いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

過去の自分を超える勇気。

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感動的な言葉に触れた時、ああ、これは人類全体の宝物だと感じる。自分だけのものにしておくことが非常にもったいなく感じて、誰でもいいから(なんだったら無理矢理にでも)聞いていただきたくなる。そういう言葉に昨日出会った。言葉は誰のものでもない。逆に言えば「みんなのもの」なのだと思う。昨日、私が交わした会話が、これを聞いてくださるあなたにとっても『宝石』のようなものになればと祈りを込めて、シェアをさせていただきます。

 

 

何か大きなものに『やらされている』という感覚 。

ごちゃまぜの家の活動をはじめ、わたしは「自分がやりたいと思うことをやっている」と思っていた。誰かに強制されて嫌々ながらやっているのではなく、あくまで自分の意思で(やりたいと思うから)やっているのだと。しかし、冷静に考えると違うような気がする。語弊を恐れずに言うと、自分の背後に常に君臨している『何か大きなもの(SOMETHING BIG)』から、今世のお前はこれをやるために生まれてきたのだから、しのごの言わずにやれ、と言われているような感覚。 

 

あとは全部用意をするから、お前はやることをやれ。 

神的なものは言う。金のことは心配するな。否、あらゆることを心配するな。必要になるものはすべてこちらで用意する。『だから、お前はやることをやれ』と。感覚は昔からあった。家のない生活をして時も、金は常になかったけれど『金に困ること』もなかった。奇跡的な出来事が連続をして、常にギリギリのところで救いの手が差し伸べられるような日々の連続を生きていた。あの頃から、この言葉に対して確信めいた思いを抱くようになった。多分、今世の自分は金に困ることはない。でも、だからこそ、自分がやるべきことに徹底的に集中する必要があるのだと、そういう役割があるように感じていた。

 

fromは傲慢、ただ、自分を通過【through】しているだけ。 

家のない生活を2年続けたのちに、ブログを読んでいてくださった方が「さすがに家のない生活は大変でしょう」と、熱海に家を購買してくれた。この時は正直物凄い驚いた。が、気持ちがうれしかったのでありがたく家を購買していただく流れになった。この話をすると「よく受け取れますね!」と言ってもらえる。ただ、あのとき、わたしは驚くほどスムーズに家を受け取るということができた。家だけじゃない。現在のわたしは「もらいものだけで生活をしている」と言っても過言ではない。そして、なにかをもらうということに対する負い目がない。そういうことを昨日話していたときに、通過という単語が出てきた。

 

あらゆるものは、ただ、自分を通過しているだけなのだと思う。こうして使っている言葉でさえ、自分ではない他の誰かが過去に生み出してくれたからこそ、その恩恵を通じて『自分の気持ちを伝えることができる』。冷静に考えると、真の意味ではこれは自分のものだと言えるものは、なにひとつないような気がする。あらゆるものは「自分を通過していくもの」なのだと思う。家も金も物質も同じだ。これは自分のものだと思った途端に、ため込もうとする心理作用が働く。しかし、これは自分を通過しているだけなのだと思えば、気負うことなく周囲のひとびとと分かち合うことができる。逆に言えば『これはおれのものだ【from的な思考】」が働いているときの自分は、傲慢になっているように思う。自分のものにするのではなく「自分を通過していくもの」だととらえることで、多分、わたしは受け取るということを以前よりスムーズにできるようになったのだと思う。

 

通過と言えるのは、一回、打ちのめされたからだ。

ガーダさんから「坂爪さんがこのように『通過』と言えるのは、一回、打ちのめされたことがあるからだと思います」と言ってくれた。この言葉には震えた。そんな風に考えたこともなかったけれど、ああ、確かにその通りだと思った。私は過去に半年間の寝たきり生活を送っていた常に「死にたい、死にたい、生きていてもなにもいいことはない」と思い続けていた日々がある。自分を通じてなにかを通過させるためには、自分が透明でなければいけない。自分のなかに壁があっては、なにかを通過させることはできない。おそらく、わたしは過去に一回死んだことを通じて『自分の中にある壁がガラガラに崩壊する』という体験をしたのだと思う。

 

ibaya.hatenablog.com

 

