生きるのに必要なものなんて、それほど多くないよ。
ショーシャンクの空にという映画に「頭の中で。心の中で。人から音楽を奪うことは決してできない」という言葉がある。独房に閉じ込められた主人公は、頭の中で、心の中で、モーツァルトの音楽を流し続けることで「(独房のなかも)快適な時間だったよ」と答える。どのような状態に置かれても、決して人から奪うことができないもの。お金もモノも、カタチあるものはすべて流れる。そのようなことを考えていた時に、ふと、詩人・長田弘さんの言葉に触れる機会に恵まれた。
ゆたかさは、私有とちがう。
むしろ、けっして私有できないものだ。
私有できないゆたかなものを
われわれは、どれだけもっているか?
ー 長田弘「嘘でしょう、イソップさん」より
春だ。草花が蕾をつけている姿を見て、心があたたかくなりかわいいなと思う。日光浴をしながら庭先を眺めていると、目の前をとかげがササっと駆けていく。風に花が揺れている。天国みたいだなと思う。豊かな時間だなと思う。海も山も風も、春の陽の光も、とてもじゃないけれど「自分のものだ」とは言えない。ただ、それを見ている間だけは、自分のものなのかもしれないと思う。私有することのできない豊かさに触れた時、ああ、豊かさを生きるのではなく「豊かさが自分のなかを生きているのだな」と思う。
立ち止まる。
足をとめると、
聴こえてくる声がある。
空の色のような声がある。
「木のことば、水のことば、
雲のことばが聴こえますか?
「石のことば、雨のことば、
草のことばを話せますか?
立ちどまらなければ
ゆけない場所がある。
何もないところにしか
見つけられないものがある。
ー 長田弘「立ち止まる」より
数日前から体調不良で寝込んでいる。寝込んでいるなどと言いながら、いま、綱島にあるデニーズからこの記事を書いている。昔から、なにもしない時間を過ごすことが苦手だった。小さなこどもが風邪をひいているのに鼻水を垂らしながら全身全霊で遊び続けるように、32歳になったいまも、ちょっとでも余力が戻るとすぐに動き出してしまう。ただ、昔よりも「詩を想う・詩に触れる」機会は多くなったように思う。自分のからだのなかに、詩が(昔よりは)ふかいところまで浸透をしていくように感じている。
ゆっくりと生きなくてはいけない。
空が言った。木が言った。風も言った。
ー 長田弘「人生の短さとゆたかさ」より
詩を愛するこころがあってよかったと思う。人から音楽を奪うことはできないように、人から詩を奪うことはできない。人生の豊かさとは、もしかしたら「奪うことのできない豊かさ」をどれだけ見つけることができたかなのではないだろうか、と思う。私は自然が好きだ。自然は誰のものでもない。ただ、自分がそれを見ている間だけは「自分のもの」と言えるのかもしれない。人間も同じだ。人間を私有することはできない。ただ、一緒にいる時間だけはふたりだけのものになるのだと思う。自然を愛するように、人間を愛せたらと思う。
みなさまおはようございます!
— 坂爪圭吾 / BillyGyallow (@KeigoSakatsume) 2018年3月29日
風邪をこじらせて完全ノックダウンの坂爪なうです。ハワイ島に行く前に出すもの出してスカッと軽やかに飛び立ちたいものです!愛のある差し入れを24時間体制で受け付けて参ります!!!
