYU-CHAN

 

ヨーデルタイム)

たのしい
うれしい
かなしい
さみしい
きびしい
くやしい
まずしい
こいしい
たけだけしい
はなばなしい
けばけばしい
はかばかしい
みずみずしい
ふるめかしい
かまびすしい
かいがいしい
いじらしい
まどろっこしい

ぜんぶ
ぜーんぶまとめて
おすしちょんちょこりん!

ヨーデルタイム)

たのしい
うれしい
かなしい
さみしい
たのしい
むなしい
るなしい
へるしい
とげとげしい
ばかばかしい
すがすがしい
あまざらし
しらじらしい
ビタミンC
たかいらしい
そうぞうしい
ふさわしい
レガシーセクシー

ぜんぶ
ぜーんぶまとめて
おすしちょんちょこりん

ヨーデルタイム)

ぜんぶ
ぜーんぶまとめて
おすしちょんちょこりん
WAO!

 

実は、私は、この7人組のなかでは「自分が一番まともだ」と思っている。しかし、昨日、衝撃の事実が判明した。メンバー全員が、同様に「このメンバーの中では、自分が一番まともである」と思っているっぽいのだ。これは衝撃的だった。私から見ると、全員、頭がいかれている。ネジが外れている。致命的な何かが大幅に欠落している。それに比べれば、自分は、だいぶまともな人間だと思っている。というようなことを、メンバー全員が(他のメンバーに対して)思っているのだ。これは衝撃的だった。自分のことは、自分が一番よく知っているなどというが、違う。自分のことが、一番わからないのだ。だからこそ「自分を知る」ことは奥深く、素晴らしく、面白く、固定化されたかけた世界観を壊すことにつながるのだ。

 

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「かなた」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume 

悲しいことは 勝手に起こる
苦しいことは 勝手に起こる

楽しむことだ 楽しむことだ
わけもないぜ ハブ・フアン

全部をなくして はじめて気づいたよ
僕たちはいまも生きている 生きているから

君が行くなら 僕も進もう
道は違えど 共に歩もう

楽しむことが 僕らのゴールだ
そこで会おう ブラザー

誰かを好きになることを 好きになろう
死んでしまうほど生きてやる 生きてやるから

何度も 何度でも はじめよう

知らない街の 知らない線路
知らないひとと 懐かしい空

僕たちはこの空を知ってる
大丈夫さ フューチャー

水平線を揺らす朝日が かなたまで
まぶしいくらいに生きている 生きているから

何度も 何度でも はじめよう
何度も 何度でも はじめよう

 

note.mu

 

人生は、目的地ではない。旅である。 

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左から、坂爪圭吾・保科亮太・嘉向徹・千・竹谷純平(RYU-CHANはドラム)


誤解を恐れずに言えば、我々は「音楽に命を賭けている」訳ではない。音楽という円の中に人生があるのではなく、音楽を含めた『人生』という大きな円の中に、また、自分もいるのだ。音楽をやったり、音楽を聴いていると思う。音楽には、そのひとの技術ではなく、そのひとの『人生』がまるごと乗っかる。良い音楽とか、悪い音楽とか、ない。ただ、残酷なほどに「そのひとが、どういう人生を生きて、どういう思いを抱いて生きているか」みたいなものが、露骨に出る。だから、多分、我々は一生懸命に音楽を続けること以上に「自分を、しっかりと生き続けること」が大事なのだと思う。音楽は、ごまかせない。自分が、自分の人生をどれだけ真摯に生きていたのかが、そのまま音楽に反映される。全部、人間性の問題なのだ。

 

 

なぜ生きるのか。なぜ音楽をやるのか。それは「なりたい自分になるため」ではないだろうか。人生は、目的地ではなく旅である。7人も人間が集まれば、共通の『夢』や『志』みたいなものを、常に抱き続けることは難しい。だが、我々全員に共通している部分も、確実にあると思う。それは、まだ言語化し切れていないけれど「なりたい自分になるため」ではないだろうか。もっと乱暴にまとめれば、それは「いい男になるため」ではないだろうか。自分の中にある弱さや狡さや醜さを、認めた上で、諦めない。自分のなかにある不甲斐なさを、自分ひとりだけではどうすることもできない不甲斐なさを、一緒に生きることで「乗り越える」「力に変える」「陽の当たる瞬間を迎える」ことが、一緒に生きる醍醐味ではないだろうか。

 

 

私には弱さがある。それは「なんでもひとりでやろうとしてしまう」弱さだ。音楽も同じだ。最悪の場合は、自分ひとりになってもやる。その気持ちは今も変わらない。だが、この気持ちが強く出過ぎると、自分はすぐにひとりになる。ひとりも悪くないが、それでは、心の一部はさみしいままだ。自分の世界が広がることもないし、自分の世界が壊れることもない。一緒に生きる醍醐味は『壊れる』ことに、あると思う。壊れることを恐れる気持ちは、常に、ある。だが、実は、自分の世界が壊れること、自分の世界が新しい広がりを帯びていく瞬間ほど、自分のこころが「最高だ!」と思える解放感も、ないのである。人生は、目的地ではなく旅である。誰一人置いていかない。傷も涙も受け入れて、一緒に生きていきたいと思う。

 

 

さかつめさん!
ツイートを観て思わずまたメールしました。(^^ヾ
わたし、沖縄出身なんです!!!

