いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

【1日目】Everything is Rhythm

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4月9日朝8時ホノルル空港に到着する。無料Wi-Fiを拾ってホノルル在住N様と連絡をとる。空港まで車で迎えに来ていただき、アラモアナショッピングセンターに向かう。道中、連立するコンドミニアムを横目に「あそこの最上階は37億円するんですよ」とN様から伺い度肝を抜く。アラモアナに着く。14日間6GB40ドルのSIMカードを購買する。保科さんがアサイーボウルが大好きだと話すと、N様が「それなら美味しいアサイーボウルがあります」と我々の進む道を照らす。

 

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ISLAND VINTAGE COFFEE

 

N様の娘様も「ここが一番美味しい」と話すハワイイ史上最高のアサイーボウルをご馳走になる。我々はゆっくりと床に膝をつける。両手をあげ、まあるい気持ちを込めて「ありがとうございます」と土下座をする。N様は「やめてください」と笑う。アサイーボウルを食べる。あまりの美味しさに愕然とする。実家の両親の顔が浮かぶ。素朴な両親。雪国の貧しい家庭に生まれ育って中学卒業と同時に床屋に弟子入りをしたままロクに旅行もしたことのない新潟の両親。両親は、こういうものを食べることなく生涯を終えることになるのだろうか。美味しいものを食べると好きなひとにも食べさせたくなる。素晴らしい景色を見ると好きなひとにも見せたくなる。聞くと東京の原宿にも同じ店があるとのこと。原宿にまったく用事はないけれど、アサイーボウルを食べるために行くのはいいなあと思う。

 

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アサイーボウル。牛丼の並盛りより大きい(気がする)。

 

🌈🌈🌈0日目の記事はこちらです🌈🌈🌈

 

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ワイキキビーチに到着する

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ワイキキビーチ沿いの公園

 

N様にワイキキまで送っていただく。アサイーボウルを食べながら、保科さんが「僕はハンドマッサージや庭の剪定や引っ越し作業などを手伝うのが好きです」と話した。徹さんは「僕は家の掃除や断捨離や、最近は家の解体などもできるようになりました」と話す。それを聞いたN様が「それなら明日、ケアホームにハンドマッサージボランティアに行きませんか??」と早速ご提案をしてくださる。我々三人、観光するために来た訳ではなく「ここでしか刻めない人間関係を構築することができたなら」という思いで来ているために、お手伝いをさせていただけることをよろこぶ。数珠つなぎのように人生は続く。

 

ワイキキに到着する。N様と別れる。眠すぎたので公園で寝る。気持ちよすぎて悶絶する。目覚める。お風呂がわりに海にはいる。海底の岩で膝小僧をすりむく。ベンチに戻る。気分が非常にすっきりしている。と、ホームレスのひとに「たばこをください」と話しかけられる。たばこを渡す。数分後、ホームレスのひとが「これをあげます。これは刑務所ドーナツと言います。わたしは昔警察官でした。日本にも昔住んでいたから日本語話せます。タバコをもう一本ください」と再登場する。エメラルドグリーンの不思議な瞳をした、優しそうな男性だった。このタイミングで、ホノルル在住K様が車で迎えにきてくださる。荷物をまとめる。別れ際、ホームレスの男性が「エンジョイ!」と笑う。「またね!」と答える私たちも笑顔になる。

 

ダイヤモンドヘッドマーケット&グリル 

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ダイヤモンドヘッドマーケット&グリル。ローカルでも愛用しているひとは多い。

 

K様の車に乗る。まずは腹ごしらえからとランチに連れて行っていただく。ダイヤモンドヘッドマーケット&グリルで複数個のランチボックスとスーパーフード(キヌア)のサラダなどを眼前のダイヤモンドヘッドを眺めながら食べる。途中、ブルーベリーチーズスコーンを追加で頼む。ここでしか食べることができないブルーベリーチーズスコーンはあまりにも美味しかった。ちゅんちゅん。鳴き声がする。すずめが我々を見ている。我々のスコーンを狙っている。手のひらにスコーンのかけらを乗せると、スズメが手のひらに乗ってくるものだから死ぬほど可愛かった。ちゅんちゅん。ちゅんちゅん。手乗りすずめに心を奪われながら「これが平和だ」と思った。わたしにとって、平和のイメージは『動物が謎に人間にめちゃめちゃなついている』というものになる。その片鱗に触れた気がして嬉し(楽し)かった。

 

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ダイヤモンドヘッドからの眺め。


K様から「せっかくだからダイヤモンドヘッドを登りましょう」とご提案をいただく。私はここ(駐車場)で休んでいるからということで我々三人で片道30分程度の登山をする。最高に気持ちよいネイチャー感を前に「こういうのが欲しかったんですよね」と男性陣一同確かめ合う。ハイキングを終えてコーヒーを欲する。K様にその旨を伝える。スタバに向かう。車内で眠る。スタバに着く。コーヒーを頼む。テラス席で飲む。ベンチに横になる。意識を失う。本日3回目の昼寝をする。坂爪が意識を失っている間、保科さんはK様にご奉仕系フリーハンドマッサージを行う。鳥の糞がテーブルに落ちる。徹くんの大切な高級カメラのギリギリ真横に落ちて「セーフ!!!!!!!!!」と叫ぶ。

 

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夕日を眺めに行く。

 

夕日を見ようと移動をする。ポイントパニックという海岸に着く。横になる。寝る。意識を失う。目を覚ますと、保科さんがいい感じに黄昏ていた。にゃんにゃん。大量の猫がいた。K様は猫に猫缶をあげていた。目覚めたわたしに「猫みたいにお昼寝をすることを英語ではキャットナップっていうんですよ」と教えてくれる。ハワイと言えども夕暮れ以降は寒くなる。長袖を羽織る。徹くんがいない。どこにいっているのだろうかと見渡すと、海の中にいた。ポイントパニックはボディサーフィンの聖地である。そこで、徹さんはボディーサーフィンをサーフィン抜きで(寒いのに)楽しんでいる姿を遠目で確認した。

 

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そのまま徹さんは流されていきました。

 

Everything is Rhythm

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最後はNICO'S。K様に連れて行っていただく。

 

ハワイイの築地でおなじみNICO'Sに行く。最高にいい感じの場所で最高にいい感じの晩御飯をご馳走になる。初日にこれほどまでの恩恵を被っていいのかなと、明日死ぬのかなおれたちと思う。K様はハワイイで暮らして20年以上の年月を経ている。英語はリズムだと習う。発音よりもリズムである。リズムさえ合えば思いは伝わる。これはなんだかものすごい大切なことであるような気がした。K様の話す英語を、私たちは英語の授業さながら暗唱する。日本でも、ひとと話しているときに「言いたいことを話すより、最初は相手とのチューニングをあわせること」が大事だなと思うことは多い。いきなり自分の話をしても届かない。いきなり相手に話をされても聞く準備ができていない。一番最初にやることは、相手とのリズムを合わせること。それは「チューニングを合わせること」だと思う。

 

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ハワイ名物のポケ。鮮魚の切り身を調味したもの。

 

ホノルルにおける海水浴や登山や夕日や食事を通じて「少しはハワイとリズムを合わせることができているだろうか」と思った。ダイヤモンドヘッドの山頂、あまりにも景観が素晴らしかったために全方位に向かって参拝(?)をした。ハワイの神様、我々をよろしくお願いいたします。神様の道具としてお使いください。と。Everything is Rhythm。リズムとは「自然の摂理」を指すのだろうか。それとも「魂の声」をさすのだろうか。自分の内側にあるものなのだろうか、自分の外側にあるものだろうか、それとも「その両方」なのだろうか。森羅万象、山川草木、この世にある万物とリズム【チューニング】を合わせること。そうすれば、自分の願いや祈りなどといったものもつつがなく実現をするのではないだろうか、と、時差ボケの頭でそんなことを感じていた。

 

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豪華すぎる食事に「やばい!」としか言えなかった。

 

明日以降の予定はない。保科さんと徹さんは「ケア施設にハンドマッサージに行く」という予定を獲得している。ひととの繋がりがあれば人間は死なない。こんな感じでホノルルとの繋がりを生み出していく彼らの姿は美しい。明日以降、彼らにはやることがある。わたしにはなにもない。明日からどう動くのだろうか。ごちゃまぜの家@ハワイは無事に実現をすることができるのだろうか。実現するとしたら、それはどのような形で実現をするのだろうか。わからない。わかることといえば「現在の自分では想像もすることもできないような形で、それは実現をするのだろう」ということだ。ハワイイ州各島にお住いの方で「もしよかったら話しましょう!」などと思ってくださる方がおりましたら、いつでもお気軽にご連絡いただけましたら幸いです。カウアイ島でもマウイ島でもモロカイ島でもラナイ島でもハワイ島でもどこでも行きます。Everything is Rhythm。なにも予定がないということ、それは「どこにでも行ける」的な強みでもあるのだと信じて(宇宙のリズムに合わせて)明日からも踊り続けたいと思います!!

 

連絡先・さかつめけいご

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連絡先・ほしなりょうた

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連絡先・かむきとおる

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🌈🌈🌈単体でも、三体同時でも動けます🌈🌈🌈

 

三人揃いました!行ってきます! #BillyGyallow #hawaii #lifeisgood

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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【0日目】天国つくるぞコノヤロー。

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階段とエスカレーターがあったときに階段を選ぶひとを「いいなあ」と思う。これから福岡空港を出て一旦関西空港に飛び、日付的には9日朝にホノルルに着く。福岡には焼き鳥を食べるためだけに(お声をかけていただいたので)来た。ラーメンよりも俄然うどん派!ということで博多ではうどんばかり食べていたけれど、焼き鳥やごまさばや日本酒、水炊きや鶏のたたきなどが美味すぎて震えた。うどんばかり食べていた自分はアホだと恥じた。福岡の食文化はすごい。飲食店のみなさまの感じも「いい感じ」のひとが多い。新潟とは違ってみんなはっきりしていて裏表がない。新潟には裏表しかない。福岡空港のアクセスも抜群で、もう、福岡が首都でもいいんじゃないのかなと思った。

 

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GOCHAMAZE no IE no WALLET

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福岡でお会いしたY様が「ハワイにこれを持っていってください!」と手作りの財布を渡してくれた。昨夜、深夜四時まで夜鍋をして自作をしたのだと話す。Y様曰く「さかつめさんが前に、ハワイのひとにも日本のごちゃまぜの家に来てもらえたらうれしいって話していたから、この財布はハワイで出会った方にプレゼントしてください!裏には住所も縫ってあります!」とのこと。優しすぎる心遣いに爆発的な感激を覚えた。裏側を見てみるとこれまた半端なく可愛いらしいデザインの刺繍が施されてあって震えた。

 

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住所が実はちょっと間違っているのがこれまた最高に素敵だと思った(正しくは神奈川県横浜市富士塚2丁目24−5)。今回、ハワイにもごちゃまぜの家を作り出すために2週間ハワイに行くのだけれど、原時点ではまだなんにもあてはない。同行する保科亮太さんと嘉向徹さんは「助さん格さん的なポジションで行きます!」と言ってくれている(彼らと一緒に行けることがほんとうにうれしい )のだけれど、無事、奇跡的にハワイにごちゃまぜの家を実現できた暁にはこの財布を「みんなの財布【誰でも自由に出し入れをできる財布】」として生かしていけたら最高すぎる、などと思ったら意気込みが増した。

 

 

テーマソング『KOKOでな』

ハワイにおけるテーマソングはザ・ハイロウズがセックスピストルズ来日公演時の前座で歌ったSOTOデナという曲が最適だなあと思った。このメロディーに合わせて「天国つくるぞコノヤロー♫KOKOデナ♫KOKOデナ♫」って歌っていると元気になる。世界のいろいろな場所に天国みたいな場所をつくれたらいいなあと思う。国歌はこれだ。国旗は虹だ。最低すぎる歌詞だとは思うのですが、どうしてなんだろう、彼らが演奏をすると最高にかっこういいなあって感じてしまう大好きな曲です。

 

 

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ごちゃまぜの家 in ハワイ企画

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天国つくるぞコノヤロー。

4月7日の誕生日は、ごちゃまぜの家でわたり食堂【0円食堂】を開催した。小さなこどもも大きなおとなも(小型犬も!)年代関わらず集まってくださり、ギターを弾く人がいれば歌を歌う人も、占いをする人もいれば料理をつくる人も、ひとと話している人もいれば縁側で日光浴をしているひともいた(自分自身は4歳の女の子に3時間くらい襲われていた)。みんながバラバラなことをやりながら、謎に調和が保たれているこの景観を眺めながら「これが平和だ!」と思った。縁側を走りまわるこどもたちを眺めながら「ここが天国じゃないか!」と思った。それを見た参加者の方が「これが地球家族ってやつですね!」とも話していた。平和はすでに実現をしていた。平和はすでにここにあった。あとは、与えられた平和【天国】を拡張することができたら最高にハッピーだなあと思った。

 

 

私の悪い癖は意気込むと同時に肩に力がはいりまくることである。そのことをまるで察していたかのように、財布を渡してくれたY様が「天国つくるとか言ってますけど、なによりもさかつめさんが楽しむことですよ。さかつめさんが楽しんでいれば、そこが天国になるんです!」というあなたは女神様ですか的な忠告を与えてくれた。いやもうほんとうにおっしゃる通りですねと女神を前にひれ伏した。私は頻繁に自爆をする。自爆をするたびに「うわあああああああああ!!」となって生きる希望を失うのだけれど、33歳を迎えたいま、満を辞して『成熟したアダルトな愛』を発揮する時期がいよいよ来ているのだと思う。

 

 

大前提として人生はボーナスタイムである。生命に勝ち組も負け組もない。生まれた時点で誰もが勝ち組であり、30歳を超えたら全員定年、あとは余生みたいなものだと私は決めた。何かをしなければとか何者かにならなければとか、そのような一切の規則はまぼろしである。最近思う。生きる目的は「ひとつになるため」ではないだろうか。偉大なる魂を、不安や恐れで翳らせないこと。自分だけではなく、ひとりひとりの人間が祝福された存在であることを忘れないこと。わたり食堂参加者の方からメールが届いた。偉大なる魂よ、世界を照らしたまへなどとここまで書きながらいま飛行機の中でものすごいトイレに行きたくなっているのだけど隣の席の女性があまりにも気持ちよさそうに大口を開けて眠っているから申し訳なくて行けない。関空到着次第便器にヘッドスライディングをしたいと思います!!

 

 

坂爪さま


おはようございます。
昨日ごちゃまぜの家にお邪魔させていただいた○○です。
突然に、3人もの子どもを連れてお邪魔してしまい、申し訳なさを感じつつも、とても充実した、豊かな時間を過ごすことができ、心からの感謝でいっぱいです。


ごちゃまぜの家を体感したい!その一心で押しかけたので、静かに過ごしたい方には、子ども達の溢れるエネルギーに落ち着かない思いをさせてしまったり、お相手してくださった坂爪さんはじめ参加者の皆さんが、さぞやお疲れになったのではないかと、お礼とともに「ごめんなさい」もお伝えしたいです。


しかしながら、一緒に行った娘が、年齢や学年を聞かれ、学校に行ってないことを伝えても、皆さんから否定もせずにその事実を受け入れてもらえたこと、また、行かないことの意義をお話くださる方の存在に、随分と励まされ勇気づけられたようで、楽しかった、また行きたいと口にしており、彼女にとってもまた、かけがえのない時間となったようです。


私自身、繊細な娘とエネルギッシュな長男、穏やかだけどまだ小さい次男という、三人三様(上の二人はほぼ毎日在宅)という現状に、大きな疲れと迷いがあったのですが、ごちゃまぜの家が、ありのままの子ども達を受け入れてくださったこと、特にゆかさんと話せたことで、私自身が子ども達をありのまま受け入れられてなかったという事実に気がつき、帰り間際は泣きたい気分になっていたところ、しろしろさんのピアノの音色に涙が一氣に溢れ、そして今まで、我慢ばかりして自分を責めていたから、子ども達の不登校を受け入れられなかったのだと、ふわぁっと気づくことができました。


私は我慢が癖になっているのだと思いますが、これからはもっと自分の気持ちに素直に従い、人の優しさを感謝をもって受け取って、学校に行こうが行かまいが、私が腹を痛めてこの世に送り出した子ども達と、もっともっと心豊かに幸せに過ごせるようでありたいと思います。


ごちゃまぜの家for不登校(でもこの不登校って言葉はキライ)とでもいいましょうか、行きたくないコと、行かなくていいよ!って言える大人が集まって、好きな事をして過ごしたりや勉強なんかができる、そんな場所が身近に作れたら最高だな、という思いを強くしています。


最後になりましたが、お誕生日おめでとうございました!
そして、ハワイで素敵な時間をお過ごしくださいませ。
次は坂爪さんともいろいろお話できるといいな。(昨日はご本人を目の前にして、頭が軽く真っ白になっていました)


言葉にし尽くせない感謝を込めて

○○○○

 

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藤の花 #BillyGyallow #春 #lifeisgood

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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魂に触れる Be sexy

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人生で一番感動をした瞬間がある。高校一年生の頃、わたしは軽音楽部に入部をした。生まれてはじめてバンドを組み、わたしはギター&ボーカルを担当した。ベースの友達とドラムの友達と「この楽曲を練習しよう!」と決め、スタジオにはいる日程を決める。各自練習を積み重ね、スタジオに向かう。生まれてはじめて音合わせをする。ドラムがカウントをとる。1、2、3、4。その瞬間、ギターとベースとドラムの音が完全に一致をする。シンフォニーを織り成した瞬間、その瞬間、わたしの全身を言葉にならない歓喜が貫いた。快楽と恍惚と官能を足して3で割らない感じの濃厚な歓喜。ああ、すごい、人生にはこんなにも素晴らしい瞬間があるのかと、歓喜で全身が打ち震えた。

 

 

今日、わたり食堂【0円食堂】にピアノ奏者とフルート奏者の方が遊びに来てくれた。わたしがギターを弾いていると、それに合わせるようにピアノとフルートが参加をしてくれた。ギターを弾く。ピアノとフルートが、それに合わせるように音楽を奏でる。次の瞬間、なんだかものすごいシンフォニーが生まれ、まるで、ピアノとフルートによって「自分一人では到底行くことのできない次元にまで、彼らに連れていってもらえた」ような感覚を覚えた。高校時代の感動に勝るとも劣らない、圧倒的な感動に包まれた。魂に触れたとしか形容のできない瞬間がある。こんなに気持ちの良い瞬間があるのかと、音楽の底力に触れた気がして意識が飛びそうになった。オーディエンスの人たちも、わたしたちと同じくらい感動をしてくれた。泣きそうになったと話すひともいる。音楽はすごい。別の次元に連れていってくれる。33歳の誕生日に、このような出来事に恵まれたことをとてもうれしいことだと思う。交響曲のような一年を過ごしたいと思う。自分一人では到底行くことのできない次元まで、みんなと一緒に行きたいのだと思う。

 

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銀座駅の焼肉屋

昨日、銀座でK様に焼肉をご馳走になった。K様とは、前回の記事でも書いたけれど「言葉は死んだ人にも贈ることができる」という話をした。この話には続きがある。死んだ人に贈ることができるのはなにも言葉だけじゃない。音楽を贈ることもできるし、絵を贈ることもできる。それだけではない。花を贈ることもできる。わたしたちは、死んだ人のお墓に花を供える。K様にとって、花は「この世とあの世の間にあるもの」だと言う。花は「あの世とこの世を繋ぐゲートみたいなもの」だと言う。花は枯れる。しかし「この世で花が枯れたとき、それは『向こう側に花が贈られた』ことなのだと思う。だから、死んだ人には花を贈ることもできるのだと思います」とK様は話す。

 

これはものすごい話だと思った。K様は続ける。坂爪さんもおはなを配っているから、似たような感覚をもっているのかもしれません。わたしと坂爪さんに共通点があるとしたら、それは「死んだ後にもっていけないもの」に興味がないということだと思います。わたしはお花を買います。そんなわたしを見て、あるひとは「どうして枯れてしまうものにお金を払うのか。食器や本ならいつまでも使えるのに、やがて枯れてしまうものにお金を使うなんて経済観念がない」などと言います。でも、違うのだと思います。おかねやモノは、どれだけ溜め込んでも死んだ後にもっていくことはできない。だから、それを支えにして生きることができない。死んだ後にもっていけるもの、それは言葉であったり音楽であったり絵画であったり花であったり祈りであったりすると思うのですが、坂爪さんは「死んだ後にもっていけないもの」に興味がないのだと思います。

 

すごすぎる話だと思って震えた。K様の言語化能力を前にひれ伏した。K様は言う。昔、どんなひとを好きになるかと言う話を友達とした。あるひとは「格好いいひと」とか「財産があるひと」とか「優しいひと」と言うけれど、どれもピンとこなかった。わたしの場合、そのひとが「理不尽な仕打ちにあったときに、どう返すか」に興味がある。その瞬間に発揮されるオリジナリティに興味がある。理不尽な目に合う。世を呪う。世を呪うのは簡単だ。しかし、簡単なことに価値【オリジナリティ】はない。成功という言葉を使うのもあれだけど、成功者と呼ばれているひとは「理不尽な仕打ちにあったとき、どう返すか」の一手が斬新【魅力的】なひとを言うのだと思う。理不尽とは、料理でいうところのネタのひとつにすぎない。それを『どう捌くか』に、そのひとのオリジナリティは発揮されるのだと思う。と。わたしはこれを聞いて再び打ち震えた。いま、自分はとんでもないひとと焼肉を食べているのではないだろうかと打ち震えた。

 

ダサさ回避に命を賭ける。

誤解を恐れずに言うと「理不尽な目にあって世を呪っているひとたちは大量にいる」と思う。悩み相談を受ける機会が多い。話を聞いていると「いかに自分がかわいそうな存在か」を全身全霊で主張しているひとがいる。人生には常にふたつの道があると思う。泣く道を選ぶか。笑う道を選ぶか。言い訳にあふれているひとは「泣く道を選び続けているひと」なのだと思う。わたしは湿度の高いものが嫌いだ。できることならばカラッと生きていたいと思う。起きてしまったことは起きてしまったことなのだから仕方がない。あとは「いかにこれを笑い【価値】に転じるか」に焦点をあわせた生き方をしたいと思う。そのような思いのもとで同棲していた彼女と別れたことをきっかけに家のない生活に突入し、ブログを書きながら家のない生活を二年間ほど続けた後にやがて日本全国や世界各地から「交通費を出すから遊びにこないか」と誘われ、謎に行動の幅が爆発的に拡大したのちにブログ読者の方から熱海に家を購買していただき『奇跡のJ字回復』を果たした自分の人生を(なんだか漫画みたいな話だから)気に入っている。

 

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幼少期。床屋を営む両親のもとに生まれる。

 

家がなくなった瞬間、わたしは「泣く道を選ぶのはダサい!」ということを瞬間的に感じた。家がないとか金がないとか仕事がないとか、悲壮感を漂わせようと思えばいくらでも漂わせることができる。しかし、悲壮感を漂わせた瞬間に生まれる湿気はすごい。湿度を帯びた人間は一緒にいる人間の魂にまでカビをもたらす。カビはダメだ。カビはよくない。自分はカラッとしているものが好きなのだからこれは「カラッとレベルを高めるための良い機会なのだ」と言うことを自らに言い聞かせ、どうにかこうにかいまこの瞬間を生きることができている。あの瞬間、泣く道を選ぶのはダサいと感じた自分にあっぱれを贈りたい。除湿。素晴らしい言葉だと思う。繰り返しになるけれど「わたしは湿気の高いものが嫌い」なのだと思う。もちろん、自分にもジメジメしちゃうような精神状態になることはある。が、ジメジメしている瞬間の自分が考え出すことはできるだけ採用をしないようにしている。ジメジメを否定する訳ではなく、ジメジメしている瞬間の考え方を採用しないだけで、どれだけ湿度にあふれても「いつかカラッとできる瞬間はくる。その時を待て。そして、カラッとしている瞬間に内側からあふれ出した言葉こそをブログとかに書こう」と思って(いまのところは)生きているように思う。

