いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

人間は音符。人生はオーケストラ。

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3月21日(水・祝日)わたり食堂【0円食堂】を開催します。是非、どなた様でもお気軽に遊びにいらしてください。お昼頃からは「ごちゃまぜの家 in ハワイ会議」の時間を設けさせていただきます。ハワイにごちゃまぜの家を作るために、先日までハワイで過ごして来た日々の報告と、来月に向けた作戦会議をお越しいただいたみなさまと共にできたらと思っています。同時進行で『ワンデイ丁稚奉公』なるものの募集もはじまりました。もしよろしければ、ごちゃまぜの家日誌をご覧いただけましたら幸いです。

 

gochamaze.hatenablog.com

 

自分がこれから進む道を決めるとき、頭の声は「あれをしなくちゃ!」とか「これをしなくちゃ!」とか「どうにかしなきゃ!」とか、そんな風に言う。でも、腹の声は違う。それは静かな声で「これをしたい」とささやく。腹の声は、決しておおきな声では叫ばない。ただ、ささやいているだけ。だから、しばしば頭の声にかきけされる。腹の声を聞くためには、頭の声を黙らせること。静かに湧き上がる腹の響きに、じっと、耳を傾けること。そこにあなたの意思がある。そこにあなたの望みがある。これはとても難しいことでもあるけれど、頭の声ではなく、腹の声に耳を傾けていきたいと思う。

 

ibaya.hatenablog.com

 

行き場のない母性と、有り余る愛。

https://www.instagram.com/p/BgVrUxlF7PJ/

ふるさとは、さみしさに恵まれている。 #新潟 #故郷 #さみしさとはなにか #寄り添う力か #さみしいとき #わたしはものを想う #想像の翼が #わたしをここまで運んできた #展望台 #夜景 #隣のひとは言う #灯の数だけ暮らしがあり #灯の数だけ幸せがある #わたしは思う #灯の数だけさみしさがある #幸せの裏に隠された #明るさの裏に隠された #隠されたさみしさに目を向けてしまう #光りたいのだとうずくマグマ #さみしくない #もうさみしくはない #何度も言い聞かせながらまた #これからもさみしさを覚えるのだろう #そのなかで何を掴む #さみしさのなかに詩があり #かなしみのなかに詩がある #そう思って生きてきた #さみしさを歌え #その歌こそが詩になり #その歌こそが命をつなぐ

 

新潟から熱海を経由して横浜に戻る。新潟はわたしの故郷だ。新潟の冬は厳しい。冬の間は晴れることが滅多にない。鬱傾向になる人も多く、忘れたい記憶が「忘れられない記憶」として蘇る。私の中には、常に、さみしさのようなものがある。孤独とも違う、虚無感とも違う、それは『自分はずっとひとりだった』と感じるようなさみしさだ。常夏の楽園などにいると、そのことを忘れていられる。しかし、新潟のような比較的曇天が続く環境のなかに身を置くと、そういったことが蘇る。これは、悪いことではないと思う。このインスタグラムの投稿を見てくれた福岡在住のT様が、こんな言葉を送ってくれた。

 

インスタの、さみしさの詩と大きな木の写真。リンクするなぁと思いました。木は一本として見ると、さみしさを纏っているようにも見えるけど、地下では根っこが絡み合って繋がっているんですよね。

 

人間も意識の下では、そうだろうなと。

 

私や私と似た境遇の女性たちは、一見自分のためだけに生きてるように見られます。
が、自分たちの行き場のない母性をどこに使うか? 有り余る愛を何に向けるか? と考えていたりします。

 

ごちゃまぜの家が多くの人に知られることで、そこに自分のできることを見つける人もいるかもしれない。各地にできたら、ほんとうに素敵ですね。(と思う反面、心にあれば良いんだよね。とも思う。木の根が繋がっているみたいに)

 

実現していく坂爪圭吾さんは
しみじみ、すごいです。

 

今日も佳き一日を🌿

 

自分たちの行き場のない母性という言葉にドキッとした。そして「有り余る愛を何に向けるか?」という問い。この言葉を読んだ時に、なぜ、自分はさみしさという感覚が決して嫌いではないのかが少しわかった。多分、さみしさや悲しみなどと呼ばれている感情は、愛したいように愛せなかった記憶であり、愛されたいように愛されなかった記憶なのだと思う。そのことを思う時、逆説的だけれど「愛は、確かにそこにあった」のだと思う。ただ、適切な形でそれを発露する機会がなかった(機会を失った)だけなのだと、そういうことを思った。私はT様に返信をする。わたり文庫の本を贈ることの約束をする。

 

おはようございます、もちろんどうぞ! お役に立ててうれしいです。

 

ほんとうに、飲み屋でそんな話をしていますよ。Facebook に投稿する友達もいました。

 

