【実践最強】どんどん痛い目に遭え、そして逞しく成長しろ。
「ないのに元気!」が面白い。
兄弟姉妹が多いひとほど死なない。
『空海の思想について』
人里から離れ、清浄なる悟りを楽しむ仏弟子たちよ、汝は己の清浄さ、己の悟りを否定し、もう一度人間のもとに、世俗のもとに帰らねばならないのではないか。まさに龍樹らによって起された大乗仏教の思想は、このような伝統仏教の世俗否定性にたいする批判から起った。(中略)いわば、龍樹は仏教者にたいへんむつかしい実践を命じるのだ。
人間は、いつも、とらわれの世界に住んでいる。自己にとらわれ、他者にとらわれ、小さな世界にとらわれているので、自由をえない。自由をえないから、本当に楽しくない。そういうとらわれの世界から自分を解き放ち、自己の生命がそういう根本的なものと一体となることによって、人間は限りなく自由になり、そして限りなく楽しくなる。
密教では無我を言わない。無我のかわりに大我をいう。無欲を説かず、無欲のかわりに大欲を説く。ここが、密教と他の多くの仏教宗派、たとえば禅とちがっているところである。禅では否定の契機が強いのにたいし、密教では肯定の契機が強い。人間ばかりか、一切の存在するもの、誰が、我がなく、欲がないことがあろうか。しかも、我と欲は、人間存在の根源であるとともに、あらゆる人間的闘争と妄想の根拠でもある。この我と欲を脱却せよ、禅は、そのために、無我、無欲を説く。しかし果して、人間は無我無欲になれるか。無我になれ、無欲になれとは、人間に死を命じることではないとしたら、いたずらに、人間のエネルギーを枯渇せしめることになりはしないか。
密教は、何よりも、強烈な生命力を説く仏教である。それは永遠に否定の深淵に人間をおきざりにすることを好まない。もう一度人間に、生命の歓喜の歌を歌わせねばならぬ。禅も、もとより、単なる否定に立ちとどまるものではない。しかし、密教の立場からいえば、その道は、まだ、真の肯定に達していない。汝は、何故に、墨染の衣に身をつつみ、苦行者のごとき、悲しい面持をするや。
密教哲学の魅力を、著者は次のように説く。「『世界というものはすばらしい。それは無限の宝を宿している。人はまだよくこの無限の宝を見つけることが出来ない。無限の宝というものは、何よりも、お前自身の中にある。汝自身の中にある、世界の無限の宝を開拓せよ』。そういう世界肯定の思想が密教の思想にあると私は思う。私が真言密教に強く魅かれ、現在も魅かれているのは、そういう思想である」と。ー 梅原猛『空海の思想について』【講談社学術文庫】
どんどん痛い目に遭え、そして逞しく成長しろ。
自分の力で「どうにかしなきゃ!」と肩肘を張ってしまうこともあるけれど、人生の大半は「【自分の力を超えた所で】どうにかなってしまう」ものだと思う。日々を信頼して身を委ねていけば、きっと、世界は幾つもの輝きに溢れた瞬間を見せてくれる。 pic.twitter.com/FIXy3OAUc3
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月7日
希望の光は、朝日と共に昇ってくる。
1・趣味の合うひとと一緒にいればいい。
幸福が好きなひともいれば不幸が好きなひともいるし、重く考えることが好きなひともいれば軽やかな生き方が好きなひともいるし、心配や批判が好きなひともいれば信頼や励ましが好きなひともいる。こういうのは全部趣味が違うだけのことだから、端的に「趣味の合うひとと一緒にいればいい」のだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月27日
2・真理はひとに優しい。
イライラしないコツは「すべてはベストタイミングである」と信じることだと思う。雨が降ることの中にも、電車に乗り遅れることの中にも、苦手な人と同じ空間を共にすることの中にも、多分、何かしらのヒントは隠されている。神様からの謎解きみたいなものだと思えば、毎瞬間は宝物探しみたいなものだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月30日
3・この人でいいかなではなく、この人といたいと思える人といること。
この人でいいかなではなく、この人といたいと思えるひとといること。中途半端な思いではない、自分から前のめりになって愛していけるひとやものを大切にすること。誰かに何かを言われても、自分には「これが最高だ」と思える瞬間を大切にすること。 pic.twitter.com/9lCC1ykZgU
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年10月2日
4・生きているだけでいい。それ以外はおまけだよ。
みっともなさばかりが溢れる夜は、感謝できることを探そう。今夜寝る場所があり、明日食うに困らないカネもある。家族は元気で、友達もいる。好きな音楽がある。好きな自然がある。両足があって、指先がある。愛を語る口があり、愛を語る言葉がある。俺はまだ生きていて、何かを伝えたがる熱量がある。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年10月3日
