いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

よろこびを、光を、幸福をふるさとにしていきたい。

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9月13日から26日まで、ちあきさんという女性と一緒にパリに行きます。まだ往復分のチケットを取っただけで、期間中の予定は何も決まっていません。お金がたくさんある訳ではないので、とにかく長い距離を、目新しい街並みの中を一緒に歩けたらいいのかな、と思っています。欧州にお住いの方で、もしも私たちと話してみたいと思ってくださる方がいらっしゃいましたら、いつでもお気軽にご連絡ください。

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
MAIL keigosakatsume@gmail.com

最近思うことあれこれをまとめます。

1・幸福が好きなひともいれば、不幸が好きなひともいる。


自由でありたいと思うならば、自分を批判するひとの「批判をする自由」も認めないといけない。認めた上で、話は聞くけど言うことは聞かない。ごめん、やっぱり俺はこうだわという感じで(悲愴感を漂わせるのではなく明朗に)自分の道を歩けばいいのだと思う。ひとりの人間にできることは、完璧ではない自分にできることは、もう、それしかないのだと思う。自分の道を歩こうとするその姿勢が、結果的に見るひとのこころを勇気付けたり、励ましを与えることになったとしたら、それこそが幸運だと思う。

2・絞り出すものではなく、溢れ出すもの。


これをしなければいけないという脅迫的な感情によって、これをしていきたいと思う前向きな気持ちに蓋をしてしまったら、せっかく自分の中に芽生えた感情の命を殺してしまうことになる。きっと、純粋な幸福感などの感情は「絞り出すものではなく、溢れ出すもの」だと私は思う。人間は決してボロ雑巾のような存在ではなく、永遠に枯れ果てることのないパワーの泉を内面に携えた存在なのだと信じていたい。しなきゃ、という気持ちに負けてはいけない。そうしたいと思った、その気持ちこそを大切にしていきたいのだと思う。

3・心配よりも信頼をしよう。


不安や恐怖は、生きるエネルギーをゆっくりと剥奪する。世界に対する不信感を助長して、目に映るものすべてが、まるで自分に敵対するものとして目の前に立ちはだかっているかのような、そういう気持ちにさせてしまう。私は、きっと、世界やひとは信頼に値するのだということを、自分の生涯を通じて(知識や情報としてではなく、細胞レベルの実感を通じて)この掌の中に掴み取りたいのだと、そういうことを願っているのだと思う。

4・真実はひとを自由にする。


ひとの気持ちを沈ませる観念、ひとの気持ちを争いに向かわせるような考え方や、ひとのよろこびや自由や創造力を奪い取るような構造や独善的で分断的なものごとの捉え方など、このようなものが真理であるとは思えない。それに触れた瞬間、思わずうれしさがこみ上げてしまうような、自分もそうでありたいと思えるもの、生きていることのよろこびを肌で感じることのできるものが、私にとっての真理になる。それを表現したいと思う時に、たとえば私は文章を綴り、ひとと話をしたいと思う。

5・天に恥じない生き方をすること。


自分の中にある「愛」と呼ばれる部分に照らし合わせた時に、何もうしろめたさを感じることがないのであれば、これがいまの自分にとっての精一杯なのだと思えるのならば、何を恐れることがあるだろうか。何を躊躇うことがあるだろうか。ひとに理解を求めるのではなく、天に恥じない生き方をすること。ひとを咎めることをせず、ただ、自分が思う誠実さのど真ん中を生きること。他人の濁りを指摘するのではなく、自分自身が透明になること。大事なことは、他人ではなく「自分」なのだと私は思う。


