いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

自分が「行きたい」と思う未来へ。

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横浜駅ドトールにいる。バンドメンバーの保科&RYUが、ヒッチハイクで大阪から横浜に来た。私を筆頭に、彼らも金がない。クリスマスだから、保科さんに新しいベースをプレゼントしたい。誰か、昔ベースをやっていたけどいまは使っていないという方はいないだろうか。保科さんの足長おじさんになりたい。かれこれ五年以上、苦楽を共にした仲間だ。苦楽を共にすることが、一番絆を深めると思う。

 

 

おおまかなスケジュール

12月21日(土)16時 THE PRESENTS&千尋&MIKI 演奏会@ごちゃまぜの家
1月1日(水)Rest Inn Peace【無料の宿屋】爆誕@神奈川県横浜市港北区
1月8日(水)19時 THE PRESENTS DEBUT LIVE@東京都渋谷区『La.mama』

1月14日(火)19時 pre.坂爪圭吾 弾き語りLIVE@東京都吉祥寺『曼荼羅
2月14日(金)19時 THE PRESENTS presents「PRESENTS is HERE」@大阪


SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu 

 

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Rest Inn Peace

2020年1月1日から『Rest Inn Peace』という名前で、無料の宿屋を横浜市港北区にOPENする。現時点でやりたいことは三つ。ひとつは「日曜礼拝(仮)」で、毎週日曜の午前に魂の話をする機会を作りたい。魂の話とか書くと胡散臭さがやばいが、最初の牧師は私がやる。以降、毎週末ごとに『週末牧師』を募集して、自分の話をしてもらったり、魂の話をしてもらったり、その日1日を新しい意識で暮らせそうな話をしてもらう。Rest Inn Peaceには『教会』のような雰囲気を、感じる。

 

二つ目は「定期演奏会」で、Rest Inn Peaceを新しい音楽が生まれる場所にしたい。具体的には、これから音楽を始めたい人の最初の場所として、Rest Inn Peaceを開放する。古民家の12畳の居間を使えば、ミニライブならいつでも開催できる。自分の曲を人前で演奏することは、最初、血が出るほどの恐怖を覚える。同時に、最大の自己受容になる。日曜礼拝も似ているが、人前で「自分を出す」行為は、死ぬほど緊張するが、自己解放の効果がある。ライブは、どこか生前葬の趣がある。

 

三つ目は「デスアニバーサリー」で、それこそ生前葬になる。古い自分を一回殺して、新しい自分になって生まれ変わる。ギリシャ語で、教会をエクレシアと呼ぶ。エクレシアには、教会という意味の他に「呼び覚まされたもの」とか「呼び集められたもの」という意味がある。突然変なことを言うが、人生の深い意味を知るためには『自分にあるドラマ』を知る必要がある(と思う)。そして、一番の要因は『家族』にある。自分が自分の家族に生まれた霊的な理由を知る。家族は、最初のエクレシアだ。これらを筆頭に、誰かの「やりたい」を具現化する場所にしたい。

 

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「エンライトメント」 作詞 KIKA 作曲 Keigo Sakatsume

手のひらでつつんだ命 この胸で抱きしめた未来
飛び上がれ青空目指し 振り向くな私はここにいる

旅立ちの朝 君の背中は震えていた
迷わずにいま進めばいいのさ 恐れても

繋いでいた君の手を離す日が来た さあ いま微笑んで

手のひらでつつんだ命 この胸で抱きしめた未来
立ち上がれ情熱 胸に 恐れるな私はここにいる

私はここにいる 私はここにいる

 

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自分が「行きたい」と思う未来へ。 

思春期に影響を受けたものをあげろと言われたら、私は「ロックンロールとキリスト教」と答える。学生時代、教師を徹底的に嫌っていた。だが、時は流れ「あれだけ嫌えたと言うことは、自分が教師になりたかったのではないか?」と思う。好きと嫌いは表裏一体。自分の理想があるからこそ、それから逸れたものを『許せない』と感じる(のだと思う)。牧師は、形を変えた教師だ。結婚生活の秘訣は、好きの一致より『嫌いの一致』だと聞いた。趣味は違っても、嫌いなものが一致している間柄は、良好な関係が続く。大事にしたいリズムが、似ているからだと思う。

 

これからしばらく関東にいる。もしも「Rest Inn Peaceを見てみたい」という方がいたら、気軽にご連絡ください。プレオープンの段階だが、無料で泊まれる環境は既に整っています。家賃の問題がまったく解決していないが、必要とされる限り続き、必要とされなくなったら終わるのだと思う。一応、引き続き「個室&シェアルームの入居希望者」も募集しています。個室が月額五万円で、ルームシェアが月額一万円です。無料で泊まれる場所に金を払って暮らしたい人がいるのかは謎だが、今月いっぱい、募集を続けます。素晴らしい出会いに恵まれたら、うれしいなあ。

 

ゴールデンアンサーを求めている。昔から「AかBか迷ったらC」と思っていた。どちらにするか迷っている時点で、おそらく、どちらも魅力がないのだと思う。真の出会いは、迷いを断ち切る。できるできないではなく「やりたい」という気持ちにさせる。全部、やり方の問題だ。やり方は、本当は無限で、いかようにもカスタマイズすることができる。普通の生活とか、普通の働き方とか、そういうものは幻想だと思う。自分の未来は、自分の好きなようにカスタマイズできる。そのためには、自分の『理想』を知る必要がある。自分の理想をなんとなくでも掴むことができれば、自分が行きたいと思う未来があるならば、そこから展開する現在がある。

 

 

坂爪さん夜分遅くに失礼します。
お久しぶりです。

坂爪さんがプロになる
2月14日をぜひこの目で見届けたいと思いました。

チケット販売とかあるのかな?
わたしもダンスやっててプロになりたいと思ったことが幾度かあります。

でもプロってなんなんでしょうね?
ダンス界はプロ試験に合格すればプロです。私より下手なプロもいます。

わたしはむしろ魂の成功者になりたいのだと、坂爪さんの文章を読んで思いました。

わたしはわたしを表現して、見る者の魂を揺さぶり涙させたいです。
それをすることから逃げているとき虚無感に襲われるのだと気づきました。

ある意味闘いですね!!!
自分との闘い‥

いつも凄い刺激をありがとう♫

 

https://www.instagram.com/p/BuyLcEpg_yL/

Become painful and see the sunset

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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自分は永遠に死ぬまで自分で生きようと決めた。

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横浜駅ドトールにいる。こんなことを書くのはどうかと思うが、でも、書きたい。結婚したいと思う相手がいて、昨日「結婚しませんか」と伝えた。詳細は省くが、普通だったら「俺についてきてくれ」とか、男は言うのだと思う。だが、蓋を開けてみたら「一生ついていきます。背中、追わせてください」と、俺が頭を下げていた。一生ついていきます。そう言いながら、愉快で、楽しく、妙に清々しい気持ちになった。自分の本心は、ここにあるのかと思った。自分は、追いたいのだ。

 

 

おおまかなスケジュール

12月21日(土)16時 THE PRESENTS&千尋&MIKI 演奏会@ごちゃまぜの家
1月1日(水)Rest Inn Peace【無料の宿屋】爆誕@神奈川県横浜市港北区
1月8日(水)19時 THE PRESENTS DEBUT LIVE@東京都渋谷区『La.mama』

1月14日(火)19時 pre.坂爪圭吾 弾き語りLIVE@東京都吉祥寺『曼荼羅
2月14日(金)19時 THE PRESENTS presents「PRESENTS is HERE」@大阪


SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu 

 

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決めることの威力。

決めることの威力。それを実感する一年だった。今年の頭に音楽をやると決め、本気でやると決めた。そして「毎日曲を作る」と決め、現在200曲作った。もしも月に一曲作ると決めていたら、おそらく10曲程度しか作れなかったと思う。できる・できないを基準にしないで『やるか・やらないか』で突撃したのが、よかった。Agapeというバンドを組むと決め、数ヶ月後に解散を決め、12月頭にTHE PRESENTSというバンドを組むと決め、昨日プロになると決めた。決めたのだ。

 

黒澤明映画『生きる』の中で、余命僅かの主人公が「自分には、もう、人を憎んでいる時間はないのだ」と言う場面がある。重病で余命宣告を告げられた主人公は、死ぬ前に「これだけは」と思うことに取り組む。その過程で、様々な人間から妨害を受ける。しかし、主人公は淡々とやりたいことに命を捧げる。そして、最後に主人公は「これだけは」と思うことを成し遂げて、この世を去る。決めるとは、迷いの心を断ち切ることだ。音楽の他にも色々あるんじゃないのか、とか、あの人の他にももっといい人がいるのではないか、とか、そういう迷いを断ち切ることだ。自分は音楽で生きる。自分は『こいつら』と生きる。そう決めることが、力になる。

 

決めてしまえば、清々しい。報われようが、報われなかろうが、自分はこれで生きる。成功したから続けるとか、失敗したからやめるとか、そんなレベルの『好き』ではない。決めたのだ。それは、今年の夏、岡山の小学五年生・秀眞からもらった手紙に、すべての思いが集約されている。好きだと思ったのだろう。やりたいと思ったのだろう。自分を捧げたいと思ったのだろう。だったら、もう、やるしかないじゃないか。自分は永遠に死ぬまで自分で生きようと決めた。そう、決めたのだ。

 

ぼくは坂爪さんに出逢うまで、ぼくじゃないだれかにならなきゃいけないような気がずっとしていた。

どこへ行っても、誰と会っても、そのままのぼくじゃダメだって言われてる気がしていた。

坂爪さんに初めて会った時、ぼくは感動した。みんなみたいにうまくしゃべれないぼくをそこら辺にある空気とおんなじように、気にしないでいてくれた。ぼくはそれがものすごいうれしかった。

坂爪さんに出逢ってから、ぼくは永遠に死ぬまでぼくで生きようと決めた。

坂爪さんの歌を聴くたびに、その気持ちを思い出す。坂爪さんとはなかなか会えないし、ずっと一緒にもいられないけど、離れていても会えなくても坂爪さんはすぐそこにいてくれて、「ほら、楽しもうぜ!」って言ってくれる。

ぼくは坂爪さんが大好きだ。

ぼくは一生坂爪さんの友達でいる。

 

自分は永遠に死ぬまで自分で生きようと決めた。

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昨日、大阪でLIVEをした。終了後、参加者の方と話す時間があった。新卒一年目の男性は「坂爪さんにとっての音楽のようなものを、自分はまだ見つけることができていない。スマートに生きるひとを格好いいと思う気持ちもあるが、葛藤を抱えながらそれでも前を向こうと生きる人にも、自分は強烈に惹かれる。だから、自分も自分の葛藤を抱えながら、生きていきたいと思いました」と言った。素晴らしい言葉だ。京都から来てくれた19歳の男性から、その日の夜、こんなLINEをもらった。

 

坂爪さん、今日は本当にありがとうございました。すごく格好良かったです。以前三重でお会いした時の何倍も格好良かったです。でも同時にすごく悔しかったです。坂爪さんに最近どうですか?と聞かれた時、以前と何も変わらないことしか答えられなかったことも、観客として拍手しかできなかったことも。

だからひとつ、無理を承知でお願いがあります。2月14日の心斎橋でのライブ、Facebookのイベントページに前半、出演者募集中と書いてあるのを見ました。そこに僕も出演させて頂けませんか?まだ一曲もできていないけれど、それまでに作って、そこで歌いたいです!!!


THE PRESENTSの3人は、ドラマの中を生きていると思いました。その姿がどうしようもなく格好良くて、同時に今の自分がものすごく嫌になりました。変わりたいと思いました。無理にでも変わりたいです。
どうか、よろしくお願いします。

 

共に生きるとは、多分、こういうことだと思う。俺も頑張る。お前も頑張る。俺は俺を生きる。お前はお前を生きる。それが、時間や空間を超えて「背中を押す」ことになるのだと思う。自分なんかいない方がマシだ。自分はしょーもない人間だ。自分は無価値な人間だ。そう言う風に感じる時、それでも自分を「生きたい」と思わせてくれたものがある。何かを好きになることは、誰かを好きになることは奇跡みたいなものだから、護りたいと思う。大事にしたいと思う。恐れながらも、ぶつかっていきたいと思う。秀眞の言う通り、みんな本当は怖くて震えているのだとしたら、そのど真ん中を生きることが『喜びに嬉しさに感動に変わる』のだと思う。

 

 

坂爪さんがいつもぼくのとなりにいてくれるように、ぼくもいつも坂爪さんのとなりにいる。
共に生きるということを、坂爪さんがぼくに教えてくれた。

2020年2月5日から名古屋でのぼくの個展が決まった。
ぼくは怖くて震えている。ぼくの世界が広がっていくこと、ぼくの作品がたくさんの目に心に触れることが怖い。
でも、坂爪さんももしかしたら怖くて震えているんじゃないか、ぼくだけが怖いんじゃなくて、みんな本当は怖くて震えているんじゃないかって思ったら、恐怖は喜びに嬉しさに感動に変わる。

共に生きてくれる人がいること。ぼくはそれだけで涙が出てくる。

ありがとう、坂爪さん。

しゅーまより

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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大丈夫だよ。全部うまく行くよ。

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天王寺駅前サンマルクカフェにいる。2020年2月14日の目標が決まった。プロになる。自称プロではなく、客観的に『プロ』と言われるようになる。残り二ヶ月。昨日、メンバー三人でスタジオに入った。五曲。物凄い音楽が生まれた。死に物狂いでやれば、行ける。そう思った。昔から、逆転ホームランに憧れていた。周囲から「あいつらはもう終わった」と思われた奴らが、最後に、起死回生の逆転劇をかっ飛ばす。あいつら、本当にやりやがったと言われること。それが、一番燃える。

 

 

おおまかなスケジュール

12月14日(土)【満席】THE PRESENTS pre LIVE@大阪市東住吉区「おうち」
12月21日(土)16時 pre.坂爪圭吾&五十嵐千尋&MIKI 演奏会@ごちゃまぜの家
1月8日(水)19時 THE PRESENTS DEBUT LIVE@東京都渋谷区『La.mama』

1月14日(火)19時 pre.坂爪圭吾 弾き語りLIVE@東京都吉祥寺『曼荼羅
2月14日(金)19時 THE PRESENTS presents「PRESENTS is HERE」@大阪


SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu 

 