5・「ない」に賭ける。
夕陽を眺めながら「弱点を克服する必要はないのだ」ということを思った。弱さを克服することが強さなら、弱さを認めることも、弱さを曝け出すことも、同じように強さだと思う。弱いからこそ誰かを必要とし、弱いからこそ誰かと繋がり得るのだと思う。 pic.twitter.com/EQdpIQdnEo
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年10月4日
6・自分の代わりに自分を生きてくれるひとはいない。
あんまり先のことを考え過ぎてはいけないのだと思う。一般的な幸福に惑わされると、自分の幸福を簡単に見失ってしまう。大事なことは、多分、日々を肯定しようとする姿勢だ。特別な人間になろうとはしなくても、自分の心が「いいな」と思える瞬間を積み重ねた先に、特別な人生はつくられるのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年10月12日
7・「人並み」であることを捨てる。
元気を出さなきゃとか、明るくいなくちゃとか、やりたいことを見つけなくちゃだめだとか、そんな言葉で自分を痛めつけてはいけないのだと思う。生きる力は、ボロ雑巾のように絞り出すものではなく「溢れ出す【溢れ出てしまう】」ものだ。元気になんてならなくていいし、みんなと仲良くする必要もない。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年10月13日
8・静かな充足感を与えてくれるものは、どれもお金のかからないものだった。
朝の森を散歩することや植物の世話をすること、音楽を奏でることや静かな環境で文章を綴ること、珈琲を飲みながら読書をすることや沈む夕日を眺めること、ひとと話をすることや虫の声を聞きながら夜の空を眺めること、静かな充足感を与えてくれる者達は、どれもお金のかからないものだった。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月23日
9・自由とは「自分が消える」こと。
満員電車の裏側で、都会の喧騒の裏側で、大音量の音楽の裏側で、明滅を繰り返すネオンライトの裏側で、世界の何処かでは、この瞬間も、静かな時間が流れている。大切を護るためには、自分で自分を調律するためには、静かになれる時間が必要みたいだ。 pic.twitter.com/Rw61JrBXG3
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月31日
『【新訳】老子』
無用の用自転車の車輪というのは、たくさんのスポークが輪の中心の甑に集まっている。この輪の中心の軸は空っぽだ。でも、真ん中が空っぽだから車輪は車輪の働きができるんだ。粘土をこねて器を作る。器の中は空っぽだ。何もない。でも、中が空っぽだから使い道があるんだ。家の造りだってそうさ、中が空っぽだから部屋として使えるのさ。人は目に見えるもの、形のあるもの、中身の詰まっているものを大事にするけれど、じつは、本当に大事なものは、何もない “空” が支えているんだよ。これを “無用の用” というんだ。『【新訳】老子』【PHP】
10・希望の光は、朝日と共に昇ってくる。
何をしてもいいし、何もしなくてもいいし、何処に行ってもいいし、何処にも行かなくてもいいのだと思う。しなければいけないことは何もなくて、唯、自分で自分を縛っていただけなんだろう。疲れた時は眠ることだ。希望の光は、朝日と共に昇って来る。 pic.twitter.com/lFggVZwj3e
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年10月14日
弱さは「希望」だ。
クロスバイクの神様の降臨。
坂爪様
はじめまして。
◯◯と申します。栃木県足利市に住む
24歳男性です。
ブログ、いつも興味深く読んでおります。ありがとうございます。
前置きが不器用で恐縮ですが、
わたくし自転車がとても好きで、
本日ブログの投稿を見て、カレラの
ロードバイクという記述にひとり
喜びを感じました。
最近あまり乗っていないブリヂストンの
クロスバイクがあるのですが、
もし坂爪さんがご希望なら無料で
お譲りします。サイズM、スチールフレーム、泥除け、荷台等付属です。
都内もしくは川崎あたりまでなら
お持ちできます。
ご興味ありましたら連絡ください。
遅くに失礼しました。
◯◯◯◯
iPhoneから送信
貰い物だらけの日々の中で。
賛美歌「慈しみ深き」に慰められる。
生きる気力をなくした時は、
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月10日
・好きな歌を歌う
・好きな道を歩く
・好きな人を思う
この三つが効果的でした。 pic.twitter.com/G6tLwA0ELL
いつくしみふかき ともなるイエスは
つみ とが うれいを とりはりたもう
こころのなげきを つつまず のべて
などかは おろさぬ おえる おもにを
いつくしみふかき ともなるイエスは
われらのよわきを しりて あわれむ
