いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

採算を考えるな。ただ、誠意を生きろ。

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昨日はわたり食堂【0円食堂】が開催されました。予想を大幅に上回る方々にご来訪いただき、現場は一時的に足の踏み場もないほどのカオスティックな空気感に包まれ、主催者(私)はテントに籠城するという非常事態を乗り越え、無事に生き延びることができました。こどもが集まるたびに家のものが壊れるとか、換気扇のない部屋で焼き鳥を焼くと臭いが取れなくてやばいとか、毎日が勉強の日々で学ぶことが本当に多いです。

 

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次回の開催は3月21日(水・祝日)春分の日になります。ひとが大勢集まる場所が苦手な私が、なぜ、このような催事を敢行するのか。理由は108個くらいあるのですが、そのうちのひとつが「精神的な加圧トレーニング」とでも申しましょうか、ひとりきりの空間で自分を保つことはそれほど難しいことはありません。問題は「俗世の中でも自分を保てるか」ということで、私は、この部分が非常に脆いです。ので、鍛錬的な意味合いも込めてこれからも定期的に開催をしていきたいなあと思っております(もちろん、最大の動機は「これをやっていなければ出会うことのなかったひと【It's YOU!】に会いたいから」というものになるのだと思います)。

 

わたり食堂【0円食堂】

 

「生きづらさ」について。

生きるのに向いているひとと、生きるのに向いていないひとがいる。そして、自分は、生きるのに向いていない人間だなあ。なんてことを思ったことがあるひとはどれくらいいるものなのでしょうか。みんなが当たり前にできることが自分にはできないとか、自分にとって当たり前のことをやると周囲から「お前は変わっている」と言われてしまうさみしさなど、どれだけのひとが感じているものなのでしょうか。私は、定期的にこのような心理状態に陥ることがありまして、ああ、もっと器用に生きることができたらなあと苦悶する日々を過ごしています。

 

非常にありがたいことに自分のブログ記事も読まれるようになり、イベントをやればそれなりの数の方々が集まってくださり、感謝できることを探そうと思えばいくらでも感謝できることは見つかります。自分は最高に幸運な人間だと思うし、恵まれていると思う。それでも、正直に自分の気持ちを言うと「自分の中にまだまだ満たされていない部分がある」ということを感じることがあります。もちろん、それは24時間ずっと感じているというものではなく、ただ、時折胸のなかで「おれはまだまだここにいるぞ」と、自分の中に満ち足りていないと感じさせる『なにか』がうごめいているのを感じることがあります。

 

最近は、三浦綾子さんの小説ばかりを読んでいます(今度、三浦綾子さんの読書会をやりたいと思っているので興味のある方はお声かけください!)。三浦綾子さんの小説を読んでいると、登場人物に自分自身を重ね合わせて、自身の言動や思考を反省させられることが非常に多いです。「自分を偉いと思っている人間に偉い人間はいない」という言葉もある通り、私は、ともするとすぐに「自分は正しい」などと思い込んでは周囲の人間を裁くような思考をします。読書を通じて、そんな自分を『正す』ことができる感覚を覚えます。この感覚がとてもうれしい。と同時に「もし、この本を読んでいなければ、俺は俺の未熟な部分を正すことなく生き続けていたのか」とか「きっと、自分はいくつもの反省すべき機会を逃しているのだろう」などと思い、空恐ろしい気持ちにもなることが多いです。 

 

どうしようもなく他人を必要としている。

書きたいことはたくさんあるはずなのに、バラバラなものはバラバラなまま、まとまりを見せることなく浮遊をしている。生きている限り、思うことはたくさんある。「俺はどうしようもなく他人を必要としているんだな」とか「自分は愛される価値のない人間だと思いながら生きるのはつらいよ」とか「採算を考えるな。ただ、誠意を生きろ。生まれてきて、生きて、死ぬ。それだけで帳尻は合っている」とか「経験を語れ」とか「芸術のための生活であって、生活のための芸術ではない」など、そういうことを考えていた。

 

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勝手に偉人列伝・3『たこ八郎

数ヶ月前、沖縄にある来間島から宮古島空港まで徒歩で移動をしていたことがあります。当時、諸事情が爆発をして「おれはおれを罰する必要がある!」的なことを感じながらとことこ歩いていたのですが、その最中、こちらの動画を(音声だけダウンロードして)聴きながら歩いていたら最高でした。誰にでも経験のあることだと思うのですが、真の意味で純粋な人柄に触れた時、まるで、触れているこちらのこころまで浄化をされるような感覚になることがあります。たこ八郎さんの生き様には、そんな力がありました。是非、みなさまにも隙間時間などに聞いてみていただけましたら幸いです。

 

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わたり文庫『日日是好日』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、森下典子著作『日日是好日 「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』です。こちらの本は、兵庫県にお住いの方から「死ぬまでに何度も読み直したい本を、と坂爪さんは書かれていましたが、私にとって死ぬまで何度も読み直したい本はこれです!」と、ごちゃまぜの家に郵送をしてくださった一冊です。茶道はすごい。この本を読めば、きっと、誰もが抱く茶道というもののイメージが爽快に壊れたり、その奥にあるものを(話で聞くだけではなく)体感してみたいと思われるような、そんな気持ちにさせてくれた一冊です。豊かさとは、多分、こういうものを意味するのだと思いました。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡をいたします。

 

※※※ こちらの本は、アメリカのワシントン州にわたりました ※※※

 

お茶を習いはじめて二十五年。就職につまずき、いつも不安で自分の居場所を探し続けた日々。失恋、父の死という悲しみのなかで、気がつけば、そばに「お茶」があった。がんじがらめの決まりごとの向こうに、やがて見えてきた自由。「ここにいるだけでよい」という心の安息。雨が匂う、雨の一粒一粒が聴こえる・・・・・季節を五感で味わう歓びとともに、「いま、生きている!」その感動を鮮やかに綴る。

 

森下典子『日日是好日 「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』【新潮文庫

 

採算を考えるな。ただ、誠意を生きろ。

私は、いま、ごちゃまぜの家の第二号を日本のどこかに作りたいと思っている。このようなことを考えると、いつの間にか「どうすれば採算が取れるか」とか「どうすれば継続をさせていくことができるか」みたいなことを考えてしまう。大事な視点だとは思うけれど、自分のような人間は、採算なんてことを気にしてはいけないのだと思う。採算が取れるからやるとか、採算が取れないからやらないとか、そういうことではないのだと思う。採算が取れるかどうかはわからない、ただ、どうしてもこれをやりたいと思ったのだという「静かなる熱情」のようなものこそが、岩をも動かす力になるのだと思う。

 

 

出会う方々から「さかつめさんはどうやって生計を立てているのですか」と問われる。私自身、定期的な収入はまったくないから「自分でもどうやって生きているのかあまりよくわかりません。稼ぐ【勝ち取る】ということからは遠いところにいますが、ただ、貰う【受け取る】というところからは近いところにいる気がします」などと答えることしかできない。別にふざけているつもりはまったくなく、実際に、そのように感じているのだからどうしようもない。が、そのように生きている自分でも、なにか新しいことをやりたいと思うときに「採算は取れるのか?」なんてことを考えてしまうのだから、私はまだまだ小さい人間なのだなと思う。

 

 

いま、改めて自分自身に言いたい。採算を考えるな。ただ、誠意を生きろ。いままでの人生も、採算性【計画性】があったからうまくいったとか、そんな訳ではないだろう。ただ、自分が思う誠実さのど真ん中を生きること、自分が思う誠実さのど真ん中を表現することで、結果的に与えられている現在のこの環境は、決して「綿密で緻密な計画性のもとに勝ち取ったもの」なんかではないだろう。予測不可能性を愛するならば、採算性を考えるな。ただ、誠意を生きろ。そうすれば、きっと、人生はお前の想像を超える素晴らしい展開を迎えるだろう。一年前の自分が現在の自分を想像できなかったように、一年後のお前も、現在のお前には想像もすることができない未来を生きているだろう。なにが起こるかわからないということこそが、人生の素晴らしいところじゃないのか、と。想像を超える未来に、静かなる熱情を道しるべに、誰もいない、まだ、開拓されていない『明るい暗闇』を進め。

 

 

 

 

https://www.instagram.com/p/BfAltHjDfHX/

「愛には恐れがない」と聞いた。

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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神のなさることは、すべて時にかなって美しい。 

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働き者に囲まれていると、自分も働きたくなる。いま、ごちゃまぜの家の庭を有志の方々が整備してくれている。それを見ていると「自分もなにかをしたい!」的な気持ちになり、花に水をあげたり、家の掃除をしたりする。鬱病をなおすには「どうすれば他人を喜ばせることができるか」を考えればいいのだと聞いた。自分にないものを数え上げると惨めにもなるが、自分にあるものを数え上げると希望が生まれる。自分にできることはなんだろうか。それは「書くこと」だと思い、いま、こうしてブログ記事を更新している。 

 

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2月12日(月・祝日)にわたり食堂【0円食堂】が開催される。徐々に参加予定者の方々も集まってくださり、いまから当日が楽しみだ。まだまだ生まれたばかりの試みになるために、いろいろと暗中模索を続けながらの開催になる。もしも「自分もなにかを出したい!」と思ってくださる方がいたら、お気軽にご連絡ください。必ずしも大量の料理を用意する必要はなく、自分に無理のない範囲で、なによりも「自分が楽しめる範囲」でご参加を検討していただけたら幸いです。また、この日の参加が難しい場合は、15日(木)のお昼にネパール人のラジェスさんが「手作りのネパールカレーを振る舞う」的な催しを開催してくださることになったので、興味のある方はお気軽に遊びにいらしてください。

 

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おはなをあげる。

 

先日、大量の水仙をいただいた。ごちゃまぜの家に来てくれた方々と分け合うと同時に、遠方にお住いの方々に押し花にして郵送をした。すると、その押し花がものすごい嬉しかったとの連絡が届き、ああ、手紙のやりとりは素晴らしいなと思った。メールにはない温度感や、肉筆に宿る書き手の人柄に惹かれているのかもしれない。ごちゃまぜの家には、いま、大量の水仙が咲き誇ろうとしている。もしも「わたしにも水仙を!」と思われる方がおりましたら、全員に郵送できるかちょっと自信がないのですができる範囲で水仙の押し花を贈らせていただきます。ご希望される方は、坂爪圭吾まで直接ご連絡ください。

 

連絡先・坂爪圭吾

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ごちゃまぜの家をつくりたい!

 

ごちゃまぜの家第二号を、日本の何処かに作りたいと思う。北海道がいいのだろうか、東北か、新潟か、関西か、四国か、九州か。多分、最大の決め手は場所ではなくて『人間』なのだと思う。このひとと一緒にやりたいと思える出会いがあれば、すべてはとんとん拍子で進むような気がする。そのためにも、まず、自分自身が「このひとと一緒にやりたい!」と思っていただける人間性を磨かなくちゃいけないな、と思う。試しに、地元の新潟市内で物件を検索してみたら素敵な家がヒットをした。もしも、この記事をご覧の方のなかに「自分も一緒にごちゃまぜの家をつくりたい!」なんて思ってくださる方がおりましたら、(場所は問いませんので)ご連絡をいただけたら幸いです。いま、私の中には「まずは3人から」という思いがあります。有志の方々が3人揃えば、きっとどうにかなるのだという予感があります。

 

https://www.homes.co.jp/chintai/b-1296890000285/

 

音速で失敗をして、音速で反省をする。

ごちゃまぜの家の活動をはじめて9ヶ月が経つ。たくさんの出来事に恵まれたし、たくさんの失敗も重ねた。ごちゃまぜの家の活動をやらせていただくなかで、こうして「失敗をさせてもらえる」環境が与えられていることは、本当にありがたいことだと痛感をする。いま、平日の夜に晩飯を囲みながら行う『勉強会』のようなものをやりたいと思っている。仏教やキリスト教について(お坊さんや牧師さんを招きながら)説法を聞いたり、影響を受けた作家の読書会のようなものを行うなど、文武両道でいうところの『文』に強い関心がある。わたり食堂の開催と平行をして、このような活動をごちゃまぜの家第二号でも(地域の方々と協力をしながら)展開をしていけたら嬉しいと思う。

 

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勝手に偉人列伝・2『新島襄

新島襄同志社大学の設立者)の生き様に触れると、その思いが透明なものである限り、必ず神様的なものは道を示してくれるのだということを感じる。この番組の中では印象的なセリフが20個くらい出てくるのですが、そのうちのひとつに「規則で縛られているうちは本物ではない」という言葉が出てきます。新島襄は、校則を破る生徒を前に「破るような校則をつくった自分が悪い」と、全校生徒の前で血が滴るまでに自分を鞭打つ場面が出てきます。他人を責めるのではなく、己の誠のいたらなさを叱責する場面は、見るものの心を揺さぶるものがあります。是非、隙間時間に聞いてみてください。

 

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わたり文庫『翻訳できない 世界のことば』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、エラ・フランシス・サンダース著作『翻訳できない 世界のことば』です。こちらの本は、東京都在住の方から「わたり文庫に是非!」とご提供いただいた一冊になります。ごちゃまぜの家の活動をはじめてから、本だけではなく、食料や家具や日用雑貨など、様々な方々が様々なものを持ってきてくださる(時には郵送をしてくださることも!)ことがとても嬉しいです。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡をいたします。

 

※※※ こちらの本は、兵庫県にわたりました ※※※

 

この本で紹介した言葉は、今まで読者の方が考えたことすらなかった、もしくはすでに不思議に思ったことのある疑問への答えになるかもしれません。とらえどころのない、表現のしにくい気持ちや経験をぴたりと言いあてているかもしれないし、長いあいだ忘れていた人を思いださせてくれたりするかもしれません。すてきな会話のきっかけ以上のなにかをこの本から感じとったとしたら、それはあなたが『人間』であることの証明です。なぜなら、本質的にすべての人が『言語』から同じものを感じとるのです。

 

エラ・フランシス・サンダース『翻訳できない 世界のことば』【創元社

 

神のなさることは、すべて時にかなって美しい。 

最近は「神の意思」について考えさせられることが多い。人間の目には悪く見えるようなことでも、神様の目(なんて書き方をすると怪しいけれど、そんな風にしか書くことができない)からすれば、すべては最適なタイミングで起きているのではないのだろうか。そのように考えると、たとえ自分の思惑通りに物事が進まなくても、昔ほどあくせくすることはすくなくなった。聖書には「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」とある。すべては神の思し召しであるのだと、自分にできることは「瞬間瞬間における、自分のベストを尽くすこと」くらいなのではないだろうか、ということを思う。 

 

 

今日、ごちゃまぜの家のシェアスペースの見学に、静岡県在住の女性がふらっと遊びにきてくれた。その方は、都心部でワークショップを開催できる場所を探しているのだと話す。やりたいことをやるときに、やはりネックになるのがお金だという。それで、昨日まで起業家セミナーのようなものに参加をしてはきたのですが、と話したところで、女性の瞳から涙が流れた。私は、何も言わずに、ただただ話に耳を傾けていた。何を言っても嘘くさくなりそうな時に、わたしは何も言うことができなくなる。ただ、この家が力になることができるのであれば、是非、この家を使ってもらいたいと思った。

 

 

極論、なにもなくてもいいのだと思う。大きなことを成し遂げようと思わなくてもいいし、ひとから褒められるような生き方をできなくてもいいし、何者にもなろうと思わなくてもいい。自分は自分のまま、あなたはあなたのまま、生命は生命のままでそこにある。自分の外側に張り付いているものを通じて自分を誇ろうとするのではなく、ただ、自分が自分であることを誇りにできるように。自分を傷つけることができるものは、他の誰でもない、自分だけだ。周囲の無理解や言われなき誹謗中傷の嵐を受けることがあったとしても、憎しみを耕さないことだ。生命の源に宿るもの【自尊心】を護るものは、他の誰でもない、どこまでも自分自身の捉え方に拠るものだと思う。

 

 

 

https://www.instagram.com/p/Be5KTp6jOr2/

ただ、自分が自分であることを誇りにできるように。

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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人類全体の父になれ。

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2月12日(月・祝日)にわたり食堂【0円食堂】を開催します。今日、車を運転しながら「運命よ、おれを殺すなら殺せ」という言葉が脳裏をよぎった。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれという言葉もある。多分、わたしは捨て身になりたいのだと思う。最近は「真の意味で生きるとはなにか」的なことばかりを考えてしまう。逆説的だけど、生きるとは死にに行くことだと思う。自分にとって大事なものを、自分以外のために捧げることだと思う。生に対する執着を解き放つことで、死に対する恐怖が解き放たれるのだと思う。いまの自分には金も名誉も仕事も家庭も社会的な信用も何もない。大事なものといえば命くらいだ。自分の命を、果たしてなにに捧げたらよいのか。自分が真の意味で望んでいることはなんだろうか。最近は、そういうことばかりを考えている。