〒222-0012
横浜市港北区富士塚2丁目24-5
みなさまは健やかな日々を!✨ pic.twitter.com/HvF1q6ZmZT
「どうにかする」より「どうにかなる」
病床の中、東京から女性M様がお見舞いに来てくれた。M様は言う。いまの仕事は忙しい。忙しすぎてゆっくりとなにかを考えることができない。自由な社風だからやりたいことをやらせてはくれるし、上司や同僚などは「お前はなにがやりたいんだ??」などと聞いてはくれるけれど、わたしはそれにうまく答えることができない。やりたいことならなんでも自由にやらせてくれる恵まれた社風なのに、そういう『自分がここでやりたいこと』を持てない自分はダメなんじゃないのかと思う。と。
私は思った。多分、誰にでもやりたいことはあるとは思う。ただ、まるで詰問をされるように(ボロ雑巾を絞り上げるように)「お前はなにがやりたいんだ??」などと問われても、萎縮してしまうばかりで本音【思い】が引き出されるとは思えない。やりたいこととは絞り出すものではなく「泉のようにぽこぽこ湧き上がるもの」だと思う。これは自分だったらの話だけれど、上の立場の人間などに囲まれて「お前はなにがやりたいんだ??」などと詰問をされる日々を過ごしていたら、多分、なにがやりたいのかはわからないけれど「とりあえずあなたの頭をかち割りたいとは思っています」と答えてしまうくらいには、追い込まれてしまうのではないだろうかと思う。
という話をしたら笑ってもらえたからうれしかった。私は思う。生きているといろいろな壁にぶち当たる。そのときに「どうにかする!」などと意気込みと、肩に力がはいる。「どうにかする」ではなく「どうにかなる」の方がGOODだと思う。どうにかするの場合、主語は『自分』になる。どうにかなるの場合、主語は『宇宙全体』になる。これまでの人生を振り返って見たときに、思えば「自力でどうにかしてきたことよりも、様々な力が働いて結果的にどうにかなってきたことが9割だなあ」と思う。多分、自分のこころが楽になる道が正解だと思う。きっとどうにかなる。あなたはあなたが思う以上に守られているし、あなたはあなたが思う以上に愛されている。そのことを思い出して、安心をして生きててもらえたらと思う。
ごちゃまぜの家 in ハワイ企画
ホームページ、引き続き鋭意製作中です!
1日1動画も配信予定です。ご覧いただけましたら幸いです!
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わたり文庫『マザー・テレサ 愛と祈りのことば』
今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、渡辺和子訳『マザー・テレサ 愛と祈りのことば』です。こちらの本は、岡山県津山市にお住いの方から「誕生日プレゼントにどうぞ!(注・坂爪圭吾の誕生日は4月7日です✨)」と、わざわざ郵送をしていただいた一冊になります。私はマザーテレサが大好きで、彼女の言葉に触れるたびに「彼女のように生きることができたなら…」などとひとりでいる時間は深い愛を抱くものの、いざ、生きている人間を目の前にすると「愛することの難しさといったら!!」などと思うことばかりです。精進の必要な日々を過ごしています。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。
※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※
私たちは、人々と出合うために、自分から出かけて行かねばなりません。遠くに住む人ひも、近くにいる人にも、物質的に悩む人々のところにも、精神的貧しさを味わっている人のところにも。
家族の間に、もう少し多くの愛、一致、平和、そして幸せがあったなら、こんなに多くのアルコール依存症者や、麻薬中毒者は生まれなかったことでしょう。
先進国にも、一つの貧しさがあります。
それは、お互い同士、
心を許していない貧しさ、精神的貧困、淋しさ、
愛の欠如からくる貧しさと言っていいでしょう。
愛の欠如こそ、
今日の世界における最悪の病です。
生きるのに必要なものなんて、それほど多くないよ。
本当はもっと穏やかな詩的情緒あふれる記事にしたかったのに、ダメだ。最近の出来事ばかりを書きたくなってしまう。先日、とある方から「お前が自由なのは所詮独り身だからだろ。結婚をしても同じことが言えるか」という言葉をもらった。このような言葉を言われたことは久しぶりだった。そしてわたしは考えた。最初に浮かんだ言葉は「お前とは覚悟が違うんだよ」というものだったけれど、ちょっと言葉が乱暴だから控えた。そのあとに「家族を言い訳にするのはダサい。そんな後ろ姿を自分のこどもに見せたいとは思わない」と思ったけれど、その言葉も控えた。
どこにもいない人に会いにゆく。
きれいな水と、
きれいな花を、手に持って。
どこにもいない?
