いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

人類全体の父になれ。

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ごちゃまぜの家を宝くじで救え!ということで、ロト7当選発表を昨夜行った。全国各地から100通以上のロトくじが届き、大勢の方々から肉筆のお手紙をいただいた。宝くじが当たるかどうかはおいておいて、このような現状を通じて「みなさまとコミュ人ケーションがとれる」ことが最高に嬉しい。グッとくる手紙も大量にあった。

 

 

結論から言うと、全国各地から100通を超える応援をいただき、当たりくじは驚きの10枚!すごい!当選金額は12,100円で、このお金をなにに使うのかはしっかりと吟味させていただききます。引き続き「喜捨を募りながら全国行脚をする」日々は続きます。現在は新大阪のカフェにいて、明日から北海道。来月は沖縄と福岡に行く予定があります。呼ばれたらどこでもいくので、是非、坂爪となにかをしたいと思ってくださった方はお気軽にご連絡ください。


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9月24日(月・祝日)ごちゃまぜの家救済企画@札幌市大通り

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テーマを考えている際、共同主催者のゆきさんから、一件のメールをいただきました。
 
🌸🌸🌸ゆきさんからのメール🌸🌸🌸
 
テーマになるかはわかりませんが、私が最近よく思うことは
 
自分が予想以上に一般的常識に染まってるなぁと感じていることです。
 
先日、こども(小一の次女)が学校行きたくない(ママといたい)と言った時に、そうしてあげたいがホンネなのにも関わらず、実質その日は叶えてあげる事が出来るのに、私の母の「そんなんじゃ世の中渡れない」の言葉につい流され、学校に行かせてしまいとても後悔しました。
 
そういうような「社会人として」とか、「常識的」「みんなそうしてるんだから」という言葉に一瞬で反骨心が湧き上がるくらい敏感すぎる感度を持ち合わせているにも関わらず、日々会社員として生活していると知らず知らずのうちに一般的な「普通」に合わせようとする自分に非常に危機感を感じています。
 
今の仕事は好きだけど、あまりに余裕がなさすぎて、いつも心が死にかける。
 
なのでこれは物理的にも感覚的にも強制的に緩めないと、絶対に死ぬ時に後悔すると思うので、沖縄移住はもう完全なる【予定】としています。
 
パートナーシップ、お金、にも通じるものがあるような、ないような…(^^)いや、大アリかと思っています。
 
🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸
 
当日のテーマは「愛と金(パートナーシップと、それにまつわるお金の話)」です。
 
なかでも、恋人や家族との間におけるパートナーシップの中で、愛はあるけどお金がないとか、お金はあるけど愛がないとか、普段、なかなか話されることのない「愛と金」について、この場を通じてみなさまと語り合う機会・色々な考え方に触れる機会にできたらと思っています。
 
私、坂爪圭吾という人間は、完全に「愛はあるけどお金はない」派の人間になります。いま、横浜で「誰でも無料で使える家」というコンセプトで、ごちゃまぜの家という活動をしています。しかし、あらゆるものを無料で放出していたら、運営資金が底をつきました。「愛があればどうにかなる!」がモットーの人間ではあるのですが、もしかすると、私という人間は、金もなければ愛もない、なんてことも大いにあり得るのかもしれません。
 
そんなこんなのあれこれを、是非、ご参加いただけるみなさまと語り合えたら嬉しいなあと思っています。
 
・最近一般常識にはまって苦しい
・諸々の壁を突破したい気分だ
・パートナーシップに興味がある
・お金のまわし方に興味がある
・色々な考え方に触れてみたい
・ゆきさんのメールにめっちゃ共感した
・動く坂爪圭吾を見てみたい
・当日、たまたま札幌にいる
・参加ついでに札幌小旅行をしたい
・ごちゃまぜの家の力になりたい(神)
 
など、動機はなんであれ、あなたさまのお越しをお待ちしております!!
 
🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸
 
【タイムスケジュール】
 
13時00分 開場(受付開始)
※※※ 休日のためにビルの入り口が施錠されています。お手間ではございますが、到着次第08033932954(小倉携帯)までご連絡ください ※※※
13時30分 開演・坂爪圭吾による「今回の企画趣旨のご説明」
13時45分 登壇者自己紹介
14時00分 鼎談・坂爪圭吾×あおきゆき×小倉真也「愛と金〜パートナーシップと、それにまつわるお金の話」
15時00分 質疑応答(みなさまのお悩みも聞かせてください!)
15時30分 坂爪圭吾による懇願の土下座(その後、フリータイム)
16時00分 完全撤収!
 
【迷える仔羊プロフィール】
 
■坂爪圭吾(さかつめけいご)
1985年新潟県生まれ。いばや通信運営。人間は家も金も収入もなくても生きていけるのかを実験するため、2014年から約2年間にわたる「家のない生活」を行い、なんだかよくわからない日々を送る。結果的にブログ読者の方に購買をしていただいた熱海の家に現在は暮らす。2017年、クラウドファンディングで480万円(!)を調達し「横浜に、誰でも自由に無料で使える家」を作る。その名も『ごちゃまぜの家』。しかし、現在、あらゆるものを無料で放出し続けていたために極度の金銭的困窮に喘いでいる。今回は、家なし生活を送っていた時期から猛烈にお世話になっているゆきさん・小倉さんのお力添えを通じて「ぼくはこれからどうやって生きていけばいいでしょうか?」ということを、みなさまに問う。
 
自伝風物語「ホームをレスした話」
 
🌸🌸🌸🌸🌸ご参加にあたってのお願い🌸🌸🌸🌸🌸
 
●こちらの企画は、決して答えを(上から目線で)教え諭すような内容ではございません。ひとつのテーマをもとに、みんなで、和気藹々と(なによりも楽しく!)時間を過ごせることを最大の目的としています。そのため、ご自身のお考えを誰かに押し付けることなく、異なる意見もまあるい心で受け入れていただけましたら幸いです。
●参加者のみなさまが心地よい時間を過ごせるよう、何卒、みなさまのご協力をお願いいたします。(例:論破することを目的とした議論をしない、とか、誰かひとりだけが話し過ぎることのないようにする、など)
 
🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸
 
日時:9月24日(月・祝日)13時30分(13時開場)から15時30分(16時閉場)
 
会場:大和田ビル1F・ミーティングルーム
北海道札幌市中央区北一条西7-3 北一条大和田ビル1F
トヨタと郵便局の間のビルで、LIXILの横が入口になります。
※休日のためにビルの入り口が施錠されています。お手間ではございますが、到着次第08033932954(小倉携帯)までご連絡ください。
 
定員:15名(先着順)
 
参加費:1000円+ドネーション(ごちゃまぜの家の運営資金になります。無論、ドネーションは任意です!)
 
申し込み方法:フェイスブックをやっていらっしゃる方は「参加ボタン」を押していただけたら申し込み完了です。参加費は、当日会場の受付にてお支払いいただく形になります。フェイスブックをやっていない方や、諸事情で参加ボタンを押せない方は、お手数ではありますが①お名前②参加希望人数を添えて、下記連絡先までご連絡ください。
 
お問い合わせ:坂爪圭吾(さかつめけいご)
LINE ID ibaya
mail keigosakatsume@gmail.com
 
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「いばや通信」 http://ibaya.hatenablog.com/
緊急連絡先 LINE ID ibaya(坂爪圭吾LINE)
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🌸🌸🌸Facebookイベントページはこちらです🌸🌸🌸

GOCHAMAZE no IEを救え!坂爪圭吾&あおきゆき&小倉真也「愛と金」パートナーシップと、それにまつわるお金の話

 

わたり文庫『全ての装備を知恵に置き換えること』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、石川直樹著作『全ての装備を知恵に置き換えること』です。まだ読み始めたばかりなのですが、名著の香りがぷんぷんします。清冽な文体が最高です。読み終わり次第、ご希望される方に無料で郵送をさせていただきます。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、北海道にわたりました ※※※

 

「冒険というものの究極は自分の身体一つで行うことだと思っている。もしある人がはじめてクライミングをやりはじめたら、周りにある装備を全て使うだろう。例えばアイスクライミングだったら、最初はダブルアックスで氷壁を登るかもしれない。それはとても簡単なことだ。しかし、技術を身につけていくにつれ、その氷壁を一本のアイスアックスで登れるようになるかもしれない。もしも、禅マスターだったらここに座ったままでも氷壁を登ってしまうかもしれない(笑)。それはある道筋のようなものなんだ。私にとっての究極は何の道具も使わない〝ソロクライミング〟なんだよ。チョークもクライミングシューズもガイドブックも・・・。裸で登るのが究極さ。きみが興味をもっている古代の航海術と同じように、全ての装備を知恵に置き換えること。それが到達点だと思ってる。私はそれを完全に信じてやまない」

石川直樹『全ての装備を知恵に置き換えること』【集英社文庫

 

ごちゃまぜの家日誌もよろしくお願いします。

 

gochamaze.hatenablog.com

 

🌸🌸🌸 臨場感あふれるツイキャス配信はこちら 🌸🌸🌸 

twitcasting.tv

 

人類全体の父になれ。 

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ごちゃまぜの家という、いつでも、誰でも来てもいいという活動をやっていると「さぞかし、人当たりのいい(コミュニケーション能力もずば抜けている)明るくてオープンな人たちがやっているのだろう」という認識をされることが頻繁にあります。が、実際は、私を含めて『どちらかと言えば人間が苦手で、これまで壁にぶち当たることの多かった人間が、それでもなおひとと繋がれたらという思いでやっている』という、非常に涙ぐましい健気な家になります。 

 

坂爪さん、おはようございます‼️○○○○です。

腱鞘炎やらお礼やら忙しいと思うのですが、返信も不要なのですが、どうしても伝えさせてください‼️

昨日、坂爪さんからのお礼として倍返しとして笑笑本が届きました✨✨✨厚さがあって最初不思議でしたが、開けてビックリ(びっくり)わたり文庫、何度も気になってたけど一度も問い合わせしたことなくて、まさかこんな形で細やかに願いが叶うとは…。

もう色々感情が湧いて言葉にならなくて感無量なんですけど、なんかもう嬉し過ぎて、生きてて良かった✨なんて思って、私がロト7当たった気持ちになっちゃいました笑
こんな機会やお礼を貰えて、自分はなんて幸運者だと思いました‼️✨✨私の心に幸せや潤いをくださり、凄く感謝しています。ありがとうございます。

もう、当たっているかもしれませんね。そして、参加者も当選気分にさせてしまうなんて、さすが坂爪さん、さすがごちゃまぜの家だなぁ笑
なんて偉そうなこと言ってるかもですが…

どうしても、ロト7の発表会の前に、お礼と最後の応援?を伝えたかった。
リアルタイムでツイキャスは、仕事の関係で難しいかもしれませんが、ちゃんと見届けています。

結局長くなりすみません。
でも、本当になんかもう、ありがとうございます✨✨

 

いただいたお手紙の中にも「ごちゃまぜの家があるということが自分にとっての救いになります。なにが起きても大丈夫なんだって思ます。いつか、自分も本当にやばくなったときは遊びに行かせてください」という言葉がたくさんありました。ありがとうございます。無論、やばくなったときもごちゃまぜの家を活用してくださって大丈夫なのですが、やっている身としては「やばくなったらじゃなくて、普通のとき、普通に元気のある時も(普通に)気軽に遊びに来てください!」という気持ちになります。

 

けいごさんツイキャス聴いてました😊何はともあれこの日々が本当に宝だなあとあったかい気持ちになったのと、みんなもうなにがあっても大丈夫と思っている自分がいてすごくよい心地です✨ああ、伝えたいことがいっぱいすぎてまた出口渋滞起こしています。。
けいごさんと出会えた今日はけいごさんと出会えてない今日よりすごく面白くてすてきな今日です✨なんだかわけわからんメッセージごめんなさいです💦明日からのイベント楽しんできてくださいね😊ではではgood night sleep♡

 

ツイキャス配信の中で「人類全体の父になりたい」という話をしました。私は、誰か特定の父親になるということよりも、人類全体の父親になりたいという謎の感覚があります。同じように、女性の方々も「今日からあたしは、人類全体の母になる!」なんて思って見たらどうでしょう??などということを思うことがあります。人類全体の母になる。それくらい広い心をもったとき、いろいろな小さな悩み事などはすっ飛んで「自分はでっかく生きるのだ!」的な心意気になれる予感がしています。 

 

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連絡先・稲村彰人(いなむらあきと)

tel : 09080329067

mail : akito.inamura@gmail.com

line id : 0reaki10

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案ずるより産むが易し!

 

 

圭吾さん、こんばんは!

ツイキャス、リアルタイムでは最後の方からだったのですが間に合い聴いていました!

私はこのたび宝くじを託すという星になることは出来なかったのですが、ごちゃまぜの家に降る流れ星をみなさんと一緒にツイキャス越しに見れて、とても嬉しいなんとも言えない幸せな気持ちになりました!!

ありがとうございます!!

みなさんのおしゃべりしている雰囲気や、

人間に対してつまずいたり、決して
明るく常にオープンなわけではなくむしろ逆ででも人間と関わりたいっていうくだりに心がパカッと開くそんな爽快な気持ちになり、

まるで私もみなさんと一緒に宴を囲んでいるような気持ちになりました。聴きながらいつの間にか笑っていました。

ステキな時間をありがとうございます!!

こんなおちゃめな最高な人たちがいることが、最高に嬉しいです。

素敵な夜をありがとうございます!!!

星降る夜に祈りを込めて...

おやすみなさい✨✨✨✨

(返信はご不要です🙆💮)

 

 

https://www.instagram.com/p/BnMzPwlFJTF/

我ながら素晴らしい人生である。 #shuzenji #touring #supercub110 #river #lifeisgood

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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LINE ID ibaya

この世で一番大切な仕事は、自分自身のご機嫌を守ることだ。

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ごちゃまぜの家に来た人々が「現代版の駆け込み寺ですね!」的なことを言ってくれる。しかし、やっている当事者としては「寺というよりも教会に近い。俺は、お坊さんというよりも牧師的な気持ちになることが多い。人々は、ごちゃまぜの家に来て、彼らなりの懺悔をする。俺はその話を聞いているだけだ」とも思う。毎日、少数ではあるがそれなりの事情を抱えた人々がやってくる。本当に、毎日、いろいろなことが起こる。

 

https://twitter.com/KeigoSakatsume/status/1041501917594017792

 

色々なことがありすぎるから「俺はいつになったら心休まる時間を過ごせるのだろう」などと思ったりする。年中無休24時間オンオフの区切りもなく従事している感覚だ。ああ、休みたい。そう思う。が、しかし、実際にリラックスをしながらのんびり休める時間が訪れると、私はすぐに「ああ、退屈だな。なにか起こらないかな」などと思ったりする。自己矛盾がすごい。忙しいと暇になりたいとぼやき、暇になると忙しくなりたいとぼやいている(似た感じで、ひとりのときは「誰かといたい」とぼやき、誰かといるときは「ひとりになりたい」とぼやいている)。

 

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風に思いを乗せる系男子。

前回の記事で「大阪でイベントをやるので来てください!」と書いたら、もう、猛烈にありがたいことにあと少しで定員に達そうとしている。今回のイベントテーマは『男と女のすれ違い』で、小生、恋愛関係および異性間コミュニケーションが見事にダメすぎてこれまで散々な目にあっている。その愚痴を心理カウンセラーの方に聞いていただくという内容になるのですが、なんだかいまからものすごい楽しみで、もしも「あたしの住んでいる都市でも開催してください!」などとお声がかかったあかつきにはごちゃまぜの家救済とかはもはやどうでもいいから全国各地に足を運びたい気持ちでいる。9月は暇です。10月も暇です。死ぬまで暇です。 

 

🌸🌸🌸イベントページはこちらです🌸🌸🌸

ごちゃまぜの家を救え!対談・坂爪圭吾×神末結衣「神末先生、男女間のコミュニケーションの秘訣を教えてください!」

 

恋バナは楽しい。だから昨夜も(練習も兼ねて)ラジオ配信をした。私は「風に思いを乗せる系男子」で、実際に会っていなくても結構頻繁に相手のことを思っている。しかし、女性側に言わせると「風になんか乗せていないで、形にしろって言っているだろうが」ということになる。私はあまのじゃくな人間なので、やれと言われるとやりたくないとなり、やるなと言われるとやりたくなる。だから、やれと言われるほどに逃げる(逆に、返信不要ですと言われると高確率で返信をする)。結果、相手を不安にさせて破綻をする。そういうことの繰り返しが、私の33年間だったのだと思う。

 

🌸🌸🌸収録した音声はこちらです🌸🌸🌸 

twitcasting.tv

 

正直に言って、もう、結婚は諦めている。諦めているというか「従来の意味での結婚は、あんまり興味が湧かないな」と思っている。しかし、人を愛することほど尊いものはないとも思う。女性に求める理想像が、私には二種類ある。ひとつは「牧師に嫁ぎたいと思うほどに、信仰心(?)のあつい女性」である。岡本敏子さんがそれに近いのかもしれない(全然違うかもしれない)。もうひとつは「一緒にいることでインスパイアし合える女性。相手に対する尊敬や信頼はもちろんのこと、彼女がやっていることを見て『うぐぐ・・・こいつはさすがや・・・(俺も負けていられないぜ!)』という悔しさと嬉しさを同時に味あわせてくれる存在」である。これが無理ならもう、永遠におひとりさまでも構わないやと居直っている(とか言うくせに、やっぱり、異性とはうまくやっていきたいとも思っている)。

 

わたり文庫『ちいろば』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、榎本保郎牧師著作『ちいろば』です。50年程前に大流行した一冊です。が、この本を読む前に三浦綾子の『ちいろば先生物語』を読むことを激烈リコメンドします。榎本牧師さんのすごいところは、誰からも愛された教会を最後には捨てることです。理由は「私は、みんなに愛されすぎた。結果、教会に来る人々は、私を見てしまっている。しかし、ここは神を見る場所であって、私を見る場所ではない。だから、私はここを離れることに決めた」という苦渋の決断です。これ、すごくないですか??私は「半端ないな…」と震えました。私はこういう人間を『格好いい男だ』と思ってしまいます。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、東京都にわたりました ※※※

