いばや通信

ibaya.ex《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

生き延びようと思うから苦しくなる。死ね。 

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特別なゲストがやって来る。精一杯のおもてなしをしたい。そう思って食料品の買い出しにいく。しかし、自分はまったく料理ができないことを思い出し、食料品売り場で泣きそうになる。人間がもっとも惨めさを感じる瞬間、それは「自分が大事だと思うひとに、自分が、なにも力になることができないこと」を突きつけられた瞬間だと思う。しかし、自己憐憫にひたっている場合ではない。そう言えば、前に「きゅうりをジップロックにいれて塩で揉むだけで一品できますよ」と聞いた。ので、きゅうりを買った。

 

 

俺はきゅうりにすべてを込める。ということで「おいしくなあれ。おいしくなあれ」と念じながらきゅうりを揉んだ。ら、結構おいしい漬物ができた。自分にもできた。それが最高にうれしかった。あとは酵素玄米と納豆と鯖缶とちょっとした既製品と味噌汁(味噌汁だけは最高にうまいものが作れる)をお出しした。器とか、盛り付けとかにもこだわった。ら、なんだかすごいよろこんでもらえて幸せを感じた。料理をしながら「おいしくなあれ。おいしくなあれ」と念じる習慣のあるひとを、私は、愛している。

 

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お客様満足なんてクソだ。

昔、料理教室の先生みたいなことをしていた。そのくせ、いま、まったく料理ができない。家ではいつも酵素玄米を炊いて、卵と納豆で食べている。別に菜食主義ではないが、肉や魚を使わないと「食器洗いも水だけで済む」ことがわかり、包丁さえも使わない生活に突入した。そんな日々を五年くらい過ごしていたら、料理の知識は全壊した。

 

料理教室の日々は楽しかった。しかし、いつの間にか私は「お客様は楽しんでくれているだろうか」ということばかりを気にするようになってしまった。お客様が楽しんでくれてはじめて自分も楽しむ(安心する)ことができる。しかし、お客様が楽しんでいない風に見えると、自分のよろこびはゼロになるばかりかマイナスになる。と。しかし、ある時「こんな生き方はクソだ!」と強烈に思った。「なんという他人軸!なんという保守的な生き方!これはやばい!なにかが違う!そもそもで俺は料理大好きってキャラでもないぞ!作るより食べる派じゃないか!ただ、楽しいことがやりたかっただけなのだ!料理はそのうちのひとつに過ぎないのだ!それなのにこのザマはなんだ!あほか!俺が楽しませたいのは他の誰でもない、自分自身なのだ!そう、自分が100楽しんでいたら、お客様も80くらいは楽しんでくれるはずだ!お客様ファーストでは順番が逆なのだ!自分ファーストこそが我が命なのだ!お客様満足なんてうんこだ!他人軸はうんこだ!生活のために生きるなんてうんこだ!ぎゃー!」みたいなことを痛切に思った。ので、料理教室をやめた。

 

このような罠に陥ることはいまでも頻繁にある。いつの間にかお客様ファーストとか関係者ファーストみたいなことになって、あっという間に自分の本音を見失う。やがてすべてが面倒臭くなり、やがてすべてを投げ出したくなる。その繰り返しだ。罠にはまったとき、私は、伝説のアニメ『おぼっちゃまくん』を鑑賞するようにしている。おぼっちゃまくんの在り方は超絶参考になる。私を地底から引き上げてくれる。彼はカメに乗っている。厳格な父親から「ゆっくりいけ じっくりやれ カメに乗れ」という教育を受けたからだ。最高の教育だ。おぼっちゃまくんを見ていると思う。『人生とは、自分を楽しませることである』ということを思う。自分を楽しませることができたとき、その余剰として、よろこびのおすそ分けができるのだと思う。

 

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わたり文庫『光あるうちに』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、三浦綾子著作『光あるうちに』です。生き方に迷うことしきりではありますが、金はなくても生きていける、家はなくても生きていける、理解者はなくとも、五体の自由を失っても、病気を抱えても、生きていくことはできる。しかし、信仰というものをなくしたら、自分は生きていくことができないように感じています。日本人の多くは無宗教だと言いますが、多くの人々は、自分なりの『自分教』みたいなものを胸に抱えているものだと思います。それを思い出させてくれる、お守りのような一冊です。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※  こちらの本は、福岡県にわたりました ※※※