まったく、おっしゃる通り、この火は悲しみじゃない、
世の中が激動のときを迎えようというタイミングで、まさかの琉球が火を噴いた!
琉球の神々は本気だな、と思いました。
坂爪さんにメールを送る勇気が湧いたのも、首里城が焼失したからです。
こんなタイミングで坂爪さんが近くにいらっしゃるなんて、チャーーンス!!と思いました。
おかげで私はひと殻ぬげたようです。笑
部屋着のままでノーメイクで髪ぼさぼさで、このきったない部屋に
イケメンで詩人で憧れの、坂爪さんに来ていただくなんて。
ただの、なんでもないおばさんの、自分のままで。
 
どれだけ坂爪さんの言葉や行動に励まされてきたか。
丸腰で生きる勇気に感銘を受けたことか・・。
 
うまく伝えられないけど、ありのままの自分を晒せたから、おっけー。みたいな。(*^^)/
○○のおかげですね。(^^♪
2019年10月31日は、忘れられない日になりました。
人生も盛大な音楽だー!
 
ありがとうございました。(*^^*)

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

  

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LINE ID ibaya

死なないことより、生きたいと思うこと。

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菊名駅前のコロラドにいる。毎日色々やっていると「たまには休んでくださいね」と優しいお声をかけていただく。だが、思う。こどもたちは、遊ぶことを休みたいとは思わない。遊び疲れて眠りに落ちても、次の日になれば、遊ぶために駆け出していく。この感じを大事にしたい。こどもたちに「遊ぶな」と言うことは、酷だ。それは「死ね」と言っていることと似ている。だから、休んだ方がいいというよりも「遊んだ方がいい」のだと思う。嫌な疲れの原因は、遊びが足りないことだ。

 

 

おおまかなスケジュール

11月1日(金)Agape 千が平塚から大阪まで歩きはじめる「東海道五十嵐次」

11月4日(月・祝日)14時 坂爪圭吾×壇珠「ファンタジーの魔法の使い方」
11月22日(金)19時 Agape 単独ライブ@大阪市心斎橋「
5th-Street

🌸🌸🌸
すべての企画で参加者募集中です🌸🌸🌸

SCHEDULE on 
http://urx2.nu/xkMu 

 

ibaya.hatenablog.com

 

面白ければ留まり、つまらなければ離れる。

面白ければ留まり、つまらなければ離れる。これは、人間として自然だ。しかし、これが制限されると「おかしいことになる」のだと思う。本当はこんなひととは付き合いたくないけど、仕方がない。本当はこんな仕事をしたくはないのだけれど、仕方がない。とか。自分のうだつの上がらなさを環境のせいにしたくなる気持ちはわかるが、真実は常に残酷だ。環境がつまらない、なんてことはあり得ない。つまらないのは、常に自分だ。自分がつまらないから、なにをしても、どこにいても、つまらないのだ。ならば、もう、自分が面白くなればいい。自分が面白いと思う人生を生きればいい。では、面白いとは、何か。それは『予測不可能性』だと思う。

 

決まり切った毎日を生きるほど、酷なこともない。サルトルは「人間は、自由の刑に処されている」と言ったが、自由であることも、結構酷なことだ。学校や職場は、誰かが自分の時間割を決めてくれる。が、フリーランスになれば「自分が自分の時間割を作る必要」が生まれる。根本的に、それは、面倒臭いことだ。自由とは、面倒臭いものなのだ。面倒臭いと言うことは、自由であると言うことだ。誰かに時間割(答え)を教えて欲しくなることは多い。だが、答えを求めて本を読んだり、答えを求めてひとと会うのは、違うと思う。だって、それは、そのひとにとっての答えにすぎないから。生きると言うことは、共通の答えを生きることではない。オリジナルな答えを生きることだ。それは「答えのない世界を生きること」であり、答えは、自分で決めるしかない。答えは、自分で作り出していくしかない。

 

世の中的な正解は不明だ。ただ、自分の心が感じる「楽しさ」ならば、分かる。楽しいなら、正しい。私はそう思うことにした。食べ物の好き嫌いと同じだ。誰がなんと言おうが、自分はカレーを美味しいと思うなら、カレーは美味しいのだ。世界中のみんなから「カレーなんて人間の食い物じゃない」と罵倒されても、自分がそれをうまいと感じるなら、食べる。意外と心は敏感で、世の中的な基準は曖昧なままでも「今の自分は、ダサいか、ダサくないか」程度なら、すぐにわかる。いまの自分をダサいと思ったら、できるだけ変える。いまの自分を「結構いい感じだな」と思えたら、外野からとやかく言われても、続ける。そういうことなのだと思う。