違うと、なくなった人は言う。
どこにもいないのではない。
どこにもゆかないのだ。
いつも、ここにいる。
歩くことは、しなくなった。
ー 長田弘「花を持って、会いにゆく」より
合間合間に長田さんの詩を挟みます(長田さんの詩はいいなあ。。)。わたしという人間は牡羊座で火の性質があるからなのかすぐにカッカカッカとする。この出来事をある女性の方に話したら「私は別に、圭吾さんはいまのままで普通にこどもももてると思いますよ。こどもと一緒に遊んでいる姿も、簡単にイメージすることができます」と言われてうれしかった。あはぁ!と思った。それを聞いて「それもそうだなあ!」と思った。別に人間は衣食住さえあれば生きていけるのだし、坂爪圭吾のこどもとして生まれたことが運の尽き、あとは「自力で頑張って生きてください!おとうさんは、できる範囲で応援をするけれど基本的にはあなたの生命力を信じています!」という感じであたたかく放り出すのだと思う。
歩くことをやめて、
はじめて知ったことがある。
歩くことは、ここではないどこかへ、
遠いどこかへ、遠くへ、遠くへ、
どんどんゆくことだと、そう思っていた。
そうでないということに気づいたのは、
死んでからだった。もう、
どこにもゆかないし、
どんな遠くへもゆくことはない。
ー 長田弘「花を持って、会いにゆく」より
自分にこどもができたときは、自分を育ててくれた豊かさを伝えることができたらと思う。今回の記事で言えば「誰にも奪うことのできないものを見つけない」ということになる。わたしの場合、音楽や詩や言葉や自然や人との繋がりに助けられたことが大量にある。私は思う。人間が生きるためには「死なないために必要なこと」だけではなく「生きたいと思うために必要なこと」こそが大事だと思う。生きているだけでは足りない。生きたいと思うことが大切だ。わたしの場合、自分の心がうつくしいと思うものに触れたとき、ああ、この世界は生きるに値する素晴らしいものだと思って前向きになる。それは私有をすることのできないもの。だからこそ、決して奪われることのない「常にそこにある」もの。どれだけ伝えることができるのかはわからない。ただ、わたしは「この世界は生きるに値する素晴らしいものだ」ということを、周囲の人々と分かち合っていきたいのだと思う。
生きるのに必要なものなんて、それほど多くないよ。今日着るための服があって、今夜眠るための場所があり、明日食うために困らない金がある。それだけでOK。それ以外はおまけだよ。あとは自分の人生を思い切り楽しむことだ。自分を楽しませてくれるものを見つけて、それをみんなとわかち合うことだ。
— 坂爪圭吾 / BillyGyallow (@KeigoSakatsume) 2018年3月29日
坂爪さんこんにちは☺
昨日、あずき等をほんの少しですが💦
ごちゃまぜの家宛に送らせて頂きました!(先月までに送ると言いながら、遅れてしまってすみません)
気が向いたらで、と言われて
本当に気が向いたときに送ってしまいました😂けどそれが一番ベストなタイミングなのかも?
梱包が雑ですが、受け取って頂けたら僕も嬉しいです(^^)
.
話は変わりまして…
坂爪さんの、おはなを配る というものが、とても素敵だなぁと思い 先日初めてやってみました🌼
ドン引きされるんじゃないか、
まあされてもネタになるからいいか、と思いながら渡したところ、
思いのほかとても喜んでくれました!!!
それが嬉しくって、
いまは人に会うたびお花をあげるようになりました(できる限りですが😂)
まだ十数人の方にしかあげれていないですが、皆さん喜んでくれて、(その場もなんだか良い感じになります笑)
やばい!お花はいい!!!
って感じになっております。そして周りから見ると変なやつに見えるかもしれませんが、なんだかそういうことをしている自分も悪くない、というか好き! になりました(^^)
そうしていると、逆にプレゼントを頂く機会が増えました!!!
あぁ、これが坂爪さんの仰っていた 交換ではなく、循環なのか???!
と少しばかり感じました🌼
そしてお花を選ぶのも買うのもあげるのも好きになりました!
坂爪さんの代わりに(と言っては大変おこがましいですが…)ここ沖縄でお花を配りまくって、おはなでOHANA, おっきな輪! にしたいなぁと思いました。
長々とすみません💦
いつも、本当に坂爪さんのブログを楽しみにしております。
いつか、いつか、世界のどこかで会えたなら 幸せです。
では今日も素晴らしい一日を✨
南国・沖縄より ○○○○
人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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