 

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母親の胎内から出てきた瞬間に医者におしっこをぶちまけ「君は健康だ!100点!」と言われる。

 

坂爪圭吾という人間には「ダサさ回避に命を賭けている」傾向がある。最近の自分の生き方を鑑みたときに「やばい!いまの自分の生き方はダサい!」と感じた瞬間の焦りはすごい。33歳のテーマはBe sexy【セクシーであれ】に設定をした。セクシーという英単語を自分流に翻訳すると、それは「粋であること」だと思う。粋の反対は野暮。野暮とは、乱暴にまとめるとダサい生き方をすることだと思う。ダサいという言葉の破壊力はすごい。別に金はなくてもいい。特別な才能も、立派な肩書きも、誰かに誇れるような家も車もブランド物のなにかもいらない。ただ、ダサいことだけは避けたいと謎に強烈に思う自分がいる。ダサいことと湿度のあることは似ている。泣く道を選び続けることで蓄積をされる湿度はやばい。精神がカビる。精神をカビらせてはいけないのだと思う。除湿。素晴らしい言葉だと思う。湿度を払拭するもの、それは「理不尽な目にあったとき、どのように笑いに転じるか」のセンス【生き様】だと思う。要するに、生き方のセンスの問題だと思う。粋とはなにか。それは「粋を語るほど野暮なことはねえぜ!」という言葉に集約をされる。説明を求めてはいけない。ただ、粋を生きるだけの話だ。粋とは、要するに「語らずして語ること」だと思う。大事なことなのでもう一回言う。粋とは、要するに「語らずして語る」ことだと思う(などと語り過ぎている自分は粋から遠いのだと思う)。

 

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わたり文庫『空の絵本』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、長田弘荒井良二著作『空の絵本』です。33歳第1発目にこちらの絵本を紹介できることを、とてもうれしく思います。長田弘荒井良二の最強ペアには『森の絵本』という素晴らしい絵本もあるのですが、こちらもあわせて(本屋さんとか行く機会があれば騙されたと思って)手にとってみてください。そして、もしもそれを気に入ってくださったあかつきには「自分のために買うというよりも、大好きな誰かに贈るため」に絵本を購買してみてください。誰かになにかを贈る時間は、きっと、なによりも素晴らしい時間になると思います。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、京都府にわたりました ※※※

 

だんだん

あかるくなってきて

みどりいろは みどりいろに

空いろは 空いろに

 

だんだん

空気が すきとおって

だんだん

なにもかも はっきりしてきて

 

草花のうえの

しずくが こぼれて

水晶みたいに きらめいて

ばらばら落ちて ちらばって

 

だんだん

光は きんいろに

だんだん

水のいろは ぎんいろに

 

だんだん

うつくしい夕方になって

山々のかたちが

空に くっきりうかんで

 

長田弘荒井良二『空の絵本』【講談社

 

魂に触れる Be sexy

朝4時に目覚める。テントの中で珈琲を淹れる。滴る黒い液体を眺めながら「まるで儀式みたいだな」と思う。ありがとう。ありがとう。などと言いながらお湯を注ぐ。朝5時。空が青みがかる。この瞬間の濃紺が大好きで、毎日、こんなにも素晴らしい景色を眺めることができるだけでも「生まれてきてよかった」と思うことができる。多分、人生はなにかを成し遂げるためにあるものではない。なにかを成し遂げてもいいし、なにも成し遂げなくてもいい。どこかに行ってもいいし、どこにも行かなくてもいい。こうあるべきだなんてことはなにひとつない、大前提として「生きているだけでいい。それ以外はおまけだよ」ということを思う。人生はボーナスタイムみたいなものであり、勝ち組も負け組もない。生きれているだけで、誰もが勝ち組であるように思う。

 

こんな感じの話をすると「坂爪さんは宇宙人ですね。いま、ここを生きる天才ですね」などと言われる。あなたが言いたいことはものすごいよくわかるのだけれど、頼むから宇宙人だなんてセンスのかけらもない言葉を使わないでくれと(心の底では思っているのだけれどそれを口に出す勇気がないから「ああ、はい」などと答えながら)思う。スピリチュアルにはまるひとが苦手な理由は、多分、彼らが多用する言葉が「そのひとの言葉ではない」からだと思う。どこかの誰かが使っている言葉を借りているだけの発言に、わたしは反応をすることができない。宇宙人とかダサいことを言うな。どうせなら、あなたオリジナル(そう、オリジナリティー!)の言葉で世界を讃えて見せろよと思う。

 

今日、33歳の誕生日にギターとピアノとフルートでセッションをできた記憶を死ぬまで忘れたくないと思う。わたしは、これまでの人生でひとりでいることが多すぎた。ギターもいつもひとりで奏でていた。複数名で音楽をやることのなかにこんなにも強烈な喜びがあることを、わたしは長らく忘れてしまっていた。このことを思い出せたことが猛烈にうれしい。「魂に触れた」としか形容のできない瞬間が人生にはある。最高の瞬間だ。たまらない瞬間だ。K様は、死んだ後にもっていけないものに興味がないのだとわたしたちのことを形容した。わたしは「魂に触れたい」のだと思う。ひとと話すときも、言葉を綴るときも、音楽を奏でるときも、そのひとの奥にある魂に触れることができるような、自分一人では到底行くことのできない次元までたどり着きたいのだと思う。明日から福岡に行き、明後日からはオアフ島に行く。交響曲のような一年を過ごしたいと思う。自分一人では到底行くことのできない次元まで、みんなと一緒に行きたいのだと思う。

 

 

33歳になりましたありがとうございます!! #BillyGyallow #lifeisgood #33歳のテーマ #テントの中で考えました #Be #sexy #セクシーであれ #セクシーとはなにか #それは露出が多いことなんかではない #セクシーは英語 #坂爪流に日本語に訳すならば #粋であること #粋の反対は野暮 #野暮とはなにか #それはダサい生き方をするということ #ダサさ回避に命を賭ける #泣く道を選ぶか #笑う道を選ぶか #選択権は常に自分にある #泣く道を選ぶのはダサい #一時的に泣くのは超OK #一晩泣いたら翌朝からはニューボーン自分 #みなさまこれからもBillyGyallowをよろしくお願いいたします!!

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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誰かを救うな。自分を救え。

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小春日和に自転車を漕ぐ。あまりの気持ち良さに歌いたくなる。笑いたくなる。良い兆しだ。思わず笑いたくなっちゃうような状態に自分を置けている瞬間は正解だと思う。移動中、のどが乾き過ぎてチェーン店のカフェに立ち寄る。まるで人間型のロボットみたいに、同じ動作を無機質に繰り返す店員さんを見て「こえー!」と思う。独裁者みたいなおじさんが職場を支配している。おそらく、この空間では「鼻歌を歌うことも、笑うことさえも禁止をされている」のだろうなあと思った。要するに地獄だと思った。そそくさと逃げるようにコーヒーを飲み干して立ち去る。天国をつくりたいなあと思う。

 

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テント道具を積んで自転車を漕ぐ。どこまでも行けそうな気持ちになる。ヨーロッパを自転車で移動してみたいなあと思う。ヘルシンキまで飛行機で飛んで、あとは船でエストニアに入る。折りたたみ自転車と一緒に、走れるときは自転車を走らせて、バスに乗るときはバスで移動をする貧乏旅行だ。なんだか楽しそうだなあと思う。自分が楽しんでいるとき、更に自分を楽しませてくれる発想と出会うことができる(ように思う)。

 

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神田駅の寿司屋

神田駅でK様にお寿司をご馳走になる。K様とは、まだ、わたしが家のない生活をしていた頃に開催されたトークイベントで出会った。K様は「坂爪さんの存在をはじめて知った時、ああ、このひととは『家のないうちに』会っておかなくちゃ!」と思って、イベントに足を運んでくれたのだと言う。多分、人生の醍醐味は変化だと思う。自分であれ、他人であれ、ひとりの人間が大きく変わろうとしている様(そのひと自身のBEFORE&AFTER)を目の当たりにできる瞬間のなかには、ゾクゾクするような面白みがある。

 

K様は話す。先日、父親が亡くなった。親戚も呼ばずに小規模な葬式をとりおこなった。お経を唱える代わりに父が愛したジャズを流した。音楽を聞きながら、父が音楽のなかにいるように感じた。不思議と悲しみはない。肉体から解放されて良かったねとさえ思う。以前より、父の本質がより自分のなかで生きているように感じる。万葉時代の頃、言葉はどのような高級品よりも慎重に扱われていたと聞く。誰かに言葉を贈るとき、厳重に箱に詰め、言葉を軽く扱うひとには厳しい罰則が設けられていた。そして『ここが大事なところなのですが、言葉は死んだひとにも贈ることができる』のだと聞いた。この話を聞きながら、わたしは、なんだかものすごい大事な話を聞いているような感覚を覚えた。言葉を扱うものとして。言葉を生きるものとして。言葉だけではない。音楽もまた、同じように『死んだひとにも贈ることができるものだ』と聞いた。

 

わたしは頻繁に「会いたいけれど、会うのがこわい」と言われる。なにもかもを見透かされているようで、会いたいけれど会うのがこわいのだと言われる。それを言われる度に、わたしは「なにか隠したいことでもあるのかな。見られたくないものをもちながら生きることは大変だから、隠さないでいられる方がよっぽど楽だと思うのにな」と思っていた。が、事情はもっと複雑なのかもしれない。見透かされることをおそれる気持ちは、もしかしたら「それによって自分を支えているから」なのかもしれないと思った。自分を支えているものを取り壊されたとき、自分が自分でいられなくなってしまうような、そういうおそれがあるのかもしれない。そういうことをK様と話した。寿司を食べながら。ひととひとが出会うことのこわさは、もとの自分には戻れなくなることだ。これまでの常識が通用をしなくなることだ。自分が自分でなくなってしまうことは、とてもおそろしいことかもしれない。しかし、同時に「これが自分だと思っていたものがより一層の広がりをもって溶け出していく」体験は、誰にでもあるように思う。自分というものの境界線が曖昧になる感覚、これまでの常識や固定観念が覆るようななにかとの出会い、恐れが畏れと重なり合う敬虔な瞬間、変化の醍醐味はそこにあるのだと思う。

 

読者プレゼント『マグマ塩』

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ムラキテルミさんが扱っている商品には素晴らしいものが大量にある。最高の愛用品は『マグマ塩』と呼ばれる岩塩で、疲れたとき、頭痛がするときなど、これを舐めるとなんだかものすごいシャキッとする。数日前、日頃の感謝の気持ちを込めてマグマ塩を1キロ程度購買した。30グラムの小さなケースも(ハワイに持っていくため&みんなにあげるため)5個程購買しました。このうちのひとつを、ご希望をされる方に無料でプレゼントをさせていただきます(自分の好きなものは、周囲の方々と共有をしたくなります!)。ごちゃまぜの家までお越しいただけましたら、常時補充もできるようにもしておきます。塩は大事。温泉卵みたいなテイストで、自転車移動時など最高に重宝をします。ご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。

 

※※※ こちらのマグマ塩は、神奈川県にわたりました ※※※

 

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わたり文庫『忘れられた日本人』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、宮本常一著作『忘れられた日本人』です。家のない生活をしていた頃、これは、わたしが男だからなのでしょうか「女性のやさしさによって生かされている」と感じる場面が大量にありました。この本にある30ページ程度の『土佐源氏』という短編は、坂爪圭吾にとってバイブルに近い存在です。是非、みなさまにも無理矢理にでも読んでいただきたい内容になっております。物語の内容は「光源氏の土佐(高知県)バージョンです」などと説明をすればわかっていただけるでしょうか。高知在住の方も、そうでない方も、是非、騙されたと思って読んでみてください。帰り道の本屋さんで立ち読みできるレベルの分量です。こちらの本をご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※

 

「わしのような者のいうことをどうしてきく気になりなさったか」いうてきいたら「あんたは心のやさしいええ人じゃ、女はそういうものが一番ほしいんじゃ」といいなさった。身分の高い女で、わしをはじめて一人まえに取り扱こうてくれて人じゃった。

 

どんな女でも、やさしくすればみんなゆるすもんぞな。とうとう目がつぶれるまで、女をかもうた。そしてのう、そのあげくが三日三晩目が痛うで見えんようになった。極道のむくいじゃ。わしは何一つろくな事はしなかった。男ちう男はわしを信用していなかったがのう。どういうもんか女だけはわしのいいなりになった。

 

わしにもようわからん。男がみな女を粗末にするんじゃろうのう。それで少しでもやさしうすると、女はついて来る気になるんじゃろう。

 

宮本常一『忘れられた日本人(土佐源氏)』【岩波文庫】 

 

誰かを救うな。自分を救え。 

4月9日から誰でも使える家なり土地を見つける(?)ために、再度ホノルルに飛ぶ。格安航空券の普及により、いま、関西空港とホノルル間の往復航空券は2万円になっている。最初は自然豊かなハワイ島につくりたいと思っていたけれど、ハワイ島だと「(ホノルルがある)オアフ島から再び飛行機に乗る必要がある」ために、オアフ島にも自由に使える空間があったほうがいいと感じました。ので、9日から数日間、最初はオアフ島を中心にまわってみたいと思っています。が、現時点でなにの予定もあてもありません。奇跡的にこの記事をご覧の方のなかで「オアフ島在住(もしくは滞在予定)です!オアフ島でお会いましょう!」などと思ってくださる方がおりましたら、お気軽にご連絡をいただけましたら幸いです。

 

連絡先・坂爪圭吾

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4月7日(土)は33歳の誕生日。この日はごちゃまぜの家でわたり食堂【0円食堂】を開催します。県外からもはるばる食料持参で駆けつけてくださる(!)方もおりますので、是非、どなたでもお気軽に遊びにいらしてください。前回のハワイ滞在では「あまりにも真面目に考え過ぎた結果、楽しむということがおろそかになった」という最大の反省点を得た。わたしはすぐに、誰かの期待に応えてやりたいなどと思ったり、自分にキャパシティーがないくせに「誰かを勇気づけたい!」とか「誰かを笑わせたい!」などと思ったりする。だがしかし、これではいけないのだと思う。いや、いけないこともないのだけれど「他人の期待に応えることより、自分が自分に期待していることを掴み、それに真っ直ぐ応える生き方」こそ、自分はやりたいのだと思う。

 

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自分が誰よりも楽しませたい人間は、他の誰でもない自分自身なのだ。自分は自分を楽しませたいし、自分を自分を笑わせてやりたいし、自分は自分に自分という存在の限定的ではない幅広い可能性を感じさせてやりたいのだ。自分が自分を楽しませることで、波及的に、その楽しさが周囲にも伝染をするような生き方をしたいのだ。そのためには、矛盾をするようだけれど他者のまなざしが必要不可欠になる。わたしはあなたの代わりに生きていて、あなたはわたしの代わりに生きている。自分の持ち場をしっかりと生きるとき、同時に、人類全体を生きることができるのだと思う。自分の「好き」を貫くこと。願わくば、その自分というもののなかに「あなた」も含まれているような、小さな自分としてではない、大きな自分を生きることができたらと思う。

 

 

https://www.instagram.com/p/BhL328Ijjop/

好きな人から嫌われても、自分を貫く勇気を。

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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行きたくなる家。帰りたくなる家。

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4月7日(土)ごちゃまぜの家でわたり食堂【0円食堂】を開催します。合言葉は「交換感より循環感!」ということで、善意をどれだけまわしていけるかの実験室みたいな内容になります。興味のある方はどなた様でもお気軽に遊びにいらしてください。まだ、提供できる内容が坂爪(なんとこの日は33歳の誕生日!どーん!)によるあずき玄米ばかりになってしまうので、もしも「それならあたしも料理をやるよ!」などと言ってくださる方がおりましたら、是非、お気軽にご連絡をいただけましたら幸いです。

 

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わたしたちは、いつ、生まれたのだろうか。母親のからだから生まれた瞬間だろうか。違う。胎内にいる時点で躍動はあった。受精をしたときだろうか。違う。そのために必要なあらゆるものの生命を経る必要がある。命に終わりはあるのだろうか。はじまりがないものに、終わりもないのではないだろうか。では、どこからが自分で、どこからが自分ではないのだろうか。わたしの誕生日は4月7日で、先日、旧友が誕生日祝いにしゃぶしゃぶをご馳走してくれた(めっちゃおいしかったです)。肉を食べながら「おれは地球を食べている」と思った。牛は草を食べる。草は土を食べる。土は水と太陽を食べる。わたしは牛を食べる。牛がわたしになる。やがてわたしは土か海に還る。宇宙の一部になる。なんだ、おれはすべてを食べているすべてではないかと思った。命に終わりはない。この感覚を『循環感』と呼ぶのかもしれない(呼ばないのかもしれない)。

 

ibaya.hatenablog.com

 

わたり文庫『百歳』

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今日はあんまりにも天気がいいので、誰かになにかをあげたくなります。毎回一冊ずつ紹介していたわたり文庫無料郵送の一冊を、今回は三冊紹介させていただきます。一冊目は柴田トヨ著作『百歳』です。こちらの本は、先日、体調不良のさかつめのお見舞いにはるばるごちゃまぜの家まできてくださった女性S様が、たくさんの果物の差し入れとともに「よろしかったら、わたり文庫に使ってください」とご提供をしてくださった本になります。

 

※※※ こちらの本は、新潟県にわたりました ※※※

 

「やさしさ」

 

歳をとると

やさしさが

ほしくなるの

それが栄養になって

元気になる

 

でもね

 

偽りのやさしさを

食べた時は

吐いてしまった

 

真実のやさしさを

手料理を

いただかせてください

 

柴田トヨ『百歳』【飛鳥新社】 

 

わたり文庫『嵐吹く時も(上・下)』

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二冊目は、三浦綾子著作『嵐吹く時も』です。また三浦綾子かよ!と思われた方もいるとは思うのですが、こちらの本を読み終えたときには「人間理解に拍車がかかるぜ!」と思わせてくれる最良の一冊です。理解の一歩目は、まず、自分がどれだけ理解をしていなかったかを知ることなのだと思います。ソクラテス無知の知と言ったけれど、この言葉を言い換えるならば「無知の自覚」なのだと思います。自分はまだ、知るべきことの一部分でさえも知ることができていないのだという自覚は、人間を謙虚にする。すべてを知れば、すべてを許せるという言葉もあります。許すことのできない誰かがいるとき、その背景には「そのひとがそうならざるを得なかった理由」があるのだと思います。

 

※※※ こちらの本は、奈良県にわたりました ※※※

 

「それにね、兄さん、万一カネナカで婿に来てくれと言って、俺が婿になるとしてもだよ。あそこの家でやることは、言ってみれば金儲けだけだろう。いつか母さんが言ったよね。俺たちの父さんは、人間金儲けぐらいが目的で生きちゃいけないって。いつもそう言っていたって。あの言葉、俺、時々思うんだ。金持の家に婿に行って、金儲けして、それで一生終わったら、父さんに笑われるよ、俺」

 

「何とお礼を言ってよいか・・・」

 

と、幾度も頭を下げた。キワが言った。

 

「いえいえ当然のことですよ。死んだこの子たちの父親がよく言いました。夫婦っていうものは、嵐吹く時が大事なんだ。嵐の吹く時も、晴の日と同じようにしっかりと心が結ばれていなくちゃいかんと、よく言ったものでした。文治、このことを忘れてはいけないよ」

 

「わかるだろう、俺の気持。俺な、何か、こう時々胸が煮え沸るような気がしてさ。男一匹の生き方って、こんなもんじゃない、こんなもんじゃないと、しきりに思うことがあるんだよな」

 

志津代は目の覚めるような気がした。

 

「俺、北上さんから、文治兄さんの話を聞いた。感動したな、俺。脱走してきた政治犯をかくまった北上さんの勇気にも脱帽したけど、とにかく俺の生き方は男の生き方として次元が低いと思ってさ。ほんとの男の生き方をしたいと思ってさ。それには、あったかいだけの家を飛び出すより仕方がないと思ったのさ。若気の至りだと思うかい、お姉ちゃん」

 

三浦綾子『嵐吹く時も』【新潮文庫

 

わたり文庫『こころよ いっておいで』

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三冊目は、八木重吉著作『こころよ いっておいで』です。1898年東京都町田市相模原で生まれた八木重吉は、現在の横浜国立大学を卒業したのちに学校教諭になるものの1925年に肺結核に罹患をする。病臥のなかで詩の創作に励むものの、1927年、29際の若さでこの世を去る。以上、これら三冊の本、ご希望される方は(ご希望される本の名前を添えて)坂爪圭吾までご連絡をいただけましたら幸いです。三冊セットではなく、おひとりさまに一冊ずつお贈りできたらいいのかなあと考えております。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、兵庫県にわたりました ※※※

 

みずのながれのように

むかしはこころがかんがえたのに

なんという

アスファルトみたいな きょうのこころでしょう

 

ものを欲しいこころからはなれよう

できるだけ つかんでいる力をゆるめよう

みんな離せば 死ぬるようなきがするが

むりにいこじなきもちをはなれ

いらないものからひとつずつはなしてゆこう 

 

日のように

もえながら

ころころと自在に

ゆらりゆらりとあたりかまわず

光りでいっぱいまみれて

じぶんはひとすじにひかるだけで

日をうけとるものを皆うつくしくしたい

 

すべてをすてるとは

じっさいにすべてをすてることだ

そこにあってもいい

ただ 執着がぜろであればいい

すべてをえようとするには

ひとつをものこしもってはならぬ

なにもかもすてきったとき

あらゆるものはいきいきとしてくる

 

こころよ

では いっておいで

 

しかし

また もどっておいでね

 

やっぱり

ここが いいのだに

 

こころよ

では 行っておいで

 

八木重吉『こころよ いっておいで』【フォレストブック】

 

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人生は修行じゃない。人生はジョイだ。 

いま、縁側に座りながら日光浴をしている。あまりにも気持ちよくて「ここは天国じゃないか。もう、どこにも行く必要はないじゃないか」などと思う。が、やがて、わたしはこの楽園を飛び出してハワイに(ごちゃまぜの家をつくるために)向かう。男と女と二分化して分けることはいけないことなのかもしれないが、でも、やはり「男は外に」「女は内に」向かう生き物だと感じる。他の人のことはあまりよくわからない。自分自身を観察していると、ああ、俺は男なんだなと思う。男性性には「導く」「芯を通す」「バチっと決める」などの雰囲気を、女性性には「許す」「受け入れる」「潤いを与える」などの雰囲気を見る。私は男だ。もちろんわたしの中にも女性的な部分は多大にあるけれど、やはり、男性性が発揮されている瞬間に「瞬間最大風速を叩き出している」ように思う。

 

gochamaze.hatenablog.com

 

現在、誰でも来れるごちゃまぜの家というものをやっている。発起人はわたしになるために、できることなら誰にでも愛想よくできたらとは思うものの、どうしても無理なことがある。いかん!いかん!短気になっている場合ではない!マザーテレサのような博愛を抱かなければ!などとも思うけれど、どうやらわたしには母親的な要素が欠落している。そんな自分を「俺はダメだな」と思うこともあったけれど、諦めた。自分ひとりで埋め合わせることを諦めた。わたしは父親役に徹する。母親役は・・・いつかそんな女性と巡り会えることを願う。昨日、お会いさせていただいた女性が「いまの家は安心感があまりない」ということを話してくれた。余計なお世話だとは思うけれど、生きとし生けるものにとって、家というものが『最高の安心感を伴った空間』になればいいと思った。

 

 

行きたくなる家。帰りたくなる家。そんな家をつくりたいと思う。私の場合、菊名の家は「帰りたくなる家」だ。あそこに行けば昔ながらの佇まいがあり、あそこに行けば家族(のような存在のひと)がいて、あそこに行けばあたたかな安堵感がある。それに対し、ハワイの家は「行きたくなる家」になるのだと思う。まだ、ハワイに家を見つける候補も何もあるわけではないのだけれど、これを見ているあなたにとっても「ごちゃまぜの家が行きたくなる家・帰りたくなる家」として機能をすればうれしいと思う。先日、中学生の読者の方からメールが届いた。中学生も読んでいてくれているのかと思うとうれしくなった。そして勝手に「今日からあなたも私のファミリー!」なんてことを思った。いつの日か、ごちゃまぜの家に遊びに来てもらえたらうれしいと思った。

 

 

はじめまして。


いつも坂爪さんのブログを楽しませて頂いている、一人の中学生です。坂爪さんの言葉は、「そう言われればそうかも」という事と「私もそう思ってた!」という事が、どっちもありたくさん人生のヒントをもらっています。

坂爪さんの「そうかもしれないけれど、そうじゃないかもしれない」という言葉を読み、『ああ、私もずっとこんな事を思っていたな!』と思うと同時に、周りにはわかってもらえなくて少し悲しかったなぁとも思っていました。

 

坂爪さんも同じ事を思っていたと知って、嬉しかったし、やっぱり間違ってなかったんだなと思えました。(でも人生に間違いなんてないのかもしれませんねw)

長文な上に、拙い文章で申し訳ありません。私の言いたいことばかりになってしまいました(汗)

 

最後まで読んでくださってありがとうございます。坂爪さんの事を(勝手に)応援しています!これからもお互いに人生を楽しみましょう!