 

「よし、この子どもたちのために自分のすべてを投げ出そう」

 

榎本保郎『ちいろば』【聖燈社】

 

ごちゃまぜの家日誌もよろしくお願いします。

 

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合言葉は『ご機嫌をチョイス!』

ただ珈琲を飲むだけの動画 #gopro #test #practice #niigata #aoyama #lifeisgood

 

数日前、ごちゃまぜの家に三人の子供を育てているお母様(S様)が「手料理をもってお邪魔をします!」と遊びに来てくれた。久しぶりに会ったS様の瞳は、なんだか猛烈な輝きを帯びていた。ので、私は「なんだかめちゃめちゃいい感じですね!なにかあったのですか???」と尋ねた。すると、S様は満面の笑み(決して、無理をして作られた明るさではない、ものすごい健やかな表情)を浮かべてこのように話した。

 

私は、本当に長い間、親との関係で悩んでいました。本当はもっとこうして欲しかったとか、自分が愛されたいと思う形で愛されたかったとか、大人になってからも、自分にこどもができてからも、親との確執を胸に抱き続けたまま生きてきました。でも、ある日、それは違うなと思ったんです。親との関係性が自分の問題だと思っていたけど、それは違うなって。一番の問題は「親(他人)じゃない、自分自身との関係性なんだ」ってことに気が付いたのです。それから、私は、とにかく自分のご機嫌をとることに集中しました。自分に寄り添って、自分がしてほしいことを自分にしてあげて、逆に自分がやりたくないことは自分にさせないようにしてあげて、徹底的にご機嫌でいることに集中をしました。すると、なんだかもうあの頃には信じられないほどに、今、幸せな毎日を過ごすことができるようになったんです。それで、ここ数ヶ月自分のご機嫌をとることに集中しまくっていたため、今日は「自分ができることをみんなにもさせていただきたい!」と思って、手料理を持参させていただきました。だから、久しぶりに本当に自分以外の人に何かをさせていただく機会を頂き、本当に本当に嬉しかったです。しかも、大好きな坂爪さんと、皆んなの寄り所のごちゃまぜの家の為にお邪魔させて頂くきっかけにもなり、幸せです。

 

人類稀に見る素晴らしい逸話だ。私自身、自分の性格を決定づけるものは「幼少期の親との関係」だと思っていた。だから、家族を再定義するとか鼻息を荒くしながらごちゃまぜの家の活動を続けていた。が、一番身近な他人は、家族ではなく「自分」なのだと痛感した。自分との関係も人間関係であり、誰かになにかをしてもらうとか、誰かになにかをしてもらえなかったとか、そんなことよりも「自分が自分に寄り添ってあげるべきときに、寄り添うことができなかった」ことが、胸の中にわだかまりとして蓄積をするのだと思った。それならば。私は「この世で一番大切な仕事は、自分自身のご機嫌を守ることだ」と思った。私もS様に続きたい。世の中の悪い側面をとらえて勝手に自爆をするのではなく、どのような状態に置かれても『ご機嫌をチョイス!』できる人間でありたいと思った。もう一回言う。どのような状態に置かれても『ご機嫌をチョイス!』できる人間でありたいと思った。

 

 

ちはるちゃんのご指導のおかげで迷うことなく、今バッチリ菊名駅に着きました〜〜〜😊

行きはお迎えに来てもらいご迷惑おかけしました〜〜💦🙏

昨日お邪魔を決めてから、今の自分で出来ることをあれこれ考えてさせてもらえて本当に楽しかったぁ〜〜🌈🌈🌈

ご飯を美味しいって食べてくれたのが、本当に本当に嬉しかったです🍀🍀🍀
ご飯は本当に大切ですよね🙆‍♀

お家はシンプルでお手入れが行き届いていて、思った通りの最高のお家でした🏠

金曜日、結果楽しみにしています🍀🍀🍀

坂爪さんの笑顔、やっぱり最高でした🤩🤩🤩🤩🤩
取り急ぎお礼まで💕

 

PS・よしえさんの入れてくれたお茶もめちゃめちゃ美味しかったですと、お伝え下さいませ🍀🍀🍀

 

(S様からのLINEを転載させていただきました)

 

https://www.instagram.com/p/BnpBoVrFDPC/

過去のことは過去のこと。毎日が、新しい人生のはじまりだ。

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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LINE ID ibaya

私の夢は壊れていません。壊れているのはあなたの夢です。

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第一印象で「あれ?」と感じたひとは、あとでどれだけいいひとそうに見えても、あとから「やっぱり!」と感じることは多い。直感は大事だ。ガチで大事だ。ナビゲーターは直感だ。もう、今生何度目の反省になるだろう。私は頻繁に間違える。自分の心が感じた違和感には、激烈に忠実でありたいと思う。シェイクスピアも『愛情は万人に、信頼は少数に』と言っている。逆に言えば、ああ、なんだかこのひとはスッと入ってくるなあと感じるひととは、無理のない良好な関係が続く。

 

 

ごちゃまぜの家存続の危機!と叫んでいたが、これは「坂爪圭吾存続の危機!」と同義だと思った。色々ありすぎて、小生、軽い人間不信【女性不信】に陥っていた。しかし、同じように私を高みに引き上げてくれた存在も女性だった。いつまでも不信感を抱いている場合ではない。生きるのだ。ということで、9月22日(土)13時頃から大阪府天王寺で『ごちゃまぜの家救済企画!スペシャル対談』を開催いたします。詳細を下記に転載します。最高の時間にいたします。是非、遊びに来てください(その際は、会場にて坂爪圭吾と握手をして坂爪圭吾に生きる力を注入してください!!)。

 

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9月22日(土)ごちゃまぜの家救済企画@大阪府天王寺 

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男と女。
 
これ、人類、永遠のテーマであると思います。
 
私、坂爪圭吾は、現在「誰でも自由に無料で使える家」という名目のもと、横浜で『ごちゃまぜの家』という活動をしております。しかし、すべてを無料で放出し続けた結果、現在、極度の金銭的困窮に喘いでおります。
 
金銭的困窮などと申しましたが、その背後には「コミュニケーションの問題」が確実に潜んでいることをひしひし感じております。周囲の人々との人間関係、とりわけ「男女間のコミュニケーション問題」は、最初はとっても小さくささいなものだったとしても、やがては『一族存続の破滅にも繋がりかねない』ほどの半端ない威力があることを、強く、強く実感しております。
 
しかし、私、坂爪圭吾(男)は女の心理がわかりません!
 
巷では・・・
 
「男は論理的、女は感覚的」
 
とか・・・
 
「男は目的脳、女は共感脳」
 
とか・・・
 
「女が幸せだと、空間全体が幸せになる」
 
とか・・・
 
「女が怒ると、天災が起こる」
 
とか・・・
 
「男は安心をすると浮気をする、女は不安になると浮気をする」
 
とか・・・
 
それはもういろいろなことが言われております。本当のところがわからない坂爪圭吾は、もう、パニックになってしまいました。困りました。私は男。どれだけ考えてみたところで、所詮、わたしは男の思考を抜け出ることができないのです。困った。さあ、どうすればいいのか。誰かこういうことに詳しい女性は・・・そう、男女間のコミュニケーションについてお詳しい女性・・・ハッ!そうだ!男女間と言えばこの御方!そ、そ、そうだ!こういうときこそ!
 
「神末先生に相談だ!」
 
🌸🌸🌸🌸🌸企画趣旨のご案内🌸🌸🌸🌸🌸
 
こちらの企画は「男女間のコミュニケーションの諸々」について、心理カウンセラーでもある神末結衣さんを特別ゲストにお招きし、参加者のみなさまとおしゃべりをするという「あんまり堅苦しくない、いかに楽しい時間を過ごせるか」に重点を置いた企画です。
 
異性の心理を知りたいかたや、男女間のちょっとしたトラブルを抱えているかた、ごちゃまぜの家の活動を「応援したい!」と思ってくださるかたや、いろいろなひとたちの考え方に触れたいかたなど、参加希望の理由はどのようなものでもまったく構いません。
 
どなた様でもお気軽に遊びにいらしてください!!(そして、一緒に男女間のコミュニケーションの秘訣を探っていきましょう!!)
 
🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸
 
【タイムスケジュール】
 
13時00分 開場(受付開始)
13時30分 開演・坂爪圭吾による「今回の企画趣旨のご説明」
13時45分 登壇者自己紹介
14時00分 対談・坂爪圭吾×神末結衣「神末先生、男女間のコミュニケーションの秘訣を教えてください!」
15時00分 質疑応答(みなさまのお悩みも聞かせてください!)
15時30分 坂爪圭吾による懇願の土下座(その後、フリータイム)
16時00分 完全撤収!
 
【登壇者プロフィール】
 
■坂爪圭吾(さかつめけいご)
1985年新潟県生まれ。いばや通信運営。人間は家も金も収入もなくても生きていけるのかを実験するため、2014年から約2年間にわたる「家のない生活」を行い、なんだかよくわからない日々を送る。結果的にブログ読者の方に購買をしていただいた熱海の家に現在は暮らす。2017年、クラウドファンディングで480万円(!)を調達し「横浜に、誰でも自由に無料で使える家」を作る。その名も『ごちゃまぜの家』。しかし、現在、あらゆるものを無料で放出し続けていたために極度の金銭的困窮に喘いでいる。今回は、心のメンターである神末結衣先生を通じて「ぼくはこれからどうやって生きていけばいいでしょうか?」ということを、みなさまに問う。
 
自伝風物語「ホームをレスした話」
 
■神末結衣(かみすえゆい)
坂爪圭吾が「心のメンター」と勝手に崇拝している心理カウンセラー。サロンいやしちろオーナー。舞踏家。心の悩みを抱える方々に親身に寄り添うなかで「むむ、男女間のコミュニケーションの問題は非常に奥深い!」ことを日に日に痛感。先日、坂爪が神末先生に泣きつく形でご相談をさせていただいたところ、坂爪の小さな悩みを一瞬で撲滅。坂爪は「ああ、おれはいままで川しか知らなかったのだ。川しか知らなかった男が、いま、神末先生を通じて『海』をはじめて知ったのだ。。。」と感激。この感激をみなさまとも共有したいと思い、今回、ゲストとしてお越しいただける運びとなりました。(注・こちらの文責はすべて坂爪圭吾にあります)
 
🌸🌸🌸🌸🌸ご参加にあたってのお願い🌸🌸🌸🌸🌸
 
●こちらの企画は、決して答えを(上から目線で)教え諭すような内容ではございません。ひとつのテーマをもとに、みんなで、和気藹々と(なによりも楽しく!)時間を過ごせることを最大の目的としています。そのため、ご自身のお考えを誰かに押し付けることなく、異なる意見もまあるい心で受け入れていただけましたら幸いです。
●参加者のみなさまが心地よい時間を過ごせるよう、何卒、みなさまのご協力をお願いいたします。(例:論破することを目的とした議論をしない、とか、誰かひとりだけが話し過ぎることのないようにする、など)
 
🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸
 
日時:9月22日(土)13時30分(13時開場)から15時30分(16時閉場)
 
会場:クレオ大阪中央・音楽室(4階)
四天王寺前夕陽ヶ丘駅(Osaka Metro 谷町線) 1・2号出口から北東へ徒歩約3分。大阪シティバス天王寺警察署前」または「上本町9丁目」から徒歩約7分。駐車台数に限りがありますので、なるべく公共交通機関をご利用ください。
 
定員:30名(先着順)
 
参加費:1000円+ドネーション(ごちゃまぜの家の運営資金になります。無論、ドネーションは任意です!)
 
申し込み方法:フェイスブックをやっていらっしゃる方は「参加ボタン」を押していただけたら申し込み完了です。参加費は、当日会場の受付にてお支払いいただく形になります。フェイスブックをやっていない方や、諸事情で参加ボタンを押せない方は、お手数ではありますが①お名前②参加希望人数を添えて、下記連絡先までご連絡ください。
 
お問い合わせ:坂爪圭吾(さかつめけいご)
LINE ID ibaya
mail keigosakatsume@gmail.com
 

🌸🌸🌸Facebookイベントページはこちらです🌸🌸🌸

ごちゃまぜの家を救え!対談・坂爪圭吾×神末結衣「神末先生、男女間のコミュニケーションの秘訣を教えてください!」

 

わたり文庫『お金のいらない国』 

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、長島龍人著作『お金のいらない国』です。ZOZOの前澤さんが紹介したことでも、有名になりましたね。こちらの本、猛烈にありがたいことにベーグルと一緒にごちゃまぜの家に「是非!」と愛知県から郵送をしていただきました。付箋には「私の運命を変えた本です。1〜4巻まであるんですよ。ますは1巻をプレゼントさせて下さい」という手書きのメッセージまで。もう、私は、愛知県に足を向けて眠ることができません。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、岩手県にわたりました ※※※

 

要するに、このお金というものは、ものの価値をみんなが共通して認識するためのモノサシでしかないわけです。ですから、たとえば今あなたの国で、このお金がいっせいにパッと消えてしまったとしても、皆がそのまま仕事を続けていれば社会は回っていくはずなんですよ。それに、ちょっと想像してみてください。あなたの国の、お金を扱う仕事にたずさわっている人が、その業務から解放された時のことを。そして、お金を動かすために使っていた時間や労力を、もっと世の中のためになる仕事に向けたら・・・お金に関する仕事がなくなったら、ずっと楽になると思いませんか?いいですか。今のあなたの国でも、お金に関わる仕事をしている人が全員、その仕事をやめてしまったとしても、みんな十分に暮らして行けるはずなんです。そんな、言ってみればムダなことに時間や労力を使っていたにもかかわらず、あなた方は今までやってこられたわけですから。ですから、そういう仕事にかけていた時間や労力を、もっと社会の役に立つ仕事に向ければ、もっともっと暮らしやすくなるはずですよ。

 

多分、そのお金というものを得ることが仕事の目的だと多くの人が思っているうちは、あなたの国の、本当の意味での進歩はないでしょうね。仕事の目的は世の中の役に立つことです。報酬ではありません。報酬を目的にしていると、必ずどこかにゆがみが生じてきます。自分の行った仕事以上の報酬を得ようとしたり、必要のない仕事を無理に作って、自分の利益だけは確保しようとする動きが出てくるでしょう。そうなると、完全な競争社会になります。それもお互いの向上を目的としたものではない、単なる足の引っ張り合いになるはずです。

 

あなたの今されている仕事が、本当に価値のあるものかどうかを判断する、簡単な方法をお教えしましょう。仮に、社会からお金というものがなくなり、その仕事によって報酬を得られないとしても、自分がその仕事をすべきだと思うかどうかです。

 

長島龍人『お金のいらない国』【『地球村』出版】 

 

ごちゃまぜの家日誌もよろしくお願いします。

 

 

 

gochamaze.hatenablog.com

 

私の夢は壊れていません。壊れているのはあなたの夢です。

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シェイクスピアと言えば、ハムレットという作品に『生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ(To be or not to be, that is the question)』という有名すぎるセリフがある。私は、この言葉は知っていたが、この言葉が出て来た物語の背景を知らなかった。が、先日、この言葉が出て来た背景を知って「そういう意味だったのね!」とびっくりした。この言葉は、こんな感じのニュアンスを含む言葉になる。

 

生か、死か、それが疑問だ、どちらが男らしい生きかたか、じっと身を伏せ、不法な運命の矢弾を堪え忍ぶのと、それとも剣をとって、押しよせる苦難に立ち向い、とどめを刺すまであとには引かぬのと、一体どちらが。いっそ死んでしまったほうが。死は眠りにすぎぬ。・・・それだけのことではないか・・・。【ハムレット新潮文庫福田恒存訳】

 

これを読んだ時に「ああ、いまの自分と同じだ!」と脳味噌が震えた。私は大袈裟な人間なので、すぐに『死ぬ覚悟』とか『ハラキリ』とか、そういうワードが頭をよぎる。しかし、次の瞬間、私は「この二元論を超えたい」と思った。生きるべきか、死ぬべきか、などと、そういうことを考え始めると精神的に参って病気になるか禿げる。自分の心に素直になった時、私は「楽しみたい」と思っていることに気づいた。どのような状態に置かれても、深刻になるのではなく、真面目に考えすぎるのではなく、置かれた状態で打ち出せる「次の一手」「遊びとしての一手」「最高の一手」を見出していきたいタイプの人間なのだと、そういうことを思い直した途端に(露骨に)元気になった。

 

宝くじでごちゃまぜの家を救う!というアイデアを出した時、周囲から「夢を壊すようで悪いけど、宝くじは還元率も悪いから(うんたらかんたら)やめほうがいいよ」と言われた。私は、正直に言うと、わかってないなあと思った。俺は、そういうところで生きていないからと思った。もっと言えば『私の夢は壊れていません。壊れているのはあなたの夢です』と思った。私は金が欲しいのではない。私が欲しいものは笑顔である。条件付きの愛などいらぬ。条件付きの金などいらぬ。条件つきの優しさは、受け取ることが怖すぎる(あとで回収されそうな気がする)。手放しの愛情は、安心をして受け取ることができる。「これのために有効活用してください」と言われながら受け取るお金より、「君は最高だね!」と言われながら丸投げで受け取ったお金の方が、五億倍嬉しい。他にも思ったこと、起きたこと、考えたことは無限にあるが、続きはリアル(対談企画)で!!私の人生はいい感じに滅茶滅茶になっているので、偉そうに人様に話せることなんてなにもない。ただ、笑いを提供することならばできると思った。開催が本当に楽しみ。話せることが嬉しい。話を聞けることが嬉しい。あなたに会え得ることが嬉しいし、人生に楽しみがあることが嬉しい。そうだ、私は、ただただ『遊んでいたい』だけなのだ。遊び続けるために必要なものは丹力だ。そのために、繰り返し丹田を鍛えているのである。

