いばや通信

ibaya≪いばや≫共同代表・坂爪圭吾のブログです。わっしょい└( ^o^ )┐

好きなひとに嫌われても、自分を選ぶ覚悟。

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北欧スウェーデン発『Acne Studious』 のジーンズを中古屋さんで発掘し、定価の80%オフで購買した。履き心地があまりにも最高で、生きているだけで嬉しい。なんだって良いもの【自分のこころがトキメクもの】を身につけた方が幸福度は高いのだな、と実感をする。引き続き、隙間時間を見つけては身の回りの断捨離を続けている。ダサいと感じるものは勇気を出して捨てる。多分、掃除は人生哲学にも通底している(ような気がする)。中途半端なひとと一緒にいると、端的に『覇気が下がる』。同じように、中途半端や物質や習慣や人間関係にまみれた生活を続けていると、波動的なサムシングが下降をしまくって死臭にも似た腐敗臭が漂う。梅雨の時期は湿度が高い。魂までカビ臭くなったら『おしまい』だと思う。

 

 

カビルンルン的にはルンルンな日々なのだろうけど、わたしは湿気が苦手だ。『ジメッ!』としているひとを見ると『カラッ!』とさせたくなる。最近のTPD48【鉄砲玉48】の動きを見ていても、なんだかパッとしない印象【ある種のマンネリズム】を覚えてつまらねーなと感じていた。ら、チームゼロの嘉向徹さんと保科亮太さんが勝手に解散総選挙を勝手にはじめてくださり、空間に緊張感が走った。自分たちがはじめた活動に、誰よりも先に自分たちが飽きる。飽きることは大切だ。飽きることで変化は生まれる、多分、悪玉は必要なのだなと思う。わたしには気を遣い過ぎて自滅する傾向があるため、今後は『TPD48に積極的に嫌われていくAKD48【悪玉48】』を秘密裏で結束していく必要があるのだなと感じた。

 

【音声配信】TPD48勝手に解散総選挙 - TwitCasting

 

潜在能力は『遊び』の中で引き出される。

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昨日、熱海の自宅でわたり食堂【0円食堂】を開催した。昨日は国際色が強く、ブラジルから一時帰国中のY様ファミリーや、ポッドキャスト収録のために気持ち100カ国を巡った高知県在住のM様や、最近まで東南アジアに気持ち20年暮らしていた女性S様などが来てくれた。M様には、数年前にタイのチェンマイトークイベントを主催していただいたことがある。『ごちゃまぜの家をチェンマイにどうですか?都心部から少し離れたら一軒家も一万円以下でありますよ』的な話をされた日には、ああ、必ずしも日本にこだわる必要はなにもなかったのだなあと感じた。M様とは、その後もマレーシアなどの東南アジア各地で何度も再会をしてはいたものの、祖国日本で会うのははじめてのことだった。

 

昨日のわたり食堂の中で印象的だったことはふたつ。ひとつは、ブラジルから一時帰国中のY様の息子と娘さまの日本語の上達具合。お子様達は基本的に現地でポルトガル語を話す日々を過ごしているために、日本語はどうしたって片言程度になる。が、昨日、小さなこどもが他にも何人か遊びに来てくれたために、みんなで遊びながら彼らは半端ない勢いで日本語を獲得していった。これにはビビった。最初は発音もままならなかった日本語を、帰る頃には現地人さながらペラッペラッに話していた。それを見て、お母様も『信じられない!どれだけ教えても全然だったのに!』という驚愕の表情を浮かべている。潜在能力は、多分、遊びの中で最大限に引き出されるものなのだろう。教えるとかでもない、育てるでもない、こどもたちは遊びながら『勝手に(しかも最速で)学んでいく』ものだと痛感した。これはこどもに限らない、おとなも同じことだと思う。こどもの仕事が遊ぶことならば、おとなの仕事は『もっと遊ぶ』ことである(のだと思った)。

 

もうひとつは『勇気に大小はない』ということ。昨日、海外組の話を聞きながら「わたしは、いままで、このような初めましての方々が集まる場所に自分ひとりだけで来たことがなくて、だから今日は自分的にはものすごい勇気を出してこの場所に来たのですが、みなさまの話を聞きながら自分はちっぽけだなあと感じました」的なことを柔和な笑顔で話す女性がいた。その話を聞きながら、否、あなた様がこの瞬間に絞り出した勇気は他の誰にもひけを取らないものすごい尊くて素晴らしい輝きに満ち溢れたものだとわたしは感じた。多分、勇気に大小はない。何かを変えるために振り絞る勇気、その勇気は、振り絞るものだけではなくそれに触れるものの瞳をキラッ!とさせる力がある(のだと思った)。

 

【過去記事】「わがままの純度」を磨け。 - いばや通信

 

行動の伴わない覚悟は戯言である。

TPD48の今後について考える。これは「我が子のひきこもり対策」にも通じると思うのだけれど、閉塞的な人間関係【親子関係?】を突破する最高のソリューションは「(愛をもって)追い出す」ことだと思う。いま、鉄砲玉のメンバーは四名いる。取り急ぎ、本日から男子諸君には連泊禁止令を出したい【ごちゃまぜの家以外にも宿泊できる場所をガシガシ獲得して欲しい】と思う。同時に、ごちゃまぜの家で眠ることができるのは(鉄砲玉のメンバーは)最大2名までとする。今週は、このやり方で進めて見たいと思う(来月以降、どのようになるのかは白紙です)。あと、これは余談になるのですが「菊名の家に足りていないものはありますか?」と頻繁に問われるので、思いつく限り下記にまとめます【お気にかけてくださる方々、ほんとうにありがとうございます!!】。

 

・大きい洗濯機【小さい洗濯機はあるのだけど小さい!】


・大きい冷蔵庫【小さい冷蔵庫はあるのだけど小さい!】


・バスタオル【現状、一枚を四人で(!)共有しているみたいです!】


・台所のガスコンロ【一応あることはあるのですが、片側が爆発して機能不全に陥りました!都市ガスです!】


・敷き布団&掛け布団カバー【現状、裸(?)に近い状態で使っています!不潔!】


・トイレットペーパー【いくらあっても足りません!鉄砲玉のメンバーはもっとケチケチ使うこと!(お客様のみなさまは思う存分ご利用ください!)】


・珈琲豆【単純に、坂爪圭吾とえりか姫がよろこびます!】

 

※ ※※ 随時更新予定! ※※※

 

「自分で買えよ!」的なツッコミの声が聞こえてきますが、居住環境を整えるには随分とお金がかかるものですね!これではお金がいくらあっても足りないことに気がついたので、もしも奇跡的に「それ余ってるからあげるよー!」的な方がいらっしゃいましたら、非常にお手間ではありますが坂爪圭吾までご連絡いただけましたら猛烈に幸いです。場合によっては、鉄砲玉の誰かをあなた様のもとに派遣します(指名も可能!)。郵送でお送りいただいた方々には、荷物を受け取らせていただいた鉄砲玉のメンバーが精一杯の御礼状を書かせていただきます。鉄砲玉とペンフレンド(古ッ!)になりたい方からの救援物資(?)及び救援措置(?)もお待ちしております!!

 

【イベント情報】【2th「Yabaival days!!」/TPD48】

 

わたり文庫『思うとおりに歩めばいいのよ』

今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、ターシャ・テューダー著作『思うとおりに歩めばいいのよ』です。こちらの本は、ごちゃまぜの家をはじめるにあたり「家の庭がこんな感じになるといいですね!」というお言葉と共に、植物を愛する可憐な女性Y様から譲り受けた極上の一冊です。いまちょっと手元に本がないのでアレですが、これはもう(言葉も写真も)最高の宝物でございます。わたり文庫用に新しく買い足した(一冊は菊名に常備しておきます!)ので、ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、フィレンツェにわたりました ※※※

 

私が心掛けてきたことは、騒音、ごたごた、攻撃的で付き合いにくい人を避けること。自分の経済力に見合った生活をすること。できるだけ自給自足すること。

 

わたしは、ひとりの時間が好きです。自分勝手だと思われてもいいの。子供が家を出て行き、二度と一緒に住みたがらないと言って淋しがっているお母さん達。ちょっと周りを見回してごらんなさい。やろうと思えばできる楽しいことが、たくさんありますよ。人生、長くはないんですもの。うかうかしていると、何もできないうちに終わってしまうわ。

 

生きていれば、落ち込むこともあります。状況を好転できると思ったら、ぜひ努力すべきです。でも、変えられないなら、それを受け入れて歩み続けるしかありません。何があっても「生きていることを楽しもう」という気持ちを忘れないで。

 

みんなが本当に欲しいのは、物ではなくて心の充足です。幸福になりたいというのは、心が充たされたいということでしょう。ちょっと周りを見回してごらんなさい。やろうと思えばできる楽しいことが、たくさんありますよ。

 

今が、人生でいちばんいい時だと思います。若い頃は、やりたくないこともやらなければならなかったし、疲れることも、やってもやっても終わらないことも多かったわ。家計のやりくり、税金の支払い、仕事の締め切り、契約の更新といったことのうえに、途中からは、四人の子どもをひとりで育てるという仕事が加わりました。それらのことが、全部なくなり、今は子どもや孫にしてやりたいことをし、好きなように絵を描き、大好きな庭仕事をし、動物との生活を楽しめるのですもの。

 

朝日の輝きが、風にゆれる枝が、心を満たしてくれる。その喜びを忘れずに生きていきなさい。

 

私は、社会通念より自分の価値観に従って生きるほうを選びました。だから、おもしろくて充実した人生を歩んできたのだと思います。

 

自分のまわりを美しい考えで満たし、親しい人々に愛と優しさのこもった行動をとることをおすすめします。

 

家事をしている時、あるいは納屋で仕事をしている時、これまでの過ちや失敗を思い出す時があります。そんな時は、考えるのを急いでやめて、スイレンの花を思い浮かべるの。スイレンはいつも、沈んだ気持ちを明るくしてくれます。思い浮かべるのは、ガチョウのひなでもいいんだけど。 ー ターシャ・テューダー『思うとおりに歩めばいいのよ』【メディアファクトリー

 

好きなひとに嫌われても、自分を選ぶ覚悟。

セックスレスからセックス過多(!)へと華麗なるシフトを果たしたいばやな友達・まゆちゃぱうぉにかさんが、自身のブログ記事で『例え好きな人に嫌われたとしても、自分を選ぶ覚悟』という最高過ぎる言葉を残していた。気を遣い過ぎて自滅をしがちな小生に染みる言葉の数々、彼女の存在には毎度助けられている。とりわけ、彼女のアイパッドに残されていた『一日も無駄にしたくない』というメモ書きには、心臓を射抜かれる思いがした。好きなひとに嫌われてしまうことは悲しいことだ。ひとりきりになることは、もしかしたらとてもこわいことなのかもしれない。でも、それでもなお、ひとりでも生きるのだと腹を括ったものにだけ、宿る光もあるのだと思う。

 

一日も無駄にしたくない


本音で生きない日なんて、もう1日もいらない


我慢する日はもう1日もいらない


スネてる時間はない!!


やりたいことはやりたい


いま、この瞬間に、言いたい言葉は全部言いたい

 

セックスレスの唯一最大の解決法はセックスすること - CHAPAWONICA BLOG ~らぶ&ぱぽぷ~

 

世界を変えるのではなく、世界を増やす。こうでなければいけないと思っていたことの大半は、ただ、自分の勝手な思い込みによるものになるのだろう。勝手な思い込みで不自由になることができるのならば、同じように、勝手な思い込みで自由になることも簡単だ。どのような世界を生きるのか、多分、私達はいくらでも好きな道を選ぶことができる。不幸なままでいたければ不幸なままでいればいいし、幸福でありたければ幸福であり続ける【幸福を日常にする】ことをこの瞬間から決めてしまえばいいだけの話だ。湿気を嫌うわたしは、カラッとした人生を望む。こうでなければいけないという生き方よりも、こういうものがあってもいいじゃないかという『正解を増やす』 生き方をしていきたいと思っている。

 

 

 

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人生は続く。

 

413-0002
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坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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「わがままの純度」を磨け。

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今年も納豆にはちみつの季節がやって来ました。わたしの趣味は「珈琲を野外で淹れること。余裕があるときはホットサンドも作ること」 でございまして、適当な食材を買い込んではなんでもかんでも有機のパンに挟みたがる癖があります。現時点では『納豆+クリームチーズ+はちみつ』のコンボが不動の第1位になっているのですが、あり得ないこの美味さを周囲に熱弁をしても「そんなもん美味い訳がないだろう!」的な表情をされてしまうので、ああ、これだから何事も自分で試すということを経由しないで物事を決めつけてしまう人間は嫌いなんだよと悪態をついております(言うほどついていません)。先日、半ば強制的にあるひとに食わせたところ「う、う、まい!!」というリアクションを獲得することに成功をいたしましたので、明日のわたり食堂で提供をさせていただくメニューに加えたいと思いました。

 

 

ごちゃまぜの家をはじめてから勉強になることが多過ぎる。わたしは新潟市内にある海沿いの田舎で育ったために、両親の教育方針も限りなくゆるく、比較的好き勝手に自由にのびのびと育てられた。いま、横浜【菊名】でごちゃまぜの家をはじめたばかりなのだけれど、この場所は土地柄的にも「お厳しい方々」が密集している空気感が漂っていて、わたしのようなヒエラルキーの底辺がその辺をふらふらしていると「民度が下がるのでやめてください」と言われている気持ちになる。近隣の方々に挨拶をしても返事はない(怪訝な表情をされてしまう)。わたしの見てくれに問題があるのかもしれない(多分、問題があるのだと思う)。このままだと「ああ、挨拶をするだけ無駄なんだな」という悲しい結論をくだしてしまいかねないために、よし、これは俺と横浜のキャッチボール【コミュニケーションの勝負】なんだなと思うことで気持ちを持ち直している。

 

【イベント詳細】帰ってきた!わたり食堂【0円食堂】

 

「我を通す」センス。

日本では「我を通す」ことはダメだと思われることが多い。そのため、多かれ少なかれ誰もが何かしらの我慢をしながら生きている。しかし、わたしは「我慢と憎しみは比例する」という意見の持ち主であり、我慢をするほど精神的なストレスは蓄積をされてそのひとを精神的・肉体的に蝕む。我慢をしているひとほど肌は乾き、自由に生きているひとを憎むようになり、自分が自由になることよりも「他人の自由を奪うこと」に意識が向かう。そして、最終的には「自分を自由にさせてくれなかった家族や社会や時代」に責任を置き、最後の瞬間まで自分を許す【愛する】ことができないままで冥土に向かう。こんな書き方は極論かもしれないけれど、わたしは「誰もが自己中心的であることに勤めれば、意外と、世界は勝手に調和を保つようにできているのではないだろうか」と思う。少なくとも、誰もが我慢をすることで保たれる調和があるならば、自分は「そんな調和なんていらない」と思うタイプの人間だ。

 

こどものおもちゃを取り上げる。

先日、ごちゃまぜの家に小さなこどもが遊びに来た。その子がおもちゃのピアノで爆音の音楽を流すので、わたしはおもちゃをとりあげて「はい、おしまい」とだけ伝えた。昔の自分だったら、とてもじゃないけれどこんなことはできなかった。自分が不快だ(わたしは根本的に騒音が苦手だ)と思うことでも「でもこの場所は『みんなの家』でもあるのだから、こどもも楽しそうだし自分が我慢をすれば済む話だよな」なんて思ってしまうタイプの人間だった。が、これからは違う。わたしはごちゃまぜの家の発起人ではあるけれど、ごちゃまぜの家の利用者の方々の奴隷でもなければ執事でもない。この家は「誰でも自由に使える」ということになっているけれど、この『誰でも』という言葉の中には(当たり前のことだけれど)わたし自身【坂爪圭吾】も含まれている。お前が自由であるように、俺も自由であることを忘れるなよと言わんばかりにこどものおもちゃを取り上げたものの、その後、こどもとは(電子的なノイズを間に介在させることなく自然な流れで)仲良くなることができたので結果オーライである。

 

気を遣い過ぎると自滅する。

最近の反省は「気を遣い過ぎると自滅する」という一言に尽きる。言いたいことは言う。その時はこころを込めて言う。それだけで人生の大半は清々しく生きることができる。何かしらに停滞感を覚えている時は、大概、自分が言いたいことを言えていないことが多い。先日、4歳と2歳の男の子を子育て中のお母さんが遊びにきた。とても優しいお母さんで「優しいけど、優し過ぎる。これじゃいつかお母さんが破綻する」などと勝手に思った。ので、お母さんに「頑張り過ぎると自滅をするというのが最近のぼくの自論です」的なことを伝えた。すると、お母さんは「ありがとうございます。でも、みんな(他のお母さん)もきっとちゃんとやっていると思うので」的な返答をした。その言葉を聞きながら、ああ、これはつらくなるパターンのやつなんじゃないのかなと思った。

 

うまく説明できるかわからないけれど、わたしは二つのことを思った。ひとつは「みんなって誰だよ!」ということ。わたしは、根本的に『みんな』という言葉を信用していない。みんながそう言っているとか、みんなにとっての幸せになるとか、みんなそうしているとか、得体の知れない『普通【不特定多数】』と呼ばれる概念に囚われて、結果ものすごい不自由になっている(そしてそれを仕方のないことだと受け入れてしまっている)ひとは半端なく多い(気がする)。みんなとかどうでもいいから、まず、自分自身はどう思うのかということの方が五億倍くらい重要なのではないだろうか。わたしは、あらゆるものは食べ物の好き嫌いと同じだと思っている。わたしは『納豆+はちみつ』が好きだ。だから納豆にはちみつをかける。たとえ、あらゆるひとが『納豆+はちみつ』はあり得ないとわたしを糾弾する日が来ても、わたしは納豆にはちみつをかけ続けるだろう。それを「みんなはこうだから」という謎の指標で殺してしまったら、頭がおかしくならない方がおかしいと思う(というのはちょっと言い過ぎかもしれない。ただ、自分の『好きがわからなくなる』ことは目に見えている)。

 

そしてもうひとつは「罪悪感を植え付けるな」ということ。ほかのお母さんもできているのだから、自分もできて当然だと思うことは違う。そもそも「他のお母さんもできている風に見えるだけで、意外と全然できていない」ことの方が現実的だと思うし、それでいいのだと思う。他のお母さんもちゃんとやっているのだから自分も頑張ろう!なんて思い過ぎると、多分、ものすごい疲れる。それができていない自分を責めることになり、結果的に『罪悪感が増幅される』ことになる。人間を動かすものは『罪悪感を植え付けること』か『希望を共有すること』か、多分、そのどちらかになる。北風と太陽の童話で言うところの、強制的にやらせる方向に仕向けることが北風WAYなら、そのひとが進んでそうしたくなるように仕向けることが太陽WAYになる(のだと思う)。自分が自分の北風になってはいけない。北風よりも太陽になろう。人生は楽しむためにある。深刻になってもロクなことはない。人生の醍醐味は、いかに完璧な人間になるのかではなく『いかに(不完全なままだとしても)自分を楽しませ続けることができるか』の勝負なのだとわたしは思っている。

 

【過去記事】殺伐とした世の中が、少しでもほぐれたらいい。 - いばや通信

 

わたり文庫『違う自分になれ!』

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今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、岩本能史著作『違う自分になれ! ウルトラマラソンの方程式』です。現在、わたしが暮らしている熱海の家は修験道でもお馴染みの伊豆山神社までの道中にあり、数年前まで山伏的なサムシングがこの辺りを往来していた。わたしは修験道という言葉が好きで、家の裏にある物置を改造して『修験堂』という風雪庵を現在絶賛建築中になるのですが、自分を追い込むことは時に最高のよろこびに変わる。女性のことはあまりよくわからないけれど、男性的には「人生に一度は死ぬほど苦しい思いをしてみる」ことは、今後の人生を生きるにあたって「あの頃に比べればマシだ」と思える強さになる。こちらの本は、人間【一匹の動物】の可能性を半端ない形で示してくれる最高にご機嫌な一冊になります。読んでいるだけで、何かこう、伊豆山神社修験道を駆け出したくなる【原始的な何かが疼く】。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、栃木県にわたりました ※※※

 

人はなぜ苦しい思いまでして走るのでしょう。健康、ダイエット、爽快感のため、限界への挑戦……。人それぞれ理由があると思いますが、僕は変身欲だと思っています。今の自分ではないもっと違う自分に変わりたいという欲求は、生きている限り誰にでもあると思うのです。走れば体も変わり、気持ちも変わる、思考も変わる。自分の潜在能力が顕在化する喜び。まさか自分がフルマラソンを完走できるなんて。マラソン経験のある人は、初めて完走したときの震えるような感動をいつまでも鮮明に覚えているものです。

 

過酷なウルトラマラソンのひとつ、アメリカ・デスバレーの「バッドウォーター・ウルトラマラソン」に参戦したときのこと、一緒に行った仲間たちと、あとあとまで話題にのぼるエピソードがありました。

 

前日の選手受付エリアでのことです。どう見てもその場に似つかわしくない太りぎみの中年の女性がいました。選手をサポートするクルーにしても、摂氏56.7度という世界最高気温を記録したこの地で、とうてい30分も耐えられないのではないかと心配してしまうような婦人です。

 

僕は「暑いね!」と声をかけました。

 

彼女は「Piece of cake!(楽勝よ!)」と笑い飛ばしました。

 

ところが、彼女はクルーどころか、このレースの参加者だったのでした。それを知ったのは、レースの制限時間である48時間の直前にゴールをした姿を、仲間たちと目撃したときのことでした。みな一様に感動を抑えられませんでした。

 

217キロを走りきるということは、資質や練習量、戦術だけではないのだということを証明してくれたように思ったからです。彼女は、誰とも闘っていない、自分のことをよく知っている、あきらめない。しなやかな覚悟があった。

 

僕らがウルトラマラソンに、何度でも挑みたくなる理由を教えてくれたように感じました。

 

日々、自分にいい聞かせていたこと。バッドウォーターの相手は地球だ。熾烈な自然環境だ。大自然にまともに向かい合って勝てるわけがない。だから大切なのは自然環境と融合すること。何とも闘わないこと。 ー 岩本能史『違う自分になれ!』【講談社

