いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

あなたを好きになることは、自分を好きになることでした。

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横浜駅前のドトールにいる。中学生の頃、死ぬほど大好きなロックバンドのライブに行った。生まれて初めてのライブ参戦だった。ど緊張しながら会場に到着し、演奏を聞いた。俺はどれだけ感動をするのだろう。そう思って興奮していたが、現実は違った。正直「うるさい」と思った。みんなはぴょんぴょん跳ねていたが「疲れる」と思った。舞台で歌う憧れの人物を見ながら「代われ」と思った。舞台の上にいるべきは、お前ではない。俺だ。ふてぶてしくも、そう思ってしまったのだ。

 

 

おおまかなスケジュール

12月14日(土)15時 坂爪圭吾 弾き語りLIVE@大阪市東住吉区「おうち」
12月21日(土)16時 坂爪圭吾&五十嵐千尋&???演奏会@ごちゃまぜの家
1月8日(水)19時 THE PRESENTS DEBUT LIVE@東京都渋谷区『La.mama』

1月14日(火)19時 坂爪圭吾 弾き語りLIVE@東京都吉祥寺『曼荼羅
2月14日(金)19時 THE PRESENTS presents「PRESENTS is HERE」@大阪

SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu 

 

ibaya.hatenablog.com

 

お客さんになれないことを、やりなさい。

衝撃的な体験は、人間を別人に変える。音楽に衝撃を受けた私は、もう、昔の自分に戻れなくなった。昔の自分とは「リスナーの自分」であり「享受する側の人間」であり「批評するだけの人間」だ。いま、私の手元にはおそろしいほどの自由がある。素晴らしい曲に触れたとき、その曲を越える自由がある。素晴らしい舞台を見たとき、その舞台を越える自由がある。リスナーに戻れない自分は、自分に、やらなければならない、やるしかないという思いを抱く。たとえ、誰一人自分の言葉に耳を傾けるひとがいなくなったとしても、最後のリスナーである『自分』が残る。

 

THE PRESENTS(今回は坂爪圭吾さん1人)のライブに行ってきて
正直、「うわぁ!すごい!」もあったんだけど。
初めて「私も飛ぶ!」という
闘魂みたいなものにキックが入りました。

(直後に書いた走り書きの感想)


『表現を通してでてくる
「生き様」とか
人間性」とか
「人との絆の作り方」にしか
興味がわかないのだなと
思いました。
私の場合ですが。

内臓みたいに
足りないも
弱いも
全開で
全部を
出す人ほど
いいなあって思っちゃう

隠そうとしても
足そうとしても
そんなものは
ぜーんぶバレる
表現とは怖いね

楽しい、嬉しいではじまった表現も
続けるうち、やがて気づく


いろんなものをむき出しにしていく怖さに
晒されていく自分の姿に


「表現」は人の数だけ
その定義があって美意識が反映される
わたしにとって素敵な惹かれるものは
その人がどんな人でどんな生き方で
人をどんな風に愛したか
それが見えるものなんだな


積み重ねてきた「生」が
「命」の在り方が
出して出してカスカスになってからが
小手先をこえて
血反吐が出てきてからが
本番みたいなところがある
隠せなくて
恥ずかしがってる場合じゃねえ
そうなって無我夢中に
透明に表現に自分を捧げるというか
透明な何かになる
自分が生んだようで
生み出されるものに選ばれるような
そんな奇跡のために
血反吐を吐くような思いで
おのれを見つめたり
自分と二人っきりになる時間が
人と逃げずにぶつかる時間が
どこまでも与えて
躊躇なく殺すような優しさが
いるよなあ』


命そのものをメラメラ燃やして、高く高く飛んでた。
すごく表現力がもうガンッと突き抜けてて、すさまじかった。


嫉妬されても「知るかよ」と言いそうだけど
嫉妬するの、分からなくもない。
ここまで丸っと内臓を出すように無防備に自分を出してきた人が、思いを込めること、表現に集中しだしたら、えらいことになる。


そりゃ観てる方は殺される。頭カチ割られる。


ライブは何度か観てて、4月の大阪、9月の愛媛、11月の大阪と観てたんだけど


今回、すごい、前に出てきたというか飛んだ!
って感じた。


音楽をされる前の坂爪さんと少し話したことがあって、その時に
「好きなアーティストの音楽のライブに行った時
すぐ飽きちゃった。そこに居るのは俺だって思っちゃったんですよね…」みたいな事を言ってらした。本人は気づいてなくても、なるべき姿を知ってることがある。そんな事を今思う。


その言葉の数ヶ月後には


すごいペースで、はっきり言うと正気の沙汰じゃないペースで、今までしたことのないという、
作曲をしてバンバンあげていって。


大阪の11/22のAgapeのライブもすごく良かった。だけど


坂爪さんという人は、私から見るとすごく優しくて、周りの人にすごく気をつかうところがあるように思うのだけど(MC聞いてて思う)それを、12/3の曼荼羅ライブでは、全部を取っ払って、高く高く飛んだ。


