いばや通信

ibaya.ex《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

あせらず、あわてず、たのしんで。

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京都府丸太町のガストにいる。昨日は漫画喫茶で眠った。誰でも無料で立ち寄れる『ごちゃまぜの家』という活動(?)をやっているが、やはり、時折ひとりになりたいと思う。冬の京都は底冷えが凄い。誰もいない夜の街中を歩きながら「誰でも無料で立ち寄れる家とかあったらなあ。そうすれば俺も眠れるのになあ」などと思った。しかし、冷静に考えると「それはまさに俺がやっていることじゃないか」と思った。なんという自己矛盾だろう。俺はなにをやっているのだろうかと思った。

 

 

昨夜、京都の八瀬で『カンタ!ティモール』という自主制作映画を見た。東ティモールインドネシア軍の侵略によって国民の三人に一人が殺される大虐殺を受けた。が、ティモールの人々は報復する代わりに円陣を作り、肩を組み、団結を誓い、歌を歌い、踊りを踊った。闘うとはどういうことか。この問いに対する東ティモールの人々の答えは、武器を取ることでもなければ報復を誓うことでもなく『連帯する』ことだった。それにより、三十年近い虐殺の日々の果てに、東ティモールは奇跡とも呼ばれる独立を果たした。彼らは言う。愛する人々を喪った悲しみは消えないが、怒りはない。敵を恨む気持ちはもうない。死は犠牲だったのだ。と。

 

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金ってなんだ。

東ティモール沖には油田がある。それを巡って戦争が起こる。要するに金の問題で、利権欲しさに戦争が起きる。というロジックがある。なるほど、言われてみれば確かにそうなのかもしれない。戦争反対論者は言う。人生は金じゃない。だから、いますぐ戦争をやめるべきだ。と。しかし、私は思う。戦争をやめるべきなのは、なにも政治家だけの仕事じゃない。私たちひとりひとりが戦争をやめなければ、なにも変わらないだろう。無論、今の日本で実際に血を流すような争いはない。が、金のために嫌な仕事もやらなければならないとか、売りたくもないものを売らなければならないとか、過労になったり(戦死者を超える数の)自殺者がいる状態は、新種の戦争だと思う。金に生き、金に殺される人間は少なくはない。

 

金ってなんだ。頻繁に思う。お金じゃないよね的な活動をしている人々は年々増えている。が、彼らも「人生は金じゃない」と言う半面で「金がなければこの活動を続けていけない」という葛藤に苦しむ。結果、活動を継続するために金を求める。金じゃない!ということを訴える活動に参加費が必要になり、金じゃない!ということを訴えている空間で自然素材の商品やフェアトレードのなにかを有料で売る。結局、金が生命線になっている。不思議だし、矛盾だし、仕方がないのかなとも思う。多分、私たちは金に変わる『新しい価値』を求めているのだと思う。しかし、その『新しい価値』がなんなのかを知る人は少ない。だから、口先では「金じゃない」などと言いながらも、活動のため、生活のため、生きるために『嫌なことでも嫌々やらなければならない』世界を抜け出すことができない。結果、戦争は続く。

 

誤解されると困るが、私は金を否定したいわけでも人間の欲望を否定したい訳でもない。空海は「小欲より大欲。小我より大我」的なことを言っている。人間、我欲を捨て去ることはできない。だからこそ、どうせならば「小さい欲望よりも大きな欲望を、世界を変えてしまうくらいの欲望【大我】を抱け」的な意味合いなのだと私は解釈をしている。映画を見ながら、私は、裸足で生きるスラムのこどもたちの凛々と輝く瞳に胸を打たれた。大人も、子供も、非常にいい顔をしていた。表情全体から「生きている」ことの躍動が伝わってくる。私は、キャリアとかセルフブランディングとか自己投資などという言葉が嫌いだ。自分のことしか考えていない器量の狭さ、不潔さ、ケチ臭さを感じるからだ。私は、なぜ、ごちゃまぜの家をやっているのだろうか。私は、自分という概念を拡張したいのかもしれないと思った。

 

 

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わたり文庫『いま、生きる力』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、岡本敏子著作『いま、生きる力』です。好きな女性のタイプを聞かれたら、これからは「岡本敏子さんです!」って胸を張って言いたい。男は女をけしかける。女は男をけしかける。結果、世界が豊かに膨れ上がる。こんなにも素敵な女性が過去の日本に生きていたということは、もう、希望でしかないと思う。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、三重県にわたりました ※※※

 

みんな自分を輝かしたい。ぼくは、私は、もっともっと凄い力を秘めているのに、誰もわかってくれない、と密かに口惜しい思いを噛みしめている。

ならば、うじうじしていないで、そのように振る舞うべきよ。

平気じゃないの。誰に遠慮しているの?

小さいときからまわりを見て、みんなから外れないように、周囲の人たちと同じように、合わせてゆくことばかり強制される。人と違うことを言ったりやったりすると、それだけでハグレ者。ノーマルに世の中を渡ってゆけない落ちこぼれと扱われてしまう。親も先生も何とかして“マトモ”にしようと躍起になるし、友達からはイジメにあう。イジメの悲惨さに耐えかねて、自殺してしまうこもあとを絶たない。

でも考えてみてください。

みんなと同じであることが、そんなに尊いの?なぜ、同じでなければいけないの?

岡本敏子『いま、生きる力』【青春出版社

 

あせらず、あわてず、たのしんで。

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京都にいるが、特段何もすることはない。いつものように呆然としていたら、大阪在住の女性から「私の代わりに久高島に行きませんか?交通費を出します!」という稀有なご要望をいただいた。坂爪圭吾の新しい使い方発見!だなあ。早速「是非!」と快諾をした。小生、数日後には沖縄にいるかもしれない。相変わらず、日々がとっ散らかっている。前回の記事で「ごちゃまぜの家をやりたい人がいたらご連絡ください!」などと自分から言っておきながら、連絡がきたらきたで「返信するのが億劫だ…面倒くさい…」などと自爆している。私はなにをやりたいのだろうか。時折、自分で自分がわからなくなる。一番面倒くさいのは自分だと思う。

 

メールよりもリアルに限る。先日、大阪であった女性が「坂爪さんに連絡するのは死ぬほど恐怖もあったのですが、前に『1日1F(1日に一回怖いこと【FEAR】をやる)』って坂爪さんが言ってて、よし、このタイミングしかないと思って連絡しました!」と話してくれた。素晴らしい意気込みだと思う。人間の気骨に触れると嬉しくなる。不思議な感覚だが、最近、初対面の人と会っても初対面だと感じない。初対面なのは最初の1秒くらいで、10秒以上一緒にいれば「もはや旧知の仲」みたいになる。人間は細胞分裂を繰り返していて、1秒前とは(それこそ細胞レベルでは)生まれ変わっている。だから、初対面だとしてもこのように感じることは別に変ではないのだろう。誰に会っても、最初の数秒間でだいたいわかる。あとはもう、すぐに(会話が盛り上がるかどうかは別として)旧知の仲になれる。

 

大阪で会った女性は言った。前に、坂爪さんがツイキャスで『よろしく浸ってんじゃねえよ理論』の話をしていて、ああ、私はすぐに自分の失敗とか弱さに浸ってしまってうじうじしちゃうタイプの人間だから、すごく刺さるし痛いなあって思いました。と。これを聞いた時は「俺って結構いいことを言っているんだなあ!あほだなあ!」って感動した。うきうきした。冬になり、どうしても寒さでカラダは閉じがちになる。しかし、寒さによろしく浸っている場合ではない。今日も、これといって予定はないけど折り畳み自転車を持ってきたから京都を散策したいと思う。夜はまた、漫画喫茶にでも行くのだろうか。どこでもいい。東ティモールの人から見たら、屋根があるだけで天国だ。感謝である。ありがとうございます。あせらず、あわてず、たのしんで。どうなるかわからない人生を、楽しんでいきたいと思う。

 

 

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あせらず、あわてず、たのしんで。

「だらしがないことも、時には役に立つんだねえ。」

「おまえたち、ほんものの冒険家として、生きるのだよ。それを決して忘れてはならないよ。」

「わしはしばらく眠るよ。ちょいちょい、眠ってる間に、問題が自然に解けることがあるものな。頭はほったらかしにしておくと、よく働くものなんだ。」

ムーミン谷の名言集

 

 人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

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自分の聖性に忠実でありたい。

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車で京都から長野に行く予定が、運転手予定の女性(まだ会ったことはない)から「ごめんなさい!やっぱりこわくなったので行けません!」と直前にご連絡をいただいた。いまの私が坂爪さんに会ったら悪い影響を与えてしまいそうで、とのこと。この気持ち、ものっそいわかる。直前になっておそろしくなって逃げ出したくなる気持ち、ものっそいわかる。だがしかし、小生、すでに車の同乗者を集めてしまっていた。やばい。どうしよう。禿げちゃう。ここで神様が降臨した。「それならば僕が車を出しましょう!ジャジャーン!」とスーパーヒーローが登場をした。

 

 

ブログには書けないことが多すぎる。が、人生はうまくできているものでどうにかなった。結果、京都から長野を経由して今は横浜にいる。長野では森ジムの開墾に邁進した。色々ありすぎてまとめられない。関西では「自分もごちゃまぜの家みたいな無料で家を開放するみたいなことをやりたいとは思うのだけれど、周囲から『馬鹿者!できるわけないだろ!』と言われまくるから困る」と話す人々に複数名会った。私は思う。毎日じゃなくて「一ヶ月のうちの1日とかだけでも、その空間をごちゃまぜの家みたいにする」とかどうだろうか。それなら負担も少ないし、全国にごちゃまぜの家支部的なものを作ることができる。私を客寄せパンダに使って欲しい。やがてはごちゃまぜの家甲子園みたいなこととか、やりたいなあと思う。

 

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生き埋めになりたい。

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森ジムにハンモックをぶらさげて遊ぶ。

 

アナスタシアという本を読んだ。なんでも「野菜の種は植える前に9分間舌の下にいれておくと自分の体内情報が種に伝わり、あなたに適した野菜ができる」的なことが書かれていた。私は「こ、これは!」と思った。なんだかありそうな気がした。今、一応、ごちゃまぜの家的なものが横浜と熱海と長野と佐渡島の四箇所にある。私は、一回、これらの土地に丸一日生き埋めになった方がいいのだと思う。砂浴という健康法がある。砂が毒素を吸い出してくれるように、土も毒素を吸い出してくれそうだ。私の体内情報がその土に伝われば、より一層『その土地と仲良くなれる』ように思う。体を這い回る虫たちは毛穴の汚れを除去するらしい。そんなことってあるのだろうか。ありそうな気がする。土の中は寒いのだろうか。それとも意外と温かいのだろうか。最近は生き埋めになることばかりを考えている。

 

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森カフェもオープンしました(文字盤をいただきました!)

 

森ジムを面白がってくれる人がいてくれることが奇跡だ。誰にも理解されないと思っていた。鉈や鋸などの刃物類をいただいたので、森を開墾して道を開いた。若い女性でさえ「手伝いたい!」とか「泊まりたい!」とか言う人がいるから昨今の女性は勇敢である。今、日本全国に空き家や空き地が増えている。見捨てられた土地を見ると残念に思う。有効活用のひとつの手段として、私はごちゃまぜの家(ごちゃまぜの森)を提唱したい。誰でも無料で使えるように開放すること。人間の善意でまわすこと。とか言うと「経費はどうするんだ!」とか「泥棒がきたらどうするのだ!」的なことを言われまくる。これは、やってみればわかる。逆に、やらなければわからないことをやる前に説明することは(佐渡島に行ったことがない人に佐渡島を説明することと同じように)無理だ。だから、私は説明をしたくない。

 

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屋外で料理をすると楽しい。玄米餅を食べました。

 

12月8日&9日は横浜のごちゃまぜの家で無料カレーが食べられる。是非、一回目撃してください。また「自分の家をごちゃまぜの家みたいにしたかったのよ!」的な方がいたら、是非、お気軽にご連絡ください。全国47都道府県(+海外)にごちゃまぜの家ができたら嬉しい。管理人同士の連携プレーが生まれたら楽しい。家に限らず空き地でもいい。海も山も森も活用したい。呼ばれる限り何処にでも行く。時間は(死ぬまでならば)ある。家賃の為に嫌な仕事でも嫌々やらなくちゃいけないみたいな前提を吹き飛ばしたい。や、別にどうにもならなくてもいいのだけれど、生活の不安が薄くなれば「人間はもっとダイナミックに生きることができる」ように思う。そうすれば、世界の熱量は高まる。結果、いまよりももっと一緒に遊べる人たちが増える。私は、単純に、遊びながら生きたいのだ。

 

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わたり文庫『荒野へ』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、ジョン・クラカワー著作『荒野へ』です。男性におすすめです。この本は、アラスカの荒野に単身分け入り、四ヶ月後に腐乱死体となって発見された若者クリス・マッカンドレスにまつわるノンフィクションです。男なら、誰もが一度は冒険に憧れたことがあると思う。その初心みたいなものを、消しても消しても消しきれない野生みたいなものを、ページをめくるたびに呼び起こす一冊になると思います。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、岡山県にわたりました ※※※

 

私は変化がほしかったのであり、平穏無事な生活など望んでいない。刺激と危険と、それに愛するもののために身を捨てる機会をもとめていたのだ。自分の内部には、エネルギーがありあまっていて、われわれの静かな生活には、そのはけ口がなかった。

 

レフ・トルストイ『家庭の幸福』(クリス・マッカンドレスの遺体とともに発見された書物の一冊のなかで強調されていた一節)

 

ジョン・クラカワー『荒野へ』【集英社文庫】 

 

自分の聖性に忠実でありたい。

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京都から車を出してくれたスーパーマンY様も、今、横浜のごちゃまぜの家にいる。Y様は9日の朝に横浜を出て京都に戻る。この車、残り座席が2席ある。もしも「ちょうど仕事をズル休みして京都観光したかったのよ!」的な関東在住の方がいたら、お気軽にご連絡ください。Y様が無料で護送をしてくれる上に、伏見稲荷神社近くの素晴らしい宿泊先もあります。私はどうするのだろうか。私はこれからどうやって生きていくのだろうか。そういうことを考えると冬型の鬱病になるから考えない。人生は「どうにかする」ものではなく「どうにかなる」ものだと思い込む。自分の意思を超えて、思いもよらなかった場所に運ばれていくことが人生の醍醐味なのだと思う。

 

連絡先・坂爪圭吾

keigosakatsume@gmail.com

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今、ごちゃまぜの家には「仕事と金を失った」内海さんが滞在している。先日、内海さんと話している時に、同席していた人が「雇用主の都合で仕事をやめさせられたのなら、損害賠償的なものを請求する権利があるんじゃないですか?」という鋭い指摘をした。が、これに対して、内海さんは「僕に請求する権利があったとしても、請求をしたいとは思いません」とはっきり答えた。私は、この、内海さんの回答を聞いたときになんだかホッと安心をした。見る人が見たら、取れる金があるのに取らないことは『もったいない』こととして映るのかもしれない。しかし、過去に何度も何度も何度も金の問題を目の当たりにしてきた経験を経て『身を滅ぼす金の使い方・金の稼ぎ方』というものがあることを知った。損得勘定で見れば損をすることでも、別の視点から見れば徳を積む(自分の純粋性を高める)ことに繋がる生き方がある。その生き方を、私は、内海さんと一緒に見出していきたいと思う。

 

カナダのモントリオールからメールが届いた。国境を超えてやりとりができることが嬉しい。巷では「自分を大事に」みたいなことが頻繁に言われるが、私は、結構逆のことを思う。自分を大事にするよりも、めっちゃつらいことをやりまくった結果「それ以外のことがほとんど楽勝になる」みたいな状態に自分を育む。そういう生き方があってもいいと思う(しかし、これは男性向けだと思う)。人間、生きているならばどうしても貫き通したいと思う筋があるはずだ。その筋は、貫けば貫くだけ自分を不利な状態に追い込むだろう。しかし、その筋があるからこそ、自分は自分として強烈に在ることができる。純粋性を守れば守るほど、この世界では生きづらくなる。周囲からも罵倒され、村八分の憂き目にも遭うだろう。しかし、生きづらいということは「自分は自分のままである」ことの最大の証明になる。直感が外れることは多いけれど、違和感が外れることは滅多にない。誰かに合わせる必要はないのだと思う。ただ、自分の聖性に忠実でありたいと思う。

 

 

坂爪さん、初めまして、こんにちは。
 
 
わたしは、○○○○と言います。
カナダのモントリオールに住んでいます。
 
わたしのところにも、あなたの命の光が届きました。
 
強く、たくさん感じることがあり、魂が伝えたい気持ちがあるのですが、
大きすぎて、ありがたすぎて、まだうまいこと言葉として現れません。
 
 
また書きますね!
 