なやみ かなしみに しずめるときも
いのりに こたえて なぐさめたまわん
いつくしみふかき ともなるイエスは
かわらぬ あいもて みちびきたもう
よの とも われらを すてさるときも
いのりに こたえて いたわりたまわん
不安になるのは当たり前で、さみしくなるのも当たり前のことだと思う。元気な時に「この調子で行こう!」と思うことは簡単だけど、元気のない時も、元気のないままで「この調子で行こう!」と生きる姿勢が、自分の中心を生きる芯になる。無様でも、不器用でも、自分を責めてはいけないのだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年3月4日
『お灸のすすめ(+せんねん灸オフ)』
古くから親しまれてきた自然療法、「お灸」。実は、高温多湿な環境や、水分をたっぷり含む食文化を持つ、私たち日本人には相性ばつぐん。小さな刺激で体をじっくりあたため、いたわることのできるお灸を、ぜひ、体感してみてください。ー 『お灸のすすめ』【池田書店】
弱さは「希望」だ。
自分を殺して人に好かれるよりも、自分を出して人に嫌われる方がずっといい。不器用でも、無様でも、一生懸命に生きた記憶が思い出になる。自信や能力があるからやるのではなく、自信も能力もなくてもやる、やりたいと思ったからやる、きっと、それだけで人間は清々しく生きることができる。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年10月10日
こんにちは。はじめまして(*^^*)
◯◯◯◯と申します。
わたり文庫の『いつも忘れないで』読んでみたいと思い、応募します♪♪
いつもメールを読ませて頂いてます!
ここ2週間程気持が塞ぎ込んで、家に引きこもっていました。(現在妊娠4ヶ月の専業主婦です)
やりたいことも見つからず、楽しいと思えることもわからないような気持ちだったのですが、
そんな時に坂爪さんのブログを読んで、
この子のためじゃなく、
私のためにこの子(お腹の子)と生きたい!
と言う言葉が浮かんで、すごい勢いで泣きました。
私のために動く
本当はずっとそうしたくて、
そうしていいんだと坂爪さんの言葉に背中を押された気がしました!
どこかで子供のために我慢しなきゃ…って思ってたんです。それが常識なんだと。
もちろん体調を優先して無理なくですけど、
妊婦でも、出来ることがある!
そう思えました(*^^*)
今やりたいことは、会いたい人に会いに行くことです。
そして食べたいものを食べることです♪
坂爪さんのブログで元気を、気づきをもらいました!
ありがとうございます(*^^*)
メールが長くなって申し訳ありません!
応援しています!!
◯◯◯◯
ひとに迷惑をかけてはいけないのではなく、どれだけ楽しい迷惑をかけられるかの勝負だ。
昨夜のイベント終了後、物静かな女性が「よかったら写真をお願いします」と駆け寄って来てくださり、その声が、そのカメラを持つ手がブルブルと小刻みに震えてて「ああ、このひとはいま、物凄い勇気を出して話しかけてくれているのだ」と、強く心が動いた。大袈裟だけど、生きていて良かったと思った。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年10月6日
家がないから死ぬのではなく「家があるから死ぬ」
目からウロコ「敵が味方になる」
大事なことは「ひとを信頼する」こと。
平和とは『こころの状態』だと思う。世界平和を願うなら、まずは自分の平和を実現することだ。憎悪や恐怖や猜疑心などの否定的な感情は、簡単に敵を生み出してしまう。自分の平和を維持することができた時、敵は消える。勇気とは、武器を手に入れることではない。勇気とは、多分、武器を捨てることだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月30日
誰の中にも『菩薩ボタン』みたいなものは隠されていて、美しいものを見た瞬間、ひとの善性に触れた瞬間、ある種の真理に触れた瞬間、菩薩ボタンは発動して「今なら、すべてに優しくなれる」的な気持ちになる、そんなボタンがあると思う。多分、私は「人類の菩薩ボタンを連打する生き方」をしたいのだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月29日
『いつも忘れないで。』
言霊の力を理解すると、ためしに言ったことが本当になってしまう経験をすると、マイナスの言葉、なにかの批判をする言葉、ねたみ、そねみ、毒々しい言葉などは、口にするのが嫌になる。きれいごとではなくて、マイナスの影響が自分に戻ってくるのがよくわかるから。聞くだけでも嫌になってくる。そんなことばっかり言っている人からは、離れたくなってくる。自分の心に入ってくるだけでもマイナスだと思うから。ー 浅見帆帆子『いつも忘れないで。』【ダイヤモンド社】
みんな、揺さぶられながら生きているのだ。
みっともなさばかりが溢れる夜は、感謝できることを探そう。今夜寝る場所があり、明日食うに困らないカネもある。家族は元気で、友達もいる。好きな音楽がある。好きな自然がある。両足があって、指先がある。愛を語る口があり、愛を語る言葉がある。俺はまだ生きていて、何かを伝えたがる熱量がある。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年10月3日