 

 

けいごさん、みなさん、こんにちは。メールを送るのは二度目になります。
 
ブログ読ませていただいております。ごちゃまぜの家の救い方、あまりに軽やかでわくわくして、なんだか結果も分からない今から嬉しくなってしまいます。
 
ごちゃまぜの家がなくなる、と聴いた最初はなんだかすこしさみしさはありました。
一度も行ったことのないばしょだけれど、でもごちゃまぜの家みたいなばしょがあるって想ったら、なんだかだいじょうぶだよ、って言われているような気がしていました。
でも家が続いても、続かなくても、すべて流れの一部なんでしょうね。けいごさんやごちゃまぜの家のみなさんのゆるやかさに、わたしのこころも楽しむ気持ちでいっぱいになっております。
 
ブログでごちゃまぜの家の救い方の話を聴いたあと、みんなで結果発表を見守ろう会に、わたしのすきなベーグルをもぐもぐしてたらたのしいな、と想い、送らせていただきました。が、毎週金曜が発表というのを聴いて、あらまぁ、昨日が発表日だ!!と早とちりし、衝動でおくってしまいましたが、送ってから1週間後だと気づきました。慌てすぎてロト7も入れてません。でもこのベーグル自体はごちゃまぜの家のくうきにきっとなじむような気がしていたので、おすきなときに おすきなひとが おすきなだけ ほおばっていただけたら、うれしいなぁと妄想しております。
 
みんなのながれぼしがあつまるつぎの金曜日、どんなじかんになるのでしょう。
ツイキャスでご一緒したいです。
 
みらいをたのしみにしてるっていいですね:)
○○○ ○○○

 

https://www.instagram.com/p/BnvmIu3Fjkp/

ロト7が実際に集まりはじめて感無量です。。福岡からは大量の仕送りをいただきました。。。手紙には「母じゃないけど母的な気持ちで見守っとります・・・福岡から。そして、ごちゃまぜの家が、次の誕生日も、またその次の次もむかえられることをお祈りしています」との文字。。地球の皆様本当にありがとうございます。。。#ごちゃまぜの家 #涙 #luckystar #lifeisgood

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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LINE ID ibaya

運を天にまかせるなら。

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このまま行くと、あと、二ヶ月でごちゃまぜの家は終わる。余命二ヶ月の花家だ。延命措置に未来はない。続く限り続くが、続かなくなったら「その時はその時だ」とすべてを受け入れる態度で、決して、しがみつきたくはないと思っていた。しかし、しがみつかないという生き方は「すべてに対して無責任な生き方」にも通じるような気がする。ちょっとでも気に入らないことがあれば、すぐ、次に移ってしまうような在り方は、さて、いかがなものだろうか。

 

 

執着を生まず、かつ、同時に『大事にしたいものは大事にする』という生き方をしたい。この家も、できることならばいい感じで続いていけばいいと思う。いい感じで、というところが超重要だ。眉間にシワを寄せるような感じでは、緊張感を連鎖させるような状態では、活動を続けたくない。しかし、容易に諦めることもなにかが違う。いま、置かれている苦境は、要するに金銭的なものになる。が、私はお金が欲しい訳ではないのだと思う。お金より欲しいもの、それは勇気、それは君が見た光、それは希望なのだと思う(青雲)。

 

ibaya.hatenablog.com

 

その時、(怪我の)光明が差した。

有難いことに、読者の方々からたくさんの心配メールをいただいた。お気持ちが猛烈にありがたかったし、自分はひとりじゃないのだなと思った。あるひとは言う。手伝えることがあったらなんでも言ってください。と。私は感謝をする。感謝をすると同時に、しかし、具体的に何をして欲しいのかということがまったくわからなかった。そのため、取り急ぎ「見守っていてください」的な返信をしていた。ら、その瞬間、私のもとに一通のメールが届いた。

 

タイトル「運を天にまかせるなら」

坂爪さん、こんばんは(^v^)
ブログいつも読ませていただいております
ツイキャスも時間のある時に聞かせてもらってます
 
さっき、スーパーを歩きながら、ふと思ったのですが
金欠打開として、ごちゃまぜの家にみなさんの運を寄せ集めるのはどうかなと
 
具体的には、宝くじ1枚を贈ってもらう
 
1枚100円から300円くらいですよね
 
いくら当たるか面白いかな〜〜なんて
 
 
 
こんなアホみたいな案でスミマセン
 
スル—していただいて大丈夫です(^o^)
 
 
お身体たいせつに
 
○○○○

 

私は、正直に言うと、このメールを読んだ時は「あはは」と笑って受け流しかけた。が、冷静になると、あれ、もしかしたら、もしかしたらこれは最高のアイデアなんじゃないのかと思った。そして、考えれば考えるほど「これは最高だ!!!!!」という思いにあふれた。ので、その場にいた人々にこのアイデアを話した。ら、彼らも一様に「こ、これは・・・それはもしかしたらレインボーアンサーかもしれませんね!(注・レインボーアンサーとは、深刻な顔をしながら解決策を考える種類のものではなく、極めてポップなやり方で『楽しみながら、気が付いていたときには問題がめっちゃいい感じに解決すること)」との反応。そこで、私は、音速で返信をさせていただいた。

 

素晴らしすぎる提案をありがとうございます!!!!!
 
ものすごい素晴らしいです!!!!!
 
ちょっと採用させてください!!

 

そして我々はツイキャス配信をした。テーマは「余命二ヶ月のごちゃまぜの家を、宝くじで救え!」的なものになります。自分たちも「宝くじという、なんとも言えずばかっぽい解決策が最高だな〜!」という気持ちで、終始笑顔で配信することができた。私は、まだ、宝くじなんて購買したことがない。宝くじに対しても、ギャンブルと言いますか、どうせ誰かの金儲けになるのだろうくらいに思っていた。が、宝くじを「自分のためではなく、誰かのために(それこそ遊び感覚で)買ってそのひとに贈る」という行為は、なんと言えばいいのだろうか、最高の遊びだと思った。すると、そのタイミングでメールの返信が届いた。その内容に、思わずわたしは吹き出してしまった。ああ、最高だなあと思ったのだ。

 

ほんとですか!わーいヽ(^o^)丿
どうであろうと勝手に“わたしの1枚”を贈ろうと思ってました(^^)
 
このまえのNOTEの飲尿、わたし、やってみました
さいしょ、ちょっと飲むだけだったんですが
やっちゃえ日産!みたいな気分で、顔もバシャバシャ洗って目にも入れてみました
全然たいしたことなかったです
やるまではこんなこと絶対無理なことも
一線を越えてしまえば、なんてことないですね
めっちゃ面白かったです 顔を洗った後しばらくおかしくって爆笑でした
有難うございました!

 

やっちゃえ日産!(いいなあ。。。)

 

🌸🌸🌸 ツイキャス配信はこちらから聞けます 🌸🌸🌸

 

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🌸🌸🌸 話題にあがった「飲尿の話」はこちら 🌸🌸🌸

 

note.mu

 

やっちゃえ日産!(ごちゃまぜの家の救い方)

みなさまにお力を貸していただけたらとても嬉しいです。とても嬉しいと言いますか、これは不謹慎な言い方なのかもしれないのですが、なんだかとっても『楽しい』です。良いことも、悪いことも、楽しみながら取り組むことができるのではあれば「きっと、すべては遊びになる」のではないのかなと、私は希望を感じています。以下に、ごちゃまぜの家を救うゲームの参加方法を、小生、僭越ながらご説明させていただきます。

 

1・最寄りの宝くじ売り場に行きます。


2・店員さんに「第283回(これ大事!今回はこれでいきます!)のロト7を一口買いたいのですが、はじめてなので要領がわからないので、お手間ではありますが買い方を教えていただけないでしょうか」と誠意を込めて伝える。


3・(宝くじ売り場のひとはめっちゃいいひとが多いから)店員さんに買い方を聞く。

※※※ 私からも説明をさせていただくと、ロト7とは、マークシートみたいな紙に1〜43まで番号が買いてありますので、そのなかから自分がピン!と来た7つの数字を塗り潰します。そして、塗り終わったら店員さんに渡します。その時、料金を払います。一口三百円なので、三百円を払うことになります。 ※※※

 

4・自分の好きな番号を7つ、念をこめまくって選びます。そして塗りつぶします。この時に込めた念が、思いが、全身全霊の祈りが、もしかしたら、ごちゃまぜの家の窮地を救うことになるかもしれません!きゃー!是非、ここぞとばかりに「うおらー!」と、森羅万象あらゆるエネルギーを総動員しながら数字を選んでいただけたら非常に幸いです。。

 

5・塗りつぶした紙を店員さんに渡し、三百円を払います。すると、店員さんが一枚の紙切れをくれます。その紙切れに、自分が選んだ番号が印字されています。これこそが『夢の引換券(当選した場合、必要になる紙)』になります。

 

ごちゃまぜの家からのお願いとしましては、この時に受け取った紙切れを、夢の引換券を、明日への光を、ごちゃまぜの家に郵送(もしくは実際に手渡し)していただけたら最高にうれしいです!!ということです!!

 

ああ、書きながらニュアンスをうまく伝えられないもどかしさ。。。

 

頑張って説明を続けます。まず、宝くじで苦境を脱そうとするあほさがとてもいいなあと感じています。こういう解決策が個人的にツボです。そして、もしも、もしも全国から宝くじが贈り届いてくることになるとしたら、それは『まるで流れ星が飛びまくっているみたいだ!』という風に思えること。自分のためではなく、誰かのために宝くじを買うという(祈りにも似た)尊さ。遠く離れている、まだ会ったこともない人々が、ひとつの企画を通じてつながることができるということ。悲壮感を漂わせながらではなく、楽しみながら問題に取り組めること。問題と仲良くなること。そして、このゲームに参加することで「結果が気になるから当選日までは生きよう」と思えること。それがそのまま『生きる希望』になるということ。など。もう、挙げたらキリがありません。

 

これだけのことをお願いしておきながら、我々にお返しできることはとても少ないです。郵送で贈っていただいた方には、まず、天仰ぎながら両手をあわせて死ぬほど感謝をいたします。そして、全身全霊であなたの幸福を祈ります。そして、簡単なお手紙程度ではありますが(そして字がめちゃめちゃ下手ですが)御礼のお手紙を書かせていただきます。電話がいいという方は、電話でお礼をお伝えさせてください。実際にごちゃまぜの家まで持って来ていただいた方には、全身全霊で握手をさせてください。そして「ありがとうございます」としっかり目を見てお伝えさせてください。ごちゃまぜの家の住所は以下になります。一緒に楽しんでくださる方のご参加をおまちしております!!

 

〒222-0012

神奈川県横浜市港北区富士塚2丁目24-5

坂爪圭吾(ごちゃまぜの家)

 

同時進行で「ロト7の結果発表を、ツイキャス配信すると同時に、ごちゃまぜの家まで来れるひとはみんなで一緒に結果発表を見守ろう!」企画を開催します。ロト7は、なんと、毎週金曜日が結果発表日らしいです。これは『毎週億万長者のチャンスがある』ということです(すごい!)。しかし、毎回開催をすることはないでしょう。今回の一回に賭けます。ごちゃまぜの家の散り際を、あたたかく見守っていただけたら幸いです。あと、もしも、もしも「家に使っていない切手が大量にあって困ってるの!」という方がおりましたら、ごちゃまぜの家に贈っていただけたら最高に嬉しいです。みなさまへの御礼に、ありがたく、平身低頭五体投地で有効に活用させていただきます!!

 

🌸🌸🌸 結果発表イベントはこちらです 🌸🌸🌸

ごちゃまぜの家を救え!ロト7結果発表会

 

🌸🌸🌸 ここでもロト7の買い方を話しています 🌸🌸🌸

 

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わたり文庫『まっすぐ前 そして遠くにあるもの』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、銀色夏生著作『まっすぐ前 そして遠くにあるもの』です。素晴らしい一冊です。心が軽くなります。写真も美しいです。全女性に読んでいただきたいと思えるような、そして『全男性に、この本を女性に贈って欲しい』と思えるような、一輪の花のような大好きな一冊です。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、東京都にわたりました ※※※

 

朝になった

 

今日は何かひとつ、

初めてのことをしてみよう。

 

 

いつかじゃなく 今 やさしくしよう

 

楽しんでやりましょう

 

どうやって

それを楽しくできるか考えてみましょう

 

うれしそうだけど

 

なにかいいことしようとしてんの?

それともなにかたくらんでる?

 

文句を言う前に

 

文句を言う前に 立ち止まって考えよう

それは本当に悪いことか

 

こまったなあ

 

こまったなあって思ったけど

別にこまらなくてもいいか

 

待つことをやめよう

 

待っていたものは

もうここにあったと思うことにしよう

 

新しい人生

 

人が新しい人生に歩み出そうとするとき

っていいよね

 

未来会議

 

未来のことを会議しよう

楽しいこと

うれしいこと

こうなったらいいなと思うこと

現実を忘れて

ただ無邪気に夢想しよう 

 

銀色夏生『まっすぐ前 そして遠くにあるもの』【幻冬社文庫】

 

ごちゃまぜの家日誌もよろしくお願いします。

 

gochamaze.hatenablog.com

 

運を天にまかせるなら。

世界は心を写す鏡。自分の心が曇っていれば、世界も曇って見えるだろう。不信感、不安感を世界に投じるだろう。しかし、自分の心に光がさせば、途端に世界は輝きを帯びる。世界は常にそこにあるのに、自分の心理状態ひとつで、輝いて見えるときもあれば曇天に見えることもある。だからこそ、月並みな言葉になるけれど「世界は自分がつくっている」のだと最近は思う。言い方を変えれば、天国は1秒で作れるということ。世界は、自分の好きなように生きることができるのだ。

 

 

ごちゃまぜの家存続の危機を迎えた瞬間は、続くのも、終わるのも、自分はどちらでもいいと思っていた。変に固執をすることで、執着になってしまうことを恐れていた。しがみつかない生き方をしたいと思っていたからこそ、私は、常に「どちらでもいい」という道を選ぶ傾向にあった。しかし、どちらでもいいと思うもっと奥の方では、また別の感情があることを知った。それは「すべてのものが、いい感じで続いて欲しい」と願う思いだ。冒頭でも買いた通り、眉間にシワを寄せてまで、悲壮感や「自分はこんなに頑張っているのに!感」を漂わせてまで続けたいとは思わない。しかし、どのような状態に置かれても「楽しみながら、笑いながら『いい感じで』続けていける道を模索したい」という希望を捨ててはいけないのだと思った。

 

 

ここまで考えた時、ああ、これは人間に対しても同じだと思った。 私は、すべての人々が『のびのびと、いい感じに生きることができる』世の中になればいいと思う。自分の尊厳を健全な形でたもちながら、競争ではない共創の社会(時折なら狂騒もOK!)。誰かに対して、健やかなやさしさをスッと差し出すことができる世の中。正義と正義で戦うのではなく、新しい遊び方を一緒に開発していくような世の中。働くということが、嫌なことでも我慢をする必要のあるものではなく「自分が好きなことを極める」「それによって誰かを笑顔にする」ものである世の中。そんな風になればいいと思う。自分にできることはたかがしれている。時には『祈ることしかできない』とさえ感じる瞬間もある。しかし、冷静に考えて見ると思う。祈ることしかできないのではない。我々は、祈ることができるのだ。どのような状態に置かれても、祈ることはできる。そのことを忘れてはいけないのだと思った。

 

 

https://www.instagram.com/p/BnpBoVrFDPC/

過去のことは過去のこと。毎日が、新しい人生のはじまりだ。 #atami #sunrise #lifeisgood

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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LINE ID ibaya

ひとりになるな。ひとりになったら死ぬ。

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人生の財産とはなんだろう。金も名誉も豪華な家や車も、もちろん財産になり得るのだと思う。自分の場合、最高の財産は「一緒にめちゃめちゃやれる友達の存在」だと思う。一人でいると、どうしたって深刻になったり真面目に考え過ぎる。そんな時、友達の存在は教えてくれる。どうしたんだい、けいご坊や。どんな状態でも笑えるってことを忘れるな。俺達は、まだ、めちゃめちゃやれる年頃なんだよ。

 

 

ごちゃまぜの家存続の危機も極まってきた。諸事情が爆発して、運営資金がゼロに(プライベートも含めたら真っ赤っかに)なったのだ。油断をしていると「終わったな」と腹を切りたくなるが、否、これははじまりの合図である。いよいよである。ゼロになってからが正念場なのだ。これからは、金策的な日々を過ごすことになるのだろう。おそらく、近日中に労働を(5年ぶり位に!)再開することにもなる。時給というシステムは地獄だと思って怯え続けていたけれど、事情が事情である。のっぴきならないという古風な言語が、脳内をリフレインをしている。

 

ibaya.hatenablog.com

 

諦めたら家でお昼寝だよ。

ごちゃまぜの家のコンセプトとか、理想とするあり方を説明することは難しい。いままでにないことをやりたいんだという思いからはじめたが、誰でも無料で使える家、誰でも無料で泊まれる家、誰でも無料でメシが食える場所である的な説明をすると「無料のゲストハウスってことですね」みたいな認識をされる。ちょっと違うのだけれど、しかし、なにが違うのかを説明できない。結果、誰も、ごちゃまぜの家がなんなのかを知らない。

 

金がないなら利用料を取ればいいじゃないかと言われる。レンタルスペースとして1日数千円で貸し出したり、民宿みたいにお金をとったり、ファンクラブみたいなコミュニティを作って会費を取ればいいじゃないか。と。しかし、どれもピンとこないからやらなかった。ごちゃまぜの家は「存在していることに価値がある」と思って存続を続けてきた。いままではそれでよかった。が、いよいよ運営資金が尽きた。存在しているだけではいいとは、なかなか言い切れないビターな状態に置かれている。さて、どうするのか。お前はどう生きるのか、が、問われているのだと思う。

 