フリーランス広報の友達はやっぱり人を育てることだなぁと言って、同じ仕事をする若い人にフリーランスの立場からいろいろ教えようとしています。私は書いて伝えることだなぁと思っています。で、そのためにも詩をたくさん読もうと。あと、ごちゃまぜに協力することも、やりたいことです😊

 

本、ありがとうございます! 楽しみです。今日もがんばろう〜🌸

 

私たちは、いったい、なんのために生きているのだろうか。

 

伴走者

岩崎航さんという詩人がいる。現在、仙台で生活を続けている岩崎さんは筋ジストロフィーという病気を患い、24時間誰かの介護がなければ生きていくことができない。17歳の頃には自殺も考えたが思いとどまり、25歳から詩を書くようになる。2004年に『五行歌』と呼ばれる詩の形式に出会い、現在も様々な作品を生み出している。誰かのサポートがなければ生きていくことができない。誰かのサポートがあるからこそ、自分は生きていくことができる。そんな岩崎さんの作品に、以下のようなものがある。

 

ぼく自身も

誰かの伴走者となって

はじめて

完走できると

思うのだ 

 

この詩をはじめて知った時は、震えるような感動を覚えた。ただ、受けているだけでは足りない。自分も与える側の人間になれてこそ、誰かを支え得る存在になってこそ、同じ時代を誰かと共に走っているのだという実感があってこそ、はじめて生きている実感を得ることができるのだと、そして「この生涯を走り抜くための勇気」を得ることができるのだと、そういうことを思った。たとえ、寝たきりの状態を余儀なくされたとしても「誰かの伴走者になることはできる」のだという希望を、岩崎さんの生き様は与えてくれる。その著作『点滴ポール』のなかに、以下のような言葉がある。

 

生き抜くという旗印

 

かつて僕は、自分で自分の命を絶とうと思ったことがある。
十七歳のときだった。
前途には何の希望もないように思えた。
家人のいない、ある午後、目の前にナイフがあった。
これですべてが楽になるのかなあと、ふと考えた。涙が止めどなく溢れた。

 

けれども、僕は「生きる」ことにした。
それは、嵐にこぎ出す、航海の始まりのようでもあった。
まもなく、座れなくなった。
おいしいご飯も食べられなくなった。
一年間に家の外に出たのが二回だけという年もあった。
人が怖くなったときもあった。
いったい自分が本当は、何を考えているのか分からなくなった。
青春時代を、抉りとられた。
母親を号泣させた。
父親と激突した。
若者らしく友達とバカ騒ぎをして過ごすということもできなかった。
やがて、ベッドで寝たきりの生活になった。
吐き気地獄で、気が狂いそうになった。
自分の若い人生を、余生だとしか考えられなくなった。
ずっと呼吸器を付けるようになった。
今まで恋愛とも無縁だった。
これらを、「生きる」ことで味わってきた。

 

あれからさらに二十年の歳月が経ち、僕は今、三十七歳になった。
病状は、一層進んだ。
あまりにも多くのことを喪った。
思うことはたくさんある。
僕は立って歩きたい。
風を切って走りたい。
箸で、自分で口からご飯を食べたい。
呼吸器なしで、思いきり心地よく息を吸いたい。

 

でも、それができていた子どもの頃に戻りたいとは思わない。多く失ったこともあるけれど、今のほうが断然いい。
大人になった今、悩みは増えたし深くもなった。生きることが辛いときも多い。
でも「今」を人間らしく生きている自分が好きだ。
絶望のなかで見いだした希望、苦悶の先につかみ取った「今」が、自分にとって一番の時だ。そう心から思えていることは、幸福だと感じている。

 

授かった大切な命を、最後まで生き抜く。
そのなかで間断なく起こってくる悩みと闘いながら生き続けていく。
生きることは本来、うれしいことだ、たのしいことだ、こころ温かくつながっていくことだと、そう信じている。
闘い続けるのは、まさに「今」を人間らしく生きるためだ。

 

生き抜くという旗印は、一人一人が持っている。
僕は、僕のこの旗をなびかせていく。

 

岩崎航『点滴ポール』【ナナロク社】

 

岩崎さんは『五行歌』という詩の形式を与えられることで、自身の精神性や愛を発露する機会を与えられた。わたしは、これまで「自由とはなににも縛られないこと」だと思っていた。が、少し違うみたいだ。五行歌や俳句や短歌に形式があるように、与えられた制約があるからこそ『そのなかで発揮される精神性や愛』があるのだと思う。あらゆることを自由にやっていいという状態では発揮されることのなかった精神性が、愛が、与えられた制約の中で『いまだかつてなく踊り湧き上がる』ことがある。これはものすごいことだと思う。人間として生まれた以上、私たちには様々な制約がある。空を飛ぶこともできないし、テレパシーを使うこともできない。酸素がなければ生きていけないし、生老病死から逃れることもできない。しかし、制約があるから不自由なのではなく、制約があるからこそ『私達は自由だ』と、そんな風に言えるのではないだろうか。