 

note.mu

 

死なないことより、生きたいと思うこと。

11月22日(金・いい夫婦の日)に、大阪の心斎橋でAgape単独ライブがある。それに向け、メンバーの千さんが「神奈川県平塚市から心斎橋まで徒歩で向かう」ことになった。彼はお金もなく、長年引きこもりのような生活をしていたので、一般的な意味でのコミュニケーション能力は低い(低いと言うか、未開発のままきた)。だが、だからこそ、純度は高い。ひとと関わっていきたい。それが我々の祈りだ。だから、もし、千さんに「おにぎりを食べさせてあげたい」とか「家に泊まらせてあげたい」と思われた方がいたら、直接、千さんにご連絡をしていただけたら最高にうれしいです。言わずもがな、ライブにお越しいただける方も絶賛大歓迎です。

 

 

首里城が燃えた。首里城が燃えたことに対して「さあ、悲しむべきことが起こりました。みんなも一緒に悲しみましょう」的な報道をする人々に、違和感を覚える。悲しむことで『消費』することが、多分、嫌なのだと思う。人も、建築物も、燃えたからなくなるわけではない。物質から解放されて、盛大な音楽になって空間に溶け出しただけだ。それは、学校の友達が引越しをして別の街に行くような感じで、しばらく会えなくなるけれど『いる』ことに変わりはない。ただ、形が変わっただけだ。これは、多分、死生観にも通じる(というか、死生観そのものだと思う)。死者を殺すな。見えなくなったからと言って、殺してしまってはダメだ。死者も、共に生きることはできる。物質から解放されたものは、音楽として流れ続ける。 

 

死なないために生きている訳じゃない。どう稼ぐか。どう集めるか。どう生き延びるか。そんなことばかりが話題になると、端的に「世の中がギスギスする」と思う。死なないことよりも大事なことがある。それは、生きたいと思うことだ。生活のためだけに生きることは虚しい。死なないためだけに生きることは虚しい。生きたいと思う熱情を、私は、重要だと考える。生は、常に『死』を内抱している。結果とは、燃えかすみたいなものだと思う。命を賭ける、という表現がある。最近、この言葉に違和感を覚える。命を賭けていないひとなど、ひとりもいないのだ。真面目に生きても命懸け。不真面目に生きても命懸け。激しく生きても命懸け。怠惰に生きても命懸け。とっくの昔から、我々は『すでに命を賭けている』のだ。何もしないで死ぬのも一生。何かをおっぱじめてから死ぬのも一生。どう生きるかは、各人の自由だ。燃え落ちる我々を、あなたにも見届けてもらえたら嬉しいと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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「こうあるべき」の外側。

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横浜駅前のドトールにいる。ドトールには、お世話になっているからこそ言いたい。画一化された店員の心無い「ありがとうございます」を聞くたびに、本当にそう思っていますか?と詰問したくなる。思ってもないことを言うなよ。からっぽな言葉を使い続けると、心が死滅するぞ。この、資本家の手先どもめ。と。よろこびのためというより、生活のため、怒られないため、無難であるために生きているなあと感じる場面は、多い。仕事とは、大前提として「苦しいもの」なのだろうか。

 

 

おおまかなスケジュール

11月1日(金)Agape 千が平塚から大阪まで歩きはじめる「東海道五十嵐次」

11月4日(月・祝日)14時 坂爪圭吾×壇珠「ファンタジーの魔法の使い方」
11月22日(金)19時 Agape 単独ライブ@大阪市心斎橋「
5th-Street

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SCHEDULE on 
http://urx2.nu/xkMu 

 

ibaya.hatenablog.com

 

それぞれの勇気。

昨日から「自立と依存」をテーマに、楽しい迷惑のかけ方実践編を敢行している。本日は東京の新橋からはじまり、その後の予定は未定。呼ばれた場所に移動するスタイルでやりたい(宿も未定)。前々から「めちゃめちゃ金があるひとと、金がなくても生きていけるひとと、どちらが強いのだろう?」的な問いが、自分の中にある。金を否定したいわけじゃなく、ただ、自由を肯定したいだけだ。思うに、どれだけ金があっても、失う恐怖をもっている限り『自由』からは遠い。金がなくても生きていけるものの強みは、少なくとも、金に関しては「失う恐怖」が薄い。なければないで、どうにかなる。これは、ある種の安心感や信頼感につながっていく。

 

 

所有という概念を考える。たとえば、空。空は誰のものだろうか。無論、誰のものでもない。誰のものでもないからこそ、みんなのものになることができる。海も空も森も星も、自分が見ている間だけは「自分のもの」と呼べるのかもしれない。これくらいの距離感がちょうどよい。物質も同じだ。自分が使っている間は「自分のもの」であり、それ以外は、誰が使ってもいいように思う。さすれば、管理の手間も省けるし、モノを通じた出会いも生まれる。人間も、実は、同じなんじゃないのかなと思う。結婚や恋愛などの契約を通じて付き合うより、あなたは誰のものでもない、ただ、自分と一緒にいる間だけは「友達」であり「恋人」であり「家族」である。そういう感じでいいように思うのだけど、この感覚が伝わることは少ない。

