長野県千曲市にあるデニーズから佐久平駅前のデニーズに行き、現在は長野市若里にあるデニーズにいる。みなさまがたには「デニーズを見たら坂爪を思い出してください」と思っちゃう程度にはデニーズにいる。是非、デニーズを見たら「坂爪さん、元気にしているかな??」なんて思っていただけたらとってもうれしいです。本日は昼過ぎまで長野市にいて、それ以降の予定は皆無です。車で移動をしているので、もしも「おはなをちょーだい!」という方がいらっしゃいましたらご連絡ください(実際に足を運べるかどうかは精神の都合に拠ります!!ご了承ください!!)。
おはなを配りに長野県千曲市に来ました!
— 坂爪圭吾 / BillyGyallow (@KeigoSakatsume) 2018年3月23日
が、急遽佐久市に移動することになりました。今夜は佐久市界隈に、明日は長野市界隈のテント張れそうな場所にいるので「伝説のおはなちょーだい!」という方はお気軽にご連絡ください🌸🌸🌸
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長野の自然は素晴らしい。豊饒な自然に囲まれているだけであふれちゃんになる。わたしは新潟市内にある海沿いの町で育ったために、山に対する憧れが強い。ハワイイ島でも「海もいいけど森の中で果樹を育てながら暮らすのもいいな」なんて思いながら家(OR土地)を探したいと思っている。長野の美しい山々を眺めていると、日本昔ばなしのようだなと感じる。車を走らせながら(どうしたって暇なものだから)「もしも日本昔ばなしを現代風にアップデートしたら、さあ、どんな感じになるのだろう??」なんてことを考えていた。
日本みらいばなし「桃太郎2.0」
みらい、みらーい、あるところに、
おじいさんとおばあさんが住んでいました。
おじいさんはセグウェイにのって山へしばかりに、
おばあさんは自動運転車にのって川にいきました。
おばあさんが川で
「OK、グーグル。これを洗濯してちょうだい」
的なことを話していると、
どんぶらこ、どんぶらこと、大きな桃が流れてくることであろうことを、
おばあさんの体内に埋め込まれているマイクロチップが予言をしました。
「おや、これはよいおみやげになるわ」
おばあさんは大きな桃をひろいあげて、
ドローンにのせて家まで飛ばしました。
(以下略・・・)
まだ、言葉が与えられていない生き方。
最先端の科学技術と日本昔ばなし的な在り方の共生…このようなことを考えながら車を走らせていた。長野県佐久市に到着をする。おはなを渡す予定の男性と合流をする。男性は言う。「知人の紹介でけいごさんを知りました。ブログを読んではいるのですが、いったい、けいごさんとはなにものなのですか??わたしから見ると、ちょっと言葉はあれかもしれないですが『ひも』みたいなものなのかなって思いました」と。
わたしは「ひもということで大丈夫です。自分でも、自分の生き方にまだ名前を与えることができていません。ただ、通常のひもは限定された相手から養ってもらうことを意味すると思うのですが、わたしの場合、その相手が『不特定多数の人類全体』であったり、大袈裟な表現かもしれないですが『わたしは地球に愛されている(宇宙全体から養われている)』なんて言ったらあやしさ満載ですが、そのことに対する謎の確信があります。」と答えた。