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THE PRESENTS

これまでは「金がなくても幸せ」だの「技術がなくても楽しい」だの、ないに胸を張っていた。反骨精神だけを武器に、家がなくても生きれるとか、金がなくても生きれるとか、ないを武器にしていた。だが、その時期も、終焉を迎えた。これからは、どっちも取りに行く。本も出す。出すならば、売れるものを作りたい。わかるひとだけわかればいい、とは思わない。全員に『わからせに行く』位の気概で書く。音楽も同じだ。年齢や性別や国籍の垣根を越えて、人類全体のハートを射抜きたい。人間なら、感動を覚えないではいられない。そういうものを、追求したい。

 

THE PRESENTS。我々のバンドの名前だ。“PRESENT”という言葉には「贈り物」という意味のほかに「存在」という意味もある。演奏としてただ見せる作品を差し出すのではなく、全人間としての生々しい姿を、音や振動、熱、表情など、あらゆる要素を持って表現する。綺麗事なしの、生身の『音楽』。それは、自分の内側から血にまみれた心臓をえぐり出して「これが私です」と差し出すような、鬼気迫るものがある。ただ、綺麗なだけじゃない。ただ、楽しいだけじゃない。だが、どうしようもなく『生きている』もの。どうしようもなく、自分の中で『躍動を続けている』もの。それを、目の前に差し出す。これが、俺たちからの贈り物です。と。

 

バンドの方針が決まった。

2020年2月14日までに、なんらかのかたちでプロを目指すことになった。
私自身、“プロフェッショナル”の定義というものをよく理解していないが、いわゆる自称〇〇みたいなことではなく、客観的にプロと言われるようになることだと解釈した。

最初にその提案を圭吾氏から聴いた時、私は「来たな」と思った。
当たり前だが、バンドというものは、一人でやるものではない。
私は、音楽を通じてバンドというものがやりたかった。
舞台の上で、渾身のハイタッチを決めたいと思った。


フラッシュバック。


強い衝撃が脳天を貫通した、2019年2月14日。
ヴェネツィアで圭吾氏が音楽をやると決めた瞬間に立ち会った私は、その場でハッとなった。
朧げに見える観衆の前で、手を挙げて大きく拍手をする自分。
大事なことを、憶い出した。
憧れたままで放置していた宝箱が、記憶の深海からサルベージされた。
それだ。俺は、まだ何もやっていない。イメージは、出来ている。


その時から、バンド活動に関しては、果てるまでとことんやろうと決めた。
世間的には、いい歳だ。
長らく離れている同級生たちは、皆中堅の親父たち。子どもを抱き上げる母親たち。
かたや、変わることなく放蕩を続けるフーテンの獅子。


色々なことが待ったなしの状況。
圭吾氏とのバンドは、自分にとって、最初で最後、乾坤一擲の大勝負となるだろう。
もう五年以上も遊ばせてもらっている。
お互いに、情けが不要なのは暗黙の了解。
逃げるようとするのはいつも自分で、圭吾氏も、音楽も、決して逃げない。


野球もそうだった。
いつも逃げるのは自分だった。
逃げるのが、何よりも辛い。
自分からは一生、逃げられないからだ。
君はいま、何と闘っているだろう。
お互い見えない敵には苦労するな。
ひと時、どこかで君のことを労えたらと思う。

 

“プロになる”というフレーズをもらった私は、一つ返事「いいですね」と答えた。
どんなかたちでも構わなかった。
自分が終わったと思える、その日まで、バンドというものに懸けてみたい。
待ったなしの人生だからこそ、半端にはしたくない。


メンバーの隆佑が少し遅れてやってきた。
「“プロになる”ってどう?」と圭吾氏。
ニヤッと笑った隆佑。
「もちろん。最初からそのつもり」


私は既に、とんでもないところにいたようだ。 

 

r-hoshina.hateblo.jp

 

プロになる。

人生はゲームだとか、暇潰しだとか、嘘だ。生きるとは、私にとっては戦いだった。物心ついたときから、常に「どう生きるか」という問いが頭の中にある。その問いに押し潰されそうになることもありながら、ただ、逃げたくないと思った。否、正確には『逃げられない』と思った。どれだけ逃げても、自分から逃げることはできない。逃げられないならば、立ち向かう。無様でも、醜くても、それでも「これが俺だ」と、潔く、生身の己を前に出す。自分には、この肉体しかない。それならば、この肉体を使って「これが俺だ」と、突き出して行くしかない。前に。

 

ある父親が、息子に言った。「世の中には、頭の成功者と、魂の成功者がいるんだよ。頭の成功者は、金とか、地位とか、名誉とか、そういうもので周囲の評価を得る。だけど、どれだけ高級なものに囲まれても、退屈そうな人間もいるもんだよ。頭の成功者の言葉は、ただ、頭に響くだけ。でも、魂の成功者の言葉は、聴く人の魂に響くんだ。魂の言葉は、足りないものは何もない。大事なものは、全部、自分の中にある。そういうことを、思い出させる。だから、魂の言葉に触れると、震えたり、涙が出そうになることがあるんだ。涙。涙が出るなら、それはお前にとっての『本当』なんだよ。自分の中にないものに、感動することはできないからね。」

 

好きなひとはたくさんいる。「愛している」と言える相手も、結構いる。だが、自分が「俺はお前に惚れたんだ」と言える相手は、なかなかいない。恋愛に限らず、惚れた相手と生きたいと思う。好きとは違う。愛しているとも違う。自分の心が『惚れた』相手に、残りの自分を賭けたいと思う。私は、言葉に惚れた。音楽に惚れた。編集者に惚れた(だから本を出す)。惚れたなら、言い訳をしている場合ではない。プロになるという目標は、一切の言い訳を取り除いた。報われるとか報われないとか、成功するとか成功しないとか、そんなことはもうどうでもいい。ただ、自分を賭けたいと思えたものに、出会えた自分の人生を「幸運だな」と思う。

 

 

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大丈夫だよ。全部うまく行くよ。

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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許すためには、戦わなくちゃいけない。

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大阪駅前のデリカフェにいる。自分の中で決めたルールに「女性に怒らない」というものがある。一昨日決めた。実践三日目の感想としては『非常に良い』である。私は短気だから、街中をとろとろ歩く女性を見ると「邪魔だ」とか思っていた。しかし、怒らないと決めた途端に、祖父力が鍛えられた。初孫を眺めるようなまなざしで日々を生きると、寛容になる。道を譲る。席を譲る。徹底して譲りまくる。すると、不思議と余裕が生まれる。が、逆に、男性に対してめっちゃ厳しくなった。

 

 

おおまかなスケジュール

12月14日(土)15時 坂爪圭吾 弾き語りLIVE@大阪市東住吉区「おうち」
12月21日(土)16時 坂爪圭吾&五十嵐千尋&MIKI 演奏会@ごちゃまぜの家
1月8日(水)19時 THE PRESENTS DEBUT LIVE@東京都渋谷区『La.mama』

1月14日(火)19時 坂爪圭吾 弾き語りLIVE@東京都吉祥寺『曼荼羅
2月14日(金)19時 THE PRESENTS presents「PRESENTS is HERE」@大阪


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大事なものは、自分の中にある。 

私は33歳から音楽をはじめた。だが、24歳の頃に一度だけバンドを組んだことがある。だから、正確には「33歳から再開」した。24歳の頃のバンドは、結成数ヶ月で色々あり、メンバーが精神病院に入院したりなんだりで、活動はすぐに終わった。一度だけ、そのバンドでライブをした。それに合わせて『snows』という曲を作った。生まれて初めて作詞作曲をした曲だ。処女作。一度限りのライブには、今では武道館を埋め尽くすほどのバンドが、友情出演をした。当時は、お互いに全くの無名だった。彼らは、今『S.N.O.W.S』という名前のファンクラブを運営している。

 

その後、彼らは怒涛の勢いでメジャーデビューを果たし、かたや私は躁鬱病諸々の惨事に見舞われ、新潟で療養の日々を過ごした。華やかな道を進む彼らとは裏腹に、私は、地底を生きる廃人のようになっていた。街を歩けば、彼らの曲が流れている。私は、耳をふさぐように街を歩く。彼らの曲を耳にするたびに、まるで「なにもしてないのはお前だけだ」と言われているような、そんな気持ちになった。皮肉(?)なことに、私の25歳の誕生日に彼らはデビューアルバムをリリースした。不思議だ。今になって、当時の記憶が鮮明に蘇る。当時は、情けない話だが「彼らを憎むことで、どうにか自分を保っていた」と思う。彼らの音楽を好きにならないことで、彼らの音楽に耳をふさぐことで、どうにかこうにか、自分を保っていた。

 

許すためには、戦わなくちゃいけない。そう思うようになったのは、最近のことだ。嫉妬を覚える対象、乱暴な言葉を使えば『憎しみ』を覚える対象は、その感情を通じて自分にエールを送っている。悔しかったら、こっちに来い。それは、挑発とは違う。嫉妬を覚えるということは、憎しみを覚えるということは、自分が「それを越えたい」と思う証拠だ。越える、というのは語弊がある。それは「相手が相手の舞台で輝いていることと同じくらい、自分も、自分の舞台で輝けるはずだ」という、自分に対する信頼であり、自分に対する矜持であり、そして、中途半端なところに留まり続ける自分のケツを叩くものだ。自分自身を、叱咤激励するものだ。 

 

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「snows」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

もしも太陽が昇るなら もう一度だけ奥歯を噛んで
明日世界が終わろうとも 君のもとへスピードをあげて

今日の君はもう 明日には取り戻せない
そんなことは もう わかってるさ そんなことわかってる

雪の数 雪の数
あの日泣きながら 交わした 交わした
雪の数 雪の数
君の祈りは 儚くて 綺麗だった

天から幼い水晶が 黒く汚れた僕の体を
白い天使はガーゼのように 優しく温かく僕を包んだ

この瞬間はいつも 最初で最後だよ
今だけさ よく見ていろよ 今だけさ 見ていろよ

雪の数 雪の数
あの日泣きながら 交わした 交わした
雪の数 雪の数
君の祈りは 儚くて 綺麗だった

骨身も削った 血も噴き出した
悲しい嘘も 叶わなかった夢も
掻き集めて 燃やし尽くしたよ
君に 続く 道を 照らせ

雪の数 雪の数
あの日泣きながら 交わした 交わした
雪の数 雪の数
君の祈りは 儚くて 綺麗だった

雪の数 雪の数
星の数 夢の数
君の数 僕の数
雪の数 雪の数

二人の 祈りが 大地を 包んだ

君の数 僕の数
雪の数 雪の数

 

許すためには、戦わなくちゃいけない。

音楽を再開したことで、再び『snows』が日の目を見た。10年間、眠り続けていた曲が、再び命を得た。止まっていた時間が、再び、流れはじめた。自分の曲を眠らせ続けることは、自分を『殺す』ことと似ている。自分が、過去の自分をなかったことにすることと同じだ。これは、きっと、自分だけではないと思う。誰もが『自分だけの傑作』を、隠し持っているのだと思う。だから、願う。日の目を見ることのなかったあなたの作品に、是非、報われる機会を与えてほしい。 誰にも見せることのないまま、記憶の片隅で眠らせていた『あなた』自身を、世に出してほしい。

 

音楽活動再開にあたり、10ヶ月で200曲作った。必死に、我武者羅に、全身全霊で取り組むしかないと思った。再開するには遅すぎる年齢だが、しかし「遅すぎることはない」と信じたかった。その思いだけで、ここまできた。すべての曲が評価される訳じゃない。ほとんどの曲が、素通りされるか、酷評されるか、一笑に付されるかだ。他人の言葉に一喜一憂し、自分には才能がないだの、この曲はゴミみたいだの、音楽を投げ出したくなることは頻繁にあった。だが、それでもまた、ギターを手に持ち『自分の曲』を歌うと、捨て去ることなんてできないよ、と、思う。無様でも、醜くても、自分が作った曲なんだ。捨て去ることなんてできないよ、と。

 

許すためには、戦わなくちゃいけない。誰かを憎み続けることは、自分を憎み続けることと同じだ。音楽を再開する前に、私は「このままでは、俺は、自分をずっと憎むことになる」と思った。音楽をやらなかった自分を、自分を表現することから逃げ続けた自分を、死ぬまで「ダサい」と思い続けることになる。そして、表現者を見るたびに嫉妬や憎しみなどの、醜い感情を抱くことになる。そう思った。だから、もう、やるしかないのだと思う。許すためには、戦わなくちゃいけない。それは、自分以外の何者かになるための戦いではない。自分が、自分のまま、世界を許すための戦いだ。自分が、自分のまま、自分の舞台で輝こうとするための戦いだ。

 

 

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Autumn leaves

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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みんな、誰かのこどもなんだ。

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東梅田のドトールにいる。最近、お孫さんが出来た女性が「孫はもちろん可愛いけれど、孫を可愛がる娘が一番可愛い」と話していて、猛烈に感動した。大袈裟だが、母と娘の最終形態を見た気がした。孫が可愛いと話す多くの親も、同じ気持ちなんじゃないだろうか。自分の子供が、子供を可愛がる姿には、映画のような美しさがある。そして、当たり前だが「みんな、誰かのこどもなんだよな」と思った。 

 

 

おおまかなスケジュール

12月14日(土)【残り1席】坂爪圭吾 弾き語り@大阪市東住吉区「おうち」
12月21日(土)16時 坂爪圭吾&五十嵐千尋&MIKI 演奏会@ごちゃまぜの家
1月8日(水)19時 THE PRESENTS DEBUT LIVE@東京都渋谷区『La.mama』

1月14日(火)19時 坂爪圭吾 弾き語りLIVE@東京都吉祥寺『曼荼羅
2月14日(金)19時 THE PRESENTS presents「PRESENTS is HERE」@大阪


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連絡先・坂爪圭吾
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言葉が、現実を推し進める。

生きていると、様々な人々に会う。女性の中には、母親との確執を抱いている人も少なくない。私は男だから、母と娘という関係性は、想像することしかできない。この記事をご覧の女性は、母親と、どのような関係にあるだろうか。人生は夢みたいなものだとしたら、私たちは思い込みで生きていると言うこともできる。問題があるのではなく『問題があると思い込んでいる』だけで、問題がないのではなく『問題がないと思い込んでいる』だけかもしれない。全部が思い込みでできているならば、前向きな幻想を見た方がいいだろう、とも思う。だが、時折、どうしようもなく『本当』であるものと出会う。どうしようもなく胸が震える言葉と出会う。

 

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この記事『本物を知ると、偽物が分かる』で、鬱病の経験を書いた。この時期に、両親から「お前は愛されている」ということを、態度ではなく言葉で伝えてもらった。そのことで、自分の中の何かが氷解し、愛情を求めたり承認を求める気持ちが薄れた話を書いた。学校や職場にはいじめがある。一番苦しいいじめは『無視をする』ことだと聞く。まるで、そこに居ないように扱われることが、人間にとって一番苦しい。感情も同じだ。確かにあるはずなのに、まるで、そんなものは存在していないように扱われたとき、最大の苦しみを覚える。言葉は、そこに光をあてる。無視されていた感情に「お前は、ここにいたのか」と、スポットライトを当てる。