 

 

私は未婚だ。結婚するなら「一緒にいることで、より自由になれる」関係性を期待する。仕事も同じだ。仕事を通じて、より、自分が自由になれるものが理想的だ。それがすぐに見つかるとは思わない。だが、その境地を目指すこと、諦めないこと、求め続けること、なければないで「作り出そうとする」程度の気骨は、超大事だと思う。そうじゃないと、生きることが、ただの苦行になる。大前提として、我々は、死ぬ。死ぬときにもっていけるものは、愛し愛された記憶程度のものであり、あとはなんの役にも立たない。全部置いていく。大事なものも、全部、最後には置いていくのだ。そう思うと、本当の意味で「自分のもの」と言えるものなんて、自分のハートくらいしかないじゃないか、などと自分なんかは思うのである。

 

note.mu

 

「こうあるべき」の外側。

常識や社会通念など「こうあるべき」とされることは多い。日本なら、よい学校に行き、よい会社に入り、よい家庭を築くことがよしとされる。『よい』の意味が曖昧だが、多くの人々は、この命令に従う。私は、この命令に従うことができなかった。なぜなら、こうあるべき(こうすれば安心)とされた生き方をしている人々が、言葉は悪いが、あまり幸せそうに見えないからだ。「なんだか大変そうだなあ」と思うことのほうが、多いからだ。自分を幸せにしない常識なら、従う必要はなのではないか。大事なことは、従うことより改良することであり、その際の基準になるものは、自分のハート以外にあり得ないじゃないか、などと思うのである。 

 

学校の先生や職場の上司に「ああしなさい」とか「こうしなさい」と言われても、それに従ったらお前みたいな人間になるじゃねえか、それだけはお断りだ、などと反発を続けた。結果、学校にも職場にもうまいこと馴染めず、このような生き方に着地をした。だが、これはこれで「まあまあの人生じゃないか」と思う。着地点を見出せてよかったと思う部分と、改良を続けたい気分の両方が、ある。私は、知性のあるひとが好きだ。知性とは、要するに『自分で考えて、自分で決めること』だと思う。宇宙という得体の知れない空間の真っ只中で、ポカリと浮かぶ謎の球体、地球。そこに生きる我々、謎の生命体『人間』。大前提として、実は、我々そのものが得体の知れないものであり、こうであるとされていることのすべては「実は、全部、嘘っぱちかも知れない」おとぎ話でもある。疑おうと思えば、全部、疑うことができる。そのなかで、自分の頭脳で考えて、自分の意思で決断をして、自分の精神で「決断を生きる」力を、私は知性と呼びたい。情報じゃない。知性なのだ。

 

前々から「こうあるべきの外側を見たい」という気持ちが、自分にはある。あなたはこういう人間だとか、生きていくためにはこれをやらなければならないだとか、こうなってしまったら一巻の終わりだとか、決めつけられた言葉を耳にすると「わからないじゃないか」と思う。人間なんて、簡単に変わる。昨日は「これだ!」と思っていたことさえ、明日になれば「こっちかもしれない」と、揺れ動く。揺れ動くというより、流れる。変化こそが常態であり、既定する方が、固定する方が、限定する方が、不自然なのだと思う。前回の記事で「私は、私の自然に従いたいだけだ」と書いた。季節が巡るように、天気が移り変わるように、流れ行くことが自然なのだと思う。そのなかで、時折、それはまるでオーロラを目にするような感じで『自分も知らなかった自分が、姿を現す』瞬間がある。その瞬間に、私は、ああ、世界にはこんなに素晴らしいものがあったのか、と、愛着を新たにするのである。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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嫌われることに、憧れている。

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横浜駅前のドトールにいる。昨日、各種SNSから「誰か夕ご飯なるものをわたしにご馳走してくれませんか@中目黒」と投稿した。最近、思う。自分の欲求ははっきり口にした方がいい。食べ物ならなんでもいい、という書き方ではダメだ。うどんなら、うどん。絶対にうどん。自分はうどんを食べたいのだ、と。だから、そう投稿した。ら、驚いたことにその1時間後に、初対面の方からうどんをご馳走しただく僥倖に恵まれた。心の底から「ありがとうございます」と言うことができた。

 

 

おおまかなスケジュール

10月29日以降、身売り2.0(必要とされる限り、なんでもやったる所存
11月1日(金)Agape 千が平塚から大阪まで歩きはじめる「東海道五十嵐次」

11月4日(月・祝日)14時 坂爪圭吾×壇珠「ファンタジーの魔法の使い方」
11月22日(金)19時 Agape 単独ライブ@大阪市心斎橋「
5th-Street

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すべての企画で参加者募集中です🌸🌸🌸

連絡先・坂爪圭吾
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http://urx2.nu/xkMu 

