いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

生き方に正解はない。どんな生き方も間違いじゃない。

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小学校教師をやっている高校の同級生(♀)がいる。昔、そのひとに「生徒たちにはどんな感じの教育をしてるの?」と聞いた。ら、彼女は「空気を読める子になってほしい」と答えた。私は、それを聞いた瞬間、彼女には申し訳ないけれどこどもたちがかわいそうだと思った。もっと言えば「地獄だな」と思った。教師になるひとはすごいと思う。自分には、画一的になにかを教育するだなんて、とてもじゃないけれど恐ろしすぎてできない。

 

 

私のことが大好きすぎる甥っ子は、現在小学一年生。家では半端なく騒ぐ元気な男の子だけれど、学校ではものすごいおとなしいらしい。そんな甥っ子を見て、周囲の人々は「学校でも自分を出せるようになるといいね」などと言う。周囲の反応はもっともなのだろうなあと思う。誰だって、自分のこどもには家でも学校でも世界の何処でも、楽しそうに生きていて欲しいと願うだろう。しかし、私は、学校ではおとなしいらしい甥っ子を見て「いいぞ、甥っ子。その調子だ。永遠にそのままで行け」と思った。

 

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学校は「楯突く力」を学ぶ場所。

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学校でおとなしい彼を見て、周囲の人々は「自分を出せていない」的な判断をする。しかし、私は、そんな彼を見て「めっちゃ自分出してるじゃん!いいじゃん!」と思った。常に明るく元気でいることだけが、みんなと楽しそうにわいわいすることだけが、授業中、積極的に発言をしたりすることだけが、自分を出すということではない。自分が従いたくないものには従わない、自分が言うことを聞きたくないものには絶対に耳をかさない、それは、立派に「自分を出している」態度だと私は思う。

 

しかし、学校ではそんな風に認めてはもらえない。基本的に「おとなにとって都合のいいこども」になることを求められ、それができる生徒は高評価、それができない生徒は低評価となる。最悪の場合は、ただ、おとなの都合にあわないだけで「この子は病気かもしれません」とか言われちゃう。劣等生のレッテルを貼られた少年少女は、徐々に個性や自信や生命力を剥奪されて「自分はダメな人間なんだ」という思い込みを強めていく。やがて、先生などの他者に認めてもらえる限り安心だけれど、他者に褒められない限りは永遠に不安という、他人軸フルマックスの(承認欲求にまみれた)優等生になってしまう。

 

学校は「楯突く力」を学ぶ場所だと思う。従いたくないことには絶対に従うなよと思う。ブルーハーツの歌詞に「おとなに褒められるような馬鹿にはなりたくない」というものがある。権威に服従するのではなく、自分が思う真理に服従をしてくれと思う。誰かの期待に応えようと頑張るあまり、ダメになってしまった人間をこれまで大量に見た。自分にとって大事な人間には、そんな風にはならないで欲しい。誰かに褒められることなんて、まったくなんにもならないよ。そんなことより、自分の感受性を守ってほしい。自分が「おかしい」と思うなら、それは(誰がなんと言っても)おかしいのだ。間違っても、おかしいと思う自分がおかしいのだと、自分を責める方向に舵を取らないで欲しいと願う。

 

 

Scenery in one's mind's eye

新潟から新横浜に向かう新幹線の車内。上越新幹線は二階建ての車両があり、新幹線は二階建てだと思って育ったけいご坊やは大学進学時に周囲と話が噛み合わずに離脱、孤独の日々に突入する。何もない新潟が嫌いだったが、何もないのは自分だった。テクノロジーが発達したいま、暮らす場所は重要ではないのかもしれない。では、なにが重要になるのだろうか。風と光と隣人の愛。私は「友情」だと思う。#niigata #maxtoki #lifeisgood

 

ただ珈琲を飲むだけの動画 #gopro #test #practice #niigata #aoyama #lifeisgood

 

野点カンタービレ。。 #最後の2秒だけでも見て帰ってください

 

自伝風物語もよろしくお願いします。

 

 

 

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生き方に正解はない。どんな生き方も間違いじゃない。

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夏で天気もいいのに、気分が晴れない。そんな日々が続いていた。部屋に閉じこもっていると、鬱々とする。これじゃいけないと思って、自転車を走らせた。運動をしていると深い呼吸をするようになる。そのことが全身に血を巡らせるのだろうか、気分は前よりマシになる。そして「ああ、俺は呼吸が浅かったんだな」ということを思ったりする。部屋を出て、世界に出ると、素晴らしい景色と出会えたりする。夕暮れ時、街をオレンジに照らす太陽が海に沈もうとしていた。いい感じに空が染まっている。慌てて自転車を漕ぐ。海に向かう。徐々に空は茜色に染まる。

 

夕焼けを見ると「うわあ」と毎回声が出る。綺麗だなと思う。そして「綺麗だな」と思う自分の気持ちに一点の曇りもないことを思う。自分が消えて、自分と対象が同一化するような感覚。鬱々としているときは、自分につかまってしまっている時だと思う。美しいものに触れた時、それは自分を忘れさせてくれる。自意識を吹き飛ばしてくれる。海に自転車を止める。波打ち際を歩く。夕日が沈む。綺麗だなと思う。綺麗だなと思いながら、ふと、泣きそうになっている自分に気づく。この涙は、いったい、どこから来ているのだろうか。自分という肉体はひとつなのに、自分という人格はいくつもある。夕日を見て感動しているのは「こどもの自分」で、そんな自分を見て、おとなの自分は「よかったね」と言っている。この景色を見ることができて本当によかったねと、自分が、自分に言っている感覚になる。

 

自分の中にこどもがいて、そいつがよろこぶとたまらなく嬉しくなる。まるで、ずっと笑うことのなかったこどもが、笑顔を見せたときのように。自分とは、自分のこどもでもあるのだろう。自分とは、自分の親でもあるのだろう。私に役割があるとすれば、それは、自分のなかにいるこどもに「綺麗な景色を見せてあげること」「広い世界を見せてあげること」「生きることの素晴らしさを味あわせてあげること」なのかもしれないと、そういうことを思った。時折、乱暴な言葉で自分を責めることがある。それは、さながら虐待をしている親のようなものだ。しかし、夕日を眺めながら感動をしている自分を見て、自分のなかにある親の部分が「よかったね。今日、これが見れて、ほんとうによかったね」と、涙目になりながら自分に語りかけていた。自分が笑顔を見せてくれたことに、なにより自分自身が感動をしていた。こういう瞬間を、こういう瞬間こそを、大切にしていきたいのだと思った。

 

 

切ない切ない切ないただそれだけを連呼しながら海に向かった。夏の夕暮れは切ない。夕暮れが切なくさせるのか、夕暮れが切なさを引き出すのか。懐メロを聞いていたら「答えを出さない それが答えのような」という歌詞。生き方に正解はない。ならば、どんな生き方も間違いじゃない。#niigata #sunset #lifeisgood

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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