 

おまえはとっても正しいことをしたんだよ。
何かいいものを見つけたとき、まずしなくちゃいけないのはね、
それをだれでもいいから、出会った人に分けてあげて、
いっしょに喜ぶことなの。
そうすれば、どこまでも広がっていく。
それが正しい行いってものなんだ。

フォレスト・カーター『リトル・トリー』【めるくまーる】

 

素晴らしい言葉と出会えたとき、それを誰かと分かち合いたいと思う。ある女性が言った「孫はもちろん可愛いけれど、孫を可愛がる娘が一番可愛い」という言葉に、私は、映画のような美しさを覚えた。こどもを可愛がる娘と、娘を眺める母親を想像して、映画のような美しさを覚えた。それは、愛と光にあふれた光景だった。生きている限り、誰もが『思い』を抱く。たとえ、それが勘違いだとしても、偏った思い込みだったとしても、思いは現実を作り、思いは『傷』を作る。生きるよろこびとは、まったく傷がないことではない。傷に、意味が与えられることだ。

 

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みんな、誰かのこどもなんだ。 

小さな子供と触れ合うとき、自分も、昔はこうだったんだよなと思う。そう思うと、不思議と涙が出そうになることがある。それは、きっと「そのこどもは、今も自分の中にいる」からだ。現在の中に、過去も、未来も、全部、ある。大人になると言うことは、子供ではなくなるということではない。それは、年齢の可動域を増やすことだ。34歳の自分には、3歳のような純真さもあれば、14歳のような真っ直ぐさ、21歳のような危うさもあれば、34歳なりの落ち着きもある。生きることは、多様性を深めることだ。生きることは、命のグラデーションを身にまとうことだ。

 

ある父親が、息子に言った。「自然に生きるということは、必ずしも『おだやかに生きる』ってことだけじゃないんだよ。天気に晴れも嵐もあるように、気分も浮き沈みがあって自然なんだ。晴れの日ばかりじゃ、自然じゃないんだよ。嵐もあるのが、自然なんだ。だから、自分はこういう人間だって簡単に決めつけないことだよ。天気みたいに、移り変わることが自然なんだ。晴れの日の自分。嵐の日の自分。花みたいな自分。鳥みたいな自分。海みたいな自分。それを、全部ひっくるめたものが自分なんだよ。自然に生きると言うことは、そういうことなんだよ。」

 

私は、優しい言葉を愛したい。人間の分離感を推し進めるものではなく、人間の一体感を予感させる言葉を愛したい。育った国籍や環境は違えど、それでも「同じ人間じゃないか」と言える部分を、俺たちは兄弟姉妹じゃないかと言える部分を、スポットライトで照らしていたい。みんな違っているようで、実は、そんなに違っていない。根底では、みんな繋がっている。私は、誰かを愛することができている自分を、愛する。それは、誰かが私を愛した記憶を、私が継承しているように感じるからだ。私から生まれる愛なんて、たかが知れている。だが、私を『通じて』生まれる愛には、無限の広がりがある。愛と光に満ちた、映画のような美しさがある。

 

 

だれでもふたつの心を持っているんだよ。

ひとつはね、からだの心(ボディ・マインド)、
つまりからだがちゃんと生きつづけるようにって、働く心なの。

からだを守るためには、家とか食べものとか、
いろいろ手に入れなくちゃならないだろう?

おとなになったら、お婿さん、お嫁さんを見つけて、
子どもをつくらなくちゃならないよね。

そういうときに、からだを生かすための心を使わなくちゃならないの。

でもね、人間はもうひとつの心を持っているんだ。
からだを守ろうとする心とは全然別のものなの。
それは、霊の心(スピリット・マインド)なの。

いいかい、リトル・トリー、もしもからだを守る心を悪い方に使って、
欲深になったり、ずるいことを考えたり、人を傷つけたり、
相手を利用してもうけようとしたりしたら、
霊の心(スピリット・マインド)はどんどん縮んでいって、
ヒッコリーの実よりも小さくなってしまうんだよ。

からだが死ぬときにはね、
からだの心(ボディ・マインド)もいっしょに死んでしまう。
でもね、霊の心(スピリット・マインド)だけは生きつづけるの。

そして人間は一度死んでも、またかならず生まれ変わるんだ。

ところが生きている間、
ヒッコリーの実みたいにちっぽけな霊の心(スピリット・マインド)しか
持ってなかったらどうなると思う?

生まれ変わっても、やっぱりヒッコリーの実の大きさの
霊の心(スピリット・マインド)しか持てない。

だから、なにも深く理解することはできないんだ。

それで、からだの心(ボディ・マインド)がますますのさばるから、
霊の心(スピリット・マインド)はますます縮んじゃって、
しまいには豆粒ぐらいになって、見えなくなっちゃうかもしれない。

もう霊(スピリット)をなくしちゃったのとおんなじだよね。

そうなったら、生きてるくせに死んでる人ってことになるの。
いくらでも見つかるわ。
そういう人はね、女の人を見るといやらしいことしか考えない。

他人を見ると、なんでもケチをつけたがる。
木を見ると、材木にしたらいくらもうかるかってことしか考えない。

きれいなことなんかちっとも頭に浮かばないのさ。
そんな人がうようよしてるよね。

霊の心ってものはね、ちょうど筋肉みたいで、
使えば使うほど大きく強くなっていくんだ。

どうやって使うかっていうと、
ものごとをきちんと理解するのに使うのよ。

それしかないの。

からだの心(ボディ・マインド)の言うままになって、
欲深になったりしないこと。

そうすれば、ものごとがよーく理解できるようになる。
努力すればするほど理解は深くなっていくんだよ。
いいかい、リトル・トリー、理解というのは愛と同じものなの。

でもね、かんちがいする人がよくいるんだ。
理解してもいないくせに、愛してるふりをする。
それじゃ、なんにもならない。

フォレスト・カーター『リトル・トリー』【めるくまーる】

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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やりたいんでしょ?やんなよ。

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難波駅前のドトールにいる。昨日、京都でムラキテルミさんにお会いした。爆裂に素敵だった。品があってチャーミングであることは大前提だが、素敵な人とは「背中を押す人」だと思う。一緒にいる人を、前向きにさせる人だ。無駄な言い訳をしない。あなたはそれをやりたいんでしょ?じゃあ、やりなさいよ。そう言う感じで、シンプルに力強く背中を押す。でも、とか、だって、とか、そんなことを言ってないでやりなさいよ。逆に言えば、口先だけの人間はダサいということになる。

 

 

おおまかなスケジュール

12月14日(土)【残り3席】坂爪圭吾 弾き語り@大阪市東住吉区「おうち」
12月21日(土)16時 坂爪圭吾&五十嵐千尋&MIKI 演奏会@ごちゃまぜの家
1月8日(水)19時 THE PRESENTS DEBUT LIVE@東京都渋谷区『La.mama』

1月14日(火)19時 坂爪圭吾 弾き語りLIVE@東京都吉祥寺『曼荼羅
2月14日(金)19時 THE PRESENTS presents「PRESENTS is HERE」@大阪


🌸🌸🌸すべてのイベントで、参加者募集中です🌸🌸🌸

連絡先・坂爪圭吾
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keigosakatsume@gmail.com

SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu 

 

ibaya.hatenablog.com

 

痛みこそ、生きがいである。

百年羊でいるよりも、三日でいいから獅子になれ。私は馬鹿だから、男歌を真に受ける。十年間の退屈な人生より、三ヶ月の面白い人生。そう思いながら頷いてしまう。昨日、THE PRESENTSの三人でスタジオに籠った。端的に「よい」と思った。練習後、痛みこそ生きがいであるという話をした。我々は話が早いので、即座に「そうだよね」と意気投合をした。苦しまないように生きるより、生きている間は、思い切り苦しもうじゃないか。一緒に地獄を見て、一緒に絆を深めていこう。

 

ある父親が、息子に言った。「この人となら幸せになれそうだとか、この会社に入ったら安泰だとか、安易な打算で選んだらダメだ。損得勘定を続けると、自分の『好き』を見失う。豚の安心を買うより、狼の不安を背負え。幸せになれるから選ぶのではなく、お前とだったら不幸になってもいいと思える人間と生きろ。それを、俺たちは戦友と呼ぶんだよ。自分のために命を投げ出す人間がいることは、嬉しいことかもしれない。だが、それ以上に『こいつのためなら自分の命を投げ出せる』って友達や恋人がひとりでもいる方が、俺は、幸せな人間だと思うんだよ。」

 

誰かに嫌われたければ、ただ、相手を変えようとすればいい。自己改革を伴わない改革など、全部、茶番だ。何かを変えたいと思うならば、まず、自分から変わることだ。逆に言えば、人間、真の出会いを果たしたときは「意図を超えて、別人になってしまう」ものだ。1月8日(水)に渋谷で、2月14日(金)に大阪でLIVEがある。1月はデビューライブで、2月はここ1年間の集大成を見せる場になる。まるで、生前葬をやるような気持ちだ。古い自分を一回殺して、新しい自分になって生まれ変わる。その瞬間を、あなたに目撃して欲しいと思う。震える演奏をしたい。震える演奏をするためには、当たり前のことだけれど、自分が震える必要がある。

 

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やりたいんでしょ?やんなよ。

めちゃめちゃな人に出会うと、元気になる。ムラキテルミさんは、私から見るとめちゃめちゃだ。免許がないのに車を買ったり、いきなり婚活をはじめたり、私を養子にしようとしたり、抱えきれない土産と一緒に新潟の実家まで挨拶に来たり、した。私の両親は、宇宙で一番素朴な夫婦なので、驚愕していた。完全に気圧されていた。その様子を見て、私も、愕然としながら「なんだか愉しいなあ」と思った。なんと言うか、人生、なんでもありなのだ。そのことを、言葉ではなく生き様で体現している人を見ると、自由になる。俺も、好きに生きようと言う気持ちになる。

 

私は三人兄弟の末っ子で、上の二人は結婚をしてこどももいる。だから「こどもの責任(孫の顔を見せる等)は、上の二人が果たした」ということで、気楽だ。親も、こどもが三人いれば一人くらいはバグるものだと、私のことは完全放置だ。家族全員O型だから、単純に興味がないだけかもしれない。他人より、自分。そういう家族だ。優しい無関心が、自分には嬉しい。養子の話が出たときも「まあ、驚いたけど、お前がいいんならいいんじゃない?」という感じだった。そして、母親は言った。お前がどういう生き方をしているのかは謎だけど、お母さんは、あんたは「みんなから愛されている間は生きて、みんなから愛されなくなったら死ぬんだね」って思っているよ、と。これはすごい。母は、死ぬことも容認していたのだ。

 

冷たく響く言葉かもしれないが、私は『究極の信頼』だと思った。やるな、母。そう思った。10代の頃は爆裂な死闘を繰り広げた我々も、現在は至極穏やかな関係性が続いている。やれと言われたらやらない。やるなと言われたらやる。私は、終わりなき抵抗を続けていた。それを見て「こいつにはなにを言っても無駄だ」と思った母親は、最終的に「元気でいてくれたら、それだけでいい」というところに着地をした。私も、強制されることがなくなると抵抗する対象もなくなったので、結果的に「はい、元気に生きていきます」と、言うことを聞くようになった。結果、反抗期は終焉を迎えた。親子なんて、そんなものだ。元気でいてくれたら、それだけでいい。そして、最悪の場合は死ぬことさえも容認する。やりたいなら、やろう。

 

 

https://www.instagram.com/p/BxeNpHfAM9x/

鴨川に憩う。

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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本物を知ると、偽物が分かる。

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京橋のドトールにいる。昨日は大正で眠り、今日は京都に行く。私の悪い癖だが、誰かと会った時に「本物か、偽物か」で見る。子供は、大概本物だ。大人になると、濁る。瞳から濁る。しかし、人間は水からできている。濾過すれば透明。だから、私は、言葉や音楽を濾過機として使いたい。濁ることの一番の原因は「愛されることの恐怖」だ。どこかのタイミングで、自分のままでは通用しないと思い込んだ瞬間、人間は偽りの仮面を被る。偽りの仮面を通じて、愛を獲得しようとする。

 

 

おおまかなスケジュール

12月14日(土)15時 坂爪圭吾 弾き語りLIVE@大阪市東住吉区「おうち」
12月21日(土)16時 坂爪圭吾&五十嵐千尋&MIKI 演奏会@ごちゃまぜの家
1月8日(水)19時 THE PRESENTS DEBUT LIVE@東京都渋谷区『La.mama』

1月14日(火)19時 坂爪圭吾 弾き語りLIVE@東京都吉祥寺『曼荼羅
2月14日(金)19時 THE PRESENTS presents「PRESENTS is HERE」@大阪


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連絡先・坂爪圭吾
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ibaya.hatenablog.com

 

愛は、とっくの昔からそこにあった。

25歳の頃、鬱病を患い実家で療養していた。鬱病を患うと、自分が自分を信じられなくなる。自分なんかいない方がいい。迷惑をかけるだけだ。自責の念に苛まれ、死ぬことばかりを考える。そんな時、母親は「あんたは大丈夫だよ」と、のんびり構えていた。鬱病ど真ん中の時期は「俺の気持ちも知らねえくせに」と思っていたが、結果、母親が自分以上に自分を信じてくれたことが、鬱病完治に役立った。もしも、母親も一緒になって苦しんでいたら、自責の念は倍増していたと思う。母親は、言葉だけではなく態度を通じて「あんたは大丈夫」と、私に語り続けていた。

 

鬱病が悪化するまでは、孤軍奮闘していた。東京で暮らし、どうにか仕事に行き、倒れそうになる体をひきずりながら生きた。だが、もうダメだ。自分の力だけでは生きていくことができない。そう思い、藁にもすがる思いで新潟にある実家に電話をした。助けてくれ。そう言いたかった。すると、父親が電話に出た。私は、どう切り出して良いかもわからないまま「実は、疲れている」というようなことを言った。すると、父親は、私の声色から事情を察したのか、深いことは何も聞かず「疲れたら、いつでも帰ってこい」と言った。私は、狼狽しながら「いいのか?」と聞いたら、父親は続けた。当たり前だろう。お前は、俺のこどもなんだから。と。

 

当たり前だろう。お前は、俺のこどもなんだから。

 