 

ibaya.hatenablog.com

 

自分を出さないことは、ずるいよ。

自分は「売る・買う」よりも「あげる・もらう」が好きだ。普通、うどんを食べたいなら「そのための金を稼げ」とか言われる。だが、なんと言うか、それに異論を唱えるつもりはないが「うどんをご馳走してもらったほうが嬉しいじゃないか」と思う。 これは、きっと、世界の優しさを実感するからだ。これは仮説だが、人間は『実は、与えたい生き物』なんじゃないか。だが、与える機会はなかなかない。だから、ストレートに「これをしてもらえたらめっちゃよろこびます」と表現する人間が登場したとき、自分に余裕があるならば、よろこんでそれをやりたいと思う。

 

自分は、気を使いすぎて自滅するタイプだ。複数で食事をするときなど、みんなが何を食べたいのかを異常に気にして、全員が満足する道を選ぼうとする。が、その過程で疲れ果てて「これだから集団行動は苦手だ」と、自分の殻に閉じこもる。これはよくない。だから、もう、自分の欲求をはっきり口に出すことにした。自分はうどんだ。俺は、いま、めっちゃうどんが食べたい。めっちゃうどんを食べたいと思っている俺が、めっちゃおいしそうにうどんを食べている姿を見たら、きっと、みんなも「うどんも悪くないな。というか、うどんを食べられてよかったねえ」と、ほんわり幸せな気持ちになれるはずだ、的な勢いで「うどん!」と提案する。

 

他人に気を使いすぎて、四苦八苦して、最終的に「あいつのせいで…」とか誰かを恨むのは、卑怯だ。私は、卑怯だ。もっとまっすぐに生きたい。卑怯とは、自分の選択を「誰かのせい」にすることだ。責任転嫁。これが卑怯の本質だ。うどんを食べたい。そう叫ぶ私は、自分の欲求に責任を感じている。だから、清々しい。責任と爽快感は連結する。最近思う。自分を出さないことは、周囲に合わせることは、美徳でもなんでもない。卑怯者のやることだ。責任転嫁の言い逃れだ。というのは言い過ぎだけど、でも、自分の欲求をまっすぐに口にすることの威力を痛感する。誰にもわかってもらえないと嘆く前に、察してもらえないと拗ねる前に、自分は、自分の欲求を(回りくどい言い方ではなく)はっきりと口にしたかと問いたい。言わなきゃわからないのだ。しかし、言えば『わかってもらえることもある』のだ。

 

note.mu

 

嫌われることに、憧れている。

Agapeのあきとが「(絵も、音楽も)作ろうと思うと作れない。自分のバイオリズムに乗ると作れる」と言っていた。あきとは天才だ。天才とは、自分の自然に沿って生きている人間である。あきとは話す。自分にとって、絵を描くこと、音楽をやることは自然なことだ。ローソンの店員になることより、絵を描いて誰かに見てもらうとか、踊る、歌を歌う方が、なんと言うか、自然だ。でも、人間として自然なことをやると、社会的に不自然になる、と。この指摘は鋭い。私にとって「あげる・もらう」の関係性を構築することは、自然だ。別に変わったことをやりたいわけではなく、自分にとって自然なことをやりたいだけだ。が、こういう生き方をすると「変わっていますね」と言われる。社会的に、異物扱いをされることは多い。

 

note.mu

 

前に「他力で生きる」的な意味合いも込めて、家のない日々を二年間過ごした。この日々を見たひとが「あなたの生き方はすごい!」と、私をほめてくれた。 確かに、わたしは、強烈な存在かもしれない。でも、なによりもすごいのは「こういう生き方を成立させてくれた、周囲の人々の存在」だと思う。家なし生活を続けるためには、それを成立させる(ごはんをご馳走してくれるとか、家に泊まらせてくれる)人々がいなければ、成り立たない。こんな意味不明な人間の生き方を面白がり、一緒に楽しんでくれるひとがいたからこそ、成立した生き方である。だから、すごいのは「(坂爪圭吾ではなく)坂爪圭吾を成立させた人々」だと思う。本来、すべての生き方はそういうものだ。あらゆるひとがなにかを売っていて、それで生活をする。だが、すべては「それを買ってくれるひと」がいるから成立しているのであり、私と同じである。だが、そのことを頭ではわかっていても、リアルに実感する(心の底から「ありがとうございます」と思える)瞬間は、少ないと思う。

 

note.mu

 

私たちは嫌われることを恐れる。できることなら、ひとから好かれたいと思う。だが、冷静に観察すると「嫌われることに、憧れている」部分が、誰の中にもあると思う。好かれること以上に、嫌われることに憧れているのだ。なぜか。たとえ、嫌われるとわかっていてもそれを実行する者には、自分がある。自分に対する信頼や、周囲の評価などでは揺らぐことのない絶対的な価値を、周囲の人間に感じさせる。そういう風に見えるから、嫌われても、馬鹿にされても、それでも自分であることをやめない人間に、私たちは惹かれるのだ(と思う)。実は、私たちは、好かれたいと思う以上に、嫌われたいのではないだろうか。好かれたいと思う以上に、嫌われることによって「自分は、自由である」ということを感じたいのではないか。うまくやろうとするあまり、行動が鈍ることは多い。だが「嫌われても構わない」と踏み出す一歩には、自分でも驚くほどに、ダイナミックな力が宿り始める。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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できるできないじゃない、やりたいが勝つ瞬間。