自分をオープンなものにしている限り、人間は死なない。
1・ひとに理解を求めるのではなく、天に恥じない生き方をすること。
ひとに理解を求めるのではなく、天に恥じない生き方をすること。ひとを咎めることをせず、ただ、自分が思う誠実さのど真ん中を生きること。他人の濁りを指摘するのではなく、自分自身が透明になること。変化を求める【口先を変える】のではなく、自分自身が変化になる【行動を変える】こと。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月19日
2・自分が「これだ!」と思った生き方を貫くこと。
いまの私に肩書きはない。私の生き方を見て、作家とか旅人とか芸術家とか哲学者とかロックとか建築家とかダメ人間とか社会不適合者とか落伍者とか、様々なひとが様々な言葉を与えてくれる。私は、答えよりも問いになりたいと思う。答えがあるから生きるのではなく、問いがあるから生きるのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年10月2日
3・「あなたに会うため」に生きている。
なぜ生きるのかという問いに対して、きっと、答えはひとの数だけあるのだと思う。私は、大袈裟だけれど「あなたに会うため」だと思うことがある。なぜ生きるのか、なぜ働くのか、なぜ書くのか、なぜ歩くのか、なぜ考えるのか、それは「あなたに会うため」だと思う時、自分はひとりではないのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年10月2日
4・人生とはボーナスタイムである。
昔から、自分自身に「傷つく前に傷つくな」と言い聞かせていた。傷つくことを恐れる気持ちは、実際に傷つくことよりも苦しいものだと、多分、直観的に感じていたのだと思う。自分のこころの中に住む怪獣を退治するために、ひとは、冒険に出るのだと思う。怪獣の名前は「不安」や「恐怖」なのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月3日
5・よし、失敗してやろう。傷ついてやろう。
うまくやろうとか考えてしまうから行動が鈍る。成功するためではなく「よし、失敗してやろう。傷ついてやろう」と思って突撃すれば、意外と清々しい結果になることが多い。大切なのは「うまくやること」なんかではなく、「俺はやった」という自分自身に対する絶対的な手応えなのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月4日
6・無邪気なわがままは最高の美徳。
好きなように生きても周囲に迷惑をかけることは意外と少なく、逆に、自分の感覚を押し殺してまで自己犠牲的になっている時ほど、周囲を負のスパイラルに巻き込むことが多い。帰りたい時は帰る、嫌なものは嫌だと言う、自分の欲求は勇気を出してはっきりと口にするなど、潔い我儘は最高の美徳だと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月21日
7・自分だけは、自分の中にある純粋性を守らなくちゃいけない。
自分だけは、自分の中にある純粋性を守らなくちゃいけない。職場や学校に行きたくないと思う時、それは我儘でも弱さでもなく、真っ当な精神の防衛反応だと思う。必要なのは精神を押し殺す努力ではなく、的確に言語化する努力だ。嫌だなあと思うことを受容し続ける日々を送ると、最悪の場合、魂が腐る。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月8日
8・自分をオープンなものにしている限り、人間は死なない。
自分の力で「どうにかしなきゃ!」と肩肘を張ってしまうこともあるけれど、人生の大半は「【自分の力を超えた所で】どうにかなってしまう」ものだと思う。日々を信頼して身を委ねていけば、きっと、世界は幾つもの輝きに溢れた瞬間を見せてくれる。 pic.twitter.com/FIXy3OAUc3
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月7日
9・中途半端な未練を断ち切ること。
中途半端な未練を断ち切ること。自分を停滞させているのは、自分の甘えだと認識すること。潔く、清々しく生きるためには「被害者意識」を捨てること。自分のために生きることが、誰かの力になることを信じること。不安や恐怖や猜疑心と一緒に扉を開くのではなく、静かな勇気と共に開くこと。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月22日
『君あり、故に我あり』
