いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

ひとに理解を求めるのではなく、天に恥じない生き方をすること。

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Envelope【無料の喫茶店】をはじめて数日が経ち、全国各地から足を運んでくださる様々な方々と話をする機会に恵まれている。熱海を離れている時間も多い為に、実際に面と向かって話せる時間は貴重だ。先日、栃木県から小型バイクで8時間(!)かけて来てくれた男性が「坂爪さんの周りに集まる方々は、まるく尖っている印象があります」ということを話していて、うまい表現だなあと思った。

熱海の家に来てくれる方々は、皆、一様に優しい方々ばかりだ。自分を強く主張するような我の強いタイプではなく、思いやりのある柔和な雰囲気の方々が多い。そして、同時に「日常生活の中で、何かしらの違和感を覚えている【自分をごまかすことができない】」方々でもあるのだと思う。言い方を変えれば、自分は自分でありたいのだと思う姿勢が『まるく尖っている』ように見えるのかもしれない。

人間を分類することはできない。

老若男女、年齢や社会的な肩書きを問わず、様々な方々と話をする。その日々の中で「無職とか会社員とか風俗嬢とか、主婦とか身体障害者とかセクシャルマイノリティとか、人間は分類できるものではない」のだということを感じている。カテゴライズを通じて相手を理解したつもりになるのではなく、顔と顔、命と命、魂と魂を付き合わせた先に、分類を超えた「ひとりの人間」と出会う。

私が話をしたいと思うのは「分類を超えた人間」であり、そのひとが社会的にどのようなポジションにいるのだとか、そういうことにはあまり興味が湧くことはない。そのひとの外側に張り付いているもの(世間的な肩書きや能力)ではなく、そのひとの内側に流れているもの(そのひと自身の実感や体験)に興味がある。何をやっているのかではなく、何を思いながらやっているのかということに関心がある。

おそらく、このような話をできる機会は極端に少ないのだと思う。昔、新卒で入社したばかりの友達が「仕事でストレスを抱えないコツは、自分を殺すことだ。自分を殺せば、理不尽なことでも受け入れることができる」というアドバイスを先輩から受けた、という話を聞いた。常に他人の顔色を伺いながら、言われたことだけを無難にやるように強制される環境において、自分が自分でいる必要はなくなる。

道徳の上に経済があるのであり、経済の上に道徳があるのではない。

道徳の上に経済があるのであり、経済の上に道徳があるのではない。真の教育は、金を稼げる人間になる【良い企業に就職する】人間を育てるためにあるのではなく、善い人間を育てるためにあるのだと思う。喜びの対価としてではなく、人間性を犠牲にする代わりに金を得るような働き方や生き方は、多分、誰も幸せにしない。

昔から、ある種の生きづらさを感じていた原因のひとつはここにあるのだと思う。生きることが辛かった時期、私は「生きるためには嫌なことでもやらなければいけない」という前提に立っていた。そして、自分を殺さなければ生きることができない【自分を殺した分だけお金になる】のだとしたら「そこまでして生きていたくない」と思っていた。

独裁者という映画の中でチャップリンが「私たちは家畜でも奴隷でも機械でもない、心を持った人間だ」と演説をしたように、私は、どれだけ青臭いと言われようとも「機械になんてなりたくない!」と思っていた。機械のように生きるくらいなら、人間のままで死にたいと思っていた。そんなんじゃ生きていけないと言われても、自分は自分のままで生きていけない世の中ならば、生きていたいとは思えなかった。

他人の濁りを指摘するのではなく、自分自身が透明になること。

様々な方々と話をする日々の中で、このような思いを抱いていたのは自分だけではないのだということを、自分を殺すことによってではなく、自分を最大限に活かすことによって生きているひとがいるのだということを、徐々に私は知るようになった。生き延びることではなく「生きたいと思う」ことが、強制的にやらされることではなく「おのずからやりたいと思う」衝動的な感情が、ひとに大きな力を与えるのだと思うようになった。

いまの私は、ただ「自分が素敵だと思ったこと」を実際に行動に移し、成り行きを見守り、想像を超えた展開に胸を躍らせていたいだけだ。自分のような生き方が、どこまで通用するのかはわからない。もしかしたら、すぐにダメになるようなものなのかもしれない。明日には路上で野垂れ死ぬかもしれないし、誰にも理解されることのないさみしさと悔しさに敗れ、自分がやっていることを信じられなくなる時もあるのかもしれない。

ただ、と思う。大切なことは「ひとに理解を求めることではなく、天に恥じない生き方をすること」なのだと私は思う。ひとを咎めることをせず、ただ、自分が思う誠実さのど真ん中を生きるのことなのだと私は思う。他人の濁りを指摘することではなく、自分自身が透明になることなのだと私は思う。変化を求める【口先を変える】ことではなく、自分自身が変化になる【行動を変える】ことなのだと私は思う。