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心斎橋のドトールにいる。誰かに泣き言を言いたくなる夜がある。が、言っても仕方ないよなと思う自分も、同時に存在する。そういうときは、文章を書く。あるいは、一人で延々と歩き続ける。神様に語りかけるように、書いたり、話したり、する。生きている人には話せないことがある。言えば、泣き言になるから。言えば、愚痴になるから。そういうとき、神様の存在は、とても役に立つ。役に立つという言葉は不謹慎か。とても、力になる。こういう力に、私は、凄い支えられている。

 

 

おおまかなスケジュール

10月26日(土)18時 KEIGO&RYU&千 LIVE@大阪市大正区「和み中華 威」
10月27日(日)15時 Agape 定期演奏会@横浜市港北区「わたり食堂」
11月4日(月・祝日)14時 坂爪圭吾×壇珠「ファンタジーの魔法の使い方」
11月22日(金)19時 Agape単独ライブ@大阪市心斎橋「
5th-Street

🌸🌸🌸
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連絡先・坂爪圭吾
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ibaya.hatenablog.com

 

遠くの誰かではなく、目の前のあなたに歌うのである。

自分の中に矛盾がある。音楽は誰のものでもない。だから、大前提として「みんなで楽しめたら最高!」と思う。真の調和を目指し、昨夜のライブでは誰でも使える楽器を用意し、みんなで演奏する形式を採用した。しかし、演奏中に小さなこどもたちが鈴やマラカスを乱発射しはじめ「正直、うるせえ」と思った。演奏の邪魔だと思ってしまったのだ。が、みんなでやりましょうと言った手前、どうすることもできない。ここは精神統一で突破だ!と丹田に力を込めるものの、あえなく玉砕。演奏中にも関わらず「ちょっと休憩しましょう」と、私は一回会場を逃げ出した。 

 

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「すみれちゃん」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

踏みつけた靴の かかとまで
いい匂いにする すみれちゃん

握った手のひらに 甘い香り残す

とおり過ぎていく ひとまでも
いい気持ちになる すみれちゃん

春の訪れ告げる 風にからだ踊る

消えないで 醒めないで 楽しそう
だまってて 揺れていて 楽しそう

なんのために歩くかなんて
君に会うためでいいでしょう?

なんでもないことを 笑ってくれたね

冷たい雨に 打たれながら
ひっそり泣いてる すみれちゃん

これから会いに行く 君に会いに行く

たくさんの光 吸い込んで
露のドレス舞う すみれちゃん

アスファルトの割れ目から ひょっこり顔を出した

消えないで 醒めないで 楽しそう
だまってて 揺れていて 楽しそう

なんのために生きるかなんて
君に会うためでいいでしょう?

なんにもないぼくに 笑ってくれたね

 

アメリカの作家・マークトウェインの言葉に「赦しとは、踏みにじられたスミレの花がそのかかとに放つ芳香である」というものがある。この言葉を見たとき、す、すげえなと思った。自分には到底無理だと思ったが、そうあれたらと思う気持ちも抱いた。同時に「どこか、女性的だな」と思った。自分は男で、これまで、母親を含めた様々な女性に『赦されながら』生きてきた気がする。女は花で、男は種子なのか。花は、その土地を動かない。だが、女から生まれた男(種子)は、どこまでも運ばれる。男は、自分が遠くまで行くことを「自分の力でやっているんだぜ」と容易に思い込むが、ただ、運ばれているだけだ。花の力。風の力。命の力。生きているのではなく生かされていることを忘れた時、私は、容易に傲慢な存在になる。

 

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イチカ」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

あんまり先を 考えちゃうとさ
どうしたって すぐ 疲れちゃうから 

いまはここに 君といよう このままで

とんちんかんな 安心感でも
ないよりは ずっと うれしいだろう

勘違いだと わかっている でも 続けていこう

夢の終わりは少しせつなく 涙がこぼれそうにだってなる
生きているだけでいいよ あとは全部おまけだろう

再び生きることのない今日の 太陽が海に沈んで消える
いちからひゃくを 繰り返す むきだしのまま

顔がいいだけじゃ 飽きられちゃうから
みそから セクシーにならなくっちゃ

ひたむきに生きる姿は「美しい!」

みそっかすでも 出たとこ勝負で
かっこ悪さも かっこ良さになる

いちかばちかの大博打「それでこそ!」なんてね

自分でもびびるほどのでかい夢が いま 目の前で帆を上げる
汚れたままでもいい はみ出し者にも福は来る

どうすりゃいいかわからんときは 損になる道を選べばいいよ
いちからひゃくを 投げ返す からっぽのまま

夢の終わりは少しせつなく 涙がこぼれそうにだってなる
「生きているだけでいいよ あとは全部おまけだろう」

二度と会えない人の言葉も いま ぼくたちの胸を温める
一度きりの朝(あした)を 迎えにいこう 迎えにいこう

 

