いばや通信

ibaya.ex《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

退屈な人間はいない。退屈な生き方があるだけだ。

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原体験は父親にある。最近そう思う。私の父親は煙草を愛していた。ある日、大量の喫煙が祟り、40歳の頃に肺癌を患って生死を彷徨った。が、入院中もあろうことか父親は医者に隠れてこっそり煙草を吸っていた。それに気づいた母親が「馬鹿!やめなさい!」と煙草をとりあげようとした。ら、驚いたことに、40歳を超えた父親は自分の嫁に向かってあっかんべーをした。母親は呆れて「もう、知らない!」と匙を投げた。私は、この場面を見て「ああ、なんておとなげのないおとななんだ!」と胸が震えた。

 

 

父親は野球を愛していた。父親は床屋なので、床屋仲間と草野球チームを結成していた。私は父親を見て育ったので、やがて、私も野球部に所属した。小学生の頃、父親に連れられてバッティングセンターに頻繁に行った。小さな私はピッチャー返しを打つことがやっとである。その隣で、父親ががんがんホームランをかっ飛ばしている。こどもながらに「あんな風になりたい」と思ったものだ。格好いい父親を持ったこどもは幸いである。逆に言えば、常におどおどとしている父親を持ったこどもは不幸だと思う。

 

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原体験は父親にある。

最近は釣りとカヌーに興味がある。身体障害者のカヌー教室の話を聞いた。モンベルというアウトドアブランドの社長は定期的に身体障害者向けのカヌー教室を開催している。しかし、この社長は身体障害者だろうが容赦をしない。決してこども扱いすることなく、激流を前に「ここを突っ込め」と初心者に無茶振りをする。参加者一同はおおいにビビるが、やがて意を決して激流に向かう。死ぬほど怖いが、終わったあとは誰もが爽快感をあらわにした表情をしている。参加者の一人は言う。

 

我々身体障害者は、常に、まるで腫れ物を扱うような、赤ん坊を扱うような対応をされる。しかし、ここでは誰もが平等に扱われる。障害のある自分にカヌーなんて絶対に無理だと思っていた。しかし、やってみたらできた。この感覚がうれしかった。自分に制限をかけていたのは自分なのだと思った。

 

ユーコン川を釣りをしながらカヌーで下りたい。キングサーモンを釣り上げて飽きるほどイクラ丼を食いたい。数日前からそんな夢を抱くようになった。そう言えば私の父親は釣りが趣味だった。幼少期、早朝4時頃に叩き起こされ、強制的に同行させられた。私は正直釣りなんてまったく興味はなかったけれど、同行すればコンビニで大好きなカップヌードルを買ってもらえる。それだけのために同行していた。海でカモメを眺めながらカップラーメンを食う。トイレはその辺の草むらで済ませる。釣れない時は父親とキャッチボールをする。いま思い返すと、あの頃の記憶が生きているのかもしれない。

 

野球をやっていた頃の父親は格好良かった。しかし、やがて癌を二度ほど繰り返して父親は野球をやめた。野球をやめてから父親は急速に老けた。テレビを見ても愚痴ばかり言うようになり、口数は減り、覇気が薄れ、食後に服用する薬の量は増えた。人間を老けさせることは簡単だ。生きがいを奪い、新しいことに挑戦することを制限し、病院に通わせれば、人間はあっという間におじいさんになる。それでもなお、釣りだけはいまも続けている。釣りから帰って来た時の父親は、いつもより柔和な表情をしている。繰り返しになるが、格好いい父親をもったこどもは幸いである。なぜなら「自分もこういう風になりたい」という理想のモデル像を、身近な人間に見出すことができるからだ。

 

