いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

わたしを忘れないで。

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横浜駅前のドトールにいる。奇跡のリンゴで有名な木村秋則さんに、歯はない。無農薬でりんごを作る過程で、極度の経済苦に見舞われ、歯を治療する金もなかった。木村さんは、酒で感覚を麻痺させて、自分で歯を抜いた。りんごが実った今でも、木村さんに歯はない。なぜ、そこまでして歯を入れないのか。木村さんは「昔(つらかったときのこと)を忘れたくないから」と言う。自分への、戒めとして。

 

 

おおまかなスケジュール

12月3日(火)19時 坂爪圭吾(THE PRESENTS)LIVE@吉祥寺『曼荼羅』
12月14日(土)15時 坂爪圭吾(THE PRESENTS)LIVE@大阪(詳細未定)
1月1日(水)Rest Inn Peace【無料の宿屋】OPEN@横浜市港北区
1月8日(水)19時 THE PRESENTS DEBUT LIVE@東京都渋谷区『La.mama』

2月14日(金)19時 THE PRESENTS presents「PRESENTS is HERE」@大阪

SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu 

 

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昔を、忘れたくないから。

先日、演劇に呼ばれ池袋に足を運んだ。アルツハイマーになった男性が、自分の記憶を取り戻すという内容だった。舞台の中で、印象的なセリフが幾つかあった。たとえば「人は、そばにいないひとを忘れていく」など。人は、そばにいないひとを忘れていく。悲しいけれど、多分、真実だ。どれだけ深い喪失の悲しみに見舞われても、誰もが恋愛から立ち直るように、誰もが肉親の死を経由するように、忘れることで、乗り越えていく。忘れることで記憶は徐々に薄れ、思い出すことで蘇る。 

 

舞台の最後、主人公の男性は「自分の記憶が、自分の人生なのだから」的なことを、言った。記憶。あなたの一番古い記憶はなんだろう。保育園の時か。母乳を吸っていた時か。産声をあげた時か。産声をあげる、もっと前か。私の両親は、新潟の実家で理容店を営んでいる。自営業だから、土日も普通に仕事をしている。家族旅行をした記憶もなく、自分にはそれが当然だったから、悲しいと思ったこともない。小学生の頃、母親が「明日はお店が休みだから、一緒にサーカスに行かない?」と、私に声をかけた。だが、私は、友達とゲームをしたかったから「いや、行かない」と言った。その時、母親は、ものすごいさみしそうな表情を浮かべた。あの顔を、今でも、忘れられない。自分が、母親に『傷』を与えたと思った、最初の記憶だ。何か、取り返しのつかないことをしてしまった、大袈裟な表現になるけれど「小動物を自分の手で殺めてしまったあと」のような、嫌な手応えが残った。

 

小学生の頃、印象的な悪夢を見た。自分の不始末で、自分が通う小学校を全焼させてしまう夢だった。私は、焼け落ちる校舎を茫然と眺めながら「自分は、とんでもないことをしてしまった」と、これまで体験したことのない恐怖に打ち震えた。悪夢から目覚め、母親の元に駆け寄り、抱きついた。恐怖にブルブル震え続ける私を、母親は「大丈夫だよ、大丈夫だよ」と抱き続けた。私が、恐怖を覚えた一番の理由は、学校を燃やしたことではなかった。学校を燃やしたことで、その請求が両親に行くと言うことだった。自分がいることで、自分にとって大切な人が苦しむことが、一番の恐怖だった。いつからなのだろう、自分の中に「置いていかれることの恐怖」や「捨てられることの恐怖」が、芽生えるようになった。演劇を見ながら、過去に作った『わたしを忘れないで』という楽曲が、頭の片隅に流れ続けた。

 

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「わたしを忘れないで」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

本気で ひとを愛すこと
それは 命を賭けること

わたしを 置いて 行かないでね
わたしを 連れて 行ってね

ねえ見て ねえ聞いて ねえ わたしに さわって
ねえ見て ねえ抱いて わたしを 忘れないで

天国に持って 行けるのは
愛し 愛された メモリー

あとは何の役にも立たないの
なにもかも 置いて 行くの

ねえ見て ねえ聞いて ねえ わたしを さらって
ねえ見て ねえ泣いて わたしを 離さないで

ねえ見て ねえ聞いて ねえ わたしを さらって
ねえ見て ねえ泣いて わたしを 離さないで

ねえ見て ねえ聞いて ねえ わたしに さわって
ねえ見て ねえ抱いて わたしを 忘れないで 

 

わたしを忘れないで。

文章を書くこと、音楽を作ることは『傷』を与えることと似ている。傷として刻むことで、忘れないでいられる。いつでも思い出すことができる。傷は、無論、痛みを伴う。痛みを通じて、思い出せる。傷つき、気づき、築く。抑え込まれた哀しみは、解き放たれることを待っている。喜怒哀楽の『哀』だけを、抑え込むことはできない。ひとつの感情を抑え込む時、同時に、他の感情も薄れていくのだと思う。

 

人生の本質は「哀しみ」だと思う。失うことは、私たちの常態だ。だからこそ、アップテンポの曲より、失恋の歌が好まれるのだろう。この瞬間も若さを失っていて、いま、この瞬間も『いま』を失っている。何度でもやり直せる。そういう言葉もある。その通りだと思う。だが、同時に「人生は、取り返しのつかないことの連続だ」とも思う。今日のあなたは、今日で最後。明日にはもう、取り戻すことはできない。私は、こちらの感覚を選ぶ。また会えるからではなく「もう二度と、会えないかもしれない」と思いながら、人と会い、言葉を紡ぎ、歌を歌いたいと思う。

 

今日は吉祥寺でLIVEだ。私は、無理に人を誘うことができない。ただ「今日の自分は、今日で最後。最初で最後の自分を、あなたに見届けてほしい」と、思う。同じように「今日のあなたは、今日で最後。最初で最後のあなたを、見届けていたい」と、思う。なぜ、自分は音楽をやるのか。なぜ、自分は人前に立ち、歌を歌いたいと思うのか。それは「生きていることを、確認し合いたいから」だと思う。人は、そばにいないひとを忘れていく。人間は、忘れる生き物だ。同時に、思い出すことのできる生き物でもある。大事なことを、思い出せる瞬間を、過ごしたいと思う。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

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