私には5歳年上の姉と、4歳年上の兄がいる。どちらも既婚でこどもも2匹ずついる。姉のこどもはオス5歳とメス3歳。兄のこどもはオス6歳とオス4歳。昨日、新潟の実家に一族全員が出揃った。
今世は諦めてくださいと思う。
— 坂爪圭吾 / BillyGyallow🏳️🌈 (@KeigoSakatsume) 2018年8月17日
諦めるとは、生きることを諦めることではなく「ひとと同じであること」を諦めることだ。諦めるほどに軽くなり、諦めるほどに自由になる。清々しさを覚えるほど明朗に、潔く、諦めてしまおう。
元気なひとは、馬鹿なひと。 - いばや通信 https://t.co/QNKyQVl8IE
私を見た瞬間、小学一年生の甥っ子は「わぁあ、ヒッピーだ!ヒッピーだ!」と私を指差して笑った。それから「ヒッピー!ヒッピー!」と半狂乱になって走り続けた。つられるように、他のこどもたちも騒ぎ出す。一体、彼は、どこでヒッピーなんて言葉を覚えたのだろうか。私は「ヒッピーじゃねえし!」と軽い抵抗を示したあと、お前にとってヒッピーとはなにかと問うた。ら、甥っ子君は「えーっと、きたなくて、ばかで、ひとのものをぬすむひと!」と答えた。おいちょっと待て。きたなくてばかなのはお前も同じだろ。そう言うと、鼻水を垂らした甥っ子君は「うひょー!」と叫んだ。
数十年の記憶と、三百年の記憶。
左脳はロジカル、右脳はエモーショナル。よく聞く話だ。なぜ、甥っ子君はヒッピーなんて言葉を知っていたのだろうか。兄夫婦も「そんな言葉は教えたことがない」と戦慄していた。人間には左脳と右脳がある。聞いた話では、左脳は「今世における記憶」によって物事を考えるが、右脳は「三百年規模で過去に蓄積された人類全体の脳みそ」的な働きがあるらしい。司がヒッピーという言葉を知っていたのは、過去生の影響なのだろうか。こどもといると右脳が働く。動物にも同じ効果があるらしい。おとなの世界は左脳の世界だ。左脳ばかりが働いていると生きることに疲れる。まずは左脳を殺さナイト。
愛するムラキテルミさんがブログ記事を書いてくれて幸せです。先日、関西在住の巫女様から「あなたはインディゴチルドレンなの」とのお触れをいただき、晴れてさかつめけいんでぃごとなった私は、ムラキテルミさんをインディゴマザーと呼んでいる。いままでは緊張しすぎてムラキさんの奴隷みたいなポジションを能動的に選んできたけれど、これからは末っ子気質を存分に発揮して生意気なこととかも言っちゃうキャラで行きたいと思った。あくまでもフェアなお付き合いをしたいと思ったのだ。が、実物のムラキさんを目の前にすると「このひとには敵わない。。」と思って服従してしまう。ムラキさんは、パワフルで、可愛い。男は、本質的に「女性の尻に敷かれたい」生き物なのかもしれない。
どうでもいい話をしていると元気になる。上記ツイキャスから「スプーンの話」だけでも、めちゃ暇な時に聞いていただけたら嬉しいです。有名になりはじめると「そんなこと言ってねえし!」みたいな風評被害が露骨に増える。最近、私に関するデマが蔓延した。人間は弱い生き物だ。目覚めの占いで「あなたの今日の運勢は最高!」などと言われると絶好調になるが、運勢は最悪とか言われると(どれだけ占いを信じていないと言い張っても)どうしたって気に揉む。他人の言葉で、こんなにも簡単に気分の浮き沈みをするのが人間なのだろう。風評被害を受ける身として思ったことは「他人の言葉で決めるのではなく、自分の目で見て判断しよう」という、至極当たり前のことだった。言葉より、情報より、目の前の瞬間を大事にしたい。
Scenery in one's mind's eye
#kinokawa #bonfire #lifeisgood
まずは自分を救え。
先日、ピアノの先生をやっているY様から「夏野菜カレーを食べに来ませんか?」と、ご自宅にご招待していただいた。Y様には常日頃からお世話になっている。私が酵素玄米にはまりたいと思っていた時期に、ラゴスティーナという高級圧力鍋をプレゼントしてくれた。ラゴスティーナはすごい。玄米が美味しく炊けまくる。驚きの25年保証である。それ以来、ラゴスティーナはごちゃまぜの家の家宝になっている。Y様には、私と同年代の娘M様がいる。Y様は、M様との関係性にちょっとした悩みを抱えていた。ので、今回は娘さんと一緒に我々三人で夏野菜カレーを食べるという感じの流れになった。
話すと長くなるのですが、結論から言うと娘のM様の言葉に偉く感動した。M様曰く「お母さんは、私との関係がどうのこうのって言うけれど、この前、お母さんがピアノの発表会の時に『いままでは先生としてちゃんとやらなきゃって思いがすごい強かったのだけれど、今回は、なによりも自分自身が楽しみながら弾くことができた。こんなにもピアノを弾くのが楽しいと思えたことは、生まれてはじめてかもしれない。それがなによりもうれしかった』って話してくれた時期から、私との関係性もひらけて来たように思う。私との関係どうのってことより、お母さんが、お母さんの人生を楽しんでくれることが一番なんだと思う」とのこと。ああ、なんだかものすごいよくわかるなあと私は感動をした。
その話の直後、坂爪の恋愛観について「意気地が無い!」とY様&M様両者から軽いお説教のサンドイッチを受けたのちに、なごやかな雰囲気のまま食事会は終わった。楽しかった。私はテントに戻る。灯りをつける。本を開く。ページを開いた瞬間、素晴らしい言葉を見つけた。そこには『これ以上重い荷物を持って歩く必要はどこにもない。幻から解放されたとき、ありのままのあなたは女神そのものだと気づくだろう』と書かれていた。誰にも頼まれた訳でもないのに、勝手に重荷を背負って、勝手に潰れてしまうことは頻繁にある。しかし、その重荷は、もしかしたらまったく背負う必要のなかったものなのかもしれない。こうあるべきとされているもの、生きるうえでのカセのように感じるもの、それらを一旦取りはずしたあとに残る『自分自身』こそ、神聖で、崇高で、最上の美を備えたものになるのだろう。すべてのひとが、そのひとなりの輝きかたで輝くことのできる世の中になるように。世の中、などと言ってしまったが、世の中がそうなることを待つのではなく「まずは自分を楽しませること」「まずは自分を生きること」「まずは自分を救うこと」が、崇高な行為になるのだと思った。
誰かの為とか言ってないで、自分の為に生きること。誰かの期待に応えるのではなく、自分の期待に応えること。何かをしてもらうことを待つのではなく、欲しいものは自分で獲りにいくこと。まずは自分を救うこと。自分が自分を救う時、その副産物として、勝手に周囲の人々も照らす光を帯びるのだと思う。
— 坂爪圭吾 / BillyGyallow🏳️🌈 (@KeigoSakatsume) 2018年4月2日
人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu