現状を打破する道はただひとつ、自分が恐れていることをやることだ。
諸事情が爆発して、いま、貧困の海に溺れている。ブログには書けないようなことが連発してしまい、自分自身に「人間万事塞翁が馬!」と言い聞かせている。時を同じくして、ロンドン在住の方から「往復交通費は負担をするので、ロンドンまで来ませんか?」と声をかけていただき、16日から21日までロンドンに滞在をすることになった。絶望のどん底にいた時期に届いたメールだったので、私のハートは「死にたくなることもあるけれど、しっかりと生きていこう」と、奇跡のV字回復を果たした。
こうして実際に声をかけてくださる方々の存在はほんとうにありがたく、フランスでも「空港から市街地までは距離があるので、必要であれば車でお迎えにいきましょうか?」という善意に満ちたご連絡をいただいた。何かをしていただけることももちろんうれしいのだけれど、それ以上にメールの文面から伝わってくるそのひと自身の人柄がほんとうに素敵で、私のハートは「世界は素晴らしい!」というよろこびに打ち震えた。
私は、きっと、酷く単純な生き物なのだと思う。ちょっと嫌なことがあるだけで「もうダメだ、死のう」と思ってしまうけれど、夕日が綺麗だったり、ごはんが美味しかったり、ひとの優しさに触れた瞬間に「生きてきて本当によかった。これからも生きよう」と思い直す。一喜一憂を繰り返す自分の愚かさにあきれはてることもあるけれど、これが自分なのだから、駄目出しをする以上に愛していきたいと思う。
逢初庵【あいぞめあん】〜 無料の宿屋 〜
日本を離れる間、熱海の自宅を「無料の宿屋」として開放することにした。誰でも自由に使ってくださいなどと言っておきながら、本音では「この家を大切に使ってくれるひとがいいなあ」などと思っている。表面的にはオープンなことを言っておきながら、多分、心の底では「誰にでも愛想良く対応をするというのはいまの自分には無理で、だけど、100人に会ったらひとりくらいは涙が出るほど素晴らしいひととの出会いがある。私は『このひとり』に出会いたくて、こういうことをやっているのだと思う」と思っている。
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恐怖の実体とは何だろうか。
貧困の海を泳ぎながら、私は『恐怖』について考えていた。お金がないことはいまにはじまったことではないけれど、いくつになっても胸のドキドキを抑えることができない。お金がないことは、要するに恐怖だ。クリシュナムルティは「恐怖はそれがいかなるかたちのものであっても、精神を活動不能にし、感受性を破壊し、感覚を縮めてしまう」と言う。自分のこころが恐怖心に覆われてしまった時、精神は緊張状態を強いられて、視野は狭くなり、場合によっては精神的な不調を生み出すこともある。
しかし、恐怖の実体とは何なのだろうか。私は、過去に四回ほど家を失うという体験をしている。家を失うまでは「家がなければ生きていけない。家がなくなるということは、イコール、死を意味する」と思っていた。しかし、実際に家を失ってみてわかったことは「快適ではないけれど、家がないくらいでは人間は死なない」ということだ。だから、いま、私にとって家を失うということは恐怖にはならない。
普通に家があった当時は、どれだけお金を稼いでいたとしても「何かしらの事情で仕事がなくなったら、お金がなくなったら、自分は路頭に迷う羽目になってしまうかもしれない」という恐怖と不安が、常に頭の片隅にあった。しかし、実際にホームをレスするという体験を通じて「恐怖が現実になってしまった」私は、その体験を通じて「意外とどうにかなる」のだということを肌で覚えた。
そしていま、私は「金がない」という事実に恐怖を覚えている。しかし、私の頭の中に住むリトルさかつめが「おいこらさかつめ、お前は家がなくてもどうにかなったというのに、金がないというだけでそんなにビビるような人間だったのか。いまのお前は、昔のお前とソックリだ。恐怖というまるで実体のないおばけと闘っているようなもので、そりゃああんた、相手は実体がないのだから勝てるはずがないよ。おばけは出てから怖がればいいのだ。もしもお前が『家を失う』恐怖を克服したように『金を失う』という恐怖を克服したいのであれば、そう、実際に金を失ってしまうことだ。そうすれば、恐怖はただの現実に変わる。現実は実体があるから、おばけと闘うよりは張り合いのあるものになるだろう」と言う。
傷つく前に傷つくな。
乱暴にまとめると「やってみなければわからないことを、やってみる前にわかろうとするのは無理な話だ」ということであり、いつまでも恐怖に怯える日々を過ごしたくないのであれば、恐怖から目を背けるのではなく、恐怖をごまかすような生き方をするのでもなく、実際に恐怖のど真ん中に飛び込んでしまえばいいのだということだ。誤解をされると困るが、これらはあくまでも「私の考え方」であり、誰かに同じであることを強制するためのものではなく「自らのケツを叩くため」に言語化しているだけに過ぎない。