今後の動きについてツイキャス配信で説明を試みた。結果的に抽象的な話に終始したが、少しでもごちゃまぜの家のあり方を把握してもらえたら嬉しい。私は、一泊いくらとか値段を決めて誰かに泊まってもらいたいとは思わない。あるひとは「一泊2000円とかとればいいじゃん」と言う。しかし、値段をつけると値段が全部になるみたいだから嫌だ。先日、ごちゃまぜの家に泊まった男性が「お世話になりました」という置き手紙と一緒に、二千円をテーブルの上に置いて帰った。同じ二千円でも、宿泊費が二千円と決まっているから払われた二千円と、宿泊費は無料であるにも関わらず「なんだかめっちゃよかったから二千円を置いて帰りたい!」と思って差し出された二千円では、金額は同じでも込められた意味はまったく異なる。形式によるものではなく「自発的にそうしたくなった」という、湧き上がる純粋な気持ち(通称・あふれちゃん)を大事にしたいのだと思う。

 

twitcasting.tv

 

コミュニケーションがすべてである。

WEBサービスを活用すればいいじゃないかとも言われる。ファンクラブサイトみたいなものがある。有志が、月額、自分が払いたい金額を払ってサポートをするシステムだ。便利だな、とは思う。必要事項を入力して、払いたい金額を打ち込み、送金ボタンを押せば、わざわざごちゃまぜの家に足を運ばないでも(自分がいまいる場所から)活動をサポートできる。便利なシステムだとは思う。が、しかし、私は「なにか一番肝心な部分を、人間がやるべき部分を、機械が代わりにやってしまっているのではないか」的な気持ちを拭い去ることができない。では、一番肝心な部分とはなにか。それはコミュニケーションだと思う。

 

家がない生活をしていたとき、周囲から「無料で泊まれるカウチサーフィンとか、住み込みで働けるWWOOFのサービス(いわゆるマッチングサイト)を使えばいいじゃないか」と散々に言われた。しかし、私は嫌だった。需要と供給が一致をするから、とか、利害関係が一致をするから、という理由で取引を行うことに抵抗があった。繰り返しになるが、世の中が便利になるほどに「本来であれば人間が面と向かい合ってやるべき部分まで、機械が代わりにやるようになってしまっている」と感じることは頻繁にある。要するに、私は、コミュニケーションをとりたいのだと思う。利害が一致をするから一緒にいるのではなく、コミュニケーションをとることで(利害を超えたところで)一緒にいることができる、という、そういう関係性を求めているのだと思う。

 

そう思って活動を続けてきたのだが案の定資金は尽きた。想定の範囲内と言えば、想定の範囲内でもある。これは時間の問題である。無料でなにかを連日振る舞い続けていれば、やればやるほど赤字になる。当然のことだ。そこでどう動くか。それが問われている。まずは身近な方々に土下座をしてまわりたいと思う。「なにかしらのかたちでごちゃまぜの家に関わってもらえたらうれしい」とか「いままでよりも近い距離で、あなたと付き合っていきたい」みたいなことを言いながら頭をさげるのだと思う。運営資金は尽きた。しかし、ごちゃまぜの家を終わらせるつもりはまったくない。合言葉は『Remember JOE(新島襄を思い出せ)』である。誠心誠意があれば道は開ける。要するに、純度が問われているのだと思う。

 

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わたり文庫『ちいろば先生物語』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、三浦綾子著作『ちいろば先生物語』です。近年稀に見る半端ない名著です。実在する牧師の尋常ならざる生涯を綴り尽くしたこの一冊。読めば確実に希望と勇気を感じ取ることになるでしょう。小生、この本を読み、生きうる限り生きて自分の最善を尽くして死にたいのだと、思いを新たにいたしました。奇跡は起こり得るのでございます。自分が置かれている苦境なんてちっぽけなものだと、生きる力をいただきました。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、東京都にわたりました ※※※

 

神に従うとは、自我を捨てることや。

 

三浦綾子『ちいろば先生物語』【朝日文庫

 

ごちゃまぜの家日誌もよろしくお願いします。

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gochamaze.hatenablog.com

 

ひとりになるな。ひとりになったら死ぬ。

税務申告のミスと言えばいいのだろうか、いろいろあって現在の私は(無収入の身でありながら)毎月の保険料を6万円くらい払わなければいけない状態にある。健康保険を停止することも考える。最近、寒暖差の影響なのか体調不良でのどが痛い。カラダが弱ると弱気になる。自分のような人間は、体力がなければ生きていけない。カラダは資本だとガチで思う。健康を失ったら即刻退場である。同時に、精神面のケアも必要だ。何事も自分ひとりで背負いこまないこと。新潟生まれの我々には「ひとりになるな。ひとりになったら死ぬ」という危機感(というか弱さ)が人一倍ある。

 

状況だけみたら結構悲惨なのだが、同時に、この状態を楽しめている自分も感じる。「また、はじまったな」と思っているこの感覚。過去に家のない生活を2年間続けた。あのときの感覚と少しだけ似ている。苦境は好機だ。渦中にいるときは結構しんどいが、振り返って見ると「あのときの苦境が、自分の、人間としての器を大きくしてくれた」ことは頻繁にある。大事なことは希望とユーモア(あとは感謝)を見失わないことだ。どのような状態に置かれても、心は自由に遊ばせること。そして「どんな未来になったら嬉しいかな??」と、無邪気に空想を膨らませる余白を、胸に抱き続けること。

 

腹をくくったからかなんなのか、体調も悪いしカネもないけどこころは晴れ晴れとしている。なるようになる。否、人生はなるようにしかならないのだから、すべては神にお委ねをして、迷わず、恐れず、自分なりの最善を尽くすばかりである。では、最善とはなにか。私はクリスチャンでもなんでもないけれど、それは『神の愛を伝える』と言う言葉で表現をするときにしっくり来る。俺の愛ではない。俺の成功でもなければ、俺の功績でもない。自分を通じて神の愛を伝える(神の愛を伝える道具になる)ことである。みたいなことを書くと「坂爪圭吾の言うことは宗教じみていてキモい」などと批判も受けるが、もう、どれだけ笑われても平気である。自分には信じているものがあるのだから。あとはもう、それを貫くばかりである。

 

 

https://www.instagram.com/p/BnYQTOdlM4f/

真心を込めたおもてなしをいたします。 #神奈川 #横浜 #菊名 #ごちゃまぜの家 #おもてなさないのがおもてなし #弥生派はあきとさん #縄文派はけいごさん #みなさまのお越しをお待ちしております #服可愛いでしょ #昨日福岡から来たひとからプーケットのお土産だよって貰ったの #謝謝forcoming #象 #lifeisgood

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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誰もいないところに、神様はいる。

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私には4歳年上の兄がいる。複数の著作を残しているため、ご存知の方も多いかもしれない。兄に対する尊敬を深めたエピソードがある。当時、まだ、知名度もなにもなかった兄は、地域センターのような場所を借りて毎週学習会を開いていた。しかし、どれだけ告知を重ねても、どれだけ精魂込めた準備をしても、最初の頃はおとずれるひとは0人だった。しかし、それでも兄は、まるで目の前に大勢の人々が集まっているときと同じように、たったひとり、誰もいない空間で講座を続けていたのだという。

 

 

兄が準備に傾ける情熱は、はたから見ていてもすごいものだった。大量の書籍を読み、家のなかをあちこち歩き、講座で話す予定の内容をぶつぶつぶつぶつ延々と繰り返す。その姿は、まるで自分の精神に見えない刺青を彫っているようにも見えた。誰も来ないかもしれない講座に、なぜ、これほどまでの情熱を傾けられるのかと私は不思議だった。しかし、同時に、心を打たれずにはいられないなにかを感じていた。結果、兄の講座には何ヶ月も来場者0人の日々が続いた。しかし、兄は、諦めることなく講座の準備を続けていた。

 

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生き甲斐となりえるもの。

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三日間、熱海で無料【0円】の食堂を開いた。誰も来ないかもしれないという不安も抱きながら、同時に、誰も来なくても構わないという思いで実験的に開催をした。兄の影響も大きかったのかもしれない。量的な価値以上に、質的な価値を大事にしたい。結果、三日間でそれなりの数の人々と会うことができた。大阪からはるばる新幹線で来てくれたひともいた。参加できない代わりに「これをみんなで食べてください」と、小包を郵送してくれた方もいた。ひとの優しさ、まごころのようなものに触れると心が打たれる。いろいろなことを感じたが、総じて「熱海食堂をやってよかった」と思った。

 

愛に生きるひとは、相手に感謝されようとされまいと、相手の生のために自分が必要とされていることを感じるときに、生きるはりあいを強く感じる。これまた反響への欲求の大きな満足であろう。そういう意味では、親は子に感謝しなければならないわけである。ひとは自分が世話になったひとよりも世話をしてやったひとのほうをこころよく思うものだ。(「生きがいについて」神谷美恵子)

 

熱海食堂に来てくれた方が、もっと、ひとりひとりがのびのびと生きられる世の中になればいいという思いを話してくれた。心理学者・神谷美恵子は、その著作『生きがいについて(みすず書房)』の中でこのように言う。「わざわざ研究などしなくても、はじめからいえることは、人間がいきいきと生きて行くために、生きがいほど必要なものはない、という事実である。それゆえに人間から生きがいをうばうほど残酷なことはなく、人間に生きがいを与えるほど大きな愛はない。」と。人間から生きがいをうばうことほど残酷なことはなく、人間に生きがいを与えるほど大きな愛はない。かみごたえのある言葉だと思う。凄い言葉だと思う。

 

「私が自分を中心にものごとを考えたり、したりしている限り、人生は私にとって耐えられないものでありました。そして私がその中心をほんの少しでも自分自身から外せることができるようになった時、悲しみはたとえ容易に耐えられるものではないにしても、耐えられる可能性のあるものだということを理解できるようになったのであります。」(パール・バック)(「生きがいについて」神谷美恵子

 

生き甲斐となりえるもの。それはなんだろうか。思い浮かぶキーワードに『利他』というものがある。これは『奉仕』とも言い換えることができるかもしれない。私は、奉仕にも似た気持ちで熱海食堂を開催した。しかし、未熟な私は、すぐに「このひとには優しくしたいけど、このひとには優しくしたくない」という心理が働く。ひとといたいと思いながら、同時に、すぐにひとりになりたいと思う自分がいる。まだまだだなと思う。ただひとつ、思うことは「ひとはひとによって疲れるが、ひとはひとによって元気になる」ということだ。だから、私は、懲りずにこのような活動を続けているのだと思う。

 

わたり文庫『思うとおりに歩めばいいのよ』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、ターシャ・テューダー著作『思うとおりに歩めばいいのよ』です。言葉も素晴らしいですが、なにより掲載されている写真が素晴らしいです。理想とする生活を過ごすことは、そんなに難しいことなのだろうか。ただ、自分が、自分に「好きなように生きる」ことを許可することさえできれば、実は、いますぐにでも実現することができるのではないだろうか。と、そのようなことを思いました。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、大阪府にわたりました ※※※

 

みんなが本当に欲しいのは、物ではなく心の充足です。幸福になりたいと言うのは、心が充たされたいということでしょう。わたしは、ここの何もかもに満足しています。家にも庭にも、動物達にも天気にも、バーモントのすべてに。

 

家族でおもしろ半分に、スティルウォーター教という宗教を作りました。スティルウォーター(じっと動かない水)と名づけたのは、ストレスのない平安な生活を信捧する、という意味。スティルウォーター教徒は、生活を楽しみます。重荷にしてはいけません。第一の戒律は、フラ・ジョバンニの言葉「世の中の憂鬱は影に過ぎない。その後ろ、手の届くところに喜びがある。喜びをつかみなさい」

 

これまで、よくやってきたと思いますが、みなさんにお伝えするようなメッセージはありません。もし、わたしに人生哲学のようなものがあるとすれば、ソローの言葉がいちばんよく代弁しています。「夢に向かって自信をもって進み、思い描いた人生を生きようと努力するなら、思わぬ成功を手にするだろう」まったくそのとおりです。この言葉は、わたしの人生そのものです。

 

ターシャ・テューダー『思うとおりに歩めばいいのよ』【メディアファクトリー

 

ごちゃまぜの家日誌もよろしくお願いします。

 

gochamaze.hatenablog.com

 

誰もいないところに、神様はいる。

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ごちゃまぜの家が活動を続けて居られるのも、周囲の人々の支えによるところが大きい。ごちゃまぜの家管理人を無償で務めてくれている稲村彰人の存在や、仕事で疲れているにもかかわらず惜しみない献身を捧げてくれるよしえさんの存在。ごちゃまぜの家の住人の方々や、管理などの負担を請け負ってくれる不動産の方々。様々な手土産などと一緒に足を運んでくれる方々や、家の掃除や料理などを手伝ってくださる方々や支援者の方々。そしてもちろん、いま、この記事を読んでくれているあなた(そう、目の前のあなた!)の存在。

 

「わざわざ外面的に変化の多い生活を求めなくとも、じっと眺める眼、細かく感じとる心さえあれば、一生おなじところで静かに暮らしていても、全然退屈しないでいられる。エミリー・ブロンテは一生同じところで変化に乏しい生涯を送ったが、あの烈しい情熱と波瀾に富む「嵐が丘」を創り上げる心の世界をもっていた。」(「生きがいについて」神谷美恵子)

 

実は今、1年数ヶ月活動を続けて来たごちゃまぜの家が、存続の危機に瀕しています。詳細はまだちょっと書けないのですが(時が来たら書きます!)、この記事を読んでくださっているあなたに祈りのお願いをさせてください。みなさまにとって必要なものであれば続き、必要とされなければ終わるまでのこと。そう思って、ごちゃまぜの家の活動を続けて来ました。いま、ちょっとした危機に瀕しているごちゃまぜの家が、続くべきものならば続くことを、滅びるべきものならば滅びることを、坂爪圭吾というひとりの人間が、つまらない保身のために生きるのではなく、真理のために生きることができるように、祈っていただけたらうれしいです。

 

「ひとは死が無理に断ち切るであろうもろもろの絆を、あらかじめみずからの心のなかで断ち切ることを学ぶ。それができれば、その瞬間に身もかるがるとする。そしてひとびととの残るわずかの共存期間は、その覚悟ゆえにいっそうその内容のゆたかさを増す。」 (「生きがいについて」神谷美恵子)  

 

あるかないかわからないものより、目に見えるものにひとは集まる。自分自身もまた、それによって惑わされる。もし、お金を稼ぐ講義と、精神性を磨く講義があれば、ひとは前者の講義に集まるだろう。美しくなる講義、異性から好かれる講義に、目に見える結果が期待できる講義に、ひとは集まるだろう。でも、私は、見えないものを見る力を養いたい。収入の大小、集客の大小より、質的な大小を問題にしたい。誰もいない空間で、誠心誠意を込められる人間になりたい。見るひとがたくさんいるとか、それだけじゃない。そこに、どれだけ自分の誠意が込められているか、そこに、どれだけ見えないものを見ようとする意思を込めることができるか、が、そこにある聖性を導き出すことになるのだと思う。誰もいないところに、神様はいる。誠心誠意を込めることによって、道は開くのだと思う。

 

 

親愛なる坂爪さんへ

 

こんにちは!先日はごちゃまぜの家にお邪魔しました。


坂爪さんにお会いできてとても嬉しかったです!

 

ごちゃまぜの家の素晴らしさは、あの場所へ行った人にしか理解し得ないものだと、本当に心底ド肝を抜かれた気持ちです。(あぁ〜どうしても気持ちを言葉にできない!!!もどかしさで悶えます💧)

 

まず、菊名の駅からごちゃまぜの家に辿り着くことがあれ程困難とは思いませんでした。地図にはあるのに、行けない!?と同じ道を行ったり来たりしました。なんんだか、ごちゃまぜの家の守り神さまに〝お前はここへ来られるか?〟と試されているような気がして笑えました。

 

ああ、これはきっと、目だけ頭だけで探すな、ということだと気づきまして、一生懸命Googleマップで探している同行者の放置して(○○さん、ごめんなさい!!笑)、こどもと2人で風を辿りました。〝神さまがいるとしたら何処だろう?〟そう思って見上げた先に、鎮守の森のような不思議な空間を感じました。それがごちゃまぜの家だったんですね。何と言うか、まるで下界から天界を見上げているような感覚でした。

 

一段一段、階段を踏む度に、

 

生きていて良かった!

生まれて来て良かった!!

ここへ来れて良かった!!!

 

そんな喜びに満たされていきました。

 

暑くて汗は吹き出し、歩き回って息はあがっているのに、この上なく幸せな気持ちに包まれていたんです。そして数時間ですが、滞在させていただいて、初めてお伺いしたお家にもかかわらず、懐かしくて、優しくて、安心できる、おっきな〝おかあさん〟に抱かれて守られている子供のように、たくさんの愛をいただきました。このような経験は生まれて初めてでした。(わたしはこの世に生まれてから、極々最近まで、愛されたと感じた経験がなく、愛するということも理解できずに生きてきました。)

 

こどもという素晴らしい命を預かって、愛するということはどういうことだろう・・・?と日々思い巡らせてきましたが、ごちゃまぜの家はそのままのわたしを受け入れてくれました。彰人さんも、坂爪さんも、ただ、そこに居てくださいました。

 

「何もありませんが」と坂爪さんはおっしゃいますけど、わたしはそうは思いません。

 

ごちゃまぜの家には、余分なものは何もないかもしれないですが、優しさや赦し、受け入れてもらえる安心感、そのまんまありのままでいいんだと思える勇気、そういった生きていく上で大切なものが全てそこにある気がします。偉大なる母のようです。

 

逢初庵は(まだお伺いしたことないですけど)偉大なる父のような気がします。ごちゃまぜの家はどんな人でもそのまま受け入れてくれる空間で、逢初庵は誰でも行って良い空間ではないというか、畏敬の念を持って粛々と訪れる空間のような気がします。きっと逢初庵の方から、訪れる人を選ぶのかもしれません。(勝手な想像ですけど。笑)

 

次回は逢初庵に受け入れていただけるよう、日々やりたいことをやりたいだけやって、今日を生きようと思います!!最後になりましたが、わざわざタイミングを合わせてくださって、帰りは駅まで送っていただいて、本当にありがとうございました!!