もし我々の社会が、尊厳を保ち後ろ向きの考えを持たない、ある程度心の平和を達成している人々で溢れていれば、当然、人々はどんな『敵』も恐れないだろう。しかし、我々が個人的恐れを精神的に克服できないなら、外部の敵を恐れるように仕向けることは政府や軍事指導者にとってはやさしいことだ。彼らは毎日、敵について我々に語りかける。それが彼らの利益にかなうのだ。彼らは恐怖を作り出し、我々をその中に置こうとする。我々は恐怖に支配されてしまう。隣人を恐れ、ヒンズー教徒を恐れ、イスラム教徒を恐れ、キリスト教徒を恐れ、外国を恐れるようになる。自分の妻や夫、子供すら恐れるようになる。軍備に世界の資源の多くを費やす指導者を我々が持っているのは、不思議なことではないのだよ。精神的平和と政治的平和、内面の平和と世界の平和の関係を理解するのは容易ではないかもしれないが、これらの二つの側面は不可分であり、完全につながっている。ー サティシュクマール『君あり、故に我あり』【講談社学術文庫】
10・弱いからこそ、足りない部分があるからこそ、誰かとつながることができる。
生きる気力をなくした時は、
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月10日
・好きな歌を歌う
・好きな道を歩く
・好きな人を思う
この三つが効果的でした。 pic.twitter.com/G6tLwA0ELL
みっともなさばかりが溢れる夜は、感謝できることを探そう。今夜寝る場所があり、明日食うに困らないカネもある。家族は元気で、友達もいる。好きな音楽がある。好きな自然がある。両足があって、指先がある。愛を語る口があり、愛を語る言葉がある。俺はまだ生きていて、何かを伝えたがる熱量がある。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年10月3日
自分を責めてはいけないのだと思う。生きているだけで、充分、頑張っている。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年10月3日
夕陽を眺めながら「弱点を克服する必要はないのだ」ということを思った。弱さを克服することが強さなら、弱さを認めることも、弱さを曝け出すことも、同じように強さだと思う。弱いからこそ誰かを必要とし、弱いからこそ誰かと繋がり得るのだと思う。 pic.twitter.com/EQdpIQdnEo
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年10月4日
大事なことは、自分の人生を、自分自身を肯定していこうとする姿勢だ。
新潟の鈴木さんが、30万円で建てたご自宅にお邪魔しています。鈴木さん曰く「寝る直前まで靴を履いているよ」「先送りする人生はやめたんだよ」「生きていることが、嬉しくてたまらないんだよ」https://t.co/9McYmhORMv pic.twitter.com/4A0owzj6VI
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年10月1日
30万円で自作をした山小屋。
本はタイトルが10割。
瞳の輝いているひとを信じる。
王様のイスと湧き水。
秘密のログハウス。
大事なことは、自分の人生を、自分自身を肯定する姿勢だ。
過去も未来も忘れさせる空だ。 pic.twitter.com/tP5gtYkWCY
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年10月2日
いままでは、ひとりでいないと自分を護れないからひとりになる、そんな時間が多かった。最近では、大切なものを大切にするためにひとりになる、そんな時間が増えてきた。当たり前のことかもしれないけれど、ひとりが好きと、ひとが嫌いは別物なんだ。 pic.twitter.com/262dWzN48F
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月19日
この人でいいかなではなく、この人といたいと思えるひとといること。中途半端な思いではない、自分から前のめりになって愛していけるひとやものを大切にすること。誰かに何かを言われても、自分には「これが最高だ」と思える瞬間を大切にすること。 pic.twitter.com/9lCC1ykZgU
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年10月2日
平和とは『こころの状態』だと思う。世界平和を願うなら、まずは自分の平和を実現することだ。憎悪や恐怖や猜疑心などの否定的な感情は、簡単に敵を生み出してしまう。自分の平和を維持することができた時、敵は消える。勇気とは、武器を手に入れることではない。勇気とは、多分、武器を捨てることだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月30日
死なないためのユーモア。
1・動物占いだけが俺を肯定してくれた。
2・新潟のひとは優しくて陰湿。
ロンドンやモスクワや新潟などの雪国には、似た雰囲気を感じる。多分、寒い国ほど「文学が育つ土壌に恵まれている(ひとの頭がおかしくなる)」のだと思う。南国では色々なことがどうでもよくなるけれど、寒い国では「死を身近に感じる」のだと思う。 pic.twitter.com/S9IltqoZVK