『ロックンロールとキリスト教』って曲と
『snows』がもう、すごいパフォーマンスで
ただただ呆然と高く飛ぶ坂爪圭吾さんを最後まで眺めてた。


『ロックンロールとキリスト教
https://youtu.be/4W1X4g8z1vY
『snows』
https://youtu.be/jsgqNn7i6Xc


そのショックを消したくなくて
対バン途中で退席して
坂爪さんにお花をもらって帰った。


真剣にやるって
手加減しないって
殺してあげる優しさだなあ


あーだめだ全然書ききれない


ライブ行って頭カチ割られてきてください


坂爪圭吾さんライブスケジュール(12/6現在)↓

12月14日(土)15時 坂爪圭吾 弾き語りLIVE@大阪市東住吉区「おうち」
12月21日(土)15時 坂爪圭吾&五十嵐千尋&???演奏会@ごちゃまぜの家
1月8日(水)19時 THE PRESENTS DEBUT LIVE@東京都渋谷区『La.mama
1月14日(火)19時 坂爪圭吾 弾き語りLIVE@東京都吉祥寺『曼荼羅
2月14日(金)19時 THE PRESENTS presents「PRESENTS is HERE」@大阪


ご本人のブログ↓

http://ibaya.hatenablog.com/


ラジオで歌ってもらえたの、本当、良かった。
12/8の深夜25時から再放送します。良ければ。
↓東日本チャンネル『花ひらく』
https://www.yumenotane.jp/
そしてライブに行ってください。以上。

 

音楽も恋愛も同じだ。本当にそれが『好き』ならば、ただ、死ぬまで続ければいいのだ。芽が出るだとか、結実するだとか、報われるだとか、そんなことはどうでもいいのだ。音楽が好きならば、10年でも、20年でも、死ぬまで歌い続ければいいのだ。一人の人間を愛したならば、10年でも、20年でも、たとえ今生で結ばれることがなかったとしても、それでも尚「俺は、こいつを愛する」と決めればいいのだ。自分の意思に、ただ、殉じればいいのだ。問われているのは、愛情の熱量だ。なにがあっても「俺は、こいつを愛する」と決めた、自分の意思が問われているのだ。

 

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「ブラボー」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

足並み揃え 俺だけドボン 
なんでこんなに 傷だらけなんだ

血と涙 血と涙 血と涙だけが人生だ

しゃれになんねえ 笑えねえよ 神も仏もありゃしねえのかな
だったら ねえ しかたがねえ 今世は諦めてください

おお、なんて、ブラボー! 人間界のルール無視して
おお、なんて、ブラボー! 金持ちばかり喧嘩してる

なにしたって文句言われんだ 何の役にも立ちやしねえと
代わりはいくらでもいるんだ だから俺たちは既に自由だ


ムシケラと呼ばれても 俺たちは最初から 虫の息
「でも、生きているぜ」 おお、なんて、ブラボー!

足並み揃え やっぱりドボン
なんでこんなに 欠陥(あな)だらけなんだ

傷つけて 傷ついて 避けらんねえ 業を抱え GO

我慢なんねえ しゃらくせえよ 善悪も清濁もありゃしねえ
だったら ねえ 逝くしかねえ この世のしがらみよ サヨナラ

おお、なんて、ブラボー! 揺籠から墓場まで おままごと
おお、なんて、ブラボー! 居心地悪い イスに座る

なんにもねえところからきて なんにもねえところまで行くのだ
よろこびはどこからやってきて かなしみでどこまで行けるのだろう


なんにもない俺たちも まだ未来があるなんて聞いたよ
「なら、生きてやるぜ」 おお、なんて、ブラボー!

おお、なんて、ブラボー! 淀みに浮かぶ 不束者よ
おお、なんて、ブラボー! 無傷のままじゃ 生きちゃいけねえ

なにしたって文句言われんだ 何の役にも立ちたかねえ もう
代わりはいくらでもいるんだ だから おれたちは 常に自由だ


おむかえを呼ばれても ボロボロになりながら 最後っ屁
「まだ、生きているぜ」 おお、なんて、ブラボー!

なんにもねえところからきて なんにもねえところまで行くのだ
汚れちまってる悲しみも よろこびも 全部 引き連れて GO

ゴミクズと呼ばれても おれたちは最後まで 不燃ゴミ
「だが、燃え尽きてやるぜ」 おお、なんて、ブラボー!