 

人生とは「ボーナスタイム」である。

ターシャ・テューダーの本を読みながら、ああ、自分が女に生まれて来たらきっとこんな生き方をしたいと思っただろうななんて思う。彼女の瞳は美しく、彼女の自宅も服装も仕草も言葉も何もかもが潤っている。わたしの今回の人生は男としてのものであり、せっかく男に生まれて来たのであれば(女に生まれなかったことを嘆くことはナンセンスだと思うから)男であることを生かしたいと思う。これまで、そんな気持ちで「いばや(『やばい』を逆から読んだだけ)」だの「家のない生活」だの「ごちゃまぜの家」だの「野点カンタービレ」だの「モバイル小学校(通称『モバ小』。これについては今回まったく書けなかったけれど、いま、移動式の小学校【サーカスみたいな教育施設】の準備をはじめている)」だの、身体を張る系の実験を重ねているのだと思う。


 

このタイミングで「モバ小」を軽く説明すると、これからの時代は「固定は古い!これからは流動的で多面的な時代になる!」という鼻息荒めな感じで、少し先の未来を想像した結果ひらめいたものになります。 いまこの瞬間も、ポリアモリーだの多夫多妻制だの、シェア別荘だのクラインガルテン【シェア畑】だの、既存の枠がゆるやかに溶け出している感覚は結構ある。ごちゃまぜの家のテーマは『家族』なら、モバ小のテーマはなにになるのだろうか。『教育』なのだろうか『移動』なのだろうか、多分、生活全般に関わるものなのだと思う。これまでは「ひとつの場所にひとつのもの【家や学校や仕事】を構える」ことがよしとされてきたけれど、これからは「ひとつの場所に縛られるということは、不自由であることの何よりの証明」になるのかもしれない。身軽であること、いつでも移動をできる態勢を整えておくこと、どこにいても生きていることを楽しめるボディ&ソウルを自身の内部に培っておくことは、意外と効果的なのではないだろうか(と思う)。

 

 

現在のわたしは32歳。これまでの人生で「充分生きてきたな」感は結構あるのだけれど、それなのに「まだ生きてていいのですか!うれしい!」と思うことは頻繁にある。32歳と言えば立派な老害。残りの人生は余生【ボーナスタイム!どどーん!】である。若いひとたちの邪魔にならないように、自分は自分が思う「真面目な遊び」を、一緒に楽しめるひとたちとガシガシ愚直に試して生きたいと思う。なにをしてもいいし、なにもしなくてもいい。何処に行ってもいいし、何処にも行かなくてもいい。この世の中に「こうでなければいけない」なんてことは、多分、なにひとつもないのだと思う。自分を縛り上げていたものは「自分の思考」そのものでしかなく、自由になることはほんとうはとても簡単。いまこの瞬間から「自分は自由なんだ」と思うこと、たったそれだけのことで、ひとは簡単に自由になるのだと思う。

 

 

https://www.instagram.com/p/BVgmu9AD9Zg/

軽い気持ちで遠くに行こう。。。

 

人生は続く。

 

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殺伐とした世の中が、少しでもほぐれたらいい。

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車にテント道具を積んで、人口密度の少ない場所に足を運ぶ。高級ホテルや洒落乙なカフェで高い金を払うサードウェーブ的な珈琲も美味いとは思うが、自分の場合、海岸や山頂などの「大自然ど真ん中」で淹れた珈琲の味はやっぱり格別だなと思う。朝日と共に目が覚める、目覚し時計を使わない生活に突入をしたのは、およそ2年間に渡る「家のない生活」に依るところが大きい。いまでは熱海と菊名に家がある(家のない生活は終止符を打たれた)けれど、稀に、家のない生活をしていた時の方が「世界を広く感じていた」ように思うことがある。今日は何処へ行こうか、今日は何処で眠ろうかなどと考えながら、気の向いた方向に移動をする。過酷で厳しい部分ももちろんあったが、自分は何処にでも行くことができる(自分のいる場所が、どこであれ「自分の家になる」)ということの『身軽さ』と『生きていることの手応え』が、たまらなく嬉しかったのだと思う。

 


家のない生活を終え、熱海と菊名に家を構えた。自分ひとりだけのために使うのは何かが違うと思い、ごちゃまぜの家というコンセプトで菊名を拠点に活動をはじめた。この前の日曜日、近隣住民の方々に向けた説明会(?)の場を設けた。みなさまからは「得体の知れないひとが住み着いたらどうするのか」とか「閑静な住宅街だから騒音を出されては困る」という声をいただき、基本的には『近隣の方々のご迷惑にならないように徹底的に配慮を重ね、不特定多数の出入りは最低限度に抑え、静かに、ゆとりのある生活をする』ということで合意(?)を得た。TPD48の活動も今月末まで延期をされ、新メンバー「ひとみ【MADE IN NAGOYA】」が新しい風が吹かせている。ごちゃまぜの家の2階部分と離れの部分は賃貸物件として貸し出されることになり、後日、不動産の方が詳細をまとめてくれることになっている(居住希望者の方はお気軽にご連絡ください)。

 

【イベント詳細】【2th「Yabaival days!!」/TPD48】

 

人間に対する信頼を取り戻す。

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ごちゃまぜの家の準備をしながら、なぜ、自分はこのような活動(?)をやりたいと思ったのかを考える。家のない生活を通じて、多分、わたしは『様々な方々に育てられる』という体験をさせていただいたのだと思う。当時、家も金も仕事も何もなかったわたしに救いの手を差し伸べてくださる方々は、驚く程に大量にいた。我が家に泊まりに来たらいいだとか、ごはんならいつでもご馳走をするよとか、様々な方々が様々な形で『優しさ』を示してくれた。わたしは、これほどまでにひとは優しいものなのかということを実感し、感動し、当たり前のことなのかもしれないけれど「ひとは優しい」ということが日に日に細胞に刻まれていった。人間に対する不信感は徐々に消え去り、ひとは優しいものなのだということ、本音で話せば「本当は誰もが助け合って生きていたいと思っているのだ」ということを思うようになった。

 

家のない生活を通じて、わたしは「自分は生きているのではなく『生かされている』のだ」ということを強く感じるようになる。この思いには、何かあるとすぐに傲慢になりがち(自分は自分の力で生きているのだと思い込みがち)な自身の醜い自惚れを、そっちじゃないぞと『中心』に引き戻してくれる力がある。冷静に考えて見ると、家のない生活をはじめる前【生まれた瞬間】から「自分は生かされていた」ことに変わりはないことはわかる。ブログを書けているのは言語やiPhoneやWEBを開発してくれたひとがいるからであり、電気やガスや水道などのあらゆる公共設備を発明してくれた先人がいるおかげで、私たちはその恩恵を授かりながら「いまを生きる」ことができている。ただ、日常的な恩恵を受け続けていると「恩恵が恩恵であるということを忘れてしまう」のが人間だ(と思う)。一度、何もかもを失ってみたことではじめて、すべては恩恵に包まれていたのだということを(結果的に)細胞に刻むことができた。

 

人間に対する信頼を取り戻す。大袈裟な言葉になるけれど、今回のテーマはこれに尽きるのだと思う。多分、現在の日本の空気感は「人間に対する不信感」で醸成されている。他人とは「【味方ではなく】敵」であり、ともすると自分に危害を加えかねない(だからこそ監視をする必要がある)ある種の脅威であるという認識は強い。だからこそ、自分の身は自分の力で守らなければいけないということになり、学歴や資格や社会的な肩書きを目指してみたり、家や車などの物資を共有するのではなく独占をしたり、カネを溜め込んでみたりするのだけれど、それで幸せになれたかという謎だ。溜め込むという行為には「いつか失うかもしれない」という恐怖【欠乏感】が付きまとい、それがうまくいっている間は何も問題ないけれど、何かしらの事情でそれを失うことになった時、同時に精神的な支えまで失ってしまう。ひととの繋がり【共有財産】があれば「自分がこれを失ってもあのひとが持っているから大丈夫(あのひとが困っている時は自分が助ける側にまわる)」という相互補完が成り立つが、分断、分断、分断の【自己責任化】が進み過ぎると、ひとりですべてを背負いこむことになり「何かしらの事情で継続が困難になった」瞬間に、そのひとは即座に困窮に陥る。そして、困窮に陥った時にはじめて「誰かに助けを求める力を養う機会が、これまでにまるで足りていなかった」ことを知る。

 

【過去記事】絶滅危惧種で行こう! - いばや通信

 

共有財産を増やす。

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占いなどのカウンセリングを受けるのは「調子が悪い(何かしらの問題を抱えている)時ではなく、調子が良い時にこそ受けるのが良い」と聞いたことがある。自分が窮地に陥ってから外部に救いを求めるのではなく、特に問題を抱えていない時から、相互に関わりを築き合う(日常的に本音を話せる関係性を築く)こと、最悪の事態を意識的に想定すること、自身を冷静に客観的に眺める習慣をつけること、など、そういったことが大切になるのだと思う。大袈裟な言葉になるけれど、家のない生活はわたしに「生きる力」を授けてくれた(ように思う)。最悪の場合は家も金も仕事もなくてもどうにかなる、ひととの繋がりがあれば人間は死なない、テントを張れば世界中の大地が自分の家になる、そんな『遊牧民的な生き方』もあれば『托鉢僧のような生き方』もあるのだということを教えてくれた。

 

わたしは「共有財産」を増やしたいのだと思う。端的に、誰でも自由に使える家が世界中に増えたら、家や金や仕事がないことで困る(最悪の場合は精神的に追い詰められて自殺をする)ひとは減ると思う。最悪の場合はここに行けばどうにかなるという場所があれば、いまよりも少しだけ大胆に生きることができる。家も車も必要な家財道具なども「全体で共有されている」ものが一定数あれば、ひとりあたりの負担額は減る。固定費が下がると「生きるハードル」も下がる。ものを媒介としたコミュニケーションも発生をして、結果的にひととの繋がりも生まれやすくなる(その分、人間関係におけるストレスも増えるのかもしれないがこれは一長一短である)。絵空事にも程があると笑われるかもしれないが、多分、人間を幸せにするものはモノでもカネでも社会的な名誉などでもなく「ひととひととのコミュニケーション」だとわたしは思う。自己責任の分断化が進み過ぎると、コミュニケーションの機会が絶たれる。コミュニケーションの機会が絶たれると、これだけ多くの人々が同じ世界に暮らしていながらも「誰もが孤独を抱えている」というあまりよくない現象が起きる。

 

もちろん、菊名の家でこれらすべてを補うことができるとは思わない。近隣の方々との兼ね合いもあるし、最初は「目指すところの20%程度でも達成できたら御の字だ」と思っている。その土地土地によって、できることもあれば(当たり前のことだけれど)できないこともある。だからこそ、わたしは「熱海や菊名以外にも、比較的自由に使える家が増えたらうれしい」と思う。菊名の家の清掃&準備は一旦落ち着き、明日からしばらく(しばらくというか死ぬまで)時間がある。もしも「ごちゃまぜの家に適当な家を知っている」という方がいたら、ご連絡をいただけたら幸いです。日本全国【世界各国】、都合がつく限りどこにでも足を運びたいと思っています(ごちゃまぜの家以外でも、比較的どのようなことでもやると思いますので何かしらご用件のある方はお気軽にご連絡ください)。

 

【過去記事】真の平和を望むなら、偽りの平和を終えることだ。 - いばや通信

 

わたり文庫『思いを伝えるということ』

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今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、大宮エリー著作『思いを伝えるということ』です。こちらの本は、先日、わたしが不在時に熱海の家を訪ねてくれた20代の女性R様が置いていってくれた珠玉の一冊になります。この前、熱海の家を掃除するために、久しぶりに熱海の家に戻りましたところ居間のテーブルの上にこの本が置かれていました。本の横にはR様からの置手紙があり、そこに書かれていた内容と、可愛らしいR様の丸い文字に激しく癒されました(手書きの文字はいいものですね!)。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※

 

圭吾さん

 

おじゃましております。そして、この度も、本当にありがとうございます!

 

ここ最近、予定をツメツメにして忙しく過ごしていたら、「忙」の文字通り心を亡くしてしまったようで、「嫌だな」と思ったことをなかったことにしてみたり無理矢理プラス思考にしていたら、金曜日のバイト中に突然の!「どーせ、私は嫌われてるし。」という思いに襲われ、やっと自分のSOSに気が付いた次第でございます・・・。本当に突然!何もないのに!(笑)

 

この「どーせ、嫌われる」は小1のとき位からずーっと私の中にあるもので、ここ1年位は大丈夫だったので忘れていましたが、久しぶりに出会ったので今回は「そんなことないよー。大丈夫だよー。」の為の熱海訪問でした。いろいろ考えていることはあるのですが、今回置き土産にしていく本が私の気持ちは変じゃない。と思わせてくれた一冊になりますので、お時間あれば読んでいただけると嬉しく思います。

 

メールでも手紙でも自分の文才のなさに悲しくなりますが(笑)とにかく、もう、坂爪さんに感謝∞です!絶対的信頼感です!好きです!幸あれ〜!!!【2017.6.17 21:41 ◯◯】

 

殺伐とした世の中が、少しでもほぐれたらいい。

何か新しいことをやろうとする時は、どうしたって誹謗や中傷がついてまわる。時には「死ね」とか「消えろ」とか、こんなことまで言われなきゃいけないんだねと愕然とする(!)こともあるけれど、まあ、この程度のことは仕方のないことなのだと思う。もののけ姫ではないけれど「憎しみに憎しみで対応をしてしまっては、世界に憎しみを増やすだけだ。憎しみを消し去ることができるもの、それは愛だ」ということになる。自分が信じるものがあるならば、まわりに何を言われても信じた道を貫くこと。正解か不正解かはわからない。それは歴史が決めることだ。言葉は生き様に宿らせよう。それを見たひとがどのようなことを思うのかは、自分のコントロールの範囲を超えている。自分にできることは「瞬間瞬間にこころを込めること」、ただ、それくらいのことなのだと思う。

 

 

人間に対する不信感を基盤にした世の中が、少しでも「人間に対する信頼感」を基盤にした世の中になればいいと思う。他人とは自分の敵であるという認識から、少しでも「他人は自分にとっての味方(になり得る存在である)」という世の中になればいいと思う。自分の力で生きることができて一人前【誰かに助けを求めることは半人前】という認識から、少しでも「困ったときはお互いに助け合える」世の中になればいいと思う。ひとに迷惑をかけてはいけないという認識から、少しでも「ひとに迷惑をかけてしまうかわりに、ひとの迷惑にも寛大になれる」世の中になればいいと思う。自分も我慢をしているのだからお前も我慢をしろと強制をされる世の中から、少しでも「誰もが好きなことをやりながら、それでも調和が保たれている」世の中になればいいと思う。殺伐としている世の中に、それでも捨てたものではないと思える一陣の風を、閉塞感や停滞感でがんじがらめになっているこの国の雰囲気が、少しでもほぐれたらいいと思う。

 

 

自分に何ができるのかはわからない。ごちゃまぜの家というひとつのアイデアも、ただの絵空事で終わり途中で頓挫をするのかもしれない。自分にできることは、ただ、自分が思うベストを尽くすということ。深刻になるのではなく「楽しむ」ことを忘れないこと。小沢健二の流動体についてという曲の歌詞にある通り、誓いは消えかけてはいないかと、深い愛を抱けているのかと、できる限りの自問を続けること。多分、それくらいなのだと思う。その先に何が待っているのかはわからない。ただ、何が待っているのかを見てみたい、感じてみたい、そこでは自分はどのような気持ちになるのかを知りたいとは思う。うまくいくかもわからない、ダメになるかもわからない、それでも「その先に見える景色を見てみたい」という思いがあるからこそ、多分、わたしは今日を生きていきたいと思えるのだろう。失敗することを恐れることよりも、批判をされることを恐れるよりも、失ってしまうことを恐れるよりも、恐れることによって「よろこびに触れる機会」を失ってしまうことを、何よりも恐れていたいのだと思う。

 

 

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人生は続く。

 

413-0002
静岡県熱海市伊豆山302
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
TEL 07055527106 LINE ibaya
MAIL keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

極限とも言える苦しみは、最高の喜びになる。

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島根県松江市から羽田空港を経由して菊名に戻る。その後、ごちゃまぜの家@菊名の家&庭&物置の掃除をしたり(終わりが見えない)東京に行ったり熱海に行ったりしながら時は流れた。菊名の家は大きくて古いために、修繕箇所や清掃箇所は無限にある。来週中には「誰でもおいでやす!」的な感じでみなさまに開放できたらいいとは思うものの、あきらかに人手が足りていない。家にいると掃除ばかりをしてしまうから、寝る暇がない。寝てもすぐに起きてしまう。多分、ある種の緊張状態に置かれているのだと思う(こんな時は愛する女性に抱きしめられたくなる)。この土日で「時間もあるから手伝うよ!」的な方がおりましたら、坂爪圭吾に直接ご連絡をしていただく(照)か、TPD48の誰かに連絡をしていただけると猛烈に助かります。

 

 

ブラジルから一時帰国される方から「日本に戻ったら熱海のわたり食堂【0円食堂】に子供を連れて行きたいと思っていたのですが、終わってしまったのですか!?」という連絡をいただいた。前回の開催をもって勝手に最終回にしてしまっていたのだけれど、これは復活させるタイミングが来たということで『わたり食堂リバイバル』を、6月25日(日)に開催いたします。菊名【横浜】の家は高級住宅街のど真ん中にあるから、諸々の作業などで疲れた後に熱海に戻ると半端なく癒される。多分、人間には「静かになれる場所」が必要なのだろう。熱海の家は海から登る朝日を眺めることができる(海と山と温泉がある)。それだけで、ああ、熱海に家があってほんとうによかったとこころの底から思うことができる(みなさまのお越しをお待ちしております!!)。

 

【イベント詳細】帰ってきた!わたり食堂【0円食堂】

 

笑顔と同じくらい、涙は素敵なものだ。

先日、広島県在住の女性Y様から「島根県松江市から出雲空港まで車を出すので送りますよー!」という連絡が届いた。わたしは、お言葉に甘えて「猛烈ありがとうございます!お願いいたします!」と返信をした。Y様とは松江城で合流をし、空港までの道のりおよそ40分間を車内で過ごす。Y様は、広島県内で電気もガスも水道もないサバイバルな生活を実践しているのだと言う。「旅人なども頻繁に足を運んでくれて、毎日はとても楽しいです!」と話すY様の言葉を聞きながら、わたしは、楽しそうだと話している割にはなんだかちょっと辛そうに見えるなと思った。Y様の話をしばらく話を聞き続けたあとに、わたしはいまだ!と思って「なんだかつらそうだなって思いました。つらそうと言うか、Y様は楽しく生きている風な仮面を被って話しているように感じました」と伝えた。

 

このことを伝えると、これまで明るい口調で話をしていたY様の口調は一変をして、実は最近は大変なことがあってちょうどさっきも小さな揉め事が起きてて苦しかったんですが、せっかく坂爪さんと話せるのだから楽しまなくちゃ!いい時間にしなくちゃ!って思って、それが裏目に出ちゃったのかもしれません的なことを話してくれた。わたしは、Y様のこの発言を聞いた瞬間に「やっと会話ができている!」という嬉しさを覚えた。わたしは、多分、いわゆる『裸の付き合い』が好きなのだと思う。何かで取繕われたそのひとではなく、何かで装飾をされたそのひとではなく、何もかもを取り去った後に残る「そのひと自身」と会話ができていると思える手応えの中に、わたしは『コミュニケーションをとることの嬉しさ』を覚えるタイプの人間なのだと思う。

 

自分の身の上を話しながら、Y様は少しだけ涙を流した。わたしは、その涙を見て「美しいな」と思った。笑顔と同じくらい、涙は素敵なものだとわたしは思う。涙は素敵なものなのに、泣いちゃいけないなどと思って無理をしてまでつくられた笑顔に触れると、見ているこちらまで辛くなってしまう。『笑顔は素晴らしいものだ』的な雰囲気が世の中にはあるけれど、無理をしてまで笑うという行為が、そのひと自身を酷く傷つけているように見受けられることは多い。笑う時は笑う。泣く時は泣く。これがまともな人間のまともな反応だと思うのだけれど、笑いたい時に苦しみ、泣きたい時に笑ってしまうと、大袈裟な言葉で言えば「頭がおかしくなってしまう」とわたしは思う。自分の気持ちは大切に扱った方がいい、誰かに合わせて自分を押し殺し続けていると、前回の記事にも書いたけれど「小さな自殺」を続けることになってしまう。

 

【過去記事】絶滅危惧種で行こう! - いばや通信

 

腹を割って生きれば、毎日はドラマになる。 

最近は「腹を割って生きれば、毎日はドラマになる」ということを思う。様々な方々と話す日々を通じて、わたしは「いったいどれだけのひとが、自分がほんとうに話したいと思うことを話せているのだろうか」などと疑問に思う。多分、多くの人々は自分の本音を押し殺しながら当たり障りのない会話を続けている(続けざるを得ない)状況にあるのだろう。だからこそ、自分の本音を話すことに不慣れになり、時には「本音を口にすることで謎の蓋がオープンになってしまい、原因不明の涙が流れ出してしまう」のだと思う。この前も、菊名の家にひとりの女性が遊びに来てくれた。女性は「これは家庭環境の影響が大きいとは思うのですが、わたしは自分が生きていることに価値があるとはどうしても思えなくて、何かをすることができてはじめて『そこにいてもいい』って思うことができるのです」と話しながら涙を流した。

 

わたしは、涙に触れた時に相反するふたつの気持ちを抱く。ひとつは「もっと泣け!【泣いて泣いて泣き尽くしてスッキリしちゃえ!】」というもので、もうひとつは「泣くな!バカ!【おまえはそんなもんじゃないだろう!的な意味で、これまでとこれからはまじで関係がないのだから、いつまでもそんなところに長居をしていないで『自分がなりたいと思うような』日々を生きろよ!】」的なものになる。何が言いたいのかと言うと「日常的に自分の本音を口にすることができていたのならば、多分、その涙は流されることはなかったのだろうな」ということです。自分の本音を口にするということを『非日常』的な行為にしてしまってはいけないのだと思う。そうでなければ、溜め込まれた感情が自分の中で腐敗臭のようなものを発してしまって、乱暴な言葉でまとめると「なんだかあまりイケていない人生」を過ごす羽目になってしまう。