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ダサい真似はするな。

野営道具をバイクに積んで静岡界隈を巡っている。私は温泉が好きだ。温泉が好きなら「毎日5回でも入っていいのだ」ということに今更気づき、好きなだけ温泉を巡ろうと思っている。道中の風景が爽快で思わず大きな声が出る。車にはない爽快感がバイクにはある。風を感じるうれしさ。疲れたら適当な草原で仮眠をとる。お湯を沸かして珈琲を淹れる。太陽光でスマホとドローンと電灯の充電をする。眠りたい場所にテントを広げて好きな時に眠る。眠気が来るまで読書をする。恥ずかしながら「俺は自由だ」と思う。

 

生活水準をさげれば生きるハードルもさがる。常に「最悪の場合は1日5時間20日間程度働けば10万円にはなる。だから、10万円以下で自由に生きれる生活を確保しておけば人生はどうにでもなる」と頭の中で思っている。早朝の有意義な時間は誰にも邪魔をされたくない。夜はしっかり眠りたい。夜勤をすると死にたくなるから。必然的に「働けるのは9時から5時の間の5時間程度(本当は3時間が限界だけど)」ということになる。自由を確保するためには、自分にとっての最優先事項を知る必要がある。私にとって大切なものは「早朝の時間」「ひとりの時間」「好きなことをやる時間」だ。

 

この前、ある男性から「俺の彼女がお前のことを好きになりそうだからもう会わないで欲しい」的なことを言われた。正直、知ったことかと思った。相手が離れるということは、お前に魅力がなくなったからだ。相手に行かないでくれと懇願するのは無様だし、鎖で繋ぎ止めて行動を制限することも筋違いだ。相手には相手の人生があり、相手には相手の「好きなように生きる自由」がある。それを奪おうとするお前に愛はない。相手を繋ぎ止めたいならば、明朗と、魅力的な成長を遂げるしかない。では、成長とはなにか。それは明るい人間になることだ。自分の好きなことを見つけることだ。誰になんと言われても、自分には「これが最高だ」と思える瞬間を捉え、堂々と胸を張ることだ。

 

わたり文庫『孤独の愉しみ方』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、ヘンリー・ディヴィッド・ソロー著作『孤独の愉しみ方』です。晴れた日に屋外の椅子に座り、早朝の日光を浴びながら読むには最高の一冊です。あるいは、夜、屋外にテーブルを並べてウイスキーでも飲みながらロウソクのあかりで読むにも最高の一冊です。ソローさんは結構とがっているのですが、自然を愛している感じが大好きです。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、静岡県にわたりました ※※※

 

四季との交流を楽しんでいるかぎり、人生を重荷に感じることはない。

 

たとえ気の毒なほど人間嫌いの人や、ひどい憂うつに悩む人でも、自然の事物の中には、この上なく心地よくてやさしい、無垢で励みになる交友を見つけることができる。自然のまっただ中で暮らし、五感を研ぎすませていれば、まっ暗な憂うつにおちいることはない。健康で無垢な耳には、嵐でさえアイオロスの琴の音に聞こえる。純真で勇気ある者を、むやみに低俗な悲しみにおとしいれることは何人にもできない。四季との交流を楽しんでいる限り、人生を重荷に感じることはない。

 

ヘンリー・ディヴィッド・ソロー『孤独の愉しみ方』【イースト・プレス

 

男である特権をフルに活かす。

私はアニメなら『ルパン三世』とか『紅の豚』とかが好きだ。紅の豚のキャッチコピーは「カッコイイとは、こういうことさ(糸井重里氏考案)」だったと思う。男の子的なカッコイイとか、女の子的なカワイイとか、死ぬまで大事にしたほうがいいのだと思う。どうしたって私は男なので、格好いいものに無条件で惹かれる。逆にダサいものは心底軽蔑をする。テントとかバイクとか釣りとか飛行機とか格好いいと思う。この世で一番ダサい行為は『誰かの責任にすること』だと思う。自分の不幸も幸福も、すべて自分に責任がある。そういう感じで生きている人間が身にまとう雰囲気は格好いい。

 

 