 

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運命よ、おれを殺すなら殺せ。

車を運転していると瞑想状態にはいる。明鏡止水という言葉がある。邪念がなく、静かに澄み渡っている状態。最高の状態だと思う。運転をしながら思う。自分みたいな人間が32年間生きてこれたことは奇跡だ。感謝をしてもし切れない。全方位にお世話になっている方々がいるために、どの方角にも足を向けて眠ることはできない。一生分の人生を生きた。残りの人生は世のためひとのため(そしてもちろん自分のため)に生きたいと思う。家は質素でいい。食事も玄米にごま塩があればいい。贅沢は言わない。残りの人生を自分はなにに投下するべきか。そういうことを考えるときに「家族」という言葉が浮かぶ。

 

昨日、高校三年生の女性から電話がきた。話を聞くと「自分は自分に嘘をつき続ける人生をおくってきた。母親との仲が絶望的に悪く、ただ生き延びているくらいなら死んだほうがましだと思うことも多い。さっきまで大学受験のテスト会場にいたのだけれど『こんなことをやっている場合ではない!』と痛切に思って、坂爪さんに電話をしました」とのこと。電話をくれたことがうれしかった。様々な問題の根源は、多くの場合『家族関係』にあるように思う。家族がいるから幸福という訳でもなければ、家族がいないから不幸という訳でもない。ひとにはそれぞれ事情がある。一見すると誰もがうまいことやっているように見えて、家族関係に問題を抱えているひとは多い気がする。逆に言えば、家族との問題をクリアすると人生はボーナスタイムに突入するということを思う。

 

ひどく抽象的な言葉になるけれど「バラバラなものをひとつにするんだ」という思いがある。この感覚は昔からあった。現在はごちゃまぜの家の活動を通じて、そのための試行錯誤を繰り返している。同じ地球上に生きていながら、同じ人間というジャンルの生物でありながら、世界には様々な分断が蔓延しているように思う。ひと知れず孤独や絶望や深い虚無感を抱いているひとも多い。自分自身もそうだ。いまの自分をダメだとは思わないけれど、ひととひととはもっと強く結びつきあうことができるのではないだろうかという思い【さみしさ】が常にある。残りの日々を、そういった意味での『ボンド』的な役割を担いたいと思う。願わくば、ファミリーボンド【家族的な絆】をこの惑星にもう一度。それがダメで死んでしまうなら、それは仕方のないことなのだと思う。生きている間に、自分はどれだけのことを成し遂げることができるのだろうか。何も成し遂げられないとしても、最期の瞬間に「おれは生きた」と思える生き方をしたいのだと思う。

 

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勝手に偉人列伝・1『田内千鶴子』

光を観ると書いて観光と読む。最大の観光名所は、人間だと思う。人間のこころのなかに確かな「光」を見た記憶は、いつまでの消えることなく残り続ける。弱気になったとき、自分で自分を信じることができなくなったとき、私は過去の偉人の生き様に触れる。そのことで生きる力【生きたいと思う力】を取り戻す。田内千鶴子という女性がいる。高知県に生まれ、韓国で孤児院を開設した女性だ。時間のある方は、是非、隙間時間(通勤中や眠る前の軽い運動のお供)に聞いてみてください。

 

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わたり文庫『続 泥流地帯』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、三浦綾子著作『続 泥流地帯』です。自分がダメになりそうなとき、読書をすることによって引き上げてもらえた記憶が無数にあります。本を読む理由は様々だけれど、そのうちのひとつに「最高の話し相手をもつことができる」ことがあると思います。付き合いの飲み会に足を運ぶより、表面的な会話を続ける時間を選ぶよりも、わたしは読書を選びたい【人間に触れたい】と思うタイプの人間です。こちらの本をご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡をいたします。

 

「しかし、俺はね。自分の人生に、何の報いもない難儀な三年間を持つということはね、これは大した宝かも知れんと思っている」

 

「宝?」

 

驚いて国男は声を上げた。耕作も拓一を見た。佐枝だけが深くうなずいた。

 

「うん、宝だ。たとい米一粒実らなくてもな。それを覚悟の上で苦労する。これは誰も俺から奪えない宝なんだよ。わかるか、国ちゃん」

 

「・・・・・・・」

 

「実りのある苦労なら、誰でもするさ。しかし、全く何の見返りもないと知って、苦労の多い道を歩いてみるのも、俺たち若い者のひとつの生き方ではないのか。自分の人生に、そんな三年間があったって、いいじゃないか。俺はね、はじめからそう思ってるんだ」

 

三浦綾子『続 泥流地帯』【新潮文庫

 

人類全体の父になれ。

私はまだ結婚をしていないし、付き合っている女性もいない。だからこの国の法律的な意味では「自分の家族」をまだつくってはいない。しかし、ごちゃまぜの家の活動を続けながら「人類全体の父になれ」ということを何度も何度も何度も何度も何度も自分に思う。自分のこども【血縁者】だから大切にするというのではなく、この場所に足を運ぶひとは誰もがみな家族みたいなものだと思って、できる限りの気持ちを込めて接するということ。それは、耳当たりのいい言葉だけを言うことを意味するのではない。言いづらいことでもはっきりと言うこと、その時は、できるだけこころを込めて言うことなのだと思っている。

 

 

自分はまだまだ全然未熟で、それができていないことが大量にある。しかし「人類全体の父になれ」と言う言葉は、弱い自分を何度でも鼓舞してくれる。人類全体の父とは、果たしてどのような人柄の持ち主なのか。それを自分なりにイメージして、少しでもそれに近づけるように鍛錬を積む。わたしはまだ独り身で、結婚をする予定もない。ただ、稀にこんなことを思うときがある。もしも自分にも結婚をすることがあるのだとしたら、そのときは「人類全体の母になる」ようなひとと、わたしは生涯を共にしたいなどと願うのだろうなと思う。

 

 

素晴らしい人物と出会ったとき、恥ずかしくない自分【そのひとにふさわしい自分】でありたいと思う。いまの自分は全然まだまだで、しかし、ごちゃまぜの家の活動なり、日々の生活の中で鍛えられている部分はそれなりにある。いまよりもよくなりたいと願うこと、それは「現在の自分を否定すること」としてではなく、より高いところに自分を導いてくれるような、より高いところに自分を引き上げてくれるような、そういった意味での『向上心』をなくしたくないと思う。否、こんな言い方をすると硬くなる。端的に「もっとよくなりたいと思うことができる」この心の働きを、私はとても素敵なものだと思っている。自分を磨くということ、それは精神性を磨くということなのだと思う。退屈やさみしさに負けてしまわないように、孤独感や虚無感に飲み込まれてしまわないように、自分のなかに宿るもの【人間全体に宿るもの】を磨き続けていけたらと思う。

 

 

 

https://www.instagram.com/p/BewF0DEDRhl/

たくさんの水仙をいただきました。

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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神様は、不必要な人間を作るほど愚かではない。

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前回の記事で「ごちゃまぜの家の新規入居者を募集します」と書いた。乳児院で働く女性Y様が見学に来てくださり、無事に入居が決定をした。乳児院では、児童(孤児)を入院させて養育をする施設、および退院したこどもたちの相談や援助を行う。ウィキペディアによると「児童虐待や家庭問題による養育者の不在、児童自身の障害」をもったこどもたちを養育する施設になる。その後、乳児院のこどもたちは実の両親や親族に引き取られたり、養子縁組などで里親の元へ引き取られるか、それが無理な場合は児童擁護施設へと措置変更となるのだと聞いた。

 

Y様はこどもが好きだと話す。こどもが好きだと話すY様の姿は生き生きとしていて、ああ、自分が好きなものについて話しているひとの表情は本当に素晴らしいものだと感じた。昨日、入居が決定したあとに「入居の祝いにみんなでごはんを食べましょう!」ということになり、Y様に食事をご馳走していただいた。通常だったら「逆だろ!(ご馳走をするのは坂爪サイドだろう!)」とは思ったのだけれど、お言葉に甘えてご馳走になった。場所は菊名駅前にあるサンロードという名前の洋食屋さん。こちらのお店は料理の味もお店の雰囲気も最高なので、食卓を囲みながら「ようこそ菊名へ!」という気持ちになった。

 

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家族を増やす。

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ごちゃまぜの家シェアルームの、共同参加者の募集もはじまりました。ごちゃまぜの家の2階には、月額1万円で利用することのできる1DKの空間【洋室】があります。文章だけで説明をすることが非常に難しいのですが、利用者の方は「月に三日間、この空間を貸切で利用することができる」という感じになります。利用例としては「東京に来た時に利用したい」とか「昼寝をしたい(布団はご用意しております!)」とか「実家暮らしだけど定期的にひとりになりたい」とか「ごちゃまぜの家に関与をしたい」とか「小規模なイベントやワークショップをしたい」と思っている方々に、利用をしていただけたらいいのかなあと思っています。

 

まだまだはじまったばかりの試みになるので、各種諸々は「応相談!(率直にやりたいと思うことを言っていただければ、実現する可能性は高いです!)」になります。たとえばの話ですが、A様がこの部屋を借りてくださった場合、A様のお友達の方も(月に三日間という範囲内にはなっちゃうけれども)この空間を利用することができます。「なぜ月に三日間という範囲なのか」とか「自分以外にはどのような人間が利用をしているのか」など、ここで説明できる範囲に限界があるために、ちょっと興味があるという方は坂爪圭吾まで直接ご連絡をいただけましたら幸いです(シェアルーム部分の見学も常時受け付けております!!)。

 

連絡先・坂爪圭吾

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keigosakatsume@gmail.com

 

新しい入居者が決まると、家族が増えたような気持ちになる。Y様の引っ越し予定日も決まり、ごちゃまぜの家には車もあることだから「もしよろしければ引っ越しもお手伝いしますよ!」とお伝えしたところ、非常によろこんでもらえて嬉しかった。関係者が増えるということは、家族が増えるような感覚になる。家族が増えることで「自分ひとりのためだけではなく、家族全体のために生きよう」みたいな力を得ることができる。そして思う。現代社会は「自分一人の力でなんでもやれるように」教育をされているというか促されているように感じることも多いけれど、そのことによって孤立を深めてしまう場面は結構ある。しかし、ほんとうのところでは「お互いに支え合って生きていたい」と多くの人々は感じているのではないだろうか。私【坂爪圭吾】にできることには限りがあるけれども、ひとつ屋根のした、生活を共にするひとを大事にしたいと思う。

  

わたり文庫『泥流地帯』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、三浦綾子著作『泥流地帯』です。三浦綾子さんの作品は過去に何度か紹介をしているのですが、こちらの本もすこぶる素晴らしい一冊だと思いました。胸に迫る言葉や場面は大量にあったのですが、小学生のこどもたちが綴り方の授業で「詩」を書く場面が出て来ます。その中で、母親のいない家庭で生きる五郎が書いた「まんま」という詩には、心打たれるものがありました。他にも「朝」や「夕やけ」など、こどもにしか出せない素朴な味わいとでも言うのでしょうか、とにもかくにもみなさまにご一読いただけたら嬉しい作品になります。小説の内容は、大正15年5月、北海道の上富良野で起きた十勝岳大噴火時に生きた家族の物語です。こちらの本をご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※

 

「朝」 

 

目がさめた。

起きた。

顔あらった。

めしくった。

学校さ来た。

 

 

「夕やけ」

 

田んぼの水が まっかだ。

窓もまっかだ。

すごい夕やけだなあ、

かあちゃん

 

「まんま」

 

ゆんべ

おれが まんまたいた。

ちょっと こげたけど、

父ちゃん おこらんかった。

あんちゃんも おこらんかった。

みそつけて くった。

うまかったなあ、

おれのたいた まんま。

 

三浦綾子『泥流地帯』【新潮文庫

 

神様は、不必要な人間を作るほど愚かではない。

ひとつの空間が生まれると、その空間にあわせるように「ひとつのコミュニティ」が築かれる。しかし、私は、この空間【ごちゃまぜの家】はコミュニティを築きあげるものではなく「コミュニティを溶かすもの」でありたいと思う。ひとつのグループをもっているものに対して、多くの場合、グループの外にいるものは批判的になる。反発する感覚を抱き、疎外感を覚え、部外者としての孤独感や分離感を深めていく。「どうせ自分は歓迎をされていないのだ」と感じる気持ちは、そのひとの内部に冷たい感情を残す。この空間は、そんな風になってしまってはいけないのだと思う。ごちゃまぜの家は、あくまでも開かれたものでありたいと思う。固定的なものではなく流動的なものとして、ひととひととの間にある垣根のようなものを、強化させるものではなく『できることならば取り払える空間』にしたいと思っている。

 

 

最近は「不幸とは、出来事のひとつの側面でしかない」ということを思う。人間万事塞翁が馬という言葉もある。自分的にめちゃめちゃ凹む出来事があって「もうダメだ…」と思ったことでさえも、それがきっかけで(振り返って見ると)人生が大きく展開をする最高の契機になっていた、という体験は誰にでもあるのだと思う。私の場合は、家を失うという体験を通じて「家を得る」という体験をしたことがそれにあたるのだと思う。人間が考えることと、自然の摂理がもたらすことには、大きな違いがある。「もうダメだ…」と考えるのはあくまでも人間の頭だけであり、大袈裟な言葉で言えば「神の意思は人間の想像を超えて大きな物語を用意してくれているものだ」ということを思う。

 

 

三浦綾子さんは、その講演の中で「神様は、不必要な人間を作るほど愚かではない」という言葉を紹介していた。13年間に及ぶ療養生活の中で、三浦綾子さんは「病気の自分は誰の役にも立つことができない。そんな自分は生きていてもしようがない」と何度も何度も感じたと言う(オホーツク海で自殺未遂をはかったこともある)。そのような時に、見舞いに足を運んだキリスト教の牧師さんが、上記の言葉を三浦さんに語ってくれた。神様は、不必要な人間を作るほど愚かではない。生きている限り、冷たい感情に飲まれてしあうことは誰にでもある。そんなときは、生きることがただただ過酷な営みに思えることもある。それでもなお、生きるということは「生かす」ということなのだと思う。自分に与えられている才能の花を、時間の花を、命の花を、惜しみなく開いていくことなのだと思う。自分の命を生かす中で、人々の心の中にある冷えている感情を、自分の中にある冷えている感情を、少しでもあたたかな方向にもっていくことなのだと思う。

 

 

 

https://www.instagram.com/p/BepyNMljJb3/

神様は、不必要な人間を作るほど愚かではない。

  

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu     

 

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好きなように生きて、好きなように死のうよ。

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四年半続いた活動に終止符が打たれ、1月26日にいばやは解散した。坂爪圭吾から肩書きはなくなり、ただの空っぽの人間、ただの生命体になった。1月中旬から期間限定で活動をはじめた鉄砲玉48も任期を終え(下記リンク先よりラスト音声配信を聞くことができます!!)、気がつけば『いろいろなものを終わらせにいく』1月になった。この記事をご覧のあなたにとって、2018年1月はどのような一ヶ月になったのでしょうか。

 

twitcasting.tv

 

これからしばらくは、神奈川県横浜市港北区富士塚2丁目24−5にあります「ごちゃまぜの家」に滞在をする。ごちゃまぜの家では、現在、新規入居者を募集しています。もちろん、ごちゃまぜの家自体は入居者ではなくても誰でも利用をできるのだけれど、もしも「ここに住みたい!」と思った方には、ここで暮らすという道もあります。見学も常時受け付けているので、興味のある方はお気軽にご連絡ください。今回の記事では、ごちゃまぜの家が提供できるメリットのようなものをまとめてみたいと思います。

 

ごちゃまぜの家 シェアハウス|ひつじ不動産

 

ごちゃまぜの家とは何か。

ごちゃまぜの家とは、2017年の4月にクラウドファンディングの企画を通じて生まれた「誰でも自由にご利用いただける無償の空間」になります。前々から「家とはなにか??」とか「家族とはなにか??」ということに関心があった私は、これまでにない形の家であったり、これまでにない形の家族であったりを模索する試みの一環として、分け隔てなく人類全体をごちゃまぜにする空間があったら面白いのではなかろうかと思うようになり、クラウドファンディングを通じてみなさまからの支援を求めました。

 

 