そのあとに「普通、生きるためにはなにかしらのものやサービスを売り、そこで得た対価によって生計を成り立たせるものなのだと思います。が、わたしは交換という行為があまり得意ではなく、一方的な贈与とでも言えばいいのでしょうか、大きなかたちでの循環が起こればそれでいいのかなと思って居ます。多分、わたしの場合は『売る・買う』という関係性よりも『あげる・もらう』という関係性の方が好き・得意・今回の人生には適しているのだと思います。このおはなも、鹿児島県在住の方の完全なるご好意でもらったものになります。誰かからなにかをしていただくと、とてもうれしい気持ちになります。わたしは、ただ、このようなかたちで誰かからもらったものを、次のひとにまわしている『おすそ分けライフ』をエンジョイしたいだけなのだと思います」と話した。
金を動かすのではなく、心を動かす。
多分、私は「自分にまわってきたものを、次にパスをしているだけ」なのだと思う。自分から与えている【from】のではなく「自分を通過しているだけ【through】」なのだと思う。豊富なストックがあるわけではなく「ただ、フローがあるだけ」なのだと思う。このような在り方をなんと名付けたらいいのだろうか。ラグビーボールのようにパスを回し続けるラグビーボール is my lifeとか言えばいいのだろうか。ギフト経済的なあれでフロー経済とでも言えばいいのだろうか。不労所得はないけれどフロー所得ならありますと胸を張ればいいのだろうか。いや、スローライフ的なあれで『スルーライフ』とでもかませばいいのだろうか。違う。ダメだ。こんなんじゃダメだ。すぐに自分の場合は駄洒落の方向に舵を取ってしまう傾向がある(誰か一緒に考えてください!!)。
交換ではない『循環』。循環という言葉には大切ななにかを感じる。わたしは経済について何も知らない。だから何も言うことはできない。ただ、わたしは「お金を動かすことよりも、心を動かすことに興味があるのだ」ということを強く思う。お金によって動くのではなく、ただ、心によって動けているときに「ああ、いまの自分はいい感じだな」と思う。経済学者は言う。お金をまわすことが大事なのですと。それによって成り立っているものが自殺者3万人の社会ならば、元来いたずら小僧的な性分があるわたしのような人間は「ひっくり返したい…!!」などと思ってしまう。お金も大事ですが、それよりも大事なものがあります。それは人間の心です。お金を動かすことよりも、その先にある心を動かすことこそが大事なのです、と。
わたしは何を言っているのだろうか。先ほど、道路標識に軽井沢と出てきてテンションがあがった。軽井沢は素晴らしい場所だ。「軽い」という言葉の響きも軽快だ。軽井沢でごちゃまぜの家をやれないかなとか、自分の思考はすぐに散らばってしまう。軽井沢でやるなら「重井沢」とかどうかな。そんな名前のペンションはどうかな。すぐに重く考えてしまいがちなあなたへとか謳いながら、、、新潟の佐渡ヶ島に行ったときは「マゾヶ島も作りたい!」とか、サドベリースクールを知ったときは「マゾベリースクールとかやれないかな!」とか、ダメだ、頭のなかはいつも駄洒落のことばかりであふれてしまう。超ひも理論とか言っている場合ではない。もうちょっと冷静になって、自分のあり方に言葉を与えてやりたい【まだ、名前のない生き方に名前を与えたい】と思う。
ごちゃまぜの家 in ハワイ企画
ホームページ、鋭意製作中です。
1日1動画も配信予定です。ご覧いただけましたら幸いです!