ありがとう! ありがとう!! ありがとう!!!
 
会えるのも楽しみにしています。
 
 
ありがとう!!!!!!
 
 
今日も、今、この瞬間も、
あなたの命が、張り裂けんばかりに喜び、ありがたいなぁ〜と安堵し、
 
体の隅々が冴え渡り、生命力にみなぎり、心地よく軽やかに動き、
あなたの命の自然や資質を最大限に満喫されていますように。
 
関わる全ての、生きとし生けるもの、見えるもの見えないもの、
あるものないものと楽しく遊んでいますように。
 
 
 
 
○○○○より

 

https://www.instagram.com/p/BrGsDkYHzc5/

森ジム。

「みてるわよ、あなたがしていること。あのね、神様じゃないわよ。もうひとりのあなたがよ。もうひとりのあなたがたなたをみているのよ。見放されないようにね。嫌われないようにね。」

「新しい生活、その不安ね。大丈夫よ、全然、大丈夫よ。いま考えてもしかたないじゃない。何かあったらその時に考えればいいのよ。本当にそんなものよ。それで意外とうまくいくのよ。」

「逆よ、全く逆よ。自分と向き合うにはひとりになるんじゃないわ。いろんな人と関わりあうのよ。お友達とおままごとしろって言ってるんじゃないの。自分の知らない、自分を知らない人たちと関わりあうのよ。見えてくるわよ、本当の自分が。」

ムーミン谷の名言集

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

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自分をオープンにしている限り人間は死なない。

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私のオラクルカードが大阪で奇跡を連発している。また人類を救ってしまった。今朝、タロットカードの使い方まで覚えてしまった。金曜日の昼過ぎには長野の森に行く。森ジムに加えて『森のタロット屋さん』をやりたいと思う。森の中に小屋を建てて、怪しげなタロット屋さんを開設するのだ。鑑定される側の人間は、鑑定料として食糧(最近の私はアボカドが大好き!)を献上する。それによって私は命を繋ぐのである。ふふふ。完璧である。が、私は飽き性なので1日に鑑定できる人数には上限がある。

 

 

京都から車を出してくださる女性が「空席があるので、他にも長野に行きたい人がいたら一緒に行きましょう!」と提案をしてくれた。現状、残り座席が2人分ある。12月7日(金)朝8時大津駅前某所待ち合わせ、その後5時間程度車を走らせたら長野県大町市に到着をする。その後の予定は完全に未定になりますが「片道切符でも構わないから、一緒に行きたい!」と思われたフットワークの軽い素敵なあなたは、お気軽にご連絡ください。今、私は大阪駅の地下のカフェにいます。心ある読者様から「肉を食え!」とお誘いをいただき、昼、神戸牛を食べる予定である。

 

※※※ おかげさまで満席となりました ※※※

 

連絡先・坂爪圭吾

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マッチ売りの少女を殺したのは誰か。

ごちゃまぜの家に滞在をしている内海さんがいい感じだ。小生、人生哲学のひとつに「自分をオープンにしている限り人間は死なない」というものがある。自分を閉じると死ぬ。しかし、自分を開けば世界も開く。結果、いい感じになる。極論、人間の状態は『開いているか閉じているか』の二種類だと思う。今夜、私は、京都で「誰も使っていない古民家があるから、ここをごちゃまぜの家みたいにしたいと思っている。よかったら一回遊びに来てください!」とお声をかけていただき、そちらに向かうことになった。こうして声をかけていただけることはうれしい。結果、今夜の宿もどうにかなってとってもうれしい。

 

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まだ家がなかった数年前、イギリスに呼ばれて行ったことがある。そこで素晴らしい出会いを果たしたのだが、時は流れ、数年後の今(なう)「奇跡が奇跡を呼ぶ」みたいな現象が起きた。長野の森を開墾してINN THE FORESTをオープンして数日しか経っていないが、イギリスからも「素敵な森がイギリスにありますので、いつでも遊びに来てください」的なお声をかけていただいた。なんということだろう。素敵すぎる。私はしばらく茫然とした。嗚呼、いますぐにでもイギリスに飛びたい。誰か一緒にイギリスに行きませんか。日本では、ちょっと前に『死ぬこと以外かすり傷』という本が話題になった。私の場合は『死ぬこと以外予定なし』の人生である。死ぬこと以外に予定がない。時間だけは無限にある。航空券を調べたら往復10万円弱程度かかる。この費用をどうするのか。これが当面の課題である。

 

ameblo.jp

 

ここまで書いたところで「大阪でごちゃまぜの家みたいなことをやりたいと思ったものの挫折した。よかったら一回家に来てくれませんか??」的なご連絡が届いた。楽しい。早速「今日の夕方なら行けます!」と返信をした。これから、私の人生はどうなるのだろうか。資本主義社会とか経済合理性などと謳われるが、結構多くの人々が「無償で人々に与える側にまわりたい」と思っていることを知ることは楽しい。なんだ、みんな遊びたいと思っているんじゃないか!みたいに思えるからだ。最近思う。公衆便所があるなら『公衆台所』とかあってもいいじゃないか。公園に台所をバコン!と設置して、誰でも好きに使えたらコミュニケーションも生まれそうだ。が、色々問題もあるのだろう。私は般若心経が好きだ。困ったときは「羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶」と唱える。これで、大概の問題はどうにかなる。

 

ibaya.hatenablog.com

 

自分をオープンにしている限り人間は死なない。

ロンドンでイベントをやりましょう!とお誘いを受けた。凄い。ロンドンなんて格好いい。私のふるさとは新潟県で、私は勝手に『日本のロンドン』と呼んでいる。寒い国の人間は頭がおかしくなる。よく言えば『(内的世界が充実するから)文学が育つ土壌になる』とも言えるし、悪く言えば『精神が異常をきたして自殺率がうなぎのぼり』とも言える。寒ブリがうまいことと、北の国の人間はいかめしいことは似ている。地元の人間に「最近どう?イエローモンキーのプライマルを聞いていたら君を思い出したよ」と連絡をした。すると、その人は「新潟はまじでドブみたいな灰色だよ」と言った。曇天が続くと人間は頭や語彙力はおかしくなる。彼女は、最近、髪をぶった切った。切ったとかのレベルではない。『ぶった』切ったのである。愛する吉井和哉さんは「さみしがりは激しいジョークを欲しがるのさ」と歌った。物凄いわかる。物凄いわかるなあと思いながら私は灰色の青春時代を過ごした。

 

昨日、大阪の道頓堀で開催されたミュージカルに招待をしていただいた。ここには書ききれない様々なことを思った。表現者を目の前にすると(良いも悪いも)色々なことを思う。終盤、キャスト全員が客席におりてきて観客とハイタッチをする、という演出があった。私の前にもキャストが来る。私は、正直、あんまりハイタッチをしたい気分にはならなかったのだけれど、目の前にきたキャストが大量の汗を流しているのを見て「うわー!」と思った。流れる汗に感動をしたのだ。汗、それは『実際にやっている人間からしか絶対に出ない』ものだ。私は猛烈に感動をしてしまい、満面の笑顔でハイタッチをした。脳内で中島みゆきの「ファイト!」が流れた。戦う君の歌を戦わない奴が笑うだろう。だが、その後、これも違うなと思った。私は男だから、どうしても戦う人間を賛美する傾向がある。しかし、彼らに「頑張れ!戦え!俺も戦う!」と願うことは違うような気がした。その直後、私の脳味噌に黒柳徹子がふわっと降臨をした。

 

本当に凄い人間は戦っていない。ただ、圧倒的にそこに存在している。私は黒柳徹子とか広瀬香美の明るさとかMAYUCHAPAWONICA様の存在感が好きだ。戦う人間からは、どうしても『勝ちたい』とか『認めさせたい』とか『成り上がる』的な野心が滲み出る。しかし、本当に凄い人間が醸し出している空気感は圧倒的な肯定力を帯びる。恨みがない。憎しみもない。あるのは、ただ、生きてここにあることの歓喜とでも言えばいいのだろうか、愛や光を自分自身が体現している。踊りそのものになっている。音楽そのものになっている。そんな感じの印象を受ける。ミュージカルの踊り子に、私は、その日一番の光を見た。終演後、彼女と話をする時間があった。20歳になったばかりの女性だった。私は「あなたは何をやっても絶対にうまくいくと思う」と伝えた。事実その通りに感じた。が、ひとつだけ言い忘れたことがあった。それは「世界に出た方がいい」という思いだった。日本に留まるのではなく、広い世界に出てほしい。もっと自分を膨らませて欲しい。そういうことを彼女に対して思った自分は、また、自分自身に対しても「世界に出ろ」と思っているのだろうな、と思った。

 



乱世に備えて。。。

#あなたは良質の油を摂取しなさい
#お告げをいただく
#無農薬バターとか亜麻仁油とかオリーブオイルとか
#最近調味料に興味あります
#アボカドとかブロッコリーとかアーモンドとか
#カツオもいいよと言われる
#賞与
#アボカドくり抜いて卵を乗せて良質の油で炒めたやつを森で食べたい
#赤身
#プロテインは噛みながら飲めと言われた
#鬱とか気持ちじゃなくて体調の問題
#岡本太郎の沖縄論に感動
#お金以外の価値観で動く人間が好きだ
#損をしてもいい
#そう思える人間と一緒にいたいと思う

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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本音で生きると、毎日がドラマになる。

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京都在住の女性から「長野に行くなら車を出せます!時間の融通もきくので、都合のいい時に一緒に行きましょう」とご連絡をいただいた。よし。という訳で明日から関西に押し寄せする。金曜日まで(長野の)天気が悪いみたいだから、しばらく関西に滞在する予定です。が、予定も宿もなにもない。常に乱世に備えていたい私は「占い師になる」ことを決めた。小生、よくあたると評判のオラクルカードを持っている。これで数億人の命を救ってきた。呼ばれた場所なら何処でも行く、出張型の占い師になりたいと思う。鑑定料金は驚きの0円である。今夜横浜発の高速バスに乗り、明日4日(火)の朝7時過ぎにはなんば駅界隈に到着する。それ以降は死ぬまで何も予定がない。関西在住の方は、是非、お気軽にご連絡をください。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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関西に空き地や空き家はあるのだろうか。全国にごちゃまぜの家を作れたらうれしい。誰かに食事をご馳走していただけたらもっとうれしい。無理矢理にでも連れて行きたいおいしい飲食店をご存知の方がいたら、小生、お付き合いをさせていただきます。あたたかな手料理も超絶大歓迎です。「実は行きたいお店があるのだけれどひとりではちょっと」みたいな要望にも応えられるかもしれない。誰か、私の有効な活用法を見出してください。なんでもいいのだ。きっと、俺はなんでもいいのだと思う。移動している時の方が、誰かと話している時の方が、いい感じの風を感じる。逆に言えば「同じ場所にずっといると死ぬ」という致命的な弱点が私にはある。

 

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ひとりにならない。

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GOCHAMAZE no IE

 

自分で決めたルールのひとつに『ひとりで抱え込まない』というものがある。悩みや苦しみを自分ひとりで抱え込むと、あっという間に深刻になってドツボにはまって恐怖心に取り憑かれて自滅をする。今、横浜のごちゃまぜの家に内海さんという男性が滞在をしている。内海さんは、過労で仕事を辞めてから貯金を使って生活をしていたが、いよいよ貯金が底を尽きて『山梨県の住み込み労働』に採用されたものの、諸事情により働き続けることができなくなり、金も家もない状態でごちゃまぜの家に来た。こういう時、ひとりきりで生きていると「俺はどうすればいいんだ。お先真っ暗じゃないか!」的な感じになって死にたくなる。が、ごちゃまぜの家の良いところは「とりあえず暇そうな人が何人もいるし、寝る場所と食うものがあるから一旦冷静になれる」ことだと思う。

 

内海さんは「人生、どつぼにはまってしまいました」と半ば自嘲気味に言った。しかし、私は、話を聴きながら「別にどつぼにはまっている訳じゃなくて、ただ、ゼロになっただけだと思う」と思った。仕切り直せばいいだけの話である。ごちゃまぜの家にいたら、もしかしたら「それなら、今、人材を募集しているからよかったらうちで住み込みで働きませんか??」みたいな話が舞い込むかもしれない。あるいは、内海さんと似たような状態の人々が「実は自分も同じ状況で…」なんて悩み相談にくるかもしれない。この瞬間の内海さんなら、そういう人々に親身に寄り添うことができる。無論、ただ単にごちゃまぜの家に遊びに来た人々とも、なんとなく会話を交わすことで「いい感じの風が吹き抜けて心がふわっと軽くなる」なんてことも見込める。ある程度の交流量(ひとの出入り)がある場所に自分を置くと、自分一人では発想することのなかった道を示されることは多い。という訳で、内海さんは次の仕事を探す間、一週間程度ごちゃまぜの家に滞在することになった。

 

誤解されると困るが、ごちゃまぜの家は「支援団体」などではない。困っている人々を救いたいとか力になりたいとか、そういう理念で動いていない。自分たちが面白いと思うことをやっていたら、いつの間にか「結果的に困っている人々も救われていた!」みたいな状態を理想とする。だから、なんとなく興味を持った人々は遠慮なくごちゃまぜの家に遊びに来てください。住所は横浜市港北区富士塚2丁目24-5で、家の鍵は常に空いています。布団の関係で宿泊希望者に限り事前に連絡をもらえたら助かります。ご飯は、多分、ひとりで食べるよりもみんなで食べた方がうまい(ことがある。とかいう自分は、結構、ひとりきりで食べていても最高においしいと感じたりする)。最近、ごちゃまぜの家の各種調味料をすべて一等品に品替えをした。キッチンも常時オープンにしている(台所にある食材は誰でも自由に使えるようになっている)ので、誰か「内海さんに元気になる料理をつくってあげたい!」みたいなことを思ってくださる、優しい方々のご来訪もおまちしております。