 

どうぞ坂爪さんとごちゃまぜファミリーのみなさまに神のご加護がありますように!!

 

祈りしています!

 

それでは。また。

 

〇〇

 

崇高な道を選べば、必要なものは与えられる。#atami #rainbow #lifeisgood

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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星に願いを。生活に祈りを。

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人間も天気もきっと同じだ。晴れの日もあれば、曇りの日もある。それを「晴れじゃないといけない!(いつも元気でいなければ!)」などと思ってしまうから、自責の念が生まれたり、自分を取り繕ってみたり、誰かと比べて自信をなくしたりするのだろう。生きている限り、雨の日もあれば、嵐の日もある。でも、それは悪いことではない。あがる日もあれば、さがる日もある。それが自然だ。それが『当たり前のこと』なのだと思う。

 

 

ここ数日、体調不良で寝込んでいた。失って気付く。健康は資本だ。病床で『かもめ食堂』を読んでいた。大好きな小説だ。北欧に足を運びたくなる。この「なにかをしたくなる」という透明で前向きな気持ち、ああ、これが希望だなと思った。生きていればまた北欧に足を運ぶことができる。そう思うことが『生きる力』になる。希望がなければ、多分、体調不良も治らない。同時に、もうひとつの希望が生まれた。かもめ食堂を読んでいたら「熱海食堂をやりたい」という思いが、自分の内側からふつふつと湧き出した。

 

ibaya.hatenablog.com

 

熱海食堂開催のお知らせ

私は料理が不得手である。が、自作のあずき玄米と、自作の味噌汁は「なぜか最高にうまい!」と絶賛していただけることが多い。これに気を良くした私は、ああ、別に豪華な料理は出せないけれど「あずき玄米と具沢山の味噌汁とつけあわせの一品」程度の素朴な飲食店ならばできるかもしれない、などと思った。お客さんからお金をとると『営業』ということになるので各種届け出が必要になるけれど、すべてを無料で振る舞い続けている限り営業許可を出す必要はない(だって、営業をしていないのだから)。

 

それならば、一回試しにやってみよう。ということで、熱海駅徒歩20分の逢初庵で『熱海食堂』を期間限定で開催することに決めました。基本的なメニューは「あずき玄米と味噌汁となにか一品」という素朴極まりない内容になります。あとは、家にあるお茶や珈琲を出す程度しかできない飲食店になります(お金をとらないからお店とも言えない。これは『おままごと』みたいなものだと思う)。こういうやり方、もしかしたら、自分以外にも「やりたいと思っていた!」みたいなひともいるのかもしれない。そういう人と出会えた時は、逢初庵を常時開放して「常に誰かが料理をしている無料で飲食できる空間」みたいな感じで、機能をしたりするのかなあなどと夢想をしています。

 

お金さえ取らなければすぐに開業できる。すぐに夢をカタチにできる。これはちょっとした発見だと思った。無料でやれば、数日後には夢を叶えられるのだ。熱海食堂では、話したいひとは話し、読書をしたいひとは読書をし、昼寝をしたいひとは昼寝をする。家でもあり、カフェでもある、止まり木のような空間だ。逢初庵の近くには、伊豆山神社や走り湯温泉浜浴場もある。熱海食堂は肌にあわなかったとしても、伊豆山神社に行き、温泉に入り、海を見て帰る。それだけでも結構なリフレッシュになると思う。あとはもう『実際にやりながら考える』道を選びたい。仲間が増えたらうれしいと思う。が、まずは自分から。興味のある方は、どなた様でもお気軽に遊びに来てください。

 

熱海食堂(実験開催!)

 

日時・9月7日(金)から9日(日)10時〜18時頃

場所・逢初庵(あいぞめあん)

住所・静岡県熱海市伊豆山302

JR熱海駅より徒歩20〜30分。熱海駅前4番バス乗り場から乗車5分・バス停「岸谷」から徒歩3分程度。駐車場がありませんので、各種公共交通機関をご利用ください。

参加費・無料【0円】

 

初開催になるために諸々の不手際が予想されます。根本的に「やりながら考える!」スタイルを採用しておりますため、そういうあり方を歓迎してくださる方々のお越しをお待ちしております。場合によっては品切れになっている可能性もございます。その際は「ま、いっか!」と軽く受け流していただけましたら幸いです。

 

遠方からお越しになる方々など、逢初庵に宿泊をしていただくことも可能です(無料)。だがしかし、その際は庵主・坂爪圭吾と同部屋で雑魚寝という形式になりますため、宿泊希望者の方に限りましては、事前にご連絡をいただけましたら幸いです。お風呂もあります。トイレもあります。

連絡先・坂爪圭吾(さかつめけいご)

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🌸🌸🌸 9月30日はわたり食堂【0円食堂】を開催します 🌸🌸🌸

 

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わたり文庫『かもめ食堂

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、群ようこ著作『かもめ食堂』です。まだ読んだことのない方は是非!こころから是非!そして、過去に読んだことがある方も「もう一回読んで見たらまた違うよ!っていうか、同じ感動を再び味わうことができるよ!」と、坂爪圭吾は訴えます。私は読書が好きな方だとは思うけれど、毎回、素晴らしい本と出会える訳ではない。だからこそ、素晴らしい本との出会いは「まじでうれしー!」という気持ちになります。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※

 

「ああいうのもいいけど、本当に人が食べる毎日の食事って違う」

 

それがサチエのテーマになった。母が漬けていた糠味噌漬けもひきついだはいいが、どんどん味が悪くなっていって、あせった時期もあった。それでも試行錯誤して糠床に昆布を足したり、ときには魚の頭もいれたりして、何とか元に戻した。

 

「私、おいしい御飯とお新香とお味噌汁があれば、何もいらないな」

 

と学校でいったら、

 

「おばあさんみたい」

 

と笑われた。サチエにとっての究極の食事はこれだった。研究がてら、いろいろな店で食事をしても、素材を油や調味料でごまかしているものが多くて、サチエにとって濃い味付けが多かったが、クラスメートはそういう味の濃いものを、おいしいと喜んで食べていた。みんな薄味よりも濃い味のほうがずっと好きで、食物科に通っていながら、自分の食事はいつもカップ麺という子さえいた。

 

「華やかな盛りつけじゃなくていい。素朴でいいから、ちゃんとした食事を食べてもらえるような店を作りたい」

 

勉強をしていくうちに、だんだんサチエの夢はふくらんでいった。

群ようこかもめ食堂』【幻冬舎文庫

 

自伝風物語もよろしくお願いします。

 

 

 

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ごちゃまぜの家日誌も(現時点では)毎日更新中! 

 

gochamaze.hatenablog.com

 

家、あたたかな循環が生まれる場所。

横浜在住のN様から「未使用のホットプレートをあげます」とご連絡をいただき、N様のご自宅にお邪魔をした。私の生活はいただき物で成り立っている。本当にありがたいと思う。感謝の思いを伝えると、N様も「ありがとうございますはこちらの方です。けいごさんとお会いするようになってから、私の生活も大きく変わったんですよ。いままでは自分の手料理に自信なんてなかったけれど、わたり食堂に参加をしてから、誰かに自分が作った料理が食べてもらえることとか、美味しいと言ってもらえることの嬉しさを知りました」とのこと。私は、ああ、素晴らしいなと思った。N様は続けて話す。

 

・・・ それからというもの、元気をなくしている友達がいたら「うちに来て、ごはんでも食べていきなよ」って声をかけるようになりました。私はあんまり頭がよくないから、具体的なアドバイスを与えることはできないけれど、あたたかいごはんを食べさせてあげることはできるなあって。それと、私は、昔から父親との関係があまり良くなかったのですが、母親が病気になり、実家に手料理を届けるようになったんです。すると、料理を通じて父親との会話が生まれたりして、悪くなっていた関係がゆっくりと修復されつつあるというか。料理を作ることを通じて、静かに、穏やかに、たおやかに、前向きに自分の生活が変わっていることを実感しています。 

 

素晴らしい話だと思った。なんだかすごいよくわかるなあと思った。ごはんを食べさせると言うことは、極端に言えば「お前はもっと生きろ」と(言葉ではなく料理を通じて)伝える行為なのだとさえ思った。同じ釜の飯を食う。それだけで、言語を超えた繋がりを生むことがある。古臭い考え方かもしれないが、私は、そのように思う。何か特別なことをしようとするより、何か特別な人間になろうとすることより、いま、目の前にいるひとに自分ができる精一杯の優しさを示そうとすること。それが、相手のためだけではなく、結果的に「自分のために最上のことをしている」ことは頻繁にある。粗雑な暮らしは粗雑なこころを育み、丁寧な暮らしは丁寧なこころを育む。生活を愛すること、世界を愛すること、自分を愛すること、誰かを愛することは、同じことなのだと思う。

 

 

https://www.instagram.com/p/BnQx87qFK9m/

風邪を引きました。心労がたたったのだと思います。最近色々ありました。なんてことはないと強がっていましたが、極端にカラダに出ました。ごちゃまぜの家をお借りして、療養をさせていただくことにしました。水をたくさん飲み、塩をたくさん舐めることにしました。ら、大阪から青森のりんごが届きました。手紙に癒されました。弱っているときに優しさは染みます。男性を落としたい女性がいたら、弱っているところに付け込むのがベストだと思いました。いとも簡単にコロッと行きます。コロッと。コロコロコローっと。疲れているときは擬音が沁みます。ジュワッ。ジュワッ。ジュンジュワァワァッ。見舞いついでにごちゃまぜの家に遊びにいらしてください。なにを食べたらいいのかわからないので、りんご、ひとりで独占してやろうと思います。にぱにぱ。くぴぴぴ。ちゅぱぁ。んむぁはぁん。 #りんご #けいご #lifeisgood

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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生き延びようと思うから苦しくなる。死ね。 

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特別なゲストがやって来る。精一杯のおもてなしをしたい。そう思って食料品の買い出しにいく。しかし、自分はまったく料理ができないことを思い出し、食料品売り場で泣きそうになる。人間がもっとも惨めさを感じる瞬間、それは「自分が大事だと思うひとに、自分が、なにも力になることができないこと」を突きつけられた瞬間だと思う。しかし、自己憐憫にひたっている場合ではない。そう言えば、前に「きゅうりをジップロックにいれて塩で揉むだけで一品できますよ」と聞いた。ので、きゅうりを買った。

 

 

俺はきゅうりにすべてを込める。ということで「おいしくなあれ。おいしくなあれ」と念じながらきゅうりを揉んだ。ら、結構おいしい漬物ができた。自分にもできた。それが最高にうれしかった。あとは酵素玄米と納豆と鯖缶とちょっとした既製品と味噌汁(味噌汁だけは最高にうまいものが作れる)をお出しした。器とか、盛り付けとかにもこだわった。ら、なんだかすごいよろこんでもらえて幸せを感じた。料理をしながら「おいしくなあれ。おいしくなあれ」と念じる習慣のあるひとを、私は、愛している。

 

ibaya.hatenablog.com

 

お客様満足なんてクソだ。

昔、料理教室の先生みたいなことをしていた。そのくせ、いま、まったく料理ができない。家ではいつも酵素玄米を炊いて、卵と納豆で食べている。別に菜食主義ではないが、肉や魚を使わないと「食器洗いも水だけで済む」ことがわかり、包丁さえも使わない生活に突入した。そんな日々を五年くらい過ごしていたら、料理の知識は全壊した。

 

料理教室の日々は楽しかった。しかし、いつの間にか私は「お客様は楽しんでくれているだろうか」ということばかりを気にするようになってしまった。お客様が楽しんでくれてはじめて自分も楽しむ(安心する)ことができる。しかし、お客様が楽しんでいない風に見えると、自分のよろこびはゼロになるばかりかマイナスになる。と。しかし、ある時「こんな生き方はクソだ!」と強烈に思った。「なんという他人軸!なんという保守的な生き方!これはやばい!なにかが違う!そもそもで俺は料理大好きってキャラでもないぞ!作るより食べる派じゃないか!ただ、楽しいことがやりたかっただけなのだ!料理はそのうちのひとつに過ぎないのだ!それなのにこのザマはなんだ!あほか!俺が楽しませたいのは他の誰でもない、自分自身なのだ!そう、自分が100楽しんでいたら、お客様も80くらいは楽しんでくれるはずだ!お客様ファーストでは順番が逆なのだ!自分ファーストこそが我が命なのだ!お客様満足なんてうんこだ!他人軸はうんこだ!生活のために生きるなんてうんこだ!ぎゃー!」みたいなことを痛切に思った。ので、料理教室をやめた。

 

このような罠に陥ることはいまでも頻繁にある。いつの間にかお客様ファーストとか関係者ファーストみたいなことになって、あっという間に自分の本音を見失う。やがてすべてが面倒臭くなり、やがてすべてを投げ出したくなる。その繰り返しだ。罠にはまったとき、私は、伝説のアニメ『おぼっちゃまくん』を鑑賞するようにしている。おぼっちゃまくんの在り方は超絶参考になる。私を地底から引き上げてくれる。彼はカメに乗っている。厳格な父親から「ゆっくりいけ じっくりやれ カメに乗れ」という教育を受けたからだ。最高の教育だ。おぼっちゃまくんを見ていると思う。『人生とは、自分を楽しませることである』ということを思う。自分を楽しませることができたとき、その余剰として、よろこびのおすそ分けができるのだと思う。

 

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わたり文庫『光あるうちに』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、三浦綾子著作『光あるうちに』です。生き方に迷うことしきりではありますが、金はなくても生きていける、家はなくても生きていける、理解者はなくとも、五体の自由を失っても、病気を抱えても、生きていくことはできる。しかし、信仰というものをなくしたら、自分は生きていくことができないように感じています。日本人の多くは無宗教だと言いますが、多くの人々は、自分なりの『自分教』みたいなものを胸に抱えているものだと思います。それを思い出させてくれる、お守りのような一冊です。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※  こちらの本は、福岡県にわたりました ※※※

 

わたしは、まる十三年療養したが、一時期つくづくと自分は廃品同様の人間だと思ったことがある。ただ臥ているだけである。食事の用意をしてもらい、便器をとってもらい、洗濯をしてもらう。医者代薬代はかかる。心配をかけるだけで、一向に病状はよくならない。自分が家にいるために、父母も弟たちも気持が暗いだけじゃないか。あと五年たったら治るのか、十年経ったら治るのか、見当もつかない。いつ死ぬのか、それもわからない。こんな自分が生きていてよいのかどうかと、つくづく考えずにはいられなかった。

 

(つまりは死んだほうがいいのだ)

 

そんな気持だった。そのわたしに、

 

「生きるというのは、権利ではなく、義務ですよ」

 

と教えてくれたのは、幼馴染のクリスチャン前川正だった。生きるより死んだほうが楽な状態において、

 

「生きるのは義務だ。義(ただ)しい務めだ」

 

と言われた時、わたしははっと立ち直らせられる思いだった。

 

この廃品的存在のわたしが、前述したとおり、いつしか人々の訪問の絶えない、人に必要とされる存在になってしまった。全国各地にペンフレンドも与えられた。その中には、福岡、小菅、仙台の拘置所にいる死刑囚や、また牧師、宣教師たちもいた。わざわざ東京から旭川まで見舞に来てくれる友もいた。

 

物品は廃物となっても、人間は決して廃物とはならないのだ。わたしはそのことを、廃物同様の自分の体験から知らされたのだ。

 

三浦綾子『光あるうちに』【新潮文庫

 

ごちゃまぜの家日誌もよろしくお願いします。

 

 

 

gochamaze.hatenablog.com

 

生き延びようと思うから苦しくなる。死ね。 

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熱海と横浜の家を往復している。いまは横浜にいる。どちらの家も「これからどうしていこうか」という問題を抱えている。横浜に関して言えば、シェアハウス部分が4室あるものの、9月いっぱいで出られる方がいるために空き室が3部屋になる。シェアハウス部分に住んでくれる方々がいることによって、ごちゃまぜの家は家賃無料ということになっているため、これから新規入居者を募集する形になる。しかし、私は、管理維持活動が極端に苦手で、家賃のかからない家をやりたいはずだったのに「いつの間にか家賃の問題で苦しみ始めている」自分の状態に、矛盾を感じたりして苦しくなっていた。

 

しかし、昨日、熱海から新横浜に向かう新幹線で吹っ切れた。私は「生き延びようと思うから苦しくなる。死ね」と思った。維持や持続や継続可能性を考えるから苦しくなる。それよりも初心である。すべてが無料の家がやりたかったのだ。採算を求めるのではなく、限定的なルールで縛るのではなく、ただ、一方向的に「自分はこれが素敵だと思います!」ということを実行する。すると、それが『みんなにとっても必要なものである限り』どこかから必ず「お前はもっと生きろ!」的な救いの手が差し伸べられることを信じる。だからもう、合理性を考える必要はない。これからのことを、これまでの常識で考えてどうなる。ダメならダメでいいじゃないか。初心に還れ。それでもダメなら土に還れ。新しい在り方に賭けたいのだろう。遠慮するなよ。好きなようにやりなよ。酸いも甘いも抱き締めて生きるんだよ。

 

という訳で、引き続きごちゃまぜの家は完全無料の出血大サービスを実行する日々に突撃しました。私は思う。人間にとっての無上のよろこびとはなんだろうか。それは「自分がやりたいと思うことと、世界が『お前にやってほしい』と思うことが、一致をした瞬間」のなかにあると思う。お客様満足なんてクソだ!とか、家賃のために生きるなんてクソだ!とか、そういうことを私は頻繁に感じてしまうけれど、なによりも『自分が生きていることが、周囲にとってもプラスに働いている』と心底感じられる実感が、生きがいとなり、生きる力になるのだと思う。なにもかも投げ出してしまいたくなることもあるが、本心は違う。なにかのために生きたいのだ。自分のために生きることと、自分以外のために生きることが、一致する瞬間を生きたいのだ。それがダメなら仕方がない。その時は野垂ぬまでのこと。死なないために生きるのではなく、命を、自分を燃やし続けるために生きたいと思う。

