元気なひとを観察してみると「馬鹿なひと」が多い気がする。自由に生きているひとは、それに触れたひとのこころまで自由にする。偽りの自由人は、別に、一緒にいても自由にはならない。偽りの自由人ほど「みんなもっと自由に生きたほうがいいよ!」とか言う。なんかいやだ。真の自由人(真の馬鹿)は、他人の生き方にああだこうだ言わない。自分の人生に忙しい。自分の人生に忙しいひとを見ると「ああ、このひとは、小さな頃からそのまま来てしまったんだな」と思う。そのまま来たひとを見るとうれしくなる。自分もそのまま生きたいという気持ちになる。
人間関係において「嫌われないこと」を最優先にしてはいけないのだと思う。
— 坂爪圭吾 / BillyGyallow🏳️🌈 (@KeigoSakatsume) 2018年8月15日
優しさは大事だ。思いやりも大事だ。
でも、それ以上に大事なことは「自分の思いを真っ直ぐに伝えること」だと思う。
自分が自分でいるからこそ、相手も相手でいることができる。 - いばや通信 https://t.co/dCkIKHuH9I
愚かでチャーミングなひとを「おろかわいい」と呼んでいる。私はおろかわいいひとが好きだ。先日、愛する女性から「圭吾さんは言っていることとやっていることがめちゃめちゃですね」と言われた。そう言う彼女の顔は笑い、そう言われる私の顔も笑う。これが平和だと思った。ついつい、誰かといると自分の良い部分ばかりを見てください的な気持ちになる。が、愚かさが愛されたら勝利だ。真の意味で元気なひとは「愚かさが愛されてしまっている」状態であり、偽りの自由人には「自由ぶっているキャラクターで商売をしようとしている」みたいな不自由さを感じる。そこには明確なNO!を示していきたいと思う。
予測不可能性に賭ける。
大阪で途方に暮れていた時にY様に出会った。Y様に「これからなにをしたらいいのかわからないのです」と話すと、Y様が「それなら私が車をレンタルしてあげるから、和歌山の白浜温泉に行きなさい。崎の湯が最高だから」とご提案をいただいた。すごい流れだと思った。嘉向徹さんと行動を共にしていたので、和歌山に向かう車内でツイキャス音声配信を録音した。道中、フルーツの話題で盛り上がった。私はりんごが大好きだ。だが、りんごは結構高い。一個200円とかすると「すごい食べたいけど無理」とか思って、スーパーマーケットで涙がこぼれそうになる。
みなさまの金銭感覚はどんな感じなのだろうか。私の1日の食費は100円程度なので、本当はきのこを買いたくても「きのこ一個で100円じゃん・・・」とか思ってきのことか買えない。ここで再び泣きそうになる。結果、家では毎日納豆卵ごはん(ごはんだけは酵素玄米)ばかりを食べている。そんな小生ではありますが、8月いっぱい熱海と横浜でわたり食堂【0円食堂】を開催しています。今日から数日間、私は横浜にあるごちゃまぜの家に滞在をしています。是非、誰でも気軽に遊びに来てください。素晴らしい家です。夜はツイキャス配信をできる限り毎日やりたいなあと思っています。
街に出ると悲しい気持ちになるから、必然、足は自然に向かう。河川敷で焚き火をする。落ち技を探し、落ち技を組み立て、焚き火を眺めている時間は恍惚だ。同行している嘉向徹さんと話す。ねえ、俺たちって、なんでこんな生き方しかできないんだろう。金もないくせに家を飛び出し、旅先で「お金がないので誰か泊めてください!」とか言っている俺たちは、はた迷惑な存在でしかないんじゃないのかなって思うんだ。と。すると、嘉向徹さんは「希望があるのだと思います」と言う。バラバラに生きているのではなく、みんなで生きているのだと思いたいのです。家と職場の往復だけでは、ひとりきりでじっとしているだけでは、そういう気持ちになることはできません。だから、こんなことをしているのではないでしょうか、と。ああ、美しい言葉だなあと思った。
おやすみ前のお供にどぅーぞ。。 pic.twitter.com/4dIr2xSIQg
— 坂爪圭吾 / BillyGyallow🏳️🌈 (@KeigoSakatsume) 2018年8月19日
わたり文庫『ハチ公の最後の恋人』
今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、吉本ばなな著作『ハチ公の最後の恋人』です。夏の終わりに・・・死んだわけじゃない生きてるんだ・・・この瞬間もどこかの空の下で・・・ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。
※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※