 

note.com

 

あなたを好きになることは、自分を好きになることでした。

男は、よく「女を守る」と言いたがる。これは、女性を養う・外敵から守ると言うより「自分の信念を貫く」という意味合いが、強い。自分が信じたものを、信じ抜くこと。自分が愛したものを、愛し抜くこと。自分の心が「お前しかいねえ」と思ったまさにその部分を、護り抜くこと。特段おおきなことを成し遂げなくても、俺は、死ぬまで一人の女性を愛し抜いたと言える男は、格好いいと思う。うまく説明できているか謎だが、私は言葉を愛している。私は音楽を愛している。私は一人の女性を愛している。それは、誰かを愛する自分を愛しているのだと思う。あなたを好きになることは、自分を好きになることでした。その部分が、イコールになって結びつく。だからこそ、私は「誰かを・何かを好きになること」が、大好きだ。 

 

男は、多分、勘違いをしている。結婚とは、相手を幸せの牢獄に閉じ込めることではない。家族を守るために仕事に精を出すのもわかるが、もしかしたら、相手は「守られたい」なんて、微塵も思っていないかもしれない。守られることよりも、愛されることを望んでいる。そして、愛と自由は、同義である。自分も、相手も、自由であることを望む。幸せであることを望む。のびのびと楽しそうに生きてくれることを望む。幸せの牢獄に閉じ込めることは、その裏側で「お前は、俺がいなければなにもできない人間だ」というメッセージを、相手に刷り込む。一見守っているようで、相手の命を奪っている。これはダメだ。フェアじゃない。依存になる。

 

女も、多分、勘違いをしている。うまく言えないが、女が「ごめんなさい」と言う必要のない場面で、ごめんなさいを連発している気がする。新幹線の中でこどもが泣いた時、男を怒らせてしまった時、家事が滞った時、仕事がうまく回らない時、など。謝ることは、違う。ただ、自分は「女を生きているだけ」だと思う。女の本領は、いかに男をこき使うかだと思う。男の本領は、いかに女にこき使われるかだと思う。誤解を恐れずに言えば、男は、女のために死にたいと思っている。その部分を器用にすくい上げて、うまい具合に生かせる女を、いい女と呼ぶのだと思う。

 

圭吾さん、先日は最高のステージをありがとうございました。

剥き出しの命が歌になったその姿は、もう同じものは二度とない、あの場限りのプレゼントでした。

いばや通信に出会ってから数年、圭吾さんの言葉にたくさん支えられてきました。自分は生きていてもいい、どころか、自分の人生を生きろと、何度も何度も叱咤と希望をもらいました。

音楽を始めてからの圭吾さんに、人から何と言われようとやりたいことをやるという恐怖に向き合う勇気を私自身もらい、また圭吾さんから生まれる作品の美しさに打たれ続けました。

圭吾さんに対する感謝と称賛は言葉が尽きません。

しかし実のところ私は、私にとって一番素晴らしいのは圭吾さんではなく、圭吾さんに出会えた自分自身だと思っているのです。坂爪圭吾という登場人物がいる私の人生って、すごい!といつも褒めています。

私は坂爪圭吾を生きることはできない。だから私の代わりに圭吾さんが圭吾さんを生きて、私は圭吾さんの代わりに私を生きる。そうやって自分自身を生きるのだけれど、坂爪圭吾のエッセンスは確かに私の人生の大きな一部を作っている。

だから圭吾さんに出会えた人はみんな、自分の人生を誇っていいと思います。

巷には希望や勇気をくれる文章家はたくさんいるけれど、その言葉はいつも発し手と受け取り手という向かい合う立ち位置の中で存在している感じがします。けれど圭吾さんの言葉は、外からやってくるのではなく、なぜか自分の中から直接響いてくるように感じるのです。

もしかしたら圭吾さんは言葉を外に向かって放っているようで、実は自分自身に向かって発しているのかもしれない。するとそれを受け取る者はそのこと自体に共振し、まるで自分の中から響いてくるように思える。だからこそ、その言葉を素通りすることも無視することもできない。

圭吾さんの文章や歌が胸を打つのは(言葉通りですね!)、そういうことなのかなとか、勝手に解釈したりもしています。

圭吾さんが坂爪圭吾を生きてくれて、ブログを書いてくれて、音楽をやってくれて、ごちゃ混ぜの家をやってくれて、本当にありがとうございます。

先程、本の出版のお知らせを読みました。圭吾さんの本が世に出たら、更に多くの人がヒリヒリと自分に向き合わなくてはならなくなりますね。それはお祝いすべきことだと思います。まだまだ章は続きますね。

あともう一つ、最近の圭吾さんの男女論が大好きです。

私は女は自分を愛し、男は女を愛すればよいのだと思います。女が自分を愛せないと男を愛そうとしてしまうし、男が自分を愛そうとすると、例えば闘いのようなことになってしまう気がします。子どもは女にとって自分の一部なので、子どもがいる女は、自分と子どもを愛せばよいと思います。

ライブの感想を書くつもりが全然違う着地点になってしまいました笑

しかも、ライブ後すぐにまとまらなくて今更な感じですが、ここまで読んで下さって感謝致します。

圭吾さんと、私自身と、圭吾さんや圭吾さんの文章や歌に出会う全ての人の、これからがどうなっていくのか楽しみで仕方がありません。

続いていく人生をそれぞれが存分に遊べますように!

 

https://www.instagram.com/p/Bsyz-gRnuV2/

Glastonbury

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

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