 

 

https://www.instagram.com/p/BnIwihdFk2U/

遠慮するなよ。好きなように生きなよ。 #修善寺 #tree #august #lastday #lifeisgood

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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屈辱をバネにするな。よろこびで飛翔しろ。

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Y様夫婦と久しぶりに岸根公園でお会いした。ら、奥様がなんだかめちゃめちゃ綺麗になっていて「(前も綺麗でしたが)また綺麗になられましたね!」とお伝えした。整形をしたとか化粧を変えたとかそういうことではなく、内面から滲み出るゆたかさがすごい。これはもう奥様だけの功績ではない。旦那さんの偉業でもある。あまりにもびっくりしたので「なにかあったのですか!?」と問うた。ら、奥様はこのように答えた。

 

 

奥様のY様「いままでは、なにかをできるようにならないと自分には価値がない、ここにいてはいけない、みたいな考え方をしていました。だから、自分の外側に、得意なこととかできることを『武器』みたいな感じで装着しようとしていたのですが、その考え方をやめられたことが大きかったのかもしれません。あとは、なんて言えばいいのでしょう、うまく言えないのですが『ひとつずつ、ひとつずつ、いろいろなものに対する執着を手放す』ようになってから、自分が軽くなったことを感じています」

 

ibaya.hatenablog.com

 

恐怖に取り憑かれたものだけが、剣や銃で身構える。

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奥様の発言は、いまの自分にタイムリー過ぎた。奥様と会う前、私は、とある事情で一悶着あり「なんなんだこのやろー!」みたいな気持ちになっていた。理不尽な目に遭うと、やり返したくなる。言い返したくなる。私には、条件反射としてファイティングポーズをとってしまう弱さがある。だがしかし、小生もすでに33歳。ここは大人な対応をしようとおもってグッとこらえた。まったく申し訳ないと思っていないのに「申し訳ありませんでした」と告げ、その場は丸くおさまった。が、消化不良感がすごかった。

 

この消化不良感を抱えたまま生きると病気になる。そうおもった私は、反逆ののろしを掲げにかかった。相手の急所を狙い、グウの音も出ないほどに打ちのめすことが可能なポイントを探した。私は『怒りの復讐』を試みたのだ。いまに見てろよこのやろーの精神で、私は、やるならとことんやりますよ的な気持ちになっていた。が、奥様のこの発言により、私は、尊敬するガンジーの非暴力(アヒンサー)スピリットを取り戻すことができた。平成最後の夏が終わる。そして、やがて訪れるものは非暴力の秋である。この秋、小生は『非暴力の秋』でキメる。それでは、私にとっての非暴力とはなにを意味するのか。

 

非暴力と聞くと「なにを言われてもグッと耐える」的な、どこか、泣き寝入りをしないといけない感と言うか、我慢を強いられている感を覚えるかもしれない。しかし、非暴力とは我慢ではない。泣き寝入りと非暴力はまったく違う。非暴力の根底には「勇者とは、無為をもって武装をするもの」という思想が流れている。ガンジーは言う。恐怖に取り憑かれたものだけが、剣や銃で身構えるのです。と。武器を手にする限り、恐怖もつきまとう。非暴力の思想は、武器を探しまくっていた愚かな私を、ひとつ、高次の次元にひきあげてくれた。そのことで、不思議と、穏やかではない感情は霧消した。私はおもった。武器を手にすることが勇気ではない。武器を捨てることが勇気なのだ。その勇気【強さ】によって、Y様の奥様はあれほどまでに(野に咲く花のように)可憐なたたずまいを身にまとうことができたのだ。

 

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わたり文庫『きょうはなんのひ?』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、瀬田貞二作・林明子絵『きょうはなんのひ?(福音館書店)』です。ご存知の方には「あぁ〜!なつかすぃ〜!」感が半端ないであろうこちらの絵本。静岡県在住の読者の方から譲り受けました、厳冬のホッカイロみたいな一冊でございます。あまりにも大切にし過ぎてホールドし続けていたのですが、ふと「独占は違うな、大事なものほど循環をさせていくべきである(そのことによって素晴らしさの総量は高まる)」とおもったので、この場を借りてリリースをさせていただきます。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、栃木県にわたりました ※※※

 

自伝風物語も最終話となりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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屈辱をバネにするな。よろこびで飛翔しろ。

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愛するバガボンド宮本武蔵が主人公の漫画)で、武蔵が、とある剣豪のおじいちゃんから「お前の殺気は、不細工な殺気じゃなあ」と言われる場面がある。続けておじいちゃんは言う。「自信はやわらかなものである。気負いはかたいものである。いまのお前はかたい。いまのお前にあるのは気負いに過ぎない。だから、醸し出される雰囲気も不細工なものになるのじゃ」的なことを言う。わたしは、これを読んだときに「アイタタタター!」と思った。まるで自分のことを言われているかのように思った。

 

Y様夫婦とお会いしたあと、帰り道で「屈辱をバネにするな。よろこびで飛翔しろ」という言葉が舞い降りた。よく、巷では「悔しさをバネに」とか「屈辱をバネに」みたいなことを言われる。事実、過去の私も、ネガティブな経験をバネに「いまに見てろよ」精神で奮闘をしてきた経験がある。しかし、動機に怒りがあると、表現されたもののなかにも怒りが含まれる。怒りが悪いとは思わない。しかし、怒りだけで終始しているうちはまだまだだと思う。怒りも、悔しさも、悲しみも、すべては『愛の過程』である。最終的な愛、愛という言葉が大袈裟ならば『よろこび』を表現することができたとき、わたしは、その作品をこころから(安堵感とともに)愛することができる。

 

私は、もう、なにかを見返すためになにかをやりたいとは思わない。いま、熱海と横浜で『誰でも自由に使える家』みたいな活動をやっている。この活動をはじめて数年、いま、ようやく本心から「この家は素晴らしい家ですよ。最高の環境ですよ。」と前のめりで言える状態にある。いままでは、どこか、自信のなさを覚えていた。自分はいいと思っているけれど、他人がどう思うかはわからない。そこにいちいち揺れていた。しかし、いまは違う。私は、この家を最高だと思う。そして、自分が最高だと思うものたちを、多くの人々と共有することができたらうれしいと思う。この感情は家に対してだけではない。自分自身に対しても、同じ気持ちになることができるようになった。坂爪圭吾という人間は、いろいろな弱点も抱えているけれど、トータルで最高な男ですよ。死ぬまでに一回会っておいた方がいいですよ。と。自分が素晴らしいと思うものを、自分の周囲のひとびとと分かち合う。そのことになかにこそ、生きるよろこびはあるように思う。

 

 

GOCHAMAZE no IE #japan #kanagawa #yokohama #kikuna #fujiduka #scramble #freemeal #freeday #freebird #lifeisgood

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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愛は、愛する側も愛される側も自由にする。

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私の信条に「1日1F」というものがある。FとはFEARのFで、これは「1日1回、自分が恐怖を覚えることをやってみる」という意味合いになる。よく、コンフォートゾーンを超えるみたいな表現を聞く。まったく同義である。しかし、いきなりFEARを連打すると躁病になっちゃうリスクもあるので、最初はN(NEWのN。1日1回新しいことをやる)程度にとどめておくのがよいのかもしれない。1日1回、なんでもいいから新しいことをやる。慣れてきたら、1日1回自分が恐いと思うことをやる。電車で席を譲るとか、すれ違うひとに挨拶をするとか、好きなひとに「好きだ」と告白してみちゃうとか。

 

 

自己啓発書を買うより、自己啓発書を燃やす方が、自己啓発される気がする。人間、生きていれば何度か「一回死んで生まれ変わる」的な強制リセットが訪れる。先日、ある女性とお会いした。彼女は話す。仕事を辞め、9月から長年愛していたパリで暮らすことに決めた。日本でのすべてを捨てることには勇気が必要だったけれど、坂爪さんの『1日1F』に力をもらって、決断をすることができた。だから、とても感謝をしています、と。私は「むはぁ」と唸った。なにかをはじめること以上に、なにかを終わらせる時の方が、莫大な勇気とエネルギーを必要とする。勇気を出す瞬間は恐い。しかし、勇気は人間を裏切らない。出した者に、必ず、なにかしらの恩恵を運ぶ。

 

ibaya.hatenablog.com

 

奇跡は余白に舞い込む。

思えば余白力だけで生きて来たような人生だった。流れに身を委ねる、みたいな表現を頻繁に耳にする。快晴の空の真下、目を閉じ、両手をあわせながら「神様、私をあなたの思うままに使ってください」的な祈りをすると気分が晴れる。家なし生活をはじめたころから、私は『自分で決める』ということを放棄したように思う。これは自暴自棄になることとは違う。真逆だ。放棄の裏には信頼がある。なにが起きても大丈夫。必要なものは、必要な時に与えられると思える信頼が、自意識を超える『なにか』を与える。

 

私たちは「夢や目標が大事だ」と教えられる。そう言う人々から見ると、夢も目標もない人間は無気力な人間、怠惰な人間、張り合いのない人間ということになるのかもしれない。しかし、私は「自分で決めない道を選ぶには、それなりの覚悟が必要だ」と感じる。あらゆるものを受けて立つ覚悟。自分にとって都合の良いものだけではなく、都合が悪いものさえも「どんとこい、全部こい。」と引き受ける覚悟。清濁併せ吞む覚悟。清濁を止揚する覚悟。限定的なものではなく、人類全体、生命全体として強烈にあり続ける覚悟。これは、易しいことではないように思う。自分がないようで、自分がある。自分が消えることで、強烈に自分自身が現れてくる。そういう種類のものだと思う。

 

2017年4月にクラウドファンディングを通じてごちゃまぜの家は生まれた。こうした活動を続けていると「あなたはコミュニティをつくりたいのですね」と言われるが、真逆だ。私は「コミュニティを溶かしたい」と思っている。ひとつのグループがあるとき、グループの外側にいる人間は反発を抱く。内側と外側を作り出してしまう。そういった垣根を取っ払いたい(全部ごちゃまぜでいいのだ)と思い、この活動をはじめた。今日から数日間、坂爪圭吾はごちゃまぜの家に滞在をしています。家の鍵は空いています。興味のある方は、誰でもお気軽に遊びにいらしてください。事前連絡などは不要です。が、宿泊希望者の方は、布団の数に限りがあるので事前にご連絡ください(場合によっては、一緒に草取りや掃除や料理などをやっていただけると最高にうれしいです!)。

 

GOCHAMAZE no IE

住所・横浜市港北区富士塚2丁目24-5

電話・05010268936

 

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わたり文庫『星の王子様さま』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、サン=テグジュペリ著作『星の王子さま』です。最低でも一年に一回は読み直したい歴史的名著。読むたびに新鮮な感動に包まれます。先日お会いした方が「バオバブの木の話が最高で…いい草と悪い草は、誰の中にもある感情だと思います。だから、自分がやろうとしていることは、いい草なのか、悪い草なのか、毎日確認をするようになりました」と話してくれて、なんて素晴らしい解釈なのだろうかと感動をしました。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、愛知県にわたりました ※※※

 

それはこういうことだった。王子さまの星にも、ほかの星と同じように、いい草と悪い草があった。そうしていい草にはいい種が、悪い草には悪い種ができる。でも種は目につかない。土のなかでひっそりと眠っている。やがてどれかひとつが、目をさまそうかなという気になると、伸びをして、はじめはおずおずと、なんの害もないみずみずしい小さな茎を、太陽の光にむかって伸ばすわけだ。それがもし二十日大根(ラディッシュ)やバラの茎なら、伸びるままにしておいてもいいだろう。けれどもし悪い植物だったなら、見つけたとたんに抜かなくてはいけない。小さな王子さまの星には、まさにそうしたとんでもない種があった・・・それが、バオバブの種だったのだ。しかも星の土は、種だらけだった。そもそもバオバブは、抜くのが遅くなると、二度と取りのぞけなくなる。そうして星全体をおおう。根が星を貫通する。星はとても小さいから、そんなバオバブが増えすぎると、ついには破裂してしまう。

 

サン=テグジュペリ星の王子さま』【新潮文庫

 

愛は、愛する側も愛される側も自由にする。

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隙間時間を見つけては野点をしている。野点と書いて『のだて』と読む。海を眺めながら、夕日を眺めながら、公園のベンチに座りながら、珈琲を淹れている時間が好きだ。私は、この営みを『野点カンタービレ』と呼んでいる。野点カンタービレは私の必殺技だ。真の意味で生活に窮した時は、熱海の売茶翁として野点で生計をたてたい。移動販売車ならぬ移動販売『者』になる。営業許可が降りないなら、物々交換でどこまで行けるか見てみたい。私は珈琲を淹れるから、あなたはあなたのなにかをください。そんな感じで野点で全国各地を放浪できたら、面白い人生になりそうだなあと夢想をする。

 

無常の常。万物は流れていく。ひとの気持ちも同じである。いつまでも同じ場所にとどまることはできない。そのことを悲しいことのように感じる瞬間もあれば、救いのように感じる瞬間もある。明けない夜はない。貼れない湿布はない。止まない雨はない。死なない人間はいない。すべての瞬間におわりがある。だからこそ、この瞬間が輝いて見えるのだろう。無常を常とする世の中で、では、我々はなにを大事に生きればいいのだろうか。そういうことを考えるときがある。そして、そういうことを考えた際に、決まって頭に思い浮かぶものが、たとえば『愛』と呼ばれているような言葉になる。

 

愛とは何か。私はまだ、愛のなんたるかを知らない。しかし、直観的に信じていることがある。それは「愛は、愛する側も愛される側も自由にする」ということだ。私は、何度も何度も道を踏み外す。愛のように見えて、実はまったく愛ではないものを愛だと勘違いしたりする。間違った愛を選ぶとき、私のこころは重くなる。そんな時、愛は人間を自由にするものだという言葉を思い出すことで、はっ!と気付いて軌道修正をする。重いなら愛じゃない。苦しいなら愛じゃない。縛られるなら愛じゃない。珈琲を淹れている瞬間に、静かな時間の流れの中に、私は自由を観る。愛も、自由も、平和も、精神も、神様という言葉さえも、別々の角度から「ひとつの同じもの」を呼んでいるだけの言葉なのかもしれないと思う。

 

 

https://www.instagram.com/p/Bm2TfoAF-8C/

野点カンタービレ #snowpeak #tetradrip #lifeisgood

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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生き方に正解はない。どんな生き方も間違いじゃない。

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小学校教師をやっている高校の同級生(♀)がいる。昔、そのひとに「生徒たちにはどんな感じの教育をしてるの?」と聞いた。ら、彼女は「空気を読める子になってほしい」と答えた。私は、それを聞いた瞬間、彼女には申し訳ないけれどこどもたちがかわいそうだと思った。もっと言えば「地獄だな」と思った。教師になるひとはすごいと思う。自分には、画一的になにかを教育するだなんて、とてもじゃないけれど恐ろしすぎてできない。

 

 

私のことが大好きすぎる甥っ子は、現在小学一年生。家では半端なく騒ぐ元気な男の子だけれど、学校ではものすごいおとなしいらしい。そんな甥っ子を見て、周囲の人々は「学校でも自分を出せるようになるといいね」などと言う。周囲の反応はもっともなのだろうなあと思う。誰だって、自分のこどもには家でも学校でも世界の何処でも、楽しそうに生きていて欲しいと願うだろう。しかし、私は、学校ではおとなしいらしい甥っ子を見て「いいぞ、甥っ子。その調子だ。永遠にそのままで行け」と思った。

 

ibaya.hatenablog.com

 

学校は「楯突く力」を学ぶ場所。

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学校でおとなしい彼を見て、周囲の人々は「自分を出せていない」的な判断をする。しかし、私は、そんな彼を見て「めっちゃ自分出してるじゃん!いいじゃん!」と思った。常に明るく元気でいることだけが、みんなと楽しそうにわいわいすることだけが、授業中、積極的に発言をしたりすることだけが、自分を出すということではない。自分が従いたくないものには従わない、自分が言うことを聞きたくないものには絶対に耳をかさない、それは、立派に「自分を出している」態度だと私は思う。

 

しかし、学校ではそんな風に認めてはもらえない。基本的に「おとなにとって都合のいいこども」になることを求められ、それができる生徒は高評価、それができない生徒は低評価となる。最悪の場合は、ただ、おとなの都合にあわないだけで「この子は病気かもしれません」とか言われちゃう。劣等生のレッテルを貼られた少年少女は、徐々に個性や自信や生命力を剥奪されて「自分はダメな人間なんだ」という思い込みを強めていく。やがて、先生などの他者に認めてもらえる限り安心だけれど、他者に褒められない限りは永遠に不安という、他人軸フルマックスの(承認欲求にまみれた)優等生になってしまう。

 

学校は「楯突く力」を学ぶ場所だと思う。従いたくないことには絶対に従うなよと思う。ブルーハーツの歌詞に「おとなに褒められるような馬鹿にはなりたくない」というものがある。権威に服従するのではなく、自分が思う真理に服従をしてくれと思う。誰かの期待に応えようと頑張るあまり、ダメになってしまった人間をこれまで大量に見た。自分にとって大事な人間には、そんな風にはならないで欲しい。誰かに褒められることなんて、まったくなんにもならないよ。そんなことより、自分の感受性を守ってほしい。自分が「おかしい」と思うなら、それは(誰がなんと言っても)おかしいのだ。間違っても、おかしいと思う自分がおかしいのだと、自分を責める方向に舵を取らないで欲しいと願う。

 

 