 

gochamaze.hatenablog.com

 

本音で生きると、毎日がドラマになる。

若い女性陣には変質者扱いされるが、最近、おばあちゃん達にものすごいモテる。この前も山梨県の大滝神社で湧水をボトルに汲んでいたら、車で来た可愛らしいおばあちゃんが「あらまー!あなた、いい男ね!」と突然声をかけてくれた。話を聞くと、彼女、現在の年齢は79歳だが定年と同時に『家出宣言』をしてから神奈川の自宅に見切りをつけ、山梨の小淵沢に掘っ立て小屋を建てて念願の『一人暮らし』をはじめた。70歳からロッククライミングをはじめたらしく、今も、プロに同行しながら岩肌を登る日々を過ごしているとのこと。血色が凄まじくよかった。彼女は言う。私はドレスも指輪も宝石もいらない。自然があればそれだけでいいの。ロッククライミングって集中力がものすごいのよ。人生であんなに集中したことはないってくらい、集中するの。それがボケ防止には最高なのよ。と。

 

ごちゃまぜの家の活動などをやっていると「どうしてごちゃまぜの家をはじめたのですか?」とか「なにかたどり着きたい目標はなんですか?」とか「これからやりたいと思うことはありますか?」とか、死ぬほど聞かれまくる。私は、正直、どうしてそんなことを聞くのかがわからない。なぜやるのか。もっともらしい理由をつけるのは簡単だが、一番根本にある思いは『やりたいと思ったから』だ。それだけだ。これからを聞かれても困る。これからなんてない。あるのはこの瞬間だけだ。なにかのためにやっているのではなく、これのためにやっているのだ。手段と目的が一致しているのだ。過去と未来が一致をするのだ。瞬間瞬間に湧き上がる「これをやりたい!」に従った結果、いま、この空間が目の前にあるのだ。お前はなにがやりたいのか。人々は聞く。私は思う。これがやりたかったんだ。と。これをやり続けていきたいんだ。こうしなければとかこうであるべきとかそういうことじゃない、瞬間瞬間に湧き上がる「これをやりたい!」に従いながら、これからの日々を生きていきたいのだ。と。一ヶ月後のことは、一ヶ月後の俺に聞いてくれ。十年後のことは、十年後の俺に聞いてくれ。今の俺に聞かれても困る。きっと、今よりももっといい感じのフレッシュな答えを、その時の自分は答えるだろう。と。

 

私は海や川が好きだ。日本を走ると素敵な海や川に遭遇する。しかし、どこも護岸工事で川も海も死につつある。ダムを作ると川が死ぬ。人間も同じだ。安心を求めて金やエネルギーを溜め込む道を我々は選びがちだが、溜め込むことは『死』と同じだ。流れていないと腐るのは水だけじゃない。変化を恐れることは多いが、自然の摂理として「変化をしない方が変だ」ということになる。流れていることが、生命として自然なのだろう。我々は失うことを恐れてなにかを溜め込む。しかし、溜め込むことで不安がなくなるかと言えば、そうではない。流れていること。循環をしていること。巡り続けていること。最近は『本音で生きると、毎日がドラマになる』ことを痛烈に感じている。本音を口にすること、自分の本音を生きることは、精神的なダムを壊す。精神の放流である。瞬間瞬間の「これをやりたい!」に従うことで、世界は素晴らしいドラマを見せてくれる。その先に何が待っているのかは知らない。知らないということは、時に恐ろしいことに見えるかもしれない。しかし、結果のわかりきっている固定的な人生を歩きたいとは思わないように『どうなるかわからないからこそ面白い』という、生きることの醍醐味を思い出させる。

 

 

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神様は、不必要な人間を作るほど愚かではない。

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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何をやっても非難されるのだから、好きなように生きよう。

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男性読者T様から「僕もブランキーやミッシェルが好きです。いきなりステーキをご馳走します!」とご連絡をいただき、東京都王子駅に自転車で向かう。道中、普段はインドに住んでいる女性から「インドのゴアという場所でごちゃまぜの家に使えそうな家があって、今、私は日本に一時帰国中なのですが会えませんか???」とご連絡をいただく。物凄い話だ。が、ちょっとタイミングが合わずお会いするのはまた近々、ということになった。王子駅に到着をする。肉を食う。美味しい。別れ際、T様が「これを使ってください」と寸志を手渡してくれた。ああ、これは『行け』ということだなとぷるぷる震えていた直後、一通のメールが届いた。

 

 

そこには「最新記事を読みました。今夜なら車を出せます。長野に行けます」と書かれていた。時がきた。私は「行きましょう!」と返信をすると同時に下道を高速で駆け抜け、大急ぎで横浜に戻って荷造りをした。ごちゃまぜの家関係者のよしえさんとなかむらさんに「今夜長野行くけど行く!?」と聞くと「行く!」とのこと。素晴らしいフットワークだ。こうして、0泊3日の弾丸長野ツアーがはじまった。目的は『INN THE FOREST』を開店させること。準備不足だろうがなんだろうが「開店しました!」と言えば開店になるのだ。この時の時刻は11月30日22時。頑張れば翌日12月1日にはオープンできる。私の鼓動はいい感じに高まっていた。

 

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祝・INN THE FOREST 開店記念日

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INN THE FORESTの入り口

 

結論から言うと『INN THE FOREST』は2018年12月1日に無事開店をした。利用方法は不明である。場所もまだ公開をしていない。興味のある方は坂爪圭吾と友達になってください。埼玉からハイエースを出してくれたK様が「供託品です」と言ってテント二個とタープと諸々のアウトドアグッズをくれた。これが基盤になった。冬用の寝袋や簡易調理セットや非常食を常備しておける状態になったので、人間ひとりなら夜を越せる。あとは「寝袋の数だけ」宿泊可能な人数は増える。どうやら私やよしえさんは異常に自然が好きなようで、何時間でも森のなかでダラダラしていられる。同行者のなかむらさんは、我々の真横で寒さに凍えていた。湘南育ちのシティボーイであるなかむらさんは、顔面を真っ青にしながら「もうだめです」と痙攣をしていた。

 

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森からの眺め。徐々に整えていきたい。

 

それなりに全国津々浦々を見てきたつもりだが、長野の自然は群を抜いている。長野県民の方々の人柄も最高で、なぜ、長野はこれほどまでに素晴らしいのかを考えた結果「標高だな」と邪推するに至った。母親の胎内で胎児が感じる気圧は標高1,000メートル程度だと聞いた。長野県大町市は標高700メートルあまりで、母親の胎内圧に近づくほど『遠い記憶』が呼び覚まされる。脳味噌が研ぎ澄まされて静謐になる。先日、長野県白馬でJAFにお世話になった際に運転手さんと話が弾んだ。長野の人々は表情が澄んでいる(ような気がする)。JAFの人は「私は長野を出たことがないからわからないのですが、山々に囲まれた閉鎖的な環境で育ったから、長野は内気なひとが多いかもしれませんね」と話した。これを聞いた時、私は「長野は日本のマチュピチュである」と発作的に思った。長野は日本のマヤである。高度な文明(というか人柄)を生み出す、この国のファイナル・ホープだと思った。

 

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マヤ文明に思いを馳せていたら虹が出た。五回くらい出た。

 

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荷物を運ぶ。

 

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また虹が出た。

 

今回は0泊3日の弾丸ツアーとなった。いまは横浜に戻ってきた。が、懲りずに何度も足を運びたい。同行者から「それなら長野にいればいいじゃん!なんで横浜に帰るのよ!?」と問われたが、違う。何度も頻繁に行き来をすることで長野を身近に感じたいという思いがある。ずっと同じ場所にいるより、一旦、その場所を離れた方が「こうした方が面白いかな」とか、鳥瞰的な発想も浮かぶ。無論、交通費はかさむ。どうするのか。私の場合は「誰か一緒に行ってくれる人(交通費や車を出してくださる神様)が登場するたびに、長野県に足を運びまくる」スタイルを採用したいと思っています。完膚なきまでの他力本願ベースになります。誰か長野に一緒に行きませんか。車さえあれば私が運転手役もやります。多分、関東からなら10000円程度で行って帰ってこれるのかなと思うので、たまには「普通の旅行とはちょっと違う、非日常な体験もありかな!」と思ってくださるフットワーク軽めのあなたからのご連絡をお待ちしております。自分の中で決めたルールがある。それは『自分ひとりだけでやらないこと』である。みなさまからのお力を存分にいただきながら、INN THE FORESTを我々の遊び場にしていきたいと思っています。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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森カフェ

 

わたり文庫『超・筋トレが最強のソリューションである』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、Teststerone著作『超・筋トレが最強のソリューションである』です。こちらの本は、森ジムを作りたいと鼻息を荒くしている坂爪圭吾に「それならこれを読めば良い!」と、長野県大町市でお会いした男性T様が譲ってくださった一冊になります。T様は、他にも供託品として腕立てグッズやプロテインクッキーまで我々に与えてくれました。本当にありがとうございます。みなさまのおかげでINN THE FORESTは今日も豊かです。筋トレの素晴らしいところは子育てに似ている。誰だって自分の子供に体に悪いものを食べさせたくはない。その感覚を、自分自身にも抱けるようになる。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※

 

死にてぇって思ったら、筋肉を殺そう。- Teststerone『超・筋トレが最強のソリューションである』【文響社

 

何をやっても非難されるのだから、好きなように生きよう。

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眺望


他力本願ばかりではいられない。長野県松本までなら高速バスもある。しかし最近の高速バスは輪行ができない。荷台に自転車を積めないのだ。どうしようか考えた結果「キックボードならいけるんじゃないか!」と思った。最悪の場合は紙袋にキックボードを詰めてバスに乗って長野に通う。ふふふ。精神面は用意周到である。が、私はキックボードを所有していない。もしも「使ってないキックボードあるよ!」という方がおりましたらば、我々の共有財産として一緒に使わせていただけたら最高に幸せです。と、ここまで書きながら「結局お前は他力本願じゃねえか!」と思う自分がいる。YES。それでいいのである。人生とは、どれだけ迷惑をかけずに生きるかではなく『どれだけ楽しい迷惑をかけられるか』である。ただの迷惑は言語道断。しかし、一緒に楽しんでくれる人がいるならば迷惑は遊びになる。

 

この前自転車が壊れた。とある自転車屋さんに持って行ったら「これは修理に多額の費用がかかりますね」と言われた。私はとぼとぼと自転車屋さんを後にした。後日、一縷の希望とともに別の自転車屋さんに行ったら「こんなのすぐになおりますよ」と音速でなおしてくれた。私は感動にむせび泣きながら工藤静香の慟哭を歌った。こういうことってよくあると思う。とりわけ、自分の専門外のことになると「それに詳しいっぽいひとの意見を鵜呑みにしてしまう」弱さが人間にはある。しかし、誰かに無理と言われたからと言って、それが100%無理とは限らないのだ。癌などの場合なら尚更だ。私の愛するムラキテルミさんは、余命半年と宣告された癌を断食療法でなおしている。別にすべてのひとに断食が効くなどと言いたい訳ではないが、最後まで希望を失わなかった人間は、時折、新しい道を見出すことがある。ひとりの人間が見出した新しい道は、他の誰かにとっての希望にもなる。素晴らしい連鎖だと思う。逆に言えば、誰かの「それは無理だよ」は負の連鎖を生み、勇気をくじき、諦めの心を蔓延させる。どちらの道を選ぶか。それは自由だ。私は、できることならば「その手があったか!」を連発する人生を過ごしたい。

 

極論、なにをやっても非難をされるのだ。みんなの意見を聞いていたら、もう、なにもできなくなってしまう。例えば、長野の山々には熊が出る。INN THE FOREST界隈にも出るかもしれない。ここで熊を恐れて投げ出してしまえばすべては泡沫になる。が、ここで人間の知恵が登場する。人生、知恵と勇気で大概のことはどうにかなる。熊よけスプレーを使うのか。頑丈な古屋を建てるのか。それとも、熊と友達になる方法を学ぶのか。無論、勇気を出す過程で死んでしまう人間もいるだろう。私は写真家の星野道夫が大好きだが、星野道夫は熊に殺されてしまった。だが、それはそれで立派な『男の人生』だと思う。人間、死なないために生きている訳じゃない。自分自身に対して過保護になることで、自分の可能性を奪うことがある。自分の可能性を奪うことに慣れてしまった人間は、いつの間にか、無意識に周囲の人間の可能性も奪い去るようになる。私は、熊よりもそちらの方を恐れる。そして自分に言い聞かせる。嫌なことをやって生きるより、好きなことをやって死のうよ。我々の前にある道は、生きるか死ぬかの二択ではない。人生とは、きっと「好きなことをやって死ぬ」か「嫌いなことをやって死ぬか」の二択なのだと思う。

 

 

https://www.instagram.com/p/Bq3RdOJnvBY/

森ジムを作る。虹を五回くらい見た

「このリスは、そのうち、土にかえるでしょ。やがて、その土から木がのびて、その木の上で新しいリスたちがはねまわるわ。それが、そんなに、悲しいことだって思う?」

「忙しい忙しいって言う人いるじゃない。きっと頑張っているわねって褒めてほしいのよ。だからこう言ってあげたほうがいいわ。時間の使い方が下手ねって。」

「その調子だと、おまえ、すぐにおとなになっちゃうぞ。父さんや母さんみたいな、おとなになるんだ。ごくふつうに見えて、ごくふつうに聞くだけのおとなだ。つまり、なーんにも見ないし、なーんにも聞かないってことだな。とどのつまり、おまえは、なんにもできなくなっちまうんだ。」

「嵐の中にボートを出すばかりが勇気じゃないんだよ。」

ムーミン谷の名言集

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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楽しいことなら、どんどんやりなさい。

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長野県白馬の山中で夜にタイヤが爆発した。JAFを呼ぶにも私は電話をもっていない。進退窮まった。が、どうにかこうにかJAFに電話をしていただける人と出会い、救護の目処がたつ。到着まで二時間弱かかるとのこと。よし。わかった。隙間時間こそ筋トレのチャンス!ということで、腕立て伏せとスクワットを繰り返す。空を見上げると半端ない天の川が広がっていた。タイヤが爆発しなければこの天の川を見ることはなかった。ボディが温まる。筋トレをワンセット終えるたびに服を一枚脱ぐ。いつの間にか、ひとり野球拳がはじまっていた。白馬で上裸になっていた。「やればできるじゃないか!」とニコッとした瞬間、一通のメールが届いた。

 

 

メールには「私は東京在住だが明日車で長野に行こうと思う。あなたと一緒に北アルプスを見たい。会えますか?」と。よしきた。私は「オフコース!なんなら帰り道車に俺を乗せてください」と返信をする。了承を得る。よし。足が見つかった。これで潔くバイクを捨て去ることができる。この日の晩、私は、長野県大町市在住I様の家に向かう予定だった。結果的にJAFのトラックにバイクと一緒に私も乗り、JAFでI様の家に到着した。I様は「まさかこんな形で来るとは思いませんでした」と笑う。私も、まさかこんなことになるとは思っていなかったけれどみんなが面白がってくれるならうれしいなあと思った。バイクは、翌朝、修理に出した。