あの時期は地獄だった。しかし、過ぎて見ると「あの体験がなければいまの自分はない。あの体験がなければ、もっと傲慢なまま生き続けていたように思う」と感じる。過去の自分はfromの思考をしていたように思う。自分の中にある壁こそを誇りにしていたように思う。俺はお前とは違う。俺は特別な人間だ。さあ、この俺を見ろ!と。とにもかくにも「俺が、俺が」の思考に満ちていたが、病気を通じて「天狗になっていた鼻をへしおられる」的な恩恵を受けた。そのことが功を奏したのか、いまでは「あなたはすごいですね」と言われるたびに違和感を覚えるようになった。ただ、「(あなたという人間を含めた)人間というものはすごいですね」と言ってもらえるときには、いままでにないうれしさを覚えるようになった。

 

私は、私の話をしたいのではなく、私を通じて「人間全体の話」をしたいのだ。

 

ibaya.hatenablog.com

 

わたり文庫『光あるうちに』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、三浦綾子著作『光あるうちに』です。三浦綾子さんの著作は坂爪史上最大のバイブルで、彼女の言葉に触れるたびに「自分の中心に芯が通る」感覚を覚えます。読書を通じて、まるで作者と会話をできている感覚になります。朝に読めば『希望と共に1日をはじめる』ことができるし、眠る前に読めば『感謝と共に1日を終える』ことができる。素晴らしい人柄との出会いは、そのまま『素晴らしい人生』を運んでくれる。こちらの本をご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※

 

わたしたちの今日の一日を、ここで一人一人顧みていただきたい。今日の一日は、あなたの人生に、あってもなくてもよい一日だった。どうしても、なくてはならぬすばらしい一日だったか。もしくは全くなかったほうがよかったような一日だったか。

 

そしてまた考えていただきたい。今日のような毎日が積み重なった一生は、すばらしく有意義なものか。今日のような毎日の積み重ねは、何の意味ももたらさないか。今日のような毎日の続く一生なら、むしろないほうがいいか、どうか。

 

わたしがもし、自分の毎日をこんなふうに大別してグラフを作ったら、ないほうがいい日が一番多く、有意義な日は甚だ少ないような気がする。ただ、このように、少しでも意識して、自分の生活を大切に生きようとすると、一日といえども、いい加減に生きてはならぬことを知らされるような気がする。

 

三浦綾子『光あるうちに』【新潮文庫

 

過去の自分を超える勇気。 

本音を生きるという言葉がある。私にとって、本音とは「決して伝わることのないもの」だった。よく、人々は本音で話せばわかりあえる、だから本音を話そうなどという。しかし、わたしにとって本音とは「話せば話すほどに伝わらず、話せば話すほどに孤独を深めるもの」だった。だから、やがて、自分の本音を語ること(なにかを説明すること)は少なくなり、自分の生き様に言葉を宿らせることに注力するようになった。話しても伝わらないことは、やってみせることが早い。だからこそ、理想を語るのではなく、経験を語れ。やりたいことを語るのではなく、やってきたことを語れ。そう思って生きていた。が、その思いが悪いとは思わないけれど、そのやり方では「なにかをやり遂げるまではひとりきりのまま」ということになる。わたしは、この点を変えたいと思った。できることならば、最初に理想を語り、見たい世界のイメージを語り、自分はこういうことをやりたいと思っているのだと語り、その風景を面白がってくれるひとびとと「(結果を共有するのではなく)結果までの道を共に歩きたい」と思っている。結果を共有することをよろこびとするのではなく、その過程の道を『共に歩く』ことのなかに、よろこびを見出して行きたいのだと思っている。

 

坂爪さんの
自然な流れに任せて奇跡を起こす生き方みたいなものにも惹かれて
ブログ読み始めましたが
最近坂爪さんから自然な
流れプラス
こうしたい!っていう
坂爪さんの
意思を感じることがすごく嬉しいです!!
また以前より
坂爪さんのブログから孤独感みたいな感じが減っていて、
ホッシー
稲村さんやとおるさんを見て納得みたいな。。

 

最後今日の会議の
感想は楽しみながらハワイごちゃまぜのおうち達成してほしいし、
私に出来ることは
頼ってほしいなって思いました!