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月19日
3・カウンセラー殺人事件。
4・ヨガの先生はヨガをやった方がいい。
5・青いスーツのおばさん。
死なないためのユーモア。
誰の中にも『菩薩ボタン』みたいなものは隠されていて、美しいものを見た瞬間、ひとの善性に触れた瞬間、ある種の真理に触れた瞬間、菩薩ボタンは発動して「今なら、すべてに優しくなれる」的な気持ちになる、そんなボタンがあると思う。多分、私は「人類の菩薩ボタンを連打する生き方」をしたいのだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月29日
イライラしないコツは「すべてはベストタイミングである」と信じることだと思う。雨が降ることの中にも、電車に乗り遅れることの中にも、苦手な人と同じ空間を共にすることの中にも、多分、何かしらのヒントは隠されている。神様からの謎解きみたいなものだと思えば、毎瞬間は宝物探しみたいなものだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月30日
母親が不本意な生活のなかで苦しんでいるとき、その母親の苦しみを目撃するだけで子どもには虐待にあたるというフレーズを目にした。家族や友達や恋人には、不完全でも構わないから楽しそうに生きていて欲しい。自分を楽しませることは決して自己満足ではない、多分、最優先事項だと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年7月24日
毎日が深刻になりそうな時は、勇気を出して、阿呆になるのが一番です。 pic.twitter.com/ne6AUBGRwt
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月14日
野垂れ死にこそ、男のふるさと。
こどもの仕事が遊ぶことならば、大人の仕事は「もっと遊ぶこと」。
アムステルダムに到着しました。隣のユトレヒトではベーシックインカムが導入されていて、何となく「ひとの幸せを中心に考えている」雰囲気がある。こどもの仕事が遊ぶことならば、これからのおとなの仕事は『もっと遊ぶこと』になるのかも、と思う。 pic.twitter.com/5TLqcupbvs
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月21日
大事なことは、ゆっくり進むこと。
ゆっくり進むと、はっきり見える。 pic.twitter.com/PiOtVQpv7b
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月24日
道端で眠ったからこそ、布団のありがたみがわかるのだ。
土に還るまでが人生です。
来し方を全肯定する空の青だ。 pic.twitter.com/JmoJuQWceI
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月26日
二人の間の空気感が停滞している時は、お互いに「言いたいことを言えていない」場合が多い。破綻を覚悟で自分の本音を告げた瞬間、関係性にある種の突破口が開く。結果はどうであれ、本音を口にした清々しさは残る。それで関係性がダメになる場合は意外と少なく、予測不可能な展開を迎えることは多い。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月24日
中途半端な未練を断ち切ること。自分を停滞させているのは、自分の甘えだと認識すること。潔く、清々しく生きるためには「被害者意識」を捨てること。自分のために生きることが、誰かの力になることを信じること。不安や恐怖や猜疑心と一緒に扉を開くのではなく、静かな勇気と共に開くこと。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月22日
奇跡は余白に舞い込む。
わたりBBQ in LONDON 修羅場に大小はない。
WALKING IN THE WOODS
ロンドンからアムステルダムまでの一連の流れ。
奇跡は余白に舞い込む。
好きなように生きても周囲に迷惑をかけることは意外と少なく、逆に、自分の感覚を押し殺してまで自己犠牲的になっている時ほど、周囲を負のスパイラルに巻き込むことが多い。帰りたい時は帰る、嫌なものは嫌だと言う、自分の欲求は勇気を出してはっきりと口にするなど、潔い我儘は最高の美徳だと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月21日
これは俺たちの旅であって、俺たちだけの旅ではない。みんなの旅、生きとし生けるものの旅になるんだ。
圭吾さん、こんにちわ!◯◯◯です。
昨日学校帰りにボーリングボーイズの動画を爆笑して観ていたらお金を拾いました。
面白さって最強なんだな!と思いました。
そこで面白募金をしてみたいなと思い、
誠に勝手ながら圭吾さんに振り込みたいんですが振込先を教えていただけませんか?
