いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

自信があるからやるのではない。やりたいからやるのだ。

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温泉巡りを終えて横浜に向かう。横浜の家には古いピアノがある。先日、ピアニストの女性がこれを見てアゴを外した。彼女いわく「このピアノは後生大事に扱え。水拭きは絶対にダメ。手放す時はわたしに連絡をしなさい」とのこと。なんでも、ものすごい高価なものらしい。私のような貧乏暮しの人間も、実は高価なものに囲まれていたことを知った瞬間は気持ち貴族になる。笑い声も「ふはははは」になる。これまで、家に遊びに来てくれたこどもたちがガンガンに弾き倒していた。今後の扱い方に緊張感が走る。

 

 

実は、熱海の家【逢初庵】にも高級なものが一個だけある。だから私はこんな問題を用意した。「この家のなかに、この家よりも高価なものが一個だけあります。戸棚の中ではなく、あなたの視界になかにすでにあります。さて、それはなんでしょう。」と得意げな顔をする。いままで正解を出したひとは一人しかない。星の王子さまにこんなセリフがあったと思う。砂漠が美しいのは、どこかにオアシスを隠しているからだね。横浜や熱海の家にも、同じことが言える(横浜の家にもピアノ以外の秘密が2個ある)。誰も知らない宝物が隠されているだけで、それを知るひとたちだけには『特別』になる。

 

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本領を発揮した女には男三人は必要。

10月6日(土)に東京都日本橋でイベントを開催する。イベント詳細文を見たひとから「意味がまったくわからない!」とコメントをもらった。自分的には最高に腑に落ちる内容も、見る人が見たら意味がわからないこの現象は最高だなと思った。私の役割はMAYUCHAPAWONICAという女性の魅力を伝えることにある。彼女を目撃するためだけにでも来て欲しいと思う。絶対に元気になると思う(これで元気になれなかった今後いばや通信を読む必要はまったくないと思うし、今世、あなたと私は交わる必要もないのだろうなと思う)。

 

🦄🦄🦄今後のスケジュール 🦄🦄🦄

 

10月6日(土)@東京都日本橋

22世紀の未来mtg いばやの先の遊び方

 

10月11日(木)@沖縄県読谷村

ホームをレスしてもサバイブする方法

 

10月17日(水)@福岡県福岡市

ごちゃまぜの家を救え!対談企画・坂爪圭吾「孤独の愉しみ方」

 

10月20日(土)@大阪府能勢町

ごちゃまぜの家を救え!対談企画・坂爪圭吾×堀口雅司「これからの生き方を考えよう!」@大阪府能勢町

 


連絡先 keigosakatsume@gmail.com

 

本領を発揮した女性には男三人は必要だと思う。MAYUCHAPAWONICAは神様で、私は聖書【宣教師】的な役割を担う。が、私一人では彼女を生かしきることができない。必ずどこかで漏れが出る。そこで嘉向徹さんと保科亮太さんが登場する。彼らの出現により、より一層『MAYUCHAPAWONICA様のお告げを現実世界に落とし込む』ことが可能になる。男は、元来、女性にひざまづきたい生き物だと思う。巫女という職業がある。神の啓示的なものを女性がキャッチし、周囲の男性がそれを具現化する。そういう関係性を理想的だと思う。しかし、本領を発揮した女性には男三人は必要だ。男性一人では追いつけない。これは、もしかしたら結婚という制度にも通じる話かもしれない。

 

 

現状の結婚制度には「お互いが我慢をすることで一対一の関係は維持される」的な雰囲気を感じる。この場合は、両者の本領は発揮されないために一対一でもどうにかなる。しかし、本領を発揮した女性はやばい。絶対に男一人では掬いきれない部分が出る。私は思う。女性一人に男三人は必要だ。だから、結婚する場合も「妻ひとりに、旦那三人」くらいが理想的と考える。いばやの場合、MAYUが私の本妻になる。変な例えになるが、嘉向さんや保科さんがいばやを抜けても、いばや自体は存続する(なぜなら私とMAYUでいばやを作ったから)。しかし、私かMAYUがいばやを脱退した場合、いばやそのものが消失をする。いばやは活動で、結婚は制度だ。違うと言えば違う。しかし、同じであると言えば「実は結構同じことなんじゃないか」と最近は思う。

 

わたり文庫『山を考える』 

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、本多勝一著作『山を考える』です。10月3日は『登山の日』らしいです。「今為し得る賭けを為せぬ者は、未来の如何なる対象に対しても決してそれを為し得ない者である。」とか、結構痛烈なことを本多さんは言います。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※

 