 

わたしは清々しい日々を愛する。苦手な場所に長居をしてしまうと、苦手なひとと(苦手だと思う関係性のままで)付き合いを継続してしまうと、一緒に過ごした時間の分だけ憎しみが溜まる。ゆっくりでもいいから、嫌だと思う付き合い方を変えること。最初は1割だけでもいいから、自分のこころが「いいな」と思うものを日々に導入していくこと。自分のこころが「嫌だな」と思うものに対しては、勇気を出してNOを示すこと。自分が嫌だと思うものを受け入れ続ける日々を過ごしてしまうと、最悪の場合は魂が腐る。魂が腐ると内臓が腐りはじめて、具体的には「口臭がきつくなる」というあまり良くない感じのデメリットがある(ような気がしているけれど、これは完全に余談でした!!)。

 

【音声配信】Recoded Radio 無礼者の撃退法 - いばや #379726965 - TwitCasting

 

わたり文庫『極限のトレイルラン』

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わたり食堂の復活と同時に『わたり文庫』も復活をします(あとで名前を変えるかもしれない)。一旦終わらせたものを、再び蘇らせることが好きです。復活第一弾のわたり文庫は鏑木毅著作『極限のトレイルラン』になります。意味はなくていい、価値はなくていい、ただ、徹底的に肉体を酷使することで見えてくる喜びがあるということは、アホみたいな日々を過ごしている自分を肯定してくれる【背中を押してくれる】力がある。頭で考え過ぎてもロクなことはない、もっと身体を動かしていこうという動物的な気持ち【野性味】を取り戻すことができる一冊です。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、新潟県にわたりました ※※※

 

「あの崖から飛び降りて、大怪我でもすれば、この地獄から逃れられるし、リタイアの立派な理由がたつじゃないか」

 

「あの岩に頭を強打させて、頭蓋骨にヒビでも入れば、仕方ないなと思ってくれるだろう」

 

苦しさのあまりにこんなことを考えはじめました。

 

今思えば、何と自分は恥ずかしいことを思ったのだろうと自己嫌悪に襲われるのですが、この時の私にはこれしか逃げ場がありませんでした。

 

しかし、すんでのところで私を支えてくれたのはこんな思いでした。

 

「カブラキツヨシたれ」

 

自分はこれまで、どんなに苦しい絶望的な状況でも逃げずに、現実を直視し、闘ってきたじゃないか。2007年に初めて出場したUTMBもそうだった、同じく100マイルを走った2009年の「ウエスタンステイツ・エンデュランス(耐久)ラン」も40度になる気温のなか必死にもがいて乗り越えた。絶対に無理という状況を何度も打開し、乗り越えてきたじゃないか。

 

『極限のトレイルラン』ー 鏑木毅【新潮文庫

 

極限とも言える苦しみは、最高の喜びになる。

明日死ぬかもしれないという言葉が好きだ。今日の命は今日で最後、明日には再び取り戻すことはできない。それならば、今日の命を思い煩うことなく精一杯使い果たしてやりたいじゃないかと、そういう気持ちにさせてくれる。限りあるこの時間を、湧き上がり出す感情を、出し惜しみしている場合ではないのだと思う。やりたくないことをやっている場合ではないのだと思う。小さなこと【どうでもいいこと】にいつまでも拘っている場合ではないのだと思う。誰かと衝突することを恐れて、嫌われることを恐れて、悪く言われることを恐れて、いつまでもいい子【いい人】の振りをしている場合ではないのだと思う。

 

 

生きていることの醍醐味は「新しい自分に何度でも出会える」ことだと思う。自分はこういう人間だからという限界を、枠を、つまらない思い込みを、想定外の出来事はいともたやすく打ち砕いてくれる。ダサい自分に飽きたなら、自分で自分を壊していく。言い訳を重ねる自分。誰かのせいにしたがる自分。誰かに何かをしてもらうことばかりを求める自分。被害者意識を武器にする自分。何かを知ったつもりになる自分。まるで粋じゃない【ダサい】行為をいつの間にか選択しそうになっている自分。自分のこころが「ダサいな」と思う、ダメな自分を自分で壊していく。健全な日々とは、多分、健全な自己肯定感と、健全な自己否定感のサンドウィッチなのだと思う。ダサい自分を壊した先に、新しい自分【最高よりももっと最高な自分】と出会うのだと思う。

 

 

島根県松江城では双子のお母さんにおはなを贈り(よろこんでいただけたことが本当に嬉しかった)、その後、その場にいたみなさまと城壁の周辺を散策する。こどもは遊ぶ。とにかく遊ぶ。いろいろなものを作り上げては、作り上げた瞬間から壊していく。クラッシュアンドビルドを生き様で体現するその姿を見て、ああ、これなんだよなあみたいな気持ちになった。こどもを見ていると「清々しくていいな」と頻繁に思う。嫌なものには嫌だと言い、好きなものには全身全霊で「好きだ!」と表現する。泣きたい時には泣き、笑いたい時には笑う。だからこそ、瞬間瞬間の感情に真っ直ぐで無駄な未練に引き連られることもない。後日、双子のお母様から嬉し過ぎるお言葉をいただいた。なにかがあるからスゴイということでもない、なにかがないからダメだということでもない。瞬間瞬間に湧き上がる思いに、瞬間瞬間に存在をする自分自身に、絶大なる信頼【絶頼】を寄せてもいいのだと思った。

 

 

夜分に失礼します。

 

昨日はありがとうございました!

 

ドキドキしながら向かわせてもらい到着したところ、
子ども達が爆睡。。。

 

これも運命、必然かな…と感じました。

 

そんな中でも、坂爪さんの"寝てることは自然なことなので"(うろ覚えですみません)のような言葉に、"あー、なんて穏やかなんだろう"とほっこり致しました。

 

(結果的に娘は起こしてしまう形になってしまったのですが…)


坂爪さんは、子ども達をまっすぐに見て下さっているというか、観察して下さっているように感じて、
それは、とても楽しそうであり幸せそうでもあり、

子ども達を純粋に観て下さっている方と子ども達が関われていることが、とても幸せでした。

 

今回近隣に坂爪さんが来られるということで、ただただお会いしたかったのです!

 

私がお花をいただけるとは思っていなくて、メッセージカードまで添えてあり、会う前に名前まで覚えていて下さっていて。

 

お花をいただけることがこんなに嬉しいと感じたのは初めてです。


それから、お会いしてからのこの2日、ずーっと心が穏やかで、子ども達が可愛くて可愛くて。

 

それが、何よりの私の幸せです。

 

この現象はなんなのでしょうか。

 

説明できない現象が起きています。

 

表現力が乏しく、どれだけ伝わるかわかりませんが。

お会いできたこと、やはり嬉しいです。

 

帰宅後、娘がお花を持って、
"お花〜♡うれしい〜♡"
と言っておりました。

生で聞いていただきたかったです。


最後まで読んでくださりありがとうございます!

 

お忙しいと思いますので、返信は不要です!

 

お身体お気をつけて。

 

男の子と女の子。。。

 

人生は続く。

 

413-0002
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坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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絶滅危惧種で行こう!

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梅田散策を経由して岡山にはいり、これからクラウドファンディング支援者N様におはなを届けるために島根県松江市に向かう。N様曰く「岡山から松江までの特急は死ぬほど揺れるので電車酔いには気をつけてくださいね♡」とのこと、そんなこと言われてもどうすればいいのでしょう!などと思っていたところ、奇跡的に岡山県津山市在住のM様から「津山まで来てくれたら松江まで車で送りますよ!(ドライブデートしましょう♡)」という奇跡的な連絡が舞い込む!この絶妙なタイミング!猛烈スーパーありがとうございます!ということで、これから岡山県津山駅に向かう。夜には松江空港から羽田空港にひとっ飛びをするために、一応、今回の「ごちゃまぜの家を横浜以外にも増やそう!」的な企画は一旦終了を迎える。

 


最初は「札幌と梅田にごちゃまぜの家を!」などと意気込んでいたけれど、この数日間を経て「別に新しく増えるなら場所はどこでもいいや。こういうのはきっとすべてご縁なのだと思う。さかしらな思考を働かせて家を増やそうとするよりも、素敵な誰かから『ここをごちゃまぜの家に使いませんか?』的な声がかかるまではおとなしくしていよう」というところに着地をした。言うなれば『老子的な心境』である。自分の力で「どうにしなきゃ!」と肩に力を入れるのではなく、自分を含めた宇宙全体の力に絶大なる信頼を置きつつ「どうにかなるだろう」とリラックスをしながら構えていたい。どうにか『する』とどうにか『なる』の間には、気が遠くなるほどの違いがある。わたしは後者を採用したい。そういう話を、昨夜、孤独なホテルの室内から配信をしていた(参加してくれたみなさまありがとうございました!!)。

 

【音声配信】Recoded Radio 絶滅危惧種で行こう! - いばや #379236427 - TwitCasting

 

絶滅危惧種で行こう!

わたしは採算を考えることが苦手だ。活動を維持するためには月額これくらいの収入が必要だとか、客単価はこのくらいで回転率はどうのこうのとか、そういうことを考えることができない。そのため、経営には恐ろしく不向きだ。基本的に「ざっくりやるから、ざっくりいただきたい」などと思っている。ごちゃまぜの家に関しても同じで、この家は「誰でも無料で泊まれて、誰でも無料で食事をとることができて、誰でも好きなだけ居座ることができる」というコンセプトでやっているために、乱暴にまとめれば「やればやるだけ主催者側が赤字を垂れ流す」ことになる。非常にありがたいことに、この度はクラウドファンディングの支援者の方々のおかげで無事にごちゃまぜの家を横浜につくることができた。しかし、どれだけ続くのかは時間の問題になる。誤解を恐れずに言えば「誰かに必要とされる限りこの家は続く(何かしらの救いの手が差し伸べられて維持をされていくであろう)けれど、誰からも必要とされない時はひとり静かに終焉を迎える」ということになる。

 

このままでは生きていくことができないということは「絶滅危惧種である」ということで、絶滅危惧種の存在に触れた世の人々が「こいつらを死なせてはいけない!」と思ってくださった暁には(何かしらの形で)我々は保護をされるだろう。しかし、別にこいつらは死に絶えてしまっても別に何も問題はないなと思われた場合には、我々は華麗に野垂れ死ぬことになるだろう。あとはもう、実際にやってみなければわからない。絶滅危惧種であるということは「常にエッジに立ち、ギリギリであり続ける」ことであり、現在と未来の境界線に立ちながら、自分たち的には「多分、未来的にはこっちだと思う!」と感じたことを死を厭わぬ覚悟で(なんて書くと大袈裟だけど、基本的には遊び感覚で)攻め続ける。そういう生き方が、多分、自分には合っているのだと思う。

 

通常であれば「お金がなければ生きていけない」というのがこの世界の常識だと思う。だから、誰もが何かをやる時に「採算性を重要視する」のだと思う。しかし、わたしは天邪鬼な性格だから「採算を度外視しても謎に続く活動を生み出せたら痛快だな」なんて思ってしまうものだから、あとはもう神に委ねる。自分たちの活動が必要とされる限りこの活動は続き、自分たちの活動が必要とされないのであれば潔く散るまでのこと。残された日々がどのような展開を迎えるのか、また、これからの我々の脳味噌が「どのような新しいことを創造していくのだろうか」ということに関心がある。これは面白そうだと思ったことは、積極的に試していきたい。うまくいくと思うから試すのではなく、ただ、面白そうだから(そういうものがあった方が絶対に世界は面白くなるような予感がするから)と思ったものを、 時には失敗することは明白であったとしても試し続けていきたいと思う。 

 

【過去記事】だから楽しめ。自分を信用するために。 - いばや通信

 

クラウドファンディング支援者のみなさま。

菊名の家に遊びに来てくれたお母様K様からメールが届いた。非常に素晴らしい内容だと思った。クラウドファンディング支援者のみなさまに、改めてお礼の気持ちを伝えたくなった。支援者のみなさまは、このブログを読んでいてくれるだろうか。みなさまのおかげでこの家は無事に生まれることができて、そして、以下のような素晴らしい働きを見せてくれている。本当に素晴らしいことだと思う。誤解されると困るが、わたしは「どうだ、俺の創造力はすごいだろう!」と言いたい訳ではない。わたしは自分のすごさを証明する為に生きている訳ではない。でも、自分ではなく「人類全体のすごさ」を証明するためになら、命を捧げてもいいのだと思っている。こちらのメールにはその片鱗を垣間見ることのできる、ほんとうに素晴らしい内容だと思った。

 

昨日は菊名の家へお邪魔させて頂きましてありがとうございました。

 

正午過ぎの陽射しが強い時間帯に菊名に着いたので
息子を励ましつつ坂道を登って行きました。

 

坂道の街に慣れていない私は「この坂道どこまで続くんだろう?住んでる人(幼児、おじいちゃん、おばあちゃん)は普段どうしてるんだろう?」
などと思いつつたかだかその程度の坂が続いただけて
一瞬後ろ向きな気持ちになりました。

 

が、登りきって急に視界が開けた時、強めの風が吹き抜けた時、目の前の道が急に下り坂になった時、
説明仕様のないワクワク感と達成感、そこまで来てる感が込み上げて妙にテンションが上がりました。

普通の住宅街で山登り的な気持ちを感じられるなんて(初回限定か?)お得な気持ちになりました。

 

お庭もお家もお花が沢山で素敵ですね。
若干お庭の花達が水切れ気味だったので、お水あげておきました。
暑い季節は植えたばかりのものは朝晩お水をあげてもいいかもしれません。
卓ちゃんと彰人さんにもその様に伝えておきました。
(花の様子を観察して加減する様に伝えるのを忘れました!)

 

私もターシャの映画を見たので、ターシャの庭みたいに一見自然で、でもとても手の込んだお庭になるといいなぁと思いました。

 

私は自然もお花も好きですが、家で花を飾って置くと猫が悪戯したり食べたりするので
日常的に花を室内に飾る生活はしていないので
花がふんだんに飾ってあるって本当に素敵だよなぁと改めて思いました。

 

そういう気持ちの人が沢山あの家に出入りしてる事を家のそこかしこの花が教えてくれて、その会った事の無い人達の面影を残していていいなぁと思いました。

 

当たり前かもしれませんが、その人はその場に居なくても花がその人達の存在をちゃんと教えてくれてるなぁと。

 

そして、何だかよくわからないけれど連れて来られた息子。
昨日触れ合えた人の人数はそんなに多くもなくて、
他に子供にも会えなかったけれど
すっごくすっごく楽しかったみたいで「ここに泊まりたい~」と到着して数時間後には言ってました。

 

大人の大半は泊まりたいと思って、泊まりたいと口にだしても心の中では「泊まれない」って思ってると思うのですが、子供は本気で「泊まる」気で言ってるんだもんなぁいいなぁと思いました。

 

そりゃ泊まりたくなるよね、私もそうだよ。

 

人の家だから泊まれないみたいな大前提は子供の中には存在しないから言われてみればごくごく自然な発言だなと思いました。

 

でも本気で泊まりたければ本当に泊まれるって言うメルヘンチックな家がこの家というのが、そういう家が実在する事が改めて凄いなと思いました。

 

凄く長くなってしまいました。

 

まだ滞在前半までの話なんですけど…。

 

とにかく、圭吾さんありがとうございます。
田舎や帰る実家のない私には、菊名の家たまらない存在です。

 

存在してくれていてありがとうございます。

 

ありがとうございました。

 

支援者のみなさま、これを見ているだろうか。あなた様のおかげでできたこの家は、こんなにも素晴らしい働きをしている。何度でも言いたいと思うことは、すごいのは坂爪圭吾という個人ではなく「坂爪圭吾をとりまく周囲の人々の存在」なのだということ。わたしという人間は生きているのではなく「生かされている」のだということ、そして、わたしが生かされていることを通じて「同じように生かされるひとが発生していく」この謎の循環、恩恵のリズム、生命の結びつきを、わたしはなんだかとっても素晴らしいものであるように感じている(だとかなんとか偉そうに書いていてごめんなさい!なにはともあれ関係者のみなさまほんとうにありがとうございます!!)。

 

【過去記事】人生は短いから、不幸でいる暇なんてない。 - いばや通信

 

自分の信じる道を進むんだ。それで良い。喜びも不安も丸ごと抱き締めて前へ前へ。

先日、札幌でM様という女性におはなを渡した。M様は非常に忙しい方なので、お会いする予定の時間に会えるかどうかがちょっと微妙だった。そのため、もしも会えなかった時に備えて「坂爪圭吾に渡す用の手紙」を事前に書いていてくれた。私たちは無事に会うことができたので、面と向かってしばらく話をした後に、帰り際「これ、受け取ってください」という言葉と共にM様の手紙を受け取った。わたしは「ありがとうございます」とだけ伝えて、手紙を読まずにカバンにしまった。M様と別れた後、電車の中で手紙を開く。手紙を読む。感動をする。手紙の中には「自分の信じる道を進むんだ。それで良い。喜びも不安も丸ごと抱き締めて前へ前へ」という、これから新しい一歩を踏み出そうとしているM様の覚悟にも似た心境が綴られていた。

 

 

ひとの本気に触れた時、ただそれだけのことが「自分の生きる力になる」ことがある。ひとの純粋な思いに触れた時、ただそれだけのことが「自分のこころが浄化されるような気持ちになる」ことがある。ここ数日間、わたしはごちゃまぜの家の候補地を探す散策をしていた。しかし、わたしが欲しいと思うものは『家』そのものではなく『ひとの純粋な思いに触れることができる場所』なのだと思った。自由に使える空間があるだけでは、多分、まったく足りない。こころがなければ、そこに「生きている人間の血が通って」いなければ、空間はただの空間で終わる。血が通ってはじめて、その空間は「生きている空間」になるのだと思う。生きている空間にはこころがある。生きている人間の質感や温もりがある。表面的なものではない、根底に流れている「思いやり」のようなものがある。

 

 

奈良県明日香村で開催されたトークイベントの時間中、その場で懐いてくれた女の子が(イベント開催中であるにも関わらず)わたしの膝の上にちょこんと座って寛いでいてくれたことが嬉しかった。こどもたちの感情表現はあまりにもストレートで、嫌いなことには嫌いだと叫び、好きだと思うことには肉体全体を通じて「好きだ!」ということを表現する。そういう姿に触れた時、わたしは「たまらないな」なんて思ったりする。自分の命全体を使って、自分の感情を表現するということ。多分、それが「生きている」ということなのだと思う。自分の感情を押し殺すということ、それは『小さな自殺』だと思う。生まれてきたこの命を、生まれてきたこの感情を、殺すのではなく「生かす」方向に舵を取っていきたいのだと、そういうことを考えている。

 

 

今朝、仕事へと向かう地下鉄の中でスマホを取り出すと飛び込んできました。坂爪さんが今日札幌へいらっしゃるんだ!…その瞬間から、不思議な力が?指先にまで沁み渡り、良い意味で脱力しました。

 

現在の私は10年間働いてきた職場を6月いっぱいで辞め、7月から新たな一歩を踏み出すための様々な事で心身共に余裕がなう、体もカチカチになっていました。慣れた環境から離れ、踏み出すその一歩は予想以上に希望のかけらよりも不安や恐れの方が強く、本当にこの選択は自分にとって良かったのか?と自問自答を繰り返していたのです。

 

しかし、坂爪さんがいらっしゃると知り、ワ〜!っとみるみる希望のかけらが増大していきました。何と言う素晴らしいタイミングなんだ・・・このタイミングで、もし一目でも坂爪さんに会えたならおじけづいている一歩が背中を押され“自分の信じる道を進むんだ。それで良い。喜びも不安も丸ごと抱き締めて前へ前へ”と言われている気がしたのです。

 

タイミングが合って昨年の2月以来の再会が出来るかは微妙ですが同じ土地に今立っているんだ。同じ空を眺めているんだ・・・いつもよりとても近くで・・・と、思うだけで不思議な安堵感とパワーを頂けました。ありがとうございます。

 

会えると嬉しいですが、会えなくともとても良い日になりました。

 

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懐いてくれた女の子を抱え(?)ながらのお話会。。。

 

人生は続く。

 

413-0002
静岡県熱海市伊豆山302
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
TEL 07055527106 LINE ibaya
MAIL keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

真面目なひとほど知能は低い。

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北海道から高野山を経由して和歌山県橋本市ゆの里温泉にいる。これから奈良県明日香村で開催されるトークイベントに登壇をして、明日は梅田周辺で「ごちゃまぜの家の候補地探し」を行う。北海道と梅田にごちゃまぜの家をつくりたい!という思いはあるものの、いまだに物件のあてはなにもない。どこかに「月額一万円で自由に使えるスペース」を貸してくださる神様はいらっしゃらないだろうか。どのような場所でも構わない。極狭の空き部屋でも屋根裏でも駐車場でも営業終了後の飲食店でも庭の隙間でもいい(その場合、坂爪圭吾がテントを張って実験的に暮らしてみたい)。ここ数日の探索を経て、まずは『自分自身がその土地に根を生やす【馴染む】』ことが非常に重要だと思った。まずは小さな空間からでも『実際に暮らし始める』ことを通じて、地域のみなさまとコミュニケーションをはかることができたなら嬉しい。

 


出会い頭におはなを配る日々を過ごしている。わたしと話しながら、涙を流される方々がたくさんいる。みんな、なにかしらを溜め込みながら生きているのだろう。この世の中には聞き手が圧倒的に不足をしているので、ほんとうに話したいことを話せているひとはもしかしたらものすごい少ないのかもしれない。個人的に、涙は笑顔と同じくらい素敵なものだと思う。だから、(笑顔で涙を殺すのではなく)どんどん泣いた方が浄化も進むと思っている。また、わたしと話しながら【わたしの存在に触れながら】無性にざわつくひとも結構いるみたいなので、札幌か梅田で小さなスペースを確保できた暁には「ざわつく部屋」をやりたいと思った。ざわつく部屋とは、ただ、坂爪圭吾が鎮座をしているだけの空間になる。訪れたひとびとは、坂爪圭吾との対話【真剣勝負】を通じて「ざわざわ」を体験する。そのような非日常空間(?)を札幌か梅田につくれたらいいなあと思う【空きスペースをお持ちの方はお気軽にご連絡ください!!】。

 

【イベント情報】おはなをあげる【北海道&大阪&島根編】

 

菊名の家はいい仕事をしている。

家主(?)不在であるにも関わらず、菊名の家は非常にいい仕事をしている。前回の記事で「家を追い出されることになった主婦の方が菊名の家を一時的な避難所に使いたいと思っている」的な投稿をしたものの、後日、その方から非常に素晴らしい内容のメールが届いた。実際的には、菊名の家はなにもしていない。ただ、存在していただけの話になる。「存在をしている」というただそれだけのことが、誰かの力になることがある。こんなにもうれしいことはあるだろうか。下記に、その方から届いたメールを転載いたします(K様、素晴らしい内容をありがとうございます!!)。 

 

圭吾さん

 

◯◯◯です。


昨日はお返事出来ず申し訳ありませんでした!