私は、この言葉に、自分でも驚くほどの衝撃を覚えた。別に、家族仲が悪かった訳ではない。むしろ、良い方だと思う。しかし、それでもなお「甘えてはいけない」という思いが、自分の中に強烈にあった。その思いは、良く働けば自立を促すが、悪く働くと孤立を促す。鬱病の体験は辛いものだったが、鬱病を経て、私は「(気持ち悪い表現になるが)両親の愛」を、確認することができた。母親は、自分を信じている。父親は、自分を信じている。そのことを、言葉を通じて、確認することができた。思いとは、言葉にされることでこれほどまでの力を生み出すものなのか。そう思った。そして「愛は、とっくの昔からそこにあったのだ」と、思った。

 

本物を知ると、偽物が分かる。

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この出来事を経て、私は、無駄な努力をしないようになった。『無駄な努力』と言うと語弊があるが、自分の中にある何かが氷解して、ただ、自分のやりたいように生きようと思った。ただ、自分の好きなように生きようと思った。もう、誰かの承認を求める必要もない。もう、誰かの愛情を求める必要もない。愛情は、とっくの昔からそこにあった。承認は、とっくの昔からそこにあった。自分は、ただ、自分に与えられた命を、精一杯に生きれば良いのだ。そのことが、巡り巡って恩返しになるような、そういう生き方をすればいいのだと、晴れやかに思うようになった。 

 

明日のことを思いわずらうな。明日のことは、明日自身が思いわずらうであろう。(マタイによる福音書6:34)

 

ある父親が、息子に言った。「一般論とか、世間の常識とか、そんなものに惑わされたらダメだぞ。みんなが考えることが、必ずしも『正しい』とは限らないんだ。だから、お前は、違うと思ったものには違うと言える勇気をもて。そして、どれだけ周囲からバカにされても、お前の心が『これは本当だ』と感じたものがあるならば、それを信じる強さをもて。ほかのひとから見たらゴミクズに見えるようなものでも、お前にとっての宝物になり得るんだ。だから、お前は、お前の宝物を死ぬまで守り続けるんだよ。お前は、お前が思う『本当』のど真ん中を生きるんだよ。」

 

一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。(ヨハネによる福音書12:24)

 

私は文章を書き、私は歌を歌う。それが褒められることもあれば、それが貶されることもある。褒められても、貶されても、自分は自分のまま。人間の価値は不増不減で、褒められたから増えるものでもなければ、貶されたから減るものでもない。ただ、私は、自分の心が「これは本当だ」と思ったことを、書きたいと思う。自分の心が「これは本当だ」と思ったことを、歌いたいと思う。すべてが実を結ぶとは限らない。しかし、すべてがダメになるとも限らない。私は、自分に宿る『愛情』を信じる。本当の思いは、本当の心に届く。そのことを信じて、今日も、明日も、生きている限り、書き続けたいと思う。生きている限り、歌い続けたいと思う。

 

坂爪さん、お久しぶりです!○○○○です。

今、坂爪さんの曲を聴いて、そのあと続きに書かれていた文章を読みました。そうしたら自然と笑顔が溢れてきて、なんかこう肩肘を貼るわけでもなく、力まず、でも自分もがんばろうって、うまく言えないんですけどそう思いました。最近あんまり笑えてなかった気がします。

僕はすぐにダラダラしてしまいそうになるのですが、そんな時、伊勢で坂爪さんと保科さんに出会ったことを思い出すと、何やってるんだろう、自分ももっと生きよう!って気持ちが奮い立ちます。ありがとうございます。

燃え盛る炎の中に自分がものすごく欲しくてやまないものがある。そんな時、火傷するって分かってるから諦めるか、それとも火傷するって分かってるけど、それでも飛び込んで取りに行くか、2つの選択肢があると思います。僕はそこで全力で飛び込んで行けるようになりたいです。そして多分それが、かっこいい男なんじゃないかなと思います。

すごく辛いことがあっても、全く答えが出ないことがあっても、僕はそれを見ないふりして蓋をするより、それに向き合って生きて行きたいなって思います。それで全てが解決するわけじゃないけど、そういう生き方ができたら、1日の終わりに美しい夕日が観れる、そんな気がします。

伊勢でお会いした日から、僕もギターを練習しています。コードチェンジとか、Fコードとかまだ良い感じに出来ないけど、もっと弾けるようになって、いつか坂爪さんと一緒にギターを弾けるようになりたいです。まだ出来ないことだらけだけど、出来ないからやめるっていうのはもうやめようと思います。

こんな事を言っていますが、またどこかでうまくやれない日や、弱くなってしまう時は、絶対くると思います。でもそれも受け入れて、生きていきたいです。

坂爪さん、本当にありがとうございます。僕も生きていこうと思います。

 

https://www.instagram.com/p/BvpXBNcBaWn/

Chalice Well Gardens

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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何事にも時があり、すべてはもっともよい時に起こる。

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心斎橋のドトールにいる。エレキギターをはじめたい。だけど、なにからはじめていいのかわからない。必要な道具(エフェクター)などがわからない。もしも、昔エレキを弾いていたけど必要なくなり、家に使っていない機材とかあるから「あげるよ」という人がいたら、ご連絡ください。もう、めちゃめちゃ喜びます。私のサンタクロースになってください。12月14日(土)のLIVE@大阪市東住吉区も、よろしくお願いします。L'Arc-en-Cielの『HONEY』を聞いた今、エレキ熱が凄まじい。

 

 

おおまかなスケジュール

12月14日(土)15時 坂爪圭吾 弾き語りLIVE@大阪市東住吉区「おうち」
12月21日(土)16時 坂爪圭吾&五十嵐千尋&???演奏会@ごちゃまぜの家
1月8日(水)19時 THE PRESENTS DEBUT LIVE@東京都渋谷区『La.mama』

1月14日(火)19時 坂爪圭吾 弾き語りLIVE@東京都吉祥寺『曼荼羅
2月14日(金)19時 THE PRESENTS presents「PRESENTS is HERE」@大阪


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絶滅する自由。

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動物占いが狼なものですから、髪を染めた。 ニホンオオカミは絶滅した。マヤ人も絶滅した。絶滅を嘆く人々もいるが、私は『絶滅する自由』を尊重したい。普通、絶滅しないように生きる。だが、絶滅してもいいから「俺はこう生きる」を貫いた種は、美しいと思う。キリストもソクラテスも聖バレンタインも処刑されたが、永遠の命を刻んだ。自分を自分以上のものに捧げる行為を『祈り』と呼ぶ。そんな記事を、前回書いた。人間が、人間を想う気持ち以上に、尊いものを私は知らない。

 

ある父親が、息子に言った。「男は、どんな時も敵に立ち向かっていくものだ。逃げてもいいとか、そのままでいいとか、安っぽい慰めの言葉はたくさんあるが、そんな言葉に騙されちゃいけない。男は、どんな時も敵に立ち向かっていくものなんだよ。言うまでもなく、最大の敵は自分自身だ。自分を守ろうとすると、男は、簡単に弱くなる。無論、逃げるべきところからは猛ダッシュで逃げるべきだが、同じくらい『お前は、いつになったら勝負するんだよ』と、自分に問える男であれ。自分の言葉に責任をもて。男は、どんな時も敵に立ち向かっていくものなんだよ。」

 

ありのままでいい。そんな言葉がある。私は「ありのままでいい訳ないじゃないか」と思う。正確には、どっちもある。ありのままでいいと思う部分と、ありのままでいい訳がない、自分なんてぶっ壊してなんじゃと思う部分がある。どっちもあるし、どっちもいる。片側だけじゃないんだ。ポジティブも、ネガティブも、どっちもある。ポジティブな自分もいれば、ネガティブな自分もいる。どちらもひっくるめて、まるごと自分だ。そう思えば、爽やかだ。矛盾を解決するのではなく、矛盾を抱えたまま生きる。葛藤による摩擦熱が、生きる実感を生み出すのだと思う。

 

 

何事にも時があり、すべてはもっともよい時に起こる。

イライラしないコツは「すべてはベストタイミングである」と信じることだと思う。雨が降ることの中にも、電車に乗り遅れることの中にも、苦手な人と同じ空間を共にすることの中にも、多分、何かしらのヒントは隠されている。神様からの謎解きみたいなものだと思えば、毎瞬間は宝物探しみたいなものだ。PRESENTS。受け入れがたい哀しみの中にも、取り返しのつかないあやまちの中にも、贈り物はある。その贈り物は「いまをしっかりと生きるんだよ」という言葉に、集約できる。

 

何事においても最もふさわしい時期があり
この世の中のすべてのことには時がある。

生まれる時があれば、死ぬ時がある。
植える時があれば、植えたものを引き抜く時がある。

殺す時があれば、癒す時がある。
壊す時があれば、建てる時がある。

泣く時があれば、笑う時がある。
嘆く時があれば、踊る時がある。

石を投げる時があれば、石を集める時がある。
抱擁する時があれば、抱擁をやめる時がある。

探す時があれば、探すのをあきらめる時がある。
取り置く時があれば、捨て去る時がある。

引き裂く時があれば、縫い合わせる時がある。
沈黙を保つ時があれば、口に出して言う時がある。

愛する時があれば、憎む時がある。
戦う時があれば、平和の時がある。

旧約聖書「コヘレトの言葉」)

 

何事にも時があり、すべてはもっともよい時に起こる。この年齢で音楽をはじめたことも、このタイミングで『恋人』に出逢ったことも、この時期にごちゃまぜの家が終わることも。そして、このタイミングで『大阪(ここ)』にいることにも、きっと、意味がある。過去が未来を決めるのではなく、未来が過去を決めるのだ。振り返った時「ああ、このためだったのか」と思う瞬間のために、今、誰もが宝探しをしている途中だ。過去を変えることはできないが、過去の意味なら変えていける。これまでがこれからを決めるのではなく、これからがこれまでを決めるのだ。

 

神のなさることは、すべて時にかなって美しい。

神はまた、人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。

わたしは知っている。人にはその生きながらえている間、楽しく愉快に過ごすよりほかに良い事はない。またすべての人が食い飲みし、そのすべての労苦によって楽しみを得ることは神の賜物である。

わたしは知っている。すべて神がなさる事は永遠に変ることがなく、これに加えることも、これから取ることもできない。神がこのようにされるのは、人々が神の前に恐れをもつようになるためである。

今あるものは、すでにあったものである。後にあるものも、すでにあったものである。神は追いやられたものを尋ね求められる。

旧約聖書「コヘレトの言葉」)

 

1月8日(水)に東京で、2月14日(金)に大阪で、大事なLIVEを控えている。結成間もないBANDの名前は『THE PRESENTS』だ。坂爪圭吾と保科亮太とRYUの3人組で、今日からチケットの手売りを開始します。もしも「行きたい!(あるいは、単純に坂爪圭吾に会いたい!)」と思われた方がいたら、是非、ご連絡ください。直接、あなたがいるところまでお届けにあがります。2019年2月14日に音楽をはじめ、1年間でどれだけできるかを自分に見せたいと思った。今、私の目の前には、一年前には存在してなかった楽曲と、一年前には想像していなかった現実がある。輝かしい未来を、両手を広げて迎えるために、いまをしっかりと生きたいと思う。

 

 

こんばんは。坂爪さんのブログに出会うきっかけをくれた人がいます。彼は外国の方で、今は祖国に帰っています。私は、その人が私のそばにいる時本音で向き合う事ができなかった。でも、離れて1年経とうとする今、会ってお別れ出来なかったことがずっと心残りだったという自分の本心から目を逸らさず、会いに(愛に)行くを実現させようと思いました。

彼が坂爪さんという存在に出逢わせてくれて、坂爪さんが彼に再会するきっかけをくれた。大切な人がいつまでもそこに在るとは限らないから。ほんの少しの勇気を出せば、手を伸ばせば届くのなら、私は今、その手を掴みたい。

思い残すことなく、日々燃焼して生きたいと思います。

「峠」という唄の歌詞、とても染みました。今すぐ鳥になってその人のところに飛んでいきたい。そして、誰かが信じてくれている以上に、私が私を信じて、まだ眠っているその先の自分に出逢いたいと強く思いました。

いつも、素敵な曲と言葉を届けて下さりありがとうございます🍀

 

https://www.instagram.com/p/Bvqz3aVAssN/

Life is good

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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人を好きになることを好きになろう。

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新大阪駅前のカフェにいる。12月14日(土)に、大阪市東住吉区で弾き語りLIVEがある。小生、一週間前行動をモットーにしているため、来た。しかし、今後数日間は宿も兵糧もない。もしも「会いましょう!」とか言ってくれるひとがいたら、会いましょう。小生、大阪が大好きです。なぜか。それは、ユーモアを解するからです。関東ではひたすら怒られるだけの出来事も、関西だと笑いに昇華していただけることが救済です。12月14日(土)のLIVEも、是非、誰でも遊びに来てください。

 

 

おおまかなスケジュール

12月14日(土)15時 坂爪圭吾 弾き語りLIVE@大阪市東住吉区「おうち」
12月21日(土)16時 坂爪圭吾&五十嵐千尋&???演奏会@ごちゃまぜの家
1月8日(水)19時 THE PRESENTS DEBUT LIVE@東京都渋谷区『La.mama』

1月14日(火)19時 坂爪圭吾 弾き語りLIVE@東京都吉祥寺『曼荼羅
2月14日(金)19時 THE PRESENTS presents「PRESENTS is HERE」@大阪

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音楽は、物質を通過する。

ロンドンに行きたいロンドンに行きたいロンドンに行きたい。念じまくったら行ける気がした。ロンドンに行きたいロンドンに行きたいロンドンに行きたい。今年は三回欧州に行った。ロンドンにいると、ビートルズの音が(日本で聞く以上に)猛烈に体に入ってくる。不思議だ。多分、土地が発する波動があるのだと思う。人間は素粒子で出来ている(らしい)。乱暴にまとめると、人間は振動【バイブレーション】で出来ているのだ。寺の鐘が精神を整えるのも、鳥の鳴き声や優しい声に癒されるのも、音が肉体を貫通して、整えるのだと思う。音楽は、物質を通過する。

 

ある父親が、息子に言った。「相手が何を言っているのか、そんなことはどうでもいいんだよ。大事なことは『どんな調子で言っているのか』なんだよ。言葉を聞くんじゃなくて、どんな気持ちで言っているのかを、しっかりと聴くんだよ。そうすれば、お前は、ひとの嘘を簡単に見抜けるようになる。本当の言葉には、本当の響きがあるんだ。だから、お前は、しっかりとひとを見れる人間になりなさい。そのひと自身も、まだ、気づくことができていないそのひと自身を、見るんだよ。」 