 

わたしは、まる十三年療養したが、一時期つくづくと自分は廃品同様の人間だと思ったことがある。ただ臥ているだけである。食事の用意をしてもらい、便器をとってもらい、洗濯をしてもらう。医者代薬代はかかる。心配をかけるだけで、一向に病状はよくならない。自分が家にいるために、父母も弟たちも気持が暗いだけじゃないか。あと五年たったら治るのか、十年経ったら治るのか、見当もつかない。いつ死ぬのか、それもわからない。こんな自分が生きていてよいのかどうかと、つくづく考えずにはいられなかった。

 

(つまりは死んだほうがいいのだ)

 

そんな気持だった。そのわたしに、

 

「生きるというのは、権利ではなく、義務ですよ」

 

と教えてくれたのは、幼馴染のクリスチャン前川正だった。生きるより死んだほうが楽な状態において、

 

「生きるのは義務だ。義(ただ)しい務めだ」

 

と言われた時、わたしははっと立ち直らせられる思いだった。

 

この廃品的存在のわたしが、前述したとおり、いつしか人々の訪問の絶えない、人に必要とされる存在になってしまった。全国各地にペンフレンドも与えられた。その中には、福岡、小菅、仙台の拘置所にいる死刑囚や、また牧師、宣教師たちもいた。わざわざ東京から旭川まで見舞に来てくれる友もいた。

 

物品は廃物となっても、人間は決して廃物とはならないのだ。わたしはそのことを、廃物同様の自分の体験から知らされたのだ。

 

三浦綾子『光あるうちに』【新潮文庫

 

ごちゃまぜの家日誌もよろしくお願いします。

 

 

 

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生き延びようと思うから苦しくなる。死ね。 

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熱海と横浜の家を往復している。いまは横浜にいる。どちらの家も「これからどうしていこうか」という問題を抱えている。横浜に関して言えば、シェアハウス部分が4室あるものの、9月いっぱいで出られる方がいるために空き室が3部屋になる。シェアハウス部分に住んでくれる方々がいることによって、ごちゃまぜの家は家賃無料ということになっているため、これから新規入居者を募集する形になる。しかし、私は、管理維持活動が極端に苦手で、家賃のかからない家をやりたいはずだったのに「いつの間にか家賃の問題で苦しみ始めている」自分の状態に、矛盾を感じたりして苦しくなっていた。

 

しかし、昨日、熱海から新横浜に向かう新幹線で吹っ切れた。私は「生き延びようと思うから苦しくなる。死ね」と思った。維持や持続や継続可能性を考えるから苦しくなる。それよりも初心である。すべてが無料の家がやりたかったのだ。採算を求めるのではなく、限定的なルールで縛るのではなく、ただ、一方向的に「自分はこれが素敵だと思います!」ということを実行する。すると、それが『みんなにとっても必要なものである限り』どこかから必ず「お前はもっと生きろ!」的な救いの手が差し伸べられることを信じる。だからもう、合理性を考える必要はない。これからのことを、これまでの常識で考えてどうなる。ダメならダメでいいじゃないか。初心に還れ。それでもダメなら土に還れ。新しい在り方に賭けたいのだろう。遠慮するなよ。好きなようにやりなよ。酸いも甘いも抱き締めて生きるんだよ。

 

という訳で、引き続きごちゃまぜの家は完全無料の出血大サービスを実行する日々に突撃しました。私は思う。人間にとっての無上のよろこびとはなんだろうか。それは「自分がやりたいと思うことと、世界が『お前にやってほしい』と思うことが、一致をした瞬間」のなかにあると思う。お客様満足なんてクソだ!とか、家賃のために生きるなんてクソだ!とか、そういうことを私は頻繁に感じてしまうけれど、なによりも『自分が生きていることが、周囲にとってもプラスに働いている』と心底感じられる実感が、生きがいとなり、生きる力になるのだと思う。なにもかも投げ出してしまいたくなることもあるが、本心は違う。なにかのために生きたいのだ。自分のために生きることと、自分以外のために生きることが、一致する瞬間を生きたいのだ。それがダメなら仕方がない。その時は野垂ぬまでのこと。死なないために生きるのではなく、命を、自分を燃やし続けるために生きたいと思う。

 

 

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遠慮するなよ。好きなように生きなよ。 #修善寺 #tree #august #lastday #lifeisgood

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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