 

実は家族(元夫)との別居の事を母に泣きながら相談したら、父と母がサポートしてくれる事になり今週末引っ越しになりそうです。

 

私は実家の両親とは昔からあまり折り合いが良くなく、特に母とはずっと疎遠だったのですが、今回私が仕事を始めて別居に至る事で始めて真剣に向き合ったり頼ることが出来ました。

 

親に心配や迷惑をかけたくないとか、親とは昔から仲良くないからとか、色々な理由で頼らなかったのですが、ここまで至って始めて頼らざるおえない状況になり

 

昔は私に対して無関心な両親(特に母)だと思ってたのですが、今回の件で一生懸命私に向き合ってくれた両親に心からの感謝と愛情が蘇りました。

 

圭吾さんが菊名の家を作ってくれたおかげで、私は最悪の場合でも居場所があるかもしれないと希望が見えました。(本当にお金も頼る人もなかったので!)

 

また、追い出されるような形でしたが、最悪の関係にしがみつかず進む決意が出来たのも菊名の家のおかげだと思います。

 

ご連絡いただきまして本当にありがとうございます。

 

この度はご心配とお手数おかけしまして申し訳ありませんでした。


心より感謝致します。(^^)

 

ここ最近は「(最大のタブーとしての)家族」というものに関心があって色々考えたりひとと話しまくったりしていたのだけど、最近の発見としては『家族の問題がクリアされると、人生はボーナスタイムに突入する』というものがある。逆に言えば、自分がなにかしらの問題を抱えているとしたら、それは多くの場合「解決されていない家族間の問題が、別の形となって現れているだけ」なのかもしれないとさえ思う。先日、ちょっと子育てに疲れてきた主婦の方A様から「保育園の帰りに菊名の家によってもいいですか?」という連絡が届いた。わたしは「待ってました!」とばかりに(自分は菊名にいないくせに)快諾をして、家のお留守番をしているあきととえりか姫に「あとは任せた!」と丸投げをした。数時間後、A様から下記のようなメールが届いてわたしは非常にうれしい気持ちになった(あきと&えりか姫まじでありがとうございます!!)。

 

坂爪さん、お邪魔しました。


今家を後にしました。


えりかさんに駅まで送っていただいて…子どもと手をつないでいただいて。カバンまで持っていただいて。


見ず知らずの親子の突然の訪問にも関わらず、受け入れてくださり感謝でいっぱいです。


また、遊びに行きますね。4歳の息子はえりかさんのことが気に入ったようです。


ありがとうございました!!

 

あきととえりか姫のグッジョブ具合が素晴らしい。菊名の家はいい仕事をしている。単純に、日本中にもっとこういう場所が増えたらいいのにと思う。菊名の家には庭がある。先日、庭師の方のご指導のもとに雑草をすべて引っこ抜き、いまでは「なんでも植え放題!」という状態になっている。先日、植物園で働いている女性T様が菊名の家に遊びに来てくれた(のに坂爪は不在のためにご対応することができなくて非常に残念!)。後日、T様からメールが届く。わたしはそれを読んでまたうれしくなる(T様、ほんとうにありがとうございます!!)。

 

坂爪さま


こんばんは、本日、はじめて菊名のごちゃまぜの家に行って参りました!


先日のツイキャスにてお庭の仕事をしたいです!と開口一番手をあげました
ついつい、調子に乗って水曜どうでしょう、と遊んでしまった《かようび》こと
◯◯◯◯◯◯です。

 

あきとさんに駅まで迎えにきていただき、えりかさんもいらっしゃってくださり
ゆっったりと贅沢な時間を過ごすことができました。


お二人とも、暖かく出迎えてくださり、菊名の家も優しく迎えてくださいました。

 

淀みのない清らかな空気が流れておりました。

 

少しばかりの花の苗をえりかさんと植え、
もう一人後からいらした方と東側の土の土壌を整えるために
クワとシャベルで土をおこし、石灰とくんたんを撒いてきました。


かなりふかふかにもなっていたので、以前に耕した方が頑張ってくださった賜物だと思いました。
早く、みみずや様々な微生物が動きだすといいですね


生きとし生けるものすべてに愛おしく感じる瞬間です。


なんともしあわせなひとときでした。


はじめましての人と蕎麦をつつきながら、土いじり・・感動しまくりです!!


えりかさんのコーヒーも畑仕事の後(あまりしませんでしたが)に格別でした。


私がごちゃまぜの家の支援をしたいな、と思ったきっかけの1つに
そこのお家にお庭があったなら、小な畑でもいいからお庭に畑があったなら
そこで季節の野菜をお家の人たちと、あーでもない、こーでもないと言いながら
種まきやら、除草やら、水やりやら、収穫やら、その時々を楽しめると
楽しそうだなあなんて思ったのです。


幼い子も収穫の喜びなんかを感じてくれたら、なんだかしあわせな気持ちいっぱいになりますよね〜。

 

今仕事している植物園でも、ちいさな畑を作っておりそこでの野菜作りはとても楽しいのですが
東京都の所有物の故に、お客様はあくまでも観賞用にしかできず、収穫することができない
はがゆさを感じてました。


私の自宅はマンション、近くに畑を借りるのともちょっと違うんですね、
坂爪さんのおっしゃるように、共有できる喜びがほしかったんです。


菊名のお家はちいさなお子さんもよくいらっしゃるようなので食べどきトマトとか
バキバキにもいでほしいですよね。

 

改めてありがとうございます。


夏野菜は植えつけ時期がもうぎりぎりですが、
元気に育つことを願ってます!


あ!!さつまいもの苗はこれからなので、お勧めです!!

 

長々と失礼しました。


キャンプファイヤーにも粋なメッセージありがとうございます!!

 

坂爪さんにもいつかお会いできます日を楽しみに。

 

【過去記事】好きなことをやっていられる、こんな素晴らしいことはない。 - いばや通信

 

坂爪圭吾はいい仕事をしている。

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北海道ではおはなを配りまくってきた。 

 

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おはなをあげると「いい仕事をしているなあ」と思う。 

 

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【過去記事】自分の「好き」を貫く。 - いばや通信

 

真面目なひとほど知能は低い。 

札幌市内で飲食店を営む方から「下の車庫が空いているから、そこで『ざわつくガレージ』をやるのはどうですか」という提案をもらった。車中泊をできる車を手に入れて、坂爪圭吾は車庫に暮らす。トイレはコンビニや公園のものを利用する。風呂はない。風呂がないことはチャンス!になるので、「風呂乞食」的な活動(?)を敢行する。常々、わたしは「お金よりもコミュニケーション!」をモットーに生きているのだけれど、お風呂を貸していただくことで普通の暮らしの中では絶対に生まれることのなかった地域住民の方々との友好的なつながりが生まれることを狙う(ひととのつながりがあれば人間は死なないとは思っているものの、蹴散らかされて終わるかもしれない)。この話はあくまでも提案という形だけで終わってしまったけれど、実際問題、わたしは「いけるかもしれない」と思った。こういう話を面白がってくださる方がいらっしゃいましたら、お気軽にご連絡ください【不要な車をお持ちの方もお気軽にご連絡ください!】。

 

多分、わたしは「自分が置かれている状態を遊びたい」だけなのだと思う。先日、自分にとって非常に都合のいい話を聞いた。生きるためにまったく必要のない行為をすること、それは『知能が高い』最高の証明になるのだと言う。滑り台で遊ぶカラスや、嫁にプレゼントを贈る狼の話もある。真面目なひとほど知能が高いように見えて、実際は「真面目なひとほど知能は低い【遊ぶほど賢くなる】」のだという指摘は、聞いているだけでドキドキする。ごちゃまぜの家や風呂乞食という活動(?)も遊びのひとつで、ただ、遊びながら仲良くなれるひとを増やすこと、遊びながら「この星【世界全体】を自分たちのプレイランドにする」ことこそ、わたしがやりたいと思っていることのひとつなのかもしれない。自分は、ただ、遊びたいのだ。そして、時には涙が出そうになる程に遊びながら「世界がいまよりもちょっとだけ良いもの」にすることができたなら、それは最高だなと思う。

 

遊びの効能は「凝り固まった思考をほぐし、感性に潤いを与える」ことにあると思う。これは何かに似ているなと思った時に、ああ、これは芸術【アート】と同じことなんだなと思った。美しい音楽に触れた時、独創的な建築物に触れた時、素晴らしい作品に触れた時、自分のこころの中に定められた「こういうもの」という既存の枠に歪み【ざわざわ】が生じて、そこから「こういうものもありなのか!」という新種の萌芽が出現する。遊びを通じて世界は広がり、遊びを通じて『自分の限界』を広げていく。そして最後に気づくのだと思う。不可能なことはなにもない、ただ、自分の思考が限界をつくっていただけなのだということに気づくのだと思う。

 

 

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自由を感じている俺。。。

 

人生は続く。

 

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静岡県熱海市伊豆山302
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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最後は女に帰りたくなる。

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ごちゃまぜの家を北海道にもつくりたい!という思いが爆発をして、いま、札幌にいる。昨夜は「札幌の奥座敷」でお馴染み定山渓在住O様の自宅マンションに宿泊させていただいた。一階部分には住人共有の温泉(!)があり、マンションの住人は24時間いつでも自由に利用ができる。寝起きも「顔を洗ってくるね」という一言と共に、洗面台ではなく温泉に直行する。洗面台で顔を洗った記憶は、ここ最近ではそう言えばまったくないなあなんてことをO様は笑顔で話す。わたしのアゴは「半端ない暮らしですね!」と外れる。朝晩と温泉につかり、ああ、日本人にはこれが必要なんだよ、温泉にはいることでほぐれる何かがあるのだよ、などということを思った。定山渓には、既に廃墟と化している企業の保養所がいくつもある。ここを(管理をする代わりに)安価で使わせていただくことはできないものだろうか、などということを考えていた。

 

 

札幌中心部なら、円山公園中島公園界隈がいいのかななどと夢想をする。菊名の家を離れても、菊名の家のことが常に脳内にある。先日、千葉県から遊びに来てくれたM様のこどもたちが猛烈にかわいくて、この瞬間も写真を眺めながらニヤニヤしていた。別に血の繋がりがある訳でもないのに、さも【SAMO】父親になったような気持ちになる(勝手に)。一昨日の夜は、菊名の家で音声配信を行なった(7歳の女の子と3歳の男の子も一緒だった)。こどもの声が聞こえるだけで、謎にこころがほぐれる【小鳥のさえずりを聞いているような気持ちになる】のは、きっと自分だけではないはずだと思う。

 

【音声配信】Recoded Radio 最後は女に帰りたくなる。 - いばや #378014072 - TwitCasting

 

遠く離れてそばにいて。 

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菊名の家を離れることで、菊名の家のことを冷静に(客観的に)眺めることができる。あまりにも同じ場所【ひと】と長くいると、癒着のようなものが生まれて物事を冷静に考えられなくなる。高城剛さんが「アイデアと移動距離は比例する」ということを仰っていたけれど、多分、その通りなのだと思う。自分の場合、風通しが良いこと【積極的に外の空気を取り入れること】は必須事項であり、菊名の家を離れることで「菊名の家には駐車場の空きが一台分あるから、寝泊まりができる車【最高の理想はマイクロリーノ&野営道具!】をつくってみんなで共有できたら面白そうだな」とか「庭にノルディスクのテントを張って、居住空間も拡張すれば『横浜のど真ん中でグランピング』なるものも実現可能かもしれない」など、その場所を離れることで舞い降りるアイデアもある。同時に、離れることで育まれる【再認識される】愛情もある。まったくそこにはいないくせに、ああ、俺は菊名や熱海の家が大好きなのだなあということを、離れるほどに感じたりする(帰る場所があるということは幸せなことだ)。

 

ごちゃまぜの家がはじまってから、早速「家を追い出されることになってしまったので、しばらくの間菊名の家に滞在をさせていただけませんか?」というエマージェンシーな連絡が立て続けに届いた。このような場合、わたしはどのような対処をすればいいのだろうか。一番怖いのは「余裕もないくせに引き受けた結果、共倒れになる」ことだと思うけれど、まあ、その時はその時なのかもしれない。みんな、いろいろあるのだなあなんてことを薄らぼんやりと思う(いろいろありますね!)。ごちゃまぜの家の二階部分と離れの部分は、当初は賃貸物件として貸し出される予定になっていたものの、ちょっとだけ事情が変わって「これからどうしていこうか」という白紙の状態になっている。こういう場合、そういうひとが一時的な避難所として暮らせるようにすればいいのだろうか。それとも、そういうことをやってしまうと「そういうひとばかりが集まってしまう」ことになってしまうからやめたほうがいいのだろうか、など、わたしにはわからないことが多い。これからも(その場に居合わせたひとと一緒に考えながら)ごちゃまぜの家の在り方を模索していきたいと思う。

 

近々、菊名の家で「ごちゃまぜの家のオープンハウス」なるものを開催したいと思う。まずは実際に物件を見てもらわないことには何もはじまらないのだと思う。ごちゃまぜの家は、自分で言うのもあれだけど、非常にいい感じの空間になりつつある。人間は、多分、ひとりで生きられるようにはできていない。自分ができることは自分でやって、自分が苦手なことは誰かにやってもらった方が話は早いことが多い。料理ひとつとっても、自分だけのためにつくるよりも食べてくれる人がいた方が作り甲斐もあるというものだ。子育ても、こどもひとりに対しておとな三人くらいがちょうどいいのだと思う。ごちゃまぜの家では「365日炊き出しが行われている」ような状態になればいいと思っているのだけれど、これには女性の力が不可欠になる。女性の出入りが増えてからというもの、圧倒的に台所の諸々が充実をしてきている(男ばかりで空間をつくっていた時は、屋外ばかりが整うばかりで内装はめちゃくちゃだった)。どちらか一方に偏ることのない、男女【陰陽】がいい感じに融合する空間になることを願う。

 

それにしてもかわいい。

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それにしてもかわいい。

 

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なんなんだいったい。

 

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写真を見るだけで癒されてしまう。 

 

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これなんかもう犯罪レベルだと思う。 

 

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悔しくなってきたのでわたしの幼年時代の写真も一緒に貼ります。誰にでも無垢なこども時代があったのだよな…などと思うと(たまに)泣きそうになることがあるのはなぜなのだろう。純粋なものに触れると涙が流れそうになることがある。自分の何かが薄汚れてきている証明なのだろうか。こどもと過ごしていると、何かが浄化されていくような感覚を覚えるこ 。自分や親戚にこどもが生まれない限り、なかなか「日常的にこどもと触れ合える機会」はないものだ。これは意外と盲点である。誰もが同じ社会に暮らしていながら「まったく接点のない」ひとたちがこの世界には無数にいる。この境界線が溶け出した時、果たして、世界はどのような風景を見せてくれるのだろうか。ごちゃまぜの家が、結果として「いろいろなこども【おとな】と触れ合うことができる」人間交差点的な21世紀のパワースポット(?)としても機能をしていけばいいなあと思う。

 

読者プレゼント『morihiko COFFEE』

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わたり文庫が終了をしてしまったものの、これからも「坂爪圭吾が移動先で譲り受けたもの・購買したものなどを読者の方々に無料でリリースしていく」的な営みは続けたい。この活動(?)にまだ名前は与えられていないけれど、先刻、札幌でお会いした女性から『morihiko』の珈琲【ドリップ】を頂戴した。今回は、こちらの珈琲をご希望される方に送料無料(坂爪圭吾が負担します!)で勝手にプレゼントをさせていただきます。ご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾まで直接ご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間【詳細になっていない詳細は過去記事を参照してください!】以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの珈琲は、和歌山県にわたりました ※※※

 

【過去記事】どのような生き方でもいいから、胸を張って生きろ。 - いばや通信

 

最後は女に帰りたくなる。

最近、最後は女に帰りたくなるということを思う。わたしは男で、たとえば「今日はいい仕事をしたなあ」と思えた1日の終わりには、女のもとに帰りたくなる。寂しいからという理由でもなく、人肌が恋しいという理由とも少しだけ違う。ただ、男性にとって女性は「(誤解を恐れずに言うと)充電器的な役割がある」ように感じていて、最後は女のもとで眠りたいとかなんとか思ったりする。そういうことを、同じ場所に居合わせた39歳の男性と14歳のえりか姫にしたところ、39歳の男性は「それはすごいわかります。わたしの場合、嫁がまさにそういう感じで、充電してくれている感が半端ないです」と話してくれた。続けて、39歳の男性は「えりか姫には、まだこういう話はちょっと早いかな??」とえりか姫に問いを投げた。すると、えりか姫は(14歳なんていう年齢はまるで関係がないのだとわたしたちに教え諭すかのように)このようなことを話しはじめた。

 

わたしも、最近は『帰りたいと思える場所』みたいなひとになりたいなあって思いがあります。いままでは、自分にはこれができるんだっていう何か【行為】を通じて、自分の存在価値というか重要性を周囲のひとたちにがんばって認めてもらおうとしていたところがあったんだけど、最近では「特別なことは何もしようとしなくてもいいんだ。ただ、堂々と、そこで待っていればいいんだ」って思うようになりました。鉄砲玉のみんなが疲れて帰ってきた時に、たとえば珈琲を淹れたり料理をつくって待っていたりできたらいいなあとかは思うけど、特別ななにかをするというよりも、ただ、そこにいる【そこに在る】ということが誰かにとっての応援とか癒しみたいなものになれたらいいなあって思います。

 

これを聞いた瞬間、わたしは「えりか姫やるな!」と思った。そして「是非とも帰りたい女ナンバーワンになるのだよ」とアホな父親振りながら伝えた。39歳の男性も「それができたら多分モテまくるよ」などと伝えていた。多分、男はぶんぶん丸みたいなもので日中は自分の好きな場所まで自由に好き勝手に動き回っていたいなどと願いながら、最後は「女のもとに帰りたい」と思う生き物なのではないだろうか、などということを自分を見ていると思う。散々自由に動き回った末に、最後は女【充電器】に戻るお掃除ロボット『ルンバ』みたいなものだ。きっと、男だけでは埋められないアナが男にはあって、女だけでは埋められないアナが女にはあるのだろう。それは、きっと『自分ひとりで埋める必要のないアナ』でもあるのだと思う。アナがあるからこそ、それを埋めることのよろこびを覚えることができる。だからこそ、わたしたちは「ひとりで完璧になることよりも、お互いに補い合っていくことを願う」生き物なのではないだろうかと、そういうことを考えていた。

 

 

人生は続く。

 

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好きなことをやっていられる、こんな素晴らしいことはない。

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横浜在住の女性Y様から譲り受けた飛騨産業のロッキンチェアに、世界各地から遊びに来てくれたこどもたちが連続して座る。その様子があまりにもピースフルで、Y様に「こんなことになっています!」と画像を送る。Y様は「まあ、なんとうれしいことでしょう!」と返信をくださる。いい感じの風が吹いた。先日、陶芸作家N様から「未使用の食器類がいくつかあるのですが、ごちゃまぜの家で使いますか?」と連絡をいただく。音速で「使います!」と答える。いままで、ごちゃまぜの家にはほとんど食器類がなかった。N様はダンボール三箱分の食器類と共に、東京都内から車で運んで来てくれた。N様はおしゃれな女性で、故にN様の作品もおしゃれになる。ごちゃまぜの家が、日に日に進化していく。その様を見ながら「生かされているなあ」と思う。

 


自分にできることを考える。わたしには何もない。あるものと言えば「何かを好きだと思う気持ち」程度で、多分、わたしはそれだけでやってきたのだと思う。わたしはおはなが好きで、特別な理由はなくても出会うひとにおはなを渡したりすることが好きだ。昨日、菊名の家に新しいはなを複数個購買して、庭に植えたり部屋に飾ったりした。その場所におはな【生きているもの】があるだけで、一気に空間が蘇る。いまの世の中にこれといった不満はないけれど、強いて言えば「もうちょっとおはなを配るカルチャーが全国的に蔓延すればいい」なんて思ったりする。明日から北海道&関西&島根方面に足を運ぶ。そこでおはなを配りたいと思う。興味(?)のある方はどなたでもお気軽にお声掛けください。

 

【イベント情報】おはなをあげる【北海道&大阪&島根編】

 

好きなことをやっていられる、こんな素晴らしいことはない。

ごちゃまぜの家は、クラウドファンディングの支援者の方々のお力添えによって実現をした。一応、責任者はわたし【坂爪圭吾】ということになるけれど、この家は「誰のものでもない」ものだと思う。わたしは自然が好きで、海も山も森も空も湖も、誰のものでもない。誰も「この海は俺のものだから誰もはいるな!」とか「この空は俺のものだから誰も見るな!」とは言わない。誰のものでもないからこそ、誰のものにでもなる【それを見ている間だけは、そのひとのものになる】ことができる。これは、なにも自然に限った話ではないのだと思う。人間も同じだ。わたしは、自分自身を含めて「ひとは誰のものでもない。親や恋人の所有物でもなければ、会社や学校などの社会的なコマでもない。誰のものでもないからこそ、みんなのものに成り得る」ものだと思っている。