ハチは黙って前を見た。私も見た。
バスは揺れて、坂道を下ってゆく。並んですわった足が、もものところが触れ合っている。
今、同じこと考えてる。
今、全く同じことを考えてる。静かに。耳を澄まして感じよう。
光が二人の膝で踊っている。前のほうでおばあさんが居眠りをしている。運転手の前には家族の写真が張ってある。道筋にあるたくさんの旅館にのどかな午後が訪れている。木々が光をはらんで揺れに揺れている。風、涼しい、極上の風。
バスが揺れている。光が、踊っている。
どうかそれだけで、このままで。
永遠に消えない。
夏の、奇跡の抱擁を。
二人だけで、二人きりで。
吉本ばなな『ハチ公の最後の恋人』【中央公論社】
元気なひとは、馬鹿なひと。
この前、靴が壊れて駅ビルの服屋さんに行った。手頃なサンダルを探していたら、いい感じの女性店員が「お客様にはこれがお似合いですよ♡」とか言って白いサンダルを出して来た。女性店員があまりにもいい感じだったので「こんなにおしゃれな女性がこんなにすすめるなら、これでもいいかな」とか思って、普段、自分だったら絶対に買わない色のサンダルを買いかけた。が、直前のところで「うおー!」となって、逃げた。こんな感じの弱さが自分にはある。ついつい、誰かが言う「あなたにはこれがいいですよ」につられて、本当は惹かれてもいないものを「これでいいか」と生活に取り入れてしまう傾向がある。これはよくない。こういうところから自分軸はズレはじめるのだと思う。
いい1日とは、誰かと心を通わせることができた1日だと思う。すべてを取っ払ったあとに残るその人自身に触れたとき、自分の中にある「生身の人間」が共鳴をして、溶け合うよろこびを覚えるのだと思う。あなたがあなたでなければ興味がない。あなたがあなたであるからこそ、会えて良かったのだと思う。
— 坂爪圭吾 / BillyGyallow🏳️🌈 (@KeigoSakatsume) 2018年4月1日
本当に一目惚れをしたら「うおー!」となって、迷わずそれを購買していただろう。迷っている時点でアウトであり、これでいいかみたいな感覚で道を選ぶと人生が中途半端になる。これでいいではなく「これがいい!」と前のめりになる感覚を大事にしなければ、人生全体が「これでいいか」の集合体になってしまう。私は学んだ。自分から「それではこれをお願いします」と店員さんに告げておきながら、買わないで走って逃げる自分は最悪だなと思ったけれど、逃げたあと、とても清々しい気持ちに包まれた。よし、俺は俺を守ることができたという爽快感。晴れ晴れしさ。やり方は最悪だったかもしれないが、これでよかったのだと思った。俺は、俺に前のめりになることができたのだと思った。
今世は諦めてくださいと思う。ひとには向き不向きがある。誰もが当たり前にできることが、自分にはできない。諦めるとは、生きることを諦めることではなく「ひとと同じであること」を諦めることだ。諦めるほどに軽くなり、諦めるほどに自由になる。清々しさを覚えるほど明朗に、潔く、諦めてしまおう。
— 坂爪圭吾 / BillyGyallow🏳️🌈 (@KeigoSakatsume) 2017年12月14日
深刻になっている方が頭が良いみたいな、まじめに生きているみたいな風潮があるけれど、本当にそうかなと思う。ひとは、ああしなさいとかこうしなさいとか言われなくても、勝手にやりたいことを見つける。逆に言えば、なにかを「やれ」と強制された瞬間に、言われた側のなにかが死ぬ。こどもが元気なのは、無駄が多いからだと思う。こいつら頭おかしいんじゃないのかなってくらいに動くし、笑う。それがいいのだと思う。元気なひとは、馬鹿なひと。この言葉を思い出すだけでも元気になる。元気なひとといると元気になるのは、それが正しいからではなく「それが楽しいから」なのだろう。私は、元気があって、愚かで、チャーミングで、ユーモラスで、これは結構大事だと思うのだけれど「品のあるひと」が好きだ。そういう人々と、残された日々を楽しんでいきたのだと思った。
生きているだけでいいんだよ。それ以外はおまけだよ。有名になるとか、金持ちになるとか、立派な功績を残すとか幸福な家庭を築くだとか、そういうものの全部はおまけ。それができないからといって、自分に価値がないなんてことはない。こうでなきゃいけないことなんて、本当はひとつもないのだと思う。
— 坂爪圭吾 / BillyGyallow🏳️🌈 (@KeigoSakatsume) 2018年1月8日
人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu