いばや通信

ibaya.ex《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

みんな、誰かのこどもなんだ。

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東梅田のドトールにいる。最近、お孫さんが出来た女性が「孫はもちろん可愛いけれど、孫を可愛がる娘が一番可愛い」と話していて、猛烈に感動した。大袈裟だが、母と娘の最終形態を見た気がした。孫が可愛いと話す多くの親も、同じ気持ちなんじゃないだろうか。自分の子供が、子供を可愛がる姿には、映画のような美しさがある。そして、当たり前だが「みんな、誰かのこどもなんだよな」と思った。 

 

 

おおまかなスケジュール

12月14日(土)【残り1席】坂爪圭吾 弾き語り@大阪市東住吉区「おうち」
12月21日(土)16時 坂爪圭吾&五十嵐千尋&MIKI 演奏会@ごちゃまぜの家
1月8日(水)19時 THE PRESENTS DEBUT LIVE@東京都渋谷区『La.mama』

1月14日(火)19時 坂爪圭吾 弾き語りLIVE@東京都吉祥寺『曼荼羅
2月14日(金)19時 THE PRESENTS presents「PRESENTS is HERE」@大阪


🌸🌸🌸すべてのイベントで、参加者募集中です🌸🌸🌸

連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com

SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu 

 

ibaya.hatenablog.com

 

言葉が、現実を推し進める。

生きていると、様々な人々に会う。女性の中には、母親との確執を抱いている人も少なくない。私は男だから、母と娘という関係性は、想像することしかできない。この記事をご覧の女性は、母親と、どのような関係にあるだろうか。人生は夢みたいなものだとしたら、私たちは思い込みで生きていると言うこともできる。問題があるのではなく『問題があると思い込んでいる』だけで、問題がないのではなく『問題がないと思い込んでいる』だけかもしれない。全部が思い込みでできているならば、前向きな幻想を見た方がいいだろう、とも思う。だが、時折、どうしようもなく『本当』であるものと出会う。どうしようもなく胸が震える言葉と出会う。

 

ibaya.hatenablog.com

 

この記事『本物を知ると、偽物が分かる』で、鬱病の経験を書いた。この時期に、両親から「お前は愛されている」ということを、態度ではなく言葉で伝えてもらった。そのことで、自分の中の何かが氷解し、愛情を求めたり承認を求める気持ちが薄れた話を書いた。学校や職場にはいじめがある。一番苦しいいじめは『無視をする』ことだと聞く。まるで、そこに居ないように扱われることが、人間にとって一番苦しい。感情も同じだ。確かにあるはずなのに、まるで、そんなものは存在していないように扱われたとき、最大の苦しみを覚える。言葉は、そこに光をあてる。無視されていた感情に「お前は、ここにいたのか」と、スポットライトを当てる。

 

おまえはとっても正しいことをしたんだよ。
何かいいものを見つけたとき、まずしなくちゃいけないのはね、
それをだれでもいいから、出会った人に分けてあげて、
いっしょに喜ぶことなの。
そうすれば、どこまでも広がっていく。
それが正しい行いってものなんだ。

フォレスト・カーター『リトル・トリー』【めるくまーる】

 

素晴らしい言葉と出会えたとき、それを誰かと分かち合いたいと思う。ある女性が言った「孫はもちろん可愛いけれど、孫を可愛がる娘が一番可愛い」という言葉に、私は、映画のような美しさを覚えた。こどもを可愛がる娘と、娘を眺める母親を想像して、映画のような美しさを覚えた。それは、愛と光にあふれた光景だった。生きている限り、誰もが『思い』を抱く。たとえ、それが勘違いだとしても、偏った思い込みだったとしても、思いは現実を作り、思いは『傷』を作る。生きるよろこびとは、まったく傷がないことではない。傷に、意味が与えられることだ。

 

note.com

 

みんな、誰かのこどもなんだ。 

小さな子供と触れ合うとき、自分も、昔はこうだったんだよなと思う。そう思うと、不思議と涙が出そうになることがある。それは、きっと「そのこどもは、今も自分の中にいる」からだ。現在の中に、過去も、未来も、全部、ある。大人になると言うことは、子供ではなくなるということではない。それは、年齢の可動域を増やすことだ。34歳の自分には、3歳のような純真さもあれば、14歳のような真っ直ぐさ、21歳のような危うさもあれば、34歳なりの落ち着きもある。生きることは、多様性を深めることだ。生きることは、命のグラデーションを身にまとうことだ。

 

ある父親が、息子に言った。「自然に生きるということは、必ずしも『おだやかに生きる』ってことだけじゃないんだよ。天気に晴れも嵐もあるように、気分も浮き沈みがあって自然なんだ。晴れの日ばかりじゃ、自然じゃないんだよ。嵐もあるのが、自然なんだ。だから、自分はこういう人間だって簡単に決めつけないことだよ。天気みたいに、移り変わることが自然なんだ。晴れの日の自分。嵐の日の自分。花みたいな自分。鳥みたいな自分。海みたいな自分。それを、全部ひっくるめたものが自分なんだよ。自然に生きると言うことは、そういうことなんだよ。」

 

私は、優しい言葉を愛したい。人間の分離感を推し進めるものではなく、人間の一体感を予感させる言葉を愛したい。育った国籍や環境は違えど、それでも「同じ人間じゃないか」と言える部分を、俺たちは兄弟姉妹じゃないかと言える部分を、スポットライトで照らしていたい。みんな違っているようで、実は、そんなに違っていない。根底では、みんな繋がっている。私は、誰かを愛することができている自分を、愛する。それは、誰かが私を愛した記憶を、私が継承しているように感じるからだ。私から生まれる愛なんて、たかが知れている。だが、私を『通じて』生まれる愛には、無限の広がりがある。愛と光に満ちた、映画のような美しさがある。

 

 

だれでもふたつの心を持っているんだよ。

ひとつはね、からだの心(ボディ・マインド)、
つまりからだがちゃんと生きつづけるようにって、働く心なの。

からだを守るためには、家とか食べものとか、
いろいろ手に入れなくちゃならないだろう?

おとなになったら、お婿さん、お嫁さんを見つけて、
子どもをつくらなくちゃならないよね。

そういうときに、からだを生かすための心を使わなくちゃならないの。

でもね、人間はもうひとつの心を持っているんだ。
からだを守ろうとする心とは全然別のものなの。
それは、霊の心(スピリット・マインド)なの。

いいかい、リトル・トリー、もしもからだを守る心を悪い方に使って、
欲深になったり、ずるいことを考えたり、人を傷つけたり、
相手を利用してもうけようとしたりしたら、
霊の心(スピリット・マインド)はどんどん縮んでいって、
ヒッコリーの実よりも小さくなってしまうんだよ。

からだが死ぬときにはね、
からだの心(ボディ・マインド)もいっしょに死んでしまう。
でもね、霊の心(スピリット・マインド)だけは生きつづけるの。

そして人間は一度死んでも、またかならず生まれ変わるんだ。

ところが生きている間、
ヒッコリーの実みたいにちっぽけな霊の心(スピリット・マインド)しか
持ってなかったらどうなると思う?

生まれ変わっても、やっぱりヒッコリーの実の大きさの
霊の心(スピリット・マインド)しか持てない。

だから、なにも深く理解することはできないんだ。

それで、からだの心(ボディ・マインド)がますますのさばるから、
霊の心(スピリット・マインド)はますます縮んじゃって、
しまいには豆粒ぐらいになって、見えなくなっちゃうかもしれない。

もう霊(スピリット)をなくしちゃったのとおんなじだよね。

そうなったら、生きてるくせに死んでる人ってことになるの。
いくらでも見つかるわ。
そういう人はね、女の人を見るといやらしいことしか考えない。

他人を見ると、なんでもケチをつけたがる。
木を見ると、材木にしたらいくらもうかるかってことしか考えない。

きれいなことなんかちっとも頭に浮かばないのさ。
そんな人がうようよしてるよね。

霊の心ってものはね、ちょうど筋肉みたいで、
使えば使うほど大きく強くなっていくんだ。

どうやって使うかっていうと、
ものごとをきちんと理解するのに使うのよ。

それしかないの。

からだの心(ボディ・マインド)の言うままになって、
欲深になったりしないこと。

そうすれば、ものごとがよーく理解できるようになる。
努力すればするほど理解は深くなっていくんだよ。
いいかい、リトル・トリー、理解というのは愛と同じものなの。

でもね、かんちがいする人がよくいるんだ。
理解してもいないくせに、愛してるふりをする。
それじゃ、なんにもならない。

フォレスト・カーター『リトル・トリー』【めるくまーる】

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

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