すべてはベストなタイミングで起こる。現実に抗うのではなく、現実を受け入れ、楽しむこと。そんなことを休憩中に思った。抵抗するから、ダメになるのだ。変えようと思うから、肩に力が入るのだ。波乗りと同じである。自分も波になればいいのだ。そんな抽象的なことを思いながら、後半戦に突撃した。ら、実に良い空間が生まれた。2時間のライブに、人生のすべてが詰まっていた。そして思った。俺は、遠くの誰かに歌うのではなく、目の前のあなたに歌うのである。文章を書くときも同じだ。得体の知れない『みんな』に向けて書くのではなく、いま、これを読んでいるたったひとりに向けて、歌ったり、話したり、思いを飛ばすのだと思う。 

 

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「アリエル」 作詞 Ryota Hoshina 作曲 Keigo Sakatsume

僕は檻に閉じ込められたライオンさ 適度に演じて人を騙す
肉が欲しいと たまには吠えて 三度の飯だけ求めて生きる

僕は王に飼いならされたライオンさ 大あくびして 目を瞑る
不具でもないのに駆けやしない 半分 フリで 半分 寝てる

どうやら夢ってやつを見たらしい 地平線を往くあの太陽と
風に吹かれ黄金(きん)に輝く草 踏んだ大地は火より赤く

肚の底から咆えたくなって 生きてるな 生きてるぞ 意気揚々
エモノは 己で獲るんだな 駆け出して 駆け抜けて 空になる

息が苦しい傷が絶えない これが生きるってことなのか
百獣たちよ 待たせたな 流れた 涙が 答えのようだ

僕は夢から醒めたライオンだ 誰の期待にも応えない
その餌には 誘われないぜ 断食中さ 頭が 冴える

はじめて願いを持ったんだ 水平線から昇る眩しい光
雷鳴とどろく荒野の雨に かかる虹を見てから死のう

心の臓から震えてくるな 勇んでるな 挑んでるぞ 闘ってるぜ
機会(チャンス)は自分でつくるもの 血が流れて 嬉しくなって 倒れちまった

身体が鉛にもう動けない なんだ 空ってこんなに青く
百十回目の 敗けがつく だけど 気分は 晴れていた

死に方よりも 生き方だろう どこにぶち当たるのかわからない
わからないけれどここではない ここではないからまず飛び出す

腹の底から湧き上がってくる 生きてるな 生きてるぜ 意気揚々
エモノは 己で掴むもんだ 懸け出して 駆け抜けて 駄目になれ

ああ愉しかった そう言いたい 遠い夜空に笑顔浮かべ
百十個目の 星 となって 闇の中へ 流れて 消えた

僕は檻に閉じ込められたライオンさ 大あくびして 目を瞑る

 

できるできないじゃない、やりたいが勝つ瞬間。

なぜ、自分は音楽をやりたいと思ったのだろう。それは、音楽に心を動かされた記憶があるからだと思う。ひとつの音楽に触れて、心がどうしようもなく嬉しくなったり、心がどうしようもなく楽しくなったり、自分もやってみたい、自分もこういう人間になりたい、歌いたい、踊りたい、自分を全身で表現したいという思いが芽生えた瞬間、それが『夢』になる。感動と夢はリンクしている。感動は、自分もそういう人間になりたいと働きかける、魂の合図だ。自分が感じた感動を、自分が感じた美しさを、自分が感じた素晴らしさを、自分を通じて体現するための合図だ。

 

なにかをどうしようもなくやりたいと思う。そのとき、できるできないは問題じゃない。ただ『やりたい』という気持ちだけが、自分の内側からあふれ出る。そして、実際にそれをやる。自分の夢にダイブをする。そして思う。ああ、これが音楽ってものなのか!ああ、これが表現をするということなのか!ああ、これが生きているってことなのか!と。思っていたことと違うこともあるだろう。思ったようにいかないこともあるだろう。ただ、そのすべてをまるごとひっくるめて、生きている現実が『夢』なのだ。なぜ、自分がそれをやりたいと思ったのか。答えは、全部、初期衝動の中にある。それに触れている時間が、どうしようもなく楽しいものだったから、それをやる。その気持ちがあれば、もう、足りないものはなにもない。ひたすら、ひたすら、ただ、ひたすら、夢のど真ん中を生きればいいのだ。

 