P.S.
このメールは母に内緒で送っているのですが、坂爪さんが「自分を楽しませる」事が大切だと言われていたので自分の為に送る事にしました!今は、送る事にしてよかったと思っています!

 

https://www.instagram.com/p/BhCxjgPDF9_/

散る桜 残る桜も 散る桜 #菊名池公園

 

人生は続く。

 

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生きるのに必要なものなんて、それほど多くないよ。

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ショーシャンクの空にという映画に「頭の中で。心の中で。人から音楽を奪うことは決してできない」という言葉がある。独房に閉じ込められた主人公は、頭の中で、心の中で、モーツァルトの音楽を流し続けることで「(独房のなかも)快適な時間だったよ」と答える。どのような状態に置かれても、決して人から奪うことができないもの。お金もモノも、カタチあるものはすべて流れる。そのようなことを考えていた時に、ふと、詩人・長田弘さんの言葉に触れる機会に恵まれた。

 

ゆたかさは、私有とちがう。

むしろ、けっして私有できないものだ。

 

私有できないゆたかなものを

われわれは、どれだけもっているか?

 

長田弘「嘘でしょう、イソップさん」より

 

春だ。草花が蕾をつけている姿を見て、心があたたかくなりかわいいなと思う。日光浴をしながら庭先を眺めていると、目の前をとかげがササっと駆けていく。風に花が揺れている。天国みたいだなと思う。豊かな時間だなと思う。海も山も風も、春の陽の光も、とてもじゃないけれど「自分のものだ」とは言えない。ただ、それを見ている間だけは、自分のものなのかもしれないと思う。私有することのできない豊かさに触れた時、ああ、豊かさを生きるのではなく「豊かさが自分のなかを生きているのだな」と思う。

 

立ち止まる。
足をとめると、
聴こえてくる声がある。
空の色のような声がある。

「木のことば、水のことば、
 雲のことばが聴こえますか?
「石のことば、雨のことば、
 草のことばを話せますか?

立ちどまらなければ
ゆけない場所がある。
何もないところにしか
見つけられないものがある。

 

長田弘「立ち止まる」より

 

数日前から体調不良で寝込んでいる。寝込んでいるなどと言いながら、いま、綱島にあるデニーズからこの記事を書いている。昔から、なにもしない時間を過ごすことが苦手だった。小さなこどもが風邪をひいているのに鼻水を垂らしながら全身全霊で遊び続けるように、32歳になったいまも、ちょっとでも余力が戻るとすぐに動き出してしまう。ただ、昔よりも「詩を想う・詩に触れる」機会は多くなったように思う。自分のからだのなかに、詩が(昔よりは)ふかいところまで浸透をしていくように感じている。

 

ゆっくりと生きなくてはいけない。

 

空が言った。木が言った。風も言った。

 

長田弘「人生の短さとゆたかさ」より

 

詩を愛するこころがあってよかったと思う。人から音楽を奪うことはできないように、人から詩を奪うことはできない。人生の豊かさとは、もしかしたら「奪うことのできない豊かさ」をどれだけ見つけることができたかなのではないだろうか、と思う。私は自然が好きだ。自然は誰のものでもない。ただ、自分がそれを見ている間だけは「自分のもの」と言えるのかもしれない。人間も同じだ。人間を私有することはできない。ただ、一緒にいる時間だけはふたりだけのものになるのだと思う。自然を愛するように、人間を愛せたらと思う。

 

 

「どうにかする」より「どうにかなる」

病床の中、東京から女性M様がお見舞いに来てくれた。M様は言う。いまの仕事は忙しい。忙しすぎてゆっくりとなにかを考えることができない。自由な社風だからやりたいことをやらせてはくれるし、上司や同僚などは「お前はなにがやりたいんだ??」などと聞いてはくれるけれど、わたしはそれにうまく答えることができない。やりたいことならなんでも自由にやらせてくれる恵まれた社風なのに、そういう『自分がここでやりたいこと』を持てない自分はダメなんじゃないのかと思う。と。

 

私は思った。多分、誰にでもやりたいことはあるとは思う。ただ、まるで詰問をされるように(ボロ雑巾を絞り上げるように)「お前はなにがやりたいんだ??」などと問われても、萎縮してしまうばかりで本音【思い】が引き出されるとは思えない。やりたいこととは絞り出すものではなく「泉のようにぽこぽこ湧き上がるもの」だと思う。これは自分だったらの話だけれど、上の立場の人間などに囲まれて「お前はなにがやりたいんだ??」などと詰問をされる日々を過ごしていたら、多分、なにがやりたいのかはわからないけれど「とりあえずあなたの頭をかち割りたいとは思っています」と答えてしまうくらいには、追い込まれてしまうのではないだろうかと思う。

 

という話をしたら笑ってもらえたからうれしかった。私は思う。生きているといろいろな壁にぶち当たる。そのときに「どうにかする!」などと意気込みと、肩に力がはいる。「どうにかする」ではなく「どうにかなる」の方がGOODだと思う。どうにかするの場合、主語は『自分』になる。どうにかなるの場合、主語は『宇宙全体』になる。これまでの人生を振り返って見たときに、思えば「自力でどうにかしてきたことよりも、様々な力が働いて結果的にどうにかなってきたことが9割だなあ」と思う。多分、自分のこころが楽になる道が正解だと思う。きっとどうにかなる。あなたはあなたが思う以上に守られているし、あなたはあなたが思う以上に愛されている。そのことを思い出して、安心をして生きててもらえたらと思う。

 

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わたり文庫『マザー・テレサ 愛と祈りのことば』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、渡辺和子訳『マザー・テレサ 愛と祈りのことば』です。こちらの本は、岡山県津山市にお住いの方から「誕生日プレゼントにどうぞ!(注・坂爪圭吾の誕生日は4月7日です✨)」と、わざわざ郵送をしていただいた一冊になります。私はマザーテレサが大好きで、彼女の言葉に触れるたびに「彼女のように生きることができたなら…」などとひとりでいる時間は深い愛を抱くものの、いざ、生きている人間を目の前にすると「愛することの難しさといったら!!」などと思うことばかりです。精進の必要な日々を過ごしています。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※

 

私たちは、人々と出合うために、自分から出かけて行かねばなりません。遠くに住む人ひも、近くにいる人にも、物質的に悩む人々のところにも、精神的貧しさを味わっている人のところにも。

 

家族の間に、もう少し多くの愛、一致、平和、そして幸せがあったなら、こんなに多くのアルコール依存症者や、麻薬中毒者は生まれなかったことでしょう。

 

先進国にも、一つの貧しさがあります。

それは、お互い同士、

心を許していない貧しさ、精神的貧困、淋しさ、

愛の欠如からくる貧しさと言っていいでしょう。

愛の欠如こそ、

今日の世界における最悪の病です。

 

ー 渡辺和子訳『マザー・テレサ 愛と祈りのことば』【PHP文庫】

 

生きるのに必要なものなんて、それほど多くないよ。

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本当はもっと穏やかな詩的情緒あふれる記事にしたかったのに、ダメだ。最近の出来事ばかりを書きたくなってしまう。先日、とある方から「お前が自由なのは所詮独り身だからだろ。結婚をしても同じことが言えるか」という言葉をもらった。このような言葉を言われたことは久しぶりだった。そしてわたしは考えた。最初に浮かんだ言葉は「お前とは覚悟が違うんだよ」というものだったけれど、ちょっと言葉が乱暴だから控えた。そのあとに「家族を言い訳にするのはダサい。そんな後ろ姿を自分のこどもに見せたいとは思わない」と思ったけれど、その言葉も控えた。

 

どこにもいない人に会いにゆく。
きれいな水と、
きれいな花を、手に持って。

どこにもいない?
違うと、なくなった人は言う。
どこにもいないのではない。

どこにもゆかないのだ。
いつも、ここにいる。
歩くことは、しなくなった。 

 

長田弘「花を持って、会いにゆく」より

 

合間合間に長田さんの詩を挟みます(長田さんの詩はいいなあ。。)。わたしという人間は牡羊座で火の性質があるからなのかすぐにカッカカッカとする。この出来事をある女性の方に話したら「私は別に、圭吾さんはいまのままで普通にこどもももてると思いますよ。こどもと一緒に遊んでいる姿も、簡単にイメージすることができます」と言われてうれしかった。あはぁ!と思った。それを聞いて「それもそうだなあ!」と思った。別に人間は衣食住さえあれば生きていけるのだし、坂爪圭吾のこどもとして生まれたことが運の尽き、あとは「自力で頑張って生きてください!おとうさんは、できる範囲で応援をするけれど基本的にはあなたの生命力を信じています!」という感じであたたかく放り出すのだと思う。

 

歩くことをやめて、
はじめて知ったことがある。
歩くことは、ここではないどこかへ、

遠いどこかへ、遠くへ、遠くへ、
どんどんゆくことだと、そう思っていた。
そうでないということに気づいたのは、

死んでからだった。もう、
どこにもゆかないし、
どんな遠くへもゆくことはない。

 

長田弘「花を持って、会いにゆく」より 

 

自分にこどもができたときは、自分を育ててくれた豊かさを伝えることができたらと思う。今回の記事で言えば「誰にも奪うことのできないものを見つけない」ということになる。わたしの場合、音楽や詩や言葉や自然や人との繋がりに助けられたことが大量にある。私は思う。人間が生きるためには「死なないために必要なこと」だけではなく「生きたいと思うために必要なこと」こそが大事だと思う。生きているだけでは足りない。生きたいと思うことが大切だ。わたしの場合、自分の心がうつくしいと思うものに触れたとき、ああ、この世界は生きるに値する素晴らしいものだと思って前向きになる。それは私有をすることのできないもの。だからこそ、決して奪われることのない「常にそこにある」もの。どれだけ伝えることができるのかはわからない。ただ、わたしは「この世界は生きるに値する素晴らしいものだ」ということを、周囲の人々と分かち合っていきたいのだと思う。

 

 

坂爪さんこんにちは☺


昨日、あずき等をほんの少しですが💦
ごちゃまぜの家宛に送らせて頂きました!(先月までに送ると言いながら、遅れてしまってすみません)

 

気が向いたらで、と言われて
本当に気が向いたときに送ってしまいました😂けどそれが一番ベストなタイミングなのかも?

 

梱包が雑ですが、受け取って頂けたら僕も嬉しいです(^^)

.

話は変わりまして…
坂爪さんの、おはなを配る というものが、とても素敵だなぁと思い 先日初めてやってみました🌼

 

ドン引きされるんじゃないか、
まあされてもネタになるからいいか、と思いながら渡したところ、
思いのほかとても喜んでくれました!!!

 

それが嬉しくって、
いまは人に会うたびお花をあげるようになりました(できる限りですが😂)

 

まだ十数人の方にしかあげれていないですが、皆さん喜んでくれて、(その場もなんだか良い感じになります笑)
やばい!お花はいい!!!

 

って感じになっております。そして周りから見ると変なやつに見えるかもしれませんが、なんだかそういうことをしている自分も悪くない、というか好き! になりました(^^)

 

そうしていると、逆にプレゼントを頂く機会が増えました!!!
あぁ、これが坂爪さんの仰っていた 交換ではなく、循環なのか???!
と少しばかり感じました🌼


そしてお花を選ぶのも買うのもあげるのも好きになりました!
坂爪さんの代わりに(と言っては大変おこがましいですが…)ここ沖縄でお花を配りまくって、おはなでOHANA, おっきな輪! にしたいなぁと思いました。

 

長々とすみません💦
いつも、本当に坂爪さんのブログを楽しみにしております。
いつか、いつか、世界のどこかで会えたなら 幸せです。


では今日も素晴らしい一日を✨


南国・沖縄より ○○○○

 

風邪をこじらせて急遽横浜に戻りました!ごちゃまぜの家の裏にある雑木林から愛を込めて。。。 #ごちゃまぜの家 #裏 #雑木林 #横浜とは思えない奇跡の自然 #素晴らしい恵みをありがとうございます #晴れた日のごちゃまぜの家に差し込む光 #天国 #わたしの住所は天国です #とかなんとか言いたくなる #この家を与えられた喜びは大きい #熱海 #逢初庵 #使い方 #新婚旅行に使っていただくのはどうだろうか #熱海の家は豊かな自然に囲まれている #聴こえてくるのは鳥のさえずりばかり #まるで世界にふたりしかいないような #世界がふたりをほっておいてくれている感覚になります #愛する誰かとゆっくり向き合いたいときや #愛する誰かと静かな時間を過ごすために #逢初庵は適しているように思いました #伊豆山神社 #縁結びの神様 #源頼朝と北条政子の逢瀬の舞台 #詳細はいばや通信の過去記事命よ踊れをご覧いただけましたら幸いです #経済的に厳しいならばもちろん無料で使ってくれて構いません #素敵なカップルに使っていただけたら嬉しい #引き続き逢初庵の使い方に関する考察を深めてまいります #これからしばらくは横浜にありますごちゃまぜの家にて療養にはいりますのでお近くの方はお気軽にお見舞いにいらしてください!!坂爪圭吾がよろこびます!!

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

坂爪圭吾に「生きろ」という方はこちら
ゆうちょ銀行》※ゆうちょ同士
 10120−54031201 サカツメ ケイゴ 

《ゆうちょ銀行》※他の銀行から 店番号 018 店名 〇一八店(ゼロイチハチ店) 普通 5403120 サカツメ ケイゴ

 

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応援メッセージもこころからお待ちしております。みなさまからのお言葉が、へっぽこりんちょになっている瞬間にどれだけ大きな力になることか・・・簡単な一言だけでもとってもうれしいです。みなさまからの応援をよろしくお願いいたします!!

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命よ、踊れ。 Life is Dance

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マザー牧場に対抗をしないかたちで『マゾー牧場』をやるのはどうでしょう、と、SMの女王様をやっていた方から非常にインスピレイショナルなご提言をいただきました。女王様曰く「マゾども(あくまでも親しみを込めて呼ぶイメージで!)の異常なまでの献身性は、きっと世界を変える力があると思います」とのこと。マザー牧場…すごい言葉だ…絶対に行きたくないけどどんな牧場なんだろう…と考えていたらなんだか楽しくなってきたので、手作りの柵を設けたあとに上半身裸の嘉向徹さんをハワイイ島に放牧したらいいのかな(同時に世界中の女性から指示をあおぎ動く)、なんてことを思いました。

 

 

富士山を眺めながら飲むコーヒーは最高でした!牧場を見学(?)させていただきマザー牧場のヴィジュアライジングに磨きをかけ、横浜を経由して現在は京都府にいます。本当は車で鹿児島まで行く予定だったのですが、諸事情が爆発をして本日は京都界隈で(野営道具一式を片手に)時間を持てあましております。なにもなければ温泉か銭湯に立ち寄った後にごちゃまぜの家@横浜に戻る予定ではありますが、もしも「会えるなら会いましょう!」的な方が奇跡的にいらっしゃいましたらお気軽にご連絡ください!! 

 

https://www.instagram.com/p/BgvQ2LsD5yg/

野点カンタービレ。。 #静岡 #富士山 #野点カンタービレ #屋外で淹れた珈琲を飲みながらなんだかいい感じになることを野点カンタービレと名付けました #みなさまもご一緒に #野点カンタービリましょう #アウトドア用の椅子を持ってきたものの #椅子があると椅子がある場所だけが椅子になる #大地に座れば #地球全体が椅子になる #と言う訳で椅子の活躍する機会は見事に奪われ #逆に言えばお金なんてなくても道具なんてなくても #ないからこそ面白くなるのだということの発見 #自然の中にいると #なにもなくても生きていけるのだと #そんな気持ちになれるから好きです #みなさまも素晴らしい日曜日をお過ごしください!!

 

逢初庵利用希望者の方の募集

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わたしは過去に2年間の「家のない生活」をしていました。家賃を払えるほどの社会性が自分には欠如をしていたので、家がなくても生きていくことができるのかどうかを自分を使って試しました。すると、非常に驚いたことに様々な方々から「家がないなら我が家においでよ」とか「ごはんくらいならご馳走するよ」などのご連絡をいただき、結果的に『家があった時よりも家がなくなってからの方がよいものを食べている』という不思議な現象が起こりました。

 

 

やがては日本全国はたまた海外からも「交通費を出すから遊びにおいで」と声をかけていただくようになりました。その模様をこちらのブログを通じて書いていたら、ブロク読者の方が「さすがに家のない生活は大変でしょう」と、熱海に購買(!)をしてくれた家が逢初庵(あいぞめあん)になります。この家は、現在も誰でも自由に使えるように開放をしているのですが、同時進行で「なにか素敵な感じで生かしてくださるかた」を募集させていただきたいと思い、写真と動画を撮影させていただきました。

 

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逢初庵。6畳&8畳の小さな平家です。

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縁側から眺める山々の風景が素敵です。

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築90年の古民家です。生活に必要な道具は一式あります。

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台所。置かれている調味料や調理器具はご自由にお使いください。

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縁側からの眺めです。家にあるものはご自由にお使いください。

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トイレです。窓を開けると畑を眺めることができます。

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昔ながらのお風呂です。給湯器があります。

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家の裏にある畑です。奥の小屋を改造すればタイニーハウスも作れます…!

 

わたし自身移動が多く、たまに掃除に戻る以外は基本無人であることの多いこの家。これまでも各所から『家賃収入を得るのはどうか』とか『民宿にするのはどうか』などのご意見をいただいていたのですが、正直な気持ちを言うと「なにかこうもっと誰もしたことのない使い方をしたい…!」という思いがあります。前回の記事で『愛の循環』という言葉を使わせていただいたのですが、この家が、まさにそのようなことを(もちろん小さな一歩からでもまったく構わないので)踏み出す契機になるような、そんな家になればいいなあと思っています。もしも「こんな使い方はどうでしょう!」的なことを閃いた方がいらっしゃいましたら、お気軽にご連絡をいただけましたら幸いです。

連絡先・さかつめけいご
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わたり文庫『伊豆の踊子

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、川端康成著作『伊豆の踊子』です。読み終えたあとに「こんなにも美しい言葉があったのか」と胸を震わせてくれた、宝石のような一冊です。自分のこころが美しいと感じるものに触れたとき、わたしは『すべての美しいものは悲しみを内包している』と感じることがあります。それは「すべてに終わりの瞬間がある」という悲しみで、あるのはこの瞬間だけ、私たちはこれを永遠には見ていることができないという悲しみなのだと思います。1日に終わりがあるように、桜の季節に終わりがあり、紅葉の季節に終わりがあり、悲しみの季節に終わりがあり、よろこびの季節に終わりがあり、私たちひとりひとりの命にもいつか必ず終わりの瞬間が訪れる。同時に、涙が出そうになるほどの強いきらめきを覚えたときに「終わらせたくはないのだと願い、永遠を形作ろうとする意志や行動」のことを、多分、わたしはたちは芸術と呼んでいるのかもしれません。ひとりひとりのなかに命があり、いま、この瞬間も命は踊りたがっている。それは、いつの日か「踊ることさえもできなくなる日が、必ず来る」ことを知っているかのように、いま、この瞬間も私たちを『生きる』方向に向かわせているものなのだと思います。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、岡山県にわたりました ※※※

 

「何か御不幸でもおありになったのですか」

「いいえ、今人に別れて来たんです」

 

私は非常に素直に言った。泣いているのを見られても平気だった。私は何も考えていなかった。ただ清々しい満足の中に静かに眠っているようだった。

 

海はいつの間に暮れたのかも知らずにいたが、網代や熱海には灯があった。肌が寒く腹が空いた。少年が竹の皮を開いてくれた。私はそれが人の物であることを忘れたかのように海苔巻のすしなぞを食った。そして少年の学生マントの中にもぐり込んだ。私はどんなに親切にされても、それを大変自然に受け入れられるような美しい空虚な気持だった。明日の朝早く婆さんを上野駅へ連れて行って水戸まで切符を買ってやるのも、至極あたりまえのことだと思っていた。何もかもが一つに融け合って感じられた。

 

船室の洋燈が消えてしまった。船に積んだ生魚と潮の匂いが強くなった。真暗ななかで少年の体温に温まりながら、私は涙を出委せにしていた。頭が澄んだ水になってしまっていて、それがぽろぽろ零れ、その後には何も残らないような甘い快さだった。

 

川端康成伊豆の踊子』【新潮文庫】 

 

命よ、踊れ。 Life is Dance

熱海駅前は栄えているものの、逢初庵は山の中にある。家までの道のりは軽い登山道のようになっていて、昔は修験道としても使われていた。途中、駅から15分くらい歩くと明らかに空気が変わるポイントがある。これまでの道が「街の空気」だとしたら、これから先の道は「自然の道」とでも呼べばいいのだろうか、一気に風景が開けて星が綺麗に見えるポイントがある。そのポイントに出ると、わたしは、毎回毎回踊り出したい気持ちになる。実際にクルクルまわりながら坂道を歩むこともあるし、海から昇る月を眺めながら、ああ、世界にはこんなに素晴らしい風景があったのかなどと感動を覚える。

 

坂爪さん、こんにちは!

逢初庵の利用法のひとつとして 思いついたことがあります。

もしかすると、既に行っていらっしゃることかもしれませんが、多くの方に喜んでいただけるかな?と思い お伝えさせていただければと思います。

坂爪さんのコメントに、キャンドル作りのワークショップ等の開催も良いのではないか?という投稿を拝見して思い出しました。

少し前に、キャンドルというアイテムは、人の心に陽を灯したり、癒したり…。
幸せな気持ちにさせてくれる
素敵なアイテムだと改めて思ったのです。

そこで、世界で一番キャンドルの消費量の多い国は きっと、幸せな国に違いない!と思い、検索をしました。

ヒットした国は、デンマーク🇩🇰

後に、ヒュッゲという言葉が
有名らしいということを知りました。(きっと、ご存知かもしれませんが)

正直、単なる流行でヒュッゲな暮らしという観点から興味は持ちたくないのですが、
何回か世界で一番幸せな国ランキングで、トップになったことのある国ですから、
幸せに暮らすためのヒントがあるはずだと思います。

私が、一番 デンマークの特集(テレビ)で見て私もあの場に行きたい!と思った場所があります。

そこは、見知らぬ人同士が たくさん集まるレストラン!(体育館くらいのスペースだと思います。坂爪さんが既にやっていらっしゃることですね。もちろん、キャンドルもたくさん置いてありましたよ!)