 

ごちゃまぜの家をやりながら、ああ、こういう家は様々な場所にあった方が確実にいいのだろうなということを思う。多分、真の意味でいい仕事ができている時は、自惚れを抜きにして「自分はいい仕事をしている」という揺るぎない手応えを得ることができる。この手応えを、ごちゃまぜの家では毎日のように感じることができる。誤解されると困るが、わたしは「どうだ、こういう素晴らしいアイデアを生み出せる自分はすごいだろう!」ということを言いたい訳ではない。そうではなく、自分がやりたいと思ってやっていることと、それを受け取る側のひとからも感謝をされてしまうような生き方、それが奇跡的に成立をしている瞬間の中には「たまらんなあ!」と思えるよろこびがある。わたしは、ただ、自分のやりたいようにやっているだけに過ぎない。その行為が、結果的に誰かのためになっているのなら「最高だな!」と思う。いやだと思うことはやらない。自分がやりたいとこころから思えるものだけに集中する。そのように決めてから多分10年くらいの年月が過ぎた。いま、そのように生きる【生かされている】ことができているこの境遇を、ああ、自分は誰に感謝をすればいいのだろうか(などと思いながら天を見上げることがある)。

 

好きなことをやっていられる、こんな素晴らしいことはない。ごちゃまぜの家も「その場所に居合わせた人々が、瞬間瞬間に好きなことだけをやることができる。それぞれが別々のことをしているある種のカオスな状態の中で、謎に調和が成立をしている」ような空間になればいいと思う。そういう場所を、わたしは次に北海道と梅田につくりたいと思う。だから北海道と梅田に行く。物件の候補などは何もない。ただ、それが「本当にやる価値のあること」である限り、どこかしらから「こんなのはどうでしょう??」的な声がかかると勝手に思っている。声がかからないということは、いまはまだその時ではないということなのだ(と思う)。まずは実際に自分の足を運ぶこと。リアルに何かを感じ取ること。頭ばかりで偏執的な妄想を膨らませるのではなく、その土地の空気を感じながら大地を踏みしめて歩くこと。まずはそこから、自分の足で歩き始めることなのだと思う(ということで明日からおはなを配りに向かいます!!)。

 

【過去記事】花を愛するように、ひとを愛したい。 - いばや通信

 

ごちゃまぜの家の現在。

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頂き物だけで成立をしている(先日はレトロな扇風機を掘り当てました!)この家の状態を「素晴らしいな!」と思う。TPD48【鉄砲玉48】も、側から見ていても「こいつらはいい仕事をしているなあ…!!」と思う。たくちゃんは数日前まで学童施設で働いていたために、小さなこどもの扱いに長けている。すぐに仲良くなってしまう。そのため、絶賛子育て中のお母様からの依頼にひょいひょい応え続けている。知識先行型のあきとさんもあきとさんなりに身体を張った生き方をしていて、昨日も夜遅くまで帰ってこなかった。私たちは「死んだのかな?」と思っていた頃、23時過ぎにあきとは非常に清々しい表情をしながら帰ってきた。何があったのかは聞かない。あきとの表情がすべてを物語っていた。夜遅くに定期報告会と銘打って、坂爪&たくちゃん&えりか&なかむらの四人でツイキャス音声配信をした。ら、終盤えりか姫に奇跡が舞い降りて「ありがとうございます!!」とえりか姫は声を大にして叫んだ。

 

【音声配信】Recoded Radio ごちゃまぜの家定期報告会 - いばや #377824984 - TwitCasting

 

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恒例になりつつある木登り。

 

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先日、今回のクラウドファンディングで100万円を支援してくれた東京在住の男性K様と面会をした。猛烈に驚いたことに、男性の年齢はわたしと同じ32歳。その年齢でこれだけのお金をサラッと出せてしまうK様を「かっこういいなあ」と思った。K様曰く「金も時間もあれば幸せになれると思っていた。でも、実際になってみると、違うということがわかった。それで、俺はけいご(仲良くなって呼び捨てになった)の生き方を見ていたら『こっちなんじゃないかな』って思って、何かをやりたくなったんだ」とのこと。金も時間もあるけれど幸せじゃないと素直に言えるK様を、わたしは超絶素敵だと思った。K様は続けて「もしかしたら、これから『競って与え合うような社会』になるんじゃないかなって思うんだ」という、予言めいた言葉を口にしていた。その言葉が、いまでも胸の中で響いている。競って奪い合う社会から、競って与え合う社会【溜め込んでいるヤツが格好いいという基準から、リリースしているヤツが格好いいというネオ基準】への移行時期。いまは、そういう時代なのかもしれないと思う(ということでTPD48をよろしくお願いいたします!!)。

 

【イベント情報】【1th「僕に好きかとキクナんて」/TPD48】

 

好きな人に好きだと言う。それだけで、充分、生まれてきた甲斐があったのだと思う。

6月10日に奈良県明日香村で教育にまつわるトークイベントに登壇(?)する。わたしはまだ結婚をしたこともなければ子育ての経験もない。ただ、自分が父親になる日が来るとしたらこどもには好きにやっちゃってもらいたいと思っている。根本的には「今夜食うものがあって明日食べるのに困らないカネがあり、屋根のある場所で眠ることができる。それだけでOK!【生きているだけでいい、それ以外はおまけだよ】」的なスタンスで付き合っていきたい。学校も「行きたければ行けばいい」だけの話で、行きたくないなら別に行かなくてもいいのだと思う。仕事も同じだ。やりたければやればいいし、やりたくなければやらなければいい。そうした純度を貫いた先に、世界にひとつだけの「自分というオリジナルな生き方【存在】」は確立をされていくものだと思う(なんてことを書くと「だからお前は無責任なんだ!」と怒られてしまいかねないけれど、では、真の責任とはなんだろうかとわたしは思ったりする)。

 

 

自分を生きる。これ以上に雄弁なことはあるだろうか。誰かの生き方にああだこうだと口を出すこととか、自分のコントロールを超えた範囲の世界に首を突っ込むことなど、多くの場合は「過干渉【余計なお世話】」となりお互いに疲弊して終わることは多い。相手を変えることはできないけれど、自分を変えることはできるという月並みな言葉を引用するまでもなく、まずは自分からなのだと思う。自分の大好きなあのひとも、自分を幸せにすることはできない。自分の大嫌いなあのひとも、自分を不幸にすることではできない。自分を幸せにするものは自分の解釈であり、自分を不幸にするものも同じように自分の解釈になる。 傷つくことを自分に許さなければ、どのような言葉を言われても「関係ないよパワー」的なもので突破をしていけるものだとわたしは思う(というのは嘘で、そりゃあ生きていればウッカリ傷いてしまうこともある。ただ、いつまでも傷ついている場合ではないのだと思う)。

 


自分を幸せにできるのは自分だけ、という言葉には語弊がある。わたしは、やはり「他人の存在は自分の幸福に不可欠である」ように思う。もちろん、自分が自分を楽しませたり幸せにすることももちろん(ある程度の範囲内であれば)可能だとは思う。ただ、ひとと話をしたりハグをしたりそれなりのスキンシップを交わすことは、自分ひとりだけではなかなかできない営みになる。抱きしめられることでしか解決しないこと、自分ひとりだけではどうしても埋めることのできないある種の穴を、他人の存在が満たしてくれることもある。わたしたちは多分、ひとりひとりが凸と凹のようなもので、ぴったり当てはまるひとと同じ時間を過ごす時に「最高のハピネス!」を感じるようにできている。だからこそ、自分が好きだと思うもの、自分が好きだと思うひとには怯むことなく「好きです」ということを全身であらわしていきたいのだと、そういうことを思っている。

 

 

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可愛過ぎてやばい。。。

 

人生は続く。

 

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清々しい生き方をしなければ、人生の最後に惨めになる。

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いま、静岡駅前にあるタリーズにいる。ごちゃまぜの家の準備や対応に追われ、横浜に長居をしてしまったために「このままでは死ぬ!」と思って静岡に逃げた。今世のテーマは「長居は無用」ということで、要件さえ済んだらできるだけ早くその場所を離れるようにしている。いまいる場所を離れることで、自分が置かれている状態を俯瞰できる。多分、長居することは執着を生むのだと思う。園芸師の方が「植物は風通しの良い場所を好むから、密集している枝葉は剪定をした方がいいですよ」と言っていた。清々しい雰囲気を好むもの、風通しの良い環境を好むものは、植物だけではなく人間も同じだと思う。

 

 

鉄砲玉48に新メンバーが加わった。現在14歳で中学校に通う代わりに社会に飛び出すことで「生きることのなんたるか」を勉強中のえりか姫が、取り急ぎ6月14日まで鉄砲玉の一員として菊名の家に滞在する。えりか姫は開口一番「菊名の家に住んでもいいですか!」とわたしに問うた。わたしは「ダメです!」と答えた。菊名の家は風通しの良い場所にしたいので、特定の誰かが常にそこで暮らしているみたいな状態にはしたくない。ただ、期間限定で「わたしはこういうことをやるために菊名の家にしばらくいることになりました!」的なものがあれば、それは別に問題はない(むしろ最高だと思っている)ということを伝えた。これまで、えりか姫は母親とふたりで相模原市に暮らしていた。えりか姫には夢がある。それは「パスポートを獲得してタイに行く」というものだ。しかし、えりか姫親子は現在生活保護を受給しているためにパスポートを取得することは難しい。そのため、えりか姫は若干14歳にして「親元を離れて自活する【生活保護の受給対象者から外れて自分の力で生きる】」という道を選んだ。

 

【イベント情報】【1th「僕に好きかとキクナんて」/TPD48】

 

えりか姫の顛末。 

えりか姫が学校に行かなくなったのは小学五年生の頃から。当時から「学校がすべてではないような気がする」と思ったえりか姫は(世間的には)不登校児童ということになり、学校に行かない道を歩き始めた。実母とふたりで暮らしていたが、家庭の事情で生活保護を受給しているために、それほど自由がきく訳ではない(どこに行くにもなにをするにも許可がいるし、そもそもで自由になる金がない)。母親と狭い空間でふたりで暮らしていると、どうしてもお互いの距離が近くなって「どうでもいいことでも口喧嘩が起きてしまい、揉めてしまうことが多くなっている」と話す。14歳になったえりか姫は「そろそろ親元を離れた方がいい!そのためには、自分の力で生きる道を探さないと!」ということを察知して、喫茶店の手伝いをしながら珈琲の淹れ方を学んだり、自分自身をフリー素材として開放しながら(普通だったらなかなか出会うことのなかった)大勢のひとたちとの交流を楽しむようになってきている。

 

えりか姫は、行動よりも『存在そのもの』が問いになっている。14歳だけど学校に行っていないと話すと、周囲の人々は「義務教育なのに大丈夫なの!?」とか「こどもでもお金を稼いでもいいの??」とか「お母さんはなんて言っているの??【そんなことって許されるの??】」とか、えりか姫よりもえりか姫を見た周囲の人々の方がざわついてしまうことは多い。取り急ぎ、6月14日まで菊名の家に滞在をすることになったえりか姫は「珈琲を淹れる代わりにお小遣いをください!」的な活動(?)をやることになった。珈琲を一杯いくらで提供するというのではなく、自分にできることは珈琲を淹れることとか料理をすることとか一緒に話をすることくらいしかないけれど、それを精一杯やらせていただく代わりに「わたしを生かしてください!」とみなさまに爽やかに懇願をするスタイルになる(説明はうまくできているのだろうか)。

 

えりか姫の当面の目標は「まずはパスポートを取る!」ということで、一万円ちょっとの費用がかかるらしい。その次の目標は「タイまでの往復航空券を取る!」というものになるのだけれど、どうやってそれを実現するのかはやってみなければわからない。この先、えりか姫が菊名の家にどれだけいることになるのかも不明だ。しかし、菊名の家にはそれなりのひとの出入りがあるために、出会ったひとから「もしも困った時は我が家に来てね」的なことを言ってくれるひととたとえば10人知り合えたとしたら、えりか姫は家がなくても「みなさまの家々を転々とする」ことで家の問題はどうにかなる(のかもしれない)。彼女が今後どのような人生を送るのかは、実際にやってみなければわからない。もしも、ちょっとでも面白そうと思ってくださる方がおりましたら、上記のイベントページよりえりか姫に直接コンタクトを取って見てください(多分、フェイスブックから連絡をとるのが一番だと思います。えりか姫はWi-Fi環境がないとWEBを見れないので、多分、返信は遅れる可能性が高いです)。

 

【過去記事】自分の「好き」を貫く。 - いばや通信

 

菊名のラジェスさん。

菊名の家には、数ヶ月前までネパール人のラジェスさんという方が暮らしていた。ラジェスさんの人柄が最高で、現在は東京の方に暮らしているのだけれど、荷物の整理などで頻繁に菊名の家に遊びに来てくれている(次は明日月曜日に来てくれることになっている)。 えりか姫は14歳にして親元を離れて自分の力で生きて行く道を歩くことになったという話をしていた時、ラジェスさんは「ネパールでは、歩き始めたら仕事をするようになるよ。だから、3歳とかは立派な労働力だよ」などと話してくれた。その時はまだ菊名の家にガスを引いていなかったので、風呂でお湯を使うことはできなかった。それを聞いて、ラジェスさんは「ネパールでは冬は気温も二度までさがるけどみんな水でお風呂にはいるよ。最初は寒いと思うけど、一週間もすれば誰でも慣れるよ。人間はどうにかなるようにできているんだよ」みたいなことを話してくれて、それを聞いた日本人の我々は戦慄をした。

 

菊名の家に太陽光をとりつけたいねなんて話していた時、ラジェスさんは「ネパールは18時間(!)は停電をしているから、夜はロウソクを使って早めに寝ちゃうよ。最近ではちょっとよくなってきているみたいだけど、大きめのソーラーパネル四枚程度で四家庭くらいの電気はどうにかなっているよ」などと話してくれた。話題がお酒に移った時など、ラジェスさんは「ネパールではお酒の年齢制限がないから、小さなこどももお酒を飲むよ。あかちゃんが風邪をひいちゃった時は、お酒を飲ませることで酔わせて早めに寝かせつけちゃうんだ」などと話してくれた。日本の常識が世界の常識とは限らないし、日本の非常識が世界では平気で行われていることもある。わたしは、ああ、うまく言葉にできないけれど『いい感じの風』が菊名の家に吹き始めているなあと思った。

 

菊名の家には、ラジェスさんがくれたペルシャ絨毯とシンギングボールが置かれていて、開始早々、菊名の家にはネパールの風が吹き始めている。ラジェスさんの瞳は驚くほど綺麗で澄み渡っていて(日本語もペラペラ!)、ラジェスさんと話しているだけで「人生は意外とどうにかなるのかもしれない」という気持ちになる。日本語もなにもわからない状態で(当時は日本画家になることが夢だった)ラジェスさんは単身日本にやってきて、かれこれ20年近い年月が流れたと満面の笑顔でラジェスさんは話す。ラジェスさんの苦労に比べれば、我々が直面をしている問題など「ちっぽけなもの」に過ぎないのだと思う。日本に暮らしている限り、我々日本人には「日本語が通じる」という最高のメリットがある。自分の気持ちを伝えることができる。ひととコミュニケーションをとることができる。コミュニケーションをとることができるということは、多分、全然余裕でどうにかなるということだ。えりか姫や、菊名の家のこれからが楽しみになる【今度、ラジェスさんがネパール料理を作ってくれることになりました!!】。

 

【過去記事】完璧にはなれなくても、幸せにはなれるんだよ。 - いばや通信

 

清々しい生き方をしなければ、人生の最後に惨めになる。

えりか姫のいいところは、生活保護を受けているだとか若くして親元を離れる必要があるとか学校に通うことができなかったとか、そういうことで「悲壮感を漂わせていない」ことだと思う。彼女は普通で、落ち着いていて、結構平気そうにしている。いまどんな気持ちなのかと尋ねると「ハラハラしています」とは答えるけれど、そのことで「自分はなんてかわいそうな女の子なのだろう!」みたいな悲劇のヒロインを演じている雰囲気はない。潔くあること、清々しくあることはわたしの人生のテーマでもあるので、えりか姫のあり方を見ながら「結構いい感じじゃないか」などと思ったりもする(普通に家の掃除なども手伝ってくれるので、正直ものすごい重宝している)。

 

 

悲壮感を漂わせないこと。これはほんとうに大切なことだと思う。あらゆることは「自分がやりたいからやっているだけ」のことであり、誰かのせいにしたり【誰かのためだとか言ってみたり】、世の中を恨んでみたり、自分が置かれている境遇を嘆くことは根本的に『ダサい』行為だとわたしは思う。しかし、稀に、どうしたって自分に同情をしてしまったり誰かに理解をしてもらいたいと願ってみたり、頑張っている自分を認めてもらいたいとかなんとか思ってしまうこともある。忙しい時、イライラしている時、こころの余裕を失ってしまった時などは特に危険だ。そんな時は、ひとりになれる時間が必要になる。わたしは弱い人間だ。いま、こうして静岡県に逃げて来ているのも、弱い自分を護るためなのだと思う。自分を護り、一旦冷静になることができた状態で、もう一度菊名の家【それぞれの戦場】に戻る。戦場という言葉を使ったけれど、これは傷つけ合うための争いではなく、世界をより良いものにするための争いなのだと思っている。

 


昨日遊びに来てくれた方から、一通のメールが届いた。誤解を恐れずに言うと、菊名の家は「いつ終わってもいい」と思っている。続けるためにはどうすればいいかではなく、続けることは難しくなってしまっても構わないからやりたいことは躊躇をしないでやっていこう、続けるためではなく「生きてきた思い出を残すため」にやっていこうと、そう思っている。連日続く忙しさのあまり余裕を失いかけていた時、ふと、見上げた空が綺麗だった。青々と広がる空の海を、大きな雲が悠々と流れていた。なにもかもを失うことがあったとしても、この空は、この雲は、この自然は失われることはないのだと思った。自分にはこの空があるじゃないか。自分にはこの雲があるじゃないか。自分には最後まで奪われることのない『自然』が残されているじゃないか。この空があれば、きっと、自分は何度でもやり直せる。そういうことを思っていた。

 

 

圭吾さん


おはようございます。
昨日はありがとうございました。

 

ごちゃまぜの家が始まり、お家に命が吹き込まれたのを感じました。

 

圭吾さんのあたたかさや大切にしている気持ちが空気となってあの心地よさになるんだと思います。


改めて圭吾さんのこと、ごちゃまぜの家のこと、素敵だなと感激しております☆

 

そしてご縁に感謝しております。

 

本当にありがとうございます。

 

昨日は子供たちもとーっても楽しませて頂いて、上の子は帰り際、帰り道に「泊まりたい、泊まりたかった~」と言っておりました。


私もそんな子供たちを眺めながら、えりかちゃんに美味しいコーヒーをいれて頂いたり幸せな時間を過ごさせて頂きました。

 

是非また遊びに行かせてください。

 

感謝の気持ちを伝えたくて連絡させて頂きました。

 

お忙しいと思いますので返信は大丈夫です(^_^)

 

明日もどうぞよろしくお願いいたします。 

 

 

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清々しい生き方をしなければ、人生の最後に惨めになる。。。

 

人生は続く。

 

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自分の「好き」を貫く。

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ごちゃまぜの家がはじまってから早5日、様々な方々が手土産と一緒に訪問をしてくれることが嬉しい。個人的に一番嬉しいことは、子育てでちょっとだけ疲れているお母さんがこどもたちをごちゃまぜの家に放り投げて(面倒は同じ場所に居合わせたひとたちが見る)、ホッと一息をついていただけること。数日前、7歳の女の子と3歳の男の子を育てているお母さまが来てくれた。こどもたちは謎にテンションが高まり、絶叫しながら家の中を走り回っては布団に飛び込み続けていた。帰り際、お母さまが「坂爪さんたちと出会えて、生きててよかったなあって思いました」なんてことを言ってくれたので、あまりうまく気持ちを表現することができないのだけれど、その瞬間は泣きそうになってしまった。

 

 

わたしはこどもが大好きだ。一緒にいるだけで元気になる。しかし、365日24時間一緒にいたらそりゃ腹が立つこともあれば余裕を失って軽いノイローゼ気味になることもあるだろう。それは母親失格なんてことじゃなくて、ひととして「当たり前の反応」が出ているだけだと思う。そんな時、ごちゃまぜの家の存在がいい感じに機能をすればいいなあと思う。ごちゃまぜの家では、現在鉄砲玉48【通称・TPD48】なるものを発足させてどのような展開が起こるのかを見守っている。TPD48とは基本的にはあらゆる御依頼に対して無償で御奉仕をするスタンスで活動を行う捨て駒の集合体(拒否権もある)になりますので、なにかしらの要望がある方や、TPDを通じて菊名の家をご覧になりたい方々は、是非、下記のイベントページ欄よりお気軽にご連絡ください(取り急ぎ14日までの様子見開催となっております)。

 

【イベント情報】【1th「僕に好きかとキクナんて」/TPD48】

 

酒がなくても酔える家。

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こちらがごちゃまぜの家の間取り図になる。こちらの家屋を家賃無料で提供していただいた。この世の中には、確実に「粋なひと」と呼ばれる類の人種が存在をしていて、わたしのような世間的弱者【完膚なき無職】にも、果てしない優しさを与えてくれる。だからこそ、わたしは「この家を大切に使いたい」と思う。そして、この家を大切に使っていただけるひとを優先的に歓迎したいと思う。ひとを平等に愛することが美徳とされているならば、わたしは、美徳のない人間ということになる(のかもしれない)。しかし、初動は非常に大切であるような気がしているために、最初はこの家を大切に使っていただける方々【及びクラウドファンディング支援者の方々】を優先的に、住所の公開をしていきたいと思っている。

 

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朝のお勤めは近所の篠原八幡から。

 

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龍のご加護を受ける。

 

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この20倍の規模の庭を、

 

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この20倍の規模で整える。

 

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木登りができるように剪定をする。

 

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居間に差し込む太陽の光。

 

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縁側を天国にしたい。居間にある椅子は、すべて、縁側を眺めることができるように設置をした。コンセプトは「自然に背を向けない家」ということで、昼間は日の光を取り入れて明るく、夜は夜らしく「暗闇を楽しむ」ことができたらと思う。昨夜、高校時代の友達が遊びに来た。彼は酒が大好きだから酔っ払っていい感じになっていたけれど、酔うほどに下品になる彼を見ながら「最低だな」と思った。誤解を恐れずに言うと、わたしは「酒がなければ酔えないひと【自分の本音を出せないひと】」を軽蔑している。この家のコンセプトは「酒がなくても酔える家」でもあるために(適当!)、彼のように「ほんとうはやさしい部分もたくさんあるのに見栄やプライドが邪魔をして自分の本音をなかなか言えず、酒の力を借りることでひととつながろうとする(自分の弱さを隠そうとする)ものの結果的に醜態を重ね続けている」ひとにも温かな場所になればいいと思う。 

 

【過去記事】好きなように生きなさい。 - いばや通信

 

セックスをしたいです。

いまから三ヶ月前、自分自身をフリー素材として「自由に使ってください」と開放をしていた時に、ある女性から「セックスをしてください!」という御依頼が届いた。結果的にセックスをすることはなかったのだけれど、わたしは「正直に自分の気持ちを言えるこのひとは素晴らしいな!」と思った。わたしは思う。結婚をした後にセックスレスになってしまったカップルは、もう、死ぬまで誰ともセックスをすることなく枯れ果てていくのだろうか。ひとを好きになる気持ちは素晴らしいものだと思うけれど、結婚をした途端に「ひとを好きになる」ことが禁止をされてしまうのはどういうことなのだろうか。わたしは結婚をしたことがないのでわからないけれど、セックスレスの夫婦は多い(と聞く)。みんな、いったいどうしているのだろうか。今生は諦めているのだろうか。それとも、こっそりガス抜き【浮気や不倫や風俗の利用など】をしているものなのだろうか。

 

坂爪さん

 

こんにちは❣️

 

先日のツイキャスライブ、聞きました!