非常にありがたいことに、200名を超える方々からご支援をいただき、2017年6月に記念すべき第1号が東横線菊名駅から徒歩9分の場所に「ごちゃまぜの家」は誕生をしました。新潟生まれのわたしからすると、横浜は死ぬほど都会です。都会は便利でモノも溢れている反面、静けさを得ることが難しいとも感じます。都会には静けさが必要だ。自分を取り戻すことができる時間や、真の意味で落ち着ける空間が求められている。ごちゃまぜの家をやるなら静けさを取り戻せる環境がいいなあと思っていたのですが、この家は(裏に雑木林があるからなのか)周囲は住宅街であるにも関わらず昼夜問わず非常に静かな時間が流れています。渋谷で生まれて渋谷で育った方が訪問をしてくださった際、その方は「こんなに静かな空間にいるのは生まれてはじめてかもしれない」と感想を述べてくれました。

 

 

この家は、基本的に「みなさまの善意」によって成り立っている善意の塊みたいな空間になります。なぜ、無料で飲食や宿泊をすることができるのか。それは、端的に「それを支えてくれている方々がいるから」ということになります。食材を持参してくださる方や、家具や日用雑貨などの消耗品を持って来てくださる方、金銭という形で支援をしてくださる方々がいます。自分で言うのも変な話ですが、この空間があった方がよいと思ってくださる方々がいる限り、この空間は生き続けるのだと思います。逆に言えば「この空間は不要だ」と思われる方が多ければ、ごちゃまぜの家は生命力を失い、志半ばでダメになるのだと思います。わたしができることは、純度を保つこと、精度を高めること、乱暴な言葉でまとめるならば「この家があったほうがいろいろと素敵だ」と思える時間なり空間なりを築き上げていくことなのだろうなと思っています。

 

ごちゃまぜの家が与えることのできる恩恵。

ごちゃまぜの家の利用者の方々や、ごちゃまぜの家の住人に差し出すことができる恩恵(?)について考えます。まず、この家は「普通の家よりはひとの出入りがある分、謎の出会いに恵まれやすい」というものがあります。ひとりになりたければ個室にいけばいいし、誰かと交流をしたいと思ったときは居間なり台所なりに行けばいい。どうしたって人間、似たような日々を過ごしていると似たような人々とばかりの狭い範囲内での人間関係に閉ざされがちになります。そんな時、ああ、同じ地球上にはこんな生き方をしている人間もいるのかと思える瞬間のなかには、ちょっとした『自由』が含まれているように思います。

 

もうひとつは、家にある食材(食材だけでなく家にあるものすべて)は自由に使えるということ。理想としては365日炊き出しが行われている状態を目指しているのですが、とにもかくにも米と味噌だけはあります。食事に困ったときなど、贅沢はできませんが米と味噌だけは常にあります。米と味噌があれば人間は死なない。死なないのであれば「元気になるまでゆっくりとして、元気になったらまた遊びにいく」的なサイクルをこの空間からはじめることができます。ある方が「ごちゃまぜの家があるというだけで、(最悪の場合はごちゃまぜの家に行けばいいと思えるから)少しだけ大胆に生きることができる」ということを言ってくれました。この言葉を聞いたときは、なんだか本当にうれしかったものです。

 

そして、最大の恩恵は「心」だと思っています。これは目指しているだけのことであってまだまだ全然できていない瞬間もありますが、この空間は「心を与え合うことができる空間」として機能をすれば最高にうれしいと思っています。マザーテレサは言います。この世で最大の不幸は、貧しさや病ではありません。誰からも自分は必要とされていないと感じることです、と。この言葉を読んだときは「わっかるぅ〜!」などと強く思ったものです。私は(牡羊座だからなのか)腹の内側に熱い部分を秘めている人間みたいで、誰だって「生きている限り必要な存在である」ということを割とガチで思っています。心が冷めてしまいかけているときに、人間としての幹が痩せ細っているときに、自分は誰からも必要とされていないと感じてしまいそうになっている瞬間に「そんなことないぜ」なんて言える空間になれば、これほどうれしいことはないなあなどと思っています。

 

ibaya.hatenablog.com

 

わたり文庫『おむすびの祈り』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、森のイスキア主宰・佐藤初女著作『おむすびの祈り』です。私が説明をするまでもありませんが、みなさまもご存知の通り、佐藤初女さんはほんとうに素晴らしい女性だなあと思います。引用をさせていただいた『一線を越える』というお話は、まさにその通りだなと、なにかあるとすぐに「この程度でいいだろう」と線引きをしてしまいかねない自分自身を戒める、最高の機会をいただきました。ひととひととが真の意味で出会うとき、多分、昔の自分に戻ることはできなくなる。自分の物語と相手の物語が交差をして『私達の物語』がはじまるような、出会いの中には人生を大きく動かす力があるのだと思います。その力に触れるためには、一線を越えるということ、この程度でいいかと思うもう一歩先まで足【心】を踏み入れることなのだと思います。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、長野県にわたりました ※※※

 

夫が亡くなり、自由な身となりましたので、これからは、いよいよ本格的に奉仕に生きていきたいと思うようになりました。

 

私は幼い頃から八人きょうだいの長女として、弟妹の面倒を見ていたためか、人のお世話をするのを自然なことと受けとめていました。

 

私の進む道をはっきりと示されたのは、ある主日の御ミサの説教でした。

 

「奉仕のない人生は意味がない。奉仕には犠牲が伴う。犠牲の伴わない奉仕は真の奉仕ではない」

 

と、私の敬愛するヴァレー神父様が凛々しく語られたのです。私は神父様のこの説教に大きく心を揺さぶられました。この言葉は、それまでの私の生き方に対する問いかけでした。それまでも、お腹がすいている人がいれば食べさせ、着るものがない人がいれば服をあげ、ということはしていたのですが、それは自分が無理なくてもできる範囲でのことでした。

 

しかし、それではいけないんだ、ある線を一歩越えなければ本当の意味の奉仕ではない、私は、説教を聞きながら、体の中の血が駆けめぐるようでした。

 

佐藤初女『おむすびの祈り』【集英社文庫

 

好きなように生きて、好きなように死のうよ。

ごちゃまぜの家は住所も公開をはじめたので、興味のある方はいつでも遊びにいらしてください。坂爪圭吾との面会をご希望される方は、坂爪圭吾【LINE ID ibaya】まで直接連絡をください。新規入居者の方も、限定1部屋になりますが募集をしております。ごちゃまぜの家の台所で、一緒に料理をしてくださる方(マッサージを教えてくれる方)も募集をしています。ごちゃまぜの家は、晴れた日の日当たりが最高です。縁側に座って太陽の光を浴びながらお茶を飲んでいるだけでもたやすく幸せになれるので、是非、興味のある方は(百聞は一件に如かず!ということで)実際にご覧いただけましたら幸いです。

 

 

また、坂爪圭吾が提供できるものとしては「お昼寝のお供にギターを奏でる」というものがあります。最近、ギターを練習しています。ギターを練習しているとそれを聞きながら眠るひとが最近すごい増えているので「もしかしたら俺のギターはひとのこころを眠りに誘う力が高めなのかもしれない」なんて思っています。必要とされる限り出張ギターもやりたいと思っています。あとは、佐藤初女さんの影響を受けて「おにぎりはやばい」的なことを感じるようになっているので、料理の腕前も高めていけたらいいなあと思っています。料理の腕前、などと言いましたが実際のところは「こころを込める腕前」を(目の前にあるものを通じて)磨いていきたいのだと思います。丁寧に生きるということは、生活に祈りを込めるということなのだと思う。言葉であれ、ギターであれ、料理であれ、大事なことは「こころを込めているか」どうかなのだと思います。

 

 

そして「一線を越える」勇気をもつということ。境界線を越える勇気をもつということ。引きこもってばかりいるのではなく、自分を投げ出してぶつかっていく勇気をもつということ。相手の領域に踏み込むという言葉は、ネガティブな意味合いで使われることが多い。しかし、その裏側では「わかりあっているふりを続けるのではなく、人格と人格のぶつかりあいによって生まれる摩擦熱(生きている実感)」を心の内側では求めているのではないだろうか。少なくとも、自分はそういう人間だなと思う。これから自分が選ぶ道に恐れや不安を覚えるとき、自分の軸を取り戻すための問いかけがある。それは「愛はあるか」という問いだ。自分がこれからやろうとしていることに、自分なりの愛【自分なりの熱情】を込めることができるのであれば、恐ることはなにもないのだと思う。成功をすれば清々しいし、失敗をしても清々しい。ひどく当たり前のことだけれど、人は必ず死ぬ。生きている時間はいまだけだということ。自分が置かれている現状を「泣く道」を選ぶのか「笑う道」を選ぶのか。どうせならば、生きているのならば笑っていたいと私は思う。清々しくありたいと思うし、潔く、明朗でありたいと思う。やりたくないことをやって生き延びることよりも、やりたいことをやって死にたいのだと思う。

 

 

 

ごちゃまぜの家

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

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崇高な道を選べば、必要なものは与えられる。

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東京都在住の女性から「話がしたいです」とご連絡をいただき、武蔵小杉駅で合流をする。話を聞くと、ここに来る前に市役所に行って離婚届を提出してきたばかりだと言う。最近、離婚というワードを頻繁に耳にする。一見すると幸せそうに生きているようなひとでも、その内奥では人知れない孤独や悩みを抱えているものだということを、様々な方々と出会うことで強く感じる。わたしにできることと言えば、自分をからっぽにするだけ。ただ、黙って話に耳を傾けることくらいだ。

 

【4th「背水のジントニック」/TPD48】

 

話を聞くことで少しでも気持ちが楽になってもらえたのであれば、それはとても嬉しいことだ。自分は、良くも悪くもひとの話を真剣に聞きすぎる。だから、稀に猛烈な疲労感のようなものを覚えることがある。話を聞くと感謝をしてもらえる。おかげで元気になりました!なんて言ってもらえることも多い。涙を目にする機会も多い。よろこんでもらえることは嬉しい。だが、その反面で「誰かを元気付けることはできても、誰が俺を元気付けてくれるのだろう」などと甘ったれたことを思うこともある。誰かを元気付けるほどに、これはやり方を間違っているサインなのだろう、自分から元気がなくなっているように感じることがある。

 

ibaya.hatenablog.com

 

紙に吐き出す。神に吐き出す。

疲労感を覚えたときは、思いの丈を紙に吐き出すようにしている。紙に吐き出す行為は、どこか『神に吐き出す』行為みたいだなと思う。ちょっと聞いてよ神様、みたいな感じで思いの丈をひたすらに綴る。生きていると「さみしさ」のようなものを覚えることがある。誰かといたいと願う気持ち。誰かと話がしたいと願う気持ち。温もりに触れたいと願う気持ち。生きていることを確認し合いたいと願うような気持ち。さみしさは心許なさを運ぶ。自分ひとりの足で立っていることが難しくなり、他者を必要とする。

 

心許なさに包まれている自分を見て、ああ、まるで飼い主の帰りを待つ犬のようだなと思った。それでは、自分にとっての『飼い主』とは誰なのだろうか。多分、それは人間ではないように思う。私は、過去に「横を見るな。縦を見ろ」という言葉を自分自身に言い聞かせていた。ひとにつながりを求めるとつらくなる。ひと【横】とのつながりを求めるのではなく、天【縦】とのつながりを求めろ(思い出せ)と、自分自身に言い聞かせていた。特定の宗教を持つ方々は、多分、天を「神」と言い換えたりもするのだろう。

 

飼い主の帰りを待つ犬のように、

さみしいとか、苦しいとか、

心許なさを覚えることがある。

 

私の飼い主は、天と地だ。そして、

私の帰る家は、天と地だ。

 

神は言う。 "I'm home"

私はここにいる。そして、

私はお前の家だ。と言う。

 

私はここにいる。私はお前を見ている。

お前は決して見捨てられてないんていない。

私がお前の家だ。お前は守られている。

 

お前の居場所はここにある。

 

紙に吐き出した言葉は、神からのレスポンスのように感じた。

 

空間を。

ブログ読者のみなさまにお願いがあります。いま、私【さかつめけいご】は、自由に使わせていただける空間を必要としています。疲れた時など、たまに立ち寄って心身を整えたら再び元気に歩き出せるような、また、誰も使っていない時間帯はその空間を必要とするひとに使っていただけるような、自由に使える空間を必要としています。どのようにお願いをしたらいいのかちょっとわからないのですが、もしも「使っていない空間がある」という方がいらっしゃいましたら、ご連絡をいただけましたら幸いです。

 

連絡先・坂爪圭吾

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keigosakatsume@gmail.com

 

このような人間に空間を使わせても大丈夫なのか、と疑問に感じられることはもっともだと思います。なので、いきなり場所だけを使わせてくれとは言いません。ご連絡をいただいた方には、まず、一回実際にお会いさせていただけたら幸いです。実際に坂爪圭吾という人間を見ていただき「こいつなら大丈夫だ」と思っていただけたのであれば、そこから話を進めていけたらと思います。逆に言えば、ああ、こいつには使わせてやることはできないなと感じた場合は、遠慮なくその旨を伝えていただけたらと思います。

 

※※※ 空間の募集は終了いたしました ※※※

 

わたり文庫『おおきな木』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、シェル・シルヴァスタイン著作『おおきな木』です。昔、家のない生活をしていた頃、一般家庭のご自宅に宿泊をさせていただくことが頻繁にありました。そのなかで、こちらの絵本を「自分の大好きな作品なので、是非、次の方にまわしていただけたらうれしいです」と託していただいたことがあります。この絵本の訳者でもある村上春樹さんは言います。そこにはできあいの言葉ではすらりと説明することのできない、奥行きのある感情が込められています。美しい感情があり、喜びがあり、希望の発芽があるのと同時に、救いのない悲しみがあり、苦い毒があり、静かなあきらめがあります。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※

 

あなたが何歳であれ、できたら何度も何度もこのお話を読み返していただきたいと思います。一度ですんなりと理解し、納得する必要はありません。よくわからなくても、つまらなくても、反撥を感じても、腑に落ちなくてもやもやとしたものがあとに残っても、悲しすぎる、つらすぎると感じても、腹が立っても、とにかく何度も読み返してみて下さい。これまで半世紀近くにわたって、みんながそんな風にこの本を読み継いできたのです。きっと何かがあなたの心に残るはずです。あるいはあとに残るのは木の葉のそよぎだけかもしれません。でもそれだってかまわないのです。ー (訳者あとがきより引用)

 

シェル・シルヴァスタイン村上春樹・訳)『おおきな木』【あすなろ書房】 

 

崇高な道を選べば、必要なものは与えられる。

稀に、出会ったひとから「坂爪さんにはがっかりしました」とか「そんなひとだとは思いませんでした」と言われることがある。面会している時に言われることは少なく、多くの場合、あとから溜め込んだ感情が爆発をしたかのような、呪詛めいたロングメールになる。それを読みながら、ああ、俺は(そのひとにとって)完璧であることを期待されていたのだなと思う。そして「俺もひとりの人間だ。良い部分もあれば悪い部分もある。完璧を求める【完璧を求められる】と辛くなる。それでは誰も幸せにならない。完璧であることを強いるより、不完全であることを慈しめる方向に舵を取りたいのだ」ということを思う。 

 

 

道に迷うとき、私は自分の思いを紙に吐き出す。紙に吐き出すことは『神に吐き出すこと』と似ている。昔からずっとそうだった。これから自分がやろうとしていることが、天意に叶うものであればそれは実現をするだろう。しかし、天意に沿わないものであれば、それは実現をしないだろう(実現をしないほうがよかったことなのだろう)。人間がコントロールをできる範囲と、人間にはコントロールをできない範囲がある。自分にできることといえば、自分が思う誠実さのど真ん中を生きること。たとえ、周囲から笑われたりバカにされることがあったとしても、自分が信じた道を愚直に進むことなのだと思う。

 

 

崇高な道を選べば、必要なものは与えられる。現在の自分は無宗教で、まだ、特定の宗教を信じる道にはいたっていない。ただ、このように感じる精神面の働きは『信仰』と呼ばれているものと似通っているのかもしれない。信仰は、知識として蓄えるものでもなければ、お守りのように常に胸に秘め続けるものでもない。大事なことは「信仰を生きる」ことだ。崇高な道を選べば、必要なものは与えられる。この言葉を、ただの言葉としてではなく、自分の生き様を通じて体現することができたのであれば、そのことを本望だと思う。

 

 

 

https://www.instagram.com/p/BeZO21yj5Tk/

崇高な道を選べば、必要なものは与えられる。

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

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成功した人間になろうとするな。価値のある人間になろうとせよ。