あんなに落ち込んでいたはずなのに、ある言葉、ある音楽、ある人物に触れただけで途端に元気になった。そんな体験は誰にでもあると思う。私は、元気であることの重要性を思う。元気な状態と元気じゃない状態があるというよりも、あるのは『元気になる考え方』と『元気じゃなくなる考え方』があるだけだと思う。問題は、その、どちらを自分が採用するかだ。基本的に、常識の多くは『それに従って生きる限り、あんまり元気になれそうもない考え方』で支配をされている。私はそこにアンチテーゼを唱えたい。元気になる方法は簡単。元気になる考え方を採用すればいいのだ。深刻になる考え方ではなく、自分のテンションがあがる考え方、自分のこころが楽になる考え方、自分が思わず笑っちゃうような考え方を採用すればいいのだ。

 

 

私は頻繁に「真面目に生きろ」と怒られる。しかし、私から言わせると「俺は俺を真面目に生きているつもりだ。そう言うお前らは真面目なのか。ただ、周囲にあわせて生きているだけじゃないか。なんとなく有利な学校を選び、なんとなく有利な企業を選び、なんとなくみんなと似たり寄ったりの生き方を選ぶ。真の意味で自分で決めるということをなにひとつしない生き方の、一体、どこが真面目だというのか説明してみろ」みたいに思う。昔よりは角がとれて丸くなったつもりだが、やはり、反発したい気持ちが消えることはない。だからなのだろうか、最高な場面に触れると「ざまーみろ」と思う。

 

 

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今日は一日テントで暮らした。

夜明け前に目覚めて珈琲を飲む。この時間が一番神聖で崇高な時間だ。おじいちゃんみたいですねと言う人間を私は軽蔑する。誰にも邪魔されてたまるかと思う。頭が冴えているからなのか早朝の時間帯は読書が捗り、インスピレーションも生まれやすい。朝一番に思い浮かぶことを、日中の間に遂行する。これが理想的な1日のはじまりになる。

昨夜、金木犀が咲き乱れる木の下にテントを張って「俺が誰よりも横浜で金木犀の香りを嗅いでやる」と鼻息を荒くしていた。臭いは記憶を刺激する。眠くなってコットに横になる。テントの中にも金木犀の香りが入ってきて恍惚とする。思わず「ざまーみろ」と言葉が漏れる。俺は、一体誰に向かってざまーみろと言っているのだろうか。

雨の日の読書は最高だ。腹が減った時はごちゃまぜの家の台所を(空腹時の熊のように)うろつきまわり、何回も何回も冷蔵庫を空けては「なにもないな」と悪態をつく。住人から白い目で見られるが気にしている場合ではない。梅干しを取り出してテントに戻り、お湯をわかして一緒に飲む。空腹感が消えた。あたたかい飲み物を飲むと幸福を感じる季節だ。

テントやダホンは踏み絵みたいなものだ。これに興味を持ってくれるひととは友達になれる。しかし、ほとんどのひとはこれらを華麗にスルーして「テントで暮らしているなんて風変わりですね」と冷たい距離を置かれる。現状、この暮らしに関心を示してくれたのは新潟の竹谷さんとヤマト運輸の若者だけだ。竹谷さんとは波長が合う。今度、釣りとカヌーを共に勉強して、川を下りながら釣りをする約束を交わす。釣りとカヌーを練習しなければならない。

ここ一年間で、朝日も夕日も見ていない人間を私は信用しない。たとえ、そいつがどれだけ金持ちだろうがなんだろうが、そう言う人間のことは信用しないことにしている。最近、そういう偏見をコレクションすることに関心がある。例えば、そう、○○に金をかけるオンナは中身がないとか。

人生はいかに遊びつくせるかの勝負だと思う。頭の問題を頭で突破することは難しい。常に新しい遊びを発見することができれば、小さな問題は無効化する。竹谷さんから「一気にアメリカやカナダに行きましょう」と素晴らしいレスが届く。生きている間にユーコン川を下りたい。いまはロウソクを眺めながら横になっている。今日は何回も「最高だな」と思ったが、喜びは分かち合うことで大きくなる。明日はわたり食堂。同時に横浜を台風が直撃する。

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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