いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

家がなくなった経験を通じて獲得した3つの真実について。

家がなくなった。今までにも家がなくなった経験が4回だけある。

一回目は4年ほど前、当時芝公園付近で一緒に住んでいた昔の彼女の家を追い出された。ある日、家に帰ると彼女がウルトラ激怒していた。意味がわからなかった私は「どうした?何があった?」と尋ねると、彼女は「浮気してるでしょ」とご立腹だ。しかし私は浮気をしていない。なぜそう思うのかと尋ねると、「あったはずのコンドームがなくなっているからだ」と言う。いや、それは単純に使い切っただけなんじゃないのかと思ったけれど、まるで聞く耳を持ってくれなかった。

結果、私は家を追い出された。それだけなら良かったが、彼女はプライドが高く気性が激しい部分があったので、私の持ち物をあろうことかすべて捨ててしまっていた。ズボンも、コートも、パンツも、本も、小物も、大切な思い出の品々も、何もかもだ。私の持ち物は今着ているものと今持っているものだけになった。そして私は家を追い出されて、その日は浜松町の坐和民で一夜を過ごすことになった。

あらゆるものがなくなると、正直に言って、すべてがどうでもよくなってしまう。例えばパンツや靴下をゼロから買い直す労力を思うと、なんていうか人生をもう降りてしまいたくなった。非常に面倒臭く物憂げな気持ちになってしまった私は、しかし死ぬわけにもいかないので、どうにかこうにかその場を凌いで私は私の生命を繋いだ。

二回目は3年ほど前、当時友人達と住んでいた家がなくなった。当時、私の友人が起業をした。その事務所兼自宅として、神楽坂近くの一軒家をハウスシェアしていた。しかし、会社の業績は私の知らないところで急激に傾いていたようで、ある日私が家に帰ると「すまん、この家を出なきゃいけなくなった」と家主が私に伝えてきた。私はまじかよと思った。「いつまでに?」と尋ねると、「今月中に、だ」と言う。私は本日二度目の「まじかよ」と思った。

結果、私は友人の家を転々とする生活を送った。家がないストレスというものは非常につらいものがあるけれど、家がないと生きていけないので友人を頼りに私は私の生命を繋いだ。

三回目は2年ほど前、私は私が住んでいた教会を追い出された。教会に住んでいたという時点でなんていうか既にやばいのだけれど、神楽坂の家を追い出されてから私は友人の家を転々としていた。しかし、いつまでもそんな生活をしていたらやばいと思い、ネットで面白い家はないかと検索したら「新宿区の教会・家賃26500円」という奇跡の物件がヒットした。

私は速攻で連絡して速攻で下見をして速攻で移り住んだ。誤解されては困るが、私は特定の宗教を信仰していない。そこの教会も、誰でもウェルカムという器の広い教会だった。私は入居を決め、家主の牧師さんに「私はほとんど無宗教なんですが大丈夫ですか?」と尋ねると、優しい笑顔の牧師さんは「全然構いませんよ」とほがらかに答えた。私は天国を見つけたと思った。牧師さんと住むなんてやばい!と舞い上がった。これからの人生が楽しみになった。何が待っているのだろうとうきうき心を弾ませた。結果から言うと、私はそこを半年で追い出されることになった。

理由は単純で、私が宗教を信じなかったからだ。私が移り住んでから、スキあるごとに信者の皆さまからの勧誘攻撃がはじまった。私はことごとく無視した。ある日、あのほがらかで優しい牧師さんが、柔和な笑顔で私に語りかけた。「坂爪さん、死んだ人は蘇ると思いますか?」。私はやばいと思った。よく見ると、牧師さんは片手に本を持っていた。その本のタイトルは「死者は蘇る」だった。私はいよいよやばいと思った。その場を凌いで自室のネットで調べると、案の上その教会はカルト宗教だったと判明した。私は信仰を拒み、拒み続けた結果教会を追い出されることになった。またしても私は家を失ってしまった。

そして四回目が昨日だ。昨日、またしても私は家を失ってしまった。

理由は単純。同棲していた彼女と別れたのだ。別れは突然訪れた。彼女が深刻な顔をして私に語りかけた。「別れたい」。理由を尋ねると、「同じ未来を感じられない」からだと言う。私は彼女が大好きだった。可愛くて生意気で優しくて愛嬌があって細かいところに気が利く、本当に素晴らしいパートナーだった。今までにも何度も助けられた。しかし、いつしかお互いの価値観は微妙にずれはじめ、やがては「同じ未来を感じられない」ほどにその溝は深まっていった。そして私たちは別れることになった。3年近く続いた物語にピリオドが打たれた。私が家を出る形になり、私は速攻で荷物をまとめて長年住んだ家を後にした。荷造りをしながらずっと「サボテンの花」を口ずさんでいた。結果、私はバレンタインデーにホームをレスした。

昨夜は友達の家にお世話になり、今、東急目黒線不動前駅ドトールでこの記事を書いている。今夜、私はどこに泊まるのか、どこに行くのかはまるで見えない。

今までの経験を通じて、私は3つの真実を獲得した。

①何もかもなくなったとき、人の繋がりがその人を助ける。
②自分を笑い飛ばせる余裕さえあれば、人生はどうにかなる。
③五体満足で衣食住がある限り、決して文句を言ってはいけないのだ。

私は家を失った。しかし人の繋がりで問題なく生きている。仕事がなくても金がなくても名誉がなくてもあらゆる物がなくなったとしても、人の繋がりがあればどうにかなる。そして私は自分の現状を笑い飛ばす。人生は泣くか笑うかしかないのだから、私は笑う道を選びとる。昨夜は友人の家にてダンボールを敷いて眠るという「ダンボールバージン」を晴れて卒業した体験をプレシャスなものだと解釈し、私は私の現状を楽しんでいきたい。

そして、最大の教訓は「五体満足で衣食住がある限り、決して文句を言ってはいけないのだ」ということだ。世の中には、自分よりも大変な生活を強いられている人が無数にいる。そのことに思いを馳せる余裕さえあれば、自分はなんて恵まれた環境にいるのかと痛感することができる。あとは力強く生きるのみだ。そして私は今まで大変お世話になった元彼女の幸福を祈る。幸せになって欲しい。自分にはその力がなかった。いろいろなハッピーの形があってよくて、私と私の彼女の幸せの形は微妙に異なってしまったが、お互いがお互いに幸せになることを通じて、いろいろなハッピーの形があっていいのだということを実証していけたらと思う。

人生を楽しもう。人生は泣くか笑うかしかないのだから、心から泣いて心から笑おう。

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坂爪圭吾 KeigoSakatsume/ibaya
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