 

私は言葉を愛している。私は音楽を愛している。多分、私は『音』を愛しているのだと思う。言葉に触れた時、必ず、心の中で読み上げる。そこにリズムがある。凪のように、荒波のように、風のように、綿毛のように、活字は踊る。作品は、読み手がいてはじめて完成される。活字は、常に、死んでいる。だが、それを読み上げるひとが現れた時、命を得る。踊ることができる。私は『遊び』が好きだ。語源を調べると、興味深い事実を知る。昔の人は、遊ぶという言葉に、このような意味を与えた。神様が遊ぶとき、はじめて、人間も一緒になって遊ぶことができる。と。

 

人を好きになることを好きになろう。 

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THE ROYAL PARKS


クリスマスが近い。ジーザスの誕生日だ。聖書を開くと「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。」とある。過激な言葉だ。だが、真理だと思う。愛は、戦いだ。先日、とある50代の男性が18歳の息子と、取っ組み合いの喧嘩をしたという話を聞いた。息子とバトルをしたのは、生まれてはじめてだったらしい。裏事情は知らないが「素晴らしいな」と思った。取っ組み合いは、取っ組み愛だ。激しくぶつかり合う中に、溶け出す愛情がある。ぶつかり合いを恐れる限り、愛することはできない。

 

「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、 と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、/娘を母に、/嫁をしゅうとめに。こうして、 自分の家族の者が敵となる。わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。 わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。また、 自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。 自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、 かえってそれを得るのである。」(『マタイ伝』10:34-10:39)

 

神という言葉にひっかかるなら、それを『愛』とか『自由』とか『自然の摂理』とか、好きな言葉に置き換えればいい。 私は無宗教だが、宗教とは切っても切れない関係にある。神社に行けば手をあわせるし、賛美歌を聞けば敬虔な気持ちになる。敬虔さ。これが『宗教』だと思う。仏教は慈悲と呼び、キリスト教は愛と呼ぶ。言葉は違えど、中身は同じだ。それは、自分を自分以上のものに捧げる『祈り』だ。

 

「もし片方の手があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両手がそろったまま地獄の消えない火の中に落ちるよりは、片手になっても命にあずかる方がよい。地獄では蛆が尽きることも、火が消えることもない。もし片方の足があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両足がそろったままで地獄に投げ込まれるよりは、 片足になっても命にあずかる方がよい。地獄では蛆が尽きることも、火が消えることもない。もし片方の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出しなさい。両方の目がそろったまま地獄に投げ込まれるよりは、 一つの目になっても神の国に入る方がよい。地獄では蛆が尽きることも、火が消えることもない。」 (『マルコ伝』9:43-48)

 

クリスマスにメッセージがあるとすれば、それは「あなたは愛されている」という言葉に、集約できると思う。YOU ARE LOVED - あなたは愛されている。クリスマスには、プレゼントを贈る。キャンドルに明かりを灯し、ご馳走を囲んだり、ケーキを食べたりする。その裏側には、常に「あなたは愛されている」という思いが満ちている。LOVE IS ALWAYS WITH YOU - 愛はあなたと共にある。街を歩けば、辺り一面がクリスマスモードに賑わっている。賛美歌が当たり前のように流れ、恋人たちは仲良さそうに通りを行き交う。サンタクロースは、大忙しだ。できることならば、すべての人々が穏やかなクリスマスの夜を、過ごすことができたらと思う。

 

 

恐れ多くも転載して頂き、こちらこそとても光栄です✨ありがとうございます。

圭吾さんの歌、どれも好きですがとりわけジュリーも大好きで、並べて歌詞を書いて下さったこと、とても嬉しいです。


今日起きてもまた命がある。すごいな!って思います。
そのことをどの瞬間も忘れずに生きていたいと思います。


返信は大丈夫です。


今日もよい日を😊

 

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We are all living in the fantasy

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

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あなたを好きになることは、自分を好きになることでした。

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横浜駅前のドトールにいる。中学生の頃、死ぬほど大好きなロックバンドのライブに行った。生まれて初めてのライブ参戦だった。ど緊張しながら会場に到着し、演奏を聞いた。俺はどれだけ感動をするのだろう。そう思って興奮していたが、現実は違った。正直「うるさい」と思った。みんなはぴょんぴょん跳ねていたが「疲れる」と思った。舞台で歌う憧れの人物を見ながら「代われ」と思った。舞台の上にいるべきは、お前ではない。俺だ。ふてぶてしくも、そう思ってしまったのだ。

 

 

おおまかなスケジュール

12月14日(土)15時 坂爪圭吾 弾き語りLIVE@大阪市東住吉区「おうち」
12月21日(土)16時 坂爪圭吾&五十嵐千尋&???演奏会@ごちゃまぜの家
1月8日(水)19時 THE PRESENTS DEBUT LIVE@東京都渋谷区『La.mama』

1月14日(火)19時 坂爪圭吾 弾き語りLIVE@東京都吉祥寺『曼荼羅
2月14日(金)19時 THE PRESENTS presents「PRESENTS is HERE」@大阪

SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu 

 

ibaya.hatenablog.com

 

お客さんになれないことを、やりなさい。

衝撃的な体験は、人間を別人に変える。音楽に衝撃を受けた私は、もう、昔の自分に戻れなくなった。昔の自分とは「リスナーの自分」であり「享受する側の人間」であり「批評するだけの人間」だ。いま、私の手元にはおそろしいほどの自由がある。素晴らしい曲に触れたとき、その曲を越える自由がある。素晴らしい舞台を見たとき、その舞台を越える自由がある。リスナーに戻れない自分は、自分に、やらなければならない、やるしかないという思いを抱く。たとえ、誰一人自分の言葉に耳を傾けるひとがいなくなったとしても、最後のリスナーである『自分』が残る。

 

THE PRESENTS(今回は坂爪圭吾さん1人)のライブに行ってきて
正直、「うわぁ!すごい!」もあったんだけど。
初めて「私も飛ぶ!」という
闘魂みたいなものにキックが入りました。

(直後に書いた走り書きの感想)


『表現を通してでてくる
「生き様」とか
人間性」とか
「人との絆の作り方」にしか
興味がわかないのだなと
思いました。
私の場合ですが。

内臓みたいに
足りないも
弱いも
全開で
全部を
出す人ほど
いいなあって思っちゃう

隠そうとしても
足そうとしても
そんなものは
ぜーんぶバレる
表現とは怖いね

楽しい、嬉しいではじまった表現も
続けるうち、やがて気づく


いろんなものをむき出しにしていく怖さに
晒されていく自分の姿に


「表現」は人の数だけ
その定義があって美意識が反映される
わたしにとって素敵な惹かれるものは
その人がどんな人でどんな生き方で
人をどんな風に愛したか
それが見えるものなんだな


積み重ねてきた「生」が
「命」の在り方が
出して出してカスカスになってからが
小手先をこえて
血反吐が出てきてからが
本番みたいなところがある
隠せなくて
恥ずかしがってる場合じゃねえ
そうなって無我夢中に
透明に表現に自分を捧げるというか
透明な何かになる
自分が生んだようで
生み出されるものに選ばれるような
そんな奇跡のために
血反吐を吐くような思いで
おのれを見つめたり
自分と二人っきりになる時間が
人と逃げずにぶつかる時間が
どこまでも与えて
躊躇なく殺すような優しさが
いるよなあ』


命そのものをメラメラ燃やして、高く高く飛んでた。
すごく表現力がもうガンッと突き抜けてて、すさまじかった。


嫉妬されても「知るかよ」と言いそうだけど
嫉妬するの、分からなくもない。
ここまで丸っと内臓を出すように無防備に自分を出してきた人が、思いを込めること、表現に集中しだしたら、えらいことになる。


そりゃ観てる方は殺される。頭カチ割られる。


ライブは何度か観てて、4月の大阪、9月の愛媛、11月の大阪と観てたんだけど


今回、すごい、前に出てきたというか飛んだ!
って感じた。


音楽をされる前の坂爪さんと少し話したことがあって、その時に
「好きなアーティストの音楽のライブに行った時
すぐ飽きちゃった。そこに居るのは俺だって思っちゃったんですよね…」みたいな事を言ってらした。本人は気づいてなくても、なるべき姿を知ってることがある。そんな事を今思う。


その言葉の数ヶ月後には


すごいペースで、はっきり言うと正気の沙汰じゃないペースで、今までしたことのないという、
作曲をしてバンバンあげていって。


大阪の11/22のAgapeのライブもすごく良かった。だけど


坂爪さんという人は、私から見るとすごく優しくて、周りの人にすごく気をつかうところがあるように思うのだけど(MC聞いてて思う)それを、12/3の曼荼羅ライブでは、全部を取っ払って、高く高く飛んだ。


『ロックンロールとキリスト教』って曲と
『snows』がもう、すごいパフォーマンスで
ただただ呆然と高く飛ぶ坂爪圭吾さんを最後まで眺めてた。


『ロックンロールとキリスト教
https://youtu.be/4W1X4g8z1vY
『snows』
https://youtu.be/jsgqNn7i6Xc


そのショックを消したくなくて
対バン途中で退席して
坂爪さんにお花をもらって帰った。


真剣にやるって
手加減しないって
殺してあげる優しさだなあ


あーだめだ全然書ききれない


ライブ行って頭カチ割られてきてください


坂爪圭吾さんライブスケジュール(12/6現在)↓

12月14日(土)15時 坂爪圭吾 弾き語りLIVE@大阪市東住吉区「おうち」
12月21日(土)15時 坂爪圭吾&五十嵐千尋&???演奏会@ごちゃまぜの家
1月8日(水)19時 THE PRESENTS DEBUT LIVE@東京都渋谷区『La.mama
1月14日(火)19時 坂爪圭吾 弾き語りLIVE@東京都吉祥寺『曼荼羅
2月14日(金)19時 THE PRESENTS presents「PRESENTS is HERE」@大阪


ご本人のブログ↓

http://ibaya.hatenablog.com/


ラジオで歌ってもらえたの、本当、良かった。
12/8の深夜25時から再放送します。良ければ。
↓東日本チャンネル『花ひらく』
https://www.yumenotane.jp/
そしてライブに行ってください。以上。

 

音楽も恋愛も同じだ。本当にそれが『好き』ならば、ただ、死ぬまで続ければいいのだ。芽が出るだとか、結実するだとか、報われるだとか、そんなことはどうでもいいのだ。音楽が好きならば、10年でも、20年でも、死ぬまで歌い続ければいいのだ。一人の人間を愛したならば、10年でも、20年でも、たとえ今生で結ばれることがなかったとしても、それでも尚「俺は、こいつを愛する」と決めればいいのだ。自分の意思に、ただ、殉じればいいのだ。問われているのは、愛情の熱量だ。なにがあっても「俺は、こいつを愛する」と決めた、自分の意思が問われているのだ。

 

www.youtube.com

 

「ブラボー」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

足並み揃え 俺だけドボン 
なんでこんなに 傷だらけなんだ

血と涙 血と涙 血と涙だけが人生だ

しゃれになんねえ 笑えねえよ 神も仏もありゃしねえのかな
だったら ねえ しかたがねえ 今世は諦めてください

おお、なんて、ブラボー! 人間界のルール無視して
おお、なんて、ブラボー! 金持ちばかり喧嘩してる

なにしたって文句言われんだ 何の役にも立ちやしねえと
代わりはいくらでもいるんだ だから俺たちは既に自由だ


ムシケラと呼ばれても 俺たちは最初から 虫の息
「でも、生きているぜ」 おお、なんて、ブラボー!

足並み揃え やっぱりドボン
なんでこんなに 欠陥(あな)だらけなんだ

傷つけて 傷ついて 避けらんねえ 業を抱え GO

我慢なんねえ しゃらくせえよ 善悪も清濁もありゃしねえ
だったら ねえ 逝くしかねえ この世のしがらみよ サヨナラ

おお、なんて、ブラボー! 揺籠から墓場まで おままごと
おお、なんて、ブラボー! 居心地悪い イスに座る

なんにもねえところからきて なんにもねえところまで行くのだ
よろこびはどこからやってきて かなしみでどこまで行けるのだろう


なんにもない俺たちも まだ未来があるなんて聞いたよ
「なら、生きてやるぜ」 おお、なんて、ブラボー!

おお、なんて、ブラボー! 淀みに浮かぶ 不束者よ
おお、なんて、ブラボー! 無傷のままじゃ 生きちゃいけねえ

なにしたって文句言われんだ 何の役にも立ちたかねえ もう
代わりはいくらでもいるんだ だから おれたちは 常に自由だ


おむかえを呼ばれても ボロボロになりながら 最後っ屁
「まだ、生きているぜ」 おお、なんて、ブラボー!

なんにもねえところからきて なんにもねえところまで行くのだ
汚れちまってる悲しみも よろこびも 全部 引き連れて GO

ゴミクズと呼ばれても おれたちは最後まで 不燃ゴミ
「だが、燃え尽きてやるぜ」 おお、なんて、ブラボー!