毎日ではないと思いますが、
誕生日の人がいたら、みんなでお祝いをするんです!

誕生日って、みんながみんな祝って貰えることって少ないと思うので、そこに集まった
見知らぬ誰かの誕生日に、キャンドルを灯してみんなで祝う!(その月でも良いとおもいます。)というのはどうでしょうか?

…と書いていて思いましたが、これは、熱海でも 横濱でもできますね!

そして、機会があれば 坂爪さんにデンマークに飛んで欲しいとさえ、思ってしまいました!

長文な上に、纏まりのない文章になってしまいましたが、

知らない誰かの誕生日をみんなで祝い、
その祝った人も幸せな気持ちになれるような
素敵な時間と場所があったら
素敵だな。と思った次第です✨✨✨

それでは、失礼いたします。

 

ちょうど先日、長野県でデンマークの血が流れている方とお会いをしたばかりだった。そして、その方からキャンドルの贈り物をもらった(そしてものすごい喜びを覚えた)ばかりだった。おはなを配るのもいいけれど、キャンドルを配るのも素敵だなと思った。逢初庵でもごちゃまぜの家でも、手作りのキャンドルを作るような空間を作りたい。そして、そのキャンドルを販売するのではなく必要とされる方に無料で贈り続けるような、そういう営みをやりたいと思った。ただ空間に足を運んで会話をするのもいいけれど、料理やハンドメイドの作業を通じて「会話が盛り上がる」ことがある。逢初庵やごちゃまぜの家に、そういった広い意味での『(会話を生み、つながりを生む)仕事』をつくれたらと思った。

 

坂爪さん、

 
 
はじめまして、長尾明実といいます。
いつも楽しくブログ拝見してます。
 
 
さて、逢初庵のビデオ見ました。
超素敵!ですね。
 
 
住みたい!と思う人は少なく無いはずですが、坂爪さんの「開いた」感じを続けれる事って何だろう?とイメージをしてみました。
ブレインストームの一部としてでも、使っていただければ。
 
 
・アーティスト・イン・レジデンス的なもの
アーティスト、もしくはアーティストではない人1人、もしくは1カップル、1家族、友達、1グループに1ヶ月~3ヶ月くらい住んでもらって、その期間も家は開放し続けて頂く。
 

・ホームレスの人が、無料でお風呂に入れて、ご飯を食べれて、安心して寝れる場所にする
(ホームレスの人たちがこのごちゃまぜの家のホストになる?)
 
 
・近所の人に何かイベントをしてもらう。人生相談所?
 
 
うーん。
何か、この家を通じて、人と人とがつながって、この家が「心の実家」的な、大きな家族が出来たらいいですね。
 
 
あと、逢初庵とは違いますが、ハワイのごちゃまぜの家、凄く気になっています。
私は今34歳なので、昔の話ですが、大学3年の時に虹に興味がわき、色々調べていたらハワイのメレ(チャント)に辿り着き、そこからフラについて色々調べて、英語も全然分からないまま、ハワイのメインの4島をまわって、ハワイ大学の図書館まで行ったのに、もちろん全然分からず、泣く泣く帰って、日本語の資料と、ハワイで出会った人たちの話をもとに卒論を書きました。
 
 
そこから、なぜかドイツ(ベルリン)に来てしまったのですが、ハワイは何となく戻りたいな~と思う場所です。(フラの事も凄い気になる。今なら英語も分かるし、もっと色んな事が楽しめそう。)
 
 
今後の展開、心待ちにしています!
英語話せる人は沢山いると思いますが、日常会話レベルでの通訳とかが必要な時は言ってください~ 
 

いつも、応援しています。
人生、楽しみ尽くしていきましょう!
お体にはお気をつけて。
 
 
明実
 
 
--

 

このような形で、まだ、カタチの与えられていない「ひとつの思い」の連鎖により、新しい言葉が生まれたり、新しい結びつきが生まれていくさまを目の当たりにできることを、とてもうれしいと思う。わたしは自然が大好きだ。だから、自然が豊かな場所に足を運ぶ。ただ、自然とは「ひとがいないこと」ではないと思う。人間も自然の一部であり、ただ、自然でいることのできる空間と、自然でいることのむずかしい空間があるだけなのだと思う。いま、人間が自然なカタチで生きることがなぜだかとてもむずかしくなっているように感じる。そんな風に思うことは多い。だからこそ、人間という自然に触れることができたとき、私は、なによりも強いよろこびを覚える。それは、多分、わたし自身が他の何者でもない『人間だから』なのだと思う。私は『人間という自然に触れたい』のだ。自然に触れることで、自分も自然の一部であることを思い出したいのだ。それならば、せめて、これから自分が生み出していきたいと願う空間は「ひとりひとりが自然でいることのできる場所になればいい」と、そういうことを考えている。

 

わたしは圭吾さんの、誰かや何かを批判したり、攻撃したり、奪い取ったりしないところが好きです。(もちろん他にも好きなところはいっぱいありますよ、笑。)


敵をつくるような、強い怒りを感じるひとの言葉を読んだり、そんな存在に触れたりすると、わたしはみぞおちのあたりがギュッと苦しくなります。
圭吾さんにはその感じがないから、安心して一緒にいられます✨✨✨


圭吾さんがやりたいことのひとつに、【新しい価値を増やすこと(新しい世界を増やすこと)】があるのかなぁ、って。
お金の価値を奪うことなく、別のものに新しい価値を与える。
こんな新しい価値、新しい世界もあるよ、って優しく提案してくれる。
世界を増やして、拡げてくれる。
その新しい世界の息吹に触れて、わたしたちは安心して今に寛げるし、その世界を圭吾さんと一緒に創っていきたいと思える。
そして、その世界を信じることができる。


新しい地図】をつくってみようよ、って感じたのは、こんなことを感じる自分もいたからかなぁ、と。 

 

モー、大変。ありがとうございました!! #静岡 #函南 #花を届けに #カフェに行くのもいいけれど #野点道具を携えて #野外でコーヒーを淹れて飲むのもいとおかし #函南は素晴らしい場所です #静岡最高 #熱海の家も掃除をしてきました #移動中の車内ではプラトンの饗宴を聴く #イデアとは日本語で理想 #理想という言葉の歴史は意外と浅く明治時代に生まれた言葉 #理を想う #理とはロゴス #エロスとはなにか #それは無知と完知の間にあるもの #美には四つのステップがある #肉体の美 #精神の美 #知恵の美 #最終的には美そのものになること #なんだか小難しい話をはじめてしまいました #富士山を眺めながら飲む珈琲は最高でした!!

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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 10120−54031201 サカツメ ケイゴ 

《ゆうちょ銀行》※他の銀行から 店番号 018 店名 〇一八店(ゼロイチハチ店) 普通 5403120 サカツメ ケイゴ

 

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愛の循環 Circulation of love

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長野県千曲市にあるデニーズから佐久平駅前のデニーズに行き、現在は長野市若里にあるデニーズにいる。みなさまがたには「デニーズを見たら坂爪を思い出してください」と思っちゃう程度にはデニーズにいる。是非、デニーズを見たら「坂爪さん、元気にしているかな??」なんて思っていただけたらとってもうれしいです。本日は昼過ぎまで長野市にいて、それ以降の予定は皆無です。車で移動をしているので、もしも「おはなをちょーだい!」という方がいらっしゃいましたらご連絡ください(実際に足を運べるかどうかは精神の都合に拠ります!!ご了承ください!!)。

 

 

長野の自然は素晴らしい。豊饒な自然に囲まれているだけであふれちゃんになる。わたしは新潟市内にある海沿いの町で育ったために、山に対する憧れが強い。ハワイイ島でも「海もいいけど森の中で果樹を育てながら暮らすのもいいな」なんて思いながら家(OR土地)を探したいと思っている。長野の美しい山々を眺めていると、日本昔ばなしのようだなと感じる。車を走らせながら(どうしたって暇なものだから)「もしも日本昔ばなしを現代風にアップデートしたら、さあ、どんな感じになるのだろう??」なんてことを考えていた。

 

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日本みらいばなし「桃太郎2.0」

みらい、みらーい、あるところに、

おじいさんとおばあさんが住んでいました。

 

おじいさんはセグウェイにのって山へしばかりに、

おばあさんは自動運転車にのって川にいきました。

 

おばあさんが川で

「OK、グーグル。これを洗濯してちょうだい」

的なことを話していると、

 

どんぶらこ、どんぶらこと、大きな桃が流れてくることであろうことを、

おばあさんの体内に埋め込まれているマイクロチップが予言をしました。

 

「おや、これはよいおみやげになるわ」

 

おばあさんは大きな桃をひろいあげて、

ドローンにのせて家まで飛ばしました。

 

(以下略・・・)

 

まだ、言葉が与えられていない生き方。

最先端の科学技術と日本昔ばなし的な在り方の共生…このようなことを考えながら車を走らせていた。長野県佐久市に到着をする。おはなを渡す予定の男性と合流をする。男性は言う。「知人の紹介でけいごさんを知りました。ブログを読んではいるのですが、いったい、けいごさんとはなにものなのですか??わたしから見ると、ちょっと言葉はあれかもしれないですが『ひも』みたいなものなのかなって思いました」と。

 

わたしは「ひもということで大丈夫です。自分でも、自分の生き方にまだ名前を与えることができていません。ただ、通常のひもは限定された相手から養ってもらうことを意味すると思うのですが、わたしの場合、その相手が『不特定多数の人類全体』であったり、大袈裟な表現かもしれないですが『わたしは地球に愛されている(宇宙全体から養われている)』なんて言ったらあやしさ満載ですが、そのことに対する謎の確信があります。」と答えた。

 

そのあとに「普通、生きるためにはなにかしらのものやサービスを売り、そこで得た対価によって生計を成り立たせるものなのだと思います。が、わたしは交換という行為があまり得意ではなく、一方的な贈与とでも言えばいいのでしょうか、大きなかたちでの循環が起こればそれでいいのかなと思って居ます。多分、わたしの場合は『売る・買う』という関係性よりも『あげる・もらう』という関係性の方が好き・得意・今回の人生には適しているのだと思います。このおはなも、鹿児島県在住の方の完全なるご好意でもらったものになります。誰かからなにかをしていただくと、とてもうれしい気持ちになります。わたしは、ただ、このようなかたちで誰かからもらったものを、次のひとにまわしている『おすそ分けライフ』をエンジョイしたいだけなのだと思います」と話した。 

 

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金を動かすのではなく、心を動かす。

多分、私は「自分にまわってきたものを、次にパスをしているだけ」なのだと思う。自分から与えている【from】のではなく「自分を通過しているだけ【through】」なのだと思う。豊富なストックがあるわけではなく「ただ、フローがあるだけ」なのだと思う。このような在り方をなんと名付けたらいいのだろうか。ラグビーボールのようにパスを回し続けるラグビーボール is my lifeとか言えばいいのだろうか。ギフト経済的なあれでフロー経済とでも言えばいいのだろうか。不労所得はないけれどフロー所得ならありますと胸を張ればいいのだろうか。いや、スローライフ的なあれで『スルーライフ』とでもかませばいいのだろうか。違う。ダメだ。こんなんじゃダメだ。すぐに自分の場合は駄洒落の方向に舵を取ってしまう傾向がある(誰か一緒に考えてください!!)。

 

交換ではない『循環』。循環という言葉には大切ななにかを感じる。わたしは経済について何も知らない。だから何も言うことはできない。ただ、わたしは「お金を動かすことよりも、心を動かすことに興味があるのだ」ということを強く思う。お金によって動くのではなく、ただ、心によって動けているときに「ああ、いまの自分はいい感じだな」と思う。経済学者は言う。お金をまわすことが大事なのですと。それによって成り立っているものが自殺者3万人の社会ならば、元来いたずら小僧的な性分があるわたしのような人間は「ひっくり返したい…!!」などと思ってしまう。お金も大事ですが、それよりも大事なものがあります。それは人間の心です。お金を動かすことよりも、その先にある心を動かすことこそが大事なのです、と。

 

わたしは何を言っているのだろうか。先ほど、道路標識に軽井沢と出てきてテンションがあがった。軽井沢は素晴らしい場所だ。「軽い」という言葉の響きも軽快だ。軽井沢でごちゃまぜの家をやれないかなとか、自分の思考はすぐに散らばってしまう。軽井沢でやるなら「重井沢」とかどうかな。そんな名前のペンションはどうかな。すぐに重く考えてしまいがちなあなたへとか謳いながら、、、新潟の佐渡ヶ島に行ったときは「マゾヶ島も作りたい!」とか、サドベリースクールを知ったときは「マゾベリースクールとかやれないかな!」とか、ダメだ、頭のなかはいつも駄洒落のことばかりであふれてしまう。超ひも理論とか言っている場合ではない。もうちょっと冷静になって、自分のあり方に言葉を与えてやりたい【まだ、名前のない生き方に名前を与えたい】と思う。

 

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わたり文庫『すみわたる夜空のような』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、銀色夏生著作『すみわたる夜空のような』です。非常にありがたいことに読者の方々からたくさんの応援メッセージをいただいており、ひとつひとつを大感謝と共に拝見をさせていただいているのですが、時間的&精神的な余裕が追いつかないですべてに返信をすることができていません。ただ、あなたの言葉を確実に読んでいることだけは知っていていただけたら最高にうれしいです!!そして、そんなさかつめけいごという人間でも許容してくださるという方は、是非、これからもいつでもお気軽にご連絡をいただけましたら幸いです。まだ返信をできていない方には「これがわたしの返信です!」ということで、銀色さんの詩を拝借させていただきます。わたり文庫の今回の一冊、ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、東京都にわたりました ※※※

 

「君へ」
 
君は好きなことを、
好きなふうにやるべきだ。
そのことが他人から見て、どんなに変でも、
損でも、バカだと言われても、
気にするな。
だって彼等は、君の願いを知らない。
君が何をめざし、
何に向かっているのかを知らない。
君は彼等とは違うものを見てるのだから。
あの、強い思いだけを、繰り返し思い出して。
そのことを忘れないで。
 
他人の説教やからかいなど気にせずに、どんどんやりなさい。
けして周りを見たらダメだ。
仲間はいないんだ。すくなくとも途中には。
君はやりたいように、どんどんやりなさい。
やりたいことを。
好きなやり方で。
その行為が同時に君を救うだろう。
その行為は同時に人をも救うだろう。
そのことを忘れないで。
 
銀色夏生「すみわたる夜空のような」【角川文庫】

 

愛の循環 Circulation of love

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前回の記事で『愛の循環』をご紹介させていただきました。愛の循環。素晴らしい言葉だと思う。今回長野県内にいるのも、鹿児島からおはなを贈ってくださった方がいるからであり、ごちゃまぜの家に車を置いてくださった方がいるからであり(現在使用している車は善意ある方が「ごちゃまぜの家で使ってください」と貸してくれている車になります)、長野に行きたいと言い出してくださるひとがいるからであり、軽量テントを与えてくださるひとがいるからであり、おはなを受け取ってくださる方がいるからであり、これらすべての模様を見てくれているひと【画面の前のあなたのことです!】がいるからなのだと感動的に思う。

 

お金ではなく、心を動かすこと。昔からこのようなことを考えていた。あらゆるものが無料のホテルとか、あらゆるものが無料の喫茶店をできないものだろうか、と。利用者の方々は、あらゆるサービスを常に無料で使うことができる。そして、使用をしたあとに「この空間は最高だ。これからも是非存続をしていてほしい!」と思ったときは、ドネーションという形で寄付金(あるいはその他のなにか)を差し出す。取引とは異なる、あくまでも「自分の心がそうしたいのだと動いたときに、そうしたいと思ったものを」差し出すということ。活動を継続させるためには毎月これくらいの売り上げが必要だとか、原価がどうだとか、回転率がどうだとか、そういう在り方から離れることができている活動、ただ、大いなる循環のなかで存続をすることができている(互いに生かし・生かされている)空間を、この世の中につくれないものだろうかと考えていた。

 

その第一弾が『おはなをあげる』であり、その第二弾が『わたり食堂【0円食堂】』であり、その第三弾が『ごちゃまぜの家』になる。私は思う。カフェなどに足を運んだ際、店員さんの笑顔が最高だったりするとなんだかもうあなたに会えただけでわたしは最高にしあわせですなどと思う。そんな時、一杯500円の珈琲代金に加えて、なにかもっと受け取っていただけたらと思う。しかし、通常のシステムだとなかなかなにかを差し出せる機会は少ない(適当な受け皿がまだない)。そのために、応援をしたい側の人間は「お店に何度も足を運ぶこと」くらいしか支援をする方法がない。しかし、交換とは少しだけ異なる在り方ならば(たとえば一杯500円の珈琲に対してさえも)1万円を差し出すこともできるし、100万円を差し出すこともできる。ものではなく、そのものを提供している「あなた」に対して、自分が差し出したいと思ったものを差し出すことができる。多分、わたしは「ものではなく『ひと』に払いたい」のだと思う。あなたにあえたことが自分はこんなにも嬉しいのだと、あなたのことが好きだからあなたにはこれからも生きていてほしいのだと、そのような気持ちでお金(あるいはお金的な何か)を差し出すことができたとき、ああ、わたしの心は「いい感じだな」と思う。

 

坂爪様

 

先日LINEさせていただいた○○○○と申します。

 

坂爪さんが、坂爪さんのまま居てくださることが何より嬉しく、お花をお送りしたくなりました。

 

ただただ気持ちばかりのものとなりますが、お受け取りいただければ幸いです。

 

どうぞ、これからもそのままで!

 

もう既に私たちは循環する社会の中にいるんですね。

 

2018.3.21 ○○○○ 

 

長野県千曲市に来ました! #BillyGyallow #lifeisgood #贅沢は外にある #今日の別荘は #ここに決めた #的なスノーピーク風を吹かせていたのですが #急遽佐久市に行くことになりました #今夜は佐久市界隈にいます #佐久市内の方はお気軽にご連絡ください #明日は長野市に行きます #長野市のみなさまおよび長野市から半径5億キロメートルにお住いのみなさま何かありましたらお気軽にご用命ください!!LINE ID ibaya

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

坂爪圭吾に「生きろ」という方はこちら
ゆうちょ銀行》※ゆうちょ同士
 10120−54031201 サカツメ ケイゴ 

《ゆうちょ銀行》※他の銀行から 店番号 018 店名 〇一八店(ゼロイチハチ店) 普通 5403120 サカツメ ケイゴ

 

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応援メッセージもこころからお待ちしております。みなさまからのお言葉が、へっぽこりんちょになっている瞬間にどれだけ大きな力になることか・・・簡単な一言だけでもとってもうれしいです。みなさまからの応援をよろしくお願いいたします!!

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過去の自分を超える勇気。

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感動的な言葉に触れた時、ああ、これは人類全体の宝物だと感じる。自分だけのものにしておくことが非常にもったいなく感じて、誰でもいいから(なんだったら無理矢理にでも)聞いていただきたくなる。そういう言葉に昨日出会った。言葉は誰のものでもない。逆に言えば「みんなのもの」なのだと思う。昨日、私が交わした会話が、これを聞いてくださるあなたにとっても『宝石』のようなものになればと祈りを込めて、シェアをさせていただきます。

 

 

何か大きなものに『やらされている』という感覚 。

ごちゃまぜの家の活動をはじめ、わたしは「自分がやりたいと思うことをやっている」と思っていた。誰かに強制されて嫌々ながらやっているのではなく、あくまで自分の意思で(やりたいと思うから)やっているのだと。しかし、冷静に考えると違うような気がする。語弊を恐れずに言うと、自分の背後に常に君臨している『何か大きなもの(SOMETHING BIG)』から、今世のお前はこれをやるために生まれてきたのだから、しのごの言わずにやれ、と言われているような感覚。 

 

あとは全部用意をするから、お前はやることをやれ。 

神的なものは言う。金のことは心配するな。否、あらゆることを心配するな。必要になるものはすべてこちらで用意する。『だから、お前はやることをやれ』と。感覚は昔からあった。家のない生活をして時も、金は常になかったけれど『金に困ること』もなかった。奇跡的な出来事が連続をして、常にギリギリのところで救いの手が差し伸べられるような日々の連続を生きていた。あの頃から、この言葉に対して確信めいた思いを抱くようになった。多分、今世の自分は金に困ることはない。でも、だからこそ、自分がやるべきことに徹底的に集中する必要があるのだと、そういう役割があるように感じていた。

 

fromは傲慢、ただ、自分を通過【through】しているだけ。 

家のない生活を2年続けたのちに、ブログを読んでいてくださった方が「さすがに家のない生活は大変でしょう」と、熱海に家を購買してくれた。この時は正直物凄い驚いた。が、気持ちがうれしかったのでありがたく家を購買していただく流れになった。この話をすると「よく受け取れますね!」と言ってもらえる。ただ、あのとき、わたしは驚くほどスムーズに家を受け取るということができた。家だけじゃない。現在のわたしは「もらいものだけで生活をしている」と言っても過言ではない。そして、なにかをもらうということに対する負い目がない。そういうことを昨日話していたときに、通過という単語が出てきた。

 

あらゆるものは、ただ、自分を通過しているだけなのだと思う。こうして使っている言葉でさえ、自分ではない他の誰かが過去に生み出してくれたからこそ、その恩恵を通じて『自分の気持ちを伝えることができる』。冷静に考えると、真の意味ではこれは自分のものだと言えるものは、なにひとつないような気がする。あらゆるものは「自分を通過していくもの」なのだと思う。家も金も物質も同じだ。これは自分のものだと思った途端に、ため込もうとする心理作用が働く。しかし、これは自分を通過しているだけなのだと思えば、気負うことなく周囲のひとびとと分かち合うことができる。逆に言えば『これはおれのものだ【from的な思考】」が働いているときの自分は、傲慢になっているように思う。自分のものにするのではなく「自分を通過していくもの」だととらえることで、多分、わたしは受け取るということを以前よりスムーズにできるようになったのだと思う。

 

通過と言えるのは、一回、打ちのめされたからだ。

ガーダさんから「坂爪さんがこのように『通過』と言えるのは、一回、打ちのめされたことがあるからだと思います」と言ってくれた。この言葉には震えた。そんな風に考えたこともなかったけれど、ああ、確かにその通りだと思った。私は過去に半年間の寝たきり生活を送っていた常に「死にたい、死にたい、生きていてもなにもいいことはない」と思い続けていた日々がある。自分を通じてなにかを通過させるためには、自分が透明でなければいけない。自分のなかに壁があっては、なにかを通過させることはできない。おそらく、わたしは過去に一回死んだことを通じて『自分の中にある壁がガラガラに崩壊する』という体験をしたのだと思う。

 

ibaya.hatenablog.com

 

あの時期は地獄だった。しかし、過ぎて見ると「あの体験がなければいまの自分はない。あの体験がなければ、もっと傲慢なまま生き続けていたように思う」と感じる。過去の自分はfromの思考をしていたように思う。自分の中にある壁こそを誇りにしていたように思う。俺はお前とは違う。俺は特別な人間だ。さあ、この俺を見ろ!と。とにもかくにも「俺が、俺が」の思考に満ちていたが、病気を通じて「天狗になっていた鼻をへしおられる」的な恩恵を受けた。そのことが功を奏したのか、いまでは「あなたはすごいですね」と言われるたびに違和感を覚えるようになった。ただ、「(あなたという人間を含めた)人間というものはすごいですね」と言ってもらえるときには、いままでにないうれしさを覚えるようになった。

 

私は、私の話をしたいのではなく、私を通じて「人間全体の話」をしたいのだ。

 

ibaya.hatenablog.com

 

わたり文庫『光あるうちに』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、三浦綾子著作『光あるうちに』です。三浦綾子さんの著作は坂爪史上最大のバイブルで、彼女の言葉に触れるたびに「自分の中心に芯が通る」感覚を覚えます。読書を通じて、まるで作者と会話をできている感覚になります。朝に読めば『希望と共に1日をはじめる』ことができるし、眠る前に読めば『感謝と共に1日を終える』ことができる。素晴らしい人柄との出会いは、そのまま『素晴らしい人生』を運んでくれる。こちらの本をご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※

 

わたしたちの今日の一日を、ここで一人一人顧みていただきたい。今日の一日は、あなたの人生に、あってもなくてもよい一日だった。どうしても、なくてはならぬすばらしい一日だったか。もしくは全くなかったほうがよかったような一日だったか。

 

そしてまた考えていただきたい。今日のような毎日が積み重なった一生は、すばらしく有意義なものか。今日のような毎日の積み重ねは、何の意味ももたらさないか。今日のような毎日の続く一生なら、むしろないほうがいいか、どうか。

 

わたしがもし、自分の毎日をこんなふうに大別してグラフを作ったら、ないほうがいい日が一番多く、有意義な日は甚だ少ないような気がする。ただ、このように、少しでも意識して、自分の生活を大切に生きようとすると、一日といえども、いい加減に生きてはならぬことを知らされるような気がする。

 

三浦綾子『光あるうちに』【新潮文庫

 

過去の自分を超える勇気。 

本音を生きるという言葉がある。私にとって、本音とは「決して伝わることのないもの」だった。よく、人々は本音で話せばわかりあえる、だから本音を話そうなどという。しかし、わたしにとって本音とは「話せば話すほどに伝わらず、話せば話すほどに孤独を深めるもの」だった。だから、やがて、自分の本音を語ること(なにかを説明すること)は少なくなり、自分の生き様に言葉を宿らせることに注力するようになった。話しても伝わらないことは、やってみせることが早い。だからこそ、理想を語るのではなく、経験を語れ。やりたいことを語るのではなく、やってきたことを語れ。そう思って生きていた。が、その思いが悪いとは思わないけれど、そのやり方では「なにかをやり遂げるまではひとりきりのまま」ということになる。わたしは、この点を変えたいと思った。できることならば、最初に理想を語り、見たい世界のイメージを語り、自分はこういうことをやりたいと思っているのだと語り、その風景を面白がってくれるひとびとと「(結果を共有するのではなく)結果までの道を共に歩きたい」と思っている。結果を共有することをよろこびとするのではなく、その過程の道を『共に歩く』ことのなかに、よろこびを見出して行きたいのだと思っている。

 

坂爪さんの
自然な流れに任せて奇跡を起こす生き方みたいなものにも惹かれて
ブログ読み始めましたが
最近坂爪さんから自然な
流れプラス
こうしたい!っていう
坂爪さんの
意思を感じることがすごく嬉しいです!!
また以前より
坂爪さんのブログから孤独感みたいな感じが減っていて、
ホッシー
稲村さんやとおるさんを見て納得みたいな。。

 

最後今日の会議の
感想は楽しみながらハワイごちゃまぜのおうち達成してほしいし、
私に出来ることは
頼ってほしいなって思いました!

 

坂爪さんたちが
変化したように
私も会って交流しているうちに
見て満足から
少し役に立ちたいって変化したんだと思います!

 

だからうまく甘えて、役に立たせてくださいね☆


今日はありがとうございました!

 

ティクナットハンは「幸せになる道はない。幸せこそが道である」と言う。幸せになるとか、幸せにならないとか、そういうことはないのだろう。幸せとは『いま、この瞬間』のなかにこそあり、それは『幸せと共に生きる』ことの中にある。なにかを成し遂げたから幸せになるとか、なにかを成し遂げるまでは幸せになれないとか、そういうことではない。幸せとはこの瞬間のなかだけにあるものであり、だからこそ、わたしは『共に笑う』『共に泣く』『共に生きる』ということに、これほどまでの熱情と憧憬を抱いているのだと思う。そして、それが実現されたように感じる瞬間のなかに、言葉にすることのできないほどの大きなよろこびを感じているのだと思う。ひとりきりでも幸せになることはできるだろう。しかし、そのよろこびを誰かと分かち合うことによって、よろこびは何倍にも増幅する。ひとりきりでは感じることのできないよろこびが、自分ひとりだけで囲みこんでいる間には得ることのできないよろこびが、『分かち合う』という行為のなかにはあるのだと思う。

 

お風呂に入ってたら話したいことがいっぱい出てきちゃって、ただいまスクランブルしております。。。。


今日のハワイ会議を受けて、もしわたしが3人の立場だったら、わたしは何をするんだろう、って、ふと思ったんです。

で、結論から言うと、ハワイの方々にも菊名のごちゃまぜの家に来て欲しい!って思ったんです。ごちゃまぜの家を知って欲しいし、体感して欲しい、って。
受け取ることを考えるより、【先にすべてを差し出したい!】って。
わたしたちはこんなにステキなごちゃまぜの家を与えられているのに、それを【循環】させずして、なんだか得ようとばかりしてはいないか、と。

その結果、もし今回のハワイの旅をきっかけに、ごちゃまぜの家を知ってくれて、訪ねてくださる方がいたら、それはなんてステキなんだろう!と✨✨✨
わたしたちがハワイに行くことばかり考えるんじゃなくて、ハワイの方々にも菊名を知ってもらえて来てもらえる、そんな関係になりたい!って、思いました。

だから、わたしだったら、
『ハワイで家や土地を探している』
から、
『日本にこんなところがあるんですが、来てみませんか?』『日本に来るときは是非立ち寄ってください♡』なお誘いをしまくるのかなぁ、って。わたしの大好きなごちゃまぜの家に来て来て!って( ˘ω˘ )♡

それは即効性がないかもだけど、ハワイとの絆や信頼関係を大切にしたい、って思ったらやってもいいことなのかなぁ、って思いました🌈✨✨✨

 

昨日開催されたハワイイ会議を通じて、様々な意見を頂戴した。そのなかで「自分たちがハワイイに求めるだけではなく、ハワイの人々にとってもよいと思ってもらえるような活動になったらいいですね」というご指摘をいただいた。まさにその通りだと思ってこうべを垂れた。そして、自己中心的な思考ばかりを繰り返していた自分を恥じた。自分ひとりで考えていると、どうしても思考や視野の幅が狭くなる。そんななか、いつだって自分の世界を広げてくれたものは『他者の存在』だった。これからの未来を、こうして一緒に考えてくださる方々がいると言う現在の状態に、言い知れない感謝を抱いた。今日はこれから家を建てる。家を建てる練習をする。無謀かもしれないけれどすのこを使って家が作れないものかと、2〜3万円程度で『眠れる小屋』を作れないものかどうかを、実験的に試してみる。ハワイイ出発まであと18日、自分にできること・この瞬間から動き出せるものを見つけては、ひとつひとつ行動に移していきたいと思う。

 

坂爪さんへ

 

今日は、突然お邪魔させていただきましたが、温かく迎えて下さり本当にありがとうございました。

 

あの空間には初めてお会いする方しかいなかったのに、坂爪さんに惹かれて集まった人たちの不思議な一体感が心地よく、まるで昔からの親戚のお家に立ち寄ったかのような安心感があり、私も私らしくいることができました。

 

ごちゃまぜの家に、わたしが目指す世界の縮図を見た気がします。

 

ブログやTwitterの記事の感想など、以前から伝えたいことが沢山あるのですが、今日は、今日感じたことをお伝えしたいと思います。

 

…坂爪さんが道案内に迎えに来て下さった時、私の荷物を見て、優しく『持ちましょうか?』と聞いて下さった時に『大丈夫です。』とお断りしてしまったこと。。

 

あの時、何故坂爪さんの優しい気持ちを素直に『ありがとうございます』と受け取れなかったのか、これが愛を受け取ることができていないということなんだと理解できたのです。

 

人は本当に無意識に物事に対する反応をしているんですよね。愛を与えることは受け取ることよりは容易く、それは、人は誰かのためになりたいと、誰かの役にたちたいと、本能的に思う生き物だから。

 

人が愛を受け取ることが苦手な理由は、愛を受け取ってもらえなかった過去の経験が関係しているのだと、深く知ることができました。

 

坂爪さんが挑戦している生き方は、いかに素直にただ人の愛を受け取ることができるか、だと思ったのです。(稚拙な表現ですみません)

 

これは本当に簡単なようで一番難しく、私たちが人生において挑戦すべき壮大なスケールのことなんですよね。

 

何故なら、また傷つくことが怖いから。愛を受け取るには、過去の傷を乗り越える勇気が必要だからです。

 

坂爪さんから滲み出ている優しさは、貴方が人からの愛を素直に受け取ることを意識して選んできたからなんだと思います。
だから、愛を渡す(表現する)ことも自然にできるようになってきているのでしょうね。(スリッパを用意して下さったこと、わたしの家庭料理を褒めて下さったことなど)
ただ、これらも感覚で生きてきたからこれからは想いを言語化していきたいとおっしゃっていたように、挑戦なのかな?とも感じました。瞬間瞬間を大事にしたい想いが伝わってきました。

 

つまり貴方は過去の自分を超える勇気をもって今を生きている!
本当の強さや優しさは、そこから育つ(築かれる)のだと思います。

 

素晴らしいことです。
貴方の中にキラキラ輝く希望の光を見ました✨✨

 

大丈夫です。
貴方がこの人生で表現したいことは、全て愛に基づいている。そのことに自信を持ってください。

 

だから、ただ自由に楽しんでください。自分に与えられた恵みを生かして笑っていてください。それがみんなに勇気を与えます。

 

坂爪さんの使命は人の期待を背負うことではなく、自分の命を謳歌することですから。

 

…と、ここまで綴って、いま私が貴方へ向けて放った言葉は全て自分へのメッセージでもあることにもう気づいています(笑)

 

一緒にこの世界で愛の循環をしていきましょう☺️🌈

 

またお会いできる日を楽しみにしています💫

 

そうそう、ピンクのチューリップ🌷坂爪さんにお似合いでしたよ。

 

改めて、本日はお料理をさせていただき、ありがとうございました😊🥗ごちそうさまでした。
いろいろ調味料なども使わせていただいたこと感謝致します。

 

まとめ✈
キッチンでワインを乾杯して飲んだのが楽しかったです(笑)
握手もして下さり嬉しかったです♪

 

また!

 

2018年3月21日
雪の春分の日に ◯◯◯◯

 

https://www.instagram.com/p/BgmdGtED4Zh/

大丈夫です。貴方がこの人生で表現したいことは、全て愛に基づいている。そのことに自信を持ってください。だから、ただ自由に楽しんでください。自分に与えられた恵みを生かして笑っていてください。それがみんなに勇気を与えます。坂爪さんの使命は人の期待を背負うことではなく、自分の命を謳歌することですから。#わたり食堂 #終了 #ハワイイ会議 #受け取った言葉 #テイクだけではない #ギブを考える #ハワイイにしてもらいたいことだけではなく #ハワイイにしてあげられることを考える #ハウストレード #交流 #流れ #交わる #小我を超えて #大我に至るまで #意思を掘る #どこまでも深く深く掘り進めた先に #多分 #みんながいる #自分を深く生きるほど #多くの人々とつながることができる

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

お賽銭箱:坂爪圭吾に「もっと生きろ!」という方はこちら
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 10120−54031201 サカツメ ケイゴ 

《ゆうちょ銀行》※他の銀行から 店番号 018 店名 〇一八店(ゼロイチハチ店) 普通 5403120 サカツメ ケイゴ

 

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応援メッセージもこころからお待ちしております。みなさまからのお言葉が、へっぽこりんちょになっている瞬間にどれだけ大きな力になることか・・・簡単な一言だけでもとってもうれしいです。みなさまからの応援をよろしくお願いいたします!!

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LINE ID ibaya

今、世界はあたらしい言葉を必要としている。

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春分の日占星術的には「今日が宇宙の元旦」になるそうです。4月7日生まれの私は牡羊座で、今日、春分の日から太陽は牡羊座にはいります。牡羊座は活動宮とも呼ばれていて、この時期は「受け身であることよりも、自発的に動く!自分から動く!」ことが大切になるのだそうです。が、あいにく今日の天気は(関東圏は)雨。雪のような雨が静かに降っています。もしも今日、祝日だけどなにもすることがないという方は以下の音声配信『レインボーアンサーとしてのごちゃまぜの家』をお聴きいただけたら最高にうれしいです。 

 

 

祝日。素晴らしい言葉だ。雨天であれ晴天であれ、常に、我々は神様に祝福されているということを忘れたくないなあと思います。現在、私はテントのなかで暮らしています。テントの中で聞く雨の音は美しく、テントの窓から眺める草花の芽は青々と生命の賛歌を歌っています。生きているといろいろなことがありますが、大前提として「この世は天国。いろいろあるけど総じて天国」なのではないだろうかと、そんなことを考えます。人間は、どうしても目に見えるものを信じる傾向にあるけれど、実際は『信じているものを見ている』のではないだろうかと、それならば、目の前にあるものを変えることはできないけれど『そこに込められている意味ならば、自由に選ぶことができる』のではないだろうかと、信じるという行為に含まれる、あまりにも壮大な自由を感じています。

 

ibaya.hatenablog.com

 

レインボーアンサーという考え方。

音声配信の中で『レインボーアンサー』という言葉を使いました。私は4月9日からハワイイ島に行きます。目的は「誰でも自由に使える家なり土地なりを見つけること」にあるのですが、その奥には、もっと深くてもっと広い意味があるように感じています。ハワイイ島は虹が非常に有名な島です。どれだけ落ち込んでいたとしても、どれだけ悲しいことがあったとしても、誰だって「虹を見た瞬間は元気になれる」ように思います。酷く抽象的な言葉になりますが、多分、わたしは『虹をつくるような生き方』をしたいのだろうなと、一目見ただけで幸せになっちゃうような、うれしくて涙が出てしまうような、そういう出来事をハワイイ島で目撃したいと焦がれているのだと思います。

 

おはようございます✨✨
諏訪はしとしと雨でございます。


ツイキャス聞きましたよ〜♡
わたしは、
○どんなひとが
○何をする
以外に、
○どんな想いや情熱と共に、どんな世界を創りたいのか(ハートな部分)
が知りたいかなぁ、と思いました( ˘ω˘ )♡

そこに共感があると、応援したくなるし、そのひと(たち)を好きになるかもなぁ、と♡
ほっしーさんの言う、夢や希望の部分✨✨✨


ハワイでの圭吾さんの旅。
わたしは、もうすでにたくさんの方々の【はてしない物語】があそこにはあったな、と思っています。
応援メッセージ(応援ストーリー)というかたちで、たくさんのバスチアンを感じることができていました( ˘ω˘ )♡

そこには、
【循環】ってことに自分のストーリーを紡いでいるひともいれば、
【死にたいと思っているならハワイ島に行って欲しい!】に自分を投影しているひともいたり。
その【】が圭吾さんの中にいくつもあって、そこにたくさんの方たちのストーリーが縦に、横に絡み合いながら紡ぎ出されていたなぁ、って。(中島みゆき!笑)


そんな応援ストーリーで参加できてもいいのかもですね🌈✨✨✨

 

昨日、このようなご連絡をいただきました。距離を超えて会話をできることはほんとうにありがたいことです。一言一言が非常にうれしかったのですが、とりわけ『どんな想いや情熱と共に、どんな世界を創りたいのか(ハートな部分)』という言葉に私は強い反応を示しました。どんな世界を創りたいのか。その根底には、どのような想いや情熱があるのか。この部分を、この部分こそを、4月9日の出発の日までに言語化をしていくことこそが、いまの自分に必要なことなのだと思います。

 

もしかしすると、自分と同じようなひとは他にもたくさんいるのではないだろうかと思います。合言葉は『思い』と『アクション』。私の場合は「これまでの受け身的な日々を変えて、自分の意思をしっかりと言語化し、言語化したものを実際的な行動につなげ、バラバラなものをひとつにすること、へたくそでもいいから『自分の思いを熱意とともに伝えること』」が、2018年のテーマになります(太字部分は特に!)。私と同じように、自分の意思を意識しはじめた方々にとって、わたしの人生があなたの人生にも織り重なるような、同時に『あなたの人生がわたしの人生にも織り重なる(あなたのなかにわたしは生きていて、わたしのなかにあなたは生きている)』ような、距離を超えた対話を続けるようなイメージで、これからの日々を過ごしていけたらと思っています。

 

ibaya.hatenablog.com

 

今、世界はあたらしい言葉を必要としている。

今日、これから横浜にあるごちゃまぜの家でわたり食堂【0円食堂】が開催されます。13時頃からはハワイイ会議と称して、お集まりいただいた方々と一緒に作戦会議をする時間を設けました。ひととの会話の中で、言葉は生まれていく。感覚的な話になりますが、今、世界は新しい言葉を必要としているように思います。これまでにない時代を迎えるときは、これまでにないあたらしい言葉が必要になります。既存の言葉ではどうしても補うことのできない部分を、あたらしい言葉は磁場を生み「言葉を通じてあたらしい世界を見せてくれる」働きをします。自分がこれからやろうとしていることに言葉を与えるという行為は、大袈裟ではありますが『自分の活動に命を吹き込む』ものになると思います。

 

私にとって、ごちゃまぜの家は目的ではなく手段になります。その先に『自分が見たいと思う世界』があるのだと思います。それを言語化すること。その世界を描くこと。これが現時点における究極のテーマになります。私の思考はバラバラで、ともするとすぐにてんでんばらばらなことになってしまう。一本一本は細くまとまりもなく見える糸も、つなぎあわせることでひとつの大きな糸になる。いま、自分がやりたいと思うことは『バラバラなものをひとつにすること。自分の中も。自分の外も。そして、ひとつの大きな糸をつくること』なのだと思います。これを、もっと具体的に言語化することが念願であり、その行為を、みなさまの力も借りながらやっていけたらと思っています。

 

昨日、非常にうれしいメールをいただきました。ひととの会話のなかで、言葉は生まれていく。ひとと会おう。思いを語ろう。紙に書こう。絵を描こう。もっと歩こう。もっと踊ろう。もっと眠ろう。いろいろな場所に足を運んで、いろいろな世界をからだのなかに取り入れよう。自分の根本にある思いの部分をしっかりと掘りすすめ、あたらしい言葉を与えよう。その言葉を、その息吹を、そのなかにある熱量を、周囲の人々と共有しよう。リラックスすることのできる時間を忘れないで、焦らずに、慌てずに、楽しむことを忘れないで。僕達のパフォーマンスが一番発揮される瞬間は、肩の力を抜いて、リラックスをしながら楽しむことができているときだということを、忘れないで。

 

圭吾さん こんばんは。
 
不思議なくらいにこころもからだも軽く。
すべての迷いから解き放たれたような、そんな水曜日です。
圭吾さんも柔らかな気持ちで過ごしているといいなあ、と思いながらこのメールを綴っております。
 
レインボーアンサーの話を聞いて。
わたしもよく考えることがあるんです!と伝えたくなってしまいました。
この世界に溢れているあらゆる問題の根っこは実はすべて繋がっていると思っていて。
 
いまの世界ではあちこちで溢れ出した水をすくうことにそれぞれが必死だけど…
そういう対症療法的なアプローチだけでは溢れている水はいつまでも止まらない。
流れを堰き止めているものを発見すること。それを取りのぞくこと。
それこそが溢れたすべての水を止めるために必要なことだと、いつもそう思っています。
 
ちなみに、わたしのなかではそれは「所有」と「多数決」
表面的なものでいえば″貨幣制度″と″選挙制度″なのかな、という感触を得ております。
 
 
きっと。
圭吾さんが導き出そうとしているアンサーは、ひとりひとりの人生に個別に適応される類のものじゃなくて。
もっと集合意識的なもの「人類の長きに渡った苦悩」のような鎖を一気に外そうとするようなもの。
であるのかな、と。わたしのこころにはそのように届きました。
 
 
圭吾さんの存在を知ったとき。とっても嬉しかった!
それと同時に、「わたしが言い出したことなのに…ひとりでやらせてしまっていてごめんね」
と、なぜだかそんなことを感じてしまう自分がいたんです。
 
圭吾さんは不思議なくらい、嬉しいくらいに
わたしがやりたいことをそのままに体現しているひとです。
 
おかしな掟が支配する世界で、うまくやり過ごす新しい(?)方法を語る人は数多いるけれど、
本気で掟を破り捨てようとするひとに初めて出会った。
 
今もずっとその喜びに溢れています。
 
 
同じような明日に挑戦状を叩きつけるようなひと。
そっと笑って掟を破り捨てられる用意のあるひと。
 
多分、わたしが生まれたときから求めているひとのイメージなのです。
 
 
そして、今日。体感として本当に分かったことがもうひとつあって。
 
 
″恋″というものが相手をひとつの関係性の中に閉じ込めようとするこころの動きであるなら、
″愛″とは相手との間に決まった関係性を求めようとしない素直で静かで大きなこころであるのだな、と。
 
そのことをこのからだいっぱいに感じています。
なんて気持ちのいい、広々とした感覚なんだろうと翼が生えて飛んで行ってしまいそうです。笑
 
その瞬間瞬間、相手に伝えたいことをまっすぐつたえること。
そうすることで自然と生まれる空気や関係をそのまま楽しんで受け取ればいいということ。
 
ひととの間にも、出来事との間にも。
ただそれだけなのだと自分のなかが整理されました(*´ω`*)
 
大切なことをたくさん教えてくれたひと。
 
圭吾さんと出会えたことはこれからもずっとずっと宝物です。
本当に本当に、ありがとう♡
 
 
明日のわたり食堂、とっても行ってみたかったけど仕事が入ってしまっていて本当に残念です。
わたり食堂もハワイ会議も実り多い素敵な時間でありますよう╰(*´︶`*)╯♡

 

https://www.instagram.com/p/BgDP_utFTRN/

#hawaii #BillyGyallow #lifeisgood

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

お賽銭箱:坂爪圭吾に「もっと生きろ!」という方はこちら
ゆうちょ銀行》※ゆうちょ同士
 10120−54031201 サカツメ ケイゴ 

《ゆうちょ銀行》※他の銀行から 店番号 018 店名 〇一八店(ゼロイチハチ店) 普通 5403120 サカツメ ケイゴ

 

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応援メッセージもこころからお待ちしております。みなさまからのお言葉が、へっぽこりんちょになっている瞬間にどれだけ大きな力になることか・・・簡単な一言だけでもとってもうれしいです。みなさまからの応援をよろしくお願いいたします!!