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千葉県在住の方から「会いたいです!」というご連絡をいただき、千葉に向かう。激烈に美味しい中華料理をご馳走していただいたあと、ご自宅に招待をしていただき、非常にハイソサエティな一軒家の一室で『アロママッサージ』なるものを施していただく。あらゆる依頼になんでも無償でお応えします!と銘打ってはじめた鉄砲玉48の活動になるものの、坂爪圭吾の場合、してあげるどころか「してもらうばっかり」な日々に大変恐縮をしております(千葉県のM様、非常にお世話になりました!!)。

 

 

雪がやばいから早めに帰ろう、などと思っていたタイミングで「渋谷で炊き出しをするので来てください!」と、鉄砲玉48の新メンバー嘉向徹の身体ありがとうさんから連絡が届く。嘉向徹の身体ありがとうさんと稲村彰人さんは、いただいたお米をフローさせるためにハチ公前でおかゆを振る舞う手筈を(自主的に)整えていた。千葉を出る。大雪で遅延をする電車を乗りついでどうにかこうにか渋谷に到着をする。「どこでやっているのだろう」と思いながらハチ公界隈をさまよっていたら、冒頭の写真にあるような景色を目撃した。あの瞬間は笑った。稲村彰人さんが「FREEおかゆ」の看板(?)を抱えながら、大勢の通行人に囲まれた状態で『おかゆ』を食べていたのだ。

 

ibaya.hatenablog.com

 

徳は急げ。 

こういうことを絶対にやらなそうな稲村彰人さんが、あの、マクドナルドでポテトを注文するだけでも身体中がこわばって「ああ…ダメだ…」と踵を返し続けていた稲村彰人さんが、渋谷駅のど真ん中で、これだけの人混みにまみれながら「おかゆいかがですか?おかゆをたくさんご用意しています」などと通行人の方々に笑顔で声をかけていた。この場面は衝撃的だった。笑えたし、泣けた。嘉向徹の身体ありがとうさんも「あきと、こっち向いて!」とか「猫背になっているからもっと胸を張って!」とか「土鍋の蓋を開けて!」などとアドバイスを飛ばしつつ、写真や動画で現場の模様を刻んでいた。

 

実際に稲村彰人さんにお会いしたことのない方は「なにをさかつめはこれだけのことでこんなにも大仰に・・・」などと思われるかもしれない。が、これは個人的に半端なく感動的な出来事だったもので、こうしてブログ記事にしないではいられない。くるりの曲に「思い切り泣いたり笑ったりしようぜ」的な歌詞の曲があったように記憶をしているのだけれど、それが達成されたような強い感慨を覚えた。おかゆを配り終え、寒さで骨髄を震わせながら車(ごちゃまぜの家には、善意ある方から「自由に使ってください」と貸していただいている車【ヴィッツ】がある)を停めた駐車場に戻る。1日の感想を語る。大変だけど面白かったねと笑う。嘉向徹の身体ありがとうさんが、写真を眺めながら笑っている。笑っている嘉向徹の身体ありがとうさんを眺めながら、さかつめも稲村も笑う。1日をねぎらうように、安室奈美恵さんの名曲が流れる。

 

粥 CELEBRATE?(作詞・嘉向徹の身体ありがとう)

粥 CELEBRATE? 粥 KISS ME TONIGHT?

We will rice long long time

雪降ったから渋谷駅でおかゆつくるよね

 

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粥 CELEBRATE? 粥 KISS ME TONIGHT?

We will rice long long time

貰い米だね 今夜からは君にあげるよね

 

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儚く・・・儚く・・・風に吹かれて消えてゆくコンロの火を

着け直し消えて着けて また吹き消えて

 

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寒かった霜焼けしたでも 湯気が素晴らしい

お粥ができた 土鍋で炊いた ガスボンベも2個目取り替えて

 

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ふと見上げた ハチが笑った 見ててくれるよね

 

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【4th「背水のジントニック」/TPD48】

 

稲村彰人さんが移動中の車内【帰り道】で涙した保科亮太さんのブログ記事。

ojohakusyo.hatenablog.com

 

わたり文庫『代表的日本人』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、内村鑑三著作『代表的日本人』です。岩波文庫の中では、この「代表的日本人」と「忘れられた日本人(とりわけ、この本のなかにある「土佐源氏」という話が大好き)」の二冊がとりわけ大好物です。こちらの本は過去に12回くらい読み直しているのですが、読み直すたびに「ああ、俺も徳を重ねるような生き方をしなくちゃな」的な感覚になって背筋がピンッ!と伸びます。この感覚を、わたしは、なんだかとっても気に入っているので是非みなさまにも読んでいただけましたらうれしいです。こちらの本をご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、岩手県にわたりました ※※※

 

人はだれでも悪名を嫌い、名声を好む。小善が積もらなければ名はあらわれないが、小人は小善のことを考えない。だが君子は、日々自分に訪れる小善をゆるがせにしない。大善は少なく小善は多い。大善は名声をもたらすが小善は徳をもたらす。世の人は、名を好むために大善を求める。しかしながら名のためになされるならば、いかなる大善も小さくなる。君子は多くの小善から徳をもたらす。実に徳にまさる善事はない。徳はあらゆる大善の源である。(「4・中江藤樹」の言葉より引用)

 

内村鑑三『代表的日本人』【岩波文庫

 

成功した人間になろうとするのではなく、価値のある人間になろうとせよ。

車で渋谷から横浜に戻る途中、雪で身動きがとれなくなっている車を見つける。それまで「やっぱり徳を重ねる生き方をしたいよね〜!」みたいなことを話していたので、そんなことを話していた手前我々も車を停めて困っている車に歩み寄る。一応、坂爪も稲村も保科も嘉向も雪国【新潟県】育ちなので、それなりに雪には慣れている。「後ろから車を押すだけでも結構変わると思いますので、もしよかったらぼくたちが車を押すのでハンドルを握っていただいてもいいですか?」と声をかける。結果、無事に車は雪を脱出した。基本的にめちゃくちゃな生き方しかできていない今回の人生、このような形で「ああ、いま、自分は誰かの役に立つことができたのだ」と思える瞬間に宿るきらめきは大きい。感慨にひたりながら車に戻ったタイミングで、一通のメールが届いた。

 

坂爪さん、初めまして!
東京都在住の◯◯◯◯◯と申します。

 

いつもブログとツイッターを拝読しています。


坂爪さんの文章は、生きるということの原点を思い出させてくれる言葉に満ちていて、いつも新鮮な刺激を頂いています。
今回は、22日のツイキャスを拝聴して、勇気を出して初めて連絡させて頂きました。

 

鉄砲玉48の「ライスワーク」について知り、坂爪さんたちのフローの流れに私も巻き込んで頂けたら、これからの人生に漕ぎ出すパワーを分けて頂ける気がして、依頼をしてみようと思いました!


私のチーム鉄砲玉48への依頼は、私の誕生日と病気の治癒を一緒に祝って頂きたい、というものです。

 

私は商社で海外との貿易の仕事をしていたのですが、1年前の2月11日に過労から重度の鬱病を発症して倒れ、仕事をクビになってしまいました。
頼れる実家もなかったため、東京で1人、煉瓦を一つ一つ積み上げるように療養生活を送ってきました。

 

そして、1年近くかかってしまいましたが、この度、遂にほぼ寛解に至ることができました!

 

これから新しく職探しをして再び働き始める予定なのですが、その前に一つの区切りとして、自分の寛解をお祝いしたいと思いました。
困難な状況を1人で克服した自分を誉めて、寛解を祝って、ブランニューな人生に漕ぎ出す自分を祝福したいのです。
ちなみに2月12日は私の33才の誕生日なので、ついでにそっちも祝いたいと思っております!


坂爪さん、私の寛解を一緒に祝って頂けませんか?
もし、お祝いのハグと「よくがんばったね」という言葉をかけて頂けたら、私にとってこれ以上嬉しいプレゼントはありません!

 

そして、図々しいお願いなのですが、もし「ライスワーク」のお米を少し分けて頂けたら、生活的にも助かるので大変嬉しいです。療養生活で貯金を切り崩してしまったので…。

 

それに、純粋に食糧としてお米を頂けたら嬉しいなぁという気持ちもありますが、坂爪さんたちの活動に集まってきた「善意」というかポジティブなエネルギーのようなものに触れられそうな気がして、そちらの方にもとても惹かれています。想像しただけで気持ちが温かくなる活動ですね。


お会いできるのであれば、場所は東京近郊でしたらどこでも大丈夫です。
時間についても、現在は働いていないのでかなり自由がききます!
坂爪さんのご都合のよい日時と場所を指定して頂ければ、お店は私が押さえさせて頂きますが、ご都合いかがでしょうか?

 

つまらない依頼で恐縮なのですが、ご検討頂けましたら幸甚です。
どうぞよろしくお願いします!

 

◯◯◯◯◯

 

メールを読んで「よっしゃー!」と思った。鉄砲玉48の真骨頂を見た気がした。このような方にこそお米をお届けさせていただきたかったのだとよろこびにあふれた。そして「偉大なる平凡」という言葉を思い出した。世間では、金があるとか、名声があるとか、なにか大きなことを成し遂げたひとだけを礼賛するような向きがあるけれど、このようなメールを届けてくれた方のように「自分が置かれている状況と真摯に向き合い、誰が見ていてもいなくても、自分なりのベストを叩き出している」経験をしたひとが得る徳のようなものは、本当に大きなものだと思った。大善は名声をもたらすが、小善は徳をもたらす。なにか大きなことを成し遂げたひとだけではなく「人目につかない偉業をこっそりと成し遂げているひと」に対する尊敬や敬意を、忘れたくないなあと思う。 

 

https://twitter.com/KeigoSakatsume/status/955592726296150016

 

 

https://www.instagram.com/p/BeQRkJBjrR4/

鉄砲玉48の頑張り。。

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

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LINE ID ibaya

いつか愛さなければならないように憎め。

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『勢い余って雑さ100倍』でおなじみの牡羊座【私】ではありますが、鉄砲玉48の活動をはじめて一週間の月日が流れました。昨日までは愛知&兵庫&大阪&京都&横浜界隈をフローさせていただき、本日より千葉県市川市界隈で己が身をフローさせていただきます。鉄砲玉48の活動をやりながら(ライスワークと銘打って様々な方々から総量50キロを超えるお米粒をいただきながら)いろいろなことを学んでいるのですが、最近の発見は「ストックよりもフローだ!(交換感より循環感だ!)」というものになります。

 

 

現代社会のあれとしては「人生なにがおこるかわからないから貯金や貯蓄を増やしておきなさい」的なあれがあるように思います。が、実際のところ「どれだけお金を集めてみても、どれだけモノを集めてみても、不安は消えないばかりか常につきまとっているのはなぜ!(いつになったら安らげるのか!)」的な感覚を感じているひとは、決して少なくはないように思います。鉄砲玉48の立ち位置としては「ストックをどれだけ増やしても不安が消えることはない。肝心なことは、ストックではなくフロー【大いなる輪の中】に自分を置くことによって『持たざる不安』は消え去るのではなかろうか」などということを昨日の夜に閃きました。

 

ibaya.hatenablog.com

 

フローに賭ける。

ストックがあると安心感を覚えます。我々、鉄砲玉48のメンバーは「お金はないけどお米粒ならぎょうさんある」という状態になりました。一見、ストックが増えると「これでしばらくの生活は安泰だな」的な安堵感を覚えることもできるのですが、こころのどこかでは「ほんとうにこれでいいのだろうか」的な違和感【閉塞感】を覚えることも真実です。ストック【貯蓄】のいいところは「これがある限りはどうにかなるだろう」という安心感をもたらすことにあると思います。が、これは、裏を返せば「これがなくなったら生活はやばい」という不安や恐れに支えられているとも言えます【升】。

 

鉄砲玉48の仮説としては「ストックがあると、どうしても守りの姿勢にはいってしまう(貯金残高などを気にする生き方をしてしまう)。が、これだけあれば安心だという心理状態よりも、自分が大いなる輪の中に存在している実感を通じて『なにもなくても大丈夫だ』と思えることのほうが、よほど大きな安心感を覚えることができるのではなかろうか」的なことを考えました。というわけで「所有はダサい!流せ!流せ!必要最低限のものがあれば生活に問題はないのだから、余剰分はそれを必要としてくれるひとのもとに届けよう!」ということを思いまして、本日よりお米を希望者の方々のところまで放出をする(同時進行でゲリラ的に炊き出しを行う)ことによってお米を循環させていくターンに入りました。

 

基本的に「やりながら考えよう!」というスタンスを重要視しているのですが、なんとなく配達をするだけではなく、循環【フロー】のさせ方にもセンスが問われているように思います。現状は「とりあえず欲しいと言ってくれた方に手渡しでお届けする」という形からはじめているのですが、これもまた「やりながら考えよう!」ということで、理想的な着地点を模索&更新していけたらと思っています。もしも、この記事を読んで「それならちょっとお米をいただきたい!」とか「こんなことをやっているあなたたちと対話をしたい!」的なことを思ってくださった方がおりましたらば、鉄砲玉48のメンバーにお気軽にご連絡をいただけましたら幸いです(活動報告などは、引き続きイベントページより更新をしていけたらと思います!!)。

 

連絡先・坂爪圭吾【牡羊座

LINE ID ibaya

keigosakatsume@gmail.com

 

連絡先・稲村彰人【双子座】

LINE ID 0reaki10

akito.inamura@gmail.com 

 

連絡先・保科亮太【蟹座】

LINE ID hoshina6

hoshina2906@gmail.com

 

連絡先・嘉向徹【射手座】 

LINE ID kamuki-toru

kamukitoru2017@gmail.com

 

【4th「背水のジントニック」/TPD48】

 

twitcasting.tv

 

わたり文庫『ヤクーバとライオンII 信頼』 

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、ティエリー・テデュー著作『ヤクーバとライオンII 信頼(柳田邦夫・訳)』です。こちらの本は、先日、沖縄県波照間島より遊びに来てくださった女性がご献本してくださった一冊になります。こちらは2巻になります。2巻だけでも十分に楽しめるのですが、興味のある方は1巻もぜひ手に取ってみていただけましたら幸いです。1巻の解説にはこのようなことが書かれています。「殺された側は報復のために相手を殺す。終わりのない報復の殺し合いが続いていく。その悪循環を断ち切るにはどうすればよいのか。日本の社会に目を向けると、いじめられた子が復讐の事件を起こす。虐待された子がやがて虐待する側にまわる。これも同じ悪循環だ。もうひとつの道ーー『殺さないことだ』という、ライオンの問いかけは重い」。ご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、沖縄県にわたりました ※※※

 

私はただただ唸ってしまった。とりわけヤクーバと、ライオンの王者キブウェがともに相手の命を守り、信頼を確かめるために『見せかけの格闘』をする場面と、そのなかで生まれたともに深く尊敬しあう心とを表現する言葉に触れたとき、私の心は震えた。〈ふたりは、ともに相手をふかくふかく尊敬する心でむすばれていた〉という文だ。

 

ここで「任務と任務のぶつかりあい」という言葉を絵本のなかで使っているが、とくに「任務」という用語は、子どもの読者にわかるだろうかと疑問を抱く人もいるだろう。私自身もさんざん悩んだ。だが、「任務」という用語を安易にほかの言葉に置きかえたのでは、この緊迫した重要なフレーズを表現することはできなかった。子どもはたとえ社会性の強い「任務」という用語を十分に理解できなくても、くりかえし耳に響かせることで何か大事なことを語っているということはわかるだろう。将来のためには、平易にくだくより、その語感を残したほうがよいと私は考え、あえてほかの言葉にしなかった。(柳田邦男・あとがきより引用)

 

ティエリー・テデュー『ヤクーバとライオンII 信頼(柳田邦男・訳)』【講談社

 

いつか愛さなければならないように憎め。 

先日、医師免許をもっているという女性M様と話をしました。彼女は言いました。これまでの日々は周囲からの期待に応えるような日々で、高校を出たら大学、大学を出たら職場、職場にはいったら職場のなかでの昇進など、常に頑張り続けなければならない状態に置かれていました。ふとしたときに「いつまで戦い続けなければならないのだろう」ということを思い、そのような思いが限界に達した時に、頭よりも先にからだのほうが動かなくなり、結果的に『仕事をやめる』という道を選びました。

 

 

私が乱暴にまとめてしまっているために、M様のリアルな感情をそのまま代弁できているとは思えません。それでもなお、M様のように「いつまで頑張り続けなければいけないのだろう」と感じているひとは、決して少なくはないのではないだろうかと思います。生きている限り、苦しみに耐え忍ばねばならないときや、どうしようもない孤独を味わうことは誰にでもあると思います。それでもなお、あくまでも生きることの最大の価値は「よろこびを味わうため」にあるのだと、決して嫌なことを我慢し続ける力を鍛えるためだけにあるのではなく、好きなものと出会うために、好きなことを極めるために、好きなひとに好きだと伝えるために生きているのではないだろうかと思います。 

 

 

私自身の信条としては「生きることよりも、生きたいと思うことの方が五億倍大切である」的なことを思います。生きるために嫌なことも我慢をして続けなければいけないという世界より、好きなひとと出会うこと、好きなものと出会うことを通じて「まだまだこの世界を生きていたいな」と生きる力を得ることが、非常に重要であるように感じています。現状、鉄砲玉48という見る人が見たら「こいつらはクソだな」と思われかねない活動をしている訳ですが、それでも私は思います。この活動をしていなければ絶対に出会えなかったひとがいる。その点において、この活動は間違ってはいなかったのだと。「なんでこんなことをしているのですか」と頻繁に問われることもあるのですが、その理由は単純明快、ただただ「あなたに会うため」なのかもしれないなどと思いながらこれから千葉県市川市を目指します!! 

