いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

ひとを愛する才能は、きっと、誰の中にもある。

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東の空から太陽が昇る。まるで、世界が金色のメダルを獲得したみたいだ。黄金色に輝く空を見る度に、言葉にならないうれしさが込み上げてくる。声が出る。笑顔になる。何もかもを放り投げて、見晴らしのいいところまで一目散に駆け出してしまう。足りないものは何もない、世界はあらかじめ完璧なものであり、他には何も要らないのだという気持ちになる。


昔から、好きな色を尋ねられる度に「赤と青とゴールドです」と答えていた。赤と青は自分の中にあるものの象徴として、そして、ゴールドは遠い憧れの象徴として、好きになっていったのだと思う。これまでに私が見たことのあるゴールドは、沈む夕日と昇る朝日、水面に映える月の光、そして、焚き火の最後に炭化した木々に思い切り息を吹きかけた時に現れる、マグマみたいな黄金色だ。

美しい自然と、美しい人間。

生まれてはじめてホタルの群れを見たのは、確か、20代の終わりの頃だった。新潟県にあるホタルの里で、無数のホタルが川辺を飛び交う景色は幻想的で美しく、私は「ああ、いつまでのこの景色を眺めることができる世界でありたい」ということを思った。多分、私は、この瞬間に知識としてではなく自分の実感として「自然を守りたい【永遠にそのままでいて欲しい】」と願うようになったのだと思う。

この感覚を覚えるのは自然の風景に対してだけではなく、自分のこころが「美しい」と感じる人物に対しても抱く。私は、多分、初対面のひとと出会うときに「そのひとがどれだけの純度を保ってきたか」を見ているのだと思う。そのひと自身の在り方が純粋であればあるほどに、私のこころは強く惹かれる。この感覚は、まるで絶滅危惧種の天然記念物を目にした時のような感覚と似ていて、私のこころは「よく、いままで生きていてくれた。あなたと出会えたことが、あなたが生きていてくれたことが、本当にうれしい」という喜びに包まれる。

自然を美しいと思うのは、ありのままの姿で其処にあるからだ。ありのままで生きるということは、決して容易なことではないと思う。様々なひとびとや出来事が「いまのお前のままでは通用しない」のだと、自分以外の何者かになることを強要してくるように見える中で、それでも自分であり続ける道を選んだ強さを、気品を、清廉に生きる姿を、私のこころは美しいと思う。そして、この世の中には「美しい人間がいるのではなく、美しくあることを選んだ人間がいるだけだ」ということを思う。

強さの中に優しさがあり、優しさの中に強さがある。

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いま、私には、愛するひとがいる。愛するひとのことを思うとき、ふと「男は強さの中に優しさがあり、女は優しさの中に強さがある」という言葉が浮かんできた。うまく言葉にすることはできないけれど、私を男にしてくれたものは、私自身の力に依るものだけではなく、愛する女の存在に依るものだった。そのひとが女であれば女であるほどに、自分は安心をして男であることができる。より正確に言えば、私は男になったのではなく「(そのひとを通じて)男になることができた」のだと思う。

男性性と女性性の違いについて、昔から思いを巡らせる機会が頻繁にあった。私には、男は「どれだけ遠くに行けるか【導】」を極めるものであるならば、女は「どれだけ自分のいる場所を居心地の良いものにできるか【慈】」を極めるものであるように感じることがある。父親の役割が導くことならば、母親の役割は慈しむことにあり、両者が見事にマッチング(?)をした時に、最大限の力を発揮するようにできているのだと感じることがある。

愛するひとに自分の思いを届けたいと願う時、昔のひとは、風の力を借りたのだろう。風が吹き抜けた時、それは「ひとりの人間が、あなたのことを愛している」という永遠に途切れることのないサインになるように、昔のひとは、風の力を借りたのだろう。あなたのことを愛している人間がここにいるのだということを、風を感じる度に思い出して欲しいと願う気持ちが、愛されるひとの元に運ばれるのだろう。

アルケミスト

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今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、パウロ・コエーリョ著作アルケミスト』です。ご希望される方は、何かしらの形で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には、70万時間以内に折り返しご連絡をいたします。

※※※ こちらの本は、千葉県にわたりました ※※※

宝物を見つけるためには、前兆に従って行かなくてはならない。神様は誰にでも行く道を用意していて下さるものだ。神様がおまえのために残してくれた前兆を、読んでゆくだけでよいのだ。ー パウロ・コエーリョアルケミスト【角川文庫】』


ひとを愛する才能は、きっと、誰の中にもある。

世界には様々な問題が溢れているのだと耳にすることは多い。政治の腐敗だとか、貧困や雇用の問題だとか、格差社会だとか、社会全般に蔓延る問題の数をあげたらキリがないのだろう。しかし、問題の数を数え上げるという行為は「足りないものを数え上げる」習慣を無意識のうちに人々に植え付けてしまう力があり、乱暴な言葉でまとめると「(自分から愛すること以上に)自分は正当に愛されていないのだと訴え続けるひと」を量産してしまう結果になる。

しかし、私たちが生きていることの豊かを実感できる瞬間は、愛された時【与えられた時】ではなく「自分から愛していけた時【与えることができた時】」ではないだろうか。そのことを教えてくれるものが、自分が大切に思うひとやものやことの存在ではないだろうか。大好きなひとの存在は「好きなひとに好きだと言えることは、こんなにもうれしいことなんだ」ということを教えてくれる。より正確な表現をすれば、自分と世界の間にある垣根のようなものは実は幻想であり、境目はない「愛する喜びを知った時、同時に愛される喜びを知る」ように世界はできているのではないだろうか。

居場所とは、場所ではなくて人間だ。何かを愛する自分のこころだ。自分のことを愛してくれる何かを求めるのではなく、自分から進んで愛していける何かを見つけること。愛される前に愛することができるようになった時、きっと、そこが自分の居場所になる。嫌いだと思う気持ちではない、報われないと思う気持ちではない、愛されたいと思う気持ちではない、好きなひとを好きだと思うその気持ちに、愛するひとを愛していると思うその気持ちにこそ、殉じること。ひとを愛する才能は、きっと、誰の中にもある。


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人生は続く。

静岡県熱海市伊豆山302
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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