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人間は音符。人生はオーケストラ。

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3月21日(水・祝日)わたり食堂【0円食堂】を開催します。是非、どなた様でもお気軽に遊びにいらしてください。お昼頃からは「ごちゃまぜの家 in ハワイ会議」の時間を設けさせていただきます。ハワイにごちゃまぜの家を作るために、先日までハワイで過ごして来た日々の報告と、来月に向けた作戦会議をお越しいただいたみなさまと共にできたらと思っています。同時進行で『ワンデイ丁稚奉公』なるものの募集もはじまりました。もしよろしければ、ごちゃまぜの家日誌をご覧いただけましたら幸いです。

 

gochamaze.hatenablog.com

 

自分がこれから進む道を決めるとき、頭の声は「あれをしなくちゃ!」とか「これをしなくちゃ!」とか「どうにかしなきゃ!」とか、そんな風に言う。でも、腹の声は違う。それは静かな声で「これをしたい」とささやく。腹の声は、決しておおきな声では叫ばない。ただ、ささやいているだけ。だから、しばしば頭の声にかきけされる。腹の声を聞くためには、頭の声を黙らせること。静かに湧き上がる腹の響きに、じっと、耳を傾けること。そこにあなたの意思がある。そこにあなたの望みがある。これはとても難しいことでもあるけれど、頭の声ではなく、腹の声に耳を傾けていきたいと思う。

 

ibaya.hatenablog.com

 

行き場のない母性と、有り余る愛。

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ふるさとは、さみしさに恵まれている。 #新潟 #故郷 #さみしさとはなにか #寄り添う力か #さみしいとき #わたしはものを想う #想像の翼が #わたしをここまで運んできた #展望台 #夜景 #隣のひとは言う #灯の数だけ暮らしがあり #灯の数だけ幸せがある #わたしは思う #灯の数だけさみしさがある #幸せの裏に隠された #明るさの裏に隠された #隠されたさみしさに目を向けてしまう #光りたいのだとうずくマグマ #さみしくない #もうさみしくはない #何度も言い聞かせながらまた #これからもさみしさを覚えるのだろう #そのなかで何を掴む #さみしさのなかに詩があり #かなしみのなかに詩がある #そう思って生きてきた #さみしさを歌え #その歌こそが詩になり #その歌こそが命をつなぐ

 

新潟から熱海を経由して横浜に戻る。新潟はわたしの故郷だ。新潟の冬は厳しい。冬の間は晴れることが滅多にない。鬱傾向になる人も多く、忘れたい記憶が「忘れられない記憶」として蘇る。私の中には、常に、さみしさのようなものがある。孤独とも違う、虚無感とも違う、それは『自分はずっとひとりだった』と感じるようなさみしさだ。常夏の楽園などにいると、そのことを忘れていられる。しかし、新潟のような比較的曇天が続く環境のなかに身を置くと、そういったことが蘇る。これは、悪いことではないと思う。このインスタグラムの投稿を見てくれた福岡在住のT様が、こんな言葉を送ってくれた。

 

インスタの、さみしさの詩と大きな木の写真。リンクするなぁと思いました。木は一本として見ると、さみしさを纏っているようにも見えるけど、地下では根っこが絡み合って繋がっているんですよね。

 

人間も意識の下では、そうだろうなと。

 

私や私と似た境遇の女性たちは、一見自分のためだけに生きてるように見られます。
が、自分たちの行き場のない母性をどこに使うか? 有り余る愛を何に向けるか? と考えていたりします。

 

ごちゃまぜの家が多くの人に知られることで、そこに自分のできることを見つける人もいるかもしれない。各地にできたら、ほんとうに素敵ですね。(と思う反面、心にあれば良いんだよね。とも思う。木の根が繋がっているみたいに)

 

実現していく坂爪圭吾さんは
しみじみ、すごいです。

 

今日も佳き一日を🌿

 

自分たちの行き場のない母性という言葉にドキッとした。そして「有り余る愛を何に向けるか?」という問い。この言葉を読んだ時に、なぜ、自分はさみしさという感覚が決して嫌いではないのかが少しわかった。多分、さみしさや悲しみなどと呼ばれている感情は、愛したいように愛せなかった記憶であり、愛されたいように愛されなかった記憶なのだと思う。そのことを思う時、逆説的だけれど「愛は、確かにそこにあった」のだと思う。ただ、適切な形でそれを発露する機会がなかった(機会を失った)だけなのだと、そういうことを思った。私はT様に返信をする。わたり文庫の本を贈ることの約束をする。

 

おはようございます、もちろんどうぞ! お役に立ててうれしいです。

 

ほんとうに、飲み屋でそんな話をしていますよ。Facebook に投稿する友達もいました。

 

フリーランス広報の友達はやっぱり人を育てることだなぁと言って、同じ仕事をする若い人にフリーランスの立場からいろいろ教えようとしています。私は書いて伝えることだなぁと思っています。で、そのためにも詩をたくさん読もうと。あと、ごちゃまぜに協力することも、やりたいことです😊

 

本、ありがとうございます! 楽しみです。今日もがんばろう〜🌸

 

私たちは、いったい、なんのために生きているのだろうか。

 

伴走者

岩崎航さんという詩人がいる。現在、仙台で生活を続けている岩崎さんは筋ジストロフィーという病気を患い、24時間誰かの介護がなければ生きていくことができない。17歳の頃には自殺も考えたが思いとどまり、25歳から詩を書くようになる。2004年に『五行歌』と呼ばれる詩の形式に出会い、現在も様々な作品を生み出している。誰かのサポートがなければ生きていくことができない。誰かのサポートがあるからこそ、自分は生きていくことができる。そんな岩崎さんの作品に、以下のようなものがある。

 

ぼく自身も

誰かの伴走者となって

はじめて

完走できると

思うのだ 

 

この詩をはじめて知った時は、震えるような感動を覚えた。ただ、受けているだけでは足りない。自分も与える側の人間になれてこそ、誰かを支え得る存在になってこそ、同じ時代を誰かと共に走っているのだという実感があってこそ、はじめて生きている実感を得ることができるのだと、そして「この生涯を走り抜くための勇気」を得ることができるのだと、そういうことを思った。たとえ、寝たきりの状態を余儀なくされたとしても「誰かの伴走者になることはできる」のだという希望を、岩崎さんの生き様は与えてくれる。その著作『点滴ポール』のなかに、以下のような言葉がある。

 

生き抜くという旗印

 

かつて僕は、自分で自分の命を絶とうと思ったことがある。
十七歳のときだった。
前途には何の希望もないように思えた。
家人のいない、ある午後、目の前にナイフがあった。
これですべてが楽になるのかなあと、ふと考えた。涙が止めどなく溢れた。

 

けれども、僕は「生きる」ことにした。
それは、嵐にこぎ出す、航海の始まりのようでもあった。
まもなく、座れなくなった。
おいしいご飯も食べられなくなった。
一年間に家の外に出たのが二回だけという年もあった。
人が怖くなったときもあった。
いったい自分が本当は、何を考えているのか分からなくなった。
青春時代を、抉りとられた。
母親を号泣させた。
父親と激突した。
若者らしく友達とバカ騒ぎをして過ごすということもできなかった。
やがて、ベッドで寝たきりの生活になった。
吐き気地獄で、気が狂いそうになった。
自分の若い人生を、余生だとしか考えられなくなった。
ずっと呼吸器を付けるようになった。
今まで恋愛とも無縁だった。
これらを、「生きる」ことで味わってきた。

 

あれからさらに二十年の歳月が経ち、僕は今、三十七歳になった。
病状は、一層進んだ。
あまりにも多くのことを喪った。
思うことはたくさんある。
僕は立って歩きたい。
風を切って走りたい。
箸で、自分で口からご飯を食べたい。
呼吸器なしで、思いきり心地よく息を吸いたい。

 

でも、それができていた子どもの頃に戻りたいとは思わない。多く失ったこともあるけれど、今のほうが断然いい。
大人になった今、悩みは増えたし深くもなった。生きることが辛いときも多い。
でも「今」を人間らしく生きている自分が好きだ。
絶望のなかで見いだした希望、苦悶の先につかみ取った「今」が、自分にとって一番の時だ。そう心から思えていることは、幸福だと感じている。

 

授かった大切な命を、最後まで生き抜く。
そのなかで間断なく起こってくる悩みと闘いながら生き続けていく。
生きることは本来、うれしいことだ、たのしいことだ、こころ温かくつながっていくことだと、そう信じている。
闘い続けるのは、まさに「今」を人間らしく生きるためだ。

 

生き抜くという旗印は、一人一人が持っている。
僕は、僕のこの旗をなびかせていく。

 

岩崎航『点滴ポール』【ナナロク社】

 

岩崎さんは『五行歌』という詩の形式を与えられることで、自身の精神性や愛を発露する機会を与えられた。わたしは、これまで「自由とはなににも縛られないこと」だと思っていた。が、少し違うみたいだ。五行歌や俳句や短歌に形式があるように、与えられた制約があるからこそ『そのなかで発揮される精神性や愛』があるのだと思う。あらゆることを自由にやっていいという状態では発揮されることのなかった精神性が、愛が、与えられた制約の中で『いまだかつてなく踊り湧き上がる』ことがある。これはものすごいことだと思う。人間として生まれた以上、私たちには様々な制約がある。空を飛ぶこともできないし、テレパシーを使うこともできない。酸素がなければ生きていけないし、生老病死から逃れることもできない。しかし、制約があるから不自由なのではなく、制約があるからこそ『私達は自由だ』と、そんな風に言えるのではないだろうか。

 

人間は音符。人生はオーケストラ。

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マヤ語の挨拶にインラケチ【INLAKECH】という言葉がある。INは「私」、LAKは「別の」、ECHは「あなた」という意味になり、直訳すると「わたしはもうひとりのあなたです(あなたはもうひとりのわたしです)」という意味になる。この言葉を知った時は、ああ、ものすごい考え方があったものだなあと感動をした。最近、頻繁に感じることがある。あなたは私の代わりに生きていて、私はあなたの代わりに生きている。ひとりひとりが別々の命を生きているのではなく、ひとつの大きな命を生きている。この「ひとつの大きな命を生きている」という感覚が、現在の自分を支える精神的な拠り所になっているように思う。

 

私は、いま、たまたま与えられた時間や環境があるからこそ「いろいろな場所にごちゃまぜの家(誰でも自由に使える場所)をつくりたい」という思いを行動に移すことができる。これは、自分のためだけにやっていることではなく、自分以外のひとのため【自分と似た思いを抱いているひとのため】にも、与えられている役割のようなものではないだろうかと、そんな風に感じることがある。ひとにはそれぞれの制約がある。それをしたいと思うからといって、すぐにはできない事情がある。逆に言えば、わたしは会社員でもなければ両親の介護をしている訳でもないから、会社で働くという体験や、両親の介護をするという体験をすることはできない。おのおのがおのおのの環境の中で、与えられた役割を務めあげるということ。そのことのなかに、自分のためだけではなく「誰かの代わりに生きているのだ」と思えるような実感や手応えがあれば、日々は、より一層の広がりと共に活き活きと輝きにあふれたものになるのではないだろうか。

 

ひとりひとりが別々の命を生きているのではなく、ひとつの大きな命を生きているということ。あなたはもうひとりのわたしであり、わたしはもうひとりのあなたであるということ。あなたはわたしの代わりに生きていて、わたしはあなたの代わりに生きているということ。そのことを深く認識できたとき、きっと、真の意味での孤独は消える。与えられた役割のなかで、与えられた環境のなかで、与えられた制約のなかで、ただ、自分は自分の歌をうたうということ。生きるということは、多分、そういうことだ。他の誰のものでもない、自分は自分の歌をうたうことだ。張り倒されても、絶望に打ちひしがれても、それでもなお『自分の歌をうたい続ける』ことだ。あなたの生命を賭してうたいあげようとするその音楽が、その勇気が、その生き様が、他と切り離されたものとしてではない、ひとつの大きな命から湧き上がる『人類共通の宝』になるのだと思う。

 

坂爪さま

いつもピッタンコのメッセージ
ありがとうございます!

1年半の休職のあと
11月16日に復職したものの
3月12日に
また会社に行けなくなってしまいました。

親切な会社の同僚が
理由を訊ねてくれたので
一所懸命答えたのですが
なんとも大事な肝が伝わらず

みんなが普通に出来てることが
どうしてもできない。私はダメなのだ。
うまくやれない自分はダメだ。
という方に傾きがちになっていたところ

毎日の
坂爪さんの言葉で
はっ!(゜ロ゜)となり
なんとか自分の中心を保っている私です。

どうしたい?とかどうなりたい?という質問が一番苦手で

ソレガナイトダメナノダロウカ??と思いがちな自分ですが

会社に行けなくなる前に
友達と電話で話していて
ふと
私は坂爪さんのような生き方がしたいのだ、と思っていることに気づきました。

自分のやりたいことの純度をひたすら上げる生き方。
その結果として、周りの人の心が動く。
それを狙っているわけではないのだけれど、、、

私は優しい社会、住みやすい社会
生きることに安心できる社会を創りたい。

その私の姿を見て
自分のやりたいままに生き
発言し
そして違いを許容できる人が増えていったらいいなぁと
妄想している日没時です。

なぜか
坂爪さんにメールしたくなったので
してしまいました。

いつも私を中心に戻してくださって
ありがとうございます。
坂爪さんの美しい瞳がいつまでも輝く日々でありますように。

○○○○○

 

https://www.instagram.com/p/BgXxk9VFC5c/

焦らず、慌てず、楽しんで。

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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恐れながらでもいい、進め。

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突然ですが質問です。もしも、あなただけが「明日からおかね【money】がまったくの価値を失い、ただの紙切れになってしまう」ことを知ってしまったとしたら、いま、手元にある紙幣をなにに変えたいと思いますか??唐突すぎる質問ではありますが・・・ひとによっては『家』と答えるひともいると思います。あるいは『水や食料』と答えるひともいると思います。またまた、モノは必ず尽きるときが来るからと『畑』とか『航空券』とか『南国の土地』なんてものに変えるひともいるかもしれません。さて、あなただったらおかねをなにに変えたいと思いますか??

 

ホワイトデー特別企画「OHANAをあげる」開催中です! #niigata #uchino #OHANAをあげる #ご希望されるみなさまにもちろん無料でお花をお届けさせていただくことを通じてオハナになることを目指す企画 #オハナとはハワイ語で家族 #血の繋がりの関係はないとのこと #連絡先はLINEIDibaya #イベントの趣旨をしっかりと伝えることに失敗をしてしまいました #ルパン感 #新潟もようやくあたたかくなりました #春ですね #海 #流木 #くるみ #漂着物 #海ゴルフ #流木でくるみをゴルフボール代わりにして遊ぶ遊び #これが意外と物凄い楽し#ラウンドワン #有料 #海ゴルフ #無料 #流木を掘って器を作る #晴れた日はできるだけ外にいたいですよね #OHANAをあげる #呼ばれた場所まで直接伺いますので新潟在住の方々はよろしくお願い申し上げます!!

 

坂爪圭吾は、おかねをおはなに変えたいと思いました。とか言うと綺麗事マックスに聞こえるかもしれませんが、昨日、ホワイトデー企画として能動的におはなを配りながら「これはあながちナンセンスなことではないぞ・・・!」と思いました。普通、どうしたって人間的な考え方とすれば『どうすれば自分や自分の大切なひとたちが生き延びることができるか』的な考え方をするものだと思います。自分自身にも、そういった部分は多分にあります。だからこそ、お金を家や食料や生活に必要なものに変えたいのだと思います。が、お花を配りながら感じることは莫大で、うまく言葉にできないのですが『自分のために生きるより、ひととのつながりを強固にするものにお金や時間を使った方が、結果的に豊かな人生を過ごせるのではないだろうか』ということを思いました。

 

ibaya.hatenablog.com

 

天国にも、地獄にもなる。

天国と地獄は同じ場所にあるというたとえ話があります。それは、このような物語でした。4人の男女が食卓を囲んでいます。食卓の上には、それはそれは豪華な食事が並んでいます。しかし、4人の男女の指先には、ものすごい長さのおはしが括り付けられて固定されている状態になります。これは地獄も天国も同じです。が、そのあとの状況がまったく変わります。地獄では、誰もがその長いおはしを使ってどうにかこうにか料理を食べようとみんなもがくのですが、あまりにもおはしが長いものですから、誰ひとりとして自分の口まで料理をまともに運ぶことができません。誰もかれもが苛立ちを覚え、癇癪を起こし、最終的には食卓をひっくり返して料理もなにもかもを台無しにしてしまいます。

 

天国も、指先におはしが固定されている点は同じです。しかし、そこにいる誰もがみんな朗らかな様子で料理を楽しんでいます。なぜか。それは『自分のおはしを使って、互いに食べさせあっていたから』です。地獄とは、とにかく自分が食べることだけを考えているひとたちの集団です。天国とは、互いに食べさせあっているひとたちの集団です。どうしてなのでしょうか、私は、新潟市内在住の方におはなを届けるために昨日車を走らせていたとき、この『天国と地獄』の話を謎に思い出していました。そして、ああ、いつの間にか自分自身も地獄の思考をしていたのだということを思いました。

 

できることなら天国で暮らしたい。と思っていたら、露骨に道を譲ってもらいたがっている車を見つけました。私は、こんなことを考えていたものですから「どうぞ、どうぞ」と言わんばかりに、車に道を譲りました。すると、その車の運転手さんは「え、いいのですか、生きているとこんなことってあるんですね!」と言わんばかりのよろこびの笑みを全面にたたえた後にハザードランプで『サンキュー』の合図を贈ってくれました。たったこれだけのことなのですが、いいことをすると心に爽やかな風が吹きます。運転中、急いでいるときなどは「また赤信号!もう!ふぎゃー!」とか「前の車遅いなあ!蹴散らせい!」などと感じることがあります。が、精神的に余裕があるときは、このようなよろこびに触れることができるのは誰にだって経験されたことのあることだと思います。

 

地獄とは、自分が食べることだけを考えているひとたちの集団である。

この言葉、すごい言葉だと思います。ドキッとする言葉だと思います。いまを生きる私たちは、あれ、いつの間にか『どう生きるか』とか『どうやって食っていくか』などという問いを日常的に発するようになりました。でも、冷静に考えてみると「あれ、これって地獄の思考じゃないか??」と思いました。自分の損得を優先して、他人の損得を後回しにする。それが得になる道だと、それが幸せになる道だと誰もが思い込まされている節があります。が、実際にお得感を感じる瞬間は少ない。実際に幸せを感じる瞬間は少ない。実際に生きていることのよろこびを感じる瞬間は少ない。どことなく日々のなかで自分をすり減らしている感覚、自分のなかにある大事ななにかがやせ細っていくような感覚だけが積み重なり、気が付いたときには「殺伐とした」世の中になっていたり、徐々にギスギスとした雰囲気が醸成をされてしまうようになってしまいました。

 

これは綺麗事かもしれません。しかし、料理を例に考えてみると、あながち間違いではないようにも思います。自分のためだけにつくる料理は、なかなか力が入らない。納豆だけで済ませてしまうこともある。しかし、誰かのために料理を作る機会を与えられた瞬間、俄然力がはいる。これはもちろん自己犠牲的な意味での奉仕ではなく「奉仕をする対象を得ることによって、自分の中にある潜在的な力が引き出される」という経験は、誰もが持っているものだと思います。大事なことだと思うので繰り返し言います。奉仕をする対象を得ることによって、自分の中にある潜在的な力が引き出されるという経験は、誰もが持っているものだと思います。坂爪圭吾は思います。いま、重要な問いは『どう生きるか』とか『どうやって食っていくか』という自分本位的なものではなく、真の意味で『奉仕の対象を見つけること』なのだと思います。言い換えるならば『生かしたいと思うひとを生かすために生きる道を見つける』ことなのだと思います。生きることを投げ出してしまいたくなる瞬間は誰にでもあると思いますが、それでもなお、大事なことは『自分のために生きることと、誰かのために生きることが、同一線上にある道を見つけ出す(それがなければ作り出す)こと』なのだと思います。

 

我々の活動は根本的にギャグや駄洒落でやっているところが多大にありまして、おはなを配るという営みは「OHANAを配る(OHANAに還る)」ことでもあるのだと無理矢理にこじつけ、ハワイイ帰りのこれみよがしな南風を吹かせながら昨日は新潟市内で実際におはなを配らせていただきました。OHANAとは、ハワイ語で『家族』です。これは英語のファミリーとはちょっと違って、血縁関係のないひとも含んだ広い意味における『家族』という意味の言葉になります。家族間で問題を抱えているひとはたっくさんいます。家族とはなんなのでしょうか。2018年、最重要テーマは家族であると言っても過言ではないのだと思います(過言)。おはなを配ることによって、わたしもあなたも家族みたいなものじゃないですかと、困った時はいつでも支え合っていきましょう的なコネクションを再認識するための機会になれば(などと言っておりますが、ただ、OHANAをあげるという駄洒落を言うためだけにやった)と願いつつ、昨日も日が暮れました。

 

https://www.instagram.com/p/BgTPptrlOrm/

OHANAをあげる。 #BillyGyallow #lifeisgood #OHANA #家族 #ホワイトデー #niigata #GOCHAMAZEnoIE #新潟にもごちゃまぜの家を作ってくださいと言っていただく #元気をいただく #どこに作ればいいのか #どのように作ればいいのか #試行錯誤の日々は続く #こうしてみなさまと直々に話せることのよろこび #お母様方は妊娠中や子育て中は動けない #私の代わりに生きてくださいと言われる #身が引き締まる思い #真の意思とはなにか #それはきっと柔らかいもの #それはきっとたおやかなもの #真の意思を生きるとき #すべては味方をしてくれるものだ #自分がいまここにあることを想う #なかなかうまく馴染むことができなかった故郷と少しずつ和解ができている感覚になれたことがとても嬉しかったです。

 

わたり文庫『倚りかからず』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、茨木のり子著作『倚りかからず』です。こちらの本、先日、大阪でおはなをお渡しさせていただいた方から「わたしの大好きな本です」とお譲りいただいた一冊になります。おはなを配る側の身でありながら、みなさまから本当にたくさんのものをいただいている不思議。交換より循環を標榜している身として、今後とも循環活動(?)に精を出して参ります。そして「交換だけの世の中じゃなく、循環だけの世の中でもない、交換と循環の心地よいバランスを見出す」ことができたらなどと思っております。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、福岡県にわたりました ※※※

 

マザー・テレサの瞳」

 

マザー・テレサの瞳は

時に

猛禽類のように鋭く怖いようだった

 

マザー・テレサの瞳は

時に

やさしさの極北を示してもいた

二つの異なるものが融けあって

妖しい光を湛えていた

静かなる狂とでも呼びたいもの

静かなる狂でなくして

インドでの徒労に近い献身が果たせただろうか

マザー・テレサの瞳は

クリスチャンでもない私のどこかに棲みついて

じっとこちらを凝視したり

またたいたりして

中途半端なやさしさを撃ってくる!