 

ポリアモリーや、複数恋愛についてお話ししているところ、

 

「複数恋愛する人には2パターンあって、一つはただフラットに複数恋愛する人、もう一つは向き合いたくないことがあるからそこから目をそらすために複数恋愛する人」の部分はアイテテテ…となりながら聞いていました…!(;ω;)

 

私、めっちゃ後者…!

 

先日のブログでもお父さんにお手紙を書かれたかたの話し、偽りの平和を終える為のバトルは必要だという記事。

 

私にとって「戦う」相手は旦那さんなんだよなっ、て思いました。

 

何をどう伝えたらいいのかずっと考えていたのですが先日ちょうど話せる機会があったので、素直に全部伝えてみました。

 

最近旦那さんのことが好きかわからなくなっていたこと。

 

離婚した方がいいのかなと思っていたこと。

 

でも今の生活は好きだし、旦那さんに不満もいっぱいあるけどやっぱり旦那さんが好きなこと。

 

ももし離婚しないとして、結婚している間は他の誰ともエッチとか出来ないのかなと思うとつまらないなって思っちゃう自分がいること。

 

それを伝えてる間も色んな感情が湧いてきて、

 

あーこんなこと言ってやっぱり旦那さんに嫌われちゃうかな、やっぱりそれはイヤだな、ってことはやっぱり私旦那さんが好きだったんだなあー
とかとか。

 

で、それを聞いた旦那さんの答えは
「したいなら、すれば?」
でした。

 

「え、いいの?」

 

って聞いたら

 

「したいと思うんならすればいいんじゃない?だってそう思っちゃったんでしょ」と。

 

受け入れてくれた!まさかの!めっちゃ嬉しかったです。

 

浮気を公認(?)してもらえたことがというより何より、どんな私でも受け入れてくれた旦那さんに感動しました✨。゚(゚´ω`゚)゚。

 

旦那さんのこと信用せず、どうせ嫌われちゃう、怒られちゃう、と被害者意識を募らせ一人で拗ねていじけて、色んなこと全てに素直になれなくてこじらせていたのは自分だったんだ


ということが、心底腑に落ちました。

 

坂爪さん、坂爪さんにお会いした時「旦那さんにちゃんと伝えた方がいい」と言われなかったら今こんな風に思えず、まだまだこじらせていたままだったと思います。

 

ありがとうございました!本当に感謝しかないです✨

 

で、旦那さんの器の大きさに感動して、私もそんな旦那さんが大好きとなって、


それでも坂爪さんとえっちがしてみたいのかな?と改めて考えてみて…。


それでもやっぱり私はしたいなって思うのです。

 

いや、えっちまでしなくてもいいんですけどせめてチューくらいはとかゴニョゴニョ…(〃ω〃)

 

やっぱり出来たら嬉しいな、って思いました!

 

大好きです❣️

 

長くなってごめんなさい!

 

ごちゃまぜの家、いい感じの場所になりますよう心からお祈りしています。

 

ではではーー✨

 

わたしは「素晴らしい!!!!!」と思った。いろいろと思うことはあったけれどなによりも「相変わらず正直だな!すげーな!」と思った。そして、旦那様との関係性を進めた彼女の覚悟と勇気を讃えまくりたいと思った(超絶尊敬した)。誤解されると困るが、わたしは月並みなフリーセックスを提唱したい訳でもなければ浮気や不倫を肯定したい訳でもない。ただ、自分の「好き」を押し殺しながら生きていると結果的に魂が枯れ果ててしまってゾンビみたいなことになり、生きているんだか死んでいるんだかわからないことにはなる(誤解を恐れずに言えば、そういうひとは大量にいるような気がする)ということだ。本音から二歩も三歩も手前の話題で相手の心情を探るよりも、コミュニケーションをとりたいなら「コミュニケーションをとりたいです」と言えるひとを、セックスをしたいなら「セックスをしたいです」と真っ直ぐに言えるひとの清々しさを、わたしは愛している(セックスをしたいと思うことは、意外と『純愛』だと思う)。

 

【過去記事】人生とは、純度の勝負である。 - いばや通信

 

自分の「好き」を貫く。

2日前の夜に神奈川県秦野市で開催されたイベントの帰り道、鉄砲玉のたくちゃんが運転をする車で熱海に向かう途中の駐車場で、車と車の接触事故が起きた。車も人間も無傷で住み、結果的にはなにも問題はなかったのだけれど、事故が起きるとそれなりにショックを受ける。警察官の方々にもお世話になり、事情徴収を受けながら保険屋さんにも電話をし、職業はなにをしているのかと問われた際に「無職です」としか答えることのできない自分達を軽く恥じつつ、なにはともあれ「これがひとを轢いてしまったとかではなくてよかった」と心底思った。人生はなにが起こるかわからない。油断をしていると、必ず何処かで痛い目に遭う(ようにできている気がする)。わたしの信条のひとつに「調子に乗ったら即死する」というものがあるのだけれど、この事故はうわつきかけていた自分の気持ちをギュッと引き締める、非常に素晴らしい出来事になった。

 

 

事故後、事故現場近くのコンビニに立ち寄る(私はトイレを我慢していた)。すると、矢沢永吉似のおじちゃんR様が「なんかあったの??」とやったら楽しそうに声をかけてきた。話を聞くと、現在55歳のR様は若い頃に相当のやんちゃをしていたそう(現在はちゃんと仕事をしています。でも、可愛らしさと格好よさが謎に異常!!)で、いまでもパトカーや事故現場を見るとワクワクしちゃう(時には「なにがあったの?」って話しかけちゃう)のだと話す。接触事故を起こしまして、などと伝えると「大変だったねー!俺も、昔はパトカーを何台もぶっ壊したからそういうのはよくわかるよ!」と、なんだかものすごい話をしはじめたので私たちは爆笑しながらR様の話を聞いた。若かりし頃のR様は、検問があると知れば(なぜだか不明過ぎるけれど)酒を大量に浴びた状態で猛スピードで検問を突破することを生業とされていらっしゃった方で、銀座も世田谷も横浜も余裕だった、成功率は100%だった、だけど過去に一度だけ捕まってそのまま逮捕をされた場所がある、それが茅ヶ崎だ、あれは不覚だった、だからおれはいまでも茅ヶ崎には頭があがらないんだみたいな話をしてくれた(事実かどうかは不明!!)。

 

 

R様は「芸能ニュースとか見ていると、浮気だとか不倫だとかで騒ぐけど、おれから見たら『ちっちぇえなあ』って思っちゃう。そんなことはどうでもいいじゃあねえか、どうせやるなら極めろよ」と話してくれた。うまく説明をできる自信がないけれど、私たちは「俺たちはまだまだだな。まだまだいけるな」と思った。R様は全身から「自分の好きを貫いて生きてきました」的な圧倒的な存在力が漂わせていた。帰りの車内で、私たちは「俺たちもこういう雰囲気を醸し出せるようになれたらいいね」という話をした。いつの間にか、事故を起こしたショックは消えていた。自分の「好き」を貫いて生きているひとは、それに触れるひとのこころまで自由にさせる力がある。事故現場を離れて熱海に向かう道中、新潟在住の女性から一通のLINEが届いた。他人の生き方にああだこうだと言うこことよりも、取り戻すことのできない過去を嘆くことよりも、失敗を恐れて自分の気持ちを縮めてしまうことよりも、瞬間瞬間における自分の「好き」を貫くこと、これに勝るよろこびはないのかもしれないと思った。

 

 

坂爪圭吾様

 

初めまして。◯◯◯と申します。

 

以前より、twitterやブログを読ませていただいております。

 

そして勝手ながら、ゆうちょ銀行への振込と、LINE登録をさせていただきました。

 

うまく言葉に出来ているか分かりませんが、

 

坂爪さんのブログやtwitterは、

 

本当は誰もが気づいていて感じているのに、無意識に(もしくは意識的に)拒絶し、本来とは違う方向に努力して苦しい思いをし、さらにそんな自分にダメ出しをしている多くの人達の心の中にある、本人も忘れてしまっている本当の(純粋な)気持ちを取り出して、

 

「これでいいんだ」と気づかせて(思い出させて)くれるように感じております。

 

ご実家が小針との事で、私は今内野のあたりに住んでいます(7月から◯◯【坂爪註・小針駅の隣駅】に引越します)ので、勝手に親近感も感じております。

 

ごちゃまぜの家のクラウドファンディングに支援をしたかったのですが、タイミングが合わず(あくまでもこちら側の都合なのですが)、でも何かの形で、私の出来る事で関わりたいと思っていたところ、振込先の口座を公開して下さったので、振込させていただきました。

 

少額ですが、ごちゃまぜの家に限らず、坂爪さんが必要と思われる事に使っていただければ幸いです。

 

ごちゃまぜの家の事を思う時、何故かフリーエネルギーの事が頭に浮かびます。


そのうちフリーエネルギーの時代もやって来るな、と勝手にワクワクしております。

 

梅田にも新しくごちゃまぜの家が出来る予定との事【坂爪註・梅田にあったら最高だなと思っているだけで、現状はなにも進展はありません!!頑張ります!!】、もし発足したなら、もしかしたら利用させていただく機会があるかも知れません。

 

長くなってしまい申し訳ありません。

 

これからも、ブログとtwitterを楽しみにしております。

 

拙文失礼いたしました。

 

 

https://www.instagram.com/p/BU0EfGRj5CD/

菊名の家。。。最高よりももっと最高を目指す。。【鉄砲玉48をよろしくお願いいたします!!】

 

人生は続く。

 

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踊ることさえもできなくなる日が、必ず来る。

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ごちゃまぜの家の記念すべき第1号が横浜市港北区菊名からはじまった。昨日、正式に契約を終えて荷物の搬入を行う。事前から「はじまる時は声をかけてね!」と声をかけていただいた方の元に音速で駆けつけ、テーブルや椅子や大量の雑巾と大量の布団セット(布団セットを4組貰ったつもりが、蓋を開けて見たら掛け布団が4組はいっていたので現状掛け布団だけ家にあります!)を受け取り、飛騨産業のロッキンチェアまで譲り受けた。今日は洗濯機と冷蔵庫をいただく流れが来ていて、貰い物だけで成立する家になったら面白いなあなどと思う。ごちゃまぜの家のテーマは「温故知新」にしようと、今朝、庭の掃除をしながら思った。先祖代々から伝わる知恵や文化を継承しつつ、しっかりと未来も見据えていく「未来感漂う家の在り方」を追求してみたいと思う。

 

 

このような営み(?)をしていると「昔は日本もこうだったんですよね!」的なお言葉をいただくことがある。が、わたしは決して昔に戻りたいとは思わない。真逆で「未来に進みたい」と思っている。ただ、あまりにも未来のことばかりを考えていると『地に足がついていない感』が自分の中から醸し出されてしまうような気がするので、そこら辺はしっかりとバランスを取っていきたい。バランスを取るということ、これは非常に重要なテーマだ。いいことばかりをしていると悪いことをしたくなり、悪いことばかりをしているといいことをしたくなる。真面目なことばかりをしていると、肚の裏側で『全身全霊のギャグをかましたい』などと思ったりする。世の中が「ありのままで」などとやかましい時は、ありのままでいい訳がないじゃないかなどと思ったりする。世の中が「いまを生きる」とか「ワクワクに従う」などとやかましい時は、いまを生きている場合ではない【ワクワクに従っている場合ではない、ゾクゾクに従え!】などと思ったりする。誤解を恐れずに言えば、生きとし生けるものの本性は「天邪鬼(真面目な不良少年&少女)」なのだと思っている。

 

【イベント情報】5/31(水)坂爪圭吾さんトークライブ☆秦野くりはら

 

ダサいものは捨てる。

菊名の家にあるダサいものを徹底的に捨てる。掃除は人生哲学にも通じるものがある(ような気がしている)。ダサいものを捨てること、中途半端なもの(例えば百均の商品など)の介入を阻止すること、自分のこころがときめくものだけで空間を織り成すこと。安物買いの銭失いなどという言葉もあるけれど、わたしは「いいものを長く」使いたいと思う。これは、多分、人間関係にも通じるものがある。よくわからないひとたちとよくわからない付き合いをするよりも、わたしは「いいひとと長く」付き合っていきたい。友達は好きだけれど、友達ごっこは好きじゃない。ひとと話をすることは好きだけれど、表面的な会話を続けていると虚しくなる。愛想笑いをしないこと、自分の本音を隠さないこと、時には言い辛いことも勇気を出して真っ直ぐに伝えるということ、それが真の意味で「誠実である」ことのように思う。

 

【過去記事】真の平和を望むなら、偽りの平和を終えることだ。 - いばや通信

 

所有はダサい。

先日、とある著名人K様がポルシェを購買したという話を(K様の知り合いの女性から)聞いた。わたしは、まだそんなことをやっているのかと思った。ので、K様の知り合いの女性に「もしもK様に次会う時は、このように伝えてください。K様、いまのままではあなたは猛烈にダサいですよ。でも、そのポルシェをごちゃまぜの家の駐車場に置いて『僕が使っていない間は誰でも自由に使っていいですよ』ってみんなと共有をしてくれた日には、あなたは死ぬほど粋な男ですよ」と言った。多分、これまでの時代は「どれだけ素晴らしいものを『所有』しているか」がそのひとの格好よさ【社会的な地位】を測る尺度になっていたのだと思う。しかし、21世紀的な考え方では「どれだけ素晴らしいものを『共有』しているか」が、そのひとの格好よさを測る尺度になるのではないだろうなどと思っている。

 

豪邸を買ったひとがいる。でも、周囲のひとから見れば「だからなに?」という話である。だがしかし、そのひとが突如「誰でも自由にこの家を使っていいですよ!」的なノリで、その豪邸を開放【共有】した瞬間から、そのひとは『最高に粋なひと』になる。誤解を恐れずに言えば、所有を誇っている間は死ぬほどダサかったはずのあのひとも、それを共有した瞬間から、一気に格好良くなるという謎の逆転現象を発見した。これはたとえばの話になるけれど、これから先の人生、坂爪圭吾が手に入るものは家も車もなにもかもすべて「生きとし生けるものの共有財産になる」というとする。さすれば、たとえばわたしが家を手に入れた時は「みんなにとっての家が増える」ということになり、わたしがポルシェを手に入れた時は「みんなのポルシェが手に入る」ということになる(説明が下手すぎるけれど上手に伝わっているのだろうか…)。

 

こうなると、自分が豊かになるほど周囲のひとも同時に豊かになる【共有財産が増える】という流れになる。わたしは、こんな感じの流れを「いい感じだな」などと思う。所有の裏側には常に「失うことに対する恐れ」がある。どれだけ貯金や所持品を増やしたとしても、失うことを恐れるあまりに「まだ足りない!まだ足りない!」などなってしまい、死ぬまで所有物を増やそうとしてしまうのは人間のサガだ。そして、そのことによって「自らを身動きが取れない状態に置いてしまう」ことにもなる。しかし、共有という考え方には「失うことに対する恐れ」がない。仮に自分の手元からは一切合切がなくなってしまったとしても、まあ、いいか、別になにも問題はない、自分にはなにもなくても他のひとが持っているからどうにかなるという「こころの余裕」を生む。そういう話を、先日のツイキャス音声配信からちょっとだけ話したので、興味のある方は是非聞いてみてください(そして実際にお会いした際に話の続きをいたしましょう!!)。 

 

【音声配信】Recoded Radio ゴダまぜの家 - いばや #375656516 - TwitCasting 

 

踊ることさえもできなくなる日が、必ず来る。

続けることに価値があるならば、終わらせることにも価値がある。この前の日曜日にわたり食堂【0円食堂】を開催した。そして、この日がわたり食堂&わたり文庫の最終回ということに(前日の夜に突然思い立ってそうすることに)して、およそ2年間続いた活動は終わった。認知度も高まり楽しみにしているひとも増えているのにどうして終わりにしちゃうのですかと尋ねてくださる方々に、わたしは正直に「自分が飽きてしまったからです」と答えた。わたり食堂の活動も、わたり文庫の活動も、我ながら素晴らしい営みだなと思いながら続けてきた。しかし、同時に「なんだかちょっと飽きてきたな。そろそろ刷新の必要があるな!」とも思っていた。わたり食堂を終わらせることに決めた時、不思議と、こころに「爽やかな風」が吹くのを感じていた。終わりは同時にはじまりでもあると言う。自分をレベルアップさせるために、古い自分を一回殺す(終わりにする)ことは、魂の新陳代謝になるのかもしれない。

 

 

ツイキャス音声配信の中でも話しているけれど、わたしは「いつか」とか「またの機会に」という言葉をあまり信用していない。いまやらなければ、多分、永遠にやることはないのだろうということを頻繁に感じる。わたり食堂も、本来であれば定期的に開催されることになっていたのだけれど、それでは「(何かをやりたいと思う気持ちが湧き出したとしても)毎月やっているならいまじゃなくていいか」という気持ちを生むことにもなる。その感覚を断ちたいと思う。すべてに終わりの瞬間があるということを、明確に意識しはじめた時に「いま」という瞬間に強烈な輝きは宿る。生きているのはいまだけだということ、目の前にいるひとも、目の前に広がる風景も、当たり前だと思っていたはずの日常も、もしかしたら「これが最後になるかもしない」という静謐な感覚を、失いたくないと思う気持ちが終わりにする道を選ばせた(のだと思う)。

 

 

失敗を恐れたりひとに馬鹿にされることを恐れて、自分の歌を歌うことを躊躇してしまうことがある。しかし、すべての瞬間には終わりがある。傷つくことを恐れることもあるけれど、いつの日か『傷つくことさえもできなくなる』瞬間が必ず来る。心臓に耳をすませる。鼓動の音が聞こえてくる。命は踊りたがっているのだと実感する。生きるということ、生きたいと願うこと、それは「踊り続けるということ【時には傷つくことさえも厭わないこと】」と同義なのかもしれないと思う。命は踊りたがっていて、カラダも、ココロも、それにつられるようなカタチで『自分のなにもかもを投げ出して、本当は踊りたい』のだと思う。それは、多分、いつの日か踊ることさえもできなくなる日が来ることを知っているかのように、生きろ、生きろ、と叫んでいる。

 

 

https://www.instagram.com/p/BUsX0c5DVKe/

あたひ。。。(熱海の朝日)

 

人生は続く。

 

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完璧にはなれなくても、幸せにはなれるんだよ。

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ベトナムハノイに到着をして、今日の夜には熱海に戻る。バンコクから行動を共にしていたK様を、途中、マレーシアのクアラルンプールあたりから「君は立派な大人だしひとりでも大丈夫だよ!」と野に放った(空港に置き去りにして逃げた)。置き去りにした最大の理由は「最初から最後まで一緒にいたら、伸びるものも伸びないだろう」と思ったからで、ドラゴンボールという漫画の中でピッコロさんというキャラクターが幼い孫悟飯を強制的にジャングルに放置した時の、あの感覚に似ている(のだと思う)。一時的にK様からは大顰蹙を買った(「殺してやろうかと思いました!」くらいのことは言われた)ものの、数日後、久しぶりに再会をしたK様の表情は数日前に見たそれよりも数億倍美しく精悍なものになっていた(ということにする)。

 

 

明日28日日曜日には熱海でわたり食堂【0円食堂】 が開催される。どなたでもご参加いただける内容になりますので、少しでも気になる方はお気軽に遊びにいらしてください。当日、15時頃から今回の東南アジアの土産話的な意味も込めて「ごちゃまぜの家にまつわるサムシング」を、参加者のみなさまと話したり離さなかったりできたらいいなあと思う。紆余曲折あったものの、29日月曜日には菊名の家の本契約が行われ(る予定!)、何も問題がなければめでたく「ごちゃまぜの家第一号の誕生!」という流れになる。その時は、是非、みなさまもご一緒に「(これからどうなるかは未知数だけれどとりあえず)やったね!」と生きる歓びを共に分かち合っていただけましたら幸いです。

 

【イベント詳細】わたり食堂【0円食堂】

 

梅田にごちゃまぜの家を作りたい!