 

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INN THE FOREST(仮)

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INN THE FOREST(仮)の森ジム

 

今回長野県大町市にきた目的は「自由に使わせていただけるかもしれない土地のお話をいただいたから」になる。昨日、土地の持ち主M様と実際にお会いした。言葉にならないくらい最高のお人柄の持ち主で、男が男に惚れる瞬間はこういう瞬間なのかと思った。M様は言う。ここの土地は自由に使っていいよ。楽しいのが一番だよね。お金とかいらないよ。木とかも好きに切っていいからね。五右衛門風呂とかもいいんじゃない。なんでも自由にやっていいよ。なにか面倒が起こったら「土地の所有者の許可を得ているので」とか、全部俺のせいにしちゃえばいいんだよ。そうすれば逃げられるからね。へへへ。と。うわあ。私は、もう、M様の器を前に完全に降伏してしまった。自由にさせてくれる人の前で、人間は、横柄になることはできない。逆に「死ぬほど大切に使います!」という猛烈に謙虚な気持ちになる。

 

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ここの土地を使って『INN THE FOREST(仮)』をやりたいと思う。泊まれる森。眠れる森。もちろん森ジムも併設する。併設するとか偉そうに言っているけれど、基本、全部素人の手作りだ。木の棒一本ぶらさげて「これがジムです(これは懸垂棒です)」とか言っちゃう感じのクオリティだ。これまで、初対面の人に普段はなにをしているのかと問われる度に辟易していた。自己紹介は死ぬほど苦手だ。が、これからは「ホテルを運営しています。名前はINN THE FORESTと言いまして、目の前に北アルプスが広がる宿泊施設です」とか言える。そうすれば、前向きに勘違いした人々が「うわー!素敵!星野リゾートみたいな感じですか???」などと騙されるだろう。ふふふ。実際はただの森であるというのに。ふふふ。人生の9割はハッタリである。

 

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森で料理。森でテント。森の生活のあれで「森の婚活」とかもやりたい。添付した動画は参考資料(?)で、誰か、こういう暮らしを一緒に作りあげてみたいなどと思ってくれる人はいませんか。私はブッシュクラフト【ブッシュクラフト×森の喫茶店×森ジム×森の図書館】みたいなことをやりたいのだ。小生、土地はあるけどお金がない。これから全部手作りになる。使っていないアウトドア用品があったら譲っていただけたら最高に嬉しいです。斧やノコギリなどもほしい。今、私の肉体は横浜にある。バイクは長野に置いてきた。だから、再びバイクを回収に行かないといけない。誰か「それなら自分も長野の土地を見てみたいから、車を出すから一緒に行こう!」とか言ってくださる方の登場を心からお待ちしております。毎回、人頼みばかりで申し訳ありません。よかったら動画を見てください。誰でも泊まれる、無料の宿泊施設【INN THE FOREST(仮)】を一緒に作りませんか。

 

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連絡先・坂爪圭吾

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わたり文庫『ヤナの森の生活 ハワイ島の大地に生きる』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、ヤナ著作『ヤナの森の生活』です。ハワイ島の大地で、床も壁もないジャングルの中で暮らすフランス人の女性です。ヤナさんとは、数ヶ月前、ハワイ島で迷子になっていたときに奇跡的にお会いすることができました。最高にチャーミングな女性でした。INN THE FOREST(仮)も、ヤナさんのデザインセンスを参考にしながら「女性にも楽しんでいただける」空間にできたら嬉しい。男は家を作る。女は家を整える。そんなチームプレーができたら幸福である。自分のような人間にそんなことってできるのだろうか。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、北海道にわたりました ※※※

 

日本のブラザー&シスター、アロハ!

私がまだ幼かったころ、よく聞かれたことがあります。

「大きくなったら、何になりたい?」

その質問を受けるたびに私は思っていました。

「私は私でありたいわ」

そのころからずっと私は、私らしさを探す旅を続けてきているように思います。

 

心配するのをやめて、どんな世界にくらしたいのかを、想像してください。

イメージしたものを創造してください。

 

ヤナ『ヤナの森の生活 ハワイ島の大地に生きる』【WAVE出版】

 

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楽しいことなら、どんどんやりなさい。

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INN THE FOREST(仮)からの眺望

 

ごちゃまぜの家が経済的存続の危機を迎えたのが今年の9月。全国各地を流転しながら「助けてください!系イベント」をやりまくり、その時に大阪で出会った女性K様が「長野に土地を持っている友達がいます」とご連絡をくれたのが今年の10月。そして実際にM様とお会いさせていただいたのが今年の11月(要するに昨日)。ひとつの危機はひとつの契機となり、毎度、人生は思わぬ展開を見せてくれる。昨日、M様とお会いした際にK様も(はるばる兵庫県から!)長野まで来てくれた。最高に嬉しかった。K様も、M様も、社会的にはいわゆる成功者と呼ばれる方々で、その佇まいからも「酸いも甘いも猛烈に経てきているのだろうなあ」感がすごい。貫禄が違う。全身から余裕が漲っている。宇宙人みたいだなあと思った。

 

K様は著名人の知り合いも多い。K様は言った。経営者なんてみんなきちがいだよ。いい意味でね。0から1をやるひとは頭おかしいんだよ。2代目は綺麗にまとまっている人も多いけど、でも、どこかボーッとしている。1代目は半端ないね。みんな頭がぶっ飛んでいる。と。私は、この言葉を聞いた時になんだか自分の生き方が肯定された気がして「(きちがい業界の)先輩、ありがとうございます!」と思った。自分は自分でいいのだと思った。否、むしろ「自分はもっと自分である必要がある」と思った。M様も、社会的には成功しているのにまったく偉そうな雰囲気がない。私が見る限り、成功しているひとほど謙虚だ。それでいて、決して自慢するような形ではなく「いかに自分は人生を楽しんでいるか」ということを、空気感を通じて伝えてくる。だから、一緒にいるだけでもうれしくなる。同じ時間を過ごすだけでも「自分にも何かをできそうな気持ち」になる。真の成功者には、そんな力がある。私は、そんな圧倒的肯定力こそ「最高だなあ!半端ないなあ!」と思う。

 

車で東京に戻る。送迎車は私と同じ年代の女性I様。I様は山を愛していて、冬は山小屋で働き夏はニュージーランドの山々をトレッキングしながら自然を満喫する。いまはオフシーズンだから家にいることが多いらしく、気分転換に長野に来てくれたのだが「今日は来れて本当によかった!白馬の眺望は最高だったし、坂爪さんにも会えたし、友達も増えて、久しぶりにこんな濃い1日を過ごしました!」と喜んでくれた。これは最高に嬉しいと思った。I様は海外の登山経験は大量にあるが日本は北アルプスあたりだけだと話す。それならば、私も、いまは登山に興味があるから今度一緒に登ろうという話になった。関東ならば丹沢界隈がいまは紅葉のシーズンだ。みんなも行こう。一緒に登ろう。山が好きならば、月に一回と言わず(当たり前のことだけれど)毎日登ってもいいのだ。濃い1日を非日常にするのではなく、毎日を『濃い1日』にしてもいいのだ。金になるとかならないとか、後先のことがどうだとか、そういうことは置いておいて、自分の『好き』に突撃しなさい。楽しいことなら、どんどんやりなさい。一回とか二回とかじゃない。どんどんやるんだ。どんどんやったら、きっと物凄い場所にいけるよ。ここ数日間の日々の中で、私は、神様的なサムシングからそのように言われているように思った。

 

 

https://www.instagram.com/p/BqrBTnDnUmO/

楽しいことなら、どんどんやりなさい。

「何かを信じるために、それが真実かどうかを知る必要はない。」

「あなたを愛してる人達は、あなたが少々かっこ悪くても全く気にしない。」

「一人でいる方法を知ることは大切なこと。みんなと仲良くする方法を知るのも同じくらい大切なこと。」

「ちょっとした自然がありさえすれば、退屈することなんて決してないはず。」

「だいたいにおいて、世界は絶対に素晴らしい。」

ムーミン谷の名言集

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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自分を幸せにする。それ以上の偉業はない。

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朝霧高原を経由して長野県白馬のガストにいる。凍死ギリギリで朝霧温泉にスライディング入店するも「受付は既に終わりました」と無慈悲の雨。とぼとぼと温泉を出る。鼻水が氷柱になるほど寒い。温泉に入る前提でバイクを走らせていたから予定が狂った。このままでは低体温症で死ぬ。温泉がないならば、自分が温泉になるしかない。腕立て伏せとスクワットを繰り返した。体温が戻る。再びバイクを走らせて適当な野営地を探すが、あれ、なんだかこの辺りは雰囲気がおどろおどろしいなあ(野営をするにはこわすぎるなあ)と思ってGoogleマップを開いたら『青木ヶ原樹海』と出た。

 

 

昨夜は長野県木崎湖の湖畔で野営をしたが、寝る直前「熊とかいるのかな」と思ったら気になってしまってWebで検索したら「出る」とのこと。Googleマップを開いたら、今、自分がいる裏の山の名前が『小熊山』というネーミングで「もろやないか!」とビビって逃げることを決める。私は軟弱者なので、まだ、熊などの対処法を知らない。結果的に誰もいない草っ原にテントを張って寝た。朝、目覚めるとあらゆるものが凍り付いていた。真冬の長野県大町市はマイナス20度まで下がることもあるらしい。寒いのが苦手なのはみんな同じだと思うけれど、冬、自然は最高の美しさを見せる。トマトは危機的状況に晒すことで甘みを増すとトマト農家さんに聞いた。私の心のトマトも、甘みを醸し出すことができるだろうか。

 

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男は桃太郎。女はきびだんご。

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大滝神社


山梨県北杜市でS様とお会いした。蕎麦をご馳走になった後に珈琲をご馳走になり、大量の手土産までいただいてしまった。手作りの栗のお菓子までいただいた。それを今朝、激烈な寒さの中でむしゃむしゃ食べたら「最高にうまい!」と感動した。ああ、男は桃太郎で女はきびだんごなのだなあと思った。童話桃太郎の真の主人公は桃太郎ではなくきびだんごである。桃太郎は自分の魅力のおかげで仲間が増えたと思っているかもしれないが、犬も猿もキジも「きびだんごに惹かれて」仲間になりたいと思ったのだ。真の主役はきびだんごであり、きびだんごのない桃太郎は『ただのイキっている男性』に過ぎない。きびだんご抜きに鬼退治はできない。

 

人間としての喜びとは別に『男(女)のよろこび』があると思う。私は男なので、野営生活を過ごしていると「過酷だけど楽しい!」みたいな喜びを覚える。が、同じ体験を女性がする必要はないと思う。なんと言えばいいのか、男(女)に生まれた喜びと言うか、男(女)の特権を最大限に活かすと言うか、そういうやり方がある気がするのだ。感覚的な話になるが、私は、女が女でいてくれると「自分も安心して男でいることができる」的なことを思う。私は古いタイプの人間なのか、男は船で女は港的なことを思う。別にすべての男性が船になる必要はないと思うが、自分自身を見ていると「俺は船だな」と思う。だから、女性から家に呼ばれることを「自然だな」と思う。港に立ち寄る的な気持ちになり、安心感を覚えるのだ。

 

この前お会いした女性から「男女の交歓を通じてクンダリーニが上昇してちょっと前までやばかった。頭の裏が常にパッカーン!って開いている感じでエネルギーが廻り続けて常時覚醒、おなかも減らないし眠くもならないのです。食べないと死ぬとか、寝ないと死ぬって嘘でした。性的なエネルギーってすごいですねえ。ところで、坂爪さんはポリネシアンセックスって知っていますか?????」と唐突に問われた。詳細は省くが、いま、断食どころか『不食(食べない人々)』も市民権を得ているし、瞑想だけで筋骨隆々になる人々や、厳冬を真っ裸で乗り越える人々、超能力で雲間から太陽を覗かせる人々など、半端ない人たちは大量にいる。こういう人たちの話を聞くと、究極、なんでもありなんだなあと思う。食べたければ食べればいいのだし、食べたくなければ食べないでもいい。鬼退治に行きたければ鬼退治に行けばいいし、永遠に家でゴロゴロしていたいならば永遠に家でゴロゴロしていればいい。私の人生は「永遠に家でゴロゴロしていたい怠け者タイプの人間だけれども、ゴロゴロしていることにもやがてすぐに飽きるので、それじゃあ鬼退治でもするかと思って屋外に飛び出してみたらと想定外のところからきびだんごが飛び込んでくるこの人生を気に入っている」みたいな状態にある。

 

https://www.instagram.com/p/Bqnj_KknNd0/

峰不二子って『マウント富士子』なのかな…???

 

自分を幸せにする。それ以上の偉業はない。

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精進湖


結婚とはなんだろうと既婚者から問われることが多い。私は未婚者なので全然わからない。結婚とはなんだろう。制度とはなんだろう。人間の三大欲求が食欲・性欲・睡眠欲ならば、神様は『それをしている間は非常に気持ちよくなれる』ように人間を設計した。だがしかし、現代社会では性的なものだけはタブー視されるようになっている。藤子・F・不二雄の短編漫画に『気楽に殺ろうよ』という作品がある。ここでは、性欲は(人類を存続させる公益的性格が強いために)タブー視されることはない。代わりに、食欲は(個体の生存のみに必要な独善的性格が強いために)タブー視をされ、罪深く恥ずかしいこととされる。だから、セックスのシーンなどはおおっぴらにされるが食事のシーンは隠蔽される。漫画に登場するエロ医師は、乱交の代わりに乱「食」の写真を(ポルノの代替として)得意げに自慢をする。この漫画では食欲が『恥』とされるのだ。食欲と性欲。どちらももっとも根源的な欲求であり、これがなければ人類は滅亡するとされてきたものである。が、今、食べないでも平気な人々がでてきた今、色々なものが揺らいでしまっている。

 

短編漫画『気楽に殺ろうよ』の世界観のすごいところは、殺人が社会的に認められているところだ。主人公の青年が「殺人はダメでしょ!命は大事でしょ!」的なことを言う。すると、それを聞いた医者は「生命はなぜ尊重せねばならないか?」と問い返す。この問いに、青年はなにも答えることができなかった。さて、もしもあなたが「生命はなぜ尊重せねばならないのか?」と問われたら、一体全体どのように答えるだろうか。答えられるだろうか。答えられないだろうか。大前提として「命を大事に!」とか「地球を大事に!」と叫ばれて久しい昨今だけれども、なぜ、それを大事にしなければならないのか。なぜ、生命はそこにあるだけで尊いと言うことができるのか。この問いに真っ向勝負でお答えできる人は、果たして、どれだけの数いるのだろうか。

 

私はなんにもわからない。私は正しさを知らない。が、『楽しさ』ならばなんとなく分かる。私は自然が好きだ。だから、自然があると心底嬉しいし、自然が破壊されているのを見ると残念になる。多分、これは趣味の問題である。私は生きたいと思う。だから、殺されたくないなあと思う。完璧に独善的な理由である。同時に、この世の中に「誰かを殺したくてたまらない」人々がいることも薄っすらとわかる。だからこそ、いい感じにまわっていけばいいなあと思う。私は、すべての生命が『いい感じにまわっていく』ことを祈る。時折誰かを憎むことがあったとしても、時折濁ったり淀んだりすることがあったとしても、生きとし生けるものには総じてハッピーな日々を過ごしてもらいたいなあと思う。そのことが、お前が言っていることはただの独善的な理由に過ぎないと揶揄されても結構、自分自身の喜びにつながるのだと思う。

 

 

https://www.instagram.com/p/BqqYsmpndty/

永遠にそのままで行け。

「きっと嵐って、朝日が、そのあとにのぼってくるためだけに、あるんじゃないかなあ」

「おだやかな人生なんて、あるわけがないですよ」

「この子、怒ることも、できないのよ…それが、この子の悪いところだわね」

「ほかのものの名前を忘れると、ちょっとやるせなくなります。しかし、自分の名前を忘れるのは、気楽でいいもんです。」

ムーミン谷の名言集

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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不自由と嘆いている自由がここにある。

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静岡県三島のデニーズにいる。名古屋から横浜に戻り、今、原チャに乗り換え再び長野県に向かっている。今月3度目の長野だ。長野県大町市の森に『森ジム』を作るぞと鼻息を荒くして五日、こういうのは場数であると思う。昔、なにかの恋愛本で「好きなひとができたら偶然を装って何回も会え。そうすれば付き合える可能性は格段にあがる。期限は三週間だ」的なことが書いてあり、これに従ったら彼女ができたことがある。以来、人生は『短期的な場数である』と思い込むようになった。

 

 

短期的に死ぬほど執着し、それでもダメなら諦める。今回が最終アタックである。肉体造りのために食べるトレーニングをしていると過去記事で書いたが、諦めた。あれは金銭的に余裕のある人間のやることで、私のような貧者には無理だった。私はアメ車にはなれない。代わりに『死ぬほど燃費のいい人間』になりたいと思う。食事に関する健康法を諸々実践した結果、以下の二つを守ればあとはなんでもいいと思うようになった。ひとつは『よく噛むこと』であり、もうひとつは『食べ過ぎないこと』。この二つを守れば、もう、あとはなんでもいいような気がしている。

 

ibaya.hatenablog.com

 

自由とは制約である。

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一瞬横浜のごちゃまぜの家に戻った。新規女性入居者M様が増えて賑やかだ。歓迎会と称してしゃぶしゃぶ屋に行った。ごちゃまぜの家には自転車が6台ある。夜のサイクリングと称して、みんなで夜道を自転車で走った。楽しい。よし、みんなで『サイクリング部』を結成しようという流れになる。しゃぶしゃぶが美味すぎて震える。よし、みんなで『しゃ部(しゃぶしゃぶ部)』を結成しようという流れになる。M様は究極の冷え性で、布団の中に電気毛布と湯たんぽがないとダメだと聞く。私は思う。これはチャンスだ。仮に、M様の冷え性が「ごちゃまぜの家に暮らしたことで完治しました!」となったら万々歳。最高だ。管理人の稲村彰人さんも、ごちゃまぜの家に暮らしはじめてから体重を10キロ以上落としている。

 

ibaya.hatenablog.com

 

M様に冷え性の原因を聞くと「多分、筋肉不足だと思う」とのこと。よし、ということで『ビリー部(ビリーズブートキャンプ部)』が結成された。ビリーをやることで肉体改造を行う。これ、是非、みんな騙されたと思って腹筋編だけやってみてほしい。動画がある。道具はいらない。ただ、ビリー隊長の真似をすればいいだけ。1日30分。腹筋はすぐにつくから変化を楽しめる。ビリーをやると「まったく動けない自分」に結構笑える。ダメすぎる自分がおかしくなるのだ。が、やり続けていると「あんなにできなかったあれが、今の自分にはできる!」という感動を覚える。この感動が嬉しい。登山家も言っていた。体はすぐに負荷になれる。人間は慣れの生き物なんだよ。大事なことは「自分が慣れてしまっている習慣が、良い習慣なのか、悪い習慣なのか、それを見極める目を養うことなんだよ」と。

 

sp.nicovideo.jp

 

登山部もやりたい。関東圏なら鍋割山の山頂で名物『鍋焼きうどん』を富士山を眺めながらみんなで食べたい。誰か、一緒に登りませんか。乱世の備えて野外メシを作る練習だけはしている。今日、パスタの代わりにそばを使ってアンチョビそばを作ったら美味かった。オリーブオイルを垂らしまくる。残りの蕎麦湯を使って白菜とかぼちゃのスープを作った。この組み合わせが意外と美味い。野営中は持ち物に限りがある。だから調味料も見極めが必要だ。これが楽しい。自由とは制約である。制約があるから知恵が働くのだ。制約こそ自由。ならば、自らに制約を与えることは遊ぶヒントになると思う。『一週間0円で生きてみる』とか『一週間家に帰らないで転々としてみる』とか。人生を楽しむ知恵は、多分、いくらでもある。

 

 

不自由と嘆いている自由がここにある。

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名古屋を自転車で走っていたら轢き殺されかけた。名古屋の運転は荒い。窓から強面の男性が顔を出して「危ねえだろうが!」と叫ぶ。咄嗟に、私は、相手の五億倍くらいの音量で「おめぇじゃろがい!」と言い返した。道中、好きな歌を熱唱しながら自転車を漕いでいたから喉の調子は完全に整っていた。準備万端である。『じゃろがい』という言葉も、大声で叫びやすいグッドワードだ。最悪、相手に殴られたとしても絶対に車のナンバーは暗記してやる、的な覚悟を瞬時に決め、吼え返したら相手は逃げた。まさか、吼え返されるとは思っていなかったのだろう。吼えてよかった。こんな時、吼えずにいたら『自分の内側に怒りや悲しみを溜め込んで、腎臓や肝臓を悪くする』羽目に陥っていたと思う。おかげさまで吼えた直後はルンルンで走ることができた(が、私の名古屋嫌いは決定的なものになった)。

 

前回の記事で「長野に一緒にいけるひとは行きましょう!」と書いたが、結局ひとりぼっちで行く。無茶振りだったのか、なんなのか、こういう募集をしても大概誰も来ない。私に人徳がないのが最大の原因なんだけど、四年間暮らした熱海でもまだ友達がひとりもいない。熱海に戻ったら「熱海から小田原の間で誰か友達になってください!」キャンペーンをしたいと思う。けど、多分、友達なんてできないんだろうな。実際、私は『ひとりでもやる人間が一番強い』と思っている。そういう人間が好きだし、自分がそう言う風に生きていればいつか必ず出会うと思う。友達に。森ジムをやるか否かの判断基準も、仮に、自分一人しか興味を示さないとしてもやるだろうかと己に問い、己が「やる」と答えたからやる。みんなでやろう!とか、自分にはない。私の世界に『みんな』とかいない。ひとりでもやる人間が一番強い。が、それは少しだけさみしい。

 

最近はイエモンばかり聞いているから「吉井さんは俺の友達…」と思うことで自分自身を慰めている。自分の好きな音楽の話を書くと「自分も好きです!」と読者の方から連絡が届く。素直に嬉しい。今度会いましょうねってなる。が、好きなものがあるひとの役割は、群れることより「自分の好きなものを自分の生き様に宿らせる」ことだと思う。好きな言葉があるなら、その言葉の通りに生きること。その先に最高の出会いがあるのだと思う。何かに感動するということは、自分も『そうありたい』と無意識に願うからだ。感動を語り合うより、自分が感動そのものを生きること。本当に素晴らしいものに対して、人は、対抗心のようなものを抱かない。ただただ、その素晴らしさを前に『降伏する』ことの幸福を覚える。誰かを蹴落とすための行為や、さみしさを埋め合わせるための行為に、私は真の魅力を覚えない。闘争心や嫉妬心や競争心【さみしさ】を燃料に生きることは、もう、終わりにしたんだ。私は、あくまでも「自分が思う最上を相手に生きていたい」と思う。自分が思う最上の相手こそ、自分にとっての友達になるのだと思う。

 

 

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夜明け

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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馬鹿のままでいい。馬鹿のままがいい。

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岐阜県多治見のデニーズにいる。県境を超えると「うおー!」となる。今日はイエローモンキーばかりを聞いている。頻繁に思い出す歌詞に『せめて身体だけはキレイに』というものがある。野性を取り戻すだとか獣になるだとか、そういうことをテーマに日々を生きている。しかし、獣になればなろうとするほど、獣になりきれない自分を見る。美女と野獣。多分、一人の人間のなかには両面がある。獣になればなろうとするほど、自分のなかにある美しさを知る。獣のままではいられないし、美しいままでもいられない。その屹立が『人間であること』の証明だと思う。

 

 

どれだけ社会から弾き出されても、身体だけはキレイにしておきたいと思う。そう思うことで、かろうじて人間でいられる気がする。強制収容所無人島に漂着した人々の中で、生存率が高いのは『身だしなみを整え続けた人々』だったと聞く。人間であることを投げ出した時、人間は、人間以外のものになる。そういう話を昨日出会った男性にしたら、彼は言った。昔、どこにでもいるような普通の女の子と付き合っていたことがある。ある日、彼女は『せめて手だけはキレイにしておきたいと思って』と、手の手入れだけは毎日しっかりしているのだと聞かせてくれた。その話が、私にはなんだか物凄いグッときて、彼女がとてもかけがえのないものに思えた。」と。身体をキレイにすること。それは、言い換えれるならば『慈しむ』ということだ。自分自身を慈しむ。祈りにも似ている。人間的な行為だと思う。

 

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敬虔さを取り戻す。

長野県では複数の登山家と出会った。私は、登山家の雰囲気が好きだ。地に足がついている落ち着き。物腰は柔らかく穏やかだが、言葉のひとつひとつが静謐で深い。巨木と話している感覚になる。ある登山家は言った。私は山が好きだ。山に行くことで自分がひとつの生命体であることを思い出す。森林限界に足を運ぶと、こんな世界もあるのかと厳粛な気持ちになる。しかし、最近は忙しいためにあまり山を登れていない。具体的に次はあの山を登りたいと目指す気持ちもあるが、実際、大事なことは『自分の山を登れているか』どうかだと思う。と。私は、ああ、いいなあと思った。自分の山を登るということ。自分は、自分の山を登れているだろうか。その後、登山家に問われた。坂爪さんは自然が好きなように見える。では、なぜ、自然に足を運ぶのだと思いますか。

 

私はしばらく考えた。自然に足を運ぶことと、本を読むこと、音楽を聞くこと、ひとと話すことは似ている。それは『敬虔さ』を取り戻すことだ。自然の中に足を運ぶと、時折、どうしようもない感動に打ち震えて何も言葉が出てこない瞬間がある。大げさだが『神に触れた』としか形容ができないような瞬間。その時、私は敬虔さを胸に抱く。ひとと話している時も同じだ。いま、自分は魂に触れることができたと思える瞬間の中には、たまらない喜びを覚える。逆に言えば、敬虔さから遠く離れた日々を過ごすと、自分の内側に『驕り』が蓄積する。俺が、俺が、の思考にまみれて、結果つまらない人間になる。競争・優劣・比較などの相対的評価の中でしか自分自身を確認することができない、頼りない矮小な存在になる。目の前にある自然に対するリスペクトを失い、転じて、自分自身に対するリスペクトを失う。慈悲を失う。慈悲のない誇りは傲慢である。そのことを容易に忘れてしまう。

 

私は連絡先を公開している。様々な方々から連絡が届く。頻繁に感じることは「自己受容度の圧倒的低さ」で、これだけ物質的に豊かな日本で健全な自己肯定感を抱けている人間は圧倒的に少ない。なぜだろう。幼少期から、勇気をくじかれるような体験を重ねたからだろうか。なにが人間の勇気をくじくのか。なにが『そのひとが、そのひとであることを阻害する』のか。自身の無さや無価値観は、大きな何かと切り離されている感覚を生む。自然に足を運ぶと、大きな何かとのつながりを取り戻す。何かに対して敬虔な気持ちを抱くとき、自分自身もまた、同じ創造物のひとつであることを知る。自分が尊いように、他のすべても尊いのだ。そう思えた時、ひとは健全な自己肯定感を胸に抱く。が、いま、この世の中ではそれを抱くことがとても難しいことになっている(ように思う)。否、難しいと書いたが「難しいことはない」と思う。ちょっとしか考え方の切り替えで、ひとは簡単に自分【世界】を肯定することができる。では、そのスイッチはどこにあるのだろうか。

 

わたり文庫『はたらく動物と』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、金井真紀著作『はたらく動物と』です。長野県辰野町でお会いした女性Y様から「この本は素晴らしいので、友人に配るために大量に購買したのでわたり文庫にもぜひ!」とお譲りいただいたい一冊です。まだ半分しか読めていないのですが、名著の香りがぷんぷんします。Y様には、その日、辰野町名物『まつくぼ』の爆盛りソースカツ丼もご馳走していただきました。最高だったので辰野町に行く機会があれば是非。ながたの湯の回数券までいただきました。こちらの本をご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※

 

おもしろうて やがてかなしき 鵜舟かな

 

芭蕉先生もそうおっしゃっている。

鵜ががんばってとった鮎を人間サマがかすめとる。それを、やんややんやとはやしたてる鵜舟のお客。愉快な夏の風物詩だ。でも、なぜだろう。はじめはおもしろいんだけど、だんだんかなしくなってくるのである。

 

(中略)

 

どんな人もその人にしかできない経験をしていて、その経験ゆえの物の見方や物語をもっている。わたしは、その断片を拾い集めるのが好きだ。それも教訓めいた立派なものじゃなく、すこし間が抜けているもの、にんまりできるおmの、癖のあるものにひかれる。

 

今回、拾い集めたのは、犬、ニワトリ、馬、そして鵜といったはたらく動物とその周辺に生きる人たちの物語。

 

はたして、鵜はかなしかったのか ー

 

金井真紀『はたらく動物と』【ころから】

 

馬鹿のままでいい。馬鹿のままがいい。

犬の調教師曰く「凶暴な犬も、多くの人に触ってもらうことでおとなしい犬になる」らしい。人間も同じだ。私は男で、女性と抱き合っている時にエネルギーの循環を感じる。よく「エネルギーが充電されるぅ」とか言うが、違う。エネルギーはすでにある。ただ、停滞しているだけだ。抱き合うことでエネルギーが循環する。循環の感覚をいいなと思う。愛するムラキテルミさんのブログを見たら「逆立ちをしたらハゲが治った」的な驚愕の話を聞いた。ハゲに悩む企業の社長さんが、あらゆるハゲ対策を試した結果『要するに頭に血を流せばいいのだ』と思って逆立ちをしながら読書をした結果、毛が生えた。ふさふさである。逆立ちは最高だ。踊りとかもいいのだと思う。自転車移動中、疲れた時に腕をぶんぶん振ると結構元気になる。要するに血流だ。腕も、腰も、人生も、ぶんぶん振り回していくことが大事なのだ。

 

突然だけど今月末に一緒に関東から長野県大町市に行けるひとを募集する。11月28日〜30日のどこかで、目的は「長野県大町市にある土地の件について、実際に大家さんに会って具体的なお話を聞く」というものになる。何度か足を運んだものの、大家さんも非常に忙しい所ジョージさんのような人柄であるためにまだ会えていない。が、この日程なら時間を作ってくださるとのこと。大家さんという呼称だと「堅苦しい人なのか…」って身構えちゃう部分もあるかもしれないけど、恐れるなかれ、半端なくいいひとであること間違いなしです(なんて偉そうに書いてしまって超絶ごめんなさい…!!)。日帰りでもいいし、野営道具などを持参して数日長野に滞在してもいい。理想は車で行けることなのだけれど、いま、ごちゃまぜの家に車はない。誰か「車を出すよ!」とか「レンタカー借りるからみんなでいくか!」とか、フレキシブルに対応できる方がいたらご連絡をいただけましたら超絶うれしいです。人数が集まり次第、日程や待ち合わせ場所を決めていけたらと思います。場合によっては、速攻で『森ジム』作りにはいるかもしれません(インディアンのテントを張って、焚き火をして、とりあえず暮らせるようにしたい)。

 

連絡先・坂爪圭吾

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これから一応名古屋に向けて自転車を漕ぐが、宿のあてもなにもない。俺はどこに行くのだろうか。一回休むと歩き出すためにエネルギーを要するが、一回、自転車を漕ぎはじめたら野生アゲインである。ゴリラみたいな顔をして自転車を漕ぐと「大概のことは、どうでもいいことだ」みたいな気持ちになる。宿がない。飯がない。金がない。仕事がない。夢がない。目標がない。友達がいない。彼女がいない。社会的信用がない。希望がない。未来が見えない。それがどうした。それがなんだっていうんだ。そんなこと、どうでもいいじゃないか。目の前に壁があるとする。壁を前に嘆くことは簡単だ。しかし、簡単なことに価値はない。壁に落書きをするのも、壁をぶち壊すことに楽しさを覚えるのも、壁をすり抜ける忍術を覚えるのも、生き方はそれぞれの自由だ。今朝、長野を出たときは小雨が降っていた。しかし、現在の岐阜は快晴である。雲間から太陽が覗く。それだけでたまらない開放感に包まれたりする。そんな単純無欠の自分を、いいな、などと思ったりする。

 

 

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俺はどこに行くんだろう。

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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楽しいなら、正しい。

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筋トレも兼ねて、長野県を自転車で移動している。松本駅から走り出して数分後「なんで俺はこんなことをやってるんだろう」と思った。毎回、新しいことをやるときは「もう帰りたい」と何回も思う。引き戻そうとする力が働くのだ。だがしかし、この声に負けてはいけない。こんなことをやっても無駄だよと囁く悪魔の声に対し、私は言う。俺はお前を知っている。お前の声を聞いたら俺はうだつのあがらない人生を送ることになるだろう。しかし、お前の声を突破した先にまだ見たことのない快楽が待っていることを知っている。

 

 

天国と地獄を反復横跳びする日々を過ごしている。長野の紅葉は最高だ。悪魔の声に屈しないで良かった。別に特段用事があるわけではないので、今は、長野県箕輪町で呆然としている。昨夜は大町市在住の方にお世話になり、数週間ぶりに布団で寝た。すごい寝た。今日は、松本駅で合流した方に箕輪まで車で送っていただき、温泉をご馳走になった。今日はどうしようか。野営道具はない。最悪漫画喫茶で寝るが、なんか嫌だ。奇跡が降臨することを待ちながら、いま、みのわ温泉の休憩所で横になりながらこの記事を書いている。筋肉痛が痛い。

 

ibaya.hatenablog.com

 

プロテイン片手に未来を語り合う。

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長野県大町市でもしかしたら自由に使わせていただけるかもしれない空き地がある。整地されていないため、土地というより完全に森だ。仮に森が与えられたら何をしたら面白いのか。そうだ、森にジムを作るのはどうだろう。最近は筋トレがブームだ。が、ジムには行く気が起こらない。人間、狭いところに押し込まれるとどうしても闘争心や競争心が芽生える。俺の方が筋肉がすごいとか、やわな自分はジムに足を運ぶ資格がないとか。多分、ジムの弱点は「屋内であること」だと思う。私は、風が吹かない場所が嫌いだ。それならば、森にジムを作って『森ジム』とか作ったらどうだろう。最初は懸垂棒一個でもいい。懸垂棒一個(もはや木)しかないのに「ジムです」といえば、そこはジムになる。言ったもの勝ちだ。あとは廃タイヤなどを器用に使えば、手作りのジムを生み出せるかもしれない。鶏も飼ったら素敵だと思う。

 

アラスカの住人は『フルライフ』という言葉を使う。体全体をフルに使って生きる生活を彼等はフルライフと呼ぶ。都会に暮らしていると、頭ばかりを使って嫌な感じの疲労感が溜まる。肉体労働をする機会も少ないから、毎日2〜3割程度の力しか出し切っていない感覚がある。私は、人間全体、肉体全体で生きたいと思う。仮に森が与えられ、野営生活をしながらジムを作ったり渓流釣りをしたり農作業をうんちゃらかんちゃらしていたら、晩飯は酷く美味いものになるだろう。夜もすやすや眠れそうだ。自転車を漕いでいると少しだけ野性味が蘇る。もう漕げない、もう終わりだと思った時にブランキージェットシティの『PUNKY BAD HIP』という曲を流すと踏ん張りが効く。古い世代の奴らは金でなんでも買い漁った。だけど俺たちは自然の掟の中で生きるケダモノの世代さ。となる。

 

もう帰りたいと囁く声に従わないで良かった。長野の自然は格別だし、疲労後の温泉や食事や睡眠も最高だ。登山家の方は「毎回登り始めは、なんでこんなことやってんだろうって思う」と話していた。筋トレも同じだ。最初はやらない言い訳が大量に生まれる。しかし、やった後は確実に「やってよかった!」となる。数日前に会った女性は、極度のカナヅチだったが沖縄の海を泳ぎたいという熱烈な情熱を実現させるべく、大人のスイミングスクールに通ってクロールを覚え、先日久米島の海に潜って素晴らしい写真を撮影してきた。苦手を克服する姿はまじで素晴らしい。仮に、私が自転車を途中で諦めていたら「自転車で走るなんて馬鹿らしいからやめなよ」みたいなことを周囲に言ったりするのだろう。やりきったことのない人間が、周囲にネガティブな情報を振りまきはじめる。やりきった人間は『やりきった感動』を語る。エネルギーの質が異なる。私はやりきった人間が好きだ。感動を語れる人間が好きだ。北アルプスを登りたいと思う。小柄な女性も20キロ近い荷物を背負って山頂を目指す。その姿を、私は猛烈に美しいと思う。

 

森を開墾してジムを作る。森ビルに対抗しない形で「森ジム」を手伝りするのはどうだろう。気温0度。寒いです。 #みんなでプリケツ #北アルプリケツ

 

楽しいなら、正しい。

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去年の今頃、自転車で横浜から長崎まで1800キロ程度走った。なぜ走れたのかは謎だが、長崎に比べたらどこも近距離だなと思える。愚行の良い所【暇人の底力】は、謎の基準を増やせることだ。長野県大町市は寒く明け方は氷点下を記録した。これから岐阜を目指して南下するため、基本的には温かくなる。地獄を経るメリットは『相対的に世界が天国になる』ことだ。この前強盗に拳銃を突きつけられたから、拳銃以外ならもうなんでもいいやみたいにもなる。合言葉は『来た時よりも逞しく』である。昔なら血反吐を吐くほどのダメージを負っていたであろうことに、割と平気でいられる自分を発見した時に「俺って成長したんだな」と思える瞬間は楽しい。

 

楽しいなら、正しい。大町市で一晩お世話になった還暦を迎えたばかりの女性T様は言った。「私には息子が三人いる。親としては、どんな生き方をしてくれても構わないから、楽しそうに生きていて欲しいなあと思う。世間的にどうだとか、ちゃんとするとか、しないとか、そういうことはあまり気にしないでいい。どんな道でも、本人が『それを楽しめているならば』、それは正しい道なのだと思う」と話していた。素晴らしい言葉だ。楽しいなら、正しい。逆に言えば、どれだけ世間的には正しいことをしていたとしても、当人が苦しそうにしているのならばそれはとっても悲しいことだ。自分の体が感じる喜びを大切にすること。私は、私の大好きな人々には「どのような生き方だとしても構わないから、無論、不完全でも構わないから楽しそうに生きていて欲しい」と思う。同じように、自分自身に対しても楽しそうに生きていて欲しいと思う。

 

巷では「遊びで生きてるわけじゃない」などとそれが素晴らしいことのように言う人もいるけれど、私は、遊びで生きててなにが悪いのかがわからない。誤解を恐れずに言えば、私は「面白ければなんでもいい」と思っている。日本各地や世界各国を流転しながら、私は、面白いと思えるものを探している。しかし、最近頻繁に思う。面白いと思えるものなんて、世界にそれほどないのだ。この世で一番面白いもの、それは『自分自身』だ。受け身の自分、お客様である自分、その他大勢の自分であることを乗り越えて、創造する側にまわること。環境とは、自分の中にあるものを引き出す為の要因でしかない。あくまでも、主役は自分である。自分は、これからなにを生み出すのだろうか。自分は、自分に期待をしたいと思う。

 

 

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紅葉の長野を自転車で走る。

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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自分に「いいね!」を出し続ける。

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神奈川県綱島デニーズにいる。ロードバイクを譲り受けたので、メットを買いにブックオフに向かう。中古でも高額で戦慄する。1500円のヤツを見つけたのでレジに並ぶ。行列。横浜。都会。店員のおばちゃんが猛烈なスピードで客をさばく。声は大きいが、声が死んでいる。機械だ。目が客を見ることはない。顔面も陰っている。覇気はない。死臭がする。一体、誰に向かって「ありがとうございました」と言っているのだろう。私は、対面相手からモロにエネルギーを受け取るために、息を止めた。自分の順番だ。私は、小刻みに鼻息を噴射し続けることで「お前の波動を絶対に俺の体内にいれてたまるものか」と抵抗し続けることでことなきを得た。

 

 

バイトリーダーらしき細身のヒョロい眼鏡の男性が「そろそろ休憩まわすからね!いいね!」とイキっていた。私がここで働くとしたら、彼に従わなければならないのだろうか。無理だ。集団で働いている人々を尊敬する。金のため、と割り切ることが自分にはできない。店内では音楽が流れている。私は、J-POP(とかテレビとかラジオ)を聞くと頭がおかしくなる。精神的にレイプをされている気持ちになる。耳が腐る。嫌いな先生の授業中も耳を塞いでいた。最近の流行歌手らしき女性が「出会いと別れを〜♩」と歌っている。私は、おい、このあとに『繰り返し』とかありきたりなことを歌うんじゃねえぞと思った。ら、大音量で「繰り返し〜♬」と流れてきて、ああ、この世の終わりだとか思いながらファックオフを出た。

 

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生きづらいったらありゃしない。

私は新潟高校という比較的進学校を卒業した。同級生で、小学校の先生になった女性がいる。彼女に「学校で一番大事だと教えていることはなに?」と尋ねたら、彼女は、冗談一切抜きで「空気を読むこと」と答えた。私は、率直に言うと「彼女に教えられたこどもたちはかわいそうだな」と思った。これが日本のスタンダードなのだろうか。私の友達にOという男性がいる。Oは、大学卒業後大手企業に就職した。職場の先輩に「どうすれば仕事になれることができますか?」とOは問うた。ら、職場の先輩は「自分を殺すことだよ」と答えた。これが日本のスタンダードなのだろうか。Oは、結局会社に馴染めず三年で辞めた。現在は台湾で会社を経営している。

 

昔から「俺は人間と話をしたいと思っている。だが、人間と話していても『人間と話している』と思えない」と感じることが頻繁にあった。ひとりひとり違う人間のはずなのに、大概、返ってくる言葉は紋切り型の退屈な定型句で、お前は誰かのコピーなのかと突っ込みたくなる。自分の意見を持つことは、多分、日本社会では『死に近くなる』ことを意味するのだろう。自分の意見を持つから生きづらくなる。疑問を抱いた人間から死んでいく。自分を殺して、周囲にあわせて生きることができれば、無駄に悩むことも少なくなる。だから、自分を殺した方が楽になれるよ。という、甘い(?)誘惑はそこらへんに転がっている。この誘惑に「うるせー!黙れ!」と抵抗し続けてきたのが私の33年間であり、だからこそ、たかだか買い物をするだけでもボロボロになる。「生きづらいなあ」などと思ったりする。

 

こんな時こそ筋トレである。健康は資本。体力は資本。私は痩せやすい体質だから、油断をしているとすぐに頬がこけて周囲から「死ぬの?」と心配される。ので、現在は『食べるトレーニング』をしている。1日3食。これが苦しい。太るのだって大変なのだ。が、面白い。カラダは最高のおもちゃになる。カラダで遊ぼう。男性とは筋トレを、女性とは柔軟を一緒にやりたい。スクワットをするとプリケツになることを知った。実際に、半端ないプリケツの女性を見て「プリケツってすごい!」と感動をした。昨日、筋トレ中に悩み相談の電話が来た。私は、スピーカー機能を使って「一緒に逆立ちやりましょう!頭の問題を、頭だけで解決することは無理です!」ということで一緒に遠隔逆立ちセラピー(?)をした。ら、電話相手も「うわー!逆立ちって面白いですね!」と元気になった。悩みに対する処方箋は二種類ある。ひとつは真剣に向き合うこと。ひとつは「問題なんてどうでもよくなるなにかをやること」であり、筋トレは後者だ。生きづらさが吹き飛びます。

 

自分に「いいね!」を出し続ける。 

前回の記事で「所有なんてクソだ!共有の時代だ!」的なことを書いたけれど、小生、譲り受けた自転車を熱烈に愛しはじめてしまった。もう、誰にもこの自転車を使わせてたまるかと思っている。所有を悪いとは思わない。モノを大事にするマインドはプレシャスだ。私は、多分、所有が嫌いなんじゃなくて「モノを大事に扱わない」ことが嫌いなのだ。ごちゃまぜの家を乱雑に扱う人々を見ると「出て行け」と思う。言葉も同じだ。言葉を粗雑に扱うと、自分自身が粗雑になる。そればかりではなく、周囲にソザモスフィア(粗雑なアトモスフィア)を蔓延させる。不機嫌も同じだ。不機嫌なひとがいると、それだけで空気はぶち壊される。ブックオフの店員を見ていたたまれなくなったのは、彼女が日本を象徴しているように見えたからだ。心のない言葉、心のない時間、心のない空間にあふれているように思う。

 

この前会った女性に、社交辞令風味の愛想笑いを感じた。私は「笑顔は好きだけど、その笑顔は嫌いだ」と言った。愛想笑いをしていることがバレていないとでも思っているのか。と。笑顔は好きだ。でも、その笑顔は好きじゃない。何かを取り繕うための笑顔なんだろうけど、その笑顔はお前を傷つけている。笑っているのに、泣いているように見える。自傷行為みたいな笑顔はやめなよ。俺は心からの笑顔が見たいんだよ。笑いたくないのに笑うなよ。笑いたいときだけ笑えよ。そうじゃないと、笑顔が曇る。せっかくの命が枯れ果ててしまう。そのようなことを思った。私は性格が歪んでいるのだろうか、女性と話していると「泣かせたい」とか「怒らせたい」などと思うことは多い。男性に対しても同じだ。なにかを取り繕っているひと、なにかをセーブしているひとを見ると、泣かせるような、怒らせるようなことを言ったりやったりして「おらおらおら。もっとお前を見せてみろよ」みたいなことをやってしまう。相手の懐にサッ!と飛び込んで、一番敏感で柔らかい部分をギュッ!と握る。そこからはじまるコミュニケーションに醍醐味を覚える。