 

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あなたを好きになることは、自分を好きになることでした。

男は、よく「女を守る」と言いたがる。これは、女性を養う・外敵から守ると言うより「自分の信念を貫く」という意味合いが、強い。自分が信じたものを、信じ抜くこと。自分が愛したものを、愛し抜くこと。自分の心が「お前しかいねえ」と思ったまさにその部分を、護り抜くこと。特段おおきなことを成し遂げなくても、俺は、死ぬまで一人の女性を愛し抜いたと言える男は、格好いいと思う。うまく説明できているか謎だが、私は言葉を愛している。私は音楽を愛している。私は一人の女性を愛している。それは、誰かを愛する自分を愛しているのだと思う。あなたを好きになることは、自分を好きになることでした。その部分が、イコールになって結びつく。だからこそ、私は「誰かを・何かを好きになること」が、大好きだ。 

 

男は、多分、勘違いをしている。結婚とは、相手を幸せの牢獄に閉じ込めることではない。家族を守るために仕事に精を出すのもわかるが、もしかしたら、相手は「守られたい」なんて、微塵も思っていないかもしれない。守られることよりも、愛されることを望んでいる。そして、愛と自由は、同義である。自分も、相手も、自由であることを望む。幸せであることを望む。のびのびと楽しそうに生きてくれることを望む。幸せの牢獄に閉じ込めることは、その裏側で「お前は、俺がいなければなにもできない人間だ」というメッセージを、相手に刷り込む。一見守っているようで、相手の命を奪っている。これはダメだ。フェアじゃない。依存になる。

 

女も、多分、勘違いをしている。うまく言えないが、女が「ごめんなさい」と言う必要のない場面で、ごめんなさいを連発している気がする。新幹線の中でこどもが泣いた時、男を怒らせてしまった時、家事が滞った時、仕事がうまく回らない時、など。謝ることは、違う。ただ、自分は「女を生きているだけ」だと思う。女の本領は、いかに男をこき使うかだと思う。男の本領は、いかに女にこき使われるかだと思う。誤解を恐れずに言えば、男は、女のために死にたいと思っている。その部分を器用にすくい上げて、うまい具合に生かせる女を、いい女と呼ぶのだと思う。

 

圭吾さん、先日は最高のステージをありがとうございました。

剥き出しの命が歌になったその姿は、もう同じものは二度とない、あの場限りのプレゼントでした。

いばや通信に出会ってから数年、圭吾さんの言葉にたくさん支えられてきました。自分は生きていてもいい、どころか、自分の人生を生きろと、何度も何度も叱咤と希望をもらいました。

音楽を始めてからの圭吾さんに、人から何と言われようとやりたいことをやるという恐怖に向き合う勇気を私自身もらい、また圭吾さんから生まれる作品の美しさに打たれ続けました。

圭吾さんに対する感謝と称賛は言葉が尽きません。

しかし実のところ私は、私にとって一番素晴らしいのは圭吾さんではなく、圭吾さんに出会えた自分自身だと思っているのです。坂爪圭吾という登場人物がいる私の人生って、すごい!といつも褒めています。

私は坂爪圭吾を生きることはできない。だから私の代わりに圭吾さんが圭吾さんを生きて、私は圭吾さんの代わりに私を生きる。そうやって自分自身を生きるのだけれど、坂爪圭吾のエッセンスは確かに私の人生の大きな一部を作っている。

だから圭吾さんに出会えた人はみんな、自分の人生を誇っていいと思います。

巷には希望や勇気をくれる文章家はたくさんいるけれど、その言葉はいつも発し手と受け取り手という向かい合う立ち位置の中で存在している感じがします。けれど圭吾さんの言葉は、外からやってくるのではなく、なぜか自分の中から直接響いてくるように感じるのです。

もしかしたら圭吾さんは言葉を外に向かって放っているようで、実は自分自身に向かって発しているのかもしれない。するとそれを受け取る者はそのこと自体に共振し、まるで自分の中から響いてくるように思える。だからこそ、その言葉を素通りすることも無視することもできない。

圭吾さんの文章や歌が胸を打つのは(言葉通りですね!)、そういうことなのかなとか、勝手に解釈したりもしています。

圭吾さんが坂爪圭吾を生きてくれて、ブログを書いてくれて、音楽をやってくれて、ごちゃ混ぜの家をやってくれて、本当にありがとうございます。

先程、本の出版のお知らせを読みました。圭吾さんの本が世に出たら、更に多くの人がヒリヒリと自分に向き合わなくてはならなくなりますね。それはお祝いすべきことだと思います。まだまだ章は続きますね。

あともう一つ、最近の圭吾さんの男女論が大好きです。

私は女は自分を愛し、男は女を愛すればよいのだと思います。女が自分を愛せないと男を愛そうとしてしまうし、男が自分を愛そうとすると、例えば闘いのようなことになってしまう気がします。子どもは女にとって自分の一部なので、子どもがいる女は、自分と子どもを愛せばよいと思います。

ライブの感想を書くつもりが全然違う着地点になってしまいました笑

しかも、ライブ後すぐにまとまらなくて今更な感じですが、ここまで読んで下さって感謝致します。

圭吾さんと、私自身と、圭吾さんや圭吾さんの文章や歌に出会う全ての人の、これからがどうなっていくのか楽しみで仕方がありません。

続いていく人生をそれぞれが存分に遊べますように!

 

https://www.instagram.com/p/Bsyz-gRnuV2/

Glastonbury

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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永遠にそのままで行け。

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横浜駅前のドトールにいる。昨日、編集者様と明治神宮前で食事をした。坂爪圭吾は本を執筆することになった。その後、セルフ祝賀会と称して「ご希望される方に無料でおはなをお渡しし、祝い合う」ことを渋谷で開催した。祝い合う。素晴らしい行為だ。想像を超えて、みんな一緒に喜んでくれた。みんな一緒に楽しんでくれた。言葉でも、音楽でも、私は祝い合うことをやりたい。何を。人生を。生まれたことを、生きていることを、この惑星に生み落とされたことを、祝いたいのだ。

 

 

おおまかなスケジュール

12月14日(土)15時 坂爪圭吾 弾き語りLIVE@大阪市東住吉区「おうち」
12月21日(土)16時 坂爪圭吾&五十嵐千尋&???演奏会@ごちゃまぜの家
1月8日(水)19時 THE PRESENTS DEBUT LIVE@東京都渋谷区『La.mama』

1月14日(火)19時 坂爪圭吾 弾き語りLIVE@東京都吉祥寺『曼荼羅
2月14日(金)19時 THE PRESENTS presents「PRESENTS is HERE」@大阪

SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu 

 

ibaya.hatenablog.com

 

風よ、頼む。

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これまで、自分の写真を恥ずかしくて公開できなかった。私はシャイだ。誰かとの別れ際も、照れてしまって「じゃ、じゃあね」とかしか言えない。気持ちはある。気持ちはあるのだ。だが、上手に伝えられないから「気持ちはあります!」とか悶えながら、その場を去る。思いを風に乗せがちだ。今、私には好きな人がいる。好きな人ができると、その人のことばかり考える。そして「顔を見たい」と思う。仮に、相手も同じ気持ちなら「俺の写真にも、かすかな意味はあるはずだ」と思った。自分の写真をよく見てみると「かわいい顔をしているじゃないか」と思った。

 

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先日、こんなLINEをもらった。私は、稀に「野生的(ワイルド)ですね」と言われる。多分、褒め言葉なのだと思う。だが、男が野生的になれるのは、女がとっくの昔から野生的だったからだと思う。女は、毎月100cc位ダクダク血を流している。小学校の給食に出てくる牛乳瓶ほどの出血を、毎月、しているのだ。文字通り出血大サービスである。それに比べて男は、などと私は考えてしまう。これでは、女の人に申し訳が立たないではないか。だから、私は、セルフ生理をするのだと思う。

 

圭吾くんを好きな理由がわかった気がする✨
『本当』やから!!!
村上龍の小説が好きなのも、エログロバイオレンスでも、人間の本当やから。

女は毎月100cc位ダクダク血をながしてるの。いっぱい血が出て痛くて辛いけど、身体が綺麗になる、新しい自分になるような感じすんねん。男もダクダク血を流したらいいよ!←精神的に!
みんな圭吾くんに殺られちゃえ(心臓)(ナイフ)(心臓)

 

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人生の転機は『病気』か『破産』だ。病気は怖い。破産も怖い。だが、振り返ると「あれが人生の転機になった」と思うとき、私は、常にロスをしている。何かを得たときではなく、何かをロスしたときに、人生は大きく動き出すのだ。だから、恐れる必要はない。最初は怖い。最初は痛い。だが、必ず「ああ、これのためだったのか」と思える瞬間が来る。女は毎月、血を流す。男だって、流さなければフェアではない。血が出て、痛くて、辛いけど、身体が綺麗になる、新しい自分になる。

 

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note.com

 

永遠にそのままで行け。

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小さなこどもが、新潟の海をまっ裸で駆け抜ける。友人のカメラマンChiaki Toyozumiが撮影した写真だ。自分が幼かった頃の写真を見ると、泣きそうになる。涙の理由は、謎だ。だが「大事にしなくちゃな」と、思う。最近、結婚に関心がある。自分にとって大事なものを三つあげろと言われたら、私は、こう答えたい。ひとつは「表現」。言葉や音楽を含めた、自分の生業としての表現を大事にしたい。ひとつは「奥さん」。奥さんと呼んでいいのかわからないが、大事な人を、大事にしたい。ひとつは「こども」。大事な人が、大事にしている人を、大事にしたい。

 

自分に奥さんができたら、自分にこどもができたら、私は、何を伝えたいと思うだろう。一番は「かわいいね」とか「素敵だね」とか「今日も綺麗だね」とか、そういう言葉をシャワーのように浴びせたい。教育とか、思想とか、老後の心配だとか、そんなものは、あとからでいい。そして、仮に息子が生まれたら、変な言葉を吹き込みたい。おとなが言っていることは(俺も含めて)全部嘘だよ、学校は楯突く力を学ぶ場所なんだよ、人間だけじゃなくて木も花も鳥も月も言葉を話しているんだよ、生きている間だけじゃ人生じゃないんだよ、など。娘が生まれたら、私は、相当に困るだろう。常に困惑をしながら、ひざまづく感じで生きるのだろう。 

 

そして、いつまでも「永遠にそのままで行け」と言いたい。生きている限り、永遠に調子が良いことばかりではない。時には「自分なんかダメだ」とか「自分なんかいないほうがいい」などと、自分を責めたくなることもあるだろう。でも、それは、違う。お前は、絶対にいた方がいい。なぜならば、お前は愛されているからだ。そして、愛されていること以上に「誰かを、何かを、自分から愛していける」存在だからだ。生きているということは、愛されているということだ。残された時間で、私たちは、何かを愛していくことができる。そして、宇宙に還る時、持っていけるものは「愛し愛された記憶だけ」ということを、強く認識するのだと思う。

 

「君へ」
 
君は好きなことを、
好きなふうにやるべきだ。
そのことが他人から見て、どんなに変でも、
損でも、バカだと言われても、
気にするな。
だって彼等は、君の願いを知らない。
君が何をめざし、
何に向かっているのかを知らない。
君は彼等とは違うものを見てるのだから。
あの、強い思いだけを、繰り返し思い出して。
そのことを忘れないで。
 
他人の説教やからかいなど気にせずに、どんどんやりなさい。
けして周りを見たらダメだ。
仲間はいないんだ。すくなくとも途中には。
君はやりたいように、どんどんやりなさい。
やりたいことを。
好きなやり方で。
その行為が同時に君を救うだろう。
その行為は同時に人をも救うだろう。
そのことを忘れないで。
 
銀色夏生「すみわたる夜空のような」【角川文庫】

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

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闇が深いほど、星は輝く。

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横浜駅前のドトールにいる。私は新潟生まれで、日本海の夕日を見て育った。夕日を見ると「終わっちまう」と思う。終わらないでくれ、という懇願にも似た切なさが胸を抉る。明るいだけが取り柄です。そんな自己紹介があるが「暗さにだって、取り柄はあるぜ」と思う。闇が深いほど、星は輝く。その夜が切ないものであるほど、私は「明るくならないでくれ」と願う。昼の光に、夜の闇の深さがわかるものか。俺の中に昼があり、俺の中に夜がある。当たり前だが、どちらも自分だ。

 

 

おおまかなスケジュール

12月14日(土)15時 坂爪圭吾 弾き語りLIVE@大阪市東住吉区「おうち」
12月21日(土)15時 坂爪圭吾&五十嵐千尋&???演奏会@ごちゃまぜの家
1月8日(水)19時 THE PRESENTS DEBUT LIVE@東京都渋谷区『La.mama』

1月14日(火)19時 坂爪圭吾 弾き語りLIVE@東京都吉祥寺『曼荼羅
2月14日(金)19時 THE PRESENTS presents「PRESENTS is HERE」@大阪

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Rest Inn Peace

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ごちゃまぜの家は、2020年1月1日から『Rest Inn Peace』に名前を変える。それに伴い、新規入居者の募集を開始します。最寄駅はJR・東横線菊名駅徒歩10分。JR・地下鉄新横浜駅徒歩15分。個室6畳の家賃は月額5万円(風呂トイレ付き・光熱費別・初期費用不要・限定3名)。ルームシェアは月額1万円(個室を複数名でシェア・限定3名)。坂爪圭吾とのルームシェアも月額1万円(限定3名)。入居者が埋まればこの家は継続し、2020年2月14日までに決まらなければ、家ごとなくなります。希望者の方は、坂爪圭吾に直接ご連絡ください。詳細をお伝えいたします。

 

 

入居者の方は、熱海の家と大阪の家も、自由に使えます。大阪の家、などと偉そうに書いたが、まだ、実現していません。ただ「大阪にもRest Inn Peaceがあればいいなあ」と強く思うので、来週、実際に関西に足を運び探しに行きます。もしも、関西在住の方で「それならここがいいよ」などあれば、教えていただけたら幸いです。有志が5人〜10人程度集まり、みんなで1万円程度出し合えば、難しくないと思う。金がないなら、できることをやればいい。女性に個室は必要だが、男性は「月額1万円でとりあえず寝床を確保して、あとは動き回って生きればいい」と思う。

 

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この家に暮らすメリットは「面白い目に遭える可能性が高まる」ことで、デメリットは「常に、絶滅の危機に瀕している」ことです。家主の私が絶滅志向型なので、いつ、なにが起こるかわからない。だから、いつ、なにが起こるかわからないことを楽しめる方の入居をおすすめします。そういった意味では、面白い家だと思う。普通の人が10年間で体験することを、3か月で体験する。それくらいの速度で、生きてみたいと思う方がいたらご連絡ください(もちろん、それ以外の方も大丈夫だとは思います。基本的に、静かな場所が好きなので騒ぐようなことは滅多にありません。条件などは特になく、あるとすれば「ものを大事に扱うひと」程度です)。 

 

連絡先・坂爪圭吾
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keigosakatsume@gmail.com

 

闇が深いほど、星は輝く。

海を裸で泳ぐ。あれほど気持ちの良いものはない。だから、私は、誰かと一緒に海に行ったときは「夜になったら、水着を脱いで、一緒に裸で泳ごうよ」と提案する。夜の海は、怖いという印象をもたれることが多い。薄気味悪く感じるのだろう。だが、夜の海は、綺麗だ。場所によっては、夜光虫がキラキラ輝いている。まるでエレクトリカルパレードのように、泳いだ軌道を光で照らす。星空を見上げながら海面を漂うと、すべてと溶け合う感覚を得る。普通、風呂に入るときは、裸になる。温泉や海を楽しむためには、裸になる必要がある。人生も、似ていると思う。服を纏ったままでは、鎧をつけたままでは、気持ちよく泳ぐことができない。

 

Agape心斎橋ライブのとき、一番胸にぐっときたのが、坂爪さんのソロのステージで、 坂爪さんのカリスマ性というか、人を惹き付ける魅力はどこから出てくるんだろうとずっと考えていたんですけど、