iPhoneから送信
パリの街並み。
これは俺たちの旅であって、俺たちだけの旅ではない。みんなの旅、生きとし生けるものの旅になるんだ。
恩は「次のひとにまわしていくもの」
多分、恩は返すものではなくて「次のひとにまわしていくもの」だと思う。それを相手に返すものだと考えてしまうから(あるいは相手に返すことを強要されるから)受け取り辛くなるのだろう。恩や愛情の本質は投げっぱなしジャーマンであり、与えることが愛ならば、受け取ることも愛だと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月13日
現状を打破する道はただひとつ、自分が恐れていることをやることだ。
逢初庵【あいぞめあん】〜 無料の宿屋 〜
恐怖の実体とは何だろうか。
傷つく前に傷つくな。
遊園地の意味を考えるところからはじめます。
自分の予定帳を眺めながら「人生とは、自分を楽しませることである」ということを思った。自分を楽しませることができていない時に、人間は苛立ち、他人と比較し、未来に不安を覚えたりする。川本真琴風に言えば神様は何も禁止なんかしていないし、ほんとうは「何をしてもいい」のだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月11日
命は生きたがっている。
明日死ぬかもしれないんだ。これを言ったら恥ずかしいとか、クサいなとか、イタいなとか、そんなことを言っている場合じゃない。自分に恥ずかしくない生き方をするということは、恥の多い生き方をするということだ。湧き上がる気持ちを、勇気を、命を、出し惜しみしている場合じゃないんだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年7月19日
よろこびを、光を、幸福をふるさとにしていきたい。
1・幸福が好きなひともいれば、不幸が好きなひともいる。
幸福が好きなひともいれば不幸が好きなひともいるし、重く考えることが好きなひともいれば軽やかな生き方が好きなひともいるし、心配や批判が好きなひともいれば信頼や励ましが好きなひともいる。こういうのは全部趣味が違うだけのことだから、端的に「趣味の合うひとと一緒にいればいい」のだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月27日
2・絞り出すものではなく、溢れ出すもの。
無理をするということは、まるで自分を雑巾のように扱うことで、最後の一滴が出なくなるまで、絞り出して、絞り出して、最後には絞りカスになってしまうまで自分を苦しく締め付けてしまう。きっと、純粋な幸福感や動機は『絞り出すものではなく、溢れ出すもの』なんじゃないのかな、と思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月2日
3・心配よりも信頼をしよう。
心配をすることは「あなたには力がない」ということを伝える否定的な力があり、信頼をすることは「あなたには力がある」ということを伝える肯定的な力がある。心配よりも信頼をしよう。自分を信頼することは相手を信頼することに、人間を信頼することは世界を信頼することになるのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月29日
4・真実はひとを自由にする。
好意的な感情の原点は、常に「あなたが生きているだけでうれしい」のだと思う場所に留めていたい。何かをしてくれるから好きだと感じる愛情は、簡単に「何かをしてくれないから嫌いだ」の愛憎に転じてしまう。真実は、お互いを固く束縛し合うものではなく「人間を自由にする」ものだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月23日
5・天に恥じない生き方をすること。
ひとに理解を求めるのではなく、天に恥じない生き方をすること。ひとを咎めることをせず、ただ、自分が思う誠実さのど真ん中を生きること。他人の濁りを指摘するのではなく、自分自身が透明になること。変化を求める【口先を変える】のではなく、自分自身が変化になる【行動を変える】こと。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月19日
6・静かな充足感を与えてくれるものたちは、どれもお金のかからないものだった。
朝の森を散歩することや植物の世話をすること、音楽を奏でることや静かな環境で文章を綴ること、珈琲を飲みながら読書をすることや沈む夕日を眺めること、ひとと話をすることや虫の声を聞きながら夜の空を眺めること、静かな充足感を与えてくれる者達は、どれもお金のかからないものだった。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月23日
7・静かな時間の中で「自分」に出会う。
満員電車の裏側で、都会の喧騒の裏側で、大音量の音楽の裏側で、明滅を繰り返すネオンライトの裏側で、世界の何処かでは、この瞬間も、静かな時間が流れている。大切を護るためには、自分で自分を調律するためには、静かになれる時間が必要みたいだ。 pic.twitter.com/Rw61JrBXG3
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月31日
8・よろこびを、光を、幸福をふるさとにしていきたい。
昔から、自分自身に「傷つく前に傷つくな」と言い聞かせていた。傷つくことを恐れる気持ちは、実際に傷つくことよりも苦しいものだと、多分、直観的に感じていたのだと思う。自分のこころの中に住む怪獣を退治するために、ひとは、冒険に出るのだと思う。怪獣の名前は「不安」や「恐怖」なのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月3日