 

誰にも認められなくてもいい。自分だけは「自分っていいなあ!」ってにっこり笑って、自分をまるごと肯定する。そうすれば、毎日は豊かだ。自分なんかに愛されても困るだろうとか、そういうことを考えない。自分を褒め上げ、自分を認め上げ、自分史上最高な自分自身を、惜しげも無くまるごと世界に捧げて生きる。自分に愛されたあなたはラッキーね!と、自分自身に胸を張る。自分の愛に胸を張る。自分の『好き』に胸を張る。巷でよく聞く「自分を愛する」とか「自分を受け入れる」とか、こういうものはゴールではなくスタートなのだ。大前提であり、出発点なのだ。そこから、さて、なにをして遊ぼうかといった感じなのだ。間違っても、自分を愛するために遊ぶとか、自分を受け入れるために遊ぶとか、そういうものではない。良い時も、悪い時も、自分をまるごと肯定する。花に水をやるように、自分に「いいね!」を出し続ける。そうすれば育つ。いつの日か、でかい愛が育っていることに気付く。騙されたと思ってやってみよう。自分をまるごと肯定する。自分に「いいね!」を出し続けよう。そうすれば育つ。たわわな愛が実るのである。

 

 

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自然に憧れている。。

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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握り締めることをやめるとき。

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東京で友達が個展を開催している。芸術の秋。彼女は、新潟の山奥に住居兼アトリエの一軒家を持つ。たしか、家賃は二万円。写真を見たら超絶素敵だった。「俺もこんな暮らしができたらなあ」と一瞬思ったあとに、あ、俺には家が二軒あった!と思い直した。熱海と横浜。が、私は多動症であるために両家共にガラ空きであることが多い。そこで、なにかできないかなと考えた時に『無料の展示会』に使えないかなと思った。今風に言えば『シェアアトリエ』ということになるのだろうか。

 

 

個展や展示会など発表の場をお探しのみなさま、朗報です。ごちゃまぜの家を展示場に使うメリットは(大きく言うと)ふたつあります。ひとつは『期限を問わず無料(0円!)』であること。これ、結構芸術家の卵的な方々にはいいことなんじゃないだろうか(自分だったらうれしい)。無料だから、いつもより大胆に行動できる。失敗してもOK。無論、商品の売り買いは自由にやってくれて結構。すべて主催者の取り分になる。もうひとつは『泊まり込みもOK』ということ。これ、なかなかないと思う。遠方の方とか嬉しいんじゃないだろうか。移動費や宿泊費用が浮く。ごちゃまぜの家は比較的広い。空部屋もある(風呂も布団もある)から、三日でも、一週間でも、実験的に家を離れてごちゃまぜの家にて作業をしたり展示をしたりできる。これ、芸術家の方々から見たら、どんな風に感じられるのだろうか。

 

ibaya.hatenablog.com

 

ごちゃまぜの家と逢初庵 

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ごちゃまぜの家の和室

 

「芸術家を応援したい」とか言うと超絶嘘臭いが、無料の空間があるのだから、自由に使っていただきたい。個展でも、グループ展でも、なにも芸術に限らなくてもやり方はいろいろある。興味のある方は一度、ごちゃまぜの家か逢初庵に実際に遊びにいらしてください。そこで詳細を決めましょう。多分、随分と融通は効くと思います。我々としても、ごちゃまぜの家(横浜の家)や逢初庵(熱海の家)に風が吹くことはうれしい。そもそもで「ごちゃまぜの家ってなんだ!?」と思われた方は、以下のリンクをご覧ください。ごちゃまぜの家は、2018年5月にクラウドファンディングを通じて生まれた『誰でも自由に立ち寄れる家』になります。

 

camp-fire.jp

 

家の雰囲気を収めた動画を貼ります(動画が古いので結構変わってきています)。基本、母屋一階部分&庭はすべてフリースペースになるため、どこもかしこも展示に使えます。和室は広く12畳ほどあるので、簡易ワークショップなども開催可能です。台所にあるもの(というか家にあるものすべて)は自由に使えます。逆に言えば、自由に使えるために「冷蔵庫にいれていたあれがなくなった!」的なことは日常茶飯事になります。この空間においては、所有という概念がゆらぎます。基本的に「ここに置かれているものは、置かれた瞬間に『人類全体の共有物になる』という宿命を負う」スタイルが1年以上貫かれています。本当に死守をしたいならば、名前を貼った付箋でも貼るか、自分の鞄にいれておく、などの対処法をします。家主に「みんなの心をざわっとさせたい」という趣向があるため、玄関に、出し入れ自由の財布を掲げてあります。取るのも自由。入れるのも自由。です。あんまり前例のない場所なので、なかなかうまい説明をすることができません。だから「実際にきてくれ。自分の目で確かめてくれ」としか言うことができません。

 

www.youtube.com

 

不定期更新の日誌もあります。

 

gochamaze.hatenablog.com

 

ツイッターもあります。

 

 

熱海の家も同じ感じです。横浜に比べ、熱海の家は小さいです。動画を貼っておきます。芸術の秋。どちらの家も「試しに期間限定で無料の展示会に使いたい!と思う人を募集してみよう。そして、やりながらこの家の隠された使い方を見出していこう」というのが今の気持ちです。なかなか説明しきれていませんが、これらの情報をもとに「私が探していたのはこういう場所だ!」的な直感を得た方は、下記連絡先までお気軽にご連絡ください。家主(坂爪圭吾)は移動が多く、なかなか家にいないことが多いのですが、今日から5日間程度なら柔軟に対応できます。興味のある方は、私と連絡をとり、実際に家にきていただくか、遠方の方はラインなどでやり取りを交わせたらと思っています。どうぞよろしくお願いいたします(募集期間は、取り急ぎ、2018年いっぱいを予定しています。見事に「ハマった!」と手応えを得た場合に限り、募集期間を延期する可能性もあります)。

 

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連絡先・坂爪圭吾

keigosakatsume@gmail.com

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楽になる道が正解だよ。

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この自転車も茨城県在住N様からご提供いただいた『人類全体の共有財産』です。希望者は自由に使えます。みなさまの善意により、ごちゃまぜの家は成立をしています。

 

新潟県在住H様から新潟産こしひかりを大量に送っていただきました。これでしばらく飢えることがありません。もし、今、飢えているひとがいたら「とりあえずごちゃまぜの家に来い。玄米だけならたらふく食わせちゃる」と言えます。ここで甘えたことをほざかせていただくと「最近めっきり寒くなってきたから、冬用布団が欲しい…」などと思っています。奇跡的に「ちょうど使っていない冬用布団セットがあったのよ!」的な方がおりましたら、ご連絡をいただけましたら歓喜雀躍です。貰い物で生きる。それが坂爪圭吾の33年間の人生でした。これは今後も続きます。私は、今、ごちゃまぜの家の庭に張ったテントで暮らしています。なぜテントで寝るのかとみんなから異端視されます。理由は「テントが好きだから」です。寝袋で寝るのは寒いけれど、この寒いのがいいんだよ、などとひとりごちています。

 

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利用者の方からいただいた手紙・1

 

私は今も昔もたいして金がありません。しかし、金がないくせに「金がない」とは日常的に考えません。お金に対して謎にリラックスできています。なぜか。自分でもわかりません。ただ、ここ数年間の日々の中で「世界に財布はひとつなら、金は永遠に減ることはない」という阿呆みたいなことを割と本気で信じていることを感じています。俺の財布から消えた金は、誰かの財布にはいっていく。それならば、金の総量は同じままだ。と。金も家も同じ。世界がひとつの家ならば、どれだけ離れていようが、俺たちは同棲していることと同じだな。と。そういう阿呆みたいなことを割と本気で信じている(そういう風に思えている時の自分は調子が良い)ことを感じています。みなさまは、さて、所有というものをどのように考えているのでしょうか。どこまでが自分のもので、果たして、どこからが自分のものではなくなるのでしょうか。ごちゃまぜの家は、空気は、風は、太陽は、心臓は、血液は、音楽は、動物は、夜景は、花は、水は、命は、さて、誰のものになるのでしょうか。

 

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利用者の方からいただいた手紙・2

 

俺のものなんてひとつもない。そう思うと、不思議と、自分を生かそうと思う気持ちが湧く。自分のものだと思うから大事にしようと守りに入る。しかし、これは俺のものではないのだなと思えるとき、執着と呼ばれるようなものが薄れ、自分のためというよりも「みんなのため」に使おう(否、もっと前のめりに「使いたい」)という気持ちになります。自由とは、多分、自分が消えた状態だ。自分の命を、自分以外のものに使う行為を『愛』と呼ぶのかもしれない。そして、真の意味でなにかを愛することができたとき、そのひとは『自由』になる。と。非常に抽象的な話を失礼いたしました。ごちゃまぜの家や逢初庵でなにかをやってみたいと思われた方は、是非、お気軽にご連絡ください。現在の横浜は月が綺麗に輝いている。月は、当たり前のことだけれど誰のものでもない。でも、自分が見ている間だけは、月さえも『自分のもの』になるのだと。握り締めることをやめるとき、自由に羽ばたく『それ』を見て、同じように私の心もまた、自由に羽ばたくことができる。

 

 

GOCHAMAZE no IE

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

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人生はボーナスタイムである。

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熱海を経由して横浜に向かう。やっと晴れた。晴れると嬉しい。自分の社会不適合性が霧消する。ひとといれない。家にもいれない。大好きな熱海の家も1日で飽きる。長居できない。どれだけ好きな人とも「ずっと一緒にいたい」とはならない。それよりも「あなたが生きているだけで嬉しい」となる。本当に愛しているならば、必ずしも一緒にいる必要はない。そう考える自分はダメ人間なのだろうか。稀に悩む。しかし、晴れていると全部霧消する。小田原の川辺で飯を食う。でかい鳥が目の前を飛び交う。自分みたいな人間がひとりくらいいてもいいよね、となる。

 

 

愛の形は様々。私の愛は四角に近い。無論、四角以外の愛もある。三角の愛。まんまるの愛。幾何学の愛。四角だけを愛だと思っているうちはまだまだ。三角も愛。まんまるも愛。幾何学も愛。自分が思う愛だけが愛ではないのだ。そう思うと、愛の総量は増える。まゆちゃぱうぉにかは言う。どんな世界に生きていたとしても愛を見つけることができる才能は、そのまま極上のサバイバル能力になっていく。と。サバイバル能力とは衣食住を確保する能力だけではない。どのような状態に置かれても、そこにある愛を見つけ出す能力。愛即自由。愛と自由は、多分、同義だ。

 

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けいごエクスプレス

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明日明後日の関東の天気は晴れ。暇だ。そうだ。けいごエクスプレスをやろう。けいごエクスプレスとは何か。それは、坂爪圭吾が愛するパンダエクスプレスに対抗しない形で「自分なりの愛をエクスプレスする」営みになる。基本、私は乱世に備えた生き方をしたい。最悪の場合でも「これをすればどうにかなる」という生き方の選択肢を増やしたい。今、手元にバイクがある。人や荷物の輸送もできるし、それ以外の使い方もある(と思う)。だから、けいごエクスプレスを明日明後日限定でやりたい。基本料金は無料。なぜ無料なのか。それは、お金をもらうとややこしくなるからだ。交換感より循環感。内容は、たとえばこんな感じのものになる。

 

・希望する場所から場所までニケツで移動をする(関東圏限定)

・バイク便代わりに誰かになにかを贈り届ける(スピードは遅い)

・適当な公園で野点カンタービレ(野外でお茶やコーヒーを淹れる)

・ストレス発散にバイクで強風を浴びて「うおー!」と叫ぶ。涙を流す。

・坂爪が最近自炊している素麺を野外で食べる。

・野外で味噌汁を作るスキルを共に高め合う。

・あなたの得意料理を野外で作る(それを坂爪が食べる)。など。

 

※※※ 必要な道具類は、基本、坂爪圭吾が手配をする ※※※ 

 

野営を続けると「生きることが生きがいになる」。包丁ではなくナイフを使う。最初は慣れない。身体性を取り戻す。都市ガスではなくバーナーやアルコールストーブを使う。火を貴重に思う。屋外は寒い。だから温泉や銭湯が染みる。白湯の温もりを知る。すすきを集めて座布団にする。そこらへんのものを家具にする。綺麗な花を摘み取って飾ったりする。楽しい。別に特別なことはしていない。いつもの「便利な環境」から「ちょっとだけ不便な環境」に身を置くだけで、生活すべてが娯楽になる。安上がりだし、文化的な生活に対する感謝を抱く。不便を楽しむ。これがアウトドアの基本だ。不便を楽しむ時、人は、いつの間にか「不幸を楽しむ」スキルを養っている。そう。どんな世界に生きていたとしても愛【自由・楽しさ】を見つけることができる才能は、そのまま極上のサバイバル能力になっていく。不幸を楽しめたら、もう、こわいものはなくなる(などと勝手に考えている)。

 

連絡先・坂爪圭吾

keigosakatsume@gmail.com

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https://www.instagram.com/p/BqGVJ12nOpy/

🍽🍽🍽味噌煮込み鯖きしめん🍽🍽🍽

 

わたり文庫『ジョン万次郎』 

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、マーギー・ブロイス著作『ジョン万次郎 海を渡ったサムライ魂』です。非常に読みやすい名著だ。海外の人物が日本の人物を主役に小説を書いた。その事実に感動をする。それは、普遍的な魅力がジョンの生涯にあるからなのだろう。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、岡山県にわたりました ※※※

 

若き中には

随分不仕合せとなるがよし。

不仕合せの時

草臥れたる者は、

益に立たざるなり。


マーギー・ブロイス『ジョン万次郎』【集英社文庫】 

 

人生はボーナスタイムである。 

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神奈川県辻堂のデニーズにいる。道中何度も道に迷ったが、グーグルマップのおかげで基本どうにかなる。科学技術の発達に感謝をすると同時に、ああ、これが「人間が人間を必要としなくなる」的なあれか。と思う。一昔前なら、道に迷うたびに通行人に話しかける必要があった。煩わしさもあるが、それによる人間的なふれあいもあったのだろう。科学技術が進化するほど、機械がすべてを執り行い、人間が人間を必要とする機会が減る。その不足分を補うように、たとえば、私は『けいごエクスプレス』などをやるのだろう。生きるために、今後、人間が人間を必要とする機会は減る。しかし、生きていることを実感するために、人間は人間を必要とするだろう。車はガソリンで動く。機械は電気で動く。人間はコミュニケーションで動く。

 

生きていると色々なことを言われる。お前は間違っているとか、ダサいとか、嘘臭いとか、目障りだとか。一々傷つく。が、言い逃れはできない。人間、有名無名問わず、生きているだけで影響を生む。表現は「する」ものではない。いつの間にか「してしまっている」ものだ。だから、私は自分自身を作品にしたい。そして「これが私です」と差し出したい。良い面も、悪い面も、これが自分なのだから仕方がない。嫌うひともいる。好むひともいる。私は、ただ、私が思う最善を生きる。私は、私が思う「最高」を生きる。自分の心が「最高だ」と思う瞬間の中には、愛も、自由も、全部ある。そのことを信じる。私は、私の中にある『みんな』を生きる。自分が自分を生きる時、それは、個人的な体験を超えることを知っている。