たぶん「裸」で生きているというか、鎧をつけていなくて、人間の一番奥にあるダイヤモンドみたいなものを、隠さずに生きているからなのかなって思いました。

たぶん人はみんな、そういうものを持っていて、
音楽や芸術や演劇、セックスのときとかに、触れやすくなるものなんだけど、 とても傷つきやすいものでもあるから、なるべく丁寧に包んで鎧でガードして、触れないようにしている人が多いんだと思います。

 

ライブ出演前、緊張をした。緊張をしながら、冷静な自分は「なぜ、自分は緊張をしているのだろう?」と考えた。理由はわからなかったが、なんとなく「これまで人前で出したことのなかった自分を、いま、出そうとしているからだ」と思った。自分にとって、最大の宝物。それは、自分だ。自分をむき出しに外に出すことは、傷つくリスクを負うことになる。大事なロウソクは、使うほど、減ってしまう。だから、減らさないように、減らさないように、大事に、大事に、物置に保管をする。だが、使われることのなかったロウソクは、ロウソクとして『生きた』と言えるのだろうか。ロウソクとしての使命を果たしたと言えるのだろうか。そのロウソクは、大事に守られたことで「逆に、殺されてしまった」とは言えないだろうか。

 

子どもがエネルギーに溢れてて魅力的なのは、ほとんどそのガードがないからなんだろうなぁとか。

千さんも書いていたけど、そういう坂爪さんを見て怖くなってしまうのは、 うっかり自分のダイヤモンドが剥き出しにされちゃうと、傷ついちゃうかもしれないと思って、怖くなっちゃうのかも。

私も怖いですもん。本当の芯の部分を出すのは本当に怖いです。 でも生きてるうちにそれをしないともったいないなとも思います。

 

自分を生きるということは、夜の海を泳ぐことと似ている。最初は怖い。近寄りがたさを覚えるし、好奇心よりも『恐怖心』が先に出る。だが、その奥に『すべてと溶け合う感覚』がある。きっと、私は、この感覚のために自分を突き出すのだと思う。自由とは、自分が消えてなくなることだ。自分と他人の境界線が曖昧になり、自分がすべてになり、すべてが自分になる。自分が「0」にも「1」にも「♾」にもなる。誤解を恐れずに言えば、私は「裸を見たい」と思う。好きな人なら、尚更だ。裸を見たい。できることなら触りたい。肉体は傷ついても、魂は傷つかない。

 

 

ソロライブの動画、見ました。
なんか色気が……すごかったです。

Agape心斎橋ライブのとき、一番胸にぐっときたのが、坂爪さんのソロのステージで、 坂爪さんのカリスマ性というか、人を惹き付ける魅力はどこから出てくるんだろうとずっと考えていたんですけど、

たぶん「裸」で生きているというか、鎧をつけていなくて、人間の一番奥にあるダイヤモンドみたいなものを、隠さずに生きているからなのかなって思いました。

文章でもそのダイヤモンドに触れることはできるのですけど、
音楽(特にライブ)だと、
さらにそれがダイレクトに触れられるというか、
輝きが充満する、ようなイメージです。

たぶん人はみんな、そういうものを持っていて、
音楽や芸術や演劇、セックスのときとかに、触れやすくなるものなんだけど、 とても傷つきやすいものでもあるから、なるべく丁寧に包んで鎧でガードして、触れないようにしている人が多いんだと思います。

子どもがエネルギーに溢れてて魅力的なのは、ほとんどそのガードがないからなんだろうなぁとか。

千さんも書いていたけど、そういう坂爪さんを見て怖くなってしまうのは、 うっかり自分のダイヤモンドが剥き出しにされちゃうと、傷ついちゃうかもしれないと思って、怖くなっちゃうのかも。

私も怖いですもん。本当の芯の部分を出すのは本当に怖いです。 でも生きてるうちにそれをしないともったいないなとも思います。

長年音楽をしていて、技術や見せ方(聞かせ方)に意識が偏ると、
逆にそれによってダイヤモンドが覆われてしまって、誰にでもできるような演奏にしかならなくなってしまうのかもしれないと思いました。

私が私として音楽をする意味、みたいなのを、追求してみたいかも、と思えてしまって、 やっぱりそれは怖いことだな、と思っています。 また長くなってしまいました。 もし21日にお会いできたら、そんな話などをできたらうれしいです。

 

https://www.instagram.com/p/B2EaUbkgXzQ/

All of the feelings

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

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音楽をやりたい訳ではない。

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横浜駅前のドトールにいる。昨夜、吉祥寺でLIVEがあった。三組の演者が出た。他の二組を見ながら「ああ、音楽をやっているなあ」と思った。俺は、音楽をやりたい訳じゃないんだな。そう思った。音楽を使って、坂爪圭吾という存在を晒したいだけなんだな。そう思った。震わせているのは、声帯ではなく、心臓だ。今日から土星山羊座の位置に行くらしい。山羊座は「I use ...」の星座らしい。自分の理想を実現するために、ツールにするものは何か。私の場合は、それが音楽になる。

 

 

おおまかなスケジュール

12月14日(土)15時 坂爪圭吾 弾き語りLIVE@大阪市東住吉区「たまり場」
1月1日(水)Rest Inn Peace【無料の宿屋】OPEN@横浜市港北区
1月8日(水)19時 THE PRESENTS DEBUT LIVE@東京都渋谷区『La.mama』

1月14日(火)19時 坂爪圭吾 弾き語りLIVE@東京都吉祥寺『曼荼羅
2月14日(金)19時 THE PRESENTS presents「PRESENTS is HERE」@大阪

SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu 

 

ibaya.hatenablog.com

 

外道。

2013年から数年間、私は『いばや』という会社を経営していた。ただ『やばい』を逆から読んだだけの会社で、このブログのタイトルにもなっている。経営とか偉そうなことを書いたが、私は、数字の管理が苦手だ。だが「会社をやれば、嫌なこともやるだろう」と思い、一念発起で起業した。しかし、やらない人間はどうあがいてもやらないらしく、起業後も数字は嫌いなままだった。結果、華々しく散った。結成当時、共同代表のMAYUが投稿した下記の内容を、昨日、思い出していた。俺(俺たち)は、昔から何も変わっていない。ただ、使うツールが変わっただけだ。

 

2013.09.25 MAYUの投稿より引用

ご報告!!「合同会社いばや」を起業しました☆

先日、高校時代の同級生(坂爪圭吾)と新しく会社を起こしました。それについて書いてみたいと思うので、いばやってなんじゃらほい?まゆちゃん最近何してんだい??と思う人がいたら是非読んでみてください☆

私はここ三年ほど絵をかいてアートに携わる仕事をしているのですが、仕事や展示を重ねて活動が増えていくうちにいろんな疑問がわいてきました。自分の作品をいいといって買ってくれる人がいて、お金を稼いで生活していけるなんてそれは本当に嬉しいし感謝しています。だけど、それで満足しない自分がいます。そもそも絵の勉強を全然していない、アートに関してはド素人のわたしからすると、アート業界はよくわかんない偉そうなおじさんたちがたくさんいるなあという感じ。そして、「アーティストの表現したい、認められたい欲」を利用してカモろうとしてる大人が多いな、超胡散臭い業界だなー!!という印象で(笑)アート業界自体がとても狭い世界でまわっているし、好きな人は好きだし、関係ない人には関係ない、みたいなとりあえず超閉じているという感じ。(もちろんいい面もたくさんあるし、大好きな部分ももちろんあるよ!!!)

それを感じた時に、ただ絵をかいて、売って、有名になって、、、みたいなことがしたいわけではない、この枠の中にいたいわけじゃないということに気づいてしまったのです。もっとみんなで楽しめることがしたいし、自分を驚かせたり、新しい体験がしたいなって。

そもそも、アートの本質はなんなのでしょうか??私は何が楽しくて創作するのだろう??

私にとってはアートとは「OMG!!」です。オーマイゴッ!!それは、普段自分が持っている価値観が揺らぐ瞬間であったり、まだまだいろんな出会いがあって、世界は拡がっていくし、未来は今よりおもしろいものになる。そう思える瞬間を創ることが、私にとってのアートの価値ということになります。それはそのまま、「なぜ生きるのか?」ということにつながっていきます。そこで活動を「絵」に限定せず、もっといろんなことに挑戦したいし実験したいと思うようになりました。

自分が、今28歳でフリーランスで何も未来の保証はない中で活動していて、幸いにも楽しく生きている、お金はそんなにないけど充実していて、未来に希望を持っています。そこでふと、まわり(特に同世代の人たち)を見渡した時、自分との感覚の落差に気づきます。大学を出て企業に勤めて、それなりにお金ももらっているような、成功や安定を手にしているはずの友達が「今も楽しくないし、未来は不安でしかなく、かといって現状を変える勇気もないし、何のために生きているか分からなくなるときがある」というのです。

世間的に言えば、成功しているはずの友達が不安でいっぱいで、不安定なわたしが元気であるというのはどういうことなんだろう?ここに、未来のヒントがあるような気がしました。「未来はどうなっていくのかな?」それが最近もっとも気になることの一つです。わかっているのは近いうちに「今ある価値」が大きく転換するんだろうな、ということです。というか、もう変わってきている。その予感を細胞レベルでビンビン感じます。

みんな、今までの価値観にそって生きているけれど、違和感を感じてきている。例えばやりたくないことを盲目的にやって、だけど仕事だからそれはしかたなくて、なんとなく楽しくないまま一生がすぎていくなんておかしい!って気づいている。お金がないと生きていけないから、今生きるためや将来に備えて、辛いけど我慢して仕事をやった結果病気になったり、自殺してしまったりするなんておかしい!って気づいている。でも未来はどうなるかわからないから、現状を変えるアクションを起こすことができない。今そんな状態かなと思います。


未来はどうなるのか、まだわかりません。それはすなわち、未来を好きに創っていいよ!ということにもなります。私にとってわくわくするような未来を創っていいとしたら、「様々な価値観を持った人が自分の価値に沿って楽しく生きてよくて、それを支えあったり、許しあったりできる寛容な社会」が未来にあったらいいなと思います。今はすべてに非寛容な、均一的な価値観が日本を覆っていて、少し道から外れたらアウト―!みたいな感じがすごくする。みんな失うことが怖くて、見えない不安におしつぶされそうになってる感じ。本当はみんなもっと楽しく生きていいし、自分のためにいきていい!そんなことを考える中で、既存の価値観を壊していったり未来に対しての可能性を探ることを、自分がわくわくするような面白い方法で実験していけたらいいなと思いました。

今年に入ってそんなことを漠然と考えていたら、高校時代の同級生の圭ちゃん(坂爪君)に再会します。アウトプットの仕方は違えど私と圭ちゃんの根本的な思いは同じ部分が多く、あっという間に一緒にやろう!ということになり、面白がってくれる友達が活動資金として50万円くれたり(OMG!!)いろんな協力があり8月の私の誕生日に「いばや」ができました。コンセプトは「とにかくやばいことをやる会社」です。「やばい」というのは「今の価値観からするとやばい」ことであり、同時に未来の価値観への可能性を持っていることです。そんなことをやりたいなと思っています。

(中略)

これらの活動内容に対して、パフォーマンス集団なのですか?何がやりたいのですか?いう質問をよくもらいます。いばやはパフォーマンス集団でもあるし、そうではないとも言えます。活動を限定せず、あらゆる分野において発信していって、「あいつらやばいことやってて、いつも楽しそうだな」っていう集団を目指します。会社としてやっていきますが、ビジネスというよりはアーティスト集団でありたい。「とにかくやばいことをやりたい」という思いが乗っていれば、何をやってもいいと思っています。いろいろやりすぎて、何をやる集団なのかわからない状態にしていきたいとさえ思います。本当に新しいものって、きっとまだそれを表す言葉がないし、簡単に表現できないと思うから。


楽しそうに好き勝手に生きている人の姿は、見る人の心を自由にすると信じます。今は「点」で存在している自分の好きに生きている人たちを、いばやが繋いで「面」にしていく様な、ハブのような役割もしていきたい。自分たちのやばい!という感覚に忠実に楽しく活動した結果、人生楽しく生きてもいいし、いろんな好きなことやってもいいんだなという価値を生んで、そういう人が増えて、みんなの人生のハードルを下げていけたら最高。そんな「いばや」の活動を、みんなにも一緒に楽しんでもらえたら、こんなにハッピーなことはありません!!!未来を面白いものにしたいという人が増えて、その思いがムーブメントになって、新しい未来を創っていけると信じて☆


長くなったけど読んでくれてありがとう(*^_^*)ここからが物語のはじまりーーー!!!!