 

人間は音符。人生はオーケストラ。

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マヤ語の挨拶にインラケチ【INLAKECH】という言葉がある。INは「私」、LAKは「別の」、ECHは「あなた」という意味になり、直訳すると「わたしはもうひとりのあなたです(あなたはもうひとりのわたしです)」という意味になる。この言葉を知った時は、ああ、ものすごい考え方があったものだなあと感動をした。最近、頻繁に感じることがある。あなたは私の代わりに生きていて、私はあなたの代わりに生きている。ひとりひとりが別々の命を生きているのではなく、ひとつの大きな命を生きている。この「ひとつの大きな命を生きている」という感覚が、現在の自分を支える精神的な拠り所になっているように思う。

 

私は、いま、たまたま与えられた時間や環境があるからこそ「いろいろな場所にごちゃまぜの家(誰でも自由に使える場所)をつくりたい」という思いを行動に移すことができる。これは、自分のためだけにやっていることではなく、自分以外のひとのため【自分と似た思いを抱いているひとのため】にも、与えられている役割のようなものではないだろうかと、そんな風に感じることがある。ひとにはそれぞれの制約がある。それをしたいと思うからといって、すぐにはできない事情がある。逆に言えば、わたしは会社員でもなければ両親の介護をしている訳でもないから、会社で働くという体験や、両親の介護をするという体験をすることはできない。おのおのがおのおのの環境の中で、与えられた役割を務めあげるということ。そのことのなかに、自分のためだけではなく「誰かの代わりに生きているのだ」と思えるような実感や手応えがあれば、日々は、より一層の広がりと共に活き活きと輝きにあふれたものになるのではないだろうか。

 

ひとりひとりが別々の命を生きているのではなく、ひとつの大きな命を生きているということ。あなたはもうひとりのわたしであり、わたしはもうひとりのあなたであるということ。あなたはわたしの代わりに生きていて、わたしはあなたの代わりに生きているということ。そのことを深く認識できたとき、きっと、真の意味での孤独は消える。与えられた役割のなかで、与えられた環境のなかで、与えられた制約のなかで、ただ、自分は自分の歌をうたうということ。生きるということは、多分、そういうことだ。他の誰のものでもない、自分は自分の歌をうたうことだ。張り倒されても、絶望に打ちひしがれても、それでもなお『自分の歌をうたい続ける』ことだ。あなたの生命を賭してうたいあげようとするその音楽が、その勇気が、その生き様が、他と切り離されたものとしてではない、ひとつの大きな命から湧き上がる『人類共通の宝』になるのだと思う。

 

坂爪さま

いつもピッタンコのメッセージ
ありがとうございます!

1年半の休職のあと
11月16日に復職したものの
3月12日に
また会社に行けなくなってしまいました。

親切な会社の同僚が
理由を訊ねてくれたので
一所懸命答えたのですが
なんとも大事な肝が伝わらず

みんなが普通に出来てることが
どうしてもできない。私はダメなのだ。
うまくやれない自分はダメだ。
という方に傾きがちになっていたところ

毎日の
坂爪さんの言葉で
はっ!(゜ロ゜)となり
なんとか自分の中心を保っている私です。

どうしたい?とかどうなりたい?という質問が一番苦手で

ソレガナイトダメナノダロウカ??と思いがちな自分ですが

会社に行けなくなる前に
友達と電話で話していて
ふと
私は坂爪さんのような生き方がしたいのだ、と思っていることに気づきました。

自分のやりたいことの純度をひたすら上げる生き方。
その結果として、周りの人の心が動く。
それを狙っているわけではないのだけれど、、、

私は優しい社会、住みやすい社会
生きることに安心できる社会を創りたい。

その私の姿を見て
自分のやりたいままに生き
発言し
そして違いを許容できる人が増えていったらいいなぁと
妄想している日没時です。

なぜか
坂爪さんにメールしたくなったので
してしまいました。

いつも私を中心に戻してくださって
ありがとうございます。
坂爪さんの美しい瞳がいつまでも輝く日々でありますように。

○○○○○

 

https://www.instagram.com/p/BgXxk9VFC5c/

焦らず、慌てず、楽しんで。

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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応援メッセージもこころからお待ちしております。みなさまからのお言葉が、へっぽこりんちょになっている瞬間にどれだけ大きな力になることか・・・簡単な一言だけでもとってもうれしいです。みなさまからの応援をよろしくお願いいたします!!

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