たとえは何でもよいが、ここではアメリカ映画『わが家の楽園』をあげよう。主人公のパンダホフ老人は、かつて実業界で活躍していたが、三十年前のある日、エレベーターの中で突然さとりをひらく。「余生を送るだけの金はもうあるのだ。何をあくせくと、これ以上もうける必要があるだろうか」。彼はその日のうちに辞職し、引退して勝手な生活を始めた。この一家は老人の影響のためか変わり者が多く、娘のペニーは画かきだが、あるときタイプライターが間違って配達されてから小説を書きはじめる。その夫のポール=シカモアは、氷の配達人を助手にして花火の研究に夢中になっている。一方、この一家の周辺にポピンズという典型的サラリーマンがいて、忠実な会計係だったが、ある日パンダホフ老人から「人間は、死ぬときに自分の一生をふりかえって、好きなことを思いきりやったと満足できるような生涯を送るべきだ」ときかされる。ポピンズは、小心よくよくとしていたそれまでの自分の馬鹿らしさを卒然と悟り、会社をやめて好きな玩具の発明に没頭する・・・。

本多勝一『山を考える』【朝日文庫】 

 

自信があるからやるのではない。やりたいからやるのだ。

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仰々しい空

 

岡本太郎が「音痴の会を作ったらいいのだ。歌のうまいやつが集まるのではなく、音痴なら音痴のまま、音痴であることを楽しめばいいのだ。そうすれば、歌のうまいやつの方から『お願いだから、この会にいれてください』なんて言う日が来るだろう」と言っていた。私は、この話を頻繁に思い出す。上手だからやるのではなく、下手くそでもやる。自信があるからやるのではなく、自信がなくてもやる、やりたいからやる、楽しいからやる。そういう人間たちが醸し出す雰囲気には、圧倒的な肯定感が宿る。

 

 

当たり前の話だが、服を買うつもりはなくても試着をしていいのだ。結婚する気はなくても婚活をしていいし、就職する気はなくても就活をしていいのだ。そう思った時、私も婚活サイトに登録をしようかなと思った。婚活パーティーに足を運びたいとかちょっと思った。「結婚する気のないひとたちの婚活パーティー」とかをしたら、結果的に、そこから結婚をするカップルが登場するかもしれないと思った。遊ぶと言うことは、多分、そういうことだ。美学に反するからと言ってそれを拒否するだけではなく、遊びでまるごと包括する。いばやがやりたいと思っていることは、多分、そういうことだ。

 

 

ガンディーやマザーテレサは偉人だと言われる。彼らの崇高さばかりが讃えられるが、私は、彼らの崇高さよりも「とにかくめちゃめちゃ実行した」ことが偉人たらしめているのだと思う。崇高かどうかは、あまり重要じゃない。とにかくめちゃめちゃ実行したことで、自分でも気がつかないうちに謎の光を生み出し、周囲を照らす電力になる。彼らを見ていると思う。「人間って、すごい!」と思う。ここまでやった人間がいるのだという感動が、それを見るひとの心に火をつける。人生は意味じゃない。意志だ。格闘家の大山倍達にしても、登山家のマロリーにしても、初代女子学院院長を務めた矢嶋楫子にしても、同じことが言える。世界にはあほみたいに体を酷使してとんでもないことをやり遂げる人間がいる。そういった人間に触れたとき、私のこころは「いいな」と動く。

 

 

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台風で家が崩壊した。

昨夜のツイキャス中、私は、ヒーラーと名乗る人が超絶苦手だと話した。自称ヒーラーや自称セラピストほど、精神的に病んでいると思う(そしてその自覚がない)。そんな話をしていたら、突然ゴキブリが飛んできて一同「うおー!」となって興奮したのちにゴキジェットで駆逐をした。直後、ツイキャス視聴者の方から「沖縄ではゴキブリをひーらーと呼ぶんですよ…」とのコメントをいただく。あれはヒーラーの逆襲だったのだろうか。

昨日。わたり食堂を開催した。台風だから誰も来ないだろうと甘く見込んでいたら結構な数の人々が来て震えた。管理人のあきとさんが血管ブチ切れるほどに怒り心頭になった話はツイキャスに譲るが、本当、この世の中には色々な人間がいる。わたり食堂は、表面的には「善意にあふれた無料の食堂」などと銘打っているが、実態は精神的な加圧トレーニングだと思っている。人間と触れ合うことで自分の守り方を学ぶ。自分の守り方を学ばないまま生きていると、俗物どもの濁流に呑まれ、最悪の場合は溺死をする。

愛を語るより自己防衛を学ぼう。

今朝。外に出るとテントがぶっ倒れて布地がボロボロになり再起不能になっていた。ホームをレスしたことは過去に四度ほどあるがホームがブローケンしたのは初体験だ。震災で家を失った人の気持ちが少しだけわかった。掃除をしなければいけないのだけど散らかりまくった家具や雑貨を目の前にすると、ただ、呆然とする。庭の農作物はすべて吹き飛ばされていた。朝日が眩しい。逆に清々しい。

10月初日の迎え方としては最高なのかもしれない。そう思うことに決めた。嵐がすべてを洗い流した。新しい人生のはじまりである。物を持つことは恐ろしいことだ。失った時の反動が半端ない。できるだけ身軽に生きていきたいと思う。それでもなお、私は、再びテントを探し始めるのだろう。ローンが残っている一軒家を失ったら私は再起不能になるだろうが、テント程度なら小一時間悩めば「ま、仕方ないな」と回復する。小一時間悩めば解決する程度の心の余裕こそ、拡張していきたいと思う。

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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