『短歌ください』

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今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、歌人穂村弘講評『短歌ください』です。こちらの本は、先ほど愛知県から遊びに来てくれた女性がお持ちくださったばかりの、綺麗な装丁の一冊です。このようにおすすめの本を持参してくださる方がいらっしゃるということは、とても嬉しいです。ご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には、24時間以内に折り返しご連絡いたします。

※※※ こちらの本は、バングラデシュにわたりました ※※※


天に恥じない生き方をすること。

数日前、江ノ島で見た夕日が綺麗だった。夕日を眺めながら、ああ、自分はひとの気持ちを自由にするものが好きなのだということを思った。言葉にならないよろこびを、自然の風景は与えてくれることがある。言葉にならないさみしさを、自然の風景は掬い取ってくれることがある。深刻になりがちな日々の姿勢を、重くなりがちな自分の身体を、優しくほぐしてくれるものが好きなのだということを思い出した。


横につながりを求めると、多分、人間はさみしくなる。きっと、つながりは横に求めるものではなく「上【天地の間】に既にあるもの」なのだと思う。そのことを簡単に忘れてしまうけれど、忘れる度に、何度でも思い出していきたいと思う。つながりは、横【ひとの間】に求めるものではないのだということを。つながりとは、上【天地の間】にあるものを思い出すことだということを。


Envelopeに遊びに来ようとしてくれた方から、心のこもった一通の連絡をいただいた。自然に法と呼ばれるものがあるのならば、それに適った生き方ができている限り、何かしらの形で自然は必ず豊かな実りをもたらしてくれるのだということを、きっと、私たちはもっと信じていけるのだと思う。天は分け隔てることのない恩恵を大地にもたらすように、私も、そういう生き方をしていきたいと思う。


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坂爪圭吾様

8月20日(土)にお家の場所を電話で伺いたどり着けなかった、○○市の○○○○○と申します。
お手数おかけしてすみませんでした。

早朝に思い立って、住所にたどり着けばなんとかなるだろうと車で出発してしまいましたが…観光シーズンの熱海をなめてました!
渋滞にはまった挙げ句、空いてる駐車場を見つけられず退散となりました。
最初のお電話からずいぶん時間も経ってしまい、ご心配おかけしてしまいました。


ただ、私的にはとても充実した一日を過ごせたのでそれをお知らせしたくてメールしました。


朝3時にふと目覚めて熱海に行くのを決めて、私の実家(静岡県西部地区)の緑茶を水出しにしたものをぜひ誰かに飲んで欲しい!と思ったのです。
この地域のお茶は深蒸し茶といって、茶葉の蒸し時間を長くして甘味とまろみを引き出したものなのですが、それを水出しにするとさらに爆発的な味わいになります。
夏場の来客にはいつもお出ししてお褒めの言葉を頂けます、が…

これを初対面の人に飲んでもらえたらどんな反応が返ってくるだろう?
その人がお茶菓子とか持ってきていて、一緒に飲んだらどんなに楽しいだろう?

そう考えただけでワクワクが止まらなくて、家にある容器を総動員してお茶を入れました。
準備しているうちに「あれも、これも手土産に持っていこう」とひらめいたり。
道中も、どう紹介したらわかりやすく興味を持ってもらえるか言い回しの練習をしたり、どんな方々が集まってくるのか想像したりと脳みそフル回転でした。


結局たどり着くことはできませんでしたが全然ガッカリ感は無く、心地よい疲労感となぜか達成感がありました。

何でかと考えたら、

〉どう紹介したらわかりやすく興味を持ってもらえるか言い回しの練習をしたり、どんな方々が集まってくるのか想像したりと脳みそフル回転でした。

これはいつも夫の役目なんです。私は子供の面倒を見ながらそれを見守ったり同行したり。

でも今回は全部自分でトライ&エラーをしたからこんなに楽しかったんだと思いました。
小さい子供がいるから自由に行動できないと思考停止していたのに気づいてびっくりです。

坂爪さんの設定してくれた場のおかげで、すごく自由になれました。

それに、私の周りには人に自信を持って紹介できる素晴らしいものがたくさんあるのだと気づくことができました。
自分にとって当たり前でも、実はとても価値あるものだったのだと。

今、得体の知れない幸せに包まれています。
ありがとうございました。



長文失礼しました。
また次の機会にぜひ伺いたいと思います。
(今度は計画的に…(^o^;))

今年は残暑が続くようです。ご自愛くださいませ。


○○○○○

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人生は続く。

静岡県熱海市伊豆山302
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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