最高のパフォーマンスが発揮される瞬間とは、多分、人間が心の底からリラックスをしている瞬間だと思う。恐怖はリラックスの対極にあり、恐怖のあるところでは真の意味でリラックスをすることはできない。繰り返しになるけれど、クリシュナムルティは「恐怖はそれがいかなるかたちであっても、精神を活動不能にし、感受性を破壊し、感覚を縮めてしまう」と言う。私には、クリシュナムルティの言葉が強く響いた。そして、いまこそ『恐怖』に直面をする絶好の時期が自身に到来しているのだと感じている。
これだけ長文を綴っておきながら、私が感じている恐怖とは「これから愛する女性と一緒に欧州旅行に行くというのに、金がないという理由だけで辺鄙なものになってしまったら男が廃る」という程度のものであり、我ながら言葉にすると非常に小さいことで悩んでいるのだなあ、と思う。自分ひとりの問題だったら、多分、お金のことでこれほど悩むことはなかった。別に頼まれた訳でもないのに「愛する女性を大切にする」ために、私は、ある程度の金が必要であるという思い込みから自由になりたいだけなのだと思う。
昔から、自分自身に「傷つく前に傷つくな」と言い聞かせていた。傷つくことを恐れる気持ちは、実際に傷つくことよりも苦しいものだと、多分、直観的に感じていたのだと思う。自分のこころの中に住む怪獣を退治するために、ひとは、冒険に出るのだと思う。そして、その怪獣の名前は「不安」や「恐怖」なのだと思う。
遊園地の意味を考えるところからはじめます。
わたしの周りには、いいことなのか悪いことなのか「まったくお金がない」ひとたちがたくさんいる。先日、嘉向徹の身体ありがとう君という名前の友達(25歳)が、小学生の女の子ふたりを車で遊びに連れて行ってあげることになった。女の子たちに行きたい場所を尋ねると、女の子たちは声を揃えて「遊園地!」と言った。それを聞いた女の子のお母さんは、嘉向徹の身体ありがとう君に「もしも遊園地に行くようであれば、入園料が必要だと思うので先にお金を渡しておきますね」と言った。
しかし、嘉向徹の身体ありがとう君は「いえ、お金は大丈夫です」と返事をした。そして「遊園地という言葉の意味を考えるところからはじめたいと思います」という言葉を残して、そのまま無一文で出発をしてしまった。あとから嘉向徹の身体ありがとう君に何をしていたのかと尋ねると、ありがとう君は「そのまま車で友達の家に直行して、そこにいた複数の大人たちにこどもの世話を頼んだ後に自分は昼寝をして、その後、夜の公園にみんなで行って相撲をとったりしていました」と話してくれた。
話だけ聞くとめちゃめちゃだけれど、遊びから帰ってきたこどもたちは「わたしが相撲で一番だったんだよ!」とか「ブランコであんなお話をしたんだよ!」とか、汚れた服のままで何やらとっても楽しそうにしていた。きっと、そういうことなのだと思う。金のあるなし(用意されたものをひたすら受け身で楽しむこと)よりも、知恵のあるなしなのだと思う。金がなければ楽しめないのではなく、多分、知恵がないから楽しめないだけなのだと思う。
私は、たとえば「お金があれば遊園地とか高級レストランとかブランド物のアクセサリーとかを買ってあげられるのになあ」などと思い悩むことがある。しかし、よくよく考えてみると、そもそもで自分は遊園地とか高級レストランとかブランド物のアクセサリーなどを好む(いわゆる普通のデートスタイルを楽しめるような)タイプの人間ではなかったことを思い出した。そういうことを楽しめる人間であれば、はじめからこのような生き方はしていなかったのだということを思い出した。
ちょっと前に、移動中の車内で嘉向徹の身体ありがとう君が率いる「ボーリングボーイズ(暇な男子たち)」というユニットに参加をさせていただいた。その時の動画がこれであり、私は、こういうことをしている時に比較的高度なよろこびを感じるタイプの人間だ。それがどのようなものであれ、たとえ他人から見れば馬鹿にされるようなことであったとしても、自分を楽しませることが大切になるのだと思う。自分を楽しませることに成功した時、不安や恐怖は姿を消して、ある種のアトラクションのようなものに変容するのだと思う。恐れることなど実はなにもないのかもしれない、きっと、この地球全体がひとつの大きなテーマパークみたいなものなのだと思う。
自分の予定帳を眺めながら「人生とは、自分を楽しませることである」ということを思った。自分を楽しませることができていない時に、人間は苛立ち、他人と比較し、未来に不安を覚えたりする。川本真琴風に言えば神様は何も禁止なんかしていないし、ほんとうは「何をしてもいい」のだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月11日
人生は続く。
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