いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

屈辱をバネにするな。よろこびで飛翔しろ。

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Y様夫婦と久しぶりに岸根公園でお会いした。ら、奥様がなんだかめちゃめちゃ綺麗になっていて「(前も綺麗でしたが)また綺麗になられましたね!」とお伝えした。整形をしたとか化粧を変えたとかそういうことではなく、内面から滲み出るゆたかさがすごい。これはもう奥様だけの功績ではない。旦那さんの偉業でもある。あまりにもびっくりしたので「なにかあったのですか!?」と問うた。ら、奥様はこのように答えた。

 

 

奥様のY様「いままでは、なにかをできるようにならないと自分には価値がない、ここにいてはいけない、みたいな考え方をしていました。だから、自分の外側に、得意なこととかできることを『武器』みたいな感じで装着しようとしていたのですが、その考え方をやめられたことが大きかったのかもしれません。あとは、なんて言えばいいのでしょう、うまく言えないのですが『ひとつずつ、ひとつずつ、いろいろなものに対する執着を手放す』ようになってから、自分が軽くなったことを感じています」

 

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恐怖に取り憑かれたものだけが、剣や銃で身構える。

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奥様の発言は、いまの自分にタイムリー過ぎた。奥様と会う前、私は、とある事情で一悶着あり「なんなんだこのやろー!」みたいな気持ちになっていた。理不尽な目に遭うと、やり返したくなる。言い返したくなる。私には、条件反射としてファイティングポーズをとってしまう弱さがある。だがしかし、小生もすでに33歳。ここは大人な対応をしようとおもってグッとこらえた。まったく申し訳ないと思っていないのに「申し訳ありませんでした」と告げ、その場は丸くおさまった。が、消化不良感がすごかった。

 

この消化不良感を抱えたまま生きると病気になる。そうおもった私は、反逆ののろしを掲げにかかった。相手の急所を狙い、グウの音も出ないほどに打ちのめすことが可能なポイントを探した。私は『怒りの復讐』を試みたのだ。いまに見てろよこのやろーの精神で、私は、やるならとことんやりますよ的な気持ちになっていた。が、奥様のこの発言により、私は、尊敬するガンジーの非暴力(アヒンサー)スピリットを取り戻すことができた。平成最後の夏が終わる。そして、やがて訪れるものは非暴力の秋である。この秋、小生は『非暴力の秋』でキメる。それでは、私にとっての非暴力とはなにを意味するのか。

 

非暴力と聞くと「なにを言われてもグッと耐える」的な、どこか、泣き寝入りをしないといけない感と言うか、我慢を強いられている感を覚えるかもしれない。しかし、非暴力とは我慢ではない。泣き寝入りと非暴力はまったく違う。非暴力の根底には「勇者とは、無為をもって武装をするもの」という思想が流れている。ガンジーは言う。恐怖に取り憑かれたものだけが、剣や銃で身構えるのです。と。武器を手にする限り、恐怖もつきまとう。非暴力の思想は、武器を探しまくっていた愚かな私を、ひとつ、高次の次元にひきあげてくれた。そのことで、不思議と、穏やかではない感情は霧消した。私はおもった。武器を手にすることが勇気ではない。武器を捨てることが勇気なのだ。その勇気【強さ】によって、Y様の奥様はあれほどまでに(野に咲く花のように)可憐なたたずまいを身にまとうことができたのだ。

 

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わたり文庫『きょうはなんのひ?』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、瀬田貞二作・林明子絵『きょうはなんのひ?(福音館書店)』です。ご存知の方には「あぁ〜!なつかすぃ〜!」感が半端ないであろうこちらの絵本。静岡県在住の読者の方から譲り受けました、厳冬のホッカイロみたいな一冊でございます。あまりにも大切にし過ぎてホールドし続けていたのですが、ふと「独占は違うな、大事なものほど循環をさせていくべきである(そのことによって素晴らしさの総量は高まる)」とおもったので、この場を借りてリリースをさせていただきます。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、栃木県にわたりました ※※※

 

自伝風物語も最終話となりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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屈辱をバネにするな。よろこびで飛翔しろ。

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愛するバガボンド宮本武蔵が主人公の漫画)で、武蔵が、とある剣豪のおじいちゃんから「お前の殺気は、不細工な殺気じゃなあ」と言われる場面がある。続けておじいちゃんは言う。「自信はやわらかなものである。気負いはかたいものである。いまのお前はかたい。いまのお前にあるのは気負いに過ぎない。だから、醸し出される雰囲気も不細工なものになるのじゃ」的なことを言う。わたしは、これを読んだときに「アイタタタター!」と思った。まるで自分のことを言われているかのように思った。

 

Y様夫婦とお会いしたあと、帰り道で「屈辱をバネにするな。よろこびで飛翔しろ」という言葉が舞い降りた。よく、巷では「悔しさをバネに」とか「屈辱をバネに」みたいなことを言われる。事実、過去の私も、ネガティブな経験をバネに「いまに見てろよ」精神で奮闘をしてきた経験がある。しかし、動機に怒りがあると、表現されたもののなかにも怒りが含まれる。怒りが悪いとは思わない。しかし、怒りだけで終始しているうちはまだまだだと思う。怒りも、悔しさも、悲しみも、すべては『愛の過程』である。最終的な愛、愛という言葉が大袈裟ならば『よろこび』を表現することができたとき、わたしは、その作品をこころから(安堵感とともに)愛することができる。

 

私は、もう、なにかを見返すためになにかをやりたいとは思わない。いま、熱海と横浜で『誰でも自由に使える家』みたいな活動をやっている。この活動をはじめて数年、いま、ようやく本心から「この家は素晴らしい家ですよ。最高の環境ですよ。」と前のめりで言える状態にある。いままでは、どこか、自信のなさを覚えていた。自分はいいと思っているけれど、他人がどう思うかはわからない。そこにいちいち揺れていた。しかし、いまは違う。私は、この家を最高だと思う。そして、自分が最高だと思うものたちを、多くの人々と共有することができたらうれしいと思う。この感情は家に対してだけではない。自分自身に対しても、同じ気持ちになることができるようになった。坂爪圭吾という人間は、いろいろな弱点も抱えているけれど、トータルで最高な男ですよ。死ぬまでに一回会っておいた方がいいですよ。と。自分が素晴らしいと思うものを、自分の周囲のひとびとと分かち合う。そのことになかにこそ、生きるよろこびはあるように思う。

 

 

GOCHAMAZE no IE #japan #kanagawa #yokohama #kikuna #fujiduka #scramble #freemeal #freeday #freebird #lifeisgood

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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