 

坂爪さんたちが
変化したように
私も会って交流しているうちに
見て満足から
少し役に立ちたいって変化したんだと思います!

 

だからうまく甘えて、役に立たせてくださいね☆


今日はありがとうございました!

 

ティクナットハンは「幸せになる道はない。幸せこそが道である」と言う。幸せになるとか、幸せにならないとか、そういうことはないのだろう。幸せとは『いま、この瞬間』のなかにこそあり、それは『幸せと共に生きる』ことの中にある。なにかを成し遂げたから幸せになるとか、なにかを成し遂げるまでは幸せになれないとか、そういうことではない。幸せとはこの瞬間のなかだけにあるものであり、だからこそ、わたしは『共に笑う』『共に泣く』『共に生きる』ということに、これほどまでの熱情と憧憬を抱いているのだと思う。そして、それが実現されたように感じる瞬間のなかに、言葉にすることのできないほどの大きなよろこびを感じているのだと思う。ひとりきりでも幸せになることはできるだろう。しかし、そのよろこびを誰かと分かち合うことによって、よろこびは何倍にも増幅する。ひとりきりでは感じることのできないよろこびが、自分ひとりだけで囲みこんでいる間には得ることのできないよろこびが、『分かち合う』という行為のなかにはあるのだと思う。

 

お風呂に入ってたら話したいことがいっぱい出てきちゃって、ただいまスクランブルしております。。。。


今日のハワイ会議を受けて、もしわたしが3人の立場だったら、わたしは何をするんだろう、って、ふと思ったんです。

で、結論から言うと、ハワイの方々にも菊名のごちゃまぜの家に来て欲しい!って思ったんです。ごちゃまぜの家を知って欲しいし、体感して欲しい、って。
受け取ることを考えるより、【先にすべてを差し出したい!】って。
わたしたちはこんなにステキなごちゃまぜの家を与えられているのに、それを【循環】させずして、なんだか得ようとばかりしてはいないか、と。

その結果、もし今回のハワイの旅をきっかけに、ごちゃまぜの家を知ってくれて、訪ねてくださる方がいたら、それはなんてステキなんだろう!と✨✨✨
わたしたちがハワイに行くことばかり考えるんじゃなくて、ハワイの方々にも菊名を知ってもらえて来てもらえる、そんな関係になりたい!って、思いました。

だから、わたしだったら、
『ハワイで家や土地を探している』
から、
『日本にこんなところがあるんですが、来てみませんか?』『日本に来るときは是非立ち寄ってください♡』なお誘いをしまくるのかなぁ、って。わたしの大好きなごちゃまぜの家に来て来て!って( ˘ω˘ )♡

それは即効性がないかもだけど、ハワイとの絆や信頼関係を大切にしたい、って思ったらやってもいいことなのかなぁ、って思いました🌈✨✨✨

 

昨日開催されたハワイイ会議を通じて、様々な意見を頂戴した。そのなかで「自分たちがハワイイに求めるだけではなく、ハワイの人々にとってもよいと思ってもらえるような活動になったらいいですね」というご指摘をいただいた。まさにその通りだと思ってこうべを垂れた。そして、自己中心的な思考ばかりを繰り返していた自分を恥じた。自分ひとりで考えていると、どうしても思考や視野の幅が狭くなる。そんななか、いつだって自分の世界を広げてくれたものは『他者の存在』だった。これからの未来を、こうして一緒に考えてくださる方々がいると言う現在の状態に、言い知れない感謝を抱いた。今日はこれから家を建てる。家を建てる練習をする。無謀かもしれないけれどすのこを使って家が作れないものかと、2〜3万円程度で『眠れる小屋』を作れないものかどうかを、実験的に試してみる。ハワイイ出発まであと18日、自分にできること・この瞬間から動き出せるものを見つけては、ひとつひとつ行動に移していきたいと思う。

 

坂爪さんへ

 

今日は、突然お邪魔させていただきましたが、温かく迎えて下さり本当にありがとうございました。

 

あの空間には初めてお会いする方しかいなかったのに、坂爪さんに惹かれて集まった人たちの不思議な一体感が心地よく、まるで昔からの親戚のお家に立ち寄ったかのような安心感があり、私も私らしくいることができました。