 

音楽活動歴は一年にも満たない自分だが、同じ臭さを感じることは多い。アーティストたちの「表現したい欲」を、カモろうとする大人たちは多い。また、同業他社(?)の人々から「技術的にはうんたらかんたら」とか、聞いてもいないアドバイスを貰う。私の性格は悪いので、あなたの言うことを聞いたら、あなたみたいになるってことですよね?だったら、絶対、聞きません。とか、思っちゃう。アーティストに限らず、人間の中にある承認欲求を利用して、金儲けをしようとする連中は多い。私は、そこに、中指を突き立てたい。ファッ○オフ。俺は、絶対に騙されねえぞ。音楽という、限定的な枠の中に俺を閉じ込めるな。音楽は、俺を拡張するための道具なんだよ、と。人間が、人間の道具になることを、私は断固拒否をする。

 

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「ワンダーランド」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

どんなに振り払っても この虚しさは重い
どんなに振り払っても この愛しさは重い

ワンダーランドで死にたいな

地下鉄のホームレスがこっちを見て言った
「人間の道具になっちゃいけない」
戸惑った俺は何も言えずに立ち竦むと繰り返した
「人間が道具なのだから」


行き着く先はみんな同じさ そこでまた逢えるから
行き着く先はみんな同じさ そこでまた逢えるから

ワンダーランドで死にたいな

神様 神様 神様 神様
神様 神様 神様 神様

感じさせて あなたを 感じさせて
近づかせて あなたに 近づかせて

神様

 

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音楽をやりたい訳ではない。

ある父親が、息子に言った。「女はこどものために生きる、男は女のために生きる、そこに循環が起こる。男は、女への愛を、忘れちゃならねえんだ。お前の母ちゃんは、少なくとも、おれにとっては世界一だ。男は、かっこよくなくっちゃいけない。かっこよくもなんともない奴から、好きだの、愛しているのだの、そんなことを言われたって嬉しくないだろう。男は、守りたいものをもつことと同じくらい、攻めの姿勢を忘れちゃならねえんだよ。理想を、忘れちゃならねえんだ。」 

 

私にとってはアートとは「OMG!!」です。オーマイゴッ!!それは、普段自分が持っている価値観が揺らぐ瞬間であったり、まだまだいろんな出会いがあって、世界は拡がっていくし、未来は今よりおもしろいものになる。そう思える瞬間を創ることが、私にとってのアートの価値ということになります。それはそのまま、「なぜ生きるのか?」ということにつながっていきます。そこで活動を「絵」に限定せず、もっといろんなことに挑戦したいし実験したいと思うようになりました。

 

ある父親が、息子に言った。「男は顔。女も顔。顔に、全部出るんだよ。自分を、どれだけ誤魔化して生きているのかは、全部、顔に出ちまうんだ。どれだけ豪華な服を着てたって、顔は、いつも裸だからな。だから、お前は、自分の持ち物で自分を誇るような、他人の肩書きで他人を判断するような、つまらない男になるなよ。裸一貫、自分の素っ裸を晒して『これが自分です』と、胸を張れる男に、なるんだよ。自分の問題を、誰かの責任にすり替えるような、卑怯な男にはなるなよ。」

 

未来はどうなるのか、まだわかりません。それはすなわち、未来を好きに創っていいよ!ということにもなります。私にとってわくわくするような未来を創っていいとしたら、「様々な価値観を持った人が自分の価値に沿って楽しく生きてよくて、それを支えあったり、許しあったりできる寛容な社会」が未来にあったらいいなと思います。今はすべてに非寛容な、均一的な価値観が日本を覆っていて、少し道から外れたらアウト―!みたいな感じがすごくする。みんな失うことが怖くて、見えない不安におしつぶされそうになってる感じ。本当はみんなもっと楽しく生きていいし、自分のためにいきていい!そんなことを考える中で、既存の価値観を壊していったり未来に対しての可能性を探ることを、自分がわくわくするような面白い方法で実験していけたらいいなと思いました。

 

ある父親が、息子に言った。「俺たちが生きている世界は、天国にも、地獄にもなる。決めるのは自分。人生は苦行にも、義務にも、遊びにもできる。決めるのは自分。俺たちは、自由にも、不自由にも、幸せにも、不幸にもなれる。決めるのは自分。自分を狭い世界に閉じ込めることも、自分に広い世界を見せることもできる。決めるのは自分。決めているのは自分なんだ。お前が思う、天国を作るんだよ。」 

 

楽しそうに好き勝手に生きている人の姿は、見る人の心を自由にすると信じます。今は「点」で存在している自分の好きに生きている人たちを、いばやが繋いで「面」にしていく様な、ハブのような役割もしていきたい。自分たちのやばい!という感覚に忠実に楽しく活動した結果、人生楽しく生きてもいいし、いろんな好きなことやってもいいんだなという価値を生んで、そういう人が増えて、みんなの人生のハードルを下げていけたら最高。そんな「いばや」の活動を、みんなにも一緒に楽しんでもらえたら、こんなにハッピーなことはありません!!!未来を面白いものにしたいという人が増えて、その思いがムーブメントになって、新しい未来を創っていけると信じて☆

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

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わたしを忘れないで。

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横浜駅前のドトールにいる。奇跡のリンゴで有名な木村秋則さんに、歯はない。無農薬でりんごを作る過程で、極度の経済苦に見舞われ、歯を治療する金もなかった。木村さんは、酒で感覚を麻痺させて、自分で歯を抜いた。りんごが実った今でも、木村さんに歯はない。なぜ、そこまでして歯を入れないのか。木村さんは「昔(つらかったときのこと)を忘れたくないから」と言う。自分への、戒めとして。

 

 

おおまかなスケジュール

12月3日(火)19時 坂爪圭吾(THE PRESENTS)LIVE@吉祥寺『曼荼羅』
12月14日(土)15時 坂爪圭吾(THE PRESENTS)LIVE@大阪(詳細未定)
1月1日(水)Rest Inn Peace【無料の宿屋】OPEN@横浜市港北区
1月8日(水)19時 THE PRESENTS DEBUT LIVE@東京都渋谷区『La.mama』

2月14日(金)19時 THE PRESENTS presents「PRESENTS is HERE」@大阪

SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu 

 

ibaya.hatenablog.com

 

昔を、忘れたくないから。

先日、演劇に呼ばれ池袋に足を運んだ。アルツハイマーになった男性が、自分の記憶を取り戻すという内容だった。舞台の中で、印象的なセリフが幾つかあった。たとえば「人は、そばにいないひとを忘れていく」など。人は、そばにいないひとを忘れていく。悲しいけれど、多分、真実だ。どれだけ深い喪失の悲しみに見舞われても、誰もが恋愛から立ち直るように、誰もが肉親の死を経由するように、忘れることで、乗り越えていく。忘れることで記憶は徐々に薄れ、思い出すことで蘇る。 

 

舞台の最後、主人公の男性は「自分の記憶が、自分の人生なのだから」的なことを、言った。記憶。あなたの一番古い記憶はなんだろう。保育園の時か。母乳を吸っていた時か。産声をあげた時か。産声をあげる、もっと前か。私の両親は、新潟の実家で理容店を営んでいる。自営業だから、土日も普通に仕事をしている。家族旅行をした記憶もなく、自分にはそれが当然だったから、悲しいと思ったこともない。小学生の頃、母親が「明日はお店が休みだから、一緒にサーカスに行かない?」と、私に声をかけた。だが、私は、友達とゲームをしたかったから「いや、行かない」と言った。その時、母親は、ものすごいさみしそうな表情を浮かべた。あの顔を、今でも、忘れられない。自分が、母親に『傷』を与えたと思った、最初の記憶だ。何か、取り返しのつかないことをしてしまった、大袈裟な表現になるけれど「小動物を自分の手で殺めてしまったあと」のような、嫌な手応えが残った。

 

小学生の頃、印象的な悪夢を見た。自分の不始末で、自分が通う小学校を全焼させてしまう夢だった。私は、焼け落ちる校舎を茫然と眺めながら「自分は、とんでもないことをしてしまった」と、これまで体験したことのない恐怖に打ち震えた。悪夢から目覚め、母親の元に駆け寄り、抱きついた。恐怖にブルブル震え続ける私を、母親は「大丈夫だよ、大丈夫だよ」と抱き続けた。私が、恐怖を覚えた一番の理由は、学校を燃やしたことではなかった。学校を燃やしたことで、その請求が両親に行くと言うことだった。自分がいることで、自分にとって大切な人が苦しむことが、一番の恐怖だった。いつからなのだろう、自分の中に「置いていかれることの恐怖」や「捨てられることの恐怖」が、芽生えるようになった。演劇を見ながら、過去に作った『わたしを忘れないで』という楽曲が、頭の片隅に流れ続けた。

 

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「わたしを忘れないで」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

本気で ひとを愛すこと
それは 命を賭けること

わたしを 置いて 行かないでね
わたしを 連れて 行ってね

ねえ見て ねえ聞いて ねえ わたしに さわって
ねえ見て ねえ抱いて わたしを 忘れないで

天国に持って 行けるのは
愛し 愛された メモリー

あとは何の役にも立たないの
なにもかも 置いて 行くの

ねえ見て ねえ聞いて ねえ わたしを さらって
ねえ見て ねえ泣いて わたしを 離さないで

ねえ見て ねえ聞いて ねえ わたしを さらって
ねえ見て ねえ泣いて わたしを 離さないで

ねえ見て ねえ聞いて ねえ わたしに さわって
ねえ見て ねえ抱いて わたしを 忘れないで 

 

わたしを忘れないで。

文章を書くこと、音楽を作ることは『傷』を与えることと似ている。傷として刻むことで、忘れないでいられる。いつでも思い出すことができる。傷は、無論、痛みを伴う。痛みを通じて、思い出せる。傷つき、気づき、築く。抑え込まれた哀しみは、解き放たれることを待っている。喜怒哀楽の『哀』だけを、抑え込むことはできない。ひとつの感情を抑え込む時、同時に、他の感情も薄れていくのだと思う。

 

人生の本質は「哀しみ」だと思う。失うことは、私たちの常態だ。だからこそ、アップテンポの曲より、失恋の歌が好まれるのだろう。この瞬間も若さを失っていて、いま、この瞬間も『いま』を失っている。何度でもやり直せる。そういう言葉もある。その通りだと思う。だが、同時に「人生は、取り返しのつかないことの連続だ」とも思う。今日のあなたは、今日で最後。明日にはもう、取り戻すことはできない。私は、こちらの感覚を選ぶ。また会えるからではなく「もう二度と、会えないかもしれない」と思いながら、人と会い、言葉を紡ぎ、歌を歌いたいと思う。

 

今日は吉祥寺でLIVEだ。私は、無理に人を誘うことができない。ただ「今日の自分は、今日で最後。最初で最後の自分を、あなたに見届けてほしい」と、思う。同じように「今日のあなたは、今日で最後。最初で最後のあなたを、見届けていたい」と、思う。なぜ、自分は音楽をやるのか。なぜ、自分は人前に立ち、歌を歌いたいと思うのか。それは「生きていることを、確認し合いたいから」だと思う。人は、そばにいないひとを忘れていく。人間は、忘れる生き物だ。同時に、思い出すことのできる生き物でもある。大事なことを、思い出せる瞬間を、過ごしたいと思う。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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逃げてるだけじゃねえか。

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横浜駅前のドトールにいる。逃げてるだけじゃねえか。そう言われても、ビクッとしない日々を。逃げてないか。置きにいっていないか。自分に問いたい。言いたいことを言い、書きたいことを書く。結果、しっかりと嫌われる。いろいろな言葉を浴びるが、誤解を招きながら言うと「それは、全部、お前の話だろ」と思う。俺が嫌いなんじゃなくて、自分の中にある醜悪な部分を、認められないだけだろう。

 

 

おおまかなスケジュール

12月3日(火)19時 坂爪圭吾(THE PRESENTS)LIVE@吉祥寺『曼荼羅』
1月1日(水)Rest Inn Peace【無料の宿屋】OPEN@横浜市港北区
1月8日(水)19時 THE PRESENTS DEBUT LIVE@東京都渋谷区『La.mama』


連絡先・坂爪圭吾
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Rest Inn Peace

ひとの迷惑にならなければ、なにをやってもいい。そんな言葉は、嘘だと思う。迷惑をかけていない人間はいない。「そんなことはない!自分は誰にも迷惑をかけていない!」と思う人は、傲慢だ。人間には、勝手に傷つく自由がある。やりたいことをやる。言いたいことを言う。その度に「お前の自慰行為じゃないか」と言われる。言いたいことはわかる。だが、私は「自慰行為じゃない行為なんて、あるのか」と思う。自分は真面目に生きています。そう言う人は、そう言うことで自慰行為をしているのだろう。大事なことは、セックスをする相手がいるか、どうかだ。

 

俺を罵倒する人に言いたい。怒りの矛先が俺に向かっているようだが、違う。お前は、過去のお前に復讐されているだけだ。やりたいことをやらせてもらえなかった過去の『傷』が、愛したいように愛させてもらえなかった過去の『疵』が、怒りを生み、他者に矛先を向けているだけだ。お前の怒りを生み出したものは、他の誰でもない、お前自身だ。自分以外に、自分を傷つけられる人間はいない。自分が、自分で傷ついたと認めない限り、誰も自分を傷つけることはできない。不幸な人間はいない。ただ、自分を不幸な人間だと思っている人間がいるだけだ。この点を勘違いしないように。そうじゃないと、お前は、永遠に幼児的な怒りを抱えたまま、セックスする(世界と繋がる)こともないまま、無様な毎日を生きることになるぞ。

 

ごちゃまぜの家終焉後、名前を『Rest Inn Peace』に変更する。人間が寛ぐための場所ではなく、抽象的だが「新しい音楽がうまれる場所」に変更する。ワンダーランドという曲に「人間の道具になっちゃいけない。人間が道具なのだから」という歌詞がある。前回の記事にも書いたことだが、私は「魂の話をしたい」と思っている。そういう空間は、なかなかない。胡散臭くなりがちだし、濁り、簡単に方向性を見失う。神聖さを維持したまま、新しい音楽がうまれる場所に変更する。生きている者ならば誰でも、必ずひとつは楽器を弾ける。それは『自分』という楽器だ。

 

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「ワンダーランド」

どんなに振り払っても この虚しさは重い
どんなに振り払っても この淋しさは重い

ワンダーランドで死にたいな

地下鉄のホームレスがこっちを見て言った
「人間の道具になっちゃいけない」
戸惑った俺は何も言えずに立ち竦むと
繰り返した「人間が道具なのだから」

行き着く先はみんな同じさ
そこで また 逢えるから
行き着く先はみんな同じさ
そこで また 逢えるから

ワンダーランドで死にたいな

神様 神様 神様 神様
神様 神様 神様 神様

感じさせて あなたを 感じさせて
近づかせて あなたに 近づかせて

神様

 

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逃げてるだけじゃねえか。

もう、言い訳は聞きたくない。なにかをはじめるのに、天才も凡人もない。やるか、やらないか。それだけだ。どうすれば坂爪さんみたいに勇気を持てますかと聞かれても、困る。勇気があるからやる。自信があるからやる。そんな言葉は、嘘っぱちだ。やるか、やらないか。私は、もう「やれ」としか言えない。その言葉が聞きたくないなら、安易に近づかないで欲しい。慰める言葉なんて、かけられない。

 

自分を縛っている者は、自分だ。ブラジルさえも、自分が「行く」と決めれば、行ける。稀に、出会った人から「ファンです」と言われる。私は、ファンという言葉が嫌いだから「お前は、お前のファンになれ」と思う。頑張ってくださいと言われても「お前が頑張れ」と思う。応援してますと言われても「(ちょっとイラっとしながら)俺も、あなたを応援しています」とか、言い返す。無論、言われ方にもよる。一番好きな言葉は「好きです」だ。ファンと言われるより、一言「好きです」と言われる方が、よっぽど嬉しい。こちらも、そんなあなたが大好きですと、濁りなく言える。なにかを「好きです」という時、自分の『好き』に責任が発生する。

 

12月3日(火)19時から、吉祥寺曼荼羅でLIVEがあります。是非、遊びに来てください。音楽歴は1年だが、自分歴は34年だ。34年分を、ぶちまけたいと思う。過去生も含めたら、500000000年くらい行ける気がする。一時的に熱狂するファンほど、簡単に離れる。どんどん離れてくださいと思う。本当に『好き』な人は、常に、静かに愛している。自分は、自分の『好き』から、逃げたくない。自分の『好き』を、誰かの一挙手一投足で簡単に壊れてしまうものにはしたくない。そして、自分の『好き』に責任をもてる人々と、残された日々を過ごしていきたいと思う。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

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