 

鷹の目は見抜いた

日本は貧しい国であると

慈愛の目は救いあげた

垢だらけの瀕死の病人を

ー なぜこんなことをしてくれるのですか

ー あなたを愛しているからですよ

愛しているという一語の錨のような重たさ

 

自分を無にすることができれば

かくも豊饒なものがなだれこむのか

さらに無限に豊饒なものを溢れさせることができるのか

こちらは逆立ちしてもできっこないので

呆然となる

 

たった二枚のサリーを洗いつつ

取ってか引っかえ着て

顔には深い皺を刻み

背丈は縮んでしまったけれど

八十六歳の老女はまたなく美しかった

二十世紀の逆説を生き抜いた生涯

 

外科手術の必要な者に

ただ繃帯を巻いて歩いただけだと批判する人は

知らないのだ

瀕死の病人をひたすら撫でさするだけの

慰藉の意味を

死にゆくひとのかたわらにただ寄り添って

手を握りつづけることの意味を

 

ー 言葉が多すぎます

といって一九九七年

その人は去った

 

茨木のり子『倚りかからず』【ちくま文庫

 

真の意思を生きるとき、すべては味方をしてくれるものだ。

明日には横浜にあるごちゃまぜの家に戻り、4月から再度足を運ぶハワイイ島における『身の振り方』を腰を据えて考えます。ハワイイ島にいく目的はごちゃまぜの家をつくることです。しかしまだ、なにもあてはない状態になります。もしも「ハワイイ島で動くなら○○をするといいよ!」などのアイデアをお持ちの方がいらっしゃいましたら、お気軽にご連絡をいただけましたら幸いです。同時進行で、横浜の家のレベルアップにも勤めて参ります。新潟や大阪にも作りたいと思っています。また、これはまだ未定ですが「ごちゃまぜの家を(真の意味での)NPO法人として組織化する」ことも考慮をしています。この辺りのことはあまりにも門外漢すぎてわからないことばかりになるで、NPO活動などに精通している方がおりましたらお力を貸していただけたらうれしいです。

 

 

昨日、新潟でお会いした子育て中のお母さんN様から心に染みるご意見をいただきました。N様は言います。昔はみんなでこどもを育てていたのがきっと普通で、両親だけでこどもを育てなくちゃいけないってなったのは歴史の浅いものだと思うんです。みんなで育てられる土壌は必要だし、新潟にもごちゃまぜの家をつくってください。育児中はとにかく孤独に追い込まれます。友達をつくるスキルに恵まれているひとはいいけれど、そうじゃないひとは本当に大変。周囲からアドバイスをされても、それを聞けないくらいに元気を消耗しているひとはたくさんいる。だからこそ『ここにいる限り安心していられる』っていう場所が必要になるんだと思うんです。新潟のひとはシャイな人が多いから、自分の気持ちをなかなか表にあらわしたりはできない。でも、さかつめさんのように「実際にやるひと」があらわれたら、きっと共感をしてくれるひとたちはたくさんいます。誰かがやることで「自分も同じことを思っていた!」って動き出すひとは、きっとたくさんいるのだと思います。

 

 

2018年の合言葉はチームプレー。次回の奇跡は、自分ひとりの力で起こすものではなく「チームプレーで複数で起こるもの」になります。そのためには、みんなの力が必要になります。自力本願だけでもなく、他力本願だけでもない。気晴らしとしての道ではなく、ごまかすための道でもない、自分の中にある『真の意思』を掴み取り、真の意思を生きるということ。「お前はほんとうはなにをやりたいんだ?」という世界からの問いに向かって、真摯に、誠実に、真っ向勝負で応えつくそうとするその態度、その生き様こそが波及を生み、新しい世界へとつながっていくのだと思います。真の意思とはなにか。それはきっと柔らかなもの。それはきっとたおやかなもの。恐れずに進みなさい。恐れながらでもいい、進みなさい。真の意思を生きるとき、きっと、あらゆるものは味方をしてくれるものになるのだと思います。

 

 

圭吾君、今日は久しぶりに会えて嬉しかったです。

なんだか心にすっと風が通った感じ。
声を掛けてもらえて本当に良かった。

 

くれぐれも体には気をつけて、思う存分生きて下さいね。

私は、頭と感情を、もっとシンプルにしようと思いました。

 

それではまた、いつかどこかで。

 

会いたくなったら、今度はこちらから声を掛けますね!

 

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今日、圭吾君の纏う雰囲気や気配が以前と違っているような気がして、1日考えていて、ああ、と思い至ったのでメッセージしました。
深夜にごめんなさい。

 

今の圭吾君の気配は、野生の獣を彷彿させます。

野生の獣は、自分の置かれた環境で、持てる感覚や能力を研ぎ澄まして生を全うするでしょう?
その生きることへのひたむきな純粋さはとても美しいと思うんです。

 

私はいつも圭吾君を前にすると、この人の前で自分を取り繕ったり嘘をついても意味ないなと思うのだけど、今日はその気持ちをいつもより強く感じたので、本音の部分のなんだかうまくまとまらない言葉が多かったと思います。ごめん。

 

でも、余計なものを削ぎ取った野生の獣のような気配は、峻烈な美しさに満ちていました。とても稀有なことだと思います。

 

街中で、野生の動物に遭遇したような不思議な時間でした。
今日は圭吾君からとてつもなく多くのものをもらったような気がします。

 

ありがとう。

 

 

さかつめけいごさま


*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*


お花、とってもうれしいです✨✨✨

ありがとうございました\(^o^)/



一昨日、誕生日プレゼントにって、花束💐を持ったケロちゃんが宮崎の友人から送られてきました✨✨✨

今朝は、さかつめさんから花束💐を頂いて、うれしさ溢れてます✨✨✨


おかげさまで、今日も素晴らしい一日になりました💓

さかつめさんも、どうぞ素晴らしい一日をお過ごし下さいね✨✨✨

 

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OHANAに「かえる」

 

新潟のハワイに来ました! #niigata #hawaii #kakuda #BillyGyallow #昔の住処 #故郷 #真のただいま #野営 #ブッシュクラフト #漂着物で生活をする #ヒュッゲ #あの頃は楽しかった #遊びに来てくれるひとが本とか食材とか持ってきてくれた #坂口安吾 #堕落論 #名前が似てる #坂爪圭吾 #事務処理からの逃避行 #昔いばやという名前の会社をやっていました #その頃は金がなかったので #海の空き地や #滝の空き地や #洞窟の空き地を見つけては #今日からここがおれたちのオフィスねと #勝手に事務所として使ってました #県外からのゲストを招き #バーナーでお湯を沸かし #珈琲を淹れる #夕日を眺め #焚き火をしながらミーティングをする #会議はまったくはかどらず #ただ #いい感じの時間だけが流れる #やがて会社は倒産をして #現在に至る #またやばくなったときは #ここに来たらいい #なにもかも失ったときは #ここに来たらいい #俺のおっさん岩 #lifeisgood #みなさまにとっても今日が素晴らしい1日になりますよーに!!

 

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

お賽銭箱:坂爪圭吾に「もっと生きろ!」という方はこちら
ゆうちょ銀行》※ゆうちょ同士
 10120−54031201 サカツメ ケイゴ 

《ゆうちょ銀行》※他の銀行から 店番号 018 店名 〇一八店(ゼロイチハチ店) 普通 5403120 サカツメ ケイゴ

 

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応援メッセージもこころからお待ちしております。みなさまからのお言葉が、へっぽこりんちょになっている瞬間にどれだけ大きな力になることか・・・簡単な一言だけでもとってもうれしいです。みなさまからの応援をよろしくお願いいたします!!

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LINE ID ibaya

嫌われてもいい。不快感を与えてもいい。

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関西空港から新潟に飛ぶ。飛行時間は1時間。あっという間に新潟に着いた。料金は往復一万円もかからない。安い時期なら片道2千円程度だ。横浜から関空に行くより、新潟から関空に飛ぶほうが安い。早い。便利だ。なんだこれはとびっくりした。4月9日から関空経由でハワイに行く。ハワイまでの航空券は往復2万円。横浜からハワイに行くより、新潟からハワイに行くほうが安く、早く、便利だ。ハワイだけではなく、新潟や大阪にもごちゃまぜの家【誰でも自由に立ち寄ることができる飲食・宿泊無料の空間】を作れないものだろうかと思いを巡らせていたら、あっという間に新潟に着いた。

 

 

現在は新潟市内にいる。なぜ新潟にいるのか。これは最高の奇跡に恵まれたからになる。確定申告諸々の提出期限が迫り、死にかけていたわたしのもとに「さかつめさん…さかつめさん…」と神様の声が届く。神様とは新潟市在住の税理士様のことで、神様いわく「さかつめさん…さかつめさん…どうせこういったことはお苦手なんでしょう…わたしたちが力を貸しますから遠慮なくお声がけください…」とのこと。昨日、実際にお会いをさせていただいて度肝を抜かれた。自分ひとりではなにから手をつけたらいいのかまったくわからなかった諸々を、プロ集団の方々があっという間に片付けてくれた。瞬間芸だった。半端なく格好良かった。絶対に大丈夫だから安心をしてくださいと言われた瞬間、泣いた。多分、和室だったら土下座をしていたと思う。が、会議室は洋室だったためにさげうる限りの頭をさげて、最大限の感謝の気持ちを表現して部屋を出た。空は晴れている。新潟にしては珍しいことだ。祝福をされていると思った。刑期を終えた囚人の気持ちは、もしかしたらこんな気持ちなのかななんてちょっと思った。

 

ibaya.hatenablog.com

 

ちゃんとしなさいの「ちゃんと」とはなにか。

みなさまによって生かされている。そのことを強烈に実感する。自分にできるせめてもの恩返しは、ただ、自分にできることを精一杯にやるだけだ。そんなことを思いながら「ハワイにごちゃまぜの家を!誰でも自由に使える無料の空間を!」と動き続けていたのだけれど、なかなかどうして自分の思いを伝えることは難しい。昨日、久しぶりに「ちゃんとしなさい」と説教を受けた。その方から見れば、わたしのような人間は『現実逃避のようにボランティア活動(ごちゃまぜの家のこと)に専念をするよりも、普通の仕事を探し、普通の収入を得て、普通の家庭を築くこと。夢を語るのはその後だ』的に見えたのだと思う。説教をしたいポイントが無限にある人間に見えたのだと思う。

 

 

久しぶりに「ちゃんとしなさい」と言われて、なんだかとっても懐かしい気持ちになった。そういえば昔はこういうことを幾度も言われまくってきたなあと思い出した。家のない生活をしていた頃も「そんな生き方は無理だよ」と5億回は言われた。が、実際にやってみたら物凄いできた。諦めないで良かったと思うと同時に、ああ、実際にやったことがあって無理だと言うひとよりも、実際にやったことはないけど無理だと言うひとの方が多いのだなあと思った。お前の考えは甘過ぎる。そんな風に言われることもある。が、わたしは甘いものが好きなのだ。甘いチョコとか、甘いキスとか、甘い時間とか。

 

 

昨日、大学院生の女性S様が福井県から車を飛ばして新潟まで遊びにきてくれた。衝動的に、いま、さかつめさんに会わなければいけない気がして…!とのこと、その勢いは大変に素晴らしいなあと思って3時間程度みんなで一緒に時間を過ごした。ものすごい礼儀正しく言葉遣いも丁寧で「圧倒的にちゃんとしている」風の彼女に、しかし、わたしはなんとなく「全体的にカタイ気がする!」印象を受けたから質問をした。S様は、ちゃんとしていますか???、と。S様は答える。自分では違うと思っているのですが、周りからはちゃんとしているって思われることは多いです。と。私は感想を伝えた。ああ、なんだかそれはつらいかもしれないですね、と。S様はこわばった表情を少しだけほぐして「はい、そうですね」と笑顔を浮かべた。

 

twitcasting.tv

 

大事なことは、自分の気持ちを伝えることだ。

生きる上での最優先事項を「ひとから嫌われないこと」とか「ひとを不快な気持ちにさせないこと」に設定をした途端、あっという間に人生は重く息苦しいものになる。私は思う。「ちゃんとしなくちゃ!」という呪縛に囚われて、自分の気持ちを伝えること・自分の思いを実現することよりも先に「周囲に不快感を与えないこと」が優先をされてしまい、結果的に自分の気持ちが後回しになる。やさしさは素敵なことだ。思いやりも素敵なことだ。しかし、相手の気持ちばかりを優先してしまうと、最悪の場合は『自分を見失う』ことになる。誰のために、なんのために生きているのかがわからなくなる。

 

はじめまして。
いつもブログを拝見させてもらっているわけではなく、フォロワーさんのリツイートで坂爪さんのブログをたまたま見つけて直後連絡したくなって今させてもらっています!ブログを読んで心にグッとくる、共感するようなことが多く自分の気持ちを伝えたくなりました。

 

小さい時から親に将来何になりたいの?と言われると
職業としてコレ!とかがなく、人のためになることとかボランティアがしたいって思っていました。ボランティア!というと親にはそれでは生きていけないよ〜と笑って流されていましたが、小さいながらにそんな生き方があってもいいじゃない?って疑問に思っていました。

 

現在私は、バスケットボールの選手として生活しています。しかし絶対にこの道に進みたくて進みたくてたまらなかったわけではなく、いろんな出会いやバスケが好きな気持ちや負けず嫌いな性格などいろんな偶然が重なって今に至っております。
昨シーズンまでは、うまい言い方が見つかりませんが坂爪さんのお言葉をお借りするならば他人に身を委ねるような生き方をして来ました。この会社に入ったのも、会社側からお誘いをいただき、その流れで入社させていただきました。それはその後の競技中でもそれ以外の生活でもそうでした。

 

しかし、今年からは自分の中から湧き出る それは本当に自分の意思なの!?

 

本当はどうしたいの!?

 

という自分の気持ちを大事にしたい欲が大きくなり、色々な決断を(日々の中にある、とてつもなく小さな決断がほとんどを占めますが。)自分の意思でそう思ったんだ。と一度確認してから行動するようになりました。
すると、今の私ちゃんと自分の人生を生きられている、と実感することが多くなり、今まで持ったことのない自己肯定感というようなものを少しばかりですが感じることができるようになりました。

 

これまでは私の中で家族の存在が大きく、家族が喜ぶ方、こっちの方が迷惑がかからないだろう、と物事を進めて来たように思います。
でも需要に応えようとする生活に疲れてしまったというか、楽しさを見出せなくなりました。家族も大事だけど

 

自分がどうしたい、どう生きたい、どう死にたい、1人の人間としてどうありたいかを大切に生きていきたいと今は思っています。
まだ、今後どうしていくか明確な答えは持っていませんが、いろんな人の手を借りて、自分の気持ちを大切にして、笑顔で終われるようなそんな人生を歩みたいと思っています。

 

坂爪さんのブログまた読みに行かせてもらいます。

 

どうぞお身体に気をつけてください!どこかでお会いできたら幸せです。

 

私は思う。大事なことは、ひとから嫌われないことではなく『自分の気持ちを伝えること』ではないだろうか。学校にいくとき、仕事にいくとき、誰かと出会って話すとき、嫌われないこととか不快感を与えないことを最優先事項にしてしまってはいけないのだと思う。嫌われないこと。大事なことだ。不快感を与えないこと。大事なことだ。しかし、それよりも大事なことは「自分の気持ちを伝えること」だとわたしは思う。もしかしたら、その過程のなかで誰かを傷つけてしまうこともあるかもしれない。誰かに不快感を与えてしまうこともあるかもしれない。そのことを承知の上で、できる限りの誠意をもって、自分の思いを伝えること。これこそが、人間関係の真髄ではないだろうか。自分を取り繕って生きるのではなく、気を遣い過ぎて自滅をするのではなく、互いにぶつかり合いながら最終的には甘く(甘く!)溶け合うための営み。それこそを私は『対話』と呼びたいし、それこそをわたしは『真の意味でのコミュニケーション』と呼びたいと思う。

 

 

坂爪さん、初めまして!

 

坂爪さんのFacebookの投稿を見てまして🌸
今までの私の考え方を打ち砕く事を言われるなぁと思い、生きるのにしんどい時、坂爪さんの言葉が、私の気持ちを楽にしてくれることが何度もありました。

 

ありがとうございます。

 

今回、「真面目すぎる。」の投稿を見まして、(坂爪さんが、LINEで来た方のメッセージ内容を載せていたのを見て)LINE送りたい✨伝えたい✨気持ちに素直になってみました。

 

真面目になりすぎる。
楽しむ事を忘れている。

 

のは、私もハッとする言葉で。

 

今まではその後自己否定してばかりだったのですが。
今回は違いました。

 

坂爪さんの言葉を読んで思い浮かんだのは、仕事のこと。
業務は、1日にやるべき事として決められてるのですが、それがルーティンで繰り返されると、「何故それが必要だったのか」が分からなくなり、その日にやるべき事をやれなかった時最高に落ち込んだり自分を責めるんです。もしくは、「その日出来なくても次の日やれば良いんだよー!」と周りの方に励まされる言葉も素直に受け取れず。モヤモヤが続いておりました。

 

しかし、悩んでいる頭とは別のところから声が聞こえて、やるべき事をやる時に、それをやりたい理由や気持ちが抜けて居た事に気がついたんです!!!

 

(具体的に申しますと、今介護の仕事をしておりまして。毎日入居者様の部屋の掃除をする、と業務で決まってるのですが、優先順位は低く、忙しい日はやらない日が多くなってしまうのです。そこで負のスパイラル。やらない日が続くと「やらなければ、やらなければ」という頭になり、もっと身体が重くなってしまう。掃除をやらない他職員に対し、イライラさえ出てしまう。

 

まさに負のスパイラルなんですが、当の本人は気がつかないんですね。

 

そんな時、スッと身体が掃除に動いて、周りへ求める気持ちがなくなった瞬間が訪れたんです!

 

それは、「ここがこんなに汚いと、この方嫌がるだろうなー。」と本気で思えた時。自然と身体はその部屋を掃除していました。

 

色々な事を業務化すると、気持ちが何処かに行ってしまいがちで、なんかこう、効率的に終わらせても何だか気持ちが晴れないんですが。

 

(そもそも私、何がしたくてこの介護の仕事選んだんだっけ?とか負のスパイラルにも陥ったり笑)

 

でも、何事も「〜すべき事」なんて無い、という坂爪さんの言葉が、この時初めて、お腹で理解した気になりました✨✨
あ〜ホントに、すべき事なんてないよなと。その人に必要な事を全力でするだけで良いじゃんと。

 

(なんか、これを打ってると自分の内側から涙が出て来そうですね)

 

長文打ってしまいましたが、
1人で、硬くなってる私の内側を変えることができないので…いつも坂爪さんのお言葉を活用させていただいております。

 

勝手ながら、有難うございます 

 

ちゃんとしなさいの「ちゃんと」とはなにか。それは、自分の思いに誠実に生きることだと思う。相手の気持ちを尊重する5億倍、自分の気持ちを尊重することだと思う。自分の思いを大事にしないで、誰かに大事にしてもらいたいと願うだなんて無理過ぎる。大事なことは、嫌われないために生きることではなく、不快感を与えないために生きることでもない。ただ、誠実に、自分の思いを伝えることだ。うまくやろうと思わなくていい。しっかりやろうと思わなくていい。ちゃんとしようと思わなくていい。嫌われてもいい。不快感を与えてもいい。無様なままでいいから、不器用なままでいいから、ヘタクソなままでいいから、勇気を出して、自分の思いを伝えることだ。自分はこういう人間ですと、相手に対して、世界に対して『自分自身を開く』こと。裸のやりとりを交わしたいと願うなら、まず、自分から裸になることだ。裸になれば傷つくことも多い。しかし、裸の状態であるからこそ、手袋をした状態の握手とはまったく違う、なまなましいまでの生命の熱量【生きていることの手応え】を感じることができるのだと思う。

 

坂爪圭吾様

 

先日は当ブログをご紹介いただきありがとうございました。

まさか坂爪さんの神掛かっているブログに当メッセージが掲載されるとはつゆほども思っておらず、びっくりしました。

また、坂爪さんからメールのお返事が(全く予期せず)来た時に

うわっ!神様の使いからメールが来たっ!!

とびっくりしてしまいました。(びっくりしてばっかり)

まさか大変にお忙しいところ、ブログ掲載だけでなくお返事までいただき

感激しすぎたり恐縮したり胸襟を正しまくったり大変ですw

今回のこのメールもお返事は結構ですよ、お時間取らせてしまうと申し訳ない!

 

ただこれだけはお伝えしたかったのです。

 

さっき目に飛び込んできた坂爪さんのツイート

 

>久しぶりに「ちゃんとしなさい」と説教を受けた。ちゃんとできたならこんな生き方はしていないですよと思った後に「ちゃんとしてたまるか」と思ってしまう自分がいた。これはもう病気なのだと思う。今世は諦めるしかないのだと思う。このまま行こう。自分を殺して生きるより、自分を出して潔く散ろう。

 

私から見ると坂爪さんは今現在地球上で最高に ≪ちゃんと生きている≫ 人なんです。

ぶっちぎりで1位です。

私にとって何よりも大事なのは『その人が自分の核の部分(一番底にある本心とか魂とかその人の本質)にどれだけ嘘をつかず、どれだけそこを誤魔化さず、どれだけベールを掛けて隠したりすることなく、核の部分そのままをストレートに体現して生きているか』なんです。

その意味で坂爪さんは本当に最高です。

とても怖いと思います。そういう生き方は深く傷つくことが多いと思います。

でも世間一般の『ちゃんとする』という 

どこの誰が言い出したかすら分からない『これを良し』とする基準

という得体の知れないものに自分を適合させて生きていく必要はないよ!

と自分にももうずっと繰り返し言い続けていますし、私も自分であろうと常に意識しています。

坂爪さんに「ちゃんとしなさい」と説教してきた人こそ、何もちゃんと生きれてないのではないかな(興味ないけど)。

 

坂爪さんは何だかハワイの時期から数段上に上がった気がします。

変な表現ですが、更にご自身の核の部分にストレートにアクセスして生き方に反映できるようになってる、うわっすごい!

という感じなんです。言葉の一つ一つに無駄も混じり気もなく、神掛かってきてるんです。

ファンとして是非そのまま突っ走って頂きたいです。

(もちろん突っ走らなくてもOKですw)

ちなみに四柱推命・算命学的に見ても、坂爪さんは皆と同じ生き方をしちゃダメな人です。

そのためのその溢れる才能と勇気ですから☆

真冬の海の上に輝く太陽ですから^^

 

 

これからもドイツからものすごく応援していますね。

 

 

グランフロントでおはなを配ります! #残り1本 #普段どんな感じでおはなを配っているのか #その模様をお届けできたらと思ったのですが器用に撮影できませんでした #改善の余地のみ #青山フラワーマーケット様 #いつもお世話になっております #常におはなを一本余分に購買する #これがコツ #この一本が余白となり #余白が奇跡を呼び起こす #自然の摂理 #時差ボケ #朦朧 #ラナンキュラス #綺麗 #春ですね #ラナンキュラス残り一本手元にございますのでアレがアレした方はどなたさまでもお気軽にLINEIDibayaまでご連絡ください!! #追記 #終わりました!!