昨日の夜、時間を持て余していたので各種SNSから「時間のある方はLINEで話したりしましょう!」と投げた。すると、非常にありがたいことに様々な方々からご連絡をいただき、猛烈に有意義な時間を過ごすことができた(ご連絡をいただいたみなさまありがとうございます!!)。最初の電話のお相手は京都在住のシングルマザーN様で、北海道出身のN様からは過去に大量のじゃがいもを熱海に贈っていただいたことがある。その時の御礼を伝えると「わたしには何もすることができないので…」などとおっしゃるので、いやいやいや!既に大量のじゃがいもを贈ってくださっているではありませんか!何を言っているのですか一体(こうしてお気持ちを伝えていただけるだけでもどれだけ力になることか)!!!みたいなやり取りを交わした。

 

電話の中で、わたしは「梅田の雰囲気が大好きなので、ごちゃまぜの家を梅田(中津あたり)でもやれたらいいなあって思っています」ということを話した。すると、N様は「オーマイガッ!グッチョイス過ぎます!横浜だと遠いしこどももいるからなかなか行くことはできないけれど、梅田なら行けます!梅田は京都からも神戸からもアクセスも良いし、土地的にもニュートラルでキャパも広いし、関西のひとは関東のひととはまた違う色の濃さがあると思うし、変なひともいっぱいいるので、きっと面白いものになると思いますよ!」と俄然乗り気になっていただき、なんだかとっても嬉しかった。わたしの出身は新潟県で、東京にある大学に通っていたために関東圏は慣れているけれど関西地方のことはまだまだなんにもわからない。「若輩者のわたしに、関西のなんたるかをご教示いただけましたら非常に幸いです!」とお願いすると、N様も「その時は是非!」みたいにおっしゃってくださった。

 

菊名の家は新横浜駅も徒歩圏内で、新大阪まで2時間ちょっとで行き来ができる。仮に菊名と梅田の家が実現をすれば、双方の交流みたいな流れも生まれるかもしれない。ごちゃまぜの家のような「緊急時のシェルターにもなる場所」は、多分、ひとつだけではなく複数個あった方が何かとよろしい(ような気がする)。個人的に「福岡と札幌も大好きな場所なので、ごちゃまぜの家を実現できたら最高!」と思う。タイのバンコクも、家賃1万円くらいから借りられる家もあるし、先に借りちゃうのもありなのかもしれない(借りた瞬間に全開放をして「誰でも自由に使ってください」ってできたら何が起こるのかを見てみたい)。6月7日&8日は札幌に、6月10日&11日は関西方面に足を運ぶ予定になっておりますので、奇跡的に「こんな物件があるけれどごちゃまぜの家にどうでしょう??」的なサムシングをご存知の方がいらっしゃいましたら、どなたでもお気軽にご連絡ください(10日に奈良県明日香村で開催されるトークイベントも、多分、面白いものになると思いますのでお気軽に遊びにいらしてください!!)!!

 

【イベント詳細】坂爪圭吾さんトークライブ「新しい教育方針?〝10歳成人説〟を語ろう」

 

いろんな男性のこどもを産みたい!

N様との電話を終え、次に話した方は東京都在住の女性E様。なんだかこんなことばっかり書いていると「お前はまじで女ばっかりだな!」と思われちゃいそうでアレですが、普通に男性とも話をしているのであしからず!!E様曰く「わたしは現在35歳で、周囲のひとは結婚をしているのですがどうしてもいまの結婚制度というものに馴染むことができなくて、まわりの友達もこどもができたらできたでなんだか大変そうだし、わたし自身もこどもは大好きなのですが、いまの日本社会ではこどもを育てたいとは思えないんです」と話してくれた。わたしは、ああ、この方は正直に自分の気持ちを話すことできる素晴らしい方だなあと思い、なんだかわかるような気がしますと答えた。

 

E様曰く「結婚をしていないって言うと、まわりも『早く幸せになろうね!』的なことを言うけれど、正直に言えば『すでに幸せなんですけど!』と思います。この、結婚をしなければ幸せじゃないとか、こどもを育てるためには結婚をしなければいけないとか、結婚をしたら死ぬまで寄り添い続けなければいけないとか、結婚っていう制度【縛り】が昔から謎で、いまのままなら結婚をしたいとは思えない【もっとお互いに自由であれたらいいのにな】というのが最近の心境です」と話してくれた。話を聞きながら、わたし自身も結婚制度にいろいろと思うことはあるために、だからこそ「ごちゃまぜの家が(謎に)新しい答えになったらいいなあ、などとは思います!」と答えた。

 

生の声を聞けるのは本当に楽しい。先日は「こどもが生まれたら自分だけじゃなくていろいろなひとの母乳を飲ませたいって思うんです。だって、その方が免疫力がつきそうだから!」と話す女性と出会った。いろんな男性のこどもを産みたいと話す女性や、夜這い制度を復活させて誰が誰のこどもかわからなくなれば結果的にみんなこどもを大事にするのではないだろうかと話す女性もいる。一番衝撃的だったのは「坂爪さんがお父さんになりたいと思った時に、わたしのカラダが空いていたらわたしが産みます」と直接的に言われたことで、ああ、こういう時の女性は最強だなあ(敵わないなあ)と思った。誤解を恐れずに言うと、このひとと結婚をしたいと思う気持ちよりも、「このひとのこどもをつくりたい!【このひとの遺伝子を残したい!】」と思う感覚の方が、自然に近いような気がする。生涯、基本的にはたったひとりの相手としかこどもをつくることは許されないということの方が、もしかしたら不自然なことなのかもしれない(なんて書くと混乱が起きるので、この辺りで控える)。ごちゃまぜの家には、実際にやってみないことにはわからないけれど、これらのすべてを実現することのできる謎の器がある(ように思う)。みんながみんなの父や母になり、みんながみんなの兄弟や姉妹になり、みんながみんなのこどもになる。明治時代から連綿と続いた結婚制度【一夫一婦制】が溶け出す瞬間は、もしかしたら、すぐそこにまで来ているのかもしれない。

 

生きなきゃじゃなくて、生きたいと思える世の中にしなくちゃ。

結婚でも仕事でもなんでも、強制的にやらされることではなくて「自分から前のめりになってやりたいと思える『前のめり感』」が大事だと思う。生きるためには資格や学歴や語学力が必要だとか、ITや財務や国際交流のスキルが必要だとか、セルフブランディングがどうのとか表現力とか人脈力とか集客力がどうのとか、そういうことももちろん大事なのだろうとは思うけれど(本当はあんまり思っていない)、そもそもで「生きることよりも『生きたいと思う』こと」の方が何億倍も重要だとわたしは思う。生きるためにはこれをしなければいけない、あれをしなければいけないなどと強制をされてしまったら、強制されたひとは「生きるのって大変なんだな」と思うだろう。生きることは大変だという前提で世界を眺めてしまうと、根本的な考え方が「生き延びるためにはどうすればいいか」という非常に殺伐とした、冷的で緊張感漂う思考に満ち溢れてしまい、生きたいと思う気持ちなんてとんとご無沙汰でございますみたいなことになってしまう。

 

生きなきゃじゃなくて、生きたいと思える世の中にしなくちゃいけないのだと思う。生きるためにはいやなことでも我慢をしなければいけないだなんて、そんなことはないのだと思う。そう思ってしまったら、事実、その通りになってしまうけれど、そんな風に思わなければ(おれは残りの人生を楽しく生きる!とさえ決めてしまえば)、世界からも、まるでその思いに応えるかのように『別に苦しまなくてもハッピーに生きる方法は無限にあった』ということを教えてくれるものだと思う。事実、わたしはそのやり方で生きて来た。生きていればそれなりに大変な目に遭うこともあるけれど、すべては自分が好きでやっていることだ。気持ちとしては『酸いも甘いも全部来い!』という感じで、何が起きても被害者意識だけは持ちたくないと思う。この世の中に『ダサい』とされていることは大量にあると思うけれど、自分の中で最もダサいことは『ひとのせいにすること』だと思う。ひとのせいにすることは何よりもダサい。ここで言う『ひと』とは、他人だけではない『自分自身』ももちろん含む。いまの姿はなるべくしてなったものであり、誰のせいでもなければ、自分が悪い訳でもない、ただそうであるだけの話、誰も悪くないのだと思っている。

 

比較的暗めの学生時代を送っていたわたしは、でも、自分の好きな音楽を聴いている間だけは自由を感じることができた。自分が好きだと思える音楽の中には、まるで、わたしに「生きててもいいんだよ」と思わせてくれる力があった。生きなくちゃいけないという強制的な力ではなく、生きたいと思わせてくれる温かな優しさがあった。まともに生きることができない、普通に生きることができない、完璧に生きることがまったくできない自分でも、幸せになることはできるんだよと教えてもらえたような、許されたような優しさを覚えた。わたしは、いまも尚その力【生きたいと思わせてくれる力】によって支えられている。昨夜、ブログ読者の方から一通のメールが届いた。メールを読んで、あたたかな感情があふれ出した。過去の自分が生きたいと思わせてくれる力によって窮地を救われたように、自分自身も『生きたいと思わせる力』を醸し出すことができるような、そんな生き方をしていきたいと思った。

 

 

坂爪さん、はじめまして!

 

Facebookを見て、どうしても坂爪さんにお礼が言いたくて、ご連絡させていただきました。 

 

物心ついた頃から、なぜだかわからないのですが、『生きててごめんなさい』『生まれてきてごめんなさい』『もっと早く死ねばいいのに、死ねなくてごめんなさい』とずっと思っていて、結果うつと診断され、大学も中退しました。

 

もう死ぬしかないなーと思っていて、死のうとしたこともありましたが、意気地がなくて、できませんでした。

 

ですが、そんな時に坂爪さんのブログを読んでから、『もう少し生きててもいいかな』と思えるようになりました。

 

2年ほど前に始まった『もう少し』で今も生かされています。

 

あの頃、坂爪さんのブログを読んでいなかったら、いまどうなっていたかわかりません。


この世にいなかったかもしれません。

 

だから、お礼を言わせてください。


本当にありがとうございますございます。

 

それだけ言いたくて、ご連絡しました。


突然身の上話をしてしまって、ご気分を悪くされたなら、申し訳ありません。

 

いつか、お会いできれば嬉しいです。

 

本当にありがとうございます!

 

完璧にはなれなくても、幸せにはなれるんだよ。。。

 

人生は続く。

 

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真の平和を望むなら、偽りの平和を終えることだ。

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シンガポールとタイの御礼参りを終え、マレーシアのクアラルンプールに到着をした。出会う方々がみなさま優しい方々ばかり過ぎて、まるで自分は(サムシングビッグ的なサムシングに)祝福をされているのではないだろうかと勘違いをしそうになる。しかし、経験則的に「調子に乗ったら即死する」ということはなんとなくわかってきたので、調子に乗ってしまわないように、冷静に、呼吸はゆっくりと、丹田に力を込めつつ、話すこと以上に「訊く」ことに意識を置いていけたらと思う。真の自由とは、自分の好きなことができるとか自分の好きな場所に行けるとか自分の好きなひとに会えるとかいうことではなく、どちらかというと「自分が消えている【自我が消えている】」トランスペアレントな状態を指すのだと思う。

 

 

昨夜、マレーシアの宿で音声配信を行なった。最近のテーマは「家族」で、日本国内や日本国外で出会う方々と「家族とはなんぞ?」みたいな話を重ねている。表面的には仲良さそうに見える家庭でも、その内実は意外とグチャグチャしていて「え、あんなに優しそうなお父さんが家では暴力を!?」みたいな話を耳にする機会は頻繁にある。家族とは最小単位の『社会』でありながら、同時に『異様なほどに密室である』空間でもある。平気でパワハラが行われているし、誤解を恐れずに言えば「親の悲しみをこどもが引き継いでいる」空間でもある。多分、これから家族という概念は古いものになるだろう、音楽のプレイリストをつくるみたいに家族も目には見えない流動的なものに変わるだろう、みたいなことを話した。

 

【音声配信】Recoded Radio ごちゃまぜ家族計画 - いばや #374924691 - TwitCasting

 

男の役割は女の本音を翻訳すること。女性の役割は「男性を転がす」こと。

過去記事で「父親の不在と女の沼」にまつわる内容を書いた。こんなことを書くとジェンダー界隈のひとに怒らちゃうかもしれないけれど、男性には男性の特性が、女性には女性の特性があると思う。わたし的には「父親の役割は導くこと【ビシッと芯を通すこと】であり、母親の役割は慈しむこと【受け入れて許すこと】にある」ように思う(ことがある)。わたしは男性だから女性の気持ちは想像をすることしかできないけれど、感覚的に「男性は考える生き物で、女性は感じる生き物」だと思う。多分、男性は100考えるけれど10程度しか感じていない。女性は100感じているけれど10程度しか考えていない。 女性陣が「きゃー!なにこれ!かわいい!」などと盛り上がっている場面でも、正直に言えば男性陣は「なんのこっちゃ」と思っている場面は多い。しかし、なぜこれがかわいいとされているのかを論理的に説明されると、男性陣にも「ほほー!なるほど!」みたいな感じで感覚は共有をされていく。

 

わたしは「男性の役割は女性の本音を翻訳すること」にあると思う。別に綺麗事を言いたい訳ではなく、女性の方が感覚的に豊かな世界を生きているように思うことが多い(生活にかわいさを取り入れることがうまい!)ので、それを翻訳することに成功すれば「男性も、女性と同じように感覚的に豊かな世界を生きることができる」ような気がしている。うまく説明をできる自信はまったくないけれど、いまの世界は「明らかに男性によってつくられている」ように感じる(ことがある)。乗り物や道路を作ったのは男性で(だから女性は地図に弱い)、巨大なビルディングを建てたがるのも男性で、法律をつくったのも多分男性で、戦争をしたがるのも多分男性だと思う。男性脳が行き過ぎると「暴力的でなんだか殺伐とした世の中になる」気がする。いま、必要なのは「女性の感覚をうまいこと翻訳をして、それを世界に織り交ぜていく」感性なのではないだろうか、なんてことを思ったり(思わなかったり)する。

 

女性の社会進出、みたいな言葉を耳にすると「それってほんとうに必要か?」などと疑問に思うことがある。バリバリのキャリアウーマンは格好良い!的な風潮もあるけれど、なんだか、これは女性が社会に進出をしているというよりも「男性の土俵で戦う女性が増えている」だけなんじゃないかしら、なんて思うことがある。女性は女性の土俵で戦えばいいのだと思う(戦う、という表現もどうかとは思う)。女性が男性の土俵にあがってしまうと、極論、ゴリラみたいになっちゃうのではないだろうか。誤解を恐れずに書き連ねると、女性の役割は「男性をいかに転がすか」にあると思う。自分でなにもかもやろうとしてしまう(いろいろなものを背負ってしまう)と、肉体的・精神的な部分が枯渇をしてしまい、結果的にゴリラ【男】みたいになってしまうのではないだろうか(などと余計なお世話を働かせちゃうことがある)。

 

【過去記事】生き方を間違うことはあったとしても、生まれてきたことに間違いはない。 - いばや通信

 

最強の武器は「死ぬ覚悟」である。

二ヶ月前、大阪の天王寺周辺でお会いした女性R様から一通のメールが届いた。その内容があまりにも素晴らしすぎたために、下記でご紹介をさせていただきます。R様は四人の子供をひとりで育てていらっしゃるシングルマザーの方で、昔から、父親との仲があまりうまくいっていないのだと話してくれた。わたしは、話を聞きながら「面と向かって話をすると感情的になりやすいから、たとえば、たとえばの話ですけれども『手紙を書いてみる』なんてどうでしょう??」的な提言をした。言いたいことを言わないでいると、最悪の場合は病気になる。ここはひとつ、勇気を出して「なんらかのかたちで自分の気持ちを相手にぶつけてみる」なんてことはいかがなものでしょうか、的なことを思いながら提言をした。

 

圭吾さんお久しぶりです。


今はクアラルンプールですか?


圭吾さんとお話させて頂いてから2カ月が過ぎようとしています。


以前、天王寺でお昼を食べながら父親との確執を話させて頂きました。圭吾さんから「手紙を書いたらどうですか?」と言われ…


2カ月かかり昨日書き上げ、今日渡し、話をしました❗


圭吾さんから「お互い愛し合っているのに」と言われ…


大阪弁で「お父さんが私の事を愛してる?私がお父さんを愛してる?ほんまかいな」と思いながら…

 

私は罵倒される事覚悟で勘当するならしろ❗私は私として生きていく、そうでなけれは死ぬ覚悟で対決だと思っていました。


しかし、父から出た言葉は…


「お前の気持ちは分かった。生きててくれてよかった。一人で4人の子供を育てているお前をずっと不憫に思っていた。男を見る眼の無いおまえだ。しかし、子供を育ててくれているから□□家の跡取りも出来た(実家は私と妹との姉妹なのです。)お前には感謝している。


でも、お前が私の存在をプレッシャーに感じ、私を恐れ言いたい事を言えずに生きてきたのは私が間違っていたんだろう。私はお前たち家族の成長が楽しみの一つ。


〇〇、苦しみは皆で分けあったら何分の一になる。喜びは何十倍、何百倍にもなる。そうやって生きていこう」

 

まだまだ言葉はありましたが、一部です。

 

私は、拍子抜けしてしまいました。45年間ずっと心にあった重りは何だったのだろう。私は全く父を理解していなかった。


この人は受け止めれる人なのだ。まだ父が帰り1時間程しかたっていません。話をしている間、私は泣き続けていました。何の涙なのか…


これから、じっくり自分と向き合い父の言葉を書き留めようと思います。

 

圭吾さんが、きっかけをくれました。お互い不器用な親子ですから、これからも衝突はあるでしょう。でもちょっとずつでも本音を言える私になれそうな気がします。

 

圭吾さん、貴方は風です。


私と父の間をサァ~と吹いて、漆黒だった親子の色を水色にしてくれました。あとは私が緑かピンクにしてみます。

 

圭吾さん、私は私でよかったんです❗

 

長々とすいません。


お礼が言いたかっただけなんです。


ありがとうございました❗

 

また会いたいです❗

 

素晴らしい文章だと思った。なかでも「私は罵倒される事覚悟で勘当するならしろ❗私は私として生きていく、そうでなけれは死ぬ覚悟で対決だと思っていました」 の部分を読んで、ああ、最高だなあと思った。生きるためではなく、死を厭わない覚悟【裸でぶつかっていく】ということは、多分、最強の武器になるのだと思う。武器があるから強いのではなく、自分のまま、裸のままでぶつかってくる人間にだけ宿る気迫がある。そして、裸の人間を前にした時、武器を持っている自分がダサい【卑怯な】人間に思えてくる。こちらも裸になる(裸にならざるを得なくなる)。自分の外側に張り付いているものをすべて取り払った後に、残るものは「生身の人間」その部分だけになる。フェアな状態で生身の人間がぶつかり合う時、必ず、何かしらの手応えが発生する(ものだとわたしは思う)。その摩擦熱が、冷え切った両者の関係性に温もりを与える(ことがある)。素晴らしい体験を共有していただけたことに、改めて、この場を借りて感謝をさせていただきます(R様、ほんとうにありがとうございます!!)。

 

真の平和を望むなら、偽りの平和を終えることだ。

様々な方々と話す機会を通じて「真の平和を望むなら、偽りの平和を終えることだ」ということを思った。多分、日本人は優しいひとが多いのだと思う。自分が我慢をすることでその場が丸く収まるのであれば、自分が我慢をすればいいのだと何かを耐えてやり過ごしてしまうひとは結構多い(ような気がする)。しかし、その優しさは「ほんとうの優しさ」と言えるだろうか。誰かの犠牲の上に成り立っている平和を、果たして、真の意味で平和と言うことはできるのだろうか。あなたの優しさは、誤解を恐れずに言えば、他の誰でもない「あなた自身を傷つけている」とは言えないだろうか。真の平和を望むなら、まず、偽りの平和を終えることではないのだろうか。

 

 

『戦う』という言葉には暴力的で野蛮的な響きがあるために、どうしたって避けられがちになる(ことは多い)。しかし、わたし自身、最近になって「戦うことは悪いことではない」のだと感じるようになった。その戦いとは、戦争的なものを指すのではなく「偽りの平和【ありがちな予定調和】に対して『こんなものは嘘っぱちだ!』と声高らかに叫ぶこと、理解者はいなくても、いまはまだひとりきりだとしても、それでもなお『自分にとっての平和はこれである!』と叫び続けること、誰かの犠牲の上に成り立つ予定調和的な平和ではなく、犠牲になるものを極力減らしてしていくための営み、それこそが『真の意味での戦い』なのではないだろうか」と思うようになった。

 

 

自分が我慢をすればするほどに、広い意味での世界平和は遠く離れていく(のだと思う)。自分が我慢をすればそれで済む話だ、的なロジックは21世紀以降は終わりにした方がいい(のだと思う)。世界平和の中に、自分の平和が含まれていないのであれば、そこにはなんの意味もなんの価値もない(のだと思う)。だからこそ、まずは「自分の平和を実現すること【自分の中にある戦争を終わらせること】」であり、そのために必要な一時的なバトル(上記でご紹介をしたR様と父親のやりとり的なバトル)は、避けては通れないものだとわたしは思う。バトルをする前の瞬間は怖い。もしかしたらいろいろダメになってしまうのかもしれないという感情も湧く。しかし、R様が無事に父親との確執に風穴をあけることができたように、そのことによって「人生全般の風通しが良くなりまくる」こともあるのだと思う。真の平和を望むなら、偽りの平和を終えることだ。それは、ほかの誰でもない『自分の中にある戦争を終わらせること』なのだとわたしは思う。

 

 

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真夜中の肉骨茶。。。

 

人生は続く。

 

