いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

自分が自分でいるからこそ、相手も相手でいることができる。

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甲子園を見ながら「アルプススタンドの応援は戦争に駆り立てる音楽に似ている。闘争心を煽る音楽は危険だ。自分だったらエンヤとかサラブライトマンとかを流してほしい(布施明のマイウェイでもいい)。荘厳な音楽に包まれた環境でかっ飛ばしたホームランは、扇動されたホームランではなく、純度の高い『俺のホームラン感』がある」とか思った。

 

 

甘いものが好きだと思っていた。が、正確には「甘いものを注文する」のが好きみたいだ。実際に食べておいしいと思うのは最初の一口で、二口目からは飽きている。結果、こんな感じのランキングができた。が、これには補足が必要だと思った。一位よりももっと一位は「リッツカールトンホテルのラウンジカフェで紅茶を頼んだときに、頼んでもいないのに一緒についてきたクッキー」だと思う。意表を突かれると戸惑う。えっ、いいのですか!?みたいな感じのよろこびに包まれる。期待に応えることよりも、期待を超えることが大事なのだなと思う。

 

ibaya.hatenablog.com

 

本気10割、冗談10割。 

色々なことがあり過ぎて心臓がばくばくしている。ブログに書けることは全体の1%にも満たない。先日、愛するムラキテルミさんに日航ホテルのオムライスをご馳走していただいた。最高だった。が、オムライスよりもムラキさんの思考力&行動力に激烈圧倒された。私は、自分を多動症だと思っている。が、目の前に「自分よりももっと多動症」な人物が登場すると、もう、圧倒されてしまう。人生経験が違う。ムラキさんを前にすると、自分は程度の低いガキンチョのように思えてくる。清々しい敗北感に包まれて「参りました」とひれ伏したくなる。この瞬間の敗北感は、うれしさに似ている。悔しさのない敗北感がある。ああ、人間はこんな風になることもできるのかという、ある種の希望を(そのひとの生き様を通じて)感じているからなのだと思う。

 

ameblo.jp

 

自分にとって大事にしたいと思うものが三つある。ひとつは「ギャグ(ユーモア・笑える時間をもつこと)」、ひとつは「書くことなどの表現・創作の時間」、ひとつは「魂について考える時間」 になる。あ、他にも『自然にまみれる時間』も必要だ。だから、理想的な結婚相手は「自然が好きで、自分が話すことを面白がってくれて、かつ、魂について(自分が語りたいと思う形で)語ることができる相手」ということになるのかもしれない。最近、結婚についてものすごい考える。あまりにも考えすぎるものだから、昨夜、ツイキャスを通じてみなさまの恋愛観・結婚観にお伺いをたてる時間を設けた。

 

twitcasting.tv

 

冗談半分、本気半分みたいな表現がある。私は「本気10割、冗談10割」でありたいと思う。算数的におかしいけれど、そんな一生を理想的だなと思う。とか言うと「お前はふざけた気持ちで自分と付き合っているのか!」とお叱りを受けそうだけれど、答えはYESでありNOでもある。「あなたと一緒に笑いたい」という気持ちに偽りはない。ムラキさんと話していると「あなたはめちゃくちゃなひとですね!」と何度も何度もツッコミをいれたくなる。が、実際にツッコミをいれながらも、ものすごいうれしくなる。口角があがる。笑顔になる。こころが軽くなる。多分、自由を感じているのだと思う。

 

わたり文庫『現代暴力論』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、栗原康著作『現代暴力論』です。栗原さんは書きます。税金をはらわないことがわるいことだとおもわされる。警官にしたがわないことがやましいことだとおもわされる。逆に、どちらもちゃんとやって、あなたはすばらしい市民だとかいわれると、うれしくなってしまう。大杉(明治・大正時代のアナキスト)は、これを奴隷根性と呼んだ。と。乱暴にまとめると、この本は「いい子ちゃんでいることに疲れちゃったあなた」に、是非、読んでいただきたい一冊になります。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、大阪府にわたりました ※※※

 

そんな人間が、どうして暴力を肯定しようなんていっているのかというと、それはいま、わたしたちが一方的に暴力をふるわれていて、にっちもさっちもいかなくなっているとおもったからだ。個人のレベルじゃなく、もっとおおきな社会的暴力がふるわれていて、しらずしらずのうちにそれにしたがわされている。それは暴力によって支配されているということなのに、なんだか服従することがあたりまえになってしまうと、そうしないのがわるいことだとおもわされてしまう。おかしい、いやだ、さからいたい。せめて、あらがうための力を手にしたい。いやいや、いつの時代のことをいっているんだ、この現代社会で暴力なんてふるわれていないよというひともいるかもしれないが、そんなことはない。わたしは、とくに福島原発事故以来、そういう社会的暴力というか、支配のための暴力が、より露骨になってあらわれているのではないかとおもっている。ここですこし、わたしの体験をまじえてはなしてみよう。

 

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僕等は今の音頭取りだけが嫌いなのじゃない。今のその犬だけが厭なのじゃない。音頭取りそのもの、犬そのものが厭なんだ。そしていっさいそんなものはなしに、みんなが勝手に踊って行きたいんだ。そしてみんなのその勝手が、ひとりでに、うまく調和するようになりたいんだ。

 

それにはやはり、なによりもまず、いつでもまたどこでも、みんなが勝手に踊るけいこをしなくちゃならない。むづかしく言えば、自由発意と自由合意とのけいこだ。

 

この発意と合意との自由のない所になんの自由がある。なんの正義がある。

 

大杉栄「労働運動理論家 賀川豊彦論・続」『大杉栄全集第5巻』ぱる出版、2014年)

 

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栗原康『現代暴力論』【角川新書】

 

自分が自分でいるからこそ、相手も相手でいることができる。

昨夜のツイキャスをまとめる。テーマは結婚。結婚したいけど「貯金がないから」「仕事が安定していないから」「自分には守る力がないから」みたいな理由で渋る瞬間は大量にある。しかし、それは外側の話に過ぎない。大事なのは内側だと。一緒にいたら迷惑かけちゃうかなとかじゃなくて『あなたと一緒にいたい』と願う、純然な内側の気持ちが命なのだと。そもそもで「誰かを守る」とか「誰かを養う」という考え方そのものが傲慢で、別に相手は「私を守って」とか思っていない。ただ、一緒に幸せになりたいだけなのだ。極論、自分のことさえも守れていないものが人間である。それは不完全を意味するが、不完全だからこそ他者を必要とすることができる。完全になることをまっていたら、まっている間に寿命が来る。墓場で嘆いても遅い。よろこびは生きている間に。

 

ムラキさんは何気ないかたちで「結婚ってみんな勝手にハードルあげてるよね」と言った。この言葉が、私の胸にじんわりと刺さった。多分これは結婚に限った話じゃない。なにかをしたい、なにかをやりたいとおもったときに「でも」とか「だって」とか、自分には無理みたいな気持ちになることは多い。が、多分、そんなことはないのだ。大事なのは内側だ。私は、先日、とある贈り物をひとにあげた。いままでの自分は「邪魔だったら捨てるなり誰かにあげるなり、あなたの好きにしてね」みたいな言葉を添えていた。相手の負担になること(なにかをおしつけること)をおそれるあまり、そういう言葉を添えていた。が、伝えるべきことはそこではないだろうと。思いやりも大事だが、それよりも大事なことは「あなたがこれをよろこんでくれたらうれしい」という、そっちの気持ちだろうと。あなたが好きだからこれをあげます的な、そういうことだろうと。この、謎の遠慮を発動する癖をどうにかしろ。もっと自分の気持ちに自信をもて。自分の好きを押し留めるのではなく外に外に開くことで、どんどん好きは溢れて来る。謎の遠慮で「自分の好き」をおしとどめている場合ではない。優しさは大事だ。思いやりも大事だ。が、時には「押し付けになることも厭わない」くらいの強い気持ちが、これまでの壁を突破することもある。

 

いいとか悪いとか、それは昔の自分の判断に過ぎない。ひとりの人間のなかには「変わりたい自分」と「変わりたくない自分」が同時に存在している。この、愛すべき人間的矛盾を勇気を出して突破することを成長と呼ぶ。別に無理をしてまで成長をする必要はないが、根本的に『変わることは楽しい』『成長することはうれしい』ことだと思う。こと、人間関係においては自分が変わるチャンスにあふれている。謎の遠慮で自分をおしとどめるのではなく、遠慮を超えて「自分の好き」を全開にする。と、新しい自分が登場する。新しい自分との邂逅は素晴らしいものだ。生きている限り『気遣い』みたいなことをしちゃう瞬間は大量にあるけれど、誤解を恐れずにいうと『気遣いが成功する確率は0%!』だと思う。大事なものは外側ではなく、内側である。自分が自分でいるからこそ、相手も相手でいることができる。だからこそ、こうあるべきという形に縛られるのではなく、生きているなかで出会う「あ、これはちょっといいかも」と思う方向に向かっておもかじ一杯、本気10割、冗談10割、自分は生きていきたいのだと思う。

 

 

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琵琶湖畔の夜。流星群が目の前を交差した。京都ではゲリラ豪雨に打たれた。雷が轟く。ムラキさん曰く「雷って神様が成るってことだから、成就するわよ。願いが。」とのこと。事実、そんな感じがした。強い雨も、激しい雷も、嫌な感じはまったくしなかった。あなたも、わたしも、いま、転換期にあるのかもしれない。余計な気遣いや、余計な遠慮で自分の軸をグラグラにさせちゃうことのないように。誰に何と言われても、自分のこころが「最高だ」と思う瞬間を大切にするように。 #琵琶湖 #流星 #lifeisgood

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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