Scenery in one's mind's eye

新潟から新横浜に向かう新幹線の車内。上越新幹線は二階建ての車両があり、新幹線は二階建てだと思って育ったけいご坊やは大学進学時に周囲と話が噛み合わずに離脱、孤独の日々に突入する。何もない新潟が嫌いだったが、何もないのは自分だった。テクノロジーが発達したいま、暮らす場所は重要ではないのかもしれない。では、なにが重要になるのだろうか。風と光と隣人の愛。私は「友情」だと思う。#niigata #maxtoki #lifeisgood

 

ただ珈琲を飲むだけの動画 #gopro #test #practice #niigata #aoyama #lifeisgood

 

野点カンタービレ。。 #最後の2秒だけでも見て帰ってください

 

自伝風物語もよろしくお願いします。

 

 

 

note.mu

 

生き方に正解はない。どんな生き方も間違いじゃない。

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夏で天気もいいのに、気分が晴れない。そんな日々が続いていた。部屋に閉じこもっていると、鬱々とする。これじゃいけないと思って、自転車を走らせた。運動をしていると深い呼吸をするようになる。そのことが全身に血を巡らせるのだろうか、気分は前よりマシになる。そして「ああ、俺は呼吸が浅かったんだな」ということを思ったりする。部屋を出て、世界に出ると、素晴らしい景色と出会えたりする。夕暮れ時、街をオレンジに照らす太陽が海に沈もうとしていた。いい感じに空が染まっている。慌てて自転車を漕ぐ。海に向かう。徐々に空は茜色に染まる。

 

夕焼けを見ると「うわあ」と毎回声が出る。綺麗だなと思う。そして「綺麗だな」と思う自分の気持ちに一点の曇りもないことを思う。自分が消えて、自分と対象が同一化するような感覚。鬱々としているときは、自分につかまってしまっている時だと思う。美しいものに触れた時、それは自分を忘れさせてくれる。自意識を吹き飛ばしてくれる。海に自転車を止める。波打ち際を歩く。夕日が沈む。綺麗だなと思う。綺麗だなと思いながら、ふと、泣きそうになっている自分に気づく。この涙は、いったい、どこから来ているのだろうか。自分という肉体はひとつなのに、自分という人格はいくつもある。夕日を見て感動しているのは「こどもの自分」で、そんな自分を見て、おとなの自分は「よかったね」と言っている。この景色を見ることができて本当によかったねと、自分が、自分に言っている感覚になる。

 

自分の中にこどもがいて、そいつがよろこぶとたまらなく嬉しくなる。まるで、ずっと笑うことのなかったこどもが、笑顔を見せたときのように。自分とは、自分のこどもでもあるのだろう。自分とは、自分の親でもあるのだろう。私に役割があるとすれば、それは、自分のなかにいるこどもに「綺麗な景色を見せてあげること」「広い世界を見せてあげること」「生きることの素晴らしさを味あわせてあげること」なのかもしれないと、そういうことを思った。時折、乱暴な言葉で自分を責めることがある。それは、さながら虐待をしている親のようなものだ。しかし、夕日を眺めながら感動をしている自分を見て、自分のなかにある親の部分が「よかったね。今日、これが見れて、ほんとうによかったね」と、涙目になりながら自分に語りかけていた。自分が笑顔を見せてくれたことに、なにより自分自身が感動をしていた。こういう瞬間を、こういう瞬間こそを、大切にしていきたいのだと思った。

 

 

切ない切ない切ないただそれだけを連呼しながら海に向かった。夏の夕暮れは切ない。夕暮れが切なくさせるのか、夕暮れが切なさを引き出すのか。懐メロを聞いていたら「答えを出さない それが答えのような」という歌詞。生き方に正解はない。ならば、どんな生き方も間違いじゃない。#niigata #sunset #lifeisgood

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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まずは自分を救え。

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私には5歳年上の姉と、4歳年上の兄がいる。どちらも既婚でこどもも2匹ずついる。姉のこどもはオス5歳とメス3歳。兄のこどもはオス6歳とオス4歳。昨日、新潟の実家に一族全員が出揃った。

 

 

私を見た瞬間、小学一年生の甥っ子は「わぁあ、ヒッピーだ!ヒッピーだ!」と私を指差して笑った。それから「ヒッピー!ヒッピー!」と半狂乱になって走り続けた。つられるように、他のこどもたちも騒ぎ出す。一体、彼は、どこでヒッピーなんて言葉を覚えたのだろうか。私は「ヒッピーじゃねえし!」と軽い抵抗を示したあと、お前にとってヒッピーとはなにかと問うた。ら、甥っ子君は「えーっと、きたなくて、ばかで、ひとのものをぬすむひと!」と答えた。おいちょっと待て。きたなくてばかなのはお前も同じだろ。そう言うと、鼻水を垂らした甥っ子君は「うひょー!」と叫んだ。 

 

ibaya.hatenablog.com

 

数十年の記憶と、三百年の記憶。

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左脳はロジカル、右脳はエモーショナル。よく聞く話だ。なぜ、甥っ子君はヒッピーなんて言葉を知っていたのだろうか。兄夫婦も「そんな言葉は教えたことがない」と戦慄していた。人間には左脳と右脳がある。聞いた話では、左脳は「今世における記憶」によって物事を考えるが、右脳は「三百年規模で過去に蓄積された人類全体の脳みそ」的な働きがあるらしい。司がヒッピーという言葉を知っていたのは、過去生の影響なのだろうか。こどもといると右脳が働く。動物にも同じ効果があるらしい。おとなの世界は左脳の世界だ。左脳ばかりが働いていると生きることに疲れる。まずは左脳を殺さナイト。

 

ameblo.jp

 

愛するムラキテルミさんがブログ記事を書いてくれて幸せです。先日、関西在住の巫女様から「あなたはインディゴチルドレンなの」とのお触れをいただき、晴れてさかつめけいんでぃごとなった私は、ムラキテルミさんをインディゴマザーと呼んでいる。いままでは緊張しすぎてムラキさんの奴隷みたいなポジションを能動的に選んできたけれど、これからは末っ子気質を存分に発揮して生意気なこととかも言っちゃうキャラで行きたいと思った。あくまでもフェアなお付き合いをしたいと思ったのだ。が、実物のムラキさんを目の前にすると「このひとには敵わない。。」と思って服従してしまう。ムラキさんは、パワフルで、可愛い。男は、本質的に「女性の尻に敷かれたい」生き物なのかもしれない。

 

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どうでもいい話をしていると元気になる。上記ツイキャスから「スプーンの話」だけでも、めちゃ暇な時に聞いていただけたら嬉しいです。有名になりはじめると「そんなこと言ってねえし!」みたいな風評被害が露骨に増える。最近、私に関するデマが蔓延した。人間は弱い生き物だ。目覚めの占いで「あなたの今日の運勢は最高!」などと言われると絶好調になるが、運勢は最悪とか言われると(どれだけ占いを信じていないと言い張っても)どうしたって気に揉む。他人の言葉で、こんなにも簡単に気分の浮き沈みをするのが人間なのだろう。風評被害を受ける身として思ったことは「他人の言葉で決めるのではなく、自分の目で見て判断しよう」という、至極当たり前のことだった。言葉より、情報より、目の前の瞬間を大事にしたい。

 

Scenery in one's mind's eye

#kinokawa #bonfire #lifeisgood

 

綺麗なものを見るとあの人にも見せてやりたい気持ちになる。美味いものを食うとあの人にも食わせてやりたい気持ちになる。分かち合うということに、焦がれているのだと思う。#niigata #sunset #lifeisgood

 

https://www.instagram.com/p/BmljF0QFmv2/

自然の中、テントの中にいると「何も心配をすることはない」と言われている感覚になる。不安になることをやめて、自分が暮らしたいと思う世界を想像すること。そして、想像したことを、創造していくこと。泣く道を選ぶこともできれば、笑う道を選ぶこともできる。笑う道を選びたいと思う。みんなが幸せになる方向で。 #vargo #hexagonwoodstove #lifeisgood

 

まずは自分を救え。

先日、ピアノの先生をやっているY様から「夏野菜カレーを食べに来ませんか?」と、ご自宅にご招待していただいた。Y様には常日頃からお世話になっている。私が酵素玄米にはまりたいと思っていた時期に、ラゴスティーナという高級圧力鍋をプレゼントしてくれた。ラゴスティーナはすごい。玄米が美味しく炊けまくる。驚きの25年保証である。それ以来、ラゴスティーナはごちゃまぜの家の家宝になっている。Y様には、私と同年代の娘M様がいる。Y様は、M様との関係性にちょっとした悩みを抱えていた。ので、今回は娘さんと一緒に我々三人で夏野菜カレーを食べるという感じの流れになった。

 

話すと長くなるのですが、結論から言うと娘のM様の言葉に偉く感動した。M様曰く「お母さんは、私との関係がどうのこうのって言うけれど、この前、お母さんがピアノの発表会の時に『いままでは先生としてちゃんとやらなきゃって思いがすごい強かったのだけれど、今回は、なによりも自分自身が楽しみながら弾くことができた。こんなにもピアノを弾くのが楽しいと思えたことは、生まれてはじめてかもしれない。それがなによりもうれしかった』って話してくれた時期から、私との関係性もひらけて来たように思う。私との関係どうのってことより、お母さんが、お母さんの人生を楽しんでくれることが一番なんだと思う」とのこと。ああ、なんだかものすごいよくわかるなあと私は感動をした。

 

その話の直後、坂爪の恋愛観について「意気地が無い!」とY様&M様両者から軽いお説教のサンドイッチを受けたのちに、なごやかな雰囲気のまま食事会は終わった。楽しかった。私はテントに戻る。灯りをつける。本を開く。ページを開いた瞬間、素晴らしい言葉を見つけた。そこには『これ以上重い荷物を持って歩く必要はどこにもない。幻から解放されたとき、ありのままのあなたは女神そのものだと気づくだろう』と書かれていた。誰にも頼まれた訳でもないのに、勝手に重荷を背負って、勝手に潰れてしまうことは頻繁にある。しかし、その重荷は、もしかしたらまったく背負う必要のなかったものなのかもしれない。こうあるべきとされているもの、生きるうえでのカセのように感じるもの、それらを一旦取りはずしたあとに残る『自分自身』こそ、神聖で、崇高で、最上の美を備えたものになるのだろう。すべてのひとが、そのひとなりの輝きかたで輝くことのできる世の中になるように。世の中、などと言ってしまったが、世の中がそうなることを待つのではなく「まずは自分を楽しませること」「まずは自分を生きること」「まずは自分を救うこと」が、崇高な行為になるのだと思った。

 

 

https://www.instagram.com/p/BmnaDf6FKSO/

横浜が燃えている。。

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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元気なひとは、馬鹿なひと。

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元気なひとを観察してみると「馬鹿なひと」が多い気がする。自由に生きているひとは、それに触れたひとのこころまで自由にする。偽りの自由人は、別に、一緒にいても自由にはならない。偽りの自由人ほど「みんなもっと自由に生きたほうがいいよ!」とか言う。なんかいやだ。真の自由人(真の馬鹿)は、他人の生き方にああだこうだ言わない。自分の人生に忙しい。自分の人生に忙しいひとを見ると「ああ、このひとは、小さな頃からそのまま来てしまったんだな」と思う。そのまま来たひとを見るとうれしくなる。自分もそのまま生きたいという気持ちになる。

 

 

愚かでチャーミングなひとを「おろかわいい」と呼んでいる。私はおろかわいいひとが好きだ。先日、愛する女性から「圭吾さんは言っていることとやっていることがめちゃめちゃですね」と言われた。そう言う彼女の顔は笑い、そう言われる私の顔も笑う。これが平和だと思った。ついつい、誰かといると自分の良い部分ばかりを見てください的な気持ちになる。が、愚かさが愛されたら勝利だ。真の意味で元気なひとは「愚かさが愛されてしまっている」状態であり、偽りの自由人には「自由ぶっているキャラクターで商売をしようとしている」みたいな不自由さを感じる。そこには明確なNO!を示していきたいと思う。

 

ibaya.hatenablog.com

 

予測不可能性に賭ける。

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大阪で途方に暮れていた時にY様に出会った。Y様に「これからなにをしたらいいのかわからないのです」と話すと、Y様が「それなら私が車をレンタルしてあげるから、和歌山の白浜温泉に行きなさい。崎の湯が最高だから」とご提案をいただいた。すごい流れだと思った。嘉向徹さんと行動を共にしていたので、和歌山に向かう車内でツイキャス音声配信を録音した。道中、フルーツの話題で盛り上がった。私はりんごが大好きだ。だが、りんごは結構高い。一個200円とかすると「すごい食べたいけど無理」とか思って、スーパーマーケットで涙がこぼれそうになる。

 

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みなさまの金銭感覚はどんな感じなのだろうか。私の1日の食費は100円程度なので、本当はきのこを買いたくても「きのこ一個で100円じゃん・・・」とか思ってきのことか買えない。ここで再び泣きそうになる。結果、家では毎日納豆卵ごはん(ごはんだけは酵素玄米)ばかりを食べている。そんな小生ではありますが、8月いっぱい熱海と横浜でわたり食堂【0円食堂】を開催しています。今日から数日間、私は横浜にあるごちゃまぜの家に滞在をしています。是非、誰でも気軽に遊びに来てください。素晴らしい家です。夜はツイキャス配信をできる限り毎日やりたいなあと思っています。

 

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街に出ると悲しい気持ちになるから、必然、足は自然に向かう。河川敷で焚き火をする。落ち技を探し、落ち技を組み立て、焚き火を眺めている時間は恍惚だ。同行している嘉向徹さんと話す。ねえ、俺たちって、なんでこんな生き方しかできないんだろう。金もないくせに家を飛び出し、旅先で「お金がないので誰か泊めてください!」とか言っている俺たちは、はた迷惑な存在でしかないんじゃないのかなって思うんだ。と。すると、嘉向徹さんは「希望があるのだと思います」と言う。バラバラに生きているのではなく、みんなで生きているのだと思いたいのです。家と職場の往復だけでは、ひとりきりでじっとしているだけでは、そういう気持ちになることはできません。だから、こんなことをしているのではないでしょうか、と。ああ、美しい言葉だなあと思った。

 

 

わたり文庫『ハチ公の最後の恋人

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、吉本ばなな著作『ハチ公の最後の恋人』です。夏の終わりに・・・死んだわけじゃない生きてるんだ・・・この瞬間もどこかの空の下で・・・ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※

 

ハチは黙って前を見た。私も見た。
バスは揺れて、坂道を下ってゆく。並んですわった足が、もものところが触れ合っている。
今、同じこと考えてる。
今、全く同じことを考えてる。静かに。耳を澄まして感じよう。
光が二人の膝で踊っている。前のほうでおばあさんが居眠りをしている。運転手の前には家族の写真が張ってある。道筋にあるたくさんの旅館にのどかな午後が訪れている。木々が光をはらんで揺れに揺れている。風、涼しい、極上の風。
バスが揺れている。光が、踊っている。
どうかそれだけで、このままで。
永遠に消えない。
夏の、奇跡の抱擁を。
二人だけで、二人きりで。

吉本ばななハチ公の最後の恋人』【中央公論社

 

元気なひとは、馬鹿なひと。

この前、靴が壊れて駅ビルの服屋さんに行った。手頃なサンダルを探していたら、いい感じの女性店員が「お客様にはこれがお似合いですよ♡」とか言って白いサンダルを出して来た。女性店員があまりにもいい感じだったので「こんなにおしゃれな女性がこんなにすすめるなら、これでもいいかな」とか思って、普段、自分だったら絶対に買わない色のサンダルを買いかけた。が、直前のところで「うおー!」となって、逃げた。こんな感じの弱さが自分にはある。ついつい、誰かが言う「あなたにはこれがいいですよ」につられて、本当は惹かれてもいないものを「これでいいか」と生活に取り入れてしまう傾向がある。これはよくない。こういうところから自分軸はズレはじめるのだと思う。

 

 

本当に一目惚れをしたら「うおー!」となって、迷わずそれを購買していただろう。迷っている時点でアウトであり、これでいいかみたいな感覚で道を選ぶと人生が中途半端になる。これでいいではなく「これがいい!」と前のめりになる感覚を大事にしなければ、人生全体が「これでいいか」の集合体になってしまう。私は学んだ。自分から「それではこれをお願いします」と店員さんに告げておきながら、買わないで走って逃げる自分は最悪だなと思ったけれど、逃げたあと、とても清々しい気持ちに包まれた。よし、俺は俺を守ることができたという爽快感。晴れ晴れしさ。やり方は最悪だったかもしれないが、これでよかったのだと思った。俺は、俺に前のめりになることができたのだと思った。

 

 

深刻になっている方が頭が良いみたいな、まじめに生きているみたいな風潮があるけれど、本当にそうかなと思う。ひとは、ああしなさいとかこうしなさいとか言われなくても、勝手にやりたいことを見つける。逆に言えば、なにかを「やれ」と強制された瞬間に、言われた側のなにかが死ぬ。こどもが元気なのは、無駄が多いからだと思う。こいつら頭おかしいんじゃないのかなってくらいに動くし、笑う。それがいいのだと思う。元気なひとは、馬鹿なひと。この言葉を思い出すだけでも元気になる。元気なひとといると元気になるのは、それが正しいからではなく「それが楽しいから」なのだろう。私は、元気があって、愚かで、チャーミングで、ユーモラスで、これは結構大事だと思うのだけれど「品のあるひと」が好きだ。そういう人々と、残された日々を楽しんでいきたのだと思った。

 

 

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これまで旅をしてきたなかで良かった場所はどこですかと頻繁に問われる。しかし、うまく答えることができない。素晴らしい場所は無数にあるけれど、結局、誰と過ごしたが大事なのだと思う。和歌山は最高だった。が、要するに「一緒に時間を過ごしたひとが良かった」のだと思う。誰と時間を過ごすのか。多分、もう、これしかないのだと思う。 #和歌山 #龍神村 #lifeisgood

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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自分が自分でいるからこそ、相手も相手でいることができる。