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どのような生き方でもいいから、胸を張って生きろ。

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シンガポールを経由してタイのバンコクにはいる。シンガポールは国自体が「ごちゃまぜの家【国】」になっている(そして国土面積も非常に限られている)ために、ごちゃまぜの家をやる場合は「都市全体に散らばる自由に使える空きスペースをかき集めて、家はないけど『(それらの総称として)家』と言っちゃう」スタイルがいいのかなと思った。イメージとしては、多分、オーストリアリンツにある『ピクセルホテル』に似ているのだと思う。ピクセルホテルには、ホテルと言っても具体的な建造物がある訳ではなく、宿泊客は「水上に浮かぶ一室」とか「庭園にある部屋」とか「改装された工場」など、街全体に散らばる部屋に寝泊りをするスタイルになる。併設するレストランやバーもない代わりに、手渡されたチケットを使えば周辺に点在するカフェやレストランで食事ができるようになっている(らしい)。

 

 

シンガポールでもタイでも、絶賛子育て中のお母様方とお話をさせていただける機会に恵まれた。お母様方曰く「旦那さんが帰ってくるまでは、こどもと自分の二人きりでいる時間が大半で、これって(別に嫌だということはないのだけれど)教育的にもどうなのかなって思うこともあるので、いろいろな大人に触れる機会があればいいなあって思うことはあります」とのこと。この感覚は、なんだかとってもよくわかるような気がする。わたしはこどもが大好きで、一緒にいるだけでエネルギーをもらえる(わたしが吸い取っているだけかもしれない)。しかし、日常的にこどもと触れ合える機会はそれほど多くはない。ごちゃまぜの家を通じて、乱暴な言葉でまとめると「みんなで子育てをする」機会が生まれたらいいなあと思う。

 

【過去記事】一夫多妻制を凌駕するネオ概念「一夫八百万妻制(通称『やおよろぷ』)とは何か。 - いばや通信

 

大事なことは、正直に話すことが大事。

ごちゃまぜの家において重要なことは、多分、流動的であることだと思う。自由に出入りできる空間があったとしても、その空間が「特定のメンバー【常連客】によって構成をされているひどく閉じられた空間」になってしまった途端、多分、音速でダメになる。これまで何度も書いてきたことだけれど、わたしはコミュニティをつくりたい訳ではない。逆で「コミュニティを溶かしたい」と思っている。誰が来てもいいし、何をしてもいい。飯を食べたければ飯を食べればいいし、眠りたければ眠ればいい、帰りたければ帰ればいいし、ひとと話したければ話せばいい【ひとと話したくなければ話さなければいい】。なにも、特別なルールを設けたいとは思わない(逆に言えば、ルールが増える【固定されていく】ほどに空間全体はつまらないものになるのだと思う)。なにをしても良いのだという許可だけがある空間を発生させた時に、さあ、果たしてなにが起こるのだろうかということにわたしの関心はある(のだと思う)。

 

家庭や職場や恋愛関係などの人間関係において、「大事なことは、できる限り正直に話すことが大事」だと思う。具体的なエピソードを紹介することはできないけれど(生きているといろいろありますよね!)、結婚をしたからといって幸せになれる訳でもなく、恋愛をしているからといって幸せになれる訳でもなく、大企業に就職できたからといって幸せになれる訳でもない(って、当たり前のことか・・・)。大事なことは「瞬間瞬間における自分の感覚を正直に話す」ことだと思っていて、当たり障りのないやりとりを続けるのではなく、瞬間瞬間における自分の本音を口にする勇気を出した瞬間から、真のコミュニケーションははじまるのだと思う。逆に言えば、本音の二歩も三歩も三百歩も手前の会話を続けている限り、なにかこう「重要なことはなにも進展していないよね!【お前まだ隠してるだろ!】」的なことを思う。

 

本音を口にする時、まず、最初に頭をよぎることは「こんなことを言ったら相手【自分】を傷つけてしまうんじゃないんだろうか」という類の恐怖心だと思う。しかし、意外なことに、自分の本音を口にしても相手は意外と冷静に耳を傾けてくれる(経験的にそう思う!)ものだし、多分、自分を含めた人間は『自分が思う以上にタフにつくられている』のだと思う。わたしは思う。ドラゴンボールという漫画に出てくるスーパーサイヤ人のように、生きとし生けるものはみな「死にかける度に強くなる」生き物なのではないだろうか。何かを試す前の瞬間はたしかに怖い。しかし、不思議なことに「傷ついてみたい」と思う自分もいる。死にたくないと思うと同時に「死ぬほど大変な体験を通じて自分を高みにのぼらせてみたい」などと思う自分もいる。根本的には誰もが「自分はスーパーサイヤ人である」ということを無意識的に察知しているからこそ、時には「自ら死ににいく」という謎のアクションをしちゃうことがあるのだと思う(わたしは、その部分を『愛しい』と思う)。

 

【過去記事】だから楽しめ。自分を信用するために。 - いばや通信

 

What is natural?

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『HUMAN+』に足を運ぶ。

 

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サイボーグに超人類、そしてクローン。遺伝子工学にバイオテクノロジー、ナノテクノロジーなどの進歩により、現実とフィクションの境界が曖昧なものになりつつある現代、そして未来の世界。この新しい時代において「人間である」ということは一体何を意味するのでしょうか?そしてさらに100年後の私たちの世界は? これからの時代、身体や頭脳がテクノロジーによって改造され、サイバネティック化されてゆくことを受け入れてゆくべきなのでしょうか。人体改造や遺伝子操作における「越えてはいけない」倫理上の一線は?【公式HPより引用】

 

 HUMAN+ : 人類の未来の、さらにその先へ 

 

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地球温暖化に備えて頭皮の表面積を広げることで環境に適応するベイビーは是か?非か?的な展示。他にも「足の中指を切断するとアレルギーに罹らないし喘息も治る。その場合、あなたは自分の赤ちゃんの足の中指を切断することを決めることはできますか?」的な問いを含む展示もあったけれど、言葉で説明をすることは不可能に近い(お近くに立ち寄られた際は、是非!)。

 

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What is natural? ・・・素晴らしい問い!

 

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エキシビジョン自体は素晴らしいものだったのだけれど、その内容があまりにも未来的過ぎて軽く疲弊をした。「これは自分のなかでバランスを取る必要がある!」と思われたので、後日、シンガポール随一の丘に登ってギターを弾いたり逆立ちをして遊んだ。近代化が進み過ぎると、動物でいることが難しくなる。自然に足を運ぶことや歌ったり踊ったり逆立ちをすることで、わたしは「動物的な感覚」を取り戻したいのかもしれない。これは余談になるけれど、逆立ちは最高だと思う。うつ病のひととか、逆立ちをすれば結構早めに治ると思う(体幹も整って筋肉もつく)。馬鹿だと思われた方も多いとは思うけれど、あなどることなかれ、実際にやってみたひとだけにわかる「清々しさ」あるから逆立ちは最高におすすめです!!

 

【参考リンク】朝に「逆立ち」をすると1日が変わる3つの効果「ホルモン分泌」「上半身強化」「便秘に効果大」|「マイナビウーマン」

 

どのような生き方でもいいから、胸を張って生きろ。 

実はさっきから気温三十度を超えるテラス席でこの記事を書いているために、ああ、ダメだ、全然言葉がまとまらない(頭でっかちになっているなあ…そして暑過ぎる!!水飲み過ぎてトイレに行きたい!!)という感覚に囚われている。わたしは何が書きたいのだろうか。昨日頭の中で思い浮かんだことは「どのような生き方でもいいから、胸を張って生きろ」という言葉であり、これにまつわる記事を書けたらいいなあなんて薄らぼんやりと思っていたけれど、気温にやられて脳みそが溶け出している。タイでは、非常にありがたいことに一般家庭のご自宅に宿泊をさせていただいている。そこらへんの顛末を書き綴れたら「それなりに旅日記っぽさも醸し出せる」のかもしれないけれど、わたし自身「旅をしているつもりはない」なんて思っているからうまく書くことはできない(能書きばかりになってきた)。

 

 

いま、トイレにいってものすごいすっきりした。トイレに行きたい時は我慢をするのではなくトイレに行けばいいのだと理解をした。冒頭の写真はシンガポールペニンシュラホテルで撮影をしていただいたものになる。この日はそのままペニンシュラホテルに宿泊をしたのだけれど、わたしのような小童に高級ホテルに宿泊をする財力はない。では、なぜ、わたしのような小童がペニンシュラホテルに宿泊をできたのかというと、これはひとえに「みなさまのおかげです!【シンガポール在住の方がわざわざ手配をしてくれました!神!!!】」ということになる。これはもうほんとうにこころの底からありがとうございます、わたしはわたしで残された命を(生かされてあるこの命を)世のためひとのためそしてもちろん自分のために誠心誠意こころを込めて使い果たして行きたい所存でございます、という気持ちになる。

 

 

長々と能書きを垂れてしまった。小生が言いたいことは「どのような生き方でもいいから、胸を張って生きろ」という一言に尽きる。稀に、わたしのような生き方を見たひとから「お前はダメだ!ふざけている!人生をなめるな!」とお叱りを受けることがある。しかし、小生は思う。生き方に正解はないのだから、多分、生き方に間違いもないのだ【どのようなスタイルであれ「生きている」ということは、極論、どのような生き方をしていたとしても「大丈夫である」ことの最大の証明になるのではないだろうか】と思う。わたしはダメな人間かもしれない。多分、ダメな部類の人間なのだと思う。だからこそ、こどもたちには「俺みたいにはなるなよ」と言いたい。俺みたいな人間にはなるなよとか言っておきながら、誰も知らない楽しさやよろこびや感動の瞬間をこっそりと着実に重ねていく、そういう日々を過ごしていきたいと思う。

 

 

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人生は続く。

 

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だから楽しめ。自分を信用するために。

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ベトナムホーチミンを経由してシンガポールにはいる。一応、今回の遠征目的は「ごちゃまぜの家@東南アジアの候補地を探す」ということになっている。海外にいても、やっていることは日本と変わらない。文章を綴り、メールの返信をしたり、適当な公園でギターを弾いたり昼寝をしたりしている。海外に足を運ぶことのメリットは複数個あるけれど、その内のひとつに「日本を離れることで、日本を好きになる」というものがある(と思う)。実家を離れることで実家のありがたみがわかるように、多分、離れることで深まる愛情もある(と思う)。距離が近づき過ぎると、自分でも気がつかない内に愛情が執着に変わることがある。立ち向かうことが勇気ならば、逃げ出すこと【一時的に距離を置くこと】も勇気になる(と思う)。

 


日曜日の夜にはタイのバンコクに向かう。バンコクから数日間、20代の日本人女性K様が【鉄砲玉48の研修生として】遠征に同行をすることになった。K様は現在、精神的な理由で仕事をおやすみしている。数週間前、日本で実際にお会いした際に「あれ、精神的とか言う割には全然元気ですね!」ということを思い、多分これは単純に環境の問題だと感じたのでよかったら一緒に海外に行きませんかと無茶振りをしてみたところ、K様は「それはおおありですね!」という素晴らしい反射神経を示し、結果的にバンコクで待ち合わせをすることになった。バンコク以降の予定はほぼほぼ皆無になるので、タイやマレーシア界隈でお時間のある方はどなたでもお気軽にご連絡ください。

 

【今後の予定】ごちゃまぜの家族に乾杯!@東南アジア【ホーチミン&シンガポール&バンコク&クアラルンプール&ハノイ編】

 

真の意味で「生きる」とは何か。

K様の反射神経は素晴らしいと思う。わたしは「金はないけど時間はある(そして反射神経もある)」人が好きだ。4月頭に名古屋で拉致した20代女性のH様が、最近、最高のブログ記事を更新していた。一目見た時から「おお、このひとは健やかな外見に関わらず底知れない何かを持っているに違いない!」と見抜いた自分の感知能力を褒めてやりたい。彼女のブログ記事を読みながら、端的に、嬉しさを感じた。「このひとは最高だな」と思える出会いの中には、いままでの人生をまるごと肯定してくれるような力がある。


ラプンツェル仁美の懺悔室♡クズでごめんなさい - *

 

現在、日本を徒歩で一周中の男性Y様からも連絡が届いた。連日の移動で気持ちが疲れていた時に、この「いばや通信」を読んで気合がはいったのだと言う。Y様のブログ記事を読んだら、知的な文才が素敵で「最高だな」と思った(数日間風呂にはいっていない状態で銭湯にはいった瞬間のエクスタシーにはたまらないものがある、など)。いまこの瞬間も、Y様は日本のどこかで歩みを進めているのだろうなと思うと、それだけで元気になる。Y様のブログ記事の中で、とりわけ「徒歩で日本一周をはじめようと思った理由」にまつわる記載が素晴らしかったので、下記に勝手に引用をさせていただきます。

 

徒歩で日本一周に行く理由を考えてみたら、それはたぶん「自分が、自分のことを肯定させるために、旅に出る」んだと思います。どんなに美しい言葉も、真っ当な言葉も、正論も、自分のことを肯定できていない状態では、表面的な意味をなぞるだけで、ほんとうの意味で腑に落ち無いと思うんです。

 

ありのままでいいとか、そのままでいいとか、言っていることは正しいんだろうけど、実際にそう思える瞬間もあったけれど、でも、そう思えるのはその瞬間に自分が自分を肯定できているからだと思うんです。そうじゃなければ、そんな言葉は薄っぺらで、琴線には1ミリも触れない。

 

ありのままとかそのままでサイコー!とか、それを言葉通り素直に受け取るため、つまり自分を肯定するために、僕は僕自身にあえて言いたかった。

 

「お前は、今のままじゃダメだ」

「お前は、お前自身を肯定させる義務がある」

「ありのまま、そのままなんてクソ食らえ。お前は変わるべきだ。変わらなければいけない。お前自身を肯定させるために」

こう思ったら、もう、自分をごまかすことは出来なかった。 

 

K様の瞬発力、H様の愚かさ、Y様の覚悟の中に、わたしは「ある種のほとばしる生命力」を見る。理由はない。意味もない。価値もない。ただ、これをしないではいられないという非合理的で謎に衝動的な営みを目にした時、わたしは猛烈に嬉しくなる。いまの自分は、ほんとうの意味で生きているのだろうか。誰かに定められたレールの上を歩きそうになっている時ほど、わたしは、そのように感じることが(10代の頃から)頻繁にあった。自分を殺して生きるくらいなら、自分を出して死にたいと思う。それが「ほんとうの意味で生きる」ということだと思っていた。ほんとうの意味で生きるということのなんたるかを、わたしはまだ知らない。ただ、その片鱗を彼らの生き様に感じることができるから、こんなにも嬉しくなるのだと思う【H様もY様も、所持金が10万を切っているにも関わらず「ごちゃまぜの家」に1万円の支援をしてくれた。ああ、このひと達は最高だなと心底思った】。

 

【徒歩日本一周】家を捨てる【前日譚】 | まだブログタイトルがありません。~柳 俊 公式ブログ~

 

好きなものには「好きだ」と言う。

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先日、トークイベントに登壇(?)をした際に「わたしは自分に自信がない。どうすれば坂爪さんのように自信をもてますか」と問われた。こういう質問を受けることは多く、わたしは、なんて答えたらいいのかがわからなくなる(自信という言葉に、あまり囚われてはいけないのだと思う)。自信とか思想とか価値観などと呼ばれるものは、乱暴にまとめると「食べ物の好き嫌いと同じ」だと思う。わたしは寿司が好きだ。たとえ誰かが「俺は寿司は嫌いだ」と言ったとしても、わたしが寿司を愛する現実は微塵も揺らがない。かと言って、寿司を嫌いなひとを否定したいとも思わないし、寿司が嫌いなひとは寿司が嫌いなままでまったく問題はないのだと思う。逆に言えば、わたしは「寿司が好きだ」という思いに自信がある。誰がなんと言おうとも、おれは寿司がすきだ。きっと、自信なんてものはこれと同じことなのだと思う。

 

自信がないひとはいない。ただ、得体の知れない「ひととの比較」に惑わされているだけだと思う。わたしは寿司が好きだ。以上。それだけの話だ。ただ、寿司が嫌いなひとから「寿司が好きだなんておかしい!お前も寿司を嫌いになれ!」なんて言われ日には、それはお断りだと思う。自分に自信があるということは、単純に「自分が感じていることに正直である」だけの話だと思う。誰がなんと言おうが、自分が「これはうまい!」と思ったものはうまいのであり、自分が「これはまずい!」と思ったものはまずい。自分が「いいな」と思ったものは確実にいいし、自分が「これは嫌だな」と思ったものは、たとえ周囲がどれだけをそれを愛していたとしても「俺は別にいいや」ということになる。ただ、自分のこころがいいなと思うものではなく「周囲のひとびとにとって良いとされているもの」を追いはじめてしまったあたりから、いろいろなものが濁り、最終的にわけがわからないことになるのだと思う。

 

自分は、自分以上でもなければ自分以下でもない。自信なんてものは「食べ物の好き嫌い」と同じだと思う。寿司が好きなら寿司が好きで超絶OK。誰になんと言われても、自分は寿司が好きだという気持ちに変わりはない。誰かに「お前も寿司を好きになれ!」なんて自分は強要をしたいとは思わないし、たとえひとりきりでも寿司を食っている時間は幸せになれる(好きなひとと寿司を食えたら最高だ)。もしも、仮に自分が「自信があるように見えている」のだとしたら、多分、好きなものに対して真っ直ぐに好きだと言っているからなのだと思う。自信とは、自分が好きになるもので構成をされている(と、ここまで書きながら感じた)。自分が「おれはこれが好きだ!」と感じる真っ直ぐな気持ちがあるのならば、その感覚に殉じること。その姿を見て、周囲のひとたちは勝手に「あのひとは自信がある(とか自信がないとか)」などと言うけれど、自信なんてものは別に何も気にする必要はないのだと思う【そんなことよりも「楽しめ!」と思う】。

 

【過去記事】仕事なんてしている場合じゃない、遊べ! - いばや通信

 

少女ファイト 13巻』 

今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、海外にいるためにご紹介だけになってしまうのですが、坂爪圭吾の愛する日本橋ヨヲコ先生著作『少女ファイト 13巻』です。中学&高校時代は日本橋ヨヲコさんの漫画ばかりを読み漁っていて(極東学園天国や、G戦場ヘブンズドアは最高です!)、比較的暗めの日々を過ごしていたけいご坊やは「生きていれば日本橋ヨヲコさんの最新刊を読むことができる…!!」と自分のケツを叩き続け、間違って自殺をしてしまわないように気をつけていました(大袈裟!)。こちらをご覧のみなさまにも、是非、日本橋ヨヲコさん【坂爪圭吾の命の恩人!】の漫画をお読みいただけましたら最高です。奇跡的に日本橋ヨヲコ先生が見ていたら届け・・・あなたのことが、大好きです!!ありがとうございます!!(咆哮!!)

 

他人の評価で自信を作ると

 

それが消えた時

 

どうしようもなく揺らぐ

 

だから楽しめ

 

自分を信用するために

 

日本橋ヨヲコ少女ファイト 13巻』【講談社

 

【参考HP】わたり食堂・わたり文庫

 

だから楽しめ。自分を信用するために。

時代的な流れなのだろうか、執着という言葉を頻繁に耳にする。極論、執着を捨て去るということは「自分の命に対する執着を捨てる」ことだとわたしは思う。自分を守るから弱くなり、自分を生かそうと思うから弱くなる。自分なんてどうなってもいいから、おれはこれのために命を使いたいのだと思えた時、逆説的だけれど、命は充実を見る。金も命も花も時間も、必死に搔き集めるためではなく「適切に使われた瞬間」に本領を発揮するものだと思う。大袈裟な言葉で言えば、自分を守るためではなく「自分を壊すため」に、自分を生かそうとするためではなく「自分を殺すため」に命が使われた時、同時に、膨れ上がるよろこびを覚えるように人間のボディ&ソウルはできているのだと思う(ことがある)。

 

 

固まりそうになった自分を壊す。誰よりも先に自分が自分に飽きる。そして、なにかしらのクラッシュを試みてみたり、新しい要素を付け加えて行く。それが「生きる」ということであり、いまいる場所がどれだけ素晴らしい場所だとしても、本能的に「いつまでもそこにいることはできない」ということを敏感に察知している生き物が、生の人間なのではないだろうか。生きているということは、多分、流れている【変化をする】ということだ。流れることを拒む時、変化をすることを拒む時、生まれるものが「恐れ」であり、生まれるものが「不安」なのだとわたしは思う。逆に言えば、新しい自分と出会う瞬間、自分の中に「こんな自分もあったのか!」といままで見たこともない自分を発見する瞬間の中に、生きていることの醍醐味はある(と思う。少なくともわたしはそう思う)。

 

 

日本橋ヨヲコ先生は漫画の中で「他人の評価で自信を作るとそれが消えた時にどうしようもなく揺らぐ。だから楽しめ。自分を信用するために。君達は好きなものを誰のせいにもするな。正しく狂え。それにはあの大石練(おおいしねり)・・・人を狂わせる触媒として最高の人材だねっ☆」と描いている。漫画を読んでいないひとにはなんのこっちゃと思われるかもしれないけれど、わたしは「最高の言葉だな」と思う。自分のこころが「この瞬間は最高だった」と思えたあの時の感触、こころの底から楽しむことができた瞬間の感覚は、自分を裏切ることはない。楽しかった記憶、何かを愛し、何かに愛された瞬間の記憶は、いつまでも自分の中で生き続ける。ひとつひとつの具体的なシーンを、いつまでも鮮明に胸の中に残しておくことはできない。すべては流れていく。現在はこの瞬間も過去になり、どれだけ幸せだと思えた時間も、遠い記憶の中に消えていく。すべては移ろい流れて行く中で、ただ、振り返って見た時に静かにわきあがる「ああ、幸せな人生だったなあ」と思える穏やかな余韻、ひとつひとつの具体的なシーンとしてではなく、全体としての「幸せだと思えた幸福の余韻」が、消えることのない芳香を放ち続けるのだと思う。

 

 

 

https://www.instagram.com/p/BUTE_siDsEe/

花には水を。概念はあとから。

 

人生は続く。

 

413-0002
静岡県熱海市伊豆山302
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
TEL 07055527106 LINE ibaya
MAIL keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

photographerd by 秋月家