 

 

坂爪さん

 
 
こんにちは。お伝えしたいことがあり、
お便りしようと思ってましたところ、
最新のブログを拝読し、「そうそう、そうなのよ」と思いながら言葉を紡ぎます。
 
 
前回、ごちゃまぜの家にお邪魔してる
真っ只中に、私が憧れを抱いていた
方から急に連絡をいただきました。
ごちゃまぜの家の中でも新しいご縁に
恵まれましたが、
スマホを通してごちゃまぜの家の外でも縁が広がると
いう凄い事態になっておりました。
 
 
ごちゃまぜの家の畳の上で稲村さんの
入れてくださったお茶を飲みながら
私の世界は急に動き出しました。
 
 
ごちゃまぜの家へ行くことは私に
とってはイレギュラーな行為、恐れてる
という言葉は当てはまりませんが
一握りの勇気は必要でした。
一つの勇気を持って飛び出してみると、その他のことも
連動して動き出します。
 
 
ほんの一週間前からは考えられないような
世界が拡がりはじめてます。
ごちゃまぜの家は夢を叶えるパワースポットですね。
 
 
坂爪さんにとっても
今日が素敵な1日になりますように。
急なお便りで失礼しました
 
 
ありがとうございます
 
 
○○○○ 

 

 

https://www.instagram.com/p/BeHqr-FjQb_/

泣けるぅ〜!

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

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1日1回、自分が恐れていることをやりなさい。

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名古屋で出会った22歳女性から、透明な眼差しで問われました。「強さを持ちたい。強さを持つためにはどうすればいいと思いますか」と。みなさまなら、22歳女性からこんな風に問われたときになんて答えるだろうか。私は「これは非常に重要な問いだ・・・しっかりと答えたい!」と思って超絶真剣に考えた。超絶真剣な30秒近い沈黙が流れたあと、ああ、これかもしれないと思ったわたしは「恐れていることをやること、かもしれないと思いました」と答えました。

 

 

22歳彼女は言う。「行動を起こせば未来は変わる。最近、そういうことを思う。今日、坂爪さんに「会いたい」とか「話したい」と勇気を出して連絡をしていなければ、なにも起こらないままに日々は過ぎ去っていた。 日常生活のなかで、自分がほんとうに話したいと思えることを話せる機会は少ない。家族にも、友達にも、自分が話したいと思うことを話しているという実感はあまりない。だから、ひととちゃんとコミュニケーションをとりたいって思う。あと、最近はお金について考えることが多いんです。親やまわりは貯金をしろというけれど、自分の好きなことをやったほうがいいんじゃないのかなって、そして、残りのお金は(もちろん貯金をすることもあるのですが)ひとのために使っていきたいなって、そんなことを考えています。」

 

ibaya.hatenablog.com

 

「裸になる」ということ。

昨夜のツイキャス音声配信の中でも軽く話しましたが、数年前、熊本県から「一緒にお風呂にはいってください」という連絡を(あろうことか女性から!)いただきました。風呂にはいるということはお互い素っ裸になるということなので、いろいろと感じるものはあったのですが「ものは試しだ!(やってみなければわからないことを、やる前にわかろうとすることは無駄)」的なことを思いまして、ご依頼に応えさせていただきました。

 

風呂に向かう途中、依頼主の女性に「どうして一緒にお風呂にはいりたいと思ったのですか??」と尋ねましたところ、依頼主の女性は「私の中には『平和』のイメージが昔から結構強くあるのですが、そのイメージは『男のひとも女のひとも仲良く一緒にお風呂にはいっている』というものなんです。ただ、そのイメージをいきなり現実社会で実現することはなかなか難しいから、でも、坂爪さんならこの感覚をわかってもらえるんじゃないかというか付き合ってもらえそうな気がしたのでお願いをしました」とのこと。この後の展開は音声配信のなかで話しているのですが、結論から言うと「初対面の女性も含めた男性ひとり【私】と女性ふたりでお風呂にはいる」という稀有な時間を体験させていただきました。

 

22歳女性に「恐れていることをやりなさい」などと言いながら、さて、いまの自分にが恐れているものはなんだろうかと考えました。お金とか、人間関係とか、将来などに対する不安は(非常にありがたいことに)自分にはない。まったくないと言っても過言ではないほどにない。どうしてないのだろうか。なくてもどうにかなるということを体験したからなのだろうか。「誰かが助けてくれる」という末っ子根性が板につきまくったのだろうか。その理由は不明瞭ですが、最近、裸になるということ【人間のフィジカル】に比較的強めの興味・関心があります。裸になるということ、ヌードであるということ、隠されているものを暴き出すということ(解放をするということ)など。移動時間中などに、いろいろと考えていけたらと思います(本日はこれから兵庫県明石市を経由して大阪方面に向かいます!!)。

 

【4th「背水のジントニック」/TPD48】

 

稲村彰人さんのブログが面白かったのでリンクを貼っておきます。

176r.hatenadiary.jp

 

わたり文庫『木を植えた人』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、ジャン・ジオノ著作『木を植えた人』です。自然って、いいですよね。静けさって、いいですよね。そんな「いい感じ」な感じを与えてくれる感じのものって、いいですよね。こちらの本は、まさにそんな感じの一冊なのではなかろうかと、坂爪圭吾は太鼓判をおしたい気持ちでいっぱいです。まだ読んだことのない方は、是非、一度どこかで読んでみていただけたらうれしいです。こちらの本をご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡をさせていただきます。

 

※※※ こちらの本は、兵庫県にわたりました ※※※

 

ある人が真になみはずれた人物であるかどうかは、好運にも長年にわたってその人の活動を見つづけることができたときに、初めてよくわかる。もしその人の活動が、たぐいまれな高潔さによるもので、少しのエゴイズムもふくまず、しかもまったく見返りを求めないもの、そして、この世になにかを残していくものであることが確かならば、あなたはまちがいなく忘れがたい人物の前にいるのである。

 

ジャン・ジオノ『木を植えた人』【こぐま社】

 

1日1回、自分が恐れていることをやりなさい。 

私の信条のひとつに「1日1F」というものがありまして、このFは『FEAR』のFを意味します。強さを持ちたいと思うなら・・・面白い人生を送ってみたいと思うなら・・・現状を打破してみたいと思うなら・・・1日1回、自分が恐れていることをやりなさい。そんな風に自分自身に言い聞かせながら、毎日これができているかというとまったくできていない現状ではありますが「もしもこれができたら結構な人生になりそうだなあ」と感じています。 

 

 

自分を出すことで相手に拒絶をされたり周囲から嫌われてしまうこともあるかもしれません。でも、そんなことよりも「自分を取り繕ったまま一生を終える」ことの方が、よっぽど恐ろしいことであるように思います。誰かに嫌われないためとか、周囲と問題を起こさないためという思いは「不安」とか「恐怖」に支えられているような感覚を覚えるので、即刻却下。人生は苦行でもなければ修行でもない。人生はボーナスタイムだと思っています。自分で自分を押し殺し、自分で自分に制限を加え、自分で自分を許すことなく罰を与え続けることで、神様的なサムシングが世界中に散りばめた無限の喜びを体験することなく終わってしまうのはなんだかちょっと残念ではありませんかなどと思います。

 

 

なぜ、恐れていることをやるのか。それは「恐れを手放すため」とも言えます。楽になれる道、それは「あらゆる思いを手放した」先に広がるものだと感じています。結果に執着をするのではなく、ひとつの感情に捕まって精神的な視野を狭くしてしまうのではなく、まず、自分のなかにある感情を一旦全部手放すイメージをすること。「あらゆる思いを手放しなさい」と、おまじないのように脳みそのなかで唱えること。すると、不思議なことに、それがうまいことできた瞬間には『自由』を取り戻せるような感覚を覚えます。そして、さらにさらにさらに不思議なことに『真性の自由が与えられたとき、ひとは、ほっておいても勝手に愛しはじめる』的なことを、静けさと共に感じることができるものだと思っています。

 



https://www.instagram.com/p/BeHMauBjSmM/

1日1回、自分が恐れていることをやりなさい。

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

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問題の9割はコミュニケーション不足。

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鉄砲玉48の活動の一環として、みなさまからいただいたお米一号で生き延びることを目指す『ライスワーク(仮)』なるものをはじめました。もしも、こちらの記事をご覧の方のなかに「お米あげるよ!」的な神様がいらっしゃいましたら、お気軽にご連絡をいただけたら嬉しいです!!どういうこっちゃ、と思われた方が9割だと思うのですが、もしもよろしければ以下の音声配信を聴いていただけましたら僥倖でございます。

 

 

鉄砲玉の反省として「なんでも無料でやりますなどと言ったところで、見ている側からしたら『なにを頼めばいいの?』ってなるよね!これは重要な発見だ!では、俺たちがお願いを待つばかりではなく、俺たちからもお願いをすることによってコミュニケーションのきっかけをつくっていけたらいいのではないか」ということに気がつきました。<社会との接点を作るジャーニー>ということではじまった鉄砲玉48の真髄は「みなみなさまとコミュニケーションをとりたいです!」と恥ずかしげもなく言えることにあるのだと、それならばやれることはなんでもやろう!的な心持ちで活動三日目を迎えることができました。

 

【4th「背水のジントニック」/TPD48】

 

ibaya.hatenablog.com

 

ライスワーク初日の感想「一合一会の出会いを大切に」

ライスワークをはじめるきっかけになったのは、昨日、綱島在住のN様から「来月末に引越しをするので、いろいろと不要な荷物があります。もしよかったらごちゃまぜの家で使いませんか??配送費用などはこちらで負担をします!!」というご連絡をいただいたことにあります。メールを読んだだけでも、そのひとの人柄といいますか「このひとはいいひとなのかな、わるいひとなのかな??」みたいなものは誰だって敏感に感じ取っているものだと思うのですが、N様からのメールを読んだ瞬間に「ああ!N様はいいひとに違いない!」と直情的に感じました。ので、不要な荷物どうのこうのよりも「実際にN様にお会いしたい!お会いして『N様はほんとうにいいひとですね!』と伝えたい!」という直情のままに昨日は綱島まで(我々三人みんな暇だったので一緒に)行きました。

 

実際にお会いさせていただいたN様は最高すぎる方で、なんだかもう、笑顔がモーレツに可愛いかったです。N様は「みなさまを見ていると『なんだかこのひとたちには栄養をつけさせなくちゃいけない!』と思っちゃって」と、最終的に私たちをスープカレー屋さんに連行してくれました。お土産に大量の冷凍食材やお米や果物や布団一式(!)までもたせてくださり、なんだこれはと、我々は「なんでもやります!」とか言っておきながら、実際のところはなんでもやってもらっちゃっているばかりではないかと、それでもいいのだろうかということをNさんに話したら、Nさんは最高のお返事をくれました。

 

いつも坂爪さんのブログを読みながら、いろいろともらっています。自分も何か力になれることがあればと思っていたけれど、逆に迷惑になってしまうんじゃないだろうかと思うとなかなか声をかけることができませんでした。でも、今回、こうして実際に会ってこんなによろこんでもらえたことが、わたしとしてもとてもうれしいです。多分、これはわたしだけじゃないと思うのですが、誰にでも『誰かの力になりたい』とか『誰かの役に立ちたい』とか、そういう風に思っているひとはたくさんいると思います。ただ、迷惑にならないかなとか、押しつけになっちゃわないかなって考えちゃうから、なかなか連絡がとれないのだと思います。老婆心っていうのかな、おせっかいを焼きたい欲求っていうのは誰のなかにもあると思うから、その辺の感情がうまいことまわる世の中になったらいいですね。

 

Nさんのこの言葉のなかには大切なことが108個くらい詰まっていると思うのですが、もう、本当にその通りだなあと。誰だって「なにかいいことがしたい」的な感情を抱くことはあるとは思うけれど、なかなかそのぶっつけ先が見つからなくて、人々のこころの中に眠る『善意』のようなものが開かれることなく消えてしまうことは多いのではなかろうかと。と、それならば!我々鉄砲玉48が!!みなさまの『善意の受け皿』として!!!まずは「お米一合を与えてください」という提案をさせていただこうではないかと、それを通じてコミュニケーションのきっかけを生み出していけたらよいではないかと、そのようなことを感じて『ライスワーク(仮)』は生まれました。もしも、この文章を読んで「それならお米をあげちゃおうかな」と思ってくださった方は、是非、どなた様でもお気軽に我々三人の誰かにご連絡をいただけましたら幸いです(ご連絡をいただき次第、あなたのもとまでこちらから駆けつける所存です!!)

 

連絡先・坂爪圭吾【牡羊座

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連絡先・稲村彰人【双子座】

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akito.inamura@gmail.com 

 

連絡先・保科亮太【蟹座】

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hoshina2906@gmail.com

 

保科さんのブログが面白かったのでリンクを貼っておきます。

ojohakusyo.hatenablog.com

 

わたり文庫『思うとおりに歩めばいいのよ』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、ターシャ・テューダー著作『思うとおりに歩めばいいのよ』です。ターシャさんの本は言葉も素晴らしいのですが写真も素晴らしい・・・眺めているだけでもこころ穏やかであたたかな時間が流れる、さかつめおすすめの一冊になります。ガーデニングは人生の癒し。土をいじるとこころが落ち着くという体験をされたことのあるかたは、多分、たくさんいらっしゃるのだと思います。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※

 

みんなが本当に欲しいのは、物ではなく心の充足です。幸福になりたいと言うのは、心が充たされたいということでしょう。わたしは、ここの何もかもに満足しています。家にも庭にも、動物達にも天気にも、バーモントのすべてに。

 

家族でおもしろ半分に、スティルウォーター教という宗教を作りました。スティルウォーター(じっと動かない水)と名づけたのは、ストレスのない平安な生活を信捧する、という意味。スティルウォーター教徒は、生活を楽しみます。重荷にしてはいけません。第一の戒律は、フラ・ジョバンニの言葉「世の中の憂鬱は影に過ぎない。その後ろ、手の届くところに喜びがある。喜びをつかみなさい」

 

これまで、よくやってきたと思いますが、みなさんにお伝えするようなメッセージはありません。もし、わたしに人生哲学のようなものがあるとすれば、ソローの言葉がいちばんよく代弁しています。「夢に向かって自信をもって進み、思い描いた人生を生きようと努力するなら、思わぬ成功を手にするだろう」まったくそのとおりです。この言葉は、わたしの人生そのものです。

 

ターシャ・テューダー『思うとおりに歩めばいいのよ』【メディアファクトリー

 

問題の9割はコミュニケーション不足

今後の個人的な予定としては、今日は東京(ちょっと話を聞いてよ的なご依頼)、明日は名古屋(ちょっと話をしませんか的なご依頼)、明後日は兵庫県(逆立ちをマスターしたいから練習するときに足を支えてください的なご依頼)、明々後日は大阪(ダイアログ・イン・ザ・ダークに一緒に行きませんか的なご依頼)に足を運ばせていただく流れになりました。基本的に足を運んだ先でヒマをしていることが大半なので、お近くにお住いの方はなんだってお気軽にご用命いただけましたら僥倖です!!