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甲子園を見ながら「アルプススタンドの応援は戦争に駆り立てる音楽に似ている。闘争心を煽る音楽は危険だ。自分だったらエンヤとかサラブライトマンとかを流してほしい(布施明のマイウェイでもいい)。荘厳な音楽に包まれた環境でかっ飛ばしたホームランは、扇動されたホームランではなく、純度の高い『俺のホームラン感』がある」とか思った。

 

 

甘いものが好きだと思っていた。が、正確には「甘いものを注文する」のが好きみたいだ。実際に食べておいしいと思うのは最初の一口で、二口目からは飽きている。結果、こんな感じのランキングができた。が、これには補足が必要だと思った。一位よりももっと一位は「リッツカールトンホテルのラウンジカフェで紅茶を頼んだときに、頼んでもいないのに一緒についてきたクッキー」だと思う。意表を突かれると戸惑う。えっ、いいのですか!?みたいな感じのよろこびに包まれる。期待に応えることよりも、期待を超えることが大事なのだなと思う。

 

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本気10割、冗談10割。 

色々なことがあり過ぎて心臓がばくばくしている。ブログに書けることは全体の1%にも満たない。先日、愛するムラキテルミさんに日航ホテルのオムライスをご馳走していただいた。最高だった。が、オムライスよりもムラキさんの思考力&行動力に激烈圧倒された。私は、自分を多動症だと思っている。が、目の前に「自分よりももっと多動症」な人物が登場すると、もう、圧倒されてしまう。人生経験が違う。ムラキさんを前にすると、自分は程度の低いガキンチョのように思えてくる。清々しい敗北感に包まれて「参りました」とひれ伏したくなる。この瞬間の敗北感は、うれしさに似ている。悔しさのない敗北感がある。ああ、人間はこんな風になることもできるのかという、ある種の希望を(そのひとの生き様を通じて)感じているからなのだと思う。

 

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自分にとって大事にしたいと思うものが三つある。ひとつは「ギャグ(ユーモア・笑える時間をもつこと)」、ひとつは「書くことなどの表現・創作の時間」、ひとつは「魂について考える時間」 になる。あ、他にも『自然にまみれる時間』も必要だ。だから、理想的な結婚相手は「自然が好きで、自分が話すことを面白がってくれて、かつ、魂について(自分が語りたいと思う形で)語ることができる相手」ということになるのかもしれない。最近、結婚についてものすごい考える。あまりにも考えすぎるものだから、昨夜、ツイキャスを通じてみなさまの恋愛観・結婚観にお伺いをたてる時間を設けた。

 

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冗談半分、本気半分みたいな表現がある。私は「本気10割、冗談10割」でありたいと思う。算数的におかしいけれど、そんな一生を理想的だなと思う。とか言うと「お前はふざけた気持ちで自分と付き合っているのか!」とお叱りを受けそうだけれど、答えはYESでありNOでもある。「あなたと一緒に笑いたい」という気持ちに偽りはない。ムラキさんと話していると「あなたはめちゃくちゃなひとですね!」と何度も何度もツッコミをいれたくなる。が、実際にツッコミをいれながらも、ものすごいうれしくなる。口角があがる。笑顔になる。こころが軽くなる。多分、自由を感じているのだと思う。

 

わたり文庫『現代暴力論』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、栗原康著作『現代暴力論』です。栗原さんは書きます。税金をはらわないことがわるいことだとおもわされる。警官にしたがわないことがやましいことだとおもわされる。逆に、どちらもちゃんとやって、あなたはすばらしい市民だとかいわれると、うれしくなってしまう。大杉(明治・大正時代のアナキスト)は、これを奴隷根性と呼んだ。と。乱暴にまとめると、この本は「いい子ちゃんでいることに疲れちゃったあなた」に、是非、読んでいただきたい一冊になります。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、大阪府にわたりました ※※※

 

そんな人間が、どうして暴力を肯定しようなんていっているのかというと、それはいま、わたしたちが一方的に暴力をふるわれていて、にっちもさっちもいかなくなっているとおもったからだ。個人のレベルじゃなく、もっとおおきな社会的暴力がふるわれていて、しらずしらずのうちにそれにしたがわされている。それは暴力によって支配されているということなのに、なんだか服従することがあたりまえになってしまうと、そうしないのがわるいことだとおもわされてしまう。おかしい、いやだ、さからいたい。せめて、あらがうための力を手にしたい。いやいや、いつの時代のことをいっているんだ、この現代社会で暴力なんてふるわれていないよというひともいるかもしれないが、そんなことはない。わたしは、とくに福島原発事故以来、そういう社会的暴力というか、支配のための暴力が、より露骨になってあらわれているのではないかとおもっている。ここですこし、わたしの体験をまじえてはなしてみよう。

 

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僕等は今の音頭取りだけが嫌いなのじゃない。今のその犬だけが厭なのじゃない。音頭取りそのもの、犬そのものが厭なんだ。そしていっさいそんなものはなしに、みんなが勝手に踊って行きたいんだ。そしてみんなのその勝手が、ひとりでに、うまく調和するようになりたいんだ。

 

それにはやはり、なによりもまず、いつでもまたどこでも、みんなが勝手に踊るけいこをしなくちゃならない。むづかしく言えば、自由発意と自由合意とのけいこだ。

 

この発意と合意との自由のない所になんの自由がある。なんの正義がある。

 

大杉栄「労働運動理論家 賀川豊彦論・続」『大杉栄全集第5巻』ぱる出版、2014年)

 

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栗原康『現代暴力論』【角川新書】

 

自分が自分でいるからこそ、相手も相手でいることができる。

昨夜のツイキャスをまとめる。テーマは結婚。結婚したいけど「貯金がないから」「仕事が安定していないから」「自分には守る力がないから」みたいな理由で渋る瞬間は大量にある。しかし、それは外側の話に過ぎない。大事なのは内側だと。一緒にいたら迷惑かけちゃうかなとかじゃなくて『あなたと一緒にいたい』と願う、純然な内側の気持ちが命なのだと。そもそもで「誰かを守る」とか「誰かを養う」という考え方そのものが傲慢で、別に相手は「私を守って」とか思っていない。ただ、一緒に幸せになりたいだけなのだ。極論、自分のことさえも守れていないものが人間である。それは不完全を意味するが、不完全だからこそ他者を必要とすることができる。完全になることをまっていたら、まっている間に寿命が来る。墓場で嘆いても遅い。よろこびは生きている間に。

 

ムラキさんは何気ないかたちで「結婚ってみんな勝手にハードルあげてるよね」と言った。この言葉が、私の胸にじんわりと刺さった。多分これは結婚に限った話じゃない。なにかをしたい、なにかをやりたいとおもったときに「でも」とか「だって」とか、自分には無理みたいな気持ちになることは多い。が、多分、そんなことはないのだ。大事なのは内側だ。私は、先日、とある贈り物をひとにあげた。いままでの自分は「邪魔だったら捨てるなり誰かにあげるなり、あなたの好きにしてね」みたいな言葉を添えていた。相手の負担になること(なにかをおしつけること)をおそれるあまり、そういう言葉を添えていた。が、伝えるべきことはそこではないだろうと。思いやりも大事だが、それよりも大事なことは「あなたがこれをよろこんでくれたらうれしい」という、そっちの気持ちだろうと。あなたが好きだからこれをあげます的な、そういうことだろうと。この、謎の遠慮を発動する癖をどうにかしろ。もっと自分の気持ちに自信をもて。自分の好きを押し留めるのではなく外に外に開くことで、どんどん好きは溢れて来る。謎の遠慮で「自分の好き」をおしとどめている場合ではない。優しさは大事だ。思いやりも大事だ。が、時には「押し付けになることも厭わない」くらいの強い気持ちが、これまでの壁を突破することもある。

 

いいとか悪いとか、それは昔の自分の判断に過ぎない。ひとりの人間のなかには「変わりたい自分」と「変わりたくない自分」が同時に存在している。この、愛すべき人間的矛盾を勇気を出して突破することを成長と呼ぶ。別に無理をしてまで成長をする必要はないが、根本的に『変わることは楽しい』『成長することはうれしい』ことだと思う。こと、人間関係においては自分が変わるチャンスにあふれている。謎の遠慮で自分をおしとどめるのではなく、遠慮を超えて「自分の好き」を全開にする。と、新しい自分が登場する。新しい自分との邂逅は素晴らしいものだ。生きている限り『気遣い』みたいなことをしちゃう瞬間は大量にあるけれど、誤解を恐れずにいうと『気遣いが成功する確率は0%!』だと思う。大事なものは外側ではなく、内側である。自分が自分でいるからこそ、相手も相手でいることができる。だからこそ、こうあるべきという形に縛られるのではなく、生きているなかで出会う「あ、これはちょっといいかも」と思う方向に向かっておもかじ一杯、本気10割、冗談10割、自分は生きていきたいのだと思う。

 

 

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琵琶湖畔の夜。流星群が目の前を交差した。京都ではゲリラ豪雨に打たれた。雷が轟く。ムラキさん曰く「雷って神様が成るってことだから、成就するわよ。願いが。」とのこと。事実、そんな感じがした。強い雨も、激しい雷も、嫌な感じはまったくしなかった。あなたも、わたしも、いま、転換期にあるのかもしれない。余計な気遣いや、余計な遠慮で自分の軸をグラグラにさせちゃうことのないように。誰に何と言われても、自分のこころが「最高だ」と思う瞬間を大切にするように。 #琵琶湖 #流星 #lifeisgood

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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おおいにやりなさい。どんどんやりなさい。

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京都四条駅近くのベローチェにいる。私は新潟出身で、新潟にベローチェなんてカフェはなかった。大学進学と同時に東京に出た私は、はじめてできたおんな友達から「ベローチェいこう♡」と誘われた。私は、言葉の響きに戦慄した。今昔問わず多感な私は、名前を聞いた瞬間「べ、べろちゅー!?」と勘違いをして発情をしてしまった。卑猥なカフェだなと思った。が、いま、卑猥なカフェによる無料ワイファイの恩恵に授かりまくる日々を過ごしている。いまでは大好きなカフェになった。安い。卑猥なのは自分だった。

 

 

生活費削減に命を賭けている。携帯代は3G月額1000円の格安SIMLINEモバイル)を使っているが、毎月10日頃にはデータ制限がかかる。そのあとは大概ワイファイ乞食となり、街中の適当なワイファイを拾ってこの記事を書くことになる。もしも、もしも、もしも、この記事を読んでいる方のなかで「使っていないポケットワイファイがあるから貸すよ!」的なことを言ってくださる方がいたら、ご連絡をいただけたらものすごい発情します。移動中にスマホがなかなか機能しないため、連日、遅刻を連発している。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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男と女

昨夜ツイキャス配信をした。昨日、画期的な話を聞いた。お世話になりまくっている女性から「私は25歳の頃に結婚をしたのだけれど、当時、旦那は『おれの稼ぎが安定をして、お前を守れるようになったら結婚をしたい』みたいなことを言った。が、私はなにをいっているのだろうかと思った。言っておくけれど、私は、あなたに幸せにしてもらいたいだなんてこれっぽっちも思っていない。ただ『一緒に幸せになろうぜ』って思っているだけだ。無一文のスタートで構わない。貧乏上等。むしろ、これで用意ができましたとか既に仕上がっている場所に行くことなんてノーサンキューだ。一緒に幸せになろうぜ。そのようなことを旦那に告げて、結婚をすることになりました」という話を聞いた。

 

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素晴らしい話だと思った。私は男だ。男として、どうしても「愛する女を守れるようにならなくては」的な身構えをしてしまうことは頻繁にある。が、女性側から言わせると「別に守ってもらいたいとかねえし」的な感想を持つことは結構あるらしい。このズレは衝撃的だった。私は現在無職で、金もなければ社会的信用もない。青春18切符を使って野点カンタービレを敢行中の身であるが、その、命綱である青春18切符を昨日出会った女性に(かっこうつけたくなって)無料で贈与をしてしまった。俺は熱海に帰れるのだろうか。昔から、自分を窮地に追い込みたがる癖がある。そんな癖のある人間に、愛する女を守れるだろうかと問われると「なんだか無理な気がする」というのが正直な感想になる。

 

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が、別に守る必要はないのだなと思うと気が楽になる。昨日こんな言葉を聞いた。それは「いい女は、弱い男を強くする。いい男は、強い女を弱くする」というものだ。なんだかわかるような気がする。私は、完全に女性によって鍛えられた。人間としてのよろこびとは別に、男としてのよろこび(女としてのよろこび)というものがあると思う。逆もまた真なりという言葉もあるが、言い換えると「ダメな男は、弱い女を強くする。ダメな女は、強い男を弱くする」という表現もあてはまるような気がした。ああ、俺は何を言っているのだろうか。これから日航ホテルで(愛するムラキテルミさんと)オムライスを食べる。ムラキさんに会う前は毎回緊張する。ムラキさんは命の恩人だ。家がなかった私に家を与えてくれた。返しきれない恩義を感じている。ムラキさんの最新ブログ記事を読んだ。ら「貧乏は嫌い。お金にだらしがないひとは嫌い」と書かれていた。これはやばい、完全に自分だと思った。緊張感がグッと増した。これまでの日々は許されていたけれど、いよいよ「いまのあなたの生き方はダサい」みたいな感じで、見捨てられるんじゃないだろうか、ぶった切られるんじゃないだろうか、みたいな緊張感がある。

 

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わたり文庫『くう・ねる・のぐそ』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、伊沢正名著作『くう・ねる・のぐそ』です。このタイミングで紹介する本ではないような気もするけれど、最高です。伊沢正名さんのユーモアは素晴らしい。奇書ということになっているが、これは名著だと思う。傑作だと思う。私は「品があって、チャーミングなひと」が好きだ。伊沢さんにお会いしたことはないけれど、多分、品があってチャーミングなひとなんだろうなと思う。ムラキテルミさんも、最高に品があって、最高にチャーミングな女性です(って、伊沢さんと同時に紹介することは逆効果なのかなとかビビる。。)!ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※

 

他の多くの命をいただいている私たちが、自然に返せるものはウンコしかない。著者は、野糞をし続けて40年。日本全国津々浦々、果ては南米、ニュージーランドまで、命の危険も顧みず、自らのウンコを1万2000回以上、大地に埋め込んできた。迫り来る抱腹絶倒の試練。世界でもっとも本気にウンコとつきあう男のライフヒストリーを通して、ポスト・エコロジー時代への強烈な問題提起となる記念碑的奇書。 

 

伊沢正名『くう・ねる・のぐそ』【ヤマケイ文庫】

 

おおいにやりなさい。どんどんやりなさい。

数日前、甲子園球場高校野球を見た。本気で生きている選手たちを見て「美しいな」と思うと同時に、いま、おれは彼らのように本気で生きていることができているだろうかと思った。答えは明確、「NO」だった。本気で生きていないいまの自分はダサい。自分の本気を見てみたい。自分はもっとできるような気がする。そういうことを感じた。が、実際、それではなにに本気を出せばいいのかがわからなかった。登山をするとか、パン職人の道を極めるとか、そういうことでもいいのだと思う。が、もっと、なにかこう「俺が俺である必然性のあること」をやりたいのだ。結局、自分は意味を求めてしまう。俺が俺のためにやることが、結果的にみんなのためにも超なった、みたいななにか。自分の命を賭けるに値する(生活費削減以外の)なにかを、自分は強く求めていた。

 

ら、昨日お会いした方から「けいごさんはインディゴチルドレンなんだと思います」と聞いた。私は、その方のことがとても大好きなので、その方の言うことはなんでも鵜呑みにするようにしている。インディゴチルドレンとは、要するに「このままでは地球は滅亡する方向に進むが、インディゴチルドレンは現代の間違った方向を爆破するために生まれた正義の戦士」みたいな感じで、その役割は『既存のあれこれを破壊すること』にあるらしい。おお、これは素敵な役割だなと思った。大袈裟な表現になるけれど、これまでの日々、無目的に生きていた自分の命に価値が与えられたような、意味が与えられたような、役割が与えられたような、あたたかなうれしさに(梅田駅近くの居酒屋で)包まれた。

 

ムラキさんは、私に家を与えてくれた時に「家を用意してあげるから代わりに○○をしなさい」みたいなことは一切言わなかった。ただ、あなたの好きなように使ってねとだけ言った。私は、ああ、なんて格好いいひとなのだろうかとえらく感動をした。私という人間を見て、あれをしろとか、これをしろとか言うのではなく、ただただ「おおいにやりさない」とすべてを委ねてくれる人間の存在。ああ、おれも、こういう人間になりたいと思った。器が違う。とにかくデカい。デカい人間になりたい。ケチくさい小賢しい人間ではなく、器の大きな、その生き様から圧倒的肯定力を醸し出すことができる人間になりたい。そう思った。だから、私も、これから出会う人々に言いたいと思う。もしも、これからやりたいことがあるのなら、これから「こういう人間になりたい」と思うイメージがあるのならば、きっとそうなることができるから、好きなように生きなさい、おおいにやりなさい、どんどんやりなさい、自分全開で生きるのよ、と、そういう言葉を(言葉だけではなく生き様や存在全体を通じて)滲み出していきたいと思った。

 

 

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甲子園球場で高校野球を見た。本気で生きる選手たちを見て「美しい」と思った。客席にいると、周囲の人間の野次が聞こえる。みんな、グラウンドの選手たちに好き勝手なことを言う。もっとバットをちゃんと振れとか、あの内野手は頼りないとか、おれが監督だったらこうやるとか。中島みゆきのファイトが頭の中を流れた。戦う君の歌を、戦わない奴らが笑うだろう。外野の声は日和見主義だ。調子がいいときは褒めそやし、調子が悪いときは平気な顔で罵倒する。そんなものに惑わされてはいけないのだと思った。笑う側より、笑われる側の人間でいたい。本気で生きた人間だけが抱く、本気の悔しさや、本気の嬉しさに、敬意を表したいと思った。 #甲子園 #本気 #lifeisgood

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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