 

ごちゃまぜの家に、わたしが目指す世界の縮図を見た気がします。

 

ブログやTwitterの記事の感想など、以前から伝えたいことが沢山あるのですが、今日は、今日感じたことをお伝えしたいと思います。

 

…坂爪さんが道案内に迎えに来て下さった時、私の荷物を見て、優しく『持ちましょうか?』と聞いて下さった時に『大丈夫です。』とお断りしてしまったこと。。

 

あの時、何故坂爪さんの優しい気持ちを素直に『ありがとうございます』と受け取れなかったのか、これが愛を受け取ることができていないということなんだと理解できたのです。

 

人は本当に無意識に物事に対する反応をしているんですよね。愛を与えることは受け取ることよりは容易く、それは、人は誰かのためになりたいと、誰かの役にたちたいと、本能的に思う生き物だから。

 

人が愛を受け取ることが苦手な理由は、愛を受け取ってもらえなかった過去の経験が関係しているのだと、深く知ることができました。

 

坂爪さんが挑戦している生き方は、いかに素直にただ人の愛を受け取ることができるか、だと思ったのです。(稚拙な表現ですみません)

 

これは本当に簡単なようで一番難しく、私たちが人生において挑戦すべき壮大なスケールのことなんですよね。

 

何故なら、また傷つくことが怖いから。愛を受け取るには、過去の傷を乗り越える勇気が必要だからです。

 

坂爪さんから滲み出ている優しさは、貴方が人からの愛を素直に受け取ることを意識して選んできたからなんだと思います。
だから、愛を渡す(表現する)ことも自然にできるようになってきているのでしょうね。(スリッパを用意して下さったこと、わたしの家庭料理を褒めて下さったことなど)
ただ、これらも感覚で生きてきたからこれからは想いを言語化していきたいとおっしゃっていたように、挑戦なのかな?とも感じました。瞬間瞬間を大事にしたい想いが伝わってきました。

 

つまり貴方は過去の自分を超える勇気をもって今を生きている!
本当の強さや優しさは、そこから育つ(築かれる)のだと思います。

 

素晴らしいことです。
貴方の中にキラキラ輝く希望の光を見ました✨✨

 

大丈夫です。
貴方がこの人生で表現したいことは、全て愛に基づいている。そのことに自信を持ってください。

 

だから、ただ自由に楽しんでください。自分に与えられた恵みを生かして笑っていてください。それがみんなに勇気を与えます。

 

坂爪さんの使命は人の期待を背負うことではなく、自分の命を謳歌することですから。

 

…と、ここまで綴って、いま私が貴方へ向けて放った言葉は全て自分へのメッセージでもあることにもう気づいています(笑)

 

一緒にこの世界で愛の循環をしていきましょう☺️🌈

 

またお会いできる日を楽しみにしています💫

 

そうそう、ピンクのチューリップ🌷坂爪さんにお似合いでしたよ。

 

改めて、本日はお料理をさせていただき、ありがとうございました😊🥗ごちそうさまでした。
いろいろ調味料なども使わせていただいたこと感謝致します。

 

まとめ✈
キッチンでワインを乾杯して飲んだのが楽しかったです(笑)
握手もして下さり嬉しかったです♪

 

また!

 

2018年3月21日
雪の春分の日に ◯◯◯◯

 

https://www.instagram.com/p/BgmdGtED4Zh/

大丈夫です。貴方がこの人生で表現したいことは、全て愛に基づいている。そのことに自信を持ってください。だから、ただ自由に楽しんでください。自分に与えられた恵みを生かして笑っていてください。それがみんなに勇気を与えます。坂爪さんの使命は人の期待を背負うことではなく、自分の命を謳歌することですから。#わたり食堂 #終了 #ハワイイ会議 #受け取った言葉 #テイクだけではない #ギブを考える #ハワイイにしてもらいたいことだけではなく #ハワイイにしてあげられることを考える #ハウストレード #交流 #流れ #交わる #小我を超えて #大我に至るまで #意思を掘る #どこまでも深く深く掘り進めた先に #多分 #みんながいる #自分を深く生きるほど #多くの人々とつながることができる

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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