6・静かな充足感を与えてくれるものたちは、どれもお金のかからないものだった。


お金がなければ幸せになれないということは、一面の真実なのかもしれないとは思う。しかし、お金がなければ幸せになれないという考え方が、いま、目の前にある確かなよろこびの風景を濁らせてしまうこともあるのではないだろうか。多過ぎる選択肢によって、自分にとって大切な何かを見失ってしまうということも、遠くの何かを必死で追い求めるあまり、自分の目の前に転がっている美しさに、自然の雄大な営みに、いつの間にか背を向けてしまっているということもあるのではないだろうか。

7・静かな時間の中で「自分」に出会う。


刺激が多過ぎる世界の中では、反応をしているだけで1日が終わる。ブランドの広告に購買欲を刺激され、レストランの看板に食欲を刺激され、転職サイトや結婚相談所のチラシに競争心と劣等感を刺激され、多過ぎる人混みに疲労感とストレスを刺激され、街頭セールスなどの愛想笑いに不信感を刺激される。いま、必要なのは「静かになれる時間と空間」なのだと私は思う。自分にとっての大切を護るためにも、自分で自分を調律するためにも、ひとりきりになれる時間【静かになれる時間】は必要みたいだ。

8・よろこびを、光を、幸福をふるさとにしていきたい。


それが「悲しみ」や「不幸」と呼ばれるものであろうとも、慣れ親しんだものの中には居心地の良さが宿る。不幸だ、不幸だと言いながら、不幸でいることのメリットを吸い続けながら生きることだってできる。変わりたい、変わりたいと言いながら、変わらないでいることのメリットを吸い続けながら生きることだってできる。でも、と私は思う。でも、こころの深いところでは、これまでの自分とは違う何かに涙が出るほど焦がれている。不安、憎しみ、惨めさ、悲しみ、恐れ、罪悪感や被害者意識などの不幸をふるさとにしてはいけないのだと、それよりも『よろこびを、光を、幸福をふるさとにしていきたいのだ』と、焦がれているのではないだろうか。

9・よし、失敗してやろう。傷ついてやろう。


パリに行くと決める直前まで、様々な不安が頭をよぎっていた。お金がないのにヨーロッパに行くことは自殺行為になるのではないのかと、物価の高さ故に飢えや疲労で苦しむ(場合によっては野宿をする)ことになるのではないのかなど、心配や不安の種を数え上げたらキリがない。しかし、大切なことは「心配をなくすための努力より、心配を楽しむための姿勢」なのだと思い直した。常にこころに太陽を、太陽とは「行く道を照らす光」でもあると同時に「失敗を楽しむための余裕」でもあるのだと思い直した。

10・生きとし生けるものの前途を祝福する。


世界やひとは信頼に値するものだということを実感したい、悲しみや憎しみや不幸ではなく、よろこびや光や幸福をふるさとにしていきたいのだということを、このブログ記事の中で私は書いた。私は、自分の言葉に嘘をつきたくはないと思っている。自分の言葉が嘘になるような、そんな生き方をしたくない。言葉はある種の決意表明のようなものであり、それは、これまでの自分とこれからの自分を大きく
支える軸になる。

軸を強靭なものにするか、軸を脆く頼りないものにするのかは、これからの自分の生き方にかかっている。私は、もう、自分を低く見積もるような考え方や、自分を見限ってしまいそうになる瞬間からは、出来ることならば遠く離れていたいと思う。自分を見限ることは人類全体を見限ることに繋がるから、自分を信じることは人類全体を信じることに繋がるから、もう、自分を低く見積もるような考え方や、自分を見限ってしまいそうになる瞬間からは、出来ることならば遠く離れていたいと思う。

先日足を運んだ新潟県では、日本海に沈む夕日が綺麗だった。まるで、生きとし生けるものの前途を祝福するかのような、金色のメダルみたいな夕日だった。この瞬間があれば、自分はきっと何度でもやり直せる。そう思った。そして、自然に背を向けるような真似だけはしたくない、天に恥じない生き方をしていきたいのだと、そういうことを思った。他人の濁りを指摘する前に、自分自身を透明にしていきたいのだと思った。

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人生は続く。

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