9・よし、失敗してやろう。傷ついてやろう。
うまくやろうとか考えてしまうから行動が鈍る。成功するためではなく「よし、失敗してやろう。傷ついてやろう」と思って突撃すれば、意外と清々しい結果になることが多い。大切なのは「うまくやること」なんかではなく、「俺はやった」という自分自身に対する絶対的な手応えなのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月4日
10・生きとし生けるものの前途を祝福する。
イライラしないコツは「すべてはベストタイミングである」と信じることだと思う。雨が降ることの中にも、電車に乗り遅れることの中にも、苦手な人と同じ空間を共にすることの中にも、多分、何かしらのヒントは隠されている。神様からの謎解きみたいなものだと思えば、毎瞬間は宝物探しみたいなものだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月30日
生きとし生けるものの前途を祝福する、金色のメダルみたいな夕日でした。 pic.twitter.com/rIc9fMNAd3
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月31日
ひとを愛する才能は、きっと、誰の中にもある。
世界が目覚めました。 pic.twitter.com/fCcLxtC71x
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月30日
美しい自然と、美しい人間。
強さの中に優しさがあり、優しさの中に強さがある。
『アルケミスト』
宝物を見つけるためには、前兆に従って行かなくてはならない。神様は誰にでも行く道を用意していて下さるものだ。神様がおまえのために残してくれた前兆を、読んでゆくだけでよいのだ。ー パウロ・コエーリョ『アルケミスト【角川文庫】』
ひとを愛する才能は、きっと、誰の中にもある。
心配をすることは「あなたには力がない」ということを伝える否定的な力があり、信頼をすることは「あなたには力がある」ということを伝える肯定的な力がある。心配よりも信頼をしよう。自分を信頼することは相手を信頼することに、人間を信頼することは世界を信頼することになるのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月29日
どのような生き方でもいいから、胸を張って生きろ。
今夜20時頃から、70万時間テレビ「まずは自分を救え」を開幕致します。いばや関係者の皆様、宜しくお願いします!!
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月27日
70万時間テレビ「まずは自分を救え」https://t.co/Uc0wpQEGI5
70万時間テレビ前夜告知動画https://t.co/s6NhK8xZUa
まずは自分を救え。
生きていることを目撃し合っている。
ひとりの人間に思いを馳せるということ。
自分が一番伝えたいと思うのは、「怒り」や「恨み」や「憎しみ」は人を救わないということで、できれば「理解」や「許す」といった方向へ舵を切ってほしいのだということ。
— みっつ (@mitzparty) 2016年8月27日
まずは自分を救え ~加害者は元被害者~ https://t.co/wBJWuI6Ccv
【70万時間テレビ〜まずは自分を救え〜】
— まゆ@横浜 (@harapekoyama) 2016年8月28日
それぞれの大往生を描き、各地から70万時間分のパワーが届いています!!ありがとうございます💖今日も何が起こるかわからない、70万時間分の"いま"をお届けします⭐️よろしくお願いします💖💖💖 pic.twitter.com/DHmWAZ5e82
『人はなんで生きるか』
ここに収められた五つの短編はトルストイ(1828-1910)晩年の執筆になるもの。作者はこの時期いちじるしく宗教的・道徳的傾向を深めていた。そして苦悩に満ちた実生活を代価としてあがなったかけがえのない真実が、幾多の民話となって結晶していったのである。これらの作品には、素朴な人間の善意に対する確かな信頼が息づいている。ー トルストイ民話集「人はなんで生きるか(表紙文章より引用)【岩波文庫】」
どのような生き方でもいいから、胸を張って生きろ。
幸福が好きなひともいれば不幸が好きなひともいるし、重く考えることが好きなひともいれば軽やかな生き方が好きなひともいるし、心配や批判が好きなひともいれば信頼や励ましが好きなひともいる。こういうのは全部趣味が違うだけのことだから、端的に「趣味の合うひとと一緒にいればいい」のだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月27日
自分にできていないことを相手にしてあげることはできないし、自分に許せていないことを相手に許してあげることもできない。相手の意見を尊重することの100倍くらい、多分、私たちは自分の意見を尊重してもいいのだと思う。受け入れることが愛ならば、相手ではなく、まずは自分を受け入れることだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月28日
あなたは詩人ですねと言われた時、私は「あなたが詩人にしてくれたのだ」と思った。書くひとがいて、読むひとがいて、はじめて『詩』は成立する。多分、人間が生きるということも同じだ。それを見てくれるひとがいて、はじめて完成するものが人生だ。 pic.twitter.com/xB0PoIlmDx
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月27日