 

おまけの人生。なにをやるか。ボーナスタイム。そう、人生はボーナスタイムなんだ。生きているだけで勝ち組だ。この世はなにをしてもいいなんでもありの極楽浄土。なにをやろう。どこに行こう。なにをしてもいいし、なにもしないでもいい。どこに行ってもいいし、どこにも行かないでもいい。私は、そうだ、好きなひとに好きだと言おう。残りの人生を、そういう風に捧げよう。色々なことを言われた時は複雑な気持ちにもなる。祈りよりも呪いの言葉ばかりが脳裏を過ぎることもある。が、最終的に「お前らも幸せになれよ」と思って眠りにつけた晩、ああ、この状態の自分はいいなと思った。誰のことも恨んじゃいない。誰のことも憎んじゃいない。みんなの幸せを祈れる自分を、私の心は「いい感じだな」と思う。

 

 

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I've heading GOCHAMAZE no IE※🍽🍽🍽素麺ばかり食ってる🍽🍽🍽※#素麺 #つけ麺 #ぼく無職 #全力素麺 #ぼく無職

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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超える。

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誰もが超サイヤ人みたいなものだ。死にかけるたびに強くなる。久しぶりに実家に顔を出した。母親はこのブログ読者だ。心配をかけているかもと思い、無事な姿を晒そうと思った。が、母親はまったく心配なんてしていなかった。お母さん、俺、ハワイで死にかけたんだよ(それなのに結構平気そうだね)と言うと、母親は「あんたらには何回も殺されたから、もう、心配なんてしないよ」とのこと。昔、母親にこう言われたことがある。あんたはみなさまから生かされる限り生きて、生かされなくなったら死ぬんだね。あとはもう、天にお任せするよ。と。母親は強い。

 

 

新潟から大阪に移動する。S様に預けていたバイクを回収する際、超絶暖かい軍用のズボンとバイク用の手袋を貰った。ボタンが外れかけているのを発見して私が泣きそうになっていたら、S様が裁縫道具をサッと取り出して縫ってくれた。私は、女性が裁縫をする姿に弱い。一瞬で悩殺される。電車で編み物をしている女性を見ると「平和だ…(守りたい…)」と思う。私はまったく裁縫ができない。ボタンが外れることはご臨終を意味する。が、S様が蘇らせてくれた。S様に別れを告げ、奈良県天川村に向かう。数週間前に「天川村に行け」と天啓を受けたからだ。

 

ibaya.hatenablog.com

 

悪態日記。

天の川温泉でM様と待ち合わせをする。天の川で待ち合わせなんて素敵だ。早めに到着する。全身が凍えている。先に温泉に入る。デザインが素敵な温泉だった。が、私は「デザインが素敵な温泉」が嫌いだ。デザイナーが噛み始めるとロクなことにならない。受付横におしゃれグッズが並びはじめたらアウトだ。五千円もする積み木が売られていた。作り手に対して、私は「お前は積み木を広めたいんじゃなくて、お前を広めたいだけだろ」と思った。積み木に対する愛を微塵も感じなかったのだ。ぷんすか。ぷんすか。一通り悪態をつきおえた頃、M様と合流をした。

 

詳細は省くが最高の時間を過ごした。天啓に間違いはなかった。私は、ここ数日間「俺の人生のメインは俺自身だ」と思っていた。仮に私が作家であっても、仮に私が音楽家であっても、仮に私が陶芸家であっても、それは唯の副産物にすぎない。自分の本領が発揮される部分は、あくまでも『生身の自分』だと思う。うまく説明できないが、自分の作品を通じて自分を誇るのではなく、自分に向けられた評価や賞賛や社会的成功を通じて自分を誇るのではなく、ただ、自分が自分であることに誇りを持ちたいと思う。いい作品を作れた自分は素晴らしい存在だ、とかじゃない。自分の存在価値に、何物も介在させない。いい作品をつくれようが、いい作れなかろうが、大前提として「自分は素晴らしい存在だ」という前提に立ちたい。

 

デートだって同じだ。人気のあの場所に行こうとか、美味しいあの料理を食べようとか、夜景の綺麗な場所に行こうとか、こういうのは全部おまけ。メインは「二人が同じ空間にいること」であり、両者の存在である。あとはおまけだ。何をしようとか、どこに行こうとか、そういうことじゃない。今以外の時間じゃない。ここ以外の場所じゃない。今、ここにあるすべてに意識を向ける。なにもなくていい。なにもないからこそ、なにもかもを味わうことができる。両者の存在を強く意識できる。二人の間に、何物も介在させない。一切の不純物がなくなる。まるで世界にふたりきりみたいだね。「いいね。」私が言う。「なにが?」M様は言う。「なにもかもが。」私が言う。「うん、同じことを思っていたよ。」M様は言う。私達は笑う。

 

https://www.instagram.com/p/BqBp43DH-TR/

ふたりは、たがいにさりげなく敬意をはらいあい、そのくせふたりとも、自分の世界をしっかり保っていました。相手のためになにかをしてあげるなんてことはなく、わかりあおうともしなければ、気にいられようともしませんでした。こういうのも、居心地よくいっしょにすごす、一つの方法ではないでしょうか。#ムーミン谷の名言集

 

超える。

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奈良県宇陀市で野営をして、三重県名張市にいる。貰ったカップ焼きそばを食べる。カップ焼きそばって、焼くというより煮て食っているよなあと思う。これから俺はどこに向かうのだろう。錨をなくした難破船みたいだ。死ぬまでなんにも予定がない。一生懸命に生きるということ。先日、新潟で開催された素人のライブ企画に呼ばれた。音楽が大好きで、下手なりに一生懸命やろうとしている人々の集いだった。一生懸命って素敵だなと思った。一生懸命なひとを見ると、自分も一生懸命に生きたいと思う。その姿勢に感動をする。懸命に生きようとする姿勢。命を燃やそうとする姿勢。美しいと思う。真っ直ぐに、透明に、美しくありたいと思う。

 

一生懸命になる対象は、きっと、なんでもいいのだと思う。「やりたいことが見つからない」なんてどうでもいい。なんでもいいから、ただ、いまの自分にはちょっと無理だなと思うことを、勇気を出してやってみる。連休に100キロ歩くとか、好きなひとに手紙を書くとか、作品を発表するとか、言いたいことを言ってみるとか。上手とか下手じゃない。金になるとかならないじゃない。大事なことは「心を込めること」であり、自分の本気を出すことだ。なんでもいいから「今日だけは一生懸命にやってみる」こと。すると、自分の未確認な部分がひょこっと出てくる。あれ、自分の中にはこんな部分もあったのかと、自分に感動することができる。

 

M様は言った。最近、前よりも新しいことに挑戦できるようになっている。でも、なにかをやろうとすると、同じくらい『恐い』と感じる気持ちが湧いてくる。でも、この恐いって言う感情は、自分のことばかり考えている時に出てくる感情なんだって気づきました。自分がやろうとしていることが、きっと、自分以外の誰かにとって力になることなんだって、自分がそれを信じることができたとき、その恐さは消えます。圭吾さんが、ブログで『言いたいことを言う』とか『やりたいことをやる』姿を見せてくれることが、私の生きる力にもなっています。だから、ありがとうございます。と。おい。なんだこれは。素晴らしすぎるじゃないかと私は思った。自分が自分を生きること。それが、結果として誰かの力になることもあるのだと。それならば、生きよう。御心のままに。テントを出る。朝露。清澄な空気。朝日が昇る。新しい1日がはじまる。まだ、誰にも汚されていない1日がはじまる。

 

 

https://www.instagram.com/p/BqDkLOtnemW/

朝 #snowpeak #lafuma #lifeisgood

 

人生は続く。 

 

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生きることを諦めない。

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幼少期の記憶がある場所を歩くのはえぐい。忘れていた記憶が蘇る。新潟は私の故郷だ。暗黒の青春時代を過ごしたため「俺は新潟に疎外された」とか「会いたいと思う同級生は皆無だ」とか「ここを逃げたくて東京に行ったんだよな」とか、のけものとしての自分を思い出す。新潟の空は青い。泣けるほど青い。新潟駅から鳥屋野潟まで実際に泣きそうになりながら歩いていたら、通行人の男性が「坂爪さんですか?ブログ読んでいます!!」と声をかけてくれた。私は、ああ、新潟にもつながりがあった!!!と思って胸が震えた。消えてしまいたい感覚が消えた。

 

 

地獄の曇天が続く。11月頃から「あ、きたな」となる。この時期になると、青年期に刻まれたバイオリズムが目覚めるのか、自然、鬱っぽくなる。油断をしていると闇や鬱に襲われる。暗黒時代に聞いていた音楽を繰り返し聴くようになったら危険だ。1000のタンバリンをエンドレスリピートで流し始めたあたりから、私は鬱気味の自傷気味の自暴自棄気味のメンタルになっていた。が、来年で私も34歳になる。昔よりは自分のことがわかってきたから「おっと危ない!」と思って軌道修正をした。私には、文学的に散りたいと思っている夢見がちな部分がある。カート・コバーンの死に様に憧れてしまう的なアレだ。が、私の実態は爆死である。

 

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悲しみに寄り添わない。

昔、躁鬱病統合失調症椎間板ヘルニアのトリプルパンチで半年寝たきりになったことがある。医者からは「完治までに三年かかる」と言われた程度には強度の鬱を発症していた。しかし、私はこの苦境を『ビリーズブートキャンプをやること』を通じて半年間で乗り越えた。今にしてみれば、もっと文学的な美しい理由で復活できたらよかったのにと思う。なにかこう、脳天をかち割られてしまうような半端ない女性に出会ったとか、檸檬を書店に置くことで世界観をぶち壊すことができた、とか。しかし、私は、結果的に『ビリーズブートキャンプをやる』という、文学的とは程遠い現実的で世俗的なやり方で回復を遂げ(てしまっ)た。

 

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この「文学的に散りたいと思っている自分」は周期的に顔を出す。しかし、私の本質は爆死だと前述した。できることならば文学的に美しく散りたいと思う。が、実際の私には「散る前に病む」という致命的な弱さがある。病むことを美しさに転換できればいいのだが、自分の場合、ただ病む。病んで終わる。これではいけない。退廃の美とか、それはそれで素晴らしいのかもしれないけれど「自分には無理!」みたいだ。だから、もう、私は退廃の中に美を見出すことをやめた。少なくとも、自分の人生に退廃を宿らせることをやめた。ビリーズブートキャンプでU字回復を遂げたように、家なし生活の果てに家を購買してもらったように、今世の私には「まるでギャグみたいな本当のおはなし」が似合う。美しくはないけれど、クスッと笑えること。常識がとろけること。西行は「願わくば花の下に春死なんその如月の望月の頃」と詠み、実際にその通りに死んだ。奇跡だ。私は、間違っても西行のようには散れないだろう。タイムボカン的な爆死が似合う。爆発をして、ドクロマークが出る。それでおしまい。それくらいの終え方が自分に似合っている。

 

note.mu

 

悲しみに寄り添うことをやめた。私は、もう、誰の悲しみにも寄り添わない。誤解されると困るけれど、悲しみに寄り添うというやり方を否定したいわけではない。悲しみが悲しみを中和することもあるだろうし、心理カウンセラーは立派な職業だと思う。しかし、私は、悲しい話を聴き続けていると体が冷える。こちらまで飲み込まれる。私は悲しみに寄り添うことをやめた。人間、誰だって心の奥底に悲しみはあると思う。抱きしめてほしかったとか、親に愛されたかったとか、友達がほしかったとか。が、私はこれらの悲しみやさみしさをガン無視する。こういうことは「さみしさ業界の人々」や「悲しみ業界の人々」におまかせをする。私は、悲しみよりももっと奥にある本音に寄り添いたい。抱きしめてほしかったとか、親に愛されたかったとか、友達がほしかったとか、そういうことのもっと先にある本音。それは『生きていたい』だと思う。どれだけ死にたいと連呼するような人だって、本当は『生きていたい』のではないだろうか。違うかもしれない。しかし、私はそこに賭けたいと思う。生きていたいと思う部分、この部分にこそ寄り添いたいと思う。

 

https://www.instagram.com/p/Bp8GlCUHOja/

Do your best, untill you die.

 

生きることを諦めない。

ハワイで強盗にあって拳銃をつきつけられた直後、私は「まだ結論は出さない」と思った。強盗に遭った出来事(そもそもでハワイに足を運んだこと)を、良い出来事にするのか、悪い出来事にするのか、決めるのは自分だ。しかし、結論を急がない。強盗に遭ったことが自分にとってどういう意味を持つのか、腰を据えて考えたいと思った。その数時間後、私は「被害者にはならねえ」と思った。加害者と被害者がいるとしたら、私は、加害者でいたい。そういうことを考えたとき、ああ、俺も強盗側の人間なんだなと思った。強盗が、たまたま強盗にあっただけの話だ。そう思ったら、不思議と、拳銃をつきつけた強盗に対して親近感に似た感覚を抱いた。

 

ジョン万次郎にまつわる書籍を読んでいる。難破の果てにホノルルまで流されたジョン万次郎は「神にいかなる運命を与えられようと、人は最善をつくさねばならない。そうすればあとに続く者の励みになる」という詩に感銘を受ける。結果、彼はアメリカで様々な技術や学問を吸収し、日本に持ち帰った。彼の生き様を見ていると思う。人間が生きる上で、良い道とか、正しい道なんてものはないのだ。あるものは、自分が選んだ道を、良い道にしていこうとする人間の意思、正しい道にしていこうとする人間の意思だけだ。ジョン万次郎にはそれがあった。だから、私は、彼の生き様に感動をする。彼の生き様に励ましをもらう。同時に、自分の生き方が問われているように思った。お前は、今、お前が選んだ道を「良い道にする意思はあるか」「正しい道にする意志はあるか」と、問われているように思った。

 

昔は言葉にできなかったことが、何年も経って、ようやく言葉になることがある。おれはずっと悲しかったんだなとか、さみしかったんだなとか、友達がほしかっただけなんだなとか。でも、そのもっと奥、そういうことのもっと奥の奥の奥には『生きていたい』と願う部分が、常に、常に、常に、蠢いていた。私のハートを何よりも強く震わせるものは、その部分、その『生きていたい』と願う部分に向かって言葉をくれた。それは『生きててもいいよ』という言葉だった。その言葉は、どうしようもなく優しくて、どうしようもなくあたたかかった。私は、もう、嘘でも構わないと思った。冷たい現実より、あたたかい嘘を生きたいと思った。私は、生きててもいいよという嘘に騙されて、これまでを生きることができた。そして、これからも自分を騙し続けたいと思う。どれだけ現実が「お前には無理だ」と崖から自分を突き落としても、何度も、何度も、そういう言葉に拾い上げられてきたように。自分は、自分の中にある「生きていたい」に寄り添って生きたいと思う。

 

 

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すごいいい帽子買った!#fjallraven

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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