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わたり文庫『すみわたる夜空のような』
今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、銀色夏生著作『すみわたる夜空のような』です。非常にありがたいことに読者の方々からたくさんの応援メッセージをいただいており、ひとつひとつを大感謝と共に拝見をさせていただいているのですが、時間的&精神的な余裕が追いつかないですべてに返信をすることができていません。ただ、あなたの言葉を確実に読んでいることだけは知っていていただけたら最高にうれしいです!!そして、そんなさかつめけいごという人間でも許容してくださるという方は、是非、これからもいつでもお気軽にご連絡をいただけましたら幸いです。まだ返信をできていない方には「これがわたしの返信です!」ということで、銀色さんの詩を拝借させていただきます。わたり文庫の今回の一冊、ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。
※※※ こちらの本は、東京都にわたりました ※※※
「君へ」君は好きなことを、好きなふうにやるべきだ。そのことが他人から見て、どんなに変でも、損でも、バカだと言われても、気にするな。だって彼等は、君の願いを知らない。君が何をめざし、何に向かっているのかを知らない。君は彼等とは違うものを見てるのだから。あの、強い思いだけを、繰り返し思い出して。そのことを忘れないで。他人の説教やからかいなど気にせずに、どんどんやりなさい。けして周りを見たらダメだ。仲間はいないんだ。すくなくとも途中には。君はやりたいように、どんどんやりなさい。やりたいことを。好きなやり方で。その行為が同時に君を救うだろう。その行為は同時に人をも救うだろう。そのことを忘れないで。銀色夏生「すみわたる夜空のような」【角川文庫】
愛の循環 Circulation of love
前回の記事で『愛の循環』をご紹介させていただきました。愛の循環。素晴らしい言葉だと思う。今回長野県内にいるのも、鹿児島からおはなを贈ってくださった方がいるからであり、ごちゃまぜの家に車を置いてくださった方がいるからであり(現在使用している車は善意ある方が「ごちゃまぜの家で使ってください」と貸してくれている車になります)、長野に行きたいと言い出してくださるひとがいるからであり、軽量テントを与えてくださるひとがいるからであり、おはなを受け取ってくださる方がいるからであり、これらすべての模様を見てくれているひと【画面の前のあなたのことです!】がいるからなのだと感動的に思う。
お金ではなく、心を動かすこと。昔からこのようなことを考えていた。あらゆるものが無料のホテルとか、あらゆるものが無料の喫茶店をできないものだろうか、と。利用者の方々は、あらゆるサービスを常に無料で使うことができる。そして、使用をしたあとに「この空間は最高だ。これからも是非存続をしていてほしい!」と思ったときは、ドネーションという形で寄付金(あるいはその他のなにか)を差し出す。取引とは異なる、あくまでも「自分の心がそうしたいのだと動いたときに、そうしたいと思ったものを」差し出すということ。活動を継続させるためには毎月これくらいの売り上げが必要だとか、原価がどうだとか、回転率がどうだとか、そういう在り方から離れることができている活動、ただ、大いなる循環のなかで存続をすることができている(互いに生かし・生かされている)空間を、この世の中につくれないものだろうかと考えていた。
その第一弾が『おはなをあげる』であり、その第二弾が『わたり食堂【0円食堂】』であり、その第三弾が『ごちゃまぜの家』になる。私は思う。カフェなどに足を運んだ際、店員さんの笑顔が最高だったりするとなんだかもうあなたに会えただけでわたしは最高にしあわせですなどと思う。そんな時、一杯500円の珈琲代金に加えて、なにかもっと受け取っていただけたらと思う。しかし、通常のシステムだとなかなかなにかを差し出せる機会は少ない(適当な受け皿がまだない)。そのために、応援をしたい側の人間は「お店に何度も足を運ぶこと」くらいしか支援をする方法がない。しかし、交換とは少しだけ異なる在り方ならば(たとえば一杯500円の珈琲に対してさえも)1万円を差し出すこともできるし、100万円を差し出すこともできる。ものではなく、そのものを提供している「あなた」に対して、自分が差し出したいと思ったものを差し出すことができる。多分、わたしは「ものではなく『ひと』に払いたい」のだと思う。あなたにあえたことが自分はこんなにも嬉しいのだと、あなたのことが好きだからあなたにはこれからも生きていてほしいのだと、そのような気持ちでお金(あるいはお金的な何か)を差し出すことができたとき、ああ、わたしの心は「いい感じだな」と思う。
坂爪様
先日LINEさせていただいた○○○○と申します。
坂爪さんが、坂爪さんのまま居てくださることが何より嬉しく、お花をお送りしたくなりました。
ただただ気持ちばかりのものとなりますが、お受け取りいただければ幸いです。
どうぞ、これからもそのままで!
もう既に私たちは循環する社会の中にいるんですね。
2018.3.21 ○○○○
人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu
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応援メッセージもこころからお待ちしております。みなさまからのお言葉が、へっぽこりんちょになっている瞬間にどれだけ大きな力になることか・・・簡単な一言だけでもとってもうれしいです。みなさまからの応援をよろしくお願いいたします!!
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