 

最近、頻繁に感じているのですが、誰かとコミュニケーションをとりたいときは「コミュニケーションをとりたいです!」と真っ直ぐに伝えることが重要なのではないだろうかと思います。人間関係の問題の9割はコミュニケーション不足なんじゃないだろうか、とさえ思うほどに・・・昨日、夜の9時過ぎに東京都文京区在住の方に会いに行きました。その方は非常に素直な方で「最近は仕事も忙しいし体調も悪いしでこころに余裕がなく・・・ハグしてください〜!!」と伝えてくださり「っしゃーー!!かかってこいやーーー!!」と全身全霊でお応えをさせていただく(?)ことができました。自分がしてもらいたいことを真っ直ぐに言葉にする、相手に真っ直ぐに伝えること、など、恥ずかしいと感じる瞬間もあるけれど非常に大切なことであるように思いました。

 

ありのままの自分を表現することは、怖いことかもしれない。ただ、自分を取り繕ったままで生きることのほうが、よっぽど恐ろしいことだと思う。誰かに嫌われないためとか、迷惑をかけないためとか、負担にならないようにという消極的な理由だけでは、自分が潰れてしまう。それよりも「すみませんけどわたしはこういう人間です!どうですか!」的な感じで、前のめりに、消極的なあれではなく積極的なあれとして、ひとと関わっていけたらいいなあなどと思います。乱暴にまとめると「ぶつかっていきましょう!!ぶつかって生じる諸々の摩擦熱によって、自分も相手も世界もまるごとあたためて逝きましょう!!」ということになるのだと思います。拙い表現力ではございますが、最後までご静聴いただきありがとうございました(今後とも鉄砲玉48の活動をよろしくお願いいたします!!)。

 

 

坂爪さん 

 

初めまして、こんにちは。

いつもブログ拝見させて頂いております、◯◯◯◯と申します。

 

坂爪さんてほんとうに素敵な言葉を自由に巧みに綴る方だなぁと、常々思っていたのですが

今日は直近2日間のブログを読み、唐突にふと「あぁ、そろそろ坂爪さんに私の考えも聞いてもらいたい」と

思いましたのでご連絡いたしました。

 

坂爪さん、私は人生で一番大事なことって「人とのつながり」なのではないかと思うのです。

【人間はひとりでは生きられるようにはつくられていないように思う】まさにその通りなんじゃないかと、私も思うのです。

逆に言えば、人は誰かと、何かとつながりを感じる瞬間にこそ最高の幸せを感じるのではないか、と。

  

人と人とのつながりがあってこそ、人が成立ち、温かい循環がうまれ、世界がそれこそ平和になるのではないか、と。

「つながり」って「人間本来の純粋無垢な喜び」ではなかろうかと、そう感じています。

 

人ってもしかしたら、常に誰かのために自分の何か(坂爪さん的にいうサムシング!)を渡したいと思っていて、

(それは物質的な何かでも、目に見えない大切な何かでもどちらでも良いのですが)

それが相手に渡ったときに嬉しくなり、相手の笑顔や感情に触れた時には自分の心にもじわっと温かい心地よい気持ちが生まれ、

その温くて心地よい気持ちは自分を満たし、喜びを、幸せを感じ抜くのだと思うのです。

 

これは「つながり」からしか生まれず、むしろ、誰かと何かの「つながり」があるからこそ生まれる、とっても純粋な何かなのでは、と。

これがこんなにも沢山の人が溢れる世の中で、人と人とがつながりあう根本的な大事なことなのではと思う訳です。

 

極端に人のよいところにフォーカスしてしまっているかもしれませんが、本来の人ってきっと、

「善きこと」(相手の為が、廻り回って自分の為になるようなこと)を行うべき動物なのではないでしょうか。

そう思うと、恐らく多分神様は、人に「悪いこと」をする能力はもともと与えてないのではないか、とも思うのです。

 

だから、自分の行為は相手の迷惑になるのではないかとか、これをしたら嫌われるのではないかとか、

そういったギスギスした感情を持つ必要って一切なく、自分が相手のためにしたいことを純粋に誠意をもって行うことが

結果相手も自分も幸せする究極の方法の1つなのではと感じます。

 

「世の中にいい感じの風を吹かせる」

だからきっと、坂爪さんの行動は幸せをいい感じに循環させているのだと思います。

沢山のつながりを生み、人を想い、何気なく言いだしっぺになっている活動全てが既に【いい感じの風を吹かせてる】のだと思います。

 

つらつらと思うがまま言葉を羅列してしまいました。読みにくく、理解に乏しい文章でしたら誠に申し訳ございません。

だけど、私もこうに思っているよ!ということをどうしても坂爪さんにお伝えしたくて文章をつづったのだと、

それだけ感じていただければ私はとても嬉しいです。

 

いい感じの面ばかり書きましたが、勿論私も人間なので、人のつながりから生まれる行動に理解に苦しみ

「この人は何をどうしてあの行動をしたのか」など悶々とすることも勿論あります。

だけれど今年は、だからこそ「人の不完全さを愛する」ことを目標にしたいと思っています。

人は善いことで溢れていながらも、不完全だからこそ愛おしい。

 

多くのネガティブなニュースがあっても、人の善いこと、不完全さを見れる人間に私はなりたいと思います。

 

これからも坂爪さんの幸せを生む行動、楽しみに応援しています。

ここまで読んでいただきましてありがとうございました(^^)

 

◯◯◯◯ 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

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人生はボーナスタイムである。

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「やってもやらなくてもいい」という中庸的なポジションを維持し続けた結果、とんだ腑抜けものになってしまいました。これではいかん!人間が廃る!ということで、鉄砲玉48のメンバーに加えていただきました。一月後半は、やってもやらなくてもいいならば『やるに振り切ろう!』ということで、依頼さえありましたらばなんだってやってやろうの精神で猪突猛進をさせてください。我々三人【坂爪圭吾&稲村彰人&保科亮太】、なにかある方もなにもない方も、いつでもお気軽にご連絡をいただけましたら幸いです。

 

 

今回の合言葉は「人生はチームプレイ」ということで、三人で力を合わせてなにかこうの世の中にいい感じの風を吹かせて行けたらいいね的な気持ちで邁進をしていきたいと思っています。働き者になりたい。働き者になりたいと思います。夜、布団にはいりながら「今日はいい仕事をしたなあ」と思いながらスヤスヤ眠れる日々を過ごしたいのです。初見の方から見たら「こいつは何を言っているのだ」と思われることばかりかもしれませんが、鉄砲玉48とはズバリ『我々三人における、社会との接点をつくるジャーニー』ということになります。是非、あたたかく見守っていただけましたら幸いです。

 

ibaya.hatenablog.com

 

今後の身の振り方。

いい仕事をしたい!ということで、鉄砲玉に舞い込むご依頼に応えるかたわらで「これまでの日々を文章にまとめて(電子書籍でも紙媒体でもなんでも)みなさまに読んでいただける状態にしたい」という己の願望を現実化させていきたいと思います。最近、自分のウリはなんなのだろうか的なことを考えるのですが、乱暴にまとめると「ロジックをぶっ飛ばして人生に奇跡を起こす」的な役割があるのではなかろうかなどと思いました。

 

これがどういうことなのかというと、小生、過去に2年間ほど家のない生活をしていました。お金を稼ぐことが苦手すぎて「家賃さえなければ・・・」的なことを常日頃思っていたのですが、それならば家のない生活をすればいいのだということを閃きまして実際にやってみましたところ、結果的にその生活が2年間続いて日本どころか海外にも呼ばれて最終的に家を買ってもらう(!)という、比較的奇跡的なファイナルフラッシュを迎えることができました。何が言いたいのかと言うと、「まともにお金を稼げない自分には家を持つことも結婚をすることも不可能だろうなあと思っていたのに、ふたをあけてみたらびっくり!いまでは家もあるし、やろうと思えば結婚もできるかもしれないし、なにも諦める必要はなかったのではなかろうか」ということです。

 

昨日めぐるめぐるカフェ〜♪に9ヶ月の娘とおじゃましました◯◯です👶

 

前日住所を聞くためにラインの文章を打っていたところから内心ドキドキで、実際お会いした時も「大好きです!」とお伝えしたかったところ緊張により言葉が出ませんでした😅(「坂爪さん、大好きです!ブログから溢れる生き様のファンです!」)

 

なんというか、坂爪さんから漂う空気に清々しさを感じました!生きる空気清浄機のようですね?!(ちなみに彰人さんは湯たんぽっぽかったです)


子育てに伴って眠い〜と人に話したことは沢山ありますが、実際にお布団を用意してくれた人は坂爪さんが初めてでした。


(((はぁ、私の欲求(眠い)が受け入れられている…)))と深〜い安心感でお布団についた数分、本当に心が満たされました(笑)

 

ごちゃまぜの家で生み出される循環に飛び込んで、ひょいっと抜け出して、終始いい感じの時間だったなーと、勇気を出して行ってよかったーと帰りの電車で思いました。

 

坂爪さんの存在に感謝です🙌
素敵な人&犬や食べ物や空間に触れるきっかけをくれてありがとうございました🌟
またふらっと伺うような気がします。

あったか〜くして冬をお過ごし下さいね☃️

 

ここにきて突然昨日の「めぐりめぐるカフェ」にご参加いただいたお母様からのメールを転載させていただきました。なんだかもう遊びにきてくれるひとが素晴らしいかたばかりで、こんなことを言ってもらえると「あらまー!もう、うれしい!」という気持ちになります。うれしくて(みなさまにも見てもらいたくて)勝手に転載をしてしまいました。案外、自宅を除くと「街中で気軽に横になれる空間」というのは少ないのではなかろうか。それならば、ごちゃまぜの家くらいは「横になってってください!」と、子育てでちょっとお疲れのお母様がたが気軽にふらっと立ち寄ってスパッと眠ってシャキッと目覚める、的な空間としても機能をすればいいなあと思いました。

 

お金とはなんだろう。仕事とはなんだろう。

お金とはなんだろう。仕事とはなんだろう。わたしはあんまりお金に対する執着がないみたいで、だからなのでしょうか、鉄砲玉もごちゃまぜの家も基本的に無料で使用できることばかりをやっています。が、昨日、親愛なるMAYUCHAPAWONICAさんが「わたしは参加費10万円のプレイペイントっていう一緒に絵を描くワークショップみたいなことをやっているんだけど、やっぱり参加費も結構高いから、お金を払って参加するひとも『コミットする姿勢』みたいなものが半端ないんだよね。だから、高額なお金をもらうっていうことは参加するひとの『参加しているんだ!』的な気持ちを高める効果はあるよね」ということをおっしゃっていました。

 

本当は、わたしが書いた五億倍くらいはいいことを言っていたのですがうまく表現ができずにすみません。が、それを聞いて「本当にその通りだな!」と思いました。お金を出すことで気合がはいり、元を取ろうとするというとちょっとあれだけど、高額なお金を払うことで(お金を出した側の)腹を据わらせる効果【覚悟決めさせる力】がある。これはもう本当にその通りだなと思いました、ので!ここで!突如!急に!もしもこういうひとがいたらという話にはなりますが、坂爪圭吾に「無料だとあんまりしっかりしたお願いをすることができないから、ちょっと自分を変えるためにもこれこれこういうことをお願いしたいのだ」的な方がいらっしゃいましたら、その際は遠慮なくお気持ちをまっすぐ伝えていただけたらと思います。10万円でも100万円でも1000万円でも、なんでしょう、自分を変えるために清水の舞台から飛び降りたいのだけれど坂爪圭吾よちょっと付き合ってはくれまいかと、そのような方がいたらご連絡(要コミュニケーション!)をいただけましたら幸いでございます。

 

お金とはなんだろう。仕事とはなんだろう。そういうことを考えさせられる日々です。最近頻繁に考えるのですが、人間、仕事がないとダメになるように思います。ただ、ここで言う仕事とは「生活の糧を得るための労働」ということではなく、大袈裟な表現になりますが「祈りを具現化すること」であるように感じています。言い方を変えるならば『ひととひととのこころを通わせること』だと感じています。いい仕事をしたなあと思える1日とは、多分、誰かとこころを通わせることができた1日だと思います。この感覚がなければ、どれだけお金を集めても、どれだけモノを集めても、こころは乾いてしまう【さびしさは埋まらない】ような気がします。逆に言えば、ひととこころを通わせることができたという感覚【温度感】さえあれば、今夜もスヤスヤ眠りにつけるように感じています。

 

【4th「背水のジントニック」/TPD48】

 

わたり文庫『なんていいんだぼくのせかい』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、荒井良二著作『なんていいんだぼくのせかい』です。もしも「お前がこれまでの人生でもっとも愛した絵本をこの場で叫ばなければお前を殺す!」と脅迫されたならば、わたしは、迷わず「なんていいんだぼくのせかい!なんていいんだぼくのせかい!なんていいんだぼくのせかい!」と絶叫をすると思います。それくらい好きな一冊です。今夜本屋さんにいく予定のある方は、是非、立ち読みだけでもしてもらいたいくらいの一冊です。こちらの本、ご希望をされる方は何かしらの方法で坂爪圭吾まで直接ご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡をいたします。

 

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※

 

それから それから こどもがわらっていった

なんていいんだ ぼくのせかい

 

それから それから こどもがおどろいた

なんておいしいんだ ぼくのせかい

 

それから それから こどもがはしった

なんておおきいんだ ぼくのせかい

 

なんておおきいんだ ぼくのせかい

 

なんていいんだ ぼくのせかい

 

荒井良二『なんていいんだぼくのせかい』【集英社

 

人生はボーナスタイムである。

荒井良二さんの絵本を紹介できただけで今日はもう大満足です。私はすぐに達成感を覚えてしまうところがあるのですが、この人生においても「俺はすでにゴールをしている」なんてことを1日に何回も思ってしまいます。太陽が気持ちいいだけで「俺はすでにゴールをしている」と、ごはんがおいしいだけで「俺はすでにゴールをしている」と、ひととこころを通わすことができただけで「俺はすでにゴールをしている」と、安易に達成感を覚えてしまいます。

 

私の信条のひとつに「人生はボーナスタイムである」というものがあります。過去に一回死んだ命。残りの人生、拾った命でございます。すでに一生分を生きたなと。俺はすでにゴールをしているなと。それなのに「まだ生きててもいいのですか!?(現在32歳なので平均的には50年以上いけるのですか!!)」ということを思います。32歳にして余生に突入をしております。余生とはつまりボーナスタイムのことであり、残りの人生は「世の中にいい感じの風を吹かせる」お仕事(?)という形で、ご奉仕をさせていただけたらいいなあなどと思っています。

 

死ぬことでしか新しくなれない。今月末にいばやは解散をすることになりました。やりたいことをやりたいようにやる。その結果、それを見たひとが「なんだかいい感じでした!」と喜んでくれたり楽しんでくれたりするのであれば、それは非常に幸運なことだなあと思います。めぐりめぐるカフェの参加者のみなさまから続々と感想のメールが届き、それを読むたびに「ああ、おれも生きていていいのだな」的な感覚でじんわりとします。今月後半は「いい仕事をしよう」月間に突入をしますので、なにかあるかたもなにもないかたも、どなた様でもお気軽にご連絡をいただけましたら幸いです。そして、隙さえあらば是非、本屋さんで荒井良二さんの絵本を立ち読みしてみてください!!

 

 

坂爪さま


おはようございます。


昨日は初体験のごちゃまぜの家で沢山の
素晴らしい体験をしました。


まるで以前から知っていた以上の
気持ちを抱ける方々と出会い、お出掛けの
約束までする展開になり、
お友達ができました。ギフトです、奇跡です。

 

カオスで調和のとれた
とても居心地の良い美しい空間でした。

 

稲村さんのお茶が美味しくて何度も熱々のを
入れていただく運びになってしまい
、稲村さんにはお手数をおかけしました。若い男性に入れていただくお茶なんて
あまりにもレアな体験で嬉しかったんです。ありがとうございます♡と
お伝えくださいませ。


心の籠もったコーヒーも美味しかったです。しばらく忘れられません。


ご馳走さまでした
そして沢山のありがとうございました


またカッコイイ皆様にお会いできる
機会を楽しみにしてます


愛を込めて

 

◯◯◯◯

 

https://www.instagram.com/p/Bd86fNfjZi9/

人生はボーナスタイムである。。

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu     

 

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LINE ID ibaya

世界を変えるより、世界を増やす。

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鉄砲玉48【通称・TPD48】を再結成しました。TPD48とは、ちゃんと説明できている自信がないのですが「みなさまの依頼になんでも無償で応える捨て駒の集合体」でございます。要するに「言われたことはなんでも無料でやりますので、お気軽にご用命ください!」という便利屋的なグループになります。今日から早速依頼を受け付ける形になりますので、ほわっ!と来た方はメンバーまで直接ご連絡ください。第3期メンバーは、現在、坂爪圭吾(牡羊座)・稲村彰人(双子座)・保科亮太(蟹座)の3名になります。

 

twitcasting.tv

 

各々のメンバーの特性は、上記のリンク先から聞けるラジオ配信からお話をさせていただきました。なにかしら、ご利用方法をイメージする一助になりましたらば幸いです。この記事を書いている人間の名前は坂爪圭吾と言います。坂爪圭吾の活用方法としては「具体的になにかを頼むというよりも、比較的存在している【ただそこにあること】ことに価値があると思っているタイプの人間なので、青龍を自分の枕元に召喚するようなイメージでご活用いただけたらうれしいなあ」などと考えています。 

 

連絡先・坂爪圭吾【牡羊座

LINE ID ibaya

keigosakatsume@gmail.com

 

連絡先・稲村彰人【双子座】

LINE ID 0reaki10

akito.inamura@gmail.com 

 

連絡先・保科亮太【蟹座】

LINE ID hoshina6

hoshina2906@gmail.com

 

【4th「背水のジントニック」/TPD48】

 

無能冥利に尽きる。 

いま、ごちゃまぜの家では「めぐりめぐるカフェ」なるものを絶賛開催中でございます。めぐりめぐるカフェとは、乱暴にまとめると『食べ物も飲み物も(その他のサービスも)無料の喫茶店』というものになります。なぜ、これをやろうと思ったのかというと「(そんな空間があったら)素敵だと思ったから」というものになります。いま、ごちゃまぜの家の台所では山梨からお越しいただいた方が持参のイノシシ肉をふんだんに使った『いのししカレー』なるものを作ってくれています。もしも、今日、めぐりめぐるカフェに来ようとしてくれているひとがいたとしたら、これを食べることができます。

 

www.facebook.com

 

わたしは、いま、このブログ記事をごちゃまぜの家の居間から書いています。現在、この空間には複数名のおとなたちと小型犬が一匹と9ヶ月の赤ちゃんがいます。昨日も全国各地から参加者の方が集まってくださり、ごちゃまぜの家には豊富な食材が集まりました。私自身は「めぐりめぐるカフェをやりたい!」と言っただけで、言っておきながら自分が用意をできるものは『空間とコーヒー』だけでした。が、ふたを開けてみたらびっくり!!非常にありがたいことに、参加者のみなさまのおかげでバラエティ豊かなメニューが食卓(および空間)を極彩色に彩ってくれました。

 

これはもうほんとうに「無能冥利に尽きる」といった感じでありまして、坂爪圭吾自身はまったくのからっぽにして無能、ただ、できることと言えば『言い出しっぺになること』くらいのことなのですが、非常にありがたいことに「坂爪圭吾の欠落した部分をみなさまの善意が埋めてくださる」的な恩恵を受けまくる日々のど真ん中を過ごしております。TPD48の活動は、つまるところ「日々、みなさまによって生かされている坂爪圭吾のせめてもの恩返し、贖罪、免罪、報恩、ならびに罪滅ぼし的な意味合いを込めた営み」ということになります。基本的にはどのような依頼であっても応えていきたいと思っておりますので、この記事を読んで「ほわっ!」と来た方からのご連絡をお待ちしております。

 

ibaya.hatenablog.com

 

わたり文庫『小説 上杉鷹山

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、童門冬二著作『小説 上杉鷹山』です。わたしは甲本ヒロトさんと江頭2時50分さんと上杉鷹山さんがなんとも言えずに好きなのですが、一見、まったく共通点のなさそうなこちらの御三方は「弱いものに優しい」という点において見事に一致をしていると、わたしはそんな風に感じております。人間には強いひとと弱いひとがいるのではなく、ひとりの人間のなかに「強い部分もあれば弱い部分もある」ものではなかろうかと。それならば、できることならば「強い部分を引き出しあい、弱い部分を補いあう」ことができたら素敵なのではなかろうかと、そのようなことを感じております。こちらの本をご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾まで直接ご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。 

 

「助けよう」

 

と走り出す心理。

 

「そういう人間の自然な心を、孟子は「忍びざるの心」といった。見ているには忍びないという意味だ。いま、米沢藩は潰れるか、潰れないかの瀬戸際にいる。藩を潰さないためには、もちろん金がいる。金をつくらなければならない。しかし、お屋形さまは、貧乏な米沢にも人はいるとおっしゃった。人間がいるとおっしゃった。お屋形さまはよそからこられた遠慮もあり、また、根がおやさしいから強いことはおっしゃっらない。私は、ただ人間がいるだけでは何の役にも立たないと思う。その人間が他人の役に立たなければ駄目だ。人間が人の役に立つためには、まず、この忍びざるの心を持つことが必要だ。井戸に落ちかかるこどもがいたら、衝動的に走り出すやさしさを持つことから始めなければならない。私たちは、この開墾地で、そのやさしさをまなぼう」

 

童門冬二『小説 上杉鷹山』【集英社文庫】 

 

世界を変えるより、世界を増やす。

先日、小さなこどもを育てているお母さんが「こどもが小さいうちは絶対に死ねない。この子が大きくなるまではわたしがなんとかしなくっちゃ!」的なことをおっしゃっていました。すると、それを聞いていた別の女性が「なるほどね!そうなる気持ちはすごいわっかる。でもさ、自分さえいればこどももどうにかなるっていう世の中(というか環境)よりも、自分がいなくてもこどもはきっと大丈夫だって思える世の中(というか環境)になった方が素敵じゃない??」的なことをおっしゃっていました。 

 

わたしは、この会話を聞きながら「なるほどなー」と思いました。こちらの記事をご覧のあなたは、どのようなご感想をお持ちになられましたでしょうか。わたしは定期的に思うのですが、多分、人間はひとりで生きられるようにはつくられていないように思います。与えるとか、受け取るとか、表面的には「与える側と与えられる側」みたいな感じで上下関係があるようにも見受けられますが、裏を返してみれば「与える喜びを与える側と、与える喜びを与えられる側」ということになる【一気にひっくり返る】とでもいいましょうか、与えるという行為も、受け取るという行為も、同じように尊いものではないのだろうかなどと考えます。

 

昔、わたしは「世界を変えるより、世界を増やす」的なことを考えていました。同じような感覚で「椅子取りゲームをするのではなく、椅子をつくるゲームをしたい」的なことを考えていました。この遊び感覚の思考癖はいまでも変わっていないみたいで、わたしは「こうあるべきとされている外側の世界を見てみたい。それがなければつくってみたい」のだと感じています。自分が置かれている状態を窮屈で息苦しいと感じるのであれば、それを変えてもいいのだと、自分が生きやすい環境を(身近になければ)自分の手でつくりだしてもいいのだと、そのようなことを思うのであります。稀に、悩み相談的な話を聞きながら「これは俺に出されているなぞなぞみたいなものだ」と感じることがあります。いま、世の中的に抱えている問題を明るくポップに解決する(解決と言うよりは「問題が問題ではなくなる」とか「どうでもよくなる」的な)ソリューションがあるとすれば、それはなにか。素敵な世界を生きたいと思う。そのためには、なによりもまず「自分の思いに真っ直ぐであること」なのだなあと、そういうことを感じております。

 

 

 

https://www.instagram.com/p/Bd6gN3Jj0ZZ/

世界を変えるより、世界を増やす。

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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生きているだけでいい。それ以外はおまけだよ。

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1月13日(土)と14日(日)の二日間、実験的に「めぐりめぐるカフェ」なるものを開催させていただきます。非常に乱暴にまとめると「食事も飲み物も全部無料の喫茶店」ということになります。時の旅人という合唱曲に「めぐるめぐる風〜♫」という歌詞があるのですが、この、風の部分をカフェと言い換えることによって「そこはかとなく循環している感じ」を醸し出すことができるのではないだろうか、ということではじまりました『めぐりめぐるカフェ』記念すべき第一回の開催です!!【お時間のある方も、お時間のない方もお気軽にお越しください!!】

 

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大事なことは『GIVE&TAKE』ではなく『GIVE&GIVE&FORGET』だと聞きました。与えて、与えて、忘れてしまう。そうしたら、いつか忘れた頃に何かの形で返ってくる。これが宇宙の法則なのであると聞きました。今回の主催(?)になります坂爪圭吾・稲村彰人・保科亮太3名の人柄的なものについては、以下の音声をお聴きいただけたらなんとなくわかってもらえるのかなと思います。この音声を聞いて「ああ、こいつらの声はいい感じだな」と思っていただけましたら是非来てください。ただ、こいつらの言っていることはクソだなと感じられた場合は、多分、来ないほうがいいのだろうなと思います!!

 

 

最近一番感動をした話。

ひたすらおはなを配り続ける日々を過ごしていました。札幌にて「おはなをください!」というご連絡をいただき、札幌駅前の大丸で女性Y様と待ち合わせをしました。合流直前に、Y様からこんな連絡をいただきました。「実は、わたしは目が見えないのでさかつめさんから声をかけてもらえたら助かります。白い杖をもって立っています」とのこと。わたしは、え、そうなの、そうなの(それではどうやってラインでやりとりできたの!?)みたいな感じになって、なんだかもういろいろとびっくりしました。

 

大丸一階のシャネルの前でY様と合流をしました。立ち話というかたちになりましたが、Y様はいろいろな話を聞かせてくれました。LINEなどの文章は音声で読み上げてくれる機能があるということ。いばや通信も毎回それで読んでいる(聞いている)ということ。ツイキャス配信を聴いてからは、頭のなかで「機械音をさかつめさんの声に変換しながら」聴いているということ、など、など、など。わたしはなんだかもう猛烈に感動をしてしまって、いやあ、生きているとこんなにうれしい気持ちになれることがあるのですね!的なことを不器用な言葉で伝えました。

 

別れ際、Yさんは「さかつめさんの言葉のなかで一番好きな言葉を書いてきたので、よかったら受け取ってください」という言葉とともに、冒頭の写真にある直筆のお手紙(?)を渡してくれました。そこには「オレハオレトイウサクヒンヲカンセイサセルカラオマエハオマエトイウサクヒンヲカンセイサセルンダ。オマエハアイサレテイル。(俺は俺という作品を完成させるから、お前はお前という作品を完成させるんだ。お前は愛されている。)」と書かれていました。こころ打たれる瞬間というのはまさにこういう瞬間のことを言うのだなと、わたしは、激烈に感動をしてしまいました(そして「おはなを配っていて本当によかった。こういう瞬間があるからやめられないんだよなぁ〜!!」と思いました)。

 

ibaya.hatenablog.com

 

わたり文庫『霧のむこうのふしぎな町

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、柏葉幸子著作『霧のむこうのふしぎな町』です。こちらの本は、仙台在住の方がごちゃまぜの家にと寄贈をしてくださった一冊になります。千と千尋の神隠しに影響を与えたと言われるだけありまして、なんと言えばよろしいのでしょうか、非常に素晴らしい作品だったもので「是非、みなさんも是非!」という気持ちになりました。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、長野県にわたりました ※※※

 

わたしたちは、おたがいをよく知らないから、こわいのかもしれない。正面からぶつからないで、遠くから見ているだけだから。リナのように、とびこんでいったほうがいいんでしょう。リナがやったように、トーマス流にどなりちらしてね。

 

柏葉幸子霧のむこうのふしぎな町講談社児童文学新人賞受賞作)』【講談社文庫】

 

生きているだけでいい。それ以外はおまけだよ。 

諸事情が爆発をして、北海道から仙台を経由して現在は横浜にいます。もしも「おはなをプリーズ!」という方がいらっしゃいましたら、東京&神奈川界隈であれば直々にお渡しに伺えるかなと思います。必要とあらばお気軽にご連絡ください。次の土日はごちゃまぜの家でイベント【めぐりめぐるカフェ】があるのですが、土日以外ならどこでも行けます。なぜならば、わたしには時間がたっぷりあるからです!!

 

札幌でY様にお会いしたあと、わたしは「自分が恥ずかしい」という気持ちになりました。このような言い方は失礼にあたるかもしれないのですが、目が見えなくても一所懸命に生きようとしているひとの姿に触れたことで、ああ、自分はこれだけ恵まれているというのにこのザマかと、不平不満をタラタラと数え上げてしまうことはめっぽう多いし、当たり前のことを当たり前のこととしてしまっている(感謝を忘れている)自分は非常にダサい存在なのではないだろうかと、自分で自分が恥ずかしい【生命に対する冒涜なのではないだろうか】と思いました。

 

誠実に自分の命を生き抜くということ。そのことから放たれる輝きは、なんだかもうまじで半端ないなと思いました。と、そんなことを思っていた矢先に、先日東京でお会いした方から一通のメールが届きました。そのなかには「坂爪さんが勝手にやっていることに、いっぱい勇気をもらっています」と書かれてありました。私は思いました。自分の意図しないところで、ひとは勝手に何かを受け取ってくれるものだということを。Yさんも、決して坂爪を励ますために会ってくれた訳ではないのだと思います。ただ、結果として「自分が自分の命をひたむきに生きることで、それに触れたひとを勇気付ける」ことはあるのだなと、それならば、こうでなければいけないという思い込みや社会通念に縛られて「もけー!」となってしまう前に、与えられた命を思い切り生かしていきたいじゃあないかなどと思いました。

 

 

 

坂爪圭吾さま

 

おはようございます。
10月末に、中野のイベントでお目にかかった
○○○○と申します。
(お先に失礼して、帰り際に握手していただいた者です^^)
その節はありがとうございました!

 

私、ずっと坂爪さんの行動と文章の大ファンでしたので、イベントの主催者さんから
「坂爪さん来るよ」と聞いて吃驚仰天、ずっとそわそわしていました^^;
お会いできて「わあ、本物だ」と、単純に、嬉しかったです。

 

ブログを拝読していて、いつも、お返事したくなりつつも、
「いやそんな馴れ馴れしい・・・」と書いたことはありませんでしたが、
なぜか、今朝読んだトピックについては、書きたい!と思ったので早起きした勢いで書いちゃいます。

 

お子さんが5人ほしいというお話について。
なんか、ぜったい、普通じゃない感じで叶いそうな気がします。
きっと、坂爪圭吾父親企画の賛同者となる女性に出会えると思います!
(一人じゃなくて複数でも面白いなあと無責任に思ってしまいました。
一人で5人産むのはそれなりに大変だと思うので^^; )

 

「子育てはお金がかかる」「手がかかる」「5人なんて無理」などの呪文を打ち破って、
ひょうひょうと楽しそうに子どもと過ごす図を実現させてほしいなあ。

 

我が家は全然裕福ではないくせに、3人子どもが来ました。
うっかり、子育てにお金をかけがちな都心部
住んでしまったので、周囲の子育て事情(塾とかお稽古事とか)を耳にして
「うちはムリー。お金のかからなさそうな場所に引っ越そうかな・・・」と、
弱気に揺れることもよくありますし、
「養育費とか受験とか、もう。なんなんだろ。
こんなに恵まれた国にいるんだから、それでいいじゃないか」と
強気に思うこともあります。

できれば、あるものを生かして、あるお金の中で、背伸びせず
豊かに子どもと暮らす方向でゆきたいなあと思います。

 

なぜか、心がふらつく時に、よく坂爪さんの投稿がFacebookに出て来ます。
ブログを読んでは、シンプルな気持ちに戻ります。

 

坂爪さんが勝手にやっていることに、いっぱい希望をもらっています。

またいつかお目にかかれること楽しみにしています。

 

○○○○

 

 

https://www.instagram.com/p/Bdyo9xPjQ9i/

俺は俺という作品を完成させるから、お前はお前という作品を完成させるんだ。お前は愛されている。

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu   

 

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義人なし、一人だになし。

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ポール・エルデシュという名前の数学者は、下着とノートだけを入れた鞄を抱えて「世界中の数学者と話すため」に各国を放浪した。数学者と面会をしては数学のことを考え、移動中も歩きながら数学のことを考え、生涯に発表をした論文の数は1000を超える。この数は20世紀最大とも言われていて、実際、エルデシュは生きている時間のすべてを数学に捧げた。タイム誌は彼を「変わり者中の変わり者」と称する。エルデシュの生き様は目茶苦茶だった(生活能力が著しく欠如していた)にも関わらず、エルデシュは世界中で歓迎を受けた。最大の理由は「エルデシュには可愛げがあった」から、というものになる。

 

エルデシュのような生き方はいいなあと思う。自分が熱中できるものを見つけて、それ以外は(意識的にしろ無意識的にしろ)周囲のサポートを受けながらひたすらに「己の熱情の赴くまま」に生きる。私は現在、おはなを配る日々を過ごしている。北海道【札幌〜富良野旭川】では15名程度の方々に実際にお会いしておはなを渡した。エルデシュほどではないにしろ、わたしの今世は、非常に様々な方々に支えられながら継続をしている。明日10日からは仙台に行きます。仙台界隈で「おはなをちょーだい!」という方がいらっしゃいましたら、どなた様でもお気軽にご連絡ください【宿も予定もございません!】。

 

www.facebook.com

 

なんでこんなんなっちゃってんの。

前回の記事で、川本真琴さんの「神様はなにも禁止なんかしてない」という歌詞をご紹介させていただいた。素晴らしい歌詞だと思う。昔から私は川本真琴さんが大好きで、他にも「満員のプラットホーム、破廉恥なクラクション、なんでこんなんなっちゃってんの」という好きな歌詞がある。最近、この『なんでこんなんなっちゃってんの』という部分を頻繁に思い出す。私は思う。人間は、最低限衣食住の三つが整っていたら生きていくことはできるはずなのに、いつの間に、生きるということがこれほど『重い』ことになってしまっているのだろうか【なんでこんなんなっちゃってんの】などと思う。

 

余談になりまくるけれど、先日、成田空港を歩きながら「こどもは五人欲しいなあ」と思った。思ったあとに「それは良い考えだ!」と思った。結婚をする予定もなにもないけれど、端的に「こどもが五人もいたら賑やかで楽しそうだなあ(老後の楽しみも増えそうだなあ)」と思った。が、普通、こどもを育てるとなると「養育費がなんたら」とか「教育費がなんたら」とか「現時点での収入がなんたら」みたいな感じで、いろいろなものがついてまわる。いろいろなものがついてまわるから、本当はそうしたいけれどいまはまだそれをすることができない、などと考えることは頻繁にある。しかし、本当にそうなのだろうか(生きると言うことはそれほど重みを伴うことなのだろうか)。

 

こどもが生まれたら学校にやる。その必要はあるのだろうか。学校に行きたければ学校に行けばいいし、学校に行きたくない(行かせてあげることができない)なら行かないでもいいという考え方はダメなのだろうか。坂爪圭吾のこどもとして生まれて来たことが運の尽き、今世は『学校ではなく自然から学べ(あとはインターネットとかもあるしね!)』的な態度でこどもを育てるということは、父親失格な行為になるのだろうか。極論、食べるものと寝る場所があれば人間は死なないと思う。最低限のラインだけは確保する。それ以外は「おのおので頑張れ」ということにする。それではいけないのだろうか。試験や就職に失敗をして自殺をするひとがいる。学校や社会に馴染むことができなくて自殺をするひとがいる。端的に「なんでこんなんなっちゃってんの」と思う。

 

ibaya.hatenablog.com

 

社会不適合でも楽しく生きる「適応よりも開墾」

かく言う私も、社会にうまく馴染めない自分を「ダメだ!ダメだ!俺はゴミ人間だ!」と思う日々を過ごしていた。が、冷静に考えてみると「年間自殺者3万人いて、鬱病患者も100万人いると噂の日本社会に自分を適応させることの方がやばいんじゃないか」などと開き直るようになり、現在に至る。これは極端な考え方かもしれないけれど、社会に自分を合わせるように生きるより「生きづらさを抱えているならば、生きづらさを抱えているなりに、生きづらさを抱えている自分でも生きて行くことのできる世の中を『開墾する』生き方」みたいなものを養った方が、いろいろと有意義なのではなかろうかなどと思うようになった。

 

革命を起こしたいとか、そんな大仰なことは考えない。私は自己中心的な人間なので、なによりもまず「自分が自分のままで快適に生きるウェイ」を見つけたい。その道が、結果として誰かのためにもなったのであれば最高だと思う。いろいろな人々と話す日々を過ごしていると、みなさま、多かれ少なかれそれなりに「生きづらさ」のようなものを抱えていらっしゃることがわかる。生きづらさを抱えているのは、なにも自分だけではないのだと言う当たり前のことを思う。すると、わたしは如実に元気になる。仮に、仮に、仮に自分が「こんな自分でも生きていくことができました!」的な道を発見(あるいは開墾)することができたとしたら、自分と似たような方々にとっても「それは非常にワンダフルですね!」的なことになるのではなかろうか、などと甘いことを思う。

 

自分のこころが「いやだな」と思うことを受け入れると、いつの間にか自分自身が「いやだな」と思うものと一体になる。これは非常に恐ろしい話だと思う。いやだと思うものを受け入れると、いやだと思うものに自分も加担をする【自分自身が醜い存在に成り下がる】ことになる。私は思う。今の世の中は「生きているだけではいいと思えない罠」的なものが無数にあるように思う。誰かに認められて、はじめて「自分も生きていていいのだ」と思うことができるように仕組まれている。逆に言えば、ただ生きているだけではダメだということになっている。が、これは嘘【罠】だと思う。誰かに認められようが、誰にも認めなかろうが、生きとし生けるものは「生きていていいに決まっている」ものだと思う。多分、わたしはこのからくりを暴きたいのだと思う。このからくりを暴きたくて、ひとと話したり、偉人の生き方に触れてみたり、自分なりに閃いたことを愚直に試したりしているのだろうなあと思う。

 

twitcasting.tv

 

わたり文庫『塩狩峠

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、三浦綾子著作『塩狩峠』です。わたくし、先日、旭川にある三浦綾子文学記念館なる場所に足を運ぶことができました。わたしは三浦綾子のファンでございます。とりわけ『母』と『塩狩峠』がとりわけ大好きなのですが、今回は塩狩峠をご推薦いたします。名前は聞いたことあるけどまだ読んだことはない!という方がいらっしゃいましたら、騙されたと思って是非読んでみてください。心が洗れるような、生きる姿勢を正されるような凛とした感覚になります(これが読書の素晴らしいところですね!)。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、奈良県にわたりました ※※※

 

一粒の麦、

地に落ちて死なずば、

唯一つにて在らん、

もし死なば、

多くの果を結ぶべし。

 

何を食い、何を飲み、何を著んとて思い煩うな。是みな異邦人の切に求むる所なり。汝らの天の父は凡てこれらの物の汝らに必要なるを知り給うなり。まず神の国と神の義とを求めよ、然らば凡てこれらの物は汝らに加えらるべし。この故に明日のことを思い煩うな、明日は明日みずから思い煩わん。一日の苦労は一日にて足れり。

 

義人なし、一人だになし。

 

三浦綾子塩狩峠』【新潮文庫

 

義人なし、一人だになし。

という訳で、明日から仙台界隈に足を運びます。お時間のある方はどなたでもお気軽にご連絡をいただけましたら幸いです。ひとと出会うことの最大のメリットは、多分、あれこれこういう話ができるとかそういう具体的なことではなく「生きていることを確認すること」なのだと思います。生き方に間違いもなければ「これが正解!」というものもないように思うので、ああ、あなたも生きているのですね、わたしも同じように生きております、お互いいろいろありますがこれからも共に生きていきましょう的なアレを交わすことができたなら、多分、それだけで万々歳なのだと思います。

 

先日、北海道でお会いした方から「これまでは寝る前に缶ビール3本くらい空けないと眠れなかったのですが、坂爪さんからおはなをもらってから『なんかもうこれはなくてもいいや』ってなりまして、スパッとお酒をやめることができました。いまでは禁酒4ヶ月になります!」という神懸かり的なご報告をいただきました。僭越ながら「おれはキリストか!」などと思いました。ブログだけだとまったくうまく説明をすることができないのですが、生きているとたくさんの奇跡的な出来事に触れることができます。そのひとつひとつに「生きていてよかったなあ」などとしんみりすることができる今回の人生を気に入っております。

 

生きることに対する過度な緊張をほぐしたい。もしかしたら、坂爪圭吾はそんな風に思っているのかもしれません。坂爪圭吾という漢字の羅列は若干ソリッドなので「それだけではないとんがった部分」も勿論ありまくるのですが、多分、人間の最大のパフォーマンスが発揮される瞬間は「(気張っている時ではなく)肩の力を抜いて、リラックスをできているとき」なのだと思います。わたし自身は天然素材の切込隊長といたしまして、明日から(誰にも呼ばれた訳じゃないけど)勝手に仙台に切り込みをいれて参りたいと思います。お会いできる方がおりましたらば、是非、仙台でも何処でもお会いいたしましょう!!

 

 

 

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三浦綾子に触れたくて。。

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu   

 

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人生とは、自分を楽しませることである。

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乱世を生き抜くためにテントで暮らしている。これはある種の訓練である。もしも自分の人生が完全に行き詰まった時は「森にテントを張って静かに暮らそう…最近はタイニーハウスとかもあるから10万円くらいで小屋も建てられるみたいだし…仕事のひとつくらいはあった方がいいんだろうな…手に職をつけよう…こんな自分にもできることなんてあるのかな…ああ…そうだ…森で占い師とかやっていたらそれっぽいから占いの勉強でもしておこう!!」ということで、突発的に『さかつめ占い』をはじめました。

 

twitcasting.tv

 

私は人格的な欠陥を抱えているので、このひとは好きだと思えば全身全霊で愛情を注ぐものの、なんだか微妙だなと思うと途端にいろいろ冷めてしまうところがある。ダメだなあと思うけど、仕方がない。今日から「おはなをあげる」ということで北海道は札幌市内に足を運ぶ。片道切符になるために、身の振り方がわからない。札幌は寒いと聞く。わたしは無事に帰れるのだろうか。おはなをご希望される方は、どなた様でもお気軽にご連絡ください。遠方にお住いの方でも、交通費さえ出していただけましたら(その点、甘えてしまってごめんなさい!)世界各国どこでも足を運ぶ勢いだけは大切に守り通したいと思っています!!

 

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言うべきことは言う。

私は牡羊座動物占いは「根が明るい狼」です!】で、かの有名なしいたけ占いさんによると「あなたはジメジメよりも、『言うべきことは言う』とカラッとしたケンカ腰でいるほうがうまくいく」性質があるのだと聞いた。これを聞いたときは「わっかる〜!」と思った。わたしはジメジメした沼的なものがあまり得意じゃない。悩んでいるひとを見ると「いつまでそれをやっているのですか!」とカツをいれたくなる。事実、ごちゃまぜの家に来てくれた方々にも説教的なことをしてしまうことが過去に何回もあった。最近も、遊びに来てくれた女性に結構厳しいことを言ったら、このような感じのメールが届いた。

 

本日、ごちゃまぜの家にお伺いさせていただいた○○○○と申します。

最後に注意されたことは私に足りない部分なのは重々承知しております。また、自分の悪い部分を指摘してくれる人も両親を失ってから初めて出会いました。

数年前、両親も他界し、自分も病気になり、兄弟からは見放され、人間不信になり、一生天井を見つめて生きていくんだろうなあと生きる意味を見失っていたとき、坂爪さんのブログに出会いました。

今は負のオーラしか今は放つことしかできない私かもしれません。

ただ、みんなと一緒に食卓を囲んだとき、勝手に涙が溢れてしまいました。
涙が溢れてきたのは自分でも驚きでした。

本当に菊名の家があったからこそ味わえた一日でした。
坂爪さんや坂爪さんに集まる方々に感謝です。


ありがとうございました。

最後までお読み頂きありがとうございました。

 

このメールを読んで「(この言葉が彼女の本心だとしたら)言ってよかったんだな」と思った。私は思う。年齢を重ねるにつれて、誰も本当のことを言ってくれなくなる。上辺だけを撫でるかのように「ありのままでいいよ」とか「そのままのあなたが素敵だよ」的なことを言うひとら大量にいる。が、わたしはあまのじゃくな人間なので、どうしてもそういう風潮を目にすると「ありのままで言い訳がないじゃないですか!」などと言いたくなる。「変えてけ、変えてけ!ありのままよりレッツ・ダイ!!!」などと言いたくなる。

 

人生最大の罪は「自分をないがしろに扱う」ことである。

この女性に返信をしたら送信エラーで戻って来た。設定のあれだろうか、それとも「言葉尻ではあれだけど、実際のところ、さかつめけいごは嫌われて終わった」だけなのだろうか。どちらでも構わない。ただ、どうしても言いたいことが自分のなかにはある。ので、この女性に送ったメールをこの場を借りて公開(?)させていただきたいと思った。

 

○○○○さん

 

ご連絡をいただきありがとうございます。

返信が随分と遅れてしまって申し訳ありません。

○○さんのなかには、素晴らしい宝が眠っていると思います。
これはただのお願いになるのですが、
自分でその宝を壊すようなことだけは、しないでいてもらえたらと勝手ながら思いました。

○○さんのなかにある宝を、
大切にすることができるのは○○さんだけです。

どうか、自分をないがしろにするのではなく、
自分自身を貴重品を扱うかのように、大切に扱っていただけたらうれしいです。

取り急ぎの返信のみになってしまい誠に恐れ入りますが、
○○さんにとって、素晴らしい日々が訪れますことをお祈りしております。

さかつめけいご

 

実際にこうやって公開をすると「結構恥ずかしいもんだな」と思う。私は思う。人生最大の罪は「自分をないがしろに扱う」ことではないだろうか。私は割と本気で思っているのだけれど、人間ひとりひとりのなかには『ウルトラ素晴らしい宝』みたいなものが眠っていて、ただ、それを生かすことができるのは自分次第。自分が自分を見限ってしまうことほど、人間としてさびしいことはない。だから、生きているといろいろなことがあるけれど、自分で自分を投げ出す【やけくそになる】ことだけはしないでもらいたいなあと、わたしなんぞは勝手に思う。私は思う。年齢を重ねるにつれて、誰も本当のことを言ってくれなくなる。上辺だけを撫でるように「ありのままでいい」とか「そのままでいい」などと勝手なことを言う。わたしは反逆児だから「ありのままでいい訳がないじゃないですか!」などと思う。いまのあなたは自分自身をないがしろに扱っている。それは自分自身に対する冒涜である。宝を無碍に扱うことを許せない。だから、その点を(できる範囲からで構わないから)改めろと言いたくなる。

 

ibaya.hatenablog.com

 

わたり文庫『わたしとあそんで』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、マリー・ホール・エッツ著作『わたしとあそんで』です。坂爪圭吾はちょっと父性が強すぎるところがあるので、せめて、わたり文庫のスペースだけでも(ひとのこころをあたたかくしてくれる作品を紹介することによって)母性的な雰囲気を醸し出し、己の中に眠る父性と母性を華麗に消化&止揚をしていけたらいいなあと思っております。この絵本は最高です。いやもう本当にその通りですねという気持ちになります。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、愛知県にわたりました ※※※

 

ああ わたしは いま、とっても うれしいの。

 

とびきり うれしいの。

 

なぜって、みんなが みんなが わたしと あそんでくれるんですもの。

 

マリー・ホール・エッツ『わたしとあそんで』【福音館書店

 

人生とは、自分を楽しませることである。

いま、ごちゃまぜの家の庭に置いてある椅子に座り、太陽をもろに受けながらこの記事を書いている。日光を浴びていると「体内に太陽が蓄電(?)される」みたいな感覚を覚える。もしかしたらいまのおれはめちゃめちゃいい感じの波動を出せているんじゃないだろうか的な気持ちになり、なんなら「さかつめけいごを目撃することはあなたの人生になにかしらプラスの影響を与える(プラスの影響を与える過程で一回殺すこともある)と思いますので、生きているうちに一回は見ておくといいですよ!」的なことを思う。

 

私が人生で大事にしたいと思う形容詞は「清々しい」とか「潔い」とか「痛快である」とか「爽快である」とか、そういう感じの言葉になる。しいたけ占いにもある通り、(ジメジメっとしたものが苦手で)カラッとしたものが好きなのだと思う。乾燥剤みたいなものなのだと思う。しいたけ占いさんは言う。牡羊座のあなたには「周囲にポジティブな影響を与える才能に恵まれています」と言う。同時に「牡羊座のあなたは、周囲からおだてられることで最高のパフォーマンスを発揮します」とも言う。これを見た時は「わっかる〜!」と思った。結局、なんだかんだあるけれどわたしは「ちやほやされたくて生きている」のだと思う。

 

どうしたって人間、生きていると「自分の格好良い部分は見せたいけれど、格好悪い部分は隠したい」的な気持ちになる。が、2018年を迎えたなう、私はこのようなことを思う。「格好いい自分だけではなく、格好悪い自分もさらけ出す。ダメでもいい。それで無敵になる。」のだと思う。ダメでもいいという言葉は、冷静に考えてみると、すごすぎる言葉だ。美しい部分だけではなく、醜い部分も、清濁併せ呑んで「これが自分です」と朗らかに生きる。頭ばかりが優先して働いてしまっているとき、それは「そろそろ自分を楽しませる合図ですよ」ということなのだろう。遊ぶということは、乱暴にまとめるならば『無駄を愛する』精神的な余裕である。毎度のことながら、わたしは思う。人生とは、自分を楽しませることであるということを思う。

 

 

 

https://www.instagram.com/p/BdlmioDD_3a/

人生とは、自分を楽しませることである。

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu   

 

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