 

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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君は真面目すぎる。楽しむことを忘れちゃダメだよ。

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ハワイから日本に戻り、現在は大阪府天王寺にあるデニーズにいる。デニーズは素晴らしい。24時間営業でWi-Fiも完備されていて、隣の席との感覚も広く、200円程度でおかわり自由の珈琲がつき、天王寺店にはなんと電源まである。これがあれば家はいらないとさえ思う(事実、家のない生活をしていた当時はめーーーっっちゃ来ていた)。ハワイ風を吹かせたことを言うと、これだけの手厚いサービスを受けながらチップの支払いも必要ないとなったらもう、大袈裟ではなく「日本最高だな」と思う。

 

隣の席のおじちゃんに話しかけていただく。最終的に笑顔で別れる。私は大阪が大好きだ。月並みな言葉になるけれど『人情』を感じる。当たり前のことだけれど、おじちゃんは日本語で話しかけてくれる。ハワイでは英語で四苦八苦をしていたので、日本語で話せるだけでも「なんてイージーなんだ!日本!」と感動をする。自分の気持ちを的確に伝えることができるということは、こんなにもうれしいものなのかと、こうしてみなさまにご覧いただいているブログを書けている己の境遇(そしてパソコンやネットやブログを開発してくれた先人の皆様)にも、怒涛の感謝を伝えたい気持ちになる。

 

ibaya.hatenablog.com

 

ハワイでの最高反省点

数日間関西に滞在をしたのち、12日からは新潟に向かう。ハワイにいたときに「クラウドファンディングの確定申告をしないとやばいですよ」的なご連絡をいただき、はっ、これは俺の一番苦手なやつだと一旦は死ぬほど気が滅入って落ち込みまくったのだけれど、2018年からは違う。もう、事務処理や税務処理などの苦手なものから逃げ続ける人生は終わりにするのだ。自分ひとりの力でなんでもやろうとするからすぐに行き詰まって「おれは生きるのに向いていない人間だ」などと簡単に死にたいと思ってしまうけれど、2018年の合言葉はチームプレーになりますので、そういった諸々を得意とする方々の力を惜しみなく借りまくってどうにかこうにか乗り越えたいと思う(けれども実際はダメになるかもしれない)。

 

ハワイでの反省点は108個くらいあるのですが、最大の反省点は「楽しむことを怠りすぎた」というものになります。わたしには無駄に真面目な性質がものすごいあって、みなみなさまから「頑張ってください!」とか「応援しています!」などと言われてしまうと、よし、頑張ろう、死ぬ気になって毎日を生きてみなさまの期待にこたえようなどと意気込み、容易に肩に力が入る。生かされているのだという思いは大切だとは思うけれど、それが生きすぎると「みなさまのおかげでハワイに来ることができているのだから、真面目に成し遂げなければならない」と自らを追い込み、結果的に楽しむことを怠ってしまう(まるで義務とか仕事みたいなことになってしまう)ことが頻繁にある。

 

今回もそんな感じが多分にあった。これではいけない。だがしかし、自分を褒めることだけは忘れたくない。前半戦を終えた時点でこれに気がつくことができたのは最大の収穫であった。ハワイで「ああ、いまの自分は死ぬほど楽しい!」と感じた瞬間は、もしかしたらホナウナウの海岸で素潜りをしていた時間だけかもしれない。もちろん、あらゆる時間が感動的で素晴らしくうれしさやよろこびに満ち溢れていたものではあったのだが、こころのどこかで「自分なんぞにこんな素晴らしいものをよろしいですか?!」と、恐縮と謙遜にまみれた時間を過ごしてしまっていたような気がする。これからの日々、残された日々、もう少しだけでも楽しむことにもっと貪欲になること、のびのびと楽しむことにフォーカスをした生き方をしていきたいなと改めて思った(この時点で気づけて本当によかった!!)。

 

君は真面目すぎる。楽しむことを忘れちゃダメだよ。

神様的なサムシングからこのようなことを言われた。君は真面目すぎる。楽しむことを忘れちゃダメだよ。きちんとやる、大事なことだ。真面目にやる、大事なことだ。でもね、これだけは忘れちゃいけない。僕達のパフォーマンスが一番発揮される瞬間は、肩の力を抜いて、リラックスをしながら楽しむことができている瞬間なんだよ。楽しむことを忘れちゃダメだよ。と。ああ、まったくもってその通りだなあと自分は自分を省みた。音速で恥じ、音速で悔い改めた後に音速で立ち直り、音速で次に生かしていきたいと思う。

 

おれが本当にやりたいことはなんなのだろうかとデニーズで考えた。2018年のテーマは『意思』である。自分の本当の望み、自分の本当の意思、それを知ることがとても重要な一年になると思うことにしている。しばらく考えた後に、ああ、おれはわからないことが大好きなんだなと思った。決めつけられることが嫌いで、固定されることが嫌い。これをやればこうなるとわかっていることではなく、これをやったらどうなるのかがわからない、だからこそやりたい(その先にある景色を見てみたい)と心魂は高鳴りを見せる。わかっていることをやりたいのではなく、わからないことをやりたいのだ。胸を弾ませてくれる『未知』を見つけて、その未知のど真ん中にダイブ!!未知のなかには何があるのかな、怖いけれども勇気を出して崖から飛び降りることで翼が生えたりする(自分にも翼があったことに気がつく)のかな、などと中二病的な期待と希望を抱きながら、多分、これからも未知を見つけ出してはダイブをしたがる人間が『自分』なのだと思う。

 

こうあるべきとされているものがあるならば、その、外側こそを見たいと思う。あらゆる物事は「そうかもしれないけれど、そうじゃないかもしれない」と思える感覚を大事にしたい。これこそが余裕であり、これこそが遊び【幅】であり、これこそが可能性であり、これこそが『わからないということの最高の醍醐味である』と思う。決めつけられることが嫌い。固定されることが嫌い。自分は取るに足らない人間かもしれないけれど、同時に、自分は取るに足らない人間ではないかもしれない。もしかしたら物凄い可能性を秘めている人間かもしれないし、今日という1日はいままでとはまったく異なる物凄い意味のある1日になるのかもしれない。それは誰にもわからない。この『わからない』ということのなかにこそ、常に、尽きることのない無限の宝は眠っているのだと思う。長くなりました。ここまで書いたタイミングで一通のメールをいただきました。うまく言葉にすることができないのですが、みなさま、本日も共に生きてまいりましょう。同じ時代に生まれた奇跡、同じ時代を生きている奇跡をふかくふかあく噛み締めながら、LIFEis一蓮托生、そのうえで『自分だけの色彩』を日常にアディションしてまいりましょう!!

 

さかつめけいごさま

おはようございます✨

返信 遅れてなんて、そんなこと何もないですよ〜(^_^)


こちらこそ、ご挨拶のような簡単なメールにも関わらず、丁寧に返信して下さって、有り難くうれしいです。


ハワイからの *すべての人生は、美しい童話である*  
いつも、たくさんわかち愛って下さってありがとうございます。


さかつめさんの "2018年からは違う。"との事を拝見し、うれしく感じました。


"そうか、 違うのだ❣️"

私も何故だかわからないのですが、今年からは何かが違う感じがしているのです。


私は 今まで何をしたいのか? 何の為に生きているのか? 解らない人生を過ごしてきたのですが、今年に入って新しい事に出会い、今までにない様な 楽しいワクワクを感じ、学んでみようと一歩踏み出しました🚶

学ぶことや資格を取ることで、やりたいことが見つかったからうれしい♪ というのでなく。。。

すみません。うまく言えないのですが、自分の感覚を信じて一つ一つやってみることで 生かされていく 感じがするのです。


そして 泣いたり笑ったり、時に淋しく感じたり、イライラしたり、そんなことも愛おしくて、何て人生は味わい深いのだろうって。


長々とごめんなさい。


そろそろ、日本にお帰りになっていらっしゃる頃かもしれませんね。

さかつめさん、おかえりなさい。


早春の 梅や桜が さかつめさんのお帰りをお待ちしていましたよ。

どうぞ日本のご飯を召し上がって、ひと息つかれてくださいね。


今日も素晴らしい一日を、ありがとうございます✨


さかつめさんも、素晴らしい一日になりますように✨✨

 

【追記】同時タイミングでもう一通いただきました!ありがとうございます!

 

坂爪さん
 
いつも坂爪さんの透明な文章に救われている一人です。
今回の「交換」ではなく「循環」ということ、私が普段から願っていることとほとんど同じだったので思わずメールをしようと思いました。
 
みんなほんとは他人に喜んでもらう何かをしたくて堪らないし、対価を保証されて他人にサービスすることに違和感を持っているんです。
ただ、これまで「対価での交換」を植え付けられてきたためにそれができないでいるだけです。その意識から自由になったらすぐに贈与と循環が当たり前の社会になると思いますよ。坂爪さんが書いているように、それが一番社会としても個人としても安定するとDNAで分かっているんです、ほん とは。
 
そのためにじゃあ何をすればいいの?ということになると、そのような実践をできるだけたくさん社会になげかけていくこと、もちろんごちゃまぜの家はその最も大きな実践だと思います。その姿を社会に見せながら、なぜそれをやっているのか、それがどのような社会を目指して行っているものなのかを言葉で定義していくことなのでしょう。私も坂爪さんに励まされて自分なりのミラクルのど真ん中を生きて行こうと思います。周りに与えれば与えるほどこちらの与える能力はどんどん膨らんで行く-坂爪さんの行動を見ているとそれがしっかりと確信できます。これからも現在進行形の社会を変えるミラクルを見せていただくことを楽しみにしております。
 
東京・50代 男性 T・H

 

 

無事に帰国しました!関西圏でお会いできます方はお会いいたしましょう! #BillyGyallow #裸足 #薄着 #寒い #関西空港付近にもごちゃまぜの家が欲しくなっちゃった #12日昼まで関西におります #お会いできる方は会いましょう #今日は20時頃まで天王寺でひまです #明日11日は午後から梅田駅界隈でひまです #ごちゃまぜの家になりそうななにか #出会えるといいな #12日以降は新潟県新潟市に行きます #新潟でもごちゃまぜの家とかできるのかな #新潟は故郷 #故郷にしてアウェイ #暗黒時代 #中学高校時代は死にたくなるほど暗かった #表面的には華やかに見られてたけどなんかもう常に死にたかった #学校に馴染めず #社会に馴染めず #おかしいと思う自分がおかしいのだと思っておりました #が #諸々あって開き直り #おかしいと思う自分はおかしくないのだと #己を肯定 #自分を殺して生きるより #自分を出して死にたいと思う #2つの覚悟 #ひとりでもいいという覚悟 #死んでもいいという覚悟 #不思議なもので #覚悟を決めてからの方が孤独ではなくなり #覚悟を決めてからの方が生きている実感がある #清々しい日々を送りたいものです #うどん #関空でいただきました #美味しい #幸せ #うどんのある国は最高です #動画配信楽しい #これからもやらせてください #見てくれているひとありがとうございます #らぶ #らぶ #らぶ #みなさま引き続きビリギャル男をよろしくお願いいたします!!

 

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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LINE ID ibaya

【最終日・オアフ島北海岸】すべての人生は、美しい童話である。

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ハワイ最終日に海亀に出逢えた。今回の旅路は海亀が守り神だった。ハワイに来る前にY様から「わたしも死ぬまでに一回はハワイに行きたいと思っていたけれど、ハワイに行くのは死んでからでもいいのかなと思って」と、彼女の大事な大事な大事な海亀の財布をお守りに持たせてくれた。この財布が、きっと命を守ってくれることになると思います。と。この瞬間、彼女の夢はわたしという人間に託されたのだという畏怖と感動の念を抱いた。

 

 

真の意味で受け取るということ。受け取るという言葉は頻繁に使われる。しかし、その言葉が持つ意味は、実際は『とてつもなく広く、とてつもなく深い』ものであるように思う。与えられたものを受け取るということだけではなく、すでに与えられているものに「気がつく」ということも、受け取るということのひとつだと思う。多分、わたしたちはすでにとんでもない量の恵みを受け取っている。ただ、その恵みに無自覚なだけなのだと思う。

 

🌸🌸🌸9日目の記事はこちらです🌸🌸🌸

 

ibaya.hatenablog.com

 

オアフ島北海岸を巡る

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オアフ島の岸壁

 

最終日の今日はオアフ島北海岸を中心に巡る。

 

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Giovanni's Aloha Shrimp

 

今回の旅路は異様なほどに猫に好かれた。

 

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猫が近寄って来てくれると嬉しい

 

北海岸に立ち寄る道中、数奇な出会いに恵まれた。

 

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オアフ島ノースショア


ごちゃまぜの家 in Hawaii

誰でも自由に使える家を見つけることが、今回の旅の目的だった。4月からもハワイに行くため、今日で前半戦が終了をしたことになる。具体的に「明日からここが使えることになりました!」という成果を得ることはできなかった。が、多くのヒントは与えられたように思う。人生は想像を超えた展開を見せてくれるものだから、この先は「こういう形でいくことにしました」と現時点で断言をすることはできないけれど、今回、ハワイ島に空き地を所有している方と出逢うことができた。その空き地を使わせていただけることになったとしたら、その時は「手始めにユルトを建てるなんてどうだろう」などと考えていた。ら、今日、オアフ島のノースショアで(ヨガスタジオとして実際に使われている)ユルトを目撃した。

 

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ノースショアで見つけたユルト

 

移動式住居のユルトとは、モンゴルでは「ゲル」とか「パオ」などの愛称で親しまれている。移動式であるために固定資産税もかからない(と聞いた)。そしてなによりも素敵だなと思うのは、そのカラフルでポップなデザイン性であり、写真だとよくわからないかもしれないけれど実物はなんとも言えず可愛い。見ているだけで幸せになる。円形であることも、なんだかこうごちゃまぜの家っぽくて良い。トラックの荷台に積めば持ち運ぶこともできる。デザインは多岐にわたるので、興味のある方は「yurt hawaii」で画像検索をしていただけましたら幸いです。テントよりも耐久性に優れてはいるが、テントを張るだけでも充分なのかもしれない。ある程度の広さの土地があり、共有のトイレとシャワーさえ置くことができれば、テントを張るも自由、タイニーハウスを建設するのも自由、そんな空間がハワイ島にあったらなんだかちょっと楽しそうだなと思う。

 

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正面図


100万円程度でユルトを購買することはできる。が、もちろんこれらはアイデアのひとつに過ぎない。10日間の日々のなかで与えられたヒントを、どれだけ自分は結びつけることができるのだろうか。ハワイでごちゃまぜの家を実現するということは、いままでの人生における『期末テスト』感にあふれている。これまでの自分をまるごと総動員していかない限り、実現をすることはできないのだろう。では、自分とはなんだろうか。どこまでが自分で、どこからが自分ではないのだろうか。などと考えると哲学的な深みにはまって抜け出せなくなるものの、そういうことも同時進行で考えていきたいと思う。今回ハワイに足を運び、本当にハワイは不思議な場所だなと思った。人間の中に眠るありったけの本気を出してかかってこいと、まるで、そんな風に島から言われているような感覚を覚える。中途半端な気持ちでは、多分、ハワイに長い間居続けることはできないのだと思う。大切なものは意思だ。それは、執念とも呼ばれるような気概であると同時に、柔らかで、たおやかな、芯のある本気【本当の気持ち】でもあるのだと思う。

 

あらゆる人生は、美しい童話である。

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最終日に出逢えた

 

10日間の日々を終えて、いま、実はさっきまでお腹を壊していてグロッキーな状態に陥っている。最終日くらいは感動的なことを書けたらいいななどと思っていたが、なんでこうも自分はタイミング悪くダサい感じになってしまうのだろうか。おなかが痛いと「神様ごめんなさい!もう悪いことはしないから早くお腹をなおしてください!(さもなくば死を・・・!)」みたいな気持ちになる。それくらいには自分は弱い。病気になると弱気になる。同時に、病気になることで「健康に日々を過ごすことができる」ことのありがたみを知る。昨日、以下のようなメールをいただいてわたしはとてもうれしくなった。自分が変わろうとするとき、自分から変わっていこうとするとき、いつの間にか「それに触れたひとのこころまで」変えてしまうものなのかもしれないと思った。

 

坂爪さんこんにちは!
 
私はどちらかと言うと、完全にアロ派です!
ハワイからのブログを毎日楽しく 拝読しております。 美しい写真からはたくさんパワーをもらっています。
 
坂爪さんが ハワイ島で滞在していた
ku ke aloha ゲストハウスを激烈にお勧めしていたので、早速ホームページを見てみました。そしたらなんと、坂爪さんの泊まっていた部屋は 1ヶ月690ドル とのことではないですか!!!ハワイの物価の相場からすると、かなりの安さです。「 もしあなたが毎日死にたいと思っているのならば ハワイ島へ行ってみてほしい」 と言った 趣旨のことを 書かれておりましたが、 本当にそうだと思いました。もしそのような気持ちでいる方がいるのなら、7万円を 持ってとりあえずハワイ島に行って ku ke alohaゲストハウスに 1ヶ月滞在 してから考えられた方がいいなと思いました。
 
私は来月会社を辞めて、2・3ヶ月旅に出ようと思っています。 旅から戻っても 職を探したり 食べて行くことができるのか 不安になります。持てる者も持たざる者も物を循環させて心豊かに 生きることのできる社会がいつの日か実現したらいいなと、こんな素晴らしいことはないなと思います。 ハワイのような豊かな エネルギーが 満ち溢れる 場所で 貧富の差が激しいとは 本当に悲しいことだとも思いました。 坂爪さんは、ごちゃまぜの家について、物を循環させる社会について 、もっと言語化できるように頑張ります!とおっしゃっていましたが 、その文を読んで 坂爪さんに何だか大きな変化が訪れたの ではないかと ふと思いました。 私もごちゃまぜの家のコンセプトは素晴らしいなと思いつつ、 他人事のように眺めていましたが、 物を循環させる社会の中で生きられるよう、出来ることからちょっとずつやっていきたいと 、坂爪さんのハワイでのブログを読んで 思うようになりました。あと私も、自分のことをもっと言語化できるようになりたいな、と思いました。まだよく理由はわからないのですが、自分には必要だと思います。私にも変化が訪れたように思います。
 
残りのハワイでの滞在も楽しんで下さい。坂爪さんの来月のハワイ旅行も とても楽しみにしております。マハロ
 
P.S.マハロと言ってみたものの、マハロって一体どんな意味だろうと思い ググったら「あなたが魂の中にいますように」という意味がすぐにヒットしました。 マハロ!!!

 

ハワイでの日々は、わたしを大きく変えてくれた。これまでの人生は「委ねる」とか「身を任せる」とか、どこか他力本願な生き方を続けていた。しかし、2018年からは違う。これからは自分の意思が問われているように思う。いままで、わたしには特に「死ぬまでにこれをやりたい!」と思うようなものはなにもなかった。夢も目標もなかったし、夢も目標もなくても一向に構わないものだと思っていた。しかし、2018年からは違う。神的なものが「お前の意思はなんだ」と強烈に問うているような気がする。それは、自分の意思であって、自分だけの意思ではない。私の命は、私のものであって、私だけのものではない。このような形で届く読者の方の声や、読者の方の支援が、私の命を構成している。私の命は、みんなの命でもある。わたしはあなたの代わりに生きていて、あなたはわたしの代わりに生きている。そのことを思うとき、うまく言葉で説明をすることはできないけれど「ひとにはそれぞれの役割がある」ということを思う。真の意味での役割を、自分ははっきりと認識していきたいのだという思いがある。

 

坂爪様

 

○○○と申します。

 

お忙しいところ、また返信をいただいてありがとうございました。お心を遣ってくださってありがとうございます。

 

坂爪様からのメールにあった「受け止める」ことの大切さを思ったとき詩ができたので送ります。ご迷惑でしたらごめんなさい。

 

感謝の気持ちでつづりました。坂爪様が、ますます良い人生を歩まれていきますように。その道が明るく照らされますように。

 

 

 

「昇華の花」


祈るような詩歌を紡ぐ

また次の朝を越えていくためにも


感情の綾の目は繊細で複雑でも

ちゃんと生きているから

簡単には破れないから

もっとしっかりと受け止めていっていいのだと

太陽の笑う世界から届いた便り


私はそれを待っていた

私は私が理解するのを待っていた

その瞬間にあふれだす涙を


花が咲き蝶が舞うように

心が昇華されていくときの感覚が一番綺麗だ

 

 

 

 

もし何かが、お心に届けば幸いです。私は坂爪様のブログを読んでいると、心の病気でも胸を張っていいんんだなって、

もっと明るく考えてもなんの問題もないのだと、そういう生き方をしたいと思うのです。

 

そして、とても素晴らしいメールを、どうもありがとうございます。太陽のように照らしてくださるお言葉が、

坂爪様を照り返して、素晴らしい人生を、より輝かせていかれますように。

 

もしも返信をいただけるのでしたら、ものすごく短くても、大丈夫です。

坂爪様にとって負担がない形でお願いします。

長くごめんなさい。ありがとうございました。これからも応援しています。

 

日本人は疲れているひとが多いと聞く。私は違うと思う。疲れているのではなく、ただ、退屈をしているだけなのだと思う。どれだけ忙しそうに動いているひとでも、退屈をしているひとはたくさんいる。いま、求められているものは『奇跡みたいなマジック』だと思う。生きているとこんなにも素晴らしい出来事が起こり得るのだと、ありふれた日常や常識を吹き飛ばすマジック、みんなが一瞬で幸せになってしまうマジック、世界の見え方を変えてしまうマジック、あっという間に可能性の幅を拡張してしまうマジック、それこそを、いま、多くの人々は「自分を通じて経験したい」のだと思う。誰かの正論や、誰かの物語には、もう、誰もがうんざりしているのだ。言葉じゃない。生き様だ。自分の生き様に魔法を宿らせることだ。ミラクルを信じることだ。ミラクルを生きることだ。根拠があるものを信じるのではなく、信じるものに根拠は舞い込む。人生はドラマだ。童話作家アンデルセンは「すべての人生は美しい童話である」と言った。信じるものに根拠は舞い込む。信じよう。ミラクルのど真ん中を生きていこう。すべての人生は、美しい童話である。

 

坂爪さん、こんばんは。○○○○です。

 

ハワイの写真、いつもツイッターやインスタで拝見しております。素敵な写真をいつもありがとうございます。

 

去年8月に初めてお会いさせて頂きましたが、今回ブログを日々読んでいてどうしてもお伝えしたいと思い、突然ですがご連絡させて頂きました。

 

先日ブログに書いておりました、『循環』と言う言葉。自分に思うところがあり、自分の思いをツイートさせて頂きました(その節は、リツイートありがとうございました。)

 

坂爪さんのブログを読みながら、『お金と関係のない世界に行きたい』と日々ぼんやりと考えている私は、色々日々とても感化されることが多いです。

 

この考えを他人に伝えた時、大抵人には、『お金を稼ぐことや、向き合うことから逃げてるとか、働くのが恐いとかじゃない?』と言われます。過去に鬱になったり体を壊したり転職を繰り返しているので、無理もないのですが…。

 

そう言われると、悲しかったです。『そうじゃない』と言いたいけれど、自分の思いをうまく言語化出来なくて、辛かった。言われていることが、全く間違っている訳でもないような気がしていたし、お金が全くないことが良いとは思わない。

 

そんな時に、坂爪さんの話には、心打たれました。そうそうこれ!!!!こんな事がしたくて、こんなことを思っているんだよ!!!!と思いました。

 

お金はある人ない人分かれます。それを介した関係になってしまうと、『お金がない時は付き合えない』関係になってしまう。人と人って、何かがあるから付き合う、というものではないと思うのです。

 

でも、そんな現実が当たり前だと昔は思っていた。でも坂爪さんの生き方はそれとは違う。人とのご縁で生きている、それってお金がたんまりあるよりも、実は1番安心安全な生き方を なのではないかと…。

 

お金は所詮『紙や金属』であって、エネルギーや心は人に宿るのではないかと…。一応、お金もエネルギーとは申しますが…。

 

坂爪さんの生き方は、初めて目にした時は、頭を殴られたような感覚でしたが、私は普通に仕事して、普通に働いて、お金を稼いで…ではなく、人とのご縁に支えられて、人とのご縁を大切にして生きていきたくて…。
お金を握りしめて、いつか無くなったらどうしよう、老後どうしようとか不安を抱えるのではなくて、『人と繋がっているから、大丈夫』と、お金ではなく人とのご縁を抱えて、それにお互いが安心出来るような…すみません、うまく言えないのですが、とにかくそんな生き方を望んでいたけど、そんなの無理だと否定しているのが長く、最近坂爪さんや自分の思いと向き合うことで、やっと自分の本心を理解して、自分の気持ちに正直になって、坂爪さんの言葉のお陰で自分の思いがなんて言うのか分かるようになってきて…。

 

私の言葉に出来ない願望を、『そう、こんなこと!!!!』と教えてくれたこと、それを否定しなくて良いということを教えてくださったような気がして…。

 

とにかく、ありがとうございます!!!!
まとまらなくて申し訳ないのですが、そのお礼をどうしても伝えたくなったのです。

 

海が大好きで、片道2時間かけて1人で海に出掛けたこともあるのですが、動画の波の音や、海の青さには、一瞬現実を忘れてしまいました。
ハワイはいったことありませんが、坂爪さんの言う自由さや海の綺麗さ、この目や体で体感したいと思いました。

 

とにかく、ありがとうございます。何が言いたいのか伝わらないと思うのですが、感謝していることさえ伝われば構いません。
日々言葉や想いをくださり、ありがとうございます。素晴らしい景色には癒しも貰っています。

 

坂爪さんが言葉を発するだけで、人生が変わる方がきっと沢山いるのでしょう。それは立派な仕事…いいえ、生き様なんだと思います。
偉大だなぁと、そして本当は誰もがそんな偉大なものを持っているんだと思います。

 

そういうことを思い出させてくださることも、感謝したいと思います。

 

いきなりの急な連絡で、長文失礼しました。お読み頂き大変感謝致します。
ありがとうございます。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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応援メッセージもこころからお待ちしております。みなさまからのお言葉が、へっぽこりんちょになっている瞬間にどれだけ大きな力になることか・・・簡単な一言だけでもとってもうれしいです。みなさまからの応援をよろしくお願いいたします!!

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