楽しければそれだけでいいのか。そう問われることがある。私は、堂々と胸を張りながら「いいんだよ」と答えたい。楽しければ、もう、それだけで充分なんだよ。楽しいと思った瞬間が、ゴールなんだよ。ひとりの人間がなにかを思い切り楽しむとき、きっと、そこにひとつの『渦』が生まれる。この渦は、たとえ最初は小さなものだったとしても、それを一緒に楽しむ人々が増えたら、大きなうねりとなって次の『なにか』を創造する。必要なのは、最初のひとりだ。いつの時代も、最初のひとりから、そうした渦は生み出されてきたのだ。だから、私は、自分自身に願う。遊び続けよう。それを見た人々も、思わず一緒になって遊びたくなるような、命の遊びを。できるできないじゃない、やりたいが勝つ瞬間を、選びたいと思う。

 

 

坂爪さん、こんにちは。
○○と申します。
 
お礼の気持ちを伝えたくて、メールをかいています。
一昨日までアメリカに大好きな人に会いに行ってきたのですが、それが出来たのは坂爪さんのおかげでもあります。
 
昨年の12月にタイであった人なのですが、一週間しか一緒にいなかったのにものすごく好きで、会いに行きたくて、でも会いに行って嫌われたらどうしようとずっと恐がっていました。
 
その時坂爪さんのブログなどをみて、世界はお前が思ってるより広いとか、傷つく前に傷つくな、会いたい人に会いに行け、勇気を出した人に神様は見捨てるような真似はしない、といった言葉に励まされ、先日会いに行ってきました。
 
結論としては、もう本当に最高の日々で、会いにいって良かったし、自分の世界が大きく変わったことをかんじました。
 
坂爪さんの歌で、会いに行くとか愛とかの歌詞を聞いて泣いていた日々があり、何もかも完璧だったなと思います。
 
世界は自分が思うより大きく、懐が深く、また自分もタフになっていることがとても嬉しいです。
 

「月に向かう」

君に もう一度 会うため
勇気なら 出す 歩き出す
 
あんまり よく知らなくても
好きになって いいんだよな

たくさん知ったあとも 好きでいて ほしいな
 
この部分が本当に好きです。
よく知らないのに好きなのは本当なのか?とかよく知ったら失望されるだろうという思いも、会ったら全部消し飛びました。
 
あと、わたしを忘れないで、も好きで今回の旅の曲にしようかと思ったのですが、私がその曲を聴いて感じていた切なさがあまりにもそぐわないほど毎日が輝いていて、旅の曲にならずにすみました(旅の曲になると思い出して悲しくなる可能性が高かったので、そうした位置付けをせずに済んだことはとても幸いです。)これからも好きで聴き続けることができそうです。
 
長くなりましたが、本当にありがとうございます。
○○より

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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LINE ID ibaya

人間を救うのは、愛じゃない。言葉だ。

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心斎橋のドトールにいる。前に、不倫中の女性の話を聞いた。不倫相手は職場の男性。その女性は、ある日、男性とレストランに行った。帰り際、駐車場の車内で二人はいい感じになり、女性は男性にけしかけた。ねえ、いま、あたしが何をしてほしいかわかる?と。男性は、一瞬ひるんだのちに、女性を抱きしめようとした。が、女性は、男性を軽やかに避けた。違うだろ、と。私がしてほしいのは、その程度のものじゃないんだよ、と。この時点では、まだ、二人に体の関係はなかった。

 

 

おおまかなスケジュール

10月25日(金)18時 KEIGO&RYU LIVE@大阪市鶴見区「Cafe de Lien」
10月26日(土)18時 KEIGO&RYU&千 LIVE@大阪市大正区「和み中華 威」
10月27日(日)15時 Agape 定期演奏会@横浜市港北区「わたり食堂」
11月4日(月・祝日)14時 坂爪圭吾×壇珠「ファンタジーの魔法の使い方」
11月22日(金)19時 Agape単独ライブ@大阪市心斎橋「
5th-Street

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すべてのイベントで参加者募集中です🌸🌸🌸

連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com

SCHEDULE on 
http://urx2.nu/xkMu 

 

ibaya.hatenablog.com

 

やればできるじゃねえか。

男性は、勇気を出して、女性に接吻をした。初キッスである。ときめきの瞬間だ。甘い時間が流れる。しかし、この女性がなかなかの組長気質なもので、初キッスの直後、男性に向かって「やればできるじゃねえか!」と肩を叩きながら叫んでしまったのだ。女性は、このことをとても後悔していた。もっとしおらしく、もっと女性的に「う、うれしい・・・(はあと)」とか言えたらよかったのに、ここにきて自分の本性が出てしまった、と。私は、このエピソードが大好物である。昨夜、ちょうど、200曲を達成した。今年の3月から「1日1曲つくる!」と鼻息を荒げ、7ヶ月強、悲願の200曲を達成した。そう。男は、やればできるのである。

 

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「月に向かう」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

君のことは よくわからない
この星のこと よくしらない

でも 好きになったよ この星も 君も

自分を知ること だなんて
自分だけで できるのかな

知らないことを 知ることは 楽しいね

虹を 見たくなったときは
雨のなかに 散歩に 行く

